SAO~デスゲーム/リスタート~   作:マグロ鉱脈

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英雄の書、鬼の書、獣の書。

いずれから読みますか?

これは鬼の書の下巻。


鬼が目覚める物語。


Episode21-14 アクイ ノ モノガタリ 鬼の書-下

 いよいよこの日がやってきた。ムライは変わらぬ灰色の空の下で煙草の紙箱を見下ろす。

 

「さすがは茅場晶彦。俺程度では謎を解き明かせない……と」

 

 岩壁に打ち付けられた紙には得たデータ、最新の各国の論文、それらを基にした仮説の数々がある。だが、いずれを取っても、ムライは運動アルゴリズムの秘密には辿り着けなかった。

 完敗だ。ムライは岩壁に背中を預けて空を見上げながら、だが不思議と清々しさを覚えた。

 エイジは無名の剣士を撃破後、『最後の戦い』に備えるべく気力と体力の僅かな回復に努めた。また、無名の剣士との戦いで得た経験を肉付けすべく、静かに鍛錬にも励んだ。

 そうして、いよいよ訪れた般若の仮面の記憶に挑む日だ。ムライは細指と泣き虫からダーインスレイヴのエンジン機構を修理する図面を書き上げ、仏師は四苦八苦しながらもそれを実現した。

 残るは『3戦』。そして、恐らくこの戦いを契機にして休む暇はほぼ無くなるだろう。エイジにとって最も過酷な連戦が始まる。

 

「よっ! ムライの旦那! 朝飯を食いに来たぜ!」

 

 ムライが作った汁物のニオイを嗅ぎつけたのだろう。ノイジスが飛んできて、それにエイジが続く。

 魚肉と山菜をふんだんに使った汁物だ。いつも通りのレシピであるが、だからこそ丁度いいのだ。

 ノイジスは我先にとエイジの椀に顔を突っ込む。エイジは嫌な顔をしたがそれを許す。

 

(今にして思えば、率先した毒味だったわけか。うるせぇ小鳥ちゃんだったが、熱いハートにはお持ちだぜ)

 

 汁物には麻痺薬は入っていない。ノイジスの取り越し苦労だ。

 2人と1匹でこうして食事を共にするのは何度目だろうか。仏師を交えて酒盛りしたのは何日前だっただろうか。エイジは酒を飲んでも飲まれず、また食事も共にしたがらなかったが、ノイジスに振り回されて幾度となく付き合った。

 やはりエイジには最良のサポートユニットだろう。陰気な彼には陽気過ぎる竜モドキが相応しい。

 

「最後のネームドを倒したら、たった1人のプレイヤーになるまで殺し合いだ。約束は守れ。俺を殺すのは最後だ」

 

「む、ムライの旦那! 今そんな話をするのも……!」

 

「分かってる。ムライを殺すのは最後だ。約束する」

 

「エイジちゃん!?」

 

「よし。晩餐じゃねぇが、これで共に食事をするのは最後だ。たんまり食えよ」

 

「ああ、お代わりだ」

 

 遠慮無く空になった椀を差し出すエイジに、心の底から驚き、また本音の笑みを浮かべたムライは1番大きな魚肉を掬う。

 

「たっぷり食え。そして、勝てよ。お前なら……いいや、お前じゃないとできないはずだ。頼んだぞ」

 

 

▽     ▽     ▽

 

 

 腹拵えは済んだ。エイジは荒れ寺に到着すると、いつもと変わらぬ仏を彫る音色に耳を傾ける。

 仏師は変わらない。ムライと同様に、いつもの日々を過ごすようにエイジを迎える。

 

「……持って行け」

 

 エイジが背後から近寄ると、仏師は彼の傍らに置いてある修理済みのダーインスレイヴを顎で差す。外装ブレードには亀裂を防ぐ帯が巻かれている他に、各所の応急処置が施され、1部は内部機構が露出してしまっている。

 コートは裾も袖も千切れ、また穴だらけだ。バトルスーツも部分部分が青白い火花を散らしており、性能は3割減といったところだろう。これでも十分に耐えてくれた。

 エイジは仏師に静かに頭を下げ、優しい仏様に手を合わせる。般若の仮面の記憶へと転移する。

 山の奥地だろう、雪が僅かと積もる朱塗りの橋。舞い散るのは紅葉であり、秋と冬が混在している。

 白の雪があるからこそ、朱塗りの橋と紅葉が際立つ。だが、エイジは美しさに見惚れることなくダーインスレイヴを抜いて歩き出す。

 

「エイジちゃん、もう俺も何も言わねぇぞ。最後まで……最後まで突っ走るぞ!」

 

「ああ、もう止まらない。止まれない。戦い抜く!」

 

 朱塗りの橋を半ばまで踏み入った時、頭上より急行落下してくる影にエイジは飛び退く。

 危うかった。開幕で奇襲とはえげつない。だが、そうでなくてはネームド戦では無い。エイジは現れたネームドを見据える。

 3メートル半はあるだろう巨体。紫の袈裟を纏い、般若の面を被った尼僧。獲物は身の丈を超えるリーチを誇る薙刀か。

 その名は【破戒僧】。HPバーは3本であるが、エイジはそこに威圧を覚えない。

 不思議だ。心は静かだ。眼前のネームドは間違いなく強敵であるはずなのに、エイジの心にはまるで波風が立たない。

 

(ああ、そうか。僕は……もう……)

 

 破戒僧が甲高い女の笑い声と共に襲いかかる。まずは薙刀による連続回転斬り。エイジはノイジスに霊体化を視線で指示すると、難なく連続回転斬りを弾いて凌ぐ。

 これを賞賛するように嗤った破戒僧は薙ぎ払いながら飛び退く。そして、そのまま一気に距離を詰めて叩き斬りを繰り出すが、エイジはいずれも弾く。

 破戒僧が微かに動揺する。続くは薙ぎ払いからの跳躍、そして体重を乗せた振り下ろしの一閃。薙ぎ払いは弾き、そこから斬撃を浴びせるも、袈裟の下には鎧でも着込んでいるのか、手応えは硬質であり、ダメージは無い。

 振り下ろしは回避して背後を取り、斬撃を浴びせれば僅かにダメージが通る。背後は正面ほどに防御力は高くないようだった。

 攻防のバランスが取れた、長物主体による近接戦が第1段階だ。以前のエイジならば多彩な攻撃と間合いの変動で翻弄されていただろう。だが、今は足を切断しようとする下段の薙ぎ払いを跳んで躱すだけでは無く、破戒僧を踏みつけて体勢を崩させるまで可能とする。蹴りを入れたエイジに破戒僧はエイジを狙って薙刀で突くが軽やかに弾き、逆に衝撃を利用して間合いを取ったエイジは耐性を確認すべく火刃を放つ。

 破戒僧は左腕で火刃をガードするが、ダメージの通りは悪い。正面の防御性能の高さか、それとも瑠璃火に対する耐性か。区別は付かないが、どちらにしても有効性は低い。

 揺るがぬ分析はエイジの精神を支える。破戒僧を前にして先程から湧き出すものは何なのか、エイジはようやく理解する。

 連撃からの突きを踏みつけ、いよいよ衝撃耐性が抜けた破戒僧が前のめりになって大きな隙を晒す。エイジは逃さずに、阪奈の仮面に隠された喉元へと≪片手剣≫のソードスキル、ファースト・エッジを浴びせる。一撃で仕留められこそしないが、正面からクリティカル部位にダメージを受けた破戒僧は大ダメージを受ける。

 だが、無名の剣士に比べてもタフなのか、HPはまだ8割近く残している。

 

「形代流し・黒転」

 

 ならばとエイジは黒の形代流しを左手に召喚させ、毒手を発動させて毒のオーラを融合させる。

 毒・形代流し。ダーインスレイヴと毒・形代流しの連撃を今度は破戒僧が対処する番となり、タフさを活かして攻撃には怯まずに反撃してくるが、エイジは破戒僧の攻撃を丁寧にダーインスレイヴで弾き、生み出された隙間に毒・形代流しの連続斬りを浴びせ、突きがくれば踏みつけてダーインスレイヴで薙ぎ払う。

 懐には入り込んだエイジに破戒僧は薙刀の柄で殴りかかるも弾き、体格差を活かした至近距離からの斬り上げを躱して横腹を薙ぐと同時に焙烙玉を放る。背中を爆破されるもダメージは低い。焙烙玉は序盤でも入手できる火炎壺よりやや強い程度だ。破戒僧相手ではダメージソースとなり得ない。

 だが、炎と衝撃はどちらもチャンスを作るのに適している。破戒僧は空中側転斬りをしながら迫るも、エイジは丁寧に弾き、空中で大きく体勢を崩したところで喉にダーインスレイヴを突き入れる。そして、エンジンを稼働させて衝撃と威力を増幅させ、闇の重油を燃料にして瑠璃火を噴き出させる。

 喉から一気に腹まで薙ぎ払い、破戒僧は悲鳴を上げながら血飛沫を上げて倒れる。すかさず背中を踏みつけたエイジは左手に凝縮させた瑠璃火を叩き込む。

 地獄門! 瑠璃火はドーム状に解き放たれ、直撃を受けた破戒僧は衝撃に耐えきれずにバウンドして宙に放られ、背中から落下する。

 まずは1本! HPバーの2本目に突入した破戒僧は傷を修復させたかと思えば、両手で薙刀を握って唸る。いや、言葉にならぬ呪詛を唱える。

 破戒僧を中心にして広がる濃霧によって視界を奪われる。同時に破戒僧の姿も失せる。

 エイジが奇襲系の攻撃かと警戒すれば、案の定で背後から気配を察知する。

 振り下ろされる薙刀をエイジは弾く。だが、手応えがおかしい。よくよく見れば、破戒僧はまるで影のように黒ずんで透けている。

 分身というよりも攻撃可能な幻影か! 次々と出現する破戒僧の幻影は攻撃スピードと出現頻度を高め、10秒と待たずして破戒僧が同時に3体……それぞれ全く異なるタイミングで異なる技を繰り出す。

 背後からの攻撃を躱しきれずに薙刀が横腹を薙ぐ。間髪入れずに別の幻影の突きを踏みつけるもすぐに消えて別の幻影が現れ、頭上から強襲する。

 およそ60秒の猛攻でエイジのHPは5割を奪われ、破戒僧が何食わぬ顔で拡散した霧の向こう側から現れる。破戒僧は地を滑るようにして迫って足を薙ぎ、跳んで回避したエイジに即座に派生した振り下ろしを喰らわせる。弾いたエイジであるが、薙刀から放出された衝撃波が襲いかかって押し飛ばされる。

 破戒僧の斬撃に衝撃波が付随するようになった。空間を歪める衝撃波を続々と放った破戒僧は、遠方にて薙刀を頭上で回転させると振り下ろし、巨大な衝撃波をエイジに飛ばす。

 何とか躱して丸薬を食んだエイジに、破戒僧は甲高い笑い声を浴びせながら連続突きを浴びせる。踏みつける暇は無く、弾き続けるエイジに、ここぞとばかりに衝撃波が伴った突きを繰り出す。

 だが、エイジはこれを弾かずに躱し、逆に火薬をばら撒き、瞬く炎の武器でエンチャントする。

 爆閃。火薬の炸裂と炎の斬撃を浴びた破戒僧は、だが炎の中から姿を現し、左手でエイジに掴みかかる。

 

〔させるかよ!〕

 

 あわやエイジの頭が握り潰されるかと思われた瞬間、上空より毒爪で強襲をかけたノイジスが腕の軌道をズラし、エイジは逆に毒・形代流しで破戒僧の腋を薙ぐ。

 毒状態にするには耐性が高いか。まるで毒が蓄積しているようには思えない破戒僧の動きに舌打ちし、エイジは丸薬と深海の指輪のオートヒーリングによってじわじわと回復しながら耐え忍ぶ。

 第1段階は純粋な物理戦闘だが、第2段階からは豊富な絡め手を使ってきている。だが、逆に言えばそれ故の隙も増えたはずだ。観察に徹するエイジに対し、破戒僧は再び呪詛を唱え、濃霧を招く。

 ここだ! 破戒僧が消えるより先に接近してエイジは斬りかかるも、既に影となっていたのか、破戒僧の姿は消失する。再び60秒にも及ぶ一方的な攻撃を耐え抜かねばならない。

 

〔エイジちゃん! 上だ!〕

 

 だが、観察していたのはエイジだけではない。遙か頭上、濃霧の向こう側にいるだろうノイジスの瑠璃火ブレスが放たれたのは、橋がかけれた谷間から伸びる樹木である。エイジは鉤縄を引っかけて太い枝に飛び乗れば、ノイジスが更に高く跳べと空を飛ぶ。

 エイジは大きく跳躍し、濃霧が微かに薄れた上空に至り、目を見開く。何も見えないはずの濃霧であるが、橋の中心にて破戒僧の姿が視認できたからだ。

 霧の中では見る事も触れる事も出来ない破戒僧の本体であるが、霧の外からは認識できるのか。縦長の橋という戦闘フィールドが立体的戦闘を行うという思考を奪い取っていた。

 ノイジスがエイジの肩を掴み、落下する彼の方向を調整する。ノイジスと視線を交わしたエイジは頷き、幻影の結界を生み出すのに集中した破戒僧の肩に着地する。

 驚く破戒僧の喉をダーインスレイヴで深々と斬り裂く! 喉から血飛沫を上げた破戒僧に、エイジは背後から≪両手剣≫の突進系ソードスキルのハンティング・レイを浴びせる。突き刺し、更に瑠璃火を伴った衝撃を噴出して、多段ヒットを更に強化させたソードスキルの刺突はラストヒットで破戒僧を大きく吹き飛ばし、反転する時間に大きなラグを生ませる。

 その間にエイジは硬直時間を解消しつつ、左手にノイジスを止めて瑠璃火を纏わせていた。瑠璃火を纏ったノイジスの突進に、破戒僧は大きな跳躍で躱すも、エイジは既に空中へと焙烙玉を3個も放り投げていた。顔面に爆発を受けた破戒僧は姿勢を崩しながら落下し、そこをエイジが破砕の斧で顔面を叩き割る。

 連ね斬り! 般若の面の傷口へと斧の分厚い刃を通し、それをなぞるようにダーインスレイヴの長い刀身が抉る!破砕の斧のもたらす衝撃波も受け、破戒僧が膝をつけば、エイジは超至近距離から瑠璃蛇を放って強引に吹き飛ばす。 

 まだまだ! そう叫ぶような気迫で破戒僧は背中から倒れそうになるのを前のめりになる程に踏み込んで堪えるが、正面を舞う火薬には対処しきれなかった。

 瞬く炎の武器。ダーインスレイヴに瞬間的な炎属性エンチャントを施し、火薬を炸裂させながら斬る爆閃を浴び、破戒僧は今度こそ倒れる。

 駄目押しで上空から急降下したノイジスが瑠璃火ブレスを連発し、HPバーの2本目を削り尽くされた破戒僧に、エイジは呼吸を整える。

 危うかった。ノイジスが霧の幻影の秘密を解き明かしてくれていなければ、エイジは更なるダメージを受けて追い詰められ、また長期戦を強いられて消耗は免れなかっただろう。

 倒れた破戒僧は痙攣する。そして、喉元を突き破って現れたのは、獅子猿と同じく百足モドキだ。

 獅子猿と同じで死ねない体……これも不死の1種なのだろうか。獅子猿とは違い、百足モドキに完全に体を支配されているわけではなく、変わらぬ武技を披露する破戒僧にエイジは警戒を強める。

 薙刀の攻撃は全てに衝撃波が付随し、攻撃範囲は3倍近くに拡大している。薙刀本体ならば弾きも有効であるが、衝撃波による吹き飛ばし効果はエイジを襲う。最終段階では弾きが有効ではない。

 破戒僧の幻影の霧海は強力な能力であるが、弱点を知られていたら致命的な隙を生む。ラーニング対象か興味もあるエイジであるが、今は冷静に対処を続ける。

 

(人工筋肉繊維の破損具合から、フルパワーに耐えられるのはあと2回。ここで使うわけには行かない!)

