~夢見る少女の転生録~   作:樹霜師走

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『ファイナル・ウェーブ』B

 

 

(そうか……!)

 

 薄暗い通路を駆けながら、ニコルはずっと、己がザフト兵らの温情によって助けられた理由を考えていた。

 思い浮かぶだけでも、要因はいくつかある。

 まず〝ヤキン・ドゥーエ〟内部の指揮系統が麻痺していたこと。そして、自分達の他に全く別の侵入者が紛れ込んでいたことだ。

 

『侵入者は薄紅色のパイロット・スーツを着ている。地球連合製のヤツだ! そいつが二人いるんだよ!』

 

 この情報の混濁が、警備兵達の足並みを狂わせた。

 つまり、警備の者は地球軍の「薄紅色」を警戒するあまり、ザフトの「赤」を着ていたニコルを疑う必然がなかったのだ。

 

(情報が正しく伝わってない以上、彼らは目で見えるものしか信じない。ここにいるザフト兵は、服装でしか敵を判断できていない!)

 

 すべての警戒の眼は「薄紅色」に──

 つまりは〝それ〟を着用している、ステラにこそ向けられている。

 

「ステラさんが、危ない……!」

 

 だからニコルは、みずからの怪我を圧してでも要塞の内部を巡っている。

 と、闇の中を進んでいるときはるか遠方から銃声が聞こえた。単発ではない。銃弾がばら撒かれるような、凄まじい大音響だ。

 ──急がなければ……!

 ニコルは身体を翻す。確かな不安と焦燥を胸に、すぐさま銃声のする方角へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 このとき、フレイ・アルスターもまた闇に包まれた要塞内を移動していた。

 非常電源に切り替わった通路は、薄く蛍光パネルが照らしているが、それが落ちているブロックもあるから、まさに闇の中である。タン、タン、とステップの要領で地を蹴るだけで、フレイの身体はふわりと浮いて、重心を前に傾けていけば、みるみる身体が加速していった。彼女自身、重力の薄い感覚に慣れていないわけではないが、六メートル以上はある直線距離を、弧を描くようにひとっ跳び出来る。戦艦の廊下などは全力で駆け抜けるような機会もなかったし、云うほど広くも長くもなかったため、加速できるという感覚そのものが、初心に面白い感じがした。それは半重力帯の恩恵だった。

 そうして廊下を駆け抜けていると、近隣から声が上がった。不遇なことに、通路を歩いていたザフト兵と鉢合わせしたのである。だが、その兵士達はパイロットスーツは着ていない──ただの制服だ。管制官だろうか。

 

「何者だ!?」

「──薄紅(・・)色だッ! 殺せ!」

 

 隔壁ブロックの向こう側に、二名ほどの男達。怒鳴り声と共に拳銃の発砲声が響き、撃たれた! という本能的な恐怖から、フレイは身を竦めていた。

 放たれた銃弾がフレイの左腕を掠め、微量の血液が噴き出す。たが痛くはない──? 傷口からはたしかに出血しているのに、ひょっとして、痛覚が鈍化しているのだろうか?

 この「痛くない感覚」が、かえってフレイを冷静にさせた。一般的な話、実戦経験のない素人は痛みを感じるとパニックを引き起こすものであるが、それとは裏腹に、彼女はすぐに拳銃を構え、逆撃の姿勢を取った。

 

(当たれ!)

 

 そして、ほとんどマニュアル通りの対処法を行って銃撃を返す。鳴り響く、二発の銃声! その直後、二名のザフト兵は射撃に斃れ、力なく地に伏せた。

 ──え……っ!?

 軍人としての射撃訓練や教育を、全く受けていないわけではなかった。

 だが、大西洋連邦内におけるフレイの待遇は、やはり特別だ。アズラエルの職権乱用により、彼女のような生体CPUは、正規試験を通過せずとも、モビルスーツ戦において一定以上の成績さえ残すことが出来るなら「少尉」としての階級を許される立場にあったのだ。

 であるから、生身での格闘能力、あるいは射撃能力に関して云えば、彼女は付け焼刃の素人と同レベルだ。つまりは何が云いたいのか、たった今フレイが冷静に対処して敵兵を撃ち倒すことができたのは偶然であり、シンプルに運が良かっただけだ。それはおそらく、本人も認めるところであり、だからこそ彼女は今、驚いたのだ。

 

(ふたりだけ……! よかった!)

