彼女は僕の黒歴史 作:中二病万歳
「どうするかな」
自宅であるアパートの一室にて、俺は机の上の一枚の紙とにらめっこをしていた。
1ヶ月前に送られてきた、中学の同窓会の案内状。卒業10周年ということで、3年生の時のクラスメイトで集まろうという話になったらしい。
開催時期は8月のお盆あたり。返信期限はその1ヶ月前……つまり、明後日である。
というわけで、参加か不参加を決めなければならないのだが。
「中学かあ」
生まれも育ちも東京なので、当然通っていた中学校も東京。よって同窓会の開催場所も東京なので、その点に問題はない。
ただ、中学時代といえば俺の中二病の全盛期だったわけで。
その頃の俺を知っている連中と会うのは、ちょっとばかり気が引ける。
確実に変な奴だったと記憶されてるだろうからなあ……ネタにしていじってもらえるならまだいいんだが、なんとなく距離を置かれたりすると半端なく心に傷を負いそうだ。
「でも、滅多にない機会でもあるか」
普段会えない人達と久しぶりに顔を合わせることができるチャンス。
プロデューサーという職業柄、そういった人と人とのつながりは大事にしなければならないという考えが染み付いてしまっている。
現在進行形で中二病アイドルの面倒を見ているんだ。そろそろ過去の黒歴史に少しくらい向き合わなければやっていけないのではなかろうか。
そこまで考えて、ようやく俺は結論を出した。
*
それがちょうどひと月前の出来事。
参加の返事を送った俺は、夕暮れ時に電車に乗って地元の店へと向かっていた。
実家に帰ったのは正月以来だから、この辺に来るのも半年ちょっと振りだ。
「ここか」
開催場所として記されていた和食屋の入口前に立つ。ここらじゃ一番大きな飲食店だから、見つけるのは簡単だった。
かしこまった服装は不要と伝えられていたので、俺もスーツではなく私服を着こんでいる。
「……行くか」
不安もあるが、同じくらい期待もある。
正直、10年経った元クラスメイトの顔をちゃんと認識できる自信はない。が、まあなるようになるだろう。
――そんな俺の楽観的思考は、意外と当たっていたようで。
「いやー。しかし、いつもわけわからんこと言っていたお前が、今じゃこんなにまともになってるなんてな」
「ははは。ま、もう立派な社会人だしな。いつまでも昔のままじゃいられないだろ」
「それもそうか。お前確か先生にも変な話し方使ってたよな。会社の上司にそれやったら一発アウトだわな」
「そうそう」
中二病に侵されていたとはいえ、別に中学時代に友達がいなかったわけではない。
時々奇異の目を向けられることはあったものの、普通に何人かと付き合いはあった。
そういう連中とこうして酒を飲みながら語り合えるのは、俺が予想していた以上に楽しいものだった。
胸にうずまく懐かしさというか、そういう感情が心に熱をもたらしている。
「お前、今なんの仕事してるんだ?」
「芸場事務所で、アイドルのプロデューサーやってる」
「アイドルの!? 女か」
「まあな。女というか、女の子だけど」
「羨ましいねえ。俺なんて毎日汗臭い男どもと工場で作業漬けだ」
「僕は客商売だから、普通に女性客と触れ合う機会も多いな」
そこそこ仲の良かった2人と近況報告を交わしていると、みんないろんな道に進んでるんだな、なんて当たり前の感想が頭に浮かぶ。
生き方は様々あっても、ここにいるメンバーはそれなりに充実した日々を送っているようだった。
「アイドルかー。どうなんだ、プロデューサーとの禁断の関係とかないのか?」
「冗談でもそういうこと言うのはやめてくれ。心臓に悪い」
「そんなことしたら業界から追い出されかねないだろうしな。でも僕らにとって羨ましいことに変わりはないから、お前ちょっと今から一発芸やれ」
「え、なんだその理屈」
「おっ、それいいな。おーいみんな! これから懐かしの中二病ってやつが見られるぞー!」
