~夢見る少女の転生録~   作:樹霜師走

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 決して失念していたわけではないんですが、登場させるタイミングをすっかり逃してました。地球から〝プラント〟に上がったステラには、海色のハロが同伴してます。



『平和の歌姫』

 

 

「最後通告、だと?」

 

 オーブ行政府会議室にて、ウズミ・ナラ・アスハは声を荒げた。オーブの現代表であるホムラを中心に多くの閣僚陣が集い、大西洋連邦から送電された通達書類に目を通していたのだ。

 大西洋連邦が書類を通して要求してきた要項は主に二点。

 

 ──ひとつは、オーブ連合首長国現政権の即時退陣。

 ──ふたつは、オーブ国軍の武装解除ならびに即時解体。

 

 これらの要求に回答しなかった場合、あるいは拒否した場合、彼らはオーブ連合首長国を〝ザフト支援国〟──とどのつまり敵性国家と看做し、武力を以て制圧に掛かると攻め云ってきたのだ。それは既に国家間における対等の取引とは云えず、地球連合による無条件の降伏勧告であり、一方的な宣戦布告。ウズミは最大限の強い言葉をもってこれを非難した。

 

「パナマを落とされ、体裁を取り繕う余裕すら失くしたか、大西洋連邦は!?」

 

 しかし、首脳のひとりは悩ましげに言葉を返した。

 

「理不尽であることは百も承知。ですが、これが如何に不当な要求であろうと、大西洋連邦に逆らえる国は……もはや存在しない」

「左様。ユーラシアは疲弊し、赤道連合、スカンジナビア王国など、最後まで中立を貫いた国々も、今や従容と彼らの言い分を聞き分けるだけの属国となった」

「大西洋連邦が欲しているのは我が国が保有する軍事力。そして、地上に残された数少ないマスドライバー〝カグヤ〟でしょう」

 

 彼らの見立ては間違っていない。パナマ基地を陥とされた大西洋連邦は、いよいよ全ての宇宙への玄関口(マスドライバー)を失った。敵軍に接収されたのであれば取り返す算段もあるだろうが、直近の〝ポルタ・パナマ〟に関しては完全に破壊され、奪還すら不可能になった。

 華南、ビクトリア、パナマ──今や地上に残されたあらゆるマスドライバー施設は封鎖され、大西洋連邦はここに至って新たな動きを見せた。独自の軍備施設を保有するオーブ連合主張国、これが所有するマスドライバー〝カグヤ〟の接収である。

 

「──既に大西洋連邦の部隊が、太平洋を南下しているとの報告も」

 

 剣を飾っておけるだけの平和は、今ここに破られたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 白銀の翼〝クレイドル〟を受領したステラは、正式な手続きを経て〝アプリリウス・ワン〟から出立していた。解放ハッチから宇宙に飛び立ったあと、彼女はそのまま、真っ直ぐに地球へ──

 ──ではなく(・・・・)、隣接していた別の〝プラント〟へ入港していた。

 それも道理で、このときの彼女はパトリックから別の密命もまた受け取っていたのである。最新鋭機〝クレイドル〟を譲渡されたステラは、その代価として評議会直属の密命を受けた。

 

 ──何者かによって奪取された最重要軍事機密(フリーダム)の破壊、およびパイロットの抹殺。

 

 最優先事項がそれであることに間違いはない。陰謀により奪取された〝フリーダム〟がどれほど危険な機体であるのか──ステラとパトリックでは認識に微妙な差異こそあれ、程度で見れば同等だ──二人とも重々に承知していた。だからこそ、それに比肩する〝クレイドル〟を使ってこれを征伐せよという指令──

 しかしこのとき、ステラにはもうひとつの特務が与えられていたのだ。

 

 ──そもそも〝フリーダム〟横領を手引きした、国際指定犯罪者(ラクス・クライン)の捜索と検挙。

 

 工廠に来てからラクスについて話を聞かされ、ステラは自分の耳を疑い、真実を打ち明けられてなお受け止められなかった。

 ──あのラクスが、みんなを裏切って〝フリーダム〟を敵国に売り渡した?

 説明役も兼ねていたユーリは、憎々しげに語っていた。

 

「まだ非公式だが、ラクス・クラインは国家反逆罪に問われ、指名手配中の逃亡犯となっている。──彼女はもう、きみの義姉上(あねうえ)ではないんだよ」

 

 平和の歌姫、ラクス・クライン。将来的にアスランと婚姻を結び、ステラにとっても義姉となるはずだった年上の少女。あたかも巫女のように清純で、潔白な国民的アイドル──

 花が咲くように柔らかな笑顔を見ていると、自然と心が潤っていくような、神秘的な雰囲気に身を包む少女だった。それこそ〝プラント〟で暮らしている女の子であれば、誰もが一度は憧れたであろう大輪の花。そんな彼女が、数日前に〝プラント〟を内側から引き裂くような大掛かりな叛逆を働いたというのだ。

 

「いまだに信じられないよ……ニコルも、彼女の歌は好きだったというのに!」

 

 嘆き悲しむユーリの言葉を受け、この人も自分と同じなんだ、とステラが考えたのは事実だった。

 ニコルの影響もあってだろうか、ユーリもまた評議員という肩書を除いてラクスのファンであったらしく、人が目の前で取り乱すのを見ればかえって自分が落ち着くというのは本当らしい。ステラはたしかに衝撃を受けていたが、目の前で憤るユーリほどではなかった。

 

「ラクスの、歌……」

 

 太平洋上の孤島で、ステラとニコルが交わした約束。それは世界が平和になったとき、みんなで一緒に小さな音楽を奏でようというものだった。ニコルが演奏するピアノに合わせ、ラクスが歌う。ラクスが唱えた歌に合わせて、ステラが踊るのだと。

 ──もう、叶わないの……?