 

 大勢に囲まれようものなら、彼女にそれらを跳ね返す反撃力はあるはずもなかったが──いち早く、指令室から踵を返したのが正解だったらしい。彼女は特に追撃されるようなこともなく、まして障害に阻まれることもなく、それからは脱出経路を辿ることができた。

 ──と、そのとき下の階層から、男達の梟雄な声が響くのが耳に入った。

 雄叫び。それと同時に機銃が斉射される音が響き、ザフトの追手が、今は全く別の方角に向いている(・・・・・・・・・・・・)ことを把握した。彼女は途端に失笑とも、侮蔑とも取れる表情になり、

 

薄紅色(・・・)か──やっぱり、地球軍の女がやったってこと自体はバレてるのね)

 

 実のところ、管制室に君臨してたパトリック・ザラ──彼を拳銃で射殺したのは、フレイである。

 だが、そんな彼女も今はザフトの追手を免れて、悠々と脱出路に就いている。

 

(でも残念、薄紅色はもうひとり(・・・・)いるのよ)

 

 ──即席で閃いたにしては、なかなかに上出来な作戦ではなかろうか。

 フレイは、地球軍の薄紅色のスーツに身を包むステラ・ルーシェの姿を思い返した。どうしようもなく無力だった頃の自分に、強化人間としての人生を与えてくれた少女。フレイにとって彼女は、伝承に馳せる『反存在(ドッペルゲンガー)』さながらの投影像だった。自分の影に出遭った者には絶対的な死期が迫っているとも伝えられているが、実際に玉響の命しか持たない生きる屍(リビングデッド)から見れば、あながち間違った逸話でもないのかも知れない。

 このことを逆手に取って、フレイは、ステラのことをみずからの替え玉(ダミー)として利用していた。とどのつまり、ステラを囮として活用していたのである。勿論、それはステラが「自分と似たような色のスーツを着ている」という知識があったから出来たことであり、だからこそ、フレイは運がいいのである。

 

 ──あの()には、身代わりになってもらわなくっちゃ……!

 

 父親を戦争で亡くしたあの日から、フレイの中には「どんなものでも利用する」という気概があった。みずからの目的を果たすためなら、友情も信頼も切り捨ててきたし、肉体や良心すら悪魔に売ることも厭わなかった。

 展望どおりに結果がついて来なかったことも多々あれど、他人を踏み台にすることなど今に始めたわけでもない。彼女は自分にとって有利な結末以外は望んでいないし、求めてもいないのだ。

 そんな自分が、もとより優良な人間だとも考えていなかったようだが、個人として戦争を生き抜くために、彼女はそういう生き方を選ぶしかなかったとも云える。

 

(コーディネイターなんて云ったって、超能力者(エスパー)じゃない。とんだ間抜けな集団よ)

 

 瞬かない星の海。

 鎮まらない命の光。

 出口が、見えた。

 

(あの娘なら生き延びられるでしょう? あの娘だって、コーディネイターじゃない……!)

 

 唾棄しながら、フレイは宇宙空間に身を躍らせた。なかば乗り捨てる形で岩肌に待機させていた〝デストロイ〟のコクピッドへ滑み、シートについた彼女は、改めて己の胸を撫で下ろす。

 

 ──敵軍の指導者(パトリック・ザラ)は殺した。

 

 暗殺に成功した今、彼女が考えることはひとつしかなかった。彼女や彼女の同胞達にとって大切な故郷──母なる地球を守り抜くこと。

 自然の中に生まれ出でた者としての矜持。まるで役に立ってくれない同胞達への苛立ちすらも糧に、彼女は誓う。コーディネイターが造り出した大量殺戮兵器──〝ジェネシス〟による無差別攻撃を止めなければならない。アレが地球に向けて、死の光を放つ前に。

 

 ──破壊しなきゃ……。

 ──これは、そのための〝力〟だもの。

 

 そのためならば、たとえ自分の命を擲っても構わない。

 ──どのみちこれ(・・)は、そう長く持たないのだから。

 彼女は密かに決意を固め、最大推力で〝ジェネシス〟へ飛び立っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 ニコルが駆け付けた先は、おおよそ人員が退避した後の空虚とは思えない──戦場だった。無数の銃火が飛び交い、廊下の向こう側から、情け容赦のない銃弾の雨が飛んでくるような。

 その中でニコルがザフト兵ではなく、ステラ・ルーシェと先に合流できたのは、せめてもの幸いだったろう。

 

「ステラさんっ!」

「──! ニコル!」

 

 物陰に潜み、敵を牽制しながら射撃戦を繰り広げている少女を、ニコルは捉えた。

 すぐ傍まで駆け寄ったニコルへ、少女は一驚したあとパッと晴れるような笑顔を見せた。が、その花の咲くような笑顔は戦場には似合っていないし、もっと別の場所で見たかったものだとニコルは思った。

