もし青銅が黄金だったら   作:377

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第七話 白羊宮の守護者

 燦々と降り注ぐ太陽の光がギリシャの町並みを照らしている。

 観光地としても名高いこの地には、かつて隆盛を誇った古の時代の空気が、わずかに残る当時の建造物と共にそこはかとなく漂っている。

 そして、そこに住む人々は現代でも神話に語られる世界を創造した神々への畏敬の念を忘れてはいない。

 そして、そんなギリシャの中でも特に異質な地が存在する。

 なんでもそこでは、かつてこの地で広く信仰されていた戦女神アテナが今に至るまで神話の時代の建造物ごと伝えられているという。

 古き神話の名残を色濃く残すのはここ聖域(サンクチュアリ)。

 しかし地元ギリシャに住んでいる人々でさえも、その存在を半ば疑問視している幻の闘士――――聖闘士。

 天空に輝く星座に己の宿命を託し、奇跡の業をもってアテナを守り悪を打ち倒すとされる希望の戦士。

 その聖闘士達の全てを統括するのが、聖域の教皇なのだ。

 教皇とは全ての聖闘士を司るだけではなく、アテナ不在の折には自らの采配で独自に聖闘士を動かす権限を持つ。

 その力をもってすれば世界を掌握することが出来るほどの絶大な権力を持つが故に、代々教皇の座は先代の教皇が十二人の黄金聖闘士の中から最も仁・智・勇に優れた者を選び授けるのだ。

 そんな伝説が伝えられるこの聖域に、今、六名の男女が降り立った。

 

 

 

 

 

 

 

 「とうとう着きましたね。あれが、全ての聖闘士達の総本山……聖域」

 

 「それにしても、あの教皇がねぇ……俺は聖域で修業していたけど、悪人には見えなかったな」

 

 山を切り崩して造られたような建物の群れが広がっている。

 その中心地である聖域に、アテナとその一行は進んでいった。

 

 「そういえば、星矢はギリシャに送られたんだったね」

 

 「なるほど……ならば、ここはお前の地元といったところか」

 

 進んでいくのは先頭に黄金聖闘士のアイオロス、その後ろにアテナと四人の青銅聖闘士達、即ち星矢、瞬、紫龍、氷河が並ぶ、計六名の集団だった。

 

 星矢達は先の襲撃後数日で病院を退院し、真実を知ってそれなりに打ち解けたアテナの護衛として、教皇と会いに聖域へ向かうアテナを守るためやって来たのだ。

 日本からは、グラード財団の自家用飛行機でギリシャまで飛んでいき、空港からは歩きで聖域に向かっている。

 六人の先頭に立って進むアイオロスは、彼らの会話に加わることなく真剣な表情で前を見据え、その足取りは迷うことなく進んでいく。

 星矢達とは違い、彼はアテナが教皇の元に向かうのはそう容易なことだとは考えていない。

 何故なら彼はこのメンバーの中で最も聖域について良く知っている。

 教皇の間に辿り着くために、越えなければならないものの大きさも。

 間違いなくこの先で出会うことになるであろう、かつての仲間。

 アイオロスは自分が聖域の者達にとって、アテナをさらおうとした最悪の逆賊だと思われていることは十分に承知している。

 直接アテナやアイオロスと会った者達には、少なからずそれが真実ではないということが伝わってくれたが、やはり大多数の者は彼を敵と見なして襲いかかってくるだろう。

 特に、彼と同格の黄金聖闘士達がどう出てくるか、それによって自身とアテナ達のこの先の命運が決まる。

 

 もしもの時には、全ての黄金聖闘士を敵に回してでも闘い抜く。

 それほどの覚悟でアイオロスは聖域の最奥部、アテナ神像のすぐ前にある教皇の間へと階段状に続く十二宮が徐々に近づいてくるのを黙って見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 やがて、六人は教皇の元へと続いている十二宮の先頭、白羊宮に辿り着いた。

 十二宮の各宮の守護者を知っているのは、この中ではアイオロスただ一人。

 そのため、まずは星矢達とアテナを残して一人で白羊宮へと近づいていった。

 宮の中から伝わってくる守護者の小宇宙は、彼がかつてここに居た頃に感じていたものとは比べ物にならない。

 思えば、彼もまた十三年前の事件に関係のある者だ。

 そんなことを思っていたアイオロスに、頭上から声が降ってきた。

 

 「お久しぶりですね、アイオロス」

 

 「ああ。十三年振りだな……牡羊座(アリエス)のムウ!」

 