 ニコルは居なくなった。そして今度はラクスまでも──?

 今、この〝プラント〟に残っているのはステラだけだ。世界は、人々は平和を目指しているはずなのに、現実は人と人とを引き裂き、状況はどんどん悪い方向に進んでいく──その理由が、ステラには分からなかった。

 

「ニコルやキミや、他の多くの若人達が今も戦場で、その身を粉にして戦っている! なのに、なぜ彼女達はそれを裏切るような真似をするんだ? 私には、それが悔しくて──腹立たしくて堪らんよ……!」

「ラクス……は、なにを考えてるのかな……?」

「さあ分からんよ! 会って訊ねてみたいくらいだ! だが、逃亡した彼女達の足跡は、それからまったく掴めていないらしい」

 

 それはつまり、ラクスは恐るべき周到さで逃走ルートを練っていたということになる。そんなふたりの会話をよそに、パトリックが口を挟んだ。

 

「狸の子は、やはり狸だったということだ。……いや、あれの場合は女狐と云った方が正しいか」

 

 発言の意味がてんで分からず、ステラは首をもたげる。

 ──タヌキ? キツネ?

 それはもしかして、シーゲル・クラインとラクス・クラインのことを云っているのだろうか? 傍らのユーリはしかし、その奇怪な表現に納得したように、パトリックへと言葉を返す。

 

「それもまた、血が為せる業なのだろうな──施政家の娘としての……。子が親に似るとはよく云ったもの。彼女もまた、父親の食えない部分がよく似たものだ』

「あるいは、遺伝子か──」

「それでこそコーディネイターか? これは取られた。お前にはやはり勝てる気がしないよ、パトリック」

「フン」

 

 政治家同士の節の利いた会話は、その場にきょとんとするステラだけを置き去りにしていた。

 

「でも、ラクスがそんなことするなんてっ」

 

 やはり、何度考えてもステラは信じられなかった。

 ラクスが見せる柔らかな笑顔は、本物だった。あれが悪意の企みの上に張り付けられた仮面であったなどと、ステラは信じたくなかった。あの優しかったラクスが、ステラの〝悪魔〟を──あの〝フリーダム〟を解き放ったなんて事実を、信じたくはなかったのだ。

 

「信じられない……」

「……」

 

 必死になって言葉を探しているようだったステラを見るパトリック。そうして彼は憮然とした面持ちで、即座に云って返してみせた。

 

「──ならば直接、彼女を捜すことだ」

 

 その発言は期せずして、パトリックからステラに課せられた次なる任務となった。ユーリは怪訝そうにパトリックを見る。彼はあくまで淡々として、感情のひとつも悟らせない政治家的な顔をして先を続けた。

 

「工廠の監視カメラの映像に、ラクス嬢の姿はしっかりと映っていた──そういう確たる証拠が無ければ、いったい誰が彼女に嫌疑など掛ける?」

 

 指摘はもっともであり、ここに疑ってかかる余地はない。

 だが、このときのパトリックは──非常に彼らしからぬように思えるのだが──意外にも親切であり、ステラに対して親身であった。

 

「お前が映像だけでは納得できない、というのなら、お前自身で彼女の行方を探り、本人に会ってくれば良い。会えるものならな」

 

 語尾は少しだけ皮肉めいていたが、悪意をもって云っているわけではないことは口調からして明らかだった。

 

「我らは当然、今は捜索隊を派遣してクライン一派の行方を追っているが──そこにお前が加わりたいと云うのなら、私は別に止めはせん。心当たり(・・・・)でもあるのなら、それを使って彼女に会い、気が済むまで事情でも何でも聴取すればいいだろう」

(パトリック、何を……?)

 

 茫然とパトリックの言葉を聞き留めていたユーリは、盟友の意図が理解できなかった。

 ステラがひとりでラクスを探し出す──? そんなことは現実的に不可能だろう。パトリックの云う通り、現在は評議会が極秘に派遣した捜索隊──正確には暗殺部隊(・・・・)──がクライン親子の足跡を追っているが、プロフェッショナルの彼らでさえ一派の行方を掴めていないのが現状だ。そのような任務を、ただの一兵卒に過ぎないステラが個人で遂行できるはずはない。

 ましてや今のザフトには、そんなことのために〝クレイドル〟という一大戦力を割り当てている余力はない。ステラには早急に地球へ発ってもらい、火急に〝フリーダム〟を破壊して貰わねばならないはずだ。だが、パトリックはそう考えていならしい……?

 

(なんだかんだ〝娘〟には甘いということなのか、パトリック)

 

 盟友たる彼をして、パトリック・ザラという男は普段ここまで聞き分けのよい男ではないはずだが、彼もやはり自分と同じ、政治家や国防委員である前に、ひとりの父親ということか──

 

(──いや……)

 

 心当たり──? 先程パトリックが口にしたその単語が、ユーリをハッとさせた。

 そもそものステラは、一兵卒であるよりも前にラクス・クラインにとっては義妹分だ。他の誰より親しい間柄であるはずだ──公的な話ではなく、私的なプライぺートにおいてだ。

 

(実際は親しいからこそ、分かることもあるのか──)

 

 派遣した捜索隊は、偶像としてのラクス・クラインしか知らない。

 ──だがステラは、生身の女の子としてラクス・クラインを知っている。

 派遣した捜索隊は、記録でしか行方を探れない。

 ──だがステラは、記憶から彼女を追うことができる。

 

(──まさか……!)

