もし青銅が黄金だったら   作:377

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第十八話 十二宮果てに

 アフロディーテの脇を抜け、双魚宮を駆け抜けてアイオロスは走る。

 不可能とも思われた十二宮の突破、しかし数々の助力を得て遂にその全てを乗り越えた。

 もはや教皇の間は目前、ようやくここまで辿り着いた。

 アテナのため、そして十三年前の因縁に決着を。

 延々と続いた十二宮、その終点を目指して走る。

 もはやアイオロスの歩みを止めるものは存在しない。

 そう思われた。

 

 「うっ……これは!」

 

 しかし、そう呟いてアイオロスは突然その足を止めた。

 目の前には、教皇の間へと続く最後の階段と、それを埋め尽くすように広がっている大量の深紅の薔薇。

 

 「魚座の聖闘士に伝わるという魔宮薔薇(デモンローズ)か、昔はこんなものは無かったはずだが……」

 

 かつては王宮の守りとして使用されたという、魔宮薔薇の甘い香りが立ち込める花の階段へ、アイオロスは慎重に近付いていく。

 この薔薇もまた、黄金聖衣と同様に、神話の時代から魚座に受け継がれてきたものの一つ。

 双魚宮に併設された薔薇の庭園では、守護者の小宇宙によって常にこの魔宮薔薇が咲き乱れているのだ。

 

 そして過去における幾多の聖戦で、聖域の防御を担ってきた薔薇の守りが、今教皇の間に向かうアイオロスの行く手を阻む。

 しかし、十二宮を越え命を懸けてここまで進んできたアイオロス。

 この男を止めるには、伝説の魔宮薔薇と言えども荷が重すぎた。

 

 「……こんなもので私を止められると思うな……吹き飛べ! アトミック・サンダーボルト!!!!」

 

 拳から発生した巨大な光球が、教皇の間へ続く階段を滑るように駆け抜け、夜空へと消える。

 その衝撃で道を塞いでいた薔薇はことごとく消し飛び、後には表面が露になった階段だけが残されていた。

 

 やがて階段を上り切ったアイオロスが辿り着いたのは、教皇の間と外界とを隔てる重厚な石の扉。

 その向こうで待ち構えているであろう男の姿が目に浮かび、思わず拳に力が入る。

 その扉が、アイオロスの手でゆっくりと開かれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 扉の向こうには石畳の上に絨毯を敷いただけの簡素ではあるが広大な空間が広がり、その奥には教皇の法衣を羽織った男の姿があった。

 その顔を常に覆い隠していた仮面は、既に外れている。

 

 この男こそ、十三年前の悲劇を起こした張本人にして守護者不在の双児宮の主――――双子座(ジェミニ)のサガ!

 

 本来教皇のみが座ることを許された、この部屋にただ一つ置かれている椅子から立ち上がり、静かに佇むサガ。

 普段聖闘士達が教皇の勅命を受けるために招集されるこの場に今立っているのは、十二宮を越えてようやくこの教皇の間へと辿り着いたアイオロスと、そしてそれを待ち構えていたサガの二人しかいない。

 

 「久しいな、アイオロス……よくぞここまで辿り着いた」

 

 よく通る低い声で、サガは切り出した。

 聖衣ではなく、教皇の法衣を纏っている。

 そして奇妙なことにその姿からは戦意をまるで感じ取れなかった。

 

 「お前が赤子のアテナを抱いて、聖域を去ったあの時から既に十三年の月日が流れた。だがお前は再びアテナと共に戻ってきた。やはりお前こそ真の聖闘士なのだな……私はずっとお前が戻ってくる日を待っていたのだ」

 

 「なに……?」

 

 優しげな微笑に微かな涙を浮かべてそう言ったサガの姿に、アイオロスは意表を突かれた。

 それは、今の今までアイオロスが想像していたものとはまるで異なる、それこそかつて神の化身とも呼ばれていた頃のサガだった。

 

 「サガ……お前は………」

 

 目の前のサガは十三年前の、共に修業し過ごしていたあの時と、なんら変わってはいない。

 あの時の姿で、あの時の心で、今も教皇の仮面を被り続けているというのか。

 本心からアテナの殺害と聖域の掌握を望んでいたと。

 

 心のどこかに残っていた、サガを信じる、信じたいという気持ちが揺らいでいる。

 本当は、アテナを殺そうとした時のサガは正気ではなく、一種の乱心状態だったのではないか、そう思う心が無かった訳ではないのに。

 