 

 破戒僧は大きく腕を伸ばすと袖から百足モドキ由来だろう毒液を撒き散らす。逃げ切れなかったエイジの左腕にかかる。

 レベル3の毒、呪い蓄積、更にはエイジのHPバーの下に防御力低下のデバフのアイコンが表示される。強酸性なのだろう。たたでさせ破損で防御力が低下している状態だ。攻撃力を強化した破戒僧の攻撃をまともに受ければ即死もあり得た。

 更には破戒僧の裏取りをして斬りかかれば、超反応の振り下ろし攻撃が繰り出される。スピードだけでは無く、薙刀からは衝撃が解放されて全方位バースト攻撃としても機能していた。ここから先の戦いにおいて、背後への攻撃は全てカウンターでこの技が繰り出されるならば、最も防御力が高い正面から戦いを挑むほかに無い。

 いいや、違う。エイジは呼吸を整えながら、破戒僧の正面……喉から露出してうねる百足モドキを睨む。最も攻撃が激しい正面を突破して百足モドキという露出した弱点を如何に攻撃するかが最終段階のコンセプトなのだろう。

 バトルスーツの運動拡張は使わない。試されるのはエイジ自身のパワーとスピードであり、技術と戦術だ。

 破戒僧はスピードも増している。だが、隙はある。正面で陣取ったエイジに左腕を振るって毒液を放つ破戒僧に、エイジは火刃を放つ。身を逸らした破戒僧であるが、露出した百足モドキに命中してダメージを受ける。

 途端に破戒僧は回転斬りをしながら距離を取ると呪詛を唱える。よもや幻影の霧海かとも思ったが、霧は発生せず、破戒僧を紫色のオーラが纏う。

 自己強化? エイジがそう疑うより先に破戒僧は動いた。

 

 

 

 そして、破戒僧の動きに付随するように、紫色をした幻影の破戒僧が同時攻撃を仕掛ける!

 

 

 

 幻影というよりも分身か! 破戒僧の動きより時に素早く、時に全く同じタイミングで、時に遅れて、幻影の破戒僧は攻撃を仕掛けてくる。

 単純に攻撃力は2倍であるが、幻影破戒僧の方は百足モドキが露出しておらず、攻撃にも衝撃波が伴っていない。第1段階の破戒僧がもう1体いるような状態だ。

 ならば? エイジは破戒僧が毒液攻撃を仕掛け、これを躱した時に嫌な予感を募らせる。予想通り、幻影は回想は本体とは全く異なる動きを取り、エイジの背後を取ると回避ルートへと突きを放っていた。

 だが、視覚警告で捉えたエイジはこれを踏みつける。幻影破戒僧にもHPバーは存在する。攻撃を続ければ消滅させる事も可能かもしれないが、エイジが狙うべきはあくまで本体だ。

 破戒僧は衝撃波で攻撃範囲を拡大した連続回転斬りを繰り出し、それに遅れて幻影破戒僧が全く同じ連続回転斬りを放つ。その様にエイジの脳裏が引っ掻かれる。

 思い出したのはラストサンクチュアリの攻防。【黒の剣士】がユージーンの心意能力をコピーし、己の幻影を召喚して戦った姿だ。

 

「……苛つくんだよ!」

 

 怒りならばどんなにいいだろうか。これは憎しみから湧き出す苛立ちだ。エイジは八つ当たりだと自覚しながらも吼える。

 幻影破戒僧の刃がエイジに触れる間際で左手にて印を組む。霧がらすが発動し、幻影破戒僧と破戒僧を貫く形で霧化して移動し、瑠璃火が宿った黒羽根を残す。

 無名の剣士戦で使用した、瑠璃火と霧がらすの融合……瑠璃の霧がらすだ。迷いがらすの攻撃を真似たものである。黒羽根は瑠璃火を燃え上がらせ、幻影と本体の両方を焼き払う。

 

「エイジちゃん! 熱くなるな!」

 

「分かってる!」

 

 回生を頼りにして戦うのは最低最悪の前提である。

 回生の間際、エイジの全身が死の恐怖に浸される。頭では回生によって再起できると分かっていても、精神は死の恐怖に汚染される。

 また回生は初見でこそ有用であるが、既知の相手には容易に対策を取られ、再起の瞬間に命を刈り取られかねないのは無名の剣士との無窮の鍛錬で嫌というほどに経験済みである。

 故に回生があるからと無茶な戦い方は出来ない。むしろ、回生こそがより死の恐怖を肥大化させているとも言い換えられる。

 

(瑠璃の霧がらすは幻影よりも本体の方が効果あり、か。やはり『虫』はそこまで瑠璃火に耐性があるわけじゃない)

 

 思考は驚くほどに冷えたままであり、エイジの目は瑠璃火に対して破戒僧本体から露出した百足モドキが多少なりとも嫌がった素振りを見逃さない。

 ならば百足モドキに瑠璃火を効率的に浴びせれば倒せるかと問われれば、簡単では無い。幻影とは言え、第1段階の破戒僧と戦闘能力はほぼ同じだ。破戒僧本体が第1段階まで使用した攻撃の時は先行・同時・遅延の3パターンで同攻撃を行い、破戒僧本体が第3段階限定の能力を使用する時は独自に動く。

 故に隙が無い。地味に嫌らしいのは、破戒僧本体が放つ毒液だ。レベル3の毒は最前線でも通じる脅威度の高さ、呪いは首無し獅子猿と同じく疑似麻痺状態に陥らせる怖じ気、そして強酸性は防御力低下だけではなく耐久度減少による装備破壊効果もあるだろう万能性だ。

 対するエイジは手札が減っている。瞬間加速と攻撃ができる影瑠璃用カートリッジは在庫無し。牽制、絡め手、削りに有用な左腕のクロスボウは破損。ダーインスレイヴは辛うじて修理しているが、エンジン出力の低下と刃毀れによる攻撃力の低下は免れなかった。

 そして、切り札であるデーモン化は使用できない。デーモン化には個々によって発動条件が異なるのであるが、総じて連用できるものではない。一般的に長時間のクールタイムがあり、ダンジョン攻略中は1度しか使用できないといった制限がある。

 エイジも例に漏れず、ダンジョン外に1度出なければ再使用できない。荒れ寺というセーフティエリアのせいで誤解しやすいが、エイジは体感時間で1年以上も蠱毒の穴というダンジョンに囚われているのである。

 全てを投じなければ無名の剣士相手に、それも短時間で勝利は出来なかった。だが、だからといって無名の剣士が蠱毒の穴で最強のネームドかと問われれば分からないのだ。少なくとも破戒僧の後にはコドクが控えている。

 故に破戒僧の毒液はエイジの生命線を破壊しかねない。だからといって手持ちの手札だけで倒しきるのはやや厳しい。

 首無し獅子猿と同例であるならば、破戒僧が露出した百足モドキに与えられるダメージは大きい。だが、幻影破戒僧が障害となり、破戒僧の正面は毒液のみならず、弾きを封じた近接攻撃を突破しなければならない。

 いや、本当に封じられているのか? エイジはダーインスレイヴを見下ろして、己を奮い立たせるように笑い、そして唇を噛んで真一文字を作る。

 エドガーより貰った護符を残してある。スリップダメージ領域を生み出す水銀の護符だ。使い勝手のいい周囲の地面から雷の槍を突き出させる雷槍の護符は使い切ってしまっている。

 だが、縦長の橋で戦いを強いられる、しかも幻影破戒僧のせいで余計に移動が制限される状況では、たとえスリップダメージを与えられたとしても、エイジも同じだけダメージを受けて、よりタフな破戒僧を利することになるだろう。

 と、そこまで考えたエイジは1つの可能性に思い至る。この状況において起死回生となり、水銀の護符をこれ以上となく活かせる方法だ。

 ただし、普段のエイジならば貴重であろうとも1つ消費して実験をするだろう。だが、今ここでは使えない。エイジは破戒僧の足払うような薙刀攻撃を跳んで躱し、続いた幻影破戒僧の顔面を踏みつけて宙を舞いながら丸薬を食み、水銀の護符を投げつける。

 丸薬の回復力では焼け石に水であるが、深海の指輪と合わせればスリップダメージは最小で抑えられる。エイジは水銀の霧で僅かながらもHPを減らしていく破戒僧へと突撃する。

 破戒僧からすれば驚きだったはずだ。スリップダメージ空間から逃げ出そうとする自分に対して、エイジ自身が接近戦を仕掛けてきたのだから。事実として水銀の霧に触れた端からエイジのHPは減り始める。

 馬鹿にするような破戒僧の笑い声は無謀にして考え無しへの嘲笑か。だが、エイジは左手で印を組む。

 霧がらす! エイジは霧化し、一気に破戒僧の正面を取るとダーインスレイヴで百足モドキを斬り上げ、そのまま蹴りで顔面を打つ。

 どうして!? 破戒僧は戸惑いながらも毒液を放つ。幻影破戒僧がエイジの逃げ場を奪うべく、背後に回って広範囲をカバーする空中側転連続回転斬りを放つ。

 だが、その時にはエイジはいない。破戒僧の上空を霧がらすで取ったエイジは≪両手剣≫のソードスキル、ヘルム・ブレイカーで強襲して百足モドキを裂く。

 血飛沫を上げてうねる百足モドキと苦しむ破戒僧はようやく理解したのだろう。水銀の霧から急いで脱出しようとするも、更に投擲されていた水銀の護符が水銀の霧を発生させる。

 狭いバトルフィールドは、本来ならば大柄でタフな破戒僧の独壇場だ。特に第3段階は薙刀の攻撃範囲拡大も合わさってプレイヤーの逃げ場を徹底的に奪って追い詰め続ける。

 だが、プレイヤーを苦しめるはずの狭さが仇になった。霧がらすの発動条件は『外部からダメージを受ける』である。スリップダメージは毎秒であり、ダメージ発生間隔さえ掴めば、水銀の霧によるスリップダメージを利用して霧がらすを発動できる!

 本来ならば相手の攻撃に対して受け身でしか使えない霧がらすを任意のタイミングで発動できる。これがどれほどの脅威なのかは言うまでもない。ただし、霧がらすはジャストタイミングで発動すればスタミナ消費が軽減されるが、それでも重たい部類だ。発動コストの依代は重たいが、時間内は連用できる霧火の結界とは違い、この運用方法はスタミナを加速度的に消耗する。もちろん、ジャストタイミングを誤れば、一気に追い詰められる。

 水銀の霧でじわじわとHPが減らされ続ける中でジャストタイミングを狙うプレッシャー……恐怖に打ち勝たねば連用など到底出来ないのだ。

 破戒僧は跳躍して水銀の霧が張られていない上空へと逃げようとする。だが、待っていたとばかりに毒爪を発動したノイジスが加速を付けて顔面を抉る!

 

「ばぁあああああああああああああか! 俺様が逃がすのを許すと思うのか!? あン!? やっちまえ、エイジちゃん! 一気に決めろ!」

 

 背中から転落した破戒僧を守るべく幻影破戒僧が立ち塞がるも、水銀の霧の中では無力だ。

 破戒僧の失敗は1つ、衝撃波で周囲を吹き飛ばす技を連発して水銀の霧を散らすことだった。密閉空間ではない以上、水銀の霧の対処法はそれしかないのだ。

 出来なかったのは破戒僧に死の恐怖が無かったからか、自身のタフさを過信したからか、どちらにしてもエイジは立て直される前に霧がらすを連発して百足モドキを一方的に刻み続ける。そして、霧がらすの全てに瑠璃火が伴い、移動した空間を瑠璃色に燃やす!

 6連瑠璃の霧がらす! エイジはいよいよスタミナが危険域に到達し、立ち上がった破戒僧は幻影破戒僧を遅らせて連続回転斬りを放つ。繰り出される衝撃波で水銀の霧を散らし、エイジを肉薄する。

 弾けない。違う。安全を優先してリスクを抑えようとする思考が逃げを生むのだ。エイジは破戒僧戦が始まってから自分の胸の中心にあった重みを理解する。

 弾く。衝撃波が付与されて強化された薙刀本体の吹き飛ばし性能を、エンジンを稼動させて瑠璃火を伴う衝撃を放つダーインスレイヴで弾く。

 完璧なタイミングの弾きで、ダーインスレイヴの衝撃発生威力増幅機能を同タイミングだけで稼動させる。

 精神を極限まで研ぎ澄まし、針穴に通し続けるようなものだ。弾きと衝撃発生制御を同時に行わねばならない、右手と左手で全く異なる作業を行うようなものだ。

 だが、エイジは見ている。左右全く異なる性質の武器を同時に操る事に長けた傭兵を。漆黒を純白で塗り潰す暴虐を。

 同じ領域には至れない。高みの空では無く海の底を目指したのだから。だが、身につけるべき技術としては必要だった。

 まさしく離れ業。本体と幻影の2回攻撃の連続回転斬りを弾かれ続け、破戒僧の驚愕する。対するエイジは酷く落ち着いていた。

 水銀の護符を利用した霧がらすの能動使用。それは霧がらすの特性を研究し続けたからこそ至れた発想だ。

 体感時間1年にも及ぶ改造ダーインスレイヴを用いた鍛錬は彼に衝撃発生のリズムと核となるエンジンの癖を身に染みさせた。

 装備が摩耗し続けるからこそ耐久消耗を最小限に抑える弾きの技術は必須となり、成長の鈍さを苦しめる要因となった毎日のような無名の剣士との鍛錬は、着実に弾きの上達をもたらした。

 時間加速による高密度の情報量は脳を疲弊させた。だが、高密度の情報に晒され続け、その中で強敵と戦い続け、また鍛錬を怠らなかったエイジの五感情報の感応・処理速度は飛躍的に高まっていた。弾きによる近接戦を狙うからこそ、秀でた視覚を中心として五感をフル活用して相手の動きを見切る能力を身につけさせた。

 そして、何よりもエイジに不可欠だったものを、自分と似て非なる道を歩んだ先達は与えてくれた。

 

 

 自信。無名の剣士に勝利した事でエイジに与えられた最大の報酬こそが自信だった。

 

 

 名も知れぬ剣士が如何なる旅路の末に鬼火の剣を極めんとしたのかは分からない。

 倒した事に対する感慨は無い。勝利の余韻すらない。ただひたすらに『力』を欲する渇望だけがあった。憎しみだけがあった。

 だからこそ、あれ程の剣士を倒したからこそ、己の『力』を理解したのだ。もはや自分は『悠那』を守れずに蹲っていた頃よりも、『ユナ』を目の前でライドウに殺された時よりも、確かに強くなったのだ。無名の剣士を倒せるほどの『力』を手に入れたのだと。

 傲慢では無い。慢心では無い。憎悪が変わらず『力』を求め続けるからこその自覚だ。より強大な『力』を求めるならば、今の己にどれだけの『力』があるのかを理解しなければならないのだから。

 常に負け続け、故に這い続けた者は、『強者』に至らんとするからこそ弱者の沼に嵌まり込んでいた。だが、エイジは無名の剣士に勝利してようやく脱したのだ。

 恐怖を踏破する1歩により力強さを生む。迷いの揺らぎを拭い去り、一挙一動の精密さを生む。たとえ、窮地であろうとも逆転の術を探る思考の自由を生む。それが自信だ。

 破戒僧は強かった。間違いなく強かった。無名の剣士より先に戦っていたならば、より多くの手札が必要になっただろう。

 だが、無名の剣士に勝ち、蠱毒の穴で培った全ての技術と経験に『自信』が付与された今のエイジの首を落とすには足りなかった。

 破戒僧と幻影破戒僧を重ねた力任せの最後の一閃! エイジはそれを弾けばさすがにパワー負けして後ろに飛ばされ、そこに間髪入れずに破戒僧は毒液を放つ。

 だが、エイジの左手には既に白い刃が……形代流しが握られていた。

 

「霧がらす」

 

 印無し発動! エイジは自身の首に当たる刃を基準にして霧がらすの発動タイミングを計算する。霧化したエイジに破戒僧は全方位を攻撃する衝撃波を放つ。破戒僧もまた霧がらす発動から出現までのタイミングを把握してたのだ。

 だが、エイジは近づいていなかった。衝撃波の範囲ギリギリで待機していたのだ。

 ここから踏み込んで百足モドキを斬る! その1歩の矢先に幻影破戒僧が薙刀を振り上げていた。エイジはガードを強いられ、ダーインスレイヴが宙を高々と舞う。

 全方位バースト攻撃は破戒僧本体……第3段階限定の攻撃だ。その間は幻影破戒僧がエイジの出現場所を見極める役割をしてカウンターを入れる準備をしていたのだ。

 武器を失った。だが、エイジの踏み込みは止まらない。ならば『プランB』に派生させるだけだった。

 左手に持つ白の形代流し。それはエイジのHPを代償として形代を回復させる。

 霧がらすは『外傷』によってもたらされるダメージ判定によって発動する。即ち、自身の首を切る形代流しも発動対象! エイジは霧化しては破戒僧の刃を躱し、懐に入り込む。

 フリーになった右手に出現させたのは黒の形代流し。それは敵を刻んで形代を回復させる≪瑠璃火≫の能力であり、蠱毒融合によってラーニング能力を付与させることができる。

 

「殺った」

 

 黒い形代流しより放出されたのは、ダーインスレイヴが最初にラーニングした能力、つらぬきの騎士の一撃……つらぬきの刃。リーチはダーインスレイヴ発動時には足りずとも、黒の形代流しから放出されたソウルの刃は足りぬ間合いを補い、百足モドキを刺し貫く!

