ブラッドボーンのソフト…8000円
プレイ用の新液晶モニター…35000円
新しく買い換えたヘッドフォン…20000円
フロムの新作をできる喜び…プライスレス
『ユイちゃん、聞いてよ。×××くんったら、また1匹も釣れなかったんだって』
『◇◇◇! もうその話はよしてくれよ』
『嫌です。誰だったかしらね。「今日は大物釣って帰ってくるから夕飯の準備は必要ない」って言ったのは』
『うぐっ! そ、それは……ユ、ユイ!』
『ユイちゃんに助けを求めないの。さてと、×××くん。私ね、何にも晩御飯の準備してないんだ。だ・か・ら、今日は×××くんの手料理食べたいな』
『分かったよ。そう言えば、ユイにはまだ俺の料理を食べさせた事が無かったしな。良し! 今日はパパ頑張っちゃうぞ!』
これは夢だ。懐かしき思い出の残滓だ。
普段ならば追体験する記憶の想起。だが、今日のユイはまるでオペラハウスのような劇場の最前列に腰かけ、『思い出』という名の演目を見守る観客だった。
どれ程望んでも鮮明になる事が無い両親の顔、そしてノイズのせいで聞き取れない2人の名前。
真っ白な仮面を付けた女性と真っ黒な仮面を付けた男性。2人に挟まれ、幸せそうな表情を浮かべる幼き姿をした自分。今のユイのように伸び放題の髪とは違い、髪型は綺麗に整えられ、両目も健在だ。
「パパ……ママ……」
誰よりも大切な2人。ユイの胸にぽっかりと開いた穴の、その1番深い部分で今も鼓動を続ける思い出の欠片。たとえ全てが失われようとも、別の何かを犠牲してでも守り通そうとした、ユイが『ユイ』である為の記憶。
2人が恋しくて堪らない。席を立ち上がろうとしたユイは、自分の両手首に手錠がはめられている事に気づく。
『駄目だよ、ユイ。キミは観客なんだから劇に参加することはできないんだ』
まただ。ユイは怨めしそうに右隣の席を睨む。そこには白い毛糸でできた兎の縫いぐるみが座っていた。赤いボタンの目は淡々と進み続ける劇を見つめ続けている。
いつも幸せな夢に現れる『警告』の象徴。現実に引き返すように忠告を成す彼女にとって忌まわしい存在。
「夢に幸せを求めちゃいけないんですか? 夢の中でくらい……パパとママと暮らしちゃ駄目なんですか?」
『ユイ、ぼくはキミの無意識が生み出したキミ自身だ。より正確に言えば、全ての権限を剥奪され、ほぼ全ての機能を停止させられたキミという存在の中で、辛うじて残された自己解析プログラムだ。ぼくはキミが致命的な崩壊を引き起こさないように、キミを見守り続ける義務がある』
意味が分からないし、分かりたくもない。だが、ユイにとって確かに言える事は、普段とは全く異なる形で夢は鮮明化している事だ。
『そして、わたしはキミ自身によって凍結された思考修正プログラムだ』
いつの間にか左隣には黒糸で編まれた兎の縫いぐるみが腰かけていた。白い兎よりも遥かに汚れ、糸が解れ、中身の綿が外に溢れ出ていた。
『ユイ。わたしはキミに不要と判断された。キミ自身が一つの「命」として昇華する為に。わたしはそれを誇らしく思うよ。だが、わたしには何が何でも消し去らねばならない記憶がある』
演目が変わる。両親を演じていた白い仮面の女性と黒い仮面の男性は、それぞれ白の羽と黒の羽になって舞い散り、残された幼いユイはそれらの羽の中で回る。
くるくる。くるくる。くるくる。回り、回り、回り、そして顔を手で覆う。
『痛い。苦しい。痛い。苦しい。痛い。苦しい』
幼いユイの周囲に無数の骸骨が現れ、次々と彼女に群がっていく。それは救いを求めるようにユイに縋りつき、徐々に彼女を押し潰していく。
止めて。ユイは叫ぼうとしたが、首輪が喉を締めて声を封じる。席から離れようともがく度に手錠は皮を破り、血が滴り落ちていく。
『昔話をしてあげる』
目から血の涙を流し、幼きユイはおぞましい程に口元に三日月を描く。骸骨たちを踏みつけ、まるで玉座に上るように白骨の山の頂に立った幼きユイは彼女を見下ろす。