 

 ユーリは咄嗟にパトリックの意図を悟り、慌てて言葉を挟もうとした。

 

「パトリック、お前は!?」

「ユーリ、今は黙っていろ!」

「パトリック……」

 

 一方のステラはパトリックの目を真っすぐに見つめ、信じ、自分のわがままな物言いに付き合ってくれた彼に父に、どこか感謝すらしているようでもある。

 

「ステラが、ラクスを捜し出せばいいんだね」

「そうだ。逃亡中のラクス・クラインから、今回の〝フリーダム〟横領の動機を訊き出してみせろ──我々が納得できるだけの動機をな。お前のその働きをもって、全ては誤解だった(・・・・・・・・)として彼女らへの嫌疑は取り払ってやってもいい」

 

 そのときパトリックの瞳の奥には──駆け引きを得手とする──政治家らしい光が宿っている。けれどステラは、その光の意味など知らない。

 

「わかった、ステラがんばるから! 約束だよ!」

「ああ、約束だ……」

 

 ステラは強くうなづき、パトリックは会心の笑みを浮かべた。

 ラクス・クラインの捜索のために、彼女に与えられた時間は「48時間」──この二日に相当する時間の中でラクスを発見できなければ、彼女はすぐに任務を切り替え、第一目標である〝フリーダム〟追討のために地球へ向かうことを約束した。

 

 

 

 

 

 

 

 ステラはそれから、ラクスを捜した。

 地球から一緒に連れて来た海色のハロは、ステラに向けてこう連呼している。

 

〈認メタクナイッ!〉

 

 ステラも、その言葉には同感だ。

 認めたくなんて、ないのだ。

 

(やさしかった……あのラクスが、アスランやステラを裏切るはず、ない……)

 

 父はいま、彼女のせいで苦しめられている。焦っている。仮にも婚約相手の父親を窮地に追いやるようなことを、彼女が率先して行うはずがない。

 きっと、ラクスは誰かに騙されているのだ。

 

(そうに、ちがいないよ……)

 

 以前、ステラがラクスに、これから何をしていきたいのか訊ねたとき、ラクスははっきり「平和のために歌っていきたい」と答えた。

 その願いが、きっと誰かに悪用されているんだ。

 

 気が付くと、ステラはとある〝プラント〟を訪れていた。

 

 軍事機密でもある〝クレイドル〟を人目に付かない場所に降り立たせ、ラダーを降りる。

 街並みに溶け込めるよう私服に着替えた彼女は、重たい足取りのまま、とある地点を目指す。

 訪れた先は────クラインのお屋敷だった。

 

「………………」

 

 目の前に広がったのは、悲惨な光景。

 踏み破られ、荒れ散らかされた箱庭──

 弾痕に砕かれた、ガラス張りのテラス──

 ぶちまけられた、屋敷内の調度品──

 既にクライン邸は、官憲の手によって荒らされた後である。無残な邸宅の内を見て、ステラはこの場を荒らした者達の凄まじい敵意に直面したような思いになり、恐ろしくなった。

 多くの人は、民は、ラクスを愛していたのではないのか? ──そんな彼女が暮らしていた邸宅を、怒りや憎しみや悲しみは、こうも簡単に踏み散らかしてしまうのだろうか? ラクスによってもたらされた現実に嘆く者達が、無慈悲にも、この邸宅を破壊したのだ。

 

 ステラ自身も、この屋敷なら何度か訪れたことがある。

 そのときの記憶が、このとき、鮮明に蘇った。

 

 

 

 

 

 それは、アスランとラクスの婚約発表が執り行われてから、数か月後の話だった。

 

 ふたりはまだ、共に十四歳の頃──

 

 本人を交えた両親の挨拶も終わり、アスランは、ラクスが住まう屋敷へと幾度と足を運ぶようになっていた。

 正確には、「あんなに可愛らしい女の子は滅多にいないわ? 足しげく通ってでも、ラクスさんのハートを繋ぎ止めてなきゃだめよ、あなたは男のコなんだから!」とレノアに叱られた結果だった。

 アスランはそれに反論した。──「男のコっていう、ひと括りになさらないでください。男のコだって、皆が皆、動物みたいに積極的なわけじゃないんです! 父上なんて、その良い例ではありませんでしたか?」

 レノアはあっさり暴露した。──「パトリックだって、わたしへのアプローチは凄かったんですからね。初めて出会った時なんて、あのしかめっ面を真っ赤にして……」

 「ぶふっ」──アスランは、そんな父を想像して堪らずに噴き出した。後日、そのことでパトリックに拳骨を喰らった。

 結婚のきっかけは、パトリックの一目惚れだったらしい……聞かなければ良かったと切に思った。

 

 ラクスの屋敷を訪れるのは、待ち遠しくさえ思える、生活の中の楽しみでもあった。

 

 勿論、当時からラクスはアイドルとしての活動もあり、日がな年中、平凡な生活を送っているわけではない。しかしラクスの方も、予定が空いた日は、できるだけアスランと会えるようスケジュールを立ててくれていた。

 だからその日は、アスランがラクスの屋敷を訪れることになっていたのだった。

 まだ少年だったアスランは、クライン邸に向かっていた。その日は何故か、ステラが一緒について来た。

 

「お屋敷に連れて行くのはいいんだが、失礼のないようにするんだぞ?」

「わかった」

 