 エイジは黒の形代流しを消失させて右手を掲げればダーインスレイヴが『届く』。ノイジスがキャッチしてくれていたのだ。

 

「やっちまえ、エイジちゃん!」

 

 エイジは倒れゆく破戒僧へと飛びかかり、その肩を踏みつけて背中を地面に叩き付けるとダーインスレイヴを腹に突き立てる。そして、そのまま踏み込んで全体重を乗せた一閃の斬り上げで以て、破戒僧と百足モドキを切断する。

 破戒僧が悲鳴を上げて手を伸ばし、そして幻影破戒僧と共に散っていく。リザルト画面が表示される。

 これで形代ゲージは5体ネームド分の5つと初期の1つを合計6つになった。6倍ともなれば余裕は生まれたが、長期戦ならばギリギリであり、連戦ならば枯渇しかねない。だが、形代流しや形代流し・黒転を用いれば十分な運用が出来ると証明された。

 

「ラーニング能力は……【霧海の幻影】か」

 

 エイジは渋い顔をする。幻影を召喚する能力の方が使い勝手は良いからだ。霧隠れして幻影によって攻撃する能力は確かに強力であるが、霧の外からは本体が丸見えである上に奇襲も容易ともなれば致命的な隙になりかねない。事実として、破戒僧の第2段階を楽に突破できたのはノイジスという観測者のお陰だ。

 燃費も悪く、つらぬきの刃とほぼ同等の魔力量を消費する。スタミナ消費型で汎用性・応用性共に高い毒手と霧がらす、形代消費型の鬼火の剣、ここぞという時の奥の手に使える猿狂と良質なラーニング能力が続いていただけに、エイジは素直に残念に思う。

 だが、霧海の範囲次第では密閉空間での対多人数戦において絶大な効果を発揮するだろう。使いどころを誤らなければ効果は絶大である。

 

(とはいえ、そろそろダーインスレイヴの『容量』が厳しくなってきたな。やはりつらぬきの刃が重い)

 

 熟練度の上昇でダーインスレイヴのラーニング能力の容量も増えてはきたが、無限にストックできるわけではない。つらぬきの刃はネームドにも通じる一撃必殺も可能とする大火力だが、隙が大きい。威力と燃費を抑えた、つらぬき・形代流しも編み出したが、それでも容量を食うのはいただけなかった。

 武器は使えば使うほどに熟練度が上昇して性能が引き上げられる。だが、無名の剣士とは鍛錬ばかりで、倒していたのは猿ばかりともなれば、熟練度が大幅に上がり始めたのはネームドを本格的に倒し始めてからである。

 容量がパンクするのが先か、熟練度上昇で容量を確保できるのが先か。エイジはもう1つの容量を食う能力である蠱毒融合を失うわけにはいかない為、外す候補はつらぬきの刃だろう。

 世界の輪郭が崩れる。エイジは橋の向こう側……霧に覆われて見えない先に思いを馳せる。

 破戒僧は門番だったのだろう。あの向こう側には何があったのか定かではない。だが、蠱毒の穴に囚われてもなお拭えぬ使命だったのだろう。

 エイジは考える。これまで倒してきたネームド達はそれぞれの記憶や情念に囚われていた。過去であり、故郷であり、使命であり、執念だった。それらが形作った世界だったのだ。

 ならば荒れ寺は……と、エイジは考える。考えても仕方がなく、これより対峙せねばならないと分かっていても思い浮かべてしまうのだ。

 瞼を開く。だが、違和感があった。仏を彫る音色が聞こえないのだ。

 作業道具だけを残して仏師は消えていた。エイジは仏師の作業道具を手にすれば【仏師の工具】を入手する。≪鍛冶≫スキルがあれば自前で整備もできるかもしれないだろうが、スキルを持たないエイジには売却して金に換えるか、それとも思い出の品になるかのどちらかの道しかない。

 変化は他にもあった。今まで灰色だった空が明確に夜へと変じていたのだ。そして、荒れ寺から直進した先にある崖の空は煌々と炎の赤色で染め上がられている。

 

「お、おい!? こりゃなんだよ!? 仏師殿は何処に行っちまったんだよ!?」

 

 動揺するノイジスを放置してエイジは真っ直ぐにムライの元へと向かう。

 だが、研究の全てだったはずの岩盤は綺麗に掃除されて紙1枚と残っていない。

 何処に行ったのか、エイジには分かったような気がした。彼は燃え上がる空を最も近くで見届けられる崖際へと向かう。

 

「よう。やっぱり無事に帰ってきたな」

 

 夜と雪と炎。幻想的とは呼べない悲壮感を漂わせる。そして、微かに何かの声が聞こえる。だが、それは人間とも獣とも違う、だが底なしの情念で塗り固められた声だった。

 

「酷く哭いてやがる。そう思わねぇか?」

 

「……ああ」

 

「まぁ、こっち来いよ。祝いの酒を準備した」

 

 猿酒か。崖際で胡座を掻き、夜空を焼く炎と変わらぬ雪を肴にして酒を飲むムライの隣にエイジは腰を下ろす。

 差し出されたお猪口は仏師のものだ。エイジは受け取り、注がれた猿酒を見つめる。

 酷く辛く、また風味も雑な酒だ。混ぜ物があっても気付かないだろう。エイジは一口だけ飲む。

 ああ、馬鹿馬鹿しいくらいに『甘い』酒だ。分かりやすいくらいに酒の味が変わっている。疑えと言わんばかりに。エイジは奥歯を噛んでムライを横目で睨んだ。

 

「……騙すなら騙しきってくれ」

 

「ははは、やっぱり気付かれてたか。何処でだ?」

 

「最初から疑いはしてた。決定的になったのは、仏師殿に盗み聞きさせてもらった時だ」

 

 エイジは全てを語らなかったが、いつの会話を聞かれたのか察したのだろう。嬉しそうに、だが同時に悲しそうに舌打ちして空を見上げる。

 あれ程までに澄んだ空気だったはずなのに、今は灰の香りが薄らと鼻孔を撫でる。

 夜空は星も月も無く、淡々と闇ばかりを語りかけ、故にどうしようもない孤独感をもたらす。

 

「まぁ、アレだ。お前が混ぜ物を見抜けなくて麻痺になっちまったら、それこそ格好付かないからな。ほら、お前って酒の味が分かるほどに大人じゃねぇしな」

 

「もう大人だ」

 

「まだまだガキだよ。それでいい。大人ってのはな、ずっと抱いていたはずの夢を諦観し、損益を計算して妥協し、現状への不満と不安を愚痴を吐きながらも順応し、我が身と少しばかりの大切な人やモノの為に保身する。それが大人なんだよ」

 

 ムライは薬が混じった猿酒を崖に放り捨てる。ふと、エイジが下を見れば、崖には幾らかの赤い染みが付着していた。

 

「もう生き残りは俺達だけだ。他の連中は俺が殺った。振る舞った酒や飯にたっぷり睡眠薬を含ませておいた。苦しまずに死んだだろうさ」

 

「余計な真似を……。僕がすべきことだ。僕が殺さないといけなかった。背負ったつもりか?」

 

 ふざけるな! エイジはムライの胸ぐらを掴もうとして、だがそれさえも彼の掌の上で踊らされているような気がして手を止めた。

 

「馬鹿野郎。そんな殊勝な心がけじゃねぇよ。死ぬ前の身辺整理だ。連中は生きた屍だ。心が死んで、脱出を諦めて焚き火を囲って粗末な飯を食む。時間加速の影響はデカい。たとえ、『上』で順調に攻略が進んでDBOから解放される日が来ても、その前に心も頭もぶっ壊れてるだろうさ」

 

 そもそも、アイツらのどれだけに現実世界の肉体があるのか分かったもんじゃねぇからな、とムライは淡泊に付け加えた。

 

「『これで良かったんだ』とは言わねぇよ。アイツらは『生きたかった』。ただそれだけだ。誰にも否定できない、生物として当然の欲求にして本能だ。『死にたくない』って恐怖に負けるのは……俺は間違いじゃないと思ってる。それが普通なんだ。それが当たり前なんだ。生存本能に基づいた死の恐怖を超えて戦い続けられる奴らの方が絶対的少数であり、狂っているんだ」

 

 確かにその通りだろう。エイジは貧民街から成り上がったからこそムライの発言は真実だと同意できた。

 DBOの過半を占めるのは下位プレイヤーだ。最上位のレベルによって区分されているが、現在では下位プレイヤーとはレベル20以下を指す。

 DBOにおける20の壁。レベル20、40、60と20の倍数毎に必要経験値が大幅に上昇し、より効率的かつ危険な経験値稼ぎを行わなければならない。EXPキャップもあるので、同じモンスターばかり倒し続けることもできず、新たなモンスターやフィールド、ダンジョンに挑戦しなければならない。

 逆に言えばレベル20の壁を超え、レベル21に至ったプレイヤーは中位プレイヤーに区分される。相応の戦闘技術を身につけ、経験を積んだ証とみられるのだ。そして、20の壁を何度も何度も超え、レベル80に到達したプレイヤーを上位プレイヤーと呼ぶのである。

 常に未知へと挑む最前線とは違い、情報も揃った既知とはいえ、DBOの難易度は桁外れだ。より水準レベルが高まれば高まるほどに死亡率は増える。

 故にスキル枠の増加が最も多いレベル20迄がいわゆる『天井』として、生産職でもレベル20に到達して初めて『就職』できる場合が多い。

 レベル20に至る方法は様々だ。ソウル系アイテムを使う。多額の借金をして大ギルドや有力ギルドの就職支援を受ける。実入りは少なくとも徒党を組んで地道にモンスターを地道に倒す。

 だが、そもそも『最初の1歩』を踏み出せない、あるいは踏み出したはいいが心を折られてしまった者が大半だ。終わりつつある街周辺のフィールドでは雑魚の部類の野犬、猪、スケルトンでさえ、下手な遠距離攻撃は回避・ガードして迫ってくる。死の恐怖が牙を剥くのだ。

 それがDBOだ。レベル100に到達したプレイヤーが『水準レベル1』の犬ネズミの群れに囲われて死亡した事例は後を絶たない。エイジが成り上がる要因となった上位プレイヤー殺害も、大部分は犬ネズミの群れのお陰である。

 

『死を恐れよ。それは生ある者の義務なのだ』

 

 エイジはエリートプレイヤー候補生時代に、耳が痛くなるほどに聞かされた警句を思い出す。

 

「そうだな。死は恐ろしい。認めるよ」

 

「意外だな。お前は馬鹿にすると思ってたんだが」

 

「……僕だけは絶対に否定できない。この先、何があろうとも」

 

 エイジは自分がFNCである事をムライに明かす。本能が感じ取った恐怖によってアバターが制御不能になる障害に、ムライは呆然として、研究者としての顔で口元を手で覆った。

 

「本能的恐怖が優先的にアバターの制御を占有する。だから、恐怖を完全に押し返す精神力に依存した闘争心によってレギオン・プログラムによるFNCの克服を可能とする。あー、糞! まさかこんな所に運動アルゴリズムの謎を解き明かせるかもしれない大ヒントがあったなんて! ちくしょぉおおおおおおおおおおお!」

 

 本気で悔しそうに叫ぶムライは立ち上がり、地団駄を踏んで暴れた後に改めて座る。

 

「しかし、話していいのか? レギオンと組んでるとかテロリストが可愛く見える反逆行為だぞ」

 

「これから死ぬ奴に何を教えてもいいだろ」

 

「そりゃそうだ」

 

 ムライは笑う。この世の全てがどうでもよくなったかのように、だが確かな未練を感じさせる笑い声を上げる。

 

「俺達親子は茅場晶彦に負けた。負けを認めたからこそ親父は死を選んだ。俺は負けていないと醜く足掻いて、茅場が残した謎を……運動アルゴリズムの秘密を暴こうとした」

 

「まだ負けていない。僕が殺すまで、あと何分か残ってる」

 

「……お前、やっぱりスゲェよ。俺はお前のお陰で気付いた。分かったんだ。俺はもうとっくに『負け』を認めてるんだ。俺が……俺が認めたくなかったのは……」

 

 ムライの双眸に涙は無い。もはや心が枯れ果てているのだろう。後悔と無念の涙を流すには、あまりにも遅すぎたのだろう。

 

「俺が認めたくなかったのは、俺を信じてくれた女を裏切っちまったことだったんだ。俺が目指した仮想世界を……自分の夢のように願った、たった1人を……」

 

「くだらないな」

 

「おお! バッサリ言うじゃねぇか! まぁ、それがお前の美点だと思うぜ」

 

 エイジを褒め、腹を抱えて自嘲したムライは、懐から煙草の紙ケースを取り出す。

 

「……俺は目を背けてたんだ。アイツと向かい合うべきだったんだ。負けを認めて、茅場が変えちまった世界で、アイツに新しい夢を見せてやれば良かったんだ。親父から受け継いだだけで、本当は夢も何も無かった空っぽの俺にとって……アイツが夢見たありもしない俺の夢こそが……俺達の……」

 

 エイジは自分をムライに重ねる。『悠那』と『ユナ』、どちらも『皆の為に歌って救う』事が夢だった。何よりも大切な願いだった。そして、エイジは夢も何も無く、なりたい自分など欠片も存在せず、彼女たちの願いの成就こそが願いだった。

 エイジは『ユナ』の夢を途切れさせ、『悠那』の夢を奪った。エイジは憎しみのままに空を見上げても、夜空に星はない。

 

「俺は殺した。蠱毒の穴から『生きて帰る』為に戦った奴を殺した。俺を信じて酒を持ってきてくれて、ネームドの1体を倒して、麻痺薬が盛られてるとも知らずに俺が注いだ酒を美味そうに飲んだ奴を殺した。一緒に落とされたギルドの仲間も含めて『全員で帰る方法はある』って諦めなかった馬鹿を……殺した」

 

 ムライはエイジにしたように、支援を申し出たのだろう。そうして美味い汁だけを啜るつもりだったに違いない。だが、ムライの予想に反して強かったのだ。

 

「『どうして?』って死に際に問われたよ。トドメを刺したのは俺だが、ギルドの仲間にも囲われて麻痺して動けない間に殺されちまったんだから哀れなものさ」

 

「……その仲間は?」

 

「今は崖の染みになっちまってるよ。まぁ、眠ってる間に死ねたんだからその分だけ安らかってもんさ」

 

 ムライは焦ったのだろう。ソロ専用とはいえ、ネームドの1体を倒したのだ。その事実だけで蠱毒の穴を攻略する光が差し込む。『生きたい』と願う者達にとって絶対悪が生まれたのだ。

 そして、ムライは殺した。自分を信じて慕ってくれた人間を殺して、命を繋ぎ止めて時間を得た。

 

「俺は生きたいと願った。生きたかったんだ。まだ負けていないと叫ぶ『フリ』を続ける為に、俺を信じて愛してくれた女に背を向けて、俺を信じて慕ってくれた馬鹿を殺した」

 

「…………」

 

「お前は諦めなかった。アイツみたいに最初からネームドにも勝ち目があるほどに強いんじゃなくて、自分に足りないものを探して、何度も何度も試して、死にかけて、その度に強くなって……そして、気付いたらネームドを倒すまでに成長していやがった」

 

 ポケットからライターを取り出したムライは咥えた煙草に火を点けようとするが、もうオイルが無いのだろう。火花が散るばかりで着火しない。

 エイジはダーインスレイヴを抜くと瞬く炎の武器を発動する。煌めく呪術の炎をムライは見惚れるように直視し、咥えた煙草を押しつけて火を宿す。

 

「お前は俺とは違って『まだ負けていない』って抗い続ける者なんだって認めちまったんだよ。瞬間に裏切る気なんて吹っ飛んじまった。お前のお陰で、俺は残された時間で、本当の意味で茅場晶彦の思惑を超えてやろうって願った。だが、天才の称号を欲しいままにした俺も、茅場晶彦に比べれば凡才どころか無才だ。運動アルゴリズムの秘密は解き明かせなかった」

