『響哉、大変だ! 志波さんがどこにもいないんだ!』
いつもの冷静そのものの時任の声は、今はひどく焦っていた。その事実が、今の状態の異常さを物語っていた。
「落ち着け時任! 状況を説明しろ!」
しかし、落ち着けと言う俺自身も、落ち着いてなどはいなかった。
時任が志波を捜しに行った時間と今の彼女の焦りようから、控室をはじめトイレや他に志波が行きそうな場所を一通り捜して、それから俺に電話をかけてきたんだろう。
いや、そんな事は今はどうだっていい。問題は、志波が今どこにいるかだ。
『志波さんを呼びに控室に行ったら居なかったんだ。他に彼女が行きそうな場所を捜したんだが……そのどこにも、志波さんはいなかった』
それで俺に電話を……そういや俺、アイツに番号を教えただろうか。覚えがないが、今は志波の安否が最優先だ。
「時任はもう一回、志波のヤツが行きそうな場所を捜してくれ。俺は南郷に志波の順番を後にしてもらえるよう頼んでくる」
俺は一度電話を切って、南郷のケータイに電話をかける。何かあった時にとプリントに書かれていた番号を登録しておいてよかった。
『……誰だ』
南郷の野太い声が聞こえた。
「強襲科1年の朱葉です。狙撃競技代表の志波が行方不明になりました。順番を後ろの方に……」
『それはできない』
俺が最後まで言う前に、南郷は低い声でそう言った。
『朱葉、よく聞け。アドシアードでは稀に、競技開始直前に代表選手がどこかに隠れてしまう事がある。大衆の目の前で狙撃するという、本来することのない事をやることに抵抗と重圧を感じるのだろう。
だが、そうなった場合は補欠の選手を出場させることになっている。30分以内に志波が現れなかった場合、志波の代わりに補欠の選手を出場させる』
「……なっ!?」
南郷の言葉に、俺は我が耳を疑った。志波が狙撃競技(スナイピング)の練習をしている時、南郷も近くにいた。コイツは基本無表情だが、あの時はちょっと誇らしげな顔をしているようにも見えた。少なくとも、俺には。
だが、どうやらそれは俺の見間違いだったようだ…………。
『朱葉。今回のような場合は、誘拐、もしくは監禁のケースもごく稀にだがある。よってケースD7を発令する』
――ケースD――。
それは、アドシアード期間中に、武偵校内で何らかの事件があった事を表す符丁だ。
だが、D7とは、『事件であるかはどうか不明で、連絡は一部のみに渡る。なお、保護対象者の安全を確保するため、みだりに騒ぎたててはならない。武偵高側は当初の予定通りアドシアードを継続し、事件は極秘裏に解決せよ』というものだ。
おそらく、これが南郷個人でできる事の限界なのだろう。
『見つけ次第、連絡を入れろ』
南郷のその言葉を最後に、電話は切れた。
……口ではああ言いながらも、生徒のことも心配してんじゃねえか。
だが、現状はほとんど変わってない。最悪のままだ。
志波の順番は変わらなかったし、捜索も極秘裏となるとその規模はあまりにも小さい。
「ちくしょう。応援くらい、やらせろよ…………ッ!」
誰に言うでもなく、俺はそう呟いた。
――志波がいなくなった事を周知メールで知った狙撃科の応援団は、全員がひどく慌てていた。
いや、全員ではない。その中で1人だけ、僅かにではあるが不気味な笑みを零す生徒の姿があった。
その生徒は、今年のアドシアードの狙撃競技に、補欠として選抜された2年生だった。
(1年の分際で、1年の分際で…………!)
その生徒は、まるで呪うかのように心の中で呟き続けていた。
まるで、亡霊のように――――。