今日は8月13日。日本で世間一般に言う、お盆だ。今日から約4日間は先祖の魂が現世に帰ってくるとされ、多くの日本人が実家に帰省して墓参りに行ったりする。
それは俺も例外ではなく、郊外にある自宅に帰ろうとしていた。自宅に帰るのは、実におよそ半年ぶりになる。電車を乗り継ぎ数十分、それは半年前と全く変わりなく俺を出迎えてくれた。
「ただいまー」
ドアを開けて玄関に入る。まるでちょっと出かけてきた後のような軽さだ。
すると、家の奥から大柄の男が姿を見せた。――――俺の親父、朱葉和哉(アカハカズヤ)だ。
「おぉ、響哉か。こんな朝っぱらから何の用だ?」
「何の用だ、じゃねえだろ。もうお盆だぞ、帰ってきて何が悪い」
俺が言うと、親父は納得したように「ああ、もうそんな時期か」などと間の抜けたことを言い始めた。前々からこの男はどこか抜けていると思っていたが、今回のは過去を振り返っても最大級である。
家に上がり、ダイニングでよく冷えた麦茶を飲みながら、俺と親父はテーブルで向かい合っていた。
「姉貴は?」
「研修で夕方まで帰ってこれないらしい。……で? 夢にまで見た武偵活動は順調か?」
「まあな」
「盆に帰ってくる程度の奴がか?」
「言うと思ったぜ」
武偵は常在戦場。先祖が帰ってこようが死人が化けて出ようが、民間人の平和と安全を守るのが仕事なのだ。その仕事に休みはない。
「帰ってきたのは墓参りのついでだ。それも今年で最後になるだろうけどな」
「ほぅ……」
親父は煙草を取り出し、ライターで火をつけて一服した後、煙を吐きながら鋭い目付きで俺を見据えた。
「お前にいい物をくれてやる。家の居間に小太刀が飾ってあるだろ。ちゃんと手入れしてあるからそれ持ってけ」
「いや、俺は刀なんて……ってか、アレって結構由緒ある家宝だとか言ってなかったか?」
「いいんだよそんなモン。置いて行っても寮に郵送するからな」
郵送って……えらく扱いがぞんざいな家宝だな。
「日中は熱いから、墓参りに行くのは夕方にしろよ。それまではまぁ、久しぶりに自分の部屋でダラダラしてろ」
「そのつもりだよ」
俺はイスから立ち上がり、最低限の荷物が入ったショルダーバッグを持って、居間で小太刀を回収してから2階の自室へ上がっていった。
「――相変わらず、殺風景な部屋だなぁ」
6畳の部屋には机とベッド、それからタンスがあるだけで、後は何もない。机の上には雑誌が乱雑に積まれており、俺はその一番上の物を手にとって開いた。
パラパラとページを捲り中身を思い出す。最後に読んだのが半年以上前だというのに、割と内容は記憶できていた。
雑誌とバッグ、先日改造してもらった『H&K P2000』の入ったホルスターを床に置いて、俺はベッドに寝転がって小太刀を抜刀した。
その刀身はカーテンの隙間から射す太陽の光によって、薄っすらとだが美しく煌めかせている。
描かれた刃紋は綺麗な波を打っている。これを見ているだけで暫くは時間が流れるのを忘れてしまいそうになる。
「そういや、銘はなんて言ったっけか」
何分、これに関する話を聞いたのは小学校2年生くらいの時で、細かい話は殆ど覚えていない。
だが、わざわざ親父に聞き直すようなことではないだろう。これが菊一文字だろうがエクスカリバーだろうが使い道に変わりはないのだから。
俺は静かに小太刀の刀身を黒い鞘に戻す。キンッ、という金属同士がぶつかり合う甲高い音が、しばらく俺の部屋の中を漂っていた。
その日の夕方―――俺と親父は、去年まで恒例だった母さんと爺さんの墓参りの後で、燐の墓参りに訪れていた。
生きていると分かった人の墓に参りに来るなんてどこかおかしな気分だが、これは俺なりのケジメの様なものだ。この死体のない墓から、必ず燐の名前を消してやるという――そんな決意を心に刻み込むために、俺はここに来た。
(燐……俺は、お前を――――)
「……見ない間に、逞しくなったな」
墓に線香を添えて、茜空を見上げていると、背後から厳格な声色の男に声をかけられた。
上下とも黒のスーツを着こなしているその厳格な面持ちの男は、燐の実父で腕利きの武装検事である黒坂東吾(クロサカ トウゴ)だ。使っている拳銃はガバメントのクローンである『インベル M911』だっただろうか。
親父と東吾さんは性格が真反対のクセして仲が良く、家族間でも付き合いがあった。その付き合いが親密過ぎたせいで、俺と姉貴は東吾さんにも普通にタメ口で接するようになってしまったのだが。
