~夢見る少女の転生録~   作:樹霜師走

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『手を出した以上は何事も完結させることが大事』

 いつかどこかで耳にしたその言葉に大層な感銘を受けながらも3年近く更新を途絶えたままにしていたアカウントです、本当に申し訳ない(汗

 もともとこの小説は『星に願いを』のタイトルで完結させる予定であり、実のところはもう最終話なのですよね!
 最終話なのにエタらせていた作者も大層ひでえ野郎ではありますが(苦笑)前書きで言い訳を垂れ流すのもどうかと思うので、本当にお待たせしましたが完結に向けての本編です、どうぞ。



『星に願いを』B

 

「地球軍、ならびにザフト軍は、直ちに軍を退きなさい!」

 

 ラクス・クラインの呼び声が、すべての戦場に響き渡る。

 国際救難チャンネルを使うことで、彼女の声は〝ヤキン・ドゥーエ〟宙域の全体に紡がれていた。その声明は、「間もなく〝ヤキン・ドゥーエ〟が自爆する」という情報を、あらゆる者らに届けている。

 

「もう、これ以上の犠牲は要りません! 無暗(むやみ)と戦うのをやめ、今は退がるのです!」

 

 ──予想もつかない未曽有の被害から、人々を救うために。

 

(これ以上の、犠牲はいらない……)

 

 ラクスの言葉を口内に反芻しながら、隣にいたマユは何となく窓外を目を向けた。

 しかし、その先には何があるわけでもなかった。瓦礫があり、爆発があり、MSがあり──それこそ地上で巻き起こっていた戦乱と、何ら変わりのない景色が拡がっていただけだ。

 彼女が見る宇宙は、いつだって朽ちたMSや戦艦の破片と、戦争のための人工物で溢れていた。見飽きた鉄塊、見慣れた残骸──しかし、いま彼女の目に映るものは、単にスペースデブリと吐き捨てていいものではない。それらは元は人が乗っていた方舟であり、まだ人肌ほどの暖かさを残しているものだから。

 ──あれは、死んで逝った者達の棺桶だ。

 そのように想像すれば、マユの宇宙は、名前も知らない戦死者達の棺桶で溢れていた。

 

死に過ぎだ(・・・・・)……)

 

 マユ・アスカが、今〝エターナル〟に乗艦し、三隻同盟と行動を共にしているのは、云ってしまえば成り行きのようなものである。オーブが攻め入られた際、たまたまウズミが〝クサナギ〟を宇宙へ送ることを望み、たまたまその場にステラが居合わせ、たまたま彼女は宇宙へ上がる許可を得た。

 勿論、当時の彼女は意識を失った状態にあったわけだが、客観的に見れば、彼女がこうしてラクスの隣に坐しているのは、彼女自身が環境や情勢に大人しく付き従ってやっているからだ。彼女は自由意思でそこにいるのではなく、結局のところ、時代の大きな波濤(うねり)のようなものに流されているに過ぎない。

 

 ──でも、今は違う。

 ──わたしは、後悔していない。

 

 今、ようやくマユは確信し、きゅっと唇を結んだ顔を上げた。

 ステラやラクス──自分にとって姉にも等しい少女達。自分を守り、そして救ってくれた大勢の仲間達──「三隻同盟」と呼ばれるこの同盟軍に参画する者達全員が、今は何のために戦っているのか、わかった気がするから。

 武断思想を肯定し、武器を手に戦いに興じる思想を肯定しているのではない。戦うべきときには戦い、決して目を逸らしてはならない現実がある。それはステラやラクスが、戦ってでも守りたかったもの。

 

 ──私にも、やっと分かったよ。

 

 マユ・アスカが、現在は〝エターナル〟に乗艦し、三隻同盟と行動を共にしているのは、たった今から彼女の意志によるものだ。

 ──この世界を支配するのは、コーディネイターかナチュラルか。

 そのような色分けになど意味はなく、隔意によって人々を分かつことで、目の前の宇宙ができてしまうくらいなら──

 

「戦ってでも、守らなきゃいけないものがある」

 

 自分の戦争を理解した気になった今になって、だからこそマユは、この場にはいない少女達に向かって言葉を発する。

 ──あなた達は、大切なことを教えてくれた。

 信じたくもなければ、受け入れることも、とうていできない現実がある。

 あまりにも、多くの命が失われた。

 命の重さは、誰であっても平等だ。だからせめて、だったらせめて──まだ言葉を伝え、交わすことのできる彼女は。彼女にだけは、

 

「ありがとうと、おかえりなさいを伝えたいから」

 

 大粒の涙を溜めた眸で、少女は指を重ねる。

 

「だから、必ず帰って来て。ステラおねえちゃん」

 

 

 

 

 

 

 戦いが、終息する。ザフトと地球連合の両軍が、外の呼びかけによって戦闘宙域から退き始めている頃、当の〝ジェネシス〟内部では、ステラが〝レムレース〟への通信を試みているところであった。

 少女たちの戦争もまた、今に終わりを迎えようとしていた。

 金髪と紅髪の少女達の戦いは、〝クレイドル〟がスペック上のイレギュラーを引き起こした結果を以って、ステラ側の勝利に終わった。一方の〝レムレース〟の中で、フレイは気力を失い、また、戦う力すらも失っていた。

 旧〝デストロイ〟の鎧をまとった〝レムレース〟のハル・ユニットは跡形もなく爆散し、その胸郭から押し出される形になった〝レムレース〟は半壊の状態にある。下肢を失った暗黒の機体は、漏電や損傷の具合も凄まじいが、エンジンなどは生きているようだ。動こうと思えば動けるはずだが、いま〝レムレース〟がそれをしないのは、パイロットに、それだけの気力がないからだろう。ひょっとすると、フレイはとうに気を失っているのではないか? そう考えたステラが〝レムレース〟へと機体を寄せようとした瞬間、通信機に、ようやくフレイが応答する。

 

「きっと、みんなにとっての憧れだったのよね──コーディネイターって」

 

 淡々と紡がれる呟きは、ステラに語り掛けているわけでも、問いかけるためのものでもない。

 ステラは何を云うわけでもなく、ほとんど独白のように続けられるフレイの言葉を耳にする。

 

「人が、もっと賢く、美しくなろうと(あやま)たず造り出した新人類──わたしはきっと、そんなあなた達に初めて会ったときから、嫉妬してたんだろうな」

 

 嫉妬──?

 聞き慣れない言葉を耳にして、ステラがさすがに面食らった。思わず「えっ……?」と声が漏れたが、フレイは嘆息つきながらも滔々と続けている。

 

「だってさ、そうもなるでしょう……? あなたって女の子は、あんまりに可憐じゃない。この世のものとは、思えないくらいに──」

 

 まるで妖精みたいだと、フレイは云った。

 自分という存在を気取らず、幼子のように飾らない姿は姫君のような可憐さを際立たせる。成熟する前の幼さを残した顔立ち、柔和な物腰、あどけない仕草、蜂蜜に金粉を振り撒いたかのように輝く金の髪。

 ──それほどの魅力に対して、自覚がないのは、おそらく本人だけだ。

 誰もが美少女と形容して違わない容貌、才気に溢れる明晰な頭脳と、羨ましいほどの身体能力。

 贅沢なほど全てを持ち合わせ、ただそこに在るだけで他人の目を引く存在は、フレイにとって越えられない、あるいは越えてみたい壁になっていった。

 

「あなたみたいな女の子は、おとぎ話の中くらいで丁度よかったのよ」

 

 くだらない行為と知りながら、それでもフレイは、自分とステラを比べてしまった。礼節や自制心を知らず、自己中心的でわがままな女を悪女と諷すなら、ステラはそれとは対極の位置にある。フレイが思うに、その姿はまさしく彼──オルガ・サブナックが嗜好していたジュブナイル小説に描かれているような、瑞気あるヒロイン像だ。

