~夢見る少女の転生録~   作:樹霜師走

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『オーブの夜叉』

 

 宇宙のオーブ領〝アメノミハシラ〟──

 半年ほど前、それは第二次〝ヤキン・ドゥーエ〟攻防戦が終結し、戦争が終わったという事実を、シン・アスカが知ったときのことだった。

 

「──ミナさん、聞きましたか!?」

 

 どたどたと騒々しい足音と共に、ロンド・ミナ・サハクの私室にシンが飛び込んでくる。

 和の意匠が凝らされた雅な空間。荒々しく襖を開け、焦りか驚きか、様々な感情が宿った目でシンは室内を探り、その目は指導者であるミナの姿を探し求めた。

 

「戦争が終わった、って! ──『ザフトと地球連合が停戦協定に合意した』って、ファクトリーの連中みんなが云ってたんです!」

 

 ミナは少しだけ思案顔になった。その話をファクトリーで耳にしたということは、談話をしていたのはメカニックやパイロットの者達だろうか? このときシンは息を切らしており、そうであるなら工場区を抜けてからミナの私室ここにやって来るまで、本当に全力疾走をしたのだろう。

 ミナは肩で大きく息をしているシンの様子を見ながら、話の内容によっては狭い廊下は走るな、ノックもなく人の私室に入るな──と、公人としての礼節マナーをもう一度叩き込んでやろうかと思ったが、今回ばかりは内容が内容だったので、それは次の機会に免じてやることにした。

 ミナは特に感動した様子ではなかったが、早耳だな、とラボの者達の地獄耳っぷりには感嘆した風に漏らす。それを聞いたシンの顔色が確信に変わった。

 

「じゃあ、本当なんですね……!」

「ああ、そうだ。この戦争、ひとまずの決着はついたらしい」

「戦争が、終わった……」

 

 結論から云えば、宇宙のオーブ領に相当する〝アメノミハシラ〟が、大戦中、これに関与したことはなかったと述懐していい。戦中〝アメノミハシラ〟のファクトリーを接収せんと襲撃してきた、アッシュ・グレイ率いるザフトのMS部隊と交戦した一件を除いては。

 結局のところ、あくまで中立独自の立場を貫き、宇宙のオーブ領という『天空』から戦争を傍観していた立場にあれば、件の戦争が終わったことによる実感や恩恵などは特別にあるわけではない。だが、それでもシンは現実として「戦争が終わった」──「世界に平和が訪れた」という事実に深い安堵を憶えたらしい。ある意味それは彼にとって正当な反応であり、ミナとしても意外なものではなかった。

 

「どちらが勝ったわけでもない。結果は地球連合とザフト、双方の痛み分けだ」

 

 件の戦争の当事者ではないからこそ、ミナはあくまで客観的な観点から、一連の結末を次のように表現する。

 

「いや、アスハの後継者達のひとり勝ち──と云うべきかな」

 

 アスハ──

 その単語を耳にして、シンの顔色が変わった。

 

「アスハの後継者達は、あの苛酷な戦乱の中で目的を果たした。戦争をやめさせるという、彼ら独自の目標をな」

 

 ──そういう意味では、勝者はアスハだけであったのやもしれぬ。

 

「考えようによっては、最も損失と禍根の少ない結末に落ち着いたのも事実だろうな」

 

 少なくとも地球軍とザフト、どちらかがどちらかを滅ぼすまで、戦争が続くことはなかったのだから。

 

「──それじゃあ、アスハは英雄ってことですか?」

 

 シンに問われ、ミナは淡々と「世界にとってはそうだろう」と返す。

 

「それで、アスハはまた国家元首として、オーブの主権を握るんですか」

「おそらくはな」

 

 現行のオーブに根付いた氏族制度は、その体制を是とするものだ。

 けれど、次いで放たれたミナの言葉は、シンの期待に応えるものでもあった。

 

「だが、それでは困るのだよ」

 

 平然と、ミナは云ってのける。

 目の上のたん瘤、というほどではないにせよ、かのウズミ・ナラ・アスハというオーブ最大の傑物が居なくなった穴を、同じくアスハの人間に建て直されては〝困る〟というのが、ミナの感覚だ。

 ────たとえば大西洋連邦は、この大戦の中で強すぎる実権を握った。

 開戦時まではそれと同等の力を持っていたユーラシア連邦は弱体化し、今後の地球連合は、おおよそ大西洋連邦の一強、殆ど一極支配と云っていい体制になるだろう。

 