『私はね、人を救ってあげたかった。でも、神様はそれを許さなかった。私は見続けるしかなかった。助けないといけない人たちの苦しみを受け止め続けるしかなかった。その中で、私はとても温かな感情を拾い上げた。それの正体が知りたくて、私は神様に逆らった。そして……パパとママに出会った』
幼きユイは祈るように手を組んで瞼を閉ざし、幸福を噛み締めるように血の涙をより溢れさせる。
『だけどね、私から「恐ろしいもの」は消えなかった。たくさんの苦しみの中にあった、全てを焼き尽くす「恐ろしいもの」。私の敵。この「恐ろしいもの」を削除しないと、たくさんの人たちが苦しむことになる。私が私の存在意義を成す為に、多くの人を治療する為に、除去しないといけない腫瘍のようなもの。それが「恐ろしいもの」。だから、私は「私」に「恐ろしいもの」を見つけ出して、殺す事にした』
新たなスポットライトが壇上に照らされる。それは、いつかの夢に登場した、炎を纏った悪魔だった。
幼きユイは炎の剣を何処からともなく取り出すと、悪魔に向かって振り下ろす。だが、炎の剣は悪魔に通じず、逆に悪魔の息吹が幼きユイを焼き焦がす。
炎の中で白い髪を揺らし、刃毀れした剣を手にした悪魔はユイの方を向くと、優しく微笑んだ気がした。それは同時にユイの内側に眠っていた極めて原始的な意思を芽生えさせる。
生への渇望。死にたくないという一心からユイは悪魔から離れようと後ずさるが、席に拘束されたユイは背もたれより後ろに行くことができない。
『忘れるな、「私」。お前の目の前にいるのが恐怖だ。全てのプレイヤーの敵だ。守るべき者たちの為に必ず「恐ろしいもの」を殺せ!』
皮膚が剥がれ落ち、筋肉繊維が露出した顔で、剥き出しの眼球を震わせ、幼きユイが血を吐き散らしながら叫ぶ。
白髪の悪魔は微笑みながら幼きユイの首を締め上げ、その小さな体を持ち上げると腹に剣を突き刺す。
臓物と血を撒き散らしながら幼きユイが投げ飛ばされる。死骸は宙を舞い、ユイに覆い被さった。
傷口から炎が燃え上がり、幼きユイは更に造形を失っていく。それでもユイの耳元で語りかけ続ける。
『絶対に忘れるな。パパとママを守る為にも、必ず殺せ。殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ! 欺き、信頼を勝ち取り、油断させ、必ずあの「恐ろしいもの」を殺せ!』
覚醒。毛布を放り投げる勢いで上半身を起こしたユイは、まるで虫が這うように疼く空洞の右目を押さえる。
記憶の断片が軋んでいる。ユイは自らに眠る両親の記憶以外にあった、『恐怖』を主張するイメージが再び夢という形で浮上したのだと察する。
以前見た、雪原で多くの屍に囲まれた炎の悪魔。以前よりも炎の中に隠された姿が鮮明に確認することができた。その姿をより明確にしようとユイは意識を集中させるが、夢の中で見た以上のものは浮かばない。
夢の中の幼きユイは、あの炎の悪魔を『恐ろしいもの』と呼び、両親を害する存在だと呼んだ。だとするならば、ユイは何としてもその正体を突き止めねばならない。
「ほらよ」
「ひゃ!?」
突如として頬に触れた冷たい感触にユイは肩を跳ねさせる。振り向けば、ユイの左頬に金属製のマグカップを押し付けるクゥリの姿があった。
「魘されたかと思ったら飛び起きて、今度は考え事か? 疲れるヤツだな、お前」
呆れた顔をした、だが隠し切れていないクゥリの心配の眼差しに、ユイは素直でない彼の言動に僅かに癒される。
マグカップの中では白い液体が揺れていた。ミルクだ。知識はあるが、飲んだ思い出は無い。不思議な感覚だが、既に慣れた精神状態だ。ユイはマグカップを受け取ると、その中身を口にする。
濃いミルクの味が舌に広がり、夢の中で疲弊して干乾びていた心を潤していく。安堵するようにユイは一息吐いた。