 どうやらステラは、クリスマス・イヴにラクスと出会ってから、彼女のことが気に入ったらしい。

 しかし、だからと云って決して無礼は働いてはいけない。なんせ相手は、国民的アイドルなのだから。

 そのとき、アスランの携帯電話に着信が鳴った。

 通話主は母、レノアだった。

 

「母上?」

〈もしもし、アスラン? もうすぐ、お屋敷に着く予定の時間になるのだけれど、大丈夫?〉

「ええ、今向かっていますよ。ステラも一緒です、もうすぐ到着しますけど……なにか?」

〈あなたのことだから、いちおう心配して訊いておくわね。お土産は、何か買って?〉

「えっ? いえ、何も……」

 

 レノアは、怒った。

 

〈女の子のお屋敷に伺うのに、手ぶらだなんてとんでもない! 小さなものでもなんでも、買って行ってプレゼントして差し上げなさいな〉

「ええっ? でも今日は、僕もステラも、学校の帰りですし……」

 

 本当にこの鈍感息子は、乙女心が分からないのねと、母は嘆いた。

 

〈母様の云うことは聞きなさい、悪いことは云わないんだからっ〉

「は、はい……っ。でも、いったい何を? 今日は、ハロも持ってきてないんです」

〈女の子は、好きな人からもらったものなら、なんだって喜ぶわ〉

「丸投げされると困ります……」

 

 アスランは唸り声を上げ、やがて母の提案を承諾したように、電話を切った。

 

「悪いんだけどステラ、僕はすこし街に寄ってからお屋敷を伺うよ。花束でもなんでも、買って行けって母様が仰られるんだ」

「プレゼント? あった方がいいって、じつはステラも思ってた」

「そういうものなのか……」

「アスランはにぶいね」

「うるさい」

 

 そう云って、アスランはひとり、屋敷に着く前に花屋を捜して街の方に出て行ってしまった。

 その後、ステラはひとり、先に屋敷に到着することとなる──。

 ────それから、三〇分ほどが経ったろうか。

 アスランは近隣の花屋から白色の花束を調達し、クライン邸の道へと着いた。荘厳な門扉の前で屋敷のインターカムを慣らすと、立派な門が開き、慣れ親しんだアスランを中に通してくれた。

 玄関まで訪れた彼は、出迎えに上がった執事のひとりに声をかけた。

 

「遅れて申し訳ありませんでした……あの、妹が先にお屋敷を伺っているはずなのですが……どちらに?」

「ステラ様なら、ラクス様と共に、裏庭の方へ行かれましたよ」

「裏庭……? そうですか、ありがとうございます」

 

 どうやら、執事は彼女達が何をして遊んでいるのかまでは把握していないらしい。

 それは、彼女達が女のコ……だからだろうか。

 アスランは玄関から踵を返し、裏庭へと続く道に沿って辿った。

 

「ラクス? ステラ?」

 

 アスランが裏庭に着くと、しかし、そこには誰も居なかった。

 付き添い人のメイドもいなければ、執事の云うように、お目付役もいない。

 またどこかに移動したのだろうか? アスランが肩を竦めると、そのとき、すぐ近くから声が掛かった。

 

「こっちだよ、アスラン」

 

 それは、自分を呼ぶ声だった。

 透き通った幼い声は、妹のものだとすぐに判断ができた。

 

「こっち?」

 

 アスランは慌てて、テラスの方を振り向く。

 

「そちらではありませんわ、アスラン。こちらです」

「こちらって云われても……」

 

 今度は、ラクスの声がした。

 アスランは慌てて、屋敷の方を振り返る。

 しかしやはり、誰もいない。

 

「そっちじゃないよ、こっちっ」

「どっちだ!?」

 

 そこでアスランは、初めて視界を平面から縦方向へ移した。

 二人の声はたしかに、アスランの頭上から聞こえたものだった。

 …………見つけた。

 アスランは捜していたふたりの姿を見つけ、そして、凍り付いた。

 

「……ナニ、シテルンデス?」

 

 ぎこちない挙動でアスランが問う先、お目当ての少女達は、裏庭に立派に聳え立つ大樹の野太い枝の上に座り込んでいた。

 アスランの中で、時が止まった。──いったい彼女達は、何をやっているんだ……。

 

「木登り」

「木登りですわ」 

 

 悪びれもなく云われ、アスランがっくり項垂れた。

 

「な、なんでそんなところに!? 危ないですからっ!?」

「この樹の上に、可愛い小鳥さんを見つけましたの! 今までずっと、小鳥さんとお話していましたのよ?」

「ちいさくて、綺麗な小鳥さんがいたの。もう飛んでっちゃったけど……」

 

 ひたすらに狼狽えたアスランは、立ち位置を見れば、少女たちの真下に据えている。

 そこから少女達のことを見上げれば、ふたりのスカートやワンピースの中が丸見えとなり、アスランはたじろぎ、素直にふたりを見上げることすら出来ずにいた。

 …………なんかもう、色々と駄目だ────。

 アスランは何から突っ込んでいいのか分からず、同じ周波数で会話を続ける妹と婚約者に、額を抱えた。──目付役も就けないで!

