SAO~デスゲーム/リスタート~   作:マグロ鉱脈

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今回は前後編同時投稿です。

どうぞよろしくお願いします。





分割せずに1回で投稿しようとしたら、15万字以上は駄目だと弾かれました。知りたくありませんでした。


Episode21-11 ミエナイ ココロ、キコエナイ コエ 後編

「ねぇ、【渡り鳥】さんっていつ寝てるの?」

 

 スイレンの護衛を始めて3日目の昼、オレは唐突にそんな質問を彼女からぶつけられた。

 今のところ襲撃等の目立った動きはなく、穏やかにゆっくりと時間が流れている。クラウドアース、もといヴェニデからの定期連絡によれば、≪ボマー≫の継承権を巡る戦いは各陣営が参戦して膠着状態になっているらしく、裏では暗部同士の殺し合いで夥しい血が流れているようだった。

 既に聖剣騎士団も太陽の狩猟団も≪ボマー≫保有者がスイレン=リンネであると察知している。だが、今のところ暗殺に踏み込まないのは、いずれの陣営も安易に≪ボマー≫を奪い取りにいけない状況にあるからだろう。また、オレという抑止力が想像以上に効果を発揮しているようだった。

 継承権を無視して確実に奪い取るには過去にPKした経歴の無いプレイヤーにスイレンを殺させる事であるが、それはそれでハイリスクだ。PKの経験がないとは、プレイヤー同士の命懸けの殺し合いの経験が圧倒的に不足しているという事だ。そんな戦場に放り込んで確実にスイレンを殺せる手立てがまだ見つかっていないのだろう。

 館は狙撃対策されているし、ジェネラル・シールズが館の景観を崩さない程度に索敵・対空システムも配備しているので、前のような風船爆撃は不可能だ。そうなると警戒すべきなのは毒殺なのであるが、食器関係も全て毒の探知能力が付与されている上に毒見しているし、毒消しも完備だ。レベル1はもちろん、貴重なレベル5の解毒薬もある。

 なので警戒すべきなのはスイレンと客の『仕事』だけなのであるが、この3日で彼女を訪問した客とは寝室を共にしていない。楽しくお茶をしてお喋りしたり、庭の薔薇園を散歩したり、彼女の美声を披露したり、と健全な娯楽ばかりだ。

 スイレンが私室の外に出るのは夕暮れ前から深夜まで。それ以外は部屋に閉じこもっている。食事も含めて外に出ることはない。故に24時間の警護を担うオレが目にするのは、彼女が化粧をしてドレスで着飾った『高級娼婦』の姿ではなく、こびりついた隈とよれよれのジャージという野暮ったい格好である。

 加えてスイレンは分厚い眼鏡をかけている。特にレンズは入っていないらしいが、現実の彼女は酷い近視らしく、DBO内でも眼鏡の重量が無いと落ち着かないらしい。まぁ、これは眼鏡をかけるプレイヤーが決して少なくない事からも不思議ではないがな。

 最初こそ怯えと遠慮が目立っていたスイレンであるが、喉元を過ぎれば何とやら。今ではスイレンからあれこれ質問が飛ぶようになった。。

 

「仮眠は適宜いただいています。不眠のデバフは付かないように配慮してますからご安心を。それよりも、スイレンさんこそ余り眠れていないご様子ですが?」

 

「私は……眠りが浅いから……」

 

 珈琲……ではなくコーラを珈琲カップでいただくスイレンは目を逸らしながら答える。この3日間、彼女の睡眠を横で見守っていたが、彼女は長くても1時間、短ければ10分程度で目覚める。

 悪夢を見ているのだろう。酷くうなされている様子だった。どんな夢を見ているのか知らないが、少なくとも隈がこびりつく程だ。長期的に苦しめられているのは違いないだろう。

 

「でも、私が目覚めた時、いつも起きてるし……」

 

「護衛対象の睡眠中に自分まで眠っていては護衛の意味がありません」

 

「そ、それ以外の時も……寝てる様子……ないし……」

 

「スイレンさんの入浴中などに対策を取ってますのでご安心を」

 

 オレが今のところ近辺で護衛できていないのはスイレンの入浴だけだ。彼女は私室に備えられた浴場にて1人で入浴する。時間は約30分。たった30分では不眠のデバフを解消することは出来ないので、ヨルコ特製の栄養剤を注射して不眠のデバフにならないように回避している。後は彼女の安全がある程度確保されている場面では目を閉じて脳を休ませている。まぁ、それもトータルで1時間未満であるが、今のところは問題ない。

 元よりオレは眠らない……いいや、眠れない。それでもスイレンのように隈が無いのはヨルコ特製栄養剤と脳を休める為に目を閉じることで、システム的には睡眠を取っている状態として認識されているお陰だ。

 

「スイレンさんこそ、眠れないようならば知り合いの薬師に睡眠薬を調合させますが? ああ、もちろんデバフではなく、リラックス作用のある本物ですよ」

 

 スイレンが飲み終わった珈琲カップを引き上げて台車に乗せる。これを私室の外に置いておけばメイドが片付ける手筈になっている。

 

「私は……要らない」

 

「そうですか」

 

 スイレン程の立場ならば、ヨルコと同格ではないにしても優秀な薬師を何人でも紹介してもらえるはずだ。あのカリンが大事な商品の『メンテナンス』を疎かにするはずがない。彼女が断固として拒否しているのだろう。

 存外に頑固者なのかもしれない。あるいは悪夢に執着があるのか。スイレンはボサボサの髪を手櫛で梳き、綺麗に整頓された本棚から詩集を手に取る。

 スイレンは奇妙な人間だ。自分の格好には無頓着であるが、環境には清潔を好む。髪は仕事の時以外は整える事もしないのに、朝起きたら部屋は掃除する。だが、その一方で整理はしない。本はナンバリングも関係なく押し込まれ、衣装や小道具は決まった場所に入れることなくあちらこちらに仕舞うので探すのに苦労する。

 スイレンの趣味は読書だ。本棚にはDBOの歴史書や童話はもちろん、貴重な現実世界の小説や詩集も並んでいる。これだけで宝の山だ。オレのコレクションなど目でもない質と量である。

 DBOの何処かにいる【記憶作家】と呼ばれるプレイヤー。彼、あるいは彼女は現実世界の書物を暗記しているらしく、不定期で数冊だけで出版する。コピーするには文字通り手書きで複写するしかない。初版はプレミアが付き、富裕層が参加するオークションでは100万コルを超える額が付くのも珍しくない。

 スイレンの本棚にはそれらで埋め尽くされている。特に目を惹くのはコナン・ドイル著のシャーロック・ホームズだ。噂には聞いていたが、本当に出版されていたとはな。まぁ、彼女の整頓できない性格を示す通り、シリーズで並べられていないので何があって何が抜けているのか分からないのだがな。

 

「……読みたい?」

 

 オレの視線に気づいたのだろう。ニヤリと悪戯心を滲ませる子どもっぽい顔で笑ってスイレンは問う。

 

「興味はあります。拝見しても?」

 

「え!?」

 

「何か不都合でも?」

 

「う、ううん……【渡り鳥】さんが素直で……驚いちゃっただけ」

 

 勧めてくれたのだ。折角の機会を無下にするつもりはない。それにスイレンの趣味は悪くないしな。いずれも古書ばかり……オレの好みだ。

 

「やはり抜けがありますね」

 

「ホームズは人気だから。噂では……もう全部出版されてるらしいけど……」

 

 DBOの製本は難しくない。印刷機とデータさえあれば、素材があれば無制限に複製できる。だが、今も滅多に複製品が出回らないのは、希少性を持つが故の資産として価値を持つので富裕層が複写することなく確保しているからであり、また商売として成立してしまうからだ。

 たとえば、今ここにあるホームズシリーズを複写して出版したとしよう。まず間違いなく娯楽として多くの人が飛びつくはずだ。それは瞬く間に巨大な市場となる。そうなると当然ながら資本力がある大ギルドや有力ギルドが参入する。すると【記憶作家】が新たに世に送り出した本の奪い合いになる。今でも本を巡って殺しが発生することもあるのだから当然だ。

 仮にそんな状況下に陥った場合、【記憶作家】は新たな本を書かなくなるかもしれない。現実世界の本という垂涎の娯楽を失う事になるだ。更に言うならば、世間に姿を見せない【記憶作家】の正体の探ろうとする動きが更に苛烈となるだろう。

 そういえば、グリセルダさんが言ってたな。【記憶作家】を大ギルドが追っていると。大ギルドは法・経済関係の知識の収集に余念がない。弁護士や税理士といった経歴のプレイヤーを集めてこそいるが、やはり知識が記載された書物の有無は大きい。仮に【記憶作家】が六法全書さえも暗記しているならば、それは至極の宝である。まず間違いなく、確保した大ギルドはDBOに新秩序を敷く大きなアドバンテージを得ることになるだろう。

 

「【渡り鳥】さんはどれが好き? 私は……やっぱり緋色の研究かな。最初に読んで魅了されたあの甘美な感覚……今も憶えてる」

 

 本を抱きしめてうっとりした様子でベッドに寝転がるスイレンに、オレは申し訳なさそうに頬を掻いた。

 

「お恥ずかしながら未読なんです」

 

「そう。だったら、この機会に是非とも読んでみて」

 

「ホームズがお好きなんですか?」

 

「普通だよ。熱狂的でもない、ただ読んで面白いとおもっただけの普通の読者。それが私」

 

 膝を抱えたスイレンは何処か自虐の笑みを描いた。オレは何も言わず、本棚の前に立って物色する。

 これだけ豊富だとどれを読むか悩むな。いや、護衛が仕事だから読書に没頭すべきではないのは重々承知なのだがな。お手頃に読めそうな本は無いだろうか。

 

「ここにある本のほとんどがお客様からのプレゼントなんだ」

 

「それは凄いですね」

 

 まぁ、高給娼婦といえどもこれだけの本を集めるだけの財力は無いし、カリンであろうとも容易に確保できるものではない。複数の客がスイレンのご機嫌取りに贈ったと考えれば納得もいく。

 

「私がリンネだって公開されたら、『スイレン』を好いてくれていた人たちを裏切っちゃう事になるんですよね。分かってるけど……悲しませるの……嫌だなぁ」

 

「…………」

 

 スイレンはそれから読書をして時間を潰す。オレが護衛後に暗殺すると把握した上で、彼女は時間を浪費する。もちろん、彼女は籠の中の鳥だ。館の外には出られず、館の中であっても自由は制限されている。オレ自身も仕事の時以外は屋外に出る事をなるべく避けるように忠告させてもらっている。

 スイレンが死ぬ前にやりたい事を思い出す。今のところ、館の警備体制に問題はない。ジェネラル・シールズにも裏切りの動きはない。カリンからスイレンを切り捨てる様子もない。平穏そのものだ。それこそが彼女が自由になる機会を失う原因でもある。

 ……別に襲撃があってほしいわけではない。今回は護衛だ。灰狼がいるとはいえ、その戦闘能力は未知数だ。スイレンの警護を任せたまま、オレが襲撃者を相手に何処まで自由に戦えるか分かったものではない。

 ならば何事も無く終わればそれに越したことはない。暗部同士で殺し合い結構。知らない場所で存分に血を流せばいい。

 夕暮れが近づくとスイレンはまず入浴して体を清め、昼間の姿が嘘のように着飾る。髪を整え、化粧をし、背筋を伸ばして歩き方まで変わる。ジャージ姿でボサボサの髪をした猫背で濃い隈を刻んだスイレンではなく、誰もが憧れて貢ぐ『高級娼婦のスイレン』に早変わりする。

 オレは基本的に客の前に姿を現さない。これはカリンからのオーダーだ。オレがいては客が恐がって仕事にならないからだ。

 高級娼婦とは金を払えば面会できるわけではない。身辺調査はもちろんの事、高級娼婦側が認可しなければ話すら出来ない。スイレンの場合、基本的に客を選ばない為に、身辺調査後のスケジュールはカリンの秘書の仕事のようだった。

 今日もお客様がやってくる。基本的に1晩で1人だが、稀に夕方と夜で1人ずつの場合もある。もちろん、床を一緒にするのは夜のお客様の方だが、それも高級娼婦側が認めたお客様とだけである。こちらもスイレンの性格を考慮した上で秘書が綿密に管理を行っているようだ。過去のスケジュールによれば、多くても週に2回しか男と交わることはない。

 護衛としてスイレンが客と2人だけとなる床の時間はなるべく削るようにカリンには進言してある。結果は上々。余程のVIPではない限り、護衛中は省かれる事になる。お陰でオレが護衛になってからスイレンが1人なのは入浴時間だけだ。

 だが、今宵のお客様はそうもいかない。カリンも断れなかったVIPだ。週刊サインズ調べ、抱かれたい傭兵第1位を10連覇という快挙を成し遂げた男、ユージーンである。

 うん。何やってんの、コイツ? いや、別におかしくはないんだ。傭兵は娼館利用者も多いしね。でも、オレが護衛をしている事はすでに噂になってるはずだ。このタイミングで堂々と訪問するか!?

 ユージーンは普段の鎧姿ではなく、紳士的なスーツ姿なのだが、なかなかに映えるな。クラウドアースの会食にも出席する機会が多いからだろう。常に武装した姿ではいられないのもランクが高い、重宝されている専属傭兵の悩みどころなのだろう。

 

「どうかなされましたか?」

 

「ん? ああ、何処かに【渡り鳥】がいると思うと気になってな」

 

 薔薇園を散歩する最中に、さすがのユージーンもオレについて言及する。オレが護衛をしている事は噂になっているので、当然ながらお客様も把握している。姿を現さないとはいえ、何処かにオレがいると思うと落ち着かないらしいのは、この3日間で何度となく見せた反応だ。ちなみに、オレはユージーンたちの背後3メートルの距離の茂みに潜んでいます。

 だが、そこはプロだ。スイレンはユージーンの手を取るとリードをお願いすように歩調を敢えて僅かに遅らせ、守りたいと思わせるような男心を擽る儚い笑みを浮かべる。

 何処にいるかも分からないオレへの恐怖心よりも目前の美女から頼りにされる眼差しと微笑が上回ればいい。スイレンはあのユージーンを手玉に取っている。こうした彼女を見せられると、オレが見ている彼女もまた演技なのではないだろうかと疑う余地が生まれる。

 いや、嘘も真も要らない。オレの仕事は護衛であり、その後は暗殺に切り替わる。ならば彼女の真意も虚偽も関係ない。依頼を達成するだけだ。

 その後、2人はディナーを楽しむ。もちろん、毒見済みだ。会話は当たり障りのない平凡なものだ。だが、ユージーンらしからぬ気の緩みが垣間見える。

 

「では、ユージーン様は特定の恋人をお作りにならないのですか?」

 

「まぁな。このオレに見合う女となかなか出会えずにいる」

 

「理想を聞いてもよろしいですか?」

 

「そうだな。品があり、揺らがぬ芯を持ち、時として言葉を選ばずに真正面から叩き斬るように正論を述べてくれる……そんな女だな」

 

 ワインをたっぷり飲んだユージーンの顔は紅潮している。酔っているせいか、口も緩んでしまっているようだ。だが、それだけではない。スイレンにペースを掴まれて、ユージーンは心の内を吐露しているようだった。ちなみにオレは彼の背後2メートルにある石像の影に潜伏中です。

 

「そんな素敵な御方と……愛し合っていたのですね」

 

 スイレンの一言にユージーンは目を見開く。彼女は静かに歩み寄り、彼の足下で腰を下ろすと慈母の表情でその手を取る。

 

「無粋な発言をお許しください。お怒りならば罵声を。悲しいならば涙を。私は等しく受け入れ、明日の朝が来たならば忘れましょう。またユージーン様と会うその時まで……」

 

 スイレンが招くのは薔薇園が一望できるテラスだ。護衛として長居してもらいたくない場所なのであるが、彼女の仕事には口出ししない約束だ。

 ユージーンを椅子に座らせるとスイレンは一礼を取る。メイドたちは明かりを落とし、2本の燭台だけに火を灯す。そうして、彼らを照らすのは蝋燭の火と月光だけとなる。

 スイレンが口を開けば、美しい旋律が空気を震わせた。まるで親鳥が羽毛で温かく抱擁するかのような母性に満ちた歌声だ。メイドたちは聞き惚れた様子であり、これが彼女の高級娼婦としての強力な武器なのだろう。

 

「素晴らしい……歌、だな」

 

 涙はない。だが、ユージーンは前のめりになって手を組み、まるで過去の温かく優しい記憶を遡っているかのように、普段の彼を知る者がいるならば驚く程に覇気がなかった。

 もはやユージーンの頭の中にオレの存在はいない。スイレンはほんの数時間でユージーンの警戒心を解くだけではなく、彼に安心感を与え、ある種の信頼を勝ち取ってしまたのだ。

 これが普通の男ならばまだ分かる。だが、ユージーンは数多の視線を掻い潜った猛者中の猛者の傭兵だ。キリトに負けたとはいえ、今再び戦えばどちらが勝つかは全力を尽くさねばわからないだろう。オレも万全の準備を整えて戦いたい相手の1人だ。

 武装を解除しているとはいえ、ユージーンは肩の力を抜き、リラックスし、弱気とも思える程に心を許している。

 弱々しいとも思える彼の前に跪き、スイレンは再び歌い始める。英雄を讃えるような荘厳さはなく、誰も踏み入ったことがない山奥で清流を見つけたかのような静かで染み込んでいく歌だった。

 スイレンとユージーンは2人だけで聞こえる声で何かを話していた。≪聞き耳≫があれば声を拾えるかもしれないが、それは無粋というものだろう。オレは黙って彼らの会話が終わるのを待つ。

 その後、館に再び明かりがつく。秘書から連絡があり、ユージーンはこのまま仕事用の寝室にてスイレンを抱く。

 

「あ、あの……【渡り鳥】さん、その……やっぱり、一緒の部屋にいる……の?」

 

「護衛だからな」

 

「出来れば……止めて欲しいなって。ほら、恥ずかしいし……顔とか、声とか……ね?」

 

 顔を赤らめたスイレンの言い分は尤もだ。男性であるオレに見られたくない、聞かれたくないという気持ちも分かる。だが、仕事だ。

 ユージーンは不意打ちを嫌うが、好んでしないだけだ。必要ならば実行するし、完遂できる男だ。彼のSTRを考慮すれば、スイレンの首を絞め殺すなど容易い。あの態度が演技とは思えないが、このタイミングの訪問だ。スイレンの暗殺を請け負っているとも考えられる。

 もちろん、秘書から見せてもらったスケジュールの限りでは、予約の時期から逆算しても、クラウドアースがスイレンの正体を把握するよりも前なのは明らかだが、だからといってユージーンが予約を取っていた事を利用しない理由にもならない。というか、オレが同じ立場だったら間違いなく殺すのに利用する。

 だが、ユージーンは非武装だ。アイテムストレージもチェック済みである。オレという護衛がいる中で、安易にスイレンを殺害するだろうか? 殺害したとしてもその後の逃走はどうするつもりだ? やはり暗殺は無いと見るべきか。

 何にしても部屋の中にオレもいるべきであるが、スイレンは涙目になって迫る。

 

「お、お願い……【渡り鳥】さんには……【渡り鳥】さんだけには見られたくない……」

 

「……分かりました。部屋の外でオレは待機しています。防音性が高いのは心配ですがね。あと、直前まで寝室のチェックをさせていただきます。よろしいですね?」

 

「ありがとう!」

 

「礼を言われるような事ではありません。アナタの仕事を邪魔しないのも契約の範疇ですので」

 

 スイレンは嬉しそうに笑って背を向けて去っていく。

 嘘はつかない。オレは寝室の外で待機する。オレ『は』……な。

 仕事用の寝室は館の内装通りの高級ホテルのスイートルームのようだ。天蓋付きベッドからは薔薇の香りが漂っている。これ、ユージーンのオーダーなのか? うん、考えないようにしよう。

 カーテンも窓ガラスも大ギルドの執務室で採用されているタイプだな。高い防御力を発揮する。これならば、たとえスナイパーキャノンであろうとも容易には撃ち抜けない。壁はそれ以上に堅牢だ。

 逆に言えば、出入口のドア以外に移動経路は作れないという事だ。いざという時に壁をぶち破ることは難しいな。オレのSTR出力8割の穿鬼でも亀裂を入れるのがやっとだろう。

 監視カメラやマイクの類は無い。客が客だ。プライベートの配慮だろうし、仮に流出したところで……な。現実社会ならばいざ知らず、DBOでは恥になる程度で、それ以上の報復の権利を与えるようなものだ。

 ベッドの下には十分なスペースがある。人間1人ならば余裕で隠れられる暗がりだ。

 

「……テストも兼ねるか」

 

 オレは首飾りを握り、召喚を実行する。空間の歪みと雷光が生じ、そして狼耳を備えた少女が出現して恭しく腰を折りながら礼を取る。

 

「灰狼、マスターのご用命により参じました」

 

「一々挨拶しなくていい」

 

「かしこまりました。それでは、マスター。灰狼は何をすればよろいでしょうか?」

 

 見事な直立かつ無表情で灰狼は問う。だが、尻尾だけは盛大に振っている。オレからの指令を待ちわびているようだ。

 

「ハッキリ言おう。オレはまだオマエの有用性うんぬん以前に信用していない」

 

「当然かと。灰狼は勘違いとはいえ、グリムロック様のみならず、マスターにも危害を加えようとしたのですから。ですが、灰狼にはマスターに一切の敵意も叛意もございません。無論、言葉ではなく行動で証明してみせます」

 

「そうか。ならば、オレの指示に従えるかテストを行う。今から明日の朝までベッドの下で隠れていろ。これから部屋にはスイレンと男が入ってくる。オレも外で待機するが、部屋には鍵がかけられるし、何よりも頑丈だ。どうしても踏み込むのに時間がかかる。異変を感じたらオレに報告しろ。指示を出す。いいか? 『朝が来るまでオレの指示以外で動かず、隠れ潜め』」

 

 灰狼に小型通信機を渡す。この3日間でグリムロック製の短距離通信機は使用可能であると確認済みだ。

 

「それだけ……ですか? 灰狼の判断は必要ないと?」

 

「信用がないヤツの判断に価値はない」

 

「……分かりました。灰狼、必ずやマスターの信頼を勝ち取ってみせます! 灰狼の有用性、ご期待ください!」

 

 信頼……ね。思わず失笑とも自嘲とも分からぬ何かが漏れそうになり、唇を噛んで堪える。

 

「好きにしろ」

 

 灰狼は尻尾を振りながらベッドの下に潜り込む。気配の隠し方は……悪くないな。さすがは狼か。これならばユージーンにも勘付かれることはないだろう。

 それから10分後、スイレンとユージーンが寝室に入る。オレは彼らが入室したのを見届けてからドアの傍らの壁に背中を預けて瞼を閉ざす。

 仮にユージーンがスイレンの暗殺を企てた場合、まずは灰狼に彼女を確保させる。非武装状態とはいえ、素手でもユージーンは十分に強い。灰狼の戦闘能力は未知だが、一筋縄ではいかないだろう。だが、銃火器で応戦すれば最低でも30秒は稼げるはずだ。

 壁もドアも確かに強度は高い。大ギルドの要塞にも採用されている素材だ。だが、贄姫のフルチャージの血刃居合ならば貫通も可能かもしれない。ただし、その場合は部屋の内部にいるスイレンも斬りかねないので却下だ。ならばドアを破壊して侵入するのが最も手っ取り早い。目算で穿鬼2発で破壊可能だろう。

 素手のユージーンならば狩るのに15秒といったところか。組み付いて首を絞めながら床に叩き伏せ、そのまま贄姫で喉を裂き、同時に獣血侵蝕した鋸ナイフで心臓を刺し貫く。裸で防御力が低下した状態ならば、如何に高VITのユージーンでも致命的なダメージは免れないはずだ。

 しかし、さすがの防音性だ。部屋の内部の声も音もまるで聞こえない。館は静寂そのものだ。まぁ、眠らない快楽街からの騒音が微かに聞こえてくるんだがな。

 

『ま、まままままま、マスター……!』

 

 早いな。もうトラブル発生か。オレは目を開き、通話をオンにする。

 

「報告しろ」

 

『あの、その……女性の苦しそうな声と……その……男性の呻き声が……!』

 

「問題ない。潜伏を続行しろ」

 

 通信終了。オレは再び目を閉じる。

 

『ますたぁ……ますたぁ……もしかして……もしかして、「これ」って……!』

 

「最低限の知識はあるようだな。ならば誤解することもないな。潜伏を続行しろ」

 

『ますたぁあああ……!』

 

 かろうじて声を抑え込んだ灰狼の啜り泣きに、オレは通信機の通話を再び切る。

 それから数時間、灰狼から短いサイクルで通信があったが全て『問題なし』と判断した。夜は更けて、朝を迎える頃になるとオレは寝室の前から退散する。

 ユージーンはメイドに見送られて館を去っていた。今回の訪問は純粋に客としてか、それとも情報収集も兼ねてか。まぁ、後者だろうな。クラウドアースに館の警備体制やオレについて報告するのは間違いないと見るべきだろう。だが、スイレンの正体がリンネだと知っているかは微妙だな。もしも、リンネだと分かった上ならば豪胆にして無謀だ。

 スイレンは早々に私室に戻ったらしく、オレは彼女を追う。まったく、護衛の身にもなってほしいものだ。

 戻るとシャワーを浴びたらしい、まだ半乾きの髪をしたスイレンがジャージ姿で部屋の隅で膝を抱えて蹲っていた。

 

「……どうしたんですか?」

 

「死にたいだけです」

 

「またですか。自殺は止めてくださいね」

 

「…………」

 

 口を閉ざして視線を右へ左へと迷わせるスイレンに、オレは溜め息を吐く。

 

「……何があったんですか?」

 

「自己嫌悪です。私を抱く人は……みんな……『高級娼婦のスイレン』を見ている。だけど……本当の私は……これ。美人でもない、姿勢も目付きも悪くて……気持ち悪くて……たくさんの人を殺した……サイテーの女……ですから」

 

 うーん、精神が乱気流みたいな女だな。面倒臭い。要は彼女にとって『高級娼婦のスイレン』は演技なのに、皆が好いて抱いてくれる姿がありもしない幻想だと思うと罪悪感で押し潰されそうになっているわけか。

 

「オレからすれば、今のアナタも演技かもしれません。むしろ、高級娼婦として振る舞っている時が真実かもしれないと疑っています」

 

「そんな……!」

 

「その程度にはアナタの演技と人心掌握術は秀でたものです。瞬く間に警戒心を解き、相手を無防備にする。暗殺者としてみれば、間違いなく1級品の才能でしょう」

 

 オレが下した評価に、スイレンは涙目になって俯く。彼女からすれば不本意なのかもしれないな。だが、これは偽りなき本音だ。

 

「私……そんなつもり……ないんです。ただ……お客様達は……いつも何処か苦しそうで……だから癒してあげたくて……」

 

「…………」

 

「夢でも……いい。それで救われるならって……」

 

 スイレンにとって娼婦はクラウドアースの目から逃れて貧民街で生きる術だったのだろう。だが、今の彼女が高級娼婦を続けているのはカリンの意向だけではないような気がした。

 オレはスイレンの前で跪き、目線を合わせようとする。だが、抱えた膝に顔を押し付けたスイレンはオレを見ようとしなかった。

 

「それがアナタの『真実』であるならば、卑下する必要は何1つありません」

 

「【渡り鳥】さん……」

 

「オレはプロとしてアナタを護衛する。アナタもまたプロとしてお客様を癒す。それ以上でもそれ以下でもない。そして、オレにとって本当のアナタがどちらであろうとも、多くの命を奪った爆弾魔のリンネであるとしても、護衛を投げ出すことはありません」

 

