~夢見る少女の転生録~   作:樹霜師走

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『鏡像に見る』S

 

 

「どーですか、もろもろの準備は?」

 

 オーブ領海、大西洋連邦旗艦、強襲揚陸艇〝バウエル〟──

 陽気な口調で声を発したムルタ・アズラエルは、艦長のダーレスに問うていた。ダーレスは、如何にも堅物といった風な雰囲気を纏う軍人だ。彼は低く唸り、とても軍艦の──それも旗艦たる〝バウエル〟の管制室には馴染めない風采をしているアズラエルを見返した。その目には、すこしばかりの不平が滲んでいる。

 

「こちらの準備は間もなく整う。問題なのはそちらではないのかね?」

「おやァ? これは失礼、こっちも連中のお仕置きが終わったところでしてネ──では、そうそうに攻撃再開と行きましょうか」

 

 ダーレスは、その『お仕置き』と称される強化人間達への〝懲罰〟がどういったものか知らないし、知りたいとも思わなかった。知ったところで、おそらく嫌悪巻を抱く質のものであろう、と予感という名の確信があったから。

 彼はアズラエルから視線を外し、正面に目を向けた。ガラス越しに映る南国の島々──宝冠状に広がるオーブ連合首長国を見つめ、「しかし……」と続ける。

 

「二度の攻撃に渡って()とせなかった国。この調子で、性懲りもなく第三波攻撃を続けるおつもりですか、あなたは?」

「二度の攻撃に渡って陥とせなかった国、だからですよ。これだけの戦力で攻め込んで制圧できなかった国なんて、アブナイったらありゃしない。いっそのこと、消えて貰った方が今後のためでしょう?」

 

 とても一国の命運を語っているとは思えない軽々しい口調だが、すらすらと言葉が出て来るあたり、この男は本気でそう思っているのだろう。

 結局のところ、アズラエルがそう云えば、ダーレスは従うしかないのである。本来であれば部外者であるアズラエルだが、彼の意向を全面的に仰ぐようダーレスには事前に上層部からの内示があった。艦隊総司令である自分の権限を差し置いて──それに命令できる立場の者など……いったいどういうものなのだ?

 

 ──地球連合軍の上層部は、こうもブルーコスモスとやらに呑み込まれているのか?

 

 それが、ダーレスの本音であった。このムルタ・アズラエルという男は、例の結社の盟主を務める男。そういう意味では、実質的に現在の地球連合軍を意のままにコントロールできる、頂点に立つ人物でもあるのだろう。

 はあと嘆息つき、まあいい──と、ダーレスは憤る自分を噛み殺した。結論から云って、艦隊の総司令であろうと、部隊の指揮官であろうと、一介の兵卒であろうと──上からの指示に従って戦うのが自分達、軍人の責務なのだ。たとえ軟派で軽薄そうな部外者の男に生理的な嫌悪感を隠せずとも、その者の指示に従えと上に云われたのなら、従う他に道はない。

 それきり、アズラエルは管制室を後にして、ロドニア研究所から支給されて来た秘蔵っ子達の許へ向かった。上々の素体でありながら、思い描いていた功績が挙げられない彼等に対し「キミたちには時間と金がかかってるんですから、もっと頑張ってくださいヨ」──そういう文句のひとつでも云いに行こうと思ったのだが、道中で、白衣の軍医とばったり遭遇する。

 赤茶けた短髪に、太縁の眼鏡──ハリーだ。アズラエルはその男の姿を認め、ねっとりした口調で話す。

 

「もうじき攻撃が再開されますヨ。お嬢サンの調子はいかがですか?」

 

 その指示語は、無論、フレイ・アルスターのことである。

 ロドニアの研究所で解析し尽くされ、完成された「実用品」として届いたブーステッドマンの三名は、アズラエルと、そんな彼に付き従う研究員の管轄下にある。

 だが、いまだ未解明な部分が多い臨床試験の強化人間──現在は『プロト・エクステンデット』と仮称されるフレイ・アルスターに関しては、彼女の主治医(メインドクター)監視官(オブザーバー)を兼任するハリー・ルイ・マーカットに一任されていた。ねっとりと放たれた質問に対し、ハリーはむっつりとした口調で返して見せた。

 

「調子も何も、今はぐっすりと眠っているはずだ」

 

 云われ、アズレルは虚を突かれた表情を浮かべる。

 だが、それはすぐに「眠っている? 何を馬鹿な」とでも言いたげに、呆けた表情に変わった。

 

「あら? 間もなく戦闘が始まるというのに、それはいけませんね。早く叩き起こして下さい、モビルスーツ・デッキに向かってもらわないと──」

「それは、無理だよ」

「……はい?」

 

 アズラエルの中で、時が止まった。

 ハリーはため息をつき、むっつりとして言葉を……いや説明を続けた。

 

「出撃前には覚醒剤の投与。そして、帰投後には睡眠薬の摂取──彼女には、この習慣を絶対づけているんだ」

 

 そう、それはフレイ・アルスターに見つかった最初の疾患の話である。

 以前、ハリーは人間の脳はコンピュータと同じような仕組みであると説明していた。フル稼働し続ければいずれは熱暴走を引き起こすし、それをさせないためには、都度の冷却が必要であると。

 プロト・エクステンデットであるフレイは、出撃前に特殊覚醒剤の投与を受けることで、ブーステッドマンよりも──理論的には──長時間の戦闘継続が可能になっている。それだけであれば強化人間としての汎用性の向上なのだが、その代償として、帰投後には出撃前の覚醒剤と対照にある、特殊睡眠薬の投与が不可欠とされた。

 

「先の戦闘から帰投して、睡眠薬を摂取させたばかりの彼女は、叩いても起きないよ──もっとも、無理に起こすものでもないしな」

 

