SAO~デスゲーム/リスタート~   作:マグロ鉱脈

334 / 356
前回のあらすじ

黒VS白、開幕……!



episode20-21 英雄の資格

「い、今、中継が繋がりました! ご覧ください! 虐殺です! 皆殺しです! これは何があったのでしょうか!? 避難は進んでいるのでしょうか!? ラストサンクチュアリの守備隊も、クラウドアースと思しき兵も、殺害されて……うっ!」

 

「よーし! よしよし! もう十分だ! 映像を切り替えろ! これ以上は逆に数字が稼げなくなる!」

 

 終わりつつある街のサニー・チャンネルの報道スタジオにて、ディレクターの【ダディ・ナカジマ】は口を押さえてスタジオから飛び出す女子アナを見送る。

 まだDBOでは嘔吐の実装はされていない。だが、どうしようもなく反応してしまうのだ。それが『正常』であると情報に拒絶してしまうのだ。

 死。ひたすらに死。それも考え得る中で惨たらしく、残忍で、恐怖に満ちた死だ。たとえモンスターの相手でもこれよりはまともだろうと確信できる死屍累々だ。

 クラウドアース系列にランク1VSランク9の決闘をほぼ独占され、視聴率は聖剣騎士団系列と並んで最悪だ。いずれの支援も受けていない独立系は敢えてコメンテーターを面白系で揃えることで多少の視聴率を稼いだようだが、それでも団栗の背比べだった。

 だが、クラウドアースのアームズフォートからの砲撃で事態は一変した。クラウドアース系列は一斉に中継を遮断。加えてジャミングによって撮影用人工妖精に障害が生じ、ラストサンクチュアリ拠点……白の都で何が起こっているのか分からなかった。

 沿岸の撮影班によって、白の都で続々と爆発が生じ、崩落が加速している事まではつかめたが、内部の状態までは不鮮明だった。

 そこに現れた、南方より突如として出現した流星。激突した聖剣騎士団とクラウドアースのアームズフォート部隊を爆撃し、そのまま白の都へと消えた。

 

「稼働時間は短い上に中継用人工妖精を大量配置しないと使用できない試作型だが、工房の穀潰し共もやるじゃねぇか! ウチが1番乗りだ! 聖剣騎士団は!? 独立は!?」

 

「ジャミングと火災の影響でどちらもまだ映像が不十分みたいです!」

 

「ここで稼いじまえばこっちのもんだ! 視聴様たちはチャンネルをわざわざ変えねぇさ! ウチが1番だ!」

 

「ナカジマさ――」

 

「『ダディ』! いいか? 俺を呼ぶ時は必ずダディを付けろ。次に付けなかったらクビだぞ、新人」

 

「は、はい!」

 

 ダディ・ナカジマは煙草を咥え、続々と増える視聴者数に口角を吊り上げながら折り畳みのパイプ椅子に腰かけ、女子アナが抜けた穴を何とか埋めようとする男性アナウンサーの奮闘を目にしながら、釣り上げたビックチャンスに心震える。

 太陽の狩猟団から試作品のデータ収集として提供された撮影用人工妖精は、稼働時間と範囲が短い代わりに旧来のジャミングの影響が低い。画質も良好だ。

 

「さすがですね、ディレクター! こんな事態を予想して現場に試作品を?」

 

「物事にイレギュラーは付きものだ。特ダネってのは予定調和の台本の中にはないんだよ。ましてや、今回は3大ギルドが雁首揃えてんだぜ?『何かある』に決まってんだろ! 俺達の予想を超えたドンパチが必ずな! ネタのニオイを嗅ぎ取ってこそ一流の報道屋だ。出世したけりゃ肝に銘じておけ、新人!」

 

「ご指導ありがとうございます!」

 

「それよりも気が利かねぇぞ! 珈琲だ! 珈琲持って来い!」

 

「すみません!」

 

 慌てて珈琲を注いで手渡す新人に、ダディ・ナカジマは馬鹿かと罵る。

 特ダネは台本の中にない? ネタのニオイを嗅ぎ取ってこそ一流? 違う。断じて違う。成功者とは情報とコネを持つ者だ。ダディ・ナカジマは懇意にある太陽の狩猟団の幹部からラストサンクチュアリ壊滅作戦の現場に、試作品の持ち込みをするように指示を受けただけだ。それだけで彼は察知した。これは『必ず何かあるからチャンスを逃すな』という指示なのだと。

 

(スゲェ! スゲェじゃねぇか! UNKNOWNとユージーンの対決は『お奇麗』過ぎんだよ! 死人が出ようと、それはローマのコロシアムと同じ! 娯楽の域を出ねぇんだよ! 違うだろ!? 視聴者が本気で齧り付くってのは、心の芯にまで訴えかける、我が身の危機のように味わえる、生命を逼迫するインパクトが必要だろうが!)

 

 自分が利用された事なんてどうでもいい。チャンスをつかんでのし上がる。そうすれば、より権力を、名誉を、金を得られる!

 DBOは素晴らしい。現実世界に張り巡らされた、どうしようもなく覆せない人脈の差、財力の差、権力の差を根っこから取り除いてくれた! 欲望と活力さえあれば、何処までものし上がれる! まさしく閉塞した現実世界から失われてしまったフロンティアだ!

 自分に肉体があるか無いかなど関係ない。ダディ・ナカジマはこの世界で生きると決めた。戦える才能はない自分に出来る事を考え直した時、真っ先に思いついたのは報道だった。

 情報は武器だ。DBOにSNSはない。旧メディアと呼ばれる、新聞、ラジオ、テレビこそが情報発信の戦場だ。

 この世界でのし上がる、即ちDBOにおける上位の権力を得るということだ。ダディ・ナカジマはようやく巡って来た大チャンスを我が物にすることに躊躇いはない。それがたとえDBO中に拭いきれない恐怖を植え付けるになるとしてもだ。

 

「代理の女子アナは!?」

 

「フリーの【リツ】さんがあと10分で到着します!」

 

「チッ! 急がせろ! あのバカも吐けないのにいつまで外で蹲ってやがるんだ!?」

 

「し、仕方ありませんよ。だ、だって……あれ、本当に……お、同じ人間の仕業ですか? あ、あんな……うぷ!」

 

 配信された映像を思い出してか、新人は口を両手で押さえる。

 試作撮影用人工妖精は移動速度が遅い。到着と十分な配置が間に合わず、リアルタイムの虐殺までは生中継できなかった。だが、遺体だけでも余りあるインパクトがあった。

 

(こ、これが【渡り鳥】! スゲェじゃねぇか! まるで容赦がねぇよ! 撮影できただけでも、軽く両手の指の数も足りないくらい死んでやがる! 10分も経ってないんだぜ!? それなのに、あれだけの数……半端じゃねぇ! 人間の精神じゃねぇよ! まさにバケモノだ!)

 

 ダディ・ナカジマは恐怖で震える。それはアシスタントやアナウンサー、今にも吐きそうな新人と同じだ。だが、凄惨なる殺戮現場を見た感想は全く違った。

 世界を震撼させるニュースを作ってくれる極上の素材だ。ダイレクトでも、偏向しても、虚偽を混ぜようとも、その存在感が呑み込んでしまう。方向性は異なれども、各々の大ギルドが生み出そうとしている秩序ある世界を否定する混沌の怪物だ。

 

「ディレクター! 29番から70番の配置、完了しました! 映像入ります!」

 

「一瞬も気を抜くな! ここが俺達の戦場だ! 全プレイヤーに『真実』をお届けするんだ! それが俺達の使命だ!」

 

 そう、DBOの全プレイヤーは俺の番組を通して『真実』を目にするのだ。大ギルドの思惑などという毒すらも感じぬ程に、圧倒的な混沌の権化を目にしてな!

 だが、人々は心に幸福と安息も求めるものだ。だからこそ、混沌を滅ぼす秩序の剣が必要だ。

 

(気張ってくれよ、UNKNOWN。アンタがしっかりと『バケモノ』相手に競り合ってくれなきゃ、報道番組からスプラッターショーになっちまうからな!)

 

 映像が入る。ダディ・ナカジマは今回の仕事で最大のギャンブルとなる一瞬に手に汗を握り、そして歓喜した。

 ラストサンクチュアリ本部前の広場。安物の白素材で作られた、見栄えばかりがいい円形の地にて、数多の死体が重なりあっている。数は30人以上だ。いずれも信じられない恐怖に対面したかのような死に顔だ。

 光源は燃え盛る火災の光のみ。だからこそ、夜の白の都に映えるというものだ。貧者の掃き溜めの末路に相応しい浄化だ。そして、血と炎に満たされた腐った聖域で、漆黒の刃と白銀の刃を交えるのは、UNKNOWNと【渡り鳥】だ。

 音声は不十分でノイズばかりだ。彼らがどんな会話をしているとしても拾い上げることは出来ない。だが、だからこそ素晴らしい。圧倒的な視覚のインパクト! これこそがダディ・ナカジマの求めていた絵だった。

 

「ご、ご覧ください! 戦っています! もはや何が起こったのかも分からぬ虐殺現場で、UNKNOWNが戦っています! あ、相手は……相手はサインズ傭兵ランク42【渡り鳥】です! あれだけの虐殺を起こし、今まさにラストサンクチュアリを貧民ごと破壊しようとしているのは【渡り鳥】なのでしょうか!?」

 

 上手い! アナウンサーのアドリブにダディ・ナカジマは拳を握る。殺戮や登場の理由は未確定情報であるはずだが、理解が追い付いていない視聴者にもこの惨状を生み出したのは【渡り鳥】であると認識させた。ラストサンクチュアリ壊滅をもたらすのは、たった1人の傭兵……いいや、バケモノであると知らしめた!

 

(サイコーだ! アンタを……アンタをもっと撮らせてくれ! ここで『英雄』様に殺されるなんてつまらない終わりは止めてくれよな!)

 

 魅入られるとはこういう事なのだろう。ダディ・ナカジマは、1000人の貧民プレイヤーの安否も、報道でDBOに恐怖を拡散させることも、自分自身も感じずにはいられない恐怖もどうでもよかった。

 自分が届けるのだ。【渡り鳥】がもたらす混沌を! 破壊を! 殺戮を! 怯えながらも『真実』を欲する者たちへ!