 

「ニコル、無事だった……!?」

「僕のことは……! それより、これはいったいどういう状況(こと)です?」

 

 ここに至るまで、ニコルはある程度の状況を把握したつもりだった。

 喧しいほどの銃撃音を響かせているのは大勢のザフト兵で、ステラは一斉に命を狙われている。

 

「ザラ議長が撃たれたというのは!」

「ステラじゃない! ……でも……っ」

「貴方が、狙われている──」

 

 会話をしている間にも、ザフト兵からの攻撃は止まらなかった。敵の凶弾が床や壁に跳ね返れば、それが火花のように散って、闇を照らした。

 接近を許していないか、ニコルと話す中でも、ステラは絶えず遮蔽物の陰から外の様子を伺っている。そんな彼女が手許で弾倉を交換しているのを見たものだから、ニコルは「あっ」と我に返ったようにして、手に握っていたものを差し出した。

 

「サブマシンガンです! ハンドガンよりは役に立ちます──弾薬庫からくすねてきました」

 

 差し出された短機関銃に、ステラはきょとんとした。それはニコルの配慮だった──ステラなら扱えるんじゃないか、という。

 実際、その短機関銃はここまで弾薬の消耗が激しく、さらに拳銃しか持っていなかったステラにとって、有難さこの上ないものであった。受け取ったステラがセッティングを行っている間、ニコルは彼女と場所を入れ替えるように外に牽制射撃を放った。その連射のいずれかが、運よくザフト兵に直撃し、ひとりを撃ち斃す。

 が、ザフト兵からの攻撃は止まらない。それどころか同志を撃たれ、更なる憎しみに突き動かされたように乱射される銃火。集中する射線を、ニコルはやはり遮蔽物に身を隠してやり過ごすしかなかった。──いったい、何が彼らをここまで突き動かしているというのか……? 考えたとき、ニコルは口内に云っていた。

 

(ザラ議長を撃ったのはこの娘じゃない──もうひとりの侵入者で、薄紅色のパイロット・スーツを着ている人間なんだ……! なのに、ボクはさっき『ステラさんが議長を殺した』と考えた。この誤解の仕方は、この娘を狙う十分な動機になる)

 

 ということは、ザフト兵には何を云ったところで無駄だろう。

 ニコルは意を固め、毅然として云った。

 

「急いで脱出しましょう! 手伝います、殿は任せて下さい!」

「それはダメ!」

 

 迷いのない拒絶に、そのときのニコルは唖然としたという。

 そう叫んだステラの剣幕はただならぬ気配があったのだが、そんな彼女は軽く──本当に軽い感じで、淡泊に続けたのだ。

 

「ステラのことはいいから、ニコルは先に脱出して!」

「なッ──」

 

 ニコルは愕然とする。己の命を軽視するような発言を、どうしてこの娘は、こうも平然と吐けてしまうのだろう──!?

 怒りを持って反論しようとしたニコルの言葉を、ステラは封じる。彼女は先の発言の意図──どうしてもそうしなければならない理由を、信頼する彼に向けて続けた。

 

「アスランが──!」

「……えっ……?」

「ニコルには、アスランを止めて欲しいから!」

 

 ハッとするニコルに向けて、懇願するように、縋るようにステラは云った。

 ──今のアスランは、何をしでかすか分からない……。

 その男の行方を見失ってしまったステラだから、ニコルに頼んでいる。

 

「アスランを捜して!」

 

 頼ってるから、信じてるから──今の自分には出来ないことを、お願いしているだけ。

 真っすぐな思いで己を信じてくれる少女に、しかし、ニコルはやはり渋面を返すことしかできない。

 

「でっ、でも……! あなたをひとり、この場所に残すことなんて……!」

 

 闇の奥から撃ち込まれている砲火は激しさを増している。刻一刻と、敵の軍勢が迫っているきているのだ。

 ──たったひとりで、相手にできるはずがない……!

