もし青銅が黄金だったら   作:377

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第二十四話 VS海将軍 (中篇)

 ――インド洋

 

 鋭い目付きをした褐色の肌の男が、その手に黄金の輝きを放つ、先が三つに分かれた長い槍を携えていた。

 この男もまた、海将軍が一人としてインド洋の柱を守っているのだ。

 柱の前で身動ぎ一つせずに立っていた男の目が、何かを捉えて微かに揺れた。

 

 「出てこい聖闘士。ポセイドン様の崇高な目的を理解できぬ者よ、このクリュサオルのクリシュナがその命、奪ってくれよう」

 

 見ると、いつの間にかクリシュナの持つ黄金の槍が、彼の目線の先、とある一点に向けて突き付けられていた。

 槍に込められた力と殺気に反応したのか、その穂先が光る。

 

 「フッ……人々の生きる地上を沈めようとする者達の理想など片腹痛い! 命を落とすのはどちらの方か、この手に宿る聖剣で教えてやろうクリシュナよ。お前を斬ることでな!」

 

 現れた黄金聖闘士、それはカプリコーンのシュラ!

 己の手足にその名の通り聖剣(エクスカリバー)を宿す男!

 

 「むうっ!?」

 

 その時、いきなり黄金の槍での突きが繰り出された。

 その先端がシュラの目前で止まる。

 

 「俺はお前の名乗りなど聞く気はない。このあらゆる邪悪を貫く黄金の槍で一思いに死ぬがよい!」

 

 次の瞬間、金属同士がぶつかり合う、甲高い音が響いた。

 

 クリシュナが体重を乗せて放った黄金の槍による突きと、それに合わせて身を守るようにシュラが構えた手刀、それらがぶつかり、動きが止まる。

 

 「な……なにぃ!?」

 

 驚いたのはクリシュナ。

 シュラの身体を覆う黄金聖衣ごと串刺しにしてやろうと放った突きは、いとも簡単にその威力を失ったのだ。

 

 だが黄金聖闘士の中で最強の切れ味を誇る手足を持つシュラにしてみれば、この程度はむしろ当然――――ではなく。

 

 「切れぬ、か……」

 

 同時に、シュラの中にもまた驚きが広がっていた。

 受け止めた槍、シュラはそれを逆に手刀で斬り返すつもりでいたのだ。

 それが止めるだけに終わってしまったことに、表情には出さないが内心では舌を巻いていた。

 

 どちらも初撃から全力で繰り出した一閃。

 クリシュナは敵のど真ん中を貫こうとし、シュラは相手の得物を斬り砕こうとした。

 しかし互いに互いの力量を測りかねたのか、両者はその目的を達することはできなかった。

 この時、二人揃って驚きと共に全身が静止する。

 

 槍と剣。

 

 その形は違えど、或いは全てを断つ極限にまで鍛え上げた拳、或いは己の拠り所として絶対の自信を持っていた至高の武器。

 それらが止められているという現実が彼らの思考を閉ざしている。

 

 だが、先に動いたのはシュラ。

 己の四肢を武器とし、鋼の如くに研ぎ澄ました男。

 

 鱗衣に選ばれ、昨日今日海将軍となったようなクリシュナとは年期が違う。

 たとえ思い通りに斬ることが出来なかったとしても――――驚きこそすれ臆しはしない!

 

 ズシャァッ!

 

 一瞬の内に片手で槍を弾き、敵の懐に斬り込むシュラ。

 

 僅差で一歩退き手刀を避けたクリシュナの代わりに地面が裂ける。

 

 「いくぞ!」

 

 自らを鼓舞するようにシュラが吼える。

 さらに連続して放ったシュラの手刀は、斬撃としか言いようの無い鋭さで、地を裂き走る衝撃となりクリシュナに迫る。

 

 「クッ!」

 

 クリシュナは引き戻した槍を盾にして、その柄でどうにか衝撃を止める。

 斬撃を受けた槍を持つ手に痺れが走るが、クリシュナも黙ってやられてはいない、負けじと再びシュラに向けられた槍が、空気を引き裂き襲い掛かる。

 

 「!!」

 

 返しの一撃で首の辺りを狙って伸びてきた槍を、シュラは寸前で横にかわす。

 しかし、確かに避けたはずの首筋に違和感を感じ、手をやって確かめてみると、血。

 