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 アインクラッドでデュエルは幾度となく行った。そのほとんどで『名無し』は勝利した。

 釈然としなかった。対人戦最強と恐れられる【渡り鳥】にしては、手応えがあるとは言い難かった。

 もしかして手を抜いているのかと詰め寄れば、彼自身も上手く説明できないように頬を掻いた。

 

『いやさ、「殺さない」戦いってどうにもやり方が分からねーんだよ』

 

 ただひたすらに殺す、殺す、殺す。その為に凝縮されて研ぎ澄まされた戦闘能力。だからこそデュエルでは不完全だ。ルールが定まったお上品な戦いでは発揮しきれない。

 ならば、もしも殺し合いならば? 首を撫でて自分が殺されるイメージが鮮明に浮かんだ。

 そんな日が来ないでほしい。切にそう願った。相棒と……大切な友人と殺し合いなんて御免だった。

 

「……くっ!」

 

 回想などと呼べるものでもない、刹那にも等しい記憶の飛沫。だが、それすらも隙であると言わんばかりに白銀の刃は『名無し』の首筋を撫でる。

 あと半歩も踏み込まれていれば首を半分まで斬られていただろう。メイデンハーツの連射でクゥリに距離を取らせながら、『名無し』は現状の再確認を行う。

 ラストサンクチュアリの火災は拡大しつつある。炎上によるスリップダメージをメインとした延焼系が使用されたのだろう。白の都の耐久度は低いために、それだけで崩壊は加速していく。消火設備もない為に食い止めることは出来ないが、永遠に燃え続けるわけではない。

 ならばこそ、ラストサンクチュアリの完全崩壊を防ぐ方法は1つだ。本部の防衛である。本部の中心柱さえ無事ならば、1000人の貧民プレイヤーは脱出できる時間を稼げる。

 

(クーの狙いは何だ!? 彼は無意味な虐殺はしない! 必ず理由がある!)

 

 広場の遺体はクラウドアースと守備隊のものだ。いずれも武具は様々であるが、殺され方に共通点がある。彼らは敵同士であるはずなのに、同じ場所で、似通った殺され方……クゥリに一方的に殺されている。

 この点がまずおかしい。どうしてクラウドアースと守備隊が同じ場所にいながらクゥリにだけ殺されている?

 決まっている。この場にいる全員が『仲間』だからだ。恰好に騙されてはいけない。彼らはこの場で睨み合っていたわけではない。恰好こそ違えども、それぞれがスリーパーなのだ。そして、本部前に集結していた理由は1つ、中心柱の破壊である。

 ならばクゥリはラストサンクチュアリ壊滅を防いだとも言える。どちらかといえば、ラストサンクチュアリ防衛側なのではないだろうか? まだ情報が曖昧だ。

 

「クー、キミがこの場にいる理由はなんだ!?」

 

 だったらストレートに尋ねるまでだ。月蝕光波を穿ち、クゥリの接近を阻みながら『名無し』は問う。

 

「オレのミッションはラストサンクチュアリ拠点の『完全破壊』です。ミッション達成を阻む障害は全て排除させていただきます。彼らは障害として排除させていただきました」

 

「だったら少しでいい! 30分……いいや、20分で構わない! 待ってくれ! まだ皆の脱出が完了していないんだ! このままだと皆が――」

 

「止めてみたらいかがですか? オレのミッションを停止させる権限をアナタは持ち合わせていません」

 

 瞬間にクゥリの姿が消える。否、見えているのに見えなくなる。クゥリが得意とするフォーカスロック外しだ。だが、即座に捉えた『名無し』は自分の背後に回ったクゥリに銃撃し、そこから月蝕の聖剣の突きに繋げる。だが、全ての攻撃は最初から先読みされていたかのように掠りもしない。

 SAOの頃から変わらない、まるで蜘蛛のように無機質な殺意の目だ。『名無し』は白銀の剣の連続突きを捌く。

 

「1000人以上が犠牲になるかもしれないんだぞ!?」

 

「オレは自分の仕事をこなすだけです」

 

「キミは……本当に相変わらずだな!」

 

 横薙ぎからの蹴り、そこからのメイデンハーツによる額を狙った1発。だが、いずれも当たらない。まるで幻を相手にしているかのようだ。

 昔から本当に変わらない。まるで当たり判定が存在するのか疑わしくなる程の異常な回避能力だ。こちらの動きを全て先読みされている。しかもアインクラッドの時とは比べ物にならない程に研ぎ澄ませている。

 100手先まで読まれているかのような感覚だ。駒を動かす前からチェックメイトまでの道筋を見てるのではないかと思える程の、未来予知にも匹敵する先読みだ。

 

『は? 未来が見えてるのかって? アホか。勘に決まってるだろ。未来が見えるならSAOにログインなんかしてねーよ』

 

 未来が見えるのかと冗談混じりで問えば、心の底から馬鹿にした目で切り返された。懐かしい思い出だ。『名無し』は聖剣に月蝕の奔流を溜めながら、どうすれば時間稼ぎできるのかを考える。

 今の会話で分かったことが2つある。1つ目はクゥリのターゲットはあくまでラストサンクチュアリ本部の中心柱だということ。そして、もう1つは『嘘』を吐いている点だ。

 もしもクゥリが『ラストサンクチュアリ拠点の完全破壊』を優先するならば、『名無し』に構うことなく本部を攻撃しているはずだからだ。『名無し』を無視できない障害だと認定しているとしても、戦闘中も中心柱を破壊しやすい本部内に戦場を移すはずだからだ。

 だが、『名無し』が誘導しているとはいえ、2人は徐々に本部から距離を取っている。クゥリは戻ろうとする気配も見せない。

 

(ラストサンクチュアリの完全破壊はミッション内だとしても、わざわざこのタイミングで敢行するのは別の意図がある! それさえ読み解けば――)

 

 

 

 

 

 

 

 

 瞬間、白銀の光波が『名無し』の左脇を通り過ぎ、背後の本部へと激突した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 回避しない施設攻撃ならば、火力も十分。何よりも素材が貧弱であり、距離が離れて威力は落ちていても耐えることもなく外壁が剥がれ落ちる。

 

「日蝕の魔剣、日蝕光波」

 

 聖剣と類似した斬撃を飛ばすかのような光波攻撃。白銀の剣の名を呼びながら放たれた日蝕光波に『名無し』は戦慄する。

 回避はできた。防ぐこともできた。だが、そもそも狙いが『名無し』ではなかった。

 

「障害にすらなる気がないならば避難を推奨します」

 

 その気になればラストサンクチュアリ本部をいつでも破壊できる。そう告げるようにクゥリは微笑みすらない無表情だった。

 1000人の殺戮を今すぐ行っても構わないという冷徹な宣言。それが……それが……それが、『名無し』にはどうしようもなく嬉しかった。

 

「キミは……本当に変わらないな」

 

「…………」

 

 いつも何を考えているか分からず、敵対すれば容赦はなかった。だが、決して無情ではなかった。

 冷酷と見えてしまう程に躊躇わないだけだ。残虐と思われてしまう程に迷いがないだけだ。決して命令通りに仕事をこなすロボットではない。殺戮マシーンでは断じてない。

 

「ラストサンクチュアリ専属、サインズ傭兵ランク9、UNKNOWN。これよりラストサンクチュアリ防衛戦に入る!」

 

 思い出せ。ユージーン相手に手を抜いたか? 殺さないように気遣いながら戦ったか?

 否だ。殺したいとは思わなかったが、命を奪うかもしれない覚悟はしていた。それが勝利に必要ならば殺人の十字架を背負うと決心していた。

 たとえ、かつての相棒であろうとも、親しき友であろうとも、ここは戦場であり、クゥリは守るべき人々を脅かす『敵』として現れた。

 いつだってそうだった。エギルと決別した時も彼は殺戮の汚名を背負った。彼は虐殺者となることも、万人から石を投げられる敵となることも厭わない。そこに『理由』があるならば!

 友であるならば覚悟には覚悟で応えろ。ユージーンを憎くなかろうとも勝つべく、命を奪うことになろうとも全力を尽くすことを選んだように! ラストサンクチュアリの人々を守る為に、眼前の『敵』を倒す為に死力を尽くせ!

 目の前の『敵』を殺す為ではなく、人々を『守る』為に戦え!

 月蝕光波を放ち、回避行動を取ったクゥリに接近する。これまでとは違う、濃い闘志を感じ取ったのだろう。クゥリの動きに変化が生じる。ステップを用いた急加速による回り込みを仕掛ける。

 だが、反応できる。高VR適性に裏打ちされた人類最高峰の反応速度と高度な知覚。強敵との戦いで培われた経験。死闘を潜り抜けて研鑽された戦闘能力。その全てをぶつけるべく目を見開いた『名無し』の斬撃は、並のプレイヤー……いいや、ネームド戦慣れした上位プレイヤーすらも一方的に惨殺するに足るステップによる急加速の回り込みに対応しきる!

 月蝕の聖剣が日蝕の魔剣とぶつかり合う。そこから続く連撃をクゥリは防ぐが、『名無し』はメイデンハーツの銃口を超至近距離で向ける。

 これも躱す。発砲音が鳴るより前に回避行動を取られていた。先読みの範疇だ。

 ならば追いつけ。クゥリの先読みを追い越す程に攻撃し続けろ! 斬撃と銃撃を織り交ぜた怒涛の連撃に、クゥリはステップで距離を取るが、その瞬間を狙って雷光ヤスリの加速弾を撃つ。

 

「…………」

 

 クゥリの頬より血が流れる。HPは減っているとも思えない。まさに掠っただけだ。だが、確かに傷つけることができた。彼は触れられぬ幻などではなく、確かに攻撃は届く、この仮想世界に当たり判定を持つ実在するプレイヤーなのだ。

 倒せる。勝てる。必ず守る! そう意気込む『名無し』に反し、左手の親指で頬の傷を拭ったクゥリは滴る赤色の血を見つめている。

 

「反応速度と戦闘能力で……先読みを強引に……打ち破った……か」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 瞬間に『名無し』を囲うのは鞭の如く歪んで伸びた日蝕の魔剣だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 核となる刀身が分裂し、鏃状の白銀の刃は伸びて、まさしく鞭となって襲い掛かる。クゥリはステップを使いながら変則的な連撃を繰り出す。

 突如として剣には不可能な攻撃に『名無し』は回避と防御を優先する。だが、鞭の域を超えた攻撃で周囲の白の都の支柱を破壊しながら、数倍にも伸びたリーチでしなる鞭に変じた魔剣への対処が遅れる。

 月蝕の奔流を解き放ち、渦巻かせて全包囲をカバーする! 自分を囲う白銀の鞭を防ぎきるも、攻撃を浴びて薄くなった部位を刺突特化の先端が突き破る。まさしく瞬きする間に、鞭状に変じていた魔剣を再び元の形状に戻し、月蝕の奔流でガードに偏重した『名無し』を攻撃する。

 回避しきれず、逸らしきれず、魔剣の突きが右肩を抉る。心臓を正確に狙った突きであり、続く蹴りがガードするより前に首に命中する。その重さは現実世界ならば骨が砕き折られてもおかしくないものだ。確かな殺意が乗った蹴りで転がった『名無し』が次に見たのは、迫り来る投げナイフだ。

