「うー、寒ぃ……」
「…………」
冷えきった身体を小刻みに震わせながら、俺と雅は時任に誘われて台場の至る所で開かれているクリスマスイベントの警邏をしに行くため、学園島のモノレール駅に行こうとしていた。
空は一面灰色の雲に覆われ、空気は痛いほど冷たく、いつ雪が降ってきてもおかしくない天気だ。朝の天気予報でも、今日は雪になるかもしれないと言っていた。
本来ならこんな寒い日に出かけたくはないのだが、誘われた時はこんな天気になると思ってなかったし、雅も「響哉が行くなら私も行きたい」と言っていたので結局断り切れなかった所もある。
しかし、もし警邏に行った先で盗撮犯などを現行犯で取り押さえることが出来れば少々の単位をもらえるので、ついでに雅の社会見学も含めて俺は行っておいて損はない。
そんな事を自分で自分に言い聞かせて寒さを紛らわしながら、俺と雅は待ち合わせ場所のモノレール駅までやって来た。
改札の前では既に時任が俺達が来るのを待っていてくれていた。
「よう、時任。待ったか?」
「いいえ、私も今来たばかりよ」
「そうか。……それにしてもお前、よくコート1枚でいられるな。寒くないのか?」
雅なんて制服の上にカーディガンを羽織りその更に上にコートを重ね、マフラーに手袋にイヤーマフやマスクニット帽と完全装備だというのに、時任はマフラーも何も身に付けず制服の上にコートを着ているだけなのだ。俺のようにヒートテックでも着ているのだろうか。
「故郷(ロシア)の寒さに比べれば、まだまだ暖かいものよ」
「ハハハ……」
彼女が言うと説得力が違う。やはり、向こうの人間は寒さに強いというか、慣れてしまっているところがあるようだ。
「そんなことじゃあ、3学期から来る名古屋武偵女子高の研修生にナメられるわよ」
「研修生? しかもナゴジョかよ。面倒くせえなぁ」
初めて聞いた情報に、俺は大きな溜息を吐く。
名古屋武偵女子校(通称ナゴジョ)とは、愛知県名古屋市にある武偵を養成する女子高のことだ。
全校生徒のおよそ9割が強襲科というとんでもない学校で、そこの生徒たちは自ら防弾制服を切りその布面積を少なくしている。聞いた話によると、向こうでは『私に弾は当たらない』という意味を込めて、防弾布が少なければ少ないほど箔が付くからだそうだ。
――などと、他愛のない武偵高の話をしながら、俺達はモノレールに乗って台場に行き、早速クリスマス限定のイルミネーションが施されている街を回り始めていた。
メディアで『デートスポット』として紹介されている場所が多いだけあって、関東一円から集まってきたカップルがそこら中に溢れかえっている。それを見た雅が、真似をして俺の腕に寄り付いてきた。
「おい雅、動きにくいだろ」
「ダメ?」
俺が振り解くと、雅は上目遣いで俺を見上げながら首を傾げて訊いてくる。
「ダメだ」
「じゃあどうしてあの人達はやっているの?」
「いいんだよ、あの人達は。俺達は仕事で、彼らはプライベート。公私混同はご法度だ」
俺が雅に言い聞かせると、隣で時任が「あなたって変な所で真面目よね」とぼやく。
確かに俺は宿題をやってこなかったりと基本的にはずぼらな性格だが、こういう場所で女子とくっついている所を武偵高の誰かに見られたりしたらその日のうちに変な噂が広まってしまうため、ただでさえ一緒にいることが多い雅だからこそ、大勢の生徒にそんな噂を鵜呑みにされかねないのでちゃんとした距離を取らなければならないのだ。
「それより、ちゃんと目を光らせておけよ。この人混みだと、どこでどんな事してるヤツがいるか分かったもんじゃないからな」
「うん」
こういう時、雅は聞き分けがいいので素直に頷いてくれる。もう少し自己主張があってもいいと思う時もよくあるのだが、今回のような場合は楽でありがたく感じる。
「時々思うけど、あなた達って傍から見るとちょっと変わった関係よね。まるで――――」
「……?」
