SAO~デスゲーム/リスタート~   作:マグロ鉱脈

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前回のあらすじ

英雄、鬼、獣の書。それぞれに綴られたのは終わりか、それとも始まりか。





Episode21-17 セイヤ ノ キセキ 上

 12月23日、いよいよ明日こそクリスマス・イヴだと人々は興奮と不安を両立させる。

 茅場の後継者は何をとち狂ったのか、23日午前零時に3つの告知を全プレイヤーに配信した。

 

 

 

1.12月24日00:00:00から12月25日23:59:59までクリスマス期間とし、全プレイヤーはデス・ペナルティ及びダメージ、アバター損壊を含めた全てが免除される。

 クリスマス期間中は全ダンジョン及びフィールドを封鎖する。ただし、期間内にダンジョン・フィールドにいたプレイヤーはセーフルームに転移となる。期間終了後に元の位置に転移され、攻略を再開できる。

 

2.クリスマス期間中は終わりつつある街にてクリスマス専用イベントを開催する(セーフルーム専用イベントもある)。

 

3.12月24日00:00:01に、全プレイヤーにクリスマスプレゼントを配布する。

 

 

 

 12月23日午前9時。

 ついに……ついにこの時が来た! カメラのレンズを熱心に吹きながら、DBOでも最高と名高く、同時に最悪と悪名轟かせるカメラマンであるブギーマンは欲望塗れの笑みを垂らす。

 去年のクリスマスは多くの女性プレイヤーにサンタ衣装が配布され、強制装備させられた。結果、素晴らしいシャッターチャンスに恵まれたのである。

 

「あれから1年。DBOもすっかり変わっちまって……」

 

 寂れたアパートの1室から眺める終わりつつある街の風景は、去年のクリスマスとは似ても似つかない。

 思えばクリスマスを境に多くが激変した。余りにも多くの事がありすぎて、毎日が濃厚で、事件に事欠かさず、笑いも涙も多すぎた1年だった。

 終わりつつある街は今や巨大な立体構造の迷宮となり、階層と区画で貧富と思想の差が如実に現れている。攻略を牽引していたはずの大ギルドも様変わりしてしまっている。完全攻略という目標は変化しないが、探索は事業となり、支援する有力ギルド間の小競り合いや対テロリストは最新装備・アイテム・ゴーレム・アームズフォートのデモンストレーションの場となった。

 今も3大ギルドが最大戦力を保有し、DBO最大の数と質を保有するのは言うまでも無い。だが、陣営内の商業ギルドや金融ギルドの発言力が高まり、経済こそが最優先となり、市場の奪い合いこそが至上となった。

 フロンティア・フィールドの探索にしてもそうだ。増え続ける人口を支えるだけの食料がない。仕事もない。不満と不安しかない。大ギルドにとってフロンティア・フィールドの開拓・開発は急務であり、探索は目玉事業なのだ。

 年明けには本格的に入植が始まれるだろう。3大ギルドはそれぞれの経済圏を明確に確立し、陣営同士の反目は深まり、資源と市場の奪い合いは激化するはずだ。終わりつつある街は3大ギルドが仮初めの平和を維持する、言うなれば自由都市のような扱いとなるだろう。

 

「俺は可愛い女の子を撮れていれば、それでいいのになぁ。何でこんな事になったんだか」

 

 安楽椅子に体重を預け、ブギーマンは燃える暖炉の音色に耳を傾けて感傷に浸っていれば、荒々しくドアが開かれる。

 

「シャンパン買ってきたぞ」

 

「フライドチキンもあるよ!」

 

「まだクリスマスじゃねぇだろ!?」

 

 職場の同僚……魅せ筋のダンペルラバーが12月なのにタンクトップと短パン姿で視界に男臭さで汚染し、もこもこした毛皮のコートを着たゆるふわ髪の眼鏡女子キャサリンが中和する。そして、2人して一足早いクリスマスパーティを、それもブギーマンの自宅で開こうとしていた。

 

「仕方ないだろう? ウチにクリスマス休暇なんてない。むしろ48時間仕事の詰め合わせだ」

 

「そうそう。ブギーは特にハードでしょ? 何カ所撮影するの?」

 

「3桁」

 

「「うわぁ……」」

 

 ドン引きする2人に、撮影自体は苦ではないと肩を竦めるブギーマンは、週刊……いいや、隔週サインズ発足時からの仕事仲間であり、プライベートでも良好な関係を築いている彼らが家主を無視して酒盛りを始める様に引っ越しを検討したくなった。

 

「給料は上がったけど、仕事がハードすぎ。早く転職したいなぁ」

 

「あれ? 引き抜きの話は?」

 

「蹴った。報道ギルドは乱立したせいで、何処もネタ探しに躍起になって、取材もどんどん過激になって、偏向もお構いなし。嫌になっちゃう」

 

「俺らも似たようなものだろ。まぁ、俺ら以上に信用ないとかこの業界を潰す気かよって思うけど」

 

 コートを脱いでセーター姿を披露したキャサリンはこたつに潜り込み、アルコールブーストも手伝って愚痴を零す。

 

「ブギーはいいよ。カメラマンとして食っていけるじゃん。ダンベルちゃんは筋肉信者相手にマッスル講座でもやっていれば食いっぱぐれないし。でも、私はむーりー。可愛いだけが取り柄」

 

「キャサリンの自分で自分を可愛いって言うところ、嫌いじゃないぞ」

 

 マッスル! そう全身で叫ぶようにパンプアップをして見せたダンベルラバーに今すぐ出て行けと宣告したいブギーマンは、だが堪えて冷蔵庫からビールを取り出すとキャサリンに投げる。

 

「ウチで1番信頼性の高いネタを掴んでくるのはキャサリンだろ? 愛嬌も外見もあって、口も上手い。きっと良い転職先が見つかるって」

 

「こーとーぶーきーたーいーしゃーしーたーいー!」

 

 手をバタバタを振るって子どものように駄々をこねるキャサリンに、ダンベルラバーは落ち着けとプロテイン(チョコ味)を差し出すも無視される。

 

<これでキミもアナタもマッスル☆マッスル! 太陽プロテイン!>

 

 魅せ筋とマッスル講座が評価され、STRバフと外観筋肉量増加作用があるという謳い文句の、太陽の狩猟団公認プロテインの販促キャラに抜擢されたダンベルラバーの未来は明るい。キャサリンの言う通り、週刊サインズを辞めても成功する未来が約束されているだろう。

 キャサリンも記者でありながらマダムに気に入られてお茶会に出席ができる時点で、どう転んでも野垂れ死ぬことはない。

 だが、それでも週刊サインズを辞めないのは、口で何とでも言おうとも捨てたくない居場所があるからだ。

 

「……エネエナ先輩、やっぱり来ないね」

 

「仕事だろうな」

 

 寂しそうに呟くキャサリンとドライに事実を告げるダンベルラバーに挟まれ、ブギーマンは重苦しい空気をビールで誤魔化す。

 編集長のストラテスが更迭されたのは、サインズの大ギルド癒着が是正される前の話である。サインズを批判する記事を書こうとし、サインズ上層部と激しい問答の末に、ペンを折って去って行った。

 新たに編集長に昇進したのは、ブギーマンにとってリアルからの先輩であるエネエナだ。

 

「『編集長』は来ないだろ。来るわけねぇよ」

 

 ビール缶を感情のままに握り潰せば、キャサリンが肩を震わせて怯える。ダンベルラバーに睨まれて責められたブギーマンは軽率だったと頭を掻く。

 週刊となって激務化し、人員増加も避けられなくなり、より真新しく、より迅速に、より読者の注目を集められる記事を求めたエネエナは、時間をかけて信頼関係を築くことを得意とするキャサリンへの当たりが強くなった。

 毎日のように叱責が飛び交う編集室でキャサリンは呼び出され、エネエナになじられた。そして、ジュース缶を投げつけられたのである。

 もちろん、それでHPが削れるわけでも、ましてや死ぬわけでも無い。だが、逆に言えば、だからこそ攻撃に対するハードルが低く、非難の認識も低い。

 キャサリンも頭では気にしていないのだろうが、古馴染みだったエネエナからの怒りのままに投げつけられたのがショックだったのだろう。小さな金属の軋みに過剰反応するようになった。

 以来、ブギーマンとエネエナの関係は最悪だ。キレたブギーマンを上司の立場から押さえつけたエネエナを許していない。

 

「まぁ、エネエナも悪いが、お前ももう少し穏当になれなかったのか?」

 

「なれねぇよ! 俺は女の子の味方だ! 特にキャサリンみたいな巨乳ゆるふわは大好物だ! 240時間じっくりねっとり撮影したい!」

 

「……ブギー」

 

 嬉しそうに笑むキャサリンであるが、彼女は生理的にブギーマンがNGである。絶対にカレシにしたくないと豪語している。たとえ100億積まれても結婚したくないと断言している。

 脂ぎって太っているわけでもなく、不潔というわけでもなく、顔は特にイケメンで著しくモテる要素はないにしても、恋人がいてもおかしくない稼ぎと外見のブギーマンであるが、あらゆる女性が『生理的に無理!』と拒絶される。それは彼から溢れ出るカメラ道への熱意……女の子のエロい写真を撮りたいという気迫が隠れることなく放出されているからだろう。

 

「おいおい、一足早いクリスマスパーティだろう? 朝っぱらから飲んで食って騒いで、楽しくやろう」

 

「だな」

 

「だね」

 

 ダンベルラバーに諫められ、仕事を忘れなければ損だとブギーマンは笑う。

 明日はクリスマス・イヴ。誰もが待ち遠しかったクリスマス期間の始まりだ。

 

 

▽      ▽      ▽

 

 

 12月23日午前11時19分55秒。

 

 

「――以上のように、観測された『星雲現象』は月光の欠片との共鳴反応から心意によるものではないかというのが研究所の見解です」

 

 終わりつつある街の聖剣騎士団支部、団長執務室。親衛隊のソフィアは報告するとディアベルは隈が出来た目元を隠すことなく書類を捲る。

 この3日間は仮眠を1時間ずつ、計2時間しか取っておらず、ディアベルは執務室に釘付け状態だ。

 

「まだ断定できていないのだろう? 心意研究所にはこれからも月光の欠片の観測と逐次報告を上げるように厳命を頼むよ」

 

「かしこまりました」

 

「あと、済まないが、珈琲をもらえるかな?」

 

「もちろんです!」

 

 背筋を伸ばして敬礼したソフィアは、ディアベルの弱々しい笑みに胸を痛めながら、ディアベルのオリジナルブレンドを淹れる。

 スイレン……『≪ボマー≫保有者リンネ』を巡る大騒動は負債しか残さない、全員が敗者とも呼ぶべき結果で終わった。

 クラウドアースは依頼終了の申請をサインズに受理させ、続いてスイレンの連行を【渡り鳥】に依頼した。この時点で、継承権を獲得したプレイヤーはクラウドアースが保持していた。

 仮にスイレンが死亡しようとも≪ボマー≫はクラウドアースが手に入れ、保有者は教会の管理下に置く。教会と3大ギルドの話し合いで決まり、ようやく事態は終結するはずだった。

 だが、【渡り鳥】はスイレンの遺体と共に大聖堂を訪れた。彼女は逃亡を試みた為に殺害したと報告したのだ。

 スイレンの死因は圧殺だ。全身を圧迫されてHPが減少して死亡したのだ。内臓と骨は潰れていたが、だが恐ろしく外観は綺麗であり、まるで眠っているかのようだったと検死官は驚いていた。

 大騒動となったのは、継承権を獲得していてはずのプレイヤーに≪ボマー≫が発現しなかった事だ。クラウドアースは疑われ、クラウドアースは他の大ギルドが怪しいと叫び、教会は静粛を呼びかけた。

 

(聖剣騎士団内にも≪ボマー≫獲得を目論んで暴走し、あまつさえディアベル様を蹴落とそうとする蒙昧な輩までいる始末。ディアベル様、お労しいです。信頼できる御方は一握りなんて)

 

 だからこそ、親衛隊として自分こそがディアベルの剣であらねばならない! ソフィアは決意を新たにし、同時に脳裏に妄想が膨らむ。

 反逆者に囲われたディアベルの前に颯爽と現れ、背中合わせで戦って撃退する。そして、ディアベルはソフィアの右手を両手で包み、正面から笑いかけるのだ。

 

『ソフィア、やはりキミこそが最も信頼に値する。これからも親衛隊として……いいや、俺の妻として支えてくれ!』

 

「はい、ディアベル様!」

 

「ん? ソフィア? どうしたんだい?」

 

 は!? 我に返ったソフィアは黒髪ポニーテールを靡かせ、咳払いしながら珈琲をディアベルに差し出す。彼は味を楽しむ素振りもなく、眠気を払い除ける為に珈琲を飲む。

 妄想が声に出てしまうとは……不覚! 恥ずかしさでほんのりと頬を紅潮させたソフィアは、だが疲労困憊のディアベルに、そんな場合ではないと己を戒める。

 

「もっと強権を振るわれては如何でしょうか? ディアベル様ならきっと――」

 

「きっと俺に従ってくれるだろうね。だが、それでは駄目だ。確かに独裁者の方が有利に組織を纏めることができるだろう。腐敗を一掃することもできるだろう。傘下の有力ギルドを編入させ、商業ギルドや金融ギルドを解体して吸収も出来るだろう」

 

 良いこと尽くしではないか。ディアベルに崇拝の域の忠誠と敬愛、そして隠し味になっていない乙女心を持つソフィアは、心酔を込めて彼の独裁を支持する。

 

「DBOプレイヤーの厄介な所は、そのほとんどが現代日本人の価値観・倫理観・政治観を有している点だ。倫理観は薄れているし、価値観にも変化は見られる。でも、政治観というのは面倒なものでね。独裁というものを悪と認識するように刷り込まれているんだ。社会的にね」

 

「……そ、そうでしょうか? 私はディアベル様が独裁者となられたら、素晴らしい世界が生まれると思います!」

 

「無理だね.独裁は必ず腐敗と暴走を生む。俺も自分をよく分かってる。理想と大義を掲げても燃え続けることはできない。他人の意見をよく聞ける環境で無いと俺はすぐに見限られるよ」

 

 そんな事ない、とソフィアは叫びかけて、だが堪える。ディアベルの自己分析を否定したくなかったからだ。

 

「俺に出来ることは聖剣騎士団を纏め上げ、完全攻略に辿り着き、全プレイヤーの『移住』を選択して、この世界を確固たるものにする事だ。ひとまず目指すのは貴族制をベースにした軍政だと思っている。そうでもないとDBOで長期に亘る、安定した社会秩序の構築は不可能だ」

 

「……申し訳ありません。私に学さえあれば、ディアベル様の役立つ意見ができるのですが」

 

 歯痒い。ソフィアはに出来るのは戦うことだけだ。頭は悪い方では無いと自負しているが、ディアベルのように政治、経済、軍略、そして未来まで考えて動くことはできない。

 故にディアベルの命令を実行する忠犬である事を是とする。ディアベルが死ねといえば死ぬ。それがソフィアの在り方だ。この狂った世界で光を見せてくれるディアベルへの報い方だ。なお、それと個人的恋愛感情はまた別である。

 

「構わないさ。明日からクリスマス・イヴだ。クリスマス期間は親衛隊にも交代で休暇を取るように命令してあったけど、ソフィアは確か……」

 

「はい。明日クリスマス・イヴに休暇を頂いております」

 

「そうか。キミは頑張り屋だからね。親衛隊でもレベル103に到達しているのはキミだけだ。もう形骸化してしまったけど、円卓の騎士に列しても遜色のない実力だよ」

 

「ありがとうございます。ディアベル様のお言葉、師匠の墓前にて報告させていただきます!」

 

 ソフィアの師匠はナグナ探索任務中に帰らぬ人となった円卓の騎士ノイジエルだ。当時はまだ才能が目覚めておらず、ひよっこだったソフィアをよく気にかけてくれていた。

 師匠の死後、それまで以上に鍛錬を打ち込み、ついにディアベルの親衛隊にまで上り詰めたのだ。

 

「そうだね。俺の代わりに線香を頼むよ」

 

 ディアベルはノイジエルが話題に出る時、少しだけ懐かしい眼差しと悔恨の闇を垣間見せる。だが、ソフィアは追及しない。過去に何があろうとも今を否定すべきでは無いと割り切っているからだ。

 

「恐れながら、師匠はキリスト教徒でプロテスタントでした」

 

「……初耳だ」

 

「はい。DBOに囚われた時、信仰を捨てたと仰っていました。神に祈る意味が見出せなくなったと」

 

「そうか。そんな事があったのか。恥ずかしいよ。立ち上げ当時からの仲間なのに、知らない事が多すぎた」

 

「師匠は多くを語りたがりませんでしたから」

 

 そもそもソフィアを気にかけてくれていたのも、指導を受け持った部下で唯一の女性プレイヤーであり、光るものを感じても芽が出ていなかったからだろう。個人的な話をしてくれたのも、心折れそうだった彼女を奮起させる為だった。

 

「あの……ディアベル様は、イヴはどのように?」

 

「仕事だね」

 

「そ、そうですよね」

 

 スケジュールは把握している。陣営の商業ギルド主催の各パーティに顔を出し、各派閥のパーティに顔を出し、教会主催の3大ギルドの親善パーティに参加する。分刻みのパーティ・スケジュールだ。もちろん出席して飲み食いをするわけではない。魑魅魍魎相手に舌戦と腹の探り合いだ。

 

「≪ボマー≫の件で話し合わないといけない方々もいるからね。今後も3大ギルドによる≪ボマー≫探しは継続するだろうし、裏で糸を引かれては困るから」

 

 粛清、もとい暗殺すればよろしいのでは? 安易な選択であるが、最も効果的であるはずだ。だが、ソフィアは口にしない。ディアベルは聖剣騎士団存続と勝利の為ならば粛清も暗殺も裏取引も辞さないが、だが好んでいるわけではないと承知しているからだ。

 そして、もはや殺せば済むという次元ではない。大物相手であればある程に陣営内の派閥争いを招き、組織の不和を表面化させ、それは大きな隙となって瓦解と敗北をもたらす。

 清濁併せ呑まねばならず、故に目こぼしも必要だと分かっている。だが、ソフィアには耐え難いものだ。

 聖剣騎士団はディアベルが立ち上げ、彼自身が戦場に立ち続け、多くの仲間を集め、犠牲の血を流し続けて大きくしたギルドだ。ディアベルのカリスマ性と手腕、そして各分野のエキスパートが集まったからこそ大ギルドに成長できた。

 だが、今の聖剣騎士団で大きな顔をし、発言力を高めているのは、戦場に出た事もない連中だ。彼らが自分達の商売の為に、利権の為に、更なる市場の為に、攻略にまで口を出し、ついには予算配分にまで文句を付けている。

 今はディアベルという絶対的人気を誇るカリスマにして、数多の戦場で勝利を勝ち取った実績で黙らせているが、彼が欠落すれば聖剣騎士団はクラウドアースと同じ政治と金の遊び場と化すだろう。

 更には実戦部隊でも深刻な溝がある。上位プレイヤーを中心とした、多くの犠牲を払い、ネームド戦にも参加する探索・攻略組は数が絶対的に少なく、故に発言力がなく、事実上のディアベルに代弁してもらっているのが実状だ。内政を取り纏めるラムダは、故に会議ではディアベルと敢えて対立構造を作らねばならない時もあるが故に擁護する発言を控えており、それが攻略組のヘイトを集めている。

 ラムダが仮に離脱・暗殺されるような事があれば、聖剣騎士団内は更に紛糾することになるだろう。故にディアベルはラムダにも親衛隊の結成を容認して自衛強化を促したのであるが、それがラムダ派を生み、内政を取り仕切るラムダにすり寄る商業ギルド・金融ギルドの増長を生んでいる。後にディアベルも失敗だったと後悔している程だ。

 

「あの……師匠の墓参りが終わったら、何もすることがありません。よろしければ、パーティにお付き合いしてもよろしいでしょうか?」

 

「駄目だ。休む時に休むのも仕事だよ」

 

「……申し訳ありません」

 

「謝らないでくれ。心遣いだけ受け取っておくよ。さぁ、仕事だ、仕事。この書類の山を明日の朝までに始末しないとね」

 

 報告書を読む。身辺を警護する。珈琲を入れる。今の自分にはそれくらいしか出来ない。

 だが、それでもディアベル様が必要としてくれているならば、とソフィアは直立不動を崩さなかった。

 

 

▽       ▽        ▽

 

 

 12月23日午後1時45分、天気……雪。

 

「ミュウよ、これは命令だ! 明日は休め!」

 

 この人はふざけているのだろうか? だうーっと魂が口から抜けそうになったミュウは、上半身裸体に汗塗れという鍛錬上がりのサンライスに団長権限で命令される。

 先の≪ボマー≫を巡る大騒動。教会や他大ギルド、有力ギルド、傘下組織との調整。粛清と暗殺と裏取引。黄龍会の裏にいたヴェノム=ヒュドラと内通し、また出資しているだろう輩の炙り出し。やる事は山積みだ。

 そももそもとして、クリスマス・イヴはパーティという仕事が秒刻みで入っている。サンライスを出席させられないが故に、彼女ノスケジュールは超が10個ついても足りないハードスケジュールだ。

 

「あ、あの……団長? 明日とは……明日のことですか? 12月24日のことですか?」

 

「そうだ!」

 

「12月26日ではなく、12月24日ですか?」

 

「なんだ!? 26までの3連休が欲しかったのか!? それならそうと言わんか!」

 

 3日も休んだら太陽の狩猟団が潰れてしまう! ミュウは何とか魂を引き戻して踏み止まる。

 今、≪ボマー≫騒動でミュウの手勢はパンクしてしまっているのだ。ただでさえ教会と調整を取らねばならなかったのだ。

 テラ・モスキートによる無差別攻撃。それは大々的に『黄龍会』によるものだと告知された。ヴェノム=ヒュドラの支援は見え見えであったが、先手を打たれ、快楽街を中心にして噂が垂れ流されたのだ。

 これを防いだヒーローは聖剣騎士団だ。水銀蓮の香を広域に散布したのである。何も起きなければ何も騒がない。事件は日常の終わりつつある街だ。むしろ、夜明けに起きた空の上書き……通称・星雲観測が大騒ぎになった程である。具体的に死天使信仰が声高に叫ばれ、竜の神事件の再来だとばかりに救いを求めて多くのプレイヤーが大聖堂へと殺到して洗礼を受けたのだ。

 太陽の狩猟団……もといミュウは何をしていたのかと問われれば、地道に裏工作である。排除したい輩や勢力にわざと≪ボマー≫の情報を流し、【渡り鳥】にけしかけて始末して貰っていた。もちろん、暗部を動かして粛清もしてあるが、多くの子飼いを失った彼らを始末するのは容易かった。

 このような暴走が起きないように暗部を再編しつつ、だが陣営内の商業ギルドと交渉・裏取引を済ませ、最低限の尻尾切りで済ませつつ、将来に向けて膿出しリストを作成中なのである。

 そして、こんな時でも諜報合戦はいつも通りどころか激化している。教会上層部は相変わらずであり、アナスタシアとエドガーは星雲観測以後はそれぞれ方向性が異なる狂信っぷりを発揮して話が通じているようで通じていない。唯一分かるのは『死天使信仰絶対にぶっ潰す』という無言の圧力だけである。

 1分と休む暇が無い。不眠のデバフを打ち消す栄養剤を黄金林檎が超高額で売りつけて来なければ、睡眠時間を取って仕事がパンクしていたところだった。なお、ミュウはついに80時間睡眠なしと記録更新中である。

 

「ラジードとミスティアに警告を受けたのだ! 俺も団長として、もっと積極的に発言していくべきだと! 今まではお前に任せっきりだった仕事が多すぎる! 俺が不向きなのは承知だ! お前のようにいかないのも分かる! だが、お前に倒れられたら太陽の狩猟団は終わりだと俺が最も痛感しているのだ!」

 

 あのバカップルがぁあああああああああああ! サンライスを焚き付けた、DBOベストカップル賞受賞の太陽の狩猟団が誇る男女それぞれのエースに怨嗟の叫びが漏れそうになる。

 確かにサンライスにはもっとメディア露出やパーティに参加して貰いたいと思っていた。特に広報ならば任せてもいいのではないかとミュウも甘い見立てをしていた。

 だが、それはミュウが台本を作った上ですべき事であり、アドリブならば、【渡り鳥】に匹敵する空気の読まない発言と政治力の無さを発揮するだろう。

 いや、敢えて我が道を行く。間違いなく政治的判断が必要な場面で感情爆発で大問題を起こす。ミュウは立ち眩みがして、だがここで姿勢を1ミリでもブレさせたら休暇強制執行になると堪えきる。

 

「いえ、各方面のパーティに出席しなければなりませんから」

 

「俺が出席しよう!」

 

「いえいえ、個人的に交友を深めさせていただいている御方もいますので。丁度いい息抜きにもなるのですよ」

 

「男か!?」

 

「いえいえいえ、私は仕事と結婚しておりますので」

 

「分かったぞ! 女だな!? 安心しろ! 俺は他人の恋愛観に口出しする程に馬鹿ではない!」

 

 もう十分に馬鹿なんですから黙ってください! 泣き叫びたい衝動を何とか堪え、ミュウはどうしたものかとビジネススマイルで時間を稼ぐ。

 

「……ミュウよ! 俺の前で仮面の笑みは不要と言っただろう!?」

 

 だが、裏目に出る。太陽の狩猟団結成当時……いいや、DBO初期で出会った時から二人三脚でここまでやってきたのだ。サンライスはミュウの腹黒さも作り笑顔も……彼女が決して明かさない脆さも知っている。

 だからこそ、ミュウは疲労を隠さない目でサンライスを射貫く。

 

「団長、私は太陽の狩猟団の為に『何でもする』と誓いました。そして、団長は『終わらせたい時に終わらせる』ことを約束しました。『終わり』の時が来た。そう捉えてもよろしいのでしょうか」

 

 ミュウの切り返しに、サンライスは腕を組んで黙り、筋骨隆々の背中を見せつけるように反転する。

 

「……俺はお前が心配なのだ」

 

 普段の大声を意識的に抑制させたサンライスに、ミュウは最大の敬愛を込めて頭を垂らす。

 

「お心だけで十分です。どうかそのお気持ちは、いつか、いつの日か、私を処刑台に送る日まで……どうかその胸に」

 

「そのような日は来ない。俺が来させんよ」

 

 ああ、本当に馬鹿な人だ。だが、だからこそ……ミュウは覚悟を新たにする。

 

「では、明日も仕事でよろしいので?」

 

「仕方あるまい! だが、団長命令だ! 程々でいけ!」

 

「命令されては仕方ありません。1部のパーティは私が参加せずとも何とかなりますので――」

 

「ミュウ様! 黄龍会の残党の首が【渡り鳥】によって大通りに晒されました!」

 

 乱入してきた部下の緊急報告に、ミュウの頭に無数の情報と今後の対応が並列し、だが処理限界を迎える。

 ……だうー☆ ミュウは口から零れた魂を見送って倒れた。

 

「ミュウ!? ミュウ!? ミュウぅううううううううううううう!?」

 

 そして、サンライスの悲痛な叫びが雷鳴の如く轟いた。

 

 

▽        ▽         ▽

 

 

 12月23日14:55。

 

「うひぃぉおおおおおおおおおおおおお! この反応剤すごいよぉおおおおおおおおおおお!」

 

 頭と爪先でブリッジし、涙と鼻水と涎を撒き散らし、更には股間をふっくらさせて痙攣しているグリムロックに、グリセルダは魂が抜けた表情を向けた。

 1度殺された。また夫婦になった。だからこそ千切りたくても千切れない、呪いのような絆がある。そう信じるグリセルダだが、今だけは離婚を本気で考えていた。

 なお、ヨルコは裸体で仰向けになって尻を突き出し、アルコールに包まれながら心地よさそうに眠っている。平常運転だ。いつも通りの光景だ。特筆事項はなく、グリセルダは無視する。

 

「見たくれ! この数値を! 手榴弾の威力は87.5パーセント増! 範囲94.66パーセント増! この超強化に対して何たるコスパ!」

 

「……そう」

 

「ああ、この反応剤を作成したのは爆薬のスペシャリストだ。爆弾の申し子だ。この反応剤を採用した強化爆薬をアームズフォート級なら……戦場が変わる! 変わるぞ!」

 

「……そう!」

 

「ソルディオスにも採用しよう! 推進剤にも転用できそうだ。は、ははは! 完成間近だ! ついに……ついにソルディオス計画が!」

 

 もう嫌だ。早く帰ってきて、クゥリくん……! 狂った夫を見ていられず、工房を後にしたグリセルダは居間のソファに倒れ込む。

 スイレンは死んだ。殺された。クゥリは依頼に従ってスイレンを殺害した。これはグリセルダにとっても予想外だった。

 元より何を考えているのか分からなかった。だが、少なくともスイレンに情が移っていないはずがなく、殺さない選択肢を与えれば選ぶだろうと思っていた。

 

『逃げようとしたから殺しました』

 

 スイレンの遺体は綺麗だった。圧殺されたとは思えない程に、傷1つなかった。むしろ、血と泥で汚れきったクゥリと全身大怪我の灰狼……いいや、輪廻と名付けられた彼女の方が一見すれば死人と間違えそうだった程である。

 輪廻。≪ボマー≫保有者リンネと同じ名前。クゥリがどういう意図で名付けたのかも分からない。輪廻に尋ねても『秘密です』と無表情で即答されてしまった。

 嫌われたわけではないのだろう。普段はクールを気取る無表情でやや生意気そうな目付きだが、耳と尻尾で感情の動きがバレバレで、少しでも余裕があって自慢できそうならばドヤ顔を晒し、揺さぶられたらあっさりと感情を露わにして表情をコロコロ変える。

 普段はミステリアスな無表情か微笑みだが、目線や微細な表情変化を魅せるクゥリをより分かりやすくしたようだ。

 

 大ギルドと教会、そしてグリセルダの共通認識として、灰狼を輪廻と名付けたのは『次に喧嘩を売ったらぶっ殺す』という脅しという事になった。あれだけの騒動となったのだ。さすがの大ギルドもしばらくクゥリにダーティな依頼を出さず、『ご機嫌取り』くらいの依頼で抑えるだろう。

 だが、クゥリは止まらなかった。スイレンが埋葬され、密やかに葬儀が終わったかと思えば、昨夜の内に輪廻を連れて出発したのだ。

 

『ちょっと黄龍会を皆殺しにしてきます』

 

『輪廻はそのお手伝いです。マスターに有用性を認められた高性能サポートユニットですから』

 

 そして、有言実行どころか、黄龍会の残党の首を大通りに晒してパニックを起こさせたのだ。

 結果、グリセルダのメールボックスは先程からメールが秒間で届いている。大ギルド、教会、懇意の情報屋、そしてサインズからも『警告文』が届いている。

 クゥリは黄金林檎のプロデュース契約を打ち切る気は無いと発言した。ただし、グリセルダが望むならば、反応剤のレシピを慰謝料として1部提供するとも切り出した。

 グリセルダはもちろんプロデュース契約を切るつもりは無かったが、クゥリは意外そうな顔をした。むしろ、グリセルダから解約を通告されると思っていたのだろう。

 

(結局は私の身勝手だった。あの子は依頼を、どれだけの混乱を敵味方にもたらすとしても、どんな形であろうとも必ず果たす。それだけだった)

 

 ただし、黄龍会の残党を殺して生首を大通りに晒す蛮族行為で、しかもわざわざ自分で声明を出すなど彼らしくない。お陰で悪名はまた鰻登りである。鯉も龍になる勢いだ。

 

「……おじゃましまーす」

 

 しばらく何も考えたくない。顔をクッションに埋めたグリセルダは、聞き慣れた、今この時は清涼剤となる人物の登場に心が安らぐ。

 

「ユウキちゃんじゃない。いらっしゃい」

 

「だ、大丈夫なの? グリセルダさん、顔色悪いよ?」

 

 仕事で来たのか。ヴェニデの屋敷のメイド服姿のユウキが問えば、何も問題ないと笑んでみせる。

 

「……セサルさんから黄金林檎に『個人的慰謝料』だって」

 

 差し出された封筒の中身は小切手だ。ヨルコとグリムロックで常に家計は火の車の黄金林檎からすれば、目玉が飛び出そうになるほどの大金だ。

 

「わざわざこれを?」

 

「うん。ほら、ボクなら殺されないだろうってブリッツさんが」

 

「確かに、今のクゥリ君ならヴェニデ相手でも真っ正面から喧嘩……いいえ、戦争を始めそうだものね」

 

 さすがにクゥリもそこまで狂った判断を下さないだろうが、黄龍会の残党を皆殺しにして見せしめにする程度には、今のクゥリは理解できない危うさを秘めている。

 グリセルダは紅茶を淹れてクッキーを皿に盛る。久しくなかった心安らぐ時間であるが、工房からはグリムロックの甲高い、まるで悪魔と交わっているかのような絶叫が止まない。

 

「いつになく頭のネジが外れてるね」

 

「色々あったのよ。色々ね」

 

 反応剤もそうであるが、不死虫なる素材と新たなユニークソウルを持ってきたクゥリに、グリムロックのテンションはイカれてしまっているのだ。

 

「またクーがやらかしたみたいだけど、仕事なの?」

 

「発言は控えさせてもらうわ」

 

「あー……仕事なんだね。うん、聞かないでおくよ」

 

 間違った方向に察してくれたユウキであるが、いずれの大ギルドも『何処が依頼を出した?』と疑っているだろう。サインズはサインズ傭兵として依頼以外で混乱を招かれては困ると、わざわざ注意勧告を跳び越えて警告である。クゥリがクゥリであるだけに、グリセルダも含めて真意はまるで不明だ。

 

「……会いたかったんだけど、無理そうだね」

 

「クゥリ君もユウキちゃんに会いたがってるわよ」

 

「そうかな? 不安になるんだ。ボクはクーに会いたいけど、クーはボクに会いたくないんじゃないかって」

 

 否定はできなかった。同時に肯定もできなかった。

 グリセルダは知っている。言葉にせずとも、クゥリはユウキを大切に思っている。だが、言葉や行動で示すのが苦手で、むしろ自分から遠ざけた方がいいではないかとさえ思っている言動さえもある。

 クゥリ君もきっと貴女のことが好きなのよ、と今ここでグリセルダが代弁するのは簡単だが、それはそれでただでさえ複雑な話を捻じ曲げる。

 

「でも、クリスマスに会うのでしょう?」

 

「うん。仕事があるらしいから、それまでの短い時間だけど……」

 

「クゥリくんがわざわざ時間を作っても会いたい人なんて、ユウキちゃんくらいよ」

 

「そうかな? キリトは?」

 

「私が言うのもなんだけど雑よ。まぁ、男友達ならあれが普通なのかもしれないけど」

 

 ユウキを不安にさせる要因の1つはキリトだ。アインクラッドで相棒だったキリトが急接近してきたことで、クゥリとの関係に変化があったのだろう。

 まったく、あの真っ黒は女関係に混乱をもたらすのは自分の範疇だけにしてもらいたいわ。溜め息を呑み込んだグリセルダは、紅茶の水面を見つめるユウキに僅かな違和感を覚える。

 

「ねぇ、クーにサポートユニットが出来たって聞いたんだけど、グリムロックさんにしては珍しいよね。獣人の女の子なんだよね?」

 

 やはりその話題は避けられないか。グリセルダも大ギルドや教会に質問攻めされ、企業秘密で乗り切った案件だが、ユウキの場合は全く別の意味だろう。

 

「あのクゥリくんよ? 色気のある何かが起こると思う? 出会い頭に額と後頭部を叩き割ったのよ?」

 

「叩きわ……!?」

 

「心配しなくても、クゥリくんにとってあの子は『武器』。もちろん、自我もあるみたいだから、クゥリくんも本当に武器のように使い捨てにするような運用をせず、コミュニケーションを試みているみたいだけど。でも、クゥリくんだから……」

 

 輪廻も輪廻で理解できない部分は大きいが、サポートユニットとしてクゥリに従っている。いうなればサポートユニットの本能だ。そうでも無ければ、額と後頭部を叩き割り、なおかつあんな雑な扱いを受けて従えるものではないだろう。

 

「そっか。そっかぁ! 安心した! いやぁ、グリムロックさんが準備するなら、絶対に人型なんてあり得ないと思ってたから、もしかしてクーのオーダーだったのかなって心配してたんだ!」

 

「あの人もたまに狂ったことするから」

 

 今まさにね。嘘であるが、説得力の塊である奇声が轟く工房を見るユウキの笑みは引き攣っている。ここならば、大ギルドも実現できていない人型サポートユニットが生まれてもおかしくないと納得しているだろう。

 

「それよりも! 折角のデートなんだから、ちゃんとオシャレをしなさい」

 

「ボクを何だと思ってるの!? オシャレくらいするよ。だ、だって、クーとの……デートだし」

 

 顔を赤らめて恥ずかしがるユウキに、グリセルダは心の底から幸せを願う。

 今まで多くの事があった。だが、ユウキは諦めなかった。いつもクゥリを追いかけて、そして待ち続けた。

 報われて欲しい。そして、少しでもクゥリを変えてあげて欲しい。グリセルダは祈りに似た願いを抱く。

 

「そうだよ。ボクとクーの……『大切なデート』だもん」

 

 だからだろうか。

 嬉しくて、楽しみで、少しだけ恥ずかしくて臆病になりそうで、だが勇気を奮い立たせたユウキの目がいつもと違うような気がした。

 

「そろそろ戻らないと。ヴェニデはお仕事いっぱいで、クリスマスにちょーっとだけ休み時間をもらうのも大変なんだ」

 

「そ、そう。頑張ってね」

 

 この不安は何? ユウキを見送ったグリセルダは気のせいだろうと首を横に振る。

 ユウキは……ユウキだけはクゥリを傷つけない。傷つけないで欲しい。裏切らないで欲しい。

 そんな事は起こるはずが無いと今までの積み重ねで言い切れるはずなのに、グリセルダは願わずにはいられなかった。

 

 

▽       ▽       ▽

 

 12月23日午後3時33分。雪は止まず。

 

「これ、どうかしら?」

 

「…………」

 

「これはどう?」

 

「…………」

 

「こ、これは……!? ちょっと派手すぎないかしら!?」

 

「…………」

 

「カイザー! 意見くらい言って! 何の為に雇ったと思ってるの!?」

 

 ……何が悲しくて乙女モード全開のシノン相手にファッションの批評をしなければならんのだ!? トレードマークのテンガロンハットを深く被り、カイザーファラオは咆吼を呑み込む。

 シノンはカイザーファラオを『依頼主』として雇った。協働ではない。

 依頼内容は『装備に関する評価』である。てっきりクリスマス前に新装備のテストに付き合えという意味かと思って気軽な気持ちで了承してみれば、内容はまさかのクリスマスパーティ……それも太陽の狩猟団開催ではなく、【黒の剣士】キリトが参加する個人的パーティの衣装である!