 自らのかつての行いを、今の現状を、過ちだとは思っていない。

 サガがこうして聖域に君臨し続けているという事実は、つまりはそういうことなのだろうか。

 

 信じたくは無かった。

 だが、それ以上に大きな失望感がアイオロスの中に込み上げてくる。

 

 「…分かっている、私のした事は決して許されることではない。だが私は……いや、今はそんなことを言っている場合ではない。お前はアテナを救うためにここへ来たのだったな」

 

 「もちろんだ。下で倒れているアテナの所までお前を連れて行く。お前の力でアテナの胸に刺さった矢を抜いてもらうぞ!」

 

 サガの言葉に思うことが無いではないが、ともかく今はアテナの命を救うことが先だ。

 サガに戦闘の意志が無いと見た以上、すぐにでも白羊宮まで引き返さねば。

 しかし、サガから返ってきた言葉はアイオロスに更なる衝撃を与えた。

 

 「済まない。あの矢は私には抜くことが出来ないのだ」

 

 「なにい!?」

 

 教皇の、というよりサガの力ならばアテナに刺さった矢を抜くことができると矢を放ったトレミーは告げ、その言葉をアイオロス達の誰もが信じていた。

 だが、それはサガ自身の口から否定される。

 自然と言葉が熱を帯びるのに対して、サガの返事は冷静だった。

 

 「あの矢はこの私の力を以てしても抜くことは出来ない。しかし慌てるな……アテナを救うことは可能だ。アイオロス、お前はこの先のアテナ神殿へ行け」

 

 「神殿だと……なぜだ?」

 

 「忘れたか、あの神殿の奥に存在するものを。アテナ像に捧げられた二つの神器のことを」

 

 アイオロスは眉をひそめて僅かに思案すると、何かに気付いたように顔を上げた。

 

 「そうだ…あそこには確か……」

 

 「思い出したか、そこに納められているのは神話の時代よりアテナと共にあったという神具――――即ち勝利の女神(ニケ)と楯だ!」

 

 教皇の間の更に奥に存在する、聖域の象徴とも言うべきアテナの像。

 聖域のどこからでも見ることのできる巨大な神像は、その右手にニケと呼ばれる小さな女神像を、左手には楯を携えている。

 かつてアテナは地上の平和を守るための戦において、それらの武器を身に付け戦ったと言われている。

 

 「ニケは聖闘士に勝利をもたらし、楯はこの世のあらゆる邪悪の攻撃を弾くと言われている。かつてお前はアテナと共にニケをも持ち出したはず。それは今アテナの手にあるのか?」

 

 「ああ、ニケは杖に形を変えて、常にアテナの傍にある」

 

 そう、十三年前アイオロスがアテナを抱いて聖域から逃れた際に、その証としてニケを持ち去っていたのだ。

 

 そしてそれは今、形を変えて真の持ち主の手にある。

 

 「そうか、お前がここまで進んでこれたのには、ニケのおかげもあるのかもしれないな。…だがアイオロスよ、楯はまだここ聖域に残っている。その楯をアテナのいる方向へかざすのだ。そうすれば矢は消える」

 

 「よし、分かった!」

 

 躊躇している時間は無い。

 アイオロスは急いで楯が置かれているアテナの像を目掛けて走り出した。

 

 だが教皇の間を抜けようとした次の瞬間、背後からサガの声が聞こえたような気がして、アイオロスは後ろを振り返った。

 見ると、サガが胸元を抑えるようにしながら、床に倒れ込み息を荒げて呻いている。

 

 「サガ! どうした!?」

 

 咄嗟に駆け寄ると、端正な顔を歪め汗を流して何かに耐えるように歯をくいしばるサガの苦しげな姿が目に入る。

 

 「おい! サガ!」

 

 「うぅっ……私のことは構うな。いいから行け……!」

 

 その時のサガの声は、今まで聞いたことが無い程弱々しく、まるで息をすることさえも苦痛であるかのようにか細い声だった。

 しかし、それでもサガは身体を震わせながら絞り出すようにして言った。

 

 「は……早くしろ……アテナを救うのだ……」

 

 「しかし……」

 

 「急げアイオロス! さもないと…私は……私は…………お前を殺してしまう!」

 

 その瞬間、いきなりサガの拳が突き刺さる。

 身体を突き抜ける凄まじい衝撃に、アイオロスは大きく吹き飛ばされた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 突然の攻撃に成す術も無く地面に叩きつけられたアイオロスは、起き上がってサガの方を向いた瞬間、信じられないものを見た。