おおー! と大広間中に沸き立つ歓声。
あっという間に俺がネタを披露する流れができあがってしまった。
「ほらほら、早くしろ」
「……滑ったら会費お前に払わせるからな」
ここで引き下がると場が冷めてしまいそうだ。
恨み節を吐いてから、俺は半分諦めの境地に達した心で立ち上がった。
大きく息を吸いこんで、脳内で蘭子から勇気をわけてもらう。
「闇の炎に抱かれて消えろっ!」
「おおっ、出た!」
「懐かし~」
「よく言ってたよなーあれ。ゲームのセリフだっけか」
どっ、と起きる笑い声。
思ったよりウケたようで、とりあえず一安心。みんな酒がまわっていたというのが大きな要因だろうけど。
「お疲れさん」
「ったく」
目の前の旧友を睨みつけ、悪態をつきながら座ろうとしたその時だった。
「ごめんなさい、遅れちゃって」
広間の入口から響く女性の声。どうやら誰かが遅れてやって来たらしい。
……あれ? でも今の声、やたらと聞き覚えがあったような……
「おい見ろよ。あんな美人うちのクラスにいたか?」
つられて入口に視線を向けた俺は、その光景に絶句することになった。
幹事と何か話をしてからこちらにやって来る彼女は――
「せ、千川さん?」
「千川? 千川って、あの眼鏡かけてた千川のことか」
えっ?
俺の漏らしたつぶやきに反応した旧友の言葉。
眼鏡をかけていた千川? クラスメイト?
待て。ひょっとして俺は、今の今まで重大な事実に気づいていなかったんじゃ。
そうやって頭がこんがらがっているうちに、いつの間にか彼女――うちの事務員であるはずの女性は俺の目の前に立っていて。
「思い出した? 中二病くん」
悪戯が成功した子供のように、楽しそうな顔で笑うのだった。
*
「つまりお前、3年間ずっと千川と同じところに勤めてたのか」
「で、全然気づかなかったと」
記憶を必死に掘り起こして、ようやく思い出した。
俺のクラスには、丸眼鏡をかけた影の薄い女子生徒がいたこと。彼女と一時期隣同士の席になっていたこと。そしてその子の名前が、千川ちひろであったこと。
全部、今さっきまで微塵も脳裏をよぎらなかった事実だった。
「千川の方は知ってたんだよな? こいつが元クラスメイトだって」
「新卒で入社して、最初に自己紹介を聞いた時にピンと来ちゃった。その後それとなく通っていた中学の名前を聞きだして、確信にいたったの」
俺達の席に加わって、ニコニコと酒を口にしている千川さん。いつもの制服ではなく、落ち着いた色の私服姿だった。
俺の記憶の中の彼女は、あまり他人と積極的に話すタイプじゃなかった……と思う。見た目も地味で、本当に目立たない存在だったはず。
「いや、でもこれはわからなくても仕方ないかもしれないな。僕も名前を言われた今でも信じられないほどだ」
「イメージ全然違うよなあ。こんな美人になってるとは思わなかった」
「あら、おだてても何も出ないわよ?」
まさか、盛大にイメチェンしてずっと俺の近くにいたとは。
たっぷり10秒は硬直するほどの衝撃だった。
「というか、知ってたなら教えてくれてもよかったんじゃないか?」
「ごめんなさい。あなたがいつ気づくかなーって試していたのよ」
「それで、待っているうちに3年以上経っていたと」
「そういうこと」
まったくもって鈍感で申し訳ありません。
俺のかつての痛々しい黒歴史を知っていたのも、隣の席でそれを聞かされていたからということか。
彼女に対して抱いていた得体の知れなさが、ここにきて氷解したような気分だ。
「ま、その辺の話も詳しく聞かせてもらうか」
「いい酒の肴になりそうだ」
野次馬根性丸出しの男どもに急かされたりしながらも、俺達は昔の話、今の話に花を咲かせたのだった。
普段千川さんとは敬語で話していたから、タメ口を使うのはなんだか妙な感じだった。
*
「じゃあな。せっかくだし、また近いうちに飲もうぜ」
「全員住んでる場所も近いみたいだしな」