 「確かに回避したはず……大した切れ味だな、周囲の空気をも切り裂くとは……ギリギリでかわしても無駄ということか…」

 

 「その通り! 如何にお前が優れていようと、この槍から逃げ延びることなど不可能なのだ!」

 

 そう言うとクリシュナはシュラから距離を取って槍を放つ。

 手刀では決して届かない間合いからの突きが、閃光と見紛う程の速さで次々にシュラを襲う。

 或いは手刀で止めるか弾き、或いは光速の見切りで回避するシュラ。

 

 「先程の言葉はどうした! このまま死ぬか!」

 

 光速に限りなく近い速度の槍がシュラの頬を掠める。

 直後、再びシュラの前で槍と手刀がぶつかった。

 音を立てて鍔迫り合う二人の得物が火花を散らす。

 クリシュナはシュラを刺し貫こうとし、シュラはクリシュナを叩き斬ろうとして、互いの手に力が籠る。

 

 どれほどの時間が経っただろう。

 二人の力は均衡して、共に容易には動けない。

 

 「いつまでも俺の槍を止めていられると思うな。お前の力が少しでも衰えれば、我が槍はその腕もろとも身体まで貫くぞ」

 

 「…やってみるか?」

 

 「なにぃ!?」

 

 その時、不意にシュラが腕の力を抜いた。

 鬩ぎ合いを続けていた一方が唐突に得物を引っ込めると、相手は当然――――止まらない。

 

 「うっ!?」

 

 突然引いたシュラに釣られたのか、クリシュナは前へ向かって倒れ込むように槍を突き出す。

 そしてその穂先がシュラの身体があった場所を突き抜けた時、既に本物のシュラは体勢の崩れたクリシュナの背後にいた。

 

 「フッ……バカめ!」

 

 槍を掻い潜り後ろを取ったシュラは、クリシュナの身体の流れに合わせて跳んだ。

 

 前方へと崩れるクリシュナを両足で挟むと、自らが上方に跳ぶ勢いも加えて遥か彼方へ投げ飛ばす!

 

 「その勢いで自分が吹っ飛べ! ジャンピングストーン!!!」

 

 全力の突きによる体重移動にシュラの跳躍も加わり、クリシュナは凄まじい勢いで上へ吹っ飛び海底を覆う水の壁に激突した。

 

 

 

 

 

 「ほう……思ったよりはやるようだな」

 

 「おのれ…!」

 

 落下してきたクリシュナが足から着地出来たのは、その身に纏う鱗衣のおかげなのか、はたまた彼自身の強さによるものだろうか。

 未だ立ったまま、顔をしかめて槍を構えるクリシュナを前に、シュラは己の手足を研ぎ澄ましてその機を探る。

 クリシュナもまた、シュラに向けた槍は動かさずに、ただひたすら小宇宙を、感覚を、高めていた。

 

 シュバァッ!

 

 突如、黄金の槍が虚空を裂いた。

 そしてその音が耳に届いた時には既に、先程の叩きつけられたダメージが無かったかのように、クリシュナは超速の槍捌きでシュラの元に差し迫っていた。

 気合一閃で繰り出される攻撃を、次々とシュラは手刀で迎撃していく。

 

 そして正面からの突きを弾こうと、大きく手刀を薙ぎ払う。

 だが、その一撃がクリシュナの槍を捉えることは無かった。

 

 「くらえ!」

 

 逆袈裟の形で放たれた手刀を、寸前で槍を引いてかわしたクリシュナは、腕を振り切って無防備なシュラに突撃した。

 まさに閃光とも言うべき突きがシュラを襲う。

 すぐさま空を切った手刀を引き寄せようとしたシュラだったが、それも黄金の槍に弾かれた。

 

 「行くぞ! フラッシングランサー!!!!」

 

 無数に現れては消える鋭い刺突、その一つ一つがまるで光線!

 圧倒的な速さを以て、シュラの全身、肩を、脚を、腕を、掠めるだけでも皮膚を裂くクリシュナの槍が猛襲する。

 

 小宇宙による闘いは、一瞬の隙が命取りになるのは相手が海闘士といえども変わらない。

 

 「油断したな聖闘士、これで終りだ!」

 

 「クッ……!」

 

 止めを刺す為に、シュラの胸元目掛けて黄金の槍が伸びる!