 

 「何だ? サガの髪が…黒く変わって……」

 

 なんと、見ているうちに髪――逆立つ程に長く伸びたサガの髪が、本来の金色から黒髪へと変化していくではないか。

 それだけではない。

 外見の変貌と共にそれまでの清らかだった小宇宙が見るものを圧倒するような、言い知れぬ邪悪な小宇宙へと変質する。

 

 「なっ……これは……」

 

 アイオロスはそれを黙って見ていることしか出来なかった。

 なぜなら、彼にはこの小宇宙に覚えがあったのだから。

 

 「どういうことだ……この圧倒的な小宇宙は、十三年前のあの時にサガから感じたのと同じものなのか……一体何が!?」

 

 謎の変化に呆然とするアイオロス。

 そしてサガはというと、ようやく身体の震えが治まり、ゆっくりと立ち上がった。

 だが顔を上げたサガを見たアイオロスは驚きを隠せなかった。

 

 その長髪は全て禍々しい漆黒に染まり、狂気を宿したような目は真っ赤に充血している。

 

 優しげな笑みを見せていた顔は、それまでとは似ても似つかない酷薄な表情、そして他人を見下すような冷笑を浮かべていた。

 

 「ククク……お前などに楯を渡してなるものか。ここで貴様を殺せばアテナも息絶える。そうなればニケも楯も私のものだ!」

 

 まるで人が変わったような口調で話し始めるサガ。

 全身から立ち上る強大な小宇宙と殺気にアイオロスも拳を構えた。

 

 「その姿と小宇宙……やはりあの時のサガは……!」

 

 「フッ……その通り。だが十三年前とは違う! 今度こそお前もアテナも我が手で葬ってやろう!」

 

 「黙れ! アテナの命は絶対に取らせん!」

 

 言い切るよりも早く、アイオロスの手から閃光が走った。

 これぞセブンセンシズに達した者のみが可能とする、聖闘士としての究極の到達点の一つ、光速拳。

 

 パアァァァン!!

 

 「なにい!?」

 

 だがなんと! サガはアイオロスが放った光速の一撃を軽々と片手で止めた!

 

 「何を驚いている。かつての私の力を、お前が知らないはずはあるまい」

 

 恐るべきはサガ。

 光速拳の衝撃に纏っていた法衣が多少裂けたが、その肉体はまるで無傷。

 

 「フッ……こんな動きにくい衣などもう必要ない。来い、聖衣よ! ここへ来て私の身体を覆え!」

 

 サガの小宇宙が激しく燃え上がり、その背後に現れる黄金の光。

 それを見たアイオロスの顔に緊張が走る。

 

 「あ……あれは、双子座(ジェミニ)の黄金聖衣(ゴールドクロス)!!」

 

 光が消え、遂に黄金聖衣がその姿を現した。

 四本の腕と二つの顔から成る奇怪な形状の聖衣が、空中でバラバラに分解しサガの身体に装着される。

 黄金聖衣を纏った両者は、遂に完全なる戦闘態勢となった。

 

 「行くぞアイオロス! 異次元の彼方を永遠にさ迷い続けるがいい! アナザーディメンション!!!」

 

 巨大な小宇宙が切り開く超常の扉。

 遥かなる異次元空間がサガの頭上に展開する。

 

 「クッ! 異次元に飛ばされる訳にはいかん!」

 

 双児宮で受けたものを更に上回る引力に、アイオロスは小宇宙全開で堪える。

 やがて周囲は異次元にどんどん引き込まれていき、遂に身体ごと空間に呑み込まれそうになった――――その時、強烈な小宇宙がアイオロスから迸る。

 

 「行くぞサガ! 一度倒れて目を醒ませ!」

 

 サガに向けられた拳が、雷鳴と共に激しい光に包まれた。

 

 「アトミック・サンダーボルト!!!!」

 

 光球を纏った拳の威力が、異界次元を突き破る!