 帰投後のブーステッドマンが、薬効切れによって激痛に悶え回るのと同じだろう。薬物によって肉体を強化するのは悪魔と取引するのと殆ど同義であり、それについては必ず「代償」が存在する。

 ここからは先は彼らの知るところではないが、正規のエクステンデットが出撃の度に「最適化装置(ゆりかご)」で催眠調整を前提としているため、そこから鑑みてもプロトタイプが催眠を必要としているのも正当な流れなのである。

 

「これらの要件は、以前にも説明したと思うのですが──その調子では、どうやら鵜呑みにされていたようですね」

 

 ハリーは、嘘は云っていない。

 実際、ハリーは〝最適化装置(ゆりかご)〟の代用品(イミテーション)として開発された特殊な睡眠薬の錠瓶をフレイに手渡しており、その場には、間違いなくアズラエルも同席していたのだから。

 

「つまり彼女は、連続での出撃は不可能という風に理解すれば宜しいので?」

「目覚めるまで再出撃を促せないだけだ、厳密には」

「ナルホド、束の間の眠り姫というわけだ」

 

 アズラエルは、指手を顎に当てた。

 それは何かを考え込む風な動作であった。

 

「まあいいですヨ、今回は見逃してさしあげます。今のところ〝カラミティ〟〝レイダー〟〝フォビドゥン〟の三機があれば不足ではありませんし」

「だから云ったのです。彼女を実戦に参入させるにはまだ早い──例の新薬が未解明である以上、まだ経過観察の段階であるのだと」

 

 医者の判断を後手に回したのは、確かにアズラエルの過失であったかも知れない。

 それが面白くないのか、アズラエルの目が一瞬、冷ややかなものに変わった。ハリーのことを一瞥し、彼に責任をあてこするような淡白な言葉をぶつけた。

 

「なんにせよ、いつまでもぐーすか眠っていられたんじゃこっちだって困るんデス。叩き起こすのが無理だというのなら、せめて──その休眠時間とやらを短縮する改善策でも何でも、考えておいてください」

 

 ぐーすかは、女の子の眠りに用いる表現ではないとハリーは思ったが。

 

「は……」

 

 しぶしぶとして、その要求を承った。

 そうして、フレイの再出撃は見送られた。見送られることに、なるはずだった。

 

 

 

 

 

 時刻を改め、いま、第三波攻撃が再開されようとしている。アズラエルはふたたび管制室に戻り、ダーレスの指示の許、全部隊の進軍が開始された。どうやらオーブ軍は既にオノゴロ島を放棄し、前線をカグヤ島まで後退させているらしい。

 カグヤ島──アズラエルがお目当ての〝マスドライバー〟が建設された島の名だ。

 

「もう一息です、そろそろ決着と行きましょう。ボクも久々に、陸の上でお茶が飲みたいですしね」

 

 誇らしげに云い、アズラエルは満悦に笑む。

 オペレータが全戦闘員に発進を促し、この〝バウエル〟の中でも、ブーステッドマンの少年達が動き出した。ハッチが開くと同時に、勢いよく〝フォビドゥン〟が飛び出し、飛翔した〝カラミティ〟がMA形態となった〝レイダー〟の翼の上に飛び乗った。

 と、出撃した三機がすべて出払ったとき、そこにオペレータの声が響いた。

 

「〝レムレース〟──!? 発進許可は出ていないぞ、誰が乗っている!」

 

 それは、焦りを含んだ声であった。

 アズラエルは眉を顰め、どうしたんです? と事態の説明を求める。モニターの中には、紅眼が灯る〝レムレース〟の機影が映り、ダーレスが訝しげに云った。

 

「〝レムレース〟が発進しようとしているようですな──。はて、今回あのモビルスーツの出撃は、パイロットの不調のため見送られたのではなかったのかね?」

「あららァ? どういうことでしょうか、ボクにもさっぱり」

「──発進をやめさせろっ!」

 

 そのとき管制室へ、ハリーが血相を変えて飛び出して来た。

 廊下を走って来たのだろう。すっかり息切れを起こしている彼は、日頃の理知的な姿からは程遠い印象を受ける。アズラエルは片眉を顰め、そんな彼に問う。

 

「どういうことでしょう?」

「発進待機中の〝レムレース〟にはフレイ・アルスターが乗っている──! あの子め、あれだけ云い聞かせておいた睡眠錠を飲んでいなかったようだ……。彼女は、先の戦闘から寝ていない!」

 

 ハリーが彼女の部屋を訪れたとき、ベッドの上に、既に彼女の姿はなかったという。

 微睡みの中から目を覚めたのか? いや、違う──彼女はそもそも、睡眠薬を飲んでいなかったのだ。元より仮眠を摂らず、先の戦闘終了時から何の措置も取らず、そのまま〝レムレース〟へ乗り込んでいるらしい。

 ハリーは血を吐くように荒い声を続けた。

 

「無理はするなと、あれだけ云っておいたのだが……!」

「おやおや。まあ、本人がやる気ならいいんじゃないですか? 戦力が増えるならこっちとしては大助かりですヨ」

 

 すると、通信機からフレイ自身の声が聞こえ、

 

〈〝レムレース〟で出ます──。いいですね?〉

 

 ハリーは、しゃにむに叫び返した。

 

「だめだフレイ! きみには帰投後、必ず眠るように云っておいただろう? きみは先の戦闘から休眠していない──肉体が壊れてしまうぞ!」

 

 そうでなくとも、彼女に投与した新薬は、いまだ未解明の部分が多い。

 何が起こるか保証できない以上、経過観察の段階で、被験者が医師に指示された絶対習慣を破るなど、言語道断なのだ。

 しかし、

 

〈大丈夫です、何の不調もありませんから〉

 

 フレイは、譲ろうとはしなかった。

 このときの彼女は、薬物の作用で攻撃性が増幅され、恣意的な興奮状態にあるのか、普段に比べすこし物分かりが悪くなっている印象があった。

 ──薬が彼女の冷静な判断力を飛ばしているのだ……! これもまた、新薬の新たな改善点のひとつか……!?