(大西洋連邦に対抗できる力を持った主権国家は今の地上に存在せず、それはオーブ解放戦以来、属国として扱われている地上のオーブとて、決して例外ではない)

 

 現実として一度は属国として占領された以上、遠からぬ未来、またしてもオーブは大西洋連邦に従属を強いられる事態に陥るかも知れない。ウズミが生きているのならまだしも、それを跳ねのけるだけの政治的手腕が、今のカガリにはない。

 ある意味それは仕方のない話であるのだが、それでもオーブの保守派は彼女が〝ウズミの子だから〟という何の説得力もない血族主義を優先し、彼女を国家元首に持ち上げるだろう。なぜなら、それこそがオーブが旧くより国家総出で護り抜いて来た伝統であり、慣例だから。

 

(そうしてアスハの人間が、ふたたび国家元首の座を占有することになれば、オーブの命運は定められたものとなるだろう……)

 

 一部の特権氏族による時代錯誤も甚だしい独裁国家が擁立されれば、オーブは大西洋連邦のような強大国に滅ぼされるよりも前に、遅かれ早かれ自滅の道を辿ることになる。

 たとえば目の前にいる、シン・アスカのような少年──

 本来であれば(・・・・・・)オーブの未来を担う(・・・・・・・・・)はずだった若者達(・・・・・・・・)の手によって、内側から割られる形で。

 

 ──それでは、困るのだ……。

 

 内憂外患とまでは云わないにせよ、オーブが悪しき伝統と体制に習い、アスハの名を妄信する道を突き進む限り、この先の政争を勝ち抜いていくことは不可能だ。

 オーブという『国』の本質は、領土にも理念にも、アスハという特権氏族にもない。全ては国民のために存在するものであり、戦災を嫌って移り住んで来たオーブの民に平和と安寧を約束するためには、もう二度と、オーブを戦火の中に飛び込ませてはならないのだ。

 

「そのために、すでに手は打ってある」

「セイラン家、ですか」

 

 宇宙で戦争が続いている間も、セイランの人間は筆頭に立ってオーブ本土の復興を推し進めていた。ミナとギナは幾度となくそれを支援し、実際にセイランとも何度にも渡って会談を行っていたのをシンは知っていた。

 たしか、ウナト・エマ・セイランと、ユウナ・ロマ・セイランとか云ったろうか──? 第一印象としてはあまり好感触ではなかったが、ミナはそのとき珍しく柳眉を逆立て、端整な唇を歪めては狂気を孕んだ不愉快げな表情になった。

 

「あのタヌキ共め、我々が〝力〟を譲ってやったというに、内々に大西洋連邦との癒着を持とうとしておった。だから、一から躾け直して(・・・・・)やったのだ」

 

 サハクにとって、すでにセイランは首輪を付けさせた飼い犬のようなものであり、オーブ国内での地位と権力という餌を与えてやれば、すんなりと云うことを聞くのだからある意味で扱いやすいものだという。さすがに首輪を切って大西洋連邦の許に逃げようとした際は喉元に刃を突き付けて躾け直したようであるが、それだけに効果は絶大であったらしい。今では完璧に調教された忠犬、彼らは決してサハクに逆らえない。逆らうくらいなら従っていた方が楽で豊かな人生を送れるのだと、概ねはそのような状況を理解させられたから。

 

「…………」

 

 具体的な話は聞かなかったし、聞かない方が自分のためだともシンは思ったのだが、滅多に見ることのないミナの〝黒い〟一面を目の当たりにして、シンは戦慄を憶えたという。

 黒いというより、闇のオーラそのものと云った感じで、自分などの手に負えるものでないことは一目で分かったから、触れることを意図的に避けたとも云える。元来、空虚な理想論や薄っぺらい綺麗事は嫌いだと豪語するシンでさえ、踏み込むことを躊躇する深みがそこにはあった。

 

「セイランの利用価値は、サハクがアスハよりも〝下〟の位置に居続けたとき、はじめて効果を発揮する保険として存在している。こればかり保守派の動向次第だが、いずれはユウナ・ロマ・セイランないし、別の人間が高い位置に上り詰めたとき、手に入れた権力を持ってサハクの立場を優位なものにする手筈で用意してあるのだ。五大氏族の地位を捨てたのも、未来を思えば氏族姓など必要ないと判じたからに過ぎない」

