もし青銅が黄金だったら   作:377

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第三十話 崩壊

 無慈悲に放たれた鉾の一撃は瞬時にして光速を越え、込められた膨大な小宇宙は閃光と化して空間を貫く。

 無限に等しいとすら感じられる異常な小宇宙をその身に纏うポセイドン。

 動けなかった。

 海皇の小宇宙の前には如何なる存在でも立つことすら叶わない。

 そう、それが聖闘士の最高位たる黄金の戦士達であったとしても。

 迫り来る一撃、その余波と言えるエネルギーでさえ、なお彼らを圧する力に満ち溢れている。

 

 鉾がポセイドンの手を離れてから、瞬き程の時間も経っていない。

 光速の動きを極めた黄金聖闘士すら一歩も動けぬまま、メインブレドウィナを凄まじい衝撃が通り抜けていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 神殿を覆う小宇宙が晴れて行く。

 目前に達していた神の一撃が、聖闘士達には届かなかった。

 

 「バカな…………何が起こった……?」

 

 「今の攻撃……正しく黄金聖衣ごと消し飛んでもおかしく無い一撃だったはず……!」

 

 たった一人でも生きていれば奇跡と言っていい。

 それほどの攻撃が放たれたにも関わらず、六人全員が生きている。

 彼らを襲った衝撃波は皆を吹き飛ばした。

 だが、命中する直前に感じていた威力はこんなものではなかったはずだ。

 

 「一体、何故…………ッ!」

 

 ポセイドンへと目を向けるミロ。

 その答えはあった。

 彼らの目の前に。

 

 「お……お前は……!?」

 

 黄金聖闘士六人の前で仁王立ちする一人の海闘士。

 海皇の放った鉾は、殆ど残骸と化した鱗衣を容易に貫通し、その背から突き出している。

 

 「アイザック!!」

 

 呆然とただ息を呑む聖闘士達の目の前で、その身体が傾いていった。

 刃の先から滴る血液。

 振り返ったその顔には、微かな笑みが浮かんでいた。

 そして、彼はゆっくりと膝から崩れ落ちる。

 だが地面に倒れるよりも早く、駆け寄る者がいた。 

 

 「カミュ!?」

 

 最初に動いたのは誰でもない。

 アイザックの師でもあり南氷洋の柱の下で互いに闘った男。

 

 「バカな……何故我らを庇ったのだ!」 

 

 支柱を巡る戦闘の中で、遂にカミュがアイザックに止めを刺すことは無かった。

 かつて聖闘士となるべく指導した弟子なのだ。

 だがそれだけではない。

 一度はポセイドンの軍門に下りながらも、それでも世界のためならばと力を貸してくれたのだ。

 できることならやり直して欲しい、叶うならば再び聖闘士として。

 

 「お前には真央点を施していた。あのままじっとしていれば……助かったかもしれぬものを……」

 

 だが今となってはその願いが叶うことは無い。

 誰の目にも一目瞭然とはこのことだ。

 アイザックはもう、助からない。

 

 カミュとの闘いで、既にアイザックの鱗衣はほぼ完全に凍結し、破壊されている。

 肉体的にも重傷を負っている状態で、まして神の一撃に対して己を盾とするなど自殺行為。

 そんなことは分かっていながら、それでも――――

 

 「わ……我が師カミュ……氷河は、既に聖域に戻りました。一刻も早くアテナを救い出し……聖域へ…………」

 

 「お前……お前は…………それだけのために……!」

 

 僅かな会話。

 だがそれだけで伝わった。

 俯きながらも、カミュの目に熱ものが流れていた。

 

 「済まないアイザック。だがお前の命、決して無駄にはしない」

 

 握り締めた拳が震えているのが分かる。

 そしてその拳を向けるべき相手も。

 

 「我が配下に裏切り者がいたとはな」 

 

 海皇の声が響いた。

 表情や口調に特に変化は無い。

 

 だが自ら放った一撃を、しかも自身の配下に阻まれたのだ。

 己の命を犠牲にしてまでも。

 

 「クラーケンよ。誇り高き我が海将軍の一翼でありながら、アテナの聖闘士のために命を捨てるなど言語道断。やはり人間という生き物には失望させられる」

 

 ポセイドンが右手をアイザックに向けた。

 装着していたクラーケンの鱗衣と胴体を貫いていた鉾が光と消え去り、ポセイドンの手元に現れる。

 鉾を手に取り、アイザックの纏っていたクラーケンの鱗衣―――もはや形骸と化しているが―――それをいきなり踏み砕いた。

 

 「貴様!!」

 

 「このようなものはもう必要ない」

 

 激昂するカミュ。

 だがポセイドンは一瞥もすることなく、鱗衣は消滅した。

 

