苦労人ポジの彼の1日を平和と取るか波乱と見るかは皆様次第です。
カークの背後関係は合同調査する事になり、今回の会談の目的は無事何事も無く達成された。
とはいえ、折角の3陣営の内のトップ同士の話し合いの場である。このまま世間話で消費するのも惜しい。ディアベルは切り口を探るべく、まずはそれとなく話題を投げる事にした。
「最近のギルド間抗争について、サンライスさんはどうお考えになられていますか?」
自分の分のどら焼きを完食したサンライスは顎を撫で、難題に直面したように眉を曲げた。
「致し方なしだな! 主義主張が違えば道が異なるのは当然だろう! 無理に足並みを揃えても真に実力は発揮できんし、余計に火種を大きくするだけだな!」
珈琲を一気飲みし、口元を手の甲で拭ったサンライスは、僅かに揺るがぬ自信を口元の歪みで表す。
「なんだ!? 戦争がしたいなら受けて立つぞ!」
「まさか。聖剣騎士団と太陽の狩猟団、3大ギルドの2角が争えば、どれ程の被害になるか、貴方が分からないはずが無い」
一瞬だけ肝を冷やすが、これはジョークに過ぎないとディアベルも理解している。サンライスは他に類を見ない戦士であるが、同時に人格者でもある。好んで宣戦布告などしないだろう。
サンライスの背後のミュウは『戦争』の単語が出た時、一瞬だが眼に動揺が滲んだ。彼女とも幾度となく交渉や会談のテーブルを共にした事があるディアベルからしても、今の彼女にとってサンライスの戦争発言は冷や汗物だったのだろう。
「その通り! フハハハハ! 戦争などつまらん! だが、それを望む者達がいることも確かだ! ディアベル、『噂』は聞き覚えがあるだろう!?」
どの『噂』だろうか? ディアベルは立場上多くの情報を取り扱う以上、風聞の類は両手の指でも足りない程に耳にしている。チラリと背後のラムダに視線を向けて心当たりを問うと、彼は思案するようなジェスチャーを挟んだ上でわざとらしく首を傾げた。
「申し訳ありませんが、そう抽象的では……是非ともお聞かせ願いたいものですな、ミュウ殿」
完全に嘘だ。ディアベルはラムダにも何か考えがあってミュウに話を振ったのだろうと把握し、自分も興味があるという表情を作る。
微塵も崩れない笑顔のまま、ミュウは仕方ないといった調子で語り出す。
「ただの噂話です。神出鬼没の目的も所属も不明の襲撃者、分かっているのはその強さだけ。誰が言い出したのか知りませんが、【死神部隊】と呼ばれる謎の戦闘集団です」
死神部隊の名はディアベルも耳にしている。
何の前触れも無くプレイヤーの前に出現し、攻撃を仕掛けてくる、極めて戦闘能力が高いプレイヤー集団の総称だ。メンバー数も、素性も、目的も、何もかもが謎に包まれた存在である。
異常な強さだけが噂となり、実在しない都市伝説の類であるというのが大方の見解だ。ディアベルが派遣した調査部隊もその実態をつかむ事は出来なかった。
「もちろん噂に過ぎません。ですが、謎の襲撃によってあらゆるギルドに人的被害が出ている事は事実です。そして、それが我々3大ギルドの不和と結びつき、陰謀論が実しやかに広まっています」
「そういう事だ! なーに、心配要らん! コソコソと闇討ちしかできん連中に俺達が後れを取るはずがないからな! ただ、どうにもきな臭い噂が多い! 互いに警戒だけは怠らずに無用な争いの種が芽吹かんように努力せねばな!」
「同意です。俺も、聖剣騎士団も、戦争を望んでいない。貴方達とは相容れない部分があるが、目的は同じはずだ」
DBOの完全攻略によるプレイヤーの解放。その目的さえ達成できれば良い。もちろん、最良なのは全てのギルドが一致団結する事であるが、それはサンライスが真っ向から否定したように絵空事であり、無理に纏めても離反と反発によって現状以上の混乱が待つだけだ。
むしろ、ギルド間抗争を煽る存在……死神部隊のような実在するかもどうかも分からない不鮮明な『噂』の方に注意すべきかもしれない。いつの時代も、人の口で繋がる『噂』程に怖い物は無いのだから。