 アリエスの黄金聖衣を纏って白羊宮から出てきたのは、特徴的な眉にゆったりと長い紫髪。

 以前星矢達の聖衣を修復した、ジャミールのムウであった。

 

 ムウは基本的に聖衣の修復師として知られているが、その正体は十二宮の先頭に位置する白羊宮の守護者、アリエスの黄金聖闘士である。

 彼は普段はジャミールに住んでいて聖域には常駐しておらず、聖衣の修復以外の目的で彼に会いにいく者は少ないため、必然的にその正体を知る者もそう多くはない。

 実際、彼が牡羊座の黄金聖衣を受け継いでからはほとんど白羊宮は守護者不在の状況である。

 そんなムウが今になって、わざわざジャミールから出向いてきたことは一体何を意味するのか。

 アイオロスは慎重にムウとの間合いを取った。

 

 「そう構えないで下さい。私はあなた達と闘うつもりはありませんよ」

 

 相手の意図を察したのか、ムウは穏やかな笑みを浮かべて己に戦闘の意思が無いことを伝える。

 その表情と言葉には多少の戸惑いを隠せなかったものの、遂にアイオロスは意を決してムウに近付いていった。

 

 「私達はこれからアテナを連れて教皇の元へと向かうつもりだ。もしお前に闘う気が無いというのなら、何も言わずにこの白羊宮を通してくれないか?」

 

 闘いは避けられるものであれば、なるべく避けておきたい。

 この先に待ち受ける黄金聖闘士達全員と闘い、その守護宮を突破していくなど、いくらこちらにアテナがいるとはいえ無謀に過ぎる。

 いきなりそれを選択するほどアイオロスは愚かではない。

 だが恐らく、アテナではなく教皇に忠誠を誓う聖闘士もいるだろう。

 そんな者達との戦闘は避けては通れない。

 ならば、そうではない黄金聖闘士との闘いで力を消耗したくはないというのが正直なところだ。

 しかし、沈黙の中でムウの返答を待つアイオロスの耳に、後ろにいる星矢達の慌てたような声が聞こえてきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アテナと星矢達は、アイオロスがまずは自分一人で白羊宮に向かうと言ったので、その手前の十二宮の入口付近で彼が戻ってくるのを待っていた。

 アテナも、黄金聖闘士も一緒に行動してくれているということが、聖域に対する多少の楽観を星矢達に与えたことは否めないだろう。

 結果的に、それが取り返しのつかない事態へと繋がってしまったのだ。

 その者は十二宮の方を見つめる星矢達とは反対側の、町の方からやって来た。

 全身を長いローブで覆い隠し、静かにアテナの元へ近づいていく。

 最初にそれに気付いたアテナが、近づいて来るその人影の方を向いた。

 星矢達もつられてそちらの方向を向く。

 その人物は既にアテナの近くまで迫っていた。

 

 「ようこそ聖域にお越しくださいました。私は教皇の使いとして、あなた様を迎えに参った者でございます」

 

 どことなく慇懃な態度でアテナに話しかけてきた男は、アテナの周りに青銅聖闘士しかいないのを目の端で確認すると、いきなりローブを脱ぎ捨てて襲いかかってきた。

 

 「俺は矢座(サジッタ)のトレミー! 教皇様の命により死んでもらおう! ゆけ! ファントムアロー!!」

 

 その正体は白銀聖闘士。

 トレミーが放つ拳の一つ一つが、鋭い矢となって星矢達に襲いかかる。

 だが不思議なことに、命中したかと思えばその矢は星矢達の身体をすり抜けていく。

 

 「な……なんだこの矢は! 幻覚か!?」

 

 幻の矢が身体を通り過ぎていくだけで、何のダメージも与えてこないことがかえって星矢達の不安を煽る。

 しかし、その攻撃の真の意味を知ったのは、後ろに守っていたはずのアテナの呻き声が聞こえてきた時だった。

 

 「さ……沙織さーん!」

 

 一番近くにいた瞬がそれに気付いた時には、もう既にトレミーの攻撃は完了していた。

 アテナの左胸に小さな黄金の矢が突き刺さっていたのだ。

 その後すぐに駆けつけたアイオロスがその矢を抜こうと手をかけるが、トレミーは笑いながら言った。

 

 「ハッハッハ! 残念だったなアイオロス。その矢は俺の矢座の聖衣に装備されているもの! 全ての聖衣を従える教皇様の御力でしかその矢は抜けんのだ!」

 

 「何だと!?」

 

 すぐにアイオロスは矢を抜こうと掴んでいた手を放してトレミーを睨み付けた。

 次の瞬間聖域のほぼ中心に立つ、十二宮を模した火時計に突如火が灯った。

 