 いずれも鋸状の刃をした、肉を抉り、また刺されただけでダメージフィードバックを与える禍々しい形状。それが正確無比に、首、肩、肘、太腿を狙って投げられている。

 聖剣を振るって全て弾くが、火災の光の中にクゥリはいない。

 背後……いいや、上だ! 咄嗟に『名無し』は頭上に月蝕の聖剣を掲げてガードする。降下距離が高ければ高い程に威力を増す≪両手剣≫のヘルムブレイカーは、『名無し』の左膝を地面につかせた。

 如何にSTRが高くとも、高出力化できていようとも、両手で振るわれる両手剣の渾身の一撃を片手剣で耐え抜くには、余程の差がなければ難しい。ヘルムブレイカーに押し切られるかに思われたが、『名無し』はギリギリで堪え抜く。

 だが、突如として白銀の刃に変化が生じる。月蝕の魔剣と接触する部位が発火を始める。それは結晶火だ。魔力の火によって、まるで焼き斬られていくかのように、月蝕の聖剣にじわじわと刃が押し込まれていく。

 させるものか! 月蝕の奔流を放出しながら斬り払い、クゥリを遠ざけた『名無し』は彼の魔剣の性質を把握する。

 基本は打撃ブレードだ。斬撃属性よりも打撃属性に重点を置いている。そして変形機構によって、まるで鞭のように変形して大幅なリーチと変則攻撃を可能とする。刃は接触部位から結晶火を生じさせ、『焼き切る』かのような性質を与えることで打撃ブレードに不足した切れ味を補完する。

 メイデンハーツも説明を受けた時には驚いたが、あの剣も尋常ではない。鍛冶屋もそうであるが、まず間違いなくユニークソウルが素材として用いられている。

 

「面倒ですね、反応速度の高さというものは。生半可な攻撃では知覚してから回避されてしまいます」

 

 すでにクゥリの頬の傷は治癒している。まさしく掠めただけだから当然だ。だが、確かに傷つけた証として血の赤色が頬に付着している。

 ユージーンの強化された剛覇剣がもたらすランダム光輪も、『名無し』は高い反応速度があったからこそ過半を回避することができた。

 仮想世界において人間の反応速度は飛躍的に向上する。これは脳内にある特異なフラクトライト構造……仮想脳が発達することによってもたらされるものだ。高VR適性者程に仮想脳は発達しやすく、故にあらゆる初見殺しと苛烈な攻撃が襲い掛かるDBOにおいては反応速度は生死を分かつ。

 並み居る上位プレイヤーの高VR適性者の中でも『名無し』はトップクラスだ。知覚してから、攻撃も防御も回避の選択が可能である程だ。逆に言えば、反応速度を活かしきる高度な知覚能力と精査して行動を選択する思考速度も備わっている。特に行動の取捨選択を行う思考速度において最も不可欠な経験も十二分であり、繰り返した死闘によって戦闘勘も鍛えられている。そして、剣才はまさしく至高……剣聖の格であり、生来のバトルセンスも抜きん出ている。ここに狩りを生業とする血族の翁がいたならば、有無を言わさずに拉致する勢いで婿入りを進めるだろう。

 だが、仮想世界限定ならば戦闘において有用な最高峰の才能、年齢と生まれた環境にそぐわぬ修羅場を潜り抜けた経験、生まれ持った剣才とバトルセンスを研ぎ澄ました実力。それらが揃った彼をもってしても眼前の白の傭兵を倒すとなると余りにも遠い道のりだ。

 およそ勝利のイメージが湧かない。まるで勝てるビジョンが見えない。暗闇だ。月明かりのない夜の如き暗黒だ。

 

「キミの先読みも本当に面倒だ」

 

 だが、だからこそ進むのだ。月明かり無き暗闇の荒野であろうと進む。月明かりは無くとも頭上には確かに月はある。この手にある月蝕の聖剣のように!

 闘志を燃やす『名無し』に対してクゥリは微笑む。

 

 

 

 

 

 微笑みながら『左目を覆っていた眼帯』を脱ぎ捨てる。

 

 

 

 

 

 左目に座するは宇宙の神秘を浸したかのような青の瞳。【棘の騎士】カークとの戦いで左目に呪いの傷を受けて再生できなくなったクゥリは、以後は義眼を使用している。

 至極当然として両目で見える方が戦いやすいに決まっている。拮抗しているとも言い難いこの戦いは、クゥリが左目を使っていない状態で成り立っていた。

 

「これでよく見える」

 

 姿が消える。情報にある隠密ボーナスを高める急加速ソードスキルとステップの併用だと察し、『名無し』の目はギリギリで自分の頭部を割らんとする横薙ぎを月蝕の聖剣で弾く。

 リカバリーブロッキング! 完全な見切りに成功しなければ発動しない、成功すればスタミナが回復するガードスキルである。また高衝撃で相手の攻撃を弾いて隙を作ることも可能だ。

 だが、それも読まれていたら意味がない。高衝撃で弾かれることも織り込み済みのクゥリの連撃。それはこれまでと質がまるで異なる。

 まるで多彩な剣技のようであり、だがこれまで相手したいかなる剣士とも違う。むしろ獣型モンスターを相手取っているかのような、野生の獰猛な爪牙を相手取っているかのような感覚だ。

 まるで舞踊のような足運びから繰り出される血肉を抉る為だけの一撃。魅入られそうな剣舞のようでありながら、骨を噛み砕くかのような野蛮な破壊力。矛盾しながらも一体化した攻撃である。

 剣戟ならばランスロットとすらも渡り合える『名無し』は押し込まれていく。理由は単純明快。相対するのは『剣技』であらず。純然たる相手を殺しきる為だけの『狩りの業』なのだから。

 不意に伸びた手刀が右目を潰しにかかる。メイデンハーツで殴りつけて逸らすが、それすらも織り込み済みだとばかりに『名無し』の頭部を掴み、そのまま地面に叩きつけようとする。だが、体幹を保って堪え抜き、逆に至近距離の連射でクゥリの顔面を狙う。

 ふわり。そんな擬音が聞こえてきそうな程に軽やかに宙を舞うかの如く跳んで銃弾を躱しながら、3連撃の日蝕光波が迫る。対する『名無し』は溜め無しの月蝕光波だ。日蝕と月蝕はぶつかり合って爆ぜる。だが、1発の日蝕光波が『名無し』に迫る。

 溜め無し月蝕光波では日蝕光波2発分を相殺が限界か! 寸前で躱すも地面が爆ぜ、衝撃が体を揺らし、土煙が視界を奪う。

 対クゥリにおいて最も重要なのは決して知覚外に逃がさない事だ。彼を常に捉え続けねば待っているのは死だ。先のヘルムブレイカーも培われた戦闘勘と冷静を保てるだけの経験がなければ対処しきれなかっただろう。

 ならばこそ、ただの土煙だけでも脅威! ステップで地面を、壁を、柱を蹴って迫るクゥリを正確に目で追い続けた『名無し』は月蝕の奔流を聖剣に収束させる。

 月蝕突き! 月蝕の聖剣でも屈指の攻撃力を持つ破壊の刺突だ。対するクゥリは全く同質の、日蝕の奔流を束ねたかのような刺突……日蝕突きだ。

 全エネルギーが衝突の1点に収束して爆ぜる。吹き飛ばされた『名無し』は地面を滑りながら月蝕の聖剣を確認する。白銀の刀身を覆う月蝕の刃は色が薄くなっている。月蝕突きで多量のエネルギーを消費したからだ。だが、それも月蝕ゲージから補給されてすぐに回復する。

 対するクゥリの日蝕の魔剣は先端が砕けて亀裂が全体に生じていた。純粋な破壊力の対決では月蝕の聖剣に軍配が上がった。だが、本体刀身にダメージはなく、月蝕の聖剣と同じく白銀の刃はすぐにでも再生するだろう。

 この機を逃すな! 連射しながら距離を詰めた『名無し』に対してクゥリは後方ステップで逃げる。魔剣が再生するまで時間を稼ぐつもりだ。

 発動させるのは≪歩法≫のオムニア・ヴァニタス。直線的な加速であるが、追加入力によって最大3回の高速移動が可能だ。ゼロ・モーションシフトには劣るが、心意ではない分だけ使いやすい。追加入力はシビアであるが、『名無し』は体に追加発動モーションを叩き込んである。

 1回目で接近し、2回目で左脇を抜け、3回目で背後を取る! 移動ルートはクゥリの間合いギリギリであり、破損した日蝕の魔剣ではリーチが足らなかった。変形させる時間も与えなかった。

 背後を取った『名無し』が月蝕の聖剣で斬りかかろうとした時、違和感を拾い上げる。

 どうしてクゥリは後ろに下がった。武器が破損したからか? 彼はそんな消極的な戦い方をするだろうか?

 否。断じて否! クゥリならば、まず間違いなく間合いを詰めてくる! 武器の破損など知った事ではないと再生が遅延することも厭わずにむしろ苛烈に攻め込んでくる!

 ならばこれは罠! 咄嗟に攻撃から回避へと移した『名無し』は、反転して反撃できずとも先端まで修復した日蝕の魔剣を逆手で地面に突き刺すクゥリの後ろ姿に重々しい殺意を感じ取る。

 

 

 

 

 

 

「【磔刑】」

 

 

 

 

 

 

 クゥリの全周囲の地面から突き出したのは無数の白銀の光槍。あのまま再接近していたならば、全身を刺し貫かれていただろう『名無し』は、光槍が比較的薄い発動範囲でも遠方にいたお陰で、右二の腕、左太腿、右脇腹を抉られるだけで済む。

 だが、その火力は範囲攻撃でも群を抜いている。もしも直撃していたならば、白銀の光槍が何本も胴体を刺し貫いていたならば大ダメージは避けられず、なおかつ光槍によって宙に浮かされ、更なる追撃の餌食となっていたかもしれなかった。

 エスト弾……いや、まだバトルヒーリングとオートヒーリングで補える範疇だ! 回復せずに、精神的動揺も冷静な思考で打ち消しながら『名無し』は戦闘を続行する。

 受けたダメージの1部を回復する≪バトルヒーリング≫は、近接ファイターにとって非常に有用なスキルの1つだ。ただし、習得条件が繰り返しダメージを受けて何度もHPを危険域まで減らさねばならないというものである為に、デスゲームというコンティニューができない環境では、余程に安全の補償と実力に自信とHPが減っても冷静さを保てる精神力が求められる。また、熟練度を上昇させる条件も被ダメージである為に、繰り返しの戦闘によってのみ獲得・成長が出来るスキルだ。

 DBOでも早期に≪バトルヒーリング≫を獲得した『名無し』のスキル熟練度は高く、現在の回復力は被ダメージの6割にも達する。これにオートヒーリングが加われば、極めて高い生存力を獲得できる。だが、その一方でバトルヒーリング中に更に攻撃を受けた場合、前のダメージ分の回復は止まり、最新のダメージに順次適応されるために、連撃や多段ヒット系では効果を発揮し難い。特に上位レベル帯対人戦ともなれば、バトルヒーリング対策は平然と行われる。

 

(落ち着け! 焦って回復するな! まだだ! まだ耐えるんだ!)