 「お前達に分からせてやろう。クラーケン……奴が命を懸けて行ったことは、所詮僅かばかりの時間稼ぎに過ぎぬということを!!」

 

 依然衰えを知らないどころか、更に勢いを増して高まり続ける小宇宙。

 もう、次は無い。

 

 「ここまでだ。アテナ諸共消え失せろ!!」

 

 「くっ……!」

 

 鉾の穂先から迸る雷撃が周囲を覆い尽くす。

 唸りを上げる小宇宙が極限にまで達した。

 天へと掲げられた三叉の大鉾の頂点で荒れ狂う稲妻の嵐が――――突如現れた空間の歪みに呑まれて消える。

 

 「なっ!?」

 

 「こ……これは……!?」

 

 異次元の彼方へ放逐されるポセイドンの力。

 それを操る男から溢れる小宇宙が眩い光となって神殿を照らす。

 

 「お前達……諦めるにはまだ早いぞ。未だ我らの希望は失われてはいない!」

 

 「……そうか、お前が海底に現れた黄金聖闘士の最後の一人!」

 

 八十八の聖闘士の中でも最強を誇る黄金聖闘士、その筆頭!

 双子座・ジェミニのサガ!

 

 「メインブレドウィナは砕ける! 我らと……そしてアテナの命がある限り!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 カカァッ!!

 

 三叉の鉾がポセイドンの身を守るように黄金の光を弾いた。 

 

 放ったのはサガ。

 全身から噴き上がる小宇宙は傷付いた黄金聖闘士達を導くように、その背を押して立ち上がらせる。

 

 「おおっ……!」

 

 ポセイドンの圧倒的な存在感に意識を奪われていた。

 だが、彼らの目指すものはもはやすぐそこにある。

 アテナを捕えしメインブレドウィナ!

 

 「海底を支える柱はもうない! あのメインブレドウィナからアテナを救うために我らはここに降り立ったのだ!」

 

 再び心に炎が灯る。

 心を燃やして小宇宙が猛る。

 疲弊し切っていてもなお、聖闘士達の身体を動かす最後の力。

 

 「愚かな……貴様ら聖闘士を、これ以上メインブレドウィナに触れさせると思うか!」

 

 ポセイドンの眼差しが彼らを捉えた。

 そして手に持つ鉾を大きく振りかぶった瞬間。

 足元から立ち上る驚異の小宇宙。

 溶岩沸き立つ大噴火、いや、星の最期を見るかのような!

 

 「むっ!?」

 

 煌々と輝く小宇宙の波動。

 星を連ねる銀河の光。

 

 「見るか……星々の砕ける様を!!」

 

 小宇宙の収縮が限界を超えて崩壊する。

 光の彼方に幻視するのは大宇宙。

 

 「ぬうっ!?」

 

 「ギャラクシアン・エクスプロージョン!!!!」

 

 海皇の足元が極大の震源と化す!

 海底神殿の天蓋貫く光の柱!

 凄まじい爆風が一気呵成に神を打ち上げ突き抜ける!

 

 「クッ……!」

 

 突き上げる衝撃波にポセイドンの身体が宙を舞う。

 傷付いた鱗衣が更に悲鳴を上げている。

 遂にギャラクシアン・エクスプロージョンの巨大なエネルギーが、ポセイドンを呑み込んだ。

 しかし――――

 

 「なにぃ!?」

 

 視界を遮る閃光と轟音の途絶えた先に、埃一つ被ること無く平然と佇むポセイドンの姿があった。

 

 「既に目覚めた余の前で、今さら貴様一人が何になる。七人揃ってアテナの傍で散るがいい!」

 

 もう片方の手に握られた三叉の鉾が、唸りを上げて襲い掛かった。

 黄金聖闘士ですら反応出来ないその速さ。

 

 「うおぉぉっ!?」

 

 刃が閃き、サガの姿が消える。

 そして次の瞬間、弾けるような爆発音と共に地に叩き付けられていたのはサガ。

 隕石のクレーターかと見紛う程の大穴が、神殿の石畳に刻まれている。

 

 「サガ!」

 

 振り返った黄金聖闘士達の目に飛び込んできたのは、大きく抉れた大地の底に倒れ臥すサガの姿。

 それに対して海皇ポセイドンは全くの無傷。

 

 「所詮貴様一人では時間稼ぎにすらならぬ。もはや私の邪魔をする者はいない。宿敵アテナと、お前達聖闘士が息絶える時だ!」

 

 ポセイドンの背後に蒼く燃え上がる巨大なる小宇宙。

 人間の限界、究極、そんなものを遥かに超える神の力が、黄金聖闘士達の目の前で渦巻いている。

 手で触れることさえも可能と思えるほどの、凄まじい圧力が波動のように尽きることなく溢れ出す。

 

