原点にして頂点とか無理だから   作:浮火兎

42 / 44
13-8

 私は一瞬、試合放棄したのかと思った。開始の直前、カロッサと喋っていて目を離したほんの少しの隙にいなくなったのだから。だが無論、そうではないことをすぐに思い知らされる。

 乾いたフィールドを駆ける軽い音が僅かに聞こえる。姿は見えないまま、その音はどんどん近づいてくる。カロッサも困惑したように防御の姿勢を取りながら、周囲を注意深く見回す。しかし……。

 

「ガグウウッ!」

 

 見えない何かに切り裂かれ、カロッサの両腕から鮮血が迸る。咄嗟に反撃のつもりでガードを崩したところへ、さらに素早い斬撃が叩き込まれる。それを防ごうと腕を戻したところで背後や脇の隙を突かれ、もっと追撃を浴びる悪循環だ。試合が始まってまだ一分も経たないと言うのに、カロッサは手も足も出せないまま、ズタズタに引き裂かれてしまった。

 相手は逃げたわけでも、消えたわけでもない。タイプの相性とはまた別の相性――こちらがパワーと防御力に優れた力技タイプだとするなら、敵は圧倒的なスピードで相手を翻弄する技巧タイプだ。これもまた、カロッサにとっては相性の最悪な相手と言えるだろう。

 カロッサがダメージに耐え切れず膝をついたところで、ようやくペルシアンは再び姿を表した。こちらを見下したように笑い、尊大な態度で爪を舐める仕草をする。くそ、完全にナメられてるな。

 だが、あのペルシアンのスピードは常軌を逸している。情けない話、相棒を見慣れている私ですら全く見失ってしまうほどだ。ジャンボほど速いかどうかはわからないが、少なくとも鈍重なカロッサや職人がとても追いつけるとは思えない。いや、他のメンツだって多分ムリだ。同じ土俵で戦えば、間違いなく分が悪い。とは言え、これは相手の身体能力によるスタイル、つまりは混じりっけなしの直球勝負だ。

 

「くそっ、なんて高レベルな奴ばかり揃ってるんだ。あれが相手じゃ職人に交代したって意味が無いぞ……」

 

 職人の冷凍ビームで凍らせることも考えたが、当たらなければ意味が無い。今は姿が消えるほど速い高速移動から繰り出される斬撃から身を守る手段も、攻撃を当てる手段もない。攻守共にあのスピードの前では、とても追いつけない。

 対策なんて――何も思いつかない。

 闘争心が燃え上がったままのカロッサは果敢に体勢を立て直し、懸命に水鉄砲を撃ち返すが掠りもしない。ペルシアンは毛繕いまでしながら、悠々と避ける。水鉄砲の弾速だって決して遅くはないはずなのに、発射を見届けてから避けているようにさえ見える。やはり普通に攻撃したんじゃダメだ。だからと言って、近付くのはもっと危険だ。カロッサが一瞬とはいえ膝を折るほどの攻撃力も兼ね備えている。得意なインファイトに持ち込めば勝てる、という甘く安い考えは通らないだろう。

 闇雲に撃っても当たらないことを悟ったか、カロッサはアクアジェットで思い切り後方に下がり、大きく距離を取った。なるほど、距離を稼げば如何に素早くとも、遠距離攻撃が可能な方が有利なはずだ。カロッサは腰を低く落とし、キャノンの狙いを引き絞る。

 だが、有効と思えたその策さえ、ペルシアンの圧倒的なスピードの前では無意味だった。

 ほんの僅かに、フィールドの地面が蹴立てられるのは見える。その軌跡を追い、予測も含めた地点へ向けて水鉄砲を撃ち込むが、着弾するより透明な足が迫る方が速い。それでも左右へ激しく振れる照準を合わせ、何度も、何発も撃ち込む。

 すると、今しも至近弾を避けたかに見えたペルシアンの歩調が一瞬、乱れた。そのままカロッサの目の前に現れ、鋭い爪を振りかざす。その距離感は、明らかに効果的な間合いを外していた。

 リーチでは劣るものの、一撃さえかわせれば踏み込める。ど突き合いになれば体術で勝るカロッサの本領発揮だ。このまま水の波導を叩き込められれば、大きなダメージも期待できる。カロッサの右腕には既に、水色の光が迸っていた。

 だが、何かがおかしい。あのペルシアンとて、自分の間合いをそうそう見誤るだろうか?

 相手に捉えれないほどの速度で動き回り、その合間に攻撃を繰り出す事こそが最大の武器。即ち、間合いを失うというのは、自らが握る刀の長さを忘れた侍のようなものだ。

 もしも、ペルシアンにとっての間合いが"一つ"でないなら――!

 

「ガッ!?」

 

 私の思考が追いつくより先に、焦りの入り混じった悲鳴が聞こえた。

 カウンターの姿勢を取っていたはずのカロッサは、大きく体勢を崩して後ろに退がらされていた。動揺しているのか、次の動きが繋がらない。そのまま二歩三歩と、じりじり後退る。しまった、やはりあれは誘いだったか!

