レモン   作:木炭

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 スタート直後、周囲への警戒をしつつ慎重に進む。

 移動するのはそれだけリスクがあるが、ここは腹を括るしかない。

 海岸沿いは避け、森の中に生息するであろう小動物の気配のある方へと進み続ける。

 

 緊張の連続の中、二時間ほど移動して、ようやく水場を発見した。

 運の良い事に近場に洞窟ほど奥行きはないが、雨風であれば凌げそうな穴倉を発見。

 この場所であれば、他の受験生が引き寄せられてくる可能性は高そうだ。

 

 足跡や痕跡となるものを、あえて放置して乾いた薪を集める。

 くじら島伝来の石と木を使った火起しを手早く済ませ、穴倉で焚き火を作りすぐに移動する。

 もくもくと穴倉の口から煙が立ち登るのを、葉が多く茂る木の上から確認して一息つく。

 

 罠などを作る道具や時間があれば理想ではあるが、ひとまずはこれが限界だ。

 既に緊張と恐怖で俺のHPはゼロだ。

 ポーチからカチカチのパンを取り出し、モシャモシャして時が流れるのを待つ。

 

 

 

 

 

 草木に自身を溶け込ませる。

 体勢を変化させる際には、風や鳥、虫の囀りに合わせる。

 鬱蒼とした木々によって出来た濃い影の気配を探る。

 

 ゴンからの逃走によって否応無く身に付けた技術を駆使して、獲物が来るのを待ち続ける。

 腹の減り具合や日の傾きからして、開始から既に五時間程経過している。

 まだ陽は高いが、季節的に陽が沈むまで、あとニ、三時間といった所だろう。

 

 早く暗くなれと念じつつ、木の上での活動を継続する。

 くじら島ではたまに行ってはいたが、久しぶりに木の上でウンコした。

 爽快感は土地が変わっても普遍であるようだ。

 

 臭いの元を葉で包み、投擲。

 結構飛んだ。

 尿瓶と化しているボトルの容量にはまだ余裕がある。

 

 俺はまだ戦える。

 

 

 

 夜になった。

 凄まじく眠い。

 でも、夜になれば寝床を求める受験生も居るはずだ。

 

 木の上で船を漕ぎ漕ぎしつつも、待つ。

 しかし、眠い。

 単独行動は失敗だったかもしれない。

 

 

 

 二日目の朝を迎えた。

 昨夜は結構頑張った方だが、寝てしまった。

 木の上では、この大きくはない体であっても横になれなかったので眠りは浅かった。

 

 なので、今も結構眠い。

 膝と腰や背中、肩や首が地味に痛い。

 でもまだ頑張れる。

 

 大丈夫、一日中走らされるよりはマシだ。

 手持ちの食料が心許ないが、まだ動くには早い。

 他の受験生がある程度潰し合い、疲労するまで動かない。

 

 俺は待てる男なのだ。

 

 

 

 二日目の夕方。

 尿瓶が限界を迎えた。

 木から降り、怖さのあまり亀の歩みで水場へと向かう。

 

 のそのそと歩くだけで、落ち葉や草木を踏みつけ、僅かに音が鳴る。

 虫の鳴き声がありはしても、周囲に気配を消した者が居れば、狙われてしまうかもしれない。

 背後に視線があるような気がして、振り返る。

 

 目を細めて茂みや木々の影を凝視する。

 

「そろそろ出てきたら?」

 

 周囲に人間の気配はない。

 だが、恐怖によって作られた幻影が俺の心の内に生じているのだ。

 しばらく立ち止まったまま、左手に尿瓶を、右手にナイフを手に待ち続ける。

 

 結局、返事はなく誰も現れなかった。

 恐怖からの行動が生じているのを踏まえ、肉体よりも精神的に追い込まれている事を自覚する。

 たるんだ尻を中心に脳内の記憶を辿り、心の平穏を取り戻すべく努力する。

 

 木の上に戻り、40個ほどの尻を頭の中で描いた頃、ようやく平常を取り戻せた。

 これならいつでもどこでも、揉みしだける状態である。

 

 

 

 夜の帳が落ちる前に動く。

 尿瓶の中身を川に投棄して、水を補給する。

 残りの食料が僅かになってきているので、木の上から目を付けていたルートを進む。

 

 寝床兼見張りに適した木には食べられそうな実は生っていなかった。

 なので、木の上から確認出来た木の実やくじら島でもよく見るキノコや山菜を回収する。

 生では木の実くらいしか口には出来ないが、贅沢は言えない上に回収出来る内に行っておく。

 

