「雷。お前に三日間の休暇を与える」
「…………へ?」
と、遠征部隊の報告書の束をまとめようとしていた雷は、突如として提督の口から発せられた休暇の報告に、洞窟の中でブラジル・出口と書かれた看板を見つけた時並みに思考が追い付かなかった。
対する提督は、まるで戦艦レ級と戦闘している艦隊を指揮している時の様な真剣な顔で雷を見ていて、冗談のつもりは全く無いようであった。
「それって……どういう……」
「言った通りだ。明日から三日間、秘書艦の任務から外れてじっくり休め」
「え、でも……でも明日の遠征の申請書書かないといけないし、緊急の出撃だって入るかもしれないし……」
「大丈夫だ。秘書艦の仕事は榛名が請け負ってくれる。お前の次に秘書艦の経験は長いし、雷だって十分信頼してるだろう」
「そ、それは……そうだけど……」
突然休暇と言われても、雷は実感が湧かないし戸惑うだけであった。今週の土曜日から三日間休み、と言われたらまだ分かるが、突然明日から休めなんて言われても逆に困ってしまうのが雷の性分である。少し時間がたてばまぁいいかと喜べるのが普通の人間だが、雷にとってそれは休暇と言うよりも戦力外通告をされたような気がしてならなかった。
「で、でも何で突然? いきなり休めって言われても……私、まだまだ頑張れるわよ!」
「ならば雷。いくつかお前に質問しよう」
「な、なによ……」
提督が手を組んで肘を机に置き、その上に顎を乗せる形になってじっと雷を見つめる。ぎし、と座っている椅子がきしみ、雷は変な緊張感を持つ。
「一つ。お前が秘書艦続けて何日だ?」
「えっと……今日で二カ月と三日」
「そうだな。しかし俺たちの鎮守府では基本長くても一カ月で交代するよな? まぁ緊急任務や新艦娘の受け入れとかで忙しかったし、過去にもそんな事はあったから今はいいとしよう。では次。お前昨日何時に寝た?」
「深夜に帰還した遠征部隊の資材の運搬と、その内量のレポートを書いてたから……二時くらい?」
「ああ、そうだな。俺も一緒にやっていたからそれも正しい。では次だ。お前は今日何時に起きた?」
「司令官の朝ご飯を作る為に、五時起きだったわ」
「うむ、そうだ。お前の作ったみそ汁は本当に美味いからありがたい。ぜひとも俺のために毎朝作ってもらいたいくらいだ。あと今日は出汁を変えたのも知っている。では次だ。昨日の睡眠時間は何時間だ?」
「…………三時間、ね」
「うむそうだ。これは簡単な計算だ。二時に寝て五時に起きたんだからな。じゃあ最後。睡眠時間六時間以上の日はこの二カ月何回あった?」
「…………」
と、雷はその質問をされて嫌な汗が流れ出るのを感じた。まるで摘み食いを言い当てられた子供の様な気分になる。えっと、何日だっけと極力笑顔を作りながら目を泳がせる。指をつんつんと突き、どうにか言い訳をしようと思う。が、じっと見つめる提督の顔を見て諦めた。
「……七回くらい、かな」
「正確には五回だ。昼寝を含めた合計睡眠時間六時間超えなら十七回はある」
「なんでそんなに知ってるのよ……」
「第六駆逐隊とその他一部の艦娘に協力を仰いだ。で、だ。そんな状態で二カ月も働いて、しかもまだ子供のお前がそんな生活を送っていたらどうなるのか。その目の下に出来たクマを見たら分かるよな? 言っておくが球磨型の一番艦じゃないぞ」
「はい……」
雷はしょんぼりとそれこそ悪戯がばれた子供のように落ち込む。別に悪いことをした訳ではないのだが、それでも歳も行かない少女がこんな寝不足で働き詰めをしているとなると、見ている分は非常に痛々しく感じる。例え彼女が自ら望んで鎮守府の仕事を請け負っているとしても、ここまで来ると休むと言う概念を無くして永遠に働き続けそうで怖かった。
「そう言う訳だ。駆逐艦雷に命じる。本日午後一七〇〇を持って秘書艦の業務を榛名へと引き継ぎ、終業。三日間の休暇に入れ。復唱せよ」
雷の体が提督の言葉でビリリと反応し、素早く提督の目の前で直立すると、敬礼しながら復唱を開始する。
「了解しました。駆逐艦雷、本日一七〇〇を持って秘書官の業務を榛名へと引き継ぎ、終業。三日間の休暇に入ります」
「よろしい」
「……って言っても」
敬礼の体制を崩し、雷はやっぱり納得のいかなさそうな顔になった。まぁ、ほぼ本能で直立敬礼をして復唱したのだろう。その辺りの精神はしっかりと受け継がれているからこれは艦娘の業と言ったところか。
「三日間も……なにすればいいのかしら。寮に居たって暇なだけだし、外に出かけるにしても一人じゃつまらないし……」
「ま、基本誰かと居るのが前提の正確なお前だから無理もないだろう。と言う訳でだ」
提督は机の引き出しを開け、中から一枚の封筒を取り出して雷に差し出す。なんだろうと思いながら雷はそれを受け取り、封を開けて中身を取り出してみる。そこにあったのは二枚のチケットだった。
「……これは?」
「温泉旅館一泊二日ペアチケット」
「えっと……つまり温泉旅行に行けってことかしら?」
「そうだ。ついでに言うと、俺も雷と同じ時刻に業務終了、三日間の休暇に入る」
「それって……私と、司令官で温泉旅行ってこと?」
「そういうこった」
にっこりと提督はようやく優しい笑みを向けて雰囲気が軽くなるのを感じ、ほっと胸を撫で下ろす。が。もう一度二人で温泉と言う単語を思い出し、そしてかぁーと顔が熱くなるのを感じた。
「そそそそそれって、新婚旅行!?」
「まだカッコカリですらしてないだろ」
「でもでも、つまりこれって私と司令官とのお泊まりデートってことよね!?」
「まぁそう言うことになるが……」
「やだー、なんでもっと早く言ってくれなかったのよ! こうしちゃいられないわ! お洋服準備して着替えや長旅用のアイマスクと耳栓、あと酔い止め、勝負下着……ああでもその前に体洗ってくる!!」
と、雷は大急ぎで執務室を飛びだし、提督が呼び止める間もなく浴場に向けて走り出した。ありゃ頭に血が上って回りが見えてないなと察し、提督はやれやれと溜め息を吐いた。ところで雷、お前勝負下着なんて持っていたのか?
