11月の半ば……そろそろ空気が本格的に冷たくなってくる今日このごろ、面倒なことに武偵高では遅めの体育祭が開かれる。
何が悲しくて日曜の朝5時から学校で予行演習なんてやらされなくてはならないんだ。半袖ハーフパンツの格好は、肌の露出が多くて寒いんだぞ。
「ああ、クソ! 何で雨降らなかったんだよ!」
「天候に文句言うなよ、バカに見えるぞ」
寝不足で苛ついている戒に、同じく寝不足で呆けている龍がかまってやる。戒は「バカとは何だバカとは」と食い下がってくるが、その言葉には力が篭っておらず、それだけ眠いのだということがひしひしと伝わってきた。
睡眠不足なのは春樹も同じようで、大きなあくびをして眠そうな顔をしている。
「みんな眠そうだな」
「……逆に、なんでお前はそんなにピンピンしてるんだよ」
「朝型なんだよ、俺は」
毎朝濡れたマスク付けながら、学園島を2週してから早朝訓練に行っているんだ。これくらい、なんてことない。いつものことだ。
「あーあ。隕石でも降ってきて、体育祭なくならねえかなぁ」
「その程度では済まないんじゃないかな……?」
戒の馬鹿げた戯言に、春樹が真面目な考察を言ったりしている辺り、コイツも冗談で笑えないほど眠いんだなと理解できた。
そんな、どこか間の抜けたアホらしい会話をしていると……ついに本番が始まり、第1種目である玉入れが開始された。
なぜそんな普通の運動会でやるような種目をやるのかというと、体育祭の第1部には都教委から監視が送られてくるので、『俺らちゃんと真面目に学生やってますよ~』というアピールをしなければならないからだ。
その昔、武偵高の文化祭はそれはもう危険な喧嘩祭りだったらしいが、噂を聞いた都知事に血相を変えて厳重注意されたと言う。
以来、ちゃんと真面目で安全な競技がなされているか監視が付くようになり……こうした平和的競技を第1部では行うことになったのだ。
しかし、普段から依頼などで学校を出ている生徒も多くいる武偵高では、纏まった全体練習などやれるはずもないので、練習は当日の朝5時に集合の全体練習だけだ。さらに、競技は個人の意志は関係なく教務科が適当に振り分ける。さらに、真面目に競技をやっているように見せなければならないのだから、面倒な事この上ない。
しかし、それも3年になるとぎこちなさというか、不自然さが失くなって――――本当に普通の学校に通う一般人が、体育祭を楽しんでいるように見える。
流石に、これまで経験を積んできている猛者達だけあって、巧みに一般人を偽っている。
そんなことを考えながら、紅組と白組に分かれてそれぞれの玉を地上3メートルの高さに下げられているカゴに投げ入れる生徒たちに紛れ、俺もせっせと赤い玉をカゴへ投げ入れること数十分。
玉入れは見事、俺達紅組の勝利に終わった。
……のだが、それからの個人競技は教員が接待の方に熱を入れるためどんどん適当になり、サボる生徒がちらほら目に入るようになってきた。
その気持は、分からなくもない。武偵であることにプライドを持っているせいで、こういう茶番に対して積極的に取り組めないヤツも少なからずいる。それにこの後は第2部も控えているのだから、こんな所で無意味な体力の浪費は控えたいと考えるのだって不自然ではない。
なぜなら第2部は、実弾実銃刃物まで何でもアリの激戦なのだから……。
◇◆◇
体育祭が始まってから数時間が過ぎ、夕方5時になった。
都教委の視察官らがいつの間にやら酒を飲まされていてほろ酔い状態になりながら、土産を渡されて気持ちよさそうに帰っていく背中を見送った直後……生徒、教師の雰囲気が、一瞬にしてがらりと変化した。
今までの『青春真っ盛り!』といった清々しいオーラはどこへやら。今纏っているのは、禍々しく黒い威圧感をこれでもかというほど垂れ流している。
武偵高の文化祭第2部……要するに、喧嘩祭りの始まりである。