 

 「さらばだ、この一撃にて死ねい!」

 

 最後の一撃、そうクリシュナが思い定めて繰り出した槍は、僅かのズレも無く見事にシュラの心臓を刺し貫く軌道を描いていた。

 迫り来る槍を前にして、シュラにはどうすることも出来ない。

 そして――――そして!

 

 

 

 

 

 

 

 「どうした……来ないのか?」

 

 「バカな! こ……こんなことが……!?」

 

 黄金の槍はシュラの身体に深々と突き刺さっているのか?

 いや、違う。

 

 「そんなバカな……この槍の刃を…………切り落としただと!?」

 

 シュラの身体を突いたのは、既に刃を失い柄だけとなった黄金の槍だった。

 カラカラと小気味のいい音を立てて、その先端が地面を転がる。

 シュラが足元に手刀を振るうと、槍先は細切れになって消滅した。

 

 「俺のエクスカリバーが片手だけと言ったか? 俺の身体の両手両足、その全てが研ぎ澄まされたエクスカリバーよ!」

 

 「ま……まさか、黄金聖闘士とはこれほどの……!」

 

 直前に槍で弾かれた方とは逆の手刀だった。

 それがクリシュナの槍の刃のみを正確に斬って落としたのだ。

 クリシュナの手から刃を無くした槍がこぼれ落ちた。

 思わず後ずさりしそうな程の威圧感を秘めたシュラが、クリシュナ、そしてその後ろに聳える柱の方へと歩を進める。

 

 しかしその時、突然クリシュナが地面に座り込んだ。

 座禅を組むようにしてシュラの前に立ち塞がるクリシュナだが、シュラに降参したという訳では当然ない。

 その証に、今のクリシュナからはシュラにさえこれ以上柱の方へ進むのを躊躇わせる、一種異様な小宇宙が放たれ始めていた。

 

 「槍を断ち切っただけで攻撃を止めたのは失敗だったな。お前はこの俺を本気にさせたのだ!」

 

 そう言い放ったクリシュナの身体が、徐々に地面から浮き上がっていき、やがて地上数メートルの位置に停止した。

 それを見ていたシュラの、驚きを隠せない表情に、クリシュナは言った。

 

 「今の俺を包み込んでいるものは、インドではクンダリーニと呼ばれている。その正体は、俺の身体に点在するチャクラから発せられる宇宙的エネルギー、それこそがクンダリーニなのだ。このクンダリーニの力によりこの場に張り巡らされたバリアーは、誰にも打ち破ることなどできん!」

 

 まるで目に見えない圧力でも受けているかのように、シュラはそこから一歩たりとも足を踏み出せずにいた。

 

 「動けまい。もしもお前がここで退くのなら見逃してやろう。だが、それでも諦めないと言うならば、お前は神の光を見ることになるのだぞ」

 

 クリシュナの低い声が響く。

 シュラはそれを目を閉じて聞いていた。

 

 五体そのものを聖剣と化す。

 それこそがシュラが目指し、そして聖闘士としての長い研鑽の末に辿り着いたもの。

 聖剣を体現するまでに高められたからこそ、シュラの手刀はエクスカリバーと呼ばれたのだ。

 エクスカリバーとは如何なる物をも斬り裂く究極の斬撃に対する称号。

 シュラは思い描いていた。

 クンダリーニなど打ち破る完成された剣を。

 切れ味のみを追求したシュラの小宇宙が、激しく高まりその手に宿り、どこまでも果てしなく研ぎ澄まされていく。

 

 「…退かぬか。ならば、見るがいい。大いなる神の光を!」

 

 動かぬシュラに対して、クリシュナの身体からは攻撃的なオーラが立ち上る。

 

 シュラもまたそれを感じ取っていた。

 

 「エクスカリバーは俺の小宇宙に応じて、その鋭さを増していく。そう……この俺の命ある限り、エクスカリバーに斬れぬものなど在りはしない!」

 

 「受けよ! マハローシニー!!!!」

 

 空間を埋め尽くす光の奔流!

 直接的な圧力を伴う光の洪水がシュラを呑み込む、その寸前!

 

 「唸れ聖剣! エクスカリバー!!!!」

 

 溢れる光を一刀破斬!

 爆発的に高まる小宇宙を集約した手刀を振り下ろせば、それは正真正銘全てを断ち切る究極の刃と化す!