「クスクス、すっかり喜んでいるようですね」
とドアから雷じゃない艦娘の声がして提督は目を向ける。ドアの陰からひょっこりと顔を出したのは金剛型高速戦艦三番艦、榛名である。
「榛名か。まだ交代の時間じゃないんだが、早かったな」
「たぶんあの子に知らせたらこうなるだろうって思っていましたから、廊下で待ってました」
「流石だな。元は榛名のアイディアだったから助かる。雷の奴、いくら休め休めって言っても何かしら仕事してるから、あっという間にやつれちまった。見てるこっちが痛々しくて仕方ない」
「それだけ提督の事を想ってると言うことなのは間違いないのでしょうけど、少々愛が重くなって来ていたので私も不安でした」
同感だと、提督は窓の前に立ち、ちょうど自分の寮に向けて嬉しそうに走り抜ける雷の背中を見送る。まだあんなに小さな背中なのに、この鎮守府を一人できりもみしようとして居るなんて、それはあまりにも重いことだろう。
「なのに、あの子は一つ一つ全て受け止めてますから、本当に無茶しすぎですね。でも、それだけ提督の事が大好きなんでしょう」
そう言うと榛名は机に肘を置いて、両手を頬に当ててニコニコと提督を見つめる。意味深なその表情。提督はやれやれと顔のやり場に困る。
「榛名、それは冷やかしか?」
「さぁ?」
提督の質問に榛名は答えることなく、ただ悪戯っぽい笑みを浮かべているだけであった。
*
翌日。太陽もそこそこな位置まで昇り、鎮守府起床時間から一時間経過。時刻は午前七時である。雷とは鎮守府本館前入口で待ち合わせており、提督は時計を確認しながら彼女を待っていた。隣には榛名が二人の見送りのために立っていて、同じく雷を待っていた。
しかし珍しいことに、約束の七時になっても雷は現れなかった。一歩間違えたら一時間前には待ってそうな彼女なのだが、どうしたことだろうか。
(いつもなら真っ先に来る奴なんだけどな)
まさかの寝坊だろうか? そんな事を考えて約一分後のことである。雷が背中に大きめのリュックを背負い、息を切らしながら駆逐艦寮から飛び出し、危うくこけそうになりながらも体制を立て直して提督の目の前で急停止した。服装はいつものセーラー服ではなく、彼女の精一杯のおしゃれを込めた服装だった。
まず目に入るのはクリーム色のダッフルコート。その下から見えるのは緑チェック柄のミニスカートで、中から伸びる足は黒タイツで包まれていた。
加えて頭にちょこんと被った丸いぽんぽんのくっついたニット帽。そこだけ妙な子供っぽさがあったが、逆にそれが雷の魅力を引き出していた。
が、そんな汗をにじませて全速力で来られると、残念ながら魅力とは落ちるものである。もったいない。
「はぁ、はぁ、ごめんね司令官! 待たせちゃった!」
「と言っても一分しか過ぎてないぞ」
「そう言う問題じゃないわ! 女の子は待ち合わせ場所には十分前につくものよ、失態だったわ!」
「と言ってもなぁ。今日はお前の慰安を兼ねた休暇なんだからそんなこと気にしなくていいんだよ」
「あ……そうだったわね。いけないいけない」
パンパンと軽く自分の頬を叩き、雷は気合を入れ直して笑顔になる。心の底からの笑顔。見てみれば目の下に出来ていたクマは無くなり、顔色もよくなってまるでキラキラ状態の顔だった。誰がどう見ても健康その物である。そんな彼女を、榛名が微笑ましく見降ろしながら声を掛ける。
「昨日はよく眠れたみたいですね」
「榛名さん、おはようございます! ぐっすり眠れました! お風呂入って布団でごろごろしようと思ったらすぐ寝ちゃったらしくて、響によると布団に入って四十七秒で寝息が聞こえたんですって!」
と、次から次へと言葉が出て来る雷はやはり元気そのもので、いつもよりパワーが溢れていた。やはりこの判断は正解だったと提督は安心する。
「じゃ、雷も来たことだし俺たちは行くよ。榛名、帰ってくるのは明後日だがそれまで鎮守府の事は任せる。緊急の連絡がある場合は遠慮なく呼べ。いいな?」
「はい、了解しました。でもこれから鎮守府の事を忘れて、お二人でしっかり楽しんで来てくださいね」
「ありがとう。さ、行こうか雷」
「はーい司令官。榛名さん、それじゃあ行ってきますね!」
「はい、行ってらっしゃい!」
笑顔で手を振る榛名に、二人も同じく手を上げて返事する。律義なことに榛名は二人が門を出るまでしっかり見送ってくれていた。さぁ、ここからはプライベートだ。まず目指すは鎮守府前にあるバス停である。と言っても徒歩一分もいらないのだから、あっという間に着いてしまった。
そしていいタイミングで路線バスが到着し、二人はそれに乗り込む。本日のプランはバスで駅まで行き、電車で空港まで行ってそこからは飛行機と言うかなり大がかりな内容だった。目的地は九州某所温泉街。地獄めぐりで有名なあそこである。
「それにしても随分と遠くに決めたわね。近くなら箱根とか黒川とか熱海でもよかったんじゃないかしら?」
「たまには遠出もいいだろうと思ってな。近場だとどうしても鎮守府のことが気になるだろうし、それだと休める物も休めないからな。移動内容の聞こえは面倒だが、交通の便もしっかりしてるから特に問題ないだろう。初日は適当な所回るだけでもいいかもな」
「そうね! 行き当たりばったりでも司令官と一緒なら十分楽しいわ!」
「こーら、今は仕事中じゃないんだから司令官ってのは無しだぞ」
「そうは言っても、司令官だってさっき私の事『雷』って呼んでたじゃない」
「あー、そうだった。しかしだな雷。流石にバスの中で腕組むのは、世間の目が厳しいから勘弁してくれ」
と、雷はバスの中をちらりと見回す。右斜め後ろの座席に、何やら不審そうな目で見るおばちゃんや女子高生の姿。そうだった、今の自分は艦娘ではない。雷は確かにこれはまずかいなと惜しみながら腕を離した。
「まったく、おかしい世の中なのよ。昔は十歳そこそこで結婚してた物なのに、何で今はダメなのかしらね」
「頭の固いお偉いさんの作った物って言うのは、いつの時代でもそうだろうな。借りに俺が作った良い法律でも、数十年先の若者はそれが鬱陶しい物に感じるだろうよ」
「人って難しいわね」
「全くだ」
そんな二人を乗せたバスは、三十分もしないうちに駅に到着し、二人は駅の中へ入ると空港までの切符を買い、電車に乗る。ここから約一時間かけての移動である。電車の中でも雷の話題は尽きることない電車旅となった。その間でも周りに迷惑を掛けないよう気配りもちゃんとしていたし、提督だって仕事以外の話をする雷を見るのは楽しかった。
終点の空港内駅に到着し、二人はひょいと電車を降りると、ターミナルに向けて歩く。平日に休暇を取ったおかげで人はラッシュ時に比べて多く無く、スーツ姿のサラリーマンが目立った。そんな空港の中を大人一人と私服の女の子のペアと言うのはなかなか異端な存在で、時折りすれ違う警備員の目が痛い気がした。
そそくさとカウンターで搭乗手続きを済ませ、荷物を預けた後に保安検査を受ける。特に問題なく通過した二人は待合室へと入って適当な椅子に座り、ようやく第一段階が終わったと溜め息を吐いた。
「ふぅ! やっとここまで来たわね!」