 定位置である木の上に戻った頃には完全に森が暗闇に包まれた。

 苦味のある若い果実と木の実を咀嚼して、少量のパンでお口直しして腹二分目となる。

 これを、あと五日も続けられるのだろうか……餓死という二文字が頭を過ぎる。

 

 そもそも、ここで張っていても誰も来ないかもしれない。

 最終日まで誰とも遭遇出来ずであれば、船が停泊している付近への突撃も考えなければならない。

 

──居る

 

 思考に耽っていて気付くのが遅れたかもしれない。

 かなり至近に気配を感じて、体がカチコチとなる。

 川がある場所とは反対方向から、どんどんと気配の主が近づいて来る。

 

 足音はほぼしないが、衣擦れの微かな音も既に聞き取れるほどに近い。

 気配のする方向を凝視すると、木々の合間を上体を下げて移動する影を確認出来た。

 あの輪郭には覚えがある。

 

 特徴的な膨らみを持った頭部を覆う被り物。

 間違いない、アレは受験生の中では目立った存在たる、女。

 野郎だらけの試験で女であるだけで目立っていた彼女のあのフォルムは暗がりであろうとも、一目でわかる。

 

 運が良い事に、俺が身を潜める木を外れたルートを辿り、川辺へと向かうようだ。

 これはチャンス到来である。

 いやいや、慌てるな。

 

 彼女に対する尾行の存在があるやもしれない。

 数少ない女の受験生だ。

 御しやすいと踏んで、彼女の隙を窺っている者が居るかもしれない。

 

 その点で考えれば、俺も子供であるから狙われやすいが……。

 今は現実に目を背けよう。

 とにかく、彼女の移動に併せて追いつつ、その他の追跡者にも気を付けよう。

 

 

 

 

 

 女は川辺でゴソゴソとした後、穴倉の存在に気付き足を向ける。

 色々とラッキースケベな光景を目にはしたが、緊張からかビックリするほど賢者でいられた。

 多少なりとも心のざわめきでも生じるかと思ったが、終始俺は賢者であった。

 

 女は穴倉へとすぐに足を踏み入れない。

 変な被り物を指で突く。

 被り物の中から数個、小さな影が生じる。

 

 虫?

 すぐに穴倉へと飛び込んでいったが、羽音や輪郭からして、たぶんハチだ。

 状況からしてあの行動は偵察や策敵の類?

 

 ならば、仕掛けるのは今が好機?

 いやいや、あの被り物のサイズからして、あのハチをまだ隠し持っている可能性は高い。

 だが、いつまでも仕掛けずに居られるかと言えば、違う。

 

 穴倉に入り込まれ、密閉空間での戦闘となると、もし相手の方が実力があった場合、逃げ場がない。

 

──やるなら今しかねェ!

 

 川辺で水の補給をした際、ついでに拾っておいた投げやすい形の丸っこい石をポーチから取り出す。

 左手でナイフの柄に手を掛け、引き抜かずに準備する。

 対象の女との間には遮蔽物となる木々や蔦が多いので、慎重に位置を調整すべく移動する。

 

 ノロノロと移動して先よりも幾分か遮蔽物の少ない位置へ到着。

 対象はまだ動かない。

 だが、穴倉の策敵であればそう長くは掛からないはずだ。

 

 あの穴倉はそこまで深くはなかった。

 呼吸を止め、限界まで気配を抑え込む。

 

──ヒュッ

 

 肘と手首の力を最大に加えた石が女へと向かう。

 真後ろから投石出来れば良かったが、位置取りの関係上やや側面からの狙いだった。

 頭部を狙ったつもりが、投石の瞬間、漏れ出た気配を察知されたのか、上体をやや屈めた女の被り物へと石が着弾したのを確認。

 

 悲鳴すら上げず、女がこちらへと顔を向け、構えを取る。

 舌打ちが漏れそうになるのを堪えつつ、一気に駆ける。

 石が着弾した結果、歪に凹みを作った女の被り物から一斉に黒く小さな影が飛び出し、羽音を煩く鳴らす。

 

 ヤベ。

 どんだけ詰め込んでたんだよ、こいつ。

 正対し、俺を睨み付ける女の周囲は既にハチの群れで覆われている。

 

「ごめんなさい」

「……」

「許して……ください。番号札は差し出します。ごめんなさい」

 

 正直、舐めていた。

 相手ではなくて、この世界を。

 相手は躊躇なんて無しで命を取りに来る。

 

 女の目を見れば嫌でも理解してしまえる。

 ならば、俺も殺し殺される覚悟を以って襲い掛かるべきだったんだ。

 とはいえ、今は後悔や反省している場合でもない。

 