 ニコルがそれでもと顔を向けると、視線の先の少女は唇を一の字に縛って、震わせていた。恐怖心がないわけではないのだろう──それでもやらなきゃいけないと思っているから、彼女は紡いだ。

 

「──おねがい! はやく!」

 

 その表情(かお)は、殺し文句だ──

 明らかに恐怖を圧している表情加減に何も云えなくなったニコルは、黙然として頷くしかなかった。

 

「……分かり、ました……!」

 

 決然と顔を上げ、踵を返す。ニコルはその場から駆け去り、少女は、その背をもの惜し気な目で見送った。

 実際のところ、ステラにはニコルが武器を補給しに来てくれた──いや、そうではないか──助けに来てくれたという事実だけで十分だった。復讐の鬼ではなく、仲間の──人の声に触れることができただけで、少し落ち着けた気分になる。自分は一人じゃない。圧倒的な孤独感からそんな風に解放されるだけで、まだ、もうすこしくらいは戦っていける気がしたのだ。

 昔のように恐怖感覚が消え失せたわけではないにしろ、こんなところで死ぬわけにはいかない。

 銃火が激しさを増し、銃撃の反響を追うようにザフト兵の怒声が響いた。ステラは与えられた短機関銃を利き手に提げた。

 

「往生ォーッ!」

(倒す……! 絶対にここから出てやるんだ……!)

 

 次の瞬間、目の色が変わった。

 絶対に希望は捨てない──

 彼女はまだ、何も諦めてはいないのだから。

 

 

 

 

 

 

 アスラン・ザラは、今にも要塞から脱出する手前にあった。既に出口は視界に捉えており、そこから身を出せば、近隣に乗り捨てた〝ジャスティス〟が片膝立って待っているはずだ。

 底知れぬ後悔────それが彼の頭と胸を、一色に埋め尽くしていた。

 戦争の中で、敵を殺して、殺し続けて、その結果として父パトリックは死んだ。殺された。

 ──仕方が、なかったのかも知れないな……。

 父が奪って来たものは、大勢の人間の命。ナチュラルのものとは云え、奪われれば必ず泣く者のいるそれ──母を奪われた自分達が、激しく慟哭したときように。

 次第に好戦的になってゆく父を正しいと疑わず、妄信し、そんな彼の提唱する戦争に加担して行った自分も、また彼と同罪だ。アスランが戦争の中で手に掛けて来たものは、彼にとっての父や母や、妹も同然の存在──自分ではない誰かにとっての家族、かけがえのない大切な命だった。

 なのにそのことにも気付かず、本気で「ナチュラルなど滅んでしまえ」と思っていた。自分に都合のいい言葉に乗っかり、聞き心地良い理屈に浸るばかりで、真実から目を背けて来た。

 ──おれは、おれたちは間違っていた。

 いま、じきに自爆しようとしている〝ヤキン・ドゥーエ〟──

 それと同時に発射される手筈の〝ジェネシス〟──

 ふたつの連動が起こっててしまえば、それは地球も〝プラント〟も関係ない──ナチュラルもコーディネイターも隔たりない──この世界(・・・・)にとって甚大な被害を齎す惨劇を生むだろう。

 

『大きな光は、みんなを照らすから……! いつか、明るくて優しい世界を実現したいから……! みんなが平和に共存していける世界を夢見て、あなたはアスランに〝夜明け〟の名前をあげたんだ!』

 

 混沌とした闇の世界に、いつしか太陽が昇る瞬間を願ってた。

 そんな父の祈りの形が、夜明けの意を持つ自分(アスラン)であるのなら、最後くらい、その責務は全うしなければならない。既に亡き父の本当の願いに、全身全霊で応えてやりたい──せめて、最後くらいは。

 たとえ身命を賭してでも──『世界』のことは守ってやらなきゃならない……!

 核爆発──その膨大なエネルギーによって照射される〝ジェネシス〟のレーザーは、絶望と死の光。鮮烈なる核爆発のために、もう二度と悲しむ者が生まれて来ないように。自分たちのように苦しみ、運命を狂わされる家族を作らないために。そんな世界を、実現させてやるために……!

 

「オレはもう迷わない──」

 

 そうだ。これ(・・)が正しい結末──正しい選択だ。アスランはもう、来た道を振り返ることはしなかった。

 ──ステラは無事に脱出できたろうか? ……いや、アイツならきっと大丈夫だ……。

 気掛かりではあるが、彼女と共に行動することは出来ない。傍にいれば、アイツはきっと自分を止めるだろう。無垢な心と、純真な言葉で。

 それでまた、自分は悩むだろう。それでは駄目だ──自分はこの戦場で、今までして来たことの罪を償わなければならないのだから。

 ──だから、これで良いんだ……!