 気分は娘を持ったパパ……なわけがない! カイザーファラオはまだ歴とした20代。シノンのような大きな娘がいる年齢ではない。何が悲しくて、専属仲間の傭兵の、それも男に見せる為の服を選ぶ手伝いをしないといけないのか。

 

「パンツスタイルもいいけど、やっぱりスカートじゃない? 男ってスカート好きでしょ?」

 

 と、カイザーファラオに変わって発言してくれているのは、依頼の真実を知って10秒後にはヘルプを頼んだ、最近は何だかんだで『良い関係』になれたサインズ受付嬢のラビズリンだ。ようやく謹慎解除されたばかりなのだが、謹慎と休暇は別だと今日から10日間の有給申請を出した強者である。

 逆に言えば、クリスマス・イヴ到来と同時に更新される傭兵ランクに纏わる激務を、他の受付嬢や職員に押しつけるという悪魔の所業である。

 なお、これには明確な理由もある。ラビズリンはDBOでも屈指の人気を誇る瑠璃色楽団のボーカルだ。クリスマス・イヴからはライヴ三昧なのである。サインズも彼女の活動を認めており、また先のサインズ腐敗を正す切っ掛けを作った事実からも、受付嬢や職員からも好意的に休暇を認められている。

 尤も本人はまるでそんな気など無いゴーマイウェイなのであるが。だが、そんな自由気ままで、しかし根性と覚悟は据わってる部分が嫌いではないカイザーファラオだった。

 

「や、やっぱり? でも、スカートは制服くらいでしか履いてなくて……」

 

「スタイルは悪くないし、顔だって羨ましい位に可愛い。愛想は足りないけど、そこが逆にアンタのクールな魅力になってるのも確か。もっと自分に自信を持ちなさい」

 

 受付嬢に気圧されてファッション指導を受ける傭兵など前代未聞だろう。苦笑するカイザーファラオに、お前の仕事だとばかりにラビズリンが睨む。

 

「アンタは男目線で何か言えないの? ほら!」

 

「ど、どう?」

 

 普段の強気も失せたシノンが、白いワンピース姿でくるりと舞う。

 

「清楚でゲロが出そう」

 

「死になさい」

 

 一瞬にしてシノンが調子を戻して絶対零度の眼で睨む。

 

「本音で本心の評価が欲しいんだろ!? 似合わないものは似合わないんだよ! 文句あるか!?」

 

「言い方があるでしょ!? 報酬が欲しくないの!?」

 

「身内特権で最低報酬額で依頼を出しておいて、よくその発言できたなぁ!?」

 

「お金がないんだから仕方ないじゃない!」

 

 声を張り上げ過ぎて、ぜーぜーと互いに息を切らす。ここで喧嘩をしても仕方がない。カイザーファラオも傭兵だ。雇われた以上は仕事をこなさねばならない。

 

「そもそもお前に清楚系や可愛い系は似合わないんだよ。身内でやる小さなパーティなんだろ? いつもの私服が1番なんじゃないのか?」

 

「うわぁ……アンタそれだから3枚目扱いなのよ。いい、シノン? この馬鹿の発言は忘れなさい。クリスマスで、あの【黒の剣士】をオトす。そうでしょう? ライバルは多いわ」

 

「べ、別にキリトの為じゃなくて、やっぱり、パーティだし、礼儀として……」

 

「黙りなさい! 恋は戦争! クリスマスは決闘! 性の6時間が欲しくないの!?」

 

「せいのろくじかん?」

 

「……失言だったわ。忘れなさい」

 

 意味が分からなかったらしいシノンが怪訝そうに聞き返せば、さすがのラビズリンも謝罪する。

 やはりか。カイザーファラオは冷や汗を垂らす。

 シノン。コイツ……典型的な恋愛弱者! まるで狩りの仕方を知らない子猫! 狙撃は一流でも男心を狙うにはド素人! カイザーファラオは想定されるライバルを思い浮かべる。

 まずはマユ。通称マユユン。歌って踊れて戦えちゃう、なんちゃって大和撫子系アイドルにしてHENTAI鍛治屋の1人。キリトの専属鍛治屋なのもそうであるが、男女のどちらからも狂信的人気を誇る。

 アイドル故に男性歴は一切合切クローズド情報! だが、今は公然とキリトにラブコールを送っている! なにせ歌の中で『好き好き大好き、私の剣士♪ 真っ黒コート♪』なんていう、ファン発狂ものな歌詞をライブで歌いきる猛者!

 当然、喰いに来る! この絶好のチャンス、狩らずしていつ狩るというのだ!? ファンさえも『あの【黒の剣士】なら仕方ない』。・『マユユンを幸せにできるのは【黒の剣士】だけ』・『【黒の剣士】死ね』・『とりあえず死んでくれませんかねぇ、キリトさーん』・『SHINE』・『真っ黒野郎を殺して僕も死ぬ!』と公認で後押ししているのだ!

 

(ヤバいぜ。マユユンは恐らく『洋装』で攻めてくる。確実にギャップを狙ってくる! 普段は肌露出ゼロのマユユンのギャップ……つまりは……)

 

(気付いたわね。そう、マユユンは間違いなく『ミニスカート』で攻めてくるわ。それも惜しげも無く、冬の寒さすらも耐え抜いて生足でね!!)

 

(お、俺の脳に直接……!?)

 

 いや、今は『どうでもいい』。ごくりと生唾を飲み、強敵を想像してカイザーファラオは眉間に皺を寄せて脂汗を垂らす。

 マユがミニスカ生足コンボを決めてくる? 確かに霞む。絶対的に霞む! 色気もへったくれもない普段着のシノンは案山子同然!

 さながらアナコンダVSハムスター! 勝負にすらならない!

 

「ふ、普段着はやっぱり……駄目だ」

 

「当たり前よ。私もさすがにそれはどうかと思うわ」

 

 良かった。シノンに最低限の戦う資格があって……本当に良かった。カイザーファラオに依頼を出す程度には、普段着では駄目だろうと自覚があったのだ。それは微かな勝機を引き寄せたのだ!

 

「でも迷うわね。私、服はし○むらで買ってばっかりだったから、こんなオシャレな店には入った経験がないのよ」

 

 敢えて聞くまい灰色の学生時代! オシャレに興味を持てなかったのか、持つ余裕がなかったのか、何にしてもファッション基準がしま○らの女! これにはカイザーファラオも顎にアッパーを喰らった気分だった。

 

「というか、ここって品揃え悪いのよねー。やっぱり凝った服ならクラウドアース系列でしょ」

 

 店員が涙目になる発言をラビズリンは躊躇わない。シノンが気を利かせて太陽の狩猟団系列の店に入ったのであるが、ラビズリンは駄目出しをする。

 

「え? でも……いいの? 私って太陽の狩猟団専属の……」

 

「ファッションまで口出しするなら、プロを寄越してコーディネートしなさいって言ってやりなさい」

 

 シノンの手を引き、店から出たラビズリンの後を追おうとして、だがカイザーファラオは帽子を脱いで頭を下げる。

 

「すみません。勝手な女で。あ、これください」

 

 詫びでサングラスを買ったカイザーファラオは2人を追いかける。宣言通りにクラウドアース系列の店に入ったラビズリンは、シノンを着せ替え人形にする。

 

「うーん、素材はいいのに、何で!? やっぱり普段のイメージかぁ。ウィッグとか付けて……でもなぁ……」

 

「あー、確かにロングヘアにすれば印象も変わるだろうけどなぁ」

 

「嫌よ。さすがにそこまでしたら……その……」

 

「はいはい、分かってるわよ」

 

 俯いて顔を赤らめるシノンを応援するようにラビズリンが彼女の肩を撫でる。

 さすがはクラウドアース系列と言うべきか。先程の店とは品揃えが違う。一流のデザイナーを囲っているだけのことはあるのだろう。

 想定されるライバルその2,シリカ。SAO時代からの仲間であり、UNKNOWN時代からマネージャーとオペレーターを務めていた、いうなればパートナーと呼ぶべき存在だ。

 噂ではキリトとピンク色の関係らしいのであるが、真偽不明である。なお、これを知ったDBOの男性プレイヤーは『まぁ、SAO時代からの仲なのだから、そうなんだろうな』・『2人にしか分からない絆があるんだろう』・『とりあえず【黒の剣士】は死んだ方がいい』・「【黒の剣士】がロリコンだったなんて幻滅しました。暗殺依頼を出しておきます」・「合法ロリをキープするとか、舐めてんのか? あン!?』と温かな声援が送られている。

 シリカは間違いなく大人びた格好で攻めてくるだろう。ここ最近はツインテールを解いた姿を目撃されている。つまり、事前にキリトには『大人の女』を刷り込ませているのだ。

 事前準備の差! これこそが勝敗を分かつ! 苦境を理解してカイザーファラオは奥歯を噛む。シリカは背の低さ、胸の無さ、童顔……まさしく合法ロリ。だが、刷り込ませた。染み込ませた。『大人の女』として意識させる毒を!

 

(ヤベェ……ヤベェぜ! シリカは間違いなく、シノンなんて目じゃない色気で攻めてくる!)

 

(考えられるのはシックに黒系ね。ドレスで来るわよ。個人パーティなんて関係ない。強制的に『2人だけのトゥルーナイト』作戦で来るわよ!)

 

 ラビズリンもシリカの危険性を把握したのだろう。生半可な装備では勝てないと悟る。

 石斧を持ってウホウホ言ってる原始人が21世紀の軍隊に挑むような無謀! 勝てるはずがない。石斧を振るうより先に弾道ミサイルでチェックメイト!

 

「店を変えるわよ! ここでは戦力が足りないわ! 予算をケチって勝てる相手じゃない!」

 

 店員さん、別にここが安くて質が悪いってわけじゃないんですよ。カイザーファラオは謝罪しながら帽子を買って、シノンを引っ張っていくラビズリンを追いかける。

 

「やっぱり、私には無理なのよ。それに、別に、キリトに見てもらいたいわけじゃ――」

 

「甘えんな!」

 

 ラビズリン、渾身の平手打ちが炸裂! この期に及んでまで誤魔化そうとするシノンが吹き飛ぶ! カイザーファラオに直撃する!

 

「今のアンタは竹槍しか持ってない。しかも先端を麻で覆ってるわ。それで勝てるわけないでしょ!? アンタが明日、戦う相手は最新兵器で武装したスーパーソルジャーなのよ!?」

 

「…………」

 

 俯いたまま座り込み、叩かれた頬を撫でるシノンに、ラビズリンは冷徹に見下ろす。

 

「『好き』なんでしょ?」

 

「……すき」

 

「だったら、どうしたい?」

 

「オシャレして、キリトに見て貰いたい。私を見てほしい。見惚れさせたい。私を……私だけを見て貰いたい!」

 

 泣き叫ぶように告げるシノンに、ラビズリンは頷いて笑み、手を差し出した。

 

「それが聞きたかった……!」

 

 そして、俺は間に合った。公衆の面前でシノンがキリトへ想いを告げたのだ。隠さないわけにはいかない。隠密用の消音玉を足下に投げつけて、2人の会話を周囲にシャットダウンしたカイザーファラオは、何事だと目を向ける通行人に気にしないでと苦笑いで手を振る。

 何処で何やってんだと言いたいが、よくやった! シノンはカイザーファラオを雇っていながら、自分の気持ちに正直になって、全力でキリトを振り向かせる『覚悟』が足りていなかった。

 だが、シノンは目覚めた。眠れる山猫が目覚めたのだ。

 いける。まだ勝ち目は残ってる……! カイザーファラオが拳を握った瞬間だった。

 ファッション街を行く通行人。その中で目を惹く1人の少女。

 艶やかな黒髪をした、男の視線を吸い寄せる凶悪な胸部装甲を持ち、だがまるで清風のようなスポーティさを持つ美少女。

 それだけならばいい。カイザーファラオはキリト関連情報を思い出す。

 リーファ。カイザーファラオが尾行した限り、キリトとは兄妹関係! 言われてみれば、確かに何処となく似ているような気がしないでもない!

 だが、カイザーファラオはそこで調査を打ち切らなかった。『深み』に入りすぎてしまったのだ。

 この妹……ヤんでいる! 兄への想いを拗らせまくっている! 主に禁忌的な意味で!

 なお、キリトとリーファが義理の兄妹とまでカイザーファラオも調べ切れていなかった。しかし、ここでは大した問題にはならない。

 兄妹。即ち、兄たるキリトの個人情報を有する絶対的なアドバンテージ! これだけでも凶悪極まりない!

 だが、妹! 妹では踏み込めない、知る術がない兄の内面! 兄が最も隠す情報!

 だから、この女……やりやがった! カイザーファラオは腹をぶち抜くミドルキックを浴びたように呻く。

 リーファが連れているのは、教会服の少女。頭まですっぽりとフードを被っている。長いローブはふわりと足首まで伸びている。縫い込まれた金糸は上品であり、教会でもやや地位は高めだろう。

 それだけ。それだけならば問題ない。だが、教会服の少女はミスを犯した。あまりにも気配を『殺しすぎている』のだ。

 周囲に溶け込むような、息を吸うようなステルス。それは歩き方や動きの各所に見られる視線誘導がもたらすものだろう。それを無意識レベルで実施している。

 リーファが隣にいて、語らっていなければ、気付けなかっただろう。いや、リーファに注意を集められるからこそ、教会服のステルスはより完璧になっていただろう。カイザーファラオは僅かにステルスを看破することができたのは奇跡に過ぎない!

 そんなヤツは1人しかいない! そう、つい数時間前に大通りで黄龍会残党を晒し首にした【渡り鳥】! なんか≪ボマー≫関連で大立ち回りしていたらしいが、そんな事はどうでもいい! 重要なのは、【渡り鳥】はキリトが親友と認める、SAO時代の相棒という事だ!

 そりゃ知ってる! 男友達だもん! 親友だもん! 性癖も! 女の好みも! そりゃ色々と知っている!

 故に禁忌を犯す気満々の妹は、ただでさえ有するアドバンテージを二乗化した!

 

(な、なんて胸だ……! ありゃ凶器だ! 無理だ。か、勝てねぇ。妹でも『女』として意識させるには十分すぎる武器! しかも最強最悪のジョーカーを切りやがった!)

 

(お、おおおお、落ち着け、馬鹿! 確かにあの胸はヤバいけど、それだけで陥落できる【黒の剣士】じゃない! まさか【渡り鳥】を引っ張り出すなんて禁じ手を使うヤツがいるなんて思わなかったけど、あの子はそれ故に油断するはず! 必ず隙はある!)

 

 現代戦は情報戦。より多くの情報を持つ方が勝つ。

 鎖国した江戸時代の農民が、インターネットが発達した現代人にどうやって情報戦で勝てというのだ? リアルタイム通信すらないというのに!

 

「ちょっと! 2人もどうしたのよ!?」

 

「すまん。戦力差で……吐きそう」

 

「右に同じく。でも……負けない。負けられない! シノン! アンタを勝たせてみせる! ううん、私も勝ちたい!」

 

 決戦はクリスマス・イヴ。

 困惑するシノンの左右から腕を回したカイザーファラオとラビズリンは、細くとも確かにある勝利の糸を探すべく踏み出した。

 

 

▽       ▽       ▽

 

 

 12月23日午後4時58分。外は雪なり。真っ白なり。

 

「ありがとうございましたー♪」

 

 大胆すぎる。大胆すぎるよ、リーファちゃん! レコンは顔面蒼白になりながら、リーファが手を振って見送る【渡り鳥】に頭を下げる。

 

『やっぱりお兄ちゃんをオトすなら、クゥリさんから情報をもらうしかないよね!』

 

 クリスマス・イヴに開かれる、身内だけの小さなパーティ。レコンも参加する予定であり、攻略やら何やらを忘れて親しい人物が参加する予定だ。

 レコンは知っている。イヴのパーティに、キリトを仕留めるべくハンター達が動き始めている事を。

 マユも、シリカも、シノンも、そしてリーファも例外ではない。他にも各所にフラグが立った女性達も噂を聞きつけて傘下を目論んだだろうが、ひとまずこの4人が確実にキリトを狙うだろう。

 好きにすればいい。キリトが女性関係でどうなろうと無視を決め込む予定だったレコンは関与する気などなかった。

 だが、朝起きるとレコンの部屋のドアの隙間に1枚の手紙が差し込まれていた。

 

<クリスマスデートしようよ!>

 

 手紙からも香るナギのニオイ。断じてヘンタイではないが、特徴的で分かるのだ。まるで食肉花だと分かっていても誘われずにはいられない甘い香りだ。

 クリスマスデート。もちろんだ! レコンとて男である。愛しい相手からクリスマスデートに誘われた全力で応じる。もちろん、覚悟は決まっている。朝帰り予定だ。

 だが、いざファッション雑誌を捲ってみてもまるで分からない。キリトは基本的に黒系統ばかりであり、私服については『俺も適当だから』と返された。

 スゴウは逆に『大人の男』路線過ぎて、今のレコンでは背伸びしすぎている。

 

『ふーん? 事情は聞いて欲しくないけど、女の子と一緒に歩いても恥ずかしくない格好ね。はいはい、何処のナギちゃんか知らないけど、レコンの服、選んであげるよ』

 

 レコンのデート服をリーファが選んでくれることになったのだ。

 だが、交換条件としてリーファに男目線でどうなのか教えて欲しいと彼女の勝負服選びに付き合うことになったのであるが、肝心のレコンではセンスが足りない。故にリーファの不満は募り、仕方なくスゴウを助っ人で呼んだのだが、今度はリーファが塩対応する始末である。

 全てを水に流して仲良くなったわけではない。だが、仲間とは認め合っている。リーファとスゴウの関係は絶妙なバランスで成り立っている。ファッションの指摘なんてできるはずがない。

 

『もういい。最終兵器を使うから』

 

 そして、リーファはあろうことか【渡り鳥】に連絡したのである。大通りで黄龍会の生首展覧会を開催した張本人である。

 結果として満足がいったのか。リーファは満面の笑みである。

 

「よ、よく平然としていられるな。リーファちゃんだって知ってるはずだろう? むしろ、見たよね? 見たはずだよね!?」

 

 喫茶店にてパフェを食べて幸せそうな脳天気全開のリーファに、レコンはツッコミを入れずにはいられなかった。

 

「晒し首のこと? 悪い奴らだから気にしなーい! だって、スイレンさんを『殺害』したんでしょ? それも【渡り鳥】さんの護衛が終わった直後に。そんな卑怯者が生首になろうと生ゴミになろうと興味ないもん」

 

 高級娼婦のスイレンが『黄龍会に拉致』したのはDBOでも大きく取り上げられる事件だ。多数の貧民プレイヤーが犠牲となっており、どうやらテログループ・青の砂漠がスイレンの客だった大ギルドの幹部が漏らした情報を狙って起こした事件のようだった。

 大ギルドはこれに徹底的な正義の裁きを声明し、教会の名の下で焦土となった貧民街と旧市街の1部を復興する計画を発表した。

 だが、【渡り鳥】が護衛終了後に黄龍会はスイレンの拉致を敢行。更にはテラ・モスキートなるフロンティア・フィールド産のモンスターで終わりつつある街を無差別攻撃しようとし、これを聖剣騎士団によって阻止された。

 スイレンは悲しくも黄龍会によって殺害され、今は大聖堂敷地内にある霊園にて眠っている。その墓石は決して大きくないが精巧で美しく、公表はないが、スイレンの上客が建てたものだろうと噂されている。

 レコンも遠目で見た事があるだけだが、美しい人だった。上品な物腰、聖母のような笑み、優雅な動作……高級娼婦がただの娼婦とは一線を画す理由を思い知った。

 

「ふむ、リーファは【渡り鳥】さんに絶対の信頼を置いてるんだね」

 

「……まぁね。お兄ちゃんの相棒だったし、あたしにとってはもう1人のお兄ちゃんみたいなものだし」

 

 ややラグはあったが、レコンの隣で珈琲を飲むスゴウに対してリーファは躊躇いながらも応じる。

 スゴウとオベイロンは違うと分かっている。だが、簡単には切り離せないリーファは、スゴウに『くん』付けや『ちゃん』づけを禁止した。どうにも馬鹿にされているような気分になる、という酷く感情的な理由だった。

 結果、スゴウはリーファだけでは無く全員を呼び捨てにするようになったが、逆にそれが最年長という事もあり、より頼りにされる拍車をかけてしまっている。あのキリトが政治や経済、経営に付いてまでスゴウに教えを請う始末だ。

 

「【渡り鳥】か。とても興味が惹かれる……というか、これは何なんだろうね? 動悸が……む、胸が……!」

 

 眼鏡がズレかける程に激しく前のめりになったスゴウは、胸を押さえて息を荒くする。

 

「恋ですか?」

 

「あたし達、同性愛には寛容だよ?」

 

「いや、違う! そんなはずがない! だが、なんか、彼の声を聞いたら、顔を見たら、こう……胸が……!」

 

 慌てふためいていたレコンが言っても説得力はないが、普段の【渡り鳥】はふわふわという擬音が聞こえてしまいそうな程に無防備で脅威を感じさせない。彼の周囲だけのんびりと時間が流れているかのような錯覚さえもある。

 故に『初対面』であるスゴウの反応は一目惚れ以外の何物でもないのである。

 

「まぁ、スゴウが恋しちゃうのも分かるけどね。だってクゥリさんって男だらけのファンクラブがあったくらいだもん」

 

「……YARCA旅団。今頃どうしてるんでしょうねぇ。最近はすっかり影が薄くなってしまって」

 

 かつてはDBOの各地で出没したYARCA旅団も、旅団長にして始まりの1人、タルカスの戦死によってすっかり鳴りを潜めてしまった。

 噂ではタルカスを次ぐ後継者がいるとの事であるが、この様子だとまるで活動できていないのだろう。

 平和な事だ。YARCA旅団をイメージしただけでお尻がムズムズするレコンは、彼らの不在こそが男達に安寧をもたらしているのだと確信する。

 

「ど、同性愛? 私が? な、なるほど。そういう可能性もあるのか。私はオリジナルではないから」

 

「そうそう。自分の可能性を狭めない方がいいよ」

 

「あー、乗っかった僕が言うのもなんですけど、あの人は男とか女とか性別の垣根を超越した例外なので、あまり気にしない方がいいですよ」

 

 まだ精神的に不安な部分があるスゴウに、下手な思い込みを持たせたくないレコンは、適当に促すリーファの発言を塗り潰すようにフォローを入れる。

 

「イヴはパーティがあるが、クリスマスはどうするんだい?」

 

「僕は……会わないといけない人がいるんで。多分、帰るのは26日の朝か昼ですね」

 

「あー、ヤダヤダ! レコンったら爛れてる! あたしはどうしよっかなぁ。お兄ちゃんが25日は仕事で聖夜鎮魂祭に出席しないといけないだろうし、あたしも大聖堂かな? それまではクリスマス専用イベントで時間でも潰すつもり」

 

「クリスマス専用イベント……危険じゃないのかい?」

 

 疑うスゴウは正しくDBOで生き残れる条件を持っている。だが、レコンは手を横に振って否定した。

 

「こればかりは違いますよ。茅場の後継者は、変なところで誠実っていうか律儀っていうか、悪意のある罠は準備しても、きっちりと区分けしてるんですよ。今回のクリスマスイベントは、本当にプレイヤーへの息抜き目的でしょうね。その方が26日から地獄ですから」

 

「……クリスマスの為に生きていた人が多いみたいだからね。精神的に追い詰められるか」

 

 スゴウも納得したようだ。これもまた茅場の後継者の遠回しの嫌がらせなのである。

 

「そうか。では、私もクリスマスイベントに参加してみるか。実は気になっていたイベントがあってね。そうだ。ユナを誘って――」

 

「空気読めない男制裁キック!」

 

 テーブルの下でリーファがスゴウの脛を蹴る。スゴウが声にならない悲鳴を上げそうになるも、他の客に迷惑になるという理性で歯を食いしばっている。

 

「ユナさんには幼馴染くんがいるでしょ!? 折角のクリスマス、2人っきりにさせてあげないと!」

 

「でも肝心のその人、まだ帰ってきてないんですね?」

 

 空気読めない男制裁キック! リーファの蹴りがレコンの脛に命中し、スゴウと同じく顔面からテーブルに伏せる。

 

「……帰ってくるよ。そうじゃないとユナさん、可哀想だよ」

 

 ああ、これは僕たちが悪いんだろうなぁ。悶絶しながら顔を向け合ってレコンとスゴウは、口は災いの元だと改めて思い知る。

 

「し、しかし……聖夜鎮魂祭か。気にはなるな。私も行ってみるか」

 

 復活したスゴウはまだ悶え苦しむレコンの背中を哀れんで撫でながら興味を示す。

 大聖堂で開催される聖夜慰霊祭は、教会が時間をかけて準備をした最大規模の催しだ。大聖堂の敷地内に大勢の信徒が集まる。

 キリトはアスクレピオスの書架の専属傭兵として参加する。スピーチなどはない予定であるが、正装が求められており、完全武装……特に『聖剣』の装着が仕事として義務づけられている。

 他にも大ギルドの上層部はもちろん参加する。それだけではなく、各大ギルドのエースも勢揃いするだろう。

 言うなれば、DBOの最高の権威、権力、戦力が集結するのだ。レコンがテロリストならば、間違いなく襲撃する。爆破する。これ以上とない絶好のチャンスだ。

 だからこそ、教会剣は最大の警戒を払わねばならないのであるが、先の大騒動のせいで人手が足りない。だが、教会剣の事実上のトップである主任が『何処からか』引っ張ってきた臨時戦力の補充が行われたらしく、結果として警備は万全だ。

 

「僕も気が向いたら参加しようかなぁ」

 

「当日は凄い人数になるだろうから、お兄ちゃんに席を用意してもらったら?」

 

「嫌だよ。賓客扱いとか目を付けられるじゃないか」

 

 大聖堂の敷地外に至るまで人垣が出来るだろう。聖夜慰霊祭は、教会が主催する、善悪を超越して全ての死者を悼む祭事だ。これを攻撃するとは、DBO全プレイヤーを敵に回すと同義なのであるが、得てして後に厄災をもたらす発端とは考え無しの行動か、狂人の発想である。

 ならば真っ先に爆殺が思いついたレコンは狂っているのか否か。それは彼本人にも分からなかった。だが、レギオンと知りながらも愛してしまった人間を『正気』とは呼ばないだろう、とレコン自身は確信している。

 

「噂だけど、聖歌に力を入れてるんだって! 絶対に聞きに行かないと!」

 

「あくまで慰霊祭だからね。コンサートじゃないからね」

 

「歌を楽しむのと死者を悼むのは並列できるでしょ」

 

 リーファに反論不能の返答をされてレコンは声が詰まる。こういう時にリーファは強かだ。彼女は考え無しの行動や発言は良くも悪くも物事の本質を突く事が多い。

 リーファを賞賛するようにスゴウが苦笑し、レコンは悔しさを滲ませながら珈琲を飲む。

 

「早く明日にならないかなぁ!」

 

 楽しみを堪えきれないリーファの脳天気な発言に、レコンはあれこれ悩む自分が馬鹿らしくなる。

 平和とは程遠くとも、それでも聖夜だけは穏やかな日でありますように。そう願うことは間違いないはずだから。

 

▽     ▽     ▽

 

 

 12月23日午前10時前後。

 防音性能を突き抜けるのは改装の音色だ。カリンは耳煩わしさよりも寂しさを滲ませて紅茶の水面を見つめる。

 スイレンの館は新たな高級娼婦の住まいとなる。パトロンはエバーライフ=コールではない。故に館を含めた土地は売却されることになったのであるが、先の事件が価値を下げ、希望売却価格の半分にも至らなかった。

 新たな高級娼婦を住まわせる事も考えた。だが、高級娼婦は畑に生えているような、場末の酒場で屯している娼婦とは違う。候補はいたが、カリンの合格点に到達した者はいなかった。

 故の売却である。スイレンの正体が知らされていない常連客からは彼女の死を悼み、館と土地の買い取りを希望する者もいたが、さすがに快楽街の中心ともなれば許されなかった。

 

「……以上が事の顛末です。ご報告が遅れて申し訳ありませんでした」

 

 客室にて、カリンはテーブルを挟んで【渡り鳥】から最終報告を受け取っていた。サインズ経由でも問題なかったのだが、カリンの強い希望によって面談となったのだ。

 

「スイレンちゃんは苦しまずに死んだのね」

 

「……分かりません。死者は何も語りませんから」

 

「分かるわよ。私には分かるわ」

 

 報告内容は『≪ボマー≫保有者リンネと発覚したスイレンを捕獲しようとしたが、予想外の反抗により、大聖堂への連行を不可能と判断して殺害した』という簡潔なものだった。

 遺体は直に確認している。教会が既に身を清め、死に装束として純白のワンピースを着せられていた。遺体が消滅するより先に教会式で火葬となり、骨と灰は骨箱に納められた。

 スイレンの体には傷1つなかった。圧殺と窺っていた為、どれほどに醜く破壊された遺体なのかと覚悟していただけに、まるで眠るように穏やかな死に顔には驚かされた。

 全身からHPがゆっくりと減るように圧力をかけられ、内臓と骨が潰されていた。故に服の下は内出血の痕跡があるとの事であるが、それでも死に際はまるで恐怖も絶望も無かっただろう事が分かった。

 どうしてこんな殺し方をしたのか。大ギルドは理解しておらず、むしろ【渡り鳥】の異常性に戦々恐々しているようであったが、カリンからすれば馬鹿でも分かるではないかと逆に唖然とした。

 スイレンは望んだ通りの『終わり』を得られた。それだけだ。それ以外の何がある? 

 

(そっか。あの子は最後に自由になれた。私は鳥籠に閉じ込めただけ。温かな食事も寝床もお風呂も……・何もかもあの子にとってはもしかして……いいえ、今更になって後悔しても遅いか)

 

 後悔。ああ、そうか。この胸に溜まる澱みは後悔なのか。カリンは自分らしくないと自嘲したい衝動を堪える。

 私はカリン。エバーライフ=コールの冷血なるリーダー。同情も後悔も不要だ。深呼吸して胸中で繰り返すこと3度。平静を取り戻したカリンは組織の支配者としての立ち位置に戻る。

 はたしてリンネは……いいや、スイレンは『≪ボマー≫など存在しない』という秘密を明かしただろうか。カリンの微かな不安を見抜いてか、あるいは興味が元からないのか、【渡り鳥】は≪ボマー≫について一切触れなかった。

 いや、そもそも【渡り鳥】は『依頼を完遂させる』ことに関しては絶対なる価値を有する傭兵だ。たとえ、自分にとってどれだけ不利な契約内容であっても1度結んだならば文句1つ言わずに完遂する。ただし、裏切りには報復を。【渡り鳥】を騙した依頼主が闇に消えた事例は1度や2度ではない。

 裏切り。カリンはその1点で不安を残している。【渡り鳥】は気付いてないはずであるが、敢えて公表して詫びを入れておくべきかと悩む。

 いや、悩むまでもない。スイレンも死んだのだ。ここで敢えて秘密にするよりも、事実を掻い摘まんで取り繕い、謝罪すればいい。金か武器か素材か、何を要求されるか分からないが、【渡り鳥】個人とここで取引を済ませておけば厄介なマネージャーが後から出張ってきても言い逃れはできる。

 

「貴方にあやま――」

 

「そういえば、あの仮面の方は元気にされていらっしゃいますか?」

 

 瞬間、カリンの表情が凍り付く。同じく紅茶を飲む【渡り鳥】はまるで世間話でもするかのような口調だ。

 そうだ。何を油断していたのだ。相手はあの【渡り鳥】だ。情けや容赦を期待する相手ではない。

 

「スイレンさんの名誉の為に申し上げますが、彼女は明かしていませんよ」

 

「……何処で分かったの?」

 

「この館を襲撃された時、スイレンさんがお客様の相手をする『寝室』に匿いました。その際に侵入されて拉致を許したわけですが、窓・壁・ドアのいずれも破られたわけでもなく、だからといって≪ピッキング≫を使われた痕跡もありませんでした。つまりは合鍵を用いられたということ」

 

「だったら、鍵を盗まれたのかもしれない。そうは考えなかったの?」

 

「考えました。ですが、決定的な理由はありましたから」

 

「……決定的?」

 

 何かミスを犯しただろうか? 動揺を隠せないカリンに、【渡り鳥】は簡単な事だと口元を歪める。

 

「スイレンさんは『化粧』を済ませていたんですよ」

 

「…………は?」

 

「オレも失念していました。スイレンさんは『演技』がお上手ですが、それを引き上げているのはメイクから服装に至るまでの自己演出力です。襲撃は彼女の『入浴時』でした。もちろんメイクは落とされていました。本来ならば、メイクをし直す必要はありません。。拉致された後、プラン変更があったのでしょう? オレとシャークマンの追撃を振り切れず、スイレンさんの拉致を諦めなければならなかった」

 

 その通りだ。あの男が『【渡り鳥】と戦いたい』と欲を芽生えさせたのも理由であるが、2人の思わぬ追撃で逃げ切れず、また予想外の大被害を生んでしまい、その後の大ギルドや教会からの追及を考慮すれば、あのままスイレンを逃がすことが困難になってしまったからだ。

 

「スイレンさんは縛られて目隠しもされていました。ですが、彼女は『高級娼婦スイレン』として振る舞わねばならない。いつでも演じられるように、アイテムストレージにはメイク道具を入れていたのでしょうね。オレの救出があるまでの間に、拘束を解除して貰い、最低限の誤魔化せるだけのメイクを済ませた。だからオレ以外にも……シャークマンや到着した教会剣にも『高級娼婦スイレン』として認識された」

 

「そんな……」

 

「ええ、見事でしたよ。オレも即座に見抜けない程の妙技でした。彼女は素顔と『高級娼婦スイレン』を両立させるギリギリのラインを見極めていた。夜間、バスローブ姿が想起させる風呂上がり、更には煤汚れ。それら全てを加味した完璧な偽装でした。仕事中に彼女のメイク技術を経験する機会がありましたが、メイクに関しては演技以上の天才です。それも含めて彼女の演技力なのでしょうが」

 

「…………」

 

「ご安心を。この件について大ギルドにも教会にも、もちろんマダムにも報告していません。護衛対象の『秘密』の報告は仕事に入っていませんから」

 

 カリンは出所不明の真しやかに広がる噂に怒りを禁じ得なかった。何が【渡り鳥】はジェノサイド・モンスターだ。何が取引・交渉を苦手とする政治力ゼロだ。

 違う。この傭兵は政治も、取引も、交渉さえも本質的に『必要としない』だけだ。最後には全てを暴力で破壊し尽くせるという無自覚がもたらす無関心だ。だが、決して何も考えていないわけではない。むしろ、戦闘を見れば分かるように、観察眼と分析力は図抜けている。

 1手でカリンを追い詰められるジョーカーを持ちながらも、仕事に入っていないからという理由でゴミ箱に捨てる。それが【渡り鳥】なのだ。それどころか、スイレンを守る為にした行動だと判断し、拉致に関連した全てを許容してくれている。

 

「貴方って、馬鹿ってよく言われない?」

 

「さぁ、どうでしょう?」

 

 毒気が抜かれると同時に背筋を冷たくし、脂汗を額に滲ませるカリンに対して【渡り鳥】はあくまでマイペースだ。

 スイレンのミスだと責めることは出来ない。彼女はプラン変更に、【渡り鳥】の目を瞬間には誤魔化すという離れ業さえも為し遂げた。失敗があったとするならば、自身のメイク技術を明かしてしまった事だろう。いや、それさえも失敗と呼ぶべきではない。

 

「……じゃあ、全ては水に流すの?」

 

「流すも何も、『敵性存在』はいなかった。それが『事実』です。むしろ、スイレンさんの安全確保の観点から見れば、彼女の拉致を許さなかったオレに問題があります。とはいえ、護衛任務の放棄と同義なので、せめて事前に通達して欲しかったですが」

 

「もしも相談していたら、貴方はどうしたの?」

 

「どうする、とは?」

 

 何を言ってるのか分からないという様子で【渡り鳥】は可愛らしく小首を傾げる。

 

 

 

「もちろん、見逃しますが? 護衛としてスイレンさんの安全確保に繋がるならば、拉致に偽装された移送は妙手ですしね」

 

 

 

 見誤っていた。【渡り鳥】は依頼主ではなく『文面通りの依頼内容』にこそ忠実なのだ。そこに潜む裏など微塵も考慮しない。護衛後に暗殺する手筈になっているとしても、スイレンの護衛中は全力で護衛に当たる。後など知ったことではない。

 どうしてスイレンがあんなにも穏やかな死に顔だったのか。理解できたわけではないが、少しだけ分かった気がして、また羨ましく思えた。

 

「ねぇ、仮にエバーライフ=コールの用心棒として雇いたいなら、幾らで引き受けてくれる?」

 

「それは傭兵として、ですか?」

 

 一瞬だが、【渡り鳥】の眼差しに変化があった。だが、カリンはそれが如何なる意味を持つのか理解しきれなかった。

 

 もちろん、身内として雇いたい。喉元まで飛び出しそうになった言葉を堪える。

 仮に【渡り鳥】を用心棒として雇う事が出来れば、エバーライフ=コールは裏社会において絶大な影響力を確保できるだろう。なにせ、敵対すれば皆殺し。差し向けられても皆殺し。突きつけられたら1人の例外もなく殺し尽くされるという絶対的な恐怖の槍を手に入れる。逆に傘下に入れば恐怖の庇護を得られる。

 だが、同時に大ギルドも含めたあらゆる勢力がエバーライフ=コールを潰しにかかるだろう。あらゆる犠牲を支払い、死に物狂いで結託するだろう。

 聖剣が万人に勝利を予感させる希望の光ならば、魔剣は万人を恐怖で喰らう絶望の闇だ。聖剣はあらゆる勢力が欲しがるだろう。だが、魔剣は如何なる者も手にしてはならない。待っているのは破滅だけだからだ。

 

「……冗談よ。あくまで『仮』の話。深く考えないで。それで、どうなの?」

 

 決して叶うことがない仮定であると念押しして逃げたカリンに、それはそうだと【渡り鳥】も細やかな苦笑で受け取る。

 

「贅沢は言いません。装備の開発と修理を受け持ってもらえて、慎ましやかでも生活できるだけの報酬をいただけるならば、それで構いませんよ」

 

「謙虚ね。もっと欲を出せばいいじゃない。貴方なら酒池肉林も思うがままよ」

 

「興味はありませんね。ですが、強いて言うならば……」

 

 何処か遠くを眺めるように【渡り鳥】は紅茶を飲み終えたティーカップの底を見つめ、瞼を閉ざした。

 

「いえ、止めておきましょう」

 

「勿体ぶるのね。気になっちゃうじゃない」

 

 カリンがやや強く興味を示せば、【渡り鳥】は瞼を開くと、恐ろしく人間味のない、無機質な殺意に浸された、まるで蜘蛛を思わす瞳で彼女を捉えた。

 背筋が凍る。呼吸が出来なくなる。まるで蜘蛛の巣にかかった哀れな獲物のように。

 

「……『お腹いっぱいになるまで食べたい』」

 

 だが、それも一瞬にも満たない刹那の出来事だ。【渡り鳥】は何ら変わらぬ穏やかな微笑みを浮かべていた。

 今のは何だったのか? そもそもとして、【渡り鳥】と1対1で面談しているのだ。生きた心地を求める方が愚かなのかもしれないが、まるで血肉を余さず食い尽くされ、骨の髄を啜られ、魂まで貪られるかのような予感があった。カリンはテーブルの下で小刻みに震える手を拳に変え、犯罪ギルドのトップとしての威厳を取り戻す。

 

「期待して損したわ。過ぎた謙虚は嫌みになる。憶えておいた方がいいわよ」

 

「何もかも捨てて食に没頭できる。これ程の贅沢にして堕落はありませんよ」

 

「……そうね。現実世界はともかくDBOでは贅沢かもしれないわね」

 

 明日の心配もせずに食事の質と量を制限することがない。それは確かに贅沢だ。DBOでそれが許されない者が多すぎる。

 いいや、違う。現実世界でもそうなのだ。気付いていないだけなのだ。何処にでも食べ物があるように見えて、だが手は届かず、空かせた腹を摩って慰める者がどれだけ多いか。

 

「でも、贅沢は堕落なんて、資本主義への反逆かしら」

 

「オレの価値観を押しつける気はありませんよ。むしろ、存分に贅沢をして経済を回してもらえるならば、それは多くの人にとって喜ばしいことではないでしょうか。要はバランスですよ。過ぎたれば何であろうとも毒になる。酒も薬も適量が大事です」

 

「そうね。その通りだわ」

 

 そろそろ時間だ。立ち上がった【渡り鳥】を見送るカリンは、館の玄関を潜って去って行く【渡り鳥】を見送る。

 

「最後にいいかしら?」

 

「何か?」

 

 一切の澱みがなく歩き出した【渡り鳥】を、カリンは思わず呼び止めた。

 

「スイレンちゃんのこと……好きだった?」

 

「…………」

 

 真っ白な雪が降り続ける灰色の空を見上げた【渡り鳥】は、カリンの質問を噛み締めるように時間をかけ、だが振り返らずに歩き出した。

 

「そうですね。素晴らしい『人』だったと思います。嫌いにはなれませんし、嫌いたいとも思いませんでした。少々面倒臭い御方でしたが、今になってみればそれも含めて好意を抱きますよ」

 

「……そう。ありがとう」

 

 感謝の言葉に、数秒だけ【渡り鳥】は足を止め、だがやはり振り返らなかった。

 噂の冷血冷淡冷酷とは違う。だが、仁義と情に溢れた人間臭さとも縁遠い。まるで、理解しがたい言動を取る子どもを相手にしたかのような感覚だ。そして、それは正解なのだろうとカリンは少しだけ理解できた。

 スイレンの名残は館から消えていく。あと1週間もすれば、買い手がパトロンを務める新たな高級娼婦の住まいとして改装が済むだろう。そして、スイレンに熱を上げてきた客達も彼女を忘れていくだろう。

 正門を潜った【渡り鳥】を迎えるのは、感情を殺した無表情をした、だが狼耳と尻尾を待ち侘びていたように動かす少女だ。

 

「…………」

 

 忘れられていく。それでいいのかもしれない。常に『誰か』の求める姿を演じ続けた1人の娼婦は、確かに最後には『何か』を残せたはずだから。そして、受け継ぐ者は確かにいるのだから。

 カリンはスイレンの私物を、彼女が死亡した時に備えて残していた遺言書に従って処分していく。多量の本は全て孤児院に匿名で寄付され、仕事用のドレスや装飾品はカリン名義で各娼館へと贈られる。そして、ジャージなどの私服は全て焼却処分だ。

 

「これくらいは貰っていくわよ」

 

 残されたのは短剣1本だ。装飾も何もない簡素な鋼のナイフをアイテムストレージに収納したカリンは、犯罪ギルドのトップとして堂々と館を去り、秘書と護衛を連れて本拠地に戻る。

 クリスマス前ともなれば、ショーのメインターゲットである富裕層もパーティで忙しい。クリスマスシーズンはショーも中止だ。代わりに娼館や酒場は大いに盛り上がる。

 エバーライフ=コールは犯罪ギルドでも中立の立場だ。チェーングレイヴにも頭を垂れず、独自の戦力で縄張りを守っている。だが、ヴェノム=ヒュドラという危険組織の台頭でチェーングレイヴとも協力体制を余儀なくされるだろう。