「ああ。しばらく鎮守府の中で過ごしてたから、こうやって人の多い所に来るとなかなか不慣れなものだな」
「最近は男の人なんて司令官しか見ないからなんだか不思議な気分だったわ」
さっき売店で買ったミルクココアを飲みながら、雷はちらちらと周囲に目を向ける。隣の搭乗口が解放され、飛行機に乗り込む乗客たちが行列を作っていた。あまり巻き込まれたくないなと思う。
「そう言えば、私これから飛行機に乗るのよね」
「いや、乗るけど……どうした急に?」
「いやね。ふと思ったんだけど、これから私が飛行機に乗るとしたら、つまり船が飛行機に乗るってことになるわね。なんか変な感じ!」
「あー確かに。極端な話し、全長70メートルそこそこの飛行機に全長120メートルちょっとの駆逐艦が乗ることになるもんな」
確かにそれは不思議な気分である。いや艤装の無い雷はただの子供だからそうでもないのだろうが、それでも駆逐艦雷の魂を継いだ少女である。彼女の言う事も間違ってはない。
「実際飛行機で船を運ぶことってあるのかしら?」
「小さいボートとかだったら運ぶかもしれんが、流石に駆逐艦丸々一隻空輸するよりも航行させた方が楽だろうな」
そう言いながら提督はペットボトルのお茶を一口入れて、正面にあるテレビに目を向ける。雷は買ってもらったじゃ〇りこをぽりぽりとかじり、提督に一本差し出す。提督は素直にそれを受け取り、もぐもぐと噛みしめる。そのタイミングで二人の乗る便の搭乗アナウンスが鳴り響いた。
『お客さまに申し上げます。10時05分発1785便の搭乗案内を開始させていただきます。座席番号が25~39番のお客様は――』
「さてと行きますか」
「うん!」
*
二人を乗せた飛行機は離陸した直後東京湾を抜け、西に向けて旋回すると富士山を右手に見ながら伊豆大島上空を通過する。その際雷は初めて空から見る富士山に跳ねまわりそうな勢いで興奮していた。
「司令官、見て見て! 富士山が下に見えるわ、すごーい!」
「そらこちらとて高度10キロメートルで飛ぶからな」
「山頂に居る人たち見えるかしら。おーい、こっちはいい眺めよー!」
窓に張り付く雷は、目をキラキラさせながら次々現れる空の景色に目を奪われていた。すれ違う飛行機を見るたびに写真を撮ろうとするが、相対速度1600キロを超えていては間に合わずにその度にしょんぼりとする。ならば地上に見える海岸線を撮ろうとカメラを下に向けるが、今度は雲が眼下を埋め尽くし、何も見えなくなって今度はむっとする。
「もー、速すぎなのよ! カメラのスイッチ入れた瞬間に撮りたい物が居なくなってるわ」
「電源つけたままにしてればいいんじゃないのか?」
「それじゃあ向こうに着いた時に電池切らして、司令官との思い出が撮れなくなっちゃう!」
「どっちかに絞れよ……」
とは言う雷ではあったが、そんな間もなくベルトサインが消えて客室乗務員が慌ただしくギャレーの中に入り、カートを引っ張り出して二人の前にやってきた。雷にととって初めての機内サービスである。背の高い客室乗務員の笑顔を向けられ、雷は緊張してしまう。
「お飲み物はなにに致しましょうか?」
「ビ……ビビビビーフプリーズ!」
「お前これ国内線だぞ。あと機内食は出ないし」
「そうなの!? こんな感じのフルコースメニューが食べられると思って私楽しみにしてたのに!」
と、雷は抗議の顔をしながらどこかの雑誌の切り抜きを広げて提督に見せる。
「それファーストクラス専用だろ……」
そんなことをしながら飛行機は紀伊半島を抜けて四国上空に入り、着陸態勢。途中乱気流に揉まれ、雷はガタガタと揺れる機体に顔をひきつらせて提督の腕にすがりつく。
「しししし司令官! 落ちないよね! ねっ、ねっ!?」
「大丈夫だから安心しろ」
はて、彼女は普段もっと恐ろしい存在と戦っているのだが。そんな彼女の頭を撫でてちょっと元気づけてやると、乱気流を抜けてそのまま何事もなく着陸。が、今度は逆噴射の音と逆Gに襲われ、雷は「あばばばばば」と変な声を出しながらも二人はようやく無事に九州の土を踏むことが出来た。
「んー、着いたー!」
雷は空港の到着口から抜けた所で大きく背伸びをして南国の空気をありったけ肺に取り込む。流石は南国、関東よりもやや気温が高くてニット帽では暑すぎるかもしれない。雷は帽子を脱いでハンドバッグの中に入れる。
「じゃ、早めにホテルに行って荷物を置こうか。その後で昼食だ」
「わーい! ここの名物って何かしら、確かかぼすって聞いたことあるわ!」
「かぼすは果物だからそれはちょっと……」
「冗談よ、冗談! ここからはタクシーなんでしょ? 私が呼んであげる!」
へいタクシー! と雷は目の前のタクシー乗り場に止まっていたタクシーに向かって大きく手を振る。なにもそんなにしなくてもいいだろうにと思いながら、提督は荷物の入ったバッグを持ち直してドアを開けて満面の笑みで待ってる雷の元へと向かった。
*
旅館のチェックインを済ませて身軽な荷物になった二人は、街に出て適当な飲食店を探す。所々蒸気と硫黄の臭いが立ち込め、二人はなるほど温泉街だとふらふら歩きまわる。平日だから人も少なく、しかし街は活気に溢れていてそんなに退屈しなかった。
「さてと、ここらへんで有名な食べ物と言えばとり天なんだよな。そのままの意味で鳥のてんぷら」
「へー、ありそうで聞かない食べ物ね。美味しそう! どこにあるのかしらね」
きょろきょろと雷は遠くを見るような仕草で手頃な飲食店を探し、提督も何か無いかと探す。どうやらお土産屋さんがメインらしくて飲食街は別のエリアにありそうだった。
「あ、司令官あれ!」
と、雷の指差す方向に「とり天」ののぼりが見え、その店の前まで行ってみるとお土産屋さんと兼用した軽食店だった。
「ほー。これは良いな。これ以上探すのも時間かかるだろうし、ここにするか」
「さんせーい!」
二人は軽食店に入ると、空いている四人がけのテーブルに向かい合う形で座り、メニュー表を見る。そんなにがっつりした物は置いてないが、とり天丼なる物が目に入り、これなら手早く済むだろうと二人ともそれを注文する。厨房の方から、結構なお年寄りのおばあさんが出て来た。
「はいはい、ご注文は?」
「とり天丼二つお願いします」
「はいよ。兄妹でお出かけですか? 楽しそうですね~」
と、おばあさんは一礼しながら厨房へと戻っていき。提督はやはりよくてそう見られるかと思い、雷に目を向ける。案の定、彼女はやや不服そうな顔になっていた。
「もー、どこに行っても兄妹ばかりね。私と司令官はそんな関係じゃないのに」
「そう言うな。ややこしいからそっちの方が楽になるさ」
「そうは言うけど、私はあまり好きじゃないの。私は司令官のお嫁さんに……もがもが」
そう言おうとする雷の口に、提督は手を当てて塞ぎ、彼女はもごもごと喋れなくなってしまった。やがて口が動かなくなった所を見計らい、提督は手を離してやる。
「ここで言うな、ここで」
「ぶー。司令官のケチ」
「返事は?」
「……はーい」
それでもまだ不服そうな雷だったが、すぐに出されたとり天丼を見て目を輝かせ、頂きます。サクッとした食感と鶏肉の弾力が口いっぱいに広がり、雷の表情は幸せそのものになっていた。