 ──純粋で、健気で、しかし、誰よりもたくましい。

 それでいて危うさも同時に孕んでいるから、不思議と守ってあげたくなってしまう存在──キラのような。

 男好きする設定と、多くの女が羨む美貌。ステラやキラの内面に共通しているのは、互いに栄華を、容姿を、才能を──人生をより豊かにするあらゆる材料を生まれたときから手にしておきながら、そのことにまったくの自覚がないという点である。そして、その無自覚さが当人の意志や性格とは裏腹に『敵』を作り続ける。

 

「コーディネイターは、人より幾つも優れているから、それだけで他人を辱める」

 

 それはある種の体質のようなもので、あるいは、コーディネイター達の本質であるのではないか。

 

「そうか、だからなのね……? だからわたしは、最後までコーディネイターが好きになれなかった」

 

 結局のところ、戦争を通してフレイの中に現れた変化など、その程度なのである。

 偏見や先入観、そして無知ゆえの無理解からコーディネイターを嫌っていた彼女は、以前からそうした悪感情を間違ったものだとは考えなかったし、周囲の人間に隠そうともして来なかった。そして、戦争を通して世界を理解する内に、きっと彼女は本当に彼らのことが嫌いになっていった。

 つまりは何が云いたいのか、フレイは世の中のことを学んだ上で、それでもコーディネイターが嫌いなまま(・・・・・)なのだ。

 ナチュラルとコーディネイターの共生と融和、相互理解による安寧を願うステラにとって、告げられた事実は重すぎる現実であり、おおよそ24時間かけて、愛は地球を救わないのだと教えられたようなものでもあった。

 

(目を瞑り耳を塞ぎ、あなた達なんて知らないままでいられたら、きっとわたしは幸せでいられた)

 

 フレイ・アルスターは、初めからこうも極端だったわけではない。過去のことは知らないし、この先がどうなるかも判らないが、少なくとも〝ヘリオポリス〟で暮らしていた頃の彼女は、自他ともに認めた高嶺の花だった。

 ──もし戦争など無縁の、穏やかな世界にいられたら……?

 彼女はきっと、今でも大輪の花でいられただろう。同級の取り巻き達には持ち上げられ、カレッジのマドンナとでも囃されていられたはずだ。ナチュラルなのに可愛い自分は、他とは違ってある種の高い所に生まれた人間であるのだと、得意になってもいられたはずだ。

 

「井の中の蛙は、海を知ってしまったばっかりに、自分の小ささを思い知るのよ。──知らない方が(・・・・・・)幸せだったかも知れないのにね(・・・・・・・・・・・・・・)

 

 数多のコーディネイター達が生まれ持つ、圧倒的な才能と美貌。そこから生まれる向き・不向きの格差に、ナチュラルはいつだって直面させられる。ナチュラルである彼女がどれほどの努力をし、才能や美貌とやらを磨き上げたところで──「あの子の方が凄いよね」──コーディネイターは、一足飛びでそれより高みへ跳んでゆくのだ。

 世の中というものは、持つ者よりも持たざる者の方が物事の有難みによく気付く。そういう意味では、フレイのこれまでの癇癪でさえ、後世においては〝ないものねだり〟の一言で片付けられてしまう簡単な心理だ。それが、深刻な悩みを抱える個人が、必死になって問題に──〝運命〟に挑んだ結末であるにも関わらず。

 

「勿論、わたしが今までどんな苦労をして来たかなんて、あなたの知ったことじゃない」

 

 その言葉は逆説的に、ステラが今ここに至るまで、どれほどの苦悩を越えて成長して来たのか。

 ──ステラが紡いだ『この物語』を、フレイが露ほども知らずに来たことを意味している。

 だが所詮、そのような物語もフレイにとってはどーでもいいことであり、知ったことではないのだ。

 

「わたしはあなたと苦労比べをしたかったわけじゃない。努力とか、苦悩とか、そういうのぜんぶ越えた先にある戦いで──何が何でも、あなたに勝ってみたかった」

「……それだけのために……」

「結果は……ま、完敗したけどね。……あーあ! 一度は勝ったと思ったのにな」

 

 殺し合いをした相手とは思えないほど──命のやり取りをした後とは思えないほどに、軽薄そうに話しているこのときのフレイを、ステラは不思議と恨んだりする気にはならなかった。

 

「それでも、あなたは本当に強かった……」

 

 搭乗機(のりもの)の話をしているわけではない。

 再調整された〝デストロイ〟が以前を上回る機動兵器と化していたのにはステラも驚いたし、慄きもした。運用上の過失や欠陥はともかく、火力単体で見れば間違いなく〝デストロイ〟は最強の力を有する機動兵器であり、全身から吐き出す砲火は繊細さや尖鋭さとは対極にあって、並大抵のMSであれば一撃で破壊できるパワーを持っている。

 しかし、実際にそれを使いこなすのは、容易なことではない。確かに〝デストロイ〟に乗り込む者には、攻防一体の絶対的な性能が約束され、そのことに胡坐をかいても良いように見受けられる。技術を必要とせず、技巧を凝らさずとも、戦闘においては余り々っておつり(・・・)が返って来るほどのオーバースペック。それを確かに〝デストロイ〟は持っている……持っているのだが、実際にそれを制御し、なおかつ実戦の中で活かすには相応の業が必要だ。

 そういう意味で、フレイは現実に〝デストロイ〟を制御し、戦いの中では〝クレイドル〟を一度は捻じ伏せてみせた。たとえ不正薬物(ドーピング)の力を借りていようと、絶大な機体性能に溺れることのなかったその〝力〟は、モビルスーツ・パイロットとして敬意を払うに値する。

 何より、戦うことしか出来ない強化人間、戦い続けることを宿命づけられた狂戦士に身を窶しながら、それでも最後まで自らの意志で戦いを〝望んだ〟少女の姿に、ステラは想像以上の刺激と感動を憶えたのだ。

 

「なにそれ……慰め?」

 

 もっとも、それもこれも今になって云われたところで、フレイにとっては皮肉にしか聞こえないのであるが。

 

「ううん、本心」

 

 短くステラが返し、それを空世辞と受け取ったフレイは、無言のまま苦く笑い返すのだった。

 

「ほんとうだよ!」

 

 ステラが怒った風に念押すと、フレイがくく、と声を上げた。

 そのムキになったような返し方に、彼女は笑うしかなかったのだ。まるで幼子のように態度が、やけに可愛く思えて。

 

「でも、そうね、今日ばっかりは……素直に受け取ることにする」

「もう……」

「なんだか、嬉しいものね……」

 

 遠い目を浮かべながら、フレイはこれまでの清算をするようなことを云う。

 

「わたしにとって、あなたは出発地点(スタート)であり、目標地点(ゴール)でもあったからさ……」

 

 不思議とフレイは、今の自分が素直になっていることを自覚していた。普段は滅多に自分の思いなど他者に打ち明けない彼女であるが、果たしてそれは、彼女自身が今際にいるからか、それとも、聞き手の少女が話しやすい性格をしているからか──?