「ああ。またな」
二次会に向かう面子に軽く手を掲げ、俺は彼らと反対方向に歩き出す。
一緒に行きたい気持ちはやまやまなのだが、明日は午前から仕事があるので自重しておいた。
何人かとは連絡先を交換したし、今後会う機会も作れるだろう。
「………」
俺が歩く隣には、同じく駅に向かっている千川さんがいた。
結構ぐいぐい飲んでいたからか、頬がほんのり赤く染まっている。
「今日は、楽しかったですね」
俺が当たり障りのない話題を振ると、彼女はきょとんとした顔でこちらを見つめた。
「あれ。話し方、戻しちゃうの?」
「ああ……いや、ついいつもの癖で。普通に話した方がよかったか」
「そうね。せっかく思い出してもらえたんだし……プライベートでは、元クラスメイトでいましょうか」
そういうことなら、ご希望に沿うことにするか。
敬語を使うのは、やっぱり堅苦しいしな。
「そういえば私、思い出話でひとつ話していなかったことがあったわ」
「なんだ、それ」
「私の初恋の相手って、あなたなのよ」
「………はぇ?」
『明日の天気は雨らしいよ』と同じくらいの気軽さで彼女が口にしたのは、俺に間抜けな相槌を打たせるには十分すぎる事実だった。
「なんていうか、自分自身を全力で余すところなく表現している姿を見てると、ちょっと憧れるなーって。そんなこと思ってた。結局告白する勇気が出なかったんだけどね」
「……マジか」
少し照れくさそうに笑う千川さん。好意を寄せられていたなんて、全然知らなかった。
席が隣だった時はあれこれ会話したような気もするが、そんな素振りを見せていただろうか。
「ちなみに、今はどうなんだ」
「………」
なぜか無言になる彼女。
返答を予測して、思わず俺は喉をごくりと鳴らしてしまう。
ま、まさか……。
「初恋、実はまだ続いているの……なんておいしい話はないわよ?」
「だよなー」
10年経ってるんだ。淡い初恋なんて思い出のひとつにすぎないだろう。
「あら、ちょっと残念そう? もし私にその気があったら、OKしてくれていたの?」
からかうような声で、彼女はこっちの顔を上目遣いで覗きこんでくる。
「……どうだろうな。今は仕事が大事な時期だし、あんまり自分の色恋にかまけている余裕はない気がする」
「仕事が恋人ってこと?」
「そんなところ」
「そう」
くすりと笑って、千川さんは俺から視線を外して正面を向いた。
「私も、今は仕事が恋人かな」
「お互い、しばらく浮ついた話とは無縁そうだな」
「独り身でも、寂しくなければいいんじゃないかしら」
2人とも、とりあえず恋愛は二の次らしい。
もちろん、そのうち恋人……ひいては妻になってくれる人は欲しいと思う。
でも今は、あの子達のことをじっくり見ていきたい。
負け惜しみでもなんでもない、偽らざる気持ちがそれだった。
*
後日。
仕事中はプロデューサーと事務員としてのやり取りをしていたつもりだったのだが、子供の感性は鋭いらしく、
「最近2人の距離が縮まったような気がするけど、何かあったのかい?」
なんてアスカに聞かれてしまった。
積極的に話す理由はないので黙っていたのだが、聞かれて答えない理由も別にない。
というわけで先日の同窓会の件を説明すると、アスカはなぜだか意地の悪い笑みを浮かべて。
「ちひろさん。覚えている範囲でいいから、プロデューサーの昔話、聞かせてもらえないかな」
「いいわよ。まずは……そうね。私とプロデューサーさんが飼育委員だった時、ウサギ小屋でウサギに向かってぼそぼそ語りかけていたんだけど、その内容が」
「わーっ! やめて、やめてくださいそれ以上は駄目です絶対!」
いや、本当に頼みます。
まだ、そこを乗り越えられるほど強くなっていないんです。
以上、1話でちひろがプロデューサーの二つ名を知っていた理由でした。「中二病くん」というのは中学時代の彼のあだ名のひとつです。
同窓会ってなんだか不思議な気分になりますよね。