 立ち上がったオレは椅子に掛けられていたバスタオルを手に取るとスイレンの頭にそっと置き、まだ濡れている髪を丁寧に拭く。

 

「少しお休みになってください。眠れていないのでしょう?」

 

「……うん。ユージーンさん、見た目通りに激しくて……朝まで全然寝かせてくれなくて……」

 

「…………」

 

 そういう意味で眠れていないだろうと尋ねたわけではないのだがな。スイレンは眠りが浅く、また自分が悪夢でうなされていると自覚している。ユージーンを気遣うならば、彼がいる間は決して眠らないだろうと予想しただけだ。

 ベッドに横になったスイレンはオレを一瞥すると何処か嬉しそうに微笑んだ。

 

「ずっと傍で見守ってくれてるんですよね?」

 

「ええ」

 

「フヒ……贅沢だなぁ。眠ってる間……ずっと……【渡り鳥】さんを独り占めなんて……こんな私を……守ってくれてるなんて……」

 

 疲れていたのだろう。あるいは、やはり睡眠不足なのか。スイレンはすぐに眠りに落ちた。

 だが、彼女は目覚めない。1時間、2時間、3時間と過ぎても規則正しく寝息を立てていた。どうやら、今日は悪夢を見ていないようだ。やはり疲れが溜まっていたのだろう。無理もない。オレが護衛として四六時中張り付いているのだ。生命の危機を感じ続けるストレスは大きいに違いない。

 正午になるとドアがノックされ、メイドが昼食を持ってくる。だが、スイレンはまだ目覚める気配もない。台車だけ部屋の中に入れる。食事は温かい内が1番なのだが、今のスイレンには睡眠の方が重要だろう。

 

「……ん?」

 

 台車の下……美しい刺繍のテーブルクロスを捲る。妙な気配がすると思えば、そこには尻尾まで丸めて体を縮こまらせた灰狼の姿があった。

 ……別に忘れていたわけではない。回収のタイミングが無かっただけだ。召喚解除も遠隔では出来ないしな。

 カーテンを閉ざし、出てきても良いと合図を送る。殺気が混じった視線は感じている。館を囲うように、襲撃者は今か今かとタイミングを見計らっている。まだ灰狼の存在を公にしない為にも隠さねばならない。

 

「ますたぁ……灰狼……が、頑張りました。ずっと……ずっと……隠れて……」

 

 俯かせた顔を真っ赤にした灰狼はオレに詰め寄る。

 

「そうだな」

 

「しん、じて……もらえましたか? 灰狼……合格、ですか?」

 

「……考えておく」

 

 ひとまず灰狼はオレの指示に従った。最低限の信用は置ける。だが、まだ裏切りの警戒は必要だ。

 知識はあっても社会経験が足りない。対人接触も無い。彼女が如何様に学習して成長するか。それ次第ではオレにも牙を剥くようになるかもしれない。

 

「よく眠っていらっしゃいますね」

 

 ターゲットを直に確認したいのだろう。忍び足で灰狼はスイレンに迫る。

 

「疲れているのだろう」

 

 灰狼が傍に寄ってもスイレンは起きる気配が無かった。気持ち良さそうに寝息を立てている。まぁ、起きそうになったら灰狼を叩き伏せてベッドの下に蹴飛ばす準備はしてあるので大丈夫だがな。

 

「灰狼も疲れました。お腹も空きました」

 

「補給が要るのか?」

 

「もちろんです。灰狼は食事も睡眠も必要とします。プレイヤーよりも長期に亘って活動は可能ですが、それでもどちらかが欠ければ生存できません」

 

 ふむ、つまりはオレと同じペースで動き回れるかは怪しいという事だな。今回の依頼が済んだら眠らずに何時間くらい活動できるか調べないとな。

 

「分かった。後でドッグフードを入手しておく。館の番犬用にあるだろうからな」

 

「え?」

 

「それとも肉か? どちらにしても調達は可能だろう」

 

 厨房にいけば、新鮮な食材がたっぷりあるはずだからな。生肉の1つや2つ拝借するのは難しくない。いや、館の番犬も屈強だった。もしかしたらドッグフードではなく恒常的に質の高い肉を餌として与えているかもしれないな。生きた兎とかもあり得る。

 

「……灰狼の食事は基本的に人間と同じで大丈夫です。あと、犬ではなく狼です」

 

 グラデーションのかかった灰色の髪を躍らせながらオレに迫った灰狼は不満を露わにする。どうやら『ドッグ』フードがお気に召さなかったようだ。

 しかし、言われてみれば確かにそうか。灰狼を改めて観察する。身長はオレよりも低く、145センチ前後といったところか。だが、狼耳をプラスすればもう少し高いか。口を開けば鋭い犬歯が目立つが、それ以外の歯並びは人間と同一か?

 さて、どうしたものか。スイレンはまだ起きる気配もないとはいえ、彼女の食事に手を付けさえるのはな。

 だからと言って、オレが持っているのは、ブロック状のゴムの塊のような外観をした、そして見た目通りの食感をした保存食くらいだ。改良に改良が重ねられた結果、アイテムストレージの消費も小さく、なおかつ長期間の持ち運びにも優れた耐久度を持ち、なおかつ栄養価も高い、優秀な保存食となっている。

 まぁ、評判も売れ行きも最悪で、販売中止の危機に追い込まれているのだな。だが、味と食感さえ無視すれば、栄養価・保存性・携帯性の3点において他の追随を許さない優秀なコンバット・レーションなのだがな。

 ちなみに販売元のクラウドアースにおいて、これを食べるくらいならば腐ったおにぎりの方がマシだとさえ言われている程らしい。改良……いや、改悪前も大概だったが、最新にして現行品はおよそ人間が食べる限界を超えているらしく、喉に素通しして呑み込もうとしてもそれを許さない味の劣悪さらしく、1食分に対して流し込みの水が3リットルと口直しが不可欠という有様らしい。携帯性と保存性を追求し過ぎた結果、食すのに適さなくなってしまったのは……まぁ、食品開発の難しさだな。

 食事は英気を養い、精神を回復させる良質な手段なのは言うまでもない事だ。食材を得られる環境であるならば、フィールド・ダンジョンの攻略中でも≪狩猟≫・≪採集≫・≪釣り≫で確保して料理する。あるいはアイテムストレージを消費してでも食材や調味料を持ち込むのは別に珍しい事ではない。

 それに料理は多くのバフを付けるからな。≪料理≫はフレーバースキルであるが、実用性はかなり高い。なにせ、それなりの規模の攻略で部隊を送り込む時には、現地のキャンプに料理人を随伴させる事もあるくらいだ。美味い良質な食事で精神を回復させるだけではなく、バフも得られるのだから当然か。

 とはいえ、オレは≪料理≫を持っていないし、わざわざ食事でバフを取らない。もちろん、あるのに越したことはないが、わざわざスキルを取る程ではないし、必要ならば薬で補える。≪狩猟≫・≪採集≫のスキルが無くても狩りも山菜集めも出来る。釣りが無くても最低品質の釣り竿は扱える。ただ高品質・高レアリティは絶望的だがな。だが、そもそも≪料理≫が無いのだから適当に焼くか煮るしか出来ないし、どうでもいい。

 まぁ、全く要らないスキルかと問われたらそうでもないのだがな。≪狩猟≫があればモンスターのドロップ率が向上するだけではなく、レアリティも上昇したり、≪狩猟≫が無ければ得られるアイテムもある。≪採取≫にしても同様だ。≪採取≫が無ければ収集できない素材があるし、同じ植物・茸を摘み取っても全く別のアイテムになる事もある。

 ヨルコ曰く、現地調達で≪薬品調合≫を最大限に活かすならば、≪狩猟≫と≪採取≫と≪釣り≫は必須らしいが、全くその通りだ。まぁ、オレは自前で調合できる強みがあればそれでいい。あくまで暗器用の薬品を現地補給できればいいのだしな。品質が高い方が良いに決まっているが、常に最高品質で保とうなど無謀というものだ。

 こうして考えてみると、組織……というか複数人の強みというのはやはりある。全てを自分で賄う必要などないし、出来るはずもないのだ。装備もスキルもアイテムも個人が保有できる限界があるのだからな。

 閑話休題。目前の灰狼の空腹をどうしたものかと考える。そういえば、茶菓子が棚にあったな。オレも好きに食べていいと許可をもらっている。

 棚を開けてみれば、チョコバーや煎餅といった軽食がたっぷりと詰め込まれていた。

 

「音を立てるなよ」

 

 チョコバーを掴むと灰狼に投げ渡す。彼女は器用にパッケージを無音で開封するとチョコバーを齧る。

 

「……てっきり燃料か電気で補給するのかと思ったら、まさか食事とはな。ロボット要素は何処にある?」

 

 灰狼が何らかのバグで人間の造形を得たとしても、グリムロックが設計したのはロボット狼だ。服装以外にサイバー要素が見られない彼女にオレは椅子に腰かけながら疑問を口にする。

 もしかして、皮膚の下を剥いだら金属フレームが見られるのだろうか? いや、待てよ。贄姫の鞘で殴打した時に、少なくとも頭部は髪も皮膚も肉もあり、頭蓋骨も確認してあるな。

 

「灰狼の構成の8割が生体です」

 

 チョコバーを貪ってひとまず満足したらしい灰狼は指先を舐める。

 

「残りの2割は?」

 

「まず、電磁索敵フィールド並びに防護バリア装置があります」

 

 灰狼がアピールするように狼耳を動かす。耳で隠されているのは角のような小さな金属製の突起物である。耳穴はなく、あくまで狼耳はこの金属突起物を隠し、また保護する役割のようだ。これは索敵・バリア装置のようだ。

 

「心臓は灰狼の回復力・再生力を担うエネルギー炉です。心臓を損傷した場合、灰狼はオートヒーリングとアバター修復能力に大幅な弱体化がかかります」

 

 ふむ、つまりは心臓にまでダメージが到達するような深手を負った場合、灰狼は行動不能になるという事か。

 プレイヤーの場合、ダメージ到達深度が心臓まで達すれば大ダメージを受けるが、心臓が抜き取られる=HPゼロの死亡確定ダメージを被ったという証拠でもある。逆に言えば、胸に大傷を負うようなアバター損壊があろうとHPが残っている限り心臓は無事だ。

 まぁ、だからこそオレの爪痕撃は割と凶悪な攻撃なのだがな。引き抜くモーションによってアバター損壊を強引には発生させようとする。内臓に……相手の内部に直でダメージを与え、なおかつアバター損壊で強引に大ダメージを与えるのが狙いだ。

 だが、話の限りだと灰狼は胸部にアバター損壊が発生した場合、プレイヤーと違ってHPがゼロになっておらずとも心臓の損壊が免除されないという事だ。つまり、HPを残したまま心臓を引き千切れるのだろうか? それとも傷を負うだけ? ふむ、気になるな。

 改めて灰狼の顔を直視する。生意気そうな目付きをした、愛らしさとクールさを両立させた顔立ち。凛としながらも可愛らしさが押し出された、まるで大型の猟犬を真似した愛玩犬のような声。それらが絶望と恐怖で歪み、血と涙で汚れる様を思わず想像してしまい、思わず口元が歪みそうになってしまう。

 

「つまり、強化人間……いや、強化獣人に分類するのが最も適切か」

 

「仰られる通りです」

 

 もう少し話を聞きたいが、スイレンがいつ起きるかも分からない状況でやる事ではないな。灰狼の召喚を解除し、オレは再びスイレンの真横に移動する。ベッドの傍らに腰を下ろし、贄姫を抱えながら目を閉ざす。

 視覚の負荷を減らし、聴覚に集中する。これならば幾らかマシだ。聴覚もノイズがよく走るし、不安定だ。本来の聴覚範囲を発揮できているとは考えていない。ならばこそ、他の知覚情報をシャットアウトさせて精度を上昇させるだけの集中力を注ぐ。

 

「うーん……」

 

 ようやくお目覚めか。瞼を開き、欠伸を掻いて腕を伸ばして体を震わせ、全身を解すスイレンを迎える。もうすっかり夕暮れだ。温かった昼食は冷めきるどころか、間もなく夕飯の時間である。

 今夜は仕事が入っていないとはいえ、これでは睡眠のリズムが崩れるな。まぁ、オレが言えた義理ではないのだが、やはり規則正しい生活は健康を保つ秘訣だ。とはいえ、死を覚悟する彼女が健康に気を遣う理由も無いか。

 

「……夢は見ませんでしたか?」

 

 悪夢でうなされている様子はなかった。ならば、スイレンは夢無き眠りに落ちたのではないだろうか。オレの問いに、スイレンは何処か楽しそうに笑って見せた。

 

「ううん、夢を見たよ。昔の……現実世界の夢を……」

 

「そうですか」

 

「DBOよりもずっとずっと長く生きた世界のはずなのに、まるで遠い異国のような……自分の記憶じゃないような……不思議な夢だった」

 

 DBOプレイヤーにとってよくある事だ、とは言わなかった。

 この世界は常に死が隣り合わせであり、人間が持つ善悪も欲望も理想も信念も剥き出しになり、力と『強さ』が常に問われ続ける。生き足掻く中で、死ぬ間際で、己が何者であるかを探し求め、あるいは『答え』に到達する。

 故に濃度が違うのだろう。1日の、1時間の、1分の、1秒の中に込められた体験の密度が違うのだろう。ある意味で人間が最も尊く輝ける環境である。怠惰で安寧に満ちた平和よりも残酷で狂気に浸された混沌でこそ、人間が己の生と向き合い事に意味を見出し、死と対峙する事に価値を覚えるのだろう。

 ああ、やはり『人』は素晴らしい。死と血と悲鳴に満ちた絶望の『夜』でこそ、希望の『朝』を求める活力を知るのだ。『夜』が深ければ深い程に、相対する怪物がおぞましく恐ろしい程に、恐怖を踏破して己の真価を発揮し、また成長を遂げるのだ。

 だが、決して優しい世界ではない。故に夜明けを。狩りの全うの果てに黄金の稲穂を。

 

「昼食はありますが、冷えています。処分して夕食を準備させましょうか?」

 

「勿体ないからいいよ。あと、そんなに気を遣わないで。【渡り鳥】さんは護衛であって執事じゃないんだから」

 

 それもそうか。あくまでスイレンの行動に合わせて彼女の安全を確保するのが護衛の役割だな。

 スイレンは冷えた昼食を黙々と口にする。濃厚なデミグラスソースがかかったオムライスだ。冷えても食をそそるだけの味合いに違いない。

 仕事の時以外は猫背気味のスイレンであるが、彼女の食べ方は上品そのものだ。マナーに厳しい環境で育ったのだろう。その一方で、ジャージのような動き易い格好を好み、コーラやチョコバーといったジャンクフードを好む傾向にあるのは、家庭環境に対する反発があるからなのだろうか。だが、彼女が高級娼婦としてやっていけているのは、間違いなく叩き込まれた教養の数々があるからだ。悩ましいところだな。

 

「寒い。もしかしたら、雪が降るのかな?」

 

「かもしれませんね」

 

 カーテンを開ければ、星も月も望めぬ雲に覆われている。この寒さだ。雨ではなく雪もあり得るだろう。

 

「だったら、ホワイト・クリスマスも期待できるかもしれないね。去年も真っ白で綺麗だった」

 

 去年のクリスマス……か。記憶が灼けてあまり思い出せない。憶えているのはユウキとの時間だけだ。黒鉄宮跡地、それを一望できる塔の屋上で彼女に抱擁され、そして祈りを託した。祈りは呪いになって彼女を貶めたが、だが、あの時間は……出来れば灼き尽くされる最後の瞬間まで残しておきたい。

 昼食を終えたスイレンはしばらく椅子に座ったままぼんやりと過ごす。彼女は基本的にマイペースだ。仕事の時以外は、気の向くままに本を読み、あるいは瞑想し、または歌を口ずさむ。自然体にも映る彼女は果たして演技なのかどうか定かではないが、それでもオレを前にしては随分とリラックスしているようにも思えた。ある意味で死を覚悟しているからこその精神の安定なのかもしれない。

 人が死を宣告した時に見せる反応は様々だ。

 あらゆる手段を講じて死の運命に抗い、あるいは免れようとする者。

 死を受け入れ、だからこそ何かを遺そうとより強く大きな1歩を踏み込む者。

 死を逃避して閉じ籠もり、その瞬間まで目を閉ざし、耳を塞ぎ、拒絶する者。

 スイレンはどうなのだろうか? 彼女はオレが訪れた時、自害の道を選んだ。生を諦めた。その態度は今も変わらない。何かあればオレに殺されても構わないといった様子だ。目を離せば自害してしまいそうな危うさすらある。その一方で自分を匿ってくれたカリンへの感謝の気持ちがあり、無関係であるから自分の死後は助命して欲しいと願う行動力がある。そして、自分が生きられる時間も残っているならば、やりたい事をやりたいという死への前向きな歩みも見せる。

 そのいずれもが乖離していて繋がらない。スイレンの本当の姿が見えてこない。分かる事があるとするならば、『私人のスイレン』はマイペースなネガティブ気質でありながら他者を心配する心優しさと自暴自棄を併せ持ち、『高級娼婦のスイレン』は他者の苦しみや悲しみに敏感で寄り添って癒したい母性が押し出され、『≪ボマー≫で大量殺人を犯したリンネとしてのスイレン』はおよそ残酷無比で目的の為には手段も選ばない冷血といった印象を与える。

 統合すればスイレンの正体が見えてくるかと思えば違う。オレが思うに彼女は……いや、それは無粋というものか。オレは護衛だ。それ以上でもそれ以下でもない。彼女が何を考え、いかなる行動をしようとも、何を腹の内に潜ませていようとも、オレはオレの仕事をこなすだけだ。

 

「お風呂入るね。【渡り鳥】さんもどう?」

 

「…………」

 

「……あ! ご、誤解しないで! 一緒に入ろうって意味じゃないから! ほら、【渡り鳥】さんって、ずっと護衛していて、入浴する時間とか無かったし」

 

「臭いですか?」

 

「そ、そうじゃなくて……む、むしろ、【渡り鳥】さんはとっても良いニオイがするというか……ふ、フヒ、なんか、こう……優しくて眠たくなる甘い香りがして……」

 

 染みついた血のニオイはしなかったか。まぁ、嗅覚が鋭敏なモンスターを欺く為の薬香は用いている。そのニオイかもしれないな。

 

「隙を見て適度に体を拭いて、髪も清めさせてもらっています。ご安心ください」

 

 スイレンは申し訳なさそうに俯きながら浴室に消える。オレは脱衣室の戸がしっかり閉じられたのを確認すると傍の壁にもたれかかって目を閉ざし、彼女の入浴が終わるのを待つ。

 さすがは高級娼婦の住まいと言うべきか。常に新鮮な湯が張られており、いつでも入浴可能だ。不審な点が無いか調べさせてもらったが、個人用としては広過ぎる以外に落ち度はない。強いて言うならば浴室である以上の問題点があったが、それは仕方ない事だ。

 さすがに防音性は配慮されていないので、音を聞けば大よその行動が分かる。スイレンはまず張られた湯を使って体を流し、丁寧に時間をかけて体を洗う。だが、髪の手入れは杜撰だ。そして、長い時間をかけてゆっくりと体を温める。

 

「……来たか」

 

 オレは音もなく脱衣所に入り、そして浴室のドア越しに贄姫を構える。

 

「啜れ、贄姫」

 

 刀身に血管の如く張り巡られた溝はパラサイト・イヴから供給される緋血で満たされ、血質属性攻撃力と暗器強化された贄姫で天井を狙って放つ。

 天井を刻んだ血刃居合は大きな傷跡を穿つ。そして、オレは浴室のドアを開けると湯気に満たされた空間を贄姫で斬り払う。

 手応えあり。痛覚代用してある右手で硬質な物体を切断したと判断する。

 

「ゲホ、ゴホ……ゲホ!」

 

 同時に激しい水飛沫が上がり、スイレンは湯船で喉を押さえながら激しくむせ返る。彼女の首には切断されたワイヤーが巻き付いており、オレは手早くそれを剥ぎ取る。

 

「わ、【渡り鳥】さん……!」

 

「ご無事ですか? 遅れて申し訳ありません」

 

 オレがスイレンを労われば、涙目でオレを見つめ、続けて恥ずかしそうに両手で胸元を隠して首まで湯船に浸かる。

 

「み、見ないで!」

 

 当然だが、入浴中の彼女は裸体だ。水着でもタオルを巻いてるわけでもない。まぁ、だから何だという話だ。

 嘆息し、オレは浴室から出ると脱衣所にて準備されたタオルを手に取ると差し出す。湯船から出た彼女が体を拭いただろう頃合いにバスローブを投げ渡す。

 

「それでも娼婦ですか?」

 

 裸を見られるのも仕事の内だろうに。あんな生娘のような反応をされるとは思わなかった。

 

「仕事とプライベートは別! わ、【渡り鳥】さんもプロなら……分かるでしょう?」

 

「まぁ、確かに……」

 

 要はスイッチのオン・オフといったところか。スイレンが着替えた事を確認するとオレは跳躍して贄姫で更に天井を刻み、穴を広げる。

 やはりか。換気口には全身を暗色の装備で纏めた遺体があった。腕からはワイヤーが垂れている。暗器だな。これで浴室の換気口からスイレンの首を狙い、そして吊るした。かなりの手練れだったのだろうが、血刃居合を運悪く頸部に直撃を受け、胴体と泣き別れになってしまっている。

 

「この館はそれこそ大ギルドの正規要塞クラスの堅牢さを誇ります。ですが、浴室の天井板は別でした。この浴室、本来は設置されていなかったのではありませんか?」

 

「う、うん。前は大浴場を浸かってたんだけど……ふ、フヒ……私みたいなのが……あんな風呂で1人なんて……贅沢過ぎて……」

 

「なるほど。無理な増設の結果、換気設備も杜撰だった……と」

 

 結果、換気パイプを通す大きなスペースが浴室天井裏には出来上がってしまった。まぁ、急造のせいで天井の耐久度も低かったから贄姫のフルチャージの血刃居合ならば貫通できたのだがな。

 遺体を掴んで引き摺り下ろす。スイレンが声にならない悲鳴を上げて口を押さえる。

 装備に身元を判別できるものは無し。顔を覆う覆面を剥ぐが、20歳後半といった年頃の男である以外に情報はない。

 

「製造元不明の暗器とナイフ。ですが、どちらも高品質。最初にしては、厄介な相手が来ましたね」

 

 大ギルドの暗部でほぼ確定だ。館の構造上の不備を突き、スイレンの入浴を待って侵入したわけか。侵入の時間帯は不明だが、前回の私室で入浴した時間を考慮すれば、大よその見当は付くな。

 狙いは完全にスイレン限定。故にヤツメ様の糸にも引っ掛からなかった。オレに向けられていなかったとはいえ、殺意を隠しきった練度……高難度の暗殺を成功させたベテランだったに違いない。

 

「祈りも無く、呪いも無く、安らかに眠れ」

 

 遺体の瞼を閉ざさせる。1つでも後れを取っていたらならば、スイレンは暗殺されていただろう。名も無き手練れだった。

 

「≪ボマー≫で抵抗はできませんでしたか?」

 

「パニックになっちゃって……ごめんなさい」

 

「いいえ、責めてはいません。ですが、アナタの自衛能力を過大評価していました。改めます」

 

 強力なユニークスキルを持っていても、それを活かす戦闘能力が足らない。経験不足であり、また適性が無いのだろう。

 さて、暗殺者が用いたワイヤーはイジェン鋼製だ。単純に考えれば聖剣騎士団の暗部であるが、イジェン鋼自体は市場に流通されているので一概には断定できない。だが、高度な技術を持った工房で作成されたのは間違いない。

 表の戦力とは違い、暗部は各勢力の特色を見せない。任務を失敗しても背後を特定されない為だ。捕獲された場合に備えて自決手段も準備している。

 

「館の地下にセーフ・ルームがある。そこに行けば……!」

 

「既にトラップが仕込まれているでしょうね」

 

 暗殺に失敗したので次の機会を待つ……ならば幾らかの猶予があったのだがな。館の明かりが落ちる。電力供給が打ち切られたな。こういう時は蝋燭やランプといった前時代的光源が役に立つ。

 

「これをどうぞ」

 

 オレがスイレンに差し出すのは【不死廟のランタン】だ。光が禁じられた不死廟において、闇の中で見通す為の火を灯すことが出来る。ただし、燃料が特別で【愚者の死脂】を材料とする。

 灯るのは闇のような黒い火だ。不死廟のランタンの使用者は疑似的な≪暗視≫スキルが獲得でき、高い隠密ボーナスを得られる。光で周囲を照らすのではなく、自身に闇を見通す目を与えるという、光が禁じられた不死廟らしいランタンだ。

 そして、不死廟のランタンの面白いところは効果範囲内のプレイヤーの≪暗視≫スキルを弱体化させるというものだ。暗殺者ならば≪暗視≫スキルは高確率で有しているし、≪暗視≫スキルがあるならばわざわざ装備のリソースを割いて暗視効果を付与させておく必要もない。これで館内では彼女が最も動ける立場になっただろう。

 だが、念には念を。オレはヨルコ特製の【日陰虫の丸薬】をスイレンに飲ませる。隠密ボーナスを高める薬だ。ただし、戦闘状態になったら効果が消滅する。あくまで侵入・逃走用の薬だ。効果時間も決して長くないが、そもそも長丁場にする気はない。

 

「わ、【渡り鳥】さんは大丈夫なの? ちゃんと見えてる?」

 

「問題ありません」

 

 オレは≪暗視≫スキルを持っていないが、そもそも後遺症のせいで視覚はあまり当てにしていないからな。館の地形は頭に叩き込んであるし、自分だけが認識できる光を発する梟ランタンを腰にぶら下げる。まぁ、梟ランタンは高確率で無効化されるだろうが、あくまでお守り程度だ。

 

「ここで籠城は危険です。仕事用の寝室に移動しましょう」

 

 VIPも来客する関係上、スイレンの私室と同等かそれ以上に安全が確保されている。オレは彼女を背後に私室のドアを開け、そして血のニオイを嗅ぎ取る。

 既に死人が出てるな。メイドや警備員、それにジェネラル・シールズ連中か。今のところ、遺体は目につかないが、相当数が既に殺されている。

 これだけの手際……やはり大ギルドの暗部だな。そうなると暗部間の戦いに何かしらの変化があったのかもしれない。それに乗じてスイレンの確保……いいや、暗殺を一気に決行したわけか。

 しかも隠密に済ませられないと判断するや、物量で仕掛けてきたか。あくまで暗部を派遣するのはまだスイレン=リンネを公表したくない狙いがあるのだろう。まぁ、≪ボマー≫なんてあらゆる勢力にとって垂涎だ。確実に確保できる保証がない以上は公表するメリットもない。むしろ、余計なライバルや有象無象を増やすだけだ。陣営内でもまた派閥争いもあるだろうしな。

 

「街の光が……消えてる?」

 

 快楽街全体の電力を落としたか。非常用の自家発電設備がある店以外は等しく明かりが消えている。

 月明かりも星の光もない夜。暗殺には確かに好都合だな。オレは見もせずに背後に贄姫を突き出す。

 

「ぐが……!?」

 

 忍び足は見事だ。≪静音≫も用いていただろう。だが、そこまで接近されれば滲んだ殺意がヤツメ様の糸に引っ掛かる。

 捩じり、斬り上げ、引き抜き、振り返ると同時に両膝をついた暗殺者の首を刎ねる。

 

「相当数が既に館内に侵入しています。急ぎましょう」

 

 廊下を進めば、血溜まりに沈むメイドの姿があった。スイレンは慌てて駆け寄ろうとするが、オレは腕を伸ばして制止させる。既にHPはゼロだ。死んでいる。距離を取り、袖から取り出したワイヤー付きナイフをメイドの遺体に突き刺して動かす。同時に遺体に隠されていた爆弾……地雷の類が炸裂した。