 何にせよこのとき、とても素直に相手がみえる。そんな気がしていた。

 

(だとしたら、あれが本当の、私を負かし、私を憧れさせた女の子の姿なんだろうな……)

 

 先に打ち明けたとおり、フレイにとって、ステラは憧れだった。

 そこには容姿的な意味合いも少しは含まれているかも知れないが、普段のフレイは自分の容姿にコンプレックスなど抱えてないし、むしろその土俵であればステラにも負けないくらいの自信と自負を持っている。だから彼女が実際に恋い焦がれていた部分というのは、かつての何もできない彼女の姿と比べたとき──どうしても気高く映った──戦う力を持っていたステラの『戦士』としての側面が大きいのである。

 戦場に出るステラは常に強大な戦士でありながら、そのじつ他人を守り、そして活かしている兵士でもあった。その姿こそ同性として同年代として、最もフレイの身近に存在していた英傑像であり、この映り方が、ステラのことを越えてみたい壁であると彼女に考えさせた。

 そのようにして打ち明けられ、しかし、どうにも自分のことを過大評価しているフレイを、ステラが肯定することは、最後までなかった。

 

「大袈裟だよ……みんなが、そうやってステラのこと誤解してる」

 

 心より平和を願いながらも、結局は戦う以外の手段を知らないステラは、そんな自分が英傑然とした人間であるなどと考えたことがないのである。また、彼女自身は別に強さに振り切れた戦士であるわけもなく、キラやアスラン、ムウにラウなど──本来なら自分よりパイロットとして腕の立つ男達は大勢いて、ステラはそれを知っていたから、それをそのままフレイに云った。云ったのだが、わたしはそーいうこと云ってんじゃないのよ、と一蹴された。

 相手の云うことが微妙に理解できないステラは小首を傾げるしかなかったが、フレイはそんな彼女の鈍さが妙に面白く思え、答え合わせのように告げてやっていた。

 

「それは、あなたがなまじ〝力〟を持ってしまったからよ。あなたはそのことに悩み……でもそのせいで、誰も本来のあなたを見ようとしなかった──わたしもね。それは、あなたがキラとそっくりに思える部分」

「え……?」

「私には分かる……気がする。今ならとても素直に、あなた達が見えるから」

 

 説き明かすフレイもまた、これまでキラやステラを多く傷つけて来たのだろう──何も知らなくて、何も見ようとして来なかったから。

 ──強さにばかり憧れて、弱さについては見向きもして来なかったから。

 だから、気付かなかった。こうして武器もなく目の当たりにするステラは、舌足らずで、愛らしい子どものようであることに。かねてよりフレイが抱いていた英傑像などは、結局のところ、戦場においてしか発揮されない幻想に過ぎないことに。……だからだろうか? フレイは、口を次いでこのようなことを云っていた。

 

「もっと、違う形で出会えてたらさ──」

 

 フレイが口にし、ステラはその先を想像し、驚きに目を開く。

 ──違う形で、出会えていたら……?

 ステラはそのとき、その先にかすかに胸を膨らませ、爛々と輝く瞳をフレイに向けたのだった。

 

「──いや」

 

 だが、あまりに燦々とした明星みたいな双眸に見つめられ、フレイは喉元までは出掛かっていた言葉の先を呑み込んでいた。

 無垢すぎる眸を前にして、臆した。照れを隠したのである。その瞳の輝きっぷりに、殆ど眩んだと云ってもいい。

 

「やっぱり、なんでもない……」

「……どうして?」

「えっ、なにが?」

 

 口を噤めばそれで終わりだと思っていたフレイは、唐突に訊ね返され慌て出す。

 

「どうして、途中でやめちゃうの? その言葉……前はキラにも云いかけてたこと、あったのに」

「!? 憶えてたの……!?」

「気になったから……! でも結局、その先は聞けてないまま」

 

 確かにフレイは以前にも一度、その言葉を投げかけたことがある。

 そのときはステラではなく、キラに向けて言葉を発していたのだが、そのときも結局、フレイは言葉を最後まで声には出してくれなかった。

 

「いや……」

「二回目だよ? どうして途中でやめちゃうの?」

「だ、だから……」

「云ってよ!」

 

 なんともこの場にあっては程度の低めなやり取りの末、フレイは「だから……!」と観念したように口を開く。

 

「わたしたちは、友人にだってなれたかも知れないね──って」

 

 ひとつだけ、フレイには矜持をもって胸を張れることがある。

 それは幸か不幸か、幼少期よりコーディネイターに対する偏見が強かった影響で、人の外見ではなく、内面にこそ美徳を見出す価値観と相成ったことだ。

 フレイにとって、好感が持てる人間というのは異性のみならず『内面を知ってこそ知己となれる者』──人種や性別、様々な垣根や(しがらみ)を越え、心よりの理解と信頼を寄せられる人間のことを指す。その人数は戦争を通じた接触と対話の中で、ゆっくりと増えていき、ハリーやナタル、サイにオルガ──今となってはキラもまたそうなのだ。

 そしてその領域へ、いま、きっとステラは足を踏み入れた。勿論、本質的にはコーディネイターを苦手とする彼女だが、それとこれでは少しだけ話も違っていたらしい。

 

「──ほんと、それだけのことよ……」

「なってたよ……! うん! きっと、なってた……!」

 

 確かな感動を憶えながら、ステラが爛々として返事をする。

 ──ともだち……。

 云われて初めて、ステラもまた、気付かされたような気分になる。

 適当な表現が見つからなくて、これまでは分からないままだった。でも、きっとそうなのだ──自分はただ、フレイと話がしてみたかった。ずっと前から、キラと会話するときのように、何気ない会話を彼女としてみたかっただけなのだ。

 ──それはきっと、友達になりたかった、ってことなんだ。

 

「みんな、他の誰かを『知らない』ってところから始まるんだ。わたしもあなたのこと、よく『知らない』から……」

 

 それはおそらく、この戦争の構図そのものでもあるのだろうと、ステラには思える。

 無知こそが憎しみの温床となり、争いを呼ぶものであるのなら──

 

「だから、もう一度やり直すことって、できないのかな……?」

 

 疑いようもなく、ステラ達は戦場で幾度となく衝突して来た間柄にある。しかし今になって思えば、それは互いの想いを表現するのが、ステラもフレイも、すこぶる下手くそだっただけではないのか。煎じ詰めれば、戦う以外の手段を知らなかったステラと、戦う以外に手段を持とうとしなかったフレイ──それらは少女らしい意地や未熟さゆえ、彼女達がわざわざ遠回りをした結末に過ぎないのではないか。

 

「ステラも、もう一度、あなたを『知る』ところから始めたいから……!」

 

 願うような言葉で、真っすぐな思いを告げるステラ。そんな彼女のやさしい言葉を、フレイは温かな目を向けながらで聞き留めていた。

 が、そんなフレイは一瞬だけ、ふと何かに気付いたようにステラから視線を外した。そして、そのあとすぐに、ステラを見つめ直したのだ。

 

「それも、悪くないかもね。……でも」

 

 そこからステラに返って来た言葉は、想像を絶するものだった。

 

「残念ながら、ここまでよ」

 

 瞬間、ふたりの会話を絶つかのように〝ジェネシス〟を大震動が襲った。

 

 

 

 

 ステラ達を襲った震動の正体──それは彼女達を閉ざしている〝ジェネシス〟が駆動を開始した影響によるものだ。励起場の内部にある幾多のミラーがエネルギーチャージを始め、それ自体が黄金色の輝きを放ち始める。

 ──しまった……!

 ステラが急ぎ手許のタイマーに視線を戻すと、アスランが残した〝ジャスティス〟の自爆まで、そう猶予は残されていなかった。件のタイマーは〝ジェネシス〟が発射される寸前に『0』を刻む。示された時間内に脱出を果たさなければ、彼女達は〝ジェネシス〟と〝ジャスティス〟が巻き起こす核爆発に巻き込まれることになるだろう。

 

「ほら、無駄話はここまでにして、早く出ていきなさい。ここはもう、長くは持たないわ」

 

 全てを察し、フレイがそれまでの話を切るように云った。その突き放すような云い方に、ステラは愕然とする。今の云いようでは、彼女は──まさか。

 しかし、当のフレイは特に気に留めた素振りもなく、シートに身を預けたまま、無気力そうに宙を見上げている。

 

「最後の最後に、話せて楽しかったよ」

「そんな! まさか──」

「──わたしは、ここに残る」

 

 内部に残り、アスランが残した〝ジャスティス〟の自爆を見届けるという──

 呆気なく吐き捨てられた言葉に対し、ステラが制止を求めるのに、そう時間は必要なかった。

 

「だっ、だめ!」

「わたしに残された僅かな時間、わたしの自由にさせてよ……」

 

 広げた掌を見つめながら、みずからの死期が迫っていることをフレイは感じていた。この世に生まれ落ちてから、まだ十五年しか経っていない肉体だが、そんな彼女の意識と生体は、確実に限界の時を迎えつつある。

