「私と決闘しろ。銭形平士!」
「……誰だ、貴様は」
不二の誘いに、銭形は凄みを効かせた低い声でそう返した。
気付けば、この騒ぎを聞きつけた他の強襲科の生徒が、徐々に周りに集まってきて人集りを作り始めている。
「名古屋武偵女子校の強襲科1年、不二杏だ!」
「なぜ俺が貴様と勝負などしなければならんのだ」
「お前と直接闘うことで、私の力がどれ程のものか試させてもらう!」
「……下らん。そんな事に付き合ってられるか」
そう吐き捨てながら銭形は振り返り、今来たばかりだというのに体育館の玄関の方へ歩き去っていく。
「ま、待て! 逃げるのか!? この臆病者ォ!」
去っていく銭形の背に向かってそう叫ぶ不二だったが、銭形は振り向きもせずそのまま体育館から姿を消してしまった。
「……このまま引き下がっていられるか! 美羽、行くぞ!」
「あ、待ってよあーちゃん!」
不二は3人目の研修生の子と一緒に、銭形を追って体育館を飛び出してしまった。あの性格からして、銭形が決闘の誘いを承諾するまでずっと追い回すつもりだろう。少し銭形のことが可哀想に思えてきた。
「おう、響哉! 早速研修生ちゃんに声掛けてもらったみたいだな!」
軽いノリで横から声をかけてきたのは、同居人の榊原龍だった。コイツは年末からずっと実家に帰っていて、日にちを間違えていたせいで寝坊して大遅刻し、始業式をサボった大馬鹿者である。
「声を掛けられるどころか、喧嘩ふっかけられたよ」
「ひゃー。見たところ、銭形にも喧嘩売ってたみたいだな。長期任務から帰ってきたばっかで疲れてるだろうに……同情するぜ。にしても、奈須川ちゃんは可愛いよなぁ」
「奈須川……? ああ、あの小さい方か。知ってるのか?」
「同じクラスなんだよ。俺も奈須川ちゃんもC組。ギリギリ間に合ったHRで紹介されてて、驚いたぜ。研修生が来るなんて、聞いてなかったからな。それにしても、あの制服はやっぱ破壊力抜群だな。でもよ、こんな季節に寒くねーのか?」
「それ、俺も気になってた」
……――と、ナゴジョの制服について色々と話している最中、俺はふとあることに気付いた。
去年の9月、銃刀法違反で捕まえた玄田の刀は、確か龍が預っているはずだ。だがこの場合、この前親父に聞いた『刀狩』のルールに沿って行けば、第0小隊の子孫でない龍はどうなってしまうのだろうか。
(『命の奪い合いにならないために作られたルール』のはずだから、殺されたりすることはないだろうが……)
しかし、青木と白浪もまさか部外者が関わっているとは思うまい。玄田の刀も俺が保有していると考えるはずだ。心配はいらないだろう。
そう考えた俺は、龍に刀狩の話をすることはなかった。
――その日の夜。
俺は冷え切った夜空の下、小腹が空いたため適当なスナック菓子をコンビニで購入し、寮に戻るため学園島を歩いていた。
そんな時、公園の方から女性の声のようなものが微かに耳に飛び込んできた。
(この声は、確か……)
気になって、声のする方向へ茂みの影に隠れながら近づいていく。
すると、街灯の下で男女が何やら揉めている光景が目に入った。と言うか、女の方が一方的にヒステリックを起こしているようだ。
その男女とは……案の定、昼間に強襲科で騒いでいた不二と銭形だった。どうやらまだ決闘するかしないかで言い争っているようだ。
「一体いつになったら諦めるんだ。俺は決闘などしないと言っているだろう」
「私は絶対に諦めない! お前が決闘を受けてくれるまで!」
(全くといっていいほど会話が成立してねぇ……)
俺は頬を引き攣らせ、2人の様子を少し離れた場所から見守っていた。しかし、昼間から不二に付き纏われているのであれば、銭形もとんだ災難だ。龍も言っていたが、今回の銭形には心から同情する。
「……いいだろう。そこまで言うなら受けてやる。ルールは?」
遂にあの銭形が折れた。呆れたような顔付きで、右手を軽く額に当てながら、短く息を吐いて不満を吐き出そうとしている。