 

「ひ、酷い……!」

 

「この程度は可愛いものですし、オレが暗殺者ならば同じ罠を仕掛けます。これから先、負傷者・遺体は全て罠だと前提して行動してください」

 

 遺体はバラバラになり、散らばった臓物は壁も天井も染める。うつ伏せだったので顔は確認できなかったが、スイレンに食事や着替えを運んで来ていたメイドだ。彼女にとって接する機会の多かったメイドなのは違いない。

 無事に仕事用の寝室に到達し、まずは内部を確認する。暗殺者はいない。天井、壁、床、窓、いずれも問題なし。

 ひとまずの籠城は可能だな。窓はセーフティ・シャッターを下ろせる仕掛けになっているのだが、それでは籠城していると宣伝しているようなものだ。ドアの施錠だけでいいだろう。

 

「オレはこれから暗殺者を排除します。アナタは鍵をかけ、部屋の外には出ないでください。オレの声がしてもドアを開けてはいけません」

 

「わ、【渡り鳥】さん……行っちゃうの?」

 

「既に館の警備は機能不全と見て間違いありません。アナタを館の外に連れ出すのも1つの手ですが、敵の戦力が不明である以上は安全を確保し難い。ならば、籠城して敵の戦力を駆逐し、カリンさんが派遣するだろう追加防衛戦力の到着を待つのが1番でしょう」

 

 まぁ、カリンが既にスイレンを切り捨てていなければ、の話だがな。見捨てたならば、それはそれで別の手段を取る。

 この事態は既にクラウドアース、もといヴェニデにも情報がすぐに入るはずだ。ヴェニデからはまだ護衛依頼終了の通達が無い。つまり、まだヴェニデが≪ボマー≫獲得の優位を取れていない証だ。つまり、スイレン暗殺を防ぐ為に、オレが暗殺者を殲滅している間に何らかの処置を取るだろう。

 オレがすべきことは1つ、今回の襲撃において用いられた全戦力を限りなく抹殺する事。ひたすらに敵戦力を削り続け、暗殺不可能であると判断させ、撤退を強いる事だ。後はヴェニデが何とかしてくれる。いや、何とかしてもらわねば困る。

 

「でも、私だけじゃ……!」

 

「アナタを1人にする気はありません」

 

 雷光と空間の歪みが生じ、灰狼が召喚される。彼女はスイレンに深々とお辞儀を取った。

 

「初めまして、スイレン様。マスターのサポートユニットにして、マスターが最も信用する戦力、灰狼です。以後お見知りおきを」

 

 開幕ドヤ顔挨拶するな。オレは灰狼の後頭部に軽くチョップする。

 

「灰狼……ちゃん?」

 

 スイレンは後退り、警戒心を露わにする。まぁ、だろうな。仕事モード時以外のスイレンは人見知りのようだしな。いきなりオレのサポートユニットだから安心しろと言われても無理な相談だろう。

 

「灰狼、この部屋でスイレンを死守しろ。ただし、限界だと判断した場合、完全包囲されるより前にスイレンを伴って移動しろ。館のマップデータを共有する。次点の籠城先はピックアップしてある。状況に応じていずれが適切かはオマエが決断しろ。できるな?」

 

「……はい! お任せください! マスターのご期待、必ずや報いてみせます!」

 

 表情こそ変わらないが、灰狼が目を輝かせる。オレは小さく頷く。彼女はこの寝室に放置された際、昼食を運ぶ台車に潜り込み、オレの元まで戻るという独自判断を下せた。オレの命令違反にならない範疇で独自判断が出来ると証明してみせた。つまり、単純に命令を実行するだけではない。独自に状況を分析し、決断し、行動できる。この利点を活かせるかどうか、テストしていないが、そもそもこの寝室での籠城が破られるような時点で護衛失敗の瀬戸際だ。彼女に保険をかけておくのは悪くない。

 

「敵のジャミング・傍受の危険性から通信の一切は行わない。オマエの手に余る緊急事態の場合、この警報を使え。15秒以内にオレが到着しなかった場合、スイレンを連れて快楽街に逃走しろ。追撃の危険性は高いが、それでも一時凌ぎは出来るはずだ」

 

「かしこまりました」

 

「それと……」

 

 オレは灰狼の肩を掴み、自分に引き寄せる。灰狼の体が大きく震えて強張る。緊張しなくても斬りはしない。

 

「スイレンがオマエに攻撃を仕掛けるか、逃走しようとした場合、オマエの身の安全を最優先に行動しろ。いいな?」

 

 オレが小声で耳打ちすれば、灰狼は小さく、だが何度も首肯した。

 灰狼の戦闘能力は未知数だ。それはスイレンも同じだ。先程は暗殺されかかっていたが、オレの介入無しでも切り抜けられたかもしれない。爪を隠しているだけかもしれない。

 スイレンを護衛する関係上、灰狼は常に無防備な背中を晒すことになる。さすがに一撃死は無いと考え難いが、スイレンに攻撃された場合、大ダメージは免れないだろう。逃亡を図る彼女を無理に追撃して灰狼を損失するのは避けたい。

 引き離した灰狼の頬は赤い。やはり緊張しているな。まぁ、彼女からすれば初めての実戦だ。こういう時に前の狼の記憶ストレージ……戦闘ログを引き継げていないのは手痛いな。

 

「スイレンさんも無茶な行動だけはしないように」

 

「わ、分かった。【渡り鳥】さんも気を付けて」

 

「善処します。では」

 

 スイレンと灰狼を部屋に残し、オレはドアから出ると施錠された音を確認した上で行動を開始する。

 まずは館の警備システムを起動させる。館内にどれだけの暗殺者が侵入しているのかは不明であるが、銃声が聞こえ始めている。こちらの防衛戦力がどれだけ損耗したかは不明だが、残存しているのは確かだ。

 

「片っ端から……狩る」

 

 右手に贄姫、左手にハンドガン。キリトのG&Sの真似ではないが、銃撃の牽制と贄姫の斬撃を組み合わせれば、狭い廊下でも十分に接敵は可能だ。

 深呼吸を1つ。そして、ステップで加速する。館の廊下を、壁を、天井を蹴り、3次元運動で一気に巡回する。

 まず3人。覆面と暗色防具、暗器らしき刀剣とサイレンサー付きライフルを装備。部屋を1つ1つ確認して探しているようだな。

 

「わた――」

 

 良い目だ。オレを発見した1人が仲間に警告を言い切るより先に喉を裂き、そのままハンドガンを傷口に押し込んで連射する。飛び散った仲間の血と銃声でオレの襲撃に気付いた残りの2人だが、もう遅い。贄姫で1人目の心臓を刺し貫いたまま投げて壁に拘束し、もう1人を肘打で鼻を砕き、足を払って押し倒したところで穿鬼で顔面を陥没させる。まだ絶命していない串刺しにされた暗殺者にワイヤー付きナイフを投げ刺し、ワイヤーを巻いて突き刺さった贄姫ごと引き寄せ、改めて握った贄姫で頭頂部まで裂き、同じく生きている地面で痙攣しているもう1人の心臓に贄姫を突き立てる。

 まずは3人。次を狙う。激しい銃声が聞こえるエントランスに移動する。途中でメイドやコック、警備員の遺体を発見するが無視する。いずれもトラップが仕込まれているだろう。エントランスでは応戦するジェネラル・シールズの新人たちがいた。

 シャークマンの姿は無し。屋外でも戦闘音が聞こえる。そちらで戦闘中か?

 エントランスでは密集陣形を取って応戦しているジェネラル・シールズの新人達だが、相手は手練れの暗部だ。投げられたフラッシュ・バンで視覚を潰され、その間に接近され瞬く間に殺される。

 生存者1名。閃光に対応して距離を取りながら乱射して致命を逃れた。訓練が活かされている。良い戦士になっただろう。だが、相手が悪かった。首に鎖分銅が巻き付き、引き寄せられ、鎖に繋がった短剣で心臓を刺し貫かれる。鎖鎌ならぬ鎖剣か。暗器のセンスが良いな。

 暗殺者は全部で8人。ジェネラル・シールズの全滅まで観察して居場所は全て特定した。エントランスを飾るシャンデリアを吊るすワイヤーを血刃居合で断ち、落下させる。それは一瞬だけ暗殺者の五感を集中させ、意識に死角を生じさせる。

 その間に1人目の背後に迫り、背中から心臓を刺し貫く。自分の胸から突如として生えた刃に困惑し、血の泡を吹く暗殺者だが、それを察した他の暗殺者が仲間諸共にオレに発砲する。いずれもサイレンサー付きのライフル。単発威力と静音性を高めた暗殺仕様。

 まだ救えるかもしれない仲間の危機に、即座に見捨ててオレを殺しにかかった。やはりよく訓練されている。

 絶命した暗殺者の遺体を盾にしながら間合いを詰める。だが、暗殺者は接近を許さずに散開からオレを包囲し、全員が手榴弾を投げる。なるほど。この距離、自傷ダメージを覚悟でもオレを仕留めることを優先するか。

 ならばと足首のスナップを加えて円を描くようなステップをし、贄姫の刀身で全ての手榴弾を撃ち返す。まさかの自分の真正面で手榴弾が爆発し、さすがの暗殺者たちも悲鳴を漏らす。

 

「がぁああああああああ!?」

 

「うがぁあああああああああ!?」

 

「ひぃ……ひぃ……!?」

 

 手榴弾が巻き起こした土煙の中で、オレは彼らの斬り殺す。袈裟斬りで心臓を、あるいは胴を、首を、頭部を断つ。

 これで合計11人。浴室の暗殺者を加えれば12人。贄姫に付着した暗殺者の血を払って納刀しつつ、次の方針を考える。

 屋外の防衛に参加するか? 窓を開け、壁を走り、屋上に立つ。屋上の物陰にいただろう、館の警備員2人はいずれも絶命している。いずれも狙撃だ。館は防衛機能によって敷地外からの狙撃を無効化できるはずだ。つまり、防衛設備が無力化されている? あるいは、防衛機能を突破する程の高威力狙撃? 何にしても腕がいい。2人も心臓を1発だ。

 屋上から見下ろすが、どうやら正面玄関ではシャークマン率いるジェネラル・シールズの部隊が防衛ラインを敷くのに成功したようだ。生き残った新人たちは隊列を組んでライオット・シールドで壁を作り、他がその隙間から銃撃する。これによって玄関を守り抜いている。まぁ、実際にはエントランスの惨劇の通り、内部侵入を許していたのだがな。オレが暗殺者を始末しなかった場合、彼らは背後から無慈悲に強襲をかけられていただろう。

 正面玄関からの攻撃が雑だ。これは陽動だな。肝心のシャークマンは……薔薇園の方か。激しい土煙が上がっている。

 

「ガハハハ! ぬるい! ぬるい! ぬるぅうううううううううい! 我が【シャーク・ランス】の餌食になりたいのは誰だ? かかってくるがよい!」

 

 シャークマンの得物は大型ランス。だが、ランスには鋭い突起が並んでおり、また回転している。なるほどな。対象を突き刺し、更に回転するランスがドリルのように刺し穿つだけではなく、ランスに備わった『牙』によって傷口を醜く抉る。たとえ、突きを逸らしたとしても、回転するランスの突起が衝撃を与える。

 まさしくチェーンブレードならぬチェーンランスか。グリムロックも評価しそうな武器だな。並々ならぬSTRでは使えないだろう。左腕は……あれは何だ? 2本の挟むようなアームが備わったシールド? まさか……!

 

「そこだ!」

 

 シャークマンを無視して館に向かう暗殺者にアームが射出される。太いワイヤーに接続されているだけではなく、アームにはブースターが装着されているらしく、プラズマの光を放出しながら回避しようとする暗殺者を追尾する。

 

「捕獲ぅうううううううう! からのぉおおおおおおおおお! シャァアアアアアアアアアアアアアク・ファァアアアアアアアアアアアアアアアング!」

 

 アームの内側には小さな刃が飛び出し、拘束を強化する。加えてアームは拘束効果が高いらしく、早々に抜け出せない。ワイヤーで巻き取られた暗殺者の顔面にランスを突き立て、シャークマンは至福の笑みを浮かべている。

 

「これぞ……これぞサメの戦い方よ! さぁ、次に餌食は誰だ!?」

 

 なるほどな。大型ランスは振り回すだけでも打撃武器としても使え、また刺し貫けば凶悪。そして、高速回転すれば生半可なガード、逸らしは隙を作るだけとなる。逃げればアームを射出して捕獲して追撃。仮にランスの内側に潜り込んでも、手元にあるアームによる近接戦は敵にとって脅威そのものだ。恐らく、まだ隠し玉があるだろう。

 強い。なるほど、認めよう。シャークマンはトッププレイヤーに近しい実力の持ち主だ。気質はどちらかと言えば傭兵寄りだな。

 だが、数が多過ぎる。薔薇園はすっかり無惨な有様だが、遮蔽物が少ない。しかもシャークマンも決して足が速いわけではない。射出アームだけではカバーしきれない中距離射撃でじわじわとHPは削られている。多勢に無勢か。

 更には狙撃。シャークマンの右肩が撃ち抜かれ、彼は苦悶の表情と共にランスを落とす。その隙に接近した暗殺者たちが黒塗りの剣でシャークマンを四方八方から刺し貫く。

 

「ぐご!?」

 

 死んだか? いや、まだ生きているな。凄まじい男だ。巨体ながらも瞬時に身を捻り、クリティカル部位への直撃を防ぎ、更には2本の剣を素手で掴んで止めている。

 このまま見殺しにして暗殺者を油断させてから狩ろうかと思ったが、止めだな。シャークマン、オマエはここで死なせるには惜しい戦士だ。いずれ戦場でオマエと出会う方がずっと有意義になる。

 問題は狙撃手。腕がいい。狙撃は快楽街から行われ、大よその位置は特定した。

 暗月の弓を模した氷の弓が形成され、更に大型化される。生み出される氷雪の矢も大弓用の大矢だ。

 氷雪の弓矢、大弓モード。大弓は自由度が低い固定射撃専用の巨大化された弓だ。矢も専用品となる。その代わり、通常の弓矢とは一線を画す火力と射程距離を可能とする。もちろん、連射は出来ないし、反動も相応だがな。

 眼帯を剥ぎ取り、青血の義眼を解放する。遠視モード起動、狙撃手の目視……成功。狩人の予測で更に修正。

 狙撃……ターゲットの額に命中。敵の狙撃手は設置型スナイパーライフルを使用していた。射撃中・後の防御力ダウン等の計算すれば即死だな。狙撃手はカウンターに超貧弱、これテストに出るぞ。憶えておけ。

 さすがに大矢の軌跡でオレの存在はバレただろう。暗殺者たちの銃撃が屋根の上のオレに襲い掛かる。それらを潜り抜けて着地し、シャークマンを囲う暗殺者たちに接近する。

 連斬。すれ違いざまに3人を解体し、ブレーキをかけながら反転し、血刃居合でシャークマンの腹に蹴りを入れて押し倒し、そのまま喉に刃を突き立てようとしている暗殺者の首を刎ねる。

 

「お、おお……! 聞きにも勝るとはまさにこの事! 助太刀、感謝する!」

 

「要らぬ礼です。オレはアナタを見殺しにしようとしていましたから」

 

「ガハハハハ! 元より援軍は来ぬと思っていた所存だ! 我らの任務はスイレン嬢の警護! ならば互いを守るよりスイレン嬢の安全確保こそ最優先! 仲間だろうと利用してスイレン嬢を守る! それこそがこの場における大義である! ならばこそ、この救援……感謝の極み!」

 

「……詫びましょう。オレはアナタを見誤っていた」

 

 オレの見殺しを当然と受け入れ、その上で感謝するか。サメ映画馬鹿かと思えば、なかなかの戦士だ。実に美味そうだ。

 

(ゲテモノもたまには悪くないわよねぇ。ちょっと濃くてしつこそうな味だけど♪)

 

 ヤツメ様もシャークマンをお気に召したようだ。彼の周囲をくるくる回って舌なめずりしている。

 

「館内に侵入したと思われる暗殺者は始末しましたが、この状況です。全方位から侵入を試みる暗殺者を防ぎ続けるのは無謀です」

 

「こちらは正面玄関もこちらも陽動なのは百も承知だ。【渡り鳥】にはスイレン嬢の近辺で護衛をお願いしたい。なーに、狙撃手は始末してくれたようだからな。エバーライフ=コールの救援が来るまで持ち堪えられる」

 

 陽動とはいえ、無視すれば侵入を許す。四方八方から迫る暗殺者を全て排除するには防衛戦力の『数』が足りないな。陽動とはいえ、正面玄関も守り切れるか怪しい。弾幕が切れれば瞬く間に押し切られるだろう。これだから数の暴力に対する防衛は面倒くさい。

 まぁいい。そちらがその気ならば、全陽動戦力を潰し、その上で館に戻る。それだけだ。

 

「アナタは正面玄関の援護に向かってください。先程見た限りでは押し切られそうでした。ここはオレが受け持ちます」

 

 数は視認できる限りでも20人以上。陽動だけあって実力よりも数頼りといったところか。腕利きは既に狩った侵入した暗殺者だろうな。

 彼らの装備は統一されている。全身を暗色のボディアーマーで纏い、頭部は特徴的な尖った光沢のない暗銀色の仮面だ。装備は黒塗りの片手剣。暗器ではなく、暗殺仕様といったところか。暗器ほどではないにしてもクリティカル部位へのダメージボーナスが上乗せされる加工が施されているかもな。

 左手には携帯性・静音性に特化した銃身の短い単発威力重視ライフル。だが、左腕の籠手の膨らみからして、何かしらの暗器が仕込まれているな。

 隠密ボーナスも高いな。まぁ、オレの場合は後遺症のせいで自前デバフがかかっているので余り障害にはならない。

 

「狩らせてもらいます」

 

 個々の戦力は低い。レベルは高くても80前後。贄姫ならば急所ならば即死確定。それだけ情報があれば十分だ。

 左手に氷と冷気が集中し、刃を形成する。さて、キリトとの戦いでは魔剣があったので機会も無かったが、ここで使わせてもらうとしよう。

 

「【氷雪剛剣】」

 

 氷雪剣は≪絶影剣≫をモデルとしてグリムロックが開発した、射出をメインとした飛来する冷気を帯びた氷の剣だ。だが、それだけではない。自らが振るう、より分厚く強力な氷雪剣を生み出せる。それこそが氷雪剛剣だ。これを使用している最中は通常の氷雪剣の同時最大数が6本に減少してしまうが、それを上回るだけの近接火力を引き出せる。

 何よりもコイツで気に入っているのは、魔力で生み出される冷気の氷剣だからこそ、どれだけ乱雑に壊れるような扱いをしても再生できる点だ。これは日蝕の魔剣と同じであるが、耐久度も火力も魔剣の方が上である。言うなれば即席の純水属性の両手剣を生み出せるのがメリットだ。ただし、魔剣とは違って使い捨てなので、使わずに消失させても魔力還元されない。

 オレはシャークマンと違ってスピードがある。散開しているが、射撃の反動で暗殺者の動きは鈍い。1人目に接近して心臓を狙って胸を薙ぎ、そのまま背後に回って頚椎を裂く。

 

「次」

 

 3人同時のフォーメーション攻撃。1人が突撃してオレの攻撃をガードで止め、左右後方の2人がオレを挟み撃ちにするわけか。そして、更には背後に回った他の暗殺者が射撃で仲間を巻き込みながらも援護する手筈だな。

 氷雪剛剣の突きを暗殺者が片手剣でガードする……が、そのまま押し込む。剣先が潰れようとも、刀身に亀裂が入ろうとも構わぬフルパワー。ガードをパワーで押し崩し、そのまま胸の中心を貫き、連携の出鼻を崩す。

 

「あが……ば、馬鹿な……!」

 

 普段は武器が壊れないように扱いにはそれないに配慮をしている。そうでもなければ、イジェン鋼製でも耐えきれないからな。だが、刃を日蝕の粒子で形成して自動修復できる魔剣と魔力で生み出された氷雪剛剣だけは違う。

 暴力的で、武技の欠片も無い、聖剣すらも砕いた『獣の狩りの業』。氷雪剛剣で刺し貫いた暗殺者を何度も地面に叩きつけ、その分だけ傷口は抉れ、悲鳴が漏れる。そして、絶命した暗殺者を荒々しく投げ飛ばす。

 剣先は欠け、大きく刃毀れした氷雪剛剣は見る見るうちに復元していく。壊れ易いのは難点だが、やはり復元性があるのは利点だな。後は≪両手剣≫のステータスボーナスが付かないので両手剣として運用しても火力は控えめになる点か。

 

「獣血侵蝕」

 

 だが、それも解決する。氷雪のレガリアの『暗器化』。オレの周囲を浮かぶ氷雪剣にも、左手に握る氷雪剛剣にも、血管のような緋色の紋様が張り巡らされる。更にオレの左目の義眼の周囲の白木の根もまた獣血侵蝕の影響で緋色変色し、まるで血管が浮かび上がったように様となっているはずだ。

 氷雪のレガリアと青血の義眼、接続完了。レギオン・システム……起動。

 さすがに思考操作程ではないが、負荷が少なくて済む。浮遊する氷雪剣がオレの思考に何処まで付いて来てくれるか、実に楽しみだ。

 

「さぁ、殺し合いましょう?」

 

 オレが微笑みかけながら殺し合いの続行を宣言すれば、彼らに恐怖が溢れる。ああ、それは無いだろう? アナタたちは暗殺者だ。正々堂々と戦う事を否定した者達だ。ターゲットを死に至らしめてこそ存在価値があるはずだ!

 ならば邪魔するオレを突破してみろ! 陽動ならば全力で足止めしてみろ! そうしなれば、アナタ達の本懐は遂げられないのだから!

 

「限定解放」

 

 左肩甲骨から突き破るように、白木の根が飛び出し、それは動き続ける不定形の骨格となり、緋血による受肉を果たす。翼か怪物の顎か、異形の片翼がオレから形成される。

 

「デーモンの王子、その羽ばたきを今ここに」

 

 白夜の狩装束、炎気加速。片翼なので極めて不安定であるが、以前の四肢の強化よりも遥かに高加速を得られるピーキー仕様になっている。

 炎気加速、DEX出力7割、STR出力7割、装備破損を無視した獣の狩りの業。純然たる破壊の突きで暗殺者の心臓を刺し貫き、そしてそのまま胴体を引き千切る。代償として氷雪剛剣は半ばから折れたが、即座に再生する。

 暗殺者達の恐慌の乱射だが、無意味だ。片翼を前面に広げ、翼膜で銃弾を受け止める。片翼を形成する緋血に取り込まれた銃弾に獣血侵蝕が施される。

 

「触れていれば何でも侵蝕できる」

 

 片翼から銃弾を吐き出す。何人かは避けたが、獣血侵蝕された銃弾で撃ち抜かれた者達の驚愕は感じ取れる。

 

「クヒ、クヒヒ、クヒャヒャヒャ……!」

 

 反撃で迫る暗殺者の斬撃。贄姫で受け流してカウンターを決める。まだ生きていたが、片翼で刺し貫く。

 悲鳴と絶望と血と恐怖で満ちる。殺して、殺して、殺して、殺し尽くす。

 薔薇園は原型を失う程に破壊し尽くされ、だが薔薇以上に濃厚な赤と血の香りによって彩られる。

 

「うわぁああああああああああああ!」

 

 最後の1人が勇敢にも片手剣を構えて突撃する。暗殺仕様ライフルで銃撃するが、その全てを贄姫で弾き、オレはゆっくりと歩きながら間合いを詰める。

 左手の氷雪剛剣を振るう。相手を脳天から叩き潰す為に。だが、暗殺者はギリギリで片手剣にて斬撃を逸らし、1歩退いてオレの顔面に照準を合わせたライフルのトリガーを引く。首を傾げて銃撃を躱し、贄姫の突きで追撃するも、左手の籠手から飛び出した鉤爪の間にて刀身を絡め取り、刺突が顔面に突き刺さるギリギリで止める。

 贄姫の切っ先が突き刺さった仮面が割れれば、若い女の顔が露わになった。年齢はまだ10代後半だろう。涙で目を溜めている。恐怖以上に仲間を惨たらしく殺された怒りが濃い。感情を爆発させて戦うなど暗殺者らしくないが、嫌いではない顔だ。

 

「あああああああああああああ!」

 

 鉤爪で贄姫をオレの手から弾き飛ばし、黒塗りの片手剣でオレの心臓を狙う。

 胸を刺し貫くだろう刃を右手の掌で突き刺して止め、掴み取る。

 素晴らしい。この窮地にて、恐怖を踏破し、仲間の死に憤怒して奮起し、見事に立ち向かった。ああ、やはり『人』はこうでなくてはならない!