有意義な会談だった。少なくともディアベルの望む全面戦争の気運は今のところなく、少なくともサンライスは望んでいない。彼と握手を交わしたディアベルは席を立ち、サンライスの要望に添う形で聖剣騎士団本部を案内する。
もちろん、案内するのはラムダがこういう事態の為に準備した、俗称『観光ルート』である。防衛設備やギルドの機密に関わる部分を排除した、第3者を通しても問題の無い食堂や中庭などである。
「……あら?」
だが、食堂を案内している最中にミュウがふらりと体勢を崩す。それを慌ててサンライスは受け止める。
「む!? どうした、ミュウ!?」
「申し訳ありません、団長。少し気分が……」
頭を押さえたミュウは傍から見れば確かに顔色が悪そうである。ディアベルとラムダはどう対応すべきか視線を交わす。
「うーむ! 日頃の無理が祟ったか! ディアベル、済まないが何処か休める場所は無いか!?」
慌てふためくサンライスの様子は打ち合わせされた演技とは見えない。いや、そもそもサンライスは下手な演技をするならば、真正面から勝負する男だ。ならば、これはミュウが仕掛ける何かしらの作戦だろか? だが、ここは聖剣騎士団のホームハウスであり、安全圏である。この安全圏を解除する方法は手段は幾つかあるが、ミュウが単独で動いても聖剣騎士団を害する事はできないはずだ。
「医務室のベットを手配しましょう。ラムダ、頼む」
「いえ、そこまでしていただく必要はありません。何処かで座らせてもらえれば……そこの中庭などで十分です。団長は折角の機会ですから、ディアベル様と友好を深めてください。それが太陽の狩猟団の為でもあるのです」
確かに中庭ならば、正午で日当たりも良く、休むには適しているだろう。サンライスに支えられてミュウは中庭に設けられた石椅子に腰かける。その間にラムダは侍女NPCを手配する。
「あの女狐が疲れ程度で倒れるはずがありません。何か狙っているはずです」
「でも放ってはおけない。ラムダさん、悪いけどサンライスさんの案内を頼む。彼女は俺が」
「くれぐれもご注意を」
ラムダにサンライスの案内を任せ、ディアベルは侍女NPCが持ってきたホットミルクを飲むミュウの隣に腰かける。
サンライスに付き添う形で同行するミュウと、こうして1対1で話をする機会を得られたのは幸運と言うべきだろうか。ディアベルは何気ない自分の一言が大問題になりかねないと我が身にきつく命じる。
「お疲れのようですね」
まずは無難にこれで良いだろう。ディアベルは感情の揺れ幅が見えないミュウの笑みの裏にいかなる思考が繋ぎ合わされているのか、それを見抜こうとするが、残念ながら彼にはそれ程の眼力は無い。
「ええ。部下には任せられない仕事がたくさんありますから。ですが、私は団長のように前線に出る事は無いので、無理をして成せる事は成すつもりです」
「ご立派です。俺も常々自分がリーダーでいられるのは皆のお陰だと感謝していますが、貴方程に無理を重ねることはできそうにないな」
「ご謙遜がお上手ですね」
謙遜ではなく本音なのだが、そう受け取られたならば否定する気はない。
聖剣騎士団という、発足当初よりも遥かに巨大な組織と化したこのギルドの運営は、もはやディアベル個人では成し遂げられない。ラムダを始めとした内政を担当する者達や下部ギルドの働き無しでは、聖剣騎士団は3大ギルドとして地位を保つ事などできない。
そういう意味では、聖剣騎士団や太陽の狩猟団と違い、クラウドアースは盤石だ。彼らは中堅ギルドの集合体であり、事業展開をする事によって支持基盤を固めている。ひたすらに勢力拡大と攻略を進める他2つのギルドとは方針が異なる。
「ミュウさん、俺は聖剣騎士団と太陽の狩猟団がいずれ手を取り合い、共に戦える日が来る事を願っている」
「私もです。ですが、それは夢物語に過ぎません。1人と1人でさえ意見が異なる以上、組織と組織が手を組むならば、どちらかの組織が上に立つしかありません。そして、それは少なからずの不和を呼びます」
「ああ、その通りだ。でも、理想は必要だ。理想が無ければ信念は無い。それに……」
ふと、ディアベルが思い出したのは、あの日……腐敗コボルド王戦で見た女神の姿だ。