と、何かを言いかけて時任は結局言葉を続けなかった。腫れ物にさわるような、どこか気遣ったような素振りだったように俺には見えた。
そう言えば、以前にも時任は俺に似たようなことを訊いてきたような気がする。やはり女性には、自分の周囲の人間関係を強く意識する性質があるのだろうか。
「そういやお前、超能力の方は大丈夫なのか?」
「皮膚に触りさえしなければ問題ないわ。でも、あまり人の多い所に行くのはできるだけ避けたいわね」
「警邏で人のいない所に行ってどうするんだ――――ん?」
俺は交差点の反対側の広場に、見覚えのある男が紛れていることに気がついた。
身長は175センチ前後で、髪色はくすみかけた金髪。思えば俺はアイツの私服姿を見たことなかったが、その男は間違いなく、俺のルームメイトの八雲戒だった。
誰かを待っているように、チラチラと忙しなく右手の時計を確認している(戒は左利き)。武偵高の制服を着ていないので警邏でもないようだが、どうやら目的はナンパでもないようだ。
「どうしたの、響哉」
「いや、あそこに俺の友達がいるみたいなんだけどさ……どうにも引っ掛かるんだよ」
戒の性格からして、女子とデートなんかに行くのなら約束したその日から俺達に自慢してくるだろう。だが、アイツはそんな素振りを全く見せていなかった。
時間を気にしているということは、誰かと待ち合わせをしているということだろう。もしかしたら、依頼人を待っているのかもしれないが、私服姿というのが気になる。武偵と接触しているのを、依頼人が他人に見せたくないからだろうか。
「響哉、寒い」
「お前一番厚着してるだろ。……仕方ない、そこのマックに入るか」
俺も寒さが辛くなっていたので、雅と時任を連れてすぐそこにあったファーストフード店に入り戒の姿を目視できる席をキープし、時任がテキサスバーガー、雅がチーズバーガー、俺がジューシーチキンセレクトと、それぞれドリンクを注文してまた戒の見張りを続行する。
「……何でここでそれを頼むの?」
「安いしマックで一番美味いじゃん」
逆に、最近のマックでそんなに食べたいと思うハンバーガーがあるのかどうか聞きたい。ちなみに俺の中での最近のランキングがチキンセレクト、ポテト、ナゲット(BBQ)と、見事にバーガー系がベスト3入りを逃している。
――などと平和な談義を時任と5分くらい繰り広げていると、寒空の下で待ち続けている戒に1人の女性が歩いてきた。
戒はその人と何か談笑しているようだが、何を話しているかは解らない。しかし、雰囲気から依頼人と武偵という関係ではないことは確信できた。
「急ぐぞ、2人とも!」
その場から移動する戒達を、俺は慌てて追いかける。
和気藹々と何かの話をしているようなので、どうにかして会話の聞こえる距離まで近付きたいが、あまり接近すると戒に気づかれる恐れがあるため、不用意に距離を詰められない。
そんな状態でしばらく尾行を続けていると、2人は女性向けのショッピングモールであるヴィーナスフォートへと入っていった。
「ちょっと、これ以上はもうやめておきましょうよ。個人のプライバシーに関わるわ」
「気になるじゃないか。それに、元々ここへは来るつもりだったんだ」
「胡散臭いわね」
「……とにかく行くぞ」
俺が渋る時任を強引に丸め込み、戒の後を追ってヴィーナスフォートへ入ろうとしたその時だった。
「――キャァァ!」
女性の絹を裂くような甲高い悲鳴が、俺の耳に飛び込んできた。
即座にその悲鳴がした方を振り返ると、自転車に乗り黒い服を着て帽子をかぶった男が、ヒールを履いた20代後半くらいのOL風の女性のバッグをひったくった直後の瞬間を目撃する。ひったくりの現行犯だ。その犯人は俺達の方に真っ直ぐ自転車で突っ込んでくる。
「邪魔だっ!」
男は俺達にそう叫ぶが、俺は避けずにその男の走らせる自転車の前カゴを両手で掴んで止め、地面に投げ倒した!