 

「おぉおおおおおおおおお!」

 

 片手剣をそのまま押し通そうとするが、それは無理というものだ。黒塗りの暗殺仕様のせいで気付きにくいのだろうか? 彼女の片手剣には獣血侵蝕特有の緋色の血管模様に覆われている。

 獣血簒奪。もはや黒塗りの片手剣は彼女の武器ではない。オレの得物だ。軽々と奪い取れば、彼女は呆然とし、その顔面に片手剣を振り下ろす。咄嗟に左手のライフルでガードするが、そのまま刃を押し込み、転倒させる。

 片手剣を彼女の右肩に突き刺して地面に拘束し、左手首を踏みつける。

 少女が右手で腰の手榴弾のピンを外すより先に、オレは氷雪剣を彼女に上空から降り注がせる。顔を、喉を、胸を、腹を、右腕を、左太腿を刺し貫いて拘束する。

 

「アナタは話さないでしょうね。自分が何処の所属なのか、きっと何も教えてくれないでしょうね」

 

 だから、ここで死ね。氷雪剣は炸裂し、傷口を醜く広げる。いずれも獣血侵蝕で血質属性を付与して火力を上げ、暗器化でステータスボーナスを上乗せしてある。グリムロックの計算では、相手の属性防御力にもよるが、対策が難しい水属性と両立が難しい光属性・闇属性の平均値が適応される血質属性を加味すれば、本家≪絶影剣≫の黒紫結晶剣の2.1倍超にも到達する火力を実現できるとの事だ。

 

「あ、ああ……あが……」

 

 暗殺者のHPはゼロになっていない。僅かに残っている。だが、それも時間の問題だ。各傷口からは多量の血が溢れている。流血のスリップダメージは甚大だ。残された時間はせいぜい長くても10秒だろう。

 

「あ……雪。見てください、雪ですよ。やっぱり降ってきましたね」

 

 両手を広げ、舞い落ちる雪を受け止める。死に行く暗殺者の少女の微笑みかければ、彼女は言葉を紡ごうと口を動かしたが血の泡しか溢れるばかりで、そして息を引き取った。

 

「祈りも無く、呪いも無く、安らかに眠れ」

 

 落ちている贄姫を拾い上げ、周囲を見回す。これで薔薇園側の陽動は打ち止めか。正面玄関の方は静かだな。シャークマンが参戦して一気に形勢逆転したのだろうか。

 薔薇園側の暗殺者を全滅させるのに70秒もかかってしまった。侵入を全て防げてはいないだろうしな。灰狼の戦闘能力が未知数である以上はある程度の間引きもしておかなければなるまい。だが、その前に正面玄関の様子を確認しておくか。シャークマン達が全滅しているかもしれないしな。

 

「ガハハハハ! よくぞ生き残った! 我らの勝利! 勝利! 大勝利! 完勝である! ガハハハハ!」

 

 ……杞憂だったな。正面玄関では精根尽きた、正面玄関防衛に割り当てられていたジェネラル・シールズの面々が膝をついている。いずれも涙と鼻水と涎で汚れた、死の恐怖で色濃く化粧されている。彼らの内の半数は精神的に再起不能になり、もうまともに戦う事は出来ないだろう。残る半数の更に半分は恐怖に屈してジェネラル・シールズを辞めるだろう。そして、残りは恐怖を克服して成長する。ただし、ジェネラル・シールズに残るか否かは愛着と待遇次第といったところか。

 こうして考えたならば、やはり数を確保できる大ギルド・有力ギルドはより優れた戦力を確保できるのも頷けるというものだ。篩にかけられる母数が違う。そもそもとして与えられる装備も、得られる知識も、積み重ねる訓練の質も違うのだから。

 それはそれとして、完勝は違うだろうに。ジェネラル・シールズの生き残りは多く見積もっても1割程度だ。戦力の9割を損耗の責任はまず間違いなくシャークマンがとらねばならないだろう。

 人口増加したとはいえ、シャークマン級の実力者は貴重だ。解雇はさすがにないだろうが、減給や降格はあり得るのではないだろうか。まぁ、気にしてもしょうがない事だがな。

 

「祝うにはまだ早過ぎます。スイレンさんの身辺の安全を確保していません」

 

「おお、【渡り鳥】か! むむ!? その手の傷……どうやら薄汚い暗殺者共にも手練れがいたようだな!」

 

 シャークマンは目敏くオレの手の傷に気付いた。まぁ、獣血簒奪の為にわざと手で受け止めたのだがな。そういう事にしておくとしよう。

 

(無傷で倒せたはずよ。獲物を狩るのに不必要な傷を負うのはアナタの悪い癖。たとえ、それが殺し合いの中で生を実感する術だとしても……)

 

 はいはい、分かってますよ。ヤツメ様が口を尖らせた忠告を軽く受け流す。

 そうだ。もっとスマートに、傷を負わずに倒す方法はあった。わざわざ獣血簒奪を明かす必要性などなかった。

 だが、彼女の闘志に……『人』の魂に……最大限に応えたくなってしまったのだ。その顔が恐怖と絶望で染まって心折れるのか、それとも立ち向かい続けられるのか、知りたくなってしまったのだ。

「確かにスイレン嬢を保護してこそ護衛任務の完遂。祝うのは尚早というものか!」

 

 護衛の完遂は任務終了の通達があるまでだろうに、というツッコミは野暮というものだな。それはさておき、ジェネラル・シールズはシャークマンを除いて全員が負傷または精神状態、あるいは両方を理由に戦闘続行不可能。実質的にオレとシャークマン以外に動ける人員はいない。

 エバーライフ=コールの援軍到着まで持ち堪えたいが、それよりも先に騒ぎを聞きつけた大ギルドや教会による強行介入が心配だな。治安維持を名目にして不干渉の暗黙の了解を破り、スイレン、もといリンネの確保に動かれた場合、対処が困難だ。

 いや、むしろ暗部の投入の本命はそちらか? 快楽街に対する不干渉を破るだけの価値が≪ボマー≫にはある。戦略級ユニークスキルだからな。

 

「……シャークマン、お話したいことが――」

 

 だが、オレが話を切り出すより先に強烈な空気の振動によって全身を揺るがされる。

 灰狼に持たせた警報だ。もはや音というよりも打撃に近しく、オレやシャークマンはともかくとして、グロッキー状態のジェネラル・シールズはトドメになったらしく、完全にダウンしてしまっている。

 ふむ、さすがはグリムロック製だ。もはや攻撃アイテムの域だな……って、感心している場合ではないか。警報が鳴ったということは灰狼の手に余る事態になったという事だ。

 

「これは何が――」

 

 シャークマンに問われるより先にオレは弾けるように踏み出す。施錠された正門を贄姫の連斬で解体し、そのままエントランスを抜ける。

 DEX出力7割、最高速度維持。客間まで推定8秒……!?

 最速で向かうオレが廊下の角を曲がると進路を阻んだのは、浮遊する黒い球体の群れだ。それらはオレの接近に反応して赤いランプを点灯させる。

 最近の1個が爆発すれば全てに連鎖し、巨大な爆炎となる。

 浮遊機雷か! 咄嗟に回転を効かせたバックステップで廊下の角に戻る。爆炎の熱が頬を舐めるが、幸いにも距離を十分に取っていたお陰でノーダメージだ。

 単発の火力は低いな。滞空時間に特化させた個人運用品か。暗殺者が持ち込んだものか?

 焼き焦げた廊下は元の外観を残していない。壁紙は炭化してしまい、隠されていた鋼板が露わになっている。見た目は貴族の邸宅のようであるが、一皮剥けば要塞に採用されている無骨な金属の本性が露呈する。まるで冷たく無感情な真実を甘く優しい嘘で包装しているかのようだ。

 慎重に進むべきかもしれないな。防具で対策しているとはいえ、VITが低いオレでは直撃=死亡のようなものだ。

 スイレンと灰狼が立て籠もる客間の前に到着する。ドアが突破された痕跡はない。オレでも一撃で切断することは不可能だろう。まぁ、正面玄関と同じように連撃ならば可能であるが。

 

「マスター!」

 

 ドアを開けると同時に焦燥に満ちた声で呼ばれる。それが警告であると把握するより先に、浮遊するサッカーボールほどの大きさの黒い球体から続々と吐き出される針を贄姫で弾く。

 

「無事か?」

 

 だが、オレに警告した灰狼に防ぎきれるものではない。彼女の皮膚と衣服、そして特徴である毛先に進むほどに黒く変色するグラデーションがかかった灰髪は血の赤色で染まっている。

 左肩は太い黒の杭で刺し貫かれて壁に拘束されている。加えて呼吸のリズムもおかしい。内臓を損傷しているな。外傷から察するに打撃か。

 

「マスター! お、お怪我が……!」

 

「ジッとしていろ」

 

 オレは灰狼の肩を貫く杭を抜く。暗器ではない。攻撃アイテムの類いか。この質感はイジェン鋼だな。本当に皆大好きだな。だが、コイツは少し改良が加えられている。複数の棘が備わっていている。

 オレが言えた義理ではないのだが、悪趣味だな。投げナイフの1種なのだろうが、殺傷性よりも対象にダメージフィードバックを与える事を目的としたものだ。あくまで抜け難くさせるのは福次効果といったところか。

 灰狼から確認を取らずにオレは杭を引き抜く。傷口から血が零れ、灰狼は呻くが、悲鳴はない。根性はあるようだ。

 

「灰狼を庇ったばかりに! すぐに治療を!」

 

 今にも泣きそうな顔をした灰狼の手を払いのける。オレの左腕には先ほどの針が十数本刺さっている。自分だけならば贄姫で弾くのも容易かったが、灰狼の直撃を防ぎながらとなるとそうもいかず、左腕を盾にするしかなかった。防性侵蝕を発動させたのであるが、思いの外に貫通力が高かった。

 針も灰狼を拘束した杭と同じ構造だ。微細な突起物が備わっている。オレはそれらを乱雑に引き抜いて放り捨てる。

 

「要らん。それよりもスイレンは?」

 

 客間には灰狼以外にいない。銭湯の痕跡はあるが、灰狼の武器であるアサルトライフルが発砲されただろう弾痕は少ない。

 

「申し訳ありません。スイレン様は賊に拉致されました」

 

「具体的に説明しろ」

 

 部屋での戦闘は極短時間。ドアが破られた痕跡はなし。窓は開いているが、ご丁寧に施錠が解除されている。外部から破壊されたわけではない。

 以上より2つの推察が成り立つ。灰狼ないしスイレンが招き入れたか、はたまたスイレンを拉致した人物は客間の鍵を持っていたか。

 

「敵はドアを開けて侵入してきました。灰狼は応戦しましたが、力及ばず……!」

 

「そうか」

 

 思わず溜め息が零れる。これは面倒になったな。血で濡れた左手で前髪を掴み、周囲を見回す。なるほどな。大よその状況は掴めた。

 

「も、申し訳ありません。灰狼は……灰狼は役立たずでした。申し訳……ご、ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめ――」

 

「落ち着け。誰も怒っていない」

 

 涙で両目を濡らし、垂れ下がる狼耳を両手で隠すように頭を抱えた灰狼は、まるで主人に叱責されて怯える小犬のようだ。

 

「ですが、灰狼は有用性を――」

 

「『まだ』失望もしていない。初ミッションなんだ。敵の戦力も分からず、オマエの実力も不鮮明のまま実戦投入したオレの落ち度だ。頭を切り替えろ。現状で優先すべきなのはスイレンの奪還だ」

 

 暗殺ではなく拉致。つまり、スイレンを生かす理由がある。以上より拉致実行犯はスイレンの生命を害する恐れは『現時点』ではない。最終的には殺害されるにしてもまだ猶予がある。

 拉致の目的は≪ボマー≫の継承が確定した段階で他勢力に盤面を引っくり返される前にスイレンを殺害する為か。そうなると、暗殺者を送り込んだのとは別の勢力だな。

 窓から外を観察するが、すでに人影はない。このまま快楽街に潜り込まれたならば追跡は絶望的だ。痕跡を辿るにしても間に合わない。

 

「【渡り鳥】!」

 

 次にオレを呼んだのは窓のすぐ真下に移動していたシャークマンだ。オレは両手で涙を拭う灰狼に冷たく視線を横目で向ける。

 

「泣いて立ち止まるならば好きにしろ」

 

「…………っ!」

 

 窓から飛び降りたオレの新たに負傷した左腕に目を向けたシャークマンだが、今度は言及しない。

 

「まずい事態になった! スイレン嬢が攫われた!」

 

「ええ、そのようですね」

 

「即座に追跡するぞ! 手伝ってもらえるか!?」

 

「無論です。ですが、足取りが――」

 

「ガハハハハ! ジェネラル・シールズを舐めてもらっては困る!」

 

 大笑いしたシャークマンに釣られるように、快楽街で立ち上ったのは夜でも目立つ発光する緑の煙だ。

 

「こんな事もあろうかと、ジェネラル・シールズは快楽街にも潜伏させてある! 見ろ! あそこだ! 加えてぇええええ!」

 

 シャークマンが駆け出し、オレもそれに続く。激しい銃撃戦があった正面玄関から正門までの道のりを経て待っていたのは、暗緑色の前輪後輪どちらも大型タイヤが2本並んで備わっている全長3メートルにも達する大型バイクだ。ボディにはジェネラル・シールズのエンブレムである盾を掴む赤のグリフォンが描かれている。

 モンスターバイク。RDがよく仕事で使うものであり、陸上における最高ランクの運動性能を誇る。もちろん、使用には≪騎乗≫スキルが不可欠であり、スキルが無い場合はまともに運転することさえ困難だろう。

 商人NPCから購入できる最低性能であろうとも80万コルにも到達する高価格であり、燃料や整備といったランニングコストも考慮すれば、並の中小ギルドでは保有する事さえ困難だ。また、その運動性能の高さに比例した要求運転技術も高い。

 だが、使いこなせばあらゆる環境を走破できるだけではなく、追加オプションによる強大な武装で高速機動兵器にも化す。

 素の戦闘能力は傭兵でも下位のRDだが、モンスターバイクに騎乗したならば、彼の戦闘能力は飛躍的上昇する。それこそ、たった1人でアームズフォート含めた大ギルドの戦力が布陣された戦場を駆け抜け、敵陣を突破して『荷物』を届けることが出来るくらいだ。

 地に足がついた戦闘では下位のRDも、騎乗すれば1桁のランカーにも匹敵、あるいは上回る。それこそが【運び屋】の異名を持つ彼の本性だ。尤も、直接戦闘は徹底的に避けるので、公式に記録された戦果は乏しいんだがな。

 

「これは何処から?」

 

「備えあれば憂いなし!」

 

 モンスターバイクは3台も準備されており、ジェネラル・シールズのプレイヤーがエンジンを吹かせている。内の1人がシャークマンと替わり、別のバイクの後部に跨がる。

 

「状況は!」

 

「はい! スイレン嬢を攫ったターゲットはバイクで移動中! 裏路地に入りましたが、我々の他の勢力の妨害を受けているようです! これがターゲットの予想進路です!」

 

「ほう! どうやらターゲットは快楽街南方から旧市街への逃走を目論んでいるようだな! そうはさせるものか! 行くぞ、【渡り鳥】!」

 

 部下から報告を受けたシャークマンが後ろに乗れと指差し、オレは飛び乗る。

 ジェネラル・シールズか。どうやら認識を改めねばならないようだ。護衛対象が拉致された場合に備え、ここまでプランを練っていたとはな。準備不足だったのはオレの方だったようだ。

 

「お待ちください! 灰狼も同行します!」

 

「ぬぬぬ!? 犬耳少女!?」

 

 ……来たか。オレは振り返らず、後を追ってきた灰狼を歓迎する。そうだ。それでいい。泣いて蹲るなど誰でも出来る。重要なのは失敗した時、再び立ち上がれるか否かだ。

 

「オレのサポートユニットです。問題ありません」

 

「だがな……」

 

「全責任はオレが持ちます」

 

 躊躇うシャークマンに、オレが断言すれば、彼も戦力が欲しいのだろう。即決し、別のモンスターバイクの後ろに座るように指示した。

 3台のモンスターバイクが発進する。その初速たるや、並の騎獣の比ではない。景色は前から後ろへと一瞬で過ぎ去る。快楽街の入り組んだ街並みを走るにはモンスターバイクでは小回りが利かないが、それを運転テクニックでカバーするシャークマン含めた3人の運転手の腕前は見事だ。

 ただし、快楽街の住人・来訪者達からすれば堪ったものではない。なにせ轢かれたら即死もあり得る巨大2輪駆動が3台も並列して突進してくるのだ。

 怒号と悲鳴のデュエットだな。だが、ジェネラル・シールズはここでも有能を発揮する。すでにルート上を強引に人払いし、オレ達の道を阻む要素を排除していた。

 

「これだけの準備、カリンさんはご存じで?」

 

「ガハハハ! 知るはずも無かろう! 私の独断だ!」

 

 もしもスイレンが拉致されなかった場合、これだけの人員を動かしたコストはどうやって穴埋めするつもりだったのだろうか? いや、あの強かなカリンの事だ。仮にスイレンを奪還できて、その大部分が快楽街広域で待機していたジェネラル・シールズのお陰だったとしても、追加請求など契約外としてはね除けるはずだ。

 ……まぁ、それはスイレンを奪還してから考えればいいだろう。もしもカリンが契約外を口にしたならば、あまり使いたくない手であるが、マダム・リップスワンにオレが頭を下げるか。

 運転するシャークマンの正面には半透明の立体ディスプレイが展開されており、スイレンを拉致したターゲットの現在位置を表示している。更新間隔は5秒毎であるが、ターゲットの赤い丸マークとオレ達を示す黄色の三角マークは更新の度に接近していく。

 

「捉えた!」

 

 シャークマンが吼え、黒いバイクが目に入る。スイレンはバイクの後部荷台にロープで拘束され、猿轡を噛ませ、両目を分厚いマスクで覆われている。身動き1つしないところを見ると拘束状態のようだ。≪ボマー≫も封じられているのかもしれないな。

 運転しているのは男か。服装は黒地に金で縁取りされた中華服だ。拳法着に近しいデザインであり、長めの前垂れと後ろ垂れがある。四肢には光沢を抑えた黒塗りの籠手と具足。この距離では素材までは分からないな。

 背中には竜ならぬ龍……それも黄金の龍を踏みつけ、喰らい殺さんとする白虎の刺繍が施されている。

 

「よし! 追いついたぞ!」

 

 シャークマンが左から、灰狼を乗せた彼の部下が右から、最後の1人が背後から黒バイクを包囲しようとする。だが、モンスターバイクさえも振り払うように黒バイクは加速する!

 

「な、なにぃいいいい!?」

 

 シャークマンの驚愕は尤もだ。モンスターバイクは2輪駆動最強だ。それを振り払う速度など、どれだけハイエンド、どれだけカスタムしても困難だ。

 そう、困難であるだけで、高レアリティの素材、高い技術力、整備性の犠牲、高燃費に伴う走行可能距離の短縮に目を瞑れば、モンスターバイクに匹敵する加速は得られる。ただし、操作性も多大に低下するので、モンスターバイクどころではないじゃじゃ馬になるだろうが。

 

「ぐぬぬぬ!」

 

 シャークマンが更にアクセルを踏む。これで速度は互角か。だが、シャークマン達の運転技術が優れてるとしても、障害物のない直線ならばともかくとして、障害物もあれば鋭角カーブ、激しいアップダウンまである立体構造の終わりつつある街では自殺行為だ。

 それを証明するように、黒バイクの背後を取っていたモンスターバイクが直角カーブを曲がりきれず、半ば正面から壁に激突する。幸いにも壁よりもモンスターバイクの方が頑丈だっただろうが、運転手は無事では無い。最悪の場合、死んでいるだろうな。

 加えて快楽街でルートを確保していたジェネラル・シールズの補佐も無くなる。ここからは人数も増える! モンスターバイクの怪物の如き駆動音がサイレンの代用になったお陰で自発的に避難してくれているようだが、1つミスが起これば人身事故の発生だ。

 だが、喜ぶべきかどうかは困るところだが、黒バイクは快楽街の人気の無い道に進んでいく。シャークマンの指摘通り、旧市街に逃げ込む気なのだろう。あるいは、そこで仲間と合流するつもりなのか。

 まるで螺旋のような下へ下へと進む階段のカーブ。シャークマンも減速せざるを得ないが、黒バイクはほとんどスピードを落としていない。どんなカスタムと腕をしてやがる!

 更に不運は続く。オレ達の周囲に爆炎が生じた。背後から飛来してきたミサイルだ。振り返れば、同じくモンスターバイクに跨がった黒ヘルメットとライダースーツの集団だ。

 ターゲットの仲間? いいや、違う! 他にもノーマルバイクに騎乗し、建物の屋根やわずかな出っ張りを利用してアクロバティックな運転をする集団が、オレ達ではなく、黒バイクを攻撃する。

 屋敷を襲撃した暗殺者の仲間か同類か! スイレンの拉致では無く殺害を目的としている! 攻撃できないオレ達とは違い、彼らは躊躇いの必要が無い!

 

「ガハハハ! 面白い! 面白いぞ!」

 

 シャークマンは急ブレーキをかけ、前輪を持ち上げる。モンスターバイクは何も大型化されたバイクでは無い。複数の『間接』を持ち、また後輪だけでの走行も可能とする。

 シャークマンは前輪を持ち上げたまま反転し、バックしながら前輪に左右に備わった砲門を向ける。放たれたのは闇を引き裂くような青いレーザーだ平均的なレーザーキャノン未満であるが、並のハイレーザーを上回る太さと火力であり、直撃を受けた暗殺者のモンスターバイクが火花を散らし、明確に減速する。

 逆に言えば、2発分のレーザーを受けても減速する程度のダメージか。さすがはモンスターバイクだ。やはり運転手を仕留めなければ駄目だな。

 

「これは?」

 

 再び反転し、前輪を下ろしたシャークマンに、オレは彼の操作するモンスターバイクの荷台の左右に備わった金属ボックスを問う。暗殺者のモンスターバイクとは違い、ミサイルポッドではないようだが、使えるならば使うべきだ。

 シャークマンが無言で操作すれば、左右のボックスが開く。オレの後ろ斜め左右に展開されたのは銃器だ。ショットガン、ライフル、アサルトライフル、レーザーライフル、一通り揃っているな。

 マキビシをばら撒き、背後のモンスターバイク軍団を少しでも足止めする。さすがに鈍足付与ももパンクもさせられないだろうが、多少の減速は強いるはずだ。

 並走するシャークマンの部下が駆るモンスターバイクには後部迎撃用のガトリング砲が備わっているらしく、弾幕を張る。灰狼はアサルトライフルで、ノーマルバイクのアクロバティック集団を狙っている。

 灰狼はすでに冷静さを取り戻し、感情を殺したクールな無表情だ。その目は冷徹に獲物に狙いを定める狼そのものだ。

 灰狼のアサルトライフルが連続命中し、ノーマルバイクを駆る1人が着弾の衝撃で運転を誤り、正面から廃屋に突入する。悪くない腕だ。

 

「借ります」

 

 マキビシを使い切り、伸縮槍をオミットして武器枠を空ける。

 左手にハンドガンを、右手に拝借した重ライフルを構える。

 

「ダブルトリガー!? 待て! その重ライフルは単発火力を高めた特注で、いかにSTRが高くとも片手撃ちするようなものでは――」

 

「運転に専念を!」

 

 旧市街とは獣狩りの夜の復興が行われなかった、かつての終わりつつある街の風景を廃墟群という形で残すエリアの総称だ。当然ながら瓦礫だらけで舗装などされていない。運転を1つ誤れば転倒どころでは済まない!

 ターゲットの黒バイクはモンスターバイクに匹敵する最高速度を出せるが、サイズはノーマルバイクだ。モンスターバイクでは入れない小道に入られたらアウトであるが、シャークマンはハイレーザーを連射して強引に道を広げて突き進む。

 皮肉にも暗殺者達のせいでターゲットは思うように逃げ切れていない。本来ならば、小道と瓦礫が多い旧市街でオレ達を振り払うつもりだったはずだ。だが、暗殺者達の猛攻で進路が限定される。

 

「いかん! このままでは旧市街から……!」

 

 シャークマンの懸念は的中する。旧市街の奥地に逃げ込む事を諦めたターゲットは進路を変更する。

 終わりつつある街、中層。コロシアムを中心としたクラウドアースが栄える娯楽街の方へと向かう。大通りともなれば、人通りも多いというのに!

 黒バイクは鋭角の階段をただの坂道のようにスピード任せに駆ける。それをオレ達に暗殺者達から放たれる攻撃が幾度となく掠め、彼らを排除する為にオレも体を後ろに反らし、天地が逆転した視界で銃撃する。

 左手の拳銃では射程も威力も足りないが、接近されたならば連射は上回る! 右手の重ライフルは1発が重たい。運転手に命中させれば殺せずとも運転ミスを誘える!

 STR出力7割維持……! じわじわと深淵の病が鎌首を持ち上げてきた! 口の中に広がるのは闇を含んだ血だろう。オレは乱暴に吐き捨てる。

 重ライフルのヘッドショットが決まり、運転がブレた暗殺者がスリップして脱落する。まずは1人! 建物の屋根を走り、最短距離で追っているノーマルバイクの集団を狙い、体を起こして左右に腕を伸ばし、トリガーを引く。

 ハンドガンでも、有効射程距離外でも、頭部に連続命中させれば集中力を奪える! このスピードだ。一瞬の意識の隙がそのまま命取りになる。重ライフルならば言うまでも無く当たれば終わりだ。

 灰狼も積極的にノーマルバイクを狩り、オレ達2人で瞬く間に数を減らす。6人を切った時点で損害が大きいと判断したのか、ノーマルバイクの暗殺者は撤退する。残るはモンスターバイクの暗殺者だが、それも残り3人だ。半分以上は旧市街の悪路を運転しきる技術は持っていなかったようである。

 

「ガハハハ! ダブルトリガーでここまで倒すとは! お見逸れしたぞ!」

 

「オレなんてまだまだですよ」

 

 シャークマンは感嘆するが、スミスならば全員の排除に20秒とかかっていないだろう。ダブルトリガーに関してはあの男がDBOの頂点だ。すなわち、近接銃撃戦において最強は間違いなくスミスである。

 人数が増えた大通りに出る。悲鳴と怒号が再び重なり合うが、黒バイクは自分が通る場所こそ道だと言わんばかりに人が密集した食材が並ぶ市場へと突入する。

 林檎、葡萄、桃といった様々な瑞々しいフルーツが飾られた果物市場に突入した黒バイクを追うも、モンスターバイクの大きさのせいで思うように動けない。だからといって、小回りの利かないノーマルバイクを準備しなかったシャークマンの落ち度もない。なにせ、ターゲットの黒バイクがモンスター級カスタムだったのだ。むしろ、よくぞ食らいついてくれている。

 

「そこの暴走バイク、止まれ!」

 

 教会剣のお出ましか! 聖布を防具に装着した白い鎧を纏った集団に咎められるが、足はこちらが絶対的に上だ。このまま突っ切る!

 だが、このまま見逃すものかとばかりに、空に向かって信号弾が撃たれる。

 

「ぬぅ!? このままでは教会剣の援軍どころか、大ギルドまで出張ってくるぞ!」

 

「それでスイレン嬢の安全が確保されるならば文句はないのですがね」

 

「ガハハハ! 仕事の為ならば一夜のお尋ね者も悪くないか!」

 

 大らかと褒めるべきか、楽観視し過ぎていると呆れるべきか、困る反応をしたシャークマンだが、その背中には微かな不安が宿っていた。

 

「だが、そもそも連中は何なんだ? これだけの装備、断じて黄龍会ではないぞ! そこらの犯罪ギルドではあり得ない程に装備が整い過ぎている!」

 

 それ以上は考えない方が身の為だ。大ギルドを疑い始めたら切りが無い。

 大ギルドの暗部が相手なのだから、これくらいの装備は当たり前だろう。むしろ、この程度の物資・人員で≪ボマー≫とトレードできるならば安い買い物だ。

 黒バイクが今度は魚市場へとカーブする。新鮮な海鮮類が並ぶ市場は生臭く、また生きたままの蛸や烏賊が生け簀で展示されて購買欲を煽り、巨大な海魚の切り身が吊されている。

 

「わぷ!? ま、マスター! 見てください! 大きなお魚です!」

 

「さっさと捨てろ」

 

 氷で冷やされた巨大鰹に衝突した灰狼は、その拍子に巨大鰹をキャッチしてしまったらしく、無邪気に驚きを示す。だが、その後ろで鬼の形相をした店主がショットガンを構えていた。

 名残惜しそうに巨大鰹を放り捨てた灰狼だが、これは状況がよろしくない。黒バイクもさすがに減速しているが、こちらはそれ以上だ。加えてターゲットは意図的に市場の食材と人間を巻き込んでこちらの足を止めようとしている。

 

「奴め! 何処に行く気だ!?」

 

 シャークマンの疑問は尤もだ。ターゲットはスイレンを仲間に引き渡さねばならないはずだ。だからこそ、オレ達を引き離そうと躍起になっている。今もリアルタイムで仲間と連絡を取っていると仮定して、どうしてターゲットの援護に来ない?

 暗部とオレ達に追跡されてる状況はターゲットにとって危険であるはずだ。ならばこそ、何かしらの援護があってもいいはずだ。

 つまり、ターゲットは大ギルドが差し向けた者ではない? あるいは、大ギルドでも暗部などを派遣できる立場ではない? 情報が足りないな。

 市場を突破し、黒鉄宮跡地へとターゲットは向かう。ライトアップされている巨大なクリスマスツリーはまだ未完成であるが、すでに煌びやかな電飾を装着している。

 

「ちぃいいい! 新手だ!」

 

 シャークマンの正面に展開されている立体ディスプレイに警告が表示される。今度は何だ? 振り返ってみれば、モンスターバイクにキャノンを撃ち放つ装甲車の姿があった。

 

「……嘘だろ」

 

 ここは終わりつつある街中層の中心部……言うなれば市街の繁華街だぞ!? 大ギルドめ、戦争でも始めるつもりか!?

 キャノンの直撃を受け、暗殺者のモンスターバイクの1台が爆散し、火の玉となってオレ達の正面に落下する。あれは即死だな。まぁ、捕まって拷問を受けるのに比べれば慈悲深いだろう。

 ……って、そうじゃない! 本当に戦争がしたいのか!? 装甲車は全部で2台! 暗殺者のモンスターバイクからミサイルが放たれるが、車体は多少揺らぐ程度で装甲は塗装が剥げただけだ。

 塗装の下は……特徴的な黒光り、はいはい! またイジェン鋼ですか! 聖剣騎士団め! 無作為に売りまくりやがって! ありがとうございます! だからオレも扱えてます!