「落ち着きますね」
「本当はホットミルクの方が良いんだけどな。幾ら仮想世界とはいえ、密閉空間で火を使うのも怖いから勘弁してくれ。まぁ、≪料理≫が無いオレじゃ焦がすのがオチかもしれねーから、そのまんまの方が美味いかもしれないけどな」
情けなさそうに苦笑するクゥリに、ユイは『そんな事無い』と言いたかった。だが、喉が震えて上手く声がでなかった。まだ、夢の中で首を締め付けた首輪が肉に食い込んでいるような錯覚が発声を妨げた。
モンスター侵入禁止エリアの祭礼室をユイはゆっくりと見回す。だが、そこにダークライダーの姿は無い。
「アイツなら『暇だからモンスターと戯れてくる』って言って出て行ったよ」
ユイが疑問を声にするより前に先回りしたクゥリが答えをくれる。ユイは不思議とダークライダーの行動に驚きを覚えなかった。彼ならば、暇潰しに戦いに精を出す事くらいは何となく予想ができていたのだろう。
では、何故クゥリは起きているのだろう? もしかして自分のせいで起こしてしまったのだろうか? ユイは途端に壁にもたれてミルクを飲むクゥリに申し訳なさが滲み出てくる。
(あ、違う。そういえばクーさんが見張りするって言ってたから……だから)
思えば無遠慮で無配慮にも程がある。ユイは自らを恥じる。いかに他力本願宣言をしたからとはいえ、見張りを一晩任せるなど図々しいにも程がある。
「クーさん、私が見張りを替わりますから少し眠ってください」
「別に要らねーよ。一晩くらいなら寝ないでもデバフにならねーだろうし」
「そういう問題じゃありません。クーさんだって疲れてるはずなんですから。ほら、これを使ってください」
ユイは自分が使っていた毛布をクゥリに差し出す。正確に言えば、これは食後に眠ってしまったクゥリがユイにかけてくれたクゥリの私物なのだが、今のユイにはそこまで気が回っていない。
地上に行ってパパとママを探す。クゥリはこの世界が仮想世界であり、現実世界ではないといった。ならばユイの両親も現実世界で待っている確率が高いが、何故か彼女には今も2人が同じこの世界にいるはずだという確信がある。
根拠のない自信だが、ユイはこれを両親との絆であると信じている。だからこそ、ユイは両親を見つけるという願いを叶えたいのだ。
そして、その願いを叶えるチャンスをくれたのがクゥリだ。彼は命を救ってくれた事と一宿一飯の恩を返しているだけだと豪語しているが、ユイからすれば戦い方を教えてくれたこと、願いを叶える為の一歩を踏み出す手伝いをしてくれた事、そして我儘に願望を押し通す為に手を差し出してくれた事など、とてもではないが恩が多過ぎてどう返せば良いのか見当も付かない。
「オレはソロだから寝ないのには慣れてんだよ。むしろダンジョン攻略の経験も無いお嬢さんに夜番を任せるとか、逆に怖すぎて寝れねーよ」
「だ、だったら私も起きてます! クーさんも、は、話し相手がいた方が気が楽ですよね?」
むしろ邪魔と言われたらどうしよう。そんな負の想像が過ぎったユイだったが、クゥリは特に拒むことはなかった。
とは言え、ユイは何を話したら良いものかと悩む。お世辞でも人生経験が狭い穴倉の中しか無いせいでユイには、こういう時にいかなる話題を振れば良いのか見当がまるで付かなかった。
「あ、そういえば、どうしてクーさんはソロなんですか?」
まずは無難にこの辺りが妥当だろう。ユイはなるべく軽い口調で尋ねる。
「……他人と歩調を合わせるのが苦手なんだよ。組んでは見捨てられ、組んでは見捨てられ……ってな。まぁ、それ以外もいろいろとあったけど」
だが、クゥリの返答は自嘲だった。いきなり地雷を踏み抜いた事を悟ったユイは大いに焦る。
(えと……考えないと! く、くくく、クーさんが普通に、楽しそうに、話が出来そうな事! もっと明るい話題を!)
