もし青銅が黄金だったら   作:377

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第十二話 最も神に近い男

 第六の宮・処女宮の奥深くで、一人の男が目を閉じ、座禅を組んで瞑想している。

 長く伸ばされた金髪と東洋系の風貌からは、どこか不思議な雰囲気が感じられた。

 

 男の名はシャカ。

 処女宮の守護者である乙女座(バルゴ)の黄金聖闘士。

 彼は普段滅多なことでは処女宮を離れることは無く、聖域の中を動き回ることさえ稀である。

 今も、微動だにすること無く静かに一人宮の中で佇んでいる。

 

 だがその実力は黄金聖闘士達の中でも群を抜いているとされ、聖域の人々の間では「最も神に近い男」とも呼ばれているのだ。

 

 かつて、星矢達と黄金聖衣を巡って争った鳳凰星座(フェニックス)の一輝は、一度シャカに討伐されかけたことがある。

 青銅聖闘士最強と言われ、数ある聖衣の中で唯一灰となっても復活するという最も優れた自己修復機能を備えたフェニックスの聖衣を纏う男、一輝。

 正に青銅聖闘士どころか、白銀聖闘士と比べても別格の力を持ったかの一輝でさえも、絶対に敵わないと言わしめた程の聖闘士がシャカだ。

 

 異教の開祖と同じ名を持つこの男は、その名の通り仏陀の生まれ変わりではないかとも噂され、聖域や周辺の村に住むアテナを信仰する聖闘士や住民の中にあってひときわ異彩を放っていた。

 

 そして現在、シャカは閉ざされた目の向こうから、徐々に近づきつつある強烈な小宇宙を感じ取っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 「着いたな。あれが処女宮か」

 

 アイオロス達三人は黄道十二宮第六の宮、処女宮に到達した。

 勿論アイオロスはこの宮を知らない訳でも、初めて見た訳でも無い。

 しかし十三年の時を経て、改めて十二宮を見てみると、慣れ親しんだはずのそれらからは以前とはまた異なった印象を受けるのだった。

 

 「宮の守護者は……シャカ。なるべくなら闘いたくは無い相手ですね」

 

 「同感だな」

 

 ムウとアイオリアがそれぞれアイオロスに近付いて言った。

 その口調は、同格である黄金聖闘士でさえ闘いを避けようとするシャカの力を物語っている。

 

 「そうだったな。あのシャカか……」

 

 アイオロスの脳裏に浮かぶのは、少年時代のシャカの姿。

 

 かつてアイオロスが聖域にいた頃、勢揃いしていた黄金聖闘士のほとんどは幼い者達だった。

 彼らを率いるアイオロスやサガでさえもまだ15才であり、やや年長の者でも10才、その他は7才程度と少年というより子供と言ってもいいような黄金聖闘士達の中で、唯一人その時点で最強の聖闘士であったアイオロスやサガに匹敵する小宇宙を放っていたのがシャカだったのだ。

 

 シャカには聖闘士としての師が存在せず、神仏との対話の中で小宇宙の真髄を悟ったとも言われている。

 師も無しに独力で黄金聖闘士としての力を得るなど、長い歴史を持つ聖域でも前代未聞であり、当時からシャカは抜きん出た存在であった。

 アテナの聖闘士でありながらどこか達観したような、少年とは思えない言動をしていたシャカのことは、色褪せない記憶としてアイオロスの中に残っている。

 

 そしてムウとアイオリア、とりわけアイオリアは長いこと十二宮での隣人として過ごしてきたのでシャカのことは三人の中で最も良く知っている。

 そのアイオリアが処女宮の手前で他の二人に言い聞かせるように言った。

 

 「シャカに会う前に言っておこう。もしシャカと闘うことになっても、決して奴の目を開かせてはならん」

 

 「目を?」

 

 アイオロスとムウが同時にアイオリアの方を向いた。

 言われてみれば確かにシャカが目を開けているのを一度も二人は見たことが無い。

 初めて出会った者ならば、シャカは盲目だと思っても無理ないだろう。

 だがアイオリアはそれをはっきりと否定した。

 

 「シャカは目が見えない訳ではない。奴が常に目を閉じているのはそうすることで五感のひとつを削り、それによって小宇宙を蓄えているからなのだ」

 

 「なるほど。目を開けば……その蓄えた小宇宙が解放されるということですね」

 