 

 どうやら魔剣の【磔刑】という能力は、一見すれば多段ヒット型であるが、その実は単発型だ。発動時にどれだけ攻撃を受けても『1回の攻撃』とカウントされる。つまり、どれだけダメージが大きくてもバトルヒーリングで半分以上はダメージ分を補える。

 問題なのは【磔刑】の持つアバター損壊性能だ。地面から突き出す光槍は絶大な破壊力を秘めており、夜想曲シリーズすらも容易く貫いて破損をもたらした。

 単純火力は聖剣の方が上かもしれないが、殺傷能力という面では魔剣が上だ。

 だが、2度目は喰わない。魔剣の【磔刑】は強襲向けの能力だ。地面に突き立て発動させるというモーションから見切るのは容易い。無論、クゥリの動きを正確に捉え続けることができればの話であるが、【磔刑】の恐ろしさとは自陣の懐に潜り込まれて発動された場合の多人数攻撃にこそある。

 クゥリはわざと背後を取らせてカウンターを決めたが、ならば前提に組み込んだ戦いをするまでだ。思考を熱する焦燥を耐え抜き、『名無し』は踏み込みからのかち上げ斬りと合わせた月蝕光波で追撃をかけながら、メイデンハーツから爆破弾を放つ。

 狙うのはクゥリではなく背後の支柱。彼が躱せば支柱に命中して炸裂し、爆風が体勢を揺るがす。

 予想通り、クゥリはまるで最初から射線を見切っていたかのように回避する。そして、支柱に命中した爆破弾が起こす爆風は彼を揺るがす……ことはなかった。

 むしろ真逆。爆風を利用して加速し、ステップを併用して斬りかかる。胴を両断する勢いの横薙ぎを聖剣でガードするも、踏ん張り切れずに押し飛ばされ、そこに刀身が分裂して鞭状に変形した白銀の刃が襲い掛かる。

 まるで蛇が執拗に毒牙を突き刺そうとしているかのような光鞭の連撃。HPが削り取られ、光鞭で嵐を生み出すかのように周囲を破壊しながら接近するクゥリより咄嗟に放たれたのは投げナイフだ。

 並のプレイヤーならば突き刺さるまで分からない巧みな投擲攻撃。だが、『名無し』はSAOにおける彼の戦闘スタイルと投擲技術を知っており、そして高VR適性に由来する高知覚能力を持つが故に見切れた。否、『見切ってしまった』。

 喉、両肩、膝を狙った正確な投擲を神速の域の斬撃で弾き飛ばす。その防御行動そのものが隙となり、クゥリの接近を許し、喉を狙った突きが迫る。

 咄嗟にメイデンハーツで白銀の突きを逸らす。火花が散り、首が僅かに抉れるだけで済むが、その破壊力は尋常ではない。両手剣によるものではなく、むしろランスに近しい印象を受けた。

 分析は即座に行われる。日蝕の魔剣は変形機能を備えている事から複数の武器スキルを有している確率は高い。長い鏃のような形状も刺突特化というよりも『元が刺突武器』だからこそなのではないだろうか?

 全武器でも最も貫通力と破壊力の両立を可能とする≪槍≫のランス。日蝕の魔剣の本質とは『斬る』ではなく『突く』ことにこそあると『名無し』は見切る。その上で、月蝕突きの方が魔剣最大の刺突攻撃を上回れた情報は大きな収穫だった。

 だが、刺突面の総合能力は魔剣の方が上だ。≪槍≫特有の刺突攻撃における加速性能の高さは、クゥリの持つ運動速度と合致し、『名無し』でも防戦に押し込む程の勢いを持つ。その様はまるで雪崩のようであり、1度攻勢を許せば早々に止めることはできない。

 運動速度。それはVR適性ではなく、プレイヤー本人の戦闘能力に依存する面が大きい。即ち、『どれだけ肉体を素早く動かせるか』という1点に凝縮される。反応速度が初速の高さであるならば、運動速度は平均速度だ。『名無し』自身も運動速度はトップクラスであるが、クゥリは先読みを遺憾なく発揮できる運動速度がずば抜け過ぎているのだ。

 たとえ先読みできていても体の動きが追い付かなければ意味がない。VRではそれを補う為に反応速度の向上作用が働いているが、クゥリは絶対的に足りない反応速度を自身の脳に由来する運動速度だけで補うどころか、トッププレイヤーでも近接戦をメインとした最上位層に到達している。

 人体急所と肘や膝といった可動部位を狙った連続突きを『名無し』は全てリカバリーブロッキングで弾く。緑色のライトエフェクトが輝く分だけ『名無し』のスタミナは回復する。

 ここだ。『名無し』が発動させるのは、傭兵でもクゥリの十八番として知られる≪歩法≫のソードスキル、スプリットターンだ。三日月を描くかのようなターンで相手の背後を取る動きは特に刺突攻撃を回避し、背後にカウンターを決めることに適している。

 だが、クゥリは当然の如く反転する。身を翻しながら斬りかかる。しかし、そこに『名無し』はいない。

 スプリットターン中に撃った結合弾は至近の支柱に命中し、ソウルワイヤーで『名無し』を宙に浮かせる。変則的回避行動は紙一重でクゥリの斬撃を躱させる。

 ソウルワイヤーに引っ張られて支柱に着地した『名無し』はクゥリが反応しきるより前に月蝕の奔流を刀身に束ね、支柱の表面が爆ぜる程の踏み込みで攻撃を仕掛ける。これを迎撃するクゥリであるが、『名無し』の放った加速弾が魔剣の刀身に命中して斬撃を歪める。

 魔剣の剣先は『名無し』を捉えることなく、切り返しより先に渾身の月蝕光波がクゥリを呑み込む。

 地面を抉り、土煙を舞い上げ、押し飛ばしていくクゥリはそのまま背後の貧民プレイヤー住居でもある白塔に激突する。

 

「ハァ……ハァ……ハァ!」

 

 たった1発。されど1発。ようやくまともな一撃が入ったと『名無し』は噴き出した疲労感に喘ぐ。精神を逼迫した攻防は並のネームド戦を遥かに凌いでいた。まるでスローネ……いいや、ランスロットと戦っていたかのような緊張が精神力を瞬く間に削ぎ落としたのだ。

 クゥリの高い攻撃力はステータス・スキル面でも攻撃に偏重しているからだろうと予想できる。防具もあれだけの多装備でありながらスピードを維持するためには、ギリギリまで防御面を削るしかない。ならばこそ、聖剣の渾身の月蝕光波が命中したならば瀕死……あるいは即死もあり得るだろうと『名無し』は分析した。

 殺した。殺してしまったかもしれない。右手に震えが生じ、『名無し』は瓦礫と土煙の向こう側にHPバーが確認できる事を願う。勝利を欲しても殺すことは望まない。それでも殺しかねない全力で挑む。矛盾しているが、だからこそ自分自身の証明であり、故に『名無し』は薄らぐ土煙の向こう側でHPバーが目視できたことに安堵する。

 

 

 そして、自分の右手の震えは殺してしまったかもしれない罪悪感からではなく、確実に決まったと思った渾身の一撃が完全に捌かれていたことを頭の何処かで察知してしまっていたからだと理解した。

 

 

 晴れていく土煙から姿を現したクゥリのHPバーは1ミリと減っていない。それどころか、防具に綻びさえもなかった。

 

「アルフェリアの叫び【悲鳴防護結界】」

 

 クゥリの周囲を浮遊するのは魔剣の分裂した刀身だ。白の傭兵の周囲を渦巻くエネルギーが月蝕光波を防いだのだろう。

 見切られていた。読まれていた。奇策を用いたはずの攻撃さえも! 驚愕を隠せない『名無し』は、しかし頭を切り替える。逆に言えば、回避に秀でたクゥリが避けられない攻撃を仕掛けられたという事だ。たとえ、魔剣の能力で防いだとしても消耗させたことには変わりない。

 ならば、次は対応しきれない程の攻撃を仕掛ければいいだけだ。たとえ防がれても消耗させ続ければ勝ち目は見えるはずだ。『名無し』は勝利のビジョンこそ見えずとも、だからこそ暗闇を突き進む勇気を持って奮い立つ。

 対して日蝕の魔剣を見つめたクゥリは溜め息を吐く。

 

「聖剣は片手剣。しかもアナタの剣速と聖剣の能力、それに奇怪な銃の能力も合わされば、日蝕の魔剣『だけ』で相手取るのは少々手間取りそうですね」

 

 魔剣で肩を叩き、右足の爪先で数度地面を叩くクゥリの動作を『名無し』は知っている。彼が戦闘思考を切り替える合図だ。それは癖なのか、あるいは他者に対しての警告なのか。どちらにしても『名無し』は分析していながら失念していた。

 

「『新装備のデータ収集』はこれくらいにして、そろそろ本格的に排除させていただきましょうか」

 

 魔剣を背負ったクゥリの構えが変わる。腰に差したカタナの柄に右手が触れる。その動作は余りにも流麗かつ高速でありながら、まるでスローモーションのように『名無し』の目は捉えていた。

 

 

 

 

 

 

「啜れ、贄姫」

 

 

 

 

 

 

 

 居合一閃。間合い以上を刻むのは血刃である。攻撃のテンポの変化に対応しきれず、『名無し』は回避しきれずに胸を刻まれる。

 その攻撃力は魔剣にも劣らない。何よりも衝撃・スタン蓄積性能に秀でていないカタナでありながら、血刃がもたらす衝撃の高さは『名無し』すらも思わず足を止めかねないものだった。

 アインクラッドで『名無し』は尋ねたことがある。SAOでは武器を、盾や≪二刀流≫のユニークスキルなどを除けば、1種類しか装備できないはずなのに、多種多様な武器を常に持ち歩くクゥリにその理由を聞いたことがある。

 

『武器ってのはそれぞれの特性があるだろ? 相手や状況に合わせて武器を変更するのは当然だし、武器が壊れたら次の武器に切り替えればいい。仕込みと手札が勝負を左右する。オレの持論だ』

 