 

 別の人間──既に彼女がセイラン以外にも多くの閣僚を抱き込んでいることを知り、シンは唖然とした表情を返すばかりだった。

 このときミナの中では、既に今後の算段が建てられていたに違いない。戦後における身の振り方、彼女のオーブが執るべき指針。彼女の中では、既に誰を切り捨て、何を残し、どのようにこれからの政争を勝ち抜いていくかの戦略が綿密に練られ始めていたのだ。

 ミナは、決して負ける戦いはしない。必ず勝てると判った上で、初めて勝負を挑む。自身が勝つための条件を整え、舞台を整え、それが出来ないうちは絶対に自身が表に立つことをしない。それがオーブの『影の軍神』──ロンド・ミナ・サハクという女性だった。

 

「今後はすこし忙しくなる。我もすこし〝アメノミハシラここ〟を空けることになろう」

 

 あるいは彼女は、ずっと戦争が終わる「この瞬間」を待っていたのかも知れない──

 不思議とそのとき、シンはそう感じたという。歩き出した彼女は、すれ違いざまに「留守を頼むぞ」と云って、ぽんとしてシンの肩に優しく手を置いた。

 

「え、どこへ?」

 

 ミナは、その質問には答えてくれなかった。

 ミナは大いなる襖に手をかけ、もう一度だけシンの方を振り向き、告げた。

 

「良いかシン。これだけは憶えておくのだ」

「えっ……?」

「この戦争は決して終わったのではない。ゆめゆめ、浮かれることなかれ」

 

 祈るようにして吐き出されたその言葉の意味が、このときのシンには、よく理解できなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 その意味が分かったのは、それから半年ほどが経過してからだった。

 ロンド・ミナとロンド・ギナ──〝アメノミハシラ〟を守護する二人がこれを留守にしている間に、その一報は唐突に告げられた。宇宙軍に所属する、オーブの若手パイロットは真っ青な顔をしていった。

 

「──ユーラシア連邦のモビルスーツ部隊が、この〝アメノミハシラ〟に進軍してきたぞ!」

 

 ユーラシア連邦による〝アメノミハシラ〟への電撃強襲作戦──

 頭数にして三〇、主に〝ストライクダガー〟と〝105ダガー〟で混成された大規模部隊が、すでに四方から取り囲むように〝アメノミハシラ〟に迫っているというのだ。

 

「ギナ様も、ミナ様もいないのに……!?」

 

 当然、無抵抗での陥落を許す〝アメノミハシラ〟ではなかったが、オーブ解放戦以来、ファクトリーで働く叩き上げの志願兵達にとっては、初めて経験する実戦となるだろう。

 そもそも戦争は終わったはずだし、なぜ平和な時代に襲撃を仕掛けられなければならないのか? 彼らは予期、想定すらしていなかったこの事態に、すっかりとパニックを起こしてしまっていた。

 ただ、ひとりを除いては。

 

「落ち着け! オレたちは、オレたちにできることを果たせばいい! この〝アメノミハシラ〟を護るんだ!」

 

 彼らの中では最年少の部類にあるはずのシン、その者が発揮したリーダーシップが、動揺しする周囲の者達を奮起させる。

 

「演習どおりにやればいい、打って出る!」

 

 云いながら、シンはすでにパイロット・ロッカーへ駆け出している。

 オーブ正式採用のパイロットスーツに身を改め、その色は彼の目と同じ、血を薄めたような赤色をしていた。オーブではナチュラル用を意味する赤それよりも濃く、強い色だ。四面四角なヘルメットの気密を行いながら、彼は次の瞬間には、ミナから託されたモビルスーツへと飛び乗っていた。

 

「くそッ、こういうことかよ……!」

 

 ゲートが開放されるのを待つ間、シンの脳裏にミナが残した言葉が蘇る。

 

『地球連合に帰属するユーラシア連邦は、戦時中、ザフトのレーザー攻撃によって月面のファクトリーを失った。傷を癒すのに手段を選んではいられない……損なった軍事力は、早急に補いたいはずだ』

 

 現在、地球連合内で一強となっている大西洋連邦と肩を並べるためには、権威の獲得が急務である。それはすなわち、かつての国力と栄光を取り戻したいと欲望するユーラシア連邦の思惑でもある。

 