 ムライがポケットから取り出したのは記憶媒体クリスタルだ。彼はそれを無造作にエイジへと放る。

 

「持って行け。外の論文と俺自身で観測したデータが詰まってる。DBOの現状がどうなってるのか知らねぇが、金にも交渉材料にもなるはずだ。お前の役に立つ」

 

「諦めるのか。まだ時間は……!」

 

「『諦めてた』んだよ。お前のお陰で本気で挑んでみたが、才能の壁は分厚かった。それだけだ」

 

 ああ、そうか。ムライはもう『満足』してしまったのだ。『まだ負けていない』と進み続けるのではなく、足を止めて敗北という結果を甘んじて受けることを選んだのだ。途中で諦めようとも、最後は抗ってみせたという、誇りにすらならない意地だけを胸に、終わりを選んだのだ。

 エイジは自然と拳を握る。ムライには最後の1秒まで抗い、諦めずに茅場晶彦に挑んでほしいと願う自分がいることに憎しみを覚える。どんな感情も憎しみに食い尽くされる自分を憎む。

 

「……1本くれ」

 

「吸った事はあるのか?」

 

「酒、煙草、女、賭博、暴力……ドラッグ以外は経験済みだ」

 

「へぇ、俺と同じでクズの素質があるぜ。だけど、まだまだだな。どうせ、感情の行き場を探したんだろ? 本物の大人は諦観と堕落から溺れるんだ。お前とは次元が違うんだよ」

 

「さっさと寄越せ」

 

 エイジが急かせば、ムライは煙草を取り出し、エイジは咥える。

 癖だったのだろう。ムライはライターを鳴らし、今度は僅かに……最後の輝きを見せるように火が点る。

 驚くムライとエイジは互いに紫煙を漂わせる。

 もう分かっている。ムライが煙草を吸い終えた時、エイジは殺す。殺さねばならない。いつまでも座ってはいられない。止まってはいられないのだ。

 

「煙草なんて吸うつもりは無かった。ストレス解消のつもりで手を出して、いつの間にか抜け出せなくなっていた。蠱毒の穴のお陰で禁煙だけは身につけられたな」

 

「…………」

 

「おいおい! 今のは笑いどころだぜ?」

 

「さっきの話だが、まだ負けていない『フリ』を続ける奴が、命懸けの挑戦をするとは思えない」

 

 ムライは命を擦り減らしてDBOにログインしながら自身の体を使ってデータ収集を行っている。少しでも時間を稼ぐ為に蠱毒の穴に来たはずだ。

 最初から諦めていた者が命懸けになるだろうか。エイジの問いに、ムライは馬鹿にするように鼻を鳴らす。

 

「やっぱりお前はガキだな。諦観、妥協、順応、保身を知って大人になる。だがな、だからこそ見栄を張るんだ。自分が死ぬことになると分かっていても、誰かの評価や期待に……恐怖に負けて見栄を張るんだよ」

 

「…………」

 

「まぁ、気にするな。俺の大人論なんて、俺みたいなクズな駄目人間を基にして生まれたもんだ。もう少し真っ当な奴なら、格好いい大人論を語れると思うぜ。お前はご立派な奴が語る大人を基準にして目指せ」

 

「ああ、そうする」

 

「そうしろ」

 

「だけど、ムライの言う大人も嫌いじゃない。諦観、妥協、順応、保身、見栄……格好悪いかもしれないけど、それでも……ムライが見つけたものなんだろう?」

 

 心からの本音だ。目指す気など欠片も起きない大人像であるが、子どもの頃に抱いた夢や希望の残骸を掻き集めたスクラップのようなムライの大人像は、何処か人肌にも似た温かさを覚えるのだ。

 

「……そうか」

 

 燃え尽きる。ムライは煙草の吸い殻を崖から投げ落とし、ゆっくりと立ち上がると腰を反らす。

 

「しかし、アレだな。リアルに近付かせすぎるのも問題だな。肩こりも腰痛もあるとか、もう少し仮想世界に夢を残しておけよって言いたくなるぜ」

 

「…………」

 

「そろそろ解放してくれ。肩が重くて重くて仕方ねぇんだ」

 

 ムライは笑いながら崖を背にして腕を広げる。エイジは立ち上がってダーインスレイヴの切っ先を彼の心臓に向ける。

 

「覚悟は出来てたつもりなんだが、いざとなると足が震えちまうな。『もっと生きたい』って願っちまうんだよ。本当に、俺は何処までも……負け犬だ」

 

「そうだな。でも、僕は……まだ負けていない。ムライを殺してでも、前に進み続ける。だから……だから……だから……!」

 

 ムライは笑う。

 涙を流さず、だが寂しそうに、悲しそうに、だが何よりも嬉しそうに……笑って、嗤う。

 

「おいおい、あれだけ大層な物言いしておいて、そんなツラするんじゃねぇよ! いつもの仏頂面はどうした? お前が……お前がそんな顔をするなら……俺は見栄を張るしかねぇじゃねぇか!」

 

 全身を震わせたムライはエイジに煙草の紙箱を投げつける。彼の額に当たって落ちたそれにはまだ残りがあった。

 あれだけ我慢していたのだ。死ぬ前に全てを吸ってもエイジは文句を言わなかっただろう。だが、彼は拒絶した。これ以上の死の先延ばしを否定したのだ。

 

「俺を殺せば、生き残ったプレイヤーはお前だけになる。仏師殿への道が開かれるはずだ。頼む! 仏師殿を終わらせてやってくれ! 仏師殿を怨嗟の炎から解放してやってくれ! エイジ!」

 

 ムライの悲鳴にも似た願いが脳髄に響いて染み込む。

 だが、何も感じない。ムライの願いさえも憎悪で塗り潰されている。

 だから、エイジは吼える。『人』とは呼べぬほどにおぞましく、だが『獣』と呼ぶには煮え滾った、『鬼』の慟哭と共に駆ける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダーインスレイヴはムライの心臓を貫いた。生温かな血はエイジを染め、彼の目から光が失われる瞬間は脳裏に焼き付き、そして力が抜けた遺骸はゆっくりと崖下へと落ちていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……エイジちゃん」

 

 普段のやかましさを感じさせない、ノイジスの沈んだ声を背中で受け止めたエイジは、自分の頬に触れる。

 涙は無い。涙なんて流しているはずが無い。指先に付着したのはムライの血だ。血なのだ。彼が死の恐怖に立ち向かい、最後にもう1度だけ負けを認めずに這い進めた証なのだ。

 だから涙など流すはずが無い。彼の死さえも憎悪に食い尽くされている自分が……涙を流すなどあり得ないのだ。エイジは血染めのダーインスレイヴを払うと背負い、ノイジスが涙を流しながら咥えた煙草の紙箱を受け取り、彼の研究成果と共にアイテムストレージに収納する。

 荒れ寺に戻れば、仏師がいつも座っていた場所に鬼仏が出来ていた。禍々しい紅蓮の炎で半ば炭化している鬼仏の前に座したエイジは、最終チェックを行う。

 もはや物資の補給は不可能だ。ここから先は戦い抜く以外の選択肢は無い。だが、たった1つしかないとしても、エイジは自分の意思で選ぶのだ。

 

「行くぞ、ノイジス」

 

「……おう!」

 

 

▽      ▽      ▽

 

 

 鬼仏が導いた先は戦場だった。日本風の朱塗りの甲冑武士や足軽が多く倒れ、また半壊した物見櫓や柵、辛うじて形を残した大手門がまず目に付いた。そして、大手門の先にあるだろう本城は煌々と燃え落ちていく最中だ。

 真夜中の城攻めであり、だが大手門は閉ざされたまま本城が攻撃を受けたともなれば既に内々まで潜り込まれていたのか。何にしても戦況は攻め手の圧倒的有利だろう。

 いや、目を背けるのは止めよう。エイジはダーインスレイヴを抜き、戦場の主……武者達を一方的に殺す巨大な赤い影へと歩み出す。

 全高は10メートルにも至るだろう人型。だが、それはまさしく日本人が普遍的にイメージする赤鬼に近しい。耳まで裂けた口と恐ろしい牙、額からは禍々しい2本の角が生えている。頭髪と半ば一体化するように首裏から背中にかけて赤毛が生えている。腹部は毛に覆われておらずに皮膚が露出しているが、あばら骨が浮き出る程に痩せており、やや膨らんだ下腹部も含めた餓鬼を彷彿させる。

 だが、何よりも異形なのは左腕だ。肘から先が物質化した炎のようであり、捻れながらも先端には確かな手を模っている。残る右手と足は胴体に不釣り合いな程に痩せているが、およそ貧弱な印象を与えない。

 その名は【怨嗟の鬼】。ネームドであり、HPバーは3本ある。

 武者達を焼き尽くした怨嗟の鬼は、エイジに気付くと腰を踏み、右手を差し向けて、まるで歌舞伎のように見栄を切る。鬼のような外観でありながら、何処となく猿……猩々を思い浮かばせた。

 

「仏師殿……」

 

 もはや言葉は通じないだろう。理性も残っていないのだろう。だが、それでも怨嗟の鬼の正体はハッキリと分かるのは、本人とムライに頼まれたからではない。たとえ異形になろうとも、確かな面影あるからだ。

 仏師もまた『鬼』に至ったのだろう。だが、鬼の道を突き進まずに仏を彫り続けた。

 何故? その理由はこの姿にあるのだろう。怨嗟の鬼……まさしく怨嗟の炎に焼かれて狂った鬼がいた。

 たとえ、道半ばで足を止めようとも、仏をどれだけ彫ろうとも、1度でも『鬼』に至った者は戻れないのだという、今まさに鬼の道を歩むエイジへの、仏師からの悲壮なる慟哭がそこにあった。

 

「こ、こんなの……こんなの無いぜ、仏師殿!?」

 

 泣き叫ぶノイジスであるが、怨嗟の鬼はお構いなしに攻撃を仕掛けてくる。起伏は激しきくないが、死体や柵といった障害物が多い戦場跡だ。それらを関係無しに攻撃・移動が出来る怨嗟の鬼とは違い、エイジは位置取り1つでも間違えれば死ぬだろう。

 近寄った怨嗟の鬼は右腕を振るい、蹴りを放ち、踏みつけで追撃する。いずれも巨体を活かした肉弾戦であるが、エイジがまずは動きを見ようと中距離を維持すれば、捻れた左腕を伸ばし、大きくリーチを伸ばして斧の如く叩き付ける。

 瞬間に大地は甲冑を身につけたままの遺体を燃やし尽くす程の高熱に支配される。怨嗟の鬼が左腕で扱う炎は普通の炎よりも煌々と輝く紅蓮である。

 

「つ、罪の火!? マジかよ!?」

 

「知ってるのか!?」

 

「似てるだけで同じじゃねぇかもしれねぇが、心当たりはあるぜ! 剥げ竜が研究してたからな! エイジちゃん、絶対に当たるなよ! 野郎の炎が罪の火と同じ性質なら簡単には消えねぇはずだ! まともに喰らったら肉も骨も炭になるまで燃え続けると思え!」

 罪の火。何処かで聞いたことがある。エイジは必死になって記憶を捲り、そしてエリートプレイヤー候補生時代の講義を思い出す。

 DBOには歴史が存在し、それらを事前に知っておく事で、現場ではノーヒントであっても危機を脱するのに役立つ。その中で登場したのは、巨人ヨームが統治し、だが罪の火で住民は焼き払われた罪の都だ。

 DBOでは今のところ罪の都と名付けられたステージ、ダンジョンは発見されていないが、罪の火は強欲と悪徳に溺れた都の住人だけを焼き払い、その後も燃え残ったとされている。

 はたして都を焼き払った罪の火は神罰だったのか、それとも全く異なる原因だったのか。クラウドアースの調査力でもまだ真相の解明には至れておらず、そもそも解き明かせる資料がDBOに存在するのかも怪しい。

 だが、ノイジスは肉体とソウルを白龍シースに弄ばれたからこそ、ある程度の知識を得ているようだった。

 エイジは怨嗟の鬼の炎が消えるまでの時間を計測するが、バラバラで役立たない。だが、可燃物がなくとも長く燃え残る性質があるようだった。

 DBOにおいて最も恐れられている火は何か。多くのプレイヤーは混沌の火と答える。イザリスに由来する混沌のデーモン達が放つ炎は粘性を持ち、また高熱の溶岩を生み出す。これらによって溶岩のスリップダメージ地帯を意図して生み出すこともできれば、直撃させた後も追加ダメージを狙えるからだ。

 モンスターが使うだけでは無く、PvPでも猛威を振るっている。特に高位の混沌の呪術は一発逆転の切り札になるだけの火力を実現し、その中でも特に有名なのがユージーンのイザリスの焔火だ。発動から攻撃まで時間はかかるが、大規模な破壊をもたらす超巨大な火球を放つ大呪術であり、≪剛覇剣≫と並んで超大型モンスターにも決定打を与えられる事で有名だった。

 混沌の魔女イザリス。最初の火を生み出そうとして暴走してしまい、異形の生命……デーモンを生み出した。他にも彼女は火に関連して多くの負の遺産を残している。蠱毒の穴のクリア報酬である瑠璃火もまた、神族から願われたとはいえ、イザリスの罪の1つなのだ。

 仏師はどうして蠱毒の穴にいたのか。よもや瑠璃火を求めたわけではないだろう。迷いがらすや獅子猿のように望まずして潜り込んでしまったのかもしれないが、盗み聞きした時の仏師の発言から察するに、この姿を……怨嗟の炎が漏れ出すのを防ぐ為に蠱毒の穴へと入ったのだ。

 怨嗟の鬼は紅蓮の炎を操ってこそいるが、瑠璃火はまるで見受けられない。理由を考えるならば1つ、仏師は瑠璃火で怨嗟の炎を封じ込めようとしていたのだ。

 怨嗟の鬼が高々と飛び、上空からエイジに向けて巨体を利用したボディプレスを仕掛ける。

 破戒僧戦で温存した分、ここで使う! エイジはソウル・リアクターをフルパワーにして人工筋肉の運動拡張によってスピードを手に入れて、炎を利用して器用に追尾する怨嗟の鬼から逃れる。

 だが、怨嗟の鬼が地面に接触した瞬間に爆風が起こり、更に衝撃波と解き放たれる。攻撃範囲外に脱出していたエイジだが暴風からは逃げ切れず、体は容易に吹き飛ばされる。

 地面を転がるエイジに、既に立ち上がっていた怨嗟の鬼は炎の左手から無数の火球を投げつける。それらは地面に接触すると爆発し、また炎は消えずに残る。

 広い戦場であるが、怨嗟の鬼を自由にすれば、辺り一帯は簡単に火の海と化して逃げ場を失うだろう。幸いにも炎は観測した限りでも30秒程度で勢いは弱まっていくが、怨嗟の鬼に対して30秒はあまりにも長い。

 接近戦を仕掛けるしかない。敢えて怨嗟の鬼の間合いに入り込んだエイジは、右手の張り手を弾雲、続く炎の左手に刀身が触れた瞬間から高熱を全身に浴びる。

 この熱量……まずい! エイジは踏ん張らずに吹き飛ばされる事で何を逃れるが、HPは一瞬の接触でありながら3割も消し飛んでいた。

 一瞬で理解した。左腕の直撃を受ければ即死である。エイジは丸薬を食み、怨嗟の鬼の左腕を伸ばした振り下ろしを紙一重で買わしながら接近すると背中に回り込んで一閃する。

 だが、炎が縫い込まれたような赤毛には刃が通らない。炎の攻撃は左腕に集中しているが、赤毛にも高熱が帯びており、刀身は加熱されて煌々と輝く。

 核となっている本体はともかく外装ブレードは既に限界なのだ。溶解も免れない。エイジは瞬時に体ごと退いて剣を溶かされるという最悪の事態は免れるも、同時に怨嗟の鬼の倒した方はただ1つ……赤毛が覆われていない正面を攻撃するしかないと判断する。

 最終形態の破戒僧と同じであるが、難易度は雲泥の差だ。破戒僧はご丁寧に弱点を露出していたが、怨嗟の鬼は赤毛に覆われていない皮膚も一目で分かる程に硬質だ。一撃に全力を込める勢いでなければまともなダメージは与えられず、また外見相応にタフならば何回も攻撃を加えねばならないだろう。