 ハリーは焦りながらも、そのとき瞬間的に、その要件を頭の中のレポートに冷静に書き留めた。

 

〈倒さなきゃいけない相手を見つけたの──あの白いモビルスーツだけは、絶対にわたしの手で引き裂いてやらなきゃ……ッ〉

 

 フレイの目に浮かぶのは、白銀の翼を持ったモビルスーツだ。

 そう──〝クレイドル〟とは、自分が決着をつけなくてはならない。パイロットがステラ・ルーシェであると分かった以上、それだけは絶対に、フレイの中で譲れない。

 そんな焦りが──結果的に、こうして彼女を突き動かした。戦闘前の覚醒剤と、帰投後の睡眠薬の投与──ハリーに徹底された絶対習慣はフレイも確かに了承していたが、一度でも睡眠薬を飲んでしまえば、それから数時間の彼女は再起不能となっていただろう。

 彼女はそれを理解していたからこそ、睡眠薬を飲まなかったのだ。眠ってしまえば、再出撃ができなくなる──すなわち〝クレイドル〟と戦える絶好の機会を、自分から手放すことになってしまうと危惧して。

 

〈ヘルメット軍団なんかよりも役に立ちます。だから行かせてください〉

 

 フレイの中では、ストライクダガー部隊はヘルメット軍団に見えるらしい。

 

「相当な自信があるようで……いいでしょう、ボクが許可します」

「アズラエル理事!」

「意識が高いのはいいことじゃないですカ。彼女の方が、あなたよりも状況をよく理解していらっしゃる──」

 

 再出撃があるかも分からないのにみすみすパイロットを勝手に眠らせる医者よりも、再出撃に備え鋭気を研いでいた兵士の方が、アズラエルの目には遥かに賢く映った。

 発進許可の下りた〝レムレース〟は、次の行動が早かった。

 

〈〝レムレース〟出ます──〉

 

 通信が響き、ハッチから〝テンペスト・ストライカー〟を装備した暗黒の亡霊が飛び出して行ってしまった。

 そうして──大西洋連邦の四機の〝G〟が、オーブへの第三波攻撃を開始したのだった。

 

 

 

 

 

 警報が鳴り響くよりも前、格納庫から飛び出したステラは、展望室の床に蹲っていた。勿論、それはステラの本意であるはずがない。様々な不満と動揺を隠しきれていない彼女は、室内の隅に蹲り、自閉することでしかみずからのストレスに対処する方法を知らなかったとも云えた。彼女がいま抱えるストレスというのは──他でもない。親友に「拒絶された」という、計り知れぬ喪失感。

 

 掴んだ手を、乱暴に振り払われた。

 

 いったい、何が原因だったのか、ステラには分からない。分からないからこそ、彼女は困惑し、動揺した。挙句の果てに、キラはステラのことを「信用できない」とまで放ったのだ──いや、ある意味ではそれも正しいのかも知れない。たしかにステラはザフトから赴いた立場にあって、それが信用できないというのなら、仕方がないと割り切ることもできただろう。

 ──でも、それにしたって、戦闘前に話したキラはやさしかった。

 身を寄せたって許してくれたし、表情も豊かで、顔だってなぜか真っ赤にしていた。それがどうして一転して、ああも突っ慳貪にされなければならなかったのだろうか? 孤独を感じ、ステラがぎゅっと肩を抱くと、そのとき、ひとつのおどけた声が降り注いで来た。

 

「見つけたぜ、子猫ちゃん?」 

 

 びくり。響いて来た声に、ステラの肩は震えた。精悍な声質、飄逸な口調、軽薄そうな台詞──

 そのすべてが、奇妙なほど記憶に残っているように感じたから。

 

「ネオ……?」 

 

 ステラがおずおずと顔を上げる──と、そこには男性がひとり立っていたのだが、ステラが予期した人物とは違っていた。見上げた先の男は、またか、と云わんばかりの呆れ顔をしていた。

 

「まーたその名前で呼ぶ……。オレはムウ・ラ・フラガだって云ってるでしょうが」

「……フラガ?」

「そんなに似てんの? オレと、そのネオって人は」

 

 呆れを越し、いっそ感心した風な口調で云うムウであるが、ステラの方はふと、彼のファミリーネームを以前にも聞いたことがある気がした。

 だが、ステラから見て最も気になることは、

 

(このひと、ネオじゃないんだ……?)

 

 これほどまでに似ている(・・・・)と思えるのに、ムウがネオとは別の男性ということ。

 たしかに、彼ことムウ・ラ・フラガは、ずっと〝アークエンジェル〟に乗艦している男性パイロットだ。元は大西洋連邦に所属していた軍人で、階級は大尉だったという。ステラがザフトに行く前は〝エグザス〟に似たMA──〝メビウス・ゼロ〟を乗りこなし、ナチュラルでありながら、イザークやディアッカらとも渡り合ってみせた。

 これは今の彼女になら共感できることであるが、件の〝メビウス・ゼロ〟のガンバレルは、彼女が乗る〝クレイドル〟に搭載されたドラグーンの先駆け的な武装である。それをかつて、当たり前のように使いこなしていたムウは、ネオと一緒で、とても才気に溢れる人物なのだと思う。

 経歴も、容姿も、能力も、声も雰囲気も物腰も──見れば見るほど、感じれば感じるほどに、ネオにそっくりではないか。

 

 ──ネオと思ったって、仕方ないよね……?