 

 そしてその衝撃波は消えること無くサガの身体を貫いた。

 アナザーディメンションによる異次元は消え失せ、激しい衝撃音と共にサガは吹っ飛ばされて教皇の間を支える柱に激突する。

 その勢いだけで衝突した石柱を容易く砕き、アイオロスも手応えを感じていた。

 

 しかし、サガは何事も無かったかのように立ち上がった。

 発せられる小宇宙は微塵も衰えず、大した傷も負ってはいない。

 

 「バカな……!」

 

 同じ黄金聖衣を纏う者同士、アイオロスもサガが一撃で倒せるとは思っていなかったが、まともに光速拳が直撃してなお無傷とは。

 しかし、そんなことで気後れするアイオロスではなかった。

 更に身体と小宇宙を奮い立たせ、再び放つ渾身の拳。

 

 「アトミック・サンダーボルト!!!!」

 

 「無駄だ!!」

 

 渾身の力で振り抜いた拳は、無造作に突き出されたサガの掌に止められその威力は四散した。

 サガの手が、アイオロスの拳を掴み取る。

 

 「まさか……アトミック・サンダーボルトの威力を全て受け止めたというのか!?」

 

 「何を驚く。私の力は既に黄金聖闘士をも超えた。お前の拳など涼風ほどにも効かん!」

 

 サガの拳が、捉えきれぬ程の速さと強さでアイオロスの鳩尾を強打し、そのまま天井に叩きつけた。

 そして着地すると同時に、反撃の暇も無くまたしても光速拳で殴り飛ばす。

 

 「ククク……このままお前をなぶり殺しにしてくれる!」

 

 黄金聖衣の上からでもダメージを受ける程のとてつもない拳の衝撃。

 受け切ることもできずに、一撃がアイオロスの身体を貫いた。

 宙を舞い床に叩きつけられたアイオロスは、それまでの十二宮での傷も相俟って、脚に力が入らない。

 

 「なんという強さだ……信じれん……」

 

 床に手をつき、それでも立とうとするアイオロスの前に、悠然と近付いたサガは、徐に手刀を構えた。

 

 「止めだ、アイオロス。お前は死に、私は楯もニケも手に入れる。そしてこの私こそが地上の支配者となるのだ!」

 

 振りかぶった手刀が猛烈な勢いで首を目掛けて下ろされた。

 本気の殺意が籠った一撃がアイオロスに迫った――――その時!

 

 「クリスタルウォール!!!」

 

 「なにぃ!?」

 

 突如二人の間に現れる小宇宙の障壁。

 それにより、確実にアイオロスの息の根を止めていたであろう手刀は、その壁を砕くに留まった。

 怒気を漲らせたサガが小宇宙の出所に目を遣ると、そこにいたのはやはり――――

 

 「お前は……アリエスのムウ!」

 

 そして、もう一人。

 

 「アフロディーテ!?」

 

 双魚宮での激闘の後、アイオロスを追って教皇の間へ向かったムウとアフロディーテが姿を現した。

 未だ闘いのダメージが残っているのか、アフロディーテはムウの肩を借りて立っている。

 だがふらつきながらも、彼の目はアイオロスと対峙するサガをはっきりと捉えていた。

 その悪魔のような姿を。

 

 「サガ……あなたは……」

 

 「丁度いい。今からその二人を始末する。お前も手を貸すのだ、アフロディーテ!」

 

 「……!」

 

 「どうした……この私の命令が聞けんのか! ならばアイオロス達とまとめて貴様も殺す!!」

 

 それを見たアフロディーテは、心に動揺が広がるのを抑えきれなかった。

 

 知らなかった訳ではない。

 最も教皇の間に近い双魚宮の守護者である彼だからこそ、時折不安定になるサガの小宇宙を感じ取ってはいたのだ。

 しかし初めてその様子を目にして、沸き上がってくる想いを口にせずにはいられなかった。

 

 「私は……お前をサガとは認めたくない」

 

 握りしめた拳が必要以上に震えているのを感じている。

 その拳をゆっくりと向けた先は、サガ。

 抑えきれない感情を乗せて、アフロディーテが叫ぶ。

 

 「私が今まで正義と信じ、仕えてきたのは断じてお前ではない!」

 

 「なにい!!」

 

 決して私欲などではなく、力で地上を治めるのは、あくまで世界の平和のために。

 教皇に扮したサガを容認していた者達は皆、そう考えてずっと長い間彼に従っていたのだ。

 あのサガならば世界を平和へ導けると、そう信じて。

 

 だが現状はどうか。

 神の化身と言われた程の清らかな小宇宙は既に、影も形も無い。

 今のサガから発せられる気配、それは平和とはあまりにかけ離れたものだった。

 

 「いまはっきりと分かった! お前のような者が、地上に平和をもたらすことなどできるはずがない!」

 

 「いいだろう。そこまで言うのならば、この場で死ね!」

 