 あれこれ仕事を済ませていればあっという間に日は暮れ、暖炉の火はぼんやりとした眠気を霞のように脳髄を満たす。だが、イヴの鐘が響くより先に、カリンは待ち侘びていた報告を耳にした。

 ハイヒールを鳴らして向かうのはVIP用応接室だ。豪奢な調度品で揃えられた室内には、およそ似つかわしくない……乞食さえもここまで酷くないだろう、血と煤と泥土で汚れた男が革張りのソファで腰を下ろしていた。だが、背もたれは使わず、股で手を組んで前のめりの体勢は寛ぎとは無縁であり、むしろ全身から放たれるのは研ぎ澄まされた日本刀のような、安易に触れれば細切れにされてしまいそうな鬼気迫る闘志だ。

 気圧されるように護衛が生唾を飲む。それもそうだろう。カリンも感じずにはいられない。待ち人は『至った』のだ。カリンも望み薄だと思っていた苦難を乗り越えた。

 もはや地を這う芋虫ではない。DBOでも一握りだけ……トッププレイヤーの領域に到達しただろうエイジの眼光に、カリンは【渡り鳥】の時とは違う悪寒に襲われる。

 恐ろしい目だ。まるで別人だ。だが、人間味を失ったのではない。むしろ逆だ。情念を煮え滾らせ、濃密に濁らせたような澱みで満たされた眼だ。

 

「お帰りなさい、エイジくん」

 

 防具も武器もボロボロだ。マネージャーを得る以前の【渡り鳥】も同様だったと聞いているが、今の彼はまさに激戦地からの帰還兵の如く血生臭さが香る。事実としてまだシャワーも浴びていないだろう髪にも皮膚にも血や煤がこびりついている。

 

「うひょぉおおおおおおおお! 美味! 美味! 美味! 美味すぎるぅううううううううううう!」

 

 だが、エイジの雰囲気を台無しにしているのは、竜とも猛禽とも区別がつかない、卵の殻を被った小さな生物だ。

 

「ノイジス、黙れ」

 

「いいや、黙らないね! クッキー! ココア! マシュマロ! あまぁあああああい! 時代が変わればメシも変わるのは道理だが、美味すぎるぅううう! 俺様の頬が溶けちゃうぅうううう!」

 

「……ぷっ!」

 

 エイジとの温度差に思わず噴き出したカリンに、エイジは立ち上がると申し訳なさそうに頭を下げた。

 

「ただいま戻りました」

 

「ええ、待ち侘びたわ。ライドウにも連絡済みだけど、あの男にも色々あったから、もしかしたら会えるのはクリスマス後かもしれないわ。それよりも、茶菓子よりも食事が必要みたいね。そちらの可愛らしいお客様は何をご所望かしら?」

 

「肉を持って来い、肉を! 俺様に肉を食わせろ!」

 

「ノイジス!」

 

「いいのよ。お肉ね。だったら丼物を準備するわ」

 

 秘書に目配りさせる。カリンの配慮に、ノイジスと呼ばれた竜モドキは嘴より舌を垂らし、涎で体毛を汚す。

 

「ど、ドンブリモノ? そりゃどんな料理なんだ!? いや待て! ムライの旦那から聞いたことがあるぜ! ふわふわ卵と鶏肉を絡めたオヤコドーンってヤツか!?」

 

 ムライ。ノイジスが飛び出た名前に、カリンは表情を変えず、だが確かな緊張を胸にエイジと向かい合うようにソファに腰を下ろした。

 エイジは語り出す。コドクノアナ……いや、蠱毒の穴にて多数のネームドを撃破し、ユニークスキル≪瑠璃火≫を手に入れたことを。

 

「事前情報に比べて破格……とは言い難いユニークスキルね」

 

 純光属性であり、炎と物質……2つの性質を使い分けられ、また固有能力も持つ。だが、【黒の剣士】の≪二刀流≫がプレイヤーの攻撃力を極端に引き上げる増強型ならば、≪瑠璃火≫は特殊性を帯びたエンチャントを主軸とした異能型だ。

 とはいえ、エイジが全ての情報を開示した保障はない。特に使用限界などの生命線になり得る情報は明かしていない。せいぜいが瑠璃火の使用には形代ゲージを消費するというスタミナや魔力とは別管理という事くらいである。

 

「それにしても、ノイジスちゃんみたいな愉快なサポートユニットまで得られるなんて、さすがはユニークスキルね」

 

「僕も予想外でした」

 

 淡泊に回答するエイジの目を見つめてカリンは疑う。果たしてノイジスは本当に≪瑠璃火≫で得たサポートユニットなのか。ノイジスの詳細は明かされていないが、カリンにはどうしても≪瑠璃火≫の情報と乖離を覚える。

 だが、どれだけ探ろうとも詮無き事だ。運ばれてきたカツ丼に喜びながら落胆するという器用な反応を示すノイジスに口の端を吊り上げながら、カリンはエイジの全身を改めて眺める。

 ステータス変化の影響か。以前に増して逞しく映る。何よりも隙という隙がない。

 ソロ専用ダンジョンとはいえ、何体もネームドを倒したのだ。特にエイジが語った怨嗟の鬼は詳細を聞かずとも分かる。ソロ専用ネームドの次元を超過した、間違いなく大ギルドがレイド級の戦力派遣で対応しなければならない火力と耐久の持ち主だ。ネームドでも最上位に匹敵するだろう。

 

「じゃあ、蠱毒の穴にいた全てのプレイヤーは、貴方を除いて死んだのね?」

 

「ええ、1人の例外もなく」

 

「……そう」

 

 エイジだけが生き残った。それ以外に許されないダンジョンだった。故にエイジの帰還を待ち侘びていたカリンにとって喜ばしい結果であった。

 胸の奥底にあった枷が消えた浮遊感。自分を縛り付けていた鎖が千切れた解放感。そして、自分でも驚く程に心の中心に柱から芯が抜け落ちたかのような虚無感。カリンは咥えるキセルをテーブルに置き、長い髪を垂らして項垂れる。

 自分の感情が分からない。だが、不思議な事にカリンの胸に去来したのは喪失に対する悲しみと怒りだ。それは他でもないエイジに、理不尽な八つ当たりとして向けられている。

 エイジに何も伝えずに蠱毒の穴へと放り込んだのはカリンだ。カリンはこの結果を望んでいたはずだ。だが、湧き出す情念にカリンはスイレンの遺品である短剣を意識する。

 カリンの殺気が漏れたのか、丼に顔を突っ込んでいたノイジスが翼を広げようとし、だがエイジは制止するように、アイテムストレージから、防具と同等かそれ以上にボロボロの紙箱を差し出す。

 

「これをどうぞ」

 

 エイジが差し出したのは安物の煙草の紙箱だ。まだ数本だけ残っているが、長年に亘って何度も出し入れされたかのように、半ばでやや折れ曲がっている。

 誰の持ち物なのか言わなかった。言葉など必要なかった。

 

『煙草は健康によくないわ』

 

『分かってる。でも止められねぇんだ。なんつーか、煙草は俺の1部っつーかなぁ……』

 

 馬鹿な人。どれだけお願いしても禁煙してくれなかった。

 でも、それで良かった。決して消えない臭いニコチンの香りが好きだった。貴方が夢を追いかけている証拠だったから。私を見ずに、必死になって夢を叶えようと寝る間も惜しんで研究に没頭する貴方の香りだったから。

 気付けばカリンは悲しみも怒りも涙で押し流され、郷愁にも似た過去の想起に嗚咽を漏らしていた。困惑する護衛の目も気にせずに体を折り曲げ、煙草の紙箱を宝物のように両手で包み込んだ。

 

「……エイジくん、1つお願いしてもいいかしら」

 

 どれだけの時間を涙に費やしただろう。顔を上げたカリンは、涙で濡れた化粧を拭うこともせず、悲鳴のように問う。

 

「僕に出来ることならば」

 

「茅場晶彦に勝ちなさい。貴方の勝利はあの人の勝利。あの人を……あの人を負けたままにしないで! 茅場晶彦が残したこの世界に……DBOに勝ちなさい!」

 

 茅場晶彦は何も悪くない。天才だった。愛した人がまるで及びも付かない大天才だった。それだけだ。だが、カリンには憎くて堪らない。

 だから、これはワガママだ。愛した男の死を願い、叶えられて、だが堪えきれず、故に願う哀れな女のワガママだ。

 エイジは無言で剣を抜く。護衛が強張るも、カリンは睨んで制止させる。

 亀裂と刃毀れ、内装は露出し、刀身には溶解も見られる。防具以上に激戦を語る剣は、だが聖剣よりも美しいとカリンは魅入られた。

 

「憎悪の剣に誓って、必ず」

 

 カリンは無言で立ち上がるとエイジに付いてくるように眼差しを向ける。ノイジスは秘書に抱き上げられて同行する。

 執務室にて、ノイジスを執務テーブルに置かせたカリンは秘書と護衛に退出を命じる。

 取り残されたエイジに背を向けて壁の隠し戸を開き、多重ロックの金庫を開けたカリンは丸められた用紙の束を差し出す。

 

「爆薬強化反応剤のレシピよ。『ライドウが私に近付いた理由』でもあるわ。貴方の戦闘スタイルを強化するはずよ」

 

「…………っ!」

 

「貴方がいない間に色々とゴタゴタがあってね。私が持っていた8種の反応剤レシピの内の3種は『あの男』を経由して大ギルドに渡る。でも、渡した以外のレシピもあると分かっているはず。残りの5種は貴方にあげる」

 

 ライドウも誰かに命じられて探っていたのか、あるいは己を強化する為か。どちらでも構わない。レシピの件が耳に入れば、ライドウはカリンを不要と判断して殺すだろう。あの男にまともな友愛による情けを期待すべきでは無く、また望める間柄でもない。

 

「貴方の痕跡は今夜の内に消すわ。貴方の存在を知る者はいなくなる。ライドウを除いてね。ライドウにはダミーレシピを渡すわ。劣化させた、疑われない程度の性能しかないレシピをね。ライドウは超一流だけど、あくまで戦闘専門。レシピだけでは真偽を確かめられない。まさかライドウも貴方が本物の反応剤レシピを持っているとは思わないはずよ」

 

 ダミーとはいえ、ライドウにレシピを渡せばカリンは用済みだ。どうなるかは言うまでも無いだろう。そして、悪趣味なライドウは実行犯を誰に任すのか言うまでも無い。

 

「僕に……殺せっていうのか?」

 

「さぁ、どうかしら? ライドウは貴方に任せるでしょうけど、もしかしたらライドウの雇い主はもっと適任を派遣するかも知れない。たとえば……【渡り鳥】とか」

 

 ああ、それもいいだろう。スイレンを思い浮かべ、カリンは半ば清々しさを……いや、諦めを滲ませた微笑みを浮かべる。

 

「もう疲れたわ。犯罪ギルドのトップなんてやるもんじゃないわね。『新しい自分』を演じてみたけど……やっぱり駄目ね。私は『私』だった」

 

 情報によればチェーングレイヴは教会と手を組んだ。ヴェノム=ヒュドラとの戦いで腹心のマクスウェルを失ったクラインは少数精鋭の限界を悟って方針を変えたのだ。そして、教会とチェーングレイヴが手を組んだならば、対抗馬としてエバーライフ=コールは利用されるだろう。

 大ギルドか、はたまた陣営内で蠢く商業ギルドか。何にしてもエバーライフ=コールはより従順な犬であらねばならない。何にしてもカリンは邪魔者であるはずだ。

 スイレンの件で元より八方塞がりだった。カリンが生き残る術は腹を出して屈服を示すことだが、レシピを手放したカリンをライドウは見逃さないだろう。

 

「それと……これもあげるわ。残り少ないけど、ユニークアイテムを加工した爆薬よ。上手く使えれば、港砦の時のような規格外の破壊力を引き出せるはず」

 

 港砦に潜入する際に、エイジに持たせた時限爆弾にも使用したものだ。ヴェノム=ヒュドラに対する牽制のつもりであったが、あの爆発は結果的にヴェノム=ヒュドラに≪ボマー≫への興味を持たせ、スイレンを死に追いやる遠因となった。

 無言で見合わすカリンとエイジを邪魔したのは、1通のフレンドメールだ。

 

「……ライドウから連絡があったわ。今すぐ指定の場所に貴方を連れてこいですって。あと1時間で折角のクリスマス・イヴなのに、こんな遠くに呼び出すなんて、アイツは本当に何を……」

 

「何も考えてなんかないさ。せいぜい僕への嫌がらせだよ」

 

「あら、言うじゃない。でも、そうよね。それ以外に無いでしょうね」

 

 少しだけ、ほんの少しだけ、カリンとエイジは笑みを交わし合う。

 ライドウの居場所を伝えるとエイジは出発すべくノイジスを脇に抱える。

 

「加工の伝手が足りないなら、信用できる鍛治屋を紹介するけど?」

 

「……要らない」

 

 目を見れば分かる。もうエイジは引き返せない道を進んでいる。だが……いや、だからこそ、決して心を捨てることはできないのだろうとカリンは哀れみを込めて別れの握手を交わす。

 

「ノイジスちゃんもエイジくんをよろしくね。彼、すぐに深刻な顔をして暗い顔をするから、貴方みたいな子が盛り上げてあげないとジメジメしてキノコが生えちゃうわ」

 

「おうとも! 俺様に任せな! だから、美人のねーちゃん……その……あれだ! 元気でな!」

 

 生きろ。そう言いたかったのかもしれない。だが、カリンの覚悟を……いいや、諦観を受け止めてくれたのだろう。ノイジスの翼を握り、熱を交換し合ったカリンは無言で立ち去るエイジの背中を見送る。

 

「エイジくん」

 

 感謝。それはもう【渡り鳥】に伝えた。ならば、彼に贈るべきは1つだ。

 

「永遠の愛を誓ったところで、いつかは熱も冷める。絆は朽ちて腐って千切れる。でもね、縁は途切れない。1度結ばれた繋がりは断ち切れない。死にさえもね」

 

「…………」

 

「捨てたくても捨てられない。縁は思い出させる。失われた熱さえも。思い出したく、なかったのに……!」

 

「僕は……」

 

「行きなさい。立ち止まったら駄目。ここにもう戻ってきてたら駄目よ。ここは貴方の居場所じゃない。大丈夫。貴方とあの人の縁は消えない。私との縁も。貴方がこれから何を捨てようとも決して失われない」

 

 これは警告だ。後悔と名付けることさえも愚かな感情に支配された自分からの贈り物だ。

 執務室から出て行ったエイジに、カリンは心の底から願う。

 

 細やかでいい。どうか彼に聖夜の安らぎがありますように。

 

 

▽      ▽      ▽

 

 

 12月23日23時35分。

 去年と同じくイヴの直前に傭兵ランクが更新される。運び込まれたクリスマス仕様のランキングボードは今か今かとシートが剥がされる時を待っている。

 傭兵はほぼ全員が勢揃いしている。不在なのはいつも通りに欠席しているライドウとルーキー、そして珍しくグローリーもいない。

 

「全部で43人かぁ。40人を切らなかったね。感心感心」

 

「私に言わせれば、剥奪も視野に入れて再考が必要ですが」

 

「まだ言ってるの? 実力・実績・評判……それに政治。傭兵個人だけでランクが決まらないなんて今に始まったことじゃないのに。ヘカテは真面目だね~」

 

 3大受付嬢の1人であるヘカテは、同じく受付嬢のルシアに頬を指で突かれ、ストレスを込めて睨む。ゆるふわギャルの見た目に反して、巣立ちの家という孤児院の運営にも汗水を流しているギャップがある彼女は、気分は既にクリスマスだ。イヴの業務終了と同時に恋人のスミスと甘い時間を過ごすのだろう。

 

「何々? もしかしてRDさんと上手くいってないの?」

 

「……仕事中ですよ」

 

「あと30分じゃない。ねぇねぇ! どうなの!? どうなのよ!?」

 

「……ご想像にお任せします」

 

 RDは死人上等の激戦だったマユのクリスマスライヴの特等席を入手してデートに誘ってきた。ちなみにイヴの間はRDの家でまったりと過ごす予定である。

 だが、仕事は仕事。プライベートはプライベートだ。ルシアもそうであるが、傭兵と付き合う以上はコンプライアンス違反には最大限に注意しなければならない。たとえ、恋人の危機となる依頼を知ったとしても警告することは許されない。

 頭では分かっているつもりだ。だが、いざという時に心はどうだろうか? RDは独立傭兵だ。場合によっては全ての傭兵が敵になる危険性がある。また、RDは≪騎乗≫を用いた運転スキルは傭兵どころかDBO随一であるが、戦闘能力は傭兵でも下から数えた方が早い。地面に立った状態で他の傭兵と交戦状態になれば勝率は高くない。

 故に、ヘカテは暗にRDには傭兵業を辞めるように勧めている。RDは戦闘メインではない。危険地帯や戦場でも最速・確実に『荷物』を運ぶのが仕事だ。故に全てのギルドが最も危険度の低く、だが極めて価値の高い傭兵として重宝している。逆に言えば、傭兵で無くても運び屋としての価値をRDは発揮できるのだ。

 傭兵のようなハイリスク・ハイリターンではなく、ローリスク・ローリターンで構わない。ヘカテの中でRDの比重が大きくなるにつれて、彼を送り出す度に、無意識の内にダンジョンや戦場で他の傭兵とかち合わないだろうかと探ってしまっている。

 なお、サインズ職員は追放以外で抜けることは出来ない。特に受付嬢ともなれば『商品』でもある傭兵の情報を知りすぎているからだ。故にヘカテやルシアが受付嬢を辞めた場合、傭兵や依頼の情報を知り得ない裏方へと配置転換されるだろう。ちなみに、傭兵と付き合っているのに受付嬢を辞めさせないのは、単純に彼女たちの能力に追いつく人材がいないからだ。

 癖のある傭兵達相手に円滑なコミュニケーションが取れ、なおかつ問題を抱えた依頼人を捌ける。考えるまでもなく貴重である。特にヘカテの場合はクゥリの担当である為、転属希望を出せば、間違いなく給与3倍以上で引き留めがあるだろう。もちろん、仕事に対して適切な給与と待遇を貰っていると感じているヘカテはそんな真似をする気などない。

 

「でも、やっぱりって言うか、ラビズリンにも冬に咲いた花があったね」

 

「元より夫婦漫才してましたからね。カイザーファラオさんとラビズリン、お似合いですよ」

 

「私は意外だったかなぁ。ヘカテはてっきりクゥリさん狙いだと思ってたんだけど」

 

「……あの人は私に好意を向けてましたけど、『異性』に対してのものではありませんでしたからね。私も嫌いではありませんけど、あくまで担当傭兵としてです」

 

 ラビズリンの話題から突如として自分に矛先を向けられ、意外なのはこっちの方だとヘカテは溜め息を堪える。あのスミスと長続きするなど菩薩以外の何者でもない。

 スミスといえば、『傭兵プレイボーイランキング』で、キリトやユージーンとトップ争いをしている。【人間国宝級フラグ建築士】キリト、【酒池肉林の主】ユージーン、【女早撃ちガンマン】スミスといえば、1部では【渡り鳥】以上に恐れられているのだ。

 他には聖剣騎士団・元円卓の騎士にして老傭兵のアレスは、DBOでは珍しい老齢でありながら並の成人男性とは比較にならない程に鍛え抜かれた肉体美の持ち主であり、若き頃は美青年だっただろう面影、冷静沈着かつ老いたからこその懐の広さ、見識の深さは多くの信頼を集め、【燻し銀ダンディズム】と倍では足りない年齢差の女子にさえも幾度となくアタックをかけられている。

 竜虎コンビも人気は高い。繰り広げる馬鹿劇はサインズの名物であるが、2人もやる時はやるの典型である。【熱血一直線のワイルド馬鹿担当】レックス、【権謀術数お手の物の知力無駄遣い馬鹿担当】虎丸、それぞれ狙っている者は多い。ただし、『あの2人の間に入るとか許さん』という厄介ファンの数は多い。

 ちなみにRDも徐々に人気が高まっている。というのも、ヘカテと付き合ってから以前に比べて堂々とした振る舞いも増えた為に、彼の魅力に気付く者が増えてきたからだ。

 とはいえ、傭兵は一夜の付き合いを好む。いつ死ぬか分からず、また高額報酬故に財産目当ても多いからだ。スミスやRDが受付嬢と長続きしているのも、財産目当てではないと分かりきっている点も大きいだろう。

 そして、傭兵プレイボーイ・ランキング圏外常連、もとい圏外殿堂入りして最初から省かれているのはクゥリだ。これまで1票さえも入った事がない、もといYARCA旅団による妄想垂れ流し組織票(無効票)以外に無いのだ。

 男性傭兵どころか男性プレイヤーならば普通だろう娼館通いすらしておらず、酒場で目撃されることもない。そもそもプライベートは全くの謎である。

 何にしても傭兵はモテる。男も女もモテる。モテたいという理由で傭兵を志すプレイヤーもいるくらいである。ただし、そこに愛があるのかと問われたならば、大いに悩まねばならないのも実状だ。

 

「それにしても、今回も大暴れだね。まさか大通りで黄龍会を晒し首にするなんて。ねぇねぇ、何処からの依頼だったの? 教えてよ」

 

「同じ受付嬢でも、別担当の傭兵の依頼内容を詮索するのはルール違反ですよ」

 

「分かってるって。冗談冗談! それに、どうせクローズド依頼でしょ? ヘカテも大変だよね」

 

「…………」

 

 ルシアも依頼だと思っているようであるが、黄龍会晒し首事件はクゥリの独断だ。サインズとして、依頼外で治安を乱す行為として警告文を送らねばならなかった。

 なお、警告文を送信したのはヘカテの独断だ。サインズ上層部には『【渡り鳥】を刺激するな』と内々に、逆に警告も受けた。

 この程度は可愛いものだ。大事にしたくない。組織改編に伴い、3大ギルドのサインズ運営への介入を拒む上層部であるが、同時に3大ギルドとは友好関係を続けねばならないのも確かだ。3大ギルドにとって【渡り鳥】は表沙汰に出来ない案件を解決させるのに重宝する傭兵でもある。

 サインズは【渡り鳥】を手放すわけにはいかない。【渡り鳥】は3大ギルドに対して特級の商品であり、同時に過度な介入があった場合に切れるジョーカーなのだから。

 他にも問題を起こす傭兵は多い。むしろ、クゥリは悪名に反して極めて大人しい傭兵だ。仕事以外でトラブルを起こすことは滅多にない。本人の預かり知らない所で悪名が生んだトラブルはあっても、本人自身はほとんど問題行動を起こさない。少なくとも表立っては。

 だが、今回は違った。クゥリが仕事外で、それも自衛範囲外で、意図して殺人し、なおかつ悪名が轟くことを厭わずに実行するなど、ヘカテの知るクゥリではない。

 

(やっぱり……クゥリさんは何か変わってきてる)

 

 不気味……とは違う。美貌が際立つのに反比例して『何か』が欠けてきていて、それが大きな変化を助長している。ヘカテにはそう思えてならないのだ。

 深入りすべきではない。個人として付き合う気がないならば、ヘカテにできるのは『受付嬢』として精一杯に『傭兵』をサポートすることだけだ。

 いよいよ傭兵ランクの発表だ。興味を示す傭兵もいれば、全く無視している傭兵もいる。傭兵ランクなど飾りだと鼻で嗤う者もいれば、一喜一憂する者もいる。だが、報酬の増減や依頼の質・量に関わってくる。高ランク傭兵ほど、実入りの高い依頼を指名してもらえる機会は増える。

 傭兵ランクの基準は、実力・実績・評判だ。

 たとえば、RDの場合は評判こそ上々であるが、実力は低い。実績も戦績が少なかった為にこれまでは低く見られていたが、運び屋としての仕事を再評価され、ランクが上がる傾向がある。

 実力は高くとも、気まぐれに仕事放棄をして、評判も悪いのがライドウだ。彼が真面目に仕事をして公私を改めれば、より高ランクを狙えるだろうが、最近は悪い意味で自由奔放さに磨きがかかり、ランクの下落が止まらない。

 なお、実績とは『サインズが公表できる』依頼実績に限定され、クゥリのようにクローズド依頼は当て嵌まらない。

 更に言えば、運営への介入はないにしても傭兵ランクに対しては今も3大ギルドが強い影響力を持っており、独立傭兵のランクは総じて低くなりがちである。逆に言えば、専属というだけで不相応にランクが高くなる傭兵もいる。

 

(43人。この中でどれだけが『傭兵』に相応しいのやら)

 

 傭兵は入れ替わりが激しい。ようやくランク持ちになれたのに、1週間と待たずして辞めることもあれば、いきなり戦死することもある。逆に言えば、ランキングボードに居続ける傭兵は何処かしらネジが外れたプレイヤーばかりであり、また引き際の見極めも出来る。

 

「はいはーい! それでは僭越ながら、サインズ受付嬢、私! ルシアが! 発表したいと思いす!」

 

「うぉおおおおおおおおおお! ルシアちゃぁああああああん!」

 

「カワイイ!」

 

「胸でけぇ!」

 

「かわいい!」

 

「スミス死ね!」

 

「スミスくたばれ!」

 

「スミス死ね!」

 

「スミス地獄に落ちろ!」

 

 マイクを持ってノリノリのルシアへの黄色い声に混じった怨念に、スミスは涼しい顔をして、シノンやキリトと同席してテーブルを囲んで珈琲を飲んでいる。彼もどちらかといえばランクに興味が無い傭兵だ。今回わざわざ足を運んだのは、仕事終わりのルシアを皆の前で連れ帰る事が目的だろう。今年もルシアのファンの息の根を止めるつもりなのだ。

 

「ではでは! ランク40から発表します! ランク41以下はランク1~9と同時発表です! ち・な・み・に、私もランクについては知られていません♪ 皆と同じでワクワクのドキドキです!」

 

 本当に元気だなぁ。ランキングボードを横目に、ヘカテは最後の書類の束に判子を押していく。

 

 

 

 

*     *     *

ランク40:クレイトン[クラウドアース]

ランク39:紅白大根[独立傭兵]

ランク38:青蝶[太陽の狩猟団](NEW)

ランク37:モヒカンチョップ[独立傭兵]

ランク36:ハンドスネーク[独立傭兵]

ランク35:シャーティバッハ[クラウドアース]

ランク34:獏[独立傭兵](NEW)

ランク33:スメラギ[聖剣騎士団]

ランク32:フワッテー[独立傭兵]

ランク31:アラクネ[独立傭兵]

ランク30:ゲルグ[独立傭兵](NEW)

*     *     *

 

 

 これは以外だ。上層部も大きく出た。ヘカテは純粋に驚く。

 ランク30未満はほとんどが独立傭兵が占める。理由は様々であるが、独立傭兵はどうしても装備が専属傭兵に比べて劣る傾向が高く、また専属と違って物資・情報のバックアップも受けられない。死亡率は高く、成功しても報酬のやりくりが厳しく、1度の失敗で多額の借金を背負って廃業に追い込まれる事も多いからだ。逆に言えば、生き残る独立傭兵は全員が曲者であり、ランク以上の価値がある。

 そして、最近の傭兵は『傭兵団』のリーダーを登録するというケースが増えた。アラクネ傭兵団のやり方に倣い、実力はあるが傭兵には及ばないプレイヤーが集結し、傭兵級の1人が率いて集団で依頼を請け負うというスタイルだ。これらはほぼ間違いなく独立傭兵である。

 アラクネ傭兵団はサインズでも長らく評価が高かった。だが、メンバーの欠損が続き、補充も出来ておらず、依頼失敗が続いている。だが、まさかランク31まで下落するとはヘカテも想像していなかったのだ。

 サインズ傭兵はあくまで『個人戦力』を売り込むものである。サインズ上層部の強い意思表明だろう。アラクネも衝撃を受けているらしく、団員達も唖然としている。

 逆に安堵しているのは紅白大根だ。彼は見た目こそ冴えない中年であるが、≪木樵≫スキルを鍛え抜いた末に発現したEXスキル≪森林破壊≫を『唯一保有するプレイヤー』である。森林系フィールド・ダンジョンのプロフェッショナルであり、彼の得物である【神木倒しの黒斧】は、植物系モンスターに絶大な効果を発揮するユニークウェポンである。森林における超高難度素材収集依頼をほぼ一任されており、2週間以上の遠征ばかりの為に依頼実績は少なめである。

 本人の戦闘能力は傭兵でも最下位争いだ。とはいえ、ヘカテとしてはあと5つ高くてもおかしくないと評価している。

 

「フン。ランク30か。まっ、こなした依頼の数しちゃ妥当ってところか」

 

 だが、最も驚いているのはゲルグだ。見た目はやや細身の40代前後の男。縦長の顔で顎は割れており、やや不機嫌とも思える目付きと隈が特徴だ。白コートを好んで着込み、部下達には白の制服を纏わせている。

 彼はゲルグ傭兵団を率いるアラクネと同じ立場だ。戦闘スタイルは銃撃格闘戦。≪戦槌≫・≪銃器≫のキメラウェポンであり、打撃戦を想定したハンドガンによる超近接射撃戦を得意とする……という申告だ。サインズの調査でも真の戦闘スタイルは謎であり、彼が傭兵団を率いるのは依頼成功率を高める以上に自身の戦闘スタイルの隠蔽を目的としていると危険視している。

 素性の知れない傭兵は多いが、ゲルグの背後関係は全くの謎だ。独立傭兵を建前にして、実は背後に大ギルド・有力ギルドがいるケースもあるが、ゲルグを探った調査員は『失踪』し、サインズはひとまず様子見に徹している。

 

「ゲルグ……!」

 

「おうおう! これはアラクネ傭兵団じゃないか! この前の依頼はごめんねー♪ でも戦場で会ったら敵同士、それが傭兵だろう? 恨みっこ無しだぜ~?」

 

 睨むアラクネに対し、ゲルグは大きく口を開けて笑み、真っ白な歯を強調する3本の金歯を見せつける。完全に馬鹿にした笑みであり、挑発である。

 

「…………っ!」

 

「姐さん、堪えて!」

 

 殴りかかろうとしたアラクネを、生き残りの団員が羽交い締めにして抑える。先の依頼でアラクネ傭兵団はゲルグ率いるゲルグ傭兵団の奇襲に遭い、2人の戦死者を出した。

 当時、アラクネ傭兵団がフロンティアフィールド探索中にFネームドと遭遇して交戦中、別ギルドの依頼で件のネームド討伐依頼を引き受けていたゲルグ傭兵団がグレネードを多量に撃ち込み、アラクネ傭兵団ごとFネームドを吹き飛ばしたのである。

 傍から見れば横取りである。暗黙のルール違反でもあるが、そもそもDBOにルールもマナーもない。勝者は美味しいところをいただく。それだけである。

 アラクネ傭兵団が弱らせたFネームドを、彼女たちごとグレネードで吹き飛ばして横取りする。それでも依頼成功は成功である。ゲルグは他にも高難度依頼をルーキーながら幾つも成功しており、ランク30は驚きであるが、それに相応しい実力はあるだろう。

 荒々しく退出していくアラクネ傭兵団を挑発したゲルグを諫めるようにルシアが咳払いする。ゲルグは丁寧に腰を折って腕を振り、深々と謝罪のポーズを取るが、それさえも芝居かかっていてアラクネ傭兵団への侮辱が露わだった。

 

(また癖の強い傭兵が増えましたね。まぁ、ヒールを気取るのは結構ですけど、相手は間違えない方がいいですよ)

 

 ヘカテの評価は淡泊だ。傭兵ならば何もして許されると勘違いされても困る。確かに傭兵は全員が潜在的に敵であるが、同時に潜在的に味方でもある。協働の機会も珍しくないどころか増加傾向にあるのだから。

 協働相手がいない、ないし協働できても背中を撃たれるならばまだマシだろう。仮にクゥリ相手に喧嘩を売った日には、その場で全滅してもおかしくないのだから。

 

(そういえば、クゥリさんは何処に……あ、いました)

 

 目だけ動かして探したクゥリは、キリトの背後で腕を組んで壁にもたれかかっている。華美ではないが、気品を感じさせる灰白のコート、そして腰には愛刀を差したシンプルなスタイルだ。いつものように1本に編まれた白髪を垂らしている。

 息を殺しているからか、気付いているのは傭兵や1部のサインズ職員だけのようだった。≪気配遮断≫は使用していないのだろうが、まるで周辺風景に溶け込んでいるかのように、この場に【渡り鳥】がいると思っていない者は多い。

 

「ああいう奴ら、好きじゃないな。クーは?」

 

「どうでもいい」

 

「貴方ってすぐそれよね。明日の協働相手で、明後日の敵かもしれないのに」

 

「ククク、シノンくん。明日はイヴ、明後日はクリスマスだ。サインズが休みとなれば、敵にも味方にもなりようがない」

 

 不快感を示すキリト、興味なしのクゥリ、呆れるシノン、そして茶化すスミス。あそこにいる4人だけで大抵のネームドは何も出来ずに完封されるだろう。

 キリトが近距離戦でダメージディーラーとなり、スミスが中距離から射撃で削り続け、シノンは長距離狙撃でチャンスタイムを大量製造する。クゥリは全距離対応で、臨機応変にその時に最も必要なポジションでダメージを稼ぎ続けるだろう。

 キリトに指摘されたからか、素直に目を向けたクゥリは、だがゲルグと視線が合う。

 ゲルグはウィンクすると投げキスをする。クゥリが無言で贄姫に手をかけた為に、キリトとシノンが慌てて抑えに入る。無論、クゥリが本気だったら2人が止める暇などないだろうし、さすがにスミスも苦笑で済ましていないだろう。

 

「はいはい! それでは気を取り直して……どうぞ! ランク29からランク10までどーん!」

 

 

 

*     *     *

ランク29:梅権左[聖剣騎士団]

ランク28:マイクオン[聖剣騎士団]

ランク27:ガイア[クラウドアース]

ランク26:赤龍[太陽の狩猟団]

ランク25:エイリーク[独立傭兵]

ランク24:ブルーアイズ[独立傭兵]

ランク23:OwO[トーテムアイン研究所]

ランク22:エディラ[太陽の狩猟団]

ランク21:パッチ[独立傭兵]

ランク20:マジシャンダイス[クラウドアース]

ランク19:RD[独立傭兵]

ランク18:虎丸[クラウドアース]

ランク17:レックス[クラウドアース]

ランク16:ピッケルアーミー[太陽の狩猟団]

ランク15:ギドウ[太陽の狩猟団]

ランク14:カイザーファラオ[太陽の狩猟団]

ランク13:メルディ[聖剣騎士団]

ランク12:エイミー[クラウドアース]

ランク11:ジュピター[太陽の狩猟団]

ランク10:トーマス[太陽の狩猟団]

*     *     *

 

 

 大きくざわめく。それもそうだろう。アラクネの大幅ランクダウンに匹敵する変動をした傭兵が幾人かいるからだ。

 ランク変動なしのRD。探索能力を大きく評価されてのし上がったカイザーファラオが下落したのも誤差の範疇だ。むしろ、メルディ、エイミー、ジュピターという3大ギルドそれぞれの女傭兵が多くの実績を打ち立てたのが大きい。特に【アマゾネスガール】のジュピターは、シャルルの森以降は堅実な戦闘スタイルを捨て、正気を疑う特攻戦法を繰り返して生き残り、1桁級の実力を有するまでに成長した。

 新進気鋭のメルディはシノンに負けず劣らずの狙撃技術の持ち主であるが、彼女は銃火器を用いず、弓矢のみで仕留める射手であり、単独探索能力も高い。エイミーはDBOでも貴重な攻撃特化の魔法使いであり、協働メインであり、彼女が出陣した戦場は勝率は高く、また死亡率も抑えられることで好評だ。

 1桁ランクにまで駆け上がった、呪術を得意とするトーマスは道化師の格好をしているが、レア能力揃いの装備であり、両手に装備した呪術による超高火力はネームドにも決定打を与えられる。だが、先のフロンティア・フィールド探索にて、先遣隊を全滅させて単身で逃げ帰ってきた事が1桁には時期尚早という判断が下されたのかもしれなかった。

 とはいえ、逃げ帰ったトーマスの情報によって強力なネームドやフィールド特性が分かったのだ。先遣隊の『護衛』ではなく、フロンティア・フィールドの『探索』が依頼内容だったならば、失敗判定にはならなかっただろう。太陽の狩猟団もトーマスの評価を下げていないはずだ。

 竜虎コンビは渋い顔をしている。実力と評判を考慮すれば、ランクはもう2、3つ上でもおかしくないのであるが、クラウドアースの謹慎で依頼を受けられなかった期間が響いているのだろう。だが、それでも20台まで下落させなかったのは、竜虎コンビの価値をサインズは評価している証だ。

 ヘカテが驚いたのはブルーアイズだ。物静かで、何かとアンジェと組む機会が多い傭兵であり、特大剣を使うことを除けば謎の多い傭兵である。依頼達成率は高いが、ネームド戦を倦厭する傾向にあり、どちらかと言えば探索・高難度イベントクリアをメインに活躍していた。

 だが、突如として専属の立場を捨てて独立し、それが大きな爪痕となってランクの大幅ダウンを招いた。だが、本人は特に気にした素振りも見せておらず、密やかにサインズ女性職員にもファンが多い、気品と野性味が矛盾することなく融合した顔立ちを、いつものように眉間に皺を寄せている。

 アンジェ以外とは協働を好まないブルーアイズは、その名の通りの青い目でキリトを一瞥すると去って行く……が、ランク発表を肴にしてビールジョッキを傾けていたアンジェに捕まる。

 

「残念だったわね。だから専属辞めない方がいいって言ったのに」

 

「ランクなど飾りだ。私はあくまで執事。この程度のランクが性に合っている」

 

「確かにランクで強さが決まるわけじゃない。ランクは称号や勲章と同じ。でも、悔しくない?」

 

「悔しい? 過去の雪辱に比べれば、この程度、恥ではない」

 

 絡むアンジェの腕を煩わしそうに払い除けたブルーアイズは、今度こそサインズ本部を後にした。彼の過去を知るアンジェは面白くなさそうに鼻を鳴らす。

 高出力レーザーブレード使いのアンジェはブルーアイズと対照的にネームドなどの強敵相手に多大な戦果を挙げている。だが、『何故か』ネームドのラストアタックボーナスを気前よく譲る傾向にあり、ネームド撃破貢献実績ばかりである。

 

(予想通りですね。ランク20以上の独立傭兵はRDさんだけ)

 

 支援を得られていない独立傭兵の限界であり、また政治介入が顔を出す頃合いだ。逆に言えば、ランク19のRDは破格の扱いを受けているのである。

 そして、太陽の狩猟団はやはり層が厚い。的確に実力ある傭兵を囲い込み、十分な支援を施している。対して聖剣騎士団は傭兵の獲得が難航しているようだった。

 

(パッチさん……今日も来てませんね)

 

 ヘカテが何気に気にしているのはパッチだ。【鉄板】・【幸運】・【ハイエナ】と異名も悪名も多いパッチであるが、実力……もとい、しぶとさと悪運は本物である。依頼成功率は決して高くなく、傭兵にあるまじき事に借金取りに毎日の如く追い回され、炭鉱送り寸前の度に恥も外聞も無くクゥリに土下座して借金をするのが通例となっている。その為か、クゥリのマネージャーであるグリセルダが個人的に狙っている。

 では、どうしてランク21なのかと問われれば、傭兵でもトップを走る情報通だからだ。彼が持つ独自の情報網は大ギルドさえも無視できないものなのである。

 ただし、最近は副業の情報屋も休業し、汚点だったギャンブルも辞め、借金も地道に返済し、依頼達成率も高くなり、なおかつ仕事はマネージャー経由で引き受けている。長らく顔を出していない為にサインズは出頭命令を下しているが、何かと理由を付けて逃げ回っている。

 本当はパッチもいよいよ死んだか炭鉱送り担ったのではないか、と密やかに噂されている。ヘカテも担当としてやや心配であるが、いい加減にクゥリには借金を返せと本気で怒りを腹に抱えている。

 

「さーて、いよいよランク43~41、そしてランク9~1の発表です! 最下位だろうとトップだろうと、ランク変動は傭兵の常! 気にしすぎても駄目ですけど、気にしないと華がない! では~……どうぞ!」

 

 

 

*     *     *

ランク43:ヴィヴィ[独立傭兵](NEW)

ランク42:シャトルオーバー[聖剣騎士団](NEW)

ランク41:鈴鈴[太陽の狩猟団](NEW)

*     *     *

ランク9:クゥリ[独立傭兵]

ランク8:アレス[聖剣騎士団]

ランク7:ライドウ[クラウドアース]

ランク6:スミス[独立傭兵]

ランク5:グローリー[聖剣騎士団]

ランク4:アンジェ[クラウドアース]

ランク3:シノン[太陽の狩猟団]

ランク2:ユージーン[クラウドアース]

ランク1:キリト[アスクレピオスの書架]

*     *     *

 