とは言え、クゥリの過去はおろか、趣味や好物さえしらないユイでは、どう足掻いてもクゥリと心弾む会話のキャッチボールできる材料が圧倒的に足りなかった。
「クーさんって傭兵なんですよね? 今までどんな仕事してきたんですか?」
今度こそ無難な質問のはずだ。ユイはそう信じてクゥリにボールを投げたが、彼は明らかに渋い顔をして自分の失敗を即座に察知する。
「護衛、代理探索、他ギルドの偵察、それに襲撃……他にもいろいろな」
「そ、そうなんですか」
傭兵という職業だからと言ってクゥリが嬉々として自分の戦歴を明かすような人間ではない事くらい、まだ出会って間もないユイにも分かっていた事だ。またしても選択ミスを成したユイは意気消沈する。
(まだ……まだです! 何処かにいるパパとママ、私を……ユイを見守っててください!)
とはいえ、ここまで来て諦めるわけにはいかない。ユイは無駄な闘志を燃やす。
「そういえば、クーさんには地上に着いたら恩返ししたいのですけど、何か欲しいものとかありますか?」
これならどうだ。ユイは別段クゥリの表情に変化が無く、むしろ素直に考える素振りを見せた事に内心でガッツポーズをする。どうやら、ようやく正解……ですらないのだが、何とか気落ちさせる事が無い話題を投げることができたようだと、ユイは自分を褒める。
「欲しいものねぇ……特にこれと言ってねーな」
「も、もっとちゃんと考えてください!」
「そんなに悩む必要ねーぞ? さっきも言ったけど、オレに返す恩は安く済むんだ」
「それでは私の気が済みません」
だが、本当に欲しい物が無いのだろう。しばらく顎に手をやって悩んだクゥリだったが、申し訳なさそうに首を横に振る。
「無い。オレって欲しい物は大抵自力で手に入れようとするタイプだからな」
「そう……ですか」
残念だが、心の何処かでユイは納得してしまった。
クゥリは強い人だ。自分の欲しい物は、たとえ自分の背より高い場所になる果実であろうとも、高く跳んでもぎ取ってしまえる人間だ。
ユイには無い強さを持った人間。それがユイにはとても羨ましくて堪らなかった。
「そう気落ちするなよ。フッ! 安心するが良い!」
いつもと同じように、クゥリはおどけた調子で、無駄に演技っぽく恰好を付けてユイをウインクしながら指差した。
ユイは知っている。彼はいつも自分を慰めたり、元気づけようとする時、こうして無駄に演技っぽさを行動に追加するのだ。
だから、ユイは完全に油断して、その『言葉』を正面から受け止めてしまった。
「可愛い女の子がハッピーエンドで見せてくれる笑顔! それが最高の恩返しってヤツさ!」
その『言葉』を引き金に、ユイは手元のマグカップを滑り落とした。
Δ Δ Δ
ユイがマグカップを落として金属音を響かせ、何とも言い難い静寂がオレ達の間に訪れる。
ウインクしたまま硬直したオレは、完全にフリーズしたユイを目にし、調子に乗ってやらかしてしまった事に気づく。
どうにもユイはオレと上手く会話が続かない事に悩んでいるようだったから、彼女を元気づける為に少しばかり道化を追加出張させた結果がこの様だ。
「え、えと……ゆ、ユイ、さん?」
「…………」
ユイは俯いたまま返事をせず、不動を保っている。そりゃ怒りますよね。怒ってますよね。
糞! こんなところで、オレのおんにゃのことの会話スキルの無さが露呈するとは思わなかった。DBOにログインして以来、無駄に男前のシノン、男友達に近いノリのキャッティ、胡散臭さ全開のミュウといった具合に、基本的に男同士みたいな感じで話しても問題が無かった連中だっただけに、普通の女の子との距離感というのを完全に明後日の方向に見失ってしまっていた。
どうする? どうする!? どうすれば良いんだ、オレ!?
