彼女は僕の黒歴史 作:中二病万歳
10月某日。
東京代々木に存在する大きなコンサートホールを前にして、俺達はしばし立ち止まってその外観を眺めていた。
「本当に、ここでボク達が歌うんだね」
「全身を稲妻の如く駆け巡る呪縛よ……(き、緊張してきちゃった)」
迎えた合同ライブ当日の朝。
どこか上の空な様子のアスカと、明らかに肩に力が入りすぎている蘭子。
反応に違いこそあれ、今の状況に特別な感情を抱いている点は同じだ。
「まずは控え室に行って共演者とのあいさつだ。気負いすぎないようにな」
「共演……あぁ、そうか」
「どうかしたのか?」
「……いや、なんでもない」
ちらりと蘭子に目配せした後、アスカは首を横に振る。何かに気づいた様子だったが……あとで確認してみるか。いつまでもここで立ちっぱなしというわけにもいかない。
「よし、行くぞ。中は広いからはぐれないようにな」
一応注意しておいてからホールの中へ。
2人がちゃんとついて来ていることをこまめに確認しつつ、ライブの出演者が集まる控え室の前までたどり着いた。
ノックをしようとしたところで、ドアが内側から開かれる。
「あ、プロデューサー。おはよう」
「おはよう、凛」
中から出てきたのは、ゆったりとした私服に身を包んだ凛だった。本番までまだ時間があるので、さすがにまだ着替えてはいない。
「アスカと蘭子も、おはよう」
「おはようございます」
「わ、煩わしい太陽ねっ(おはようございますっ)」
「2人とも、今日はよろしくね」
あいさつを交わした後、何か用事があるらしい彼女は通路へ出ていった。
改めて部屋の中の様子をうかがうと、人の姿が見当たらない。どうやら他の共演者はまだ来ていないようだ。
「ちょっと早く着いちゃったな。俺達が2番乗りだ」
とりあえず2人を適当に座らせて、みんなが来るのを待つことにしよう。
*
「二宮飛鳥です。よろしくお願いします」
「か、神崎蘭子……よろしくお願いしましゅっ、あ、お願いします!」
ちょっと怪しかったが、きちんと先輩アイドル達にあいさつをすることもできた。
その後は、いよいよ本番に向けての準備が流れ作業のように進んでいく。ステージの全容をチェックしたり、プログラムの段取りをスタッフと確認したり。
これまでのミニライブとは規模が違うため、覚えなければならないことも当然多い。
俺や他のアイドル達のアドバイスを受けながら、アスカと蘭子はなんとかそれらをこなしていった。表情は硬かったが、初ライブの時ほどではない。
そしてついに、ステージ衣装へと着替える時間がやって来た。
「ふう」
2人が着替えとメイクを終えるまで、俺は部屋の前で待機中。
別にここで待たなければならない理由はないのだが、できるだけ長い間彼女達についていてあげたかったので、この場でぼーっと立ち尽くしている。
「やあ、待たせたね」
しばらく待った後、最初に出てきたのはアスカだった。
あのデパート屋上での初ライブの時とは違う衣装だが、黒をメインとしたデザインなのは共通している。今回は白のベルトを多めに使い、拘束具がついているかのようなイメージを与えるものに仕上がっていた。
「よく似合っているよ。蘭子は?」
「もう少しかかりそうだから、ボクだけ先に顔を見せに来た」
「そうか」
いい機会かもしれない。ホールに入る前に見せていた妙な態度について聞いておこうか。
「アスカ。朝のことなんだが」
「あぁ。ボクもそれを話そうと思っていたんだ。蘭子の横で言って、いたずらに緊張を煽るのはよくないから」
ということは、あの時何かをためらっていたのはそばに彼女がいたからか。
今の言い方からして、あまり都合のいい話ではないらしい。
「プロデューサー。ボクは今緊張している」
目を伏せつつアスカが語り始めたのは、今の自身の心の内。
俺にだけ打ち明けてくれた、隠された感情の中身だった。
「CDデビューの時のそれとは、どうやら性質が異なるらしい」
「緊張の原因が違うってことか」
「その通りだ。初ライブの時は、単純に自らの歌と踊りが受け入れられるのか、それだけが不安要素だった。己のことしか考えていなかったんだ」