白い髪をした、ディアベルに手を差し出してくれた天の御使い。あれは幻視に過ぎなかったが、ディアベルは『救い』を見たのだ。迷える者に過ぎなかったディアベルに立ち上がる力をくれた。
言えば、クゥリは怒り狂うだろう。彼は自分の容姿にコンプレックスを持っている。だが、ディアベルはあの時の光景を忘れる事などできない。確かに、彼はクゥリに、その言葉に、前を向く活力を貰ったのだ。
それに報いる為にも、彼は理想を抱き、信念を持ち続けねばならない。彼が聖剣騎士団のリーダーとして多くの者にとっての希望となり、そして力無き『偶像』に成り下がらない為にもだ。
僅かにだが、ミュウの瞳で感情が揺れる。ディアベルはそれが何なのか見極めるより先に、届いたフレンドメールの着信音に意識が割かれる。
フレンドメールを確認したディアベルは顔を顰める。
内容は、聖剣騎士団が保有する鉱山と麓の精錬施設が破壊された報告だ。つい先日ディアベルが承認して予算を下ろしたばかりである。緊急の報告という事もあり、襲撃に関する詳細は記載されていないが、損失は100万コルを軽く超すだろう。
襲撃犯は2人組。恐らく傭兵である。それもかなりの凄腕である事は間違いない。
「失礼。少し席を外させてもらう。彼女を『よろしく頼む』よ」
侍女NPCにディアベルは『余計な真似をさせないように』と命令する。侍女NPCは頷いてディアベルの命令を了承する。これでミュウが仮に中庭から移動するような真似をすれば侍女NPCに停止させられるし、彼女の挙動は監視されている為に安易な諜報活動はできない。仮に侍女NPCに危害を加えれば、それはそれで記録に残る為太陽の狩猟団を糾弾する材料になる。
ミュウと別れたディアベルは同じくフレンドメールを受け取って事態を知っただろうラムダと合流する。サンライスには急用ができたと言ってラムダの配下に見送りを頼む事にした。サンライスもギルドのトップとしていかなる事態が起きたのか把握したのだろう。特に何も言う事は無かった。
「さすがの女狐も会談の日に襲撃をしかけるような真似をしないでしょう。となると、やはりクラウドアースでしょうな」
次々と舞い込む被害報告を処理しながら、ラムダは唸る様に計算ツールを開いてシステムウインドウの中で並ぶ数字に唸り声を上げる。
今回襲撃された鉱山は『マスグラフ鉱石』と呼ばれるレア素材アイテムの産出が見込めたものだ。配備した採掘用アイテムや機材、調整したギルドNPC、防衛用のゴーレム、いずれも1級品であり、被った被害は単にコルの総額では済まない。
管理者として派遣した2名のプレイヤーは無事である事が救いであるが、マスグラフ鉱石を精錬して得られる【マスグラフ鋼】は大きな利益を聖剣騎士団にもたらすはずだったのだ。だからこそゴーレム3体の配備だったのだが、どうやら2人組の傭兵には力不足だったようである。
今回配備したゴーレムは多脚型で実弾装備をした【グレイ・スパイダー】だ。高い物理防御力を持ち、持久戦にも耐え得る。だが、オペレーションが不十分である事が否めず、専守防衛以上の役割を果たせない。
「1機60万コルですから、弾薬や諸々の経費を抜いて単純に180万コルの損害ですな。ギルドNPCは戦闘用が12名、採掘用が25名の『破壊』……装備分も含めれば70万コルの損害かと。他にも精錬設備なども含めれば……最終的に400万コルで済めばよろしい方ですな。現地には調査員を派遣しました。詳細な被害総額は報告が届き次第ではないかと」
渋い顔をするラムダに、ディアベルは仕事が増えたなと天を仰ぐ。
傭兵全盛期の時世だ。今回のような鉱山施設への襲撃も珍しくない。だが、その全てに実力が伴ったプレイヤーを配置するなど土台不可能であり、管理者としてギルドNPCやゴーレムを指揮する者を配備するのが限度だ。もちろん、管理者のプレイヤー2人も決して弱い訳ではない。だが、傭兵相手では余りにも分が悪い。
1回の襲撃で約400万コルの被害だ。対して傭兵2人を雇用して襲撃依頼ならば1人頭10万コル……高くて20万コルだろう。それで10倍以上の損害を与えるのだから、どれ程までに費用対効果があるのか語るまでも無い。