 

 

 

 

 

 やがて目も眩むような光は消え、二人は背中合わせで言葉を交わす。

 

 「……お前の名を聞いておこう」

 

 「……カプリコーンのシュラ!」

 

 クリシュナに背を向けたまま、シュラが言った。

 やがて、クリュサオルの鱗衣がひび割れ、クリシュナの身体から剥がれ落ちた。

 そしてクリシュナ自身も、支えを失った棒のようにゆっくりと傾いていった。

 

 シュラが立ち去った後のインド洋に残されていたのは、滑らかな切り口で真っ二つにされた柱だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――南氷洋

 

 「うぎゃああぁぁぁ!」

 

 なんとも情けない悲鳴と共に、鱗衣を纏った海将軍が吹っ飛ばされていた。

 たった今吹っ飛ばされたのは、南氷洋の海域を収める海将軍、その名もリュムナデスのカーサ。

 彼がこうなった理由を知るためには、時間を少し遡る必要がある。

 

 

 

 

 

 

 海界に聖闘士達が乗り込んできたという知らせを受けたカーサは、すぐに自分が守らねばならない南氷洋の柱に身を隠して待った。

 これはリュムナデスのカーサの編み出した必勝法であり、彼が持つ他の誰にも真似出来ない技によって、必ずや聖闘士を倒せるという自信があった。

 

 それは、相対した者の最も大切にしている人物を見抜き、寸分違わずその姿に変身する力。

 その変身能力を前にしては、殆どの相手は変身だと見破ることも出来ず、抵抗らしい抵抗もないまま楽々と倒されてしまう。

 また仮に見抜いたとしても、愛する者と全く同じ姿をしたカーサに対して全力で攻撃出来るはずもなく、その結果は火を見るよりも明らかだ。

 

 「ヒヒヒ……俺の所に来るのはどんな奴だか知らないが、愛する者に裏切られた時の黄金聖闘士の顔が見物だぜ~」

 

 カーサは物陰に潜み、海底神殿から続く道を柱の方に向かって来る敵の姿が無いかを確認する。

 見た所、未だに聖闘士らしき者は誰も現れない。

 

 「来ないな……他の海域では、もう始まってるようだが…まぁいい。誰が来たとしても返り討ちにしてやるだけだ」

 

 「フッ……貴様如きにむざむざ討たれる程、黄金聖闘士は甘いものでは無いぞ」

 

 「だっ……誰だ!?」

 

 何の前触れも無く、突如としてカーサの耳に声が響いた。

 驚いて隠れたまま辺りを見回すカーサだが、近付いてくる者など影も形も無い。

 そんなはずはないと思って身を乗り出してみても、やはり何の姿も捉えられなかった。

 

 「くそっ! どこだ、どこに居やがる!?」

 

 敵の居場所を掴めずに苛立つカーサの周囲で、次第に強大な小宇宙が立ち込めていった。

 その小宇宙に畏怖するように、己の足が震え始めたことを、カーサは気がついていなかった。

 

 もはやはっきりと確認出来る程の巨大な小宇宙を感じるのに、それがどこから来ているのか分からないという恐怖がカーサを襲う。

 既にカーサは物陰を飛び出して柱の前に立ち、周囲を探っている。

 

 柱の前の道には誰もいない。

 

 ひょっとして海底に整備された道以外の方向から来るのか、と左右を確認する。

 

 いない。

 

 カーサの頭は混乱の極みに達しようとしていた。

 再び脳内に声が響かなければ、発狂していたかもしれない。

 

 「どこを見ている。私はここに居るぞ」

 

 「!?」

 

 黄金聖闘士が来た。

 

 前か、横か、違う――――上だ!

 

 「今頃気付くとは、海将軍とやらも高が知れているな」

 

 「お……お前は!?」

 

 カーサがひきつったような声を上げた。

 真っ直ぐな長い髪を靡かせて、何もない空中から膨大な光と共に圧倒的な小宇宙を纏い現れた黄金聖闘士。

 固く閉じられた両目がカーサの方を向き、微かに口元に笑みを浮かべる。

 

 「貴様のような者に教える名など無い……と言いたい所だが、相手の名も知らずに散るのも憐れというもの。せめて情けを掛けてやろう。私は黄金聖闘士。バルゴのシャカ」

 

 神に最も近い男、バルゴのシャカ!