 というか、ミサイルの直撃にも余裕で耐えるイジェン鋼製の装甲車とかどう取り繕っても聖剣騎士団以外に所有してないだろ!

 

「なーに! スピードはこっちが上だ!」

 

「ですが、火力も防御力もあちらが上です!」

 

 聖剣騎士団系列の商品はスピードを捨てて火力と防御力で押し潰すのが特徴だ。だとするならば……!

 装甲車から放たれたのは空へと飛来する大型ミサイルだ。それは上空で炸裂し、無数の小型爆弾を降り注ぐ。

 クラスター爆弾とか条約違反は止めろ! いや、条約も憲法も何もDBOには無いけどさ!?

 

「灰狼!」

 

「はい!」

 

 オレはハンドガンと重ライフルを、灰狼はアサルトライフルを、シャークマンと彼の部下が駆るモンスターバイクは前輪装着のハイレーザーキャノンを空に向ける。

 降り注ぐ爆弾を炸裂させれば、空は昼間より明るく照らされる。だが、全ての爆弾を処理できたわけではない。あくまで排除できたのは直撃コースだけだ。7割以上の爆弾は市街地に降り注ぐだろう。

 

「……チッ!」

 

 本来ならば無視するところだが、これではターゲットが……いや、スイレンが危うい! ハンドガンと重ライフルを捨て、シャークマンの肩に足をかけると空へと身を躍らせる。

 ヤツメ様の導き、全開! 爆弾の落下範囲を把握! これならば……いけるか!?

 孕め、贄姫! 受容させるのは白夜の狩装束に使用されているデーモンの王子のソウル。

 

 

 斬撃結界・特式【炎魔天焦】。オレを中心にして円状に拡大する炎刃は残留し、接触した爆弾を炸裂させ、誘爆も含めて全ての爆弾の処理に成功する!

 

 

 オレの落下地点にシャークマンが上手くモンスターバイクを誘導させ、無事に着地する。

 

「いやはや! 恐れ入った! あんな切り札を持っていたとはな!」

 

 シャークマンは褒めるが、これは痛手だ。まだ見せる予定がなかったからな。だが、本質まで見抜かれてはいないはずだ。斬撃結界・特式【炎魔天焦】は巨大な炎刃で周囲を焼き尽くし、焼いた大地より混沌の炎の火柱を無数と立ち上げるという2段構えだ。空中発動では焼く大地が無く、単なる拡大する円形の炎刃による薙ぎ払いにしか見えなかったはずだ。

 だが、まずいな。贄姫から煙が立ち上っている。斬撃結界・特式は贄姫に大きな負荷を駆ける。種類にもよるが、【炎魔天焦】は高負荷の1つだ。斬撃結界はしばらく使えないな。

 

「だが、これで引き離せ……な、何ぃいいいいいいいいいいい!?」

 

 今夜で何度目になるかも分からないシャークマンの驚愕。今度は何だ?

 

「……嘘だろ」

 

 思わずデジャビュかとセルフツッコミを入れたくなるように同じ台詞を吐いてしまった。いや、許されるよ。許されるだろうよ!

 装甲車は背面にロケットブースターを取り付けていました。はい、オレ達を追い越そうとする勢いです!

 馬鹿か? 馬鹿なのか!? VOBから発想でも得たのか!? 装甲車が浮いてるじゃないか! もう飛行だぞ!?

 

「装甲車を排除します」

 

 オレ達ごと轢き殺すつもりだろうが、そうはいくか。右腕のアンカーナイフ……いや、ナイフに接続されるワイヤーのリミッターを解除する。強度保持限界距離以上の長さまでワイヤーを排出可能にする。

 右腕のアンカーナイフをモンスターバイクに引っかけ、オレは身を宙に投げる。超スピードで接近する並走……いいや、並列飛行した装甲車を見据え、姿勢制御し、激突しないように装甲車の僅かに上を位置取りす。

 1台の装甲車とすれ違う間際に贄姫を突き立てる。激しい火花を散り、装甲板が『焼き切れる』。

 デーモンの王子のソウル受容、贄姫【禍津焔】。その能力は『熱を発生させ、また蓄える』。使えば使うほどに炎属性攻撃力が付与される。耐久度が加速度的に減少すると引き換えに、火力と焼き切る特性を刀身を溶解させるまで強化させる、まさに諸刃の能力!

 斬撃結界・特式【炎魔天焦】ですでに蓄熱は十分。いかにイジェン鋼製とはいえ、相対速度を乗せた一閃には耐えきれなかったようだ。

 誤算があったとするならば、切れ味が良過ぎたか! 斬撃は止まらず、贄姫は装甲車の全てを裂こうとする。寸前で左腕から射出させたアンカーナイフを並列飛行するもう1台に突き刺す。

 焼き切られた装甲車は制御を失い、正面から地面に突っ伏し、背後で巨大な爆炎をあげる。巻き込まれた人がいないといいのだがな。まぁ、この程度は終わりつつある街の日常だ……とはさすがに言い切りたくない。獣狩りの夜に比べればマシだと割り切ってもらうしかないな。

 

「チッ!」

 

 左腕のアンカーナイフのワイヤーを巻き取り、装甲車にしがみくと左右に小刻みに揺れてオレを振り落とそうとする。黒鉄宮跡地まで推定4秒! ここが勝負か!

 装甲車背面のロケットブースターに灼熱の贄姫を突き立てて飛び降りる。

 ロケットブースターは膨張し、燃料を爆発させる。スペックオーバーの超加速と爆発による姿勢崩壊により、装甲車は巨大ツリーに正面衝突し、爆散した。

 着地して立ち上がり、くるくると舞い落ちる贄姫を鞘で迎え入れて納刀する。少し無茶をさせ過ぎたが、この程度で破損する贄姫ではない……はずだ。

 巻き込まれたプレイヤーは見た限りでは無い。だが、巨大ツリーは爆発に耐えきれず、ゆっくりと傾き始める。この質量、さすがに受け止めきれない! どうする!?

 

 

 

「今、超必殺のぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおお、グローリー☆S・U・M・O・U張り手ぇええええええええええええ!」

 

 

 

 だが、幸運にもヤツがここにはいた。グローリーが無駄に鎧をテイクオフさせ、倒れそうな巨大ツリーの根元で張り手を連打し、あろうことか押し返す。

 

「ドスコイ☆」

 

 唖然とする周囲を置き去りにして、グローリーは真っ赤な褌1枚でサムズアップ&ウインクを決める。本当にふざけたヤツだが、何だ? この意味不明な格好良さは!?

 ワイヤーの最長まで到達したのか、右腕が千切れる勢いで引っ張れる。いや、寸前に加速ステップをしていなければ間違いなく肩が千切れていただろう。

 

「耐えろ、蜘蛛姫!」

 

 本来ならば超高純度の蜘蛛糸鋼に匹敵する強度のワイヤーだが、今はリミッター解除で強度保持限界の長さまで伸ばした影響で強度が低下している。ワイヤーを巻くが、モンスターバイクのスピードが速過ぎて手首に仕込んだアンカーナイフホルダーとワイヤー機構が火花を上げる。

 ワイヤーが千切れるのが先か、ワイヤーの巻き取り機構の破損が先か。

 だが、グリムロック製は『オレが扱う』前提の設計だ! 耐久重視、これ大事! 火花を増やしながら、幾度と無い着地の瞬間の加速ステップで耐え、ブーツの底が焼き焦がしつつ、何とかシャークマンが駆るモンスターバイクに追いつく!

 ワイヤーが千切れる寸前で何とかシャークマンの後ろに飛び乗り、オレは一息を吐いた。右手のワイヤー機構は……駄目だな。修理必須だ。

 

「ガハハハ! 聞きに勝る無茶苦茶っぷり! 惚れてしまいそうだ!」

 

「男に惚れられても嬉しくありません」

 

「そうかそうか。ならば、私の男の株を上げて惚れさせるまでよ!」

 

 黒バイクとの距離はオレが不在の間に3倍以上も広げられ、角を曲がられる度に見失っていた。これで小道に入られたらアウトだが、人が多過ぎてバイクも侵入できないのだろう。クリスマスシーズンのせいで大通りは露天や屋台だらけなのもこちらに有利に働いている。轢き殺してでも入ろうにも、ノーマルバイクではせいぜい撥ねても1人が限界だろうからな。

 ならばヤツは大通りから人気の無い通りを選ぶはずだ! シャークマンもそれを理解してか、モンスターバイクのハンドルに備わった小さなレバーを切り替える。

 

「我が愛車よ! 命をぉおおおおおおおおおおお! 燃やせぇええええええええええええええええええ!」

 

 モンスターバイクの排気口から吐き出されるのは排気ガスでは無く、もはや炎だ。

 

「ガハハハ! これぞシャーク・ターボ! 我が愛車の切り札よ!」

 

「これは……惚れてしまいそうですね! アナタのバイクに!」

 

 シャークマンの部下のモンスターバイクには備わっていない機構なのか。灰狼と共にオレ達の後ろへと小さくなっていく。

 黒バイクとの距離を一気に詰める! だが、このターボ、持続時間は短くないはずだ。ターボの終了=モンスターバイクの限界ならば、ここで決めきれなければ終わりだ!

 あと3メートル! そう思った矢先に黒バイクの正面に新たなモンスターバイクが割り込む。新手の暗殺者だ。ブレーキをかけながら後輪を持ち上げ、前輪を軸にした巨大な車体を回転させたタックル! 黒バイクごとスイレンを磨り潰す気か!

 だが、黒バイクを駆るターゲットも見事だった。スイレンの額が地面に擦れるギリギリまで車体を斜めにし、タックルを躱す。そして、タックルはそのままオレ達に命中する!

 

「ぐわぁあああああああああああああ!?」

 

 モンスターバイクの正面が潰れるも、シャークマンはアクセルを踏むという英断で暗殺者の車体を押し返し、また自身も血塗れになりながらもスリップする事無く、黒バイクの追跡を続ける。

 

「シャークマン!?」

 

「まだだ! まだいける! 私のサメ映画LOVEは止めたければ、今の100倍の戦力は準備するがいい!」

 

 シャークマンは気合いで耐え抜いたが、肝心のモンスターバイクのダメージは深刻だ。ターボを込みでも前の速度程度しか出ていない。それだけでは無く、前輪に装着されていた2門のレーザーキャノンも破損している。

 やはり運転技術も反応速度もターゲットの方がシャークマンより上だ。だが、勝負は五分五分だ。離されなければスイレン奪還の目はある!

 

「この先は娯楽街! コロシアムがあるクラウドアースの支配下! ヤツめ、クラウドアースに喧嘩を売る気か!?」

 

 さすがに躊躇しそうになったシャークマンだが、大ギルドという看板に屈するものかとばかりに速度を落とさない。

 コロシアムを中心としたホテルから劇場まで揃ったDBOのエンターテイメントの集積地、娯楽街。終わりつつある街におけるクラウドアースの絶対的な縄張りだ。

 一足早いクリスマスデートを楽しむようなカップルだらけだな。雪も降ってきて雰囲気も良くてそのままホテルに直行でございますか!? そんなアナタ達に熱々の排気ガスをプレゼントだ!

 黒バイクが進むのは娯楽街の開発中エリアだ。建設途中の施設から察するに遊園地だろうか。観覧車の基礎のようなものも見受けられる。

 建設資材を飛び越え、あるいは間を駆け抜ける黒バイクを追うが、再び離されていく。だが、こちらのターボと同じように、どれだけ高性能燃料を搭載していようとも、モンスターバイクに匹敵するスピードを実現するにはノーマルバイクでは走行距離が短いはずだ。

 問題はこちらのモンスターバイクがいよいよ減速し始めた事か! 運転技術で差を広げられ、最高速度でも負け始めたならば、追跡は絶望的だ!

 

「マスター!」

 

 そして、シャークマンの部下が駆るモンスターバイクもオレ達に追いつき、灰狼が焦燥の声を上げる。あちらも追いつくまでに攻撃を受けたのだろう。モンスターバイクの装甲は剥げ、火花を散らし、黒煙を上げている。まだスピードを保てているのが奇跡の状態だ。

 

「これは……高速道路か!?」

 

「いいえ、どうやら……『ゴーカート』のコースみたいですね」

 

 クラウドアースが建設中のゴーカートのコースだが、幼稚園の子供が戯れるような遊技場では無い。左右を壁で覆われた本格的な高速道路だ。どうやら娯楽街全体に張り巡らす予定だったようだ。ゴーカートというよりもF1のようなレース用かもしれないな。

 システムウインドウで贄姫を再装備で回収し、捨てた重ライフルとハンドガンをオミットし、レーザーライフルとサブマシンガンをガンボックスからいただく。

 

「来ます!」

 

 壁を飛び越えて更に2台のモンスターバイクが出現する。しつこい連中だ! 終わりつつある街を滅茶苦茶にしてまで≪ボマー≫が欲しいか? まぁ、ギルド間戦争の勝敗を左右しかねないユニークスキルなら街の半分を焼き払う価値もあるかもしれないが、本当にやりかねない執念を感じるぞ!

 おそらくだが、スイレンが拉致されたのがトリガーを引いてしまったのだろう。いずれの勢力も後に引けなくなり、使う気が無かった戦力まで派遣し合っているのだ。

 いや、まだスイレン拉致から5分と経過していない。それなのにこれだけの過剰戦力の投入。あらゆる勢力がいつでも開戦からの先制攻撃の準備をしていたという事なのだろう。

 薄氷の下は戦争という名の業火が今か今かと解き放たれるか待っているというわけか。オレが想像しているよりもずっとずっと危ういバランスの上に3大ギルドによる秩序が保たれているようだ。

 今宵、たとえスイレンを奪還できたとしても、はたして平和にクリスマスを迎えられるかは疑問だな。案外、一足早いクリスマスプレゼントで開戦の爆音が鳴り響くかもしれない。

 だが、いずれの勢力にも過激派や穏健派などの派閥があるはずだ。今回がいつでも開戦に備えていた過激派の行動が連鎖した結果ならば、穏健派が待ったをかける前に決着をつけようとするだろう。そうなると……嫌な予感がするな。

 

「な、なにぃいいいいいいいいいいい!?」

 

 シャークマンの悲鳴が轟く。右の壁が横一直線に赤熱したかと思えば爆散したのだ。

 

「……いい加減にしろ」

 

 出現したのはゴーレムだ。全長15メートルにも達する巨体。全体を黒で塗装されており、逆間接の2脚だ。それはそのまま鳥を思わす胴体に続き、頭部があるべき場所は肥大化したような嘴のような形状となっている。翼の代わりのように同じように嘴に似た形状の流線型となっており、明らかに開閉できるだろうラインが入っている。バランスを保つ為の尻尾も長大である。

 頭部該当する嘴が横に割れて開き、黄金の光を放つ砲口が露わになる。更に翼代わりの左右の流線型の部位もカブトムシが翅を広げるように開放される。

 響くのは機械の駆動音だが、それはまるで咆吼のようだ。それも合わされば、ゴーレムはまるで歪な機械の竜にも見える。

 ゴーレムは逆間接で巨体にあり得ぬハイジャンプを披露し、黒バイクを押し潰そうとするも、見事な運転テクニックで回避する。

 だが、ゴーレムは左右からミサイルを大量放出する。いずれも先程のクラスター爆弾とは違い、高速追尾ミサイルだ。

 もはやいずれの勢力もスイレンの殺害を最優先している。どういう事だ!? スイレンを殺害するメリットがあるのは、≪ボマー≫の獲得条件を満たし、スイレンの死後に継承が確定したプレイヤーを保有する勢力だけだ。だが、モンスターバイクを駆る暗殺者と装甲車は敵対し、だがスイレンを殺害しようとした。そして、今度のゴーレムに対しても暗殺者のモンスターバイクは攻撃を加えて排除をしようとしている様子からも敵対している。

 ヴェニデから提供された≪ボマー≫の情報に誤りがあった? いや、それともスイレンを攫った勢力に≪ボマー≫を確保されるぐらいならば、スイレンを殺害して継承者の殺し合いの方がマシなのか?

 あるいは、スイレンは≪ボマー≫以外にも重要な『何か』を握っている? 駄目だ。分からん! オレに頭脳労働をさせるな!

 ゴーレムは黄色い光を溜めた砲口から発射したのはもはやレーザーとも呼ぶべき黄金の雷だ。制御が甘いのか、射線はブレており、黒バイクを捉えることが出来ていない。見たところ、本来は踵でアンカーを地面に突き立てて使用する兵器なのだろう。未完成の高速道路もどきのゴーカートの巨大レース場では、しかも移動しながらでは狙い撃てないのだ。

 だが、ミサイルはそうもいかない。黒バイクを追尾するミサイルだったが、黒バイクから放出されて拡散する銀色の紙片によって誘導を狂わされる。

 チャフの類いか! どうやらターゲットも用意周到のようだな! 館に仕掛けられていたトラップといい、かなり用心深い。

 だが、誘導が狂った爆弾は壁や道路に直撃し、オレ達と黒バイクの間に大穴を開ける。

 ゴーレムは逆関節を大きく曲げ、大ジャンプで跳び越えようとする。させるものか! 追いついたオレはシャークマンがゴーレムの股下を抜ける直前でバイクの上に立ちながら反転しつつ贄姫を放つ。

 抜刀、血刃長刀……チェーンモード! ゴーレムの足首に該当する部位を裂く。ゴーレムは悲鳴のような駆動音を轟かせ、ジャンプの出鼻を挫かれ、巨体を傾かせる。更に建設途中の高速道路はゴーレムのジャンプの予備動作とオレの攻撃による体勢変化による加圧に耐えきれず、いよいよ崩落を始める。

 だが、ゴーレムは耐えてジャンプを決行しようとする。させるか。血刃長刀解除に咥え、レーザーライフルとサブマシンガンのダブルトリガーをゴーレムの足下に集中させる。

 バランスを崩したゴーレムの体重を支えきれず、ゴーレムの足下が一気に瓦解した。これで良し。

 崩壊する高速道路で、シャークマン、彼の部下、暗殺者が駆るモンスターバイクが並走する。互いを蹴落とす余裕など無い。誰が崩落する高速道路を突破し、またゴーレムのせいで開いた大穴を飛び越えるかの勝負だ。失敗したら? まぁ、崩落と今のスピードなら死ぬのでは無いだろうか? オレは脱出させてもらうがな。

 

「シャーク・ターボぉおおおおおおおおおおおお!」

 

 本来ならば4台の内で最も速度が劣るはずだったが、シャークマンは愛車にトドメを刺すように叫び、今再び瞬間的な大加速を得る。

 暗殺者の1人は崩落に巻き込まれ、もう1人は大ジャンプを決め、それにシャークマンも続く。

 届くか? いいや、届くはずだ! 崖際で前輪が引っかかり、シャークマンはモンスターバイクの特性である間接駆動で強引に車体を持ち上げ、何とか突破する。

 一方のジャンプした暗殺者のモンスターバイクはオレ達より前方に着地したが、衝撃を御しきれずに転倒し、そのまま運転していた暗殺者を潰すように壁に衝突し、血の染みになった。

 そして、同じくシャークマンの部下も着地に失敗してしまった。スリップする中で灰狼がシャークマンの部下を助け、その身で庇いながら道路を幾度となく跳ねて転がる。

 

「あ、足が……足がぁああああ!」

 

 シャークマンの部下はスリップした時に右足が車体と地面に挟まれて磨り潰されてしまったようだった。だが、HP残量から回復さえすれば死ぬ事は無いだろう。流血のスリップダメージも許容範囲内で済むはずだ。

 シャークマンの部下を助け出した灰狼のダメージも深刻だ。右腕は摩擦で抉れ、肉と骨が露出してしまっている。いくらアバターの再生能力があってもあの怪我は修復に時間がかかる。悲鳴こそないが、顔を苦悶で歪めている。実にそそる……じゃなくて、痛々しいな。

 贄姫を納刀し、黒バイクの気配を追うが……無理だな。≪追跡≫スキルがあったとしても難しいだろう。

 

「クソ! エンジンが……!」

 

 そして、シャークマンも悪態を吐く。限界を超えた彼の愛車もいよいよエンジンを止めたのだ。

 窮地を脱したが危機は続く。オレはゴーレムを倒した訳では無い。タイミングを見計らって足首を攻撃して転倒させただけだ。1度倒れた程度で行動不能になるような柔な設計では無い。駆動音の咆吼と共にゴーレムが再び立ち上がろうとしている。また、このままでは黒バイクにも逃げられてスイレンが攫われてしまう!

 

「まだだ! コイツがまだ動くはずだ!」

 

 部下には目もくれず、いやそもそも部下なのかも怪しいが、シャークマンは部下のモンスターバイクを力任せに起こすが、盛大に舌打ちを鳴らす。

 

「再起動に180秒だと!? 運転補助装置など搭載するからこうなるのだ!」

 

 いや、そこは褒めろよ。補助装置付きでもアナタの部下はここまでのデッドロードを踏破したんだぞ? 大ギルドが好待遇で直々にスカウトする運転技術だ。

 まぁ、発言から察するに、シャークマンは運転補助装置無しであの腕前であり、彼とは次元が違う走りを可能とするRDがどれだけ規格外の運転技術を有しているかが分かる。

 

「ハァ……ハァ……マスター!」

 

「召喚を解除する。その腕ではこれ以上の戦いは無理だ」

 

「いいえ! 灰狼はまだ……まだマスターのお役に立てます!」

 

 灰狼は暗殺者のモンスターバイクに駆ける。だが、彼女のSTRでは持ち上げられないようだ。オレは駆け寄って車体を持ち上げる。

 

「おお、そっちは動くのか!?」

 

「そのようです。ですが……」

 

 ゴーレムがいよいよ動き出す。どうやら黒バイクはまだ補足しているらしく、ミサイルを射出使用としている。それに伴い、破壊された高速道路の崩落が加速する。さすがのシャークマンも倒れた推定部下を担ぎ上げて崩落から遠ざける。

 その間にフラフラの灰狼が深呼吸を1つ挟み、狼耳に隠された金属突起より光の糸を複数伸ばし、モンスターバイクに侵入させる。

 

「【ライド・シンクロ】スタート」

 

 光の糸はモンスターバイクを絡め取り、徐々に一体化していく。

 

「完了まで残り10秒」

 

 その間にオレは灰狼の右腕に止血包帯を巻き、ナグナの血清を彼女の首に打ち込む。だが、効果が薄い。プレイヤーではないからか。どうやら回復効果に下方修正が入っているようだ。

 

「灰狼と同期を確認。いけます、マスター!」

 

 説明不足だが、大体は理解した。オレはモンスターバイクに跨がり、エンジンを入れる。灰狼はオレの後ろに座り、腕をオレの腰に回した。

 灰狼が人型になって失ったと思っていた騎乗能力……それがこのような形で残っていたとはな!

 

「シャークマン、そちらの方の安全確保を最優先にお願いします」

 

「分かった! 必ず追いかける!」

 

 灰狼の騎乗同期能力はシャークマンも驚愕したようだが、彼も何を優先すべきかさすがに弁えてくれたようだ。まぁ、推定部下を待避させている間に再起動も終わるだろうしな。

 ヤツメ様の導きでも追えない。本来ならば完全に逃げ切られた。だが、不幸中の幸いにも、ゴーレムくんが補足してくださっている。

 つまり、ゴーレムが放った追尾ミサイルを追えば、そこにスイレンがいる!

 アクセルを入れ、オレは初めてとなるバイク運転を開始する。細かい部分に違いはあれども、基本はシャークマンが使用していたものと同じであるはずだ。見よう見真似だが、何とかするしか無い!

 思い出せ。記憶は灼けても『知識』の欠落は無い。いや、たとえ灼けているとしても戦闘・殺傷に関する知識・技術ならば血に溶けている!

 モンスターバイクはもちろん、戦闘用に改造されたバイクは現実世界とは操作面で異なると酒で酔ったRDに絡まれた時、長々と講釈された。それは両手、ないし片手を手放した状態でもある程度の運転を可能とする為だ。

 見よう見真似に聞き流し同然ながらも残留した知識で肉付けする。馴染ませる時間は無い。今すぐに習得が必要だ。

 

(心配ご無用。もう『喰らった』わ)

 

 背後から伸びたヤツメ様の白い両手がオレの頬を撫でる。

 なるほどな。コツは掴んだ。これならばRD程では無いが、最低限の運転は出来そうだ。

 

「マスター! 来ます!」

 

 灰狼の警告通り、追いついたゴーレムがオレ達を踏み潰そうと上空から落下してくる。どうやらコイツは走るのでは無く跳ぶ事で高い機動力を獲得しているようだ。

 崩壊する高速道路だが、この程度の荒れ地の踏破ならばコイツの性能ならば、運転さえ出来れば突破できる!

 落下していく高速道路の破片をモンスターバイクで次々と飛び乗り、ゆっくり傾いていく高速道路の壁を駆ける。崩落する壁の切れ目から宙に舞い、モンスターバイクを反転させながら両手をフリーにしてレーザーライフルとサブマシンガンを同時に撃つ。足ではアクセルとブレーキ、モンスターバイクの駆動ギミックを同時に操作して着地に備える。

 放たれたレーザーと弾丸はゴーレムの巨体に次々と着弾するが、まともなダメージは与えられない。だろうな。巨体であるが故の高い防御力……特に射撃属性防御力は高いはずだ。

 やはりゴーレムを射撃で仕留めるならば、装甲を剥いでダメージの通る内部を露出させるか、弱点に的確に命中させ続けるしかない。しかし、どちらにしても短期決戦は難しい。ならば方法は1つ、装甲を完全貫通した上で大ダメージを与えるしかない。

 ゴーレムは歪な機械のドラゴンを思わす外観通りの咆吼にも似た駆動音を轟かせ、全身の装甲の1部を開放する。そこから吐き出されるのは空中にいるオレを狙った銃撃だ。

 近接機関砲……! 接近戦をしかけるプレイヤー対策も万全か! レーザーライフルを盾にして機関砲を防ぐ。あっさりとレーザーライフルはスクラップと化した。性能は悪くなさそうだったが、所詮は大量生産品の未カスタムか。

 

「ひぃあ!?」

 

「舌を噛むなよ」

 

 スリップ寸前の着地を決めれば、オレの腰に抱きつく灰狼が情けない悲鳴を上げる。

 ハンドルについた操作スイッチで前方に展開する画面に使用可能な武装を確認する。ミサイルポッドや前輪に備わった2連装キャノン……これだけか。

 キャノンならばゴーレムに多少のダメージを与えられるだろうが、短時間で仕留めるには絶対的に火力不足か。やはり近接戦で勝負を決めるしかない。

 ジャンプ力を活かしてオレ達を追い抜いたゴーレムは娯楽街の境界線を飛び越え、下水が流れ落ちる、下層へと繋がった崖に身を投じる。反対岸までの距離を考えれば、その巨体が通るには少々狭すぎる。その証拠に火花を散らしながら壁面を破壊しつつ落下していく。

 あそこを黒バイクは通り抜けたか。ゴーレムも律儀に追っている。どうやら組み込まれたオペレーションには追跡について簡易的なものしかないようだ。ひたすらにターゲットを追尾して……殺す。それ以外に何も組まれていないのだろう。単純だからこそ被害を度外視して凶悪だな。

 ゴーレムを追いかけ、オレも下水が流れ落ちる崖へと加速して突進する。

 

「マスター! マスター! マスター!? まさかと思いますが!?」

 

「口を閉じろ」

 

「待ってください! あの崖はほとんど直角で――」

 

 灰狼が全てを言い切る前に、ゴーレムのお陰で柵も砕けて通りやすくなった崖際に前輪を飛び出させ、そのまま宙へと跳ぶ前に前輪ギミックで強引に崖の壁に車輪を接地させる。

 配管から下水が流れ落ち、ただでさえ滑りやすくなっている崖の壁面。更にゴーレムが無理に通ったせいで壁面は砕け散り、いつモンスターバイクはバランスを崩してもおかしくない。

 だが、モンスターバイクはあらゆる地形を走破する陸上最高ランクの乗り物だ。タイヤのスパイクが下水で濡れた壁面すらも捉えてくれている。もちろん、減速しようものならばどうなるかは目に見えているので加速し続けるしか無い。

 崖はせいぜい80メートル程度。モンスターバイクの加速もあって落下に等しい壁面走行時間は短い。だが、その間にもオレ達の追跡を阻む為にゴーレムからはミサイルが放たれている。

 この程度で阻めると思うな。壁面を走りながらハンドルを切り、ミサイルを躱す。着弾したミサイルが近距離で爆発するが、炎とに呑まれる前に壁面からジャンプし、逆に着地したばかりのゴーレムの上を飛び越える。

 下層はすでに阿鼻叫喚の地獄だ。貧民プレイヤーなど何人死んでも気にしないと表明するように、ゴーレムが黒バイクに放った追尾ミサイルで炎と肉片と悲鳴で満ち溢れている。

 しかもゴーレムは貧民街を踏み潰すように大ジャンプで黒バイクとオレ達を追いかけている。1回のジャンプの度にどれだけのプレイヤーが踏み潰されているのだろうか。

 更に下層は中層以上に細道が多く、なおかつ入り組んでいる。モンスターバイクの速度も活かしきれない。ゴーレムも下層の建物を踏み潰して固めてからジャンプしなければならない関係で速度も出し切れていないがな。

 そう思ったのだが、これは酷いものだ。黒バイクを狙った追尾ミサイルのお陰で下層と旧市街の境界線までまるで炎で舗装するように破壊し尽くされている。お陰でいくらか走りやすいが、瓦礫も遺体も等しく踏みつけながら駆けねばならない。

 

「うっ……!」

 

「目を背けるな」

 

 ここは戦場だ。旧市街……終わりつつある街の原形の風景を残す廃墟群。ここもまた下層にすら生活の場が無い貧民プレイヤーが暮らす場所だ。

 オレ達を再び追い抜いたゴーレムは、枯れ果てた噴水の円形広場に着地すると全身の各所に赤いランプを点灯させる。ミサイルが止まった。ここに来て黒バイクを見失ったか。

 ゴーレムはスイレン殺害の障害となると判断してか、巨体に似合わぬ機敏さで振り返ると尻尾の装甲を開放し、上空にミサイルを放つ。空で炸裂すれば、無数の杭がオレ達に降り注ぐ!