 出口から身を乗り出したアスランは、〝ヤキン〟の表面部に片膝立つ〝ジャスティス〟へと乗り込んでいった。

 

 

 

 

 

 ──本当の容赦を忘れた強化人間のことは、甘く見ちゃいけないと思う……。

 独白だが、そんなことをステラは考えながら、このとき自身に襲いかかって来るザフト兵達を撃滅させていた。半重力という環境を最大限に活かした立体的な機動で、床を壁を──あまつさえ天井を蹴ることもあったろうか? 戦士でありながら軽業師のような動きで、次々にザラ派の男達を蹴倒してゆく。心底、ニコルを行かせて良かった、と思った。本当に容赦を忘れて暴れ狂う自分の姿など、知己に見せられたものではない、と思ったからだ。

 獣のように荒い声を上げ、少女は女豹さながらの獰猛さと俊敏さでザフト兵を薙ぎ倒していく。頭を蹴り飛ばすか、連射を撃ち込むか、あるいは反利き手にグリップした短刀で斬り付けるか──

 

「ウッ、ウワァ!?」

 

 そんな彼女に圧倒されていくコーディネイターの小集団は、そもそも自爆寸前の要塞(ヤキン・ドゥーエ)にみずから残ることを選んでいる。交渉や弁明の通ずる相手ではないし、なまじ命を捨てる覚悟が出来ているから、何を云っても退いてくれないだろうことは明らかだ。

 そこで問題になったのは、だからと云って、ステラにも殺されてやる気がなかった、ということか? ザフト兵が退けないのと同じように、ステラもまた自分の命は譲れないという闘志があって、だからこそ、両者が衝突するのは必然と云えた。

 そしてその結果、技量で劣るザフト兵が次々に敗残していくのも、また必然と云えた。

 しかし、それにだって限界はある。

 

「おのれェー、小娘風情がーッ!」

 

 ひとりを相手取る毎に、蓄積されていく緊張と疲労。戦闘における高揚や興奮にも打ち勝ってしまうほどの孤独感、閉塞感。違法薬物によって精神を強化されていた頃ならば、感じることもなかったはずの恐怖心。様々な要因を含め──無数の不快感が邪魔をする。

 だからこそ、ステラはこのとき純粋な狂戦士となり得ることが出来なかった。あるいはそれは、尋常な人間となった今日において、決して辿り着くことの出来ない境地なのかも知れないが。

 

「近寄るなーッ!」

 

 叫び、射撃して、さらなるザフト兵を撃ち斃す。

 いったい、残りは何人なのか? 既に十人以上は倒したのか、それともまだ五人も倒していないのか? それすらステラは判らなくなっていた。

 だが、それでも数は減らしたはずだ。というより、そうでないと困る(・・・・・・・・)のだ。

 

「はァ──はァ──!」

「よくもォ……よくもザラ議長をォォッ!」

 

 それでも、闇の奥から現れる刺客達──

 ──わたしじゃ、ない……!

 叫びたいが、叫んだところでどうにかなる問題でもないと気づいてしまえば、叫ぶ気にもならなかった。

 

「ザラ議長こそ我々コーディネイターを導く、唯一正しき御方だった! それを、貴様ごときにィィーッ!」

「どいてっ!」

「グアハッ!?」

 

 片づけた──!?

 やがて周辺に動く者の気配を感じ取れなくなった暁に、ステラは機銃を降ろしていた。息を荒げ、やはり出口を捜そうと、歩き出した。

 ──何人、殺した……! 何人、殺さなきゃならなかった……!?

 ──戦いたくなんて、なかったのに! 

 要塞全体の震動は、さらに強くなって来ている。まるで地震だ──この場所が崩壊する前に、急ぎ脱出しなければならない。

 ステラは後方に残した来た者達に若干の躊躇いを抱きながらも、それでも前に向かって歩き出した。後少し──後少しのはずだと、自分に云い聞かせながら。

 しかし──

 

「──待てェッ!」

 

 通路の影から、それは現れた。彼女の後方に位置している「十」字路──闇の奥深くに、その最後の男はずっと身を隠していたらしい。虎視眈々と、絶好の反撃の機会を伺うために。

 ステラは、まるで気が付いていなかった。その男に、怒鳴られるまでは。

 しまった、と云っている時間もない。急ぎ対応しようと振り返るも、遅すぎた。男の放った銃弾は少女の右腿を貫き、これを食い破っていた。

 

「アアウッ!!」

 

 獣のような悲鳴を上げ、ステラはその場に倒れた。男はすかさず連射しようとするも、弾詰まりを起こしたのか、舌打ったあとナイフを抜き放って少女に肉迫しようとした。

 死の足音が近づく。男は愉悦を顔に浮かべながら、

 

「ハハッ! ザラ議長の仇を! ────ンッ!?」

 

 そのとき十字路の「右」から、突風? ──いや、爆風だ。

 近隣の自爆装置のひとつが爆発し、闇の奥から閃光、光! 噴煙と衝撃波が突き抜けて来る。

 

「ウ! ウッワ……!?」

 

 それは十字路の「央」に立つ男に伸びるように荒れ狂い、ステラの目の前で、ちっぽけなその人間を呑み込んだ。

 

「ギャアアッ!」

 

 男の姿は、爆煙に包まれて見えなくなった。

 紡がれていた断末魔も、聞こえなくなった。息絶えたのか、ふたりの距離が開きすぎただけなのかは、知ったことではなかった。

 

「──いッ……!」

 

 ステラは傷口を抑え、溢れ出る血を止めようとした。が、それはただ血液の付着するスーツの表面積を増やしただけだった。

 ──止まんない……!