 猫騙し――相手を必ず怯ませる技だ。ペルシアンは間合いを外したのではない。むしろ全く逆で、間合いを外されていたのはカロッサの方だった。キャノンを構え直すには近過ぎ、踏み込んで殴るにも遠過ぎる。それはおよそ、二歩半分ほどの距離。

 そしてペルシアンの額が赤く光り輝き、光は大きく膨らみ――その絶妙な射程から、パワージェムを数発発射した。

 もはや風に流される柳のように、全ての支えも守りも失ったカロッサに全弾が命中し、大きな爆発音と共に土煙を上げながらごろごろと吹き飛ばされた。

 

「カロッサッ!?」

 

 思わず大声で名を呼ぶ。瞬時にボールを握り締めるが、ギリギリでラインの向こう側だ。歯痒い気持ちを噛み殺し、反応を伺う。

 ガルーラ戦のダメージも決して軽いものではなかったはずだ。それに加えて開幕直後からの蓄積にこの一撃、さすがに立ち上がるのはもう無理か?

 砂埃が晴れ、フィールドの様子が詳らかになる。すると、カロッサは甲羅の中から頭と四肢を伸ばしているところだった。あの一瞬で、どうやら緊急防御が間に合ったらしい。亀のくせに恐るべき反射神経である。

 

「ガァメェッ!」

 

 力強い一声を上げつつ、フィールドを踏み締めながら立ち上がった。全く、呆れ返るほど頑丈な奴だな。すげーよ、お前は。

 ペルシアンはその様子に対し、不服そうに低い唸り声を上げる。どうやら、今のがあいつの決め球だったらしいな。仕留め切れなくて、イライラしているのだろう。

 渾身の一撃を防いだのは重畳だが、それでも劣勢なのは変わっていない。このまま徒らに試合が長引いては、カロッサの体力も保つまい。しかし、近・遠距離における戦術は双方とも有効ではなかった。撹乱からカウンターを狙っても、猫騙しや他のフェイントでパワージェムの有効射程を保とうとするだろう。そうなれば展開がさっきと同じだ。先の見えない消耗戦。相性の優劣はなくとも、カロッサは既にかなり体力を消耗している。畢竟、削り負けるのは考えるまでもない。

 加えて、こちらの攻撃を当てる方策は今のところ、全くないのだ。あの驚異的なスピードを捉えるには、正攻法で攻めるのは無意味だ。交代要員にジャンボかアルディナという選択肢があれば迷いもないが、現状許されるのは職人かメルシュ。どちらも練度がカロッサよりは低く、スピードで勝ることもない為、これ以上の善戦を期待するのは望みが薄い。

 

「くそっ、どうしたら……!」

 

 考えろ、考えろ、考えろ! さっきだってあいつは相性の問題を引っくり返したじゃないか! トレーナーの私が先に諦めるもんか! 何か、何かあるはずだ!

 

「フシャアアアアアッ!」

 

 だが切り札を破られたらしいペルシアンにも、もう余裕がない。再び高速移動で猛然と迫り、四方八方からカロッサを切り刻む。

 カロッサは再び、防御一辺の姿勢を強いられることになった。頼みの綱だったであろうアクアジェットによる奇襲も通じないとわかった今、あいつにとっても打つ手がない。

 

「ガメエッ!」

 

 するとカロッサは何を思ったか強引に両腕で斬撃を振り払い、またしてもアクアジェットで大きく後退した。当然、高速移動中のペルシアンから逃れる事は適わない。一瞬で追いつかれ、爪の旋風に巻き込まれる。

 だが、私にはその行動の意味がすぐにわかった。

 

「カロッサ、お前……」

 

 攻撃から逃れる為ではない。エンドクォーターラインを越える為――私がいつでも交代できるように退がったのだ。

 ここまで張り通した意地を曲げた。曲げて今、カロッサは私をじっと見つめている。

 まだ、諦めてはいない。それでも、私を信じている。この状況を打ち破る方法を。あの鼻持ちならない連中に一泡吹かせる方法を。

 その為の手段がきっと、他の誰かに頼る事ではなく、他の誰かを守る事でも叶えられる事を。

 

「……十秒だ。十秒、耐えてくれ」

 

 私は瞼を閉じ、目を伏せた。

 信じてくれるのなら、応えなければならない。ましてそれが、我が子にも等しい自分のポケモンのものなら。

 私の頼みにカロッサは深く頷き、少しだけ、笑ってくれた。

 高速移動を繋ぎ、死角から鋭い爪で襲い来る。その動きはまるで暗殺者のようで、下手に防御を崩せば致命傷を負いかねない。防戦一方に追い込まれたカロッサは、その場から動く事もできない。どうにかしてあいつの足を止めないとジリ貧だ。迫る刻限に嫌な緊張感が胃を鷲掴みにして、キリキリと痛む。

 

「足……足か。どうしたら……」

 

 暗殺者――忍者。私はふと、ペルシアンの戦い方に、自分の感覚を当てはめてみた。

 素早い動きで翻弄し、相手の死角に忍び、一撃を見舞う。その時、どうしたらその足は止まってしまう? 地面という広いフィールドがどうなったら、その足を止めてしまうだろう?

