~夢見る少女の転生録~   作:樹霜師走

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『メンデルス・オラトリオ』A

 

 

 〝メンデル〟の中で男達の邂逅が果たされている頃、ステラは〝クレイドル〟を〝クサナギ〟に帰投させた。そうする理由はいくつかあったのだが、彼女自身が怪我をしていた、というのが主な理由である。

 額からの流血。そういえば、キラを庇って〝レムレース〟の攻撃を受けた際、前頭部を強打したことを思い出す。

 

 ──多くの人にとって、血はきっと恐怖を呼び起こすものであるのだろう。

 

 それはステラの個人的な感覚だが、少なくとも、彼女が昔から赤い色を心理的に苦手としていたのは事実だ。

 また、現在の〝クサナギ〟艦内には、僅かながらにオーブからの避難民──つまり市民もまた同乗している。ただでさえ不安を抱えている彼等に余計な恐怖を与えまいと、ステラは人目を忍びながら医務室へ向かった。その道中では、こそこそと周囲の様子を伺いながら廊下を渡る彼女を目撃した者もいて、

 

「なにしてるのかな、あれ」

「さ、さあ」

 

 アサギとジュリは遠目に見つめながら、困惑の声を挙げたという。

 このときのステラは、殊にマユにだけは「見つかりたくない」と思慮していたのだが、結果的に彼女は向かう先が悪かったのだろう。医務室のドアを開けると、室内には先客がいて、それこそがマユ・アスカ当人であった。

 

「! お姉ちゃん!」

 

 ガーゼを当てているが、ステラの流血に気付いたらしい。マユは血相を変えて、ステラへと寄っていく。

 マユは現在、船内を車椅子で移動しているため、これを後方から押す補助員が随伴するのが常である。いつも誰かが傍らにいるのが当然なのだが、このときの担当はマユラ・ラバッツであったようだ。同じパイロットとして心配になったのか、マユラもまたステラに駆け寄り、容態を訊ねる。

 

「怪我したの? だいじょうぶ?」

「あたま打っちゃった」

「あら。小さくて、かわいいおでこ」

 

 額の小さな傷をみせるように前髪をあげたステラであったが、マユラから返された感想はまったくの別方向を向いていた。

 二人に遅れて、医務室の当直であったろう男性の医務官が歩み寄ってくる。彼はステラの傷の具合を認め、軽い口調で云ってみせた。

 

「すこし切れているが、針で縫うほどのものではないよ。今すぐ手当てをして、安静にしていれば放っておいても治る。──大したことないよ」

「……」

 

 付け足された一言に、むっ、とマユラが不機嫌な顔をした。ステラではなく。

 手当てを終え、ピンで留めていた前髪を降ろし、癖がつかぬように手ぐしで透かすステラ。すると、マユラが「はいこれ」と手鏡を差し出してくれた。

 彼女なりの気遣いだろうか? 手鏡をぼうっとして受け取ったステラは、茫洋としながら鏡面を覗く──と、眉下まで伸びた前髪のおかげで、額に浮かんだ傷跡はすっかり隠れてしまっていた。傍から見れば、額を怪我しているなどとは、気付けないほどに。

 しかし──

 

「傷が残ったら、やだな」

 

 医務室を出て行ってからも、ステラは不意に、そんな発言を溢していた。

 

「これって贅沢?」

 

 常に危険と隣合わせにあるモビルスーツパイロットが、小さな傷のひとつも残したくない──そう思うのは、贅沢だろうか?

 傍らを歩くマユラと、彼女に車椅子を押されているマユは、呆然として発言の主を見つめ返している。特にマユラは、心得たと云わんばかりに納得した様子で、

 

「そんなことないわ、女の子なんだもん。誰だってそう思って当然よ」

 

 不思議と、そのように共感していた。

 ぷんすかと音が鳴りそうな口調で続ける。

 

「ほんと失礼しちゃうわ、あの先生! なぁにが『大したことない』よ!」

 

 ──乙女の顔に傷がついたって、それだけで一大事だってーの!