「美味しい! 外の衣はさっくりと、それでいて中の鶏肉が絶妙の食感だわ! どうやったら作れるのかしら、今度調べてみよっと!」
再びとり天にかじりつき、雷は美味しそうな声を出してその味を堪能する。それにしても調べると言うことは近いうちに雷の作る料理にとり天のバリエーションが追加されるのだろうか。さて、ほんの少しだけ楽しみである。
丼物と言う事もあり、二人はぺろりと昼食を平らげて一緒に御馳走さま。店を出る時に雷は「おばあさん、とっても美味しかったわ! また来るわね!」と挨拶して、上機嫌で提督の一歩先を歩いていく。時刻は間食にはまだ少し早い時間である。提督はどこに行こうかと考えながら歩き、旅行パンフレットを見ながら歩く。温泉の渡り歩きだろうか? 或いは食べ歩きして食い倒れでもするか。
それなりにぐるぐると考えていた提督だったが、雷が何かを思いついたようにぴょこんと飛び跳ねてくるりと一回転。そのまま提督に歩み寄ると目をキラキラさせながら口を開いた。
「ねぇねぇ司令官! 一個思い出したんだけど、確かこの近くに水族館があるって聞いたわ!」
「あ。そう言えばそうだったな。温泉しか頭に入って無かったわ」
「ほらほらここよここ!」
と、雷は提督の持っていたパンフレットに書かれた地図の一部分を指差した。距離もそう遠くないし、やや時間が足りない気はするが、雷は構わないようなので提督も了承した。
一旦駅に戻ってお得な入場券付往復切符を買い、いいタイミングでやってきた水族館行きのバスに乗って海沿いに走ること約二十分。海にややはみだす形で立てられた水族館が現れ、雷は窓にかじりついてそれを見つめる。
バスが停車し、二人はバスを降りると雷がはしゃぎながら一足先に信号を渡って提督はやれやれと追いかける。
中に入ると、まずは大きい鯨の模型。雷は目を輝かせてそれを見上げる。
「大きいわねー。時々任務から帰る時に鯨さんは見かけるけど、全身を見たことってそうは無いのよね」
「まー、ここには生きてるクジラはいないみたいだけどな。その代わり海獣がいっぱいいるぞ」
「怪獣!? ゴ〇ラやガメ〇、ゼッ〇ンが居るの!?」
「違う違う、海の獣と書いて海獣だ。つまりアザラシやセイウチのことだ。どうでもいいがゼット〇なんてよく知ってたな」
「それくらいなら私でも知ってるわ。それよりアザラシさんが居るの? 見たい見たい!」
「だったら運が良ければ……あ、ほれあそこ」
と、提督が歩きながら指さす方に、アザラシやアシカが泳いでいるプールが見える。その手前の通路を、飼育員に連れられたアザラシがのそのそと動いていた。
「きゃーー、可愛い!! すごいすごい、こんな所歩くの!?」
「知り合いがここに来た時の話を思い出してな。写真で見たんだが、運が良かったらこんな感じに目の前まで来てくれるんだってさ」
目がハートになりそうな雷。果たして聞いているのであろうかと思うが、実際重そうな身体をぼてぼてと動かして前進するアザラシは愛嬌たっぷりで、雷の視線に気が付いた飼育員がちょいちょいと合図。すると体を横にして雷に向けて前ひれを振り、さながら手を振っているかのような仕草をする。
「すごいすごーい! 手を振ってくれたわ、可愛い!」
「こりゃすごいな。芸はアシカばかりだと思ってたが」
雷は大急ぎでカメラを取り出してシャッターを押しまくる。律義なことにアザラシは雷がシャッターを切り終えるまでその体制で待ち続け、終わると何事も無かったかのように飼育員に連れられてプールへと戻って行った。
「可愛かったな~。ねぇねぇ司令官、鎮守府でアザラシって飼えないのかしら?」
「まず飼育用のスペース、そんでもって年間140万円位の餌代をお前が出すならいいぞ」
「うわぁ……私のおこずかいからじゃ無理ね……」
やや残念そうにプールを見つめる雷ではあったが、その先の水槽に居た深海魚やチンアナゴなどを見ればその事も忘れ、常に笑顔のまま走りまわっていた。途中にあったセイウチの水槽に近付いてみれば、これまたサービス心旺盛なセイウチが雷にガラス越しのキスをしてきたり、窓に近づけば雷に興味津々の大量のペンギンが出迎えたり、水族館なのになぜか居る全く動かないナマケモノと睨めっこしたりと、少ない時間ながらも閉館時間ギリギリまで彼女は堪能していた。
今この場に居る数少ない利用客は、無邪気に走り回るこの子が毎朝朝食を作り、その次には大人だって逃げ出したくなるような量のデスクワークをこなし、命令が下れば恐ろしい深海棲艦と戦う特Ⅲ型駆逐艦の魂を受け継いだ艦娘だとは思わないだろう。
それだけ、雷は思いきり羽を伸ばして楽しんでいた。そう、それでいい。今だけは仕事も戦争も忘れて普通の女の子になってくれ。提督は、雷が今この瞬間、平和を楽しんでくれることを切に願っていた。
*
旅館に戻った二人を待っていたのは、海の幸をたっぷり使った和食コース料理で、その中で一際目を引くのは真ん中に置かれた巨大な伊勢エビだった。きっちりと蒸されたそれが放つ香ばしい匂いは二人の胃袋にダイレクトに刺激し、思わず唾を飲み込んだ。
「す、すごいわね司令官……」
「こりゃたまげたな……いやすまん涎が……」
「なら早速食べましょうよ! 冷めちゃったら台無しだわ!」
「そうだな。では早速」
雷は正座、提督はあぐらで座布団に向かい合う形で座ると、二人同時に手を合わせて頂きます。取りあえずメインディッシュにいきなりありつくのはどうかと思うので、圧倒的存在感を放つ伊勢エビを意識しながらも、二人は白米と前菜を口に入れ、口を整えてからプリプリの伊勢エビを箸で掴み、口に入れる。
「…………うんめぇ」
「…………んんぅ~!」
雷は体の全てを使ってその味をかみしめ、幸せそうな顔な顔になる。提督だって許されるならこのまま伊勢エビにかぶりつきたい位であった。流石は海辺、新鮮である。
「おいしいわね、司令官。身がプリップリだわ!」
「あー、これはあれだな。思いっきりかぶりつきたい奴だわ」
「まぁ贅沢ね。でもそれも美味しそう……」
えへへとにやける雷。まさか伊勢エビの蒸し焼きでもメニューに入れるつもりだろうか。赤城に見つかったら鎮守府が財政難に陥ってしまう。
「そうしたいところだけど、向こうでは遠慮しておくわ。こう言うのは司令官と二人きりの時だけ、ね?」
「その方がありがたいな。たまには独り占めもしたい物だ」
ほんの少し意地の悪い笑みを浮かべる提督に、雷も悪戯を考えた子供のような笑みを浮かべて、指を口の前に当てた。
「はい、司令官あーん」
と、雷は伊勢エビの身を箸で挟むと、提督の口の前に差し出す。やれやれ、またか。提督は呆れはするが、彼女がこうなったら話を聞かないのは知ってるし、何より二人きりだから拒む理由もないので素直に受け入れた。
「どう、美味しい?」
「うむ。雷がくれると一段と美味いな」
「もー、お世辞が上手いんだから!」
頬に手を当てて雷はくねくねと妙にぬるぬるとした動きで喜ぶ。そんな彼女を微笑ましく見つめながら提督は汁物を飲み込み、ついでに同じく伊勢エビの身を箸で挟むと、雷差し出した。
「ほれ。あーんしな」
「ふぇ!? そ、そそそそんな恥ずかしいわ!」
「お前さっき自分がやった事だろ……」