 シャカが常に目を閉じているという真の理由。

 それを聞いて、ムウは得心したように言った。

 黄金聖闘士でも、究極の感覚である第七感を常に意識している訳ではない。

 しかしシャカは普段から感覚を一つ削ることで、それを感じ易くしているのだろう。

 そして、三人は処女宮へと突入した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「フッ……ムウにアイオリア、まさか君達が教皇に反旗を翻すとはな。そして十三年振りか……アイオロス」

 

 処女宮で三人は、硬い石の床に直接座したままのシャカと対面する。

 話す時も、顔はアイオロス達の方向を向いてはいるもののその目は固く閉ざされたままだ。

 そんなシャカにアイオロスは今までと同様にアテナが倒れていることなどを説いたが、返事はやはり宮を通すことは出来ないということだった。

 

 「シャカよ、お前も教皇の手先となって私達の行く手を阻むというのか」

 

 アイオロスはアテナの手足となるべき聖闘士がこうもことごとく教皇側に与力している現状に声を震わせる。

 しかしシャカはそれに対して平然と言った。

 

 「何を言っている。私はこれでも聖闘士だぞ。間違っても地上の平和以外のことに力を尽くすつもりは微塵も無い」

 

 と、そこでシャカは一旦言葉を切った。

 

 「そもそもこの世に絶対不変の正義など存在しない。アテナといえどもそれは同じこと。私は目を閉じているが故に、人の善悪を見抜くことが出来る。そして……私が見た教皇は正義だ!」

 

 「なにい!?」

 

 アイオリアが怒りの声を上げた。

 彼には聖域の聖闘士達を誑し教皇を騙る男が正義だとは到底思えなかった。

 アテナにさえも危害を加えた男が。

 それは聖闘士として、やってはならない行為ではないか。

 しかしアイオリアの言葉はシャカには届かなかった。

 

 「アテナも神でありながら配下に背かれるようではどのみちこの先の聖戦を戦い抜くことは出来ないだろう。それならいっそ今の教皇の元で聖闘士としての使命を全うすべきではないかね?」

 

 その言葉に、遂にアイオリアの堪忍袋の緒が切れた。

 

 「これ以上言っても無駄のようだな……ならば、力ずくで通るまでだ!」

 

 一瞬の閃光。

 アイオリアの拳が光と消える。

 

 「ライトニングプラズマ!!!!」

 

 シャカの身体を取り巻くように無数の光速拳の軌跡が走った。

 対するシャカは、両手で印を組むと己の小宇宙を燃焼させる。

 

 「カーン!!!」

 

 発現する小宇宙の防壁。

 瞬時にシャカの周りに現れたドーム状の防御壁に、アイオリアの放った光速拳が叩き込まれる。

 

 ドドドオオォォォォ!!!!

 

 光速拳と障壁が激突し、轟音と共に炸裂した光速の衝撃にもシャカはその座禅姿を崩していない。

 見ると、シャカの周囲に円を描くように深い溝が刻まれ、その内部は何の損傷も受けてはいないが外側の床は光速拳をもろに受けて大きく抉れている。

 

 「さすがはシャカだ。己の周りに完璧な防御壁を敷いて俺のライトニングプラズマにも微動だにしないとは……」

 

 アイオリアの持つ二つの技の内でも、ライトニングプラズマは手数を重視した技だ。

 一撃に全ての小宇宙を乗せて放つライトニングボルトに比べれば一発の威力は低いが、その恐るべき拳の連打によって相手に回避や防御を許さない。

 それに一発の威力が低いと言ってもそれはもう一方と比べてのことであり、一つ一つが光速拳であることを考えれば聖闘士として十分な攻撃力を有していると言える。

 しかし相手と自らの実力が拮抗しているような時はそうはいかないだろう。

 それこそ一発ではなく何百発何千発と命中させなければ大したダメージは与えられない。

 そうなれば無論全体の総ダメージはライトニングボルトにも劣らないが、一つ一つの威力が低いがために今回のように強力な防御をとられると、それを突破する力が無いのだ。

 

 衝撃の余韻が消え去ると、シャカは手の印を切り替えた。

 

 「フム……君達がそうくるのなら、良かろう。かつての仲間故にと思っていたが……今、私の中の迷いは消えた!」

 

 シャカの小宇宙が燃焼し、二つの手の間で増幅され集約していく。

 激しく膨れ上がった小宇宙を解き放つようにシャカが片手を天に向かって大きく振りかざした。

 

 「オーム!! 天魔降伏!!!!」

 

 「させるか! ライトニングボルト!!!!」

 

 荒れ狂う雷と化した巨大な小宇宙が、その場の全てを打ち砕く!