 幸い、ステラの傷は浅く、医学的に云えば「大したことのない傷」であるのは間違いない。が、理屈と感情とはまた別なのである。額の様子を気に懸けたステラに、マユは自然と訊ねていた。

 

「やっぱり、気になる?」

「うーん、すこしだけ……」

「だったら、わたしの部屋においでよ。下手なことはできないけど、ファンデで誤魔化してあげることくらいならできるわ」

「ふぁん、で……?」

「クリームとか、乳液のことよ。あなたの肌に合うかは、使ってみないと分からないけど……」

 

 気が付くと、ステラ達は誘致されるままにマユラの部屋へとやって来ていて、中に入ってから、すこし驚いた。

 そこは士官の個室であり、軍艦の一室だ──あくまでも華美な装飾が許されているわけではない。

 が、質素に調度されたドレッサー上にずらりと並んだ美容液や化粧品の数々に、彼女達は思わず圧倒されたのである。ステラはマユラの云う「メイク」というものを──言葉自体は知っていたとは云え──実践したことがなかったため、メイクってこんなに苦労が必要なんだ、と新鮮に感じた。

 同時に、これだけの化粧品を揃えたり、使ったりしているのであろうマユラがさながら医学者であるかのように見え、一瞬尊敬の眼差しを向けた。

 

「傷跡部分(あたり)の皮膚は、とっても敏感になってるからねぇ。直塗りすると、かえって炎症を悪化させちゃうのよ」

 

 当人はまるで気にしたことはないのだが、ステラは世間的に「美白」と呼ばれるだけの綺麗な肌をしている。マユラから見れば色素が薄く、羨ましいほど(、、、、、、)に染みや荒れがない。

 雪のように、とまでは云わないにせよ、滑らかな素肌が、まるでシルクのようでもある。ここに鮮烈な金糸を紡いだような金髪をしているのだから、羨ましいを通り越して、いっそ嫉妬したいぐらいである。

 こういう肌質の女の子には、濃い化粧は御法度だろう。ナチュラル仕上がりのガーリーメイク──甘っぽいアイラインとグロス程度で十分な気がした。

 もっとも、今回の目的は傷口を隠すことが前提であって、本格的にメイクを施すわけではない。マユラの云ったとおり、傷口の周辺は相当敏感になっているため、下手なメイクを施すと皮膚の状態を悪化させる危険があった。

 

「そういうときは、じゃじゃーん! これ、ファンデーションテープ」

「?」

「これを付けてから、パウダーファンデで境目を馴染ませると、傷が目立たなくなるの。同時に絆創膏の役割も果たすから、傷の治りも早くなるしね」

「なんか、お医者さんみたいだね」

 

 美容を改善するという意味では、その形容の仕方は、あながち間違ってはいなかったが。

 云いながら、マユラは柔らかなパフを使い、ステラの額にぽんぽんとタッチした。テープと素肌との境目をゆっくりと馴染ませ──これを甘受したステラが改めて鏡を見れば、傷口の部分が魔法みたいに素肌に馴染んで隠れてしまっていた。

 前髪を上げても、患部が悪目立ちしない。

 ステラは、感動した。

 

「──わ、すごい」

「もしかして、メイクとかやったことないの?」

「特別な式があるときに、お母さんがやってくれた──それくらい」

 

 それつまり自分じゃやったことないって意味じゃないの。

 マユラは察して、額を抱えた。世の中って不公平。自分は毎夜毎夜と美容液を使っているというのに、この娘はこれが「(すっぴん)」なんて……。

 確かに〝プラント〟国防委員長の娘なら、パーティや式典に幼いながらも出席する機会は多かったのだろうが──。

 そんなとき、傍らにいたマユが「はいっ」と云いながら勢いよく手を挙げた。

 

「マユにも、お化粧おしえて!」

 

 いつかは役に立てようと云わんばかりに挙手した少女であるが、マユラはジト目を浮かべ、意地悪な顔をした。

 

「だーめ、あなたにはまだ早いわよ~」

 

 純真無垢なる要求を一蹴したのは、自分とステラの間にあった『差』を思い知り、腹が立っていたからかも知れない。

 要するに八つ当たりである。マユラはシンデレラを虐げ続けた継母にでもなったかのように、マユに対しては強気になって高笑った。

 