「するのは好きだけど、されるのはちょっと……」
「なんてベタな……」
顔を赤くしながら雷は目を泳がせるも、ちらちらとその箸に挟まった伊勢エビを見ると、ぱっくんちょと口に入れた。
「……司令官の、美味しい」
「何やら変な意味に聞こえるから勘弁してくれ」
*
その後も二人は談笑しながら夕食を食べ続け、豪華海鮮和風コース料理は綺麗さっぱり食いつくされてしまった。満腹になった二人を待っているのはある意味一大イベントである、「入浴」であった。
ただ、普通ならたかが入浴。提督は男湯、雷は女湯に入っておしまいであろうと言われそうだが、あいにくそんなに簡単に終わる物ではなかった。
提督が思うに、例え男湯に入っても雷が乗りこんできそうだったから、あえて二人が宿泊しているこの部屋は専用の出入り口を使い、階段を下った先にある貸切露天風呂がセットになっている場所を選んだのだ。
提督は先に風呂に入ると雷に伝え、腰にタオルを巻いたまま階段を下り、露天風呂に到着する。ご丁寧なことにシャワーまで備え付けられていた。ここでならシャンプーもできるぞと言いたいのだろう。
適当に掛け湯をして温泉に入る。すぐ近くを流れる小川のせせらぎが心地よく耳に届き、一日歩き回った疲れが溶けていくかのように湯船に消えていく。何だかんだで結構歩いた物だと振り返る。こうも疲労を感じると体力が落ちたのだろうかとやや不安に思い、次に雷はどうだったかなと想い浮かべる。うむ、終始はしゃぎ回って底なしの体力とでも言うべきだろうか。
そんな事を考えながら提督は新たな気配を感じる。と言っても今更考える必要のないことであり、むしろ意外と遅かったなと思ってしまう辺り、すっかり雷の性格に毒されてしまったなとしみじみと感じた。
「しれーかーん! 一緒にお風呂入りましょ!」
と、竹柵の陰からひょっこりとバスタオル一枚の雷が現れた。予測可能回避必要無し。提督は返事をしながら彼女を受け入れる。
「割と遅かったな。もう五分ほど早く来ると思っていたが」
「あれ、あんまり驚かないのね。こう言うのって『ぎゃああああ何で入ってくるんだよぉおお!!』って叫ぶのがセオリーじゃないのかしら」
「お前だからむしろこうならない方が悲鳴上げそうだ」
「ひっどーい! 私だっていつも司令官とお風呂に入る……あ、ここ最近入ろうとして居たわね。迎撃されてたけど」
「そうだろ。ま、今回は二人きりだし別に拒むことはしないさ」
「そうね。じゃあ今日は遠慮なく!」
と、雷はタオルを巻いたまま片足から湯船に入ると、そのまま肩まで身を沈めて提督の隣まで近づき、ほっと一息吐いた。あ、共同浴場ではタオルは巻かないようにするのがマナーである。
「あー、今日はたくさん歩いたわね。案外歩くこと自体久しぶりかも」
「動くにしても海の上だからな。どっちかと言うと滑るだし」
「そうねー。ん~、疲れが溶けていくわ~」
と、雷は腕を伸ばして体を右へ左へ倒し、凝り固まった全身の筋肉を温泉の力でほぐしていくと、力を抜いて背後にあった岩に体を預ける。ついでに頭を提督の肩に乗せてマイポジションの確保が完了した。
「気持ちいいわね~……」
「ああ。今だけ仕事の事もなにも思いださなくていいもんな」
「それ思いだしてるじゃないの」
「あ、そうだわ」
くすくすと雷は笑みを浮かべ、提督もほんの少しだけ唇を釣り上げる。ついでにさりげなく雷の肩に手をまわして、ぎゅっと体を密着させると、いつもよりやや積極的な提督に、雷は温泉の温度も相まって頬が赤く染まる。普段は向こうからベタベタしてくるのにこっちから行くとこの有様である。まだまだ子供だ。
そのまましばらく二人はじっくり湯船につかって体を預けた。言葉は無い。提督は雷の呼吸音と川のせせらぎを聞き、雷は提督の胸板越しに心臓の音を聞く。とくんとくんと心地よい音。もうちょっと聞きたくなって提督の膝の上に座ると、提督も雷に腕をまわして抱き寄せる。
「なんか、司令官今日は積極的ね」
「二人きりなんだからいいだろ。こちらとて我慢してんだ」
「ふふふ、私の事もっと好きになってくれた?」
「元からお前のことはこれ以上に無いってくらいに好きだぞ」
「……もうっ」
それ私が言いたかったのに。雷は台詞を先に言われてやや不満そうにする。お返しなのか体を前後左右に揺らして提督のありとあらゆる場所に微妙な刺激を与えてみるが、これと言って効果は見受けられなかった。
「はっはっは、無駄無駄。俺の勝ち」
「むぅー、私には魅力が無いって言うの!?」
「十分ある。だが俺の理性を粉砕するほどではないな。悔しかったらばいばいんなスタイルになるこったな」
「司令官嫌い!」
「はいはい、悪ぅございました」
はむ、と提督は雷の耳たぶを唇で挟んであむあむと動かし、雷の背筋がぞくぞくと震えあがり変な声を上げる。
「ひゃっ! ひっ、うぅ……」
「はい、おしまい。背中流してもらえるか」
「はぅ~……司令官、ずるい」
「聞こえんなぁ」
と、提督は雷を抱え上げて二人で立ち上がる。その際雷が軽くのぼせてたみたいで足元がおぼ付かず、危うく倒れそうになるのをそっと受け止めた。
「うぅ~……ごめんね司令官……」
「気にすんな。温泉には付き物だろうよ」
一旦雷を座らせて軽く体を揉みほぐしてやる少しして雷は顔に温泉をすくって顔に掛けると一度深呼吸する。
「もう大丈夫よ。しっかり立てるわ」
「ならよかった」
と、二人は今度こそ立ち上がり、シャワーに向かうと風呂椅子に座る。蛇口を捻ってお湯を出すと二人で浴びるが、流石にやや足りないため少し大変である。雷が追加で掛け湯を流す。
「はーい司令官。お背中流してあげますよー」
「おう、頼む」
雷は提督の背中に回ると、ボディソープをタオルに塗りつけるとゴシゴシと擦って泡だてる。ふむ、頃合いであろう。雷は肩のあたりに泡を塗りたくり、そのまま丁寧に上下に擦る。雷とは比べ物にならない、大人の男性の背中。非常にたくましく、触っていて飽きないような惚れ惚れする肉体である。
「あー、そこそこ。そこがちょっと痒い」
「もー。司令官ったらおじさんくさいわよ?」
「どうせみんなおっさんになるんだって」
「今からそんなこと言ってたら、もっとおじさんになるわよ」
背中上部、中部、下部へと片道移動が終了すると、続けて肩に向けて再上昇。一往復きっちりむらなく擦り終えると、桶にお湯を入れて一気に洗い落とす。
「はい、背中はおしまい。前もやっておく?」
「自分で出来るからいいわ」
「ぶー。司令官そこは初心に反応して欲しいわ」
「慣れた。お前が積極的にやりすぎたせいだ」
「あちゃー、考え物ね」
「ほら、次はお前だ。交代」
「えっ」
まさかの攻守交代。雷は反応に困り、しかしその間に提督は立ち上がって雷の後ろに回り込むとボディソープを泡だてて準備を終えてしまう。有無を言わさぬ勢い。雷の頭は沸騰したかのように熱くなってしまい、思考が追い付かない。背中を擦る提督の手が前に回り、そのまま自分の体を撫でまわし、やがてまぐわしく愛してくるのだろうか。
(だ、だめよ! 個人とは言えここも外なのよ、響いて誰かに聞こえちゃうかもしれないし! でも、タオル口に入れて抑えればそれでも……いやいやダメダメ、はしたないのはよくない!)