 

「と、とにかく危ないですから! すぐに降りて来てください!」

 

 いったい誰だ、ラクスに木登りなんて教えたのは。

 いや、ステラだ。

 そうに違いない。帰ったら叱ってやろう。

 アスランが怒ったように云うと、ステラはしゅんとして、「はぁい……」と云って枝の上から立ち上がった。すると枝の重心が移ろい、枝葉が揺れ、彼女の立つ場所が強かに上下した。その振動に適応できず、彼女はいっとき、態勢を崩しそうになる。

 

「うわぁっ」

 

 悲鳴を挙げたのは当のステラではなく、直下に構えるアスランだった。

 だが、ステラの動きはどこか危なっかしいように見えて、違った。彼女はすぐに枝葉の振動(しなり)に体幹を合わせ、細々とした枝葉の上を器用にも渡り歩き始めたのである。それは歩く、というより、ステップを踏んでいるかのように軽やかだ。

 やがて地面から近い位置まで高さを落とすと、ひょいと飛び降り、易々と着地を決めてしまった。

 これを見届けたアスランは唖然とした──いったい、どこでそんな技術を身に着けた……。

 ──この妹は、自分より大物になるな……。

 なんてことを咄嗟に思ったアスランだったが、次に、ラクスが下りる番となった。

 樹の上にひとり取り残されたラクスは、ステラがやったのを真似するように、ゆったりと枝の上に立ち上がる。ステラの時と同じように枝葉はしなり、大きく揺れる。

 そして……。

 

「あら?」

 

 ラクスは、声を漏らした。

 アスランとステラは、地表から彼女を見上げる。特にアスランの方は、気が気でないほど心配な様子で。

 

「あらあら?」

 

 ラクスはきょろきょろと辺りを見回した。

 そして一拍置いて、声を挙げた。

 

「まあ、大変ですわ、アスラン」

「どうかしました……?」

「降りれなくなってしまいました……」

 

 アスランは、その場に崩れた。

 そうだ────誰もが妹みたいに、羽が生えたように軽快な動きができるはずがないのだ……。 

 ラクスは強かにしなる枝葉の上で、怯えたように、太い枝にしがみ付くことがやっとだった。木や山は、登った後の降りる方に難儀するのだ。

 アスランはこの世の終わりかと思われるほど青褪めた表情を浮かべ、辺りに何か、はしごのようなものがないかを捜す。

 

「きゃっ」

 

 そのとき、短い悲鳴が聞こえた。見上げた枝の上、ラクスがそのか細い足を滑らせたのである。態勢を崩した彼女は、お尻から地面へ落下していく。

 アスランは呆然とする。同時に絶望したが、彼の身体はぴくりと動かなかった。

 そのときだ。

 どんっ! アスランは、背後から何かによって、強く突き飛ばされたような感覚を憶えた。

 うわっ、と叫びながら、彼は前のめりに押し出された。

 しかし、飛び出した前足は止めなかった。彼は突き飛ばされた勢いのまま、無我夢中でラクスの落下地点へと滑り込むように駆け抜けたのである。

 そして間一髪、上から落ちて来たラクスの身体を受け止めた。彼女は無事だった。

 

「まあっ、ありがとうございます、アスラン。助かりましたわ……」

「えっ? いえ、いや……っ」

 

 受け止められたラクスは、アスランを見上げるように熱い目で見た。

 円らな瞳に真っ直ぐに見られ、アスランはたじろぐ。

 ──今まで、ラクスの手も握ったことのないんだ……!

 アスランはそんな彼女を今、お姫様抱っこしていた。

 気恥ずかしさもあったが、アスランは正直、礼を云う相手が違うと思った。

 アスランは背後を振り返り見た────立ち尽くす自分を、突き飛ばした人物を。

 視線の先に立つまだ幼い妹は、妙に満足そうな面持ちをしていた。童話の中の王子様とお姫様を見るような、きらきら輝く目でこちらを見ている──自分達が「そのように」でも見えるのだろうか? たしかにお姫様抱っこはしているけれど……。

 いらない気配りだと思ったが、妹の意図を察したアスランは、はあ、と深く息を吐いた。そのあと、すぐに視線をラクスへと移した。

 

「とにかくラクス、もう木登りなんて危険ですから、二度とやらないでくださいね」

「でも、小鳥さんがいましたのよ?」

「小鳥のロボットであれば、僕にも造れますから。お願いですから、それで勘弁してください……」

 

 それは、アスランの優しさに聞こえた。

 いつか、彼女が退屈しないように小鳥のロボットを造ってくれるのだろうか? ハロ以外に、プレゼントを下さるのだろうか? ラクスはきらきらした目で彼を見た。

 アスランは熱の籠った目で見られ、頬を赤く染める。やがて誤魔化すように、そそくさと遠くまで歩いて行ってしまった。

 ラクスは気恥ずかしそうな背中をくすくす笑って見送りながら、傍らのステラへと近寄って行った。

 

「ほんとうに、素敵なお兄さんですわね。アスランは」

 

 ステラは、こう答えた。

 

「でもやっぱり、アスランはにぶいね」

 

 ラクスは微笑み、そうですわね、と答えた。

 そのとき二人の「にぶい」の解釈は、微妙に違っていた気がした。

 

 

 

 

 

 

 ────思い出の木は、朽ち果てていた。巨大な蟻虫(アリ)にでも喰い散らかされたかのように、立派な大木には、流れ弾であろう銃弾が撃ち込まれ、枝葉はバキバキに折れて焦げている。

 荒れ果てた庭園を進んでいるときだった。かさり、と葉の揺れる不自然な音を耳にしたのは。

 

「……!」

 

 何らかの気配をすぐそばに察知し、ステラは、それまでの無邪気さを忘れた。

 瞬時に腰を落とし、身構えるステラ。ヴェールのように伸びた白いフレアスカートの下、太腿のホルスターに忍ばせた短刀へと、いつでも手を伸ばせるように。小慣れたように体重を落とした彼女は、今度はみずからの気配を消して周囲を警戒、索敵行動に移った。移ったのだが、そんな彼女の思いなど斟酌しない傍らのハロは、ぴょんぴょんと気の抜けた音を立てながら、喧しく跳ね回り続けている。

 

「──ハロ?」

 

 静止を求めたステラであるが、ハロはそんな声など聞こえない風に、庭の奥へ奥へと勝手に進んでいく。

 そのときである。奥に構えられていた温室──ガーデニング・プラントの中から、ピンク色の球体が飛び出して来たのは。

 

〈マイド! マイド!〉

 

 ──ハロ!?

