「よう、時任」
「響哉? ……ああ、セコンドね」
時任はどうして男子の俺がここにいるのか一瞬戸惑ったようだが、すぐに自分で理解したらしく納得したような表情に変わった。
「隣、いいか?」
「構わないわ」
時任の了承を得てから、彼女の横に並ぶようにしてプールサイドに腰を下ろす。盾を並べるとそれだけ横から飛んでくる流れ弾に当たる心配も少なくなり、セコンド同士の意思疎通で騎馬の組織性も向上するので、上級生のセコンドも何人かで固まっている人達も多く見受けられた。
「時任は誰のチームのセコンドなんだ?」
「志波さんの所に入れてもらったの。狙撃手には、セコンド役がいた方が助かるからって」
狙撃銃はスコープを覗いて狙いを定めなければならないため、どうしてもエイム時の視野が狭まってしまう。
周囲の状況も、身動きの取り辛い水中にいる騎馬達ではカバーし切れないため、より客観的な視点から見えるセコンド役がいた方が動きやすいのだ。
(それにしても、何て言うか――――)
『可愛い』とか、『似合ってる』と言うよりも……ハーフらしい、どこか『色っぽい』雰囲気が時任にはあった。
「あ――あんまりジロジロ見ないでくれ……」
「す、すまん。そんな気はなかった」
俺は慌てて時任から視線を逸らす。しかし、ちらっと視線を彼女に戻すと、恥ずかしそうにして胸元を腕で隠している時任の姿が目に飛び込んできた。
普段は強気の時任が、いざこうして恥じらいを見せ付けてくると、何と言うか落ち着かなくなって、ガラにもなくそわそわしてしまう。強いて表現するなら、『不意打ちを食らったような感覚』だろうか。
そんな時任から目を逸らしても、さっきの彼女の姿が脳裏にフラッシュバックして離れない。目を瞑っても瞳に焼き付いたその光景が、さらに繊細に瞼の裏に写し出されてしまう。
静まれ、静まれ――と念じながら、何とか気持ちを落ち着かせ、俺は一息つきながら視線をスリット越しのプールに戻した。
水中騎馬戦は、紅組優勢の状態だった。
1年から3年まで入り乱れた混戦の中、やはり1枚も2枚も上手なのは上級生の方だったが、しかしその先輩達に勝るとも劣らない活躍を見せる1年の騎馬があった。
俺がセコンドを務める、雅隊だ。
元々猫みたいに身軽な雅は、不安定な騎馬の上で重心を下に置いたまま体を動かし、相手の攻撃をすり抜けつつ鉢巻を奪っていた。
「雅のやつ、セコンドいらねえだろ」
そう愚痴りたくなるほど、雅は強かった。さっきまで騎馬戦の役の名前すら知らなかった人物にはとても見えそうにない。
そう溜息混じりに呟いた後、時任が腫れ物にさわるように俺に話しかけてきた。
「きょ、響哉。前から聞こうと思っていたんだけれど……久我さんとは、どういう関係なの?」
「どういう関係って言われてもなぁ……」
俺は返答に困った。あまりそういう風に雅のことを意識したことがなかったので、いざ改まってそう聞かれると、それらしい答えが浮かんでこない。
友人、仲間などのありふれた言葉が脳裏を過ぎったが、しかしそれは時任の望む返答ではないのだろう。彼女は、俺と雅の個人的な繋がりを尋ねているのだ。それらの言葉は時任自身にも言えることだし、他のヤツにもそれは言える。
しかし、雅は(俺が勝手に決めつけているだけだが)銭形のような好敵手(ライバル)でもなく、金一さんやカナのような師匠でも、ましてや親父や姉貴のように血の繋がった家族でもない。
かと言って、『ただ仲のいい女友達』というだけなのかと問われれば、それもまた違う気がする。
そんなどこまでも曖昧な俺達の関係に、俺は1つの結論を見出した。
「何て言うか、放っておけないんだよ。アイツは。危なっかしい妹みたいなものかなー」
妹や弟を持ったことのない俺には、はっきりと断言できるわけではないが、今の俺に言えるのはこれが限界だった。
しかし、そう思っているのは――――
「そう思っているのは、あなただけなんじゃない?」
「まぁ、そうだろうな」
「それが分かってて、どうして……」