 サガの目付きが険しさを増していく。

 つい膝を着いてしまいそうになる程の凄まじい威圧感が、その場にいる全員にのし掛かる。

 それまでの忠誠になど何の意味も無く、アフロディーテですら殺すことを厭わないだろう。

 その殺気に、歴戦の黄金聖闘士でさえ息を呑んだ。

 

 誰一人として、動くことができない。

 しかし、もう時間は無いのだ。

 

 「クッ! うおぉっ!!」

 

 まず立ち上がったアイオロスが、そして僅かに遅れてムウが、前後からサガに向かって拳を叩きつけた。

 だがそれすらサガには通用しない。

 それぞれをまるで意に介さず、目で見ることも無く軽々と片手で受け止め跳ね返す。

 

 『クッ……アイオロス、アテナを救うためにはどうすれば?』

 

 『楯だ! アテナ像の持つ楯をかざすのだ!』

 

 一瞬の小宇宙を介したテレパシーで、なすべきことを確認する。

 今のこの状況では、教皇の間を抜けた先にあるアテナ像に近いのはアイオロスだ。

 

 「分かりました。私がサガを食い止めます。一刻も早く、あなたは先に進んで下さい!」

 

 ムウは小宇宙を燃やして立ち上がった。

 己の背後で高まる小宇宙に、サガも振り向き対峙する。

 

 その瞬間、アイオロスは教皇の間の更に奥へと駆け出した。

 自分の成すべきこと、ここまで付いてきてくれたムウへの信頼。

 アイオロスは、後ろを振り返ろうとはしなかった。

 

 「くそっ、楯は取らせん!」

 

 「待て! お前を先には行かせない!」

 

 「邪魔をするな!!」

 

 アイオロスを像の元へ行かせまいとするサガは、小宇宙を籠めた拳の一撃でムウを排除しようと襲い掛かった。

 だが、再び現れたクリスタルウォールによってその拳は阻まれる。

 

 「チィッ!」

 

 障壁を破壊するのは訳ないが、時間稼ぎという意味ではこれ以上都合のいいものは無い。

 これを何度も繰り返されてはいたちごっこになりかねない、そう判断したサガは一旦拳を引いた。

 しかしそこに畳み掛けるように、ムウは小宇宙を燃やして拳を振るう。

 

 「アイオロスがアテナを救うまでに、お前をこの場で倒す!」

 

 その瞬間、ムウの小宇宙が急激に膨れ上がった!

 

 「我が師の無念を今ここに! スターダストレボリューション!!!!」

 

 尾を引き煌めく無数の流星!

 天翔る光弾の軌跡が砕き、突き抜け、吹き飛ばす!

 

 全霊の小宇宙を乗せた渾身の拳に、サガの身体が宙を舞った。

 

 その勢いで背後の石柱をもへし折り、頭から地面に激突する。

 この時点で闘いの舞台である教皇の間は、柱は折れ、壁や床には亀裂が走り、大広間は激しく損傷している。

 その瓦礫の山と言っても過言ではないような所からサガはゆっくりと這い出してきた。

 やはりと言うべきか、目立った外傷は無かった。

 

 「なっ!?」

 

 驚愕の表情で拳を構えるムウ。

 だが、そんな姿を嘲笑うかのようにサガは口を開いた。

 

 「フッ……無駄だ……何度やろうがお前の拳などこの私には通用しない!」

 

 「クッ……!」

 

 気圧されそうになりながら、もう一度小宇宙を高めるムウ。

 しかしその前に、今まで殆ど動かなかったアフロディーテが立ちはだかった。

 ムウではなく、サガの方を向いて。

 

 「アフロディーテ……?」

 

 ムウは一瞬呆然としてアフロディーテの方を向き、突然横やりを入れられたサガは、怒りの声を上げる。

 

 「貴様……やはり裏切るか!」

 

 「違う……私が心から仕えるのは、あのお方のみ。やはりお前は私が信じたサガではない! 地上の平和のために、私は敢えてこの拳を向けよう!」

 

 アフロディーテの手に現れた漆黒の薔薇が、サガへと突きつけられた。

 そして吹き荒れる小宇宙が薔薇と一体となった。

 

 小宇宙が生み出す黒き花弁が渦巻き牙を突き立てる!