「報復処置を取りましょう。サインズにクラウドアースの農場に襲撃依頼を出します」
「駄目だ。まだクラウドアースの仕業と決まったわけじゃない。詳細を明らかにするまで軽率な行動は慎んでくれ」
「……畏まりました」
迅速な対応は吉であるが、安易な報復行動は被害を拡大させるだけである。無論、ディアベルもリーダーとしてアクションを起こさない訳にはいかない。調査の後、然るべき処置を実行する。
傭兵さえいなければ、とディアベルは被害報告をまとめるべく退出したラムダを見送って溜め息を吐く。
(分かっている。傭兵を必要としているのは俺達ギルドの方だ。彼らに仕事を依頼するのも、報酬を払うのも、被害を受けるのも、全て因果応報だ)
傭兵は自分を戦力として商品価値を売り込み、それに飛びついたギルドは彼らに様々な依頼をして自らの利益を確保しようとする。
先日のカークの1件も、結局は1人の傭兵が多大な戦果を挙げて解決に至った。その傭兵は他でもないクゥリだ。
今や傭兵はギルドにとって必要不可欠な存在だ。攻略をするならば、護衛・マッピング・敵対者への工作活動など、傭兵の活躍の場はこれでもかと溢れている。そして、今回のような襲撃もギルド間戦争を避ける為に、傭兵を通して行っている。ギルドのメンバーが襲撃したとなれば大問題であり、直接的攻撃行動と見なせるが、傭兵の場合は建前として襲撃者は『個人』である為、開戦の口実と成り得ない。単なる言葉遊びのようなものだ。
その後、ディアベルは鉱山襲撃に関する報告、クラウドアースへの報復行為を訴える過激派の抑え込みに奔走し、あっという間に日暮れを迎える。
何とか被害を受けた鉱山の復興の目途を立たせるも、圧迫気味の予算から搾り出す為に皺寄せとしてディアベルが立案した終わりつつある街の貧困プレイヤーへの救済支援予算が大幅に削られる事となった。更にゴーレムの開発予算やギルドNPCの強化費用など、より多くのコルを必要とする事になった結果、密やかに計画していた、価値の薄れた狩場の解放も遠のき、下部組織のプレイヤーは金策すべく実入りの良いイベントや狩場の利用などをして支援に回ってもらっている。
生存した管理者プレイヤーからの聞き込み調査により、襲撃犯の1人はユージーンである事が明らかになった。傭兵としても随一の実力があると噂されており、クラウドアースとパートナー契約を結んでいるプレイヤーである。この事からクラウドアースからの依頼による襲撃である事は9割9分間違いないだろうが、結局のところ『誰が依頼したのか』という部分が闇の中である以上、10割の確信など無い。
サインズの規定によって傭兵個人に対する報復活動はご法度だ。これを破れば全ての傭兵を敵に回す事に他ならない。故に、報復を望むならばクラウドアースに対して被害を見込める依頼を出す他ない。
そろそろクゥリと会う約束の時間だ。ディアベルは執務室から出て中庭にある転送用の金剣に触れる。金色の火の粉の光に包まれたディアベルは、月光が降り注ぐ中庭から冷たい石造りの想起の神殿へと転送される。
今日も半壊した女神像の前では黒衣の乙女がフードを目深く被って佇んでいる。彼女は想起の神殿でプレイヤー達へのチュートリアルを果たして以降は特に有用な情報も渡してくれないNPCである為、多くのプレイヤーは目にも止めない。ディアベルも目が合ったと思った時に軽く笑む程度である。
時刻は午後8時前である。待ち合わせの時間は午後8時である為、遅刻している訳ではないが、自然とディアベルは早歩きになる。待ち合わせ場所は以前ユイを引き取った、想起の神殿1階の隅である。柱の陰が多く、人目に付きがたい、密会には絶好の場所だ。
とはいえ、ディアベルとしてはやましい真似をしているわけではない為、堂々とクゥリと話がしたいのだが、彼曰く『立場を考えろ』である。
「よう。お疲れみたいだな」
顔を合わすなり、クゥリは労いの言葉をかける。ディアベルはそんなに表情に出ているだろうかと一瞬困惑したが、彼に嘘を吐いてもつまらないだけだと判断する。
「少し追加の仕事があってね。ギルドのリーダーも楽じゃないって事さ」
「だろーな。まぁ、せいぜい頑張ってくれよ。依頼ならいつでも受けてやるからさ」