 

 その男が今、南氷洋の柱に降臨した。

 

 

 

 

 

 

 空中から柱へ、つまり自分の方に一歩一歩舞い降りるシャカの姿を、カーサは呆然として眺めていた。

 まるで自分のものではないかのように、身体が石の如く強ばり上手く動かせない。

 黄金の聖衣が地面に触れる音で、シャカが目の前まで迫っていることにやっと気付いたのか、カーサは急に目を覚ましたようにシャカを睨み付けた。

 

 「ヒヒヒ……驚かせやがって。隠れっぱなしでいれば良かったものを」

 

 「柱の陰にこそこそ隠れていたお前と違って、私は柱を破壊せねばならんのでな」

 

 「ええい黙れ! この俺の前に姿を現したことを後悔するんだな!」

 

 言い終えた途端、カーサの全身の輪郭がぼやけて、ぼんやりと霞がかっていくようにその姿が薄れていった。

 これこそがカーサの変身能力。

 相手の心の弱点を突く最悪の必勝法。

 

 そして徐々にカーサの姿が消え――――何も変わっていないカーサが再び現れた。

 

 「なあっ!?」

 

 慌ててもう一度同じことを繰り返すも、結果は変わらずカーサのままだった。

 

 「バカな! 人間なら誰でも、心の奥底に最も大切に思っている者がいるはずなのに……この男からは全く心が見えないだとぉ!?」

 

 「お前に見透かされるような安い心を、私は持ち併せてはいない。心を完全に閉ざした今、もはやお前に成す術などあるはずもなかろう」

 

 シャカが両手に印を結んだ。

 そして二つの手の平の間に、凄まじいまでの小宇宙が集中する。

 

 「な……な……何だこの小宇宙は!?」

 

 「オーム!!!」

 

 加速度的に膨れ上がる巨大な小宇宙が、爆風となってカーサを襲う。

 

 「うぎゃああぁぁぁ!!」

 

 轟音と共に垂直に天高く吹き飛ばされたカーサは、受身を取る暇も無いまま頭から地面に突っ込んだ。

 しかも激突の衝撃で、幅数メートルにも及ぶ大きなクレーターが形成される。

 

 「お……おのれぇ!」

 

 満身創痍でクレーターから這い出したカーサは、恨みがましい目付きで地面に叩きつけられた衝撃から立ち直り、両手を広げて高く掲げた。

 

 「くらえ! リュムナデス最大の拳! サラマンダーショック!!!!」

 

 迸る小宇宙の衝撃!

 カーサ渾身の力で放たれた小宇宙の波動がシャカを打つ!

 

 「…カーン!!」

 

 そのままシャカに命中するかと思われた直前で、衝撃は見えない壁に遮られた――――だけでなく、威力を増して向きを変え、カーサ自身へ跳ね返る!

 

 「へっ?」

 

 ガカカアァッッ!

 

 「なにぃ!?」

 

 繰り出した時以上の強烈な威力となって戻ってきた衝撃波によって宙を舞い大地に激突するカーサ。

 

 そのショックで意識を失ったように見えたカーサだが、すぐに目を覚ましたのは流石は海将軍と言うべきか。

 しかし目を開けた瞬間、カーサは戦慄することになる。

 カーサの目の前には、柱が聳える南氷洋の海域ではなく、どこまでも岩石だらけの赤茶けた大地が続く何もない世界が広がっていた。

 

 「なっ何だここは!?」

 

 ついさっきまでカーサが立っていた場所とは、明らかに異なる場所だ。

 そこにはカーサを除いて誰も――シャカの姿さえも――存在していなかった。

 陥った状況の不可解さに、カーサは困惑の度を深めていく。

 しかしすぐに、これが幻覚であろうという予測もついていた。

 カーサも形は違えどその手の技を持っている以上、それはある意味当然と言える。

 

 そこで一歩足を踏み出してみる、が伝わってきた地面の感触は本物としか思えなかった。

 だが幻覚によって創られた世界とは得てしてそういうものだ。

 この類の幻覚を破る手っ取り早い方法は、術者に直接攻撃を仕掛けること。

 その為には幻覚の中から術者の位置を把握し、攻撃を加えるしかない。

 