 既に人智の及ばぬ領域。

 それでも、何度傷付き倒れようとも、その命を懸け立つ男達。

 

 「ポセイドン……お前にアテナの命、取らせはしない……!」

 

 水瓶座・アクエリアスの黄金聖闘士、カミュ。

 身に纏う強烈な凍気が、空気中の水分を凍らせて白く輝く。

 その目には、かつて見たことのない激情の光があった。

 

 「カミュ、お前――――」

 

 傍に立っていたミロがふとその手を伸ばす。 

 次の瞬間、カミュに触れようとした手に鈍い痛みが走る。

 

 「なにっ!?」

 

 ミロは反射的にその手を見た――――凍っている。

 僅かに残っている聖衣の籠手の部分が白く染まっているのだ。

 真白な霜が降りていた、黄金聖衣に。

 

 「これは……!? まさか……」

 

 凍結とはその物体を構成する原子が完全に動きを止めること。

 そして黄金聖衣が凍結するのは、この世のあらゆる原子が運動を停止する温度。

 

 「凍気の究極、即ち…………絶対零度!!」

 

 「散っていった弟子の前で……師であるこの私が命を懸けずになんとする!!」

 

 皓皓と立ち上る凍気を背負い、溢れ出す小宇宙が絶対零度の激流と化す。

 天高く掲げられたカミュの両腕が作り上げるアクエリアスの姿。

 これぞ、アクエリアスのカミュ最大の拳!

 

 「オーロラエクスキューション!!!!」

 

 海皇の鉾とぶつかり弾ける凍気の奔流。

 周囲に飛散する凍気の破片が大気を凍らせ白く舞う。

 

 「なにっ!?」

 

 凍てついては砕けていく氷の結晶。

 襲い来る怒涛の小宇宙に真っ向から対峙する絶対零度の凍気。

 

 だがその白い輝きも次第に押されつつあった。

 凍気の威力が逆にカミュの方へと迫り始めている。

 自らの放つ凍気が押し返され、真正面から猛烈な吹雪となって押し寄せる。

 

 抑え込まれる凍気。

 だがその横で立ち上る小宇宙があった。

 

 「お前一人を死なせはしない!」

 

 「ああ……! アテナ……そして友のため命を懸けるなら悔いはない!」

 

 獅子座・レオのアイオリア!

 蠍座・スコーピオンのミロ!

 

 光速の拳、真紅の毒針、そして凍気の激流が重なり合って、神の小宇宙とせめぎ合う。

 三人が三人共、全身の感覚が薄れゆく中ただ小宇宙のみを感じていた。

 小宇宙の本質であり、その神髄。

 第七感(セブンセンシズ)だけを―――

 

 

 

 

 

 

 

 「何をしている。我らはメインブレドウィナだ!!」

 

 先陣を切ったのはサガ。

 途轍もない小宇宙の衝突に背を向け、最後の一柱、メインブレドウィナへと向き直る。

 

 「よいのか……あれでは彼らの命を棄てるようなもの……!」

 

 アフロディーテが言った。

 完全なるポセイドンの前では、たとえ黄金聖闘士が七人揃ったとしても勝ち目は無いだろう。

 三人は、そうと知りながらもポセイドンに立ち向かうのだ。

 その命を懸けて。

 

 「信じろ……信じて託すのだ! 私達の役目は、メインブレドウィナを破壊しアテナを救い出すこと!」

 

 振り返らずにサガは、その小宇宙を燃やす。

 眼前に聳え立つメインブレドウィナに向かって。

 

 「全員でポセイドンに向かっても倒すことは不可能だろう。しかし皆でメインブレドウィナにかかっては背後からやられる。かくなる上は、彼らがポセイドンを留めている内にあれを破壊するしかないのだ」

 

 「シャカ……」

 

 「我らとて、命を懸けねばメインブレドウィナは砕けぬ。柱が砕けねば、こちらの命が砕け散ろう!」

 

 海底に集結した聖闘士達が破壊してきた七つの海の支柱とは訳が違う。

 文字通り、海底世界をその一本で支える海皇ポセイドンの象徴・メインブレドウィナ。

 アテナをすら捕える強固さは正しく神の力。

 

 だがそれに挑む聖闘士に、恐れや怯みは微塵も無い。

 

 信じている。

 己の力を、仲間の力を。

 

 一方はメインブレドウィナを砕きアテナを解き放つ。

 もう一方はそれを阻む海皇ポセイドンの力を受け止める。

 もしどちらか一方でも力及ばなければ、アテナの命は救えない。

 

 アイオリア、ミロ、カミュがポセイドンの一撃を止めると信じて。

 サガ、アフロディーテ、シュラ、シャカがメインブレドウィナを破壊すると信じて。

 

 全ての物質を構成するのは原子、その原子を破壊することこそが聖闘士の基本にして究極の闘技。

 小宇宙を燃やし、命を燃やして。

 

 「おのれ……! 人間如きが……神の……このポセイドンの邪魔をするかぁぁぁぁ!!!」

 

 『今こそ!! アテナのために!!!』

 

 今、七つの黄金の光が海底神殿に炸裂する――――!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 ピシィッ!!