 だが、焦りは不思議となかった。エイジを満たすのはムライを殺した際の憎悪だった。

 ムライは大人の見栄でエイジを送り出した。身勝手な男だとエイジは唾棄する。だが、嫌いにはなれなかった。まだ負けていないと抗い続けた者の1人として憶えていたかった。

 怨嗟の鬼が宙を高々と跳び、急行落下のボディプレスを仕掛ける。エイジは爆風範囲外ギリギリに逃げ、瞬間に鉤縄を飛ばす。鉤縄は怨嗟の鬼の角に引っかかり、衝撃波で吹き飛ばされるのを防ぐ。

 鉤縄を利用して接近したエイジは斬撃を繰り出し、怨嗟の鬼の顔面を裂く。だが、怨嗟の鬼は悲鳴を上げない。怯みもしない。それどころか左腕で掴みかかり、逃げ出したエイジに火球を放つ。

 距離を取れば炎上エリアを広げられる。再び間合いを詰めねば殺されるのはこちらだ。エイジはすぐに再度の突撃を仕掛けようとするが、怨嗟の鬼は炎の左手で地面を掴むと、大地を抉りながらエイジへと突進する。

 寸前で跳んで躱したエイジだが、怨嗟の鬼が炎の手で削った地面は炎上エリアとなっており、着地地点をズラそうとするが間に合わなかった。

 だが、ギリギリでノイジスがエイジの肩を掴んで投げる。パワーは足りないが、何とか炎上地帯に落下することだけは免れたエイジは、怨嗟の鬼が炎の左手を叩き付け、その反動で宙を舞いながら勢いを付けた炎の左手を振り下ろす刹那を見る。

 自分が血の染みになっているイメージが沸いた。だが、それよりも先にエイジの体は動いていた。ダーインスレイヴを両手で振るい、瑠璃の火の粉を散らす衝撃を伴った斬撃は怨嗟の鬼に明確なダメージを与える。

 

「き、効いた!? 効いてるぞ、エイジちゃん! 瑠璃火が効いてやがる!」

 

 怨嗟の鬼にこれまでになく傷を負わせ、目に見えてダメージを与えた。驚くノイジスであるが、エイジは訝しむ。

 確かにカウンターとしては完璧だったとエイジも自負している。相応のダメージが稼げるだろうとも目論んだ。だが、実際に与えたダメージ量はエイジが想定した3倍にも匹敵する。

 試さねばならない。エイジは火刃を放つ。固められた瑠璃火の刃は怨嗟の鬼の胴体に命中するが、傷1つ付いていない。ダメージがほとんど与えられていないのだ。

 火刃は投げナイフなどと同じく近接属性だ。ネームドは総じて射撃属性に対して高い防御力を誇るが、火刃ならば中距離でも近接属性で攻撃できる。

 鍔に該当する部位に組み込まれたエンジンを稼働させ、衝撃を刀身に伝導させる事で、攻撃力や弾きを強化する。それが改造ダーインスレイヴ……外装ブレードの仕組みだ。エイジはエンジンと衝撃エネルギーの伝導回路を闇の重油で汚染し、瑠璃火を延焼させる事で、後付けで瑠璃火を効率的に付与させている。

 結果、エンジン稼働によって衝撃増幅と攻撃力強化、そして瑠璃火の付与による光属性ダメージの追加、そして闇の重油の放出制御で火刃の発動を可能としているのだ。

 逆に言えば、光属性攻撃力は瑠璃火による後付けであり、大部分のダメージソースを担っているのは元の物理属性だ。エイジはこれらを踏まえ、怨嗟の鬼に通じているのはダーインスレイヴ本体なのではないのだろうかと推測する。

 だが、ともエイジはすぐに推論を否定する。鉤縄で接近した際に顔面を斬ったが、その時はエンジン稼働させていなかった為に物理属性のみだったが、それでもダメージは大して与えられなかったのだ。

 

(顔面は防御力高めなのか? 駄目だな。まだ情報が足りない。ならば、今は最速最短で不明確でも有効なダメージを与え続けるしかない!)

 

 エイジは状況を限りなく再現するべく、エンジンを稼動させた状態で斬りかかれば、やはり攻撃の通ったHPが減るだけでは無く、傷痕が刻まれて炎を含んだ血が流される。

 ダメージを与えられる。だが、それでもエイジの不利は変わらない。爪楊枝からマッチ針になった程度の違いだ。だが、エイジは迷うことなく怨嗟の鬼の懐に入り続ける。

 本来ならば体格差で怨嗟の鬼の方がインファイトは有利なはずだ。だが、怨嗟の鬼はアグレッシブに動気こそするが、攻撃の主体は炎の左手である。それさえ意識して避ければ、フルパワーの……いいや、オーバーパワーのバトルスーツならば弾きが通じるのだ。

 だが、怨嗟の鬼は唐突に弱点であるはずの頭部を地面に……エイジに振り下ろす。まるで土下座のような不格好であるが、突如とした頭上からの面攻撃には弾きが通じず、エイジは文字通り叩き潰される。

 空気が肺より漏れる。1発でエイジの動きを止めた怨嗟の鬼が左拳を握る。

 エイジを焼いて潰す。左拳は真っ直ぐに放たれたが、エイジの体を燃やすことも潰すことも無かった。

 来ると分かる攻撃ならば! エイジは霧がらすを発動させ、霧化して拳から逃れると怨嗟の鬼の腹へと毒手を放つ。連続した禍々しい毒のオーラを纏った掌底は、だが怨嗟の鬼には全く通じている素振りが見えなかった。

 せいぜい与えたのは打撃属性ダメージだけであり、それも効果は薄い。毒になる気配も全く見えない点からも、わざわざ狙って使う無いだろうとエイジは必要投資のスタミナ消費だったと割り切る。

 瑠璃火自体の効果は薄い。毒を筆頭にしたデバフも狙えない。物理……斬撃はそれなりに通る。エイジは手応えから分析を完了する。

 炎が相手ならば水属性が欲しい。だが、防御対策が難しければ、攻撃手段としても簡単には確保できないのが水属性である。エイジの手持ちのカードに水属性はない。

 

(……瑠璃火も通じないから鬼火の剣技も費用対効果は小さい。むしろ、貴重な攻撃チャンスを潰して間接的にスタミナ消費が増大する)

 

 故に、怨嗟の鬼との戦い方は、ひたすらに正面を陣取り、左手以外の攻撃は弾き続け、ダーインスレイヴで攻撃するというシンプルなものだ。

 絶対にしてはならないのは、炎の左腕を用いた攻撃が最も多彩かつ苛烈になる中距離だ。故に最も危険なのは距離を取られた後に間合いを詰めねばならない時である。

 丸薬を食みながら接近戦を仕掛けるエイジに、怨嗟の鬼は無数の火球を投げつけ、また左腕を左右に振り回す。間合い外で踏み止まったエイジに、怨嗟の鬼は大きく踏み込んで右手の掌底を繰り出すが、エイジは躱して懐に入り込んで胴を薙ぐ。

 炎を帯びた血がエイジの頬にかかる。熱い。だが、同時に心が冷たくなる。今までにない冷えた憎しみが脳髄を浸す。

 

 

 斬る。弾く。弾く。弾く。斬る。斬る。斬る。弾く。斬る斬る斬る斬る斬る斬る、斬る! 

 

 

 エイジは右手と足、ボディプレスや頭突きを弾き続け、炎の左手は躱し、逃げれば苛烈な中距離攻撃を潜り抜けて接近を繰り返す。じわじわとHPを削り続ける。

 一撃死のリスクと同様にスタミナ管理が重要となる。DBOにおいてスタミナ管理は基礎にして奥義だ。

 全く同じ装備、同じスキル、同じCONであっても、スタミナ管理技術によって継戦能力には天地の差が出る。

 

『体幹を乱すな。どれだけ激しく動いても体の芯は常に安定させろ。それだけでスタミナ消費量は激変する。「止まらずに戦い続ける」なら必須だよ』

 

 ライドウの教えが木霊する。普段はふざけた態度でも、いざ戦闘技術を叩き込む時は他の誰よりも真剣だった。『ユナ』の仇であろうとも、あの男から多くの技術と知識を得たのは確かだ。

 エイジは弾きによって相手の衝撃耐性を削る……即ち体幹を崩す戦いをする。だからこそ、自分自身の体幹も自然と意識するようになった。

 戦場を縦横無尽に暴れ回る怨嗟の鬼に振り回されるように駆けても、アクロバティックに動いても、エイジの体に通った芯……体幹は揺るがない。たったそれだけでスタミナ消費の目安となる呼吸の乱れは減るのだ。

 だが、それだけで切り抜けられるのがネームド戦ではない。ソロ専用とはいえ、怨嗟の鬼のタフさはソロの調整では無く、もはや通常と変わりがなかった。

 蠱毒の穴のネームド……特に無名の剣士が弱かったとは言わない。だが、タフネスの1点ではあくまでソロ専用ダンジョンとしての調整が施されていた。大型の部類である獅子猿や耐久面で秀でた破戒僧ですらそうだったのだ。

 だが、怨嗟の鬼は違う。タフさはパーティ単位……いや、レイドで挑む通常の大型ネームドとは変わらない。加えて総合力では間違いなくネームドでも上位に食い込むだろう。

 故に今までになく求められるのはスタミナ管理である。スタミナ消費を度外視した動きを取れば、一時的な優勢は取れる。だが、ソロでは寿命を縮めるだけである。序盤である第1段階でスタミナ消費を無視した戦いをすれば、必ず倒れるのはプレイヤー側だ。

 これが集団戦であったならば、仲間を助けにして、ある程度はスタミナ消費を考えない戦いもできる。仲間が増えて攻撃が集中しないだけでスタミナを回復させる時間を挟むことが出来るからだ。仲間がいるだけ戦闘時間も短くなるからだ。

 だが、ソロは違うのだ。どれだけ総合力は高くとも、継戦能力が低いという1点で負ける事になるのだ。火力で強引に覆せる程にネームド戦は甘くない。DBOでも瞬間火力ならばを【黒の剣士】さえも上回るユージーンがネームド単独討伐について、あの傲慢不遜の性格でありながら、激戦かつ死の予感が常にあったとインタビューで公言している事からも明らかだ。

 エイジは感じる。蠱毒の穴において培った全てを試されているのだと。体感時間で1年以上も鍛錬に費やし、死闘の中で身につけた全てを昇華させて行き着いた今をぶつけるのだ。

 ついに怨嗟の鬼のHPバー1本目が削り尽くされる。怨嗟の鬼は両膝をついて蹲り、右手で顔面を押さえて唸る。

 

「ど、どうしちまったんだ? これで終わりか?」

 

 もう戦いたくないという本音が漏れているノイジスに、エイジは無言で否定を突きつける。

 怨嗟の鬼の炎がより強まる。まるで怨嗟の鬼を焼き焦がすように。

 

「怨嗟の炎か……」

 

 あの炎こそが怨嗟の鬼を倒さねばならない理由である。

 いいや、違う。エイジはダーインスレイヴを構え直し、己に問いかける。

 怨嗟の鬼を殺すのも、ムライを殺したのも、無名の剣士を殺したのも、何もかも己の意思だ! 状況や環境を理由にはしない! 他でもない自分の意思で殺したのだ!

 だからこそ、憎悪の炎は燃え上がる。怨嗟の炎に抱くべき全ての感情を塗り潰し、『力』を求める1点に集中する!

 怨嗟の鬼が大きく跳んで距離を取り、まるで踊るように上半身を揺らす。その巨体の周囲に火の玉……否! 燃え上がる形代が迫る!

 エイジはこの時になってようやく瑠璃火の残量を形代という分かり難い形でゲージ表示しているのか理解した。全ては仏師が作り上げたのだ。瑠璃火自体はイザリスが創造したものであるが、瑠璃火を今の形にまで引き上げたのは仏師だったのだ。

 何を思って瑠璃火を鍛え上げたのだろうか。持てる知識と経験を注ぎ込み、仏を彫る傍らで己の技を叩き込んだのだろうか。あるいは瑠璃火が仏師を利用して育ったのか。

 燃え上がる巨大な形代は火球より追尾してくる。エイジは速度で振り切るが、怨嗟の鬼は左手を上空へと大きく伸ばすと炎を噴火のように放ち、星無き夜空は煌めきに覆い尽くされる。

 火球が流星雨のように降り注ぐ。広い戦場の7割が炎の海と化し、その中で怨嗟の鬼は地面を左手で抉りながらエイジに突撃する。

 同じ手は2度も喰わない。視覚警告でタイミングを完璧に見切って跳び、逆に怨嗟の鬼の顔面に膝蹴りを浴びせるも、質量とパワーの差から効果は無く、エイジの背後の遙か先まで駆け抜けた怨嗟の鬼は、あろうことか急速反転して着地したエイジへと迫る。

 霧がらす……いいや、まだ使えない! 無名の剣士とは短期決戦であったが故にあらゆる消費を惜しまなかったが、通常ネームドに近しい耐久力を持った破戒僧戦では霧がらすの乱発はスタミナを大きく消費した。

 あくまで常用すべきではない、回避とカウンターを兼ねた技だ。エイジは炎が掠める寸前で身を転がして躱し、だが通り抜けた怨嗟の炎が左足を大きく掲げ、炎の左腕を猛らせているのを目視する。

 視覚警告が発動するも遅い。炎の左腕を地面に叩き付けた怨嗟の鬼は、自身から扇状に伸びてる炎を放出する。それは大地を焼きながらエイジに回避を許すことなく呑み込む。

 直撃を受けたエイジは吹き飛ばされて地面に何度も叩き付けられて鞠のように跳ねる。だが、エイジに纏わり付く炎は消えない。大地と同じくエイジを燃やし尽くすように纏わり付く。

 属性攻撃には固有デバフが存在する。炎属性ならば熱傷でHP回復関係が制限され、雷属性ならば感電でスタン耐性が大幅に削られる。これらは蓄積して発症しない限りはどれだけアバターの外見に症状が見られても問題ないが、システム的には明確化されていない即時効果も幾つか存在する。

 水属性ならば体が凍り付いて動作が制限されるように、炎属性は体が燃え上がることによって継続ダメージを受ける。これを炎上状態とプレイヤーは呼ぶ。とはいえ、防具にもよるが、たとえドラゴンのブレスの直撃を受けようとも炎上状態にはならない。火力ではなく炎上になる可燃物の有無……油などを被っていたかどうかなどが左右する。また、それも建物などのオブジェクトならば長時間の燃焼は可能だが、プレイヤー・モンスターの鎮火は比較的容易である。

 ただし、プレイヤーが意図して炎上状態を狙って開発されたオイルもある。あくまで対モンスターという名目であるが、3大ギルドの使用用途はいずれも対拠点攻略及び対人だろう。だが、そうしたオイルがもたらす炎上の継続ダメージは効果が薄く、また防具に対策を施すべきと周知されている。

 しかし、エイジの全身を焼く炎は消えない。加えて高威力の火炎放出を引き継いでいるかのような高熱であり、炎上による継続ダメージはまるでレベル5の毒を受けているかのようにHPを削っていく。

 エイジの防具は機動力重視であり、防御面はせいぜい雷属性防御力に秀でているくらいである。怨嗟の炎は並の炎上対策だけではなく、高い炎属性防御力が無ければ、炎上を防げないのだ。

 いや、そもそも防げるものなのだろうか。皮膚は爛れ、肉は焦げ、骨は炭となる中でエイジは怨嗟の炎と向き合う。

 単に炎上性能に秀でているだけではない。より深い・・・・・業のようなものを感じる。全身が火達磨になったエイジのHPは奪い尽くされる中で、怨嗟の炎とは何たるかを理解する。

 

「エイジちゃん!」

 

 回生。炎は消え、エイジの体は復元されて再び立ち上がることを許される。代償として頭上からノイジスがソウルの霞となりながら落下する。

 

「仏師、ど、のを……たの、む……ぜ! 俺様には……わか、る……終わらせて――」

 

 ムライも、ノイジスも、仏師殿も……どうして僕なんかに頼むんだ。どうせ立ちはだかる敵なのだから斬る……殺すのは必然だろうに、どうして?

 

「あぁあああああああああああああああ!」

 

 どうして、僕は叫ぶんだ? どうして、僕は憎しみ以外の何も残っていないんだ? どうして、僕は……僕は……僕は!