 「そして、その矢はあの火時計の火が消えるまでの約十二時間で完全に心臓を貫くのだ。それまでに矢を抜かなければその女の命は無……!!……グハァッ!」

 

 結局その台詞を最後まで言い切ることはなかった。

 アイオロスが怒りを込めて放った光速の拳によって腹部を貫かれたトレミーは、自分の身体に何が起こったのかも気付かず崩れ落ちた。

 

 アテナは、矢が胸に刺さったまま意識を失い倒れている。

 まだ矢はそれほど深くまでは刺さっていないようだが、トレミーの言葉を信じるなら急いでこの矢を抜かなければ命に関わる。

 そして、その力を持つのは聖域で唯一人、教皇だけだという。

 しかし命の危険があるアテナを連れては十二宮の先の教皇の所まではとても行けない。

 ならば、教皇をここへ連れて来るしか方法は無いが、ここにアテナを一人残して先に進む訳にもいかない。

 

 「クッ……一体どうすれば……」

 

 すぐそばに居ながらアテナを守れなかったという事実。

 それが星矢達、そしてアイオロスにも重くのしかかる。

 だが後悔している暇は無い。

 既にアテナの命の残り時間は刻一刻と無くなり始めている。

 アイオロスは決断した。

 

 星矢達にアテナを任せると。

 

 「星矢……お前達はこの場に留まりアテナを守れ。私は今から十二宮を突破して教皇をここへ連れてくる」

 

 「アイオロス、俺達も一緒に行くぜ!」

 

 「それは駄目だ。お前達まで付いてくればアテナを守る者が居なくなる。まだアテナを狙う者がいないとも限らん。それに、宮を守るのは黄金聖闘士だ……お前達では闘えん」

 

 「で……でも、一人で行くなんて……」

 

 星矢達は白銀聖闘士との闘いで、アイオロスの力を垣間見ている。

 しかし、この先に待ち構えるのは彼と同格の者達なのだ。

 しかも、トレミーの態度から考えればその多くは敵に回るだろう。

 たった一人でゆくというのは無茶だとしか思えなかった。

 だがその時、それまで傍観していたムウが口を開いた。

 

 「アイオロス……私もあなたと共に行きましょう」

 

 星矢達は一斉にムウの方へと振り返った。

 牡羊座の聖闘士が彼らも知っているムウだということにまず驚き、そして、彼の言葉に再び驚いた。

 

 「ジャミールのムウ! あんたが白羊宮の黄金聖闘士なのか……」

 

 「しかし……どうしてあなたはまた俺達に協力してくれるのだ?」

 

 紫龍はムウが最後に言っていたことを覚えている。

 

 あなた達を助けるのはこれで最後、確かに彼はそう言った。

 なのに、今度もまた力を貸してくれるという。

 そんな心の声を感じ取ったかのように、ムウは星矢達の方を向いて答えた。

 

 「先程も言いましたが、私は元々あなた達と闘うつもりはありませんでした。それに、私が星矢達と別れて日本を離れようとした時に、懐かしい小宇宙を感じましてね。その時気付いたのですよ。アイオロス、あなたがアテナと共に居るということが。私は十三年前の事件の真相も薄々分かっています。恐らく……今の教皇の正体も」

 

 「教皇の正体?」

 

 「そうだ、星矢。聖域の教皇はかつての前聖戦の生き残りにして、そこにいるムウの師匠のシオンという方だった」

 

 「ええ。そして……シオンは十三年前に姿を消したのです」

 

 「十三年前って、それじゃあ……」

 

 「恐らく……アテナを殺害しようとした者の手によって、もうこの世にはいないでしょう」

 

 ムウがこれほどまでに悲痛な表情を露にするのは、星矢はもちろんアイオロスでさえ見たことがなかった。

 かける言葉が見つからないとはこのことだ。

 だが、彼の師・シオンを殺したであろう者の名をアイオロスは知っている。

 

 「私がアテナを聖域から連れ出したあの夜、私には教皇のマスクの下にある素顔が見えた……それは、私の親友とも言うべき男だった」

 

 アイオロスの顔が微かに歪んだ。

 アテナを殺害しようとしたのが、教皇の仮面を着けた自分の親友だと知った時、彼は一体何を思ったのだろう。

 

 「その男の名はサガ。双子座(ジェミニ)の……黄金聖闘士だ……」

 

 「やはり……サガもまた十三年前から行方が分かっていない。あの男だとは思っていたが……」

 

 「そうか……」

 