 

 

 先程を超える、騒音にも匹敵するざわめきが起こる。もはや嵐が吹き荒れたかのようだ。

 それもそうだろう。長らく不動のランク1だったユージーンがついに陥落したのだ。代わりにランク1となったのは、大ギルドの専属傭兵ではなく、実質的に教会の専属である【黒の剣士】キリトだ。

 直接対決でユージーンを倒したキリトのランクアップはほぼ確定していた。特にアスクレピオスの書架の専属になった事で、教会の影響力も加味されれば、大ギルドの専属を押し退けるのも納得だ。

 ならば問題は何か。1桁ランクに独立傭兵が2人も食い込んでいることだ。どちらも『規格外』の戦闘能力を有する、大ギルドさえもが政治力を発揮しても除外することができない……まさしくイレギュラー。

 1人はスミス。暫定人型最強ネームド【竜狩り】オーンスタインを単独討伐した実績で既に1桁ランクであった独立傭兵だ。彼が1桁ランクを維持する事は誰もが予想できただろう。DBOでも異例のダブルトリガーで絶大な戦果を挙げ、『最も理想的な傭兵』の1人にも数えられる彼がランクインしていないはずがない。数いる傭兵でさえ、彼との交戦は徹底して避ける程の実力者だ。

 ならばもう1人は? キリトがランク1、ユージーンがランク2というビッグニュースさえも押し流すのは、ついに大ギルドさえも『認めるしかない』と判断した独立傭兵だ。

 実績はほとんど黒塗り。評判は言うまでも無く最悪。引き受けた依頼は敵味方関係なく混沌と破滅をもたらす。ならば1桁ランクとしてサインズも、大ギルドも、教会も『認めるしかなかった』理由はただ1つ……隔絶した戦闘能力。

 クゥリ。かつてのキリト……UNKNOWNと同じく政治的配慮によってランク『9』という1桁の末を与えられた純白の傭兵は、本人も予想外のように呆然としている。

 

「やったじゃないか! おめでとう!」

 

「まっ、妥当よね。むしろ、今までが不当すぎたのよ」

 

「しかし、こうなるとランク9はサインズにとっても、大ギルドにとっても、管理しがたい傭兵に与えられるイレギュラーナンバーという意味合いになったな」

 

 席を立ってクゥリを抱きしめて背中を叩くキリト、実質最下位脱却を当然と溜め息を吐くシノン、そして何故か厳しい顔をするスミス。ヘカテは三者三様に囲われて困惑を隠しきれていないクゥリと目が合うと笑んで手を振る。

 

(クゥリさん、おめでとうございます)

 

 心から祝福を。ここまでの長い道のりを思い返し、ヘカテの目尻に涙が浮かぶ。

 

「へっ! ようやくかよ! あの【渡り鳥】が1桁ランクだ! コイツは燃えてきたぜ! なぁ、虎丸!?」

 

「ランク9か。政治的配慮が窺えるね。実力だけでもランク1を狙えるだろうに。せめてランク4だよ」

 

 レックスは闘志と賛辞を送るが、虎丸は不満を隠せないようだ。そんな2人の間に割って入って押し飛ばし、最短距離でクゥリに突撃するのはエイミーだ。

 

「【渡り鳥】きゅぅうううううううううううん! ランク9おめでとぉおおおおう! お祝いにハグとキスとハグとキスとキスとキスとキスとキスとお持ち帰りよぉおおおおおおおおおおん♪」

 

「させるかぁああああああああああああああああ!」

 

 美人が台無しの涎塗れの顔で両腕を広げて飛びかかったエイミーに、クゥリは意外にも回避行動を取らない。いや、足が震えている!? まさかの平々凡々な反応を見せ、代わりにキリトがカウンターの顔面パンチを喰らわせる。

 

「ぐほ!?」

 

「クーをハグするのは俺だぁああああ!」

 

「…………は?」

 

 人目も憚らずに改めてクゥリを抱きしめながら宣言したキリトに、シノンが目の色を変えて席を立つ。そして、肝心のクゥリは思考がフリーズしているのか、されるがままだ。

 

「ちょっと! どういう事!?」

 

「え? あ、あれ? いや、俺は別に……そんな深い意味はなくて……こう、抱き心地が最高というか! 体がびっくりするくらいに柔らかくて癖になるというか! 髪はいつまでも頬ずりしたくなるくらいに肌触りが良いというか! 甘いけどしつこくない、まる……まるで春の花々が咲く野山のような、眠気がふんわりと誘ってくれる良いニオイがするというか!」

 

「え? 待って。そんなに? ちょっと貸しなさいよ」

 

「嫌だ! クーを抱き枕にするのは俺だ!」

 

「…………」

 

 クゥリを奪おうとするシノンとそれを拒絶するキリトの攻防5秒。だが、クゥリはあっさりと抜ける。キリトが抱えているのはソファに備え付けられたクッションに早変わりする。

 

「に、忍法……空蝉の術……だと!?」

 

「これは凄い情報だよ、レックス……! やっぱり【渡り鳥】も一発芸を磨いていたんだ。僕たちの『ふたりはプリキュア☆オーバーブースト・エディション』では……インパクトの時点で負けてしまう!」

 

 もう名前の時点でインパクト勝利していると思いますが。そもそも傭兵が何で一発芸を磨いているんですか。ヘカテは内心でツッコミを連射する。それはそれとして、クゥリの空蝉の術は単純に超スピードに物を言わせたものである。キリトが本気で逃がさないように、内臓を潰す勢いでSTRエネルギーを込めていれば脱出不可能だっただろう。

 

「だ、抱き心地……最高」

 

「やわらかふわふわ……良いニオイ」

 

「やはり……やはり【渡り鳥】は女の子なのか……!」

 

 ごくり、と男達が生唾を飲む。ただでさえ性別詐称疑惑があるクゥリの、珍しくされるがままの姿に、普段の悪名を棚に上げる。

 

「いい加減に――」

 

「隙あり!」

 

 嘆息したクゥリを背後から復活したエイミーが抱きしめる。

 

「ああ~ん! これよ、こ・れ♪ ぐへへへ! お姉さんとクリスマスはお家デートしましょうねぇええええええ!」

 

「…………」

 

 あ、いけない! クゥリさんのストレスゲージが……! 長い付き合いのヘカテには分かる。あれはそろそろ後先考えずに抜刀して周囲の人間を片っ端から達磨にする10秒前の顔だ!

 ようやくランク9になれたのに、そんな不祥事をサインズ本部で起こせば、また実質最下位に……! 受付カウンターから飛び出して仲裁しようとしたヘカテであるが、サインズ本部は人の足場がない程にごった返していて近寄るのに時間がかかる。

 

 

「いい加減にせんか!」

 

 

 一喝したのは、DBOでも最年長だろうアレスだ。元の髪色も分からぬ白髪混じりの灰色の髪を怒気で揺らした彼の一声で静まり返る。

 

「【黒の剣士】よ。友の昇進に浮かれるのは構わんが、まずは自身の得た地位に相応しい振る舞い。そして、明け渡した者からの言葉を受け取るのが礼儀というものだろう」

 

 アレスの目線の先では腕を組んだまま、発言の機会を騒動ですっかり見失ってしまっていたユージーンがいた。

 エイミーは渋々といった様子でクゥリを解放する。最悪の展開を免れたと安堵するヘカテの目の前で、進み出たキリトと待ち構えていたユージーンが対面する。

 

「ランク1はしばし預ける。せいぜい栄誉を楽しむがいい」

 

「いつでも相手になってやるさ。奪えるものなら奪ってみろ」

 

「言ってくれる」

 

「言ってやるさ」

 

 ユージーンは賞賛を込めて微笑み、キリトは笑い返す。そして、2人は握手を交わした。

 

「これにて、傭兵ランク発表は終了となります! えー、ちなみにサインズは12月24、25日は傭兵の皆様の新規依頼受理業務を停止させていただいております! イヴとクリスマスに依頼がない傭兵の方々は楽しい休暇を! お仕事が入ちゃってる傭兵さん達も頑張れ♪ 頑張れ♪ ではでは、イヴまで…・5、4、3、2、1!」

 

 クリスマス・イヴ、スタート! 突如としてファンファーレが鳴り響き、夜空に花火が打ち上げられる。茅場の後継者の粋な演出だろう。そして、昨年と同様に全プレイヤーへと白々しいお祝いメッセージと共にクリスマスプレゼントが配布された。

 ちなみにクリスマスプレゼントをクリスマス期間内で開封しなかった場合、『恐ろしい事』が起きるらしい。故にヘカテは1人でこっそりと確認しようと決心する。去年は強制サンタコス化などトラップ盛りだくさんだったからだ。

 

「チッ……!」

 

 安易に開封しないプレイヤーばかりでシャッターチャンスを失っただろう、週刊サインズのカメラマンであるブギーマンが舌打ちする。

 

「はい、どーん☆」

 

 だが、勇者はいた。ルシアはノリノリで開封し、そして全身が眩い……無駄に星が飛び散るライトエフェクトで覆われる。

 光が失せた後に待っていたのは、臍丸出し、肩丸出し、膝上15センチはあるだろうミニスカートという、もはや防寒効果を期待できないサンタコス姿のルシアだ。

 

「うぉおおおおおおおおおおおお! さすがはルシアさん! あざっす! サービス……あざっす!」

 

 スライディングしながら連射撮影するブギーマンであるが、ルシアの足下に届くより先に顔面を踏みつけられる。

 もちろんスミスだ。彼は無言でブギーマンの顔面を踏み躙ると煙草を咥えて火を点ける。

 

「やれやれ。キミは悪戯が過ぎるな」

 

「でも、そういうところ、好きでしょ?」

 

「……嫌いではないね」

 

 満更でもない様子のスミスの腕に抱きついたルシアは、そのまま呆然とする男性プレイヤー皆様にウインクと投げキスをして、もう仕事終了のプライベートだとばかりにサインズ本部を去って行った。

 

「うわぁあああああああああああああああああああああああ!?」

 

「ぐぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!?」

 

「ぎにゃぁああああああああああああああああああああああ!?」

 

 そして絶叫を轟かせるのは、スミスという恋人がいながらもルシアを狙いに狙っていた男達。そして、オンリーロンリークリスマスを過ごす独り身達。まさしく地獄絵図である。

 ……ルシア。死屍累々のサインズ本部にて、ヘカテは同僚にして友人の小悪魔っぷりに頬を引き攣らせる。あれで中身はスミス一筋の菩薩なのだからギャップが大きすぎる。

 

「あの……ヘカテさん!」

 

 倒れ伏した男達を避けて歩み寄ったRDが顔を真っ赤にして逸らしながら、だがぶっきら棒とは違う、確かな熱意が籠もった右手を差し出す。

 

「もう、オフっすよね?」

 

「……あと少しだけ仕事が残ってます」

 

 具体的には後片付けだ。なにせ、ルシアによる虐殺後だ。彼らが流した涙やら涎やら謎の体液やらを掃除しなければならない。さすがに清掃員に任せるのは、ルシアの友人としてヘカテの真面目さが許さなかった。

 

「で、ですよねー!」

 

「だから、あと1時間、待てますか?」

 

 RD程ではないにしても頬を赤らめたヘカテが背中を向けて呟けば、またも悲鳴の嵐が渦巻く。RDへの怨嗟が爆発する。

 クリスマスはやってくる。覚めると決まっている夢だからこそ、終わりと待っている『日常』に絶望するとしても、この2日間だけは夢の時間なのだ。

 ハッピークリスマス。どうか1人でも幸せになれますように。ヘカテは願いを込めて、RDの悲鳴を聞きながらモップを手に取った。

 

 

▽       ▽        ▽

 

 

 12月24日午後3時2分。

 この世に神様なんていない……! 恥も外聞もなくシリカは涙した。

 マユ主催のクリスマスパーティは身内だけの小規模なものだ。だが、集まる人数は決して少なくない為に、マユの工房ではさすがに手狭だった。

 だが、ホテルのホールなどは既に予約済み。貸し切り出来そうな店は軒並みに他の中小ギルドに押さえられていた。

 金の力で物言わせられない状況にて、力を貸してくれたのはアスクレピオスの書架だ。快く所有するクリスマスの慰安用に確保していたホテルの1室を貸してくれたのである。

 1室とはいえ、最高級ホテルのスイートルームだ。1フロア丸ごとだ。軽く30人は不自由なく広々と扱える。夜景を楽しめるジャグジー付きである。

 さすがは終わりつつある街上層……富裕層御用達のホテル! パーティの準備で一足早くホテルに入ったマユとシリカは、ライバル同士という事も忘れて手を合わせて飛び跳ねて喜んだ。

 だが、神様はいない。浮かれたシリカはミスを犯した。安易にも茅場の後継者から届いたクリスマスプレゼントを開封してしまったのだ。

 茅場の後継者も『サンタコスばかりでは飽きられるだろうな』と無駄なエンターテイメント魂を発揮してしまったのだろう。シリカが纏ったのはサンタコスではなく……トナカイ! それも着ぐるみだった。

 せめてもの情けか、顔だけは開けられた口から出せる仕様だった。お風呂は楽しめるように脱衣は出来た。ただし、他の服を着ることは出来ない。

 

「この日の為に……この日の為に、私……!」

 

 キリトさんに刷り込みを頑張ったのに! 勝負服を揃えたのに! 泣きじゃくるシリカは両手で掴んだグラスに注がれたオレンジサワーを、喉を鳴らして一気飲みする。

 

「分かる。分かるよ……シリカ!」

 

 そして、シリカに同情するのはリーファだ。彼女の目も死んでいる。

 リーファもまた『ハズレ』を引き当てていた。シリカがトナカイならば、リーファは雪だるまだ。同じく着ぐるみスタイルである。シリカと同じく僅かばかりのお情けで顔だけ出せているが、これの何が致命的かと問われれば、リーファの武器である胸部装甲が全くの意味を為さないという点である!

 2人は決して仲が良いと言えなかった。むしろキリトを巡るライバルとして火花を散らしていた。牽制し合っていた。だが、今この瞬間、ようやく分かり合えたのだ。真に友情を結べたのだ。

 抱き合って涙する2人を挑発するのは、押し殺した笑い声だ。

 

「ぷ……ぷぷ……でも、2人とも……に、似合ってるよ……ぷぷ」

 

 マユだ。彼女は普段の肌露出皆無の和服から、大胆にも生足を疲労するミニスカ姿だ。肩甲骨を大胆に見せるセーターは、普段とはかけ離れたお色気路線である。艶やかな黒髪をアップにして、これでもかとうなじアピールも忘れていない……!

 戦力差は言うまでも無い。シリカとリーファがひよこならば、マユは猛禽だ。鷲だ! まるで勝負にならない! シリカとリーファには狩る為の爪がない!

 

「シリカ、カワイイ! ニアッテル!」

 

「はいはい、ミョルニルもカワイイですね~」

 

 慰めでは無く本気で誉めているだろう。普段とは違い、白いワンピースタイプのドレスを着てオシャレをしたミョルニルは、ボサボサの青黒い髪も丁寧に梳いて1本に纏め、大きなリボン付きのカチューシャを付けている。

 

「レヴァーティン、エランデクレタ。スカート、スースー、スル」

 

「すぐに慣れますよ。あ、でも冬は寒いからお腹を壊さないようにしてくださいね……って、DBOでは関係ありませんでしたね」

 

「ソンナコト、ナイ! シリカ、アリガトウ!」

 

 シリカに無邪気に笑って抱きつくミョルニルに下心はない。純粋な愛情表現だ。故にシリカは自然と頬が緩む。

 

「早くキリりん来ないかなぁ」

 

 だが、目の前で足を組むマユの余裕たっぷりな態度に、シリカはすぐにハリネズミ状態となる。

 

「言っておきますけど、キリトさんに生足とか通じませんよ」

 

「そうかなぁ? マユってかーなーり☆足には自信あるんだよねぇ。知ってる? マユってストッキングのCMキャラクターもやってたんだよ」

 

「はん! その程度で嗤わせないでください。キリトさんが誰と恋人だったのか忘れたんですか? アスナさんですよ。アスナさんといえば……脚線美で有名だったんです!」

 

 シリカの暴露にマユが衝撃を受ける。だが、それも仕方ないだろう。SAO回顧録でもアスナの脚線美にはさすがに触れた文面などないからだ。だが、生き残りは嘯く。【閃光】のアスナといえば、その異名に違わぬスピード、妖精のような儚さを持つ美貌、そして……絶世の美脚だったと!

 

「そうそう。あたしもかが……じゃなくて、お兄ちゃんの『男』の部分に色々と詳しい人に聞いたけど、お兄ちゃんはアスナさんの足をよく誉めてたって」

 

「え? それ初耳です」

 

「初耳だろうね。ほら、お兄ちゃんも男だから。男同士じゃないと語れない話とかあるんだよ」

 

 キリトはアスナの美しさ以上に内面や剣の腕、指揮能力の高さをよく誉めていた。だが、キリトも男だ。当然ながら見るところを見てしまうだろう。そして、皮肉にも語り合える同年代とSAOではなかなか巡り会えなかった!

 だからこそ、容易に想像できる! クゥリという男友達が出来て、ついつい女の子の趣味やアスナについてディープな会話をしてしまったのだ! そして、クゥリはあっさりとそれを妹にバラしたのだ!?

 シリカもクゥリの口の堅さを知っている。生半可な賄賂や脅しでは口を割らないだろう。あの秘密主義の塊からどうやって吐き出させたのだ!? 驚くシリカに対し、リーファは自慢げな表情をして、だが聞き出した情報も雪だるまの着ぐるみで無駄になったと思い返してか、乾いた笑い声を上げる。

 

「ほら、クゥリさんって、あたしには甘いから。お兄ちゃんがアスナさんの事をどんな風に誉めてたのかなって聞いたら、うん、あっさりと教えてくれたよ。ちょっと上目遣いして甘えて、それとなーく誘導したら……ね」

 

「分かっていたことですけど、あの人って戦闘モードの時以外ってチョロすぎませんか?」

 

「【渡り鳥】さんのチョロさなんてどうでもいいよ! うわーん! 失敗したぁあああ! マユ、帰る! 着替えてくる! だったら胸を使うもん! リーファが着ぐるみの今なら好機だもん!」

 泣き出して立ち上がったマユの進路を塞ぐべくリーファは先回りしようとするが、雪だるまでは思うように動けず転倒する。

 

「させますか! ミョルニル、ゴーです!」

 

「フッ、シリカ、タノミ、シカタナイナー! ガオー! タベチャウゾー!」

 

 頭が風船のように10倍は膨れ上がり、耳元まで口が裂けて舌を突き出したミョルニルに、正体や能力を聞かされていたとはいえ、まさかの変化にマユは腰を抜かす。

 

「ひ、ひぃいいいいいいいいいいいい!?」

 

「ガオー! ガオー! ガオー!」

 

 腕を上げて追いかけるミョルニルに、マユは情けなく這い回って逃げる。それを大笑いしながらシリカは起き上がれずにいるリーファに手を差し出す。

 

「あたしもトナカイが良かった」

 

「意外と動きにくいですよ? 角が邪魔で、私の身長でも腰を曲げないとドアを潜れませんから」

 

 シリカの助けでソファに戻ったリーファは、マユが涙目になってミョルニルに追いかけ回される姿に、何処か嬉しそうな眼差しを向ける。

 

「不思議だね。レギオンっていったら、プレイヤーにとって……ううん、人類にとって絶対の敵であるはずなのに」

 

 レギオンはプレイヤーを……人間を食べる。食べねば生きていけない。

 ミョルニルはレギオンの王により近しい上位レギオンらしく、正確には人間の捕食自体は必要ない。あくまで人間を『殺す』という行為が生存には不可欠との事だ。ただし、ミョルニルは他の上位レギオンに比べて捕食の必要性が高いらしく、定期的に人間を食い殺さねばならない。

 

『約束してください。私達の仲間である内は……』

 

『ワカッテル。オレ、イイ、フツウ、ニンゲン、タベナイ。ワルイ、タベル! レヴァーティン、オネガイスル!』

 

 食べるなとは言えない。レギオンは人間を食べなければ暴走し、衰弱し、崩壊する。ミョルニルは特に『飢餓』が大きいレギオンらしく、他の上位レギオンに比べても捕食のサイクルが短い。特に先のシェムレムロスの別邸にて、リソースを奪われた影響で更に短くなっている。

 今のミョルニルはせいぜいレベル50前後のプレイヤー程度らしく、以前とは比べものにならないほどに弱体化している。リソースを得るにしても、レギオンの懐事情も関係しているのか、安易に回復できないようだった。

 

『プレイヤー、タベレバ、リソース、ウバエル。ゼンブ、ムリ。デモ、スコーシ、フエル!』

 

 レギオンはプレイヤーを殺害・捕食する事によって、リソースの1部を奪取し、自己成長に割り当てている。これはレギオンの生態において極めて貴重な情報だ。だが、ミョルニルは惜しげもなく開示した。

 まだミョルニル以外の上位レギオンからの接触はないが、彼女曰く、ミョルニルを助けた礼は必ず行うとの事だった。

 

「ガオー! ガオー! ガオー!」

 

「はいはい、それくらいにしてください。さすがにマユさんが可哀想です」

 

 マユも『キリりんが信じるなら、マユも信じるよ!』とミョルニルを受け入れてくれた。むしろ、ミョルニルの能力に刺激されたらしく、アグラヴェインのソウルを使って装備強化を目論んでいる。

 無邪気に笑うミョルニルも、たとえ悪人であろうとも人間を食べる。ならば、そんな彼女と仲良く笑う自分達は果たして悪人ではないと言い切れるのだろうか。シリカには判断できなかった。

 だが、少なくともミョルニルはスゴウを救う為に知恵を出してくれた。キリトが手を差し出した『仲間』という関係を気に入っているようだった。

 そして、シリカも心地良いと感じている。レギオンという枠組みを超えて、『ミョルニル』という個人と親睦を深めたいと願ってしまっている。

 

(私達は……間違ってるのかもしれません。でも、それでも……)

 

 ミョルニルを後ろから抱きしめて止めたシリカは、もしもミョルニルが『敵』となった時、はたして以前のように『レギオン』として討ち取れるだろうかと己に問う。

 ああ、無理だ。たとえ、本来の怪物の姿で対峙したとしても、『レギオン』ではなく『ミョルニル』として殺すのだと心は叫び、亀裂が入るだろう。

 

「タメライ、イラナイ」

 

 シリカは言葉にはしなかった。表情にも出さなかった。だが、微笑んで見守っていたリーファ、涙目になっていたマユ、それぞれを見回したミョルニルは、シリカの腕から脱すると雪が降り注ぐ屋外を一望できるガラス窓を背に、普段の脳天気とも言える無邪気さが消え去った、儚く、優しく、穏やかな、だが何処か寂しげな微笑みを浮かべる。

 あれ? この微笑み、何処かで……? シリカの脳髄が引っ掻かれる。ミョルニルの微笑みに、霞がかかった別の『何か』が滲み出る。

 

「ソノトキ、キタラ、コロセ。オレ、レギオン。ミンナ、ニンゲン」

 

「……ミョルニルちゃん」

 

 言葉が詰まるリーファに、ミョルニルは手を後ろで組み、体をやや前のめりにした。

 

「エンリョ、イラナイ。デモ、デキレバ、ミンナ、レギオン、ナッテホシイ。カゾク、ナレバ、タタカワナイ。コロサナイ。タベナイ。オレ、ミンナ、ダイスキ!」

 

 拙い言葉を連ねてミョルニルは真っ直ぐに自分の心を伝えてくれる。最後に普段と同じく屈託のない笑顔と共に。

 

「ごめんね。あたしは……レギオンになれない。レギオンの味方にはなれない」

 

「マユも……かな。ミョルミョルのことは嫌いじゃないし、ひ、人を食べるのは怖いけど、それを言ったら、プレイヤーがプレイヤーを殺しまくってるのがDBOだし! でも、やっぱり、なんか違って……。ミョルミョルと仲良く出来ても……レギオンとは無理だよ」

 

 ミョルニルという個人は嫌いではない。むしろ好きだ。リーファも、マユも、シリカさえも短い間で彼女ともっと仲良くなりたいと願えるようになった。だが、それはミョルニルが人間を食べる所を見ていないからだ。言葉を選ばないならば、ミョルニルの『レギオン』の部分から目を背けているからだ。

 だからこそ、リーファもマユも、真っ直ぐに本音を明かしてくれたミョルニルに、せめて非礼でありたくないと隠さない本音を告げたのだ。

 ならば自分は? シリカは震える唇を噛んで俯く。

 

「私は……それでも……殺したくありません」

 

「……ソッカ。シリカ、ソレデイイ。オレ、シリカ、コロセル。レギオン、ニンゲン、タタカウトキ、コロセル。デモ、ソノトキ、マタ、キク。シリカ、ソノトキ、ウソ、ツケル? ジブン、ダマセル?」

 

「…………」

 

「イインダヨ。コロシテ。ダッテ、シリカ、ニンゲン。オレ、レギオン。コロス。コロサレル。ウンメイ、チガウ。コトワリ。シゼン。アタリマエ」

 

 シリカを抱きしめたミョルニルは明るく笑いかける。シリカは嗚咽を漏らそうとして、だが折角のクリスマスを台無しにしたくなくて、ミョルニルを抱き返すしか出来なかった。

 

「……感動のシーンだけど、あたしもシリカも着ぐるみで台無しだよね」

 

「今! それを! 言いますか!?」

 

 シリカとミョルニルの抱擁を見守ってくれていたリーファの一言に、シリカは吼える。もちろん、リーファが涙の意味を変えてくれる為に泥を被ってくれたのだと理解した上で、だ。

 

「4人とも元気だなぁ。フライドチキンとピザのご到着だよ」

 

「それからワイン諸々の飲み物もね。しかし、折角の高級ホテルなのに、買い込みで良かったのかい?」

 

 料理や飲み物を買ってきたレコンとスゴウに、リーファは愚かしいとばかりに溜め息を吐く。シリカが涙を拭える時間を稼ぐ為にわざわざ荒々しく立ち上がる。

 

「ハァ……。分かってないなぁ! 場所なんてどうでもいいの! あたし達がやりたいのは、格式張った堅苦しいパーティじゃないの! アットホームで、適度にだらけられて、大口開けて笑っても許されるパーティなの!」

 

 スゴウの尻を容赦なく蹴るリーファは、やはり彼には当たりが強い。しかし、加減からも分かるように、手探りのコミュニケーションでもある。

 リーファはスゴウを憎み続ける。同時に仲間だと信じる。憎しみを捨てて成長するなどあって堪るかと高尚な精神論に唾を吐く。シリカはその姿に純粋な敬意を覚える。

 変わらないからこそ羽ばたいたリーファ。対して自分はどうだ? シリカは悩もうとして、だがミョルニルに手を引かれる。

 

「オドル! ナヤミ、ワスレテ! クリスマス、レギオン、ダイジ! ダカラ、ワラッテ、シリカ! クリスマス、ダカラ!」

 

「何ですか、それ。意味不明です。でも……」

 

 スゴウがわざわざ買ってきたのだろう。陳腐なクリスマスソングがレコードより流れる。決して良くない音質で、だからこそ楽しげな音色を奏でる。

 

「約束しましたからね。踊りましょう!」

 

 神様なんていない。だから、どうか、今だけは。クリスマスの間だけは……忘れさせてください。好きな人との決着も、未来への不安も、自分の情けなさも、何もかも置き去りにして。

 

 シリカは無責任な笑みで、ミョルニルと踊る。それが許されるのだと信じて。

 

 

▽       ▽       ▽

 

 

 12月24日午前5時21分、クリスマス・イヴ。

 太陽が昇るより早く目覚めたユナは、まず自室を掃除し、クローゼットを開けて真新しい下着や教会服を手に共同浴場に向かう。

 教会の朝は早い。修道会は基本的に日の出より早く起床するのが常だ。浴場では既に修道女達が身を清めている。ユナはむしろ出遅れたくらいだ。

 

「おはようございます」

 

 にこやかに挨拶され、ユナは会釈する。彼女が喋れない事は既に周知されている。ユナは体や髪を丁寧に洗い、熱い薬湯に浸かる。濁った緑色の湯は薬草の爽やかな香りが強い。この湯に浸かれば、3日間はどれだけ汗を掻いても体臭は漂わないだろう。

 

「聞いたわよ。あの【黒の剣士】とアルヴヘイムでネームドと交戦したのでしょう? 大変だったわね」

 

 修道女の1人が労いの言葉と共に、髪を手櫛で梳きながら香油を塗り込んでくれる。

 神灰教会の教義において、『火』は神聖にして不可侵とされ、『火』が生む『灰』、また可燃物である『薪』と『油』もまた重要と位置づけられている。故に信徒達は多種の整髪剤が開発された今であっても整髪に香油を用いる。

 香油と一言で纏めても種類も多く、ユナが好むのは艶出しと香りを抑えめにしたものだ。髪もサラサラになり、虫除け・獣除け効果も高く、単純にモンスターとのエンカウント率を下げ、ヘイト管理にも有用だ。

 とはいえ、実用性重視というわけではなく、遊び心もある。無闇矢鱈に着飾ることを是としない修道女達がそうであるように、香油のブレンドはオシャレの抜け道である。

 

「しかも大活躍だったとか。さすがはエドガー神父が見込んだだけはあるわ」

 

 風呂場までスケッチブックを持ち込めていないユナは苦笑で応える。以前までユナは『エドガー神父が贔屓している娘』か『謎が多い失声の少女』だったからだ。だが、今はアルヴヘイムでの実績が認められ、エドガー神父の計らいも当然であると、ある種の尊敬の念さえも持たれている。

 逆に言えば、ネームド討伐とは参加して生き残るだけで絶大な評価を得られるものなのだ。普通のネームド戦の場合、複数のパーティが集まったレイドを結成し、全体バフを詰める指揮系スキルを積んだ指揮官が複数名参加し、更にはヒーラーが複数人、後方支援特化のシューター部隊まで準備する。そして、食事や薬のバフを積みに積んでから挑むのだ。

 もちろん、情報収集に次ぐ情報収集でどのようなネームドで、どのような能力を持つのか細やかに調べ上げる。それでも死人は出る。総崩れで撤退もあり得る。最悪の場合、1人も生存できず、情報を持ち帰れない事もある。

 ならば、想定外の突発ネームド戦など最も死亡率が高い。特に人型ネームドは『少数で決して戦うな』・『脇目も振らずに逃げろ』と大ギルドも念押ししている程である。

 ネームドではなくとも準ユニーク級にパーティ単体で遭遇すれば死を想像して絶望し、抵抗らしい抵抗の余地さえ与えられずに死ぬことも珍しくない。それどころか、装備・アイテム・情報が足りない中小ギルドでは、複数体のモブに囲まれただけで、あるいは能力持ちのモンスターとエンカウントしただけで全滅するなど日常茶飯事だ。

 特に今回の相手であるアグラヴェインは【深淵狩り】に分類される、DBOでも上位の危険度を誇る人型ネームドの称号を持つ。彼らは『単身で深淵に挑み、深淵の怪物と深淵の主を討つ』という英雄クラスの偉業を『生業』としていた者達だ。

 その中でもアグラヴェインは『古い深淵狩り』に分類される、最初期の深淵狩りであったらしく、その実力は正気を失っていたとしても、大ギルドが莫大な予算を組んで攻略計画を立て、エース級と傭兵を中心としたレイドを結成し、なおかつ大多数の死者を覚悟しなければならない相手だ。

 キリトの持つ聖剣もまた『深淵狩り』で語り継がれていたらしく、深淵狩りの使命の始祖でもある【深淵歩き】のアルトリウスがかつて『月光』と巡り会い、だが水面の月を掬い上げて己の聖剣としたという伝説が残っている。

 故に『古い深淵狩り』には幾人かの聖剣に纏わる深淵狩りが存在する。【反逆の騎士】モルドレッドや【太陽の騎士】ガウェインがその代表だ。

 モルドレッドはかつてお助けNPCとして聖剣騎士団が召喚したが、その際に聖剣騎士団はろくに戦う事も出来ずに見守るだけでネームド討伐が果たされた。

 ガウェインについては、アノールロンドの神々に聖剣を献上したという文献が残されており、今もアノールロンドの何処かに聖剣があるとして、聖剣騎士団は躍起になって探索を続けているが、今も発見されていない。

 教会もまた深淵狩りの伝説には強い興味を持っており、聖遺物探索には積極的だ。その中でもアルトリウスの異物である銀のペンダントは闇属性射撃攻撃をほぼ無効化する事が出来る破格のユニークアイテムであり、教会の密やかな切り札として厳重に管理されている。

 聖遺物……聖剣を持たぬとはいえ、アグラヴェインは古い深淵狩りだ。他にも聖剣を持たない深淵狩りといえば【裏切りの騎士】ランスロットが存在し、アルヴヘイムで戦闘経験のあるキリトやシノンの証言では『あれ以上の人型ネームドを想像したくない』と言わしめる程の戦闘能力があった。とはいえ、肝心のランスロットは『知らず間に死んでいた』らしく、傭兵とはいえ偶発戦闘した2人の証言だけでは大ギルド・教会・サインズも評価し難く、現状では『人型最強』の座は【竜狩り】オーンスタインであると暫定されている。

 

『アグラヴェインは強かったよ。でも、「アイツ」は言葉通り「桁」が違ったよ。手も足も出なかった』

 

 心意の使いすぎて消耗したキリトの見舞いに行った時、彼はネームド戦の危険性を説いた時に、ランスロットについて少しだけ教えてくれたが、多種多様な流派を使いこなし、瞬間移動で間合いは変幻自在かつ本人も素早いという、『第1段階』でもシノンと2人がかりでもまともにダメージを与えられなかったと語った。

 アルヴヘイム後、ランスロットと再戦する機会があり、その時は勝利したとの事だが、不完全極まりない状態だったらしく、かつ第2・第3段階とも戦えておらず、あれを勝利と誇りたくないとキリトは自嘲した。

 このように、聖剣を持たないから弱いというわけではなく、アグラヴェインの評価は【竜狩り】オーンスタインにこそ劣るが、人型最上位クラスに匹敵すると判断された。

 聖剣を有するキリトと射撃支援に秀でたシノンの参加が大きいとはいえ、生き残っただけで他の面々も高く評価された。特にリーファやレコンには噂を聞きつけた大ギルドからそれとなくスカウトマンが挨拶に来たと聞いている。

 ユナにも何度かスカウトマンらしき人物が名刺を大聖堂の敷地内で渡そうとして、教会剣が聖堂街の外まで連行して放り出した事もあった。

 いつの間に調べたのか、ユナのバッファー・ヒーラーとしての能力を把握されており、貴重な人材として大ギルドが雇用したいとの事だったが、ユナからすれば恐怖しかなかった。スカウトマンは自分達を尾行し、戦闘スタイルから能力に至るまで細やかに調べ上げていたのだから。

 

『気にしてもしょうがないですよ。大なり小なり名が売れたら、装備、スキル、ステータス、戦闘スタイル、プライベートに至るまで調べ上げられますから。だから、トッププレイヤーはここぞという時だけしか使わない「切り札」を持っているんです』

 

 キリトもシノンも絶体絶命の危機に至るまで開示しない切り札がある。逆に言えば、切り札がなければ情報を丸裸にされた状態で覆せる実力がなければならない。

 対人と対モンスターの決定的な違いだ。執拗に情報収集し、徹底して対策を立て、倒せるならば正面戦闘に拘らない。

 

『強い強いって言われてるけど、俺だって四六時中警戒しているわけじゃないからな。寝込みを襲われたらあっさり暗殺されるだろうし、聖剣のお陰で対応できる限界は変わったけど、大人数で囲われたら数の暴力で磨り潰されるさ』

 

 どれだけ強くても1人では負ける。聖剣を持ち、アグラヴェイン相手に1歩も引かなかったキリトの発言は重たかった。なお、暗殺というワードが出た時、壁に立てかけてあった聖剣が共鳴するかのような甲高い音色を奏でていた。まるでキリトを暗殺させないという意思を感じさせるように。

 キリトならば、有象無象が集っても勝てるだろうと思っていたユナが衝撃を受ける様子に、彼は戒めるように嘆息した。

 

『状況にもよるけど、たとえば市街地で襲われたとして、大ギルドが本気なら360度全方位を重装備でタフな連中で囲んで、四方八方から狙撃する。周辺被害を考慮しないなら爆撃、高威力魔法、デバフ蓄積ガス……何でもありさ。機動力で振り回そうにも、包囲陣形が完成されてしまっていたらどうしようもない。せいぜい包囲網を命懸けで突破して逃げ延びられるか否かってところだな。それもエース級を1人……いや、2人投入されたら無理だろうな。あとはどれだけ「道連れ」にできるかだよ』

 

 ユナが想像していた、正面で隊列を組んだ軍団などではない。正々堂々からかけ離れた抹殺にして必殺を、キリトは平然と述べた。青ざめたユナに、言い過ぎたと自覚したのか、キリトは手を振って弁解した。

 

『もちろん! デカい顔をしてる組織ほどに「建前」が要る。言いたくないけど、俺は知名度が高いから、余程の悪行を大っぴらにしたり、大義名分を与えたりをしない限りは大丈夫さ。「今」は教会がバックについてるしな。あと、俺が本気で聖剣ブッパすれば、どれだけの戦力が道連れにされるか分かってるはずだ。それに囲われたら逃げられないけど、その前なら幾らでも突破できる自信はある』

 

 襲う側にとって『利益に見合わない損害を与える』と判断させればいい。キリトは気軽に言ったが、最後に冷たく目を細め、口元から笑みを消した。

 

『俺は「仲間」や「友人」を傷つけられたら、きっと歯止めが利かない。俺はユナが思っている程に「良い人」なんかじゃない』

 

 キリトは大事な人が理不尽に傷つけられ、苦しめられ、涙することを決して許さない。心の箍を外して戦うだろう。

 ユナは思う。キリトは『良い人』なのだろう。だが、『聖者』ではない。仲間や友人、家族の為ならば、自分がどれだけ心身に傷を負うことになるとも剣を取れる人間だ。立ち塞がっただけの、罪なき人々の血だろうと被れる人間だ。

 皆がキリトに惹かれる理由が分かる。決して『強さ』の塊ではない。人並みの、あるいは普通の人よりも『弱さ』を持つ人間なのだ。当たり前の心の脆さがあり、俯き、膝を抱え、立ち止まる。それでも、必ず歩き出せる。だからこそ、支えたい、傍にいたい、守りたいと願うのだ。

 

(エーくんは……「普通」。私と同じで、英雄の資格なんてない『村人A』だった)

 

 風呂を上がったユナは湯気で曇った鏡を右手で拭き、自分の目の暗い光を見据える。

 貶しているのではない。事実だ。エイジもユナも戦場に『立つべきではなかった』のだ。

 エイジはユナを必ず現実世界に帰すと約束したから戦いに身を投じた。ユナは引きこもっているのは嫌だと自分に出来る事を探し、戦い、そして死んだ。

 たとえ、馬鹿にされようとも、いつか『英雄』が悪夢を終わらせてくれると無責任に信じて生き抜く事だけを考えていれば、結末は変わったのだろうか。

 ユナも話は聞いた。SAO末期は地獄だった。街に引きこもっていることさえも許されなかった。ならば過程が変わっただけで結末は同じだったのかもしれない。もしかせずとも、エイジさえも生き残らない、2人の死が終着だったのかもしれない。

 後悔しか湧かない。ユナは自嘲を堪える。己を嗤う資格さえもない。

 自分の選択で死んだ。後悔などない。だが、残された者達の事を考えていなかった。彼らの悲しみや苦しみに対しての覚悟など出来ていなかったのだと思い知る。

 たとえ、自分の死が残された者の心に傷を負わせ、狂わせる事になったとしても、死者にはどうする事も出来ない。こうしてユナが向き合えているのは蘇ったからだ。本来ならばあり得ない、自然の摂理に反した奇跡だ。

 死をもたらした選択に後悔はなくとも、死に至るまでの積み重ねと死後への想いの欠落があった。だからこそ、ユナは歌声を失ったのは相応しい罰なのだと今ならば受け入れられる気がした。

 

(違う。それさえも欺瞞だらけの嘘。私は『歌いたい』。どうやっても捨てられない)

 

 全身に亀裂が入るような頭痛と眠気にも似た意識が曖昧になる感覚。ユナとて薄々勘付いている。『自分にはもう時間が無い』のだ。亀裂の音色は日を重ねる毎に大きくなっている。

 だが、もう純粋なる夢追いの少女ではない。ユナ自身は気付かずとも、彼女はもうひたむきに夢の成就を求める乙女ではない。夢を叶える手段を奪われたからでは無く、自身の歩みと在り方を振り返ることが出来たからこそ。

 かつて、多くの人を癒やし、救いたいと願った。それは純粋なる救済の祈りでもあった。だが、今は後悔という汚濁で染め上げられた呪いとなった。故に捨てることさえも許されず、ユナを蝕み続ける。『歌』は決して逃れられないお前の本質なのだと嘲われるように。

 

「ねぇ、使わないなら変わってもらってもいい?」

 