 全力のサラマンダーショックを、涼風のように受け流し跳ね返すシャカの幻覚を貫くような威力はカーサには出せない。

 だが、黄金聖闘士達は海将軍の討伐も任務であるはずという読みもカーサにはあった。

 それならば、幻覚に囚われているカーサに何か直接的な攻撃を放ってくる、その隙を狙う。

 

 そしてカーサは、次こそはシャカの心に潜む弱点となりうる者を見破ろうと躍起になっていた。

 人間誰しもが持っている弱点は、きっとシャカにも存在するのだから、そこを突けば確実に勝てる。

 それが見えないというのは、シャカとの間の力量差が余りにも隔絶しているからだが、カーサはそれを認めなかった。

 もっとより深く探れば、必ずや弱点は見つかると信じてカーサはシャカが現れるのを待つ。

 待つことしばし、遂に背後からその気配が現れた。

 

 「出たな! くらえ! サラマンダーショック!!!!」

 

 先手必勝!

 振り向きざまに放った衝撃波はカーサの両腕に確かな手応えを残した。

 畳み掛けるように落下してきた相手の頭を踏み潰す。

 

 「クハハハハ! あまり俺様を見くびるなよ! 後ろから近づけば気付かれないとでも…………っ!」

 

 更に踏みつけようと足を振り上げたままの体勢でカーサの身体が硬直した。

 足元に横たわる男が纏っているのは黄金聖衣ではなく、鱗衣。

 しかも――――リュムナデスの鱗衣!

 

 「なああっ!?」

 

 カーサが踏み砕いた男の周囲に散らばる破片は、良く見ればリュムナデスのマスクであり、赤く染まった頭部から滴る血の奥に、カーサ自身の顔が――――

 

 「うわあぁぁぁぁぁ!?」

 

 目の前に転がる自分の死に顔。

 その何も映していない瞳がカーサの方を向いている。

 

 もう訳が分からなかった。

 カーサは死体から顔を背けるとめちゃくちゃに走り出した。

 既に幻覚だとかそんなものを考える気も起こらない。

 

 ただひたすら遠くへ逃げることだけを頭に、カーサは走り続けた。

 

 逃げる。

 

 どこまでも走って逃げる。

 

 その時、ふと周囲に人の気配を感じた。

 

 走るカーサの前方から、厭らしい笑いを浮かべて近寄ってくる。

 

 カーサと同じ顔をした男が。

 

 「ヒィィィィィ!?」

 

 違う。

 

 一人だけではない。

 

 

 どこまでも赤茶けた大地が続く地獄のような世界で、カーサを取り囲む――――無数のカーサ自身の姿!

 

 「ヒィィ!やめろ、やめてくれぇぇぇ!!」

 

 血を吐くようなその叫び声は、果てしなく広がる自分自身の姿の間に消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 南氷洋の柱の前には倒れ伏すカーサと、そこに閉ざされた目を向けてじっと佇むシャカの姿があった。

 

 「六道輪廻……幻覚に囚われたお前には手も足も出まい。落ちたのはさしずめ餓鬼界か畜生界と言った所か………さて」

 

 そう呟いたシャカは、カーサから目を離して柱の方へと向き直った。

 

 「既に幾つかの柱は砕かれたようだな。この南氷洋の柱を破壊して私もアテナの下に向かうとしよう」

 

 じわじわと下がりつつある頭上の水位を感じ取ると、シャカの小宇宙が静かに燃える。

 少し離れた両の掌の間に集約された小宇宙は、更に強く激しくその輝きを増す。

 高まり続ける小宇宙は遂に限界を超え、一気に炸裂する様はまさに巨大な落雷の如し。

 

 「オーム……天魔降伏!!!!」

 

 海底世界の空気を震わせ轟く雷鳴!

 破壊の小宇宙が柱を貫く!

 

 海底に激震が走る。

 シャカが放った天魔降伏、その驚異の威力に、柱は無残な瓦礫となった。

 

 「フッ……造作もない」

 

 柱のあった場所に別れを告げて、大した風でもなくシャカは、最後まで目を閉じたまま南氷洋を去っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――北氷洋

 

 二人の男がまるで、その辺りだけ時間が止まってしまったかのように立ち尽くしていた。

 互いが互いにに対して驚いたような表情を向けているが、ほんの僅かにそれ以外の感情も垣間見える。

 

 「……アイザック、生きていたのか」

 

 「お久しぶりです。…我が師カミュ」

 