 

 駆け抜ける! 黄金なる獅子の咆哮! 

 

 シャカの小宇宙を迎撃しようと放たれた拳との間に、巻き起こる轟音と激しい衝撃。

 その衝撃を最も間近で受けたアイオリアとシャカは、共にその場から大きく後ずさった。

 

 そして今の一瞬のやり取りで互いの力を感じ取る。

 それでもアイオリアは怯まず更なる拳を繰り出した。

 アイオリアの小宇宙と気迫が込められた拳を前にして、遂にシャカも座禅を解いて立ち上がる。

 

 「行くぞシャカ!」

 

 「フッ……来たまえ!」

 

 金属同士がぶつかり合うような音が響いた。

 アイオリアの拳をシャカが片手で止めている。

 

 「この程度か。黄金の獅子の力もたかが知れているな」

 

 「何だと!」

 

 その言葉と同時にシャカの放った光速拳を同じくアイオリアも掌で受け止めた。

 互いが互いの拳を掴んで止めている状況では、牽制のため自分の方から先に蹴りを放つ訳にもいかない。

 二人共が相手に対して全神経を集中しており、アイオリアの目にはシャカしか映らずシャカの目にはアイオリアしか映っていない。

 

 ただ互いの間で高まり、衝突し続ける小宇宙の猛威が処女宮内部に吹き荒れる。

 

 そのまま戦闘は膠着するかと思われたその時、シャカの小宇宙がアイオリアの力を凌駕し始めた。

 

 「このままでは千日戦争に陥り決着がつかなくなることは避けられん。ならばもはや君の息の根を止めるしかあるまい」

 

 「それが容易く出来ると思うか!」

 

 劣勢になりつつもアイオリアの気迫はまるで衰えず、シャカを相手に叩きつけるように叫んだ。

 小宇宙が及ばないならパワーで補おうと言わんばかりにアイオリアは全身の筋肉に力を込める。

 だがその勢いをもってしてもシャカを退かせることは出来ない、むしろシャカの小宇宙が更に大きく高まりそして――――

 

 「アイオリアよ、死の世界へと墜ちるがいい。いくぞ!」

 

 突如アイオリアの視界が暗転し、そこに現れたのは死者の世界!

 

 「六道輪廻!!!!」

 

 仏教の死生観である輪廻の思想。

 生きとし生けるものは全て輪廻を終えるまで六道を巡り続けるという。

 六道とは即ち、

 

 「地獄界」―――火の海、血の池、針の山。尽きる事の無い断末魔の恐怖。

 ここに落ちた者は、未来永劫果てることなく苦しみもだえる。

 

 「餓鬼界」―――体は骨だらけ、腹だけが膨れ上がり、常に食べ物をもとめ、死肉さえも食らい尽くす、むさぼりの日々が続く餓鬼道に落ちた者達の世界。

 

 「畜生界」―――まさに動物の姿に転生させられた者たちが織り成す、弱肉強食のけだものの世界。

 

 「修羅界」―――血と殺戮・・・。常に誰かと戦わなければならない修羅の道。休むことなく永遠に戦いが繰り広げられる世界!

 

 「人界」―――喜怒哀楽・・・。揺れ動く感情にさいなまれ続ける不安定な人間の世界!

 

 「天界」―――極楽の世界と言われるが、ここは思い一つで人界を通り越し、いつでも畜生、餓鬼、地獄の界へ転がり落ちる最も危険な場所。

 

 「アイオリア、果たして君が墜ちたのはどの世界かな?」

 

 シャカの言葉が終わると同時に、アイオリアの身体は力を失い膝を折って崩れ落ちた。

 そして俯せになって倒れているアイオリアを見下ろしながらシャカは一言呟く。

 

 「まだ命はあるようだな。さすがは黄金聖闘士の一角……とはいえ二度と意識を取り戻すことはあるまい……ここで止めを差すのも慈悲というものか」

 

 倒れるアイオリアの首を狙って手刀を振り上げるシャカ。

 だがしかし、それが下ろされるよりも早く一発の光速拳がシャカの手首を撃った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「君か、アイオロス。まだこの処女宮に留まっていたとは思わなかったぞ。やはり弟の命を見捨てるのは忍びないのか?」

 