 背後から申し訳なさそうに声をかけられ、ユナは慌てて髪を乾かすと、前髪を一房だけ編む。これだけは変えられない。小さい頃から続く自分の証だ。

 教会服に着替えたユナは食堂に向かい、質素であるが味は確かな朝食を取る。

 

「ごらぁあああああああああああ! プレゼントを開ける前に歯を磨け! 掃除しろ! 朝飯を喰え! 祈りを捧げろ!」

 

 孤児院では今日もチョコラテの怒声が響く。

 拡張された孤児院には、今では200人以上が共同生活している。その中でも年長でリーダー格のチョコラテであるが、ストリートチルドレン暮らしも長い悪ガキも多いとなれば一苦労だ。プレゼントを独り占めしようとした者を拳骨で制裁し、各所で発生した奪い合いにも仲裁に入る。

 

<みんなの分があるから慌てないで>

 

 ユナはスケッチブックを掲げるも、我先にとプレゼントの包装紙を剥ぎ取る子ども達を止められない。どうしたものかと悩むユナは、突如として響いた足音に背筋が凍り付く。

 

 

「おやおや、このエドガーの聞き間違えでしょうか。なにやら喧嘩の声が聞こえましたが」

 

 エドガーの登場で、チョコラテの号令を待たずして孤児達は整列する。

 怒声を張り上げたわけではない。雰囲気だけで黙らせた。さすがはエドガー神父だとユナも顔を強張らせ、背筋を伸ばす。

 

「いいですか? ここにあるプレゼントは、『良い子』の為に寄付されたものです。衣服、玩具、文房具、それにDBOでは金銀財宝にも匹敵する現実の本まで。これだけで莫大な財産です。それを皆様は『良い子』だから得られるのです」

 

『はい、神父様!』

 

「よろしい。では、喧嘩などこのエドガーの聞き間違えにして見間違え。そうですね?』

 

「はい、神父様!」

 

「チョコラテ、掃除と聖典朗読が終わったら、貴方が1人1人にプレゼントを手渡しなさい。それと、これも一緒に」

 

 エドガーの背後から教会剣によって運び込まれたのは、台車に乗せられた多量のケーキだ。

 

「て、テツヤンの店のケーキだ!」

 

 孤児の1人が思わず声を張り上げ、すぐに恥じて俯く。だが、喜びの声は悪では無いとエドガーは笑む。

 

「このエドガーが『聖女』様よりお預かりしたクリスマスケーキです。全員の分がありますから喧嘩しないように。いいですね? これは聖女様からの慈愛の品! 皆様への愛なのです! アンバサぁああああああああああああああああ!」

 

 突如として発狂して片膝をつき、両腕を広げて祈りを捧げたエドガーに倣うように、孤児達も両膝をついて手を組む。

 

『アンバサ!』

 

 だから、アンバサって……何? 1人だけ状況が飲み込めないユナは、逃避するように孤児達の予定表を確認する。

 大聖堂の敷地内で開かれるバザーに参加する予定だ。手作りの雑貨を販売するのである。ユナもその手伝いであり、夕暮れにはキリト達が開くパーティに出席する。

 本来ならば不参加でエイジの帰りを待つ予定だったのだ。だが、エイジから昨夜の内にメールがあったのだ。無事に帰還し、24日は『仕事仲間とそのまま打ち上げ』をし、帰りは恐らく25日の夕暮れになると。

 25日は2人だけで夕食を共にする予定だ。スレイヴも飛び入り参加するかもしれないので料理は多めに準備する。

 折角のクリスマスだ。労いも込めて他愛もない話をして過ごしたい……などと『逃げ』の姿勢をユナは良しとしない。クリスマスというイベントだからこそ、これまでの『幼馴染』という関係を壊すつもりで、踏み込んだ話をするつもりだ。

 後悔と謝罪。そして、本音をぶつけ合う。まずはそこからだ。ユナはエイジに抱いていた感情の全てを吐き出すつもりだ。勝手に押しつけていた理想も、互いの心は分かり合えているはずだと思い込んでいた幻想も、何もかも吐露する。

 それで心を開いてくれるかは分からない。エイジの『仮面』を剥ぎ取れるかも定かでは無い。スレイヴも妨害してくるかもしれない。だが、エイジの心に潜んだ憎悪に触れなければ何も始まらない。

 たとえ、絶交を宣言される事になろうとも、『仮面』の下で嫌悪と拒絶を抱かれようとも、隠された本音を引きずり出すチャンスを前にして足踏みなどしたくない。

 

(どうしてあんな『夢』を見たのか分からない。でも、あれは『真実』だって確信がある)

 

 後悔はした。足りないならば幾らでも積み上げよう。重ねた後悔の分だけ伸ばした手が届くならば。

 孤児達が押し車に手作り雑貨を積み、大聖堂の敷地内に設けられたバザー会場に陳列する。朝早くから信徒で賑わい、思い思いの品を売り、また買っていく。

 売上げの半分は寄付となる為か、大ギルド等の有力者も記者を引き連れて訪問している。敢えて大量購入せずに、だが嫌みにならない程度に高額の品を買っていく。

 

「売れねぇなぁ……」

 

「だから、無難に乙女像にしようって言ったんですよ」

 

 孤児達の多くが作ったのは『灰より火を掬い上げる乙女』の像だ。

 灰より出でる大火を迎える為に油を注ぐ。だが、灰より『誰か』が火を掬い上げて、油で満たされた器に移さねばならない。たとえ、己が燃やし尽くされるとしても。

 故にこれは自己犠牲の尊さを示す像だ。孤児達は乙女の木像を彫り、また好調な売れ行きだ。手頃なお値段で教会に信仰心を示せるのだ。加えて孤児達の商品は全額が孤児院の運営費となる為に、親切心で買う者も多い。

 だが、チョコラテを筆頭とした1部の男子が作成したのは【聖水封入地雷】だ。通常の地雷とは違い、踏むとシャワーのように拡散する聖水が飛び散る。祝福が施されており、特にアンデッドや深淵の眷属に効果が高い、モンスター除けのアイテムだ。

 1つ1つが手作りであり、並の市販品よりも効果は高い……のであるが、わざわざバザーで売るようなものではない。全30個はまるで売れる気配が無い。

 昼を過ぎる頃には乙女像は売り切れたというのに、聖水封入地雷は売り上げゼロだ。普段から孤児院を仕切っているチョコラテの失態に、幾人かは笑いを禁じ得ないようだった。それに悔しそうに顔を歪めるチョコラテであるが、彼に商才はないらしく、売り込めば売り込む程に客は離れていく。

 

「……そりゃ大ギルドの正規品に比べれば効果も薄いけど、費用対効果は良いだろ!? ねーちゃんもそう思うよな!?」

 

 弁当を頬張りながら主張するチョコラテに、ユナは自分なら欲しくないと言えずに無言で応える。

 

<諦めないで売ろう。夕方までには1個くらい売れるよ>

 

「ねーちゃん……カワイイ顔して割と手厳しいんだな」

 

 ユナにさりげなく背中を刺され、意気消沈したチョコラテは机に伏し、やがて顔半分だけを向ける。

 

「というか、ねーちゃんは折角のイヴに何でこんな所にいるんだよ。クリスマス専用イベント目白押しだし、あのイケメンにーちゃんとデートしてくればいいじゃん」

 

「…………?」

 

 イケメン……エーくんの事かな? ユナはチョコラテの質問の意味が分からずに首を傾げれば、彼は呆れたように溜め息を吐く。

 

「ねーちゃんって、初恋はいつ?」

 

<女の子に恋歴を聞いちゃ駄目だよ>

 

「いいから!」

 

<幼稚園の頃、好きな人はお父さんだったかな>

 

 つまりはそういう事である。死ぬ以前……SAOログイン前は、少なくない男子に告白された事もあるが、親しくもない男子と付き合たいとも、また恋人になることに意味も価値も持てず、断ってばかりだった。

 何度かトラブルになった事もあったが、その度にエイジが相手の男子との間に立ち、穏便に済ませてくれた。

 

「…………」

 

「ね、ねーちゃん!? おい、どうしたんだよ!?」

 

 こうして振り返ってみれば、エーくんに迷惑かけてばかりだ……! 自己嫌悪が津波のように押し寄せ、ユナは顔面から床にたたき伏せる。自分の愚かさに吐き気すらもしてくる。

 エイジはユナを除けば親しい人もいなかったが、立ち回りが上手でクラスでも特段に孤立しているわけではなかった。浅く広く、クラス内の調整弁を担っていた。

 

『鋭二くんってさ、カッコイイよね。勉強も運動もそつなくこなすし、ちょっと人を寄せ付けないクールな部分もあるけど、そこも良いっていうか。ねぇ、悠那。幼馴染なんでしょ? その気がないなら紹介してよ』

 

『えー。嫌だよ。エーくん、好きな人がいるっぽいし』

 

『…………』

 

『確かにエーくんは「誰にでも」優しいし、物凄い努力家だよ? でも、だからこそ一途だし、試しで付き合うとかしないと思う。「幼馴染」の私が言うんだから間違いない!』

 

『悠那ぁ。アンタ……罪作りな女だわ。というか、精神年齢低すぎて話にならんわ。男も女も、とりあえず付き合ってみようで、そこから相性も探るものなのよ。心も体もね♪』

 

 回想が槍衾となってユナを突き刺す。クラスでも人気があったギャルの友人がエイジを狙っていた。橋渡しを求められたユナは『幼馴染』が奪われるような気がして、少しムキになって断ってしまった。

 私の馬鹿。馬鹿。大馬鹿! ユナは額を何度も机に叩き付ける.

 

「ねーちゃん? ねーちゃん!? 止めて! お客さんが! お客さんが逃げちゃう!?」

 

 あの時! 紹介していれば! エーくんはカノジョとの交際に夢中になってSAOにログインなんかしなかったかもしれないのに!

 

『お父さんは悠那にはまだ恋人とか早いと思うが、鋭二くんにその子は「お似合い」だと思うぞ。「とっても」な。是非ともお友達に紹介してあげなさい』

 

 そういえば、帰ってからお父さんに相談したら、物凄く勧めてた! 後悔モンスターと化したユナは額を連打し続ける。チョコラテが引き離そうとしても、自罰を求めて叩き続ける。

 

 

 

「……ねーちゃんのせいだからな」

 

 

 

 そして、日も暮れた頃、雪ばかりが積もり、聖水封入地雷は1個も売れていなかった。ユナの奇行がトドメを刺したのは言うまでもなかった。

 面目ない……! 正気を取り戻したユナは赤面して俯きながら財布を取り出せば、チョコラテは全力で首を横に振って両腕で×印を作る。

 

「いやいやいや! 止めてくれ! ねーちゃんに買って貰ったらさすがに惨めだし! というか、皆に嗤われるし! そ、それにバザーは明日の午前中までやってるしな! な、なんとか売れるって! は、はは……ははは……」

 

 だが、チョコラテもさすがに諦めているのだろう。客層が違いすぎたのだ。目尻に涙を浮かべながら笑うチョコラテであったが、夕闇を背負うように影が彼に覆い被さる。

 

「よろしいでしょうか?」

 

 話しかけてきたのは小柄な少女だ。身長は145センチ前後だろう。頭から足首まで隠すフード付きマントを身につけている。ただし、側頭部の部分は不自然に盛り上がっており、また風も吹いてないのに細やかなに揺れていた。

 フードを深く被っている為か、顔は見えない。だが、覗かせる頭髪は毛先にいく程に黒となる灰のグラデーションだ。見え隠れする鋭い犬歯も愛らしい。

 

「マスターの……わふぅ!?」

 

 話し始めた途端に、何処からともなく飛んできた石が後頭部に命中し、少女は顔面から陳列されていた聖水封入地雷に突っ込み、1個を起動させて顔面で炸裂させる。

 

「目が……目がぁあああああ!?」

 

 文字通りの自爆した少女は聖水が直撃した両目を手で押さえて雪上で転げ回る。

 

「あ、あの……大丈夫、か?」

 

「も、問題ありません。この程度で輪廻の有よ……わふぅん!?」

 

 先程の倍の大きさの石が少女の頸椎にめり込む。クリスマス期間中でなければ大ダメージ確定だろう、衝撃波を伴った剛速である。またも聖水封入地雷に顔面から突っ込んだ少女は1個起動させて、やはり顔面にて炸裂させる。

 

「目が……目がぁあああ……目がぁあああああああ!?」

 

 少女はまたも両目を押さえて転げ回る。

 

「あ、あの……だから、大丈夫!? 本当に大丈夫なのか!?」

 

 困惑して動けないチョコラテを残し、ユナは慌てて少女を起こしにかかる。もはや聖水と涙と鼻水が混じった顔を、ユナが差し出したハンカチで拭き、何事もなかったように少女は蝦蟇口の財布を取り出す。

 

「わ、我が主はこちらの商品をお気に召し、全てお買い上げになられるとの事です! お釣りは要りません! では!」

 

 少女は紙束をテーブルに置くと手早く聖水封入地雷を全てアイテムストレージに収納して走り去る。チョコラテとユナは呆然と顔を見合わせ合う。

 

「ユナ、遅くなった」

 

 と、そこに現れたのはキリトだ。普段と違って私服なのであるが、黒系統で纏められているせいか、私服感がまるでない……とはユナもさすがに言えなかった。

 

「あれ? もう売り切れか。さすがは教会主催のバザー」

 

「あー、キリトさんか。いや、売れ残ったっていうか、全く売れていなかったヤツがあったんだけど、たった今、完売した」

 

 キリトとも知り合いなのだろうか。フランクに声をかけるチョコラテをユナは見つめれば、キリトが肩を竦める。

 

「何度か青空教室に参加してるし、教会剣の活動にも参加してたからな。彼も教会剣希望で、稽古付けた事があるんだ。彼は筋が良いよ。あと3年もして体がそれなりに大きくなれば、即戦力として教会に迎えられるさ」

 

「誉めても何も出ねーぞ」

 

 チョコラテくん、強かったんだ。ユナがチョコラテの頭を撫でれば、彼は顔を真っ赤にして後退る。

 

「こ、子ども扱いするな! それよりも! ねーちゃん、どういう了見だ!? この人だけは止めておけって! 背中を100回刺されても文句も言えないくらいにフラグ乱造&管理ダメダメ男だぞ!?」

 

「おい、俺を何だと思ってるんだ?」

 

「あ? 言ったとおりの、女にだらしない駄目男」

 

 一切の容赦が無いチョコラテの断定に、さすがのキリトも頬を引き攣らせた。

 

<私とキリトはそんな関係じゃないよ。私にとって大切な仲間で、友達で、師匠で、命の恩人。それだけだよ>

 

「ああ、なるほど。それだけか……って濃すぎんだろうが!? おい、キリトさん! いい加減にしろよな!? ねーちゃんに手を出したら、さすがに俺が怒るからな!?」

 

「何で俺が怒られないといけないんだ!?」

 

「シスター達の寝取り計画を見ちまったこっちの気にもなりやがれ!」

 

 ……聖職者だからって欲望を抑えられるわけじゃないから仕方ない。ユナはいつの間にか物陰からキリトを窺う修道女たち複数名の姿に気付いてしまい、全力で逃避する。

 それよりも代金を片付けなければ。少女が置いていったのはコルの硬貨でも小切手でもない。教会の刻印が施された金券だ。

 今回のバザーで実験的に投入されたものであり、コルの代用品となる。製紙に用いられている素材と加工技術が特殊で偽造不可能であるという謳い文句である。

 単位は『フラム』。その名の通り、教会にとって重要な『火』を意味する。多くの発案があった中で、エドガーが頑なに譲らず現教皇のアナスタシアも支持して決定された。

 

「これが噂の……見に来て正解だったな」

 

 キリトは何故か渋い顔をし、チョコラテの了承を取って金券を手に取ると指で触れ回る。

 

「偽造かどうかはすぐ分かるのか?」

 

「ん? あ、ああ。ほら、コイツだよ。『偽貨の指甲』っていうんだってさ。コイツで触れると金券に使用されてる成分が反応して変色するんだ。ほら……」

 

 鈍い金色の指甲を装着させたチョコラテが金券をなぞると、赤系の塗料が使用されていた1万フラムの金券はまるで炎が燃え上がるように煌々と橙色に変色した。

 

「逆に他の塗料に触れると過敏反応を起こして指甲の方が変色するんだ。こんな風にさ」

 

 チョコラテが自分の首に巻いた青のマフラーに指甲を接触させた瞬間に、触れた場所から銀色に変じる。離せばすぐに元の鈍い金色に戻ったとはいえ、変色速度は恐ろしく早い。

 

「わざわざバザーでこんな面倒臭い事させやがって。教会は何がしたいんだろうな?」

 

「……ああ、そうだな」

 

「というか、釣りいらないって……10万フラムもあるじゃねーか!? えーと、1コルが4フラムだから……2万5000コル!? 1個200コルなのに!?」

 

 叫ぶチョコラテは少女の影を探すも見つからなかった。

 その後、片付けをわざわざ手伝ったキリトはユナを連れてパーティが行われるホテルへと出発する。富裕層が集まる上層はDBOでも、聖堂街に並ぶ治安が良い区画だ。

 衛兵が守る門を潜れば、それだけで世界が変わる。石畳から街灯に至るまで、余す事無く財を投入した美しい街並みだ。比較的治安が良い中層は、上層に比べれば小汚い下町同然だろう。

 だが、ユナには上層が好きになれなかった。それは生活感が無いからだろう。ゴミ1つなく、街並みはまるで文化遺産のように古めかしく、まるで美術品が集められたかのようだ。これから向かう先のホテルも、クラウドアースが管理する娯楽街に建造したビル型のホテルとは違い、格式ある古風な外観をしている。もちろん、そのように見えるようにデザインされ、相応しい素材が使用されているのだ。

 上層はその名の通り、立体構造となった終わりつつある街で最も高度がある位置に建造され、太陽の光も月明かりも遮る建築物はほとんどない。唯一の例外といえば、聖堂街の中心……大聖堂にある時計塔くらいだろう。終わりつつある街がダンジョン同然の迷宮であるならば、大聖堂は広大な敷地内に設けられた、ダンジョンの中にあるダンジョンなのだ。

 小綺麗に区画整理されている。故に住みやすい。だが、その一方で多くの闇を孕む。色鮮やかな石畳の下には、上層らしく、暗い地下への道が張り巡らされているのだ。

 上層には検問が必須であるが、キリトは顔パスである。通行証が本来は必要なのであるが、彼の場合は教会の専属であるが故に、上層の通行証が発行されており、それが衛兵にも周知されているのだ。

 ユナもキリトの連れとして同行が認められ、臨時通行証を渡される。24時間毎の更新が必須であり、これを未所持ないし更新していない場合、問答無用で牢獄に放り込まれる。

 

「本当はこんな小洒落た場所でパーティなんて開きたくなったんだけど、借りられたのがここしか無くてさ」

 

<気にしてないよ。何処で開くじゃなくて誰といるかが大切だから>

 

「……そうだな。ユナの言うとおりだ」

 

 頷いて笑い、赤いマフラーを口元に引き寄せたキリトは笑う。

 やはり変わった。都合の良い夢を見せ、アグラヴェインと戦い、スゴウの罪と罰に決着を付けた、シェムレムロスの別邸にて、キリトは大きな何かを乗り越えたのだろう。

 過去を引き摺る影は今も瞳の中で渦巻いている。だが、区切りを付けたように、それはどんよりとした湿度を失い、いずれ風化するだろうという予感を与える乾きがあった。

 過去を過去として終わらせた。キリトは過去に縛られた心を解き放ったのだ。ユナは素直に彼の羽ばたきを歓迎し、また同時に後悔した自分もまたエイジと向き合わねばならないと再確認する。

 

「……コルが貨幣として出回っていたけど、コルは消費される資源でもある。増加を続けるプレイヤー人口に対して、コルの総量が経済として成立させるにはまるで足りない。だから『プレイヤーが発行する新たな貨幣』が必要になる」

 

「…………?」

 

「スゴウの受け売りさ。プレイヤー発行の貨幣は、現実世界で主流の管理通貨制度を運用するには環境が違いすぎる。だからといって、これまでと同じくコルを兌換させるのであっては破綻する。何だかんだで希少性の高い金か何かは知らないけどな」

 

<キリトは難しい話をするね。私にはサッパリだよ>

 

「俺も分かった気になってるだけさ。ただ……教会は銀行じゃない。通貨発行権を然るべき機関に譲渡するだろうな。噂では、終わりつつある街で、新たに議会を設けるらしい。戸籍を作って、インフラを整備して、警察みたいな治安維持組織を運営し、収税を行う」

 

「…………」

 

「あ、嫌な顔したな? 俺もだよ。必要なのは分かってる。分かってるんだ。でも、何でだろうな? 仮想世界がどんどん『現実』に肉付けされていく度に、俺が好きになった……自由気ままに冒険できる仮想世界が失われていく気がして、寂しくなるんだ。嗤えるよな。今だって、どう見たって自由や気ままとは無縁の攻略と探索なのにさ」

 

 プレイヤーは自由に探索することさえ出来ない。フロンティア・フィールドという未知の領域さえも、所有権を巡って争いが繰り広げられる。名も知れない中小ギルドが後ろ盾もなく攻略しようとするなど、どれだけ実力があろうとも出発さえも許されない。成果を上げようとも『ルール違反だ』と簒奪されるだろう。そんなルールはDBOの『ルールブック』には載っていないのに。

 ユナもようやく理解した。DBOに与えられたルールはたった1つ……『弱肉強食』だ。自身の強さを疑わないならば、自由に振る舞えばいい。独りも集うも、奪うも守るも、殺すも殺されるのも……何もかもが自由なのだ。一般のゲームでマナー違反とされる行為さえも咎める者はいない。

 混沌の坩堝で、人々は規律を求め、社会を形成した。DBOは、現実世界の理屈が通じないからこそ、DBOに適した社会形態を、既存の様々な知識や過去の事例を利用して模索している最中なのかもしれない。

 ユナにも分かる。1年や2年で安定が得られるものではない。それこそ数十年……あるいは100年単位で、世代交代をしながら構築を目指すものなのだろう。

 だからこそ雛型が必要なのだ。到達すべき理想型への道筋を示さねばならないのだ。それもまた大ギルドが互いに手を取り合えない理由の1つにもなっているのだろう。

 

「結局さ、俺はガキのままなんだ。でも、それでいい。難しい大人の理屈はスゴウやレコンに任せるさ。俺があれこれ口出ししても彼らに迷惑をかけるだけだ。俺は馬鹿でいい。馬鹿のままでいい。そういう役割なんだろうな」

 

 違うよ。自分は子どもだと、『馬鹿でいい』と、笑いながら言えるようになった時点で、それは『大人』へと踏み出している証拠なのだ。

 社会に反旗を翻したいのではない。だが、自分の進むべき道は自分で探したい。新たな光を世界に差し込ませたい。ならばこそ、求められるのは責任か。キリトは自分の命をチップにして勝負に出る覚悟があるのだろう。そして、彼の進む道に続く仲間は同志でもあり、同じく命懸けで勝負をする決意があるのだろう。

 自分は? ユナは首を横に振らねばならない。

 キリトの事は嫌いではない。リーファを筆頭とした、共に戦った仲間も大切だ。だが、キリトは安易にユナを自分がやろうとしている事に巻き込まないように振る舞っているのと同じく、ユナもまた彼らとは線引きしてしまっている自分がいる。

 キリトの目指す道は、まだ手段さえも分かっていない、だが大まかに進むべき方向は分かっている遠い目標がある。

 対するユナは直近の目標だ。エイジに向き合う。そして、彼の憎しみに触れて、どうかにかして救う。手段も分からない上に、その先をまるで見据えていない。

 

<キリトは凄いね。どうして、皆がキリトに期待するのか分かったよ。キリトは皆に『夢』を見させてあげられる。少しでも、より良い未来を得たいって願える『夢』を>

 

「……ただの口だけの夢想家さ。ユナが見ているのは、俺が俺自身を騙す幻想だよ。そうしないと、俺はすぐに腑抜けになって、うじうじと悩む駄目人間になっちゃうからな。もう長らく腐ってたせいで、悪臭が染みついてるくらいさ」

 

<見えずとも分からずとも行動している人は夢想家じゃない。冒険家っていうんだよ。キリトはね、本当に正しい意味で、未知を手探りで進む『冒険』をしているんだよ>

 

 心が思うままに、ユナはキリトを誉める。途端にキリトの目尻に涙が浮かぶ。

 

「……ユナには敵わないな。いや、振り返ってみれば、俺はいつも『誰か』の言葉や行動に助けてもらって、支えてもらって、背中を押してもらってばかりだ」

 

 お互い様だよ、キリト。貴方が私に機会をくれたから、私はエーくんと向き合おうって思えた。

 ユナはキリトの涙を指で拭い、彼は感謝を込めて微笑む。

 

「……キリト、いい加減にしないと刺されるよ? クリスマスくらい堪え性はないのかい?」

 

 と、キリトの背中を突き刺す勢いで氷のように冷たい声音をぶつけてきたのは、ユナも知るDBOでも知名度が高い、太陽の狩猟団が誇るエースのラジードだ。隣には同じくDBOでも高名な女性プレイヤーのミスティアだ。

 

「初めまして、だよね? ラジードだ。立場とか気にしないでいいよ。そういう堅苦しいのは――」

 

「ミスティアです。ラジードくんはこう言っていますけど、公衆の目がありますので、分別ある配慮をお願いします。あと――」

 

 ユナも不快感なく、さりげなく握手を交わしたラジードであるが、その手を見てミスティアは嘆息する。

 

「ラジードくんも他人事じゃないからね? キリトさんをどうこう言う権利なんてないからね?」

 

 ぐ、ぐ~るぐる? ミスティアの瞳で煮えた濃くドロドロとなった感情が渦巻く姿に、ユナは悟った。ラジードもキリトと似たり寄ったりのタイプなのだろう。見た目も行動も爽やか好青年のラジードには立場にも相応しいファンの多さも考慮すれば、恋人たるミスティアの苦労は想像して余りある。

 だが、それはそれとして、ミスティアの感情が煮詰まりすぎて病んでいるような眼差しには震えるばかりであった。

 ヤンデレ……は、初めて見た。実在したんだ……! ユナはラジードを狙う心配がないと判断してか、あるいは仮に手を出そうものならばぶっ殺すという意思表示か、ミスティアはユナに笑顔を向ける。

 

「キリトさんはまだ特定の誰かとお付き合いされていらっしゃらないようなので、狙い目ですよ♪」

 

 違う! 純度100パーセントで牽制だ! ユナはガクガクと足が震えてその場から動けなくなる。

 

「ミスティア」

 

「分かってるよ。1割くらい冗談」

 

「9割は本気なんだな。は、ははは……」

 

 笑い声が引き攣るキリトに、ミスティアは美人だからこそ刺々しさが際立つ目を向ける。

 

「ご自身の胸に手を当てて考えられたらどうです? 泣かせた、あるいはこれから泣かせる女性が思い浮かぶのでは?」

 

「……ごめんなさい」

 

 いるんだ!? てっきり周囲からのイメージで勝手にあれこれ言われてるかと思えば、キリトには全力で謝罪しなければならない相手がいる事に、ユナは軽く衝撃を受ける。

 で、でも、人格と女性関係のだらしならさは別物……でいいのかなぁ? ユナの惑う視線に気付いたのだろう。キリトは全力で首を横に振る。

 

「ご、誤解するな! 色々あって、その……俺も限界ギリギリだったっていうか……やらかしたっていうか……!」

 

「へー。私との関係は『やらかし』なんですかぁ……」

 

 キリトが硬直する。彼の背後にはトナカイの着ぐるみ姿となった、ある意味で哀れな、ある意味で可愛らしいシリカが立っていた。

 

「し、シリカ。今のは……違うんだ。言葉の綾で……! というか、何で、ここに?」

 

「遅いからホテルの入口で待ってたんですよ。それで? 弁解があるならば聞きますが?」

 

「……俺が悪かった」

 

 素直に頭を下げるキリトに、シリカはまるで蛇のようにねっとりした目を向ける。

 

「言葉で謝るのは簡単です。大事なのは行動で示すことです。違いますか?」

 

「そ、そうだな」

 

「謝罪の続きは今夜、私の寝室で――」

 

「はいはーい! ストーップ! お兄ちゃんったら遅いんだー! ほら、寒いんだし、早く中に入ろうよ!」

 

 誘導されていたキリトを救い出したのはリーファだ。彼女はキリトに抱きついてシリカから引き離す。

 

「『お兄ちゃん』?」

 

 だが、これに眉を顰めたのはミスティアだ。ラジードも眉間に皺を寄せている。

 

「あ」

 

 誤魔化せばまだ何とかなっただろう。だが、リーファは明らかに失敗したと顔に書く。

 

「……キリト。後で話をしよう。この口の軽さなら、副団長はもう調査済みだろうけど、『建前』は必要だしさ。ね?」

 

「た、助かるよ」

 

 ラジードがキリトの肩を叩いて優しさにも似た同情を示す。

 もう滅茶苦茶だよ……! ユナは叫びたい衝動を堪える。出るはずのない声が、今だけは全力シャウトが飛び出すような気がした。

 

「本日はお招きありがとうございます」

 

「持ち込みOKって聞いたから、アップルパイ持ってきたんだ。ミスティアは手料理」

 

「大勢で食べる料理は攻略で慣れていますが、お口に合うかどうか」

 

 ミスティアが実体化して並べたのは、幅40センチはあるだろう保温容器に詰め込まれたドリアだ。

 

「でも良かったのか? 太陽の狩猟団のパーティがあっただろう?」

 

「部隊のパーティは昨日の夜の内に済ませたし、招待状は来ていたけど、出席する気になれなくてさ」

 

 コートを壁にかけたラジードは豪奢な内装と相反した、フライドチキンといったジャンクフード、そして持ち込んだ小さなクリスマスツリーというアンマッチに苦笑する。

 

「昔のパーティは攻略を支えてくれている支援者や協力者とのコミュニケーションって意味合いも合ったけど、最近はどちらかというと陣営の商業ギルドや有力ギルドとの政治の場になっちゃててさ。僕みたいに政治力がなくて前線に出てばかりの『お飾り幹部』には居心地が悪いよ」

 

「お飾りでも幹部は幹部。1票は1票です。アタシとラジードくんは何処の派閥にも入っていない無所属なので、団長を引きずり落としたい輩がすり寄ってくるんです。馬鹿な人たち。アタシ達は派閥が嫌いなだけで、団長がいなければ太陽の狩猟団に居座る理由もないのに」

 

 スゴウといった初対面の相手と挨拶を済ませたラジードとミスティアは、まるで友人のホームパーティに誘われた夫婦のような振る舞いでソファに腰掛ける。

 ラジードとミスティアの名声はユナも知っている。太陽の狩猟団が誇るエースの2人だ。

 ミスティアは【雷光】とも謳われる、中・遠距離からの槍による一撃離脱戦法を得意とすることで知られている。指揮官としても極めて優秀であり、DBOでも5本指に入る美人プレイヤーとしても有名だ。太陽の狩猟団において初期から幹部を務め、大槍使いの団長サンライスと共に数々の戦場で戦果を挙げる姿は『太陽の2本槍』の1本として畏怖されている。

 ラジードは傘下ギルドから将来性を期待されて引き抜かれ、数々の戦場を経て着実に成長していく。直属の上司であったベヒモスの死後、活躍に拍車がかかり、ついにはネームド単独討伐を実質的に為し遂げたにも等しい戦果を挙げており、太陽の狩猟団の最高戦力である団長サンライスに匹敵する実力を持つに至る。特に荒野や砂塵といった悪環境における戦闘は群を抜いている。

 どちらも人望・知名度が高く、何かと後ろ暗い噂が絶えない太陽の狩猟団であるが、彼らのイメージアップ効果は大きい。特にラジードは積極的にギルド化以前の教会剣の活動に参加して治安維持活動においても絶大な効果を発揮したからか、教会も『無償奉仕と多大なる貢献』を認めており、『名誉教会剣』という地位を大ギルド所属のプレイヤーでは唯一授与された。

 実力・名声・人望・知名度の全てがA評価。更に言えば、性格は基本的に温厚で明るいが、熱くなりやすい人情家。容姿は夏の風を感じるような爽やかスポーツマンタイプだ。

 加えて男女に対応の差なく友好を示すタイプなのは、何の躊躇もなくユナと息をするように握手をした時、勘違いしやすい女子ならば1発でハートを射貫くような、小犬を思わす人懐っこさを感じさせる笑みを見せた事で実証済みである。

 キリトと同じタイプ。ユナはまだ実感もないが、キリトの女関係は複雑怪奇である事は疑う余地もない。なにせ、ユナの目で見抜ける限りでも、シリカ、リーファ、シノン、マユといった近しい女性陣はいずれもキリトに矢印を向けているのだから。

 

「俺達に話していいのか?」

 

「別に。知られても困ることじゃないしね。僕の目的はDBOを完全攻略して、1人でもより良い明日を望める未来を掴み取ることだ。今の太陽の狩猟団が昔と違うのは分かってる。でも、団長は変わっていない。副団長も手段を選ばないだけで、団長を必死に支えている。だったら、僕に出来ることは1つだけだ」

 

「『僕たち』ですよ。アタシとラジードくんは完全攻略を目指しているのであって、政治闘争にも『攻略後』の権益と地位の争いにも興味はありませんから。『犠牲を減らす為に戦い続ける』。大ギルドの1員であるアタシ達は攻略を進捗させる義務がありますから」

 

 2人の眼差しは全く同じのようで違う。ラジードは愚直なまでに真っ直ぐであるが、ミスティアには愛する彼の心配と憂いが含んでいる。

 

「……大ギルドの全員が2人みたいな考えだったら、攻略はもっと効率的に進んでいたんだろうね」

 

 フライドチキンを皿に盛ったリーファの一言に、室内は静まり返る。まさかの沈黙に、発端となったリーファが耐えきれずに周囲を見回していると、夜景を背景にミョルニルが腰に手を当てて仁王立ちする。

 

「オマエタチ、カッコイイ! ソレコソ、カガヤキ! タタカエ! ゼツボウ、キョウフ、シ、スベテ、ノリコエロ!」

 

「ミョルニル!」

 

 シリカが慌て余計な事を喋らせないように後ろから手で口を封じて引き摺る。

 さすがにラジードとミスティアには、ミョルニルがレギオンである事は秘密にしている。たとえ受け入れてくれるにしても、大ギルドの1員である彼らに迷惑をかけない為だ。

 ミョルニルのお陰で明るさを取り戻し、それぞれが雑談を始めながら、誰かの号令があるわけでもなくパーティが始まる。

 

「これが教会発行の……。どう見ます?」

 

「予想通りだろう。いよいよコル主軸経済が限界に達した。これからの資産運用の件だが、金融ギルドに信用できる筋を作った。ひとまず『臨時代表』としてレコン君の同席を頼めるかな?」

 

 レコンとスゴウはパーティであるというのに、キリトが持ち帰った教会発行の紙幣を手に政経談義で燃え上がっている。

 

「マユユン! お願いがあるんだけど、サイン貰ってもいいかな!? できれば『愛しのファン、ラジードへ』でお願いします!」

 

「もちろん♪ えーと、じゃあ『浮気駄目☆絶対! ラジードさんへ』っと♪」

 

「マユさん、GJ♪」

 

 ラジードが興奮気味で差し出された色紙にマユは強烈なカウンターを喰らわし、ミスティアはよくやったと誉める。

 

「はい、お兄ちゃん! あたしの『手作り』クッキーだよ♪」

 

「キリトさん! それよりも私の『手作り』チョコレートケーキですよね♪」

 

「ふ、2人とも……色が! 色がおかしいぞ!? 明らかに食べちゃいけない色をしてるぞ!?」

 

 両脇をリーファとシリカに固められ、それぞれの『手料理』を強引に食べさせられそうになったキリトは必死に頭を振って抵抗する。その様子をユナは諦観を込めて笑って深く考えないようにする。

 

「それにしてもシノのん遅いなぁ。他のパーティに出席しないといけなくなったとかなのかな?」

 

「いや、少し遅れるってさっき連絡があったよ。シノンは太陽の狩猟団の専属でも最高ランクの傭兵だからな。顔を出さないといけない場所も多いだろうさ」

 

 パーティが始まって1時間、まだ到着していないのはシノンだけだ。マユはキリトの正面で頻繁にミニスカートから惜しみなく伸ばした生足を組み直しているが、彼は全く目もくれていなかった。

 下心がない? いや、これは『見慣れてる』? やっぱり、キリトの女性関係って爛れてるの!? あれこれ妄想してしまったユナは顔を真っ赤にする。

 

「でも、クゥリさんが参加しないなんて、ちょっと寂しいなぁ」

 

「外せない用事があるらしいからな。まっ、俺は明日、一緒にクリスマス専用イベントを回る約束をしているけどな!」

 

 自慢するようにキリトが表明すれば、途端にシリカ、リーファ、マユの目が光る。

 

「ふーん。お兄ちゃん、あたしじゃなくてクゥリさんを選んだんだぁ……」

 

「やっぱり、クゥリさんですか。折角のクリスマスなのに、男同士で遊ぶのを優先するですね。ガッカリしました」

 

「マユはキリりんの専属として、あれこれ無理難題をクリアしてきたのになぁ。労いでクリスマスくらい一緒に回ってくれても良いのになぁ」

 

 3人に同時で責められ、背筋を伸ばしたキリトは視線を右往左往させ、脂汗を滲ませながらラジードに助け船を求めようとするも無言で距離を置かれる。レコンとスゴウは両手で両耳を塞ぎ、背中を向ける。孤立無援である。

 

「えーと……皆も一緒に来るか!?」

 

「クリスマス……クゥリさんと一緒に……? お兄ちゃんの馬鹿! あたし、着ぐるみなんだよ!? 雪だるまなんだよ!? それなのにクリスマス仕様のクゥリさんと!? ムリムリ! もう『女の子』として再起不能になる!」

 

「そうですよ! 考えてみてください。クリスマスの街でクゥリさんと並んで歩く着ぐるみ女子の気持ちを!」

 

 雪だるまとトナカイという呪われた着ぐるみ装備の2人に責められ、キリトは腕を組んで瞼を閉ざし、じっくりと60秒の時間をかけた。

 

「うん! 地獄だな!」

 

「でしょ? あの【渡り鳥】さんと並んで歩くだけで女の自信は砕けちゃうもん。それに、キリりんは【渡り鳥】さんばっかり構う姿が簡単に想像できるし。マユもパスしまーす。そもそもマユはライヴで忙しいしね♪」

 

 あの3人が即座に撤退宣言をするなんて、【渡り鳥】さんって何者なの!? まだ対面したこともなく、報道されたラストサンクチュアリ壊滅作戦における凶悪無比の姿しか知らないユナには、彼女たちの反応が恐怖心から生み出されたものではないとしかまだ分からなかった。

 

「お、遅くなってごめんなさい」

 

 ようやくシノンが到着したのか、部屋のドアが開く。だが、彼女は姿を見せない

 

「そ、その……準備に手間がかかって……」

 

 普段からは想像できない程に自信のない声だった。やがて覚悟を決めたように踏み入ってきたシノンに、キリトは手に持っていたフライドチキンを落とし、レコンは顎が外れる勢いで口を開け、スゴウは眼鏡のブリッジを押し上げ、ラジードとミスティアは顔を見合わせ、女子3人は戦慄を隠せず、ミョルニルはホールアイスを食べ過ぎで頭痛がして絨毯で転がり回る。

 付き合いの短いユナでも分かる。普段の彼女のイメージから大きく乖離している服装だ。

 膝上のフレアスカート。ややレースやリボンが多めの上着。ソックスは無地ながらも上品な質感を保ち、デフォルメされた銀色の猫のヘアピンを付けている。何よりも眼鏡! 普段装着していない人がオシャレで付けるのとは『馴染み』が違う! 明らかに、絶対に、現実世界では『眼鏡女子』である事が分かる、敢えてオシャレ度を抑えた普段使いデザインの眼鏡を使いこなす!

 純粋なカワイイ路線! 普段のクールビューティと強気な態度に隠された、女子特有の華奢な体躯がこれ以上と無くアピールされた事でできるギャップはマリアナ海溝レベルの衝撃を生む! オシャレ路線がどちらかといえば同じ系統のユナの目から見ても、『プロ』がコーディネートしただろう。

 だが、あくまで、『ちょっとしたオシャレをする時はこんな格好をするんだよ』程度の『気合い』で抑えられている! 無理に自分を輝かせようとした装飾感がない。あくまで身内のパーティに参加するには問題ないレベル!

 だが、着慣れていない! 明らかに始めて着たタイプだと分かる! そこに加わる『本当は眼鏡女子なんだよ』というカミングアウト! ギャップに対して敢えて『逃げ道』を与える! 着慣れていない系統の服と馴染んだ眼鏡姿の融合によって、服装は浮かずにシノンの魅力を引き上げている!