 杭の合間を駆け抜け、ゴーレムに接近しようとする。だが、杭はスライドし、禍々しい赤いランプを露出する。まずい! これは対地攻撃では無い! 拠点及び大型目標を想定した爆弾か! 対象を貫通後、炸裂して効率よくダメージを与える事を目的としている!

 モンスターバイクを捨てねば逃げ切れない! 機動力は落ちるが、やむを得ないか!

 

「マスター!」

 

 だが、オレの名を呼んで判断に否を唱えたのは灰狼だ。彼女はオレが杭の森を抜ける寸前に両手を左右に広げる。

 灰狼の両手から展開されたのは雷撃が表面を走る膜のようなものだ。電磁防御フィールドか! 爆発は射撃属性! 確かにこれならば両側面の爆発は防げる。だが、背後は……!

 

「あぁああああああああああああ!?」

 

「灰狼!?」

 

 オレの後ろに乗る灰狼がまるで覆い被さるように立ち、オレを襲うはずだった爆風をその背中で受け止める。肉が焼け焦げる、たまらぬ濃厚な香りが獣性を焚き付ける。

 ゴーレムはオレを迎え撃つべく近接機関砲を展開して撃ち放つ。だが、オレはブレーキをかけ、かつ車体からアンカーを真下射出して強引に停止させる。同時にミサイルポッドを展開し、ゴーレムが装備されたものに比べれば小型のミサイル群を解き放つ。

 機関砲によってミサイルは全て迎撃される。いや、『させる』。その間にバイクから跳ぶ。爆発の壁が機関砲を阻んでいる今がチャンスだ。

 天蜘蛛発動。空中でオレの足下に蜘蛛の巣の文様が展開され、瞬間的足場として機能する。そこから加速ステップし、爆風の壁をダメージ覚悟で突破する。

 炎の壁の向こうで待っていたのは機関砲とミサイルの雨。だが……遅い!

 天蜘蛛の連用で、まるで空中で鞠が見えない壁にぶつかって跳ね回るかのようにオレはゴーレムに接近し、その頭部に抜刀した血刃長刀を突き立てる。

 まるで悲鳴のように駆動音を響かせ、ゴーレムは暴れ、オレを頭上へと空高く投げ飛ばす。

 ゴーレムの強大なパワーによって空高く、火の海と化した下層と旧市街の双方が視界に映るほどの高度に達したオレは、だが天蜘蛛で制動をかけ、加速ステップでスピードを得て急行落下する。

 それを待ち構えるゴーレムのミサイル群。これまでの戦闘から接触型だと判明している。爆発条件はミサイル先端への接触。ならば……!

 限定開放で緋血の片翼を展開し、炎熱放出を空中での姿勢制御に利用し、ミサイル接触寸前で躱し、その側面に着地し、逆に足場にしていく。

 躱したミサイルは時間経過で遙か天空で花火の如く爆発し、終わりつつある街を煌々と照らすだろう。だが、それよりも先に止まることなく放たれるミサイル群を足場にして加速ステップを連発し、ゴーレムとの距離を一気に詰める。

 ゴーレムが尻尾の装甲を展開して杭状爆弾を放とうとするが、遅い。最後は天蜘蛛と加速ステップ、緋血の片翼による炎熱加速も追加する。

 本来ならば落下による大ダメージを免れない。だが、片翼から炎熱を放出し、またクッションとすることでダメージを最小限に抑えつつ、落下の勢いは確実に乗せた血刃長刀の突きを、ゴーレムの頭部に、それも先程と同じ場所に突き立てる!

 届いた。確信を持って血刃長刀チェーンモードを発動する。血刃ゲージを大量消費し、しかも生物では無いゴーレムからは血刃ゲージを回収できないので連用できないが出し惜しみはしない。深々と突き刺さった頭部から背中、そして杭状ミサイル展開の為にご丁寧にも装甲を展開してくれた尻尾の先端まで……切り裂く!

 緋血をまき散らしながら血刃長刀はチェーンブレードとしてゴーレムを引き裂く。頭部はもちろん胸部中心に至るまでダメージ到達深度は届いている。そこに『大物喰らい』のチェーンブレードだ。対人戦は過剰火力かつ反動で扱い難いが、コイツの真価はデカブツ相手にこそある!

 先端から飛び退き、発射寸前だった杭状爆弾の炸裂から逃れる。大ダメージを負ったゴーレムのHPは……まだ残っている! 全身から火花と爆発を漏らしながらも振り返り、最大火力の口内の雷撃砲を発射しようとしている!

 躱すことは出来ない。射線は間違いなく長く、破壊力も絶大。射線上にスイレンがいないとも限らない。

 だが、チャージに時間がかかり過ぎた。オレは体を捻り、贄姫で片手突きの構えを取る。

 血刃突き。放たれた突きは完全なる間合い外だ。だが、贄姫の血管にも似た刀身の溝を満たす緋血は一気に溢れ、緋血の濁流となって対象を穿つ。

 血刃突きは真っ直ぐとゴーレムの雷撃砲の砲口に入り込み、後頭部に該当する装甲を突き破る。チャージしたエネルギーが内部で大爆発を起こし、断末魔の駆動音を立てながらゴーレムは倒れた。

 血刃ゲージ、ゼロ。さすがに使い過ぎた。これだからロボット系の相手は贄姫だと旨味が無い。血刃ゲージを回収出来ないからな。しかも天蜘蛛の連用と緋翼で魔力も枯渇寸前だ。

 だが、機械の竜の如きゴーレムか。興味深い相手だったが、本物……古竜の末裔たるミディールの足下にも及ばない。

 原形を失った元噴水円形広場。ここで戦闘を開始してざっと20秒。あの程度のゴーレム相手に時間がかかり過ぎたのは、やはり贄姫では大型相手をするものではない。日蝕の魔剣があれば問題なかったのだがな。

 しかし、大きな遅れを取ったな。黒バイクをどうやって追跡したものか。

 追尾ミサイルの破壊痕を追うか? いや、そもそもどうしてゴーレムは突如として黒バイクを見失った? オレは改めて倒れ伏すゴーレムを睨む。

 ゴーレムはプレイヤーの遺体同様に漁れば遺品の如く使用されたパーツの1部が手に入る。これだけの性能かつ公表されていないゴーレムだ。ドロップした装甲片だけでも競りに出せば高値がつくはずだ。動力部関連ともなれば、その辺の中小ギルドの総資産を軽く上回る価格で売れるだろう。

 だが、漁っている暇は無いな。戦いを目撃していた、もとい巻き込まれて死なずに済んだ貧民プレイヤーが恐る恐るといった様子で姿を現し始める。彼らの目にあるのは絶望、そして同時にお宝を目にして牙を剥いた飢餓だ。

 このゴーレムは自分たちの住処を奪い、生活基盤を破壊した災厄であると同時に、極貧の生活から抜け出す足がかりになる。そう時間を待たずに、下層・旧市街を取り仕切る犯罪ギルドやコミュニティが出張ってくるだろう。そうなる前に少しでもお宝をいただこうとするのは当然だ。

 だが、彼らはすぐに駆け寄ってこない。HPがゼロになったゴーレムの再起動を恐れているのではないのは目を見れば分かる。彼らが見ているのはゴーレムでもなく、ゴーレムがもたらした破壊と殺戮の炎でもなく……オレだ。

 

「あれが……【渡り鳥】」

 

「バケモノ」

 

「あんな巨大なゴーレムをあっさりと……!」

 

 口々に聞こえるのは恐怖の言葉。突き刺さるのは恐怖の視線。慣れているさ。

 贄姫を納刀すれば、トコトコと裸足の……年齢は7、8歳くらいだろう女の子が駆け寄ってくる。彼女が持っているのは汚れた包帯だ。

 

「天使様、お怪我をしています。どうかお使いください」

 

 天使? ああ、緋血の片翼のせいか。というか、よくこれを見て天使なんてワードが出たな。変形し続ける白木で骨格にして緋血で翼膜を形成しており、常に形を変え続けるそれは翼にして獣の顎のような歪さだ。とてもではないが、天使の翼とは呼べない外観のはずなんだがな。

 ひとまず片翼を解除する。これも使い過ぎだな。短時間で出し入れするものではないし、だからといって展開し続けるとスタミナ消費が嵩むし、体のバランスは狂うから非戦闘状態で維持するものではない。何にしてもしばらく使用できないだろう。

 爆風を突破した際のダメージはあり、右頬は焦げている。だが、少女の汚れた包帯でどうにかできるものではない。むしろ、それは爪も剥げた素足の彼女が使うべきだろう。

 

「要りません」

 

「では、私たちに何が出来ますか?」

 

 妙に協力的な少女に戸惑うが、あるいはと考える。

 

「先にここを黒いバイクが通り過ぎたはずです。何処に行ったか分かりますか?」

 

「黒バイクですね。はい、見ています! お連れすればいいんですね? かしこまりました」

 

 少女は両手を組んで祈り、遠巻きで見守っていた他の貧民たちの元に向かう。

 

「天使様からのお告げです。黒いバイクに案内を」

 

 これはどういう事だろうか。貧民プレイヤーでは間違いなく最底辺であるストリートチルドレンであるはずの少女の一声で、大人の男達までまるで王命を受けたかのように従い始める。

 貧民プレイヤー達はまるで案内するように道端に立って手を掲げる。あれを追えば黒バイクにたどり着くのだろうか。

 納刀し、急ブレーキをかけたモンスターバイクの元に向かう。

 

「申し訳……ありま、せん。灰狼……が……もっとお役に立てれば……マスターに怪我をさせずに……」

 

 モンスターバイクの座席では、荒い息をした脂汗を滲ませて動けずにいた灰狼が頭を下げようとしたので、オレは嘆息を吐いて右手の人差し指で彼女の額を止める。

 

「謝るな。必要ない」

 

 アンカーを解除し、モンスターバイクを発進させる。その際に、真っ先にオレに駆け寄った貧民の少女が両膝を地面について両手を組んでいた。その眼差しは……何処かで見た覚えのある狂気が宿っていた。

 そうだ。あれは……神灰教会にのめり込んだ信徒と同じ…いいや、もっと前に同じものを見ている。

 

 

『神子様』

 

『神子様』

 

『神子様』

 

『ああ、神子様。我らにお授けください』

 

『神子様』

 

『神子様』

 

『尊き御血で……聖血で……人の愚かを克させたまえ!』

 

 

 

 

 

『神子様。神子様。神子様。ああ……ヤツメ様!』

 

 

 

 

 

 

 

「マスター、大丈夫ですか?」

 

 灰狼の声でオレは我を取り戻す。頭の中で反響していたオレを呼ぶ声。だが、『オレ』を呼ばない声達。

 酷い頭痛がする。灼けた記憶が疼く。オレは……オレは何を忘れてしまった? どんな記憶が灼けてしまったんだ?

 思い出せない。いや、『思い出したくない』のか? 灼けてしまって安堵しているのか? どうして?

 

「やはり傷が……」

 

「問題ない。オートヒーリングで回復範囲だ」

 

 もう爆発を突破した際のダメージは半分以上回復しているし、アバターの修復もあと30秒もあれば完了する。ナグナの血清も不要だろう。灰狼の杞憂だ。

 オレは灰狼にナグナの血清を投げ渡す。重傷なのは彼女の方だ。迅速な回復が求められる。連用は推奨されないが、今はHP回復が優先である。

 貧民プレイヤー達を目印にして黒バイクを追う。その先にいるかは不明だが、ゴーレムの最後の悪足掻きのようにミサイルによる破壊痕が残っている。

 追尾ミサイルはここまで確実に追っていた。オレはスピードを出さずに走り続ける。貧民プレイヤーが目印になってくれているとはいえ、その行動は口伝えによるものだ。伝達スピードを上回るわけにはいかない。

 

「うぐっ……!」

 

「痛むか?」

 

「……いいえ、灰狼には痛覚がありません。DBO標準のダメージフィードバックだけです」

 

「そうか」

 

 灰狼の右腕は使い物にならない程に抉れてしまっている。いくらサポートユニットとはいえ、ここまでのダメージは初経験のはずだ。いや、オレが額と後頭部を割ってるし、2回目か? 分からんな。

 加えて抉れた右腕でも無理に電磁フィールドの展開ポイントを指定し、また背中は爆発をまともに受けている。灰狼が頑丈かつ自己再生能力が無ければリタイアしている重傷だ。

 だが、オレの腰に腕を回す灰狼の小刻みな震えは、ダメージフィードバックによるものではないとだけはハッキリと言い切れる。

 

「……よくやった」

 

「……え?」

 

「オマエは有用性を証明した。認めよう。灰狼、オマエはオレのサポートユニットだ」

 

 黒バイクの追尾中に見せた射撃能力、モンスターバイクと同期してオレの騎乗を可能としたライド・シンクロ。杭状ミサイルの際のオレの選択を否定し、最速でゴーレムを撃破する為に我が身すらも盾にした判断。いずれも評価しないはずがない。

 特に杭状ミサイルの時は……灰狼の判断が無ければ、モンスターバイクという追跡に必須な足を失う事になっていただろう。殺傷に特化したオレの本能では不可能だった、灰狼というサポートユニットがいたからこそ到達した最善こそが今だ。

 

「オレのサポートユニットならば、いつ、いかなる時も、決して諦めるな。恐怖に屈するな。最後の瞬間まで足掻き、牙を剥け。自分が信じた選択を阻む全てに抗え。誓えるか?」

 

「……はい。はい。はい! 必ずや、マスターのご期待に応えてみせます!」

 

 嬉しそうに声を弾ませた灰狼に、オレは彼女を戒めるように眉間に皺を寄せる。

 杭状爆弾の破壊力がもう少し高ければ、灰狼は死んでいただろう。オレを勝たせる最速最善の判断の為に、己を犠牲にしていただろう。

 

「……そして、オレの為に死のうなんて絶対に考えるな。オレは必要ならばオマエを見殺しにする。オマエを使い潰す。だから、オマエは絶対にオレに殉じるな」

 

「え? い、嫌です! 灰狼の存在意義はマスターのお役に立つ事! マスターの為に生き、マスターの為に死ぬ事です!」

 

「オレの為に命を捨てるという選択肢は今この瞬間から排除しろ。それが嫌ならば……他のマスターを探せ。手引きくらいはしてやる」

 

「……分かりました。お約束します」

 

 それでいい。聞き分けが良くて助かる。

 

「これより先、灰狼は命懸けでマスターを助けて、生き残ります」

 

「は?」

 

「マスターの為に命を捨てません。マスターの為に命懸けであるだけです」

 

 オレの腰に回された腕に力が籠もる。だが、それは絞め付けというよりも抱擁に似ていた。

 灰狼は全身を、そして頬をオレの背中に強く密着させる。

 

「屁理屈だな」

 

「灰狼は学びました。戦場は常に命懸けです。だから、マスターの期待を裏切る事無く、灰狼の使命を全うしながら、生き残ります。マスターがそうすると決めたように、灰狼もまた……いつだってマスターの味方であり続ける為に。それこそが灰狼の生まれた理由なんですから」

 

 意味が分からん事を。だが、変に頑固なのは……オレのサポートユニットならばこそ、か。溜め息を吐き、ひとまずはこれでいいかとオレも彼女の意見を受け入れる。

 

「それはそうと、グリムロックにもっとグラマーになるように改造してもらえるように要望を出しておけ。背中に触れているのは何なのかも分からん」

 

「マスター、灰狼は怒りという感情を今初めて学びました」

 

「おめでとう。しっかり噛み締めて味わえ」

 

 貧民プレイヤーによる案内はもう無い。だが、もう案内は要らない。捨てられたバイクが転がっているからだ。

 やはり走行距離が短縮されていたのだろう。燃料切れになったバイクを廃棄したらしい。

 さて、そうなるとスイレンを担いで移動しなければならないはずだ。そうなると遠くまで移動できない。スイレンは≪ボマー≫の影響で弱体化している事を考慮すれば、モンスターと遭遇率が高い下水道には逃げ込まないだろう。

 ヤツは最初からスイレンを拉致したら旧市街に連れて行く予定だったはずだ。だが、オレ達や暗殺者の執拗な追撃によって遠回りをしてしまった。

 さて、何処にいるのやら。オレはモンスターバイクを降りると周囲を足早に、だが息を殺して探れば、突如として濃厚な殺気を浴びる。

 これは……誘っているのか? 殺気が放たれているのは廃墟と化した2階建ての病院らしき建造物だ。

 

「スイレンを発見したら彼女の安全を最優先に行動しろ」

 

「それがご命令ならば、灰狼は従います」

 

「命令すれば、オレを見捨てるのか?」

 

「……マスター?」

 

「意地悪が過ぎたな」

 

 ジロリという擬音が聞こえてきそうな睨みを飛ばした灰狼に、オレはリラックスしていこうと肩を竦める。

 装備を確認。破損したレーザーライフルをオミット。代わりに伸縮槍を装備する。ハンドガンも装備するが、元より装弾数も少なかったので残弾ゼロだ。打撃武器の代わりになるくらいか。

 壊れた玄関を潜り、奥へ奥へと進む。内部は荒れ放題であり、窓ガラスは等しく砕け散っている。開けっぱなしのドアの向こうには黒いシミがこびりついたシーツが印象的なベッドが並んでいるが、もちろん患者はいない。

 ヤツメ様の導きで周囲を探る。人の気配が2階からするな。慎重に階段を上り、そして呼吸音が聞こえる病室……いいや、診療室のドアを開ける。

 診療台の上には両手足を縛られ、また目隠しをされたスイレンが横たわっていた。

 トラップもあり得る。慎重にスイレンに近寄るが、爆弾を筆頭にしたトラップは無い。さすがに拉致したスイレンを傷つける血ラップは無いか。

 目隠しと猿轡を外せば、恐る恐るといった様子でスイレンが瞼を開ける。

 

「わ、【渡り鳥】さん……! 助けに来てくれたの?」

 

「当然です。まずは謝罪を。アナタを危険に晒してしまった。護衛失格ですね」

 

「……ううん、そんな事無い。こうして助けに来てくれた。ありがとう」

 

 母性に満ちた笑みでスイレンが感謝を述べる。オレは彼女の体を起こし、手首の拘束を外そうとするが、かなりの強度のようだ。贄姫で切断できるか? いや、奇妙な装置が取り付けられているな。力業は避けよう。

 

「≪ボマー≫は使えなかったのですか?」

 

「≪ボマー≫の攻撃には視覚……フォーカスシステムで座標認識が必須だから」

 

 つまり、目隠し1つで≪ボマー≫の強力な攻撃の数々は封じられるという事か。まぁ、スイレンが嘘を言ってるのが大前提なので信用できない情報だがな。

 だが、仮に真実であるならば、スイレンを拉致したヤツは≪ボマー≫の特性を把握していた? それとも偶然か?

 

「マスター、ここは嫌な感じがします。まるで、大きな怪物の胃袋にいるみたいです……!」

 

 灰狼も殺気を感じているようだ。オレからすれば心地良いのだがな。

 診療室から脱出すれば、廊下では待っていたと言わんばかりに中華服の男が立っていた。顔を覆うのは中華風デザインをした虎の白仮面だ。背中に描かれているのと同じで白虎をモチーフにしているのだろう。両手には指の可動性を重視した、光沢が無い暗銀色の籠手。そして具足も同様の配色だ。金属製かもしれないが、ここからでは読み切れない。

 仮面の男は左手を後ろ腰に、右手でかかってこいと手招きする。立ち振る舞い1つで分かる。強いな。

 

「スイレンを連れて逃げろ」

 

「…………」

 

「これは見捨てる内に入らん。役割分担だ。戦場は命懸け。オレもオマエも平等にな。そうだろう?」

 

「……了解しました。マスターもご無事で」

 

 スイレンを連れて逃げる灰狼を仮面の男は追わない。いつでも取り返せるという余裕か、それとも侮りか。あるいは伏兵を……いや、考え過ぎだな。仮に最初からこの廃病院に逃げ込む予定だったとするならば、最低限の迎撃準備を整えているはずだ。

 推測するに、仮面の男は激しい追撃によって目的地まで逃走しきれず、バイクも燃料切れになったので止むなく廃病院に潜んだと行ったところか。

 個人の犯行では無いのは間違いない。すでに援軍を要請しているならば、迅速にこの場からスイレンを連れて脱出しなければ再び奪われかねない。灰狼の戦闘能力は決して低くないが、訓練されたプレイヤーの集団に包囲された場合、スイレンを守り切るのは難しいだろう。

 シャークマンが追跡してくれているとしても、1番乗りできるかは怪しいところだ。そもそもスイレン殺害にあれだけの戦力を派遣したのだ。より形振り構わない判断を下す狂気を持ち合わせているならば、旧市街を丸ごと焼き払うくらいするだろう。

 以上より、このまま硬直状態が続けば不利なのはオレだ。だが、仮面の男にしても、スイレンを生きたまま連れ去る事が目的であるならば、オレを迅速に排除してスイレンを奪還しなければならないはずだ。そうしなければ、別勢力によってスイレンが殺害されかねない。

 それなのに、仮面の男は明らかな余裕を見せている。是非も無くオレを排除しようとする気配は無い。

 あるとするならば、闘志にして殺意。純然たる殺し合いを望むかのような、オレを泥沼の闘争に誘うような魅力的な殺気だ。

 だが、今は乗れない。傭兵としてミッションが最優先だ。スイレンの護衛として、彼女の身の安全を確保しなければならない。

 最速で仕留める。血刃ゲージが回復しきっていないが、それでも切れ味は健在だ。

 横幅はせいぜい3メートルの狭い通路。背後に回りきるならば、仮面の男のフォーカスロックを欺かねばならない。隠密ボーナスも上昇する加速ステップならば可能かもしれないが、そこまで彼を過小評価はしない。

 居合の構えを取りつつ、先手を放つのは左手の袖が取り出したアンカーナイフ。まずはそれを仮面の男の正面を狙って投擲し、回避行動を取ったところで胴を薙ぐ!

 投擲したアンカーナイフに、仮面の男は狙い通りに体を捩って躱す。男の動きに合わせて加速ステップを行い、居合を解き放つ。

 仮面の男はオレの居合を回避できなかった。いや、回避する必要が無かった。

 加速ステップで間合いを詰めてからの、STR出力7割で解き放った居合を、仮面の男は右手で悠々と挟み取って止めていたからだ。

 白刃止め……! 即座に贄姫を引こうとするが、それより先に仮面の男が踏み込んで左拳を繰り出す。胸部中心を狙った拳を躱す為に贄姫を手放してバックステップで距離を取る。

 オレから奪い取った贄姫を仮面の男は面白そうに手元で弄び、何を考えてか、オレに投げ返す。

 どういうつもりだ? スイレンの奪還を優先するならば、オレを排除しなければならないはずだ。だが、わざわざ奪った武器を返すとは意図が読めない。

 スイレンの優先順位が下がった? それとも別の理由が? あるいは贄姫に何か仕掛けを施した?

 何にしても、オレのやる事に変更は無い。スイレンが逃げ切る時間を稼ぎつつ、仮面の男が追跡できない程度に無力化し、最速で合流する。それしかない。

 両手で握った贄姫の刀身を水平に構え、体を仮面の男に対して横に向ける。斬撃をつかみ取るならば、突きはどうだ? ステップで間合いを詰め、男の鳩尾を中心にして連続突きを繰り出す。

 だが、仮面の男はまるで舞う木の葉のように突きを躱す。この回避行動……こちらの動きを読んでいるだけではない。高い反応速度を窺わせる。

 ならば! 連続突きのリズムを作ったところで、即座に左手でサブマシンガンを掴み取る。この狭い通路で面射撃に適したサブマシンガンは躱せない。どのようなカードを切ってくる?

 だが、オレがサブマシンガンのトリガーを引く事は無かった。走った衝撃によってサブマシンガンを落としてしまったからだ。

 サブマシンガンの銃身に鉄球が激突したからだ。それは直径3センチにも満たない小ささで、光沢の無い闇に溶かすような黒い塗装が施された鉄球であるが、問題はその破壊力と重さ、そして投擲技術だ。

 こちらの動きを見切っただけではなく、悟らせることなく鉄球を投擲した。それも複数個が密集して音も無く……だ。

 仮面の男は何もない左手を握り、そして開く。まるでマジックのように指の間にはサブマシンガンを叩き落とした鉄球が挟まっている。

 仮面の男が背後に跳びながらオレに向かって鉄球を投擲する。その速度たるや、銃弾にも匹敵する。

 だが、狙いが正確過ぎる。回避ルートを潰し切れていない。まぁ、躱すまでもないがな。贄姫で全ての鉄球を逸らす。

 瞬間に仮面の男の姿を見失う。ぞわりと顎に悪寒が走り、左手で間近まで迫っていた『蹴り』を受け止める。

 突き抜けるのは逸脱した破壊力。危うく左手ごと顎を打ち砕かれそうになる。あともう少し腰を入れて受け止めていなければ体は宙を浮いていただろう。

 先程の意趣返しか。鉄球に対応させたところで、身を屈めながらの重心移動で瞬時に相手の懐に入り込み、柔軟性を活かして相手の顎を蹴り砕く。

 仮面の男は体を独楽のように回転させてオレに捕まれた足裏を引き剥がす。その格闘戦を仕掛けようとするが、そうはさせるか。オレは贄姫を逆手に握り、強引に仮面の男の懐に入って首を刈るべく振るう。

 だが、仮面の男は身を逸らして斬撃を躱し、そのままバック転しながら華麗な蹴りで再びオレの顎を狙う。こちらも顎を引いて躱すが、瞬間に右肩に衝撃が走る。

 バック転の瞬間、男は鉄球を投擲していたのだ。まるで銃弾の如く肉にめり込もうとする鉄球には強烈な回転が加えられている。なるほどな。これでスピードを引き上げているのか。

 だが、やはり……重たい! ダメージもそうだが、鉄球の重さ……すなわち、重量が桁違いだ!