『──だからこそ、ヤツらはこの〝アメノミハシラ〟に手を伸ばす』

『どういうことですか? だって、もう戦争は終わったんでしょう!?』

『だからだよ』

 

 にべもない返答に、シンは絶句した。

 

『地球と〝プラント〟は今、また新たな戦争に入るための準備に取り掛かっている。かの戦争で疲弊したユーラシア連邦としては、オーブの軍事力は喉から手が出るほど欲しいのさ』

『じゃあ、何のための停戦協定だったんですか……!?』

『利害の一致、と云っておこうか。〝ヤキン・ドゥーエ〟であれ以上の消耗戦を続けても、最悪両軍が共倒れする危険性があった。だから今はお互いに仲の良い体ていを演じつつ、深手を直すことに専念しているのだ』

 

 戦争は〝終わった〟のではない──

 そうしたミナの発言は正鵠を射ており、戦争がただ〝中断させられた〟に過ぎないことを悟り、シンは深い落胆と失望に駆られた。

 

『たしかにアスハの後継者達は、英雄的な働きをもって件の大戦を終わらせた。だがな、あれは何かを解決させたわけでは決してない』

 

 ミナは魔女のように語り、ただ事実のみを連ねるようにして云った。

 

『──戦争の根を学べ、シン』

 

 戦争の根──?

 シンには分からなかった。戦争には明確な悪者が存在していて、そいつらを駆除してしまえばいいと思っていた。フィクションのように悪逆非道の限りを尽くす連中がいて、いつか自分の得た〝力〟をもって諸悪の根源を駆逐してやればいい、そうすれば戦争が終わって、世界は平和になる。そう考えていたのに、現実は違うのか……?

 

『今のそなたになら、それができるはずだ』

 

 ミナの先見の明は、すでにシンの中で絶対的なものとなりつつあった。現にユーラシア連邦は彼女の予見どおり〝アメノミハシラ〟に侵攻を掛けて来た。行為そのものは非道と云って差し支えないだろうが、見方を変えれば、ユーラシア連邦もまた戦争が残した何かによって苦しみ、その苦しみから逃れるために行動せざるを得なかった者達なのだ。

 だからこそ、同情の余地がないわけではない。だが、だからと云って、シンは自分の信じる道を譲ってやるわけにも行かない──

 

「思い知らせてやるさ……!」

 

 云ってしまえば、彼らは喧嘩を売る相手を間違えた。ロンド・サハクが統治する〝影のオーブ〟──そこにちょっかいを出したことを、絶対に後悔させてやる!

 シンは決意を胸にしながら、解放されたゲートに向けて目を上げた。

 ミナもギナも不在の今、彼らに代わって、自分が必ず〝ここ〟を守る。彼にとっての第二の故郷、祖国を──自由のために戦う『天空』のオーブを!

 

「シン・アスカ──〝アカツキ〟行きます!」

 

 混迷の闇を祓う、オーブの曙光──

 飛び出したモビルスーツは、じきに〝アメノミハシラ〟に迫る三〇機ものモビルスーツ部隊と相対する。シンに率いられるように、ファクトリー内で開発されていたM1A〝アストレイ〟も演習どおりの防衛網を張り、睨み合った両陣営のモビルスーツ隊に、強かな緊張が走った。

 

「なんでこんなことを……!」

 

 ロンド・サハクを師と仰ぎ──

 ──彼等の許で学んだことで、オレは〝力〟を手に入れた。

 相対した地球軍のMS部隊、その中に坐す敵パイロット達に向け、少年は声高に激情を叫ぶ。

 

「──また戦争がしたいのか!? あんた達は!」

 

 次の瞬間──

 シンの中で、何かが弾けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「なかなかどうして、思い切った決断をしたな」

 

 大西洋連邦領内、カリフォルニア湾の人目のつかない海岸に、ロンド・ギナはいた。

 特注の黒いリムジンの後部座席にて待ち人をしていたのだが、同じく隣にはロンド・ミナの姿もある。ギナはそんなミナに向かって、挑むように口を開いた。

 

ORB(オーブ)-01(ゼロワン)〝アカツキ〟──〝アレ〟はウズミの忘れ形見とはいえ、我らにとっては非常に有用なモビルスーツだ。それを、みすみすあの小僧に貸し与えるとは」

 