 怨嗟の鬼が放つ形代の炎を潜り抜け、再び接近戦に持ち込む。中距離・遠距離攻撃は増えた。ならば近接戦は!? よりスピードが増した格闘戦を仕掛けてくるが、特異な能力は見られない。

 ダーインスレイヴのエンジンが唸り、ギアを上げ続け、衝撃と共に瑠璃の火の粉が刃の軌道で散る。怨嗟の鬼を刻み続ける。

 怨嗟の鬼は掬い上げるように炎の左手を振るうが、エイジは股下を抜け、あらゆる攻撃を大幅に減衰させる赤毛へとダーインスレイヴを突き刺す。

 赤毛はあらゆる攻撃に対してガード状態となって攻撃を軽減する竜の鱗と類似している。ならば、鱗と同様にダメージ到達深度が赤毛を突破した内部にまで届けば! エイジは全体重を乗せた突きで刀身を深々と刺し、何度もエンジンを稼働させ、そのまま斬り上げる。

 赤毛で隠しきれない程の血飛沫が上がる。炎の左腕を振るいながら反転した怨嗟の鬼は腰を踏み、周囲を吹き飛ばす熱風を解放する。

 ネームド特有の全方位バースト攻撃。だが、発動には溜め動作がほとんど無く、事前に回避を念頭に置いておかなければ直撃は免れないだろう。

 だが、エイジはこれを瑠璃蛇で強引に相殺して張り付き、破砕の斧を振り下ろす。左手に出現したがらすのように半透明なゴーレムの斧は真っ正面から怨嗟の鬼の腹部を叩き割り、そのまま跳んだエイジは連ね斬りに派生させて体重と遠心力を乗せた斧と剣の同時斬撃を浴びせる。

 さすがの怨嗟の鬼もたじろいで引き下がる。否! わざと距離を取り、連ね斬りで隙が出来たエイジへと炎の左手を突き出す。瞬間に炎は何倍にも膨れ上がり、巨大な炎の手がエイジに掌底を浴びせんとする。だが、これをエイジは鬼火の剣【焔凪】で相対する。

 刀身に燃え上がらせた瑠璃火を凝縮して刃状にして鎮め、それを凪いだ水面の如く静かに放出しながら薙ぐ。斬撃範囲は広まり、だが解き放たれた瑠璃火は凪いだ水面もいつかは荒れ狂うように、炎の性質を取り戻す!

 巨大な炎の手と激突し、刃によって裂いて内側より炎となって噴き出すも、あろうことか怨嗟の炎は瑠璃火すらも呑み込まんとする勢いだ。

 だが、僅かでも効果がある。エイジはよもやとフィールド上で燃え続ける怨嗟の炎に瑠璃火を放てば、瑠璃火と食い合うようにして絡まって鎮火される。

 仏師は怨嗟の炎を仏門と瑠璃火を組み合わせて抑え込んでいたのだ。エイジはこの戦いの絡繰りをようやく把握する。怨嗟の鬼自体には瑠璃火によるダメージを見込めないが、地面で燃える怨嗟の炎は瑠璃火で鎮火することが可能なのだ。それはまるで炎を消す為に酸素を奪う炎を与えるかのように。

 エイジは瑠璃火を刀身に燃え上がらせ、左手に形代流し・黒転を握る。怨嗟の鬼は次々と炎を放って炎の海を作るが、エイジは予言者が海を割るかのように、斬撃で怨嗟の炎を掻き消して踏み込んでいく。消費した形代は形代流し・黒転で回復する。

 怨嗟の炎が左手で大地を抉りながら突進し、そして反転しながら扇状に広がる炎を放つ。だが、エイジはタイミングを見切って跳び、逆に角へと鉤縄を引っかけて移動すると顔面を斬り裂く。そして、間合いが詰まった状態で、怨嗟の鬼が連続頭突きを繰り出すタイミングで背後に回る。

 怨嗟の鬼が反転しながら跳んで炎の左拳を振り下ろす。だが、エイジは既に構えを終えていた。

 つらぬきの刃! 炎の拳が叩き込まれるより先につらぬきの刃を放ち、ソウルの巨大な刃へと半ば自ら貫かれた怨嗟の鬼のHPが大幅に削られる。

 さすがの怨嗟の鬼もつらぬきの刃をカウンターで決められれば怯む。だが、それでも怨嗟の鬼は悲鳴にも似た……いや、慟哭にも似た悲鳴を轟かせながら炎の左手より巨大な炎を噴き出す。それは呪術の大発火にも似て、だが半ば爆発の連鎖にも等しく、エイジを呑み込む。

 回生はもはやない。直撃したエイジのHPはゼロになるはずだった。

 だが、エイジは霧がらすで怨嗟の鬼の背後を取り、まだ癒えきっていない背中の傷へと≪片手剣≫のシャドウ・キルを放つ。己の炎と霧がらすで完全に見失っていた怨嗟の鬼は暗殺ソードスキルとも呼ばれる一撃でHPを更に減らす。

 エイジはダーインスレイヴを両手で握り、自身に対して平行になるように正面で構える。それはまるで騎士の儀礼のようであり、だがエイジの周囲には濃霧が溢れる。

 霧海の幻影! 破戒僧からラーニングした能力である。1度発動させれば、最大60秒間、霧海の中の相手に自身の影が攻撃し続けるというものだ。60秒未満でも解除可能であるが、発動時点で魔力消費する為に燃費は変わらない。

 濃霧に囚われた怨嗟の鬼は次々に現れるエイジの影を迎撃する。だが、どれだけ影を追い払おうとも本体のエイジには届かない。霧隠れしたエイジには濃霧の外から仕掛けた攻撃以外は届かないのだ。

 影に全身を刻まれた怨嗟の鬼はついにスタンする。瞬間にエイジは霧海の幻影を解除して駄目押しにかかるが、怨嗟の鬼は待っていたと言わんばかりに炎の左拳を振るう。

 フェイクか! 怨嗟の鬼は理性を失い、また知性すらも蝕まれているかのようであるが、それでも仏師の経験……在り方を色濃く残しているようだった。

 殺した。殺しすぎたのだろう。怨嗟の炎が溢れ出すほどに。仏を掘り続ける仏師の背中が脳裏に過る。

 交差は一瞬。炎の左手の一撃を潜り抜けたエイジが怨嗟の鬼の喉を斬り上げる。HPバーの2本目がゼロとなる。

 最終段階だ。怨嗟の鬼は最後のHPバーとなり、ネームド戦において最も死亡率が高まる『本当の戦い』が始まる。

 

「不思議だな」

 

 心は静かだ。もはや回生は使えないのに、まるで追い詰められた気がしない。静寂のエイジに対し、怨嗟の鬼は左腕を再現に伸ばして振り回す。エイジは跳躍でそれを躱すも、伸ばされた左手が地面を抉り、怨嗟の鬼を中心とした巨大な炎のサークルが刻まれる。

 最後の丸薬だ。エイジは食み、そして全身に瑠璃火を纏う。

 怨嗟の炎に対する最大の防御策は、自らを瑠璃火で焼き焦がしながら戦う事だ。直撃すれば即死ならば、敢えて燃え続ける怨嗟の炎の中を自由に駆けて戦う方が圧倒的に有利だ。

 怨嗟の鬼の慟哭にして悲鳴。対するエイジはもはや無言で剣を握る。

 怨嗟の鬼を中心にして炎の竜巻が幾つも生じて暴れ回る。戦場で焼け残った遺体を無残に散らしていく。

 巨大な火球を頭上に投げ、破裂させて流星雨のように降り注がせる。

 炎の左手を地面に突き入れ、亀裂を広げさせるとマグマのように怨嗟の炎を噴き出させる。

 炎の形代を生み出し、滞空させることで空中機雷として行動を制限し、また自身の炎で炸裂させて火力を増幅させる。

 だが、いずれも虚しさを覚える。怨嗟の鬼の……仏師の『力』はこんなものではないはずだと考えずにいられないのは、どれだけ殺意があっても、怨嗟の炎によって振り回されているだけだからだ。

 ならば容易に勝てるのか? 否だ。科学がどれだけ発達しても国を呑み込む大嵐には耐え忍ぶしかないように、怨嗟の鬼の暴力はまさしく自然災害の域だ。

 それでもエイジは駆ける。近接戦に持ち込めば弾き、また斬りつける。だが、決定だが足りない。魔力を多量に喰うつらぬきの刃と霧海の幻影を連発した為に、大技が使えないのだ。

 攻撃力が低下したら手数で補わねばならない。だが、その分だけスタミナは消費する。手数を増やした分だけ攻撃時間が延びれば反撃を許す機会が増えて、対処によってよりスタミナを奪われる。

 負のループだ。スタミナ危険域のアイコンが激しく点滅する。エイジは間もなくスタミナ切れになって動けなくなるだろう。

 だが、心は落ち着いていた。憎悪の炎が心を満たし、怨嗟の炎が体を蝕もうとする中で、エイジの視界に映るのは怨嗟の鬼ではなく、物静かに仏を彫り、『茶』と称して酒を飲む仏師の背中だ。

 仏師がいなければエイジは戦い抜けなかった。仏師の助言があったからこそ、エイジは命懸けで自分の牙の在り方と使い方、そして空ではなく深海を目指すという自分の強みを伸ばす道を見つけた。

 怨嗟の鬼のHPが着実に削れていく。だが、それよりもエイジのスタミナ消費が上回っている。先に倒れるのはエイジだ。

 呼吸を整える。怨嗟の鬼を通して仏師を見据える。蠱毒の穴で倒した全ての強敵達を振り返る。

 迷いがらすは故郷に帰りたかっただけなのだろう。

 孤影衆は捨てられぬ使命があったのだろう。

 獅子猿は番もいない寂しさに狂ったのだろう。

 無名の剣士は鬼火の剣を極めんとして、だが最後に何かに気付いてしまったのだろう。

 破戒僧は虫に憑かれようとも、あるいは憑かれたからこそ、守ろうとしたものがあったのだろう。

 

 ダーインスレイヴの侵蝕が、闇の汚染が、いよいよエイジの意識を奪おうとする。右目の視界は黒ずみ、ダーインスレイヴを握る右手を通して亀裂のような熱と痛みが胸の全身から腹部にまで広まっている。

 脳髄を這い回り、魂を貪り喰らう蜘蛛の足音を聞く。

 いいや、違う。これは囁き声だ。エイジは自分の心臓を背後から抱きしめる息吹を覚える。

 身も心も許して『食べられたい』と願ってしまいそうになる、純白の誘い。あらゆる業から解き放たれて眠りたい衝動に駆られる。まるで、生ある者は等しく死という母の懐に帰る事こそが切望であるかのように。

 

 

 

 

 

 

「……もっと『力』を!」

 

 

 

 

 

 

 

 拒絶する。憎悪の炎で純白の抱擁を振り払い、これまでになくダーインスレイヴの掌握を意識する。

 強きは生き、弱きは死ぬ。ここで死ぬならば弱者であり、故に敗北である。

 まだ負けていない。這ってでも、這ってでも、這ってでも……たとえ空の高みには至れずとも深海の奥底で牙を研ごう。たとえ、行き着く先は見えずとも……それでも、この憎しみだけは自分を突き動かすのだから!

 ダーインスレイヴとのリンク……天井を突き破り、限界の先に至れてもエイジは憎悪の炎で逆に侵蝕を押し返し、引き上げられた闘争心は意識を際限なく研ぎ澄ます。

 弾く。弾く。弾く弾く弾く! 本来ならば巨体には効果が薄い弾きであるが、エイジは地道に重ねて緩やかにではあるが、怨嗟の鬼の体幹を削っていた。それが実を結び、踏み込みのズレを生んでバランスを崩して怨嗟の鬼が片膝をつく。

 ファーストエッジ! ダーインスレイヴを怨嗟の鬼の胸に突き刺す。そのままエンジンを連続稼働して衝撃を解き放ち、追加ダメージを与えていく。

 これが最後の1つ! エイジは左手で握り潰して発動させた水銀の護符を怨嗟の鬼の胸の傷口へと押し込む。体内より溢れ出た水銀の霧によって怨嗟の鬼は微々たるもスリップダメージを受け続ける。

 だが、すぐに排出されるだろう。あるいは自らの手で引きずり出すかもしれない。エイジは自分のHPもまた3割を切っているのに気付く。薬水を使いたいが、飲料型であるが故に隙は大きい。怨嗟の鬼は見逃さずに攻撃を放つだろう。

 怨嗟の鬼が再び巨大な炎のサークルを描く。跳躍し、あるいは身を屈めて回避して間合いを詰めたエイジに対し、怨嗟の鬼は歌舞伎のように見栄を切る。途端に炎のサークルは怨嗟の鬼へと向かって縮小する。

 鬼火の剣……瑠璃の渦雲渡り! エイジは瑠璃火の刃による全方位斬撃を放ちながら怨嗟の鬼に張り付く。背後から迫る怨嗟の炎を瑠璃火の刃が斬り散らし、怨嗟の鬼の攻撃は不発に終わる。

 否! 断じて否! 怨嗟の鬼の目的は接近したエイジを閉ざしたサークルで囲う事では無かった。自らに怨嗟の炎を集め、左拳に凝縮させる事だった。そして、怨嗟の鬼は鋭い牙で己の右腕に噛みつき、食い千切り、砕けた骨を刃の如く鋭く露出させる。

 左手から放つ怨嗟の大発火。連続爆発にも似た炎の噴出に対し、あろうことか怨嗟の鬼は己の右腕から突き出た骨に纏わせる。エイジは最大出力の瑠璃火をダーインスレイヴから放出して怨嗟の炎を纏った骨の斬撃をガードするも、余りの重さに耐えきれずに吹き飛ばされる。

 幸いにも吹き飛ばされた事によるダメージのみであり、それも受け身によって最小限に抑えられたが、エイジは怨嗟の鬼の……いいや、仏師が編み出した『極み』に震える。

 本来ならば瞬間火力だけの炎の近距離射程の大放出。だが、それをエンチャントさせることで、破壊力を維持したまま纏わせる。言うなれば纏い斬りである。

 極めて殺しすぎた。これこそが『鬼』の行き着く姿の1つであり、それを捨てたからこその怨嗟の鬼なのだ。

 効果時間は短いのだろう。既に骨が纏った炎は消えている。これが本物の刀剣であったならば、エイジは耐えきれなかっただろう。纏い斬りの深奥を極限まで技量で引き上げられる仏師ではなく火力任せの怨嗟の鬼だったからこそ、エイジは生きているのだ。

 もはや中距離・遠距離の小技は使わない。怨嗟の鬼は巨体に見合わぬ軽やかさでエイジに間合いを詰め、再び怨嗟の大発火からの纏い斬りを狙う。対するエイジにはカードが残されていない。

 残されていないはずだった。だが、怨嗟の鬼との戦いの前に、切り札を得ている。

 蠱毒の穴の特徴。それはたった1人のプレイヤーになるまで殺し合うという事にある。そして、個々のネームドから得た形代や能力は、殺害する事で奪い取ることができる。

 ムライはかつてネームド撃破者を殺害している。そして、ネームド撃破者は形代ゲージ1つと戦いの記憶を使って能力解放を行っていた。

 故に今のエイジの≪瑠璃火≫の形代ゲージは7つであり、能力は形代流し、形代流し・黒転、そして……もう1つ!