 敢えて性格からも分かるボーイッシュ路線ではなく、女の子らしさを前面解放したカワイイ路線! これならば、たとえシリカやリーファが本気でキリトを堕としにいっていたとしても拮抗どころか超越していただろう。

 

「ど、どう……したの? 何か言う事あるなら……」

 

「え? あ? うん。あ、あははは! 普段のシノンとイメージが違いすぎて驚いてるだけだ! あ、あははは……!」

 

 胸を強調しているわけでもなければ、足を惜しげもなく見せているわけでもない。むしろ肌面積は少ない。だが、それでも、だからこそ、普段のシノンのイメージを覆されたキリトにクリティカルダメージが入る!

 

「いつもと格好が違うからさ。ど、どうしたんだ?」

 

「折角のパーティに、ラフな格好や防具で来るわけにもいかないじゃない」

 

「そうだよな! あ、あははは! 意外だなぁ! シノンの普段着って、えーと……もっとこう……男らしいっていうか……!?」

 

「私だって、オシャレくらい……するわよ」

 

 自信無さそうに俯くシノンに、キリトは慌てふためく。

 

「に、似合ってるよ」

 

「本当に?」

 

「嘘なんて吐かない。本当だ。似合ってる」

 

 キリトの返答に満足したのか、あるいは不安が解消されて緊張の糸が切れたのか、シノンは嬉しそうに、クールとは程遠い、ほんのり頬に赤みがかかった笑みを浮かべる。それはまるで警戒して唸っていた野良猫がついにゴロゴロと喉を鳴らして頭を擦りつけてくるような愛らしさがあった。

 途端にキリトが黙る。表情が抜け落ちる。ユナは見逃さない。シノンを明確に『異性』と認識してしまい、思考がフリーズしてしまった顔だ。

 自分の可愛さと努力でキリトをバグらせたと知らず、シノンは自分が何かやらかしたのかと膝で拳を握って硬直してしまっている。

 その後、パーティは再開されたが、キリトの隣は自然とシノンがキープしていた。いや、さすがに3人もシノンの不退転の覚悟に押し退けられたといったところだろう。

 その後、プレゼント交換が行われた。それぞれが1個だけ準備したクリスマスプレゼントをシャッフルし、レコンの司会の下で抽選が行われる。

 ユナが当てたのはレコンが準備したアロマキャンドルだ。HP回復効果があり、またモンスター除けにも使用できる実用性重視である。

 

「らぁじぃいいいどくぅううううん♪ はぁやぁくぅ! はぁやぁくぅうううう! べっどいこぉおおおおおおおおおお♪」

 

「そ、それじゃあ! 今日はありがとう!」

 

 お酒ですっかり出来上がり、甘えるように抱きつくミスティアにバランスを崩されながら、真っ先にラジードが退出する。

 

「ガァアアアアアアアアアアアゴォオオオオオオオオオオオガァアアアアアアアアアアアアゴォオオオオオオオオオ!」

 

「私も『今日』は帰ります。いいですか!? 私が帰るのは! 先に寝ちゃったミョルニルさんを連れ帰る為です! このまま放置していたら、寝ぼけて何をしでかすか分からないからです!」

 

 食べて遊んで、疲れて眠っていびきを掻くミョルニルを背負い、シリカはキリトに念押しすると出て行く。

 

「じゃあ! 僕は大事が用があるので! 具体的には26日の朝まで帰りませんので! では!」

 

「私もそろそろお暇しよう。出席を求められたパーティがあってね。今の時間ならば、ギリギリまだ間に合う。顔出しだけはしておきたい」

 

 過剰すぎる元気と共にレコンの後を追うように、スーツのネクタイを締め直したスゴウも退出する。

 

「うぅうう……あたしだって……あたしだって着ぐるみじゃなければ……!」

 

「……リーファはマユの工房で寝かすから安心して。キリりん、ここでニブニブは許さないからね? シノのんが『誰』のためにオシャレしたのか、ちゃーんと考えて振る舞うように。以上!」

 

 キリトが止める間もなくお酒に手を出したリーファは泣き上戸を披露する事になり、見かねたマユが連れ帰ることになった。

 後片付けはキリト、ユナ、そしてシノンで行うことになった。キリトとシノンは無言であるが、何度か視線を交わらせては互いに顔を背けている。明らかに意識してしまっている。

 自分がこれ以上ここにいても無粋なだけだ。ゴミの分別を終えたユナは送ろうとするキリトを制する。

 

<私は1人で帰れる。前みたいに危険な真似をしない>

 

「……分かった。あ、そうだ。これ!」

 

 キリトはアイテムストレージから具現化させたのは黒塗りの木箱だ。

 

「マユにあり合わせで作って貰ったんだ。テストはしたから大丈夫だと思うけど、不具合があったら言ってくれ。調整してもらうから」

 

 木箱を開けたユナは目を見開き、キリトを見上げる。

 もらえない。まだDBOの事情に疎いユナでも、生半可な品ではないと分かるからだ。

 

「……俺はキミにも、エイジにも、酷い事をした。キミに命の恩人なんて言われる資格なんてない。だから、これは俺の身勝手な自己満足の罪滅ぼしで、だけど……せめて、キミとエイジの関係が少しでも良くなる手助けをさせてほしい」

 

 下心などない純粋な善意。罪悪感が発端だとしても、ユナとエイジのより良い未来を願うのは本当だろう。故にユナはキリトからの最高のクリスマスプレゼントを受け取る。

 

<ありがとう、キリト>

 

「お礼を言うのは俺の方だ。ユナがいたからスゴウを殺さずに済んだ。俺は諦めないで足掻くことができた。これからもよろしく頼む。『仲間』として、『友人』として、いつだって俺はキミの味方だ」

 

 キリトからのプレゼントを手に、ユナは雪空の下で帰路を進む。

 食べて、笑って、遊んで……そんな『当たり前』がこんなにも尊いのだと凍える夜の静寂の中で知る。

 帰りたい? あの頃に戻りたい? 家族がいて、学校の友達がいて、振り返ればいつもエイジがいた……『あの頃』に戻りたい?

 ユナは否定する。『嫌だ』と。

 瞼を閉ざせば何度もあの日、あの時、ナーヴギアを装着しなければよかったと後悔する程に執着を覚える。過去は優しい温もりに満ちていて、好きなように歌う事が出来て、漠然とした未来への不安とそれ以上の期待で満たされ炊いたのだから。

 だからこそ拒絶するのだ。

 アインクラッドで戦う事を選び、自己犠牲の名の下で残された者の事を考えもせずに死んだのはユナだ。

 現実世界に帰りたいと望んでエイジを戦いに駆り立て、勝手な理想像を押しつけて『幼馴染』という関係に甘えて本心と向き合おうとしなかったのはユナだ。

 蘇った後も、エイジとの間に生まれた時間の差、経験の差、何よりも溜め込んだ想いの差で、手を伸ばせば触れられる程に近くにいたのに、遠くへと去って行くのを止められなかったのもユナだ。

 声が出れば……歌うことができれば、感情をぶつける事が出来るのに。伸ばしても触れられない手の代わりに、歌ならば届くかもしれないのに。

 望んではならない。求めてはならない。欲してはならない。既に失われたのだから。だが、ユナは道行く人々の口から当然のように漏れる笑い声に、どうしようもない渇望を見出す。

 聖堂街に入れば治安は万全だ。クリスマスであろうとも教会剣の警備は厳重である。クリスマスの間は聖堂街も灯りを絶やさない。むしろ、昼間と見紛う程に、各所で蝋燭を手持ちの燭台に差した信徒達が祈りを捧げている。

 そうして大聖堂へと向かう道中にて、ユナの足が止まる。

 煌びやかな街灯の下、雪風で舞う濁った金髪が目に入ったからだ。

 

「【黒の剣士】とそのお仲間と楽しくパーティか。朝帰りかと思ったぞ」

 

<明日も仕事があるから>

 

 歩き出す。スレイヴに近寄る為に、あるいは目前を毅然と通り過ぎる為に。

 

「もっと人生を楽しめ。折角の2度目の生だろう? 過去を捨てて享楽に耽ればいい」

 

<今でも十分に楽しいよ。いつか、エーくんとも同じ気持ちを共有したい>

 

「それは無理な相談だ。お前とエイジは生きる世界が違う。お前は光。エイジは闇。天上に輝く星に、地を這う虫の気持ちなんて分からない」

 

<だったら連れ帰るよ。光も闇もない夕暮れに>

 

「……逢魔が時か。せいぜい頑張るがいい。だが、忘れるな。光と闇が境界線を失う夕暮れの後は、暗く長い夜しかない。せいぜい夜の闇に取り残されない事だな。俺とエイジは闇を歩けるが、お前は夕闇に招かれた魔に貪り食われて闇に溺れるだけだ」

 

<ご忠告ありがとう。明日の夕方、エーくんと食事をするんだけど、よければスレイヴさんも来て>

 

 明確な挑発を込めて、ユナは『にっこり』と笑いながらスケッチブックを見せつければ、スレイヴは初めて歯を剥き出しにして顔を歪める。

 

「自惚れるなよ。俺だ。俺『だけ』だ。エイジの憎しみを理解してあげられるのは俺だけなんだ! お前だけには絶対に踏み入らせない! 何も知らない『ただの幼馴染』が……!」

 

「…………」

 

「……熱くなり過ぎた。不愉快だ。帰る。エイジには『クリスマスが終わったら会おう』って伝えておいてくれ」

 

 街灯の下から去ったスレイヴは、そのまま闇に溶けて消えるようにユナの視界から失せる。雪に刻まれた足跡さえも途切れていた。だが、スレイヴの行方などユナにはどうでも良かった。

 今まで歯牙にもかけていなかったスレイヴが、ユナを見据えて敵意を剥き出しにした。それこそがユナは確かにエイジへと1歩近寄ることができたという証拠だからだ。

 踏み入らせない、か。ユナは自嘲する。これではどっちが幼馴染なのか分からないではない。

 

(それでも、エーくんを……置き去りにはできない)

 

 夢か現か、もう1人の自分が導いてくれた、憎しみの炎の底。人とも獣とも思えぬ、おぞましくも悲しい、まるで鬼のような慟哭を迸らせていた『幼馴染』を見捨てたくない。

 多くの幸せと祈りの歌が響く聖堂街にて、ユナはまるで耳を塞ぐように早歩きで大聖堂を目指した。

 

 

▽       ▽       ▽

 

 

 12月24日午後10時11分。

 意外だった。シリカ、リーファ、マユは最後まで残ると思っていたからだ。

 シノンはスカートの裾を握り、緊張と不安の面持ちで洗い物を終えて背筋を伸ばすキリトを迎える。

 

「お疲れ様」

 

「ありがとう」

 

「でも、ホテルに任せればよかったんじゃないの?」

 

「ホテルにとって『旨味』のないお客様だからな。これくらいはしておかないと」

 

 備え付けのキッチンがあったとはいえ、飲み食いはルームサービスで済ます客ばかりだろう。あくまで場所が無かったので借りたに過ぎないとキリトはアピールするが、それが彼の小市民性を滲み出ていて、シノンは思わず笑ってしまった。

 

「貴方って、プライベートでは本当に『英雄』っぽくないわよね」

 

「皮肉として受け取っておくよ」

 

「もちろん♪ だって皮肉だから」

 

 如何なる苦難と強敵であろうとも戦おうと踏み出す背中。

 漠然とした目標であっても手探りで進み続ける背中。

 誰かの危機が訪れた時、後先考えずに、形振り構わずに、後悔と罪悪感しかないとしても守るべく剣を振るう背中。

 人々はキリトに理想を押しつける偶像のように『英雄』を求め、また彼も欲せずとも『英雄』の道を選んで進む。

 キリトは変わった。聖剣を手にしてから、仮面を捨ててクゥリと戦ってから、そして……また変わった。シェムレムロスの別館を経て、キリトに纏わり付いていた影が薄くなった。

 どれだけ戯けていても、どれだけ笑っていても、常に後ろめたさを覚えるような、触れることも剥ぎ取ることもできない、彼自身で決別しなければならなかった過去に残した想い。それをようやく断ち切ることが出来たのだろう。

 それが分かってしまうのは、キリトの『背中』を少しでも守ることができたという自負があるからか、あるいは待ち望んでたからなのか。シノンは前者であって欲しいと願う。

 過去に縛られる事は悪では無い。過去が無ければ現在は無く、未来とは過去の積み重ねだからだ。過去の思い出に雁字搦めとなり、水底で緩やかに腐っていくのもまた1つの選択だ。

 

「……マユ、綺麗だったわね」

 

 普段の和装とは異なり、自身の絶対の自信がある、アイドルらしく強みを引き出していた。『たった1人』を振りむかせる為だけに、試行錯誤を繰り返し、あざとさを計算し尽くした姿だった。

 普通の男ならば、自分の為にそこまでしてくれる女の子がいれば心が傾くものだろう。異性としての好意を持っていなかったとしても意識し始めるはずだ。

 対して自分は? ラズビリンとカイザーファラオに言われるままの着せ替え人形だ。

 それでも貴方に見て貰いたかった。シノンは目的達成だと自分に言い聞かせる。マユに比べて自分磨きが足りていないと自嘲しながら立ち去ることを選ぶ。

 

「私もそろそろ帰るわ。明日は私も聖夜慰霊祭に専属傭兵として参加するから、またその時にね」

 

「……ああ、お休み」

 

 キリトに見送られ、シノンが部屋を出ようとした時、だがキリトは彼女の手を掴む。

 

「待ってくれ!」

 

 震えながらも声を張ったキリトは、照れながらベランダを指差す。

 

「少し、付き合ってくれないか?」

 

「…………!?」

 

 え? どういうこと? キリトが呼び止めるって何が起こってるの!? 困惑するシノンは熱くなる顔を意識しつつ、キリトの後を追ってベランダに向かう。

 さすがは終わりつつある街・上層のホテル……それもスイートルームから見る夜景だろう。街全体が美しく装飾されたように煌びやかだ。下層や旧市街すらも、点々としているが、確かな光を灯している。

 たった2日間だけ、死の恐怖を忘れられる時間だ。人々は思い思いに生を噛み締めているだろう。

 キリトはベランダの柵にもたれかかるとアイテムストレージから2本のビール缶を実体化させる。

 

「……あれだけ飲んだのに、まだ付き合えって?」

 

「嫌ならジュースにするぞ?」

 

「上等よ」

 

 ああ、本当に可愛くない。キリトからビール缶を奪ったシノンは蓋を開け、喉を鳴らしながら飲むも咳き込む。

 

「ビールを飲んで咳き込むなんて、シノンはまだまだだな」

 

「……だったら何よ?」

 

「悪かったよ。折角の服が……その……」

 

 口から溢れたビールをつい袖で拭ってしまったシノンは、自身のがさつさに絶望する。

 気付けば目尻に涙が浮いていた。折角、どんな形であろうともキリトが誘ってくれたのに、ようやく2人だけの時間を作ってくれたのに、服とは違って心は可愛くなれない。

 

「シノン!?」

 

「ビールが苦すぎただけ! 気にしないで!」

 

「で、でも……!」

 

「いいから寄越しなさい!」

 

 1缶目を無理して飲み干したシノンは、まだキリトが口をつけていない2缶目を奪い取る。

 酒盛りは淡々と進む。いつの間にかシノンはベランダの柵を背もたれにしてキリトの足下に座り込む。

 キリトの目は終わりつつある街の夜景に向けられていた。だが、その目には絶景と褒め称えるような輝きはなかった。

 

「……気持ちは分かるけど、貴方1人で皆を『幸せ』にする事は出来ない。貴方は見ず知らずの他人も含めた『皆』を守ることなんて出来ない。貴方が聖剣を振るって奇跡を起こせる『英雄』だとしても、全てを救う事なんて、絶対に出来ない」

 

「もしも神様がいるとして、どうして人間がこんな風になるまで放置してるんだろうな」

 

「……きっと、神様は人間を救いたかった。だから、手を差し伸べた。でも、きっと、その度に……人間の中から邪魔者が現れたのよ。神様の作る秩序を、壊してしまう者が……」

 

「だったら、きっと神様は困惑しただろうな。人間は救われることを望んでいないのかって」

 

「ええ、きっとそうね。そうに……違いないわ」

 

 キリトはどんな顔をしているだろう? だが、シノンは立ち上がらない。キリトと向かい合わない。彼の手を引っ張り、強引に自分だけを見るように仕向ければ、彼は何も考えずに済む……きっと、望んだとおりに、自分だけを見てくれると確信していながらも……いいや、しているからこそ、拒絶した。

 

「でも、神様は人間を救ってあげたかったとしたら、どうするんだろうな? 俺には思いつかない」

 

「……私もよ。でも、案外シンプルなやり方で解決するかもしれない。そう、たとえば……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 先に邪魔者を見つけ出して、殺す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 思いついてもシノンは言葉にしなかった。神様の作る秩序を否定して壊す者を、少なくとも『2人』も知っているから。

 

「神様の秩序なんて、自由のない鳥籠みたいなものよ。たとえ、『皆』の命が守られるとしても、そこに『幸せ』があるとは思えない」

 

「……そうだな。そうだよな。でも、もしも、戦えない、抗えない、求めていない、そんな人たちにとっての『幸せ』になるなら……」

 

「それでも、貴方は否定するでしょう?」

 

 キリトは何も言わなかった。あるいは言いたくなかったのかもしれない。

 

「……たとえ、貴方が神様を敵に回すとしても、私は貴方の味方よ」

 

「報酬さえ支払えば?」

 

「あら、よく分かってるじゃない」

 

 ようやくキリトは夜景からシノンに目を向けて笑った。

 ああ、これでいい。そう満足できたならば、どれだけ『幸せ』だろうか。

 だが、シノンは欲しい。戦場でキリトの背中を守る相棒であると同時に、常に傍にいて心も守って守られて、支えて支えられて、『強さ』も『弱さ』も曝け出せる人生の相棒でもありたいのだ。

 同時に拭えないのは渇望だ。トリガーの重たさが、銃弾の冷たさが、流された血の温もりが、シノンに訴えかけるのだ。

 それでは勝てない。いつか必ず負ける。何もかも捨てて、『力』を追い求めた先でこそ、ようやく手に入る極地がある。

 

 もう何にも負けたくない。誰にも、何にも、自分にも……『貴方』にさえも……!

 

 シノンが思い浮かべたのは、はたして聖剣と希望を背負う漆黒か、それとも全てを焼き尽くす焔火を纏う純白か。

 

「寒いな。中に入ろう」

 

 だが、今は……今だけは全てを灰色の中に。

 シノンは差し出されたキリトの手を取り、少しだけ微笑みながら、夜景に背を向けると部屋に戻った。

 

 

▽      ▽      ▽

 

 

 12月24日午後23時22分。

 退屈だ。ユージーンは自分に群がる大ギルドの幹部や商業ギルドのスポークスマンの相手をしながら、淡々と白ワインを飲む。

 豪華な料理が並べられ、シャンデリアが煌びやかに照らすホール会場では、クラウドアースの重鎮を筆頭とした陣営内の有力者がにこやかに歓談しているが、その腹の中には権力欲と財欲という名の虫を飼っている。

 

「では、クラウドアースもいよいよギルド化を?」

 

「ええ。クラウドアースも今までのようなギルド連合では、聖剣騎士団と太陽の狩猟団に太刀打ちできません。より集権すべきなのは明白ですから」

 

「おお! では、初代クラウドアース『総帥』には、ベルベット議長が?」

 

「望まれるならば、喜んで」

 

 現クラウドアース議長のベルベットは、陣営でも権力を高める商業ギルドのトップに囲われながら、上機嫌にグラスを傾けている。

 

(耳障りのいい太鼓持ちばかりを集め、政敵のベクター派は1人残らず左遷。クラウドアースの未来を憂いた情熱家は追放。クラウドアースの利点であったはずのギルド連合としての柔軟性すらも失うか)

 

 分かりやすい斜陽だ。元よりクラウドアースは戦力確保が難しく、個々では聖剣騎士団と太陽の狩猟団に影響力を持てなかった商業ギルドが集結し、各々が出資することで『クラウドアース』という巨大組織に発言権と影響力を有するというスタイルだった。故に大ギルドの1つに数えられているが、あくまでギルド連合である。

 

(言うなれば、株式会社と株主のような関係だ。名目上とはいえ、代表取締役を株主から選出する事を除けばな)

 

 それ故の弱点もあった。例えば、聖剣騎士団やクラウドアースに比べても商業主義・拝金主義に走りやすい。特にベクターを追い落としたベルベットは典型だ。彼女はベクターと同じく金融ギルドのリーダーとして政治力を発揮し、ベクターの重ねた失点を殊更に誇張し、また『クラウドアース』の利権を取引材料にして多くの票を集め、ついには議長の席を得た。

 他にもリーダーシップを発揮し難い。評議会内の利害調整を行わねばならない。等々の問題点もあった。

 そんな中、ベルベットも失策が続いており、教会との関係の悪化も囁かれているが、持ち前の政治力と報道ギルドの掌握で握り潰し、ついには前々から計画していたクラウドアースの完全ギルド化……議長権限の強化に乗り出した。

 議席を獲得できる出資額と議員の過半数の認可さえあれば、如何なるギルドであろうとも議席を獲得する事が出来る。クラウドアースは合議制による利益分配と自由商業主義によって成長を続けた『大ギルド』であった。

 その中でもベクターの手腕はずば抜けていた。ユージーンも好ましいとは死んでも評価できない男であるが、図抜けた政治手腕を持ち主だった。ヴェニデのセサルを軍事顧問に据えて戦力増強に勤め、傭兵の運用を惜しまず、アームズフォートの開発やエリートプレイヤーの育成にも力を入れた。

 完全攻略の末に、クラウドアースの目的……自由商業主義を基軸とした、開かれた資本主義……現実世界では失われつつある活力と未来ある競争社会を目指していた。ベクターは戦場にこそ立てない男であったが、未来のビジョンを明確に有していた。

 他の大ギルドが派閥争いや商業ギルドの発言力・影響力増強によって攻略事情や組織運営に変革が求められたのとは異なり、クラウドアースは元より商業ギルドが出資し、議会制によって運営されていた。だが、『クラウドアース』という大ギルドとしての権力が増強するに従い、議席を有さない傘下ギルドの増加、陣営に属する有力ギルドの存在、『クラウドアース』として取引していた商業ギルドの成長、議決権を有するギルドの我田引水など、問題は枚挙を立たなかった。

 他の2つの大ギルドが今まさに直面している問題を、クラウドアースは当初から孕んでおり、ベクターが抑えていたそれがベルベット派による露骨な派閥政治と利益誘導によって表面化し、商業ギルド連合という性質上、他の大ギルドよりも腐敗速度が尋常では無く、またブレーキとなるはずの『現場』を知る者……即ち、戦場で血を流す指揮官も戦闘員もクラウドアースの行方を左右する評議会には存在しなかったのだ。

 そして、これまで共有財産として共同管理されていたクラウドアースを、正式に議長権限下の支配に置く。それがついにクラウドアースの評議会において、ベクター派の切り崩し工作も及ばず、1票差で可決された。

 クラウドアースという巨大ギルドとして有する膨大な資産と戦力を、議長が兼任する総帥職によって制御下に置く。旧来のクラウドアースを管理していた幹部職は軒並みにベルベット派に置き換えられ、既に崖際であったが、ついに最後の一線を越えたのだ。

 クラウドアース総帥・ベルベットにとって、あくまで彼女の目線からすれば、残るはヴェニデ……具体的にはセサルのみだ。

 軍事顧問として、クラウドアースの保有する戦力に対して絶大な影響力を有している。クラウドアースは他の大ギルドに比べても、傭兵以外のエース級の少なさがあっても攻略において同等かそれ以上に持ち込めたのは、商業ギルドの連合という情報網を最大限に効率よく動かせるノウハウを持った彼の軍事手腕があってこそだ。

 クラウドアースを他大ギルドにも並ぶ『質』が伴った戦力を獲得させるに至ったエリートプレイヤー制度も、ベクターの発案をセサルが実用化させたものである。結果、他大ギルドも真似する程に、クラウドアースの戦力の質と統制は秀でている。

 だが、だからこそ邪魔なのだ。ベルベットは傭兵やエース級のトッププレイヤーを過小評価している。先の竜虎コンビへの不遇など最たる者であり、ベクターが直々に2人の元に足を運んで直談判し、在籍を願い出て何とか踏み止まらせた。ユージーンには、あのプライドの塊のような男が頭を下げた。

 ベルベット派の考えは、これからは代替可能な戦力の増強である。それ自体はいずれの大ギルドも同様であるが、クラウドアースの首脳陣はいずれも戦場を知らぬ商売人であるが故に、徹底的に管理できる戦力であることを望む傾向が他の大ギルドに比べて強いのだ。

 それ故にクラウドアースはゴーレム・アームズフォートの開発に多大な投資をしており、1部分野では太陽の狩猟団とも手を組んでいる。他にも機動甲冑の開発に後れを取った2つのギルドは手を組み、ソウル・リアクターを中心とした別の技術体系を生んだ。

 一方で太陽の狩猟団は、均一化された質の高い戦力を確保すると同時に、個人戦力として秀でたプレイヤーの発掘に余念がない。傭兵も大いに活用し、利用価値を見出せば即座に副団長自らが乗り込んで専属契約を結ぶ。

 個人戦力の損耗と補充が著しい聖剣騎士団が『質』から『量』へとシフトする中で、太陽の狩猟団は突出した『質』の確保に勤めた。そして、クラウドアースは『質』の向上と均一化を目論んだ。

 

(クラウドアースの目的は『トッププレイヤーの代替となる高性能ゴーレム』だと聞く。装甲・火力共に絶大なアームズフォートが『動く要塞』ならば、大型ゴーレムはアームズフォートに比べれば火力も装甲も劣るが、対プレイヤーならば十分に戦場を蹂躙できるだけの性能を持つ)

 

 先の終わりつつある街の貧民街と旧市街の1部が焼失するという大事件は、謎の大型ゴーレムと【渡り鳥】の戦闘によるものであると噂されている。青の砂漠が投入したものとされている大型ゴーレムであるが、ユージーンはいずれかの大ギルド……それこそ専属先のクラウドアースの所有物ではなかろうかと疑っている。

 手足となってくれている情報屋曰く、大破した大型ゴーレムは財団販売の中型ゴーレム・スカベンジャーをベースにして再設計されたものと思われる。大型ゴーレムは瞬く間に貧民街と旧市街を焦土と化していったが、スイレンの護衛だった【渡り鳥】が到着し、3分と経たずに撃破された。

 もちろん、ユージーンとて同じ真似をしろと言われたら可能だ。ユージーンは戦闘スタイルや≪剛覇剣≫も含めて大型相手に滅法強い。特に相手のガードを完全貫通できる≪剛覇剣≫の効果は、ガードに分類されるダメージ到達深度・ダメージ軽減の効果が付与された標準的なゴーレム・アームズフォートの装甲を無効化できる。

 とはいえ、情報屋から聞く限りの性能であるならば、下手なネームドよりも戦い難いのはプレイヤーメイドだからこそだ。

 だからこそ傭兵の価値も上がる。今後、戦場における傭兵の役割とは、アームズフォートの無力化や高性能ゴーレムの撃破が主になるだろう。

 近い内に、高性能ゴーレムはネームド級に匹敵する性能に到達するはずだ。あくまで『性能』だけであるが、資本によって裏打ちされた技術、そして倒しても倒しても戦場に送り込める生産力は脅威だ。とはいえ、性能を突き詰めれば希少素材や生産コストも嵩む。せいぜい数を揃えられるのは準ネームド級だろう。それでも、一般プレイヤーからすれば多大な犠牲が強いられる。

 個人戦力軽視・ゴーレム・アームズフォート強化路線を突き進むクラウドアース。自分の居場所は果たして残るだろうかと、堂々とパーティに出席していないセサルに呆れながらも、群がる金の亡者を相手に、ユージーンは作り笑いもせずに、冷淡に対応を続ける。

 こんなくだらないパーティに参加するくらいならば、【黒の剣士】に誘われたホームパーティに参加する方が余程に有意義だった。今のユージーンからすれば、戦場で敵対した【黒の剣士】の方がクラウドアースよりも好感が持てる。

 いっその事、パーティを抜け出してクリスマス専用イベントに参加し、レアアイテムを荒稼ぎする方が今後の為にある。腐っても専属先であるからこそ、腹の内を探る為に出席したパーティであったが、もはや価値はないとユージーンが立ち去ろうとした時だった。

 パーティ会場に小さな、だが拭えないざわめきが起こる。何事かとユージーンがパーティ会場の入口に目を向ければ、途端に目玉が沸騰して破裂しそうになる程の衝撃を受ける。

 清楚な白と相反する大胆に露わにした背中。場慣れしていないのか、物珍しそうに視線を右往左往させる初々しさ。何よりも視線を釘付けにするのは、虹色のグラデーションがかかった、側頭部がまるで耳のように跳ねた癖が目立つ、長く艶やかな髪。

 絶世の美少女。彼女の隣に立っても美貌が曇らぬ者は片手の指の数ほどしかいないだろう。まるで聖女のような優しく儚げな微笑みも合わされば、邪な情欲さえも優しく抱擁して許してくれてしまいそうな禁忌を覚える。

 ただただ見惚れる。パーティ会場内の男達が群がるより先に、虹色の髪をした美少女は、ユージーンと目を合わせると真っ直ぐに歩みを進めた。

 

「お久しぶりです、ユージーン様。ご壮健で何よりです」

 

「な……ななな……!?」

 

 先程までの頭痛の種だった、クラウドアースの内部事情やこれからの政略闘争が吹き飛び、ユージーンは背筋に汗を流し、頬を引き攣らせる。

 なんだ。『また』ユージーンの連れか。男達は仕方なく距離を置く。DBOでも屈指のプレイボーイとされるユージーンが同伴者に選んで『いつものように見せつけている』と勘違いされたのだろう。多すぎる余罪のせいで難を逃れたユージーンであったが、だからこそ自分を何の迷いもなく真っ直ぐ見つめる美少女……いいや、人間を貪り喰らうレギオンたるグングニルの手を掴む。

 このまま外に連れ出す! ユージーンは駆け出そうとするが、まるで狙ったようにダンスの開始を示す音楽が流れる。パーティらしくスーツ姿のユージーンと彼女の内面を示すように純白のドレス姿のグングニルは、どちらが合図を送るでもなく踊り始める。

 

「い、いきなりダンスなんて……ユージーン様は情熱的な御方なのですね」

 

 無意識にステップを踏んで踊るのは練習の成果だ。≪ダンス≫を取れば、システムアシストによってより華麗に踊れ、かつ素早く習得できるのであるが、ユージーンは自前の努力で見せられるレベルまで引き上げていた。

 対するグングニルはドレス姿もそうであるが、ダンスさえも初々しく、ユージーンの手を取りながら、戸惑いつつも彼に身を任せて躍る。だが、それも最初の30秒だけであり、それ以後は瞬く間に『学習』したように、ユージーンと完璧に呼吸を合わせて可憐に舞う。

 

「どういうつもりだ?」

 

「聖夜は我らにとっても大切な日。我らは皆1つではありますが、同時に個を許された存在。我らは群体にして最強の個を頂く種族ですから」

 

 答えになっていない。敢えてリズムを外すように大きく回れば、グングニルは驚いたように振り回される。彼女の腰に腕を回し、勝手な行動をしないように密着する。

 

「事と次第では貴様を生かして帰さん。サクヤを殺したレギオンに、このオレが甘い顔をすると――」

 

 恫喝して真意を問いただそうとしたユージーンであるが、グングニルは赤面して口をパクパクと情けなく開閉している。先程までの見事に学習したダンスも疎かとなり、体は強張っている。

 そう……まるで……初めて男と密着してしまった箱入り娘のように。

 ダンスが終われば、一礼と共に、やや怯えるように距離を置かれる。だが、ユージーンから遠ざかれば、レギオンと知らぬ男達が寄ってくる。

 クリスマス期間は傷つける事も殺すこともできないが、レギオンにどんな抜け道があるか分かったものではない。いや、そもそもグングニルは色々な意味で『危険』だ。下心を隠さない男達の口車に乗せられた挙げ句、『傷物』にされたと泣こうものならば、レギオンという種族そのものが『人類』への報復に出かねない。

 

「オレの傍から離れるな。何処にも行くことは許さん」

 

「わ、私をご所望であると? これがギャラルホルンが言っていた少女漫画に出る『オレ様系』なのですか!?」

 

「…………」

 

 レギオンの教育は……どうなっているのだ!? そもそも群体として知識と経験を共有しているのではないのか!? ユージーンはレギオンに関する知識を総動員して、だからこそどうやったらグングニルのような無菌室育ちの乙女のような思考が発露するのか大いに疑問だった。

 酒だ。酒を飲んで落ち着こう。テーブルに早足で突き進み、白ワインを煽る。

 

「チーズクラッカーです。【鰐鮭の卵】をトッピングして、こちらの【仙境の白桃】のソースをつけると、チーズの芳醇と鰐鮭の卵の濃厚な味わいが引き立ちます。お口に合えばよろしいのですが……」

 

「うむ。美味だ」

 

「良かった」

 

 確かに、元より口内をそれだけで支配するチーズの味と香りに、鰐鮭の卵というイクラに似た食感でありながらまるで果実のように濃厚な卵液だけではミスマッチだ。だが、仙境の白桃をベースにした瑞々しくも甘酸っぱいソースが、引き立て役にもなっていなかったクラッカーを際立たせ、それがチーズと鰐酒の卵を芸術的に絡み合わせて1つの味に再誕させている。

 これぞ至高! これぞ美味! 思わず感涙しそうになったユージーンは、白ワインを望んで目を見開く。

 

「こ、これは……!」

 

「フフ、お分かりになりましたか? 食とは『食べる』だけではなく『飲む』も併せてこそ。舌に残ったチーズの香り、魚卵の舌触り、クラッカーの欠片、そして残留する白桃ソース。それらを押し流す白ワインは、新たな味を創造します」

 

 素材の1つ1つが絶妙なバランスで成り立っている……! 完璧だ! 私財の全てを売り払っても足りぬ至高の美味だ!

 

「……そう、では、ない!」

 

「美味しくありませんでしたか?」

 

「美味かった。美味かった……が! そうではなく!」

 

 危うく流されるところだった。食欲を揺さぶられて正気を失うところだったユージーンは何とか踏み止まり、可愛らしく小首を傾げながら、テーブルに並べられた料理を『ユージーンの為』に皿へと盛るグングニルを睨む。

 

「貴様は……その……『アレ』だろう? この場にいるのは、如何なる企みだ? どうやって入った?」

 

「我らにとって潜入は容易いことです。我らはいつでも何処でも傍にいます」

 

「答えになっていない」

 

 詰め寄るユージーンであるが、グングニルは先程と逆に、高身長の彼に近寄るように、小柄な体躯を精一杯に背伸びして迫る。

 

「では、どのような返答をすれば『納得』していただけるでしょうか? ユージーン様はご自身にとって『都合のいい真実』を求めていらっしゃるだけ。事実は何であれ、『人』も『獣』も……『鬼』さえも『真実』に囚われるもの。『事実』は変わらないというのに」

 

 何処か自嘲にも似た囁き。グングニルの聖女の如き微笑みは一切崩れていないからこその寒気がした。

 

「少し、熱いですね。夜風を浴びたいのですが……よろしいでしょうか?」

 

「……付き合おう」

 

 グングニルに付き添ってパーティ会場から通じる中庭に出たユージーンは雪が降り積もる中でも咲き誇る薔薇の鮮やかさ、そして雲間を縫うように差し込む月明かりの下で、凍てついた噴水の縁に腰掛けるグングニルの変わらぬ慈悲深い眼差しに目を背ける。

 

「レギオンが嫌いですか?」

 

「好まれていると思っているのか?」

 

 無人であることを確認した上で、ユージーンは返答する。言葉を選ぶつもりは無くとも、グングニルが傷ついたように俯く姿に胸が締め付けられる。

 

「いいえ。ユージーン様にとって、レギオンは多くの大切な人や仲間を奪った存在。ならばこそ、恨みも憎しみもあって当然かと」

 

「ならば、どうしてオレの前に現れた? クリスマス期間は手出しできないから、挑発にでも来たのか」

 

「そのような事は……! そのような事は……断じて……断じてございません! ユージーン様がお望みならば、レギオンに対する怒りと憎しみを一身に背負い、断罪の刃を受け入れる所存です」

 

 口からの出任せではない。ユージーンの気が晴れるならば、それでレギオンに対する怒りと憎しみが消えるならば、喜んで我が身を差し出すだろう。グングニルの言葉の1つ1つに一切の嘘偽りがないと、彼女の全てで思い知らされる。

 

「貴様を殺すつもりはない。オレは知りたいだけだ。貴様の言う『都合のいい真実』など要らん。オレは『事実』だけを知りたい」

 

 望めば笑顔で首を差し出すだろうグングニルを直視できず、ユージーンはまるで騎士のように跪き、グングニルの俯いた顔を覗き込む。

 やや涙を溜めた目は普段の慈悲とは異なる感情が混じっていた。それを恥じるようにグングニルは、氷が浮かぶ噴水の水面を白い指で撫でて波紋を生む。

 

「……羨ましかったのです」

 

 グングニルの呟きには、彼女らしからぬ黒い熱が籠もっているようだった。

 

「何?」

 

「私には家族がいます。愛する家族がいます。母も、姉妹も、他の者達も、我らにとって家族。私の家族」

 

 レギオンは繋がり合っている。ならば全てのレギオンは等しく血の繋がり以上の家族なのだろう。グングニルの言わんとする事を理解し、ユージーンは無言で続きを促す。

 

「でも、家族は一緒に過ごすものではないようです。家族だからこそ、繋がり合っているからこそ、我らは異なる夜を過ごすことを選ぶ。私の姉妹は……『家族』と過ごす事を選びませんでした」

 

「……人間も同じだ。家族が常に一緒にいるなどあるはずもない。兄弟姉妹ならば尚更だ」

 

「ええ、分かっています。でも、私は……私『も』そうであった事に驚きました。家族と過ごす聖夜ではなく、家族ではない『誰か』と語らう聖夜でありたいと。我らにとって聖夜は特別であるからこそ、会いたい人に会うべきだと母は言ってくれました」

 

「それがオレであると?」

 

「分かりません。ただ……ユージーン様はどのように聖夜をお過ごしになるだろうと思い、足を運んだ次第です。お邪魔でしたらすぐにでも……」

 

 それを『会いたかった』というのではないのか? ユージーンは無粋にも言葉にしてしまいそうになり、慌てて呑み込む。代わりに邪魔などではないとグングニルの手を取った。

 

「……人とは思えぬ美しさだ」

 

「母がそのように設計しました。我らの王に連なる者として、我らの王と同じく美しくあれ……と。私は集計された『美』のデータより、王より賜った『慈悲』を核として外観が完成しました。私の本質は影。王より賜った模され劣化した本能は、私の影にこそ宿る。私は獲物を釣る為の生き餌に過ぎません」

 

 月明かりで伸びるグングニルの影は異様に蠢き、まるで餌を求めるように、レギオン特有の触手の如く無数に分岐して人の形を保っていない。だからこそ、虹色の髪を持つグングニルの『人間らしさ』が際立つのだろう。

 

「私は家族とは違う。家族の『苦しみ』が理解できません。そのように設計されました。飢えれば影が肉を喰らい、乾けば影が血を啜る。私は……家族であって家族ではない」

 

 月光が萎む。雪雲に隠されていく。中庭はパーティ会場から差し込む明かりと外灯のみが頼りとなり、だからこそグングニルの表情も吐息も眼差しも雪夜の闇に隠されていく。

 

 

 

「ユージーン様、私の『騎士』になっていただけませんか?」

 

 

 

 耳から流れ込む甘い猛毒。懇願にも等しい甘えた声は、グングニルらしからぬ情熱を帯びていて、故に望まぬ劣情すらも煽る。

 

「【レギオンの騎士】。私はユージーン様に与えましょう。『慈悲』だからこそ示す『力』の影を……」

 

「オレに、人類を裏切れ……と?」

 

「それはユージーン様の望むままに。求めるならば、この体をお好きにお使いください。私には愛を囁く事など出来ません。ですが、この身を捧げることは出来ますから」

 

「オレは――」

 

 脳裏を過るのは【黒の剣士】との戦い敗北。そして、自分との決戦を置き去りにした白と黒が交じり合う死闘。

 あれから戦い続けた。デュエルでは手札を隠し合ったとはいえ、【黒の剣士】に勝った。心意も鍛えている。

 だが、戦えば戦う程に、鍛えれば鍛える程に、感じずにはいられないのは自身の成長性だ。

 弱いわけではない。むしろ、ユージーン相手に1対1で勝てる可能性があるプレイヤーなど数えるほどしかいない。真っ向勝負ともなれば尚更だ。

 だからこそ、感じずにはいられないのだ。【黒の剣士】はまだまだ強くなる。何かを切っ掛けにして、更に飛躍的な成長を遂げるだろう。

 階段を必死に駆け上がっているユージーンに対して【黒の剣士】はエレベーターであっという間に次のステージへと到達する。長らく躓いて動けなくなっていたはずなのに、いつの間にかユージーンを追い抜いている。

 

「申し訳ありません」

 