 ──いや違う、限界なんて、とっくの昔に迎えていたんだ。

 これまではただ、乱用された薬物が、そのことを誤魔化していただけ。重すぎる瞼と、深い闇に覆われた視界の中で、それでもフレイは皮肉っぽく笑いながら言葉を紡ぐ。

 

「それにもう、私には帰る場所も、待つ人もいないのだから」

 

 それと同時にゴロゴロと音を立てながら、さらに〝ジェネシス〟を駆け巡る震動が大きく、周囲のミラーの黄金色の照り輝きも、また看過できないものとなってゆく。

 だが、そんなことにも構わず、ステラはフレイに向かって叫び続けた。

 

「ここで命を投げ出したって、何にも変わらない……!」

「変わらない……? ええ、そうね。でも違うわ、変えることなんて出来ないのよ」

「強化人間の治療法が見つかっていないこと、気にしているの……?」

 

 確かに、適切な医療処置を受けられないときの強化人間の苦しみは壮絶だ。あるいは殺してくれた方が安らかになれるのではないか──そう思うだけの生き地獄が待っているならば、そうなってしまう前に、いっそのこと自分で自分を消してしまおうという考え。

 経験があるステラにも、分からないものではなかったが……

 

「運命みたいなものよ。ナチュラルとコーディネイターの間には、生まれた時から、一生かかっても埋められない差があるでしょう、それと似て同じようなもの──」

 

 あなたには、分からないだろうけどね──

 不明瞭な喩えを以てフレイの発した一言は、まるで突き放す呪詛のように、重く暗い響きを持ってステラの耳に届けられる。それに対して、ステラは唖然としながら限られた言葉しか返すことが出来なかった。

 

「たしかに、ステラには分からない」

 

 コーディネイターとして生を受けたステラに、ナチュラルであるフレイの気持ちは判らない。先天的に調整され、一方では持っていて当たり前とさえ思われてしまう麗容を持つステラには、それを持たない者の心情は判らない。連合の強化人間になどなりたくなかったステラには、みずから望んで強化人間に堕ちていった者の思いなど判らない。

 

「分からないけど、それでも、あなたは伝えてくれた」

 

 フレイ・アルスターが、端的に云えば「自分に嫉妬していた」という事実に、ステラは戸惑いを憶えるしかなかった。

 世の中にはそうありたいと願ってもそうなれない者の方が多いのであり、結局のところ、ステラはそういった現実が孕んでいる当たり前の残酷さ、不公平さ、その中でもほんの一例を、目の前にある少女の裡に垣間見たに過ぎないのだ。そういったことについて、物事を知らなさすぎるステラは、直視したこともなければ、経験がないがゆえに、考えたことだって一度もなかった。

 だからこそ、明かされたフレイの心境に対して、ステラが一定以上に刺激を受けたことは間違いない。間違いないからこそ、ステラは今、自信を持って続けられる。

 

「明かしてくれた! 今まであなたが、ずっと苦しんで来たことを」

 

 フレイだけではない──

 ──人は、自分の心に他人が踏み込んでくることを嫌う。

 だから、その心の裡を他人に伝えるのは、苦悩を抱えた当人に他ならないのだ。

 

「ステラね。もう、あなたの『敵』になるの嫌なんだ……」

「……」

「あなたの『味方』でいたいんだ……! だから、伝えてほしい、教えてほしい! それで──それをするためには、やっぱりステラ達は、一緒に帰らなきゃだめなんだ」

 

 ────そうして言葉を発している間にも、着々とタイマーのカウントダウンは進んでいる。

 

「それにね、あなたはわたしにだけ『出ていけ』って云ったけど……それは、すっごく無責任だと思う!」

「……は……!?」

 

 流石にその発言を聞き咎めたフレイが、心外な表情になる。

 ステラはそれにも構わず、周囲の景観を示唆しながら続けた。

 

「──だって、出口がどこにもないんだ? 〝デストロイ〟が! 全部ぶっ壊しちゃったから……」

 

 ぶっ壊した、という表現はステラらしくもないように思えるが、彼女はそれだけ切羽詰まって事態を捉えており、嘘もまた吐いていないのだ。俄かには信じられないような内容であるが、ステラはすでに機体のメインカメラを操作し、周囲の景色を一望した直後だった。

 そして〝ジェネシス〟内部に無数ほどあったはずのシャフトが、殆ど崩落していることに気が付いた。おそらくは先程まで繰り広げた激闘の余波のため、散々なまでに暴れ回った〝破壊の巨人(デストロイ)〟がその冠名に従ったがゆえの光景だ。

 勿論、正しく云えば〝ジェネシス〟内部に構えられたシャフトの内、数か所はただ入口が崩落しているように見える(・・・・・・・・・・・・・・・)だけで、その中にはまだ外へ繋がっている道も点在しているかも知れない。だが、そうして虱潰しにシャフトを走査するだけの時間が、彼女達は決定的なまでに欠いている。

 

「冗談でしょ……」

 

 いったい、自分という女はどこまで他人の足を引っ張れば気が済むのだろう──?

 そのときフレイは、薬物が切れた弊害ではないにせよ、俄かに気が遠くなったという。

 絶望的な状況であることが明らかにされ、しかし、ステラは全くと云っていいほどに気後れした様子もなく続けた。

 

「ここから生きて帰るには、方法はひとつしかない。それには絶対、あなたの力が必要なんだ(・・・・・・・・・・・)

「どういうこと? わたしの機体は、もう駄目よ」

 

 ステラの思い描いている真意とやらが、フレイにはやはり掴めない。

 核エンジンを採用している〝レムレース〟には稼働時間の制限はないが、それと云っても半壊状態に陥った手前、漏電と損傷の具合から機体は著しくパワー・ダウンを引き起こしているのだ。ましてや有用な武装も全て失った今、すでにズタズタのMSと、心身共にボロボロのパイロットに、ステラはいったい何を期待するというのか。

 

「考えがあるっていうなら、あなた一人でも……」

「できない。〝クレイドル〟の力だけじゃ、きっと──」

 

 ステラは、次いでぼそりと言葉を漏らし、フレイは、それこそが答えだと知った。

 

「──前のと(・・・)は、ちょっと規模が違いすぎる……」

 

 前の──?

 その言葉を推し量ったとき、フレイの思考は奇しくも遠い過去まで飛んでいった。崩落寸前の、封鎖された軍事施設からの脱出──? それが困難と判断したとき、ステラという少女が何を為したのか。確か以前、本当にたった一度だけ、今と似たようなシチュエーションがあったはずだが。まさか……?

 

「ま、待ってよ! あんた、まさか」

 

 静止を求めようとしたそのとき、通信回線に、一抹のノイズが迸った。

 ──ジェネシス〟の最奥部で、電波が来ている……?

 じりじりとノイズ混じりに響く雑音の中で、確かにそのとき、誰かがこちらを呼んでいた。

 

 

 

 

 

 

 このとき、外部から通信で呼び掛けを続けていたのは、三隻同盟軍の〝アークエンジェル〟と〝エターナル〟であった。

 ──繋がった!?