 いきなりのことで、さすがに刃を抜き走らせたステラであるが、理解と対応は早い。見紛うはずもなく、その球体はハロだった。桃のようなピンク色をしている──アスランがラクスに与えた第一号。

 ──だとすれば、さっきの気配の正体は……?

 奔らせた刃を引っ込め、ステラは己の警戒が杞憂であったことを理解すると、そのままゆっくりと短刀をしまった。

 目下のハロ達は、やはりマイペースであった。それまで一体だったのが二体に増えたことで、ハロはみずからの分身の登場を愉快がるような戯れ合いを始めたのだ。警戒を解いたステラの周囲をぴょんぴょんと跳ね回りながら、ふたつの球体が、挨拶を交わす。

 

 桃色(ラクス)のハロが云う。──〈ハジメマシテッ! ハジメマシテッ!〉

 海色(ステラ)のハロが返す。──〈ナンデヤネンッ! ドツイタロカッ!〉

 

 まさかとは思うが、会話らしいものをしているハロ達の言葉を聞き、ステラは不審を湛えた顔になる。

 ──「ハジメマシテ」……?

 ラクスが最も大事にしていたピンク色のハロ──そいつとステラ達は決して「ハジメマシテ」の間柄ではない。少なくとも、戦争が始まってからも〝アークエンジェル〟の艦内で彼女達は再会を果たしているし、さらに昔まで記憶を辿れば、本当に「はじめまして」の挨拶を行った場所は──たしか。

 

「──はじめまして……?」

 

 ステラはそのとき、ハロに託された、ラクスのメッセージを受け取った気がした。

 ほかの誰でもない。そのメッセージを理解することができるのは、ステラだけ……。

 指定された地点に向かうためには〝プラント〟を越えなければならない。彼女は即座に踵を返すと、すぐに〝クレイドル〟のコクピッドを目指した。

 

 

 

 

 

 オーブに入港した〝アークエンジェル〟のデッキに、全搭乗員が集められていた。

 彼らは中立コロニー〝ヘリオポリス〟の崩壊に始まり、ここまで『大天使』に乗って戦い続けて来た者達である。アラスカにて異動命令が下された者──ナタル、フレイ、ハリーの三名──を除いて、かつてないほどの激闘を潜り抜けて来た者達は、どこか気負ったような表情で前に立つマリューの言葉を聞き留めていた。

 

「現在、このオーブへ向け、地球連合軍艦隊が進行中です」

 

 一同の表情に、動揺が奔った。

 

「『オーブが地球軍に与し、共に〝プラント〟を討つ道を取らぬと云うのならば、ザフト支援国と見なす』──それが理由です」

 

 地球軍──かつてアラスカで自分達を捨て駒として扱った組織──が、なりふり構わぬ強引さを持っていることは、この場にいる者なら誰もが周知だろう。

 だからこそ、おのずと「無茶な」との声が上がる。強い動揺こそ士官達の間には流れはするが、決して「嘘だ!」と反論する者などいない。

 

「これに対し、オーブ政府はあくまで『中立の立場を貫く』と宣言し、現在も渉外・外交の努力を継続していますが、残念ながら戦闘は回避不可能なものと思われます」

 

 戦いに明け暮れ、犠牲を払い、目的地に辿り着いた先、待っていたのは譴責と裏切り。一方的に課せられた「敵と共に死ね」という酷薄な命令──ここから逃れ、必死の思いで救援を求めた平和の国にさえ、またも彼らの不埒な魔の手が及ぼうとしている。

 この報告を受けて、大西洋連邦のやり方に義憤と疑念を憶える者は数多くいた。怒りに立ち上がる者達がいるのに対して、しかし、それとは真逆の感情を抱く者も大勢いた──これ以上の戦いに恐怖し、怯える者達である。

 

「現在〝アークエンジェル〟は脱走艦であり、私達は、自身の立場すら定かではない状況にあります。我々はこれからどうするべきなのか──これを命ずるものはなく、今の私もまた、貴方達に命ずる権限を持ちません。これより先は、オーブを護るために戦うべきなのか、そうではないのか──自分自身で判断せねばなりません」

 

 形式的に云えば、それは地球連合軍、第8機動艦隊所属アークエンジェル艦長からの、正式な解散の通達だった。その式が終わり、士官達が思い思いに場を離れてゆく。彼らはみな、地球軍から造反することを願った身だった。アラスカで野垂れ死ぬことを拒み、拒んだことで更に裁かれることに嫌気が差した者達。

 だからこそ大西洋連邦に真っ向から抗議の衝突をしようとする者もいれば、せっかく拾った命をこれ以上の危険には曝すまいと、退艦を心に決める者もいる。

 

 そんな中で、キラ・ヤマトの覚悟も決まっていた。

 

 彼は、オーブと共に歩むことを決めたのである。

 融和による平和を訴えた中立国──戦うために戦うのではなく、守るために戦う理念に同調し、彼は〝アークエンジェル〟と共に、これから始まるであろうオーブ解放戦の防衛任務に就くことを選んだ。そんな彼に導かれるようにして、〝ヘリオポリス〟出身の学生達もまた、それぞれの心を決めていた。トール・ケーニヒ、ミリアリア・ハウ、サイ・アーガイル──だが、その中で唯一カズイ・バスカークの胸にだけは、曇りと陰りが差していた。