 何も、直接攻撃を当てるだけが攻撃じゃない。

 状況が、環境が、瞬間が、全てが武器になる。

 師匠に教えられた言葉が、脳裏を掠める。

 

 ――よく視ろ。よく視る(・・・・)んだ。見えるばかりが全てではない。目先ばかり見るな。見えぬものを(・・・・・・)視るからこそ(・・・・・・)我らは一歩を(・・・・・・)先んじる(・・・・)のだ。

 

 師匠を追い、暗くなった森を駆け抜ける中で、その背中を追う事ばかりに囚われた私が足を掬われた存在。

 そうだ、あの時、私の足を払ったのは――。

 その時、天啓とも言える閃きが私を貫いた。

 

「カロッサ、雨乞いだ!」

 

 どうやらカロッサも私の一言だけで、指示の意味を理解したらしい。縦横無尽に駆け回るペルシアンに対し、命中を期待しない水鉄砲を何度か撃ち込む。案の定、ペルシアンは大きく後退し、距離を取って再度、攻め込む姿勢を取った。

 だが、カロッサにとってはその僅かな隙だけで十分だった。両肩のキャノンから直上に向け、霧状の砲撃を放つ。まもなくそれは室内の限られた空間でむくむくと成長し、発達した暗雲に変わった。そして室内の温度を急激に引き下げながら、猛然と雨を降らせ始める。

 本来ならば雨乞いは特性上、水を受けて活動が活発になる水タイプのポケモンが自身を強化する為の技だ。だが、今回はその効果は二の次で、もう一つの副次的な効果の方が本命だ。

 大雨を受けたフィールドはあっという間にぬかるみ、乾いた地面は沼のような湿地になった。この状況下においての高速移動は足を滑らせ、転倒の恐れが飛躍的に高まる。例え転ばなかったとしても、泥に食い込みやすい肉球を持つペルシアンでは踏ん張りが利かない。どちらにせよ動きは鈍るので、さっきのように撹乱しながら動き回る事は不可能だ。

 そして本来の効果、水タイプの能力向上効果に伴い、カロッサの技は連射が可能となった。

 

「ガメッ!」

 

 短い間隔で、水鉄砲を一気に十連射する。ペルシアンは足場の悪い中で必死に左右へ身を振って回避を試みるが、泥に足を取られ、水たまりに滑らせ、ほぼ全ての弾丸の直撃を受けた。水鉄砲と言うと大した技じゃないように聞こえるけど、こいつのは木をへし折るくらいの威力がある。見た目以上にダメージは大きいだろう。

 加えて、この急激な温度低下もダメージを被る要因になるだろう。雲から雨を降らせるには、空気をかなり冷やす必要がある。普通、空に浮かんでいる雲なら-20℃~-50℃くらいだ。カロッサは霧状の水と共に、冷凍ビームに匹敵する冷気のエネルギーを発射しているので、室内でもこうして雲が形成され、雨が降る。

 さすがに本当の雲の温度までは下がってないだろうが、それでも多分0℃くらいか、ちょっと下回るくらいだろう。無論、屋外なら空気の流れもあるからきっとここまで寒くは感じない。室内という限定されたフィールドが生んだ結果だ。こんな温度の環境でびしょ濡れになり、更に水の打撃を食らったとなれば、ただではすまない。

 ふらついたペルシアンは恨みがましそうに何度か立ち上がろうとしたが、見る間に震えが大きくなり、ついに泥の中へ倒れ伏した。

 

『試合終了――――ッ! これはすごい展開だ! 伊藤くんのカメックスが、まさかの二連勝ッ! 久しく見ていなかったこの熱い展開に、観客もますますヒートアップだ! さぁ、いよいよ運命の最終戦! これまで数々の猛者を屠ってきた暴れ牛……こいつの登場だぁ――ッ!』

 

 ペルシアンが戻され、最後のボールが打ち出されてくる。

 出てきたのは、標準体型の倍はあるだろうかというほど屈強なケンタロスだった。くそ、また厄介な相手が出てきたな。

 こいつの全身を覆う分厚い筋肉は温度の変化に強く、少々寒い程度で活動は鈍らない。そして雨季のぬかるんだ大地を走破する頑丈な蹄と屈強な脚力の前では、この程度の悪路はなんでもない。つまり、もう環境条件が味方になる事はないだろう。

 

「ふーん、いかにもラスボスでございって感じだな。カロッサ、交代は?」

 

 カロッサは何も言わず、振り返りもしないまま、ゆっくりとセンターサークルに戻った。やれやれ、つくづく強情な奴め。

 私は耳障りな司会の声に促される前に、黙って右手を挙げた。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。