レモン   作:木炭

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──ジリリリリリリリリリリリ

 

 けたたましく鳴り響くベルの音。

 

──ただ今をもって受付時間を終了いたします

 

──これよりハンター試験を開始いたします

 

 

「残念♦ 始まるようだ♣」

「……」

 

 ゴンの肩から顔を持ち上げ、踵を返して去っていくヒソカ。

 レオリオから怒気を孕んだ視線を向けられている気がするが、あえて気付かないフリをする。

 一つ息を吐いて試験官の言葉に耳を傾ける。

 

「ナップ、テメェ……」

「ふー……あいつ、ヤバイね」

「ああ……」

 

 鼓動の音が強く鳴り響くのを自覚する。

 ゴンが子ゴリラなら、あれはゾウとかキリンだ。

 敵うわけがない。

 

「……近づいて来る気配、全然しなかったや! ナップはわかった?」

「わか──」

「──オイ、ナップ! テメェ、よくも俺になすりつけやがったな!」

 

 レオリオおばさんが器用に髪を逆立て、その怒りを具現している。

 彼女を今、無視するのは良く無さそうだ。

 それに、彼女は先ほど親身に俺の体を労ってくれたのだ。

 

「ごめんなさい」

「おう……って謝って済むか! ボケェエエエ!」

「あ、移動するみたいだよ」

 

 ここは素直に頭を下げて謝罪する。

 案の定、そんな事くらいで許して貰えるはずもないらしい。

 しかし、周囲の受験生が動き出したのに合わせ、俺達も動き始める。

 

「けっ、後できっちりナシつけさせて貰うからなっ!」

「あ、はい。すいませんでした」

「レオリオ、ナップもこうして頭を下げているんだ。許してやったらどうだ」

「ふん!」

 

 歩きつつも再度、頭を下げてはみたものの、許しては貰えそうにない。

 後々、またこの一件についてしっかりと謝罪する必要がありそうだ。

 レオリオは不機嫌を顔に張り付かせ、顔をプイっとさせている。

 

「おかしいな」

 

 横合いのクラピカから漏れた呟き。

 

 周囲の受験生が慌しく歩みを速める。

 既に歩くというより小走りに近い速さで移動する集団。

 前方を進むはずの試験官が二次試験会場へと案内する旨を受験生に告げる。

 

 更に既に一次試験は開始しており、二次試験会場まで試験官である(サトツ)に着いて行く事が一次試験の内容であると宣言された。

 この内容は概ね、記憶にある通りだ。

 細かいイベントやルート何かはほとんど覚えていないが、要はマラソンである。

 

 サトツの宣言の後、徐々に移動するペースが上がり、今や小走りから通常のランニング程度になっている。

 

「変なテストだね」

「けっ、持久試験ってとこか」

 

 サトツの言葉は距離があってか一言一句聞こえてきた訳ではない。

 その部分に不安は残るが、仮にただ彼に着いて行けば合格であるならば……。

 受験生同士での妨害や走路の封鎖は許されるのだろうか。

 

「クラピカ」

「何だ?」

「試験官のあの、サトツって人さ。受験生同士で移動を妨害したり道を塞いだりしちゃダメって言ってたかな?」

 

 クラピカへと少しだけ距離を詰め、彼にだけ聞こえる程度の音量て話しかける。

 走る事を止めずに顎に手を充て、数秒ほど思考する姿勢を見せるクラピカ。

 器用だな。

 

「言ってはいないはずだ。おそらく妨害などの行為は禁止されていないのかもしれんな」

「じゃあ、気をつけなくっちゃだね」

 

 クラピカからの小声での返答を受け、周囲への警戒を高める。

 む、ゴンには聞こえていたらしい。

 相変わらずの地獄耳だ。

 

──スーーー

 

 警戒を高めた直後。

 足音ではなく車輪が転がるような軽快な音に乗って、滑るように真横を通過していく白い影が目に止まる。

 一様に皆がその白に視線を向ける。

 

「おいガキ! 汚ねーぞ! そりゃ反則じゃねーか、オイ!」

「何で?」

「何でって……おま……こりゃ持久力のテストなんだぞ!」

 

 レオリオが知り合いでもなさそうな白、改め少年に突っかかる。

 ぶっきらぼうに返事をする少年は苛立つ素振りも見せない。

 

「違うよ。試験官は着いて来いって言っただけよ」

「ゴン! テメェどっちの味方だ!?」

「どなるな。体力を消耗するぞ──何よりまず、うるさい」

 

 はて、少年?