 余りにも当然であるが、人間は複数の武器の扱いを同時習熟できない。そこまで器用ではない。ましてや、何種類も武器があったところで使いこなせない。故にDBOでも複数の武器スキルを持つことがあっても、4つも5つも関連性がない武器スキルを持つなどあり得ない。

 クゥリの真骨頂は多種武装並列運用にこそある。1つの武器が生命線にはならず、武器が壊れたならば次から次へと切り替えていく。状況と敵に合わせて柔軟に自身の戦闘スタイルを変化させることができる戦闘適応能力こそが最も危険なのだ。

 SAOではクゥリが好んで扱っていたのは両手剣だ。攻防両面に優れて状況耐能力も高い汎用性から愛好していた。だが、決して拘らなかった。

 DBOを経た分だけクゥリの両手剣の扱いも変化していた。だが、SAOという肩を並べた経験があったからこそ、彼の両手剣の扱いには感じるものもあり、だからこそ対応し続けることもできた。

 だが、DBOでクゥリのメインウェポンは何なのかと問われれば、彼のDBOの実績を知らぬ者もカタナと口にするだろう。それ程までに彼の使用頻度が最も高い武器こそがカタナなのだ。

 カタナ自体の攻撃力は同ランクの片手剣程度だ。だが、恐るべきはそのクリティカル補正であり、刃を立てて正確に斬れば驚異的な切断力とダメージを与えることができる。脆さをカバーするだけの技量さえあれば、軽量性も合わさって、DBOでも屈指の超攻撃特化武器と化す。

 ステップを主軸にした超速移動からの連撃。メイデンハーツの照準を合わせることさえも許さぬ動きは先程までとは違う。

 クゥリにとって先程までの戦いは、魔剣と『名無し』のデータ収集に過ぎなかった。屈辱とも思える程に、贄姫と彼が呼ぶカタナの攻撃は魔剣とは鋭さが違う。魔剣以上に殺しにかかるべく振るわれる。

 月蝕の聖剣を振るった瞬間に『名無し』の脇腹が裂ける。攻撃に合わせたカウンターが炸裂する。退こうとすればステップで詰め寄られて剣先が肉に食い込み、回り込むステップを追おうと身を翻せば『置かれていた』かのようにカタナの鋭利な刃が喉元に食い込みそうになる。

 攻撃と回避の両立。魔剣ではある程度の『剣戟』を許したのに対し、カタナを用いてからは斬撃も銃弾も触れさせることなく、むしろ全てのアクションが攻撃を差し込まれる隙を生じさせているかのように『名無し』から自由を奪う。

 

 

 幻視したのは蜘蛛の巣だ。まるで自分の一挙一動を絡め取り、暴れる程に糸に捕まっていく『餌』となった哀れな自分自身だ。

 

 

 死のイメージが脳髄を食い漁る。立ち向かう精神を奪う。目の前にいるのは絶対的捕食者であり、故に戦うことも逃れることも不可能であるという諦観が圧し掛かりそうになる。

 だからこそ、『名無し』は笑うのだ。どれだけ苦境であるとしても、心折れるようなことがあるとしても、その時まで戦う為に笑うのだ。

 繰り出される血刃居合。刀身以上の間合いを刻む広範囲斬撃だ。光波が斬撃を『飛ばす』ならば、血刃は斬撃を『伸ばす』ものであり、似て異なる性質を持つ。故に日蝕光波と同様の対処をすれば狩られる。

 重要なのは居合の構えを取ったならば、生み出される斬線を見切ることだ。血刃居合は贄姫が描く斬線の延長である。クゥリから扇状に拡大している事を忘れることなく動かねばならない。

 贄姫の刀身には血管のような溝が彫り込まれており、緋血によって満たされている。あれが血刃の源に違いない。居合に比べれば斬撃延長は短いが、通常攻撃でも血刃は生じる。だが、発動の間際に溝から緋血が溢れる予備動作が生じる。それさえ見逃さなければ、通常攻撃に織り込まれる血刃攻撃にも対処できる。無論であるが、近接戦闘中に相手の武器の刀身の僅かな変化を正確に捉え、なおかつ即時対処するなど、常人には不可能である。DBOでも『名無し』を合わせて可能とするプレイヤーは数人しかいないだろう。

 なおかつ贄姫には奇怪な特徴があった。振るわれた瞬間に刀身が見え難くなるのだ。完全な透明ではなく、あくまで見え難い程度だ。まるで、月に雲がかかって朧となっているかのように、その刀身を曖昧に感じさせる。一瞬でも気を抜けば、カタナの動きを捉えきれなければ、まるで不可視の刃だったかのように対象を刻むだろう。

 優れた知覚のみならず、斬撃を予測する経験と戦闘勘が要求される。『名無し』の場合は秀でた剣才がそれを補佐する。繰り出された贄姫の連撃に『名無し』はついに月蝕の聖剣を差し込むことに成功する。火花が散り、決して捉えられぬ刃ではないと意気込んだ瞬間に喉へと衝撃が突き刺さる。

 それがクゥリの蹴りであると分かったのは、喉が潰れる程に圧迫され、そのまま地面から足が離れた時だった。宙を浮いた『名無し』に強烈な斬り上げをわざとガードさせて弾き上げたところで、素早い納刀からの居合縦斬りが炸裂する。血刃を放出しながらの斬撃を間一髪でガードするも、贄姫の刃は漆黒の刃に抉り込んでいき、魔剣でも不可能だった白銀の刀身までの到達を為し遂げる。

 無論、一撃で刀身が損傷する程に聖剣は軟弱ではない。むしろ、月蝕を纏わずとも片手剣としてはトップクラスの攻撃力と耐久性能を誇る。だが、贄姫は聖剣を折るに足る武器であると手まで痺れる衝撃が『名無し』に教え込む。

 純粋な剣速はほぼ互角。だが、居合では完全に上回られる。これはカタナ特有の抜刀攻撃の加速ボーナスのみならず、居合に関してだけはクゥリの運動速度が跳ね上がっているからだ。彼にとって居合とは決定打の『1つ』であることを窺わせる。

 

(まずいな。DBOでカタナを相手取るのは……モンスター以外では……クライン以来だ)

 

 そもそもとしてカタナ使いの絶対数が少ないDBOにおいて、対カタナの経験を積める機会は少ない。超攻撃特化であるが故にデスゲームで運用するには難があるのだ。特に脆さとガード性能の低さは余りにも致命的だ。素人ではまず1戦しただけで折れ、使い慣れても数戦もすれば刃毀れし、熟達しても思うようにダメージは出ない。故にカタナ使いは必然として、カタナだけに全てを注いだ者か、使い捨て武器とばかりに割り切った者か、あるいは完全に我が物にしているのか、そのいずれかになる。

 クゥリの場合はカタナを完璧に御している。全ての攻撃にクリティカル判定が生じていると言っても過言ではない。なおかつ、ユニークウェポンともなれば基礎性能も高いだろう。

 

(隙が無いわけじゃない。最大出力の月蝕光波さえ命中させれば……確実に折れる)

 

 たとえユニークウェポンでも脆さという武器ジャンルならではの弱点が存在する。その為にも必要なのはクゥリの斬撃の全てを見切ることだ。

 だからこそ厄介になるのは視認性を悪化させる能力だ。贄姫の対処に集中すれば、先のように別の攻撃への対処に絶対的に遅延が生じてしまう。目ではなく感覚で迎撃し、反撃できるようにならなければ、クゥリのカタナを超えることは出来ない。

 魔剣にしてもカタナにしても『剣』である限り、『名無し』が装備する剣王の指輪の効果対象であり、故に攻撃は軽減される。多少の無茶をしても武器破損を狙うべきかと『名無し』は戦術を組み立てた時だった。

 クゥリの指が動く。途端に『名無し』の足に何かが絡まる。

 それは極細のワイヤーだ。『ワイヤーがある』という前提でもない限り、贄姫を警戒するあまりに見落としかねない細さだ。

 戦いの最中に『名無し』の背後に投擲されていただろうナイフの柄尻と繋がっており、クゥリのコートの袖の奥から伸びるワイヤーは『名無し』の右足を拘束する。

 並のワイヤーならば『名無し』のSTRならば千切れる。だが、このワイヤーは高純度の蜘蛛糸鋼クラスなのか、むしろ暴れた分だけ肉に食い込まんとする勢いだ。

 聖剣で……いいや、銃撃で切断を! 生まれた焦りはそのまま隙へと変じ、クゥリは巧みにワイヤーを操って『名無し』を転倒に追い込もうとする。

 転べば死ぬ。クゥリは絶対に見逃さない。足下からバランスを崩されかけた『名無し』は、それでも前を見る。呼応するように月蝕の聖剣が漆黒に輝く。

 

 

 

 

 

 

 心意発動。ワイヤーを強引に引き千切る程のシステムアシストの加速を得て『名無し』はまるで瞬間移動のようにクゥリの側面を取って斬りかかる。

 

 

 

 

 

 

 しかし、クゥリはまるで手馴れているかのように、まるで散歩するかのような落ち着いた動作で交差すると同時に『名無し』を袈裟斬りにした。

 

 

 

 

 

 

 テレビ放映も見られていたならば、『名無し』の心意は認識されていただろう。だが、体感は初めてのはずだ。知識と経験が異なるように、対処法はあったとしても、初めてならば必ず『濁り』と呼ばれるものがあるはずだと『名無し』は経験上から断言できる。それはクゥリであろうとも変わらないはずだ。

 だが、『名無し』のゼロ・モーションシフトに対してクゥリは先読み以前であると言わんばかりの対処を見せつけた。深く斬られ、『名無し』の胸から噴き出す血飛沫がその証拠だ。

 

「……まるで児戯ですね」

 

 クゥリの溜め息1つに『名無し』が反転するより先に背中からダメージフィードバックが溢れる。交差の最中に放たれた斬撃は1回ではなかった。胸を裂き、そして背中も刻まれていた。急速に減っていくHPが贄姫の攻撃力の高さを物語る。死が忍び寄る。

 緋血と『名無し』の血で染まった贄姫を振るい、クゥリは仕留めにかかる。

 強い。強過ぎる。消耗以前にまるで勝ち目が見えない。たとえ万全であろうとも勝利のビジョンは皆無だろう。

 どれだけの強敵を葬ってそこにいるのだろうか? どれだけの死闘を潜り抜けて高みに至ったのだろうか? どれだけの犠牲を払って鍛え抜かれたのだろうか?