 

 どうでもいい話、あるいは因果関係が逆なのではないか? ムウの方がネオに似ている──のではなく、ネオの方がムウに似ているのではないか? 何しろ、ムウは地球軍の中でも『なんとかの鷹』と広報されている程の英雄で、そうであるなら、たとえばネオがムウのことを尊敬していて、ムウの真似事をしていたのではないか──

 ネオのあの男らしくない長髪をばっさり切って、紛らわしい黒の『仮面』を外させたら、その中からは手品みたいにムウが出て来そうな気がする──と、真実とは無縁の方向にばかり、このときは想像力を働かせたステラであった。

 

「……?」

 

 そこまで考えたとき、ステラはさらに混乱することになる。

 ──波打った金色の長髪に、奇妙な仮面……?

 それだけを云えば、ネオはムウではなくて、ラウにだって似ている気がする。ムウにネオにラウ、あまりにも雰囲気の似た人が記憶中のそこらに浮かび上がり、ステラは困惑するばかりだ。

 

「──隣、いいか?」

 

 訊ねられ、なんとなく断ることもできなかったので、ステラは小さく頷いた。

 ムウはステラの隣に来て、同じように壁に身を寄せてしゃがみ込んだ。

 

「こんなところで蹲って、何してたんだ? みんな、きみのこと心配してたぜ?」

「…………」

 

 ステラは、黙った。

 返事が返って来ず、ムウは疲れたような顔になる。

 

(やっぱオレ、こういう役どころ向いてねえんだよな……)

 

 判り切っていたことだが、純朴にして敏感でもある少女の心を慰めるのに、自分のような粗忽な男が遣わされるのは間違いだったのではないか。

 少なからずムウはそう感じていたのだが、だいたい、花の青春時代を男臭い士官学校で過ごした自分に、青春っぽい少年少女の痴話喧嘩の仲裁ができるはずがないだろう。

 

 どだい、ムウ・ラ・フラガの生い立ちは、ステラのそれと似て遠くない共通点がいくつか存在していた。

 

 それは決して、幸福とは云い難い人生だ。

 ムウはこう見えて資産家の御曹司であり、生まれたときは何不自由なく、裕福な家庭のお坊ちゃん、世間を知らない箱入り息子として育っていた。彼の場合は突然の『不幸』に見舞われて──それが如何なる内容の不幸なのか、ここでの言及は避けるが──結果的に敏腕パイロットとして、戦場に身を置く現在に至っている。

 ステラもまた評議会議員を父に持ち、それこそ良家の令嬢と云って相違ない身分に本来ならばあるはずだ。そして『不幸』に見舞われて、現在は戦場に身を置いている──そのことは、やはりムウの人生とも通ずるものがあるのだ。

 だからこそ、ムウはステラという少女に対して、心から同調や同情(シンパシー)を寄せることができる。

 しかし、幼馴染みとの喧嘩に至っては、その限りではない。

 幼少時代は母親の過保護の下で育てられてたムウには、親友と呼べるほどの友人はおらず、その後は人間関係に殺伐とした軍事組織に入隊したこともあって、飄々とした性格とは裏腹に孤独な過去を持つ。であるから、ムウははっきり、この手の相談ごとを得手だとは云えない人物なのかも知れなかった。

 まあ、誰にでも不得手というものはある──彼女との自然な会話ができなそうだと判断したムウは、いきなり本題に突っ込むのをやめ、あえて遠回りをしていこうと考えた。

 

「……。きみは、よくオレのことをネオって呼ぶが」

「?」

「そのネオって人は──きみにとって、どんな人だったんだ?」

 

 角の立たない、身の辺りの話題である。切り出せば、今度のステラは、その質問にしばし考え込む様子を見せてくれた。

 ──ステラにとっての……ネオ?

 考えたこともなかった──というのが、ステラの本音だ。

 地球軍によって日常的に記憶を調整されていた彼女は、気が付けばネオと一緒に居た。彼女にとってネオという存在は──他に頼るところがなかったと云う意味で──身近すぎる存在だった。しかし改めて間柄を訊かれるとと、適当な表現が見つからない。

 

「ネオは──お父さん、みたいで。友達、みたいで。ムウに、そっくりなひと」

「へえ」

「でも、心の底で何考えてるのか──分かんないひとだった」

 

 プラスの評価が、唐突にマイナスへ変わり、ムウは怪訝な顔を浮かべた。一方でステラは、表現を適切に選ぼうと思い、口を噤んでしまった。

 

「…………」

 

 スティングやアウル──みんなが、ネオの黒い仮面を「変だ」って喋っていた理由が、今なら分かる気がする。あんなものを普通に付けている人間は、普通ではないのだ。

 ──私とてこんな仮面、付けたくて付けているわけではないのだから……

 同じく仮面を付けていたラウが、以前そのように云っていたように、ネオもまた、何らかの理由があって仮面をつけていなければならなかった──とすれば。

 

(ラウも、ネオも、似てるのかな……)

 

 ステラはみずからの胸に手をあてがい、ポケットに仕舞われていている一枚のとある写真──その感触を確かめた。

 そこには、アラスカでの出撃の際にラウから預かった写真が仕舞われていた。だが外には取り出さず、その感触だけを確かめたあと、俯きながら遠い目を浮かべる。

 

「ネオはね。ステラに優しかったけど、仮面をつけて、自分を誤魔化してた人だよ」

 

 ムウは、意表を突かれた顔になった。彼としては、てっきりネオと呼ばれる人物がステラの学校の先生か何かだと認識していたのである。それが違っているとすれば、彼女が地球連合軍に帰属していた頃、その当時の上官か何かなのだろうか……?

