(何でアイツがここに……!)
転校とか言っていたが、そんな訳がない。なぜなら、雅は時雨沢組の構成員と一緒に、他でもないこの俺が逮捕して警察に突き出したのだから。
雅は綴に言われて、教室隅の廊下側の空席に行き座った。休み前にはあの席はなかったので、雅のために用意されたのだろう。
連絡事項も特にないそうなので、綴はさっさと教室を出て教務科に戻ってしまった。もしかしたら、今日転校生が来なかったらHRサボるつもりだったんじゃないだろうか、あの教師は。
――いや、綴のことは今はどうでもいい。問題は…………。
「おい、雅。俺だ。一緒に来い」
他のヤツらに囲まれる前に、俺は雅の隣に立ってその白い手を取って半ば強引に教室から連れ出した。
俺の言葉に彼女は返事こそしなかったが、拒んだりしないで付いてきている辺り、承諾ということなのだろう。
俺達が教室を後にした直後、クラスメイトの叫び声が廊下まで響いてきたが、今はそんな事を気にしていられない。とにかく、ひと気のない場所で詳しい事情を聞く必要がある。
俺と雅は早足で校舎の屋上まで上がり、扉を閉めて完全に2人きりとなった。よく晴れた空の下、9月の太陽を遮るものがない屋上はまだ暑い。
「お前……俺が逮捕したはずだろ。どうやって出てきた?」
「……書類にサインしたら、外に出てあなたの近くにいられるって聞いたから」
その時――俺の脳裏を、近年日本でも導入されたある制度の名称が過った。
――司法取引制度――。
罪を犯した犯罪者が、事件の情報提供や捜査協力によって、その罪を軽くするものだ。
恐らく雅はその書類にサインして、この東京武偵高で1人の武偵として事件解決に尽力させることで減刑となったのだろう。
「ケイムショは、いい場所だった。少し狭かったけれど」
「いや、お前がいた場所は多分、刑務所じゃなくてブタ箱だと思うんだが」
「でも豚はいなかったわ」
「そりゃそうだ」
養豚場じゃないんだから、いるわけねえよ。
「ってか、何であの場所がいい所なんだ? 狭いし、臭かっただろ。何もすることないし」
「何もしなくても食べ物を与えられて、外部から守られている空間なのに、どうして?」
「どうしてって……お前、俺に逮捕されるまで、どこでどんな生活してたんだ? 香港武偵高から転校してきたって綴が言ってたが、本当に中国から来たのか?」
雅は口で答えるのではなく、首を縦に振って俺の言葉を肯定してみせた。
それにしては日本名で、日本語も流暢だなと違和感を感じたのだが、それについて雅はすぐに答えてくれた。
「私は生まれは日本だけれど、育ったのは香港。だから日本語も、中国語も話せる。この国に戻ってきたのは、学校の命令」
「命令? お前の言う学校って、武偵を養成する施設か?」
「少し違うと思う。けれど、似たようなもの」
「そうか」
少し気になることがちらほらあったが、1限目まで時間がないので深く掘り下げることができない。まあ、重要なことならそのうち当人から直接聞けるだろう。
「……ねぇ」
「ん、どうした?」
不意に声をかけてきた雅に、俺は聞き返した。
「あなたの名前、知らない」
「名前? ああ、まだ名乗ってなかったっけ。俺は朱葉響哉だ。よろしくな」
「響哉……私、見つけてきたよ。生き甲斐を」
生き甲斐……と言うと、そういえばあの日、俺は彼女にそんな事を言ったような覚えがある。
確か、刑務所で自分が何をしたいかを見出してこい、とかいう感じで。
「へぇ。それで? お前は何をしたいんだ? 俺で良ければ力を貸すぜ」
「その必要はないわ。だって私の生き甲斐が、『あなたの力になること』だから」
「……は?」
心の底から声が漏れ出た。それほどまでに雅はさらっと、それを言ってのけたのだ。
「私に新しい世界を教えてくれた響哉になら、命をかけてもいいと思った。だから私は――――あなたの為なら、何でもする。何をされても、構わない」
「なっ……何馬鹿なこと言ってるんだ……!?」
雅に迫られた俺は、一瞬だが、あんなコトやそんなコトを想像してしまった。つまり、やらしいコトだ。思春期なんだから仕方ないだろうが、お前はもう少し恥じらいというものを持てと俺は心中で叫んでいた。
「私はあなたの傍で、あなたの力になる。そのためにこの学校にやってきた」
「雅、お前……」
何でお前はそこまでしようと思えるんだ。俺なんか放っておいて、この比較的安全で娯楽の多い日本で自分の幸せを見つければいいじゃないか。
俺には、よく理解できない。だから――
「雅……分かった。俺は困ったらお前に助けを呼ぶ。でもお前は、俺が助けを呼ばない限りは好きなようにして過ごせ。俺の言う事は何でも聞くんだろ?」
「いいの? 響哉は、それで」
「いいも何も、俺はそれを望んでる。お前が満足なら、それが一番だ」
「……そう」
雅は風に漂う細い髪を撫でるように触り、そして――
「ありがとう」
優しい微笑みを浮かべながら、雅は俺にそう言った。
と、その時だった。1限目開始の予鈴が、スピーカーから流れ出す。思いの外、長居してしまった。
「まずいな、新学期早々遅刻かよ」
「いけないこと?」
「ニュアンスが合ってるかどうか微妙だが、良いことではないな。とにかく急いで教室に戻るぞ」
「わかった」
俺と雅は、屋上から教室まで走って移動した。屋上の扉をちゃんと閉めたはずなのに、少し開いていたことが気になるが、そんな些細な疑問は、教科担当の教師による説教と、雅と何をしていたのかというクラスメイトのひそひそ話で吹き飛んでいってしまった。
休み時間になってもクラスメイトからの質問攻めは収まる気配を見せず、俺と雅は適当な言い訳をしてその場を凌いでいたのだが……
(なんだか、楽しそうに見えるな)
表情の変化は極々僅かなものだが、しかしそれでも、雅はもうこの東京武偵高での学校生活を楽しんでいるように俺の目には映った。
それが本当であることを祈りながら、俺は同級生たちと談笑する雅の姿を自分の席から眺めているのだった。
多分今年最後の投稿になります。ちょうど30話ですが、本当はこの時点で卒業式まで行きたかった……。
11月の20日から投稿し直した本作ですが、思ったより多くの方に読まれているようで大変嬉しいです。
BO2のエンブレム作りも一段落したので(対戦よりエンブレム作りのほうが楽しいという罠)、年始は時間が空いたら何か書くように心がけます。たまには緋アリ以外の物でも書いてみようか……。
次回の投稿は、ストック作りのため10日から2週間ほど遅らせると思います。申し訳ありません。
それでは皆さん、良いお年を。11月末からという短い間でしたが、応援ありがとうございました。