「雷、タオル邪魔だから取るぞ」
「ひゃいいいーーーー!?」
あっという間に身ぐるみはがされてしまった。と言ってもタオル一枚しかないからほぼ全裸同然なのだが、しかしそう言う場合ではないのが今の雷である。
もう色々と頭が追いつかない雷ではあったが、しかし提督は雷の背中しか露出しないように配慮しそのまま小さな背中にタオル越しに手を置いてじっくりと擦ってやる。
「あ、あれ……背中だけ?」
「なんだ? 前もやって欲しいのか?」
「いやっ、えっと! あの! ……背中お願い」
「あいよ」
と、雷は色々と妄想が捗った自分の頭を冷やすべき大人しく提督に身を任せる。大きな手が自分の背中にタオル越しではあるが触れるのが良く分かる。指がごつごつしていて、力だって強い。電と一緒に腕につかまって簡単に持ち上げられてしまうくらいだ。
そんな提督の手は特に不振な動きをする事もなく、雷の背中を洗い終えるとお湯を賭けて洗い流した。
「お前小さいから簡単に洗えるな」
「もー、これから大きくなるわよ!」
「はいはい、頑張りなさい」
頭を軽く撫でてやると、それから二人はシャンプーの洗いっこまで済ませて風呂から素直に上がることにした。やや名残惜しい気もするが、明日も早いので今日は早めに就寝しなければならない。せっかくのプランを寝坊で終わらせるのは非常によろしくないだろう。
露天風呂にある脱衣所で二人は着替え、部屋に戻ると既に布団の準備がされていた。ご丁寧なことに二人用の敷布団である。一体この旅館の女将さんは自分たちをどう言う関係とみているのだろうか。いや、チェックインの時雷がべたべたしてたから、大方仲のいい兄妹とでも見られたのだろう。
夜のニュース番組を見ながら、提督はそんな事を考える。今日のニュースは輸送船団が深海棲艦の奇襲を受けたが、哨戒中だった艦娘達が見事救助したと言う物だった。榛名が頑張ってくれたのだろうかと思ったが、別の鎮守府の話であった。そう言えば特に連絡も来ていないが、まぁそれだけあっちは平和だと言うことだろう。
「司令官、お茶が入ったわよ」
「おう」
雷はお茶を小さな机の上に置き、備え付けの和菓子も一緒に差し出すと自らも提督の隣に座って自分のお茶を飲んだ。
しばしの間、二人は無言で流れるニュースを見つめる。と、雷が何かを思い出したかのように自分のリュックを引っ張ると、中からデジタルカメラを取り出して電源を入れた。
「司令官、はいチーズ」
ぱしゃり、と提督が表情を吐く間も与えずに雷はシャッターを切る。何事かと提督は思うが、雷はにひひと笑みを浮かべてさっき撮った写真を見せる。そこには驚いた顔の、言わば間抜け面とも言うべき提督の顔が映っていた。
「おまっ、いきなりなんだ」
「えへへ、最近司令官のこう言う顔あまり見たことないと思ってね」
「そうか?」
「そうよ。最初に会った時は色々とびっくりしててちょっと面白かったのに、最近は慣れてきてる感じがしてつまらないもん」
「そりゃそうだろ。十代超えてそこそこの女の子が現代成人女性も真っ青な世話焼き、家事スキル料理スキルの高さを疲労したら口があんぐりするわ。今じゃすっかり慣れたが」
「でも昔はそう言う女性が当たり前だったんでしょ? むしろおかしいのは最近の方よ。女性は将来の夫を支えるべく、家事料理選択子育てに対応する必要があるわ。なのに最近のニュースには若い女の人が子供を育てられなくて事件起こす、そんなのばかりだわ」
「お前は本当に十歳超えて間もない女の子なのか……」
「そうよ。解体したら某小学校卒業の中学一年生になるわ。まぁ……『雷』の記憶も少し混じってるから、こんな風に思うかもしれないわね」
と、雷はお茶を口に入れると、今日撮影した写真を再生して古い順番から見ていく。記念すべき提督との初旅行である。一枚目はバスの車内、二枚目は電車の中、三枚目は空港で、次は飛行機の中、次は富士山、そして富士山をバックに二人度撮ろうとして失敗した写真など、メモリーカードが足りるかどうか怪しいくらい細かく撮っていた。移動時だけでこれである、今日一日撮ったものを上げるとこの場では足りなくなるだろう。
「お前それ容量大丈夫か?」
「予備カードが二つあるわ! まだまだ行ける!」
用意のいい事で。雷は小さなケースに入った二つのメモリーを見せる。しかも両方16GBと来た。さて、一体この一泊二日で何枚の写真が撮れるのだろうか。
「ほら、見て見て司令官! このイルカさん可愛く撮れたでしょ!」
「ほーう。いい表情してるな。イルカって人の言葉喋れるらしいぞ」
「え、超音波じゃなくて?」
「『おはよう』って言ったら、『おはよう』ってイルカの鳴き声でそれっぽく言うんだよ」
「すごーい! じゃあ私もイルカさんと仲良くなったら話せるようになるかしら!?」
「いやまぁ、分からんが……」
「今度任務の帰りに遭遇したら話しかけて見るわ!」
きゃっきゃと心躍る雷ではあったが、任務が終わったら真っ直ぐ帰って欲しいのが本音である。一応後日注意しておこうかと考える。
ふと、時計を見る。零時少し手前の時刻である。さて、床に入るにはもういいだろうと提督は雷に寝るよう促した。
「えー。もうちょっと司令官とお話ししたいな~」
「布団に入ってからでもできるだろ。ほら、お茶飲んで寝た寝た」
「ぶー」
頬を膨らませながらも、雷は素直にお茶を一気に飲み干して提督の分の湯呑みまで片付けると、一度お手洗いへ。すぐに済ませて提督と入れ替わり、テレビを消して布団にもぞもぞと入り込んだ。そのタイミングで提督も戻り、電気を消して同じ布団に入った。
電気を消すと、部屋は窓から差し込む月明かり以外は真っ暗になり、暖房の音と時計の針が刻む音しか聞こえなくなる。雷は早速喋るかと思っていた提督だったが、思いの外静かでもう寝てしまったのだろうかとちらりと雷を見て見ると、じっと窓の外を見つめている様子だった。
「……雷?」
「なーに、司令官」
と、返事はやや元気が無さそうな感じ。どちらかと言うと元気が無い返事であった。
「いや、もっと話しかけて来るもんだと思ってたからちょっとな」
「そうね……ちょっと最近の自分を思い返していたの」
もぞもぞと体をこちらに向け、雷はそっと提督の胸板に手を置き、しかし目は会わせずに口を開いた。
「私ね、司令官のためなら何だってできる気がしたの。それに応えようと思って何でもかんでも自分でやろうとしたわ。それが当たり前になってきて、自分がおかしくなりそうになっている事に気がつかなかったわ」