 先に口を開いたのは、鮮やかな赤毛に黄金聖衣を纏った男、アクエリアスのカミュ。

 そしてそれに無表情で応えた海将軍の名は、アイザック。

 顔の半分近くを覆っている大きな傷によって、片目が塞がれ、隻眼となっている。

 先の言葉通り、アイザックも氷河と同じくかつてはカミュの元で修業を行う聖闘士候補生の一人であり、早い時期からカミュに師事していたため、氷河の兄弟子という立場であった。

 しかし、カミュの弟子として凍気を操る力も十分に身に着け、聖闘士の資格を目前にしていながら、カミュが所用で修業地のシベリアを離れていた時に、アイザックは事故で死んでしまった。

 少なくともカミュはそう思っていた。

 

 「氷河から聞いたぞ。お前が姿を消したあの日、シベリアの海の底に眠る母親に会いに行こうとして、氷河が極寒の海に潜った時のことを」

 

 「そう……ですか」

 

 「お前は、潮流に呑まれて溺れそうになった氷河を救うために海に潜った。そして、氷河を地上に帰すことは出来たが自分は戻ることが出来ずに沈んだ。…自分のせいでアイザックを死なせてしまったと、そう氷河は言っていた。しかし……」

 

 カミュの声の温度が下がった。

 じわり、とその身体から白い凍気が立ち上る。

 

 「……お前は生きていたのだな。しかもあろうことか、ポセイドンに仕える海将軍となっていたとは」

 

 「カミュ……俺はあの時、死を覚悟して氷の海を沈んでいった。そして出会ったのだ、北極海の伝説の怪物クラーケンに。海皇ポセイドン様の意志により命を救われ、真に成すべきことに目覚めた俺は、もはやあなたの知るアイザックではない。俺は海将軍が一人、クラーケンのアイザックだ!」

 

 アイザックからも蒼く輝く凍気が吹き上がった。

 そしてその凍気がアイザックの腕を伝って、拳と共に打ち出された。

 

 空気中の水分を凍結させながら迫る氷の拳を、カミュは黄金聖衣を装着した手であっさり弾く。

 ほんの少し聖衣の表面に白い霜が降りたようだが、内部までは凍気は伝わっていない。

 

 「アイザック!」

 

 「敵に対してクールになれと言ったのは、あなただ。既に俺の敵となった以上、もうあなたを師とは思わん! 俺は躊躇無く倒す!」

 

 アイザックは強い口調で言い切った。

 師弟の間柄であったにも拘らず、今のアイザックはいつ攻撃を開始してもおかしくはない程に、迷い無くカミュと対峙している。

 

 「そうか……それがお前の答えか。ならば、私も容赦はしないぞ……アイザック」

 

 カミュも掌に凍気を集中させる。

 凍りついた無数の小さな氷の粒子が、カミュの手の周囲を渦巻いているように見える。

 

 「行くぞ」

 

 手を握りしめて、集約した凍気を拳全体に纏わせる。

 そしてアイザックに向け広範囲に威力を拡散させながら凍気の拳を叩き込んだ。

 

 「ダイヤモンドダスト!!!」

 

 巨大な氷の礫が唸る!

 凍える吹雪があらゆる物体から熱を、動きを奪い去る!

 

 視界全体に広がるカミュの拳に対抗しようと、アイザックもまた小宇宙を燃やして凍気を放つ。

 二つの凍気が激突し、拮抗したのは僅か一瞬。

 カミュの凍気がアイザックのそれを押し切った。

 

 「くぅっ!」

 

 ダイヤモンドダストを受けたアイザックの身体は、一瞬の内に氷の膜で覆われた。

 アイザックは氷の内部から小宇宙を燃やして、弾き飛ばす。

 しかし、その表情は苦しげで決して余裕を持っている訳ではない。

 手加減無しのカミュの一撃の威力は、間違いなくアイザックの想像を超えていた。

 

 黄金聖衣にも劣らない、とは言い過ぎにしても、アイザックら海将軍の鱗衣は並の聖衣を凌駕し、その防御力は少々小宇宙を込めた攻撃などまるで及ぶ所ではない程の防御力を持つ。

 当然、温度変化への耐性も優れ、まして凍気を操るアイザックならばそれはかなりのものだ。

 

 だがその鱗衣が、カミュの攻撃で凍結しかかった。

 瞬時に弾かなければ、全身が氷漬けにされていてもおかしくは無かったのだ。

 