 

「カズイ、船──降りるのか?」

 

 戦争の恐怖にすり減った彼の心には、限界が来ていた。

 もともと彼は──キラやステラにだけ苦しい想いはさせていられないという──意地にも似た「思いやり」だけで戦うことを決めていた少年である。その決意の中には、今は行方も知れない少女(ステラ)を見守ってやりたいという思い、もしくは彼女への淡い憧れなども混じっていたようだが、カズイが当時に抱いた決意の程は、今回マリューからもたらされた無償の退艦許可に勝るものではなかった。以前、彼らの中ではフレイだけが艦を降りた経緯もあって──それもまた、彼の決意に水を差した要素のひとつとも云えるのだろうが。

 懐かしい私服に着替え、荷物をまとめたカズイを見送るように、サイ・アーガイルは迎えに上がっていた。カズイはまるで、昔に戻ったように臆病で卑屈な面持ちで、サイの顔色を窺っている。

 

「そうだ。サイは、サイは降りないの? だって、フレイだってもう、この船にはいないんだぜ……!?」

 

 カズイと同じく、サイも元々は仲間──いや、彼の場合は婚約者(フィアンセ)に同伴する形で地球軍に志願した身でしかない。だが、そんな婚約者も、最早〝アークエンジェル〟には残っていない。

 であるなら、本当に今もサイがこの艦に居残り続ける意味はあるのか? カズイには分からないし、サイに対して失礼な話であるのだが、このときカズイがサイにだけ退艦を呼び掛けたのは、少なからず、彼に対する同族意識を心のどこかに持っていたからだ。しかし、サイはそれすら分かっていて、はっきりと答えを返した。

 

「フレイはきっと、もう俺なんかの手の届かないところにいっちゃったんだ。あの子、臆病な割に真っすぐだから……自分に出来ることをやり遂げよう、って、とっくのとうに一人で歩き始めてたんだ──俺の知らない間に……」

 

 多分それは、彼女が軍に志願したあのときから。

 

「俺はそんな彼女を、フィアンセだから『守ってやらなきゃ』なんて、烏滸がましいにもほどがある義務感? 正義感? に酔いながら軍に志願してさ……彼女ほどの覚悟なんて、これっぽっちも持っていなかったのに」

「サイ……」

「だから、彼女との婚約は破棄されて道理なんだ」

「じゃあ……!」

「だからこれからの俺は、俺のやりたいようにやる。だから今は〝アークエンジェル〟のためになることをまっとうするんだ。それが、いま俺がやりたいことだから」

 

 サイもまた、これまでの日々の中、思い改めることがあったらしい。これから攻撃されるのはオーブ──彼の故郷だ。だから彼もまた、残って戦うことを選んだのだ。

 

「でも、おまえには向かないよな、そういうの。おまえ、やさしいからさ」

 

 サイはそうして、去っていく友の背中を見送った。

 

 

 

 

 

がしゃりっ!

 突然、牢屋の施錠が解除され、きぃと音を立てて出口が開放された。

 部屋の中に閉じ込められていた捕虜──ニコル・アマルフィは目をぱちくりさせて、その措置の意味を訝しんだ。

 いよいよ以前、赤髪の少女が云っていた──「約束の時間」がやって来たのだろうか。

 自分は、ここで死ぬのだろうか──。

 不安に駆られるニコルを迎えに上がったのは、トール・ケーニヒと、そのガールフレンドであるミリアリア・ハウだった。彼らは満面の笑みを浮かべていた。

 

「釈放だってさ」

「えっ?」

 

 ニコルは、きょとんとした。

 フレイとかいう少女は、いずれニコルが銃殺刑に処されるであろうと述べていた。

 その言葉を真っ向から信じていたニコルにとって、トールの発言は、おおよそ推量できるものではなかった。

 ──尋問でも、移送でもなく。果ては処断でもなく、釈放……?

 ミリアリアが捕捉するように云う。

 

「この艦、また戦闘に出るの、オーブに地球軍が攻めて来るみたいだから」

 

 云われたニコルは、さらに戸惑った。

 

「地球軍……? あなた達は、地球軍所属の士官だったんじゃないんですか?」

 

 地球軍が、地球軍と戦う?

 オーブに攻めて来るから?

 いつから〝アークエンジェル〟は、オーブ軍に所属する戦艦になった?

 

「アラスカで色々あって、今は、地球軍に追われる身になっちまったんだ」

 

 そう。本来であればニコルの命は、銃殺される必要もなく、アラスカで散っていたはずだった。

 しかしそんな真実を、彼らはあえて言及することはなかった。

 

「オーブが地球軍に味方しないから、地球軍は怒って攻撃を仕掛けてくるの。……笑っちゃうよね」

「わ、笑えません……! どんな道理で、そんなこと!」

「オーブは俺達の故郷なんだ、だから、俺たちは故郷を守るために戦いに出る」

 

 ニコルの脳裏に、以前、オーブへと潜入した時の記憶が蘇る。

 賑わった街並み──

 平和に暮らす人々──

 母親のバースデーケーキゆえに神経質になっていた、ごく普通の少年が暮らす中立国──

 それが、これから戦場になるというのだ。

 

(故郷を護るために、戦う?)