普段何かと悟ったような物言いをしている彼女だが、根っこの部分では普通の女の子なのだ。俺はそれを知っている。
「今は違う。何度かライブをこなしたことで、周囲を見渡す余裕ができた。いや、できてしまったというべきか」
「余裕ができて、どうなったんだ」
「面倒を見てくれたプロデューサー。レッスンをつけてくれたトレーナー。ライブの設備を整えてくれたスタッフ。ともにステージに立つ共演者。そしてライブに足を運んでくれる観客。ボクが失敗すれば、多くの人々に迷惑がかかる。視野の狭いボクは、今日になって初めてそれを強く認識した。今までも、言葉の上では
肩をすくめてため息をつくアスカだが、俺にはその態度が若干無理をしてるように見えた。いつも通りの自分を演じることで、重圧から逃れようとするような、そんな感じだ。
「そっか……そうかそうか」
「……プロデューサー?」
アスカが俺に訝しげな視線を向ける。それもそのはずで、俺は彼女の悩みを聞いてちょっとうれしそうな声を出していたのである。
おかしい反応なのは自分でもわかっている。本番直前に担当アイドルが未知の緊張を訴えてきているのだ。事実、俺もその点に関しては心配している面もある。
だが、それと同時に喜ぶべきことがあった。
「アスカ。君は今、アイドルとしてまたひとつ成長したんだ。その緊張は、裏を返せば」
「――責任感の芽生えだからね。アスカ」
突如背後から響いた声が、俺の言おうとしたことをきれいにかっさらっていった。
この声は、間違えようもない。
「凛さん……」
「聞いてたのか?」
「ごめん、わざとじゃないんだけど」
どうやら偶然通りがかって話が聞こえたらしい。凛もアスカと同じく、すでにステージ用の衣装に着替えていた。こっちはドレス風だ。
「心から責任を感じられる人間は、それだけ駆けあがっていくことができる。プレッシャーがアイドルを強くする……らしいよ?」
一瞬俺をちらっと見てから、彼女はアスカの肩にぽん、と手を置いた。
完全に役割をとられてしまっているが、まあ誰が言うかは問題じゃないからいい。
「でも、最初の頃はなかなか重圧がきついから、そのぶんは私達が受け持つよ」
「凛さん達が?」
「ちょっとくらい失敗したって、すぐに私達が盛り返してあげる。だからアスカ達は、気兼ねなくやれることをやればいい。そう思えば、多少は楽でしょ」
そう言って、凛は優しく笑いかける。
昔はぶっきらぼうな一面が目立っていたのだが、アイドルを続けるうちにああいう笑顔が自然に出るようになったのは感慨深い。
そんな笑顔につられてか、アスカの暗い顔にも変化が訪れた。
「……それじゃあ、先輩に尻拭いしてもらうつもりで頑張ります」
「いや、まずは成功させることを考えようよ」
「フフ、その通りですね」
いつもの彼女に独特な調子が戻ってきた。
凛にはお礼を言っておかないとな。それと、あとで蘭子にも彼女のありがたい言葉を伝えてあげよう。
*
プログラム上では、ダークイルミネイトの出番は7組中3番目となっている。
1番目と2番目が観客の空気を暖めてくれたところで、ルーキーの彼女達を登場させる作戦だ。
今ちょうどトップバッターの川島さんの曲が終わり、いよいよ舞台裏でスタンバイという段階までやって来た。
「いいか、2人とも。練習でやったことをそのまま出せばいい。俺から言えるのはそれだけだ」
「わかっているさ」
「魔力が昂ぶるわ! (頑張ります!)」
最後の最後で、いい感じに硬さが抜けてきた。彼女達の精神の強さを再認識する。
アスカも蘭子も、限られた時間の中で全力を尽くした。特に蘭子は今回、死にもの狂いで振りつけを簡略化することなくマスターしたのだ。その努力を見てきた者としては、報われてほしいと思うし、きっと報われるはずだと信じている。
「我が友よ、聖戦の前に誓いの儀を行おうぞ(本番前に気合い入れよー)」
「うん? 名乗り口上でもあげるのかい」
こくこくと勢いよくうなずく蘭子。彼女の期待をこめた視線が、アスカと俺に向けられる。
「え、俺も?」
「無論」
「キミもユニットの一員だろう。さあ」