 このまま仰け反れば相手の猛攻の餌食となる。逆に言えば、ここで強引にでも前に出る。バック転から着地を狙い、右手片手突きで仮面の男を穿つ。

 しかし、これもまた見切られる。仮面の男は着地を左足だけで行い、そのまま前傾姿勢になるように体を傾けながら、大きく掲げた左足で贄姫の突きを『踏みつける』。

 男の体重によって突きは逸らされて床を貫き、そのまま男は贄姫を足場にしてオレに迫る。顔面を狙った右拳に対して顔を逸らして対応し、だがそのまま宙を舞った男の蹴りに後退が間に合わず、贄姫を捨てて右腕でガードするも、威力に負けて押し込まれて吹き飛ばされる。

 壁に激突し、そのままバウンドしながらも体勢を立て直せば、仮面の男が蹴り飛ばした贄姫が回転しながら首元まで迫っていた。身を屈めて躱す。

 危うく贄姫で自分の首を落とす事になっていたな。仮面の男は間合いを詰めようとせず、両手に挟んだ鉄球を投擲する。それに対してオレもコートの内側のナイフホルダーから投げナイフを指で挟み取って応戦する。

 互いに無言であるが、語り合うかのように廃病院の廊下で、オレ達の間で激しい火花が連続で炸裂する。互いに放つ鉄球と投げナイフが際限なく衝突し合う。

 オレの投げナイフと仮面の男の鉄球、どちらが尽きるのが先か。オレの場合、装備負荷を増加させてでも防具……特にコートに投げナイフ用のナイフホルダーを装着している。これらはナイフホルダーの限界まで投げナイフを収納できる、いうなれば投げナイフ限定のアイテムストレージのようなものだ。

 オレは主に2種類の投げナイフを使用する。籠手の手首に仕込まれている、ワイヤー接続機構と一体化したナイフホルダーに収納されているアンカーナイフ。そして、常用の鋸ナイフだ。今日は近接戦用の大型鋸ナイフを持ち込んでいない。護衛であるが故に目立ち過ぎる装備はオミットしているからだ。

 右籠手のアンカーナイフはワイヤー機構が破損して使用不可。使えるのは左袖のアンカーナイフと鋸ナイフのみ。それでも総数は100本を超える。これだけの投げナイフを常に持ち歩いている、もとい防具の装備負荷を増加させてでもナイフホルダーに収納しているのはDBOでもオレくらいだろう。

 だが、仮面の男の鉄球も尽きない。オレ達の間には僅かな時間で衝突で砕けた鉄球と投げナイフが無秩序に重なり合っていく。

 

「……くっ!」

 

 馬鹿な。オレの方が先に在庫切れだと!? 投げナイフが尽き、思わず零れた舌打ちに仮面の男は鉄球を連投する。

 正直に言って驚いた。攻撃用の投擲アイテムは数あれども多く持ち歩くものではない。メイン戦術として組み込んでいるのは上位プレイヤーでも極少数だ。ナイフホルダーを防具に装着するにしても、せいぜい1つくらいであり、負荷も考えて4,5本程度で済ますものである。

 オレのようにコートの裏側はナイフホルダーだらけで、100本単位で投げナイフを持ち歩いているプレイヤーは『馬鹿』と嗤われる側だ。

 鉄球の方が投げナイフよりも収納負荷が少なく、投げナイフよりも多く持ち歩けるにしても、仮面の男がどうしてここまで鉄球を仕込んでいるのか。

 だが、尽きたのはナイフホルダーの投げナイフだけだ。オレ達の間には互いに投擲した鉄球と投げナイフが山のように散らばっている。

 鉄球は重く、また威力があり過ぎた。廃病院の脆い壁では思うように反射させる事が出来ない。ならばこそ、オレを直接狙うしか無い。

 仮面の男から投げられる鉄球を躱しながら散らばる鋸ナイフを右手で掴み取る……フリをして左袖から射出したアンカーナイフを放つ。尽きたのは鋸ナイフだけだ。まだアンカーナイフは残っている!

 だが、左手首に衝撃が走り、放たれたアンカーナイフは無様に宙を舞う。

 これは……!? 左手首に命中したのは透明な鉄球だ。いや、違うな。周囲の風景に溶け込むような塗料が塗られているようだ。

 黒鉄球とは違い、こちらは壁をバウンドしてきた。威力も衝撃も黒鉄球に比べれば低いが、だからこそ脆い壁でも跳ねたというわけか。

 聴覚がイカれている自覚はあるが、それにしても静音だ。ただの迷彩塗料ではない。静音性も高いな。

 見えてきた。黒鉄球は暗闇でこそ真価を発揮する闇討ち用兼破壊力重視。そして、こちらは黒鉄球の性質を理解してきた相手を狙い撃ちにするステルス鉄球というわけか。

 獣血侵蝕開始。落ちたアンカーナイフにワイヤーを伝って獣血侵蝕を施して暗器化する。ワイヤーを鞭の如く振るい、黒鉄球とステルス鉄球の全てを迎撃する。

 だが、暗器化し、ワイヤーも高純度蜘蛛糸鋼級としても、この鉄球をいつまでも捌ききれるものではない。四方八方から迫る鉄球を見る事無く、ヤツメ様の導きで落とし続ける。

 幾つかの鉄球が身を掠めるが命中させない。全ては導きの糸で絡め取っている。だが、ヤツメ様の表情は芳しくない。

 ついに仮面の男の鉄球が尽きたのか、間合いを詰めるべく踏み込む。これまでの戦闘の限り、男には籠手と具足以外の装備はない。つまりは格闘装具のみであり、格闘戦に絶対の自信がある事が窺える。

 対するオレは贄姫とサブマシンガンを失っている。なおかつ投げナイフも尽きた。氷雪のレガリアも知られているならば、それも警戒していたはずだが、鉄球を捌くのに無理がある獣血侵蝕を施したワイヤーで行ったからこそ、魔力切れだと見抜いたはずだ。今こそが攻め時と考えるだろう。

 もちろん、仮面の男は用心深いだろう。魔力を温存し、不用意に間合いに入ったオレが氷雪のレガリアでカウンターを狙っているかもしれないと警戒しているかもしれない。

 だからこそ、仮面の男はもう1手、オレを詰む為の札を切ってくるはずだ。

 仮面の男が放ったのは円筒……形状からして煙幕か、閃光か、音か。それとも全てか。どちらにしても五感を潰しにかかる。

 円筒が空中で放ったのは閃光と爆音。オレは右目を瞑り、左目の義眼で対応する。残念だが、義眼の方は閃光対策済みだ。部分的ではあるが、肉眼よりも優秀である。

 

(……やられたわ)

 

 だが、閃光と音が失せた時、ヤツメ様が焦りと共にオレを突き動かす。

 仮面の男は閃光爆弾に乗じて距離を詰めていなかった。その右足を強烈に、床に亀裂が入る程に踏み鳴らしているだけだった。

 それが具足のギミックを開放させる。表面装甲が左右3対に、まるで昆虫の翅の如く展開され、微細に振動する。それは踏み込みの破壊力を変換しているかのようであり、青を帯びた衝撃波となって放出される。

 オレ達の間……床に散らばっていた数多の投げナイフと鉄球が青い衝撃波を浴び、そして吹き飛ばされる。だが、そのいずれにも青い光を纏っている。。

 そして、男は間髪入れずに体を回転蹴りを放つ。間合い外のオレを貫くような宙を穿つミドルキックは、彼の前方全てを吹き飛ばす風圧を生む。

 死ね。言葉は無くとも、仮面の男の嘲笑が聞こえた気がした。

 やられた。鉄球と投げナイフの応戦は最初からこの攻撃の為の『仕込み』。青い光……魔法属性攻撃力をエンチャントさせる衝撃波によって強化し、続く風圧を放つ蹴りで隙間無く殺到させる為だったのか。

 数多の仕込みで獲物を追い込むはずの狩人が……逆に積み重ねた仕込みによって狩られる。それはこれまでの行動からも見て取れた、人を小馬鹿にするようなやり返しであり、同時に……まるで過去の屈辱に対する意趣返しにも思えた。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 すっかり遅れを取ってしまった! シャークマンは焦りと共にエンジンを唸らせながらモンスターバイクを駆り、旧市街を探っていた。

 情報通とは言い難いが、DBOで生き残る上で最低限の情報収集は欠かさないシャークマンは、公式に確認されているゴーレムとアームズフォートを全種把握している。

 改修の度合いを超えたカスタムが施され、ほとんど原形を失っていない限り、あの巨大ゴーレムは前例が無い新型である。『財団』が新たに発売した新型ゴーレムという線もあり得るが、そうだとしてもこの状況下で投入されたのはおかしいからだ。

 スイレンが拉致されてから苛烈な追跡劇が始まり、巨大ゴーレムの出現まで実に10分と経過していないのである。

 それまでに現れたバイクを駆り、あるいは分裂ミサイルを搭載した装甲車も十分に異常だったが、ゴーレムに関してはもはや看過できない。

 あれほどの巨大ゴーレムを開発・維持できるだけの資本を持った組織が『来たるべき時』にいつでも『先制攻撃』できるように稼働準備を整えた上で秘密裏に配備していたのだ。

 如何に無秩序に開発されて迷宮の如き立体構造と化した終わりつつある街であるとしても、15メートル級の巨大ゴーレムをいつでも稼働できる準備万端の状態で待機させておくには相応の土地が不可欠だ。

 

(そんな事が可能なのは大ギルドだけ……! だが、どうして? 街を滅茶苦茶に破壊し、多くの死者を出してまでスイレン嬢を殺す必要がある!?)

 

 深く考える事を苦手とするシャークマンであるが、さすがに気付かざるを得ない。黒バイクの乗り手の目的はスイレンの『拉致』であったが、彼女を奪還しようとする自分達も殺そうとしたバイク集団や装甲車、ゴーレムはいずれもスイレンの『殺害』するべく動いていた。

 同じく乗り手として悔しいが、シャークマンを遙かに超える……DBOナンバー1の運転テクニックを持つRDにも迫るのではないかと思わす程の黒バイクの乗り手で無ければ、スイレンは道中で早々に殺害されていただろう。また、【渡り鳥】が少なくない数の襲撃者を減らしていなければ、黒バイクの乗り手もスイレンを何処かで死なせてしまっていたはずだ。

 皮肉にもスイレンを守る為に追っ手を削った事がスイレンを拉致した黒バイクに利する形になってしまった。彼女の生存こそが優先とはいえ、シャークマンには何とも歯痒かった。

 元より単純明快に力尽くで解決する事を望む傾向があるシャークマンの思想はシンプルだ。

 すなわち、『力』こそが絶対である。大ギルドや教会によって秩序こそ敷かれているが、そんなものは仮初めの幻想であり、今宵のようにあっさりと真実は露わとなる。

 人間元来の暴力的本性を解放する。それは何もDBOの特色では無い。

 時代も土地も民族も関係なく、乱世においては暴力を是として略奪し、殺戮し、支配する。平和な世では眉を顰められ、声高に批判され、正義の名の下に罰せられる非道徳的行為が罷り通る。

 それこそが人間の本性だ。シャークマンが愛して止まない鮫の何倍も、何十倍も、何百倍も残虐で、卑劣で、醜悪だ。

 だからなのだろう。シャークマンは他のプレイヤーが恐怖して怯える【渡り鳥】に対して敬意を覚えていた。

 ラストサンクチュアリ壊滅戦において、聖剣を有する英雄たる【黒の剣士】すらも打ち破る暴力。それはどれだけお題目を並べようとも『力』こそが全てを定めるという証左だったからだ。

 シャークマンは予感する。自分はいずれ何処かで死ぬだろう。力及ばずに骸を晒すだろう。だが、それでいい。その瞬間まで、自分が生きたいように生きよう。多くは望まない。せいぜい愛するサメ映画をもう1度この目で見たいくらいだ。

 

「なんと……!」

 

 火災の光と黒煙が目印にして旧市街にたどり着いたシャークマンが目にしたのは、どれだけの人間が死んだかも分からない破壊の痕跡であり、そして原因となったゴーレムが機能停止した姿だった。

 首元から背中にかけて裂かれ、なおかつ首は爆散。周囲の様子から分析して、ゴーレムはここで何者かと戦闘し、そして瞬殺されたのだろう。

 未確認であるが故に詳細スペックは不明であるが、シャークマンが見た限り、大ギルドの最新鋭ゴーレムに匹敵する性能であったはずである。アームズフォートにはさすがに火力・耐久面では及ばないが、機動力では遙かに上回る。ドラゴンにも匹敵と評価しても問題なかった。もちろん、大ギルドが綿密な計画と膨大な物資を投入し、なおかつ多大な犠牲を出さねば倒せない古竜には遠く及ばないが。

 詳細不明のゴーレムはすでに旧市街の住民によって漁られている。巨体こそ残っているが、ドロップアイテムはもはや残されていないだろう。プレイヤーの遺体と同じく時間経過によって消滅する。だが、これだけの強大なゴーレムである。ドロップしたアイテム数もレアリティも高く、情報価値も含めれば、一財産は築けるはずである。

 

「タイヤ痕が残っている。こっちか……」

 

 旧市街の住民の視線は刺々しい。見方によっては最下層以下に位置する貧民街こそが旧市街だ。終わりつつある街の原風景を残した廃墟群であり、復興も開発も放棄された区画であるから当然である。

 フル装備かつモンスターバイクに駆り、しかも破壊をもたらしたゴーレムの元に現れた男。どう見ても関係者である。彼らのほとんどがレベル1であるとしても数の暴力の前ではレベル100にも達するシャークマンでも逃げねば死以外何もない。

 2つのタイヤが並んで刻んだモンスターバイク独特のタイヤ痕は間違いなく【渡り鳥】が通った証拠である。シャークマンはタイヤ痕に沿うように走り、そして独特のシルエットを見つける。

 毛先に行く程に黒く変色するグラデーションがかかった灰色の髪。クールと称するに相応しい、愛らしさ顔立ちを無表情で覆い隠した、『犬耳』を備えた美少女だ。服装も和のテイストを入れつつも近未来的なサイバーチックで独特であるが、その奇異な見た目に相応しく、敵のロックがかかったモンスターバイクをハッキングして我が物にするという能力には度肝を抜かされた。

 彼女はアサルトライフルを手に走る後ろにいるのはスイレンだ。シャークマンは胸を撫で下ろす。【渡り鳥】はスイレンを無事に奪還したのだ。

 

「スイレン嬢! ご無事でしたか!」

 

 シャークマンがモンスターバイクを止めて駆け寄れば、スイレンはびくりと肩を跳ねさせて『犬耳』美少女の後ろに隠れる。もちろん、背丈は圧倒的に低い灰狼の背後では隠れきれないものであるが、それでも銃器を有した『犬耳』美少女と触れれば折れてしまいそうな高級娼婦。どちらが勇ましく力強いか言うまでもない。

 そういえば、自分は館に無粋だからとお目通りさえさせてもらえていなかったな。シャークマンは頭を搔き、だが無礼を地で行くのが自分だと名乗ろうとすれば、『犬耳』美少女は銃口を下げる。

 

「スイレン様、この御方は味方です。灰狼が保証します」

 

「……そうでしたか」

 

 スイレンは安心したように息を漏らし、そして緊張の糸が千切れたように腰を抜かす。

 

「ご安心ください。ジェネラル・シールズに援護要請をしてあります。ジェネラル・シールズが本気を出せば、あと10分も待たずしてスイレン嬢の安全は絶対となりましょう!」

 

 それともスイレンの暗殺、あるいは拉致を目論む勢力が先か。ここから先が正念場であり、援護があるまで彼女を守り通さねばならない。その為にも【渡り鳥】との連携は必須なのであるが、シャークマンの視界の何処にも暗闇の中であろうとも見逃すはずがない美しい純白はない。

 

「【渡り鳥】は何処だ?」

 

「わ、【渡り鳥】さんは……私たちを逃がす為に……」

 

 犠牲になった? あの【渡り鳥】が死んだ!? シャークマンが愕然とした矢先、近くの病院と思われる建物の2階から目映い光と耳を潰すような轟音が響く。

 そうだ。スイレンを攫った黒バイクの乗り手がいたのだ。【渡り鳥】程の猛者ならば倒される事がないだろうが、スイレンを守り切りながらともなれば動きが制限される。そこで自分が信用できるサポートユニットにスイレンを任せて逃がしたのだろうと推測した。

 モンスターバイクに隠密という概念はない。その性能に相応しいエンジンは静音性皆無だからだ。故に何処に追っ手がいるかも分からない状況でスイレンを乗せて逃げる方が危うい。シャークマンはそう判断を下し、ジェネラル・シールズの援軍が到着するまで何処かに身を潜めるべきだろうと判断した。

 

「スイレン嬢、『犬耳』ちゃん。私について来い! 援軍が到着するまで隠れ潜む!」

 

「……申し訳ありません。灰狼はご同行出来ません。灰狼に代わり、スイレン様の保護をお願いします」

 

 だが、『犬耳』美少女は首を横に振り、シャークマンにスイレンを任せると廃病院にフラフラと向かう。

 よくよく見ずとも重傷である。HPにはまだ余裕があるが、背中は爆風によって焼かれて抉れ、血で真っ赤に染まった止血包帯を巻いた右腕はまともに動かない程に損壊しているのが分かる。右腕や背中ほどではないが、足の怪我も深刻であり、無理に歩こうとする度に血が傷口から溢れ出ていた。

 

「灰狼はマスターの援護に向かいます」

 

「無茶だ! その怪我では足手纏いになるだけだぞ!」

 

「そうだよ! 今の灰狼ちゃんが行っても……!」

 

 シャークマンの発言にスイレンも同調する。【渡り鳥】の強さは桁違いである。およそプレイヤーの域を逸脱した能力を発揮した【黒の剣士】を、純然たる暴力によって敗北に追いやった。

 もしも【渡り鳥】を倒すならば、それこそトッププレイヤーが徒党を組むか、大ギルドが物量で押し潰すか、選び抜かれた『英雄』が討ち取るしかないだろう。そう思える程の、個の戦闘能力がプレイヤーという括りではなく『人類』という枠において超越した本物のバケモノだ。

 加えて『犬耳』美少女……灰狼と呼ばれる彼女のコンディションは劣悪だ。左腕しかまともに動かず、歩くので精一杯の体では戦いに参加できないだろう。

 

「左手は動きます。この足ではマスターの得意とする高速戦闘にはついて行けませんが、それでも上手く隠れて接近すれば、物陰から援護射撃くらいは出来ます。それだけでもマスターならば十分に勝機を掴むチャンスとなるはずです」

 

 シャークマンも多くの死線を突破してきた。生死を分かつギリギリの戦いにおいて、意識外からの攻撃を受ければ必然と隙が出来るのは理解できる。そして、【渡り鳥】ならばそれを見逃すこともないだろう事も頷ける。

 

「援護が必要とは思えんぞ」

 

 だが、必要性があるかと問われれば疑問があった。

 聖剣を持つ【黒の剣士】を下し、館を襲撃した暗殺者を1人で数多と始末し、追跡劇では人外なる動きで装甲車等を排除し、巨大ゴーレムすらも倒した。シャークマンが把握できる限りの戦歴でも常軌を逸している。

 黒バイクの乗り手がたとえトッププレイヤー級であるとしても【渡り鳥】を殺しきれるとは思えない。たとえ、【黒の剣士】のように同等の戦いができたとしても戦いが長引くだけで、ジェネラル・シールズの援護が間に合うだろう。

 

「【渡り鳥】なら心配いらんさ。あれほどの『力』があるならば、駆けつけたところで無駄に――」

 

 シャークマンは灰狼の肩を叩いて杞憂だと払拭しようとしたが、彼女は動かない右腕を振り回すようにして払い除ける。

 

「……違います」

 

 灰狼の小さな背中に、シャークマンは言い知れぬ威圧を覚える。

 

「マスターは……マスターは確かに強いです。灰狼は足下にも及びません。万全だとしても、マスターと並んで戦場を駆けるには不足があるのも承知しています」

 

 感情を押し殺していると馬鹿でも分かる程に震えた声に、シャークマンは自分が地雷を踏みつけてしまったのだと悟る。

 

 

 

 

「でも、マスターが強いからマスターを助けに行かなくていいなんて、理由になりません!」

 

 

 

 

 振り返った灰狼は、その名と見た目に相応しく鋭い犬歯を露わにして、感情を剥き出しにした顔と瞳でシャークマンに吼える。

 

「強ければ助けに行かなくていいのですか!? 違います! 違います! 違います! 違う違う違う違う! 絶対に違います!」

 

 動く左手ではなく、血だらけの……だが止血包帯が巻かれた右手に愛おしさすらも感じさせる所作で己の胸を掴み、激情のままに涙を零しながら灰狼は叫ぶ。

 

「マスターは何も言わないだけです! マスターは心も体も『強過ぎる』から、いつだって自分だけで立ち塞がる全てを倒してきただけです! 本当は苦しくても! どれだけの困難を前にしても! だからこそ、助けに行くんです! いつだって本当に助けが必要だった時は誰も傍にいてくれなかった……誰も駆けつけてくれなかったマスターの元に!」

 

 その瞳に宿るのは怒り。だが、それはシャークマンに対する怒りと同じく自身に対する耐え難い怒りを含んでるように思えるのは気のせいではないだろう。シャークマンは気圧されて後退る。

 

「そうです! いつだって、いつだって、いつだって……いつだってマスターは……!?」

 

 途端に灰狼の耳がピンと伸び、まるで雷に打たれたかのように止まる。

 

「あぎ……あぎぃ……!?」

 

 そして、頭を押さえると膝を曲げて前のめりに倒れる。だが、彼女は文字通り血溜まりを作ってでも踏み止まる。

 

「灰狼は……灰狼は……灰狼は……マスターを助けたいだけなんです」

 

 先程までの憤怒は消え去り、今にも消えてしまいそうな弱々しい表情で体を震わせながら、それでも【渡り鳥】の元に駆けつけねばならないと内なる使命に突き動かされるようにシャークマンに背を向けて歩き始める。

 

「邪魔しないで……ください。灰狼は……灰狼は絶対にマスターを……!」

 

「分かったよ」

 

 だが、灰狼の意思を受け止めるように、あるいは阻むように、スイレンが彼女を背後から優しく抱擁し、その体が前に動かぬように自身の体重をかけて無理に地面にへたり込ませる。

 

「ワガママを言って申し訳ありません。【渡り鳥】さんの援護に向かってもらえませんか?」

 

 スイレンから聞こえたのは、本当に同一人物かと疑う程に、先程までの儚さなど微塵も感じさせない、芯が通った声だった。

 

「だ、だがな、スイレン嬢! 今は貴女の安全こそが最優先だ!」

 

「私は大丈夫です。灰狼ちゃんが守ってくれるから。そうだよね?」

 

「灰狼は……灰狼は……」

 

「ねぇ、灰狼ちゃん。【渡り鳥】さんの命令は何? 助けに行く事? 違うよね。私を連れて逃げる事。左手だけでも【渡り鳥】さんを助けられるなら、私を守るなんて造作もないよね?」

 

 もはや感情がグチャグチャになって涙を零す灰狼を、まるで慈母の如く頭を撫でながら抱きしめるスイレンは、何処か恐ろしさも覚える程に、自分の命も危うい窮地とも思えぬ穏やかな声音だった。

 

「私なら大丈夫です。後は隠れて救助を待つだけ。そうなのでしょう?」

 

 スイレンの有無を言わさぬ笑みに、シャークマンは腕を組んで唸る。

 ここで灰狼を【渡り鳥】の元に向かわせたところで無駄だろう。負傷した彼女など元より戦力としてカウントしていない。ならば自分だけでスイレンを守り抜くのと大差ない。だが、逆ならば別だ。灰狼ではスイレンを守り切れるとは到底思えない。

 

「目も耳も封じられていましたが、衝撃は感じていました。私を狙っているのはかなりの数を動員できる戦力のはず。仮にジェネラル・シールズの援軍が間に合わなかった場合、単独で私を守り切れますか?」

 

「そ、それは……!」

 

「【渡り鳥】さんを援護し、早期に合流させる。それこそが私の安全を確保する最も有力な手段です。私も護衛として信用しているのは【渡り鳥】さんだけ。貴方よりも【渡り鳥】さんのサポートユニットである灰狼ちゃんの方がずっと安心できるくらいです」

 

 慈母の笑みとは相反する冷笑の眼差し。シャークマンは喉を引き攣らせて呼吸が出来なくなる。

 確かに言われてみれば、シャークマン単独ではスイレンを守り切れない。逃げ回りながらにしても鈍足のシャークマンでは彼女を担いだところでたかが知れており、モンスターバイクを使っても同じかそれ以上の移動手段……もとい戦力が差し向けられたら終わりだ。

 だが、【渡り鳥】は存在するだけで相手を威圧する手段になる。たとえば、シャークマンがスイレンの傍に控え、【渡り鳥】は遊撃で暴れ回れば、それだけで相手はスイレンの捜索が困難になるはずである。

 これから10分、あるいはそれ以上の時間をかけてジェネラル・シールズの援軍を待つよりも、もしかしたらすでに決着がついているかもしれない【渡り鳥】と合流した方が安全確保も容易である。

 何よりも、仮にジェネラル・シールズの援軍が到着したとして、暗殺者……巨大ゴーレムさえも派遣できる組織の戦力とぶつかり合った場合、一方的ではないにしても苦戦は必至だ。ならば、最強戦力である【渡り鳥】との早期合流は必要不可欠である。

 

「分かった。私が援護に向かおう。少し待て」

 

 シャークマンはモンスターバイクを操作し、自動運転モードに切り替える。彼が毛嫌いする運転サポートであるが、自動運転モードには使い道がある。その爆音によって敵に居場所を誤認させられるからだ。

 目的地を適当に設定したシャークマンは得物を手にして廃病院に向かう。振り向けば、灰狼が……いいや、彼女の肩を抱いたスイレンが廃墟に隠れ潜む姿があった。

 儚く慈愛に溢れた高級娼婦として有名だったスイレン。だが、あの眼差しはシャークマンがよく知るものだ。血と死に満ちた地獄の底で『生き残ってしまった』者の目だ。

 人に歴史あり。高級娼婦である前のスイレンがどのように生きてきたのか、シャークマンは知らず、また知りたくもなかった。

 

「要らん心配だが、合流は不可欠だしな」

 

 シャークマン達が隠れ潜む事に専念すれば敵を倒した【渡り鳥】も合流できなくなる。その前にシャークマンが連れて戻れば、その不安も払拭される。

 廃病院の玄関を潜り、シャークマンは閃光が放たれた2階へと向かう。おそらく決着がついている頃だろうという漠然とした想像を胸に。

 

 

 

 そして、シャークマンの目に映ったのは、全身を血の色で染め、仮面の男に片手で首を絞められながら宙に持ち上げられる【渡り鳥】の姿だった。

 

 

 