 ハンター試験に少年……白い……彼の足元にはスケボー。

 胸元に付けた番号札は99番と……。

 

 こいつがキルアか。

 なるほど、なるほど。

 こういう出会い方をしたんだっけか。

 

「ねぇ、君ら二人って歳いくつ?」

「もうすぐ12歳!」

「……ふーん。で、そっちの君は?」

 

 お、さっそくゴンが話している。

 スケボーの板を蹴り上げ、小脇に挟むキルア。

 あれ何ていう技名だっけな、そもそも技名とかあるんだっけか?

 

「ほら、ナップ。歳、聞いてるよ」

 

 ゴンに肘で突かれ気付く。

 キルアがこちらに視線を向け、俺の年齢を聞いているようだ。

 

「あ、俺は先月で12になったとこ」

「へぇ。何だ、兄弟じゃないんだ」

「うん」

 

 匂う。

 至近で走り始めたキルアから、チョコ特有の甘い香りがする。

 口の周りや手にその痕があるわけではないが……。

 

 思い違いである可能性はあるが、直感がそうだと告げている。

 こいつ、もしかして……。

 

「そっか。オレ、キルア」

「オレはゴン!」

「ナップ」

 

 やはりな。

 こいつは、こちら側の世界の住人だ。

 隠そうとしても隠せない。

 

 中毒者特有の“ニオイ”がキルアにはある。

 ズボンの左側、おそらくポケットの中に仕舞われたであろう膨らみ。

 あの膨らみはおそらく、それに違いない。

 

「オッサンの名前は?」

「オッサ……これでもお前らと同じ十代なんだぞ、オレは!」

「ウソォ!?」

 

 子供らしい表情や仕草で言葉を口にするキルア。

 逸る気持ちを抑え、彼にどう接するべきかを思考する。

 現時点でお菓子を所持している可能性を、正確に見極めなければならない。

 

 仮に所持しているのであれば、どうやって彼から奪うか。

 キルアという人物は確か、現時点でシマウマクラスの強者だ。

 そんな彼からお菓子の強奪を図るには相応の危険が付き纏う。

 

 ならば穏便に対価を支払うという形でお菓子を手にするしかない。

 だが、支払うべき対価を俺は持っていない。

 諦めるしかない。

 

 は? 何故、諦める必要がある?

 有り得ない。

 相手がシマウマだろうがゾウやキリンだろうと、お菓子だけは譲れない。

 

 

 

 

 

 トンネル内部のような道を只管走り続ける事、約五時間。

 キルアという同類を前にして、俺は動けずにいた。

 やはりシマウマクラスの強者だけはあって、その動きに隙なんて微塵もない。

 

 会話からお菓子の保有の有無を遠まわしに聞きだそうとしても、糸口が掴めず隙を見せないキルア。

 もう直接的な質問くらいしか残されてはいない。

 ん? 隣で走るゴンが振り返る。

 

「大丈夫?」

「……ハッ、ハッ、ハッ」

 

 汗だくとなったレオリオのペースが明らかに落ち始めている。

 喋る気力も失せたのか、ゴンの心配する声にもプルプルと震える手でサムズアップして答えるのが精一杯の様子だ。

 ついには手にしているカバンを落とし、膝に手を付け停止する。

 

「レオリオ!」

「ほっとけよ。遊びじゃないんだぜ、ゴン」

「ハッ、ハッ、ハッ……」

 

 あれ? レオリオってハンター試験には合格したよな。

 ここでリタイアしたなんて記憶はない。

 原作の流れを変えたとしたら、俺が原因なんだろうけど思い当たる節がない。

 

「ざけんなよ……絶対にハンターになったるんじゃー! くそったらぁ!」

 

 雄叫びに加え、ヨダレを撒き散らしながら上体を反らし、滅茶苦茶なフォームで再び走り始めたレオリオ。

 ゴンも俺も口をぽかーんと開けて、その走り抜けていくレオリオの背を見守る。

 レオリオが道の上に置きっぱなしにしたカバンを、ゴンが愛用の釣竿でカバンの持ち手の部分に針を引っ掛け、手繰り寄せる。

 

「おー、かっこいいー」

「ほい。俺が持つよ」

「ねね、後でオレにもやらせてよ」

 

 両手が塞がってしまうゴンから、レオリオのカバンを受け取る。

 ゴンが目で礼を告げてくる。

 

「スケボー貸してくれたらね」

 

 釣竿を貸してくれとしたキルアに対して、交換条件を提示するゴン。

 クソ、危うく先を越されるところだった。

 スケボーはどうでも良いが、俺も何か対価を用意せねば。

 