 灼けるような痛みに耐え、ひとまず気密シートを張り付ける。治療にはならないが、応急処置にはなる、と考えたのだ。

 それでも、ステラは立つしかなかった。立ち上がり、跛行しながら出口を捜す。

 その道中、最初に仕掛けて来た男のランチャーが床に転がっているのを目に入れたものだから、これを拾い上げ、薄そうな隔壁に向かって構えた。

 ランチャーが、放出される。爆撃が、ブロックの壁面を撃ち抜いた。

 と、その反動(リコイル)で全身の筋肉が震えた。ブシュッ! 圧力を逃がす場を捜し求めた体内の血流は、抜け穴になっている右腿に辿り着いて、傷口から大きく噴き出した。激痛が走った。

 

「うッ…………!」

 

 隔壁ブロックに風穴が開くと、そこは坑道に繋がっていた。

 その坑道の先にあるのは、〝ヤキン・ドゥーエ〟の表面部(いわはだ)だった。

 

 

 

 

 

 ステラが辿り着けそうな岩肌からかなり南に寄ったところでは、〝クレイドル〟と〝ブリッツ〟が乗り捨てられている。

 そのうちの黒い機体には、ニコルが辿り着いていた。そんな彼は、このときひとりであったから、内部でアスランを発見することが出来なかったことを物語っていた。

 

「いったい、どこへ?」

 

 OSを起動させ、ディスプレイを見たニコルは、機械の手を借りて〝ジャスティス〟の行方を追った。乗り捨てられているはずの岩肌に、既にその機影はない。

 とすると、どこかに飛び立ってしまったのか……?

 そのとき、コンピュータが反応を捉えていた。リフターを背負った深紅の機体は、巨大なミラー、すなわち〝ジェネシス〟に向かって離脱を始めていたのである。

 ハッとしたニコルは、急ぎ〝ブリッツ〟を発進させた。咄嗟に〝ミラージュコロイド〟ステルスを展開させたのは、邪魔者に道を阻まれないようにするためだった。ニコルは懸命に〝ジャスティス〟の後を追う。このとき(バーニア)を噴かしていたから、光学迷彩が役に立っているとは云えないのだが、気休めにはなった。

 通信の届く範囲まで追いすがると、その光学迷彩を解いて、改めて回線を開く。

 

「アスラン!」

〈ニコル!? ──なぜきみが!〉

 

 アスランから明瞭な声が返って来る。

 ニコルは彼からの問答には付き合わず、自分達の都合を優先した。

 

「何をするつもりですか、アスラン!?」

〈──決まっている! 〝ジェネシス〟内部で、〝ジャスティス〟を核爆発させる……!〉

 

 既に決めたことだ──

 そう訴えんばかりの同僚の眼に、迷いはなかった。迷いはなかったからこそ、ニコルはその言葉に絶句した。

 ──アスランは、死ぬ気だ……!

 深紅と漆黒の機体──

 〝ジャスティス〟と〝ブリッツ〟は、それからも〝ジェネシス〟に向かって並進した。

 

 

 

 

 

 

 爆撃の痕の目立つ〝ヤキン・ドゥーエ〟の表面を添うように流れ、ステラは〝クレイドル〟めがけて地を蹴った。慣性のまま〝クレイドル〟の角に飛びついた後、装甲に身体を回し、コクピッドまで転がり込む。

 シートに着座し、ハッチを閉じて気密を行った。備え付けの医療具で傷口を手当てし、ヘルメットを乱雑に脱ぎ捨てると、金の髪が暴れたので手櫛ですいた。

 

「〝ジャスティス〟は……。〝ブリッツ〟は……!?」

 

 手許のレーダーが、かろうじて〝ブリッツ〟の熱門を捉えている。

 ニコルは〝ジェネシス〟の方角に向かったらしい。そこに、アスランがいるのだろうか?