 これは夢なのか? 思考停止したシャークマンは目の前の光景が信じられなかった。

 純白の髪は血で汚れ、その全身には投げナイフや鋭い瓦礫片が突き刺さっていた。対する中華風の装束を纏った仮面の男は返り血を浴びているくらいで傷らしい傷はない。

 一方的に【渡り鳥】が追い詰められた。それを証明する光景に、シャークマンは言葉を失った。

 聖剣を振るった【黒の剣士】すら下した【渡り鳥】が負けている。シャークマンは絶対的な『力』だと惚れ込んだ純白は今にも無残に散りそうな哀れな姿だった。

 仮面の男は左手で【渡り鳥】の首を絞め上げながら掲げ、右手で貫手を放つ。【渡り鳥】の胸の中心を狙った一撃であるが、首を絞められた【渡り鳥】は眼を開き、全身を捩って貫手を躱しながら自分の首を掴んで支える男の左腕に足をかけて体勢を崩そうとする。

 だが、それより先に仮面の男は【渡り鳥】を解放……いいや、投げ飛ばす。廊下を背中で滑った【渡り鳥】は腕を使わず足だけで起き上がると迫る仮面の男に拳を振るう。

 繰り出されたのは轟音と目映いライトエフェクトが合わさったソードスキル、穿鬼。実戦で見るのはシャークマンも初めての≪苦闘≫でも最上位の火力と扱い難さを持つソードスキルである。

 発動は一瞬であり、タイミングを誤れば大きな隙を晒すかただのパンチにしかならないソードスキルをカウンターに用いた【渡り鳥】は凄まじいの一言である。タイミングを完璧に合わせた穿鬼は仮面の男を吹き飛ばす。

 そう、吹き飛ばす『はずだった』。仮面の男が全く同タイミングで穿鬼を重ねて放っていなければ……である。

 穿鬼カウンターに穿鬼カウンター返し。なおかつ【渡り鳥】に接近までの移動を助走とし、起き上がったばかりかつ傷だらけの体で踏み込みが甘かった……あくまで仮面の男に比べれば不十分だった【渡り鳥】の穿鬼が競り勝てる道理もなく、純白の傭兵の右手の指はあらぬ方向に曲がり、伝播した衝撃によって袖は千切れ、血が飛び散る。

 

「ハァ……ハァ……ぐっ……!」

 

 追跡劇の中で、巨大ゴーレムの撃破も含めた連戦で消耗しているとしても、あまりにも一方的と言うほかにない戦況だった。

 穿鬼で押し負けた【渡り鳥】に、まるで嬲るように、だが的確な打撃を仮面の男は放つ。【渡り鳥】はそれを何とか捌き、反撃の拳を入れるが、仮面の男はわざと晒した隙だとばかりに余裕綽々で後退して躱し、逆に間合いを詰める加速を加えた捻りを加えた拳を放つ。それは【渡り鳥】の咄嗟のガードに穴を開ける。

 続く攻撃の間合い外へとステップで脱する【渡り鳥】だが、それを待っていたとばかりに仮面の男はクイックアイテムストレージから高速で具現化した黒い杭を手にして突く。それは【渡り鳥】の顔面に迫り、青い血の如き瞳を湛えた左の義眼に命中する。

 義眼に杭は押し込まれていき、そのまま【渡り鳥】を壁に押しつける。仮面の男の声にならない狂笑が聞こえてくるような光景に、シャークマンは震える足で動くことも出来ず、援護など頭から消え去っていた。

 それは恐怖だ。【渡り鳥】に感じる、まるで天災と遭遇したかのような……まさしくバケモノを目にしたような恐怖とは違う。何処までも人間的な悪意と欲望と悦楽に満ち満ちた恐怖だ。

 

「……らっ!」

 

 杭を払いのけた【渡り鳥】だが、義眼は破損してしまっていた。視界が半減し、全身にダメージを受け、なおかつ右腕も損傷したともなれば、無傷の仮面の男を倒せる確率は低い。

 

「うぐ……ゲホ……ガホ……!」

 

 加えて、何らかのデバフを受けてしまっているのか。【渡り鳥】は黒く濁った血を吐く。黒い血は床に零れると、まるで気化するように闇を放出して元の血の色に戻る。

 震える右手で吐血を受け止めた【渡り鳥】は、だがその表情に微塵と恐怖はない。死への恐れもない。

 それは構わない。不思議ではない。【渡り鳥】もまた一流の戦士であるならば死の恐怖を克服し、最後の瞬間まで戦えるという事だけなのだから。

 だが、シャークマンが理解できなかったのは【渡り鳥】の目だ。

 静謐の混沌。そう呼ぶに相応しい目は戦いの中で活路を見出そうとする希望の光も、力及ばずに敗れるのではないかという絶望の影も、何もない。

 虚無。あるとするならば無機質な殺意のみ。それは仮想世界というDBOにおいて、まるで生きているかのように振る舞うNPCよりも遙かに人間味がなかった。

 それが苛立つのか。仮面の男の攻撃は苛烈になる。それを【渡り鳥】は防ぎ続ける。だが、仮面の男の蹴りはまるで見えない刃……まさしく風の刃を生み出し、それは縦横無尽に男の正面の空間を切り裂く。これを恐るべき体捌きで、まるで見えない風の刃を最初から目視しているように回避した【渡り鳥】だが、男の空に放つ掌底によって生み出された壁の壁によって押し飛ばされる。

 咄嗟に背後に跳んでダメージを最小限に抑えたのだろうが、ここまでの蓄積したダメージによって【渡り鳥】のHPは3割を切っていた。いや、低VIT型であることを考慮するならば、よくぞあれだけの猛攻でHPを残していると言うべきだろう。それは【渡り鳥】の全身……その体に浮かび上がっている緋色に脈動する血管の如き網状の何かのお陰か。

 だが、ここまでだった。如何にダメージを最小限に抑えたとはいえ、風の壁の狙いは【渡り鳥】の前面の各所に食い込んでいた投げナイフや破片を更に食い込ませることだった。これによる追加ダメージも最小限に抑えられたようだが、アバターの破損はいよいよ体を思うように動かせなくなるまでに達しようとしているようだった。

 いいや、違う。【渡り鳥】の皮膚の下で何かが蠢いている。それがアバターを補強し、強引に動かす事を可能としている。それはあまりにも人間離れした闘争への執着であり、同時に蠢く何かを生み出した者に【渡り鳥】や仮面の男とは別種の恐怖を覚えずにはいられない。

 そうだ。援護しなければ! 完全に2人の戦いに呑まれていたシャークマンは慌てて仮面の男を背後から襲おうと意気込むが、反して体は震えて思うようには動かなかった。

 恐怖だ。恐怖だ。恐怖だ! 屈するものか! シャークマンはガチガチと歯を鳴らし、自分など眼中にはない仮面の男を攻撃しようと何度も意気込むが、まるで蛇に睨まれた蛙……いいや、虎に見下ろされる兎の如く身動きできない。

 違う。私は恐怖に震える兎ではない! 鮫だ! 最後まで牙を剥く……『力』を信じて生きる捕食者だ! シャークマンは己を奮い立たせる咆吼すら出せぬ我が身を恥じる。

 

 恐怖だ。恐怖だ。恐怖だ。恐怖が我が身を支配する。

 

 だが、その恐怖の源泉は何処だろうか?

 

 

 仮面の男か? あの男から感じる、人間の悪意と欲望を煮込んで凝縮したような恐怖か?

 

 

 

 

 違う。断じて違う!

 

 

 

 

 そうだ。この恐怖は……もっと原始的で……いかなる生物も逃れられない……根源から湧き出すものだ。

 

 

 

 

 

「オレは狩り、奪い、喰らい、戦い、殺し、そして夜明けをもたらす者。神殺しの狩人の末裔なり」

 

 

 

 

 

 荒く浅くなっていた【渡り鳥】の呼吸が……変わる。

 深く落ち着いた……整った呼吸音へと変化する。

 

「名乗れ、古き血の末裔よ」

 

 圧倒的に追い詰められた立場でありながら、【渡り鳥】はまるで巡り会った同格の存在を賛美するかのようだった。

 だが、仮面の男は名乗らない。それは人間的な悪意と欲望に塗れた残虐性とは裏腹の静寂だ。

 

「ああ、そうですか。そうですよね」

 

 右手に滴る血を舐めた【渡り鳥】はつまらなそうに嘆息する。

 

 

 

「戦わずに下り、地に額を擦りつけて生を懇願し、『血』に拭えぬ屈服を刻み込む生き恥を選んだ末裔。『血』に呪われた生き方しか出来ないのに、どれだけ戦っても、奪っても、殺しても……決して拭えない敗北感と共に生きるしかない、生まれながらの負け犬なのですから」

 

 

 

 瞬間に仮面の男が消える。そう思える程の高速で【渡り鳥】を仕留めにかかる。

 だが、【渡り鳥】はまるで最初から読んでいたかのように、自分の首を砕き散らすような蹴りを躱し、逆に鳩尾にカウンターの膝蹴りを浴びせる。

 

「殺し合いましょう。オレを殺せば恥を雪ぐ事ができる。『血』に刻まれた屈服を消し去ることができる。アナタの苦痛はようやく消える」

 

 意味も分からぬ挑発の罵倒にしか聞こえず、だが確かに効果があって仮面の男の攻撃はカウンターの餌食となった。だが、【渡り鳥】の真意はまるで真逆の慈悲であったかのように、優しく、穏やかに、微笑んだ。

 だが、それも一瞬。まるで巣にかかった獲物を無慈悲に見つめる蜘蛛の如き無表情となる。

 流れが反転する。これまで一方的な攻勢だったはずの仮面の男の打撃は掠りもしなくなり、その全てに対して的確なカウンターが入れられていく。

 まるで動けば動く程に身動きが封じられる蜘蛛の巣に引っかかってしまったように、自由に動いているはずの仮面の男は徐々に、あらゆる行動の出鼻が挫かれていくようになる。

 仮面の男は戦いのリズムを取り戻すべく風の壁を掌底で発生させるが、それより先に男の懐に潜り込んでいた【渡り鳥】は少女の如き小柄を活かし、強烈な肘打ちを男の腹に打ち込む。そこから流れるような動作で、男の反撃の拳を、蹴りを、何もかもを封殺しながら一方的に拳打を浴びせる。

 男の右の具足がまるで昆虫が翅を広げるかのように開放され、青い衝撃波が放たれる。だが、衝撃波の範囲外にバックステップで脱していた【渡り鳥】は、続く浮遊した破片を高速で打ち出す風の蹴りを見据える。

 

「それはもう『喰らいました』」

 

 本来ならば回避不能の絶対的な面制圧。だが、【渡り鳥】はコートを脱ぐと緋血で侵蝕し、軽々と払い除ける。そのままコートを捨てた【渡り鳥】は、まるで重石を捨てたとばかりに、先程とは比較にならない程に軽快な動きで仮面の男を肉薄する。

 

「さぁ、踊りましょう?」

 

 コートの下に隠されていたのは扇情的とも思える黒のインナー防具。密着性が高く、腹部のラインは露わとなっており、特に首はまるで絡みつくように帯状で左右からクロスしながら首輪型のチョーカーと繋がっている。二の腕は大胆に露わになっているが、そこにも帯状に黒いインナー装備が絡みついており、それは手首まで続き、指まで覆い尽くす。

 だが、奇妙なのは背中である。肩甲骨の部位には切れ込みが入れられており、内部から『何か』を伸ばす際に邪魔にならない用にする為のようだった。

 まるで天使が悪魔を装って劣情を煽るかのようなインナー防具だ。だが、その本質は凶暴なる猛獣の爪牙であると言わんばかりにインナー防具が接触する皮膚下では何かが蠢いているようだった。

 

「クヒ、クヒヒ、クヒャヒャヒャ!」

 

 スピードを上げた【渡り鳥】に、もはやシャークマンの目は追いつけない。それは仮面の男も同様らしく前後左右……いいや、立体的に全方位から攻撃を仕掛ける【渡り鳥】の攻撃をしのぐしか出来ない。

 ようやく影を捉えたと仮面の男が拳を振るえば、まるで幻を相手にしているかのように空を殴るだけであり、不発の代償のように顎に強烈なカウンターが加わる。

 仮面に亀裂が入って破片が飛び散る。露わになった口元から、天井に叩き付けられると同時に肺から押し出された空気が漏れる。

 

「…………!」

 

 だが、同時に牙を剥くのは仮面の下に隠された残虐な笑み。それはまるで待ち望んだ戦い……いいや、殺し合いにたどり着けたかのような歓喜だ。

 それに応じるように微笑んだ【渡り鳥】はふわりと舞うように回転を利かせたステップを踏んで距離を取る。その瞬間に髪留めの三つ編みの先端の細いリボンが外れ、血を浴びた白髪が靡く。

 スイレンが慈母の笑み出会ったならば、【渡り鳥】は聖女の微笑。まるでこの世の穢れの全てを受け入れる抱擁の如く両腕を伸ばす。

 対する仮面の男が迸らせるのは……何処までも人間的な悪意にして欲望。目の前の聖女を穢し尽くす事だけを欲するような悪徳の狂笑だ。

 だが、それさえも愛おしいとばかりに聖女の微笑みは崩れない。

 そして、聖女とは程遠い狂った物言いで、だがそれこそが最大の慈悲であると言わんばかりに殺意を解き放つ。

 

「そこまでの武を練り上げた『アナタ』に敬意を。格闘戦に限定すれば、アナタは『彼』さえも遙かに凌ぐと認めましょう。ならばこそ……」

 

 限定受容……開始。ぼそりと聖女の唇がそう動いたようにシャークマンが観測したのを最後に、2人がシャークマンの視界から完全に失せる。

 いいや、違う。2人はまるで重力など存在しないかのように、廊下の壁を、天井を、縦横無尽に蹴り、互いに交差と衝突を繰り返しているのだ。

 廊下だけではない。病室で、診療室で、廃病院のあらゆる場所で2人は戦っているのだ。完全にシャークマンを置き去りにした、2人だけの闘争の世界を味わい尽くすように……!

 破壊音が鳴り響く。シャークマンは身震いの中で、2人が狭苦しい廃病院から屋外へ……天井を突き破って屋上へと出たのだと悟り、衝動のままに階段を駆け上がる。

 見たい。見たい。見たい! あの2人の……ある意味で対局の恐怖を持つ者同士の戦いを! 殺し合いを! 狂乱にも似た熱がシャークマンを恐怖の束縛から解き放っていた。

 屋上にて、巨大ゴーレムがもたらした火災の熱を含んだ黒煙によって曇りながらも、粉雪を確かに散らす夜空の下で、2つの恐怖は……楽しげに踊っていた。

 そうだ。それはもはや武が舞となり、故に何にも勝る純粋なる闘争が形をなしていた。

 仮面の男には武具の能力や風の技があるはずだ。だが、使わない。純粋なる己の体術を……武技を解放し、じわじわと聖女を追い詰めていく。地を滑るような独特の重心移動で聖女の足下まで1歩で駆け、そのまま重力が反転したかのような蹴りで聖女の顎を狙う。

 それを最初から存在しなかったように、ステップで躱した聖女は体勢を取り戻した仮面の男の喉へと左手を振るう。獣の如く五指を立てた攻撃は鋭く、男の仮面を掠める。仮面の男が詰めたと思った聖女を死に至らしめる距離を更に突き放す。

 武にして舞。だが、そこにはもう1つの対極が存在した。

 一見すれば理解し難いが、仮面の男は突き詰めれば武術。その動きには確かなる人間の積み重ねと呼べる技術体系を感じ取れる。それはどれだけ悪徳と欲望に穢されていようとも、いや、だからこそに純粋なる人間が到達せんとした極みの姿だ。

 対する聖女はまさしく自然そのものだ。そこには元になった技術があるはずなのに、一挙一動がまるで獣の爪牙の如き御業。まさしく野獣が生まれ持った本能を研ぎ澄まして動いているかのようだ。

 仮面の男が戦えば戦う程に学び取っていくかのように聖女の動きは加速度的に成長し、だが仮面の男はこの程度ではないとばかりに更に深奥を明らかにしていく。それだけではない。仮面の男もまた聖女との戦いを……一瞬の攻防を武を高める手がかりとして、より己の技術に深みを持たせているようだった。

 だが、同時にそこには2人にしか分からない苦悩とも呼べるものがあるような気がした。

 互いにこれが全てではない。もっともっと先があるはずなのだと叫んでいるかのようだった。

 本来ならば現実世界よりも遙かに優れた身体能力と反応速度が与えられるはずの仮想世界において、2人にとってはそれこそが見えない鎖であると主張するかのような、お互いにしか理解できない共感の悲鳴を上げているかのようだった。

 そう感じてしまうのは、シャークマンが恐怖を踏破して感動してしまったからだろう。『力』こそが絶対とするが故に、シャークマンには2人が理想郷の住人にしか見えなかった。

 何にも支配されない。己の『力』で邪魔する全てを薙ぎ払える。自由の申し子達。

 そのはずなのに、まるで互いに逃れられない『何か』に呪われているかのような……最も自由から程遠い存在に映ったのは何故なのだろうか。だからこそ、『力』を克明に刻みつけようとしているように見えた。

 宙で踊るような攻防の末に、2人は背中を向け合いながら着地する。

 

「ああ、アナタが『敵』で良かった。アナタと『友』として出会わなくて良かった」

 

 聖女が切なそうに呟けば、仮面の男も同意するように、今までの悪意と欲望に満ちた笑みが嘘のような心地良さそうな静寂の笑みを描く。

 お互いに本気はまるで出していない。いや、垣間見せているが、形振り構わず全てを放出していない。言うなればお互いの輪郭を確かめ合うように触れ合っていただけだ。だが、それもここまでだ。

 ここからは人類史に記される事がなかった、夢物語として忘れ去られた真実の死闘だ。シャークマンは自分こそが抹消された闇の歴史の目撃者になるのだと興奮する。

 

 

 

 

 だが、夢の時間の終わりを告げる目覚めの鐘が鳴り響くかのように、爆音と銃声が鳴り響いた。

 

 

 

 

 ふざけるな! シャークマンは嗚咽を漏らして絶望する。屋上の縁から見下ろせば、他でもない自分が応援に呼んだジェネラル・シールズと暗殺者の集団の激しい戦闘が始まっていた。

 私が……私が原因なのか!? 自分が援護要請などという愚行をした事で、2人の戦いの先を見届けられないのか!? シャークマンは唇を噛み、額を何度も床に叩き付ける。

 

「…………」

 

 ボリボリと頭を掻いた仮面の男はつまらなさそうに屋上の縁に立つと眼下の戦いに溜め息を吐き、右手を鳴らす。だが、彼の傍らに立った聖女は要らない参戦だとばかりに苦笑した。

 

「オレが始末します。申し訳ありません。アナタとの殺し合いに水を差してしまって……」

 

「…………」

 

 それこそ要らない詫びだ。そう伝えるように、今度こそどちらかが死ぬ、万全にして死力を尽くす再戦を望むように、仮面の男は聖女の血塗れの白髪を手に取ると口づけをし、大きく跳んで去って行く。その後ろ姿を聖女は同じく再戦の誓いを立てるように血で濡れた右手を差し向けて見送った。

 

「ええ、我が『血』にかけて必ず。『血』の誇りを取り戻さんと吼える猛虎よ」

 

 そこから先をシャークマンは明確に憶えていない。聖女は氷の鎌を生み出すと戦場に舞い降り、そして悲鳴と死によって満たされたのだ。

 

 

▽      ▽       ▽

 

 

 戦場は複数の勢力が互いに殺し合うという酷い有様であり、とりあえずジェネラル・シールズ以外を殺し回っていたら、いつの間にか撤退を開始し、すぐに静寂を取り戻した。

 ギリギリで氷雪の大鎌を生み出す魔力が回復したお陰ですぐに参戦できたが、そもそも氷雪の大鎌は維持しながら戦うようなものではないからな。瞬間的な耐久度はあるのだが、維持となると時間経過と共に急速に脆化していくからな。途中からは充血簒奪で、武器を奪っては使い捨て、奪っては使い捨てだった。

 

「ふざけるなぁあああああああ! 貴様らのせいで! 貴様らのせいでぇええええええええええ!」

 

 だが、謎なのは発狂して泣き叫び、同僚に掴みかかっているシャークマンだ。彼が仮面の男との戦いを傍観していたのは知っていたが、何がどうなってああなってしまったのかは分からない。

 シャークマンのメンタルがどうしてぶっ壊れたのかは……まぁ、正直に言えばどうでもいい。戦場だ。こういう事もあるだろう。戦闘狂にも見えたが、誰でも心には弱さがあって、それが何かの拍子に溢れてしまうのはよくある事だ。

 問題は事後処理だ。今夜だけで貧民プレイヤーにどれだけの死者が出たのやら。他にもクラウドアースが支配する娯楽街……特に建設途中の遊園地はほぼ壊滅したし、ただでさえ廃墟群だった旧市街の被害も大きい。

 中層市街でも被害はあった。完成間近だったクリスマスツリーは、グローリーのお陰で倒壊は免れたとはいえ、修復は必須だ。オレ達で最も被害が予想された分裂ミサイルは処理できたが、それ以外の銃撃戦による損壊もあったはずだ。死者も出ていたかも知れない。

 今回の件、大ギルドはさすがに無関係と言い逃れできない。しようものならば、終わりつつある街……特に中層の治安を預かる教会がさすがに鋭く切り込んでくるだろう。≪ボマー≫を手に入れんとした1部の暴走だったとしても大ギルドに責任追及があるのは必須だ。

 ふむ、少し楽しみだな。今回ばかりは大ギルドも裏工作で何とか出来る限度を超えているだろうからな。教会による断罪ショーを楽しみにしておこう。まぁ、大ギルドにしか現状の秩序を維持できないから、最終的な落とし所は戦争の火蓋を切るようなものにはならないだろうがな。

 ……いいや、これってもう戦争だろう。市街地で分裂ミサイルをぶっ放すな。大型ゴーレムを暴れ回らせるな。いくら事件と騒動が日常の終わりつつある街でも許容しきれない不安と恐怖と憤慨が起きているはずだ。

 そうこう考えている内にようやくお出ましになったのは教会剣だ。どうやらジェネラル・シールズが出動を要請していたようだ。まぁ、シャークマンの援護要請も急だったからな。これだけの戦力を迅速に派遣できたジェネラル・シールズの質と体制は評価できるが、あのまま戦っていたら数で押し切られていた確率は高い。

 だからこその常に緊急事態に備えている教会剣か。まぁ、彼らは主に救護活動に尽力していただろうが、それでもジェネラル・シールズを信用してここまで駆けつけてくれたのはありがたい。さすがに教会の戦力までいる場所をもう1度襲撃するような馬鹿はしないだろう。

 いや、分からん。そもそも大型ゴーレムを市街に解き放つような真似をしているしな。

 教会剣は被害を受けた旧市街の救護活動と撃破された大型ゴーレムの解析を急いでいるようだ。金に糸目をつけず、ドロップアイテムを貧民プレイヤーから買い取るだろう。これで大型ゴーレムがいずれの陣営の所有物だったのか、手がかりが掴める……かもしれないな。

 

「……【渡り鳥】さん」

 

 ジェネラル・シールズに保護され、肩に毛布をかけたスイレンがオレに歩み寄る。他の面々がオレに近寄ろうとしない中で、彼女は何処か悲しそうな目をしていた。

 

「本当に……強いんだね」

 

「オレは……オレは……」

 

 スイレンの言葉に、オレは返答に詰まる。

 殺した。殺した。殺した。今宵だけでも殺しまくった。だが、それでも、オレは……

 

「オレは……強くなんかありません」

 

 こんなものは『強さ』じゃない。オレは……オレは……どうしようもなくらいに……独りで戦い、殺し続けるしか出来ないのだから。

 だからこそ、仮面の男……まぁ、正体は大よそ掴めているが、名を口にするのは無粋というものだ。互いに万全にして死力を尽くせる戦場で再戦を誓った。互いに生きていれば、いずれは殺し合う事になるだろう。

 

(ああ、思い出せて良かったわ。殺して殺して殺しまくって『血』に溶けていた闘争の歴史。滅ぼしたと思ったけど、生き残りがいたわよね♪ そうよね♪ そうだったわよね♪)

 

 ヤツメ様は酷く上機嫌だ。今宵の闘争はお気に召したようだ。

 殺し合ったこそ、『血』は古き戦いを思い出した。たとえ、お互いにその時代で生きておらずとも、『血』は憶えているのだろう。辿った道筋は違えども、目指した場所は異なるとしても……だ。

 まぁ、再戦の日までは、お互いの正体は知らぬ存ぜぬだ。それでいいのだろう。

 

(わざわざ発破をかけたのだから、美味しく熟成されて欲しいものね)

 

 ヤツメ様も思わぬ御馳走にお喜びのようだ。まぁ、喰らい殺す機会はいつになるか分からないし、それまで互いに生き残ってるかは定かではないがな。

 だが、少しだけ……羨ましくもなるな。同じく『血』に生きて死ぬしかない。それでも、彼は何処までも『人』として生きているようだ。それこそが『血』のもたらす宿命だとしても……な。まぁ、隣の芝は青いだけかもしれないがな。

 オレの発言にスイレンは理解できない様子で顔を硬直させていたが、やがて何かを悟ったように首を横に振った。

 

「ううん、やっぱり……『強い』よ。私なんかよりずっと……ずっと……ずっと……」

 

「…………」

 

「ねぇ……もしも……もしも……!」

 

 スイレンが震える唇で何かを言いかけた時、彼女の脇を灰色の風が駆け抜け、そのままオレの腹にタックルする。

 

「ぐほ!?」

 

 もちろん灰狼だ。無駄に殺意も戦意もなかったせいで受け止めるタイミングがズレた。いや、後遺症のせいで腕の反応が遅れたか? なにせ深淵の病が絶賛発症中に限定受容である。DEX限定だったが、それでも幾らか灼けてしまった。

 

「ひっく……えぐ……ひっく……ますたぁあああ! ますたぁあああああ!」

 

「……何で泣く?」

 

 背中から地面に倒れたオレは、腹に抱きついた灰狼の背中を撫で……いいや、まだ治りきっていないみたいだし、止めておこう。

 

「ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい! マスターを助けられませんでした! 認めてもらえたのに、灰狼は……灰狼は……1番大事な時に役立たずでした!」

 

 涙で濡れて濁ってはいるが、灰狼はよく通る声で謝罪する。

 そんな事か。要らん心配だし、そもそも役割分担だと忘れたのか? オレに出来なかったスイレンの護送を灰狼がしてくれたのだ。立派な援護である。

 

「この傷は自業自得だ。少し相手の力量を……見誤っただけだ。オマエの責任はない」

 

 格闘戦に限定すればランスロットを超越した『本物』だ。最初から狩り殺すべく全てを出し尽くす勢いで対峙しなければならない相手だった。消耗した状態ならば尚更だ。

 それに今回は良い薬になった。最近は装備の能力を活かす方に偏重して、オレ自身を消耗させないように制限していたからな。まぁ、左腕がいつ動かなくなるか分からない爆弾もあったので出し惜しみしていたが……もう止めだ。これからは情報隠匿を除けば、常に狩り殺すべく戦わせてもらう。

 

「それでも……そうだとしても……! 灰狼は……マスターをお守りしなければなりませんでした!」

 

「……命に代えても?」

 

「いいえ! 生き残るべく全力を尽くした上で、お助けいたします!」

 

 チッ! 引っかからなかったか。泣きじゃくる灰狼に抱きつかれたまま動けないオレを見下ろすように近寄ったスイレンは、何故だか楽しそうに笑う。

 

「されるがままの【渡り鳥】さん……可愛い。フヒ! 死ぬ前に良い思い出が出来ちゃった♪」

 

「……もう好きにしてください」

 

 ツッコミを入れる気力もない。

 オレは深い溜め息と共に、灰狼の頭を撫で、泣き止むのを待つのだった。




見えない心を解き明かすのは容赦なき戦場か、それとも真実に向き合う意志か。

聞こえない心を拾い上げるのは夥しき流血か、それとも決して朽ちない愛か。



それでは、350話でまた会いましょう。

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