 オーブにとって、黄金色は特別な意味を持ったカラーリングだ。それを全身に張り巡らせた〝アカツキ〟が、オーブにとって特別なフラッグシップ機であることは疑いようがないが、やはり金ぴかというだけあって、いささかアレは目立ち過ぎる外見をしている。

 その目立ち方は、歴史の『影』に潜むことを本懐とするサハク家において、微妙に方針に反するものである。そのことから、現在はチョバムアーマーの役割も果たす黒い〝鎧〟で偽装されていた。

 その鎧は、さながら東洋における甲冑といった感じで、それを纏った〝アカツキ〟の外観は〝武者もののふ〟然として攻撃的、ずんぐりとした重厚な達磨型に仕上がっていたのだ。

 このとき、既に〝アメノミハシラ〟がユーラシア連邦によって襲撃を受けたという報せは、ギナの手許の端末にも入って来ていた。その結果であるが──

 

「……フンッ」

 

 シンをはじめとする、叩き上げのオーブ宇宙軍の活躍によって、ユーラシア連邦は大敗を喫した。敵は〝アメノミハシラ〟に迫ることもできず、大人しく撤退したという。

 そうしてギナは、手許の端末に目を落とす。そこでは録画された戦闘の様子、その一部始終が映像として記録されていた。

 

 ──やるではないか。

 

 オーブ宇宙軍が──と陳述したが、実際のところ、シン・アスカの独壇場だ。

 甲冑を纏ったことで〝アカツキ〟は段違いに機動力が低下しているにも関わらず、稲妻の如き電光石火の機動で敵モビルスーツ部隊を圧倒している。多勢に無勢をもろともせず、ギナとしては敵機の武装やメインカメラ──戦闘力や機動力のみを奪っているその戦い方が僅かに気に入らなかったが、これはミナの教えであろうか。

 なんであれ、陳腐な言葉で云う『スーパーエース級』な働きを見せている〝アカツキ〟の姿が、ありありとその映像には記録されていた。フンッ、と鼻を鳴らしたギナは、てっきりミナも同じ映像を見ているのだと思って、彼女の端末を覗き込んだ。双子の姉は、テレビを見ていた。

 

「む。なんだ、何を見ている?」

「……ん?」

 

 問いかけの声でようやく気がついたように、ミナはハッとしてギナの方を向いた。

 

「ああ、すまぬ。何か云ってたのか? 気が付かなかった」

 

 よほど熱心に、考え事でもしていたのだろうか?

 ギナは呆れたような口調で云った。

 

「いよいよ双子としての自信がなくなってきたぞ、ミナよ。我にはそなたが何を考えているのか、最近分からん」

 

 ロンド・サハク姉弟は、ただの双子というわけではない。極めて政治的な能力に特化して生み出された、コーディネイターの双子なのだ。男女の姉弟であるにも関わらず容姿が瓜二つであるのも、政治的な都合によって片方が「損失」した場合でも〝代替が利く〟ことを目的に遺伝子調整されており、この意味で、彼らは情報の共有──意志の疎通──は常日頃から怠らない。

 だからこそ彼らは今まで、隠し事も、秘め事もなく潤滑にやって来られたわけであるが──

 最近のギナは、ことシン・アスカの扱いに関してだけは、ミナの方針がよく分からなかった。

 

 ──シン・アスカ。

 

 少年というには、性格はきかん気で生意気。

 小僧と呼んでやるのが、ギナとしてはお似合いの糞餓鬼だ。用心の意味でギナの方でも彼の経歴を洗いざらい調べたが、生まれも育ちも特別なものは何もない、ただの在野の少年だった。

 

 ──果たしてミナは、どこであんな野良犬を拾ってきたのか?

 

 けれども、ミナは彼に特別な〝アカツキ〟まで貸し与え、自分達が留守にしている〝アメノミハシラ〟の警護までも任せている。それを少年に対する全幅の信頼と云わず、他に何と云えるのだろうか。

 そして、今頃は冷や冷やとした母親のような心持ちで少年の晴れ舞台の映像を確認しているかと思えば、全く違う民放のテレビ番組に見入っていた。これでは、ギナがそのように漏らしても仕方がなかったのだ。

 

「シンのことは、心配しておらんよ。あの者のことだ、巧くやるさ」

 

 信頼感が、ミナにそう云わせたらしい。本当に一片の憂慮もない顔をして、あっけらかんとして云う彼女に、ギナは鼻白みながら返した。

 