 ぎりぎりの通信回線が〝ジェネシス〟の内と外──ステラとラクス達を結び付ける。

 ステラの頭上、通信機にはそれぞれ〝アークエンジェル〟と〝エターナル〟の艦橋の様子が浮かび上がり、見上げた先にはキラ達の儚げな顔が映し出され、ステラは驚いた。映像は切れ切れに歪み、まともに交わすことができるのは音声くらいのものだが、それでさえ、ともすればノイズに呑まれてしまいそうになる。

 

「みんな……!?」

〈ステラ、無事なのね!? 心配してたんだよ……!〉

 

 キラやミリアリア達が、通信先で歓喜の声を挙げた。

 そして、少なくとも〝アークエンジェル〟と〝エターナル〟が健在であることを確認し、ステラもまた鸚鵡返しのように「無事で良かった」と口にする。

 しかし、本当に無事を喜ばれるべきはステラの方だと、少なくとも通信先のキラは考えていたに違いない。一方で〝エターナル〟にいるラクスは、普段のおっとりとした様子からはまるで想像できない、余裕のない表情で叫びかけた。

 

〈ステラ! まだ時間はあります! 早くそこから脱出して下さい!〉

 

 必死になって訴えてくれる涼やかな声を聞き、その心遣いを有難く感じながら、ステラは気丈に返す。

 

「なに言ってるの……! 脱出するよ! ステラは、絶対にみんなのところに帰る!」

 

 決意を露に言葉を紡いだステラであったが、実際のところは、殆どが強がりであった。

 すでに〝ジェネシス〟からの退路は断たれ、不安と焦燥が、少女の小さな胸の内を食い荒らしていることは確かだったのだ。──本当は、絶対の自信なんてない……。

 

「っ……」

 

 ただ、ラクス達を安心させてあげたい──

 その思いで気丈に振る舞った表情が、僅かに不安でほつれ掛けそうになったとき、彼女はみずからが〝エターナル〟に残してひとりの少女の面輪を見つけた。それは他でもない、彼女がオーブより命を賭して守って来た少女、マユ・アスカの儚げな面持ちだ。

 

〈ステラおねえちゃん……!〉

「……! マユ……」

 

 その名を呼んでやり、今にも泣き出しそうな顔つきになる少女が浮かべた双眸は、たくさんのきらきらを散りばめた宝石のようにして見えた。

 ステラの言葉を待ってそうなマユに対し、ステラが何かを云おうとして、出来ないでいると、突然ふたりの間に割って入るように男性の声が響き渡る。〝アークエンジェル〟からの通信だ。

 

〈──フレイ・アルスターは、そこにいるか!?〉

 

 どことなく空気の読めていない割り込み方に微妙に表情を変化させたステラであったが、その男性の声が、どこかで聞き憶えのあるものであったことは確かだ。

 そして思い出す。それは、少なからずステラも世話になったことのある人物であり、元〝アークエンジェル〟に所属していた船医の声であることを。

 

「……!? ハリー・マーカット……!」

 

 白衣の姿を認め、ステラは目をむいて驚いた。そしてそれは、傍らのフレイも同様だった。

 驚愕するステラの姿をハリーもまた認め、彼は再会を言祝ぐような論調で云った。

 

〈ああ!? ステラ君、久しぶりだね!?〉

「えっ? あっ、う、うん」

 

 舌などが忙しない人は、苦手だ──

 

〈いきなりで済まないんだが、きみは今、フレイと一緒じゃないのか!?〉

 

 呼び掛けるハリーはこのとき、ミリアリアのCIC座席を拝借している。

 いったい、どういった経緯で彼が〝アークエンジェル〟に戻ることになったのか──ステラの知るところではないが、別に知る必要もない要件だ。

 ただステラは、そんなハリーの目的を汲み取って、みずからの通信回線を〝レムレース〟にまで中継させていた。唐突に会話を振られたフレイが「そんなっ」と抗議の声を漏らしたが、ステラはそれを気にしないように努力した。実際のところは、ハリーの相手をフレイに押し付けただけかも知れなかった。

 

「生きてたの……!?」

〈ああ、経緯なら、順を追って説明したいくらいだよ。でも、そんなに時間は残されてない……そうなんだろう!?〉

 

 指摘され、そこで、またもフレイはタイマーに目を戻す。そこに示しているタイムリミットを考える間もなく、ハリーは矢継ぎ早に言葉を紡いだ。

 

〈フレイ、聞いてくれ! 今の〝アークエンジェル〟には、キミの帰りを迎え入れる用意がある〉

「えっ……?」

「……!」

 

 出任せを云っているわけではない。それは現在〝アークエンジェル〟の捕虜として扱われて然るべきハリーが、方々に便宜を図って貰ったがゆえの功業なのだ。

 たとえば今、ハリーがこうしてブリッジのCICシートを借用することが出来ているのも、全ては艦長であるマリューの許可を得ているからだ。

 そんなハリーの呼び掛けに対し、フレイは信じられない、と云った風な表情を浮かべ、やがては僅かに喜びかける。だが喜びかけたその瞬間、全身に冷水を掛けられたように身を硬くした。ハリーの坐すシートの後方、そこに同郷の学生達──ミリアリアやサイ達の姿を認めたからだ。それにより強い現実感が押し寄せ、生来の彼女の臆病な恐怖心を呼び起こす。

 

「っ……!」

 

 モニターに映る同郷の者達は、どこか困惑を湛えた胡乱気な表情を隠せずにいた。薄情と思われるかも知れない──が、それはこれまでの彼等の境遇を鑑みれば、しごく正当な反応でもある。個人としてのフレイ・アルスターはともかく、彼ら〝アークエンジェル〟のクルーにとって『〝レムレース〟のパイロット』は、何人にも及ばぬ危険な存在でありすぎたから。

 勿論、そうした人間の様々な感情や思惑を考慮したうえで、マリューはハリーの勝手を許し、当のハリーはどちらかと云えば図々しい性格の人間であったから、この際だからと艦長の許可に甘んじて、クルー達にはまるで遠慮のない発言を続けたのである。

 

〈誰に何を思われてもいい、きみだけは僕がまもる(・・・)──!〉

 

 嘘偽りのない真摯な言葉と、『まもる』と告げたその誓いに、感動を示したのはフレイではなくステラの方であった。彼らの間にどのような信頼関係が結ばれているのか──それもまたステラの想像の及ぶところではないのだが、いずれにせよ、己が身を粉にしてでも自分のことを守ろうとしてくれる人がいる。

 ──だとしたら、フレイはきっと、どこまでも〝幸せ者〟だ。

 ステラは本気でそう思ったのだが、しかし、畳みかけるように紡がれるハリーの言葉を、フレイ自身は聞きたくなかった。

 

〈──だから、フレイ、きみも帰って来い!〉

 

 聞いてしまったら、希望を抱いてしまうかも知れなかったから。

 

「……無理よ……。わたしの体は、もう……!」

 

 云い訳のように、咄嗟に沸きかけた希望の種を摘み取るように、フレイは唾棄していた。

 フレイ自身、今は手足の感覚も失われ、たとえば今は操縦桿を握っているが、これが本当に握れているのか本人は判っていない状態だ。感覚の麻痺はおそらく末期症状のひとつだ。そんな人間が今さら戻って治療を受けたところで……いや、そもそもの治療法など、この世界にはまだ確立してはいないではないか!

 しかし、ハリーは語気を強めて云う。

 

〈生きてさえいれば、可能性は幾らでもあるんだよ、フレイ〉

「ハリーっ……!?」

〈──だから諦めるな! みんなのところに、帰って来い!〉

 

 ハリーが訴え、そうした彼の決意と熱意のほどは、他の者達の心さえもを動かしたらしい。そのとき〝アークエンジェル〟のクルー達の表情にも変化が現れ、フレイは、そのやさしげに変化した感情と思念を如実に受け取ってしまった。フレイにとっては元婚約者で、しかし、彼女の都合で一方的に棄ててしまったサイ・アーガイル──そんな彼の温かな表情も、そこにはあったのだ。

 

〈罪滅ぼしなんかじゃない、今度は本心から、きみを救ってみせる……! 救わせて欲しいんだ!〉

「そんな……そんなこと……いまさらっ!」

 

 少女としての人生を捨て、戦士となるために擲った未来。

 ──振り返る過去に、未練なんてないはずだった。

 強化人間という破滅した存在である以上、決して抱いてはならない希望。

 自分にとって都合のいい未来を望んだところで、残酷な現実が、ただ待っているだけなのに。

 ──こんなオレにも、生き残る意味ができたってことかよ……。

 戦場に散ったオルガ・サブナックの端正な面立ちが、ふと、フレイの脳裏に浮かび上がる。逃げることも免れることも許されない死期を間近に予感しながら、それでも最期の日には生きることに希望を見出した彼の言葉を、自分はあのとき否定し、嘲笑ったことだろう。

 けれど、間違っていたのは自分の方だった。今なら、彼が抱いた希望が──気持ちが、よく分かるようだから。

 

 ──生きられるのなら……。

 ──生きていたい……。 

 

 願望にも似た切望がフレイの胸を締めつけるのは、それこそが、彼女がひた隠しにしていた本音と本心であったから──

 しかし、そんなことが今さら赦されるのか? 散々他人を傷つけ、周りの人間に迷惑を掛けて来ておいて、それでも最後には、救われようとしている? そんなもの、本当はただただ、烏滸がましいだけの話かも知れないのに。

 

「わたしはまた、あなた達に迷惑をかけるかも知れないのに……それなのにっ」

 

 それでも、良いというのか?