公務員――つまり、都教委の視察官達が5時までしか働けないことを逆手に取って、過去にやっていたとても公にできないような激しい競技を纏めて行うのが第2部の真相である。
男子は『実弾サバゲー』という、サバゲーとは名ばかりの戦争のようなもので、防弾制服に何発弾が当たろうが戦場に立っていても構わない。ただし、背中が地面に付くとその時点で失格になるので、必然的に取っ組み合いの戦闘が多くなる。
その昔、近接拳銃戦や徒手格闘の大会が学校中で開かれていたので、それを第2部で纏めてやってしまおうとした結果がコレである。
また、女子は『水中騎馬戦』と、思春期の男子なら誰しも桃色の想像を膨らませる競技なのだが、ここは天下の武偵高。勿論そんな甘っちょろい競技は存在せず、銃声と剣戟と硝煙の匂いで一杯のプールで死に物狂いの鉢巻争奪戦が繰り広げられるのだ。
コレの元は殴る蹴る、銃に刃物何でもアリといった怪我人続出の騎馬戦と、寒中水泳大会が統合された競技だ。
そして、俺は教務科からそのセコンド役をやるよう指示されてしまった……。
数名の女子からの進言があったそうだが、それは決して信頼ではないのだろう。それだけ俺はヘタレだと思われているのだろうか。そう思うと悲しくなってくる。
だが、俺としてはこの役をやらせて貰えるのは都合が良かった。
実弾サバゲーは手持ちの銃弾を使用するのだが、出ても参加賞は無い上に優勝しても副賞が地下倉庫で眠っていた古い銃弾1ダースしかくれないため、無意味な出資にしかならない。まだ鉛筆の方がマシだろう。
必要最低限の依頼しか受けて来なかったせいで金欠の俺にとっては、元々参加する必要性もメリットもなかったので、このセコンド役というのは非常にありがたかった。
俺は早速、(更衣室は女子が使っているため)用具室で海パン姿となり、屋内プールのプールサイドへと出ていく。
勿論、周囲には水着姿の女子が大勢いる。ここの写真でも撮ってクラスの男子に売りつければ、割りと稼げるような気もするのだが、残念ながらカメラを隠す場所もないためそれは諦めざるをえなかった。尤も、諜報員御用達の超小型カメラでも持っていれば話は別なのだが、そんな高い物は持っていない。
などと、もしバレたら女子生徒全員から銃口を向けられそうなことを考えていると――――探偵科教諭の高天原ゆとりが、大きな金属製の盾を担ぎながら俺に声をかけてきた。
「朱葉君。使う弾は非殺傷弾だけど水中騎馬戦では銃も使うから、これを使って身を守ってください」
そう言って高天原先生が俺に渡してきたのは、SWATで突入の際に援護目的で使われることのあるバリスティック・シールドだった。
ポリカーボネート製の透明になっている盾(ライオット・シールド)ではなく、それに防弾機能を付加させた、金属製で横長のスリットがある重さ9キロ以上ある、世界最強の盾だ。
「盾はあとで装備科の方に返却しておいてね」
「わかりました」
俺は二つ返事でそう答えてしまったが、
(9キロ弱あるこのデカイ盾を、装備科まで運ばなければならないのか……)
だがこれがないと流れ弾に当たってしまう恐れがあるので、突っぱねるわけにもいかない。面倒だが、ちゃんと返しに行くしかないだろう。
――数分後、俺がセコンドを務めるチームの面々が更衣室からプールサイドに姿を見せ始めた。
雅を含めた、諜報科の女子4人だ。
「あ、ホントに来たんだ。訓練バカ」
雅の隣にいた女子生徒に、指差しでそう言われた。
訓練バカ……一部の生徒から、俺はそういう蔑称で呼ばれている。
学校での訓練ばかりで、実戦経験が極端に少ないのが由来だ。
勿論それは事実だし、そのせいで俺はいつも金欠だ。もしかしたら、単位の方も危ういかもしれない。
だが、雅の前でそんな事を言ったら――
「……? 響哉はバカなの?」
(ほら、な?)
