ここは恐らく保健室だろう。そのベッドの上で俺が目覚めたという事は、俺は気絶するまであのメスゴリラに技をかけられまくっていたのか……。
だが、1つ気がかりなことがある。
(なんで時任は俺の横にいるんだ?)
あの蘭豹が俺をここまで運んでくれるなんて有り得ない。太陽が西から昇ろうが、真夏に雪が降ろうが、彗星が地球に直撃しようが信じられない。
ということは、だ。
「お前が俺をここまで運んで来たのか?」
「その通りよ」
……そんな、まさか…………『まさか』が起きやがった…………ッ!!
「有り得ない」と視線で時任に訴えると、時任はじっと睨むように俺の目を見据えてきた。
しかし、顔立ちだけならとても綺麗な彼女に凝視されると、健全な思春期の男子高校生であるがゆえに妙に変な気分にさせられてしまう。
「な、なんでそんな事したんだよ」
俺は恥ずかしくなって、時任にそっぽを向くように窓の外の夕焼けを……って、どんだけ気絶してたんだよ俺は。
「……怒っているか?」
「いや、何を」
俺はつい、あまりにも弱々しい声でそう言った時任の方を見てしまった。
俺の目に映っていた時任の姿は、さっきまでの刃物のような雰囲気は消え、俯いていた。
「何って……私はお前をここに運んでくる時、お前に『触れた』んだぞ」
「あー、そういうことか」
つまり、勝手に俺の頭ン中覗きこんだから、それに罪悪感を感じているってことか。優しいところもあるじゃないか。
よくよく考えれば、他人の考えてること覗き見て、注意喚起してくれるほどのお人好しなんだから、本心では他人に優しくないわけないのだろう。不器用なのか、それともわざとやってるのか、普段の時任からはそう言った一面はまったく覗かせる気配がないが。
「そんなの、不可抗力だろ。っていうか、あの
「だが――」
「だがもへったくれもねえよ。残念ながら、俺にはお前が何考えてるかなんて分かりっこねえけど、俺は、お前に助けてもらったんだ。だから感謝してる。これは本当だ。証拠に――」
俺は時任の後頭部に手をやり、俺の額を彼女の額に押し当てた。
「な……! よ、よせ!」
「
俺には自分の気持ちを、全て言葉だけで相手に理解してもらうなんて器用な事はできない。だから、もっと確実に、正確に伝えてやる。そうすればコイツもいつもの時任に戻って、この変な雰囲気も収まるはずだ。
……しかし、心なしか時任の額が熱く、呼吸も乱れている気がする。
10秒くらい経っただろうか。時任は俺の肩を押し返し、胸の前で手をギュッと固めながら呼吸を荒くさせていた。どうした突然。恋する乙女かお前は。
「……お、お、お…………」
「『お』?」
「お前の思考が、読めない……。一体、どうなっている……?」
ボソッ、と時任は呟いた。
「おい、時任。さっきからどうしたんだよ」
「う、うるさい! お前には、か、関係無い! ……どういうことだ? こいつに触ると、頭が真っ白になって……胸が苦しくなる――――」
なんか最後の方をぼそぼそ呟いていたが、サササッと扉の前まで移動し、その場でしゃがんで読唇術をされないように口元を隠していて俺には全く聞こえなかった。それにしてもめちゃくちゃ速かったな、今の動き。
「これが……そうなのか?」
「何がそうなんだよ」
俺がベッドから出てなにやら独り言を言い続けている時任の横から外に出ようとすると、
「きゃぁ!!?」
可愛らしい悲鳴を上げながら、ビクッとその場でちょっと跳んだ。
「何やってんだよ……」
「う、うるさい! そこをどけ!」
時任は俺を突き飛ばし、さっきまで俺が開けようとしていた扉をこれでもかというくらいの勢いで開けた。扉壊す気かよ。
そのまま帰るのかと思いきや、しかし時任は急にこっちを振り向いた。
「――だが、お前の気持ちはちゃんと伝わったぞ。ダスヴィダーニヤ、響哉」
時任はそれだけ言って走り去ってしまった。
1人取り残された俺は、本当に壊れていた扉の修理申請をしなければと思い、教務科に書類を提出しに行った帰り、ふとあることを思い出した。
「……そういやさっき時任のヤツ、俺のこと名前で呼んでなかったか?」
あと、やっぱり顔が少し赤かった気がする。やっぱり風邪だろうか。
気づけば時刻はもう6時半を過ぎていた。もうすぐ5月だというのに、武偵高に吹き込む海風は、まだまだ肌寒いものだった。