ニッと笑ってビジネストークをするクゥリに、ディアベルは先程の鉱山襲撃の報告を思い出す。襲撃者の1人はユージーンであると確定したが、もう1人は今以って不明のままだ。今後の調査によって明らかにはなるだろうが、クゥリが『もう1人』である事も十二分にあり得るのである。
報告によれば、クゥリは太陽の狩猟団とのパートナー契約を終え、今はフリーの身である。元々縛りが緩い契約だったらしいが、名実ともにいかなる勢力にも属さない彼ならばクラウドアースの依頼で聖剣騎士団を害してもおかしくない。
尋ねるべきか。一瞬の迷いをディアベルは呑み込む。彼ならば、たとえ襲撃犯の1人でも悪びれることなく肯定するだろう。クゥリはそういう人間であると、ディアベルは腐敗コボルド王戦の1件で理解している。
「クーこそ左目は大丈夫かい? カークの1件には俺にも責任がある。治す手段があるなら協力させてもらうよ」
クゥリの左目は包帯で覆われたままだ。カーク戦で潰された左目はどうやら高レベルの呪いがかけられているらしく、再生不可である事をディアベルは報告を受けている。
だが、クゥリは首を横に振り、左目を指で叩いて見せた。
「悪いが、コイツは俺の不始末だ。お前の手を……聖剣騎士団の力を借りる訳にはいかねーよ。それにカークは元聖剣騎士団だ。お前に責任は無いさ」
そんな事は無い、とはディアベルには言えなかった。カークと約定を交わしたのはディアベルだ。彼は最終的にカークとの約定を破り、病み村に攻略部隊を派遣したという覆せない責任がある。
だが、それを言葉にするという事は、聖剣騎士団のトップとして許されない事だ。たとえディアベル個人が贖罪を望んでも、彼が聖剣騎士団のリーダーである以上、個人の願望では済まされない。
「それに義眼の準備も進めているからな。すぐに復活してやるさ」
力強いクゥリの宣言は強がりではないのだろう。ディアベルは一応の納得を自らに課す。これ以上この話題にのめり込めば立場を忘れて口が動きかねないからだ。
「それで、最近のユイの調子はどうだ?」
「あまり良くないね。いろいろ不満が溜まっているらしくて、ひと悶着があったよ」
ディアベルは今朝起きたユイとの言い争いを説明する。彼女が最前線に立ちたいという気持ちを蔑ろにはできないが、同時に容認もできない。クゥリは頭を掻いてディアベルの話を黙って聞いていたが、話し終えると盛大に溜め息を吐いた。
「オレの事なんかさっさと忘れちまえば良いのによ」
つまらなさそうにクゥリは鼻を鳴らし、彼はディアベルに頭を下げた。
「迷惑をかけたな。仲直りの手伝いってわけじゃねーが、コレをユイにお前からって事で渡しておいてくれ」
そう言ってクゥリがアイテムストレージから取り出したのは、白い花の髪飾りだ。ディアベルの知識に誤りが無ければ、これはINTに大幅なボーナスが付く【白の聖樹の髪飾り】だ。魔法を使用する女性プレイヤーの垂涎の品である。当然ながら所持しているプレイヤーは片手の指の数も居ないだろう。その美しさもあり、市場価値は40万コルにも至るそうだ。
それをあっさりと、それも自分からではなくディアベルからのプレゼントとして渡すように頼むなど、彼の考えがまるで読めずにディアベルは混乱する。
「クー、駄目だ。ちゃんと自分の手で渡してくれ」
「良いんだよ。オレはどうせ会う気がねーが、お前はこれからもずっと顔合わせするんだ。プレゼントってのは1番分かり易い気持ちの表し方だから、ユイならきっとお前がどれだけ大事に思ってくれてるか分かってくれるさ」
「どうして会えないんだ? キミがあの日、【渡り鳥】の悪名に彼女を巻き込まないようにした事くらい、ユイちゃんは理解している。1回で良いんだ。そうすれば、きっとユイちゃんは心の整理がつくはずなんだ」
今回ばかりは譲れない。食い下がるディアベルに、クゥリは静かに吐息を漏らして気怠いように、隻眼となった右目を動かす。
その右目にあるのは……どす黒いまでに汚れたような濁りだ。疲労ではない……まるで擦り切れて、荒れ果てて、感情という物が映せないまでに濁り果ててしまった目だ。以前とはまるで様変わりした目に、ディアベルは思わずたじろぐ。