 「うぅっ……!」

 

 アイザックの顔が強ばり及び腰になっていく。

 

 「どうしたアイザック。怖じ気づいたか」

 

 カミュの手から迸る凍気に釣られて、アイザックもそれを受け止めようと凍気を帯びた拳を繰り出す。

 中間でくすぶる二人の凍気。

 だが明らかに一方が押されている。

 

 「ぬう……おぉぉぉ!」

 

 小宇宙を燃やして抵抗するが、支えるだけが精一杯だろう。

 いやそれすらも出来ずに、近付いていく凍気で指先の感覚は無いはずだ。

 

 しかしアイザックは凍気が直撃するより早く、横に跳んで攻撃を躱していた。

 海底では地上に比べて湿度がとても高いせいか、大量の氷の粒が舞う。

 

 「行くぞカミュ!」

 

 もはや自分から攻撃するしか手は残っていないと悟ったアイザックが、全身全霊の凍気を込めて拳を放つ。

 

 「受けよ! オーロラボレアリス!!!!」

 

 激しい凍気の流れがカミュを襲う。

 だがそれも通用しない。

 薄い氷壁が完璧に凍気を遮り、カミュには全く届いていなかった。

 

 それでも攻撃しようとするアイザックを尻目に、カミュが片手をゆっくり上げる。

 

 なんと、アイザックの両足が一気に凍りついた。

 

 「なっ……!?」

 

 鱗衣ごと、その下の肉体までも凍結させる強烈な凍気!

 その時、アイザックは今まで感じたことの無い、凄まじい凍気がカミュから放たれているのを見た。

 

 「聞け、アイザックよ。今のお前の力は、私の下で修業していた時よりも遥かに上だろう。だがお前は海将軍となり、地上を守るという聖闘士としての心を失ったのだ。そんなお前では……決して私を超えることなどできまい」

 

 カミュの全身から立ち上る凍気が、高々と掲げられた両腕に集まっていく。

 

 その顔にアイザックへの敵意は無い。

 しかし、そこには普段クールを信条としているカミュからは考えられない程の強い感情が浮かんでいた。

 それは自らの手で弟子を葬ることへの哀しみか、或いは――――

 

 「私はお前の師でありながらあの時お前を救うことも出来ず、今またお前の過ちを正すことも出来なかった。もはや何も言うまい……最後にせめて見るがいい……このアクエリアスのカミュ最大の拳を……凍気の真髄というものを!」

 

 掲げた両腕が、アクエリアスの聖衣が、一つに合わさり水瓶の形を成す。

 滔々と溢れる小宇宙の奔流、それはまさしく極光の凍気!

 

 「オーロラエクスキューション!!!!」

 

 アイザックの纏うクラーケンの鱗衣が、激しい凍気に砕け散る!

 

 凍気に押され背後の柱に激突したアイザックは、そのまま地面に崩れ落ちた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「ガ…ハァッ……!」

 

 「まだ息があるか」

 

 身体中が凍りついて動けないが、辛うじてアイザックはまだ生きていた。

 立つことはおろか、仰向けに倒れたまま指一本動かすことも出来ずに傍に立つカミュを見ていた。

 

 「お前は私の弟子……故にお前を葬るのは、私の役目」

 

 「カミュ……」

 

 凍気を帯びた手を振り上げ、カミュは静かに目を閉じて小宇宙を燃やす。

 

 「さらばだアイザック。フリージング――――」

 

 「待ってくださいカミュ!」

 

 突如現れた男が、カミュがアイザックに止めを刺すのを遮った。

 その声は、二人にとって聞き覚えのあるものだ。

 

 『氷河!?』

 

 カミュとアイザックの声が揃った。

 血相を変えて走ってきたのは、アイザックと同じくカミュに指導を受けた、アイザックの弟弟子の氷河だった。

 

 「何故お前がここに!?」

 

 カミュが驚いて氷河に問いかけた。

 聖域で療養していたはずの氷河がどうして海底にやって来たのか。

 

 しかし、カミュが真に驚くのは氷河の知らせを聞いてからだった。

 そしてそれは、カミュだけでなく、黄金聖闘士全員を震撼させることとなる。

 

 「大変です! 聖域に冥王ハーデスの軍勢が!!」

 

 

 

 

 


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