 

 「受けろ! 全てを噛み砕く黒薔薇! ピラニアン・ローズ!!!!」

 

 触れるもの全てを粉砕する黒薔薇の猛威。

 それがサガを覆い喰らいついた。

 

 だが次の瞬間、下から突き上げるように放たれた拳の衝撃で薔薇はおろかアフロディーテすらも弾け飛ぶ。

 

 「グハッ!?」

 

 「言ったはずだ。お前達の技などこの私には通用しないとな!」

 

 サガは着地したアフロディーテを見下ろしながら告げた。

 そしてみるみる内にサガの小宇宙が高まっていく。

 どこまでも大きく、今までよりも巨大に、いやそれ以上に果てしなく!

 

 「もはや面倒……二人まとめて吹き飛ばしてくれる!」

 

 これまでは圧倒的な力にものを言わせて拳を振るうだけだったサガの小宇宙が、その両腕に集まっていく。

 辺りを覆い尽くす巨大な小宇宙。

 その背景に、宇宙が見えた!

 

 「見るがいい! 銀河の星々をも砕くジェミニの真髄を!」

 

 サガの頭上で交差した両腕から凄まじい小宇宙が今、解き放たれる!

 

 「ギャラクシアンエクスプロージョン!!!!」

 

 銀 河 爆 砕 !!

 

 究極の小宇宙が織りなす破壊の波動が、途轍もない光の柱となってムウ達二人を呑み込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 大爆発の余韻が止み、教皇の間に立っていたのはサガただ一人。

 壁に叩きつけられたムウと石畳に激突したアフロディーテはピクリとも動かない。

 

 「やっと片付いたか。これで残りは奴だけだ。アイオロス、貴様に楯は渡さん!」

 

 背筋も凍るような薄ら笑いを浮かべながら、サガもまた神殿への道を走り出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アテナ神像を目指すアイオロスは、残り僅かな力を振り絞って進んでいた。

 もう時間も体力も限界に達しようとしている中、ただ気力のみで足を動かすアイオロス。

 教皇の間からアテナ像のある神殿へ繋がる回廊を走り続ける。

 セブンセンシズによって既に楯の在処は手にとるように把握出来ている。

 そこを目指して走る、どこまでも。

 

 だがおかしい。

 行けども行けども神殿に辿り着かない。

 一歩を踏み出しても周囲の景色が変わらない。

 

 そうまるで、円の中に囚われたかのように!

 こんなことが可能な人物は、この場にたった一人!

 

 「何処へ行くつもりだアイオロス。貴様にもう進むべき道など無いぞ!」

 

 「サガ……!」

 

 現れたのはやはりこの男――――双子座のサガ。

 神像の楯を取らせまいと最後の最後まで立ち塞がる最大の障壁。

 アテナの命を救うために、残された手段はただ一つ。

 

 「受けろ! 大いなる黄金の矢を! インフィニティ・ブレイク!!!!」

 

 無数の輝く閃光と化した光速拳、それはまさしく黄金の光矢!

 螺旋を描く光の軌跡が、サガを呑み込み突き刺さる!

 しかし――――

 

 「バカな……!」

 

 アイオロスの視線の先には、顔色一つ変えずに必殺技を受けきったサガが傲然と立っている。

 あろうことか、全身隈無く攻撃が直撃したにもかかわらず、微動だにしていない。

 

 「フッ……その弱った身体で何が出来る? 今のお前の攻撃など、もはや避けるまでも無いわ!」

 

 「グアッ!!」

 

 一閃したサガの拳がアイオロスを背後の石壁に叩きつけた。

 壁にめり込む程の力で吹き飛ばされたアイオロスの身体が、ゆっくりと傾いていく。

 まさしくこの世のものとは思えぬ程の強さを発揮するサガ。

 同じ黄金聖闘士ですら、本当に手も足も出ない。

 

 「終りだ……二度と立ち上がることの無いよう完璧に打ち砕いてやろう!!」

 

 聖域の大地が唸りを上げる。

 地鳴りの響きがサガの小宇宙に共鳴しているかのように。

 掌程の僅かな空間に凝縮された巨大な小宇宙は、星の最期を思わせる眩い輝きを放つ。

 

 「銀河に浮かぶ星々と共に散るがいい!!」

 

 カアァッッ!!