「敵が多過ぎるんだよ。ユイとの接点は限りなく薄い方がオレも楽だ。オレは……きっとユイが危険な目に遭ったら助けに行っちまうからな。お前の懐にいて、オレと関わり合いにならない方が安全なんだよ。オレにとってもな」
「……ユイちゃんの事をどう思っているんだい? 好きなのかどうか。それだけはハッキリさせたい」
クゥリは決してユイと会おうとはしないだろう。その覚悟をディアベルは今の言葉から受け取った。これは彼なりの彼女の守り方なのだ。自分に近づけない事こそが、ユイが最も目的を果たす上で『安全』を確保できるという考えに基づいての事なのだ。
だが、ディアベルは大人しく他人の言葉通りに従う人間ではない。クゥリの目を見ているとディアベルの胸の内に、言い知れない不安感が膨らむのだ。
「異性として好きかと問われたら『ノー』だ。オレにとってユイはお前らと同じだ。ディアベルやシノンとな。オレにとって……大切な連中の1人だ」
意外な程にあっさりとクゥリはディアベルの質問に答えた。だが、その右目の混濁はより深みを増していく。
「なぁ、ディアベル。どんな気持ちなんだろうな……大切な人を、目の前で、奪い取られるってのはさ。憎いんだろうなぁ。悔しいんだろうなぁ。殺してやりたいんだろうなぁ。そうだろう、ディアベル?」
喉を鳴らして笑うクゥリは、まるで楽しげに、我が身を呪うように言葉を吐き散らす。
何と声をかけるべきか、ディアベルには分からなかった。
今更になって気付く。もはや、かつて共有した時間は過去となり、自分が覚えているクゥリと『今』のクゥリは既にズレてしまっているのだと。
「……悪い。お前も大ギルドの頭だ。オレの相手をしている時間は無いよな。手間を取らせた」
ディアベルに去っていくクゥリを呼び止める言葉は無かった。
彼を引き留める言葉を見つけるには、余りにも2人の道は既に離れ過ぎていた。
無力感に苛まれながら、ディアベルは聖剣騎士団本部に戻り、執務室で呼び出したユイを待つ。
直接部屋に赴いてクゥリから受け取った髪飾りを渡しても良かったのだが、時間は既に深夜に近い。女性の部屋に足を運ぶのは憚れた。
ノックが鳴り、バツの悪そうな顔をしたユイが入室する。
「ディアベルさん、あ…あの、今朝は申し訳ありませんでした!」
「いや、俺の方こそユイちゃんの気持ちも考えないで無神経な事を言ってしまった。許して欲しい」
ユイは我儘な子供ではない。落ち着きを取り戻せば、意地を張らずに素直に話し合えるとディアベルは踏んでいた。
その読みは正しく、むしろ今朝の件を恥じている様子のユイを見て、ディアベルは我ながら甘いと彼女に譲歩を見せる事にした。
「ユイちゃん、キミを最前線で戦わせる事は出来ない。でも、本部の外にはキミの力が、知識が必要な仕事がたくさんある。だから、俺に力を貸して欲しい」
「あ、ありがとうございます!」
嬉しそうに頭を下げるユイを見て、これで彼女のストレスも幾らか緩和されるだろう、とディアベルは自身の判断に自信を置く。
「それと、これはクーからキミに」
そして、ディアベルは髪飾りが入った木箱をユイに渡す。
クゥリはディアベルからの仲直りの証として贈るようにと言ったが、ディアベルとユイはプレゼントなど無くとも互いに手を伸ばせる。
ならば、このプレゼントは不器用な友人からの、親愛の証とあるべきだ。
「分かって欲しい。クーはキミをいつも心配している。いつだって、キミの味方のはずだ」
信じられないといった驚きの表情でユイは木箱を抱き締める。
ユイから涙が零れ落ちるまで時間はかからなかった。ディアベルは彼女が泣き止むまで無言を保つ。
その後、ユイを部屋まで送ったディアベルは執務室の椅子に深く腰掛け、今日という日を振り替える。
色々あった気がするが、忙しさは昨日と変わらない1日だった。変わらないとは停滞であり、同時に平穏だったということだ。
願わくば明日は……と願いを全て紡ぐより先に、ディアベルはひと時の眠りに落ちた。
ディアベル編終了です。
次回はまた別のキャラの☀『1日』となります。
では、84話でまた会いましょう。