 話しかけるタイミングはいつでもあった。だが、恐かった。クゥリの存在ではなく、DBOのデスゲーム化を見逃すような妄執に囚われた自分の情けなさ、弱さ、愚かさを侮蔑され、軽蔑され、見放されることが恐ろしかった。

 クゥリが『いつも通り』に何も言わずに『力』を貸してくれる……そんなイメージばかりが湧き出す自分が憎たらしかった。

 アルヴヘイムを経て聖剣を託されても変わらなかった。仮面の約束は聖剣に呪われた欺瞞に変じ、モルドレッドに打ち砕かれて月蝕の聖剣を改めて手にするまで病のように心を腐らせた。

 ユージーンに勝てば会いに行こうと決めた。ラストサンクチュアリの終焉を見届けて『自分』として、迷惑をかけた人々を訪ね、そして最後には必ずかつての相棒の元へ行こうと決めた。

 きっと殴り飛ばされるだろう。この仮面は保険になるだろうか? そんな甘い願望はいずれとも知れぬ暗躍によって打ち砕かれ、ラストサンクチュアリに滅びをもたらす白の傭兵と巡り会わせた。

 仮面がなくなって『自分』に戻れば、今までの穴埋めをするかのように、夜が明けるまで語り明かせるだろうか。

 否。断じて否だ。いつだってクゥリはそうだった。自分の事を何も語らない。問い詰めたところで曖昧にはぐらかす。嘘は下手なのに、隠すのは上手であり、なおかつ口を割らすのは更に困難だ。

 だから、仮面を割ったところで距離は変わらない。鉄の城で別れた時から……相棒ではなくなった時から……互いの道が異なった時から……何も変わらない。

 

 仮面。

 

 仮面。

 

 仮面。

 

 仮面が顔を覆う。キミにたくさん言いたいことがあったはずなのに。謝りたいことがあったはずなのに。伝えたい本心があったはずなのに。息苦しく覆う仮面が呼吸すらも奪うように口を塞ぐ。

 頼む、この仮面を割ってくれ。そうすれば……そうすれば……そうすれば?

 そうすれば、何かが変わるのだろうか? 仮面を割られて『自分』に戻れたところで、穿たれた時間という名の共有していない経験を埋めることはできない。互いに語らえる本心は過去の望郷にも等しい。

 

 仮面。

 

 仮面。

 

 仮面。

 

 仮面が魂を隠す。仮面とは『化ける』為のものだ。『名も無い誰か』に。『求められる英雄』に。『自分自身が欲する理想』に。

 ずっと仮面で顔を覆い続けたのは何故だ? 正体の隠蔽であり、露見の恐怖であり、結んだ約束であり、情けない保険だった。

 だが、全ては1つに帰結する。『クゥリによって仮面は砕かれる』という、白き友にかつて覗き見た、そして囚われたくないと知ったはずの、彼の絶対的な暴力に感じた理想が今も根底に張り付いている。

 

 ああ、本当に俺は情けない。間違えてばかりだった。こんな死の間際になるまで、友が殺す気で斬りかかる瞬間まで、かつて鉄の城で見た『力』への憧憬に囚われていた。

 

 だから、今度こそ決着をつけよう。

 

 G&Sで≪二刀流≫に囚われていた過去の自分から脱却したように。

 

 誰よりも頼りになったかつての相棒であり、誰よりも勝ちたいと望んだライバルであり、誰よりも……誰よりも親しき友でありたいと望んだ。

 

 キミの微笑みの裏には何がある?

 

 キミの本心は何処にある?

 

 歩み寄って向き合いたい。他の何者でもない、肩を並べられる、互いに尊重できる、互いに敬意を払える、対等な存在でありたい。

 

 次に繰り出されるのは死の一撃? 知ったことか。

 最初から『負けていた』のだ。だから勝利のビジョンなど見えるはずがない。

 だから、これは勝利の1歩。ふざけたくらいに子どもじみた、負けて堪るかという意地のままに咆える、自分からクゥリに踏み込む1歩だ。

 メイデンハーツを宙に放る。クゥリが得意とするファンブル状態間際で巧みに武器を切り替える戦法だ。居合の構えを取ろうとするクゥリに見せつけるように、『名無し』は左拳を握る。

 

 

 

 

 

 

 そして、過去と因縁と妄執を打ち砕くかのような拳は仮面を破壊し、『名無し』を『殺した』。

 

 

 

 

 

 

 

 自分自身に放った全力の拳。仮面の防御効果のお陰でダメージは最小限に抑えられたが、衝撃が頭を揺らして吐き気を催させる。

 まさかの自傷行動にクゥリは目を見開き、だが理解したように薄く……まるで馬鹿にしたように酷く楽しそうに……笑う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よう、【キリト】。久しぶりだな。最後に会ったのはいつだ?」

 

「やぁ、クー。SAOクリア時じゃないか? あれ以来まともに顔を合わせていなかったからな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 舞い落ちるメイデンハーツを左手でキャッチし、【キリト】は笑う。

 名を呼ばれた時、仮想世界で生きる自分の真名を白き友に口にされた瞬間、まるで全身の細胞に酸素が行き渡るかのような活力が漲った。

 ずっと、ずっと、ずっと心を縛り付けていた鎖が引き千切られていく。

 

「そんなにも前か。時の流れは残酷だな。昔は女の子によく間違えられたとぼやいていた奴が、今ではすっかりイケメンか。どちらかと言えば童顔の可愛い系なんだけど、しっかり男前になってるのが憎たらしいな、おい。ちょっと顔面潰させろ。整形不可避なくらいに破壊させろ」

 

「キミも本当に相変わらずだな。昔に比べて……昔よりも本当に奇麗になっちゃってさ。中性美に磨きがかかってるじゃないか。それに俺のこと童顔呼ばわりしてるけど、キミとか見た目はまだ10代半ばだからね? 俺は一応だけど年相応なはずだから」

 

「いや、マイナス2歳は固いな」

 

「それでも誤差だ。キミはどう見てもせいぜい高校1年生ってところだ。しかも前みたいに粗野な言動の『演技』も止めたせいで、美少女っぷりも加速してるしな!」

 

「……喧嘩売ってるのか?」

 

「え? それ以外に聞こえなかったのか? 心外だなぁ」

 

「OK……OK……OK! とりあえず、ぶっ殺す」

 

「最初から殺す気だっただろ? キミは本当に相変わらず容赦がないな」

 

 音声が拾えていない撮影用人工妖精を通して2人の戦いを見守っていた人々には彼らの軽口は届かない。

 今から戦いを再開する、久々に再会した友人同士の語らいを誰にも聞かせない。

 

「俺は俺の道を行く。キミのミッション……全力で邪魔をさせてもらう!」

 

「そうだ。それでいい。さぁ、殺し合おうじゃないか、キリト!」

 

「いいや、違うな。俺は殺し合うんじゃない。キミと『戦う』だけだ。ラストサンクチュアリの皆を……守る!」

 

 たとえ、命を奪うことになるとしても。能動的殺意から程遠いとしても。余計に重荷を背負うことになるとしても。自分の歩む道を偽りたくない。

 今までの静謐な微笑みではなく、歓喜の笑みを描いて、クゥリは贄姫を躍らせる。火災の光を刀身に映し込み、殺意を隠しもせずに解き放つ。

 

「何でも構わない! 来い、キリト! 今この瞬間は……『力』こそが全てだ!」

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 また謀られた! ワンモアタイムにてラストサンクチュアリ壊滅の模様を視聴していたユウキは、クゥリの劇的な……余りにも刺激的な登場に顔面をテーブルに叩きつけた。

 年中大繁盛のワンモアタイムであるが、今日の客たちは料理よりも酒よりもテレビに齧りついている。

 UNKNOWN対ユージーンという傭兵最強候補……実質的なDBO最強プレイヤー候補同士の対決は、仮面の二刀流剣士の勝利で幕を閉ざした。

 だが、突如として始めたラストサンクチュアリ拠点、白の都の崩落。クラウドアースのアームズフォートによる砲撃がトリガーとなった破壊の連鎖は、まずクラウドアースによる生中継の停止に始まり、続いて1番乗りで太陽の狩猟団が白の都の現状を放映したことで一変した。

 ランク1が負けたクラウドアースによる腹いせ説、最初からクラウドアースはアームズフォートで砲撃する予定だった説、現場の暴走説、別の大ギルドによる陰謀説など様々な憶測が飛び交っていたが、太陽の狩猟団系列の報道ギルド、サニーチャンネルが届けた最新映像によって全てが変化した。

 死屍累々。およそ尋常ではない殺戮の痕跡。やがて、破壊と炎がラストサンクチュアリの終焉を教える本部前広場にて、死体の海に立つ1人の傭兵が人々の心を掴み取った。恐怖によって束縛した。

 もはやラストサンクチュアリの壊滅や大ギルドの陰謀など『どうでもいい』。『また』【渡り鳥】がやらかした。殺戮をもたらした。

 その悪名に恥じぬ残虐っぷりだ。クラウドアースと思われる武装した兵士やラストサンクチュアリ守備隊が等しく皆殺しにされている。ジェノサイドモンスターと呼ばれる通り、敵味方の区別もなく殺戮をもたらすバケモノとして人々の目に映る。

 だからこそ、仮面の剣士は希望の象徴だった。さぁ、どうか貧民の聖域を守ってくれ。戦う牙も爪もない人々を守護してくれ。【聖剣の英雄】の登場に人々は安堵した。

 だが、映し出されるのはほぼ一方的な展開だ。『英雄』は『バケモノ』に勝てない。数多の英雄譚の最後は悲劇で幕閉じするように、英雄を喰らう怪物に相応しく圧倒的な暴力で蹂躙する。多少の反撃すらもものともせずに、画面越しでも分かる程に、人外の如き戦いで仮面の剣士を追い詰めていく。

 ユウキは周囲の人々がクゥリをバケモノと恐れ、罵倒し、敗北と死を望む姿が憎たらしくて仕方なかった。理性という歯止めがなければ≪絶影剣≫を発動させていただろう。

 これは『演出』だ。誰かが書いた『シナリオ』だ。クゥリはわざと、あるいはあるがままに振る舞うからこそ、最も効果的に人々を恐怖で塗り潰すことができる。

 クラウドアースの失態を覆い隠し、ラストサンクチュアリ壊滅という『汚名』を着せる。それがクゥリに与えられた依頼であり、だからこそ彼は何の迷いもなく、たとえ1000人の貧民プレイヤーが犠牲になるとしても実行するだろう。クラウドアースが受けるダメージはギルド間戦争までのカウントダウンを加速させる事になる。戦争はプレイヤーを数多と死なせることになるのだから。そうしてプレイヤーが団結できない展開は、茅場の後継者の思う壺なのだから。

 あるいは、本当は何も考えていないのかもしれない。クゥリの戦いぶりを見て、ユウキはそう感じた。『彼』ならば必ず自分を食い止められる。『彼』ならば1000人の貧民プレイヤーが脱出するまで必ず自分を足止めできる。『彼』ならば、あるいは自分を殺しきることができる。たとえ殺してでも、自分よりも1000人の戦えぬ人々を守ることを選んでくれるはずだと信じている。そんな戦いぶりだった。