 ステラはすぐさまOSを立ち上げ、機体を発進させた。スラスターを点火させ、直ちに〝ブリッツ〟の後を追おうとしたのだが──

 

 ──ガシャアン!

 

 突き上げるような衝撃──と、装甲同士が衝突し軋む音。

 コックピット全体が激震し、ステラは愕然と驚きに目を開いた。背後から、何らかの強大な力に捕縛されたのだ。

 慌てて振り返った先に、モビルアーマーらしき異形の鉤爪が映る。〝イージス〟と同形態のモビルアーマー。漆黒の闇色に彩られた巨大なる鋼鉄の獣──

 

〈ハッハッハ! 金髪ちゃんめがァ!〉

 

 接触回線から響き渡る、不気味な男の哄笑──いつかの男だ!

 ──〝リジェネレイト〟……!

 しかし、今のステラは、それどころではない。

 

「キサマ……!?」

〈掴んだぞッ!〉

 

 ステラは、怒った。直ちに両腕のドラグーンを解き放ち、自律するビーム砲による狙撃を行う。〝リジェネレイト〟はこれらのビーム攻撃を躱してみせたが、激しい回避運動のためにモビルアーマー形態を解くしかない。

 それによって捕縛から逃れた〝クレイドル〟は、しかし、次の瞬間には〝リジェネレイト〟に背を向けて〝ジェネシス〟の方角へ向かった。現れた闖入者を全力で無視するかのように──オマエなど眼中にないとでも云わんばかりに。

 

「!? どこ行くんだよォ、オラァーッ!?」

 

 アッシュは顔面を紅潮させ、喚いた。即座に〝リジェネレイト〟を高速航行形態へ変態させ、鼻先に放たれるドラグーン攻撃にも構わず、バーニアを全開にする。

 ──逃げるのかよ! 逃がすものかよ!

 ステラが何を意図して〝ジェネシス〟を目指そうとしているのか、そんなものはアッシュの知ったところではない。だが、自分という存在を無視した罪は決して消えない!

 

「ドラグーンを差し向けておけば、このオレが足止め喰らうとでも思ったのかァ!?」

 

 屈辱感に、アッシュは再び〝クレイドル〟への突撃を敢行した。

 圧倒的巨躯でありながらも、速力において〝クレイドル〟を凌駕する〝リジェネレイト〟の高速巡航形態は、そうしてステラの後背に肉薄し、これを捕らえんと四脚を押し開いた。

 けれども、流石に同じ轍を踏むステラではない。彼女はすんでのところで機体を反転(アンバック)させ、この零距離攻撃を回避した。

 

 ──こいつ、邪魔ばっかり!

 

 以前にも同じことを考えただろうか? やはり〝リジェネレイト〟には段階的な可変機構が備わり、速力の土俵において〝クレイドル〟が勝てる相手ではないらしい。

 ──倒さなきゃ、いけない……!

 しかし、一度でもそう判断した場合、ステラは頭を切り替えるのが早い方だった。元よりステラは、かの男が生理的に嫌いなのだ。

 

「なんで、そんな顔ができる……」

〈ああん?〉

「なんでそんなに、愉しそうに戦争ができるんだ!」

 

 ステラは叫び、通信機からは愉悦に満ちた声が返る。

 

〈ああ、愉しいねェ! オレはずっと待ちわびてたんだ、この手でテメェを引き裂ける、この瞬間をよォ!〉

「ひとが死んでいく……! いっぱい、死んでいくんだよっ!」

 

 今、ステラ達が繰り広げているのは、あくまで個人同士の衝突に過ぎないのだろう。

 しかし、その傍らでは艦隊戦が繰り広げられ、今も大勢の命が消えている。戦場を彩る爆発と光芒のひとつひとつが、人の命の最後の輝きによるものだ。ナチュラルもコーディネイターも関係ない──戦に敗れ、無念の想いで黄泉へ旅立ってゆく者達の断末魔の叫びだ。何十、何百と咲き誇るその光の中にいて、それでもこの男は、何ひとつ感じないというのか!