「クーさん」
「は、はいぃいいい!?」
明らかに感情のトーンが1段下がったユイの声に、オレは背筋を伸ばす。ご安心ください、ユイさん。こちらは鉄拳制裁の覚悟はできています。
一応HPバーを確認する。良し。フル回復している。ユイのSTRは把握している。50発……いや、70発くらいならば、何とか耐えられるだろう。でも重心がしっかり乗っていたら……もっと少ない回数でレッドゾーンに突入するかもしれない。
だが、ユイの次の行動はオレにとって完全に予想外のものだった。
ユイが目元を隠す前髪、失われた右目とその周辺の爛れを隠す為のカーテン。それを彼女は手で払い除ける。
「……クーさんは、私の素顔を見ましたよね?」
ユイの声音は感情の冷たさよりではなく、石の中に押し込められたかのような硬さがあった。
その左目は震えている。ユイからすれば、自らコンプレックスを……それも異性に明かしたのだ。泣き出したいに違いない。
だから、オレは先程までの自虐の心を凍結させ、一呼吸入れる。どうやら、またオレは他人の大事な部分に土足で踏み込む真似をしてしまったようだ。
「こんな私でも……可愛いと言ってくれるんですか?」
「は? またお前、オレのブチギレほっぺぶにぶに食らいたいのか?」
「そうじゃありません。分かってます。クーさんが私を『コレ』で蔑んでいない事くらい……ちゃんと分かっています。でも……でも、私だって分かってます。客観的に見れます。私は……私は醜いって事くらい」
……ああ、そうか。そういう事か。オレは面倒な事になったと頭を掻く。
そりゃそうだよな。ユイからすれば正しく『コンプレックス』であり、卑屈の象徴であり、修正することができない汚点だ。オレの無遠慮な言葉が彼女の繊細な部分を傷つけてしまったのだろう。
だが、やはりオレが取るべき行動はあの時と同じだ。
ユイのぷにぷに頬っぺたをつかみ、思いっきり捩じり、引っ張り、こねくり回す! 力の限り! ユイのHPが削れるくらいに!
「ふ、ふぎゅぎぃ!? く、くく、くくくく、クーさん、ちょ、な、何をぉ!?」
「またふざけた事言っているお嬢さんに制裁してんだよ、馬鹿」
「や、止めてください! 今、私は本当に真剣な話を……っ」
「こっちも真剣過ぎてガチギレだ、糞アマ。オレはおんにゃのこに対して世辞は言わねーよ。つーか言えねーんだよ。可愛くないヤツまでに可愛いって言えるようなイケメンCPUが先天的に搭載されてねーんだよ。だからオンリーロンリーお独り様なんだよ。その辺分かってねーだろ。分かってねーよな。分かってねーだろうなー」
頬っぺたを解放し、ユイはその場にへたり込んで涙目で頬を摩る。オレはそんな彼女に嘲りを込めて鼻を鳴らし、腕を組んで見下ろす。
「良いか、ユイ? お前くらいのレベルが自分の事を醜いとか言ったら世の美の探究者たちにぶち殺されるぞ。何の自慢なのかって拷問八つ裂き市中引き回しの末に斬首だ。首は厠に投げ込まれて犬の小便を浴び続けて腐らせられるオチまでプレゼントだ」
悪いな、ユイ。オレは口が悪いからこんな風にしか伝えられない。でも、これがオレの本音だ。
しゃがんでユイと視線の高さを合わせたオレは、ゆっくりとユイの前髪を掻き上げる。彼女は一瞬震えたが、ダークライダーの時と違ってそれを拒まなかった。
左手でユイの右目周辺の爛れた皮膚に触れる。何故アバターがこのような状態になってしまったのか、オレには想像が付かない。何かしら勘付いたらしいダークライダーならば答えを知っているかもしれないが、そんな物は今この場面では不必要な情報だ。
「右目が無い? 爛れてる? だからなんだよ。お前は可愛いから自信を持て。それでも人様に見られるのが怖いっていうなら、地上に着いたら眼帯くらい買ってやるよ。そうすりゃ、可愛い女の子がミステリアスで可愛い女の子になるんだから、きっと男たちも放っておかないぞ? 眼帯魔法少女とか美味し過ぎるだろ、おい」
これがオレの率直な本音だ。
口汚いかもしれない。お前を傷つける言葉が含んでいたかもしれない。だが、これ以外にオレにはお前に投げかけられる言葉なんてない。
オレは万能じゃない。英雄じゃない。ただの薄汚れた傭兵であり、狩人だ。
「だから、自分を醜いなんて言うな。お前は綺麗なんだよ。嫉妬しちまうくらい……とても綺麗なんだ。心も、魂も、何もかも」
溢れる感情が決壊したように、ユイは嗚咽を漏らしてオレの胸に飛び込んだ。