 

 微かな軋み。

 しかしそれは確実に海底に居るもの達の耳に届いていた。

 メインブレドウィナに走る一筋の線。

 それをきっかけに次々と巻き起こる地響きの如き轟音。

 海底の巨塔に網の目のように広がってゆく亀裂。

 

 「バカな…………こんな……こんなことが……!!」

 

 響きはやがて地鳴りとなって海底全土を覆い尽くす。

 雪崩を打って神殿に押し寄せる大波が瓦礫の山を吹き飛ばす。

 

 「私の……この海皇ポセイドンの力の象徴…………」

 

 その時は来た。

 一際激しい振動と共に、頭上の海を支えていた主塔。

 それが一気に内に向かって崩れ落ちる。

 

 「崩壊するというのか…………我がメインブレドウィナが!!!」

 

 ド ド オ ォォッッッ!!!!

 

 地面に呑み込まれていく巨塔の残骸。

 頭上の海に耐えかねるように、メインブレドウィナは完全に消失した。

 計り知れぬ衝撃に目を見開いて打ち震えるポセイドン。

 このようなことが起きるはずはなかった。

 神の手も借りずに、ただの人間が自らの力を上回るとは。

 

 人の力では成し得ぬことが起きる時、それはきっとこう呼ばれるのだろう――――奇跡と。

 

 「ポセイドン。あなたは敗れたのです。最後まで戦い抜いた人間の力に」

 

 「アテナ……」

 

 傷付いた聖闘士達を庇うように現れた、その姿は正に地上を守る戦女神。

 聖域の中で唯一ポセイドンと対等に近い存在であり、その力を恐れたからこそべきメインブレドウィナの内部に幽閉した。

 彼にとってはそれで、それだけで十分なはずだった。

 聖闘士や、更に言うなら配下の海闘士達の力など、神の前では無いも同然だと。

 

 「あなたは侮った。人間の内に秘められた力の大きさを……」

 

 「クッ……まだだ……! アテナ……お前さえ倒せば―――」

 

 その時、アテナの手から光が溢れた。

 光の源、それはアテナの名が刻まれた札で封をされた古の壷。

 かつて海皇を数百年の眠りにつかせた、伝説の秘宝。

 

 「さあポセイドン! 今一度この中に戻るのです!!」

 

 「おおおぉぉぉぉぉ!!!」

 

 ポセイドンの――――いやジュリアン・ソロの身体から吹き出す神の魂。

 実体を持つ悪霊のような姿がジュリアンから離れると同時に、つい今しがたまで彼を包んでいた膨大な小宇宙が瞬時に消え去る。

 そしてそれが吸い込まれ、アテナの持つ壷中へ消えていく。

 ポセイドンから解放されたことを示すように、ジュリアン・ソロは倒れ込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 メインブレドウィナという海皇の力の結集を打ち砕き、小宇宙を使い果たした黄金聖闘士達も目を覚ましていた。

 ある者は肩を借り、ある者は膝を着いていた。

 崩れゆく海底神殿には、今まさに世界各地から濁流が押し寄せようとしていた。

 

 「ジュリアンの身柄は海闘士達に任せました。彼らが地上へと送り届けてくれるでしょう。私達もここを脱出します」

 

 疲弊した黄金聖闘士を労わるような小宇宙が包み込んだ。

 優しさと暖かさが伝わってくる癒しの小宇宙。

 僅かに回復した身体で、サガが静かに言った。

 

 「アテナ……願わくば、彼らも共に……」

 

 「……分かっています。私がこうして無事に地上に帰ることが出来るのも、あなた達皆のお蔭なのですから……」

 

 サガの、そしてアテナの声が落ちる。

 宙に浮かぶ微かな黄金の光。

 そこには――――主を失い冷たい輝きを放つ、三体の黄金聖衣――――

 




かなり遅れてしまいましたが更新しました。
前回の投稿の後、Ωが終わった辺りで一旦やる気が下がって、映画がやっていた頃少し戻ったのですが、結局2年も経ってしまいました。
もし今も見てくれてる方がいたら非常に申し訳ありませんでした。

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