「俺も、もう高1だぜ。東吾さん」
「その制服……そうか。お前も武偵になったのか」
東吾さんは、懐かしむように遠い目をしながら俺を見ていた。
「良かったのか、カズ」
「こいつが選んだ道だ。俺がどうこう言える話じゃねえよ」
「そうか。……坊主、気をつけろ。人というのは、いつの間にか死んでしまう生き物だ」
「ああ、わかってる」
まだ中学生の娘を亡くしてしまったこの人が言うと、言葉の重みが違う。
俺は燐の名前が彫られた黒坂家の墓石に一度だけ視線を送った後、東吾さんにまた向き直った。
「警視庁の職員も襲われた連続殺人犯、武装検事の管轄になったんですよね?」
「なぜ、お前がそれを……ああ、遠山と一緒に捜査していたと言うのはお前だったのか」
「ええ、まあ」
東吾さんは納得したような表情を見せて、懐から煙草を取り出しライターで火を点けようとしたが、中々火が点らず虚しく火花がパチパチと出るだけだった。
「ほらよ、オッサン」
そんな時、背の高い女性が東吾さんの背後から現れ、ライターで彼のタバコに火を点けた。
親父もライターをポケットから取り出そうとしていたが、それに気付いて出すことはなかった。
「すまんな、嬢ちゃん」
「いいって。――よう、響哉。半年ぶり」
ライターをポケットに仕舞った、目の前にいる長い黒髪でサマースーツ姿の女性は、俺の実姉である朱葉静音(アカハ シズネ)だ。
声は女性にしては少し低めで、背は俺と同じくらい高い。わりと綺麗な顔立ちをしているが、スキンシップの激しい人で、男と付き合っていたという話を聞いたことがない。
現在20歳で、武装弁護士になるため勉強中だ。我が一家はどうしてこう危なっかしい職業に就こうとするのだろうか。俺もその家族の1人だが、遺伝なのだろうか。
姉貴は笑顔で両手を広げて俺に抱き着こうとしてくるが、それを掻い潜って後ろから姉貴の頭に手刀を軽く当てる。少しは人の目を憚れというのに。
「相変わらずだなアンタは……ってか、いつ来たんだよ」
「親父が響哉と墓参り行くってメールしてきたから、研修が終わってからすぐ車を飛ばしたんだ。それよか、オッサンが墓参りに来るなんて珍しいじゃん」
「今年は燐の三回忌だ。墓参りくらいはしてやらんとな」
そう言いながら東吾さんは墓石の前にしゃがみ、合掌して目を閉じた。姉貴もその横で同じようにしゃがんで合掌する。
……もし、東吾さんに燐がまだ生きていることを説明したら、どうなってしまうのだろうかと考えてしまった自分がいた。
そんなこと、考えるまでもないと言うのに。
俺はこの秘密を、もしかしたら俺は誰にも言わずに墓場まで持っていかなくてはならない。
それは難しいことなのかもしれないが、絶対にやり遂げなければならない義務なのだ。
俺がそんな事を考えている時、姉貴と黙祷していた東吾さんから携帯のバイブ音が聞こえてきた。
「……すまない」
立ち上がり、携帯を取り出した東吾さんは俺達から少し離れて電話に出る。
「私だ。……わかった、今からそっちに行く」
「もう行くのか?」
すぐに電話を切った東吾さんに、親父が呼びかける。
「急な仕事が入った。悪いが私はここで失礼させてもらう」
「そうか。また今度、ゆっくり話そうや」
「いや、お前なんかとゆっくり話すような話題は無い方がいい」
東吾さんはそう言い、煙草の煙を空に吐いた。
まあ確かに、この人と親父では趣味も性格もまるで違うのだから、息が合うとは考えにくい。共通の話題なんて俺にはさらに想像すらできない。
「ああ、それと……響哉」
「ん?」
「例の事件には関わるな。……もう手遅れかもしれんがな」
「心配しなくても、武装検事が動き出したら俺なんかの出番はねえよ」
「そうか。なら、いいんだ」
東吾さんはそれだけ言い残し、俺達の前から去って行った。
例の事件……それはきっと、さっき話していた警視庁での殺人事件の事だろう。
俺のような新米の武偵がどうこうできるような案件じゃないのは重々承知だ。それでも、いつか必ずあの犯人と同類の人間と闘っていかなければならない。
その闘いの機会を極力減らし、娘のようにならないでくれという、東吾さんなりのメッセージなのだ。
「どーした響哉。怖い顔して」
「何でもねえよ。俺達も帰ろうぜ」
――――だが俺は、闘わなければならない。少なくとも、燐とだけは――――。