 

「【破魔瑠璃】」

 

 エイジの左手に生じた小さな瑠璃火。それを握り潰した瞬間に静寂を生み出す甲高い音色が響く。

 破魔瑠璃はその名の通り、瑠璃火の持つ浄化の力を音色として響かせるものだ。効果は亡霊・闇の眷属を弱体化させ、また幻を打ち破る事が出来る。

 だが、怨嗟の鬼は亡霊でも闇の眷属でもない。敢えて分類するならば、仏師がデーモン化した姿だ。無論、幻ではない。

 ならばエイジの狙いとは? 彼には破魔瑠璃の効果を『塗り替える』能力がある。

 蠱毒融合! エイジが融合させたのはゴーレムの斧を召喚する破砕の斧撃! 破魔瑠璃・砕撃となり、音色の範囲内にいた怨嗟の鬼は押し飛ばされ、纏い斬りのタイミングを失う。

 ここで一気に押し込む! ダメージは思ったほどに出なかったが、まさかの衝撃波に怯んだ怨嗟の鬼へとエンジンをフル稼動させたダーインスレイヴを振るう。

 だが、小さな爆発音が響く。鍔の部分にあたるエンジンを保護するフレームが黒煙を上げながら弾け飛ぶ。内部機構を露出し、火花を散らしながら闇の重油を飛び散らす様を見せつける。

 破戒僧と怨嗟の鬼の激戦に耐えきれなくなったのだ。刀身からも火花が散っている。露出した事で闇の重油が垂れ流され、威力を増幅させるはずの瑠璃火が消えていく。

 ここに来て火力低下。エイジは運にも見放されたと血の気が引くも、だが元より神に縋ったところで何も救われなかった事を思い出す。

 神様など要らない。己の手で掴み取る。エイジはダーインスレイヴを真っ直ぐに怨嗟の鬼へと振り下ろす。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、聞こえたのは何処か落ち谷の雪景色を思い出させる、静かで寂しい悲しげな音色だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「オ、ァ……オァアアアアア……・」

 

 怨嗟の鬼が頭を抱えて悶え苦しみ、両膝をつく。

 露出したエンジン内部……そこに破損パーツを補う為に組み込まれた細指と泣き虫の指輪は、機械と生体を組み合わせたような不気味さがあり、だが生み出されたエネルギーを刀身に伝える媒体として機能していた。故に刀身を震わせて細指と泣き虫は……響かせる。

 偶然だったのだろう。ムライも仏師もこのような結果になるとは思わなかったのだろう。

 エイジが気付かなかったのは闇の重油を併用した事によって音が内部で吸収されてしまっていたからだ。だが、それでも刀身を伝播した泣き虫の音色は、怨嗟の鬼へと染み込んでいたのだ。

 エイジは思い出す。細指を見せた時の仏師の感情の揺らぎを。何も語らずとも、指の主と仏師は……浅からぬ関係だったのだろう。

 泣き虫が響かせる音色は、寂しく美しい。

 たとえ、怨嗟の鬼になろうとも忘れられないほどに……心に染み込んでしまうのだろう。

 

 

 

 燃える怨嗟を、ほんの一時、忘れるほどに。

 

 

 

 エイジが繰り出すのは超至近距離からのハンティング・レイ。腹を貫かれ、多段ヒットで傷口を抉られながらも怨嗟の鬼は泣き虫に囚われている。いや、刃が内側より泣き虫を響かせて、まるで涙するように天を仰ぐ。

 ソードスキルが終わった後も怨嗟の鬼に深く食い込んだ刃をエイジは強引に捻り、斬り上げていく。エンジンが火花を吐き出し、泣き虫が響き、だがそれでもエイジは怨嗟の鬼の血を浴びながら剣を振るう。

 もはや目視できない程にHPを失った怨嗟の鬼がゆっくりと脱力していく。

 

「お前さん……頼む……」

 

 確かに聞こえた、怨嗟の鬼ではなく仏師の願い。『鬼』となり、だが鬼の道を捨て、だからこそ怨嗟の積もり先となった男の最期に、エイジは逆手で握ったダーインスレイヴと共に跳ぶ。

 怨嗟の鬼の顔面へと深々と刃を突き立て、泣き虫の音色と共に斬り下ろす。

 

「さらばだ……仏師殿……!」

 

 着地したエイジは俯きながら片膝をつく。もはやスタミナは残っていない。

 

「お前さん……ありがとう……よ……」

 

 そして、怨嗟の鬼は……いいや、仏師は炎となって消え去った。

 もう泣き虫は聞こえない。エンジンで音色を響かせられないほどに焼き付いてしまったのか、それとも役目を終えたからなのか。

 エイジはどちらでも構わないと切り捨てようとして、だが後者であって欲しいと願う自分に戸惑い、だが受け止める。

 ああ、そういう事なのか。エイジは『鬼』になるとはどういう事なのか理解する。刃毀れし、火花を上げるダーインスレイヴを見下ろしながら瞼を閉ざす。消えない憎悪の炎を見る。

 心を捨てるから『鬼』となるのではない。心があるからこそ『鬼』となるのだ。

 緩やかに世界は焼けていく。焼け落ちていく。エイジは薬水を飲み、静かに最後の戦いを待つ。

 デーモン化使用不可。クロスボウ及び影瑠璃の機構破損。丸薬無し。護符は尽きた。爆竹も焙烙玉も無いに等しい。残された火薬も十分とは言い難い。ダーインスレイヴの外装ブレードは刃毀れ甚大であり、エンジンも壊れかけ間近。最後に待つだろうコドクには瑠璃火が通じない。そして、ノイジスはまだ復活しておらず、回生も使えない。

 だが、不思議と心は静かだった。エイジはダーインスレイヴを見つめる。スレイヴを思い出す。結局、最後まで通信は使わなかった。それでいいのだろう。ダーインスレイヴで繋がっているのだ。憎しみだけは自分たちの絆なのだ。

 エイジは憎悪の炎の中で残る、無名の剣士との戦いの中で見た夢……ユナの幻影を思い出す。

 心を捨てることが『鬼』ではないならば、憎悪の炎に残るユナの言葉に自分は何を感じようとしたかったのだろうか。憎しみ以外に何も感じられないのに、何を求めていたのだろうか。

 分からない。分からないが、約束を守らねばならない。エイジはダーインスレイヴのその場に突き立てて立ち上がる。どれだけ休めたかは分からないが、スタミナ切れは回復した。最後の戦いの猶予だったのだろう。燃え落ちる世界は緩やかに灰になっていく。

 無名の剣士、ムライ、仏師。エイジは蠱毒の穴で出会えた彼らを思う。

 ようやく辿り着けた気がした。だからこそ、エイジは微かに口元を緩めるのだ。

 

「ありがとう」

 

 そして、最大の感謝を捧げた。

 

 

▽      ▽       ▽

 

 

 もう何千年前だろうか。あるいはもっともっと前だっただろうか。

 主はイザリスの罪の1つが東の果てに封じられたと悟り、回収させるべく、竜を含めた様々な肉体とソウルを混ぜ合わせた体を与えた。

 王のソウルを持つ者達……グウィン、イザリス、ニトとも並び称される白竜シースの代理として、イザリスの罪を手に入れる。だが、旅は熾烈を極めた。体を構成する多くの肉とソウルを失った。

 ようやく東の果てに辿り着いた時、すでに瑠璃火の封印を打ち破るだけの力はなかった。故に待ったのだ。イザリスの罪の1つ……瑠璃火に目が眩んだ蛾を地道に喰らうことで力を取り戻そうとした。

 やがて、1人の老人が現れた。襤褸を纏ったみすぼらしい老人だったが、溢れる紅蓮の炎は瑠璃火と拮抗した。老人は封印される為にこの地に来たのだ。

 瑠璃火を御すのに役立つかも知れないと吸収した。いや、老人は自ら吸収されたのだ。だが、老人を支配するには肉体もソウルも強大すぎた。老人の過ぎたる力、白竜シースより与えられた融合の力、そして封印の特性により別の世界……思い出と幻想の亜空間を生み出してしまったのだ。

 それからも獲物を吸収し続けた。だが、まるで糧にはならない。封印を打ち破れない。

 どれだけ吸収すれば主の元へと戻れるだろうか。白竜シースへの変わらぬ忠誠は被造物として刷り込まれたものと分かっていても抗えないのだ。

 と、無限にも等しかった思考を打ち破ったのは腹の膨らみだった。

 老人によって生み出されていた亜空間が縮小したかと思えば1つの塊となって押し出されたのだ。

 

「ヌ、ヌォオオオオオ……!?」

 

 腹を突き破ったのは刃毀れした剣。それはそのまま斬り裂いて、白竜シースの被造物……コドクの外側へと排出される。

 老人か? いや、青年だ。数多の人間を吸収したが故に誰なのかは分からない。

 コドクは嘲う。纏うコートは裾も袖も破れ、また焦げて穴だらけだ。その下の防具も目に見えて破損している。顔は煤だらけであり、目には覇気が無い。何よりも握る剣は刃毀れして亀裂だらけであり、また絡繰りが露出して火花を散らしていた。

 吸収した者達の中で共食いを続けて出来た極上の獲物。老人の庇護とも言うべき亜空間から抜け出た者ならば、今度こそ完全に吸収すれば封印を打ち破れるだろうと期待したが、これでは役に立たない。

 

「ムシケ、ラ……オマエ、ニハ、ヨウナド、ナイ。ロウジン、ハ、ドコ……ダ? アマタ、ヲ、コロシ、1ツトナッタ、ニク、ト、ソウル、ヲ、ウバウ。ソウシテ、ワレ、ハ、ココカラ……ヌケ、ダス」

 

「…………」

 

「ウセ、ロ。ワガ、チニク、ト、ナッテ、シース、サマ、ノ、エイコウ、ト、ナレ」

 

 多腕でありながら2足歩行の人間のようであり、だがありとあらゆる生物の特徴を有したコドクは、瑠璃火を凝縮される炎弾として放つ。回避もしない青年は土煙の中に消える。

 さぁ、吸収してやろう。コドクは足場でもある自身の肉体を操って骸とソウルと一体化しようとする。

 だが、群がる腐肉を纏った骨を切断される。鈍い灰色の輝きが、刃毀れしようともまだ戦えると吼える。

 直撃したと思った瑠璃の炎弾。だが、青年は無傷だった。コドクには何が起こったのか理解できなかったが、瑠璃火が直撃する寸前で剣より放出した全く同威力の瑠璃火で相殺したのである。

 気怠げに青年はコドクを見て、そして剣を向ける。瞬間に青年の纏う防具に瑠璃色の光が駆け抜け、その姿が消える。

 

「……ッ!?」

 

 コドクの首は斬られていた。だが、その動きは目で終えていなかった。足下の腐肉は全て自分の肉体であり、故に青年がどのように動こうとも把握できるはずなのに、まるで対処できなかった。

 

「僕は負けていない。まだ負けていない。戦う。戦い続ける」

 

 そして、コドクは気付く。

 気怠げな覇気の無い目ではない。あの目は……静寂に浸された闘争そのものだ。コドクを『必ず排除する障害』として認識した感情の揺らぎが全く存在しない目だ。

 創造主たる白竜シースに唾を吐きかけられた。コドクは怒り、多腕から瑠璃火の炎弾を連射し、竜翼を広げて加速すると足下から伸ばした脊椎を掴み取って剣にして鞭の如く振るう。

 青年は防御一辺倒だ。こちらの攻撃を全て剣でガードする。コドクは嗤う。人間の肥大化した自尊心が己の実力を過大評価するのはよくある事だからだ。そうした愚かな羽虫を何百と吸収してきたのだから。

 だが、コドクは何故か片膝をついていた。まるで突如として体の芯が折られたかのようにバランスを崩したのだ。絶対的な隙を晒してしまい、コドクの顔面に青年の剣が突き刺さる。

 同時に内部で解放されるのは連続した衝撃。エンジンが稼働することで、衝撃を刀身に伝導させ、威力を増幅させているのだ。コドクは攻撃の内容そのものを把握こそしたが、どうして自分が屈したのかが分からなかった。

 近接戦は危ない。コドクは距離を取り、次々と足下より腐肉を纏った骨の攻撃を繰り出す。大樹のように成長させた骨は、破裂して骨弾をばら撒き、狼の形状を取った腐肉は骨の牙を鳴らして迫る。

 だが、青年には触れられない。骨弾は恐るべき速度で離れて当たりそうな攻撃だけ弾き、腐肉の狼は放った瑠璃火の刃で切り裂く。

 瑠璃火の刃はまるで白竜シースが追い求めたあ聖剣が放つ光……斬撃を飛ばす光波に似ていた。だが、コドクは見逃さない。瑠璃火の刃を放つ際に、露出したエンジンより黒い重油のようなものが零れだしていたのだ。

 剣はもう攻撃の負荷に耐えられない。嘲うコドクに対し、青年は無言・無表情で迫る。

 足下より突き出た骨の棘が青年の右肩を抉る。コドクが放った瑠璃火が額を掠める。最初こそ思わぬ抵抗で驚いたが、リズムさえ取り戻せばコドクの勝利は揺るがない。

 だが、青年の動きが変わる。突き出す骨の棘を弾き、瑠璃火を丁寧に回避し、竜翼で逃げ回るコドクに鉤縄を引っかけて接近すると斬りつける。一撃で叩き落とされるはずがないと侮ったコドクに、青年はガラスのような半透明の斧を左手に召喚すると振り下ろす。

 額から胸に至るまで斧の刃は至り、そのまま回転した青年は剣と斧の同時攻撃を仕掛ける。多腕を交差させてガードしたコドクであるが、青年はそれも織り込み済みだとばかりに斧を消して左手に緑のオーラを纏うとコドクの腹へと連続掌底を浴びせ、怯んだ一瞬で貫手を潜り込ませる。

 これは……毒か!? コドクは毒に蝕まれる前に離れようとするが、青年はそれを許さず、右手の長剣と突如として左手に出現した黒い儀式短剣を振るう。儀式短剣は先程の毒のオーラを帯びており、コドクは多腕と骨の棘で攻撃を止めようとするが、その度にアクロバティックな動きで回避される。

 毒がコドクを苦しめる。白竜シースの被造物たる自分が毒に蝕まれるなど言語道断だ。だが、青年はコドクが恨み言を吐く暇も与えないとばかりに、剣による連続突きを繰り出す。

 

「ムシ、ケラ……ガ! ワレ、ハ、シース、サマ、ノ――」

 

「お前が誰に作られていようとも、僕がやる事は変わらない」

 

 竜翼より瑠璃火を大量放出し、まるで竜のブレスのように前面を焼き払ったコドクであるが、青年は霧化して消える。コドクが探す間に、胸より剣が突き出た。

 背後に回られていた!? コドクの全身が震え、『維持』できずに崩れて小さな百足のような本体を晒してしまう。早く肉体を再形成しなければと這うも、青年は剣を突き立て、何度もエンジンを稼働させて衝撃を伝播させる。

 ふざけるな! コドクは剣から抜けだし、新たな肉体を形成する。今度はより丈夫にすべく、機動力を落としてでも骨の鎧を纏う。それを補うべく、多腕の大部分を瑠璃火の放題とし、面制圧火力を放つ。

 また、近接戦ができないほどに鈍重になったわけではない。瑠璃火を噴出する事で瞬間加速は可能であり、骨を纏った分だけ防御力と攻撃力は増幅している。また、接近戦ならば瑠璃火の放題となった多腕による近距離射撃で仕留められる。

 

「第2段階か。だったら……」

 

 青年の眉間に微かな皺が寄り、左腕を掲げる。

 解放されるのは紅蓮の炎。左腕に纏わり付く赤き炎にはコドクも見覚えがあった。

 

「【怨嗟の炎】」

 

 あの老人の炎だ。この世のあらゆる怨嗟を集めたような炎だ。

 コドクは身震いする。それは老人の炎を青年が使っているから?

