彼女は僕の黒歴史 作:中二病万歳
11月。
秋の季節も深まり、徐々に冬の寒さが顔を出し始めるころ。
春からずっと欠席なしだったアスカが、体調不良でレッスンを休んだ。
「悪いね。わざわざ見舞いに来てもらって」
「これもプロデューサーとして当然の役目だよ」
夕方に会社を出た俺は、その足で346のアイドルが住む女子寮を訪れ、彼女の様子を見に来ていた。
もちろん迷惑にならないよう、事前にメールでうかがいは立てている。
アスカはベッドで寝ていて、俺は彼女の学習机の椅子に座らせてもらっていた。
「調子はどうだ。熱、まだ高いのか。せきは、くしゃみは?」
「そうがっつかなくても大丈夫さ。ただの風邪だし、薬を飲んでゆっくり休んだから熱もおおむね下がっている」
「そ、そうか。よかった」
どうやら一度にたくさんのことを聞きすぎたらしい。見舞いに来た側が病人に諭されるとは、ちょっと恥ずかしい。
「心配すぎだよ、キミは。昼寝から起きて携帯を確認したら同一人物からメールが7件。一瞬故障かスパムを疑ったくらいだ」
「ごめんな。アスカが体調崩すのってこれが初めてだし、寒くなってくる時期だから余計に気になっちゃって」
加えて彼女は、アイドル活動と受験勉強の両方に打ちこんでいる最中だ。疲れで風邪をこじらせてしまってはいないかと不安だった。
その心配はとりあえず杞憂だったようで、ベッドの上の彼女の顔色は悪くない。
……ただ、少し無理をさせてしまっていたのも確かかもしれない。
「俺の管理不足かな。君にかかる負担を甘く見ていたのか」
「何を言っているんだ。普通に暮らしていても風邪のひとつやふたつはひくものだろう。それともプロデューサーは、ボクが風邪をひかない馬鹿だとでも思っているのかい?」
「そういうわけじゃないが……本当に大丈夫なんだな」
「あぁ。辛くなったらすぐに言うから」
アスカの真っ直ぐな瞳を見て、俺はその言葉を信じることにした。
そうと決めたら、もう少し明るい話題を提供することにしよう。病は気からとも言うし、暗い話よりは楽しい話の方がいいに違いない。
「パジャマ、可愛いな」
「……そうかな。ただの水玉模様じゃないか」
「水玉模様でも可愛いものは可愛いだろう。アスカによく似合っている」
「センスを褒められたと受け取っておくよ」
黒をメインに白の水玉が描かれたパジャマ。シンプルではあるが、やはりいいものだ。
「あと、あれだ。エクステつけてないと、やっぱり印象変わるな」
「基本的にキミと会う時はいつもつけていたからね」
短髪になると、それはそれでまた違った良さが見えてくる。今はベッドに寝ているけど、この状態で踊ればいつもより活発そうなイメージを作り出せると思う。
この子にはまだまだ隠された可能性がある――そう考え、年甲斐もなくわくわくしている自分に気づく。
「今日、蘭子はどうだった?」
「アスカがいなくて寂しがってたけど、ちゃんとひとりでやるべきことをやっていたよ。地元から来た友達と会う約束があるって言っていたから、今は街に出ているんじゃないかな」
「そうか。一応メールはもらっていたんだが、キミの口から客観的な意見が欲しかったんだ。ありがとう」
ほっと安堵の息をつくアスカ。
俺がアスカを心配していたように、彼女は蘭子を心配していたのだろう。本当に、この2人は仲が良い。
「喉渇いたりしていないか?」
「……少し。冷蔵庫に麦茶があるから、取ってきてもらえるかい。グラスは食器棚にあるのを適当に使ってくれてかまわない」
「お安い御用だ」
椅子から立ち上がり、台所へ。
タッパーに入っていた麦茶をグラスに注ぎ、再びアスカのもとへ戻ってきた。
「はい、どうぞ」
「ありがとう」
グラスを受け取り、彼女はゆっくり麦茶を喉に流しこんでいく。
「お茶、ちゃんと自分で沸かしてるんだな」
女子寮に住むひとり暮らしのアイドル達のうち、結構な割合が飲み物をペットボトルに頼ったりしている。忙しい生活を送っているだろうし、そういう形になる人が多いのは俺も納得できることだ。
「実家で飲んでいた麦茶に慣れ過ぎたみたいでね。同じ茶葉を使ったものを飲みたくなってしまうんだ」
「こだわりってやつか」
「そんなところかな。頭の硬さは時として自縛となりうるけど、この程度なら問題ないだろう」
くすりと笑って、アスカはグラスに残っていた麦茶を飲み干した。
「洗っておこうか」
「いや、ここに置いておけばいい。あとで自分で洗うから」
「こういう時くらい、わがまま言ったっていいんだぞ?」
普段は言われた通りにレッスンや仕事をこなしているし、蘭子とスタッフのコミュニケーションがうまくいかない時には俺が出る前にフォローも入れている。代わりにアスカは蘭子から元気をもらっているらしいが……とにかく、2人とも基本的にいい子なのだ。
だから、具合が悪い時くらいは、俺の手を少々煩わせてくれたって全然いいんだけどな。
「面倒をかけられた方がうれしいのかい? だとしたら、キミは将来いい妻になりそうだ」
「妻って……せめて専業主夫にしてくれ。自分が女装した姿を想像すると気持ち悪くなる」
「ボクは実物を見たら笑いが止まらないだろうね」