十一歳(おこちゃま)は、十一歳(おこちゃま)らしく(、、、)してなさ~い? これはお姉さん達の特権なんです~」

「……むッ」

 

 ぱちん、と化粧ポーチを閉ざして見せたマユラに対し、マユはぷくと頬を膨らませる。

 一蹴されて機嫌を損ねたのか、反撃とばかりに云い返す。

 

「ふん、じゃあ別にいいもんね。お化粧ができたって、カレシができなきゃ意味ないもん」

「うぐッ」

 

 女の戦争が始まった。

 マユラの胸に、正論という名の槍が突き刺さる。

 

「よく考えたら、お化粧に釣られる男の子なんて求めたって、しょーがない。マユは将来、もっと素敵な人を捕まえるもん~」

「こ、小悪魔みたいな顔して! でも云ってること正しいから、悔しい……!?」

 

 この娘は将来、なんだかんだで大物をつり上げそうな気がする。

 不思議とマユラは、そう感じた。

 

「最近の女のコって、すすんでるね」

「ませてるのよ。ていうか、それを云うならあなたはむしろ遅れすぎ」

 

 冷ややかに、そう突っ込んだマユラであった。

 

「男のハートを射留めるにも、お化粧くらい知っておいて損はないよ? お顔は乙女の武器なんですから。ね?」

 

 ──ああ、そういう意味だったんだ。

 ステラは初めて、マユラの発言の意図を理解した。

 ──男の、ハート?

 茫洋と反芻しながらも、ステラは不意に、明日の方向に視線を投げかける。

 ──彼が戻って来ないのは、やはり、戦闘か何かに巻き込まれているからだろうか?

 

「……キラ、だいじょうぶかな」

 

 呟きを聞いた者は、誰もいなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 巨大な金属のパイプから、いくつものボルトが付き出しているらしい外観をした建物は、どうやら廃棄された研究施設らしい。

 ムウと、彼が追うザフトの敵将は、その施設の中に駆けて行った。

 場を任せてほしい、と云われ、キラはニコルを取り残してムウの後を追った。施設前に〝フリーダム〟を降りたたせ、エントランスに駆け込む。中に入れば円形のホールに人影はなく、すべての照明は落ちているが、何も見えないわけではなかった。中央にシャフトのような円柱が聳え、これを螺旋をモチーフとした二層階段が取り巻いている。

 しんと静まり返った空気の中、出し抜けに銃声が響いた。キラは慌てて緊張し、拳銃を握る手に力を込めた。

 

〈ここが何だか知ってるかね、ムウ!〉

〈知るか! バカヤロウ!〉

〈──罪だな、きみが知らないというのは!〉

 

 云い争う声が上階から聞こえ、片方がムウのものであると確認したキラは、彼の声が響いた方角を頼りに階段を昇って行く。

 ──よく考えたら、実際に銃なんて、これまで扱ったことがない……!

 MSに乗れば、それこそどのような射撃も正確無比に行う力があるキラも、生身の白兵戦となれば話は別である。こうした場面で、自分はいったいどれほどの役に立てるのだろう? と冷静に考えるが、来てしまったからには、のこのこ引き返すわけにもいかないだろう。

 ──見様見真似でも、ムウの掩護くらいにはなれるはずだ。

 キラは物陰に隠れているムウの姿を発見し、声を挙げた。

 

「ムウさん!」

「キラ……!? おまえ、何で来たんだ!?」

「あのまま外で待ってるなんて、できませんよ!」

 

 そのとき、遠方から声が響いた。

 

「キラ・ヤマト──生きていたのかね?」

 

 自分が知るはずもない相手から呼びかけられ、キラは唖然とする。

 

「キミまで来てくれるとは、嬉しい限りだ! キラ・ヤマトくん──」

「な……ッ」

「そうか、きみが〝フリーダム〟のパイロットか! あの〝ジャスティス〟を退けたというのにも、そういうことなら合点がいく(・・・・・)──」

 

 キラには、その男が何を云っているのか──

 そもそも、その男が誰で、何者であるかすら分からなかった。

 ──なぜ、僕のことを知っている?

 ──彼は、アスランのことを知っているのか?