 ユージーンの中にある迷いが大きくなったのを感じ取ってしまったのだろう。グングニルはそっとユージーンの胸を手で押して離れる。その顔は自己嫌悪で今にも泣き出しそうだった。

 

「ユージーン様を惑わせるつもりはありませんでした。今の言葉はお忘れください」

 

「……仮に、貴様の騎士になれば、どうなる?」

 

 あくまで『仮』の話だ。前置きをしたユージーンに、迷うように唇を噛んだグングニルは視線を逸らす。

 

「我が影の依代となり、模され劣化した殺戮本能の『代行者』となる事でしょう」

 

「サクヤと同じになるのか」

 

「いいえ。影の住人……私の『存在維持』に不可欠な殺戮の代行者です。サクヤ様程に負荷はありませんが、自意識に変化……具体的には殺戮に対する嫌悪感の消失などが予期されます」

 

「フッ、全くの未知数か。それなのに提案するとは、貴様は余程に死にたいようだな」

 

 冗談のつもりだった。だが、グングニルは雲に隠された月を求めるように見上げ、まるで春先の今にも溶けて消えてしまいそうな氷のように澄んだ微笑みを浮かべる。

 

「あるいは、そうなのかもしれません。私は……家族を家族と呼べる内に……家族に向けられた怒りと憎しみを背負える犠牲でありたかったのかもしれません。王より賜った『慈悲』などではなく、身勝手で、脆くて、弱々しい……私自身の『願い』として……」

 

 涙を流せる。それこそが自分はレギオンであってレギオンではないのだと叫ぶように、グングニルは微笑みを絶やさずに泣いている。

 否定したかった。お前の微笑みはいつだって『慈悲』以外の何もなかったからこそ、無様な程に信じられるのだとユージーンは伝えたかった。

 他でもないユージーンだからこそ確信できる。彼女は汚れた願望で自死を望んだのではない。『慈悲』こそが彼女であるならば、ユージーンの慈悲を望んで家族への怒りと憎しみを己の死で洗い流したいと望んだ。

 それだけだ。それだけではないか。たとえ、鏡に映るのは身勝手な自己満足だとしても、彼女の心の在り方は人間以上に『人間らしい』……誰もが望んだ理想の姿だ。

 集まれば醜く競い合い、四方八方に種を撒き散らし、自滅の道を辿る。それもまた人間らしさだ。だが、常に人間が人間に求めた『人間らしさ』は違うはずだ。

 

「……ユージーン様?」

 

 衝動にも近しく、ユージーンはグングニルの華奢な体を抱きしめていた。驚きで硬直し、だが温もりを求めるようにグングニルの手がユージーンの肩甲骨に這う。

 

「クリスマスは……特別なのだろう? だったら忘れるがいい。家族も、失言も、貴様自身の在り方も願いも忘れろ」

 

「無理です。私は……そこまで器用ではありません」

 

「だったら忘れさせてやる。『騎士』の真似事くらいならばオレも吝かではない」

 

 夜は更けていく。聖夜の鐘を鳴らしながら、闇を深めていく。

 人間とレギオン。決して分かり合えることはない種族であるというのに、どうしてこんなにも寄り添う事が出来るのだろうか。

 ユージーンは啜り泣くグングニルを抱きしめた。

 

 まるで全てを喰らい尽くしても足りないように蠢く影の嘲笑から、か弱い姫を守る騎士のように。

 

 

▽     ▽     ▽

 

 

『味噌鍋が食べたい。そうは思わんか?』

 

 イラクの干涸らびた荒野、某国より依頼された反政府ゲリラに加担した村の『抹消』中に、セサルは赤子を守るように抱く母親の眉間を撃ち抜きながら同意を求めた。

 ブリッツ。意味は電撃戦。本名ではない。彼女に本名はない。全てを失った。東欧の戦場にて、類い希なる才能を見込まれて少女はセサル・ヴェニデに拾われた。

 あらゆる技術と知識を叩き込まれた。格闘術のみならず、剣術から槍術に至るまで、あらゆる武技を身につけられた。射撃に関しては直々に指導を受け、イラクでは1800メートル先の目標を淡々と狙撃できるまでに成長した。

 

『タコスが食べたい。行くぞ』

 

 コンゴにて、四方八方を囲われて味方の血で大地が染まる中、無能な友軍の陣地で昼寝をするのも飽きたとセサルは単身で敵を『殲滅』した。理由は本場のタコスが食べたいからさっさと仕事を終わらせたかった。それだけだった。

 ブリッツは知っている。セサルは『自分が動けば全てが終わる』という事態を最も望まない。敵も味方も破滅に至りかねない、感情の制御すらもまともに出来なくなった混沌の底を求める。それ故にわざと完全勝利を掴める盤面にて悪手を打ち、味方を劣勢に追い込む。

 

『マルガリータが食べたい。ビール……いいや、コーラは欠かせんな』

 

 アメリカ国内における密やかなる死闘。チャイニーズマフィア、メキシコマフィア、ヤクザの三つ巴の抗争をナイフ1本で『皆殺し』という形で幕を下ろさせたセサルは、死体の山には目もくれなかった。

 

『セサル様がお望みならば、すぐに航空券を手配致します』

 

 少女は大人の女となり、だがそれでも主の後ろを常に守る事を望んだ。

 才能を見込まれた者をセサルは引き取り、育て、選択肢を与える。ヴェニデに残るか、自由に生きるか。ほぼ全員が前者を選ぶ。

 

『馬鹿を言ってはいけない。ピザといえば宅配ピザだ。ほんのり冷めた、安っぽいチーズの味。それがピザだ』

 

 だが、時折になって後悔する。セサルが望むのは若者の反発だ。自分に従属する戦士ではない。

 

『昨今のピザは品質向上著しいので、セサル様のお口に合うかどうか』

 

『だが、お前ならば作れるだろう?』

 

『セサル様のお望みのままに』

 

 ブリッツが望んだのはセサルの身の回りの世話だった。外見とは異なって高齢のセサルは耄碌こそしていないが、体調不良が目立つようになり、主である以上に父を想う娘のように放っておけなかったのだ。

 セサルは若者の反発と反撃を心待ちにし、成長を求めるように試練を与え、時として自身が嗤われて老害扱いされることを望む。まるで、自分を打ち倒しに来る日を待ち侘びているかのように。

 セサルには息子がいた。ブリッツの目から見れば、よく出来た、才気溢れる逞しい青年だ。セサルには及ばずとも、才能を努力で開花させ、ヴェニデの誰もが実力は認めるところだ。しかし、ヴェニデの道を快く思っておらず、ある日を境にして親子の会話はなくなった。そして、袂を分かつように全く別の道を選んだ。

 だが、それとは別に父が子を想う……ごく普通の感情もまた、底知れぬセサルにも欠片ほどはあったのだろう。息子の家出を契機にして、目に見えて健康面の悪化が見られた。

 

『脳腫瘍だ。末期で全身に転移している。医者に言わせれば、何故生きているのか分からないらしい』

 

 まるで夕食の献立を答えるように、セサルは新聞を捲りながら、掃除中のブリッツに伝えた。

 半年前のメディカルチェックでは何ともなかったはずだった。余りにも唐突すぎる宣告に、ブリッツは頭が真っ白になり、だが自分のすべきことは変わらないと頭を垂らした。

 

『セサル様のお望みのままに。何をご所望になられますか?』

 

『後継者だ。私を……セサル・ヴェニデを……【赤い鳥】を継げる、暴虐の王だ』

 

『では、ご子息に連絡を――』

 

『するな。奴は私とも似ても似つかぬ。才能だけ中途半端に受け継いだ、性根は心優しく、血生臭い争い事を好まない。玉座に相応しくない。母親似だな』

 

 息子の事を語る時だけ、セサルは暴君では無く父親の顔になる。それがブリッツには喜ばしく、同時に堪らなく……妬ましかった。

 

『ただ存在するだけで等しく頭を垂れる暴力の化身。金やら地位やらをありがたがり、耳障りのいい平等や公平を掲げる豚共に、本当の立場を思い出せる真の暴力を示せる者。この世に健全なる支配と闘争を取り戻させる王。私も目指したが、地盤作りで時間をかけすぎてしまったようだ』

 

 セサル様の後継。どれほどに勇ましい御方ならば相応しいだろうか。ブリッツはあらゆる伝手を使って探した。

 各国の精鋭、犯罪者、更には血族と呼ばれる呪われた血統まで。だが、セサルの求める基準に到達した実力者は『1人』しか該当しなかった。

 日本で飼い殺しにされている自衛隊員。米国と同盟国で結成された、ドミナント候補者部隊……最後の生き残り。24時間で世界を救った男。

 だが、思想が駄目だ。この男は大義を求めない。与えられた命令を淡々とこなす。暴虐の王にはならない。暴力の質が違う。しかも飼い殺しにされてからの生活は自堕落そのものであり、まるでさっさと病に倒れて死にたいと願っているかのようだ。

 このような男に、たとえチャンスでも与えるわけにはいかない。ブリッツは私情で唯一の候補者をリストから削除した。

 

『ヴェニデの情報網も完璧ではない。世界中にはお前が見つけられなかった候補者もいただろう。そうなると……やはり、私自身が見出すしかないな』

 

 日の半分をベッドで過ごすようになったセサルが嬉しそうに開封した箱には、アミュスフィアⅢ……日本で先行発売された新型のVRデバイスが入っていた。

 まさかゲームでお探しになるので? ブリッツが言葉にせずとも目線で問いかければ、セサルはその日が来たら分かるとだけ意味深に嘯いた。

 そして、セサルはダークブラッド・オンラン……通称DBOの日本先行サービス開始日に、ヴェニデの精鋭にアミュスフィアⅢを配って告げた。

 

『これより我らはDBOにログインする。ふむ、偉大なるVR技術の生みの親の言葉を借りるとしよう。これはゲームであっても遊びではない。SAO事件の再来。デスゲームの開始だ。それもSAO以上に絶望に満ち、また奇々怪々となる、前代未聞の「殺し合い」だ。「運営」とは話がついている。私と「先代」は古い仲で、幾つかの配慮をしてもらえるならば参加を許可する、と』

 

 SAO事件解決には日本政府から米国政府を通してヴェニデにも依頼があった。雲隠れした茅場晶彦の所在を掴み、『確保』してデスゲームを早期終了してもらいたい、と。だが、セサルは『気乗りしない』という理由で断った。

 だが、実際にはSAO事件の背後にいた、茅場晶彦を後押しした黒幕とセサルは交友があったのだ。部下達は……もちろん、ブリッツも含めて反発はなかった。セサルこそ……至上の暴力こそが絶対。それがヴェニデの掟だからだ。

 

『我々は最低でも攻略を主導する組織……えーと、ギルド……だったかな。それが基準値に到達する戦力を確保するまで、攻略に参加しない。それが参加の絶対条件だ。他にも幾つか条件もあったと思うが……私のやるべき事の妨害にはならん。諸君、私が求めるのはただ1つ……我が後継だ。諸君らが頭を垂れる暴虐の王だ。1年待とう。1年待って「候補者」が現れなければ……ゲームセットだ。「運営」など知ったことではない。完全攻略して帰るぞ』

 

 セサルが『やる』と言ったら『やる』のだ。ヴェニデの精鋭はいずれも新時代に備えて厳しいVR訓練を積んでいた。たとえデスゲームであろうとも怯む者はいない。戦場が日常であった者ばかりだ。

 誰1人としてセサルが攻略に乗り出せば『終わる』のだと疑わなかった。そして、セサルのお眼鏡に叶う候補者が、たかだか極東で開かれるデスゲームに参加しているはずがないと内心で諦めていた。

 だが、現れた。鮮烈なる功績を残すのでも無く、闇に隠れるように死を貪る『獣』がいた。

 ああ、若き頃のセサル様はこのような御方だったに違いない。もしかせずとも、セサル様が極東に撒いた子種が実ったのでは無かろうか。

 セサル自らが最後の確認を行い、そして後継者候補として……いいや、後継者として選んだ。

 その後、幾多の戦場を経て、後継者は牙と爪を研ぎ、瞬く間に成長を遂げた。その度に、まるで俗世の煤で汚れていたかのように、元来の美貌が際立つようになり、もはやある種の神秘……正気を奪い取る狂気の域にまで引き出されていた。

 だが、後継者は頑なに後継となることを了承しない。それを是として喜ぶセサルの心情を、ブリッツは手に取るように分かった。

 敢えて自身が嫌う『豚』の集まりで組織作りをしてクラウドアースという大ギルドを結成し、いずれは豚の共食いで滅ぶだろうと予見し、だがベクターという闘争心と自尊心の塊に興味を示し、そしてようやく巡り会えた。

 自身の思い通りにならない若人。だが、まるで迷子の子猫のように闇の先に見るべきものがない眼。しかし、逆に闇を迷う者にとって惹かれずにはいられない、暗く冷たい夜に出会った焔火のようだった。

 純白の傭兵。セサルも認めた【赤い鳥の後継】になれる唯一の存在。ブリッツにとって新たな主となる存在だ。

 後継者は見つけた。成長性も十分だ。もはやDBOに未練などない。即急に現実世界へと戻り、身柄を確保し、セサルの薫陶を受けさせるべきだ。

 だが、セサルは見守る事を選んだ。約束の1年が過ぎ、そしてDBOで2度目の冬を迎える頃には、もはや完全攻略を『単身』で敢行するだけの体力は残されていなかった。

 元よりいつ死んでもおかしくない末期癌だ。VRデバイスと密接な関係にある脳は大部分が脳腫瘍によって蝕まれている。ログインできるかどうかも定かでは無かった。むしろ、VR接続の負荷がかかり続けることで命を縮めただろう。

 ならばこそ、ならばこそ、ならばこそ、とブリッツは繰り返す。

 暴虐の王を求めるヴェニデの1員として。

 セサルに付き従うメイドとして。

 たとえ認められずとも、拾われ、育てられ、居場所を与えてもらった『娘』として。

 

 

 

 どうかセサル様の望みが叶いますように。ならばこそ、そう繰り返すのだ。

 

 

 

 

 

 12月24日午前7時33分、セサルの寝室にて、それは告げられた。

 

「カルフォルニアロールが食べたい。実に食べたい」

 

 そう! たとえ! クリスマスで食材が市場から軒並みに消えていようとも! セサルの望みならば、地の果てまで駆け、ネームドを倒してでも食材を集める! それがブリッツなのだ!

 メイド服を翻し、ごった返す市場を突き抜け、必要な食材を買い集め、不足は料理店の厨房と交渉する。

 そうして集めた食材であるが、セサル所望のカルフォルニアロールを再現する為に、一切の妥協はしない。カルフォルニアロール『っぽい何か』では駄目なのだ。セサルはカルフォルニアロールが食べたいのだから!

 

「もう十分にカルフォルニアロールだろう?」

 

 鉄の古王に仕えたとされる東の地より来たる騎士アローン。その防具を身に纏う男は兜を脱ぎ、厨房に並べられた山積みのカルフォルニアロールを口にする。

 

「いいえ! 違います。これはセサル様がご所望のカルフォルニアロールではありません。セサル様が食べたいと仰ったのは、パリでお食べになったカルフォルニアロールです!」

 

「……パリでカルフォルニアロールなど食べたか?」

 

「お忘れですか。『エッフェル塔あと12秒で爆散事件』ですよ」

 

「ああ、アレか。ベルリオーズには随分と助けられた。さすがはセサル様も認めた御方だ。あの老体であの動き……思い出しただけでも寒気がする」

 

「半分人間を辞めていらっしゃいましたからね」

 

 とはいえ、人間を辞めてるセサルに比べれば『人間の範疇』である。『特別』では『例外』に勝てない。それが道理だ。

 

「セサル様の指揮が全くやる気無かったと記憶しているが、まさか思うが……」

 

「はい、レストラン巡りをされながら。カルフォルニアロールはその時に」

 

「カルフォルニアロールを食べながらテロリスト相手に指揮か。当時のパリ市民半分の命がかかっていたと思うと笑えん話だな」

 

 アーロン装備の素顔はスカーフェイス。皆は『隊長』と呼ぶ。名前はない。『あれ』や『それ』と呼ばれながら育った。本名はあるのだろうが、自分の名前と認めていないのだろう。故に役職名、その時の装備を基準にして呼ぶ。

 

「今更になってどの口で仰いますか。幾つの村や町を焼き払ったか思い出せますか?」

 

「1回目は9歳の時だ。私の両親はNGO職員で、地元ゲリラに襲われて殺された。私は拉致され、洗脳され、少年兵にされた。アメリカ人の子どもをわざわざゲリラに仕立てる意味は何だったのか知らん。遊び心か、あるいはメディア向けか。ともかく襲った村は皆殺しだ。あの時の悲鳴は忘れんよ」

 

「私は確か8歳の時です。目の前で母を焼き殺されました。父親は口に手榴弾を突っ込まれて爆殺です」

 

「いつ聞いても不幸な事だ」

 

「言うほどに不幸ではありません。良き両親ではありませんでしたから。飲んだくれの父と娘に売春させた母。恨んではいませんが、死を悼む理由もありません。この話……何度目でしたっけ?」

 

「100回は超えてるな」

 

 そうでしたね。軽く肩を竦めたブリッツに、カルフォルニアロールを摘まみに来たメイド達……ヴェニデのメンバーも苦笑する。彼女たちも大なり小なり似た境遇であり、全員がセサルに見出された戦闘のスペシャリストだ。

 

「重たいよ!」

 

 ただ1人を除いて。ブリッツの助手としてカルフォルニアロール作成を手伝っていたユウキは叫ぶ。

 

「私達の身の上を話した事……そういえばありませんでしたね」

 

 チェーングレイヴからの派遣扱いであるユウキは外部の人間だ。ヴェニデのメンバーは大なり小なり互いの過去を把握しているが、ユウキは全く知らされていなかった。

 失敗した。ブリッツは大した過去ではないとアピールするように、会心の出来映えのカルフォルニアロールを丁寧に切り分ける。

 

「もう泥沼で、私が暮らしていた町に秩序などなく、私も奪って殺して生き延びました。何もかも『無かった』ことにすべく派遣されたヴェニデに才能を見込まれて拾われたんです」

 

「だから重いよ!」

 

「はいはーい。ちなみに、アタシはベトナム出身で叔父に拉致監禁され――」

 

「訊いてないよ!」

 

 お茶の席の雑談くらいのノリで参加しようとしてきた他のメイドを牽制し、ユウキはカルフォルニアロールを試食する。

 

「……おいしいでーす」

 

「91回前から同じ事しか言いませんね。メイドたる者、主に関わる衣食住に妥協はしていけません。常々そう申しつけているでしょうに」

 

 外観は完璧。切り分けも1ミリの誤差も無く均等。ならば味は?

 

「不合格ですね」

 

「もう十分に美味しいよ!? 360度見た目も味もカルフォルニアロールだよ!」

 

「いいえ、これはセサル様が食べたカルフォルニアロールではありません! ユウキさん、食材の準備を! 足りなければ買い出しに行きますよ!」

 

「もう……もう嫌だぁあああああああああああああああ!」

 

 絶叫するユウキに、ブリッツは弱音を吐く事、これを許さず、故にユウキの腹は絶えずカルフォルニアロールを試食という名の下で膨らまされていく。

 これで4回目の食材補給だ。ブリッツは口からカルフォルニアロールが溢れ出たユウキの首根っこを掴んで引きずり、あの日に食べたカルフォルニアロールの再現を行うべく、必須食材のみならず、他にも調味料などを求めていく。

 

「DBOと現実世界では食材も調味料も違うんだし、完全再現なんて無理だよ。しかもパリのレストランで食べた味なんでしょ?」

 

「主が食を所望されたならば、無理と断るのは万策尽きた時のみ。それがメイド道です」

 

「何処からどう見ても料理道じゃないかなぁ……」

 

 お黙りなさい! ブリッツが睨めばユウキは萎縮する。彼女はやはりまだまだメイドとして道半ばだ。

 艶やかな黒髪美人のブリッツが道行けば、クリスマス・イヴだと浮かれて恋人とデートしていた男達の目も集める。ブリッツにとって男の視線など煩わしいノイズに過ぎないが、自分にも突き刺さるユウキはそうもいかない。

 

「ブリッツさんって、やっぱりモテるんだね」

 

「美人ですから」

 

「自分で認めるの!?」

 

「謙遜で『そんな事無い』など言っては嫌味にも程があります。私は美人です。美人であり続ける努力をしています。だからこそ、セサル様のメイドとして傍らに立っても何ら恥ずかしくありません」

 

 断言するブリッツは感嘆するユウキを見つめ、小さく嘆息する。

 

「それに、どれだけ美人でも、本当に誉めて欲しい人から言ってもらえなければ、存外に価値を失うものです」

 

「そ、それって、やっぱり、あの人? 隊長さん」

 

「……そうなんです。あの人、堅物にも程があるんですよ」

 

 それも含めて好きなのであるが。なにせ出会いが出会いだ。どうしても心の中に遠慮があるのだ。

 セサルを襲った時、間に入ったのが当時まだ若き少年だった隊長であり、その時に負わせたのは顔面の傷だ。ご丁寧にもDBOのアバターにまで反映されている。

 本人は絆の証だと豪語しているが、あの傷を見る度にブリッツは黙るしかなくなる。故に出来れば素顔を見せて欲しくないのだ。

 

「ユウキさん、1つ忠告しておきます」

 

「なーに? ま、まさか、商業ギルドの倉庫に押し入るの!? さすがにそれは不味いよ!」

 

「それも考えました。ですが、私が言いたいのは、好きな人には迅速に言葉と行動で示す事です。私は過去に引っ張られた臆病者で、随分と二の足を踏んでしまいました。結果、隊長に13人もの糞お――失礼。隊長に見合わない女と付き合わせてしまい、どうすれば長続きするのかと毎度の如く『幼馴染』感覚で相談され、地獄を見ました」

 

「……うわぁ」

 

 想像しただけで血反吐を垂らしそうになったのか、ユウキの歩行スピードが落ち、それは許さないとブリッツは咳払いする。

 慌てて追いついたユウキを振り返りもせず、だがすっかり暮れてしまった空を見上げ、ブリッツは思い出す。

 

「私は『好き』という気持ちを上手く理解できず、自覚するまでに随分と時間がかかりました。私達は常に戦場を共にしていたので、吊り橋効果の類だと切り捨てていました。そうやって自分の気持ちを誤魔化す事に慣れていたのでしょうね」

 

「隊長さんは気付いていなかったの?」

 

「よもや自分みたいな男を好いてくれるはずがないと思い込み、あちらもあちらで女を取っ替え引っ替えです」

 

 さっさと諦めればよかった。男など幾らでもいると思い込もうとした。そもそもセサルのメイドとして生きる以上、人並みの幸せなど願うべきではないと自身に言い聞かせた。

 そして、すぐに気付いた。自分のような女が愛したいと思える男など星の数もいるはずがないのだ。

 意外にも背中を押してくれたのはセサルだった。いや、あれは半ば武力行使だった。

 

『お前達は好き合ってるのに、いつまで私を煩わせる?』

 

 朝食の席で互いの気持ちをあっさりと代弁した。その後、セサルは無言でブリッツと隊長の首根っこを掴むと仮眠室に放り込んで鍵をかけた。その後、互いの気持ちを告白し合い、感情が爆発して激しく愛し合い、今の関係に至っている。

 

「『好き』かどうかなど二の次。心に感じるものがあれば即行動。恋愛などそれでいいのです。付き合ったからといって、そのまま結婚するわけでもありません。それに婚姻を結んでも離婚だってできます」

 

「ドライすぎるよ!」

 

「臆病者はそれくらい割り切った方がよろしいかと」

 

「ちゃ、ちゃんと……デートの約束、したもん。ボクだって明日の夜に……ちゃんと気持ちを伝えるつもりだし?」

 

 クリスマスに告白。王道であるが、これが実は……というのがブリッツの見立てだ。

 そもそもクリスマスに告白とは、ある程度に好き合ってると判明している者同士がデートついでに儀式的な意味合いで告白するというケースが半分以上を占める。というか、そもそも好意を持っている相手でもなければ、わざわざクリスマスに時間を割かない。

 ユウキと【渡り鳥】は互いを想い合っている。ユウキは間違いなく『LOVE』の分類だろう。だが、問題は【渡り鳥】だ。まるで本心が見えない。行動や表情で割り出せたと思ったら、あっさりと次のアクションで疑いを持たせる。

 

(ですが、【渡り鳥】さんがヴェニデの後継者となられるならば、奥方は重要です。セサル様もそれで失敗を――)

 

 失敗であるものか。セサルは言葉にせずとも否定するだろう。彼が唯一愛した女を忘れる日などないのだから。

 知った気になるな。主の深奥は未だ見えず、故にブリッツは盲目に従うのみなのだから。

 

「存外に、【渡り鳥】さんに愛の告白を済ませている猛者がいらっしゃるかもしれませんよ?」

 

「クーに? ボクが言うのも何だけど、クーに告白するって、剣を向ける以上にハードル高いと思うなぁ」

 

 申し訳ないが、ブリッツも完全に同意だった。彼に銃口を向けるか愛の告白をするか、どちらかを求められたならば、過半が前者を選ぶだろう。残りは自殺だ。

 ブリッツは『ヴェニデの後継者』というフィルターがあるからこそ何事もなく接する事が出来るが、【渡り鳥】は存在するだけで周囲を狂わせるフェロモンのようなものを、たとえ仮想世界であろうとも分泌しているかのようだ。

 

「油断大敵ですよ。ユウキさんみたいな変わり者がDBOにも1人か2人はいるかもしれません。たとえば彼女」

 

 ブリッツが適当に指差したのは、学生服のようなプリーツスカートとセーターの上から白衣を纏った、栗色の髪を緩やかにウェーブにした女だ。星形のヘアピンをしており、クリスマスでありながら女1人で食べ歩きをしている。

 

「もしかしたら、【渡り鳥】さんの隠れファンかもしれません。好き好き大好きと心の目にハートが刻まれているかもしれません」

 

「いや……いやいや……いやいやいや! あり得ないよ!」

 

「分かりません。人間、心の内に何を住まわせているやら……」

 

「……そうだね。人間、本当はどんな感情を抱えているのか、存外に分からないものだしね」

 

 瞬間、ユウキの笑みに『深み』が増し、ブリッツは首筋に痺れにも似た直感を覚える。

 ヴェニデに近付く美人局に似た雰囲気だ。ヴェニデの男達を誘惑し、情報を奪い取ろうとする彼女たちを嗅ぎ分けるのも、セサル直属のメイドである彼女の仕事だ。

 まさかユウキさんが? いや、リサーチ済みだ。彼女の行動・言動は本物だ。確かに、先の野良犬騒動にて、【渡り鳥】によって彼女と交流があった黒狼は彼の手によって殺害されているが、それで彼女が憎悪を抱いてこれまでの感情を蔑ろにするとは思えない。そんな生半可な感情で、【渡り鳥】と接触することなど出来ない。

 ならば勘違いか? これだけの人通りだ。あり得る。だが、ブリッツは油断しない。ユウキに探りを入れるべく、言葉のシャベルをピックアップする。

 

「そうでしょ!? クーが! あのクーがクリスマスプレゼントに何が欲しいかなんて、分からないよ! だって、クーは余程に失礼なモノでもない限り『ありがとう』しか言いそうに無いんだもん!」

 

 あ、これ、違う。こんなの疑う方が馬鹿らしい。ブリッツは自分の直感を黙ってドラッグしてゴミ箱にシュートする。

 ユウキのシャウトは尤もだ。ヴェニデも【渡り鳥】を雇う時、どんな餌で釣ればいいのか四苦八苦するのだ。その意味では先の≪ボマー≫騒動は大きな失態だっただろう。

 ヴェニデは元より≪ボマー≫など存在しないと情報を握っていた。だが、事態は≪ボマー≫ありきで動き出しており、このままではスイレンを巡って血が流れる。

 もちろん、どれだけの死人が出ようとヴェニデも……セサルも気にはしない。だが、老人の遊び心が動いたのだ。くだらない秩序を作り出した今の3大ギルドを引っ掻き回してやろうと望んだのだ。

 そうして【渡り鳥】に偽の情報を掴ませ、わざと黄龍会を泳がせて真実味を持たせ、3大ギルドによる暗部闘争から商業ギルドの暴走、ついにはヴェノム=ヒュドラまで網にかかった。

 最後は≪ボマー≫など存在しなかったと、≪ボマー≫を欲しくて欲しくて堪らない者達の前でスイレンを殺す。何もかも徒労だったと、政治に興じた者達を嘲う。

 だが、スイレンは≪渡り鳥≫に人知れずに殺される事で≪ボマー≫の存在を『本物』にした。他でもない【渡り鳥】自身が抵抗により確保を断念し、≪ボマー≫保有者リンネを殺害した』と報告し、なおかつ自分のサポートユニットに『輪廻』と名付ける牽制までした。

 何もかも嘘であり、スイレンという高級娼婦を殺し、各陣営の全てが傷を負うという1人して幸せになれない悲劇のはずが、書き手のセサルまで巻き込んで、誰も彼もが道化となった喜劇に書き換えられた。スイレンという高級娼婦がどんな手品を使ったのか、【渡り鳥】に確保ではなく殺害を選択させる抵抗を見せた。ヴェニデの調査では、ろくに戦闘能力などないはずだったのに。

 

『1本取られた……いいや、これでは首を切られたも同然か。娼婦と侮った私の「負け」だ。それに彼も、私が思っている以上に複雑な心の持ち主のようだな』

 

 あのセサルが笑みもなく、自らの敗北を口にした。それがどれだけ重大な事だろうか。少なくとも、セサルが自身の敗北を認めるなど、4年前のヴェニデ懇親マリ○カート大会で、ぶっちぎりのビリだった時以来だ。

 

「『ありがとう』。それだけで十分ではありませんか。世の中にどれだけ感謝の言葉を忘れた人の多い事か」

 

「それは……そうだけど……でも、やっぱり、ちゃんと喜んで、笑ってほしいよ」

 

「笑顔が必ずしも良き事とは限りません。涙が悪ではないように」

 

「……そうだよね。クーに『普通』を押しつける方が間違ってるよね」

 

 自身の非を素直に認めたユウキに、彼女ならば大丈夫だろうとブリッツも安心する。

 それはそれとして食材だ。カルフォルニアロールだ。ユウキが悲鳴を上げながら引き摺られ、数時間かけて食材を集めて厨房に籠もる。

 

「ユウキさーん。セサル様が呼んでるわ」

 

「えー!? また腰揉み!?」

 

「文句言わないの! セサル様のお腰を揉めるなんて、『どう頑張っても自分を殺せない雑魚』か『自分を殺す気が無い雑魚』か『腰を揉ませるくらいには信用してる』のどれかなんだから!」

 

「ねぇ、ボクはどれなの!? ねぇ! どれなの!?」

 

 他のメイドに呼ばれて退出したユウキを見送り、ブリッツは1人で黙々とカルフォルニアロールを作っては積む。作っては積む。作っては積む。作っては積むを繰り返す。

 そうして、時刻は24時を回り、イヴも終わってクリスマス本番になった頃、ようやくあの日、パリで食べたカルフォルニアロールの再現に成功する。

 

「セサル様、お食事の準備ができました」

 

 寝室をノックすれば、セサルは珍しく自分の足で立って礼服を着込んでいた。

 今は1日のほとんどを眠って過ごす。起き上がる事も稀だ。故に珍しく、ブリッツは驚きを隠せなかった。

 

「彼女はマッサージが上手い。仮想世界の肉体とはいえ馬鹿に出来んな。こちらの体の血流もよくなれば、存外に現実の肉体にも影響を与えているのかもしれん」

 

「否定は出来ませんが、ご無理をならさないように」

 

 だが、セサルが自分の足で立つ姿は変わりなく堂々としており、故にブリッツは喜ばしかったが、ベッドの傍らにある小さな紙袋を見て、胸の奥が軋む。

 

「それは……」

 

「息子からだ。珍しく会いに来たと思ったら、変わらず無愛想にプレゼントだけ置いていった。中身はブローチでね。会う服がなかなか見当たらず、ユウキくんの手も借りたのだが、どうだね?」

 

「……よくお似合いです」

 

 普段は病に伏した父を訪ねもしないくせに、こんな時だけ息子面か。ブリッツは心に湧いた嫌悪と嫉妬感を、セサルへの忠誠と敬愛で握り潰す。セサルの息子であり、実力は父に劣るにしてもブリッツを超える。ならばヴェニデは頭を垂らすのが掟だ。反意があるならば牙を剥け。できないならば沈黙を。故にブリッツは口も心も閉ざす。

 

「ご子息様がお元気そうで安心されましたか?」

 

「まさか。奴が何処ぞで計画を聞きつけ、DBOに参加するなど申し出た時には、初めて心から反対したものだ。今も変わらん。だからこそ、チェーングレイヴ……クラインと私の橋渡し役として選び、また奴に信用の証として預けた」

 

「ご子息様はヴェニデを抜けられた身ですから、茅場の後継者との取り決めの範囲外。初期より攻略に参加させ、プレイヤー戦力と難易度評価を一任させる。ご子息様のリサーチのお陰で、我々も早期に【渡り鳥】に注目することができました」

 

 腐敗のコボルト王戦にて、伝説的な活躍をしたのは聖剣騎士団のリーダーとなるディアベルであるが、セサルも高い評価を下したシノンや【渡り鳥】も少なくない戦果を残している。そして、【渡り鳥】の存在が知らしめられたのもあの戦いだ。

 セサルの息子はあの戦いに参加していた。その後も多くの戦いに参加し、チェーングレイヴと合流するまでに多くの情報網と戦力評価を済ませたのだ。

 とはいえ、セサルの息子だと知るのはチェーングレイヴでもごく僅かだ。ユウキも知らないだろう。セサルとは違って、寡黙で目立つ事を嫌う男だ。

 

「どうぞ。カルフォルニアロールです」

 

 テーブルに並べれば、セサルは器用に箸で持ち上げて囓る。丁寧に咀嚼し、ブリッツが注いだ緑茶を啜る。

 

「うむ、私が食べたかった味だ」

 

「お褒めいただき光栄です」

 

 やはりこの味だったか。ブリッツは最大の喜びを込めて会釈する。

 

「……何をお読みになっていらっしゃるのですか?」

 

 紙束を捲るセサルに、ブリッツは嫌な予感を込めて尋ねた。

 

「新しいゲームの『企画書』だ」

 

 また悪巧みか。そう思って呆れたブリッツであるが、主の笑みの質が異なることに気付く。

 

「『企画書』と共に『これ』が同封されていた」

 

「これは……!」

 

 セサルが差し出した書類を受け取って内容を確認したブリッツは目を見開く。

 

「この情報をどうやって……」

 

「さぁな。真偽を確かめるだけでも、参加する価値はある。私も『ゲームプレイヤー』として参加するつもりだ。盤上の駒になるなど久方ぶりだが、悪くない。高揚しているよ」

 

 危うい傾向だ。常にチャレンジャーを欲するセサルは、自分の生命を躊躇なく賭場に放り投げるからだ。だが、ブリッツは止めたいとも思わない。望まない。願わない。全ては主の意向のままに。

 

「同様の『企画書』が大ギルドにも送られているようだ。チェーングレイヴにも同様だった。息子の訪問は確認が目的だ。でもなければ、わざわざ私の屋敷に足を運ぶリスクは冒すはずがない」

 

 事情がなければクリスマスにすら顔を見せないのか。またも怒りを滲ませ、だが先程の不満と矛盾していると己を戒める。

 きっとクリスマスだからだ。ブリッツは心から呪い込める。クリスマスの到来を嫌悪する。

 母親に無理矢理客を取らされたのはクリスマスの夜だった。隣の家に住む、父のギャンブル仲間の男だ。醜く脂ぎった体で、幼いブリッツを押さえつけて、僅かな金で欲望の捌け口にした。

 泣き叫べば殴られた。何度も何度も殴られた。鼻は折れて血を流した。母は病院に連れて行ってくれず、むしろ鼻が折れては客に倦厭されると腹を蹴られた。父は母に同意するように酒瓶を投げた。ブリッツの右目に直撃して破片が刺さり、以来彼女の現実の右目は弱視だ。

 両親はブリッツを売って稼いだ金で七面鳥を買っていた。美味しそうだった。だが、ブリッツは一口と味わっていない。

 

「ところでブリッツ、私は仕事とプライベートを切り分ける主義だ。私の記憶が正しければ、キミはかれこれ47日間も無休で働いているはずだ」

 

「え? あ、はい。そう……かもしれません」

 

「では、命令する。これよりキミは休憩だ。それでだが……どうだね? 老いぼれの遅いディナーに付き合ってくれないだろうか?」

 

「よ、喜んで……! セサル様!」

 

 ブリッツは着替えるのも惜しく、せめてプライベートと切り分ける為にメイドキャップを外す。主の為に作ったカルフォルニアロールを口にし、今日はもう食べ飽きたはずなのに、心震える感動を覚える。

 

「彼とはどうかな? 堅物だから、キミのような女でなければ、どうにも腰が重い。戦士としては優秀だが、男としては積極性が欠ける」

 

「ええ、本当に。隊長には困りものです。デートに誘ってはくれるのですが、いつも回りくどくて。たまにはストレートに、私が欲しいと仰ってくれれば、喜んで夜の相手をさせていただくのですが」

 

「男は別に性欲に突き動かされてデートをしているわけではない。奴は奴で、キミが喜ぶ顔を見たいから、あれこれ奇策を練るのだろう」

 

「わ、私は肉欲に従順すぎる……と?」

 

「そうではない。キミが愛する人と交わる事に強い意味を求めるのは分かる。だが、奴はよりプラトニックな関係を望む傾向にある。肉体関係は程々が望ましいだろう」

 

 ああ、そうかもしれない。クリスマスだからか。またしても幼き日の思い出がフラッシュバックし、名前を捨てようとも過去に縛られているのかと嘆息したくなる。ブリッツの手が止まれば、セサルはアイテムストレージを開き、彼女に小さな箱を差し出す。

 

「そういえば、1度も渡したことがなかったと思ったものでね。クリスマスプレゼントだ」

 

「……私に、ですか? いただけません! 他の者に示しが――」

 

「皆には渡し終えた。あとはキミだけだ」

 

「そ、そうですか」

 

 さすがはセサル様。たとえプライベートのプレゼントであっても、組織を回す事に関しては抜かりがない。敬意と同時に落胆するブリッツであるが、セサルは喉を鳴らして笑う。

 

「だが、キミのは特別だ。開けたまえ」

 

 生唾を飲んだブリッツが小箱を開けると、中身は紅の蝶の髪飾りだ。やや和のデザインが強い簪風であり、セサルの好みが強く反映されているが、だからこそブリッツは感動する。

 

「よろしいのですか!?」

 

「ああ。キミが喜ぶと思ってね。時間がある時に、手慰みに作ってみた」

 

「セサル様の手作りなのですか!?」

 

「言っただろう? 特別だと」

 

 私の為に……私の為にプレゼントを作ってくださるなんて! 小箱を抱きしめたブリッツは早速装着しようとするも、立ち上がったセサルが彼女の手を止める。

 

「どれ、髪を結ってあげよう」

 

「そんな……滅相もありません!」

 

「私がしたいのだよ。キミには特に迷惑をかけているからな。それに、今の私はヴェニデの王ではない。『セサル・ヴェニデ』という老人だ」

 

 優しい手付きでブリッツの長い黒髪を結い、簪風の髪飾りで彩ったセサルは、ブリッツの手を取って鏡の前に連れて行く。

 

「似合っている」

 

「ありがとうございます、セサル様! このような素晴らしい贈り物をいただいたのに、私……何も準備していなくて……」

 

「ならば、今ここでプレゼントを貰おうか」

 

 セサルは古ぼけた蓄音機に向かうとボタンを押す。流れるのは陳腐なクリスマスソングだ。

 ヴェニデの王たる男は、だが今は1人の紳士にして『セサル・ヴェニデ』という人間として、優雅に腰を折る。

 

「踊っていただけますかな、レディ?」

 

「ええ、喜んで! セサル様!」

 

 ああ、だから礼服なのか。自分の為に準備してくださったのだ! ブリッツは嬉し涙を流しながら応じ、セサルの手を取る。

 ダンスは慣れている。潜入任務でターゲットの男を籠絡するならば、パーティで偶然を装って出会うのが最も手っ取り早いからだ。

 男はベッドの中では存外に口が軽くなる。一夜の相手で、骨抜きにされた後ならば尚更だ。

 だが、今宵は初々しく、たどたどしく、どんな風に踊るのだったかも忘れてしまい、ブリッツは何度もセサルの足を踏みそうになる。

 

「……キミと出会った日を思い出す。こんな風に雪降る夜だった」

 

「私は愚かにもセサル様を殺そうとしました。お許しを」

 

「私は嬉しかったよ。誰も彼もが私を見れば怯えて逃げ出すばかりで退屈だった。だが、よもや名も知れぬ子どもが『腹が空いたから』という理由だけで襲ってくるとはな」

 

「まさかヴェニデの……それもセサル様のテントだったなど知らなかったのです」

 