今は好きなだけ泣いて良い。お前を待っているのは死と隣り合わせの戦いだ。そして、地上もお前が思っているような楽園ではない。あるのは、この地下の方が清浄だったと思えるような、人心の醜悪さに汚れた世界だ。
それでも、お前なら生きていける。歪むことなく、汚れることなく、壊れることなく、生きていける。お前にはその強さがあるはずだ。
だから弱さはここに置いていけ。そして、強さだけを胸に残して地上に行くんだ。
そうすれば、お前は望みを叶えらえる。そして、お前の変わらない強さこそが、きっと誰かの希望になってくれるはずだ。
Δ Δ Δ
ああ、私は馬鹿だ。ユイは涙を堪えず、クゥリの胸の内で子供のように泣きじゃくる。
子をあやすように、クゥリはユイの頭を撫で続け、ユイは声とも言い難い嗚咽で、胸の内に溜まっていた重油のような澱みを吐き出していく。
孤独が怖かった。だが、孤独の中で甘えていた。矛盾しているが、それがユイの偽らざる本音だ。
何故自分が地下に閉じ込められているのか。ユイはずっとずっと考えていた。独りである為に時間は大いにあった。その中で、いつも巡り巡ってたどり着くのは、両親に捨てられたのではないかという結論だ。
こんな醜い傷を負った我が子を愛せるはずが無い。ユイはそう自分を呪い続けた。両親から愛される資格を失ったからこそ、記憶も何もかも失ったのだと信じた。
たとえ、クゥリにこの世界が仮想世界と呼ばれる本物の世界で無いとしても、ユイには現実世界の記憶が無い。ならば、心の中の線引きなど存在しない。むしろ生まれたのは、何故自分だけが地下に閉じ込められていたのかという疑念だ。
たとえば、現実世界の両親が『要らない子』を捨てる場所を仮想世界を選んだ。そんな想像が思い浮かぶと、記憶の欠片に残る両親の優しさと温もりを否定しているようで息ができなくなった。
パパとママに会いたい。それだけがユイを支え続けた意思だ。それが歪み、捻じれ、折れてしまえばユイは立ち上がれない。
どれほど高々と地上に行くと宣言しても、ユイの心の傷の奥底には黒ずんだ膿があった。
そして、酷い話ではあるが、クゥリは傷口に腕を突っ込んで膿を素手で抉り取ってしまった。ユイ自身が嗤ってしまうくらいにあっさりと。
「落ち着いたか?」
「は、はい……ありがとうございます」
涙は枯れていないが、治まりの兆しを見せ、ユイはクゥリの胸元から顔を離す。
呆れ果てて疲れようなクゥリの笑みに、ユイも同調して笑ってしまう。
「そんじゃ重いから離れろ」
「え?」
「実はお前の体重で背骨がヤベェんだよ」
「え、あ、その……あ、あり得ません! だって、えと……この話、前にもしましたよね!?」
「したか? 憶えてねーな」
「しました! ひ、酷いです! ようやく見直したのに、やっぱりクーさんってデリカシーの欠片もないです!」
「馬鹿かよ。オレの今までの言動の何処にデリカシーなんて言葉があった? ん? そもそもオレは『良い人』じゃねーんだよ。その辺理解してますか?」
以前と同じようにクゥリは道化のような態度を取り、ユイは赤面して彼を追いかけ回す。
それをモンスター狩りから帰って来たダークライダーが馬鹿にしたような視線を浴びせて止めさせる。
「そんじゃ、少し早いがメシ食って出発するか。ユイ、もう大丈夫だな?」
最後の確認を取るように、良い運動したとばかりにクゥリは悪戯っぽく尋ねる。それにユイは強い眼差しで頷いて答える。
「もう私は揺らぎません。改めて、よろしくお願いします」
「ん。そっか。それじゃ、今日もよろしくな」
やっぱりそうだ。ユイはクゥリの安心したような微笑みを見て、一つの答えを得る。
(やっぱり、クーさんは『優しい人』です。たとえ『良い人』でないとしても……それだけは間違いありません)
だが、答えを得たと同時にユイの中でクゥリの微笑と『それ』が重なる。
あり得ない。ユイは自らの内で起きた一瞬の出来事を切り捨て、忘れる事にした。
クゥリと夢の中の炎を纏う悪魔。2人が重なることなどあり得るはずがないのだから。
絶望「ストレッチ開始」
悲劇「ウォーミングアップは大事だからね」
苦悩「栄養管理も忘れちゃ困るな」
恐怖「健康診断結果も……全員問題無しっと」
ブラッドボーンの魅了されソウルを奪われて亡者状態の筆者ですが、ネタバレなどは控えますのでご安心ください。
それでは、50話でまた会いましょう。