「今はまだ、それでいいんだ。――それで、いいんだよ」
俺達は、武偵だ。
武偵はたとえ仲間でも、一定の距離を置いていなければならない。仲間が危機に瀕しようと、犯罪者の逮捕を優先すべきだからだ。
俺と雅のように、互いに信頼しつつも深く踏み込み過ぎない付き合いが理想的なのだ。
「……壊したくないの? 今の状態を」
「かもしれないな」
「そう、よね。――私だって、怖いもの」
「時任……?」
今の一言が妙に重たく聞き取れて、俺は思わず彼女の名前を呼んでしまった。
何と言うか、本当に何か恐ろしい物に怯えているような――そんな風に、俺は感じたんだ。
――だったら、やるべき事は1つしかない。
「安心しろ、時任。お前がヤバくなったら俺が助けてやる。どんなになっても、俺はお前の味方だ」
かつて俺がそうされたように、励まし、希望を持たせること。それが俺にできる唯一のことだ。そして俺はもう、無力じゃない。闘える力を、手にし始めている。
「それとも、俺じゃダメか?」
「い、いや違う! 寧ろ、その……響哉が来てくれた方が、私は…………」
いつもの時任らしくない慌てたような素振りで声を張ったと思ったら、すぐにまた恥ずかしそうに視線を逸らされ段々と声が小さくなっていく。
なので、時任が最後に何を言っていたのかを、俺はきちんと聞き取ることができなかった。
しかし、俺がもう一度何を言っていたのかを聞き返そうとした時、俺の右手に数回の衝撃が伝わってきて咄嗟に視線を横に向けてしまう。
どうやら、流れ弾が俺の盾に何度か飛んできたらしい。
「こらーそこの2人ぃ。サボってると単位落とすぞー」
さらに、拡声器を持った監視官の綴の気怠そうな声が追い打ちをかけてくる。
「そ、そうだ。志波さん達のセコンドをしなくちゃ」
まるで思い出したかのように、時任は盾のスリット越しにプールを覗いてセコンドの仕事に徹し始めた。
俺も、本当は不要なのだが最低限の指示は雅に出し続け、結局そのまま水中騎馬戦は紅組の勝利に終わった。
一方で、男子の方は白組が勝利したらしく、結果として得点係がちまちま数えた3桁目までの点数で勝敗が決し、総合では何とか7点差で紅組の勝利に終わった。
とは言っても、優勝した所で特に目立った副賞は何も貰えないのだが。安い銃弾が12発……つまり、1ダースくれるだけだ。
――体育祭第2部が終わり、晴れて自由の身になった俺は、副賞として受け取った粗悪な銃弾12発を受け取った後、ルームメイトの龍たちと合流してまとめて大量に買った格安弁当を1つ860円の値段で売りつけていた。
体育祭中は規則により何も食べられないので、昼飯は体育祭が終わった後……大体6時前くらいになる。戦闘中に飯を食べるのはイタリア軍だけだからだそうだ。それとこれと何の関係があるのか、激しく疑問に思うのは俺だけじゃないはずだ。
なので、体育祭が終わると植えた獣と化した生徒らが最寄りのコンビニなどに駆け込み、一瞬にして商品が無くなってしまうのだと言う。さらに学食は長蛇の列を作り、出遅れた生徒は空腹に耐え続けなければならないというわけだ。
そんな哀れな子羊のような者を救済するのが俺達である。
彼らは空腹を満たし、俺達は財布を温める。どちらにも害のない、Win-Winの関係を構築できるのだ。
6時を過ぎた頃には口伝てで広がった情報が客を呼び込み、あっという間に弁当は売れていった。
しかし、ピークを過ぎると売れ行きは一気に下がり、結果としていくつか弁当が余ってしまうことになった。
「どうするよ、これ」
「明日まで持ってくれることを祈るしかないな」
「持つわけないだろ、さっさと処分しねえと」
そんな風に俺達がない知恵を絞ってウンウンと唸っていると、突然俺の携帯に着信が入ってきた。ふと、文化祭の時にも似たようなことがあったことを思い出す。
とりあえず確認してみると、案の定電話は志波からだった。
『あ、もしもし響哉くん? 今、諜報科棟の屋上にいるんだけど、久我さんがキミも来てほしいって』