 

 

 

 

 平坦な道は終わりを告げ、現在は終わりの見えない階段を只管に登り続けている。

 

「いつの間にか一番前に来ちゃったね」

「だってペース遅いんだもん。こんなんじゃ逆に疲れちゃうよな」

 

 確かにこれくらいならば、森の中を朝から夕暮れ時までをゴンから逃げ回るよりは楽だ。

 キルアもゴンも汗一つ掻いていない。

 

「そうだ。キルアはさ、何でハンターになりたいの?」

「オレ? 別にハンターになんかなりたくないよ。ものすごい難関だって言われてるからさ、面白そうだと思っただけさ。そっちは?」

「オレは親父がハンターをやってるんだ。それでオレも親父みたいなハンターになるのが目標だよ」

 

 目を輝かせ、元気よくキルアの問いに答えるゴン。

 その答えにキルアが興味を惹かれたのか、ゴンの父親について詳しく聞き始めている。

 どんな父親かもよく知らないというゴンに、変だと笑いを上げるキルア。

 

 近くで見てもその笑顔に嘘はなく、普通の少年かと錯覚してしまう。

 ゴンが珍しく自分語りを始め、カイトとの出会いからハンターを志す決意を固めた事などを話す。

 キルアもそれを笑わずに真剣な表情で聞いている。

 

「──だから、オレも親父みたいなハンターになりたいんだ」

「へぇー。じゃあ、ナップは?」

 

 ここで同族であると告げるべきか?

 いや、ここはまだ秘すべき?

 しかし、いずれはゴンの口から露見する可能性もあるし、自身の言動でバレる可能性も高い。

 

 よし、ここは正直に──

 

「見ろ! 出口だ!」

 

 正直に答えようとした矢先、前方に現れた光に反応して、周囲の受験生の叫びに口を閉じる。

 強烈な光の口を抜けると、眼前には雄大が過ぎて恐怖すら見る者に抱かせる景色が広がる。

 通称“詐欺師の(ねぐら)”と呼ばれるヌメーレ湿原の印象は、恐怖よりもとにかく臭い。

 

 くじら島の森とは違って、ここの緑は生臭い。

 そんな生臭い湿原についてサトツからつらつらと説明が成されていく。

 要約すれば、この湿原は珍しい植生を持っており人間を欺き捕食する動植物が多く群生しているとの事。

 

──騙されると死にますよ

 

 人差し指を立て、受験生にムフフ顔で告げるサトツ。

 この人、わりとイイ性格してる。

 ムフフ顔に貼り付けたその目に、病的な色が見える。

 

「騙される事のないよう注意深く、しっかりと私のあとを着いて来てください」

 

 サトツが一連の説明を言い終える。

 肩で息をしつつも、どうやらリタイアせずにここへ辿り着いたレオリオが、騙される訳がないとドヤ顔で口にする。

 クラピカは“こいつマジか”という表情を浮かべ、レオリオの方を凝視している。

 

 その気持ち、すごくわかります。

 

「ウソだ! そいつはウソをついている!」

 

 シャッターが閉められたトンネルの出入り口となる箱の影から、ピョコっと顔を出す短髪の男。

 真新しい痣や血の痕を作ったその顔を見て、トンパの事が頭を過ぎる。

 

「そいつは偽者だ! 試験官じゃない。オレが本当の試験官だ!」

 

 頭部は人間のようで、首から下は猿のそれ。

 口からは伸びきった長い舌を出したまま、傷付きボロボロになった状態のそれを引きずる短髪の男。

 サトツを指差し、人面猿という種の動物が試験官に化け、受験生をだまし討ちにしようとしていると告げる。

 

──サクッ

 

 背筋が一瞬ゾクリとする。

 同時に風を切る音が聞こえたかと思えば、自称本物の試験官の短髪の男の顔に三枚のトランプが突き刺さる。

 サトツの方は両手の指の間に四枚のトランプを挟み取っている。

 四枚のトランプは♦の2、♦の4、♠の5、♣の9で役はなし。

 

 無駄によく見える目であれば、この距離でも見えてしまう。

 まったく関係ないとわかっていても、ついついポーカーの役を考えてしまう。

 あんな奇抜な形で、胸元と背にトランプのプリントを施した服装をしている男。

 

 殺傷能力の極めて高いトランプを投げた、その張本人は薄く笑う。

 どうせなら、柄を揃えるか役を作ればいいものを。

 恐ろしい子ヒソカに遊び心はないようだ。

 