ぎゅう、と提督の浴衣を掴む。頭をこつんと胸板に押しつけ、雷は言葉を重ねる。
「昨日司令官が私に休め、って言った時ね。嬉しいってよりも、もう私のこと必要ないんじゃないかって言われた気がしてすごくショックだったの。何でそんなこと言うの、おかしいって。でも、今日いっぱい遊んでお仕事の事も全部忘れて、今分かったの。おかしいのは私で、司令官は私が必要だからこそ休ませたって」
顔を持ち上げ、雷は提督に笑みを浮かべる。月明かりに光る彼女の笑顔は比喩でなく輝いていて、こんな笑顔を一体いつぶりに見たのだろうかと提督は思いかえす。少なくとも、この一カ月は無かっただろう。
「だから、ありがとうね司令官。本当にこんなに遊んだの久しぶりだったわ」
「俺は当然のことをしただけだ。たまにはお前が俺を頼っていいんだぞ。いつまでも自分一人で抱える必要なんてないんだからな」
そっと彼女の頭に手を置いてやる。自分で気付けたのならば、これ以上求めることは無い。提督ようやく彼女が異常になりそうだったことに気がついてくれて、心底安心した。これで駄目だったら解体してまで止めるつもりだった。
しかし、今日一日の彼女を見てそんな必要はないだろうと早急に結論付けた。間違いなく、昼間の雷は艦娘ではなく一人の少女に戻れていた。それで充分であった。
「うふふ。今日は司令官にたくさん頼っちゃおうかな」
「全然構わんぞ。むしろ……」
「ひゃっ!?」
するり、と浴衣の隙間から提督の手が入る感覚。下着を着けて無い上半身は簡単にごつごつとした手で撫でまわされる。
「俺がお前を満足させてやってもいいんだぞ?」
「だっ、ダメよ司令官……明日早いんでしょ……?」
「前俺がそんな事言った時、お前に奉仕されたことあったな。何もしなくていいからって。だったらそのお返しだ」
す、と音もたてずに提督の手が下腹部へと伸びていく。あえて存在を知らしめることで、雷にはその実感をじわじわと持たせて、そして彼女には主導権が無いと言う事を理解させるには十分だった。
「や……だ、だめ……司令官、恐いよ? これじゃあ司令官が満足しないじゃない……」
「それでいいからこうしてるんだ」
「だ、だめ……その、色々と……心の準備が」
ピタリ、と提督の手が止まる。だが嘘だ。止まったと見せかけて次に意地悪してくるんだ。雷は覚悟を決めて目を閉じる。が。
「じゃあダメだな。なら今日はよしておこう」
「え……」
と、雷はあっけにとられる。その言葉通りすんなりと提督の手は離れていき、少しだけ乱れた彼女の浴衣を丁寧に元に戻して横に向けていた体を仰向けにした。
「え……ほんとにおわり?」
「続きしたかったのか?」
「えっと、嫌じゃないけど……もっとがっつくかと思ったから……」
「あのな」
提督の指が雷の額に押しあてられる。
「いいか。今日はお前に休んでもらうために来たんだ。いつものお前ならすんなり甘えて来るが、今さっき心の準備が必要だって言った。これはお前が無意識のうちに使う拒否の言葉だ。堂々と拒否出来ないお前が精一杯使う言葉だ。だから今日はこのまま寝る。わかった、か?」
ばちん、と提督は押しあてた人差し指を一瞬で凸ピンの形へと変えて発射。ゼロ距離射撃のそれは雷の額に見事着弾し、小破並みのダメージを受けてしまう。
「もー、司令官の意地悪!」
「はっはっは。これくらいやらないとお前とやっていけないさ」
「……ありがとね、司令官。大好き」
と、雷は提督の頭に両手を回して一気に自分の唇を提督の唇に押しつけた。凸ピンのお返しだ。しかし、思ったより勢いがつきすぎて歯がぶつかってしまって苦い顔になる。
「うぅ……痛い」
「もうちょっとゆっくりだな……」
「ごめんね司令官。じゃあやり直しのもう一回」
「……はいはい」
と、今度は雷が待つ体制。ん、と唇を少しだけ差し出して提督を待つ。やや赤く見える頬。まったく愛おしい奴だと提督は思いながら頬にそっとてを当てて自分の口元に導いてやった。
*
翌日。二人は予定通りの時間に目を覚まし、朝食を済ませるとこの旅行の目玉である地獄めぐりへとやって来た。今二人の目の前には沖縄の海を思わせるような青い温泉が鎮座し、もくもくと湯気を立ち上がらせていた。見れば柵から竿が伸ばされて、その先に温泉卵が沈められている。お求めはお近くのスタッフまでだそうだ。
「うわー、すごいわね。こんなに綺麗な青色なのに百度近くあるのね」
「冬なのに暖かいな。指突っ込んだらやばそうだな」
「艤装をつけたら航行だけならできるんじゃないかしら。百度程度なら問題ないわ」
「でも武装熱くなって火傷するだろ」
「あ、そうね」
雷はくすくすと笑みを浮かべ、提督も釣られて笑みを浮かべる。せっかくなので温泉卵を食べて見ようとお土産屋さんで二つ注文。結構アツアツで二人して変な声を上げながらどうにかして呑みこみ、しかしとろりとした卵の黄身は濃厚であった。
「あ、司令官! 地獄蒸し焼きプリンですって、買って買って!」
「そんなんじゃ昼飯食えなくなるぞ?」
「いいわよ! 食べ歩きがお昼ご飯よ!」
「へいへい」
と、雷は買ってもらったプリンを食べながら次の場所へと転々とする。泥まみれの温泉があって、それがお坊さんに似ていることから彼女は丁寧に手を合わせて旅の無事を祈り、その次には足湯に入って少しばかりのリフレッシュ。
続けて山のあちこちから湯気が立ち上る地獄に行くと、温泉の熱を利用した小さな動物園があり、それぞれの動物たちは冬ではあるがそれなりに快適そうに過ごしていた。
「見て見て司令官、カバさんよ! 餌が欲しいのかしら」
「ほれ、後ろにあったぞ。投げてみろ」
「わーい! カバさーん、ご飯よー!」
雷がキャベツを手に持って思い切り伸ばすと、のそのそとカバが近付き、雷の間下へとやって来た。そしてその大きな口をあんぐりと開け、その大きさに雷は思わず声を上げた。
「お、おぉ……すごく、おおきいです……」
「いいから餌投げてやれ」
「そうだったわ。えい!」
投げる、と言うよりも落とす感覚でキャベツが落下し、見事にカバの口の中に収まる。カバは口を閉じて美味しそうにもしゃもしゃと噛んで、再び口を開けておねだり。
「本当に大きいわね。でも牙の所に苔がついてたわ。ちゃんと磨かないと虫歯になるのに」