名乗り口上とは、おそらく1週間ほど前に蘭子がノートに綴っていた文章のことを指しているのだろう。正直うろ覚えなのだが、最悪アドリブでかっこいいこと言えば大丈夫だろう。
3人で輪を作り、中心を向いてそれぞれが順番に口を開く。
「常夜の闇を統べる者!」
まず蘭子。
「あまねく世界に混沌を」
次にアスカ。
「すべて等しくひざまずけ」
最後に俺。多分セリフは合ってるはず。
そして、締めは3人揃って一声。
『我ら、
瞳を輝かせてテンションMAXの蘭子と、それを見て微笑を浮かべるアスカ。
英気100パーセント。出撃準備万端だ。
「二宮さん、神崎さん! お願いします!」
スタッフの声に応じて2人が駆け出すのを、俺は温かい目で見守っていた。
……ついでに、周囲のスタッフやアイドル達も今のやり取りをあたたかーい目で見守っていた。なんとも気恥ずかしい。
*
満員の観客のうち、ダークイルミネイトのファンである人間は決して多くないはずだ。
ほとんどが、渋谷凛をはじめとした他のアイドル達を観るためにこの場にやって来た。
それでも彼女達2人は、初めて経験する大舞台で堂々と己を表現してみせた。
その結果、見事に観客からの惜しみない拍手を勝ち取ったのだ。
これほどうれしいことはない。きっと今日の活躍で、ダークイルミネイトを応援しようという層は間違いなく増える。それも少ない数ではない。
「2人とも、本当によかったぞ! 正直俺は感動――おっと」
「つ、疲れた~……」
舞台袖に引っこんできた2人を出迎えようとしたら、緊張の糸が切れたらしい蘭子がその場にへなへなと倒れこみそうになってしまった。衣装が乱れないよう、とっさに彼女の軽くて柔らかい身体を受け止める。
「ボクもさすがにくらくらしたよ。暗いホールに漂う無数のペンライトが……ペンライトが、ええと」
「無理して詩的に表現しようとしなくていい。すごかったんだろ」
「……あぁ。すごかった。それ以外の言葉は必要ない」
よく見ると、アスカの両脚も蘭子と同じく小刻みに震えていた。それだけの緊張と興奮に見舞われたということだろう。
疲労困憊だが、同時に表情は晴れやかだった。
「でも、まだ終わりじゃないぞ。もう少ししたらミニトークがあるから、今度は先輩達と一緒にステージだ。段取り、頭から抜け落ちていないか」
「正直自信がないよ。すぐに確認しておこう」
「早急に魔力の充填を……(覚えなおさなきゃ)」
俺の言葉で再度気を引き締めた2人が、控え室に向けて歩き出そうとしたその時。
壁越しに聞こえる観客の声援が、今日一番の大音量になっていた。
「始まったみたいだな」
ダークイルミネイトの次に歌うのは凛だったはずだ。
さすがと言うべきだなあ、この地響きは。
「………」
動かそうとしていた足を止め、アスカも蘭子もじっとステージがある方向を見つめている。
「やれやれ。ボク達2人が必死に作り上げた結果を、こうもあっさり超えてくるとは……これがトップアイドルというヤツか」
言葉の内容に若干不穏なものを感じたが、一瞬抱いた不安は杞憂だったようだ。
2人の瞳には、しっかりと力強さがこもっていた。
「あれが、いつかボクらがたどり着くべき場所か」
「偶像世界の頂点……(トップアイドル……)」
「ああ、そうだ。壁は高いぞ?」
「承知の上さ。行けるところまで行く。キミもそうだろう、蘭子」
「当然!」
アイドル活動を初めて半年。デビューしてから3ヶ月弱。
ある程度経験を積み、アイドルの世界を知ったことで、彼女達はより明確にトップアイドルとの壁を感じているはずだ。
それでも前を向けるのなら、きっと――
飛鳥と蘭子が挑むトップアイドルという壁。その壁代表がしぶりんです。ちなみに彼女のバストは15歳時点で80です。壁ではないですね。
今回でまた大筋の話としては一区切りです。とはいえ、この作品のストーリーラインってそこまで重要なものでもないのですが。一応初めから終わりまでの一本道は決めていますけど、基本は日常メインなので。
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