 今までの十三年間、彼はどんな気持ちで教皇の仮面を被っていたのだろうか。

 そんな想いがアイオロスの心に影を落とす。

 あの時、アイオロスはサガを止めることが出来なかった。

 そのせいで、師を喪ったムウも幼い頃からずっとジャミールで厳しい暮らしをしていたのだ。

 

 「……済まない、ムウ。私があの時…」

 

 「その先は結構です。私もあなた達がここへ来ると知らなければ、闘おうとは思いませんでした。あなたが過去を悔いているというのなら、それは私も同じです」

 

 ムウはそう言ってアイオロスから目を離した。

 彼の中にも、この十三年間教皇の存在を恐れ、行動出来なかったことへの後悔があるのだろう。

 ムウはしばらく俯いていたが、やがて星矢達の方を向いて言った。

 

 「それでは、あなた達の聖衣を出しなさい」

 

 「えっ?」

 

 いきなりそう言われた星矢達は、突然のことに目を白黒させた。

 だがそれでもムウの言葉に従い、黙って自分達の聖衣を彼の前に置いた。

 ムウは差し出された四体の聖衣を一つ一つ見回し所々を触れると、何かを確信したようにはっきりと宣告した。

 

 「思った通り。あなた達の聖衣には目には見えない程の細かいヒビが入っています。このままでは次に闘いとなれば、これらの聖衣は粉々に砕け散るだろう」

 

 「な……何だって!?」

 

 ムウの宣告に星矢達は驚愕した。

 彼らの聖衣は白銀聖闘士達との闘いの直後は確かに崩れそうな位ボロボロだったが、いつの間にかそれも直っているようだったのでそのまま持ってきたのだ。

 だが、そんな星矢達の聖衣はムウによると触れられただけで破壊されるという。

 

 「いいですか。聖衣というものは、多少の傷は放っておいても勝手にある程度は自己修復します。だからこれらの聖衣は一見直っているようにも見える。しかし、こうして直接触ると良く分かるが、細かいヒビが聖衣の奥にまで達している」

 

 ムウはそう言うと、どこからともなく金槌や謎の金属、光る粉等を取り出した。

 それらはオリハルコンやガマニオンといった稀少な金属で、聖衣を修復するための原料なのだ。

 

 「俺達の聖衣を直してくれるのか……?」

 

 何も言わずに聖衣の修復を始めるムウ。

 それでも時間が無いと焦る星矢達に、彼は静かに告げた。

 

 「私達はこれから教皇の間へと向かいますが、その間アテナを守るべきあなた達の聖衣がこれでは闘うことも出来ないでしょう。幸い聖衣は破損していますが死んではいません。時間は然程かからず修復出来ますよ」

 

 こうしてムウは星矢達の聖衣を一つ一つ丁寧に修復していった。

 火時計の牡羊座の火が消えかかっているのを見ると、軽く一時間位は経っただろうか。

 ヒビの入っていた四体の聖衣は見事なまでの輝きと共に、新たに形を変えて完璧に甦った。

 その様は、まるで聖衣から新たな生命の息吹が感じられるよう。

 

 聖衣を修復し終えたムウは、アテナの守りとしてこの場に残る星矢達に、小宇宙の神髄についても伝えた。

 

 これまで星矢達は、小宇宙とは自身の覚悟や生命などから生じるのだろうと漠然と考えていた。

 だが、ムウ曰くそれは小宇宙の一面に過ぎないという。

 小宇宙の神髄とは所謂視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚の五感などに加え、一般に超能力と言われる第六感を更に越えた先に存在するのだと。

 

 「それこそが第七感……セブンセンシズなのです!」

 

 「セ……セブンセンシズ!?」

 

 

 「その通り。黄金聖闘士が何故強力なのか、それは彼らが皆セブンセンシズに目覚めているからなのです。もしもあなた達が、それに目覚めることが出来たならば、たとえ黄金聖闘士が相手でも互角に闘うことが出来るでしょう」

 

 小宇宙を燃やすことさえできれば、どんな相手とも闘える。

 それは、最下級の青銅聖闘士である星矢達にとって希望の光。

 

 「ありがとう、ムウ。俺達はここで、あんた達が十二宮を抜けるまで必ずアテナを守ってみせる!」

 

 セブンセンシズの心得も伝え、十二宮へ向かおうとするアイオロスとムウに、星矢が力強く言った。

 それに頷いた二人は星矢達にアテナを任せ、十二宮へと走り出す。

 

 「星矢、瞬、紫龍、氷河……お前達に……アテナを託す!」

 

 彼らはまだ、十二宮に足を踏み入れたばかり――――

 

 

 

 

 

 


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