雅は直接俺自身にそう聞いてきた。普通、俺にそれを聞くか? と思いたくなるものだが、雅はそれが普通なのだ。流石にもう慣れたし、彼女のことも解ってきた。
「俺は強襲科で訓練ばっかやってるからな」
「それがどうしてバカになるの?」
「1つの事しかやれないのを、単細胞……バカって言うんだよ」
武偵は――――基本的に、『戦闘能力の高さ』よりも『成功させた任務の難易度と数』によって評価される。つまり、訓練でどれだけいい数字を残せても結果が伴わなければ意味が無いという風潮が強いのだ。
例年ならば、まだ1年生の――訓練で身体を作り、基礎を固める段階の俺達が、それに乗っかることはない。本格的に依頼を受け、武偵として活動していくのは来年以降になるからだ。
だが……今年に限り、その例外が通じなくなっている。
――強襲科の天才、銭形平士。
武偵中学時代から今も凶悪犯罪者を何人も逮捕してきた銭形に、周囲が焦りだしたのだ。『自分も難易度の高い依頼を受けなければ』、と。
しかし、それはいい方向には転がらなかった。自分の力量を見誤り、負傷する生徒が続出する事態になった。教務科も難しい依頼を高ランクの生徒に直接指示したり、実力に見合わない依頼を申請した場合は依頼を取り下げたりするなどの対応をさせられていた。
俺も夏休みの緊急依頼(時雨沢組の一件)では、教務科に申請を断られないように偽装を施したりしたが、何度もやっていれば必ずボロが出る恐れがあるのであれ以来やってはいない。
圧倒的な実力者が及ぼす周囲への影響力は計り知れないといういい例だ。今回は、それがマイナス方向に転がっただけだ。
そんな中で俺だけが依頼も殆ど受けず訓練に明け暮れていたら、風当たりが強くなるのは当然のことだった。
「まぁ、そんな事はどうでもいいから、さっさと作戦会議始めようぜ」
適当な所でどうでもいい話を打ち切り、俺は話を切り出した。
この水中騎馬戦で使う弾の種類は、非殺傷弾、潤滑弾、粘着弾の3種類だ。それらの入った弾倉がプールの底に沈めてある。
勿論、弾倉の互換性の関係で、使う銃は統一の支給品となっている。
「騎手は久我さんでいいかな? 私達の中で一番成績いいし」
「きしゅ……?」
「この3人の上で、自分の鉢巻を取られないように相手の鉢巻を取る役割のことだ」
「…………?」
「まぁ、始まったら判る」
雅はぶっつけ本番でも何とかやれるだろうし、最悪すぐに沈んでも1年だからそう咎められることもないはずだ。
そう割り切って、俺はまた適当な所で話を打ち切って次の話題に進めていこうとする。
「作戦は、とにかく上級生の動きに合わせよう。くれぐれも足を引っ張らないようにな」
「確かに私達より立ち回りは上手いわよね……」
「訓練バカのくせにやるじゃない」
「ほっとけ。とにかく、何か変更があったら俺が叫ぶから、雅は言われたらすぐに反応しろよ」
「分かったわ」
俺の言うことに雅が頷いた時、ちょうど作戦会議の時間が終わったことに気付いた。元々時間が押しているので、こういった時間はどうしても短くなってしまう。
そして数分後、監督の教諭による指示で生徒の進水が開始された。1年から順に、女子の騎馬隊がどんどん水深1メートルのプールに入っていく。
一方で俺と同じセコンド役は、盾を構えながらプールサイドに待機しているのだが、別にセコンドは用意しなくてもいいことになっているので、プールサイドにはそこまで多くの生徒がいるわけではない。
「……ん?」
そんな中に、見慣れた女子生徒が背中にタオルを羽織りながら1人で体育座りしていることに俺は気付いた。
(あれは、時任か……?)