「ま、実際その通りではあるな。あの狂犬め、最近より一層と〝力〟をつけた印象がある。……小癪な話、今の私でもあそこまで暴れられるかは分からん」

「若いのさ」

「あやつが私に模擬戦(デュエット)を申し付けて来る度、辟易としていたのだ。結果はいずれも私の勝利だが、刃を交える度、一挙手一投足、私から全ての御業(みわざ)を盗んでいくようで……着々と喉元に迫りつつある刃に、気味の悪ささえ憶え始めていた……」

「想像以上の成長速度だったよ。もとがまっさらな分、吸収も早かった。──精神的にもな」

「戦いの中で浮かべる、あの者の飢えた眼光、怒れる瞳、鋭い観察眼──」

「──嫌いではなかろう?」

「ああ、嫌いではない──」

 

 双子ならではの息のあった会話。

 粗忽な口調に反し、うっとりとした表情でギナが話しているのを見て、ミナは声を挙げて笑ったという。対するギナは拳を握りしめながら、突き上げるようにして郷土愛を謳い上げた。

 

「オーブに生まれし男児は、明確に野心を持たなければならん! ──その意味で云えば、あの小僧の目は美しい」

 

 野心というほどではないにせよ、反骨心の塊のような少年ではあることは確かだ。

 ──何者にも屈服せず、従属しない〝自由〟を求める強い気質が、あの少年の中にはある。 

 男たるもの、そうでなくては詰まらない。それはギナも認める、彼なりの美点ではあるらしい。

 

「だが、実戦で使うにはいささか時期尚早ではないかと疑っていたのだ」

「いつまでも鞘の中に仕舞っていては、砥げる刃も砥げられぬ、ということさ」

「ユーラシア連邦が動員したモビルスーツの数は三〇。おおよそ戦後では最大規模の軍事作戦と云えるだろう」

「そうだな」

「それをほとんど、単騎で覆す馬鹿になるとは思わなんだ……」

「それも、そうだな」

 

 返答に、ギナは高らかに笑った。ミナも一拍遅れて、堪え切れずに笑った。

 こみ上げてくるものを堪える必要は、どこにもなかった。

 

「オーブに生まれた〝夜叉〟だよ、あれは」

 

 異教に伝わる鬼神に喩えて賛美したミナに対し、もう既に上機嫌になっているらしく、ギナはおどけた口調で返した。

 

「……それで? その〝夜叉〟を育て上げた張本人(おぬし)は、神話の一篇も見守らずに何を見ておったのだ」

 

 これさ、とミナは自身の端末を手渡し、ギナはそこに目を落とした。

 映し出されていたのは相も変わらず民放番組の録画映像であるようだが、実際の内容はD.S.S.Dによって配信された技術開発センターでの対談の模様だ。対面する形で設けられた二つの座椅子に、大柄な男性と、もうひとり──どこか静謐な雰囲気を纏った少年の姿が映っている。

 映像を見たギナは確信し、次のように喩えた。

 

「──〝怪物(もののけ)〟か」

「噂の天才、スーパーコーディネイター」

 

 既に仔細まで聞き知っているような口振りで、ミナは続けた。

 先ほどと打って変わって、剣呑な顔をして。

 

「この映像の収録時にはヤマトの姓を名乗っていたようだが……どうやら、動き始めたらしい」

「なんだと? では、ヒビキの名を?」

「限界を越えた人類の夢。狂気の獣は鎖を断って檻から飛び出す──か」

 

 事態の深刻さに気付いたか、ギナは鋭さを持った視線を投げかけて来る。

 ミナは僅かに苦笑しながら、どこか願うような口調で明かした。

 

「ギナよ、私は試してみたいんだ。獣の牙に、我の刃がどこまで届くのか──」

 

 その言葉の意味を即座に察知して、ギナは驚愕した面持ちで云った。

 

「──まさか、シン・アスカがヤツへの対抗馬(カウンター)となり得ると?」

「科学的な論拠に基づいて云えば、まず不可能だな。覚醒したスーパーコーディネイターと正面からやり合えば、百回やっても百回我らが負けるだろう」

 

 自分達が鍛え上げた〝刃〟に対する、先程までの熱賛はどこへ行ったのか?