「やっとその気になったか。ならば、私が一番好きなルールでやらせてもらう」
「何だ?」
「『ランバージャック』だ。時間は明日の夕方4時半、この先の工事現場で待っている」
「分かった。だからこれ以上、俺に付きまとうな」
「初めから決闘を受けていれば、追う理由はない。逃げるなよ」
不二は銭形にそう釘を差し、薄暗い公園の中に歩き去ってしまった。銭形も不二と別れてすぐ、男子寮の方に歩いて行く。
どうやら相当疲れているようなのか、銭形は俺が盗み聞きしていることに全く気付いていないようだった。体育館での騒動が1時過ぎで、それから7時間近く経っているのだから。
(にしても、ランバージャックか……)
銭形はとことん不利なルールで闘うことになってしまったようだ。
――ランバージャックとは、アメリカの木こり達がやっていたという決闘方法をアレンジしたルールだ。
防弾制服を着た生徒数名が、同じく防弾装備の決闘者2名を取り囲む。これをリングと呼称し、そのリングの中で決闘者2名を逃げられないようにして闘わせる。どちらかが負けを認めるか、戦闘不能になった時点で決着が付く、基本的には至極簡単なルールだ。
だが……このリングは、中立ではない。
どちらか一方に肩入れして、片方がリングに近寄ってきたら背中を攻撃し、もう片方が近寄ってきたらそっと背中を押してあげるという不公平も許されるのだ。
と言うか、そもそもこのランバージャックは近年では調子に乗っている下級生などに対し私刑や制裁を加える意味で用いられることが多い。それだけ過激で危険が大きいということだ。
しかし、そのランバージャックが不二の一番好きなルールだったとは正直言って意外だった。もっと公平な、一対一(サシ)の勝負を好き好んでそうな印象があったからだ。
まあ、ちょっと話し合っただけで相手の人物像を完璧に読み取ろうなんて無理な話ということか。
(何だかロクな事にならない気がするなぁ。一応、明日は様子を見に行ってやろう)
――――そして、翌日の放課後。
昨夜、銭形に不二が指定した時間と場所に、俺は先回りして身を隠していた。興味を持ったからか、隣には雅もいる。
時刻は4時28分……来るとするなら、そろそろのはずなのだが、銭形も、そして不二もまだ姿を現していない。
場所を間違えたかと俺が本気で焦り始めた丁度その時、やっと不二が数名の生徒を連れてやって来た。
あれは……C組に来た奈須川とかいう研修生と、鷹見か。まだ後2人いるようだが、制服が俺達のものと同じなので不二が急拵えした生徒のようだ。
物陰から不二達の様子を窺っていると、少し遅れて銭形がやってきたのが目に入った。
場の空気が、少し重苦しいものに変化する。
「待ちわびたぞ、銭形」
「……俺も忙しいのでな。早く始めてくれると助かるんだが」
「言われなくとも、そのつもりだ」
不二が右手を上げると、奈須川を除いた他の3人は彼らを囲むように散った。各々、いつでも攻撃できるように獲物を構えた状態だ。奈須川も自分の拳銃……ベルギーFN社の自動式拳銃『ブローニング・ハイパワー』を両手で構えている。恐らく、彼女が過剰攻撃を防ぐために決闘への手出しが一度だけ許されている幇助者(カメラート)だろう。しかし、銭形の方にはそれらしい人影はない。
「……お前の幇助者はどこにいる?」
不二が銭形にそう尋ねたその時、俺は物陰から出て不二達の前に姿を見せた。
「俺だよ」
「なっ……朱葉響哉!? それと、諜報科の久我雅か!」
どうして俺達が決闘の時間と場所を知っているのか、それとも銭形が組んでいることが驚きだったのか、不二は目を丸くして驚いていた。
「やはり、昨夜の気配は貴様だったのか」
「気付いてたのなら、声くらいかけろよ」
「生憎貴様と話す話題など持ち合わせていない。ついでに、貴様の手など借りる必要もない」
「誰もお前の手伝いする気はねーよ。昨日不二に売られた喧嘩を今日になって買いに来ただけだ」
そう言って、俺はP2000の安全装置を外し上向きにして顔の横に構えた。