 

「仮面をつけて、自分を誤魔化してたっていうのは?」

「そのまんまの意味だよ。本当の自分とは違う──違う誰かになっていた(・・・・・・・・・・)

 

 その言葉に思う所があるようで、ムウは気づかされたように真剣な顔になる。

 

「ステラね、この艦に来て、ザフトにも行って、いろんなことを知って──思ったの。いま、みんな戦争をしてて、戦争の中じゃ、みんな自分に正直じゃいられないんだ、ってこと」

 

 ステラはそのとき、これまで、彼女が出会って来た人々の印象をそれぞれに手繰り寄せた。

 ──たとえば、アスラン。

 彼は自分の中に正義を見つけ、生来の優しい人格を殺した。いや、殺したのか、それとも封じたのか──正確には分からないが、今の彼は父親の意向を汲み取り、それに付き従う優等生だ。本来の彼は、自分を騙してまで親友(キラ)と戦いたくなかったはずなのに──戦争の中で、彼は自分の中にあった大切な気持ちを諦めてしまった。迷うことをやめ、自分がやりたかったことを黙殺してしまった。

 ──たとえば、ラウ。

 彼が仮面をつけているのは、みずからの忌々しい過去を捨てるためだと云っていた。でも、だったら何故、過去の写真を大切に残していたのか? 挙句それを自分では捨てられず、餞別としてステラに託したのは、忌々しいとされる過去に、彼自身、どこか未練が残っているからではないか? 大切な思い出を捨てたくても捨てきれない──そんな切ない気持ちがあるのではないのか?

 ──たとえば、ニコル。

 彼は〝プラント〟を守るためにザフトに志願した。が、評議会によって決定される任務は、むしろ攻撃的なものばかり。野心のない彼は矛盾に悩み、自分なりに悩んだ結果、オーブと共に戦うことを決めた。

 自分の想いを正直に貫くことは、ひょっとしたら意外と……そして、とても難しいことなのかも知れないのだ。

 

「誰もが自分が欲するものを手にすることができるなら、この世に戦争なんて起きないだろうからな」

「ネオもきっとね、自分に正直じゃいられなかった人、だったんだと思う。仮面をつけて、仮面の中に本当の自分がやりたいこと、思ってることを閉じ込めて──そうやって、自分を諦めちゃった人だったんじゃないかな」

 

 でなければ、もっと他人の目を見て──本音と本心で、本気の行動ができていたはずだと、ステラは今になって思う。

 ネオ・ロアノークは、他人を信用するよりも前に、自分で自分を信用できていなかった。

 だからこそ、仮面を着用しなければならなかったのではないか? ネオは結局、ステラたちを使い捨ての鉄砲玉として使ってやる術しか知らず、また、そうすることしか許されていなかった。頭の中では割り切っていたにせよ、それでもステラたちに優しくしてくれたのは、彼の中で、何もできない自分に迷いがあったのではないか?

 本当の自分がやりたかったことを噛み殺してまで、ステラ達を戦わせることしか出来なかった人物なのだとしたら、それは──とても悲しい人だったと思う。

 

「仮面をつけて、自分を自分として生かすことを諦めちまった人間──か」

 

 このときムウは、そういったステラの表現が、仮面をつけた人間を形容するに当たって、自分の中でひどくしっくり来るような気がしてならなかった。何故だろうか──ムウの感覚は、不思議とその表現に納得してしまっていた。

 ──納得? なぜ? いったい誰に……?

 いや、日常的に仮面を装着している者など、そうそう居るものではない。であるならムウがこのとき納得したのは、みずからの宿敵であるラウ・ル・クルーゼに対し、ステラの表現が適切だと考えたからだろう。

 

(この子は、変わったな──)

 

 率直な話、ムウがステラのことを信用してはならない──と考えていたのは、結局のところ、ムウ自身が彼女に対して、以前までのひどく未成熟な印象を持っていたからに他ならない。未成熟、あるいは、未発達──と云っていい。

 その吹けば飛んで行ってしまいそうな心が、悪意ある者に利用されている可能性もあったから、それゆえに、ムウは彼女を信じるのは危険だとキラに告げた。

 

(だが、それは違った。──いや、変わった?)

 

 今の彼女は〝アークエンジェル〟に居た頃の自分も、ザフトに行っていた頃の自分も、経験として自分の糧としている。双方の軍勢に就いていた頃の自分を見つめ直し、その結果として、今の自分を形づくっているのだ。

 いっときの迷いでオーブへ来たわけではなく、自分にできること、やれること──自分を自分として生かす方法を諦めずに悩んだ結果、彼女は、このオーブの理念に同調することを望んだ。先の会合で云っていたように、融和による平和を望んだウズミなら、オーブの理念に同調することが出来る者は、誰だってオーブの民と見なすだろう。

 ──そういう意味じゃ、この子は、とっくにオーブの戦士だった。

 なのに自分は、彼女がザフトから来たという理由だけで、彼女を疑ってかかった。彼女を信用するのは軽率だと、説教までしてキラにまで不信感を伝播させ、彼を悩ませ、こうしてステラを傷つけた。

 そんな自分が──情けない。

 詰まらないしがらみに捕らわれて、オーブの理念を損なっていたのは、むしろ自分の方だったのだ。これからオーブの未来を託されようとしていた者のひとりとして、恥じ入るはかりである。

 

「──きみは、強くなったな」

 

 その呟きは、自然と口からこぼれていた。

 ステラは驚いたように目を開いて、ムウの顔を覗き込んで来る。ムウは彼女と視線を合わせず、真っ直ぐ前を向いて言葉を続けた。

 もはや、回り道をする必要はないと感じた。

 ムウはこのときから本音を語り、自分の内を、彼女へと曝け出していた。

 

「すまんな……。正直おれも、まだ、きみのことを信用し切れてないところがあった。勿論それは、もうひとりの彼もだが……」

 

 だが、今の彼女の話を聞けば、彼等を疑う必要など、どこにもないように感じた。

 彼女ともうひとりの彼は、自分に正直に──いや、自分なりの決意を持って、このオーブと共に戦っているということが、自然と分かるような気がしたからだ。

 

「だが今はもう、とてもそうは思えない。悪かった──」

 

 すると、ステラは俯いて、屈んだまま、膝の間に顔をうずめてしまった。

 やや置いて、その奥からすすり泣くような音が聞こえ、ムウはぎょっとする。

 

「お、おい……どうしたんだっ」

 

 流石のムウも、対応の仕方が分からず、しどろもどろとするばかりだ。

 ──こういうときは、なんだ? 肩のひとつでも抱いてやればいいのか? って、それじゃ完全にセクハラか。

 男の子ならばそうしてやろうとも思ったのだが、相手は女の子である。自分はやはり、こういうデリカシーに欠けているのだろうか?