 数匹程度のハチなら相手にもならないだろうけど、この数は無理だ。

 ただでさえ、夜間という状況では、視界に捉え難いハチを相手にするのは不利なんだ。

 ハチにとっても暗闇は敵になるかもしれないが、女の誘導に従う彼らは暗闇を苦にすると楽観するべきでもない。

 

 目算でゆうに数百匹は超えるハチを相手に出来るほど、俺に増長はない。

 現状、素直に謝って番号札を渡して降参するしか、生き残りの道はない。

 

「……それ以上、近づかないで。あと、余計な動きをすれば、この子達があなたを攻撃するわよ」

「……はい」

「持っている番号札は、その胸に付けているのだけかしら?」

「はい」

 

 指先をくるくると回す女。

 ハチの群れが包囲の網を更に構築させていく。

 

「じゃあ、さっさと番号札を外してその場に置きなさい。そうすれば命までは取らないで上げる」

「……あのー」

「何? 余計な考えでも閃いたのかしら?」

 

 女が怒気を顔に浮かべ、再び指をくるりんとさせる。

 やや他の個体と比べて大きなハチが二匹。

 ズズイとハチの群れの中から前に出てくる形で、眼前で停止する。

 

「いえ……そうじゃなくて、誰かこっちを見てますよ? お仲間ですか?」

「……」

 

 今更、嘘を並べてこの女を怒らせても意味はない。

 だが、こちらを窺う者、極小ではあっても確実に存在する。

 今、この気配の主が余計な事をすれば、俺はすぐにでもこのハチ共にブッ刺される可能性が極めて高い。

 

 ならばハチ共に襲われる前に、この女を無力化する。

 無駄だな……。

 相対してみてわかるが、一瞬で捻じ伏せる事は出来ても、残されたハチ共への命令が継続する可能性は高い。

 

 恐らく、この女はハチ共にとっての女王。

 女王が死しても、ハチは攻撃の手を止めるとは思えない。

 

「あなたのお仲間じゃないの? 一緒に行動していた受験生が何人か居たわよね」

「……別々に動いてますよ」

 

 マズイ。

 女の目が完全に色を失ったような気がする。

 加えて、声色からも感情という色が抜け落ちている。

 

 こいつ、疑わしい俺をこの際、殺す気だ。

 

「フーン」

 

 女が再び指をくるくるさせる。

 その動作を見て、全力全快で川がある方へと駆ける。

 すぐ様、体中に細く鋭い痛みが走る。

 

 それでも無駄な動きを排して一直線に川がある方へと駆け続ける。

 

 

 

 

 

 力が出ないよジャ〇おじさん状態で目が覚める。

 今なら濡れ濡れになった彼の心境がわかる。

 ほんと、顔だけじゃなくて体をまるごと取替えでもしないと、動けそうにない。

 

 それほど、全身が麻痺でもしているようで身動ぎひとつ打てない。

 意識もやや朦朧としているが、思考している内に視界も含めてだいぶ戻って来た。

 残念な事に、手足は一向に動かないままだ。

 

「死んで、ない、だけ、マシ、か……」

 

 ほんと儲けもんだ。

 あの時は、殺されるだろうなって思いがかなり強かった。

 ヒソカに捕まった時と同様に明確な死が頭を過ぎった。

 

 いやはや、この世界もだけど、ハンター試験も舐めていた。

 これはさすがに不合格だろうな。

 てか不合格どうのの前に、このままじゃ死ぬな。

 

 横目に穴倉の口の端がちらりと見える。

 川を流れる水の音も聞こえてくるので、這って動ける状態まで回復出来れば、まだ何とかなりそうだ。

 両手両足に力を籠めようと何度も繰り返す。

 

 ダメだ。

 

 どうしよう。

 そもそも、アレからどれくらい経過したんだ。

 腹の減り具合はよくわからない。

 喉の渇き具合……うーん、カラカラだ。

 

 だいぶ経過した気がするな。

 

 

 

 

 

 体がちょっとだけ動くようになってきた。

 目が覚めた時、まだ明るかったが既に周囲は薄暗い。

 体が動くといっても、一メートルほど這うだけでも数分掛かる状態。

 

 ノロノロと這って、水辺へと向かう。

 川辺へと到着した時には、夜の帳が下りていた。

 涙を流して色々と排泄を済ませ、メス亀の気分を存分に堪能する。

 

 川へ到着する以前、辛うじて動くようになった手でポーチにある水は既に飲み干していた。

 なので、逸る気持ちが抑えきれずに、川へと顔を突っ込み水をがぶ飲みする。

 鼻から半分ほど水分補給した気がしないでもない。

 