俺だって男だから、女性と比べればガタイはかなりある。女の格好なんて忘年会の出し物でくらいしかしたくない。
「まあ、それはそうとしてだけど。そこまで言うのなら、ひとつお願いがないわけでもない」
「なんだ? できる範囲でならちゃんと聞くぞ」
俺が若干食い気味に返事をすると、アスカは次の言葉を口にしようとして……どうしてか視線を逸らした。
何か言いにくいことなのだろうかと思っていると、彼女は大きく息をついてから今度こそお願い事を提示した。
「頭を、撫でてほしい」
「……撫でる?」
「たまに言われるだろう。年上の男に頭を撫でられると心が落ち着く、と。あれがボクにも適用されるかどうかを確かめたいんだ。父親に撫でられたのはもうずいぶん前で、記憶が曖昧だからね」
ちょっと早口で理由をまくし立てている様子を見る限り、おそらく恥ずかしがっているのだろう。
でも好奇心がそそられるのも確かだから、思い切って頼んでみた、といったところか。
「俺はいいけど、アスカは男に髪を触られて平気なのか」
「見ず知らずの男ならまだしも、プロデューサーならかまわないさ」
「そうやってはっきり言ってもらえるのは光栄だな」
ある程度は信頼されている証拠だ。半年間で築いてきた絆は確かに存在する。
「じゃあ、早速撫でるぞ」
「……お願いするよ」
上半身を起こし、つい、と顔を近づけてくるアスカ。もう少し頭の位置を上げたらキスをねだっているみたいだ、なんて不謹慎極まりない考えが脳裏をよぎる。
「では」
割れ物を扱うような慎重さで、右手の平を彼女の後頭部に当てる。
そしてそこを中心に、優しく頭を撫でてみた。
「……髪、いい手触りだな」
「冗談だろう? 朝から眠りっぱなしだから汗をかいているはずだ」
「そこはちゃんと考慮してる。本来はきっとサラサラの髪なんだろうな」
「……褒めてもらえるのは、ありがたいかな」
そのまま1分ほど無言の時間が流れる。ゆっくり動かしていた右手を止めて、俺は感想を尋ねてみた。
「どうだ」
「……どうだろう。確かに、心が落ち着くような気がする。でもそれだけじゃない。何かざわつくというか」
「ざわつく?」
「すまない。ボクの頭では、うまく言葉に変換できない感覚だ」
「そうか」
感情を言語化するのは難しいってよく言われるし、アスカがうーんとうなっているのも当然なのかもしれない。
「そういえば、凛にも同じことをしたんだっけなあ」
「凛さんに?」
「そう。今のアスカみたいに、あいつが熱出して寝こんだ時があってさ」
あの時は確か、熱が38度以上出てたから相当しんどそうにしていたと記憶している。
「彼女がキミに頭を撫でてほしいと?」
「いや、あの時は多分俺が勝手に撫でたんだった。辛そうにしてたから、何かできないかなと思ってさ」
結果、そこそこうれしそうにしていたので効果はあったんだと思う。
「それは、少し妬ける話だね」
「えっ、妬ける?」
「冗談だよ」
フッと笑ったアスカは、右手を伸ばして俺の髪に触れてきた。
さわさわと頭頂部で指が動いて、なんだかくすぐったい。
「プロデューサーの髪、太いね」
「ああ。きっと強くたくましい髪だからハゲにくいはずだ」
「髪の太さはあまり関係ないと思うけど……ん、ここだけやけに密度が薄いような」
「え、どこだマジか!?」
「嘘」
「心臓に悪い!」
本気で肝を冷やすからその手の冗談はやめてほしい。最近はだんだん若ハゲが増えてきてるらしいし、この前の中学の同窓会でも50代みたいなピッカリ頭になってた奴いたし。
正直生活リズムについては褒められたものではないから、その辺は結構心配しているのだ。
「くすっ。いや、すまない。ちょっとしたおふざけのつもりだったんだが、そこまで深刻な表情を見せられるとは……ふふっ」
俺のリアクションがツボに入ったのか、口に手を当てて笑いをこらえきれない様子のアスカ。
「笑うなよ。俺ももう20歳より30歳の方が近いんだ。おっさんは髪の話に関してはデリケートなんだぞ?」
「あぁ、
蘭子はもともとそういう冗談で楽しむタイプには見えないんだが……まあいいか。
「っと、もうこんな時間か」
時計を確認するとここに来てから1時間経っていたので、そろそろおいとますることにしよう。
「帰るのかい」
「いつまでも俺がいると眠れないだろう? ちゃんと休んで、早く元気になってほしいからな」
「明日には全快しているはずさ」
「どちらにせよ、明日のレッスンは休みにしておく。油断して熱がぶり返すと大変だ」
その他2,3個細かい連絡事項を伝えてから、俺は立ち上がってドアの前に立った。
「じゃあ、お大事に」
「キミも、あまり睡眠時間を削りすぎないようにね」
「忠告ありがとう。おやすみ」
「あぁ、おやすみ」
お互いに軽く手を振って、別れの挨拶を交わす。
部屋を出た俺は、女子寮の廊下を歩きながら明日のスケジュールを頭に思い浮かべていた。
明日は日曜。朝から蘭子の単独での仕事が入っている。
今まで2人セットでの活動が多かったから、彼女も不安を抱えているだろう。
プロデューサーとして、きちんとフォローしなければ。
飛鳥さんは時々わかりづらい。そんなお話でした。
次回はきっと蘭子回。飛鳥不在時のお仕事の話になると思います。