車線側のガードに男は背中を打って顔を顰めるが、すぐに慌てて立ち上がり走って逃げようとする。
「時任は被害者の方を頼んだ。雅は俺についてこい!」
「了解!」
「分かった」
咄嗟に俺は2人に指示を出し、ひったくり犯を走って追いかける。時任も雅もちゃんと俺の指示通り動き、ひったくり犯を追い詰めようとしていた。
「――クソ! ナメてんじゃねえぞ……ッ!」
ひったくり犯は急に足を止め、後ろを追う俺と雅の方に振り返る。
――そして、その懐から自動式の拳銃…………IMI社の『ジェリコ941』を取り出し、その銃口を俺達の方に向けた。
「チィッ!」
俺は舌打ちしつつ、ひったくり犯の持つジェリコ941に手を伸ばし、そのスライドを掴んで銃口を上に向けさせ、発砲を防ぐ。
その間に雅が男の懐に潜り、肘打ちを腹部に食らわせ、直後に掌底を顎に叩き込んだ。
ふわっと身体が一瞬浮いたひったくり犯は、そのまま背中から地面に仰向けに倒れ気を失った。
「ふぅ……間一髪だった……」
後コンマ数秒遅れていれば、俺は至近距離から銃弾を受けていたかもしれない。素人が打った銃は弾丸がどこに飛んでいくか分かったものじゃないので、奇跡的にあの距離で俺を外していたとしても通行人に被害が出ていただろう。
何よりも、発砲する前に止められたのは大きい。日本人はまだ、銃声というものに次元の違う恐怖感情を持っているのだから。
(それにしても――)
こんなヤツがどうしてジェリコ941なんて拳銃を持っているのかが、俺は全く理解できないでいた。
最近では街のチンピラにまで銃が出回っているという噂を耳にするが、それは中国製の粗悪で安価な拳銃であり、非正規ならば暴力団などが持つ密輸ルートでも中々手に入らないであろうイスラエル製の銃など出回っているはずがないのだ。
「雅、怪我はないか」
「平気。それより、この人はどうするの?」
「少し聞きたいことがある。武偵高には俺が連絡しておくから、お前は時任のところへ行っててくれ」
「うん」
雅はコクンと頷き、時任の元へ駆けて行く。
一方で俺は気絶しているひったくり犯に手錠を掛け、ポケットに入れていたスマートフォンを取り出し教務科に電話を繋ぐ。
『はい、救護科の小夜鳴です』
電話に出たのは幸運にも小夜鳴先生だった。これが二日酔い状態の綴なんかだと、全く取り合ってくれなかったりしかねない。その点、小夜鳴先生は真面目でしっかりしているので安心できる。
「台場のヴィーナスフォート前で警邏中、ひったくり犯を現行犯逮捕しました」
『ご苦労様です。すぐに手の空いている車輌科の生徒を現場に向かわせます』
「ありがとうございます」
俺は電話を切り、大きく安堵の息を吐く。すると、空から画面に白い何かが降ってきた。
「あ、雪!」
たまたま通りにいた女性の1人が、そう声を上げた。
すると、まるで銃を持ったひったくり犯など初めからいなかった(そもそも本当に気付いてすらいない)ように、周囲の人は「ロマンチックだなぁ」なんて言いながらクリスマスイブに降る雪を見上げている。
そんな中、俺も同じように空を仰ぎながら、心のなかで静かに呟いた。
『最悪のホワイトクリスマスだ』、と――――。