「雅、お前もリングに混ざれ。言っておくが、近付いてきたら不二でも銭形でも手加減しないで全力で蹴っ飛ばせよ」
「いいの?」
「構いやしねえ」
「わかった」
コクンと頷く雅だったが、その直後、ドンッと背中に強い衝撃が加えられ、俺は2、3メートル近くふっ飛ばされた。
俺は息を吹き出し、前のめりに倒れる。左手で背中を擦りながら背後を振り返ってみると、無表情で上げた脚を戻す雅の姿があった。
つまり、あの衝撃の正体は雅の回し蹴りだったのだ。背中を押さえながらよろよろと立ち上がり、雅の肩にその手を置く。
「何やってんだお前は……ッ!」
「だって、響哉が思いっきり蹴っ飛ばせって言うから」
「それはリングの中で闘ってる銭形と不二にしろって言っただろ! 俺を蹴ってどうするんだよ!」
「リング……?」
「お前、まさかランバージャックのルール知らないのか?」
「うん」
「じゃあ何で付いてきたんだよ……あのなぁ、ランバージャックっていうのは――――」
「……何なんだ、こいつらは」
「無視しろ。それより、俺はこの後また任務がある。早くかかってこい」
傍らで俺が雅にランバージャックの説明をしている中、銭形と不二は決闘を始めようとしていた。
ランバージャックでの決闘の開始は決闘する双方だけが決めることを許された不可侵の権利のため、俺は雅への説明を途中で切り、再度いつでも発砲できるように銃を構えた。
最後までちゃんと説明することはできなかったが、最低限のことはちゃんと教えたのでもう後ろから蹴られることはないだろう。
「ッハ。決闘の後に仕事の予約を入れるなんて、随分とナメてくれるじゃないか」
鼻で笑いながら、不二はおもむろに(どこに隠していたのか)制服の中からナックルダスター……一般的にメリケンサックと呼ばれる、打撃力を上昇させる武器を取り出し両手に装着した。丁度、装着部分があの指の白い布に当たるように。
どうやらあの布は、ボクシングのバンテージのように拳を守るための物のようだ。
「かかって来い。それとも怖気づいたか?」
「まさか。……じゃあ、本気で行くぞ!」
不二はタッ、と地面を蹴り、素早く銭形の懐へと飛び込んでいく。平均的な女性の体格の彼女が180センチ以上ある大男相手に接近戦を挑むのはあまり見られる光景ではないので、この時俺は素直に不二の度胸に感心した。
「ッラァ!」
ドンッ! と、不二の打撃が銭形の胸部にヒットする。体重の乗った、いい正拳だ。
――だが。
「ッ!?」
不二に攻撃を受けた直後、銭形は彼女の手首を掴み、そしてあろうことかそのまま片腕で不二の身体を持ち上げたのだ。さっきの正拳も、全く意に介してすらいない。
地に足がついていないので踏ん張ることもできず、唯一の支点である銭形に掴まれた右腕を軸に何とか膝蹴りなどを当てて振り解こうとするが、それはあまりにも軽過ぎるためダメージになり得ない。
今の不二は、さしずめ『まな板の上の鯉』。煮るなり焼くなり、銭形の自由だった。
「あ、あーちゃんを放せ!」
不二の幇助者である奈須川が、拳銃(ブローニング・ハイパワー)を銭形に向けて撃とうと構える。
だがその瞬間、その動作を第六感で予見していた俺のP2000から放たれた9mmパラベラム弾が奈須川の手から拳銃を弾き飛ばす。ちょうど銃の側面を狙える立ち位置にいたので、弾かれた拳銃は奈須川の右側に落ち、滑っていった。
「…………」
それを見た銭形が、不二の手首から手を放し――――襟を一度直した後、不二に背を向けその場を去ろうとしていた。
「ま、待て……!」
手を伸ばし銭形の制服を掴もうとする不二に、しかし俺はそれを抑えるように彼女の肩に拳銃を持っていない左手を置き、首を横に振った。
「……ここまでだ。これ以上は、もう無理だ」
俺はP2000を胸のホルスターに入れ、不二に降参を促す。
不二は歩いて行く銭形の背を見てから――――地面に座り込みながら俯き、暫くそのまま動かなかった。