「捜す手間が省けた。すぐ行くから、雅が変なことしないか見張っててくれ。俺の友達も一緒に行っていいか?」
『ちょっと待って……――うん、構わないって。それじゃ、あんまり待たせたらダメだよ』
志波はそれだけ言い残し、電話を切ってしまった。何か深い意味でもありそうな言い草だったが、俺の思い違いだろうか。
まぁ早く来いという意味には違いないだろうし、急いで行った方が良さそうなのは間違いないだろう。
「おいお前ら。今すぐ諜報科棟の屋上に行くぞ」
「弁当だったらここで食えばいいだろ?」
「女子からのおさ――」
「ちょっと待ってもらおうかッ!」
俺が『お誘いだ』と言い切る前に、何者かが聞き覚えのある大きな声を上げながら校舎の角から飛び出してきた。
「お、お前は……」
姿を見せたその男たちを前にして、俺は思わず顔を引き攣らせた。思い出すだけで頭痛がするような、そんな男なのだ、コイツは。やっともう少しで忘れられていたというのに。
「山吹……わざわざ付き人を連れて何の用だ。ここに時任はいないぞ」
「今からお前たちが行こうとしている先に時任様はいらっしゃるのだ。そんな事も悟れんのか、貴様は」
「相変わらず嫌味な言い方だな……。それよか、何で時任がそこにいるって分かるんだ?」
「時任様がセコンドを務めていらした狙撃科の女子、そして諜報科の女子数名と一緒に諜報科棟へ入っていく目撃証言がいくつもあったのだ」
「…………」
後ろで龍が、「うわ何だこいつ、気持ち悪ぃ……」とドン引きしている。俺も全く同じ事を考えていただけあって、お前とはつくづく気が合うなと嫌な形で思い知らされたよ。
「……で、だ。お前は何の用でここに来たんだ」
「忠告をしに来た。もし時任様に何かしてみろ。死すら生ぬるい拷問にかけられると思え」
「もう忠告じゃなくて脅迫じゃねえか……」
「とにかく、肝に銘じておくことだ。――それともう1つ」
まだあるのか、と思わず心の中で毒づいてしまった。女子達を待たせているから、早く行きたいというのに。
「弁当を4つほど売ってくれないだろうか」
「……まいどあり」
全く予想外の言葉に戸惑いながらも、俺は金を受け取り、残りの冷えきった焼肉弁当を全て山吹らに手渡した。きっとコイツらは、時任を追いかけてたせいで弁当を買いそびれたんだろう。なんともマヌケな話だ。
――その後、少し遅くなったが先に諜報科棟の屋上にいた女子グループと合流した俺達は、それぞれワーキャーと騒ぎながら遅めの昼食……もとい、夕飯を仲良く食っていた。
「響哉、これ噛み切れない」
「お前これバレンじゃないか。食えるわけないだろ」
緑の草みたいな形をしているから、葉野菜か何かと勘違いしたらしい。
そんな雅の面倒を見ながら、俺もすっかり日も暮れて照明が点いている屋上で冷えきった弁当を食べながら今日の体育祭の面白話をしていると、時間はあっという間に過ぎていき――――
「もう7時か……。そろそろ校舎を閉める頃だな」
「それじゃあ、今日はこの辺でお開きね」
と、流れで解散となってしまった。寧ろよくここまで騒げたものだと感心する。今日は朝が早かったし、誰もが第2部で大暴れしたのでヘトヘトに疲れ果てているはずなのだが。
雅なんて、元々夜型だったのに無理して朝早くに起きたせいで、まだ7時なのにかなり眠そうな表情をしている。
そんな雅を何とかバス停まで運び、数分後に到着したバスの座席に座らせて一段落することができた。
いつも乗る朝のバスはかなりの生徒が利用しているのだが、今回は遅くまで残っていたのが俺達だけだったらしく、利用客は少ない。ちょっとした貸切状態だ。
(そういや、そろそろ今年もお終いか……)
色々あった1年間だったが、それももうすぐ節目を迎えようとしている。結局俺は何1つとして問題を解決できずに、先へと持ち越してしまっているのだから。
だが、さすがにもうこれ以上今年は増えることはないだろうと俺は高をくくっていた。
最後の最後に今までの中で一番ぶっ飛んだヤツが現れるなんて、この時はまだ想像もしていなかった――。