 それでも、生きて良いというのか?

 

「──人に迷惑をかけちゃいけないなんて、そんなこと、きっとないんだ」

 

 許しを求めるような表情のフレイに、ステラがそっと言葉を返す。

 

「誰だって、迷惑をかけながらでしか、生きていけないんだよ」

 

 その中で、受けた恩を少しずつでいい、返していくこと。

 ──それが、つまりは生きるってことなんだろう。

 云いながら、ステラも少しだけ、分かったような気がする。

 

「死なないんだよって、生きていいんだよ(・・・・・・・・)って──やさしい言葉をくれた人に、死んでやることは恩返しじゃない」

 

 報いるということは、そういうことではない──

 打ち明けると同時に、ずきり、とステラの胸が痛む。それは、ステラ自身が〝やさしいひと〟にしてやれなかった恩返しでもあったから。

 

「生きて帰ろう、みんなのために。──なによりも、あなたのために」

 

 ステラは少なからず、自分だけが呼び掛けていた時とは違う、フレイの中に現れた良い変化を感じ取っていた。感じ取っていたから、次のように云った。

 

「ステラ達なら、きっとできるよ」

 

 その言葉の中には、自身へ対する信頼が含まれていたのだ。ひとりでは決して出来ないであろうこと。ふたりなら、あるいは成し遂げられるはずだという──

 そこまで云われ、フレイは、その言葉を信じないわけには行かなかったのだ。

 

「わかった……わかったわよ……! やればいいんでしょう!? 何をやるのかは、知らないけどさ……」

 

 その瞬間、フレイは意を決した。発射寸前の〝ジェネシス〟からの脱出──

 ステラの提示した作戦に、乗っかることを、決めたのだ。その返答を受け、ぱっとして微笑み、救われた気分になったのはハリーもだが、ステラもまた同じだった。

 

 

 

 

 

 しかし──

 フレイが云ったとおり、おそらく『これからステラが成そうとしていること』は、この場に繋がっている誰の想像にも及ばないことである。だからこそ、ステラは改めて、今度はみずからの言葉で話し始めた。

 

〈だからね、大丈夫だよ。ステラ達は、ここから必ず、生きて戻る〉

 

 円らなるステラの双眸は、このとき〝エターナル〟の通信へ──その艦橋に坐す、ラクスとマユへ向けられていた。その間、ステラはひとときもラクス達から視線を外すことはなく、また、見つめられている者達もひとときたりともステラから目を逸らさない。ステラの表情から伺えた覚悟のほどに、不思議と吸い寄せられていたように。

 しかし、そんな会話の中に、不審感と違和感を憶えたのはキラであった。

 

(──違う……)

 

 モニターに映るステラは、発言の内容に反し何か具体的な行動を起しているように見えない。少なくとも〝ジェネシス〟の中枢から脱出を図るためには、モビルスーツを行動させる必要があるはずではないか。

 にも拘わらず、ステラの手は宙で遊び、どれひとつとしてMSの操縦作業を行っていない……?

 

「もしかして、出られない、の……?」

 

 その可能性にいち早く気付き、声を挙げたのもマユであった。

 震えた声で、絶望感を隠した声で、少女はステラに問いかける。退路がないのか、それとも機体が動かないのか──そのことが物議を醸し、周囲の者達も途端に騒然とし始める。

 そんな問い掛けに対し、ステラは曖昧に微笑んで返した。

 

〈信じて────〉

 

 と、気丈に微笑むその表情は、マユの目には、とてもやさしく、つよく見えた。

 そして、その言葉を愚直に信じるクルーの誰かが、きっと打開策があるんだ、と無責任に呟いた。すると、最初のひとりがそう云えば、確証もない割に周りの者達もその言葉を信じ、場の空気全体が、どこか安堵した雰囲気に包まれていく。だが……

 

〈…………でも〉

 

 そのとき続けられたステラの声音に、僅かな震えが混じった──

 

〈本当は、もしかしたら……、本当に、もしかしたらね──っ〉

 

 ──ように聞こえたのは、気のせいだろうか。

 

 

帰れないかも(・・・・・・)知れない(・・・・)……っ〉

 

 

 いや、気のせいなどではない……。

 マユが見かけたモニターの中で──そのとき、ステラは泣いていた。

 すみれ色の円らな目から溢れ出す涙が、みるみる雫として無重力に浮かんでは、泡沫玉のように輝いていたから。

 

「……えっ……?」

 

 ただし、当の本人は自分がどうして泣いているのか、理解できていない様子でもあった。

 ただ体と声が震え出し、次第に視界がぼやけていった。身体が勝手に泣き出してた、という程度にしか、おそらく本人は自分の体調について理解が及んでいなかったのではないか。

 だが、余人が疑う必要もないほどに、はっきり衰弱し、朧気で、弱気な声を発している少女の姿に、そのとき誰ひとりとして声を掛けてやることが出来なかった。いや違う、言葉にならなかったのだ。ただ、ひとりを除いては。

 

「……いやだ……っ! いやだ! そんなの──!!」

 

 この場にあっては、聞きたくもなかった弱音と涙声。

 今だけは見たくなかった少女の姿に、怒りとは異なる複雑な感情を爆発させ、マユは思わず座席から立ち上がる。しかし彼女は、そのとき自分の足が思いのままに動かないことを完全に忘れていた。気持ちだけがつんのめり、体勢を崩してシートの前方に転げ落ちた少女の身体を、すぐ脇のラクスが駆け寄って抱き留めた。

 

「っ──!」

 

 駆け寄りながらも、言葉にならない嗚咽が漏れているラクスにとっては、二度と見たくなかった悪夢に魅せられているかのようでもある。しかしステラは、自分の言葉で話し続けるのだ。

 

〈──だからね! そうなったときは、ラクスにお願いがあったんだ〉

「ステラ……!」

〈マユのこと、よろしくおねがいします──〉

 

 畏まり、両手を身体の前で重ね合わせたステラは、モニターの向こう側で深々とお辞儀をしている。保護者として、知己として──マユのことを守ってやりたいというのは、淀みのないステラの願い。しかし、

 ──それは……!

 殆ど──そう、殆どが遺言のようにも取れてしまえそうなメッセージを、ラクスは受け止めることは出来ても、受け入れることが出来なかった。深々と頭を下げていたステラが次に頭を上げたとき、そこにあったのは泣き笑いでも空笑いでもなく、自分が取った突発的な行動を嘲るような、自嘲という名の嘲笑だった。

 

〈あはっ、ほんと、なに云ってるんだろう……! ステラ、諦めてるわけじゃ、ないのに〉

 

 結局のところ、ステラはきっとそのときもまだ自分の気持ちに整理がついていなかったのではないか、とは彼女達のやり取りを怪我を押してブリッジにやって来ていたムウの言葉だが、かねてよりステラの弱点であり欠点に気付いていたムウは、これ以外に適切な表現を見つけることが出来なかった。

 ──自分自身に無頓着で、これまで無関心であったがゆえの無知……。

 優しさと確かな共感力を持ち合わせ、どんなに他人を気持ちを慮ることができる人でも、一方では自分の気持ちには疎く、よく分かっていないことが多いということか。しかし、それとて特別な例というわけではあるまい。この世において自分のことを正確に理解している人間など、ムウも含めていったいどれだけ居るというのか──

 そして彼の表現どおり、自分がどうしてここまで動揺しているのか、ステラには、それが分からなかったのだ。

 

「ごめんね。最後まで、頼りになるお姉ちゃんでいられなくて……」

「ううんっ……! ううんっ! そんなことないっ!」

 

 マユは、心の底からそう思っているのだ。

 ──どんな風でも、あなたは私の憧れ……。

 ──最強で、最愛のお姉ちゃんだったんだ……!