 ──ていうか、なんで泣いてんだ? おれなんか悪いこと云ったのか?

 ムウは困惑して、声を発した。

 

「そ、そのだな──キラに余計なこと吹き込んだのは、おれなんだぜ? こう云っちゃなんだが、あいつは悪くないというか……恨むならおれを恨んでくれていいというか……」

 

 現状、恨まれても困るのが正直なところなのだが、ムウはそれを口に出せるほど図々しくもなかった。

 云うと、ステラはすこし落ち着きを取り戻したのか、おずおずと顔を上げる。

 

「ちがうの」

「えっ?」

 

 彼女は目尻に流れた滴を拭って、柔らかく、遠い目を浮かべた。

 

「キラを恨んでるわけじゃない。でもね、怒って欲しかったわけでもない……」

 

 ザフトから来た人間を、そう簡単に信用できないのは、きっと仕方がないことなのだろう。

 キラだけではない、ムウでさえ今まで少し疑っていたというのだから、ステラもニコルも、まだ信用に足るだけのことは出来ていなかったなら──それはきっと、疑われても認めなければならないことだ。

 しかし、ステラはキラに対して、決してそういうことを求めていたわけではなかった。

 なぜなら、彼女が求めていたものは──

 

 

 

「ただ────『がんばったね(・・・・・・)』って。そう云って欲しかった、だけなのに」

 

 

 

 あっ──。

 ──と、ムウの口から、自然に声が、こぼれた。

 震えた声で伝えられ、ムウはなぜか、いい年して自分まで泣きそうになった。すっかり錆び付いていただろうと思っていた涙腺が、このときばかりはぎゅるりと緩んだ気がした。

 そう、そうなのだ──この娘が親友(キラ)に求めていたのは、そんな彼から疑われることでも、怒られることでもない。もっと云えば、彼と表面的に慣れ合う(、、、、)ことでもなかった。

 彼女が求めていたのは、そういった行為や対応より、もっとずっと前にある、本当に小さなこと──。

 

『──頑張ったね』

『──今まで、辛かったね』

 

 たったそれだけの──小さく、暖かな言葉。

 彼女を認めてくれる──『肯定(ねぎらい)』の一言だったのだから。

 

(そう、か)

 

 求めたものは、確かに、子供っぽいものかもしれない。

 ──だが、その分だけ純粋だ。

 彼女はこれまで、自分と正しいと思ったことを、自分なりに行って来た。時には迷走し、苦悩し、葛藤したこともあったろう。だが、そのすべては純真で真摯な彼女なりに、悩んだ結果だった。

 

 しかし何時(いつ)だって──結末は、彼女に残酷だった。

 

 彼女が独自に行動した結果、変えてしまった未来が、確かにある。

 アスラン・ザラを豹変させ──、

 フレイ・アルスターを強化人間に貶め──、

 シン・アスカから両親を奪い、彼の大切な妹を傷つけた──。

 まあ結論から云えば、それらはアスラン達がそれぞれに行動した結果であって、淡白に云えばステラの知ったことではないし、要するに星と運と巡り合わせのに過ぎない。それゆえ、たとえ結果にどれだけの無念が残ろうと、それは一概にステラひとりを非難できる性質のものでもなければ、誰にも彼女を非難する資格などないのだ。

 しかし、それでも、

 

 ──それ(・・)は、ステラが引き起こしたんじゃないか……?

 

 そう思う彼女の良心が、か弱い精神を逼迫した。

 彼女の小さな心に、緊々(ひしひし)と圧を掛けたのは、自分の行動が親愛なる者達を傷つけたと感じる後悔と、少女の身体に大きすぎる、圧倒的な責任感。

 その激甚な『重さ』が──悪夢のように彼女を唸らせた。

 

 華奢な背に負える重量ではないと知りながら、彼女はそれでも、たったひとりで重圧と戦っていた。

 

 アスランに目を覚ますよう促し、フレイに説得を呼びかけ、マユの保護に尽力している──そうした一連の彼女の行動は、彼女自身が、すべてを「自分のせい」だと思い込んでいる証拠だ。

 自分で蒔いた『種』ならば、自分の手で刈り取っていかなきゃ、みんなに迷惑がかかるからと。

 挙句に彼女は、所属する軍勢を転々としており、意地の悪い者には「曖昧な裏切者」と揶揄されても言い返せない立場にあった。事実〝リジェネレイト〟と交戦した際、彼女はそのことを痛烈に批判されており、そうして向けられた後ろ指の数だけ、彼女は自分に自信をなくして行った。

 ──また、ステラは間違っちゃうんじゃないか……?

 ──どんなに頑張っても、また、誰かを傷つけちゃうんじゃないか……?