 ──合点が行くとは、どういう意味だろう?

 それはまるで、キラがアスランを退けたことが、当然とでも云うような台詞で。

 このときの彼には、分からないことが多すぎた。

 

「さあ、遠慮せず来たまえ! 始まりの場所へ(・・・・・・・)

 

 口振りから、彼はただ闇雲に逃げ場所を選んだわけではない、ということが想像できる。とは云え、この〝メンデル〟は無人の廃棄コロニーだ。ラウとて、施設内の構造すべてを把握しているわけではないのだろう。

 だが一方で、ムウたちはこの施設のことを何も知らない。見たところ何かの研究施設らしいが、内部の構造は勿論、この場所でどんな研究が行われていたのかも、彼等は知らないのだ。

 その点、ラウはこの施設のことを知っており、地の利を活かした動きが出来る。持てる情報量の違いが、形勢の差となって現れていた。

 

「チッ……」

 

 状況が気に入らず、ムウは軽く舌打ちをする。

 人数的には自分達が有利とは云え、正規の軍事教育を受けていないキラは、モビルスーツ戦はともかく、白兵戦では「宛てにならない」……いや、この状況下では、むしろ「足手まとい」と判断した方が、キラにとっても親切である。幻惑的なラウの発言も相まって、いちいち動揺を示してしまうキラは、このとき、戦力として数えられるような存在ではなかったのだから。

 

 ──キラじゃなくて、ステラがいりゃ、少しは状況は変わったろうか?

 

 不意にそんなことを考えてから、ムウは失笑した。

 ──いや、少しどころの話じゃない。

 彼女がいれば、状況は少しどころか、大いに変わっていたに違いない。

 モビルスーツ戦どころか、銃撃戦・白兵戦ですら抜群に脅威的なのがステラ・ルーシェという少女である。〝ヘリオポリス〟においてはクルーゼ隊の面々ほか、コーディネイターの特殊部隊を単独で凪ぎ倒し、彼等から〝ディフェンド〟を守り抜いたほどの実力者。戦闘屋と云えば蔑称になるが、ステラほど『完成された兵士』が傍に居れば、クルーゼひとりを相手取るこの状況に対し、一抹の不安も不利もなかったはず──いや、さすがにこれは失言が過ぎるか。

 元より彼女は、みずから望んで『そう』なったわけではないし、そうであるのなら、元は地球軍に帰属していたムウが彼女に『それ』を求めては最悪だろう。ムウはステラの実力や能力に対し、兼ねてより一定の評価と信頼を抱いていたが、都合が良いときに都合の良い駒としての能力を彼女に求めるのは、あまりに虫の好すぎる話だ。

 

 ──そうだ、あの少女はもう絶対に、戦うだけの強化人間なんかじゃない。

 

 自分で云って情けない、なにが『完成された兵士』だろう? そんな野蛮な理想を実現しようとして、地球軍の上層部は彼女に何をした? 純真無垢な少女の肉体を弄び、犯してしまった蛮行への贖罪のように──自分のような大人には、彼女の健やかな成長を見守って行く義務があるのだ。純粋な少女としての人生を取り戻そうとしている、彼女の成長を──

 なにより、こう考えるのは傍らにいる少年に対しても大変な失礼でもある。曲がりなりにも、彼は自分を心配してやって来てくれたのだ。

 ムウは両の手でみずからの頬を叩き、自分自分を強く戒めてみせた。

 

「えっ、どうしました?」

「なんも。どうにも情けないことを考えた男を、懲らしただけだ」

 

 飄々とした返答に、キラは釈然としない顔を浮かべたが、ムウはすぐに表情を引き締めた。

 

「それよりお前、撃つ気あるならセーフティ外しとけ」

 

 云うと、キラは今になって気付いたように、拳銃の安全弁を取り外した。

 施設内部を進むにつれて、周囲の不気味さは一層として増していった。周囲を見回すキラの目には、様々な実験機器が並んでいる──おそらく冷却層の羅列だろうが、部屋の床には得体の知れない青光りする液体が湛えられ、装置の上には何かをモニタリングするためのモニターがずらりと並んでいた。