 続報で入る、クゥリがロケットブースターを装着して乱入してきたこととか、ユウキからすればそれこそ『どうでもいい』ことである。どうせグリムロックがやらかしたのだ。今回の件はクゥリの独断ではないならば、グリセルダには何かしらのプランがあるのだろう。黄金林檎の全員が関与しているだろう。

 思えば予兆はあった。クゥリはユージーンとUNKNOWNの対決に『関係ある』と言い切った。クゥリは嘘を言っていなかった。ロケットブースターというツッコミどころ満載の頭がおかしいものを準備している程度には、2人の対決の『後』を見越して動いていた。

 シナリオを書いたのは『誰』なのか。それはユウキにも分からない。だが、依頼主と黄金林檎の意見は合致した。クゥリに殺戮を行わせ、数多のプレイヤーが目撃者となるラストサンクチュアリ壊滅の実行犯にすることを選んだ。

 最終的に依頼の受諾を選択したのはクゥリだ。だからこそ、ユウキは心の中で何を思ったとしても行動には出ない。依頼主の策謀も、黄金林檎の目論見も、数多のプレイヤーの反応も、依頼達成がもたらす結果も、全てを呑み込んだ上で彼はあの場に立つことを選んだ。選択することが『出来てしまう』のがクゥリの悲劇だとしてもだ。

 彼女が望むのはシンプルなことだ。無事に帰って来てほしい。死なないでほしい。どうかこれ以上傷つかないでほしい。それだけなのだ。

 贄姫を抜いてからは更に一方的な展開が続く。白銀の光剣の扱いには手探り感があった。信じがたいが、ユウキも全力を尽くして戦った相手に、武器のチェックをするような戦いをしていたのだ。大よその感覚を掴めたのか、彼がDBOで最も愛用しているカタナを抜けば、この展開になるのも想像に難しいことではなかった。

 血だらけになっていく仮面の剣士に、ユウキは言い知れない感情を覚えた。クゥリに友殺しをさせたくないのはもちろんであるが、何故か『名無し』を応援している自分がいた。

 煩わしいと感じていたはずの周囲のクゥリへの罵声すらも心地良くなってきていた。

 気持ち悪い。自分の心ではないかのような、望まぬどす黒い感情が湧きだす困惑にユウキが振り回され始めた時だった。

 突如として【聖域の英雄】は自らの仮面を打ち砕いた。まるでずっとずっと水面から顔を出すのを押さえつけられていた手を振り払えたかのように、思いっきり空気を貪るかのような解放感すらも見せて、彼はついにその素顔を晒した。

 その顔は知っている。DBOにログインする前に、打倒するべき目標として茅場昌彦から写真を見せてもらっていたからだ。

 クゥリの口が動いた。音声は入らずとも確かに聞こえた気がした。

 

 愛おしそうに。

 

 愛おしそうに。

 

 愛おしそうに。

 

 ユウキが嫉妬で身を焦がす程に愛おしそうに、キリトと友の名を呼んだ。

 

「……【黒の剣士】だ」

 

「やっぱりだ。やっぱり【黒の剣士】だったんだ!」

 

「アインクラッドを完全攻略に導いた英雄! やっぱりUNKNOWNの正体は【黒の剣士】キリトだったんだ!」

 

「【聖剣の英雄】は【黒の剣士】だ!」

 

 誰かの呟きは瞬く間にパンデミックを引き起こし、英雄の名は無責任な希望を湧き上がらせる。

 打ち砕かれた仮面より正体をついに明かす、VR史上初のデスゲームの完全攻略を為し遂げた英雄。何と劇的な展開だろうか。これもまたシナリオ通り……であるはずがない。きっと、【黒の剣士】という……キリトという存在が巻き起こす嵐なのだ。

 英雄という称号。捨てても、捨てても、捨てても、何度捨てても、彼自身に纏わりつく。まるでクゥリの『バケモノ』と同質にして対極であるかのように。

 だからこそ、ユウキは心から願う。クゥリの勝利と生還を求める。

 

 

 

 

(『パパ』、頑張れ。『バケモノ』を殺しちゃえ)

 

 

 

 

 だから、ユウキは自分の心か湧き出た死の呪いが信じられなかった。

 周囲の恐怖と希望に押し流される人々よりも、深く、濃く、濁った、どす黒い感情が発する呪詛が信じられなかった。

 

 そして、次の瞬間にはユウキは頭痛を覚えて自分が胸中で何を唱えたかも憶えていなかった。

 

 

▽    ▽    ▽ 

 

 

 剣先が頬を裂き、流れるような連続突きは心臓と首を正確に狙い、こちらの斬撃も銃撃も等しく届かない。

 仮面を砕き、久々に戦闘中に顔面全体で空気に触れる感覚は新鮮だった。冬の予感に満ちた夜風も、破壊をもたらす火災の熱も、舞い上がる塵も、何もかもが仮面無き世界を彩らせていく。

 クゥリの隠密ボーナスを高める加速ステップからの一閃。これをキリトはギリギリで凌ぐ。それも緑色のライトエフェクトが爆ぜるリカバリーブロッキングを成功させる。即ち、贄姫の斬撃に対処しきることが出来た証拠だった。

 視覚に騙されるな。見えなくなるとしても斬撃という『線』は消えない。突きという『点』は生じる。ならばこそ、信じるのは全神経を集中させた感覚であり、自らの戦闘勘であり、培ったロジックだ。

 正面からの連撃同士のぶつかり合い。今まではキリトを必ず刻んでいたはずであるが、今回は互角だった。神速同士の『剣戟』に到達した。

 

「……また追いついてきた。相変わらず面倒臭いヤツだ。ギアを上げるこっちの身にもなれ」

 

「キミも本当に相変わらずだ! 本当は未来予知できてるだろ!?」

 

 まだだ。まだ土俵際で踏ん張れる! キリトがメイデンハーツから繰り出すのは≪片手剣≫のソードスキル、ホリゾンタル・スクエアだ。四角形を描いて散るライトエフェクトが特徴的な4連撃の連撃系ソードスキルであり、回転系と同じく周囲の薙ぎ払いにも適している。

 だが、メイデンハーツで繰り出せば全く別のものに変化する。メイデンハーツの銃弾はソードスキルの影響を受ける。攻撃力のみならず、連射性能や弾速にまで及ぶ。さすがのユージーンもガンズ・ダブルサーキュラーの1回だけでは分析しきることは出来ていなかったようだが、あの瞬間の連射はメイデンハーツの性能を大きく上回っていた。

 ホリゾンタル・スクエア=闇追尾弾。本来は弾速に難がある闇追尾弾をソードスキル補正で加速させ、連射で周囲にばら撒き、その全てを殺到させる。深淵ヤスリの消耗は激しいが、クゥリでも対処を困難にさせるだけの銃弾が速度と追尾性を持って迫る。

 だが、クゥリは華麗にカタナを舞わせる。その刃は次々と闇追尾弾を絡め取る。刀身の表面を濡らすような薄い水銀の膜に波紋が生じる。それは水面に小石が投げられたかのような錯覚を与えるものであり、刀身の流麗さを際立たせる。

 闇追尾弾の全てが1つの方向に並び、まとめて血刃で破壊される。あろうことか、高い追尾性を持つ闇追尾弾をカタナで弾いて全て軌道を制御した挙句に一掃したのだ。

 だが、元より決定打となると踏んでいない。僅かに得た時間でエスト弾を自身に撃ち込んで回復させる。贄姫から受けた斬撃によって各所から流血し、オートヒーリングが弱体化している。あれだけ刻まれてはバトルヒーリングもあったものではなかった。ならばこそ、ここぞという場面における回復は正しい。

 深淵ヤスリのエネルギーを大幅に消耗した攻撃は不発に終わる。もう闇追尾弾は数発しか撃てない。クリスタルブレードにエネルギーを回す事も出来ない。

 またメイデンハーツ自体の銃弾も限りが見え始めた。温存しなければ戦えない。ここからは銃撃をより切り札として運用していかねばならない。

 ならば切り替える。キリトは変形させたメイデンハーツをブレードパーツと合体させてブレード召喚を行う。

 

「メイデンハーツ、黒騎士ブレード!」

 

 元のメイデンハーツに備わっていた黒騎士モードをそのまま引き継いだ、重圧な金属剣を接続する。ヤスリエネルギーの伝導率は悪いが、高い物理攻撃力と耐久性能を持ち、使い捨てのクリスタルブレードとは違い、長期ミッションにも秀でている。

 贄姫の連撃に対して二刀流の連撃。手数は倍になれば潜り抜けられる……はずもない。クゥリの剣速が増すだけではなく、巧みな斬撃の数々はこちらの攻撃の出鼻を挫き、攻撃を歪め、体幹を削り取っていく。

 

「ご自慢の≪二刀流≫か」

 

 クゥリとの相棒時代ではキリトはもう≪二刀流≫を隠していなかったために、彼からすれば二刀流スタイルの方が馴染みはあるのだろう。実際には片手剣オンリーのキャリアの方が長いキリトからすれば逆なのであるが、やはり二刀流は自分に染み付いていると振るえば実感する。

 同時突きからの斬り払いで贄姫を折る! 鋏のように贄姫を挟み込んで破壊しようとしたキリトであるが、クゥリはお見通しとばかりに贄姫を引かせるばかりではなく、回転しながら屈み、足払いによる転倒を狙って来る。

 受けて立つ! 逆に踏み込んだキリトはクゥリの足払いを真っ向から受け止める。これにはクゥリも顔を顰め、だがキッチリとカウンターの月蝕光波を避けて跳び退く。

 

「オマエって見た目に反して割とパワータイプだよな」

 

「そういうクーもSTRは低くないみたいだな」

 

「オレはいいんだよ。当たれば死ぬスタイルだから」

 

「デスゲームで躊躇なく生存性を捨てるなんて……!」

 

「現実に近しい方が調整しやすい」

 

 そうだ。それこそがクゥリの超攻撃特化の本当の理由だ。

 現実世界に限りなく近しい実感を。VR適性が低いクゥリなりの選択だったのだろう。

 HPがある限りプレイヤーは生きられる。だが、普通は頭を刺し貫かれれば、心臓まで刃が達すれば、巨獣に踏み潰されれば、死ぬ。それすらも計算に入れて立ち回るのが本来の在り方であるが、クゥリにはどうしても馴染めなかったのだろう。

 

「あと、別に耐久面を蔑ろにしているわけじゃない。色々とあったからな。それなりに考慮しているつもりだ」

 