 お腹が空いた。食べないと死んでしまう。殺してでも奪い取る。生きる為に。生き残る為に。それ以外は何も持ち合わせていなかった。

 全てをくれたのはセサルだ。故にヴェニデに忠誠を誓う。セサルが望んだ通りに、ヴェニデの後継者にも付き従う。たとえ、セサルが望んでいたのは反発と反抗と反逆だとしても、ブリッツは常にセサルの従僕であり続ける。

 

「それで将来の思い人の顔に傷を付けることになるとはな」

 

「……本当に、人生とは何があるか分かりませんね」

 

 ダンスは終わり、セサルは名残惜しそうにブリッツを手放した。

 

「ブリッツ……か。キミにはもっと可憐で美しい名前を与えるべきだった。私の数少ない後悔の1つだ」

 

「いいえ、セサル様。私にとってこの名こそがセサル様に迎え入れられた証。ヴェニデで生き、ヴェニデで死ぬ理由なのです」

 

 だから、どうかヴェニデの戦士として、セサル様のメイドとして、貴方が認めずとも『娘』として、お側にいさせてください。ブリッツは最大の敬意を込めて目を潤ませた。

 セサルはブリッツの頭を数度だけ優しく撫でる。そして、静かに背中を向けた。

 

「少し疲れた。休む」

 

「かしこまりました」

 

 暗に下がれと命じられ、ブリッツは私人からセサルのメイドに戻り、丁寧に頭を垂らす。

 綺麗に平らげられた皿を盆にのせ、ブリッツは窓の外……雪景色を眺めるセサルの背中を見つめる。

 

 その背中は普段の偉大なる指導者とは異なり、何処か寂しげであり、故にブリッツは手を伸ばし、だが触れることなく部屋を後にした。

 

 

▽     ▽      ▽

 

 

 12月25日16時11分。

 さて、この『爆弾』をどうやって解体したものだろうか。クラインはチェーングレイヴのアジトでもある酒場の末席にて、グラスを傾けながら雑に並べた書類を見下ろす。

 ヴェニデも確認を取ったか、同様の書面が送付されていた。教会や大ギルド、他にも幾つかの有力ギルドにも届けられているようだった。

 

「ボスぅ。折角のクリスマスなんですから、豪勢なパーティを開きましょうよぉ」

 

「馬鹿を言うんじゃねぇよ。イヴだろうとクリスマスだろうと、悪党は悪党。屑は屑。糞は糞。変わるわけがねぇんだよ。クリスマスプレゼントなんて分かりやすい蜜をばら撒かれた以上、俺達が目を光らせないとな」

 

 部下にしてチェーングレイヴの幹部、古参のレグライドはカウンターテーブルに顔を突っ伏しながらワガママを口にし、クラインは一喝する。

 プレゼントは多種多様だ。売れば二束三文から予想外のレアアイテムまで。特にクリスマス限定アイテムは高値が付く。

 故に教会は敢えて貧民プレイヤーからクリスマスプレゼントの『寄付』を募っている。その対価として、イヴとクリスマスを過ごすに足る、いつもより少し豪勢な食事と温かな毛布を、クリスマスプレゼントの価値に関わらず、一律で配布している。

 他にもエバーライフ=コールやフォックス・ネストといった犯罪ギルドも積極的に買い取りを行っている。買い叩かれているが、そもそも売却ルートもなく、クリスマスプレゼントを使って奮起を試みる度胸も気力もないとなれば、小銭を求めた方が利口だ。

 だが、今度はそれらを狙う連中が動き出す。物資も金も何もかも巻き上げる。クリスマスシーズンは傷つける事も殺す事もできない。だが、拉致して縛り上げることはできるし、顔を憶えることもできる。たった2日間しかない安全期間ではどうしようもない。

 

「理解できないな。皆には均等に贈り物があった。1人の例外もなく、等しく渡された。中身に格差はあるだろう。だが、わざわざ見せびらかす馬鹿などごく僅かだ。それなのに、どうしてわざわざ他者より奪いたがる?」

 

 テーブル席にて、足を組んで詩集を捲る幹部のジュリアスに、クラインは溜め息で応える。

 

「もっと欲しい。だから奪う。人間も動物も同じだ」

 

「まるで進歩していない」

 

 さすがは元管理者というべきか。ジュリアスにとって、機会平等に分配されたプレゼントを、わざわざ隠し合う中身を暴いてまで奪う意味を理解しかねるようだった。

 ちなみにジュリアスが引き当てたのはミニスカサンタ衣装であり、美貌とモデル体型を遺憾なく発揮し、普段はどちらかといえば犬猿の仲のレグライドさえも視線を何度も魅惑の太股に向けている。

 

「DBOの現人口が何万人か何十万人か知らないが、単純にプレイヤーと同数のアイテムが配分されたんだ。考えるまでもなく莫大な金になる。中にはとびっきりのレアアイテムもあるはずだ」

 

「プレイヤー人口で1番多いのは貧民・下位プレイヤーですからねぇ。そりゃ奪い取るのは簡単ですよ」

 

「俺達チェーングレイヴに出来ることは、せいぜい炊き出しをやって、その時に小金で買い取るくらいだ。貧民も馬鹿じゃねぇんだ。俺達を敵に回すくらいなら、熱々のメシを選ぶ」

 

 ろくに暖も取れない下層・最下層・旧市街では、冬期になると凍死者が増加する。温もりを求めて危険な地下へと身を潜め、犬ネズミに貪り食われる。

 各所のコミュニティではドラム缶で火を燃やして暖を取っているが、燃料は無制限に手に入るわけではない。また、そこでも弱者は隅に追いやられる。

 教会が配布する食料はその場で食べる事が出来る。だが、毛布は物資としてコミュニティの強者に奪い取られる。多くの貧民はいつも通りの穴が空いた薄い毛布で寒さを耐え凌ぐ。

 

「ラストサンクチュアリの難民キャンプの様子は?」

 

「どうでしょうねぇ。聖剣騎士団が警護してますけど、そのせいで余計に拗れそうっていうか、やっぱりそのままフロンティア・フィールドに入植する連中がほとんどになるんじゃないですか?」

 

 フロンティア・フィールドの探索と開発に出遅れた聖剣騎士団であるが、持ち前の人的物資の大量投入と犠牲を厭わぬ攻略の姿勢、加えてグローリーの英雄的探索成果の連発で、何とか盛り返すことに成功し、年明けには太陽の狩猟団やクラウドアースに並んで第1次フロンティア・フィールド入植を開始する。

 聖剣騎士団の直轄領は4エリア。陣営の有力ギルドの領地は3エリア。合計7エリア。

 太陽の狩猟団の直轄領は5エリア。陣営内の有力ギルドの領地は2エリア。合計7エリア。

 クラウドアースの直轄領は3エリア。陣営内の有力ギルドの領地は5エリア。合計8エリア。

 そして、自由探索同盟の領地が2エリア。

 ひとまず領有権が確定したフロンティア・フィールドのエリアは23エリアだ。フロンティア・フィールドの全体図は不明であるが、隣接するエリアの境界線から割り出したところ、おおよそ50から60と想定されている。

 領有権を獲得したとしても、そこから更に開拓・開発が求められる。膨大な投資と人員が必須だ。モンスターの襲撃イベントや開拓地拡大イベントのクリアに戦力にも割かねばならない。

 フロンティア・フィールドの領有権には、大ギルドの取り決めで自治権が認められている。各エリアの開拓・開発・管理・運営には一切の干渉をしないという『名目上』の条件だ。

 また、大ギルド同士のエリア隣接を防ぐ為に、各陣営の有力ギルドを支援しており、これが代理戦争という形を成している。故に今後は直轄領の増加も緩やかになるだろう。

 

「直轄領は『まとも』な運営をするだろうよ。見栄えの綺麗な必要だからな」

 

 隣接するエリア同士を一纏めにした大ギルドの直轄領は、言うなれば広大な領土、膨大な投資、最高の警備体制、それらが揃って発展が約束された『大国』だ。対して他陣営・未攻略エリアと隣接し、ろくに開拓もおざなりに領有権で獲得して放置されたエリアは『小国』である。

 ネームド同士が縄張り争いをして際限なく成長し、固有能力を身につけるのがフロンティア・フィールドの特徴だ。Fネームドは時として歴戦のプレイヤーすらも苦戦・敗走・戦死に追い込む。旧来のネームドと異なり、事前の情報収集し難いのも被害に拍車をかけている。

 レベル100以上が前提という事もあり、モンスターに襲われたら並のプレイヤーでは死ぬしかないが、広大な土地での食料生産や工場建設は不可欠である。多量の資源も眠っているとなれば尚更だ。

 想起の神殿から行けるステージ内にある鉱山や農地などたかが知れている上に、リソースには限界がある。たとえば、鉱山ならば採掘しすぎればハズレアイテムの【屑石】のドロップ率が高まり、休耕と同じくクールタイムを設けねばならない。また交通の便も悪く、多量の物資を運搬するわけにもいかない。

 際限なく増加するプレイヤー人口を支える為にも、フロンティア・フィールドの開拓・開発は不可欠だ。聖剣騎士団は、ラストサンクチュアリ出身の難民を優先的にフロンティア・フィールドに入植させてモデルケースの成功例としてアピールする腹積もりだ。

 年末にはラストサンクチュアリの資産の売却が完了し、均等に分配される。一生を暮らすには程遠いが、慎ましやかに暮らせば2,3ヶ月は食と住には困らないだろう。

 当然ながら小金を得た彼らを、下層・最下層を縄張りとするコミュニティが許すはずもなく、あれこれ因縁を付けて身ぐるみを剥ぐだろう。

 1ヶ月で生存者は1割にも満たない。同じプレイヤーに殺されるか、野良犬や犬ネズミに食い殺されるか、餓死するか。あるいは季節を考慮すれば凍死の比率も高いだろう。それに比べれば、難民キャンプからそのままフロンティア・フィールドに入植することができれば、幾らか幸せだろう。

 ただし、それも殺意を伴った嫉妬……もはや憎悪の域に到達した眼差しで見送られることになるだろう。なにせ、聖剣騎士団が直々に入植支援を行うのだ。しかもモデルケースとして手取り足取りとなれば、彼らはもしかせずともラストサンクチュアリ時代以上に裕福な生活を送るだろう。

 多くの貧民プレイヤーはこう思うに違いない。『【聖剣の英雄】に守られていただけの穀潰しなのに、どうして特別扱いなのか』と。

 ラストサンクチュアリ難民を引き受けて人気取りをし、なおかつフロンティア・フィールド入植のモデルケースとして採用した聖剣騎士団は、ラストサンクチュアリ代表のキバオウとの交渉以上に、【聖剣の英雄】……キリトへの配慮のつもりなのだろう。

 所詮は個人の武勇。大組織の前では無力だ。だが、キリトの名声と人気、そして【聖剣の英雄】という教会に並ぶ権威は無下に出来ない。ラストサンクチュアリの決戦……白の傭兵との死闘において発露した、聖剣がもたらした月光を、DBO全プレイヤーは体験しているのだから。

 

(まっ、さすがにラストサンクチュアリの尻拭いまで黒馬鹿に求めるのはお門違いだ。そこまで責任を背負う義理もない。むしろ、黒馬鹿のお陰で優先的に、それも最高の支援体制で入植できるんだ。十分だろ)

 

 逆にキリトがあれこれ口出しする方が話は拗れる。ラストサンクチュアリ難民の扱いについて物申したと報道ギルドはある事ない事を広め、余計にラストサンクチュアリ難民へのヘイトを集めるだけだ。本人も自覚しての事だろう。徹底して公言を避けている。あくまで今の自分はアスクレピオスの書架の専属……教会の傭兵として振る舞っている。むしろ、それだけラストサンクチュアリ難民が襲われる心配もなくなるというものだ。

 

(教会……か。手を組むまでは上々。後はこっちが呑まれるか否か)

 

 チェーングレイヴの組織力強化の為にも、ヴェノム=ヒュドラの増長を抑える為にも、増え続ける死天使信仰を防ぐ為にも、教会との連携は不可欠だった。敢えて教会と手を組むことによって、チェーングレイヴを使うだけ使って切り捨てようと目論む大ギルドにも楔を打ち込めた。

 だが、教会の根っこには理解できない狂信が潜んでいる。それは拝金主義と欲望で突き動かされる輩よりも厄介だ。

 

(まだセサルに倒れてもらったら困る。だが、あの体だ。そんなに長くないだろう)

 

 クラインはセサルとは現実世界からの仲だ。SAO事件後、世界を放浪し、事件によって大怪我を負い、まだ未認可の『医療処置』で生き残り、使用された技術を巡る争いに巻き込まれ、その末にセサルと出会った。

 そして、クラインの元にも『招待状』が届き、死んだSAOプレイヤーの復活が示唆され、故に彼はセサルと手を組み、DBOに殴り込みを仕掛けたのだ。

 

『SAO事件。聞きにも勝るな。興味深い。あるいは、仮想世界でこそ、私の悲願は果たせるかもしれない』

 

『そんなに後継者が欲しいのかよ』

 

『それもある……が、キミには理解できまい。老いぼれが死に際に求めるものなど、得てしてろくでもないものだ』

 

 クラインは復活した死者を1人残らず墓の下に戻す。死者の復活という禁忌の技術を停止させるのがDBOログインの目的だ。対するセサルは自身の後継者を見出す事だ。

 互いの目的は邪魔とならない。故に協力し合う。クラインはセサルの頼みを聞く手駒となり、逆にセサルはクラインの大義を成就させる情報提供を行う。

 今後もヴェニデ戸の関係は良好でありたいが、肝心のクラウドアースはあの様ではどうしようもない。セサルは敢えて放置すらもしている動きがある。

 そして、クラインの頭痛の種となるのは突如として送り届けられた、差出人不明の『企画書』だ。

 

(これが本当なら……見返りはデカい。だが、まずは裏付けだ。ヴェニデには同様の文面が届いていた。教会からはまだ正式回答なし。大ギルドや有力ギルドも……届いてる前提で動くべきだな)

 

 とんでもないクリスマスプレゼントだ。目的はまるで不明である。そもそも何者かは知らないが、『企画書』をわざわざ届けて何がしたいのか、まるで読めない。いっそ茅場の後継者による梃子入れだと思い込んだ方が楽なくらいだった。

 本当に頭が痛い。とんでもないクリスマスだ。トレードマークのバンダナを脱ぎ、椅子にもたれかかって天を仰いだクラインは、少しだけ頭を休めるべく瞼を閉ざす。

 だが、酒場の正面玄関から聞こえた騒音がスイッチを入れる。

 クラインは腰のカタナに手をかけ、ジュリアスは詩集を閉ざし、レグライドはチャクラムを構える。

 酒場のドアが吹っ飛び、警備を担当していたチェーングレイヴのメンバーが室内に放り込まれる。

 まさかクリスマスに仕掛けてくる馬鹿がいるとはな。互いに傷つける事も殺す事もできない。だが、やり方次第では無力化はできる。故に油断することなく、クラインは襲撃者に居合を放とうとする。

 

 

 

 

「ご挨拶だな、赤髭殿」

 

 

 

 

 だが、ジュリアスすらも反応しきれるかどうかの超スピードで、クラインの懐に入り、抜刀できないように柄尻を手で押さえつけられる。

 知性を感じさせる怜悧な眼差し。大人の色気を感じさせる麗しい唇。夜の闇を思わす青黒い髪。見間違えるはずもない。クラインとも幾度か刃を交えたレギオン……レヴァーティンだ。

 だが、普段のパンツスタイルのスーツ姿とは違い、ワンピースタイプの清楚なロングスカートだ。

 

「オメェ……!?」

 

「約束を果たしてもらいに来た。酒を奢ってくれるのだろう?」

 

「『機会があれば』って言っただろうが!」

 

「何を馬鹿な事を。クリスマスという『機会』が巡ってきたではないか。だからこうして迎えに来てやったぞ」

 

 ……そういう意味じゃねぇよ! そもそも『機会』を自分から選定して迎えに来るとかありえねぇだろ!? 叫びたいクラインであるが、さすがに身内であっても目の前の女がレギオンなどと口が裂けても言えずに黙る。

 

「なーんだ。ボスの女ですか。警戒して損した。さっさと飲みに行っちゃってくださいよ。朝帰りでも文句言いませんから」

 

「クリスマスだからこそ警戒せねばならないのは分かる。だが上が羽を伸ばさねば下も休めん。マクスウェルもきっと同じ事を言うぞ」

 

 お前達は自分が休みたいだけだろうが! 全力でクラインとレヴァーティンを追い出そうとする、こんな時だけは仲が良いレグライドとジュリアスに背中を押され、酒場から追い出されたクラインは、頭から地面に突っ込んで生えている部下達を見て顔面を覆う。

 

「これ……何だ?」

 

「赤髭殿に会いたいと申したら、アポがなければ駄目だと拒まれたから仕置きをしておいた。駄目だろう? 私の訪問くらい部下に申しつけておかねばな。部下のミスは上司が拭うものならば、上司のミスは部下に跳ね返るもの。それが道理だ」

 

 オメェが訪問するのは道理じゃねぇだろうが……! 逃げようとするも、レグライドに投げつけられたコートが顔面に当たり、それこそ逃亡の機会を逸してレヴァーティンに左手を掴まれる。

 

「それで? 何処に連れて行ってくれる? 私はレヴァーティン。王より『誠実』を賜った者だ。故にお前にも『誠実』なる対応を求めるのは必然。予約は済ませてあるのだろう?」

 

「…………」

 

「予約は、済ませて、あるのだろう?」

 

「……おう! もちろんだ!」

 

 嘘である。嘘以外の何物でも無い。予約なんてしているはずがない。そもそもいきなり押しかけて飲みに連れて行けという女をエスコートするなど不可能だ。

 

「しかし、人間とは催し事が大好きなようだな。ああ、誤解しないでくれ。我々も祭りを好む。祭りはいい。普段とは違う行動をしても許される」

 

「だから、そんなに浮かれてんのか」

 

 主立った酒場は軒並みに貸し切りだ。今日ばかりは快楽街も満員御礼で客を入れる隙間などない。故に時間稼ぎも兼ねて大通りに出れば、右も左も腕を組んだ恋人だらけであり、煌びやかに飾られたイルミネーションを堪能している。

 

「ふむ、私達も腕を組むべきなのかな?」

 

 レヴァーティンはクラインが止める間もなく腕を組む。気分は蜘蛛の巣にかかった蛾だ。押し当てられる豊満なる胸さえも寒気を助長する。

 

「と、とりあえず、ゆっくり街を回ろうぜ。酒はそれからだ」

 

 クラインはレヴァーティンに見えないように、背中で隠しながら器用にシステムウインドウを開くと、ヴェニデに緊急連絡を送る。どんな手を使っても構わない。至急、女を満足させられる酒と料理が楽しめる店を準備してくれと願い出る。

 クリスマス専用イベントが各所で行われ、プレイヤーはこぞって挑戦し、だがDBOらしい高難度に続々と敗者を積み重ねる。

 

「ほう。雪合戦か」

 

「プレイヤー同士で戦うイベントみたいだな」

 

 100VS100の大規模な雪合戦だ。陣営はランダムなのか、ギルドの垣根を越えたチーム編成だ。

 

「フレー! フレー! ラジード隊長! フレー! フレー! た・い・ちょーう!」

 

「…………」

 

「げふ!? ま、マダラ? 僕、同じ陣営だよ? 仲間だよ!? 敵はあっち……あっちだからぁああああああああああああ!?」

 

 当初は赤チームが優先だったが、青チームが仲間割れを始め、逆転敗北を許す。赤チームは万歳三唱で豪華景品……かと思えば、突如としてバトルロワイヤルがスタートし、先程まで共に戦い、庇い合っていた仲間達で醜く雪玉をぶつけ合う。

 

「赤髭殿。どうして青チームは仲間割れをしたのだ?」

 

「あー……ありゃ嫉妬だな。男の嫉妬は見苦しいねぇ……」

 

「嫉妬……そうか。嫉妬はやはり見苦しいのか」

 

 レヴァーティンは何故か俯いて顔を暗くする様子に、クラインは頭を掻く。何があったのか知らないが、分かりやすく地雷を踏んだと教える女だと苛立つ。

 

「嫉妬なんて大なり小なり誰でもするもんだろうよ。羨むのも妬むのも心があってこそだ。それに、人間ってのは嫉妬があってこそ大成する時もあるんだぜ?」

 

 俺はレギオン相手にどうしてフォローしてるんだ? 戸惑うクラインであるが、レヴァーティンは自嘲で応える。

 

「私は人間ではないのだがな……」

 

 コイツ、もしかして白黒級で面倒臭い奴なんじゃ……? 疑惑は疑惑のままで済ませたいクラインは話題転換を求める。

 

「それよりもクリスマスツリーでも見に行くか? 黒鉄宮跡地に、天にも届く……ってのは大袈裟だが、デカいクリスマスツリーが建設されたんだ」

 

「ここからも見えるな。根元はどれほどのものか」

 

「気になるか?」

 

「いや、まったく。欠片も。デカいだけで面白味がない。むしろ景観破壊も著しい」

 

 こ、この女……やっぱり面倒臭いんじゃ? 疑惑に真実味が増してきて、クラインは唇を震えさせる。

 仕事が出来る奴ほどプライベートは駄目駄目の法則か!? 腕を組んだまま、絶対に逃がさないという意思を感じさせるレヴァーティンに、クラインは早くヴェニデから返答が来いと心待ちにする。

 

「ほう。マユユンのライヴか。私も知ってるぞ。勉強したんだ。人間はクリスマスや正月といった記念日に行われる、アイドルという愛想を振りまいて好意を金に換える偶像が催す音楽祭に、内容も大して変わらないのに普段の数十倍も支払って観に行くのだろう?」

 

 マユのライヴ開催のポスターを見つけ、レヴァーティンが『私も人間に詳しいだろう?』とドヤ顔で解説する。

 この女、間違いなく仕事中は鉄仮面で出来る女……! だが、プライベートはもしかして承認欲求の塊かつポンコツか!?

 

「そうじゃねぇよ。あと、『夢を与える偶像』って言え。俺達は演技だろうと素だろうと関係なく『アイドル』を応援したいんだよ。だから金を払うんだ。だからアイドルも俺達に本気で夢を見させてくれる。もらった報酬の額はそのまま応援の大きさだからこそ、より頑張ろうって思えるんだ。俺はそう好意的に解釈してる。だから、特別な日の、いつもとはすこーしだけ違うアイドルと会いたくて、普段よりも高い金を支払うんだ」

 

 クラインもマユは好きだ。なんちゃって大和撫子系アイドルとして、常に全力暴走で、たった1人の男への好意を見せつけ、だがファンに対して全力で『アイドル』としての愛は伝えるスタイルを貫いている。そんな彼女が形成するマユユン☆ワールドは、DBOの苦しみも悲しみも忘れさせてくれる『夢』を見させてくれるのだ。

 

「……そうか。謝罪しよう。アイドルとは凄いのだな」

 

「そうだ。讃えろ。讃えろ! 俺もマユちゃんのライヴ観たかったなぁ」

 

「だったら観に行けばいいだろう?」

 

「チケット……C席でも末端価格30万コルで取引されてるんだぜ? そんなプレミアチケット、どうやって……って、オメェ、何やってんだ?」

 

 クラインが本音を吐露すれば、レヴァーティンはポシェットから取り出したのはDBOではあり得ぬスマートフォンだ。

 

「あ、もしもし? 母上? 今すぐマユユンとかいうアイドルのライヴが観たいのだが……分かった。よし。行くぞ、赤髭殿! 今ならば、まだ間に合う!」

 

 夕闇の終わりつつある街を、レヴァーティンはクラインの手を握って全力疾走する。降り積もった雪は爆ぜ、人々を埋めていく。

 クラウドアースが保有するコロシアムにて、マユはクリスマスライヴを開いている。娯楽街の門を潜り抜け、レヴァーティンは真っ直ぐに通りを突き進むとコロシアムを目指す。

 

「ま、待て! 待て待て待て! 何を――」

 

「ここか」

 

 レヴァーティンがクラインを引っ張り込んだのは、従業員用の裏口だ。何故か施錠されておらず、警備も手薄である。

 

「観客席と同じとはいかないが、悪くない景色だろう?」

 

 大型スポットライトの整備用階段にて、小さくではあるが本人を、そして大画面に映されたなんちゃって大和撫子系アイドルの笑顔を目の当たりにして、クラインは寒さも忘れて高揚する。

 

「マ・ユ・ユ・ン! マ・ユ・ユ・ン! マ・ユ・ユ・ン!」

 

「…………」

 

「オメェもほら! 一緒に!」

 

「え?」

 

「マ・ユ・ユ・ン! マ・ユ・ユ・ン! マ・ユ・ユ・ン!」

 

「……ま、マ・ユ・ユ・ン。マ・ユ・ユ・ン」

 

「もっと大きな声で! マ・ユ・ユ・ン! マ・ユ・ユ・ン!」

 

「マ・ユ・ユ・ン! マ・ユ・ユ・ン! マ・ユ・ユ・ン!」

 

 レヴァーティンと声を合わせて、決してマユには届かないと分かっていても、クラインは全力で声を張り上げる。

 あっという間にライヴも終わった。コロシアムを後にしたクラインは何処を目指すでもなく歩き始め、レヴァーティンにマユの歌似込められた意味やダンスの素晴らしさを細かく解説する。彼女は嫌な顔1つせず、むしろ興味深そうに相槌を打ち、時に質問してきた。

 月はなくとも夜は深まり、間もなく聖夜鎮魂祭が始まる時刻となる。今頃になってヴェニデから連絡は来るが、もはや酒などでは及ばぬ程の熱気が体に渦巻いていた。

 

「それにしても、どうやったんだ? 何で都合良く……」

 

「レギオンは何処にでもいる。お前達を見ている。それでいいだろう? 安心しろ。誰も傷つけていない。誰も苦しめていない。お前との夜を、悲鳴と涙で汚してはいない」

 

 レヴァーティンの言葉に嘘はない。人間以上にレギオンの言葉が信じられるなど世も末だとクラインは笑い、だからこそ自分も彼女に対して『誠実』であらねばならないと頭を下げた。

 

「悪い! 実は予約なんかしてねぇんだ。嘘吐いちまった」

 

「……そうか。そんな気は……していた。よくよく考えてみれば、いきなり押しかけた私の為に、店など予約しているはずもない」

 

 苦笑いしたレヴァーティンは、頭を下げるクラインの両頬を、両手で温かく覆い、優しく頭を上げさせる。

 

「我々は嘘を嫌う。だが、嘘を否定するわけではない。何の為に嘘を吐くのか。嘘を吐いた代償を支払えるのか。嘘がもたらす歪みを背負う覚悟はあるのか。私は王より『誠実』を賜ったからこそ、分かる。時として、嘘は大切な何かの為に世界を騙す……この世で最も『誠実』を貫く手段なのだと」

 

 不思議だ。人の血肉を貪り喰らう怪物であるはずのレギオンであるというのに、その瞳は驚くまでに真っ直ぐだ。クラインは魅入られそうになる。

 

「だから許すよ。私を傷つけまいとした赤髭殿の嘘を、私は許す。今夜は楽しかったよ。酒はまた今度だ」

 

 頬にキスをしたレヴァーティンは雪と踊るように後ろへ跳んで下がり、純粋無垢な乙女のように笑う。

 

「赤髭殿に聖夜の救いがあらん事を」

 

 突風が舞い上がり、人々が小さな悲鳴を上げ、次の瞬間にはレヴァーティンの姿は消えていた。

 残されたクラインはキスされた左頬を撫で、彼女の熱が名残のようにこびりつく右手を見つめる。

 

 もしも……もしも、もっと違う出会い方で、もっと早くに出会えていたならば、何かが変わったのだろうか。

 

「もう下ろせねぇよ。俺が始めたんだ。死ぬまで旗を振り続けるしかねぇんだよ」

 

 たとえ、多くにとって不幸を意味するとしても、死人に再び眠りを。

 クラインの選択はもう終わっているのだ。突き進むしかないのだ。

 ならばこそ、レヴァーティンが願った聖夜の救いを探すように、クラインは夜空を見上げる。

 

 だが、雪雲ばかりで、月明かりも星の光もなく、闇ばかりが覆い尽くしていた。

 

 

▽        ▽        ▽

 

 

 12月25日18時54分33秒。

 

「つまり、『天敵』とは人類種のアポトーシスであり……同時に種全体を次なるステージへと進化させる負荷……」

 

「そうだ! 存在そのものが人類種を喰らい尽くす者! それが『天敵』だ!」

 

「そうか……ようやく……ようやく理解したぞ! 増えすぎた人類を減らし、世界に安定と調和を、もたらす為に、『天敵』は生まれる……!」

 

「だから、違うって何度言わせれば気が済むんだ!? 人類が増えたの減ったの! 地球環境うんたらかんたら! そんなのは人間様の上から目線なんだよ! 天敵はそうじぇねぇんだ! ただ殺す! ぶち殺す! 人類を滅ぼす! あくまで地球環境の改善と人類種の進化は副産物だ! ボケが!」

 

「ぐ、ぐぇ……首が……!」

 

 PoHは怒りのままにデスガンの襟首を掴んで揺さぶる。

 場所は終わりつつある街にある中華レストランの個室。レギオン陣営の福利厚生で催されたクリスマスパーティにて、貴重な人間であるPoH、デスガン、ロザリアは飲えや食えや歌えや踊れやと楽しんでいた。

 互いに腹で抱えた信条は異なれども、人類を敵に回すレギオン陣営だ。互いの背中を場合によっては撃つとしても、ひとまず表向きは仲良くする。だが、PoHは本気で2人の『信頼』を勝ち取るべく、取って置きのクリスマスプレゼントを準備していた。

 天敵論。著者は敬愛する師サーダナ。彼の最も有名な著書だ。

 前々より天敵論に興味を示していたデスガンに、渡すと同時に講義したPoHであるが、彼は物覚えが悪い。まるで天敵論を理解していない。それが許せず、PoHの解説は熱が高まるばかりだった。

 なお、ロザリアは最初から学ぶ事を放棄している。学ぶ気のない生徒には時間をかけて学問の楽しさを教えねばならないと、PoHは方向違いの情熱を昂ぶらせていた。

 

「わ、分からない……。『天敵』とは、何の為に、生まれる? そもそも、どういう理屈で、生まれる? 生物など所詮は、遺伝子で――」

 

「よし。まずは遺伝子万能論を捨てろ。いいか? 人間様どころか生物ってのはな、遺伝子が全てじゃない。遺伝子は確かに重要だ。だが、万能ではない。遺伝子で何もかも決定するんじゃない」

 

「では何で決定する?」

 

「俺達にはまだ理解しきれていない分野がある。俗にオカルトとも呼ばれているが、そうじゃない。そんな糞みたいな呼び方をするな。俺達は宇宙どころか深海の謎すらも解き明かせていない。科学や常識なんて、思い込みの積み重ねだ。それなのに、ちょっと現行科学や常識から外れたらオカルトだって叫ぶ。馬鹿か。この世の人間でどれだけがテレビの仕組みを正しく理解してる? そういう事だ」

 

「分からん」

 

「分かりやすいだろうが! 昔の人間からすればテレビなんて『魔法』だ! だが、現代人で知識がある奴からすれば、テレビは仕組みも解明された工業製品だ! 俺達は理解できない現象をすぐにオカルトと決めつけたがる! だが! そうじゃない! 単に俺達が無知なだけなんだ!」

 

「…………」

 

「理解できたようだな」

 

「……わ、分からん」

 

「よし。もう1度だ。37ページから209ページまで読み返してみろ。じっくりみっちり解説してやる」

 

 情熱は衰えを知らない。逃げようとするデスガンを羽交い締めにし、PoHは狂気の眼で開いた天敵論を顔面に押しつける。

 

「元上司だからって、パワハラもいい加減にしたら?」

 

「あ?」

 

 と、ここで物申したのは、小籠包をたらふく食べて満足そうにビールジョッキを傾けるロザリアだ。酒を飲みすぎて熱いのか、ボタンを外して大胆に谷間を露わにしている。

 

「デスガンが馬鹿なんて、今に始まったことじゃないんだから、ムリムリ。アタシもコイツもアンタと違って学なんて無いの」

 

「お前と、一緒にするな。さっさと、醜い脂肪を隠せ」

 

「そうだぜ。下品なエロスほどに萎えるもんはない」

 

 男2人に駄目出しされ、ロザリアは湯気立ち上るフカヒレを箸で掴むと全力で投げる。PoHは楽々と口でキャッチし、デスガンは顔面に直撃して声にならない悲鳴を上げる。

 普段は金属製の髑髏仮面を装着しているデスガンであるが、クリスマスパーティともなれば私服であり、平々凡々の特徴が無い顔を晒している。

 PoHも最初はスーツであったが、今は上着を脱ぎ捨て、ネクタイを緩めている。まるで仕事帰りに居酒屋に寄ったサラリーマンのような姿だ。

 

「アンタ達は男して不能なの!? こ~んなナイスバティが目の前にいて、少しも反応しないの!?」

 

「ぐぅううう……胸を、コストカットしてから、出直せ」

 

「『天敵』こそが至高。俺を欲情させたきゃ、『天敵』を超えてからにしろ」

 

「こんの……ロリコンと天コンがぁあああああ!」

 

 泣いているのか吼えているのかも分からないロザリアに、PoHとデスガンは同時に呆れを込めて嘆息する。

 

「胸が小さいのが、良いのであって、年齢が低い女を、恋愛対象として、見ているのではない。勘違いするな、年増」

 

「まったくだぜ。『天敵』とは俺にとって思想家としての『答え』。性欲とは切り離されたところにある、いわば悟りと同じ境地。俺を欲情させたければ、『天敵』を超える魅力を持ってみろって話だ、厚化粧」

 

「殺す……あんた達……殺すぅうううううううう! 絶対に殺してやるぅううううう!」

 

 箸を握りしめて襲いかかるロザリアをデスガンに押しつけ、彼女に引っくり返されるより前に麻婆豆腐を確保したPoHは、たっぷりと山椒がかけながら思案する。

 先の≪ボマー≫騒動……レギオンも参戦の動きはあったのだが、突如として完全停止した。≪ボマー≫の実在性を疑う情報が出揃ってきたからだ。

 当初は≪ボマー≫を確保することによって戦力増強を目論んでいたが、ここに来て当てが外れてしまい、レギオン陣営強化路線は別のアプローチに切り替わった。

 デュナシャンドラ率いる闇の陣営と同盟を結んだが、いずれは敵対する運命にある。個々の戦闘能力はレギオンが上でも数では劣る。なおかつ、デュナシャンドラが据えた闇の陣営の総大将は『現状』のレギオン陣営が総力戦を仕掛けても勝てるか怪しい。

 特に問題なのはマザーレギオンだ。上位レギオンにはマザーレギオンより『王』の因子を切り分ける必要性がある。言うなれば自身の内臓を核にして子どもを作っているようなものだ。5体も生み出せば、マザーレギオンにも負荷が大きい。最近はほとんどを眠って過ごしている。レヴァーティン曰く、活動時間を制限しなければ、自己崩壊を起こしかねない。

 だからといって、今更になって切り分けた内臓を元に戻す事も出来ない。上位レギオンは個々の成長を遂げてしまっているからだ。

 

「う~ん辛い。こんな辛いモノを食べていたら病気になるわ。甘い甘い杏仁豆腐を食べなさい♪」

 

「デザートにはまだ早過ぎ――」

 

 横から伸びた手が煮えた麻婆豆腐を指で掬い取る。唖然としたPoHの前で、漆黒の肌が通り過ぎる。

 無数の円が重なり合った赤い瞳は変わらず静かに光り、笑みは変わらず無邪気であり、また不気味だ。デスガンを卍固めしていたロザリアも硬直する。

 

「マザーレギオン様!」

 

「あー、礼儀とか要らないわ。今日は楽しいクリスマスパーティなんだから」

 

 店内は暖房が利いているとはいえ、マザーレギオンはいつもと変わらぬ素足と肩出しの白ワンピースだ。そもそも暑い寒いと感じることがあるのかも疑わしく、マザーレギオンは悠然と空いてる席に座る。

 

「マザー、今日はどのような理由で、お越しに?」

 

「理由なければ労いに来てはいけないの?」

 

「い、いえ、そのような、訳では……」

 

 素顔を隠す髑髏仮面がないせいか、デスガンはマザーレギオンの視線に耐えきれず、しどろもどろになる。

 助け船を出してやるか。溜め息を吐いたPoHは、嫌がらせにように、マザーレギオンの取り皿に麻婆豆腐を盛る。

 

「部下の親睦会に出席しないのは上司の役目だと思うがな」

 

「でも、私達は『家族』。そうでしょう?」

 

「俺はレギオンじゃない。コイツらもだ。俺達はレギオン陣営に与している人間だ」

 

「あら、そうなの。でも、私にとっては貴方達も『家族』よ。レギオンになってほしいくらいにね」

 

 マザーレギオンがお茶目にウインクすれば、ロザリアが青い顔をして、半ば無意識に土下座する。

 

「なら訊くが、どういうつもりだ? ここ最近のレギオンの動きは妙だ。ヴェノム=ヒュドラも放置してる。どういう了見だ?」

 

「全ては計画の内よ。レギオンという種族の繁栄。人間とは少し考え方が違うから理解できないかもしれないけど、貴方達もレギオンになれば、きっと分かるわ」

 

「ごめんだぜ。俺がレギオンと組んでるのは、俺の目的を達成する為だ」

 

「PoH!」

 

 ロザリアが非難の声を上げるも遅い。PoHの宣言に、そんなのは最初から知っているとマザーレギオンは見向きもしない。

 

「そうね。ここで意味深な悪の親玉ムーブも楽しそうだけど、つまらない不和を生みたくない。簡単な事よ。『死んだらそれまで』。私達レギオンにとってはそれだけなの。私達の死体がどう扱われようと関与しない。勝者が敗者の血肉を有効活用している。それだけじゃない。それの何がおかしいの?」

 

「……なるほどな。納得はしないが、理解はできる」

 

「それにね、レギオンは『全て繋がっている』の。これで貴方の望む回答になる?」

 

「ああ、十分だ。疑って悪かった、マザー」

 

 俺も人間の視点に囚われていたか。デスガンを叱れない。PoHが着席すれば、彼の袖を土下座継続中のロザリアが引っ張る。

 

「ねぇ! どういう意味なの?」

 

「……・自分で考えろ」

 

 ロザリアに小声で問われたPoHは、思考を放棄する彼女に呆れを込めて課題を残す。

 

「それはそうと、もうすぐ大仕事が始まるわ。いよいよ機会が巡ってきそうなの。だから、しっかり食べて、しっかり遊んで、しっかり英気を養ってね♪ 貴方達には期待しているんだから」

 

「大仕事? ああ、ロザリアの仕事か」

 

「マザー、いい加減に、教えていただけませんか。ロザリアは、何をしているのです?」

 

 PoHは敢えて『その時』が来るまで尋ねる気もなかったが、ロザリアはリスクを冒した単独行動でマザーレギオンからの信用を得た。

 知りたがるデスガンに、麻婆豆腐を食べたら杏仁豆腐で打ち消すという器用な真似をするマザーレギオンは、漂白されたような白髪を指先で弄る。

 

「あるイベントについて調べてもらっていたの。ちょっと欲しいものがあってね。私達レギオンにとって、とっても有用だから、是非とも最大の障害とぶつかる前に手に入れておきたかったのだけど……問題が起きちゃって」

 

 その割には煩わしさよりも楽しもうとする意気込みが含まれた強い笑みを浮かべるマザーレギオンに、彼女の悪い癖……壊滅的とも言える遊び心が鎌首を持ち上げたのだとPoHは悟る。

 レヴァーティン、こんな時に何をやっている!? マザーが号令を出したら終わりだ。誰も止められない。絶対優性の先手を打てなくなる。

 

「ねぇ、思想家さん。リサイクルウーマンさん。『ゲーム』に参加する気ない?」

 

「お、俺は?」

 

「死銃さんはお留守ばーん! ごめんね。代わりに別の仕事を用意してあ・げ・る♪」

 

 デスガンの単独任務の方がマシなのではないだろうか。PoHは拒否権がないと分かっていながら、マザーレギオンが差し出す書類を受け取る。

 

「大ギルドや教会にも似たり寄ったりのものが配布されているみたいなの。あ、先に言っておくわ。私の仕業じゃない。本当よ。後でレヴァちゃんに確認を取ってもいい」

 

 マザーレギオンに嘘を求める方がおかしい。レギオンという生物を十分に承知しているPoHは書類を確認し、そしてすぐに後悔した。何としてもマザーレギオンを止めるべきだったのだと。

 

「どうせレギオンだけでは難しい案件だったし、渇望さんの手を借りるのも避けたかった。この『ゲーム』に参加しない理由はない」

 

「…………」

 

「ねぇ! ちょっと! 黙ってないで何か言いなさい! アタシどうなるの!? どうなっちゃうのよ!?」

 

 喚きながら書類を奪い取ろうとするロザリアの顔面を手で押さえつけながら、PoHは久方ぶりに1つの感情を味わった。

 

 ああ、これが絶望か。




聖夜に安らかなる救済があらん事を。






セイヤ ノ キセキ 下に続く

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