 ゴロンと体勢を変え、上向きとなる。

 満天の星空はいつ見ても、怖い。

 プルプル震える両腕を掲げ、両手をニギニギする。

 

 よし。

 あとはハイハイ出来るようになれば、火を起せる。

 頑張ろう。

 

 

 

 

 

 翌朝。

 十二歳の俺はハイハイが可能となった。

 人類にとっては小さなハイハイも、俺にとっては大きなハイハイである。

 

 火を起こし、ポーチの中に詰め込んであったキノコや山菜の類を木の枝に刺して焼き上げる。

 今更、煙が立ち上る事で自分の存在が他の受験生に露見する事を考慮する必要もない。

 というより、考慮してサバイバル生活を送れる状態でもない。

 

 キノコと山菜を食して横になる。

 出来る事はほとんどないので、火を眺めて回復を待つ。

 

──ボー

 

 遠くに汽笛の音が聞こえる。

 

──只今を持ちまして、第四次試験は終了となります。受験生の皆さん、すみやかにスタート地点へお戻り下さい

 

 どうやったらここまで聞こえてくるのやら。

 汽笛は遠くに聞こえたが、試験が終了した事を告げるアナウンスは、はっきりと聞こえてくる。

 俺のハンター試験はここで終わりかな。

 

 

 

 

 

 ハッ。

 試験が終わったのは、まあ良い。

 このまま島に放置されちゃうんじゃないのか?

 

 それは困る。

 家には帰りたくはないが、この島を生涯の地にするのは嫌だ。

 試験官やハンター協会の人が救出にでも来てくれる、よね?

 

 今から船がある方へと向かう?

 無理だな。

 ハイハイでの移動速度には限界がある。

 

 膝を完全に犠牲にするにしても、まだまだ全快とは言えない体では、距離的に考えて半日は掛かりそうだ。

 まいったな、これは。

 ここからは無人島生活も考慮に入れて、行動しなければならないのか。

 

 他の置いていかれた受験生と協力が可能であれば、理想か。

 それから島を脱出する計画を練りつつ、島外へと救援を出す方法を考える。

 これはハンター試験よりもハードルの高い試練かもしれない。

 

 

 

 

 

「さきほどアナウンスされた通り、一時間が経過しましたので四次試験は終了となります」

 

 木々の隙間から声がする。

 声がして初めて気配を感知した。

 それほどまでに、この声の主がいきなり登場した。

 

 慌て立ち上がろうとするも、現状の基本姿勢であるハイハイという形態へとなる。

 

 顔を上げる。

 四つん這いのままではやや腰に来る。

 てか、誰?

 

 こんな森の中でスーツだし、受験生でこんな人はいなかった。

 口ぶりからしてハンター協会の人か?

 

「不合格となった受験生はこの後、協会の用意した船に乗船して頂きます」

「……えーっと、あなたはハンター協会の?」

「ええ」

「どうも」

 

 四つん這いのままの状態で頭を下げる。

 かなり不恰好ではあるが、立てないんだからしょうがないじゃないか。

 嗚呼、これで完全に不合格が確定したな。

 

 

 

 

 

 

 ハンター協会の人に加えて、しばらくして救護らしき人も現れ担架に乗せられる。

 体の症状に関して問診を受けつつ、船に運び込まれた後、ベッドに寝かされる。

 横たわったまま医師の診察を受け、何本も注射をぶち込まれ点滴の針を腕に刺し込み治療を受ける。

 

 どこへ向かうのかと世話をしてくれるナース──実際はナース風のハンター協会の職員のおばさんらしい──に聞いてみると、ザバン市へと船と飛行船を使い向かうとの事を告げられる。

 旅程は天候の都合上、五日程との事で、そこからは不合格となった受験生は自力で帰路につけとの事らしい。

 まあ、試験の性質からしてここまでしてくれるだけでも有り難い。

 

 不思議に思って聞いてみると、四次試験まで到達した受験生は来年の試験会場も事前に通知して貰える事もあって、有望株扱いであるからだと教えてくれた。

 もしも、三次試験までに不合格となっていればと考え、ゾッとした。

 ゾッとした拍子に思い出す。

 

 ゴンとは挨拶もせずままに、別れてしまった。

 何とか連絡を取れないかと頭を悩ませる。

 自宅のホームコードは覚えているので、体が動くようになったら父であるサップに連絡してミトさんに無事である事だけは伝えて貰おう。

 