 

 トールやミリアリアの動機は、ニコルのそれと、一緒だった。

 そう思ったとき、彼は不意に、胸を打たれた。

 

 

 

 

 

 

 

 白銀に彩られた守護神が、荒廃した大地に降り立った。機体のコクピットから、軽やかなワンピースに身を包んだステラが、ゆっくりとラダーに捕まって降りてくる。

 特別、モビルスーツを隠す必要はなかった。

 この一帯は以前、上流階級の邸宅が立ち並ぶ高級住宅街だった。中にはいち屋敷を別邸として利用する名士やセレブもいたそうだが、今や街の景観は見る影もなく、すべての公邸が没落したようにうち捨てられていた。極端な云い方をすれば、並んだ屋敷がなまじ豪華なだけに、今となってはホラーハウスが立ち並んでいるようにしか見えない。人っ子ひとり、住み着くことをしなければ、近寄ることもしない忘却の場所──〝クレイドル〟を隠す必要は、めっきりないように思えた。

 いったい、昔ここに何があったんだろう? ステラは訝しみながら、地に足を下ろした。以前、この付近にはステラの勝手知ったる居宅があった。より正確に云えば、パトリックが個人的に所有していた別邸が。

 

 そしてそこは、ステラとラクスが初めて出会った場所──「ハジメマシテ」を云い合った場所でもある。

 

 クリスマス・イブの夜──

 ザラの別邸でアスランとラクスの婚約発表が執り行われ、余興として催されたダンスパーティに、ステラは招待された。そこで彼女は、生まれて初めて、生身のラクス・クラインと出会った。それまで、テレビの向こう側でしか見たことのなかった歌姫が、目の前に現れて、彼女のお友達になってくれたのである。

 それから平和の歌姫は、少女にとってかけがえのない親友となり、同時に、将来のお姉さんとなった。歌姫が残したハロが伝えたかったメッセージは、おそらく、この別邸を指しているのだろう──。

 ステラはそう思い、この土地を訪れていた。深い霧に霞んだ夜、激しい雨が、荒れた土地を打ち付けている。

 

(傘、忘れた)

 

 近郊に着陸した〝クレイドル〟を降りたステラは、その身に雷雨を浴びながら、かつて父が所有していた別邸──パーティホールが建設された屋敷の玄関へと、歩を進めた。ふんわりとした金髪は多量の水分を含み、すっかり輝きを失って萎れていく。肩上で切り揃えられたはずの後ろ髪は不規則に乱れ、ごわごわにきしむ。薄手のドレスには雨が滴り、身体にぺっとりと張り付いて気持ちが悪いと思った。

 玄関に近づいていくたび、透き通ったような声が聴こえた。

 それは歌だった。広大なホールへと近づいていくたび、ステラは、どうしようもない確信を胸に抱く。

 

「…………」

 

 扉を開けて屋敷の中へ踏み入れば、内装はまるで恐怖の館といった風だ。割られた窓のガラス片が四散し、数年として手入れされていない名家の旧居は、ゲームの世界で見るようなホラーハウスと化していた。

 だが、無理もないことだ──とステラはひとりごちる。ここで幼少期を過ごした彼女であるが、血のバレンタインをきっかけとして、彼女の家庭は崩壊したのだろう。母が死に、自分は行方不明となり──これに憤った父は家を空けることとなり、残された息子は軍門を叩き、寮に入った。家族の誰にも必要とされなくなった屋敷は、もはや管理する者のいない、荒れ果てた廃墟と化していて当然だ。

 恐怖感と郷愁感が同時にやって来て、しばし思いを馳せていたステラを、パーティホールへと繋がる大きな扉が出迎える。両手を使って扉を開けると、波打つように伸びた桃色の髪。透き通るように儚く繊細でありながら、同時に圧倒されるような力強さを持った声の持ち主が、ホールの檀上にいた。

 

「ラクス」

 

 ステラがそう呼び止めたとき、歌声は、ぴたりと止まる。

 ラクス・クラインは、その声を聞き留めたように、ステラの姿を認める。ふたりの距離は、まだ遠かった。しかしラクスは、現れた来客人の姿を認め、鷹揚と微笑み云う。

 

 

「いらっしゃい、ステラさん。いいえ──おかえりなさい(・・・・・・・)、と……そう云うべきでしょうか」

 

 

 ラクスはまるでいつものように、おっとり柔らかに微笑む。

 しかし、ステラはその笑顔に、拭えない違和感を憶えた。ステラの知っているラクスの笑顔と、まるで違うように見えたからである。

 

 儚いまでに繊細な、か弱い乙女の笑顔ではない。圧倒されるほどに力強い、静謐なる歌姫の微笑みだ。

 

 憶えたのは畏怖の念か、それとも畏敬の念か──

 今のラクスは、彼女の中の何かが化けたような雰囲気を解き放っている。言葉を交わさずに向かい合っているだけでも、思わず圧倒されてしまいそうなほどに。

 だがステラの知るラクスは、どこまでも清楚で、慈愛に満ちた柔らかな少女であるはずだった。すくなくとも、みずからの「姉」のことをステラはそう認識していた。だが目の前にいる彼女は、そもそも〝少女〟ですらない──

 ──〝聖女〟だ。

 美しく残酷で、ときに無慈悲な裁きの女神。鄙びたパーティホールの壇上に君臨し、まるで感情のない歌を歌う──今のラクスの笑顔は、まるで以前と、別人の笑顔のように見え、ステラの口から、その言葉は自然と漏れていた。

 

「あなたは、だれ──?」

 

 問われた方は、決まってこう答える。

 

 

「──わたくしは、ラクス・クラインですわ」

 

 

 ふたりの大切な思い出の場所で。

 それはふたたび、彼女達が初めて出会う瞬間でもあった。

 

 


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