 シャカの閉じた目の先に立っていたのは紛れもなくアイオロスだった。

 そして一息でアイオリアの元まで駆け寄ると、弟の身体を少し離れた所に横たえる。

 シャカは敢えてそれを止めようとはしなかったが、やがて目の前に立ち塞がったアイオロスに向かって言った。

 

 「君一人か……。どうやらムウは先に行ったようだな。アイオリアの命を救うためにわざわざここに留まるなど、君はアテナを助けると言っておきながら肉親への情を優先させるのか?」

 

 シャカの言葉に非難の色が混じるのは、アイオロスの行動がアイオロス自身の言に反していると見たためか。

 しかしアイオロスはわずかの間目を閉じると、自分自身に言い聞かせるように口を開いた。

 

 「私はかつてアイオリアにこう言ったことがある。聖闘士ならばアテナと、そして地上の平和のために力を尽くせと。だが……それだけではない。友、肉親、罪無き人々、このどれ一つをとってもアテナと同じく命を賭けて守るに値する! この想いは聖闘士としてなんら恥じる所は無い!」

 

 拳を構えるアイオロスから激しい小宇宙が噴き上がる。

 その言葉にシャカはそうか、と小さく呟くと手に印を組み戦闘態勢でアイオロスと対峙する。

 

 「ならばアイオリア同様君も地獄へ墜ちてもらうぞ。六道輪廻!!!!」

 

 アイオロスの前に六道地獄が姿を現す。

 身体から精神が六道輪廻に引きずり込まれていく感覚の中、アイオロスは自身の聖衣に備わる翼に小宇宙を込めて天を翔る。

 

 「シャカよ、聖闘士に一度見た技は通用しない!」

 

 「なにっ?」

 

 一度アイオリアがその技を受けたのを見たからなのか、小宇宙を瞬間的に高めることでアイオロスは六道輪廻を脱出する。

 そして技を放った直後のわずかな隙にシャカ目掛けて踏み込むと、己の右拳に小宇宙を乗せて目の前の相手の身体に叩き込んだ。

 

 「行け! アトミック・サンダーボルト!!!!」

 

 「カ……カーン!!!」

 

 咄嗟にシャカも自身の周囲に結界を張った。

 そして先程と同じく処女宮に衝撃波が走る。

 

 「……今度は無傷とはいかなかったようだな」

 

 シャカの額からわずかに血が流れている。

 聖闘士にとってその程度のダメージは皆無に等しい。

 しかしシャカの強固な結界をアイオロスの拳は貫いたのだ。

 流れる血を拭ったシャカの顔にかすかな笑みが浮かぶ。

 

 「まったく……どうやら君という男を侮っていたようだ。君ほどの相手に生身のまま死界に落とすのは私でも骨が折れる。よってこれより私の全力をもって君の五感を剥奪する!」

 

 「な……なんだ!?」

 

 閉ざされていた両眼が徐々に開いていく。

 それに従うようにシャカの小宇宙が更なる高まりを見せる。

 

 カァッッ!!

 

 シャカの目が開いた!

 

 目を見開く、ただそれだけの動作でシャカの小宇宙はそれまでとは桁違いに膨れ上がる。

 シャカの身体から溢れ出るあまりに強大な小宇宙に息を呑むアイオロス。

 

 「受けよアイオロス、乙女座のシャカ最大の奥義! 天舞宝輪!!!!」

 

 シャカの背後に浮かび上がる巨大な曼陀羅。

 その陣に捕らえられたアイオロスの動きを封じるように小宇宙の重圧がのし掛かる。

 

 「天舞宝輪とはこの世の真理にして完璧なる調和の世界。その中では相手は攻めることも守ることも不可能となる。まさしく攻防一体の戦陣なのだ!」

 

 「むぅ……何という恐るべき小宇宙!」

 

 硬直するアイオロスを前に天舞宝輪の威力が襲いかかる。

 

 「第一感剥奪!!」

 

 アイオロスの身体は陣全体から押し寄せてくる小宇宙の波動に天井近くまで打ち上げらた。

 そして、そのまま受け身も取れずに処女宮の石畳に頭から激突する。

 すぐさま立ち上がるアイオロスだったが、唐突に異変に気付いた。

 

 「なっ……これは!?」

 

 「今の一撃で君の触覚を破壊した。もはや君には立つのがやっとだろう。さあ……生き延びたければ大地に頭をこすりつけて私を拝め。ここで引き返すことを認めてやってもいいぞ?」