 いずれも、施設が破棄された今でも生きているのか、それとも、ラウ・ル・クルーゼその人がシステムを再起動させ、自分達に見せつけているのか──装置には得体の知れない文字や数値が流れ出て、正体もよくわからない胎児のような画像が映し出されている。

 いや、胎児のような、ではない──実際に、胎児なのだ。

 ハッとしてキラが周囲を見渡せば、無数のガラス瓶の中には、胎児の標本が浮んでいた。牢の中に閉じ込めてある、というよりは、まるで美術館に飾ってあるかのように、当たり前に。

 

「……!?」

 

 咄嗟に事態を悟ったキラは、猛烈な嫌悪感に襲われた。

 ムウもまた、悄然として目をむいている。

 

「なんだ、ここは……!?」

「懐かしいかね、キラ君? 君はここを知っているはずだ──」

「──!? 野郎、おちょくって……!」

 

 扉は半分開いており、ふたりは周到に警戒しながら、小室の中を覗った。

 プレートには、

 

『Plof,Ulen(ユーレン) Hibiki(ヒビキ) M.D.Ph.D.』

 

 と記載されてあるが、おそらくこの小室の持ち主の名前だろう。

 そしてまた、数発の銃声が響いた。

 キラは咄嗟に首を竦め、応射したムウが室内へと一気に飛び込む。ソファの物陰まで突っ切ったムウが、闇の中へと銃弾を発砲するが、まるで跳弾のように飛来した銃弾が、彼の右腕を掠めた。

 短く悲鳴を挙げたムウに声を上げ、キラは一気に室内へ飛び込んで行く。

 

「大丈夫ですか!?」

「ぐッ……!」

 

 激痛に悶え、蹲るムウの肩から(おびただ)しいほどの血液が滲み出す。キラはまるで見慣れない生身の傷(、、、、)に、我を亡くして混乱しそうだった。それでも彼の自我を冷静の範疇に留めていたのは、

 ──この人を、守らなければ。

 そう思惟した正義感と義務感が、幸いにもキラの心に働いていたからだろう。

 

「殺しはしないさ……」

 

 含み嗤う声と共に、小さく、しかし、確実な足音が近づいて来る。

 

「せっかく〝ここ〟までおいで願ったんだ──」

 

 キラはぎこちなく銃を構えるが、相手は戦意に欠けた銃口には、何の脅威も感じていないらしい。泰然としながら不気味な仮面をつけた男が、奥の暗がりから姿を現した。

 ──あれが、ラウ・ル・クルーゼ……!

 ついで男は何かを手に取り、床を滑らせるように「それ」を放って寄越した。

 

「──すべてを知ってもらうまでは、ね……」

 

 硬質な音を上げ転がって来たのは、ひとつの写真立てだ──その中に納まっている写真に、キラは思わず息を飲む。慈愛に満ちた表情を浮かべた、ひとりの女性──幸福いっぱいに広げられたその腕の中に、茶髪と金髪の赤子がすっぽりと収まった写真。

 ──なぜ、あの写真がここにある?

 それは先日、カガリが自分に見せて来た写真だ。彼女が明かした話からすると、自分とカガリはどうにも、兄妹の関係にあるというが──。

 動揺するキラの姿を愉しんでか、仮面の男はさらに、分厚いファイルを投げてよこして来た。ばらりと散らばった研究資料の中からは、数枚の写真がこぼれ落ちる。精悍な体格をした男性──その息子と思しき少年が、肩車をしてもらい、楽しんでいる写真。そして、更にもうひとつ──それとはまた別の少年が、男性と手を繋いだ写真。

 

「おやじ──」

 

 ムウは、もはや驚くことはしない。

 彼の中では、この時すでに、可能性は結びつき始めていた。彼の父──アルダ・フラガと、ラウ・ル・クルーゼの浅からぬ仲のこと。ステラから齎された情報を基に考えれば、あるいは──?

 銃口を突きつけられてなお、意に介さず、ラウはねっとりとした口調でほだす。

 

「きみも、知りたいだろう?」

 

 闇の中から溶け出るように、演説の言葉が続く。

 それはまるで、独唱のように──

 

「人の飽くなき欲望の果て、進歩の名の許に狂気の夢を追った──愚か者達の話を」

 

 嘲じる声が、一切の淀みもなく紡がれた。

 

「──きみもまた、その息子なのだから」

 

 キラの身体が、恐怖と緊張──そして、何よりも強烈な不安によって強張った。

 ──僕は、この場所を知っている……?