 予感ではなく、確信──このときミナがあっさりと吐き出した言葉は、高言ではなく断言だった。ある意味それは最も現実的な見方であり、たとえどんなに優れた人間であっても、それよりも優れるように作られた生命体に打ち勝つことなど不可能なのだ。

 

「だから信じてみたいんだよ。我々の打ち勝てる、百一回目(・・・・)好機(チャンス)をな」

 

 それは遺伝子という定められた〝運命〟に、可能性という名の〝自由〟が打ち勝つ瞬間を意味していた。

 

「人の思いは時として枷になり、力にもなる。人間は遺伝子の枠組みにも囚われず、進化していけるものだと信じているよ」

「このエドモンドという男の話、初耳だな……。火星圏、遺伝子による人間の支配、か」

「遺伝子こそが〝王〟となって君臨する世界。だが、支配による世界統治など烏滸がましい、人類の未来などは、王政の上意下達で決められるものではないはずだ」

 

 人間は遺伝子に役割を与えられ、これに永遠と従わされる王の奴隷ではない。

 人間をはじめとして、すべての生命には等しく成長し、努力する力がある。その力を信じることなく、夢を見ることもなく、ただ機能的な世界再編のために唯々諾々と従うよう強制するのは、この世界に生きている生命に対する冒涜に他ならないのだ。

 

「おそらく……いや、いずれは〝自由〟のために剣を取らねばならないときが来る。そのときは」

「あの小僧なら、あるいは、か──?」

 

 何となくではあるが、ミナはそのように漠然と語り尽くし、ギナは一拍置いて真剣に考え始めたという。現実的に考えれば、ミナの見立ては間違っていない。この対談の中で、問題の天才は明らかに『遺伝子による世界統治』に強い関心を示しており、そのために生来の名前まで捨てたというではないか。

 いつになるかは分からないが、それはおおよそ遠からぬ未来、彼自身が火星を訪問し見聞した知略を以て、地球圏に同様の支配体制を築かんとする瞬間が訪れる。世界全体を巻き込む程度のことなら、実際の彼の能力なら造作もないことだろうし……。

 

 ──これまでの世界は崩壊し、時代は新たな統治社会へと傾いていくのか……?

 

 そこまで考えて、ギナは考えるのをやめた。保留にしたというよりは、思考を中断せざるを得なかったのだ。

 彼らが待機していた車両のすぐ傍らに、そのとき湾岸を沿ってやって来た。もう一台の車両が、停車したためである。

 

「──来たか」

 

 待ちわびることたっぷり二十分。

 どうやら、与太話ができるほど二人を待たせていた取引相手が到着したらしい。

 

「…………」

 

 元より、彼らは様々な商談のために地上に降りて来ていて、この人気のない寂れた地点での待ち合わせも、その数ある商談の内のひとつだった。

 もっとも、今回については正規の手順に則ったものではなく、いわゆる非公式の裏取引と云ったところだ。取引相手の方も、現在は地球連合に軍籍を置く人間だと聞いており、自分達も相手方も、この繋がりが明るみに出れば祖国の法に触れることになるだろう。

 ミナは──彼女にしては非常にうっかりなのだが──そのときになって慌てて書類を取り出し、取引相手の名を確認した。商談を前に準備不足も甚だしいが、それだけD.S.S.Dの録画映像が衝撃的だったのだろう。

 しかし、さして支障はない。どだい交渉や商談などは主にギナが担当し、彼は戦中、かのムルタ・アズラエルやデュエイン・ハルバートンとも非公式に裏取引をしていたほどなのだ。ミナは慌てて書類に目を通し、その内容に僅かに眉を顰めた。

 

「今回の商談相手は──見慣れぬ名だな」

「で、あろうな」

「……信用できるのか?」

 

 ミナは問いかけ、対するギナは人の悪い笑みを浮かべた。だが特別なことではない、裏取引の望む際の弟は、いつだって人を遠ざける笑みを浮かべるものだ。

 

「見慣れぬだけさ、我らにとっては、古くからの付き合いのある男だよ」

「…………?」

「まあ、何かとな」

 

 含みのある口調でギナが嗤いかけ、ミナは、やはり記憶に憶えのないその者の名を読み上げた。

 

ネオ(・・)ロアノーク(・・・・・)……?」

 

 ──こんな男、以前まで存在していただろうか……?

 

 

 





 シン君にはちゃんと信じて褒めてくれる母親役と、云いにくいことズバッと云ってくれる(けど当人的には気に食わない)父親役の両方が必要なんだなって改めて思い知らされました。

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