 違う。否。炎を左腕に纏う青年に、老人の中では既に朽ちていた、人間の恐ろしさを感じ取ったからだ。

 青年の左拳が振るわれる。それだけで骨が焼き焦げる。コドクは瑠璃火の砲撃で青年を引き剥がそうとするが、防具による加速なのか、影さえも追う事が出来ない。

 一方的に斬られる。コドクは足場全てから骨の棘を伸ばすも、青年は微かな震動を逃さずに足下に向けて怨嗟の炎を纏った拳を叩き付けて骨の棘を出だしから焼き砕く。

 青年が地面を擦るようにして左手を振るう。炎は地面を高速で駆け、扇状に広がる。直撃したコドクの全身が燃え上がり、だが消えずに高熱が骨の鎧を溶かす。

 白竜シースの被造物である自分がこんな一方的に負けるわけがない! 纏わり付く怨嗟の炎を払い除け、コドクは竜翼を巨人の腕に変異させ、瑠璃火の砲撃をしながら青年へと接近し、巨人の拳を鉄槌の如く振り下ろす。だが、青年は巨人の2つの拳の隙間に入り込んでか躱し、懐に入り込むと怨嗟の炎を帯びた拳でコドクの胸部を打ち抜く。

 外部肋骨が焼き焦げるこの程度では打ち砕けないとコドクは耐久力に任せて大口を開き、口内で圧縮した瑠璃火を放出する。だが、青年は右頬を削られながらも首を傾げるだけで躱し、無表情のまま瑠璃火解放後の口内へと剣を突き刺す。

 しまった!? 骨の鎧で守られていない口内に入った剣は脳天にまで達する。本体は胸部に隠れ潜む白い百足だが、形成した肉体制御は神経節のように各部位で行い、それを統括しているのが脳だ。

 だらりと全ての腕が垂れる。早く制御を取り戻さねばならないと他の神経節へとソウルを繋げようとするも、青年は火薬をばら撒き、左手の呪術の火でエンチャントすると斬撃を繰り出す。

 火薬の炸裂と斬撃のコンビネーション! コドクの胸を守る外部肋骨がすり減った所に、青年は怨嗟の炎を纏った掌底を繰り出し、今度こそ破壊する。

 だが、まだ胸の骨の鎧を砕かれただけだ。コドクは骨の尾を振り回すも、青年はそれらを全て弾き、爆弾を放る。炎が目潰しとなったかと思えば、コドクを濃霧が覆う。

 現れたのは青年の影。コドクはそれを迎撃するも、すぐに新たな影が出現し、止まることなくコドクを攻撃し続ける。

 このままでは全身の骨の鎧を砕かれる! コドクは跳躍して頭上から濃霧を突破すれば、本来ならば霧で見えないはずなのに、青年が剣を構えて不動の姿を目にする。

 濃霧内では無敵だが、外から丸見えで隙だらけか。巨人の拳を竜翼に切り替えたコドクは、飛行したまま全ての瑠璃火の砲台のエネルギーを集める。

 瑠璃火の大砲撃。濃霧の中に隠れ潜む青年を吹き飛ばす瑠璃火の大爆発である。

 

「そっちの動きは見えている。霧から出た時点で、見抜かれると分かっていた」

 

 コドクの喉に冷たい刃が触れる。

 青年の左手には白い儀式短剣が握られており、首から血では無く光が零れている。それが形代流しによって自傷し、霧がらすを発動させたのだとコドクには情報不足で見抜けなかった。

 背後からコドクの喉を掻き斬り、墜落したその背中を踏みつけ、エンジン稼働させた剣を荒々しく何度も何度も振り下ろす。その度に骨の鎧は砕け、肉を裂く。そして最も刃が深く食い込んだ瞬間に青年は斬り上げへと派生させる。

 背中の肉を抉られたコドクは、骨の鎧をパージし、全身の腐肉をドロドロに溶かして細身になる。否、全てのエネルギーを口内に集中させ、細くも高火力の瑠璃火を口内から放出し続ける。制御しきれない威力で振り回される瑠璃火に、青年は再び怨嗟の炎を左腕に纏わせる。

 

 当たれ。当たれ。当たれ! コドクは叫ぶ。何度も何度も青年を掠めようとするが、その度に青年の目はあらかじめ危険を捉えていたかのように躱す。

 あの目に秘密があるのか。コドクは1点集中を諦め、眼球から瑠璃火を拡散させて放つ。だが、青年は左腕より解き放った怨嗟の炎をぶつけて拮抗させる。

 だが、出力はコドクが上だった。押し負けた怨嗟の炎を瑠璃火が掻き消し、油断せずにコドクは青年を探す。

 左か。青年の影を捉え、コドクは首を捩ると口内から圧縮した瑠璃火を放出する。火薬を撒こうとしていた青年は左腕でガードするも突き抜け、左肩にも穴を開ける。

 血飛沫が舞う。青年を追い詰めたとコドクは怒濤の攻めにかかるも、青年の目は不動だった。その足は踏み込みを止めなかった。

 両目から瑠璃火を拡散させようとするも、青年は剣を投げる。回転しながら迫った剣はコドクの両目に刃を突き立て、その間に迫った青年は懐に入る。

 かかった! コドクの足下より骨の棘が伸びる。腐肉を纏った剣山に、青年は回避を余儀なくされる。

 剣を捨てた最後の攻撃だったはずだ。だが、届かなかった。コドクは青年へと口を向け、瑠璃火を放出しようとする。

 だが、青年の首が落ちた。前触れなく切断された。己の首を左手で掴んだ青年は、まるで当然の如く傷口に押しつける。

 放たれたのは猿の咆吼。空間を揺らす波動を受けたコドクの体は吹き飛び、哀れな本体を晒す。

 首を元通りにくっつけた青年は左手に怨嗟の炎を纏い、コドクの本体を握りしめる。

 嫌だ。死にたくない。主の使命を果たさなければならない! 白竜シースと同じく生への執着を露わにして抜け出そうとするコドクに、青年は無感情に握力を強め、そして怨嗟の炎と共に握り潰した。

 

 

▽       ▽        ▽

 

 

 第2段階終了。エイジは握り潰したコドクを投げ捨て、ダーインスレイヴを回収する。再装備したエイジは潰れたコドクがいかなる攻撃を仕掛けてくるのかと、薬水を飲んで僅かにHPを回復させながら備える。

 残された全てを使い、コドクを仕留めにかかるエイジは自分の落ち着きに何よりも驚いていた。

 初遭遇した時は、強制イベントだったとはいえ、ほとんど死に物狂いで戦ったコドク相手に、エイジは時に押し込まれながらも焦ることなく優勢であり続けた。

 だが、まるで感慨は湧かない。達成感もない。エイジは無感動に潰れたコドク本体より溢れる白い光を見届ける。

 目が眩んだのは一瞬だけ。エイジは腐肉を踏みしめていた感触が変わったことに気付く。

 蠱毒の穴の名に相応しい屍だらけの穴底。だが、視界に広がるのは幻想的な一面真っ白な雲だった。

 エイジは白雲の上に立ち、そして前方にある巨大な桜の木を見つめる。桜の木は白いオーラで覆われたかと思えば、一体化した巨大な竜……いいや、龍が現れる。枝分かれした角や長い胴体などどう見ても東洋における龍であるが、何処か人間的に思える右手には翡翠にも似た半透明の七支刀が握られていた。だが、左腕はない。

 コドクの真の姿? 違うだろう。コドクは白竜シースの被造物であり、そしてこの地に至って多くを喰らった。そうして我が物とする中で、コドク自身が龍の形を手に入れてしまったのだろう。あの七支刀も元は封印の核だったのかもしれなかった。

 封印の要でもあった桜と一体化して根付いてしまった。それこそが封印から抜け出せない理由とも知らずに。あるいは理解したくなかったのか。

 鱗を持たぬ白竜シースの被造物でありながら、見た目だけだろうと鱗を持った白龍となった。エイジは彼ら主従の皮肉に笑みも零さず、淡々と歩み寄る。だが、白龍は七支刀を振るい、突風でエイジを押しのけると、そのまま風の刃を連発する。

 更に次々とエイジの足下から巨大な樹木が突き出る。白龍は巨大な桜と一体化することで移動できなくなっているが、代わりに根を伸ばすことで間接攻撃が出来るようだった。また、七支刀で風刃を放つことで中・遠距離もカバーできる。

 だが、何よりも厄介なのはコドクの巨体だ。夜明け前のような淡い空と雲海の狭間にて、白龍は動けずとも悠然とその巨体を宙でうねらせている。

 龍ないし竜はDBOでも最もタフで火力に秀でた災害級モンスターだ。小型の飛竜ならばパーティで対処できるが、超大型のドラゴンの相手は大ギルドが正式な討伐部隊を派遣し、または大ギルド同士が手を組むことさえもある難敵だ。

 加えて遠近感が狂ってしまいそうになるほどに白龍は巨大だ。どうにかして接近しても桜の木をよじ登って本体を攻撃しなければならず、また当然ながら全方位バースト攻撃は持っているだろう。

 どうやって攻めても火力が足りない。つらぬきの刃でも決定打にはならないだろう。攻め倦ねるエイジに、白龍は七支刀を振るえば、雲無き天井より黄金の雷が降り注ぐ。

 龍だろうと竜だろうと、1部の例外を除いて雷は共通の弱点だ。だが、白龍は七支刀にて風と同時に雷も操れるというのか。乱雑に降り注ぐ雷撃に追い立てられ、危うく風刃の連撃の餌食になりかける。

 いや、制御できているわけではない。あくまで雷は風を操る上での副産物なのだろう。だが、ランダムで降り注ぐ雷はいっそ狙い撃たれないよりも凶悪だった。

 再び黄金の雷が降り注ぐも、幸いにも近くで伸びた根が避雷針となる。黄金の雷を帯びて朽ち果てていく姿に、その破壊力は一撃必殺級だと悟る。

 怨嗟の鬼に続いてコドクの最終形態もまたソロ専用の域を逸脱している。だが、エイジは唇を真一文字にしたまま、生えたまま残る根へと次々に鉤縄で移動して、どうにかして白龍への接近を試みる。

 だが、白龍は近付かせるものかと七支刀を振るい、根ごとエイジを細切れにしようとする。鉤縄移動中に足場を失ったエイジは、上空で黄金の雷が束ねられているのに気付き、別の根へと鉤縄で移動する。

 瞬間に落雷し、エイジは逃れるもダーインスレイヴに直撃する。刀身を伝ってダメージを受けると覚悟したエイジであるが、だがダーインスレイヴはエイジに雷を伝えるどころか、エンジンを急回転させて蓄電し、煌々と刀身を輝かせている。だが、それも僅かな時間しか耐えられないだろう。

 蓄電限界に到達して刀身が暴発するより先に、エイジはギアを入れて衝撃発生させる。刃を振るうと同時に雷撃が放出され、白龍へと命中し、HPを3割近くも奪い取る。

 

「まさか……!」

 

 煙を上げるダーインスレイヴに、エイジは誰が改造を施したのかを改めて思い出す。

 青雷に魅入られたアーチボルドだ。彼はダーインスレイヴを核にしてエンジンと外装ブレードを纏わせた。外装ブレードにはエンジンで生み出されたエネルギーを伝導させ、衝撃を刀身に付与することで威力増大と弾きの強化を施した。だが、彼は再三に亘ってエイジの装備に無意味な青雷への浪漫を詰め込んだ。

 実用性よりも青雷への浪漫の追求。それこそがアーチボルドだ。ダーインスレイヴを例外では無かった。雷を伝導させる事こそがアーチボルドの当初の目論見だったのだ。いや、むしろ蓄電放出機関をエンジンとして流用したのかもしれなかった。

 アーチボルドの青雷への妄執が最後の切り札となる。だが、純雷属性の青雷とは違い、光属性を含有した黄金の雷では負担が大きいだろう。そもそもジャンク品かつムライと仏師の応急処置が施されているのだ。

 胴体に直撃で3割。単純計算で4発であるが、それより先にダーインスレイヴが爆散するか否かだった。

 何よりもランダムで降り注ぐ雷をどうやって受け止めるか。また、空中で受け止めて雷の伝導を少しでも遅れさせなければ雷を打ち返す秘技……【雷返し】は成功しない。

 いや、確実に雷が降り注ぐポイントは割り出せる。他でもない、白龍がエイジに襲わせている木の根だ。これを避雷針にして雷を呼び込めば、雷返しは出来る。

 問題は白龍がいつまで木の根攻撃を続けるか、そして風刃が木の根を切断させないように立ち回るかである。

 七支刀から放たれる風刃は範囲が広く、落雷の兆候がある木の根の周辺で待機していれば切断されてしまうだろう。

 方法は1つ、木の根を乱発させ、落雷の兆候がある場所へと鉤縄移動にて最短で向かう。エイジはわざと足を止め、木の根を突き出させて避雷針を多く作る。

 木の根の1本に落雷の兆候が見られた。上空で雷が収束している。エイジは風刃を掻い潜りながら鉤縄移動し、落雷予想地点に向かうと刀身を掲げる。

 狙い通りに落雷が発生し、黄金の雷は刀身に伝導され、エンジンが唸り声を上げる。

 雷返し! 放たれた雷の直撃を受けた白龍は絶叫を上げ、全ての木の根を崩壊させる。さすがに避雷針となって利用されていると気付いたのだろう。

 残り4割! だが、ダーインスレイヴの外装ブレードもエンジンは黒焦げになっている。

 チャンスは残り1回。胴体に直撃させてもHPも大部分を削れて楽になるが、その後の戦いはダーインスレイヴの破損が響くだろう。だが、狙わない理由はない。

 問題なのは避雷針による誘導が不可能になった事である。エイジはどうにかして雷を引き寄せられないのかと考えるも、白龍は七支刀の切っ先を真下に向け、風を束ね始める。

 膨大な風を解き放って全体攻撃をするつもりだろう。無限に続くようにも思える雲海であるが、何処かにエリア限界が存在するはずだとエイジは逃げるべく背を向けようとして、だがチャージされつつある最大攻撃を睨む。

 風刃の塊だ。まともに受ければミキサーにかけられたように分解されるだろう。だが、上手く利用すれば……! エイジは覚悟を決める。

 白龍が七支刀に束ねた風刃を解放する。それはまさしく壁であり、範囲外に逃げる以外に生きる術はない。だが、風刃が密集しているのは地上……いや、雲上20メートルまでであり、それより上の暴風だ。

 エイジは風刃の塊に突撃し、そして足下へと左拳を叩き付ける。

 怨嗟・破魔瑠璃! 怨嗟の炎と破魔瑠璃を融合させ、怨嗟の炎の爆発を引き起こさせる。爆風を利用して跳ぶも高度が足りない。

 だが、まだ終わらない。エイジは更なる飛距離を稼ぐべく、ダーインスレイヴより鬼火の剣の上位技……虎炎の風を解き放つ!

 虎を模した瑠璃火の内部で、瑠璃火を圧縮して炸裂させ、その衝撃波だけを解き放つ技であり、無名の剣士は自在に操ったが、エイジのそれはまだ不完全だ。だが、放出された衝撃波によってエイジの体は浮かび上がり、鼻先が風刃を掠めるも、風刃の密度が薄い上方に辿り着く。

 風に押しのけられ、だがエイジは左手から怨嗟の炎を乱雑に放出して姿勢制御し、上へ上へと向かっていく。

 落雷ポイントを予想できないならば、自分自身で招き寄せる! 遙か上空にてダーインスレイヴを突き上げ、自らを避雷針とすることで、雷はダーインスレイヴの刀身に直撃する。

 風による浮力が失われ、強行落下するエイジは白龍へと迫る。白龍は大顎を開き、瑠璃火を噴き出そうとする。

 まだだ。まだ引き付けねば躱される! ダーインスレイヴが輝いて溶解し、暴発寸前と悟りながらも、エイジは落ちながら白龍に迫る。

 白龍が硬直する。瑠璃火のブレスを解き放とうとしたからだ。あちらもまたエイジを外さない間合いに入るまで待っていたのだ。

 ガンマンの早撃ち勝負のように、エイジは雷返しで雷を撃つ。黄金の雷は瑠璃火を放つ間際で白龍の額に直撃する。

 HPは削りきれなかった。残り1パーセント未満だろう。だが、白龍は項垂れて動かなくなり、七支刀は雲へと突き刺さる。エイジは鉤縄を白龍の角に引っかけて接近すると、七支刀の刀身を足場にして降り立つ。

 動かない白龍の目に、躊躇無く刃を突き入れる。悲鳴は無かった。最後の華々しい雄叫びもなかった。だが、傷口からどろりと涙のように、両断された小さな百足が零れ落ちた。

 白龍もまた見せかけだった。コドクの正体は何処までも、この小さな百足モドキだったのだ。エイジは白龍とコドクの血で濡れたダーインスレイヴを払い、そして背負う。もはやエンジンはどれだけギアを入れても動かないだろうと知りながら。

 雲が霧散し、エイジは一瞬の浮遊感の後に背中から固い地面に叩き付けられた。

 蠱毒の穴の底。コドクが吸収した腐肉と骨の地面は失せ、元の硬質な岩盤が露わになっていた。そして、中心部には枯れ果てた桜の木の残骸が散らばっている。

 虚しいファンファーレと同時にリザルト画面が表示され、【蠱毒のソウル】を手に入れる。そして、正式に≪瑠璃火≫がエイジの保有するユニークスキルとして習得したメッセージが流れる。

 終わった。エイジは体を傾けてうつ伏せになって倒れる。緊張の糸が途切れ、堰き止めていた心身の疲労が決壊する。

 体感時間にして1年以上。だが、エイジはやり遂げたのだ。7体のネームドを葬り、ついに≪瑠璃火≫を我が物にしたのである。

 エイジは左手の火傷を見つめる。怨嗟の炎の残熱に胸が締め付けられる。もう拭い去ったはずのムライの血の温もりを覚える。

 

「うぁ……あぁああ……あぁあアア……」

 

 こんなにも憎悪しかないのに、どうしてだろう? エイジは涙を流すことなく、だが叫ぶ。まるで『人』でも『獣』でもない、『鬼』の慟哭のように。

 疲れ切った体は休息を欲していて、憎悪ばかりで達成感は無く、エイジは朽ちた桜の木を中心にして発生した転移サークルへと這い進む。

 

 止まれない。

 

 止まるわけにはいかない。

 

 まだ負けていないのだから。




悪意の底で、鬼を目覚めさせたのは何なのか。

今はただ憎しみの中に。



それでは、別の書で、あるいは先でまた会いましょう。

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