 ──僕が、息子……?

 しかし、この男はいったい、何を云いたい? 何を云っているのだろう?

 

「ここは禁断の〝聖域〟──神を気取った愚か者達の夢の跡……」

 

 謳い上げるように云いながら、嗤った彼は、まるでこの〝聖域〟を懐かしんでいるようでもあった。

 

「きみは知っているのかな? 今の自分の両親が、本当の親ではないということを──」

「……えっ?」

「──だろうな。知っていれば、そんな風に育つはずがない」

 

 ラウの言葉に、一瞬の羨望が混じった──

 

「何の陰もない──そんな、普通の子どもに……」

 

 ──ように聞こえたのは、気のせいだろうか。

 

「──てっきり死んだものと思っていたよ。あの双子──特にきみは。その産みの親であるユーレン・ヒビキ博士と共に、当時ブルーコスモスの最大の標的とされていたのだからな」

 

 キラには、いよいよ彼が紡ぐ言葉の意味が分からない。

 ──狙われていた? 僕が?

 しかし、狙う道理がないではないか。何の変哲もない、こんなにも平凡の子どもを。

 ブルーコスモス──

 彼等に狙いを付けられた者達が、一体どんな目に遭うのかを、キラはよく知っているつもりだ。だからこそ、自分もまたその標的になっていたことを知り、云い知れぬ恐怖と戦慄が身の内を駆け巡った。

 ──下手をすれば、僕はブルーコスモスに殺されていた?

 しかし、なぜ?

 

「だが、きみは生き延び、成長し、戦火の中に身を置いてなお生存し続けている──何故かな……!?」

 

 興奮しつつ咎められ、キラは慄然とする。

 

「それでは私のような者(・・・・・・)でも信じたくなってしまうじゃないか! 彼等が見た、狂気の夢を!」

「ぼくがっ……! 僕がなんだって云うんです!? あなたは何を云ってるんだ!?」

 

 たまりかね、激しく問いただす。

 彼の言葉を聞いていると、まるで自分が、存在してはならぬ者のように聞こえ──怖いのだ。自分自身ですら分からない、知り得ない「別の自分」を──まるで彼は、知り尽くしているようで。

 震えるキラに笑みを返し、ラウは答えた。

 

「きみは人類の夢──『最高のコーディネイター』」

 

 脚色され、賛美された表現とは裏腹に、ラウは残酷な補語ばかりを足してゆく。

 

「──そんな願いの許に開発された、ヒビキ博士の人工子宮──それによって生み出された彼の息子(・・・・)。失敗に終わったきょうだいたち(・・・・・・・)──数多の犠牲の果てに創り上げられた、唯一の成功体」

 

 残忍という言葉を、全うに体現した表情──

 張り付けられた仮面が、薄く嗤った。

 

「──それが、きみだ」

 

 キラはただ茫然として、その言葉を咀嚼してしまった。

 人工子宮? ここに至るまでに見た冷却槽──では、あれが? あんなものが、自分を生み出したと云うのか?

 そして、不気味なまでに棚に整列されていた、無数の胎児たちの標本──あれがきょうだい(・・・・・)? まるで観賞物のように並べられ、うち捨てられて──

 ──あのうちのひとつが、自分だったかも知れない……!?

 途端に、目の前がぐるぐる回り始める。

 人類の夢──成功体──人体実験──

 無数の犠牲と、容赦なき淘汰の中で造り上げられた人間──僕が……!?

 

『──性能(・・)が低い素体は、次々と淘汰されていく……』

 

 今になって、ステラの言葉──それが指していた『重み』を思い知る。

 彼女が送られたロドニアにおける連合軍の研究施設と、この〝メンデル〟は同類だ。

 ただ違うのは、後天的な薬物による肉体改造ではなく──この場所は、先天的な遺伝子調整によって至高の人間を造り出しているということ。

 

 ──この研究所の中で、唯一の成功体として生み出されたのが、僕……!?