 

 「ギャラクシアンエクスプロージョン!!!!」

 

 一瞬。

 一瞬の内に足元から爆裂した小宇宙が天を貫いた。

 

 激しい衝動は教皇の間の天蓋を突き抜け、アイオロスを空高くへと打ち上げる。

 全身の機能と感覚を破壊する圧倒的な暴力が、一気に押し寄せ吹き飛ばされた。

 

 銀河をすら砕くと謳われたジェミニのサガ最大の拳。

 それはまさしく星の命の尽きる時、超新星爆発のように。

 爆風に呑まれ、肉体の隅々にまで破壊の衝撃が駆け巡る。

 四方から叩きつけられる行き場の無い圧力が身体の奥へと突き刺さる。

 

 アイオロスはまともに落ちれば五体が砕け、即死するような高さへと舞い上がっていた。

 もはや指一本さえ動かない。

 ここまでの闘いの疲労とダメージが、目を開けることすら困難にさせている。

 

 「あ……あれは……」

 

 薄く開いた目で見たのは聖域のもう一つの象徴とも言うべき大火時計の炎。

 十二宮の星座が彫り込まれた盤上の火は、最後の一つである双魚宮に達している。

 一つの宮が示す時間は一時間。

 全ての宮の火が消えた時、アテナの胸に刺さった黄金の矢が心臓を貫く。

 だが双魚宮の火も、既に僅かに確認できる位の大きさでしかない。

 

 時間も力も、もう残ってはいないのだ。

 

 「クッ……」

 

 諦めかけたその時、思わず十三年前の敗北が頭をよぎっていた。

 あの時、赤子のアテナを守るためとはいえ、聖域から逃げることしか出来なかった。

 

 他に手段は無かったか。

 アテナを、そしてサガを救済することはできなかったのかと。

 心の奥底では常に後悔を感じていた。

 そして、自分自身の不甲斐なさへの憤りも。

 

 落ちゆく最中に考える。

 このままサガに敗北しアテナを救うこともできないのか。

 

 「違う……」

 

 共に闘ってくれた仲間の想いを無にするのか。

 

 「違う!!」

 

 アテナのため、仲間のため――――そして何より、友のために。

 

 「そうだ……聖域から逃れた時、私は既に一度死したも同然……」

 

 残っている。

 まだ命の鼓動は――――消えてはいない。

 

 「立て……何度でも……この命尽きるまで!!」

 

 その時、アイオロスの中で何かが弾けた。

 全身に、得体の知れない力が漲っていく。

 小宇宙が、心が、強く激しく燃えている!

 

 「今こそ! 聖闘士として己の使命を全うしよう! 私は負けない! ここで負ける訳にはいかんのだ!」

 

 正真正銘最後の力。

 例え残り僅かだとしても、命ある限り小宇宙は燃える!

 

 「アテナよ……小宇宙よ……最後の力を与えてくれ!!」

 

 命の小宇宙がその身に猛る。

 落下のエネルギーをも加えた拳が激しく唸る。

 

 「それがどうした! 貴様の残り僅かな命の炎など、掻き消してくれよう!」

 

 サガを目掛けて拳を構えるアイオロス。

 今度こそ確実な止めを刺そうと、サガも渾身の力と小宇宙を込めた拳を振りかぶる。

 だが次の瞬間、サジタリアスの聖衣が輝いた!

 

 「何だ!? 奴の背後に浮かび上がるあれは……黄金の翼!?」

 

 瀕死の身体で、それでもなお小宇宙と聖衣が一体となり、射手座の象徴とも言える光の翼が聖衣に宿る!

 

 「なにい!?」

 

 「アトミック・サンダーボルトーーーー!!!!」

 

 天震わす雷光の拳!

 

 放たれた巨大な光球が教皇の間からアテナ像へと続く回廊を吹き飛ばしサガ諸共に大地を穿つ。

 

 迸る衝撃が石造りの床を大きく抉り、轟音を響かせた。

 濛々と立ち込める土煙の中にゆっくりと立ち上がる人影が――――二つ。

 

 「グッ……おのれ……アイオロス……!」

 

 「サガ……」

 

 サガの口元から血が流れている。

 アイオロスも、全身が血と汗と傷にまみれている。

 しかしその身から湧き上がる小宇宙は、まるで目に見えるかのよう。

 火花を散らし対峙する両者の凄まじい小宇宙が、中間地点で鬩ぎ合う。

 

 「お前がどれだけ小宇宙を高めようと、塵も残さず消し飛ばしてくれる!」

 

 「燃え上がれ……今こそ……限界を超えて……!」

 

 黄金の灯火を纏うが如く――――巨大な小宇宙がぶつかり爆ぜる!

 

 「受けろ! 銀河を砕くこの拳を!!」

 

 「燃え盛れ俺の小宇宙! 我が想いを乗せて…………貫け!!」

 

 極限の小宇宙が二人の拳に集約される。

 互いが全ての力、全ての小宇宙をその一瞬で爆発させた。

 

 「ギャラクシアンエクスプロージョン!!!!」

 

 「インフィニティ・ブレイク!!!!」

 

 万物を打ち砕く超新星爆発と、全てを貫く黄金の光矢が交差する!