 叫び、ステラの表情は、そのときすでにいつものそれに戻っている。さっきまでのあれが幻であったのか──と、そう錯覚させられるほどに、変哲のないいつもの少女がそこにいた。

 

〈ただいまを云いに行くから……! だから、きっと待ってて!〉

 

 涙を止めた儚いまでのすみれ色の眸に、もう一度だけ決意の火が灯る。

 ──そう、弱音を漏らしたのも、本当に、ただの気の迷い。

 ──本当に、それだけのことなんだ。

 ステラは、自分にそう言って聞かせることを怠らなかった。

 

 

 

 

 それから、外部との通信はいつの間にか途切れていた。

 云いたかったことを皆に伝えるのには、それはあまりに短すぎる時間のように感じられた。

 

「……」

 

 溢れる涙の滴りを拭い、小さく鼻をすすったステラを、すぐ隣にいるフレイは静かに見届けていた、見守っていた。そんな視線に気づいたステラが、どこか所在なげな表情になって笑うのも──。

 

『ふたりで力を合わせれば脱出できる──』

 

 自分にはそう伝えた張本人が、心の底では既に弱腰になっていたことを、ステラはどうにも恥じている様子だった。だが、それについて別にどーにも思わないのが、今のフレイでもある。そもそもステラがいなければ、フレイは間違いなく自決の道を選び、彼女の未来は暗黒に閉ざされていたに等しいのだから。

 ──だからこそ、私の命は、未来は、今からはこの子のためにある(・・・・・・・・・)……。

 そのような決心をさせるほどには、先のやり取りはフレイの心をも突き動かしていたらしい。彼女は改めてMSごと〝クレイドル〟の方へ向き直り、どこまでも穏やかな口調で告げた。

 

「これから、何をするにしても、わたしはあなたを信じるし、あなたのためになることをやる」

 

 ──この子のことを、守らなければ……。

 義務感とも正義感とも異なる複雑な使命感が、フレイにそう云わせていた。

 ステラにも、人並みの弱さがあることを知った。不安、焦燥、恐怖があることを知った。それが当たり前の現実であると理解するには、確かに、フレイはステラのことを知らなさすぎた。知らなさすぎたから、自分達はやはり知り合う必要があるのだと、フレイは本気で考えたのだ。

 そして、それをするためには、ふたりで揃って生きて帰らねばならないことも。

 

「あなたがわたしに手を差し伸べてくれたように、わたしもあなたの助けになる」

 

 ──だから、泣かないでいい。

 ──もう、泣かないでいい。

 

「本当のわたしの想いが、あなたを『まもる』から──」

 

 それとタイミングを同じくするように、ふたりの行く手を閉ざす〝ジェネシス〟は遂にレーザーの発射シークエンスへ突入した。核動力が育む無尽蔵のエネルギーが増大しながら施設中を駆け巡り、じきに第一反射ミラーまで収束していく兵器的な胎動を感じる。

 猶予は残されていない。ステラが設定したカウンターはこの時点で『1分』を切っており、数字が『0』を示したとき、過たず〝ジャスティス〟は核爆発を巻き起こす。

 ──それまでに、間に合わせなければならない。

 だからステラは、改めてフレイの方を向き、ここからの作戦をフレイに打ち明けていた。

 

「──だから、やってみよう……!」

 

 全てを明かされたフレイは、そのときばかりは表情を変化させたが、口に出しては何も云わなかった。結局のところ、何を求められようと、如何なる作戦であろうと、それが自分に出来ることであるのなら──

 ──わたしは、その期待に応えるまでだ。

 フレイはそうして、みずからの搭乗機に最後の仕事を行わせた。終末へのカウントダウンは、すでに始まっていたのだから。

 確固たる意志を以て、フレイはそこで〝レムレース〟の頭部ツインアンテナより、真紅色に染め上げられたコロイド粒子を全て解放させた。

 ──〝バチルスウェポン・システム〟

 ツインアンテナより散布したコロイドの汚染粒子を介して、〝レムレース〟以外の量子コンピュータを浸食するための兵装。汚染作用のある〝ミラージュコロイド〟を自在に操る〝レムレース〟は、システムの出力調整次第では、閉塞された〝ジェネシス〟内部をコロイド粒子で満たすことができる。

 

「……ありがとう……っ!」

 

 そうして揺らめく真紅のコロイドが〝ジェネシス〟の内部空間を満たした頃になって、ステラは〝クレイドル〟に六枚の両翼を広げさせ、全ての光波発生器から光波粒子を湧出させた。

 ──〝アリュミューレ・リュミエール〟

 リフレクターから放散した光波粒子を結び付け、本来〝クレイドル〟を取り囲む強固な全方位防御帯を展開する兵装。モルゲンレーテの観測技師でもあるエリカ・シモンズは、この光波粒子が〝レムレース〟のコロイド粒子と接触した際、とある〝特殊なエネルギー・フィールド〟に突然変異する可能性を説いていた。

 

 ────そしてその仮説は、今、少女達の目の前で立証された。

 

 ステラが〝ジェネシス〟から生還するために、フレイに伝えた方法はひとつ。

 それは先の戦闘においても確認されたコロイド粒子と光波粒子の融合によって生み出される〝強大なエネルギー・フィールド〟を以て、全ての衝撃と爆発を『耐え抜く』こと──

 

『──〝レムレース〟には、それほどに〝クレイドル〟の性能を昇華させる〝力〟がある』

 

 シモンズ女史の考察どおり、昇華作用を齎すコロイド粒子を身に宿す〝レムレース〟は、現実に光波防御帯を発動する〝クレイドル〟にとっては〝触媒〟としての役割を果たすMSとなる。それはさしづめ「儀式」のようなものであり、その儀をより完璧な状況下で執り行うためには、パイロットであるフレイとステラの協力が必要不可欠だった。

 そして──

 科学的な根拠も確証もなく、実際には何が起こっているのか解説するのも烏滸がましい超常現象も、しかし、このときばかりは〝それ〟を待つ少女達の眼前で意図的に引き起こされた。真空中に散らされた光波粒子は、同じく真空中に蔓延する無量のコロイド粒子と融合し、より強固な〝スクリーミング・ニンバス〟と呼ばれる超大型の防護結界を作り出す。作り出された防護結界は従来の〝アリュミューレ・リュミエール〟に比して悠に巨大な力場を発生させ──力学的にはある種の「上位互換」と云えるほどの──守性と攻性を兼ね備えた強靭なエネルギー・フィールドになった。

 同時に、カウンターが『10,00 sec』を切る──

 ほとんど爆風に近い激震が、〝ジェネシス〟内部の真空を突き抜けたのが兆候だった。

 

 ──来た……!

 

 掴んで! ステラが叫びを上げ、それを受けた〝レムレース〟が〝クレイドル〟の機体腰部に腕を回し抱きついた。

 それを認めた後、ステラは〝クレイドル〟のマニュピレータを伸長させ、機体の五指を押し開きながら両腕を左右に張り出した。同時に〝クレイドル〟の蒼眼が明灯し、駆動系が聖獣のような咆哮を打ち挙げる。

 瞬間、白銀の機体を取り巻くエネルギー・フィールドは、翡翠色から真紅色に変異し、それからは不思議なことに、虹色に輝く燐光を散りばめた。鮮烈に色めく光輝は、さながら〝ジェネシス〟の中にオーロラの〝帯〟が現れた、といった風だ。施設中に巡らされた〝帯〟は七色──いや、それよりも多くの色彩に華やぎながら、やがては二機を押し包む極光の〝繭〟になる。

 

(綺麗────)

 

 命を賭けた緊張の前にありながら、フレイはふと、口内にそう漏らしていた。

 できなかったこと、やり残したことがたくさんある。アスランやフレイ──さまざまな人達とようやくまともに向き合えるようになれるのに、こんな状態でここを離れたくはないと、ステラは切に思った。

 ──まもって……!