 

〈それがどうした! より多くを殺すことが、オレの使命だと云った! そのオレを躍起にさせたのは、テメェだろうがァ!〉

 

 その言葉を聞いた途端、ステラの中で、何かが弾けていた。肉体が爆発的に反応し、精神は暴力的に沸騰する──

 白い機体は背の六枚の翼を広げ、バーニアを全開にする。白銀の〝クレイドル〟は一陣の疾風となり、全速力で〝リジェネレイト〟に突貫する。その光景は、さながら白翅の天使が、邪悪な魔獣へ立ち向かう絵図にも見えるが──

 

「邪魔だと云ったんだ! 戦場ではしゃぐヤツは!」

〈命は散るからこそ美しいんだろう? ──ああん? そうだろうがッ!〉

「命は光だ──!」

 

 アッシュは愉悦に満ちた表情を浮かべながら、半人半虫のような強襲形態へ〝リジェネレイト〟を変態させる。ようやく正面から突撃してきた〝クレイドル〟を迎撃し、次の瞬間、おおよそ三倍ほどに全長差のある二機が、互いに剣戟を交わした。

 けれども、そのとき〝クレイドル〟が振るったふたつの斬撃は、ほとんど怒りに任せて繰り出された無造作なものだ。直情的で、短絡的──あまりに鋭気を損ない過ぎている。このような攻撃を受けるアッシュではなく、ステラが繰り出した斬撃は、目標を捉えられずに空を切った。

 えげつない笑みを浮かべながら、アッシュが反撃の格闘戦に転じた。両腕に備えられたロング・ビームサーベルを躍らせ、この刃渡りに対して為す術のない〝クレイドル〟の両腕が、肩口から切り裂かれて宙を舞う!

 

 ──はずだった。

 

 繰り出された両掌の斬撃は、しかし、突如として空間に割り込んできたドラグーン・シールドに阻まれていた。自律する〝盾〟は宙域に浮かびながら、それ単体で〝リジェネレイト〟の斬撃をずらしてみせた。

 両腕を封殺され、巨大な〝リジェネレイト〟の体躯が無防備に浮いた。その隙を逃さず──反撃をやり過ごした〝クレイドル〟が双剣で斬りかかる逆撃に転じる。二挺のビーム・ジャベリンを奔らせ、振り抜かれた刃が〝リジェネレイト〟の頭部を、腕部を、脚部を次々と断ち、とどめに胸部を穿つ!

 だが、アッシュの反応もまた早い。彼は咄嗟に原子炉閉鎖ボタンに手を伸ばし、核エンジンの誤爆を防いだ──が、それだけだ。全身を切り裂かれた〝リジェネレイト〟のボディは、文字通り手も足も出せずに、ステラを前に爆砕される。

 

(────!?)

 

 しかし、パイロットは無事である。なぜなら〝リジェネレイト〟のコクピッドは、背嚢のコア・ユニットに備えられているから。人型の交換パーツが爆散するが、この余波に巻き込まれるより前に、アッシュはコア・ユニットで戦線を離脱していた。

 ──くそッ、憶えてやがれ……!

 一切の通信を切断しながら、アッシュは強かに毒づく。

 これで終わりにはしない。機体は損ねてしまったが、なんてことはないのだ。このまま軍本部へ帰投し、新たな予備パーツとドッキングを行えば、自分は何度だって蘇ることができる。

 

(まだ戦える──まだ殺せる! 何度だって再生して、テメェの邪魔をしてやるからなァ!)

 

 怨恨と復讐に息を巻くアッシュであったが、結論から云うと、彼が生還することはあり得なかった。ステラがこのとき、既にコア・ユニットまでの距離を詰めていたから。

 グワッ! として白い悪魔がアッシュの視界に大写しになり、アッシュは驚きと慄きに立ち上がる。まさか──!

 

〈生きてるから──『あした(・・・)』があるから輝くんだ!〉

「なぁ──ッ!?」

〈おまえは闇に帰れーッ!〉

 

 ──生き延びることも許さない。

 そう訴えんばかりの激しさと冷たさを持った声が、アッシュの耳に突き通る。

 振り抜いたビーム・ジャベリンが、コア・ユニットを貫いた。爆発の炎が内部でパっと明るく膨張し、ついで竜巻のように、誘爆の光は行き場を求めて狭い空間を駆け抜ける。息も出来ぬほどの高温に包まれ、アッシュは絶叫した。

 

(死ぬのかよぉ! おれァ、ここで死ぬのかよぉーッ!?)

 

 ──待ってくれ! まだなんだ! まだオレは、殺し足りない!

 男の目に浮かんだのは、突如として訪れた『死』の感覚に対する、理不尽な激情だった。──まだあの小娘を、この手で引き裂けていないのに! なんでオレが死ななきゃならないんだ!?

 ──オレはまだ、死にたくない……

 

「うッ! うごァァァァァァァッ!?」

 

 コア・ユニットが爆散する。無数の破片が周囲に飛び散り、そのいずれもが、宇宙という名の闇に流れていく。

 やがて目の前の光芒が消え、しかしながら、ステラの周りでは、相も変わらず同じような光が美しくも宇宙を照らし続けていた。

 

 


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