 

 その瞬間、二人の世界は黄金の光に包まれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 二つの技の威力がぶつかり合った結果、今にも周囲を巻き込み弾け飛びそうな小宇宙の塊が二人の間でくすぶっている。

 サガにも、アイオロスにも、この一撃を放った後に残る力など無い。

 直感的に理解しているのだろう、この一撃が最後になると。

 自身の力の最後の一滴まで振り絞って、まさしく渾身の小宇宙で相手の技を押し返す。

 

 超圧縮された小宇宙が生み出す大爆発の衝撃と、極点にまで研ぎ澄まされた光速拳とが激突し、それはやがて互いに一歩も譲らない力比べに突入した。

 崩れそうで崩れない、ギリギリの均衡状態で二人の小宇宙だけがどこまでも高まり続ける。

 だがその時、サガが気付いた。

 

 「何だ……アイオロスの拳が!?」

 

 アイオロスの手元から螺旋を描いて放射状に大きく広がる拳の軌跡が、再び渦を巻いて一点に集約されてゆく。

 それは尖端一点の貫通力、突破力が格段に跳ね上がることを意味している。

 

 「ぬあぁぁっっ!!」

 

 だがサガもまたアイオロスの拳を押し返すべく小宇宙を振り絞る。

 二人に押し寄せる爆風と衝撃。

 光の矢と化す光速拳が徐々に中央に集まりつつある――――その時!

 

 カッッッ!!

 

 「ッ! これは!?」

 

 サガの右足に突然の鋭い痛み。

 ジェミニの聖衣を貫いて突き刺さっていたのは――――サジタリアスの黄金の矢。

 

 「バカな……奴の小宇宙が呼び寄せたというのか!?」

 

 瞬間、サガとアイオロスの間の均衡が崩れた。

 そして遂に、心の小宇宙が奇跡を起こす!

 

 「うおぉぉぉぉぉぉ! 究極にまで高まれ我が小宇宙!!」

 

 「なにぃ! アイオロスの拳が変わった!?」

 

 燃え立つ焔は黄金の小宇宙!

 光輝く翼を纏いて、銀河を次元を貫き砕け!

 無数の閃光が研ぎ澄まされ折り重なって生まれたそれは!

 

 BIG BANG!!!

 

 天地開闢にも似た極大の閃光が、サガの小宇宙を貫いた。

 聖域を揺さぶる凄まじい衝撃が、教皇の間を突き抜け立ち上る巨大な光の柱となってサガを夜空に舞い上げる。

 

 成す術無く激しい勢いで頭部から大地に叩きつけられたサガは、その時既に意識を失っていた。

 

 「私の……勝ちだ……!」

 

 アイオロスは全身から一気に力が抜けていくのを感じていた。

 ここで膝を着いてしまったら、恐らくもう立てなくなるだろう。

 

 「ま……まだだ……」

 

 噛み締めるようにそれだけを呟くと、フラフラと立ち上がりアテナ像へと進み始めるアイオロス。

 

 長かった。

 幾多の黄金聖闘士を倒し、果てしなく続く十二宮を越え、因縁の宿敵をも倒して、そしてやっと辿り着いた。

 

 そこに鎮座していたのは身に迫る程巨大な、楯を提げるアテナの姿を模した像。

 あと僅かの距離を、満身創痍の身体で進んでいく。

 

 「アテナよ……」

 

 その左手にある楯に手を掛けた。

 すると、まるで待ち構えていたかのように、楯はアイオロスの手に収まった。

 

 それを十二宮の入口、アテナが倒れている方向を目掛けて高々と掲げて叫ぶ!

 

 「楯よ! アテナを救えーーーー!!」

 

 それは光の速さをも超えた出来事だった。

 楯より溢れ出した神聖な光は、聖域全体を通り抜けたように見えた。

 

 アテナの胸に刺さった矢は――――矢は、消え去った。

 

 そして――――

 

 「サ……サガの小宇宙が元に戻っている。サガの中に巣食っていた……邪悪な気は……消えた……」

 

 薄れゆく意識の中、最後にそれだけを確認すると、全ての小宇宙を放出しきったアイオロスは、ゆっくりと地面に崩れ落ちていった。

 

 

 

 

 

 


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