 その後は帰宅命令が出ようが無視して、どこかでほとぼりが醒めるまで身を隠そう。

 十分な生活の糧を得られる場所があれば、もうそこに定住するのもアリだ。

 よし、短期的な目標は定まった。

 

 金を稼ぎ、来年の試験までに自力を付ける。

 だが、その前に手持ちの金を使ってお菓子に溺れよう。

 

 

 

 

 

 ザバン市郊外、やや開けた場所にある空港へとハンター協会の飛行船が着陸する。

 下船する前に協会の人に捕まり、次回のハンター試験会場の場所に関する事を通知される。

 内容としては、申し込み用紙に記載されている保護者欄にあるホームコードに試験会場が通知されるが、個人用にホームコードを所持しているかどうかも問われた。

 

 やけに親切だなと思いつつも正直に所持していない旨を伝えた。

 お世話になった礼を告げ、医師やナースのおばさんにも下船する前にに礼を伝えて回った。

 ようやっと下船となり、手持ちを確認する。

 

 24万8千ジェニー。

 

 大丈夫だな。

 目指すべきはヨークシン。

 針路は既に定まっている。

 

 富と悪徳、流通の中心たるあの街へ足を向けずにして、どこへ向かうのか。

 

 

 

 

 

 下船してすぐにヨークシンへと向かう飛行船の案内を探す。

 空港内は平日の昼間というのもあってか、わりと閑散としている。

 ちらほらと背広姿のビジネスマンが居る程度で──そんな瑣末な事より空港内の売店へと足を向けるべきなので突き進む。

 

 ヨークシン行きの飛行船は大事ではあるが、まずは補給を優先する。

 売店は案の定というか、予想通り滋養強壮系のドリンクが中心という荒れっぷり。

 落胆しつつも既に目星は付けているので、足早に目的の場所へと向かう。

 

 世界が変われど、空港には確実に存在する名称不明のバーカウンターが備わるコーヒーショップ風の軽食区画。

 空港内の売店を巡回する途上、俺はちらちらとその店や区画をチェックしていたのだ。

 確実にあそこにはある。

 

 ややお高く止まった店員が対応する店、というより区画に設置されたダイニングバー。

 俺の足の長さでは格好がつかない、これまたお高く止まった小洒落た丸椅子。

 ぽふりと椅子に腰掛け足をブラブラさせつつ、他の客の対応中である店員を待つ。

 

「メニューいいですか?」

「どうぞ」

 

 メニューを貰い受けて目を通していく。

 注文すべきドリンクをさっさと決め、少しでも多く砂糖が混入されていそうなデザートを探す。

 手早く注文を済ませ、椅子を回転させて空港内をぽけーっと眺める。

 

 空港内を父親と母親との間を、手を引かれつつ子供がてこてこと歩く。

 微笑ましい家族を目で追い、ほっこりする。

 他にも子供が居るかと視線を左右に振るも、見つからない。

 

 椅子を再び回転させて店員の作業を眺めていると感じた、ヤバさ。

 唐突に過ぎるほど、不意に感じた化け物の気配。

 すぐさま振り返りたくなる気持ちを押さえ込み、俯きながらカウンターの木目を凝視する。

 

 どんどん近づいて来る化け物の足音に加えて絶望的な存在感。

 敵意や悪意なんかの差異は対象が大きすぎてわからない。

 

「ホットミルク」

「かしこまりました」

 

 俺から見て右。

 席についたであろうその化け物の声だろうか。

 注文するその存在を確かめるべきか否か。

 

 視線を向けた瞬間に何かされるんじゃないかと不安が募る。

 それでも確認せずしてここには居られない。

 すぐに退散するにしても、存在を確認するくらいは──モップ?

 

 そこにはモップが居た。

 正確にはモップっぽい、たぶん人間。

 三次試験、トリックタワーに居た囚人のようなボロを纏っているが、手足はちゃんとある。

 

 それでもこいつは間違いなく化け物。

 動物という物差しから逸脱した、文字通りの化け物だ。

 そんな化け物がモップのような顔を覆いつくす長い頭髪の中の一つ目を、こちらへと向けて来る。

 

──死ぬ

 

 それ以外、何も考え付かない。

 本当にコレは人間か?

 

「……ボクに何か用?」

「な、何でも……ない、ですぞ」

 

 連想という存在は怖い。

 時として、それが原因で人に誤った言葉を選択させる。

 

 

 

 

 




これで一旦区切ります。
次話より第2章となり、区切りの良い所まで連日投稿予定です。

※現時点で第2章(17話)以降が投稿されていない場合は、連日投稿に向けて書き溜め作業中です。


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