「まぁ、そう簡単にはならないと思うけどな。知ってるか、ある動物園では猿とカバを同じスペースに入れてたら猿がカバの口の掃除やり始めて、中にたまった苔とかを餌にしているらしい」
「へー。すごいわね。共存って感じ?」
「カバは最初無抵抗なだけだったが、次第にやって欲しいと言わんばかりに食後は口を開けるようになったそうだ」
「じゃあ私もこれから司令官の歯を磨いてあげるわ!」
「結構だ」
そうやって一個一個二人は楽しんでいった。動物園ではクジャクが羽を広げて雷に求婚したり、象に餌をあげたり、その次に巨大なかまどの上で高らかに金棒を抱える赤鬼をバックに写真を撮ったりと楽しんだが、半分を過ぎた所で提督は時計を見て目を疑った。ゆっくりしすぎて帰りの飛行機の時間が迫っていたのだ。
帰りの飛行機は夕方より少し早め、四時前の便である。移動時間や予備時間を含めると間に合わない可能性が出て来た。雷は一歩一歩噛みしめるように歩きまわっていたからそれに付き合いすぎてしまったのだと察する。提督は慌てて雷に帰るよう促した。
「やっべ、もうこんな時間か! 雷、間に合わないから今日は切りあげるぞ!」
「待って司令官! 次の場所にはワニさんがいっぱいいるのよ! 今行ったら餌付けの時間にちょうどいいわ!」
「バカ、今そこまで行ったら間に合わん、帰るぞ!」
「いーやーだー! ワニさん見るの、餌あげるのー!」
「あーもうこんな時に我がまま言うんじゃない!」
「じゃあもう一泊! もう一泊させて、ね?」
「明日は旅行の疲れを癒す為の日なんだ、そんなんじゃ慰安の意味が無いだろ!」
「あーん、ワニさーん! クロコダイルー!!」
これは動かないと踏んだ提督は雷を小脇に抱えて走り出す。雷の視界を行きたかったワニ地獄の看板が通り過ぎる。それを見て「ぴーーーー!」と雷は抗議する。まったく今のお前は長女そっくりだぞと提督は呆れた。あと、そんなにワニが好きなのか? 帰ったらワニのぬいぐるみでも買ってやろう。だが今はそんなことでは動きそうにないので、提督は奥の手を切りだした。
「分かった! じゃあ次は新婚旅行でここに来てやる! 一週間でも一カ月でもいいから今日は諦めてくれ!」
「え……」
と、雷はその言葉で暴れるのを止めて固まった。やれやれ、いずれは言おうと思っていたことだがこんなに早く言う羽目になるとは思わなかったと提督は心の中でため息を吐く。雷は力なく垂れ下がり、じっとしている。どうやら受け入れてくれたようではあるが、たぶん帰ったら有頂天間違いなしだ。そんな彼女をどう諭そうかと考え、提督は道を走って来たタクシーを呼びとめ、雷を文字通り放り込んだ。
*
結果として、二人はやや余裕を持って空港に到着することができ、提督は侘びとして雷含む第六駆逐隊へのお土産代を持つことになった。いや一応鎮守府に居るみんなの分も買わないといけないし、一人できりもみしている榛名にも特別に一個買っておかなければならないから、今更四人増えた所で大差はない。こう見えて懐は立派に肥えているかどうということは無かった。
なお、赤城の量に対する要望は一切合財却下である。せいぜいまんじゅう一つ二つとかその辺りで我慢して貰わないと、あいつ一人でこの空港のお土産屋さん全店を破滅させてしまうだろう。
空港待合室で二人はテレビを見ながら自分たちの乗る飛行機の搭乗開始を待つ。雷は座ってから口数が少なく。チュゴゴと紙パックの牛乳を飲んでいた。特にべたべたするでもなく、口を開く訳でもなく、慣れぬ人間からしてみれば風邪でも引いてるのかと疑いたくなるが、そうではないと提督は知っている。これは、照れているのだ。
その証拠に、雷はぽんと頭を肩にくっつけて来た。それを何も言わずに撫でてやると、向かい側のガラスが鏡になって嬉しそうに笑みを浮かべている雷の顔が見えた。よほど嬉しかったのか、腕を組んで精一杯しがみつく。今この瞬間、雷はこれ以上にないほど幸せなのだろう。
「司令官……ありがとうね。私司令官の所に来て本当に良かったって思ってるわ」
「嬉しいこと言ってくれるじゃないか。ま、かく言う俺もお前がいてくれて本当に良かったと思ってるさ。親を早くに無くして、どうにか鎮守府に着任するまで出世した。だが仕事をする一方、どうあがいても消えない孤独に一番早く気がついてくれたのはお前なんだ。お前がいなかったらここまでやれなかっただろうよ」
「もう……そんなこと言っても何も出ないわよ?」
「時々はしっかり口にするべきだと思ってな。ありがとう、雷。感謝してる」
「えへへ……また、来ようね。今度はもっともっとたくさん行きたいな」
「もちろんだ」
「その時は、本物の指輪を付けて……ね?」
「ああ。待っててやるから、早く大きくなれよ」
そのタイミングで、二人の乗る帰りの飛行機のアナウンスが鳴り響く。二人は一緒に立ちあがり、しかし行きとは打って変わって雷は提督にしっかり密着したままゲートを抜けた。
*
一泊二日、そして旅行の休養となった三日目の休暇も終わり、提督は久しぶりの執務室の中で本日の業務を開始していた。したはいいのだが、榛名の手際が良すぎてこれと言って溜まっている仕事もなく、取りあえず今日の遠征隊と演習部隊の承認書類をまとめた程度で一旦終わり、本部から届く面倒な報告書が入った封筒を待つだけになっていた。
「しれいかーん、お茶が入ったわよー」
備え付けのポッドからお湯を注ぎ、急須の中で生まれたお茶を湯呑みに入れて雷は提督の傍に置く。本日晴天なり。窓から差し込む日差しは心地よかった。
「お仕事はどう?」
「榛名がきっちり片付けてくれたからやることが無くてむしろ困ってるくらいだ」
と、提督は椅子に体重を賭けてだらしない姿勢になる。ぎし、と椅子の柱が抗議の声を上げるが、気にしない。
「それもそうね~。遠征隊も行っちゃったし、任務部隊も出撃して今は指示を出すまでもないし。じゃあ……」
と、雷はお盆を置くと提督の膝の上にすとんと座り、やや驚きの表情を見せる彼に向けて満面の笑みを作った。
「私も、休んじゃお! 一番の特等席!」
「ったく……仕方のない奴だ」
と、提督は雷の頭を優しく撫でてやる。自分よりも大きな手ではあるが、本当に優しいその手は自分の全てを包み込んでくれる気がして、雷は一日中こうしていたいと思ってしまった。現に、後に提督の業務は雷を膝の上、または足の間に入れての作業で一日を終えてしまう。
二人が出会い、二人が過ごした鎮守府は、今日も平和であった。