 

 シャカの言う通りだった。

 アイオロスは今踏みしめている床も、纏っている聖衣の肌触りも感じることが出来ない。

 拳を握ろうとしても、その感覚すら無いのだ。

 だがそれでも辛うじて立っている身体を無理矢理動かして攻勢に出る。

 

 「断る! アテナの命がかかっているのだ! ゆけ! アトミック・サンダーボルト!!!!」

 

 「無駄だと言ったはずだ。第二感剥奪!!」

 

 再び吹き飛ばされ、立ち上がったアイオロスの目からは、その光が消えている。

 

 「今ので視覚を奪った。さあ次はどこがいい」

 

 しかしその瞬間、アイオロスとは別方向から声がかかった。

 

 「ま……待て!」

 

 振り向いたシャカはそこに立つ男を一瞥すると不機嫌そうな声で言った。

 

 「アイオリアか。私の六道輪廻を受けて立ち上がったことは誉めてやろう。だがそのまま宮を抜けていればいいものを……君も兄と一緒に逝くかね?」

 

 文字通り目を開いて覚醒したシャカを相手にそれでもアイオリアは力強く吼えた。

 

 「そんなことはさせん! 陣の一つや二つ、このアイオリアが打ち砕いてくれる!」

 

 顕現する獅子の咆哮!

 

 「受けよ! ライトニングボルト!!!!」

 

 激しく輝く光球を纏うアイオリア渾身の拳。

 だが小宇宙を振り絞って放つ光速拳すら今のシャカには届かない。

 

 「天舞宝輪の中でそんな技は通用しないぞアイオリア! 君からは味覚を奪ってやろう!」

 

 シャカの小宇宙がアイオリア目掛けて襲いかかった。

 拳の威力を掻き消して、迫り来る力の波動。

 

 「うおぉぉぉぉぉ!!」

 

 しかしそれが命中する寸前――――アイオリアは横から強い力で突き飛ばされた。

 

 「まさか……? 兄さん!」

 

 目に飛び込んできたのは、アイオリアを庇うように立ちはだかるアイオロスの姿。

 弟に代わって天舞宝輪を受ける姿を見たシャカが思わず声を漏らす。

 

 「まだ動けるとは驚いたな。そして弟のためとはいえ躊躇うこと無く自ら割って入るとは…」

 

 アイオロスは既に触覚、視覚、味覚の三感を失い見ることも話すことも出来ない。

 故に小宇宙を介したテレパシーでアイオリアに話しかけた。

 

 『アイオリア、ここは私に任せてお前は先に進め。そしてなるべく早くムウと合流するんだ』

 

 「し……しかし…」

 

 『いいから行け! 私のことなら心配するな。必ずシャカを倒して後から追いつく!』

 

 「うっ…く……分かった、俺は先に行こう。だが兄さん、絶対に追いついてくれ!」

 

 『勿論だ!』

 

 その言葉を聞いてアイオリアはシャカには目もくれずに宮の出口へと走りだした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『見逃すとは詰めが甘いな、シャカ』

 

 「なに、君一人をここで倒せばそれで十分だ。残りはたったの二人。君の力無しにこの先にある宮を抜けることはできまい」

 

 アイオリアの後ろ姿は既に見えないが、彼の去った方角に一度目を向けると再びアイオロスの方に向き直って言った。

 

 「それに君は自分のことをもっと心配したらどうだ。五感を失えば廃人も同然、それももう目前にまで迫っているというのに」

 

 『………………』

 

 「話す気も失せたか…? まあいい、これで私の声が届くことは無い。第四感剥奪!!」

 

 聴覚が破壊されアイオロスは完全に無音の世界に包まれる。

 もはや動くことも出来ず、ただ死を待つばかりかと思われた。

 

 しかしそこでシャカはふと気付いた。

 アイオロスの小宇宙が未だ衰えていない。

 いやむしろ更に高まりつつある。

 

 「なっ……何だこの小宇宙は!?」

 

 一度気付けばそれは更に速度を増して加速度的に膨れ上がっていき、シャカの小宇宙すら覆い尽くすほどの爆発的な高まりを見せる。

 

 『フッ……何を驚く。私達黄金聖闘士は皆、第七感を持っている。つまり小宇宙の真髄を体得した者であれば五感を失う程度では戦闘不能に陥ることは無い!』

 