「くっく♠ なるほど、なるほど♣」

 

 トランプの束を切りつつ、ヒソカが口を開く。

 倒れ伏す短髪の男の横には、同じく倒れ伏したままの人面猿。

 ヒソカを本能の内で脅威と見たのか、死んだフリを止めた人面猿が跳躍して走り去ろうとする。

 

 瞬間、今度はまたまた役が作れそうにない三枚のトランプを、人面猿へと投擲するヒソカ。

 頭部に二枚と背に一枚、面白みのないトランプが突き刺さり、人面猿が息絶える。

 

「これで決定♦ そっちが本物だね♥」

 

 サトツがトランプをピンと指で弾き払う。

 いやはや、涼しい顔してるけど、内心はどうなんだろう。

 彼もおそらくはアニマル側ではあるにしても、クラスとしてはカバ以上ではないと思われる。

 

 ゾウやキリンクラスであるヒソカからの攻撃を受けて、穏やかではいられないはずだ。

 しかし、ヒソカからの言葉に黙って耳を傾けるサトツに動揺の色は見えない。

 

「──あの程度の攻撃を防げないわけがないからね♣」

「褒め言葉と受け取っておきましょう。しかし、次からはいかなる理由でも、私への攻撃は試験官への反逆行為とみなして、即失格とします。よろしいですね」

「はいはい♦」

 

──バサバサバサバサ

 

 大きなくちばしを持った、大型の鳥が亡骸を啄ばむ。

 その光景を見て、グロイとか気持ち悪いという感情が沸きあがってこない自分にちょっぴり驚く。

 森で動物の解体や調理を散々やってたから、耐性がついたんだろうか。

 

「あれが敗者の姿です」

 

 それでも短髪の男の(はらわた)を引っ張りだしたり、頭部をモチュモチュと突く鳥達の姿は客観的に考えてもスプラッタだ。

 この世界への順応ってよりも、自分自身の変質なのか。

 それに、人を殴り飛ばしたり、傷つける行為にも抵抗が薄くなっている。

 

 このままでは、いずれ俺もこの手で誰かを殺すのかもしれない。

 まだまだ大きくなりそうな、自身の手を眺め考える。

 ニギニギしてみて、グーパー、グーパーを繰り返す。

 

 ま、どうでも良いや。

 

「──それでは参りましょうか。二次試験会場へ」

 

 クチャクチャと音を立てる鳥達の食事を後ろに、サトツがてくてく歩き始める。

 多くの受験生も困惑しながらも、着いて行く。

 足音の数からして、まだまだ受験生の数は多い。

 

 移動を再開してすぐに振り返れば、レオリオとクラピカの姿が見当たらない。

 いくつかの視線がこちらへと向いた気がするが、霧によって大半の視線が遮られる。

 

「オイ、もっと前に行こう」

「そうだね。試験官を見失うといけないもんね」

「そんな事よりヒソカから離れたほうがいい。あいつ殺しをしたくてウズウズしてるから」

 

 あー、ヒソカならやるんだろうな。

 この状況というのもあるけど、血を見た瞬間の奴の表情はヘブン状態だった。

 俺もお菓子を前にしたらあんな顔になってるんだろうか。

 

 それは少し考えものだ。

 石ころ程度の羞恥心が俺にもある。

 ヘブンはなるべく晒したくない。

 

「──同類だから、ニオイでわかるのさ」

 

 同類、ニオイという言葉がキルアの口から零れ落ちる。

 ん? ゴンとキルアの会話を途中から聞いていなかったが、何の話だ?

 もしや……気付かれたか?

 

「同類? そんな風には見えないよ」

「それはオレが猫かぶってるからだよ」

「え? そうなの?」

 

 話の内容が掴めない。

 ヒソカ関連の話だとは思うが、はて。

 

「あ! レオリオー! クラピカー! キルアが前に来た方がいいってさー!」

「ドアホー! いけたらとっくにいっとるわい!」

 

 脈絡もなしに真横で大声を出すな、バカ。

 こっちはキルアの目がすっと細くなったのを見て、ドキッとしてた所なんだから!

 連続して驚くのは心臓に悪いに違いない。

 

 ふーっと一息つくとキルアと目が合った。

 南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。

 こいつめ、野生のシマウマの目を剥き出しにしてやがる。

 

 一瞬にして、俺の中に巣食う【鶏魂(チキンハート)】が自立起動する。

 反射的に、ごめんなさいしろと警鐘を打ち鳴らす。

 

 

 


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