 余人には計り知れない過酷の中、何が正しいのか、自分のやっていることは本当に正しいのかどうかも分からない──そんな状態で、だからこそ彼女は、小さくとも自分を肯定してくれる誰かを探していた。

 

(それが、キラだったのか──)

 

 ムウは、この純真な少女の性格が、改めてよく分かった気がした。

 好きだとか──

 嫌いだとか──

 そんな低俗的な表現では、云い表せないほどの『信頼(・・)』を──彼女はキラ・ヤマトに寄せていたのだ。

 共に育ち、遊び、戦った──そう、ステラにとってキラ・ヤマトは『親友』だ。言葉にすると簡単だが、事実としては重すぎる。

 だからこそ彼女は、無意識にキラに助けを求めた。

 頼った先がアスランでもシンでもなかったのは、キラだけが、必要なとき常に彼女の傍にいてくれた仲間であったからだろうか。幼少の頃も現在も、そして願わくばこれからも──。

 

(それでもキラは、この子に労いの一言も、かけてやれなかった)

 

 直接の原因が誰にあるのかと思うと、間違いなくムウ自身だろう。だからこそ、彼はこのとき深く反省した。

 ──ステラは、これからの未来に不安を憶えている……。

 不確定で、不透明な未来。

 それゆえに共に歩んでくれる存在を探し求め、その先にキラを見つけた。これまで通り、傍にいて欲しいという感情から──。

 

 ──その感情には、きっと名前を付けることは出来ないんだろう。

 

 不思議とムウは、そう思った。

 自分のような俗物には、ステラがキラに寄せている高尚な感情はスケールが想像できないし、また畏れ多いとでもいうべきか、名状するのも憚られる。信頼や好意を大きく超越した『何か』──それが具体的に何なのかは分からないが、そもそも、具体的に云い表せるものでもない気がした。

 

「『今まで、辛かったんだな』──」

 

 どこか飾ったように、ムウがそう云った。

 ステラは、驚いたように顔を上げた。

 そのままムウの顔まで視線を遣ったのだが──かけてくれた言葉とは裏腹に、その精悍な表情はコロッと一転して、すこしだけ朗らかな笑顔に変わった。

 

「──て、そう云ってやりたいのは山々だが」

 

 ムウは、歯を見せて笑う。

 顔を上げたステラの頭に、彼は優しく、ぽんと手を載せた。

 

「最初に『それ』を云うのは、俺じゃないよな」

 

 そのまま小さく笑って、わしゃわしゃと頭を撫でてやる。

 

「ん……」

 

 ステラは目を瞑り、手の感触を心地よさそうに受け入れた。生来、撫でられるのが嫌いではないのか、子猫のようにあどけない表情は、ごろごろと喉が鳴っても不思議ではないほど幸せそうだ。

 ああ、やっぱこの娘は子猫ちゃんだなと、ムウは失礼ながら、不意にそう思った。

 だが、その失礼はお互い様のものであった。

 なぜなら、ステラもまた(撫で方まで、ネオと一緒だ)と、反射的にそう思っていたのだから。

 

(でも、この人はムウ……)

 

 ネオ・ロアノークとは違う、ムウ・ラ・フラガ。

 ──ステラに本音で話し、本気で向き合ってくれた人……。

 ──だからもう、ネオとは間違えたりはしない……。

 ムウはそっと立ち上がり、云った。

 

「伝えてやればいいさ──その気持ち、キラに云やぁ、きっと伝わる」

 

 一概には、友情だ、恋情だ、と名状できない性質の感情。切り裂いては通り過ぎてゆく第三者の言葉で表すなんて、あまりに軽率な行為と思えるほどの。

 だが、それらを大きく超越した信頼であることに変わりはないのだろう。

 そこまで慕われておいて、キラがそれでも幼馴染みに納得できないというなら、同じ男として一発ぶん殴ってやりたいと思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……でも……」

 

 そこでステラは、自分の手を見下ろした。

 それは先ほど振りほどかれた、右手だった。

 

「ステラ、ばかだし、ずれてるし、めんどくさいと思うから……また、キラに嫌われちゃうんじゃないかな」

 

 ステラは、周りと比べてすこし……いや、かなりズレ(・・)ているのだろう──と、最近そう自覚するようになっていた。

 何がどうズレているのか、そこまでは分からないが、

 ──ニブい(・・・)、とでもいうんだろうか……?

 そう。兎角、ステラは鈍いから。

 だからステラは、キラが何に怒ったのかもよく分からないし、キラが度々に顔を真っ赤にする理由も分からない。そこまで面倒くさい女の子に、どうしてもう一度、手を出して来てくれるだろう?

 ムウはげんなりと肩を落とした後、教えてやる。

 

「男なんて大概バカばっかなんだから。女の子のそーゆうのもひっくるめて、可愛いと思ってるもんなんだぜ?」

 

 それは、いい男専用の台詞だった。

 

「かわ、いい……? ステラ、可愛い……?」

「えっ」 

 

 心底意外そうに、すみれ色の円らな瞳が、訴えかけるようにきょろりとしてムウの顔を映した。その双眸は、自分が可愛いなどと生まれて此の方、一度も思ったことがない純粋な色を宿していた。

 同時にムウは、その奇跡的に優れた直感力で、とあることを悟る。

 ──ああ、なるほど。これはジゴロだ……。

 ステラはじぃとムウを見つめ、問いかけた「可愛い?」の質問に対する返答を、尻尾を振って待っているようでもあった。

 恐らく、この〝子猫ちゃん〟が餓えているのは、食べ物の餌ではない──自分を褒めてくれる人だ。

 自分を褒めてくれる人ならば、誰にだって懐いて行きそうなまでの危うさを感じる。まあ、流石にそこまでは杞憂だと思うのだが──もの欲しそうな〝子猫〟に見つめられ、見上げられ、ムウは年甲斐もなく、たじたじだ。

 

「……まあ……。可愛いだろう? どう見ても」

 

 最後の一言は自分でも余計だと思ったが、云うと、ステラはぱっと晴れた笑顔になり、ようやく立ち直ってくれたのだと思うと、ムウはほっと安堵する。

 ──なんとか、この場を切り抜けたようだ……。

 だが、ムウが吐き出したその言葉に、返事をしたのは──ステラではなかった。

 

「ふーん? やっぱり若い娘(・・・)がいいわよねー?」

 

 びしり。脇から響いて来た声に、ムウは背筋を硬直させた。

 ぎりぎりと音を立て、ロボットのようにぎこちなくそちらに顔を向ければ、そこに、両腕を胸の前で組んだマリューが立っていた。その目はきつく半目になっており、顔全体に「男ってやつは」という手酷い軽蔑が滲んでいる。

 ──この場を切り抜け……次は、修羅場か……?