 「バカな……黄金聖闘士とはいえ五感を絶たれて無事でいられる筈がない。そ……それに何故ここまで小宇宙が高まるのだ!?」

 

 『まだ分からないのか。お前は五感の一つである視覚を絶ち第七感を研ぎ澄ますことで小宇宙を高めている』

 

 感覚を削ることで小宇宙の真髄に近付く。

 黄金聖闘士達でさえ、そんなことを行うのはシャカの他には存在しない。

 

 『ならば……より多くの感覚を封じることで私の小宇宙は一時的だがお前を超えられる! この勝負、私が制しよう!』

 

 アイオロスの小宇宙が一気に高まり、シャカの作り出す天舞宝輪の陣を圧倒し始めた。

 凄まじい小宇宙の圧力。

 まさしくシャカの小宇宙を吹き飛ばす程に。

 

 「クッ…! あとわずかで天舞宝輪は完成する。五感全てを剥奪し、六道輪廻に叩き落としてくれる!」

 

 シャカも最後の一撃を放とうと限界まで小宇宙を集中する。

 そして、その瞬間は訪れた。

 

 シャカとアイオロス。

 

 二人の小宇宙が一気に膨れ上がり――――爆発する!

 

 『燃え上がれ我が小宇宙……全てを貫く大いなる鏃となれい!』

 

 「くらえアイオロス!」

 

 高まる小宇宙は光と共に!

 輝く拳の閃光疾走!

 

 「第五感剥奪!!」

 

 『インフィニティ・ブレイク!!!!』

 

 その瞬間、処女宮を黄金の光が貫いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 天舞宝輪によって生み出された曼陀羅は破れた。

 もとの空間に戻り、感覚を取り戻したアイオロスとシャカは静かに睨み合う。

 二人共に、身体も小宇宙も限界が近かった。

 だが、相手を見据える眼光は鋭いままだ。

 しかし、やがてシャカの瞳から敵意が消えた。

 そしてそれに気付いたアイオロスも緊張を緩める。

 

 「フ……私の負けだ。天舞宝輪を破られたとあってはな…」

 

 「シャカ……」

 

 「処女宮は通ってくれて構わんよ。どうせ、私にもう止めるだけの力は残っていない」

 

 あれだけの闘いの後とは思えぬほど、あっさりとシャカはアイオロスが宮を抜けることを承諾した。

 呆気ないと言えば呆気ない。

 だが既に時間の余裕など無い以上、アイオロスは処女宮を抜けるべく歩き始める。

 しかしその時、アイオロスの背後からシャカが不意に口を開いた。

 

 「腑に落ちないといった顔つきだな。私が君を通す理由は、君の小宇宙が私の心に迷いを植えつけたからだ」

 

 「迷いだと?」

 

 「そうだ。君ほどの聖闘士がアテナのために命を投げ出して闘っている。その覚悟が私の心を惑わせるのだ。果たして私は正しかったのかと」

 

 「…………」

 

 「きっと……その答えはこの闘いの先に見えるのだろうな。だから私は、この処女宮でその結末を見届けよう」

 

 「……そうか」

 

 アテナの元で十三年間雌伏していたアイオロスにも、似たような想いはある。

 自分の貫く正義は本当に正しいのか、かつて共に過ごした仲間と闘い十二宮を上る道中で、それを考えたことは一度や二度ではない。

 だが全ての決着は教皇の元に着いた時に決まる。

 そう心に思い定めて、アイオロスは今まで闘ってきたのだ。

 それを察したのか、シャカは微かな笑みを見せて、続けた。

 

 「それと一つ。もし君が教皇の間に辿り着いたとしても、何も聞かずに教皇の命をを奪うようなことはしないでくれないか」

 

 「何…?」

 

 「彼の本質は間違いなく正義なのだ。少なくとも、私は彼をそう見た」

 

 人の本質を見通すというシャカの放った言葉。

 アイオロスはその言葉にどこか安堵する気持ちを覚えていた。

 それは、偽りの衣を纏い十二宮の最奥で待つサガの真実に係わることでもある。

 

 十三年前の、あの時感じたサガへの違和感。

 例えそれが誤りだったとしても、真実を受け止められるのはアイオロスただ一人だろう。

 だからこそ彼は教皇の間を目指す。

 アテナ――――そして友を救うために。

 

 「……そうだな。それは私も良く知っている」

 

 シャカはそれを聞いて首を傾げたようだったが、アイオロスは既に走り去った後だった。

 

 

 

 

 

 


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