 閉ざされた〝ジェネシス〟内部空間を満たす、柔らかな煌めきと──光。

 リフレクターから噴き上げた柔らかな光は、星の子を祝福するように〝クレイドル〟を──少女の揺籃(ゆりかご)を満たしてゆく。

 

「……!」

 

 そのときステラは、あたかも自分が、星の光の海の中を泳いでいるかのような錯覚に囚われた。本物の水の海では、泳げもしない彼女だが、であるからこそ、その感覚は何よりも神秘的で、何倍にも幻想的に感じられる。

 その海の中に、揺れて帯を打つさざなみを見つける。その波は、さざめきながら紺碧色に、濃緑色に、鮮紅色に、やがては黄金色に……いや、人間の語彙力などでは、とても表現しきれ得ない千紫万紅に色めき、廻っている。

 

 ──強いて云うなら……〝虹色〟か?

 

 いや、違う……それは、七色などではない。

 それは、言葉にしてしまえばたった一つであり、本質的には無限にだって存在する色。

 これを観測する者の感性にしたがって、表現の仕方が、字義どおり十人十色に変わる色。

 

 虹色でもない〝それ〟は────〝星色(・・)〟だ。

 

 ひとつひとつがどれも異なる星の色──

 しかし、どれもが等しく己を示す星の色──

 星の名を持つ少女が顔を上げ、

 

 

 カウンターに──『(ゼロ)』の文字が刻まれた。

 

 

 来る──

 そう覚悟した直後、息も出来ないほどの光が押し寄せ、カッとしてステラの視界を白く塗り潰した。乗り手を失い、それまで糸の切れた傀儡のようにじっと滞留していた〝ジャスティス〟の自爆──鮮紅の騎士が、その身を贄として引き起こした最期の核爆発だ。

 一瞬にして発露した光渦が〝ジェネシス〟中央基部のカートリッジを爆砕し、そこに充填されていたレーザーの照射エネルギーをも暴発させる。

 

 瞬間、爆光と爆圧が〝ジェネシス〟を内側から膨れ上がらせた。

 

 それによって生じた白熱光に併呑され、弾かれた〝クレイドル〟の機体が、展開したエネルギー・フィールドごと凄まじい重圧に撥ね飛ばされる。

 目を焼かれるような眩しさと、体験したこともない息苦しさを体感しながら、ステラは自分達を『まもる』ことに専念し続けた。

 オープンになったままの通信回線から、フレイ・アルスターの悲鳴にも近い絶叫が聴こえた。モニターの向こう側、燃えるような赤い髪をした少女は、なまじ人の目に眩し過ぎる閃光にかたく目を瞑っている。

 それは、死を望んでいた者の声ではない。生に縋り、それでもと、心のどこかで生を欲する者の悲鳴だ。彼女もまた生きようとしているのだと、ステラは改めて実感する。

 

 ──まだ、しねない!

 

 そう、自分達は生き抜かねばならない。帰るべき場所がある、待ってくれている人達がいる──

 ステラが強く念じれば、星色の超大型防御帯がさらなる輝きを募り、大時化のように荒れ狂う〝ジェネシス〟の白熱光を押し返してゆく。けれど機動兵器としてのスペックは限界に達しようとしているらしい──〝クレイドル〟の駆動系は聞き捨てならないノイズを轟かせ、次の瞬間、不吉な炸裂音と共に機体フレームに大きな亀裂が駆け巡った。一方では衝撃の圧力に耐えきれず、ステラ自身の鼻先でメットのバイザーが砕け散る。

 ──それが、どうした!!

 それらを認めてなお、少女が譲歩することはない。たとえ〝クレイドル〟がオーバーロードで爆装しようと!

 

「頑張って────ッ!」

 

 無理は無理でも、今は押し通すしかない。選択肢など初めから与えられていない。心が何かを諦めた途端、自分達は焼き尽くされることになるだろう──無慈悲なる、この光渦の爆熱の中で。

 だから彼女は決して怯まない。少女は持てる勇気を総動員しながら、悲鳴なのか怒号なのかさえ分からない、えも云われぬ叫びを挙げるしかなかったのだ。

 

 ──これで、よかったの?

 

 極限状態の中、ステラは肉体と精神を引き剥がされるような感覚を憶えた。次に気が付いたとき、ステラはあたたかな星の光に運ばれるようにして、あやめもわかぬ空間に降り立っていた。

 ──霊的に映る、ぼんやりとした、賽の河原。

 静謐な空間に流れる小川の向こう側に、黒髪の女性が立っていた。母──レノア・ザラだ。

 生きて微笑む、久しき母の姿だった。その母の腕の中には、海色のハロもいた。

 ──ここは……?

 ステラにとっては少なくとも、その空間に在る者達は、とうに喪われたはずの存在。

 

 しかし、だから分かったのかも知れない。

 今、彼女が立っている場所が現世(うつしよ)ではないことに。

 

 しかし、だとしたら、具体的には何処だと云うのか。

 ──詩的に云えば、幽世(かくりよ)……魂の終着所、と云ったところか?

 小川を挟んで対岸にいる母は、どこか哀切をを交えたような声音で問う。

 ステラは、これに微笑んで返す。これでよかったんだと──これが、自分の選択なのだと。

 同時に、今まで自分に機縁を与えてくれたのが母の──彼女の遺志であるのだと、かつての〝光〟を思い出し、理解したような気になる。あたたかな〝星の光〟──自分を慈しみ、自分を救ってくれるような──それはかつて、ステラがベルリンで朽ちてゆくときに顕れた〝光〟と、感覚を同じくするものだったから。

 

 ──ずいぶん、とおいところまできちゃった。

 

 純朴に、とても素直に言葉を返したステラに、レノアは安らかな微笑みを返した。我が子の成長を喜ぶみたいに。

 そこで漸く、ステラは今まで自分に与えられていた、奇跡的な時間の流れを思い知る。これまでは何も知らず──ただ、夢みたいな時間を甘んじて享受していた自分。そんな己の来し方を振り返り、今になって、ステラは少しだけ後悔する。

 行きたかった場所に、自分は辿りつけたのだろうか? 勝ち取りたかった未来に、ステラは本当に手が届いたのだろうか? と。

 ……いや、決して届いてなどいないのだろう。

 世界は夢想していたよりも、はるかに厳しさで溢れていた。

 未来はステラが期待していたよりも、はるかに難しい方向に流れてしまった。

 ──もっと、アスランといっぱい話ができていたら。

 ──もっと、早くにフレイや、他の強化人間の子達と話し合えていたら。

 ──もっともっと、みんなと一緒にいられたら。

 畏れをもった目で振り返れば、やり残したことは多くある。

 何が正しかったのか、どうすれば良かったのか、正解なんて分からない。それでも、そこで救えた命があるのなら──今の自分には、それで十分な気もしているののだが……

 

 ──まだ、こっちにきてはいけないわ、まだ……。

 

 母の声は、少女に向かって優しく諭す。その川を渡るな、とでも云いたげに。

 母は、多くを語らない。

 死者は多くを語れない、といった方が正しいのかも知れないが、しばらくすると、ステラは最初に降り立った地点まで押し戻されて、再び、遠くにある母の姿を見つめていた。

 やがて立っていた空間が、底抜けの闇に溶けていく。そのときステラは、星みたいに消えていく母の姿を見送るしかなかった。その星を追うように駆け出しても、蹴って進める足場も消える──彼女の手は、決してそこには届かない。

 

 ──ごめんね……。

 

 母の声が聞こえた後は、段々と何も見えなくなる。聴こえなくなる。

 次第に自分の声も分からなくなり、「ねえ待って──」母を呼号したその声でさえ、音になってはくれなかった。

 そしてステラは、ふたたび星の光に包まれた。

 

 




 次話、~~『星に願いを』C ~~にて、完結予定です。

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