 心の中で自嘲しながら、ムウは、全身の血がさあと引いて行く絶望感と悲壮感を憶えた。どうやら自分という男は、不可能は可能にできても、自分の星回りの悪さはどうにもできないらしい。

 

「あー……ちょっと、艦長さん……? まさか、何か誤解していらっしゃる……?」

「格納庫で、何かお角が立ったと聞いて──。状況が状況ですし、艦長として心配になって見に来てみれば……ふーん? そうですか? そういうことでしたか」

 

 お角が立ってるのは、むしろあなたのご機嫌の方じゃないかな、というツッコミがムウの中に浮かんだが、口に出したら首を絞められそうなので云い出せなかった。

 おおかた格納庫へ、心配したマリューが当時の様子を訊ねに来たとき、トールあたりが告げ口したのだろう──キラたちが意思の疎通を上手く出来なかったこと。飛び出して行ったステラを、ムウが捜しに行ったこと。

 だが、

 ──こんな剽軽者(オトコ)に、繊細で、うら若き乙女の相談役が務まるのか……?

 トールの向こう見ず過ぎる人選に甚だ疑問を憶えたマリューは、彼女なりに心配して彼等を探しに来た。随分と探して回り、ムウの声が展望室から聞こえたもので、身を寄せて様子を窺ってみれば──アレである。

 

「随分と打ち解けているご様子だこと──少佐はいったい、どのような魔法を使われたのでしょう? わたくしの機嫌を直す魔法も、是非とも使っていただきたいものですわ」

「や、ちょっと待っ──話をだな、聞いて──」

 

 ムウは、恋人に浮気がばれた瞬間の男のように慌てた。

 ……いや、見方によってはそれは完全に正しいのだが。 

 

「艦長として あなたのような 頼もしい 乗組員がいて」

「ま、マリューさん……?」

「わたくしは 誇りに 思いますわ それでは」

 

 妙にぶつ切りな言葉を吐き出すと、つんとして背中を向けた彼女は、そのまま展望室から出て行ってしまった。

 ムウの指は尾を引くようにマリューの背を茫然と追う──が、出した手はすぐに引っ込め、両肩を竦めて見せる。その顔には大人の余裕(?)が浮かんでいた。

 

「──な……? まあ、ああいうのも、可愛いとこじゃん?」

 

 その可愛いと評した女性に後日どやされることを知る由もないムウは、朗らかに笑って云って見せる。

 ステラは呆け、小首を傾げる。

 ──マリューは、なんであんなにツンとしてたんだろう……?

 相変わらず、その理由が、彼女には分からない。

 

(今度、いろいろ教えてもらおうかな……)

 

 この艦には、マリューもミリアリアも、頼れる女のひと達がいる。

 ──ステラが周囲(まわり)と、何がどう、ズレているのか……。

 それは直さなきゃいけないものなのか、そうでないのかも含めて、教わる機会には恵まれているはずだから。

 

 

 

 

 

 

 

「──それじゃ、格納庫に戻るかい?」

「うんっ……」

 

 ステラが云うと、ムウは手を差し出してくれた。ステラはその手を取り、ぐいっと引っ張り上げられるような形で立ち上がる。

 ──その拍子に、はらり、と何かが床に落ちた。

 ステラがポケットにしまっていた、一枚の写真である。

 ムウは「何か落ちたぞ?」と云って、床に落ちたそれを、屈んで拾い上げようとした。

 

「────」

 

 ムウの中で、時間が止まった。

 屈んだその姿勢のまま、伸ばした指は、写真に触れることはなかった。

 目の前に落ちた写真には、精悍な体格をした大人の男性と──そして、そんな男性と手を繋ぐ、ひとりの少年の鏡像が映っている。背は小さく、表情はあどけない。

 逞しい男性の容姿は、天然の金髪──ムウと同じように……。

 

「おや、じ……?」

 

 写真の中の大人の男性は、アル・ダ・フラガ──ムウの、実父に当たる男だ。

 ──なぜ?

 なぜ彼女が、こんな写真を彼女が持っている……!?

 ──写真の中で親父と手を繋いでいる、この金髪の少年は……!?

 ムウは愕然として、キッとステラの方を勢いよく振り向いた。

 ステラはムウの機微などまるで斟酌できておらず、顔に疑問符を浮かべている。

 

「この写真」

 

 どこで──?

 そう訊こうとした質問は、吐き出されることはなかった。

 時を同じくして、こちらもまた、艦内に警報が鳴り響いたからだ。

 

「──大西洋連邦かっ」

 

 現在、彼等はオーブから宇宙へ飛び立つ用意をしていた。

 MS形態での空中戦のできない〝ストライク〟〝イージス〟〝ブリッツ〟などは、この〝アークエンジェル〟の中で発進待機をするしかない。が──〝クレイドル〟と〝フリーダム〟は発進の掩護をすることができる。

 ステラは血相を変え、すぐに格納庫へ向かおうとしている。

 ムウは質問を諦め、拾い上げた気がかりな写真を、そのままステラへと返却してやった。

 

「……気を付けてな」

「うんっ……」

 

 そうして、大西洋連邦の第三波攻撃が始まった。

 

 

 

 

 

 




 相思相愛は男女関係のひとつだと思うのですが、れが最上級であるかどうかは、個人の尺度によってまったく違うような気がします。

 描写不足で申し訳ないのですが、この小説でもムウとマリューは恋愛関係に発展しています、お断り。

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