 

 キラには、しかし、まるで受け入れられない。

 受け止めることもできない。

 性能が低い、失敗作と見なされた素体は、標本となって飾られていく──保存液の中で、まるで観賞用の動物であるかのように!

 

「そん、なッ」

「アスランから名を聞いたときは、思いもしなかったがな……まさか、きみが()だとは」

 

 ラウはそこで、思い出したように云った。

 

「──そうか? そういうことなら、きみは『彼女』──ステラ・ルーシェともまた、幼少から付き合いがあったということか」

 

 突然、大切に想う幼馴染の名を持ち出され、キラは唖然とした。

 ラウは実に愉快そうに、懐古して言葉を紡いだ。「ザラ」ではなく、あえて「ルーシェ」と呼んだのも、かつて彼女が連合の強化人間(エクステンデット)であったことを強調するためだろう。

 

「期せずして、戦闘における高度な能力を身に付けたアスランの妹──あの(むすめ)の出生についても、きみは他人事(ひとごと)と考えていたのだろうが」

「……えっ」

「ステラ・ルーシェ──彼女もまた、人の狂気の結実だ。愚か者達の研究に踊らされ、淘汰の末に研究所を輩出された地球軍における『究極の戦士(・・・・・)』──数多の犠牲の上に創り上げられた、戦うためだけの狂戦士(ベルセルク)──」

「──! ほざくなッ!」

 

 それまで、キラの出生に秘められた真実に唖然としていたムウであったが、ステラのことを持ち出され、それが癪に障ったようだ。

 激しながら、まだ被弾していない左腕で銃を撃ち放つ。

 

「──!」

 

 ラウは銃弾をかわし、同様に激しながら、声を荒げた。

 

「彼女もまた、私と同じ〝成り損ない〟ではあったがな……!」

「ふざけんな、この野郎!」

 

 ムウが撃つよりも前に、ラウが発砲した。

 弾丸が周囲にまき散らされ、彼等は物陰に隠れ込むことしか出来ない。

 

「ぐっ……くそッ」

 

 ムウは小さく毒づきながら、カートリッジを交換する。

 ──云わせて置けば、好き勝手に……!

 強く歯噛みして、彼はこのとき、苛立っていた。

 ヤツがいったい、彼女の何を知っているというのだ? 確かに、ザフトにいた頃は、彼女はクルーゼの指揮下に入っていたと云われている。ステラ本人もそれを否定しようとはしなかった。

 しかし、戦い続けるだけが、今の彼女のすべてではないのだ──。

 しかし、

 

(『私と同じ』だ……!? あいつ、何が云いたい──!?)

 

 ラウが、自分以外の誰か関心らしき感情を抱くなんて、奇妙な感じがした。

 キラであれ、ステラであれ、ラウはそんな少年達の出生や生い立ちに、いったい、何を感じているのだろう?

 ──思えば、おかしいと思っていた。

 ラウはそもそも、どうしてアル・ダ・フラガと共に写っている写真を、ステラに渡していたのだろう?

 アルとラウがどういった関係かはまだ不明だが、なんであれ、ひょっとするとラウは、彼女に親近感のようなものを感じていたのだろうか?

 今のラウの口調には、なにかを引きずったような感覚がある。無意識に『仲間』を欲し、そして、これを貶めんとする何かが──。

 ────だが生憎、敵将の機微に配慮できるだけ、このときのムウには余裕がなかった。

 撃ち抜かれた右腕からは出血が続いている上、肝心のキラも、衝撃の事実を突きつけられたためか茫然自失としている。もはや自分の身を護ることすら頭に入っていない様子だ。

 

(このままじゃ、やばい……ッ)

 

 〝メンデル〟内での対決は、なおも続こうとしていた。

 

 

 

 




 作者自身ほとんど無意識なのですが、段々物語が「DESTINY」に向かって引っ張られて行っている気がしてます、色々と(笑)
 気付かないうちに、シンとかマユとか当然みたいに登場させてる以上、続編も書くことになるんですかね……思いつきとか惰性でやっていけるほど、種死って簡単な世界じゃないと思うんだよなぁ。

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