 久々に会った学生時代の友人と珈琲片手に立ち話でもするかのような口ぶりの中で、濃厚な殺意を含んだ攻撃は繰り出される。クゥリの血刃を掻い潜ろうにも、接近すれば贄姫そのものによる攻撃がある。月蝕光波では届かない。

 月蝕の聖剣が輝く。月蝕光波は……聖剣剣技は1つではない。使い手によって無限の可能性があるのだと語り掛ける。

 思い出せ。モルドレッドは単調に見えて、その実は多彩に光波を操っていた。モルドレッドが稀代の聖剣の使い手であり、聖剣操作に関して自分は及ばないとしても、道自体を切り捨てるものではない。

 

 

 

 

 月蝕剣技【ストーム=シャドウ】。斬撃と共に放たれた月蝕の奔流は嵐となり、無数の乱撃となって前方を刻みながら抉り進む。

 

 

 

 

 光波のように斬撃としての形を与えるでもなく、奔流のようにただ放出して纏わせるでもなく、敢えて両方の性質を不完全に与えて放出する。まだ粗削りであるが、キリトは月蝕の聖剣と共に自らの聖剣の御業を生み出していく。

 

「やるな。だが……粗い」

 

 そして、クゥリは平然と月蝕の嵐を突破してくる。キリトはユージーンの光輪剛覇剣を突破出来たように、クゥリもまた同様に……いいや、自分以上に抜け穴を嗅ぎ分けて通り抜けられるのは当然の事だった。

 首を狙った斬撃を黒騎士ブレードで寸前でガードする。一瞬であるが、重厚な黒騎士ブレード諸共両断されるイメージが湧いたが、如何に鋭利な贄姫でもさすがに切断できなかったらしく、強烈な火花を散らすだけで止まる。サブ・ブレードのような扱いであるが、黒騎士ブレード自体は準ユニークである黒騎士系列の武器を多数素材として用いている。普通ならばトッププレイヤーが用いる武器クラスだ。

 反転しながらキリトは次の手を考える。月蝕剣技を編み出せるとしても、その場の即興で勝てる相手であるはずがない! むしろ粗さが死を引き寄せる! ならば、今ある手札と連携させて逆転の1枚にする方法を考えろ!

 

 

 

 

「咆えろ、ミディール」

 

 

 

 

 だが、そんな時間は与えないとばかりに反転したキリトを迎えたのは異形の武器。2本の先端が尖った長板の間で紫雷が迸る、元がいかなる武器なのかも分からぬ何かだ。

 トリガーがある。だから銃器の類なのだとキリトが判断できたのは、自分に紫雷が直撃し、続く雷爆発で身を揺るがされた瞬間だった。

 よくよく見れば、2本の『レール』の奥には銃口が見て取れる。クゥリが腰に差していたもう1つの武器は銃器……それも極めて異質なレールガンのような何かだと判断できた。

 あくまで『何か』と取り付けたのは、レールから放出された紫雷が襲い掛かって来たからだろう。雷爆発が生じたことからプラズマ系の武装と判断できるが、それにしては弾速が異様に速過ぎる。また攻撃から受けたダメージフィードバックは雷属性のみならず、闇属性特有の汚染するような蝕むものがあった。

 雷属性と闇属性の複合攻撃。スタミナ削りのみならず、雷爆発とは思えぬ高衝撃の理由はそれだ。だが、言葉にするのは簡単であるが、闇と雷の含有は並ではない。深淵の雷とされる青雷が『純雷属性』であるように、雷とは対極である神族の力だからだ。故に雷と闇の複合は武器の外観と同じくらいに異質である。

 闇雷爆発で体勢を崩したキリトを襲い掛かったのは日蝕光波だった。いつの間にか右手の贄姫を日蝕の魔剣に切り替えていたクゥリは、使い慣れたバトルスタイルだとばかりに、左手の異形の火器……ミディールと共に構える。

 日蝕光波をギリギリで月蝕聖剣で防ぐことに成功するも、不完全なガードは黒曜石のような刀身に亀裂を生じさせる。本体に破損はないが、また月蝕ゲージを消耗してしまった。スタミナと魔力を注いで回復させたいが、クゥリ相手ではスタミナすらも温存できるはずもなく、リカバリーブロッキングの補給分も瞬く間に吸い尽くされている。

 メイデンハーツ、銃弾2割未満。ヤスリも消耗が激しく要補給。クリスタルブレードは数にも余裕はあるが、クゥリ相手では決定打に持ち込めねば意味がない。スタミナも先程から危険域アイコンが表示されている。

 全身の負傷から流血スリップダメージあり。これによってオートヒーリングの弱体化と防御力ダウンが生じ、追い詰められた崖際の方が崩れつつあるかのようだ。

 

「オマエは生半可な手段では殺せない。高い戦闘適性、見てから回避・防御・カウンター余裕でしたの反応速度、魔王ヒースクリフを打ち破った剣の才能、経験に裏打ちされた戦闘勘、そして……仮想世界に奇跡を起こす『人の持つ意思の力』。オレは何1つとして過小評価しない」

 

 次々と繰り出される紫雷弾に対してキリトは歯を食いしばる。とにかく避けることに集中せねばならない。紫雷弾は命中斬り反転でも『消せない』。攻撃自体が言い換えれば爆弾が飛んできているようなものであり、命中判定斬りをした途端に闇雷爆発が襲い掛かるからだ。範囲は決して広くないが、刀身の間合いに届く範囲は余裕で呑み込む。

 

「殺しきらせてもらう」

 

 冷徹な殺害宣言で思い出したのは、クゥリに対人戦の極意を尋ねた時の事だ。

 

『前にも言ったが、手札の数がそのまま勝負を決める。相手が対応できないカードを叩きつける。そうすりゃ殺せる』

 

 クゥリは本気だ。これまで悪名に反して戦闘面において謎に包まれていたクゥリがあらん限りの武装をしてこの場にいる。最初から『キリトとの戦闘』を想定している。

 謎は武器だ。情報が拡散すれば対処される。この戦闘が生中継されているならば、クゥリはDBO中に自身のカードを見せていく事になる。それは彼本来のやり方に反する。

 逆に言えば、それ程までに本気で挑んできているということだ。ならば、相応に死力を尽くすのは礼儀というものだ。戦士として、友として、男として、ここで応えないわけにはいかない。

 

「天雷装具スローネ……解放!」

 

 スタミナも魔力も危うい!? ならば、ガス欠前に決着をつけるまでだ! まだこちらも手札は残っている! その全てを使い切って倒してみせる!

 黄金の雷光を纏って加速したキリトは、肩を並べたい友にして、勝利を渇望するライバルに挑むべく、全身全霊をかけて剣を振るう。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

「……スゲェ」

 

 あのプライドの高いレックスが簡潔に、だが率直に漏らした感想は、映し出されるハイレベルな戦闘を端的に示していた。

 この場にいる全傭兵は各々の基準で分析し、自分ならばどうするかと戦術・戦略を組み立て、その上で彼らの戦闘がもはや異次元の域に到達していると痛感する。

 

「協働時の【渡り鳥】はやはり牙を隠していた……か」

 

 虎丸は眉間に皺を寄せ、自分ならばどうやってレックスと連携して、いかなる状況で倒すか策を練っている様子だった。だが、その沈黙の重々しさが示す通り、白の傭兵はまさしくあらゆる罠を突破しうる暴虐の塊である。

 どうすれば殺せるのか? この場の1人として明確な勝利のビジョンを持ち合わせている者はいないのだろう。

 

「やはり『左腕を庇う』為に戦術を変えたか」

 

 いいや、違う。1人だけ確実に『殺しきる』ビジョンを持っている男がいるのだろう。シノンは右隣の呟きに、まだ抜けきれない衝撃に硬直しながら、それでも強気の笑みを描こうとして、だが失敗して情けない程にぎこちなく口元を引き攣らせる。

 

「どういうこと?」

 

「クゥリ君はあのままカタナを使ったままでも押し切れた。二刀流の連撃の相手ともなれば、片手で振るうカタナでは威力に劣る。ならば当然として一刀流のあるべき姿、両手持ちで戦うのは必然だ。だが、戦闘中に彼は左腕の動きだけ『遅れ』が生じ始めた。最初は上手く庇えていたようだが、UNKNOWN君……いいや、キリト君が想定以上の粘り、なおかつ食らいついてきて、『戦術を変更するしかなかった』」

 

 左腕を庇っていた? シノンにはまるで見えなかった。むしろ、一方的にUNKNOWNを……キリトを押し込んでいるようにすら見えた。

 煙草を咥えて火を点けたスミスは、テレビで映し出される黄金の雷光……スローネの雷を纏ったキリトが果敢にクゥリに斬りかかる姿を見つめている。だが、幻を相手取っているかのように攻撃は届かず、それどころか紫雷弾の餌食となっている。

 夜想曲シリーズの闇属性防御力が高く、またスローネは雷属性……特にスローネの雷の発動中は雷属性防御力が高まる。まだ憶測の域を出ないが、雷属性と闇属性の複合だろう紫雷弾との相性はいい。だからこそ削り殺されてもいないと言える。

 

「よく見たまえ。紫雷弾は明らかにキリト君への直撃ではなく、闇雷爆発による『削り殺し』を狙っている。まともに照準を付けられないからだ。彼の左腕は何らかのダメージを負っている。戦闘中によるものか、それとも……いいや、何にしても彼の左腕が不自由なことはキリト君もそろそろ見抜く頃合いのはずだ」

 

 確かに画面ではキリトがクゥリの左側から、敢えて紫雷弾に襲われるリスクを承知で斬りかかっているようにも見える。だが、クゥリは左腕の不自由を見抜かれることを承知の上で攻撃を仕掛けている。危うく白銀の光剣でキリトの首は落ちかけた。彼も安易な判断だったと戒めるように距離を取っている。

 だが、さすがにスローネの雷を発動させたとなれば近距離の撮影用人工妖精では捉えきれなくなり始めた。画面が切り替わり、距離を置いた撮影ともなれば戦闘の詳細がぼやけるジレンマだ。

 

「そう、なんとかギリギリの綱渡りってわけね。だけど、何とか粘っているなら逆転を狙えるわ。クーの弱点は耐久面の低さ。1発で引っ繰り返せる……!」

 

「単純に粘っているだけではない。キリト君は典型的なメンタルに大きく左右されるタイプだ。精神状態がそのまま発揮できる実力に直結する。彼はようやく仮面を『自らの手』で剥ぎ取った。己の嘘、虚栄、欺瞞、恐怖を自分の拳で砕いた。しかもご丁寧に守るべき1000人の弱者がいて、相手はあれだけ意識していたクゥリ君だ。限りなくベストな状態だろう。だからこそ勝利に手を伸ばせる瞬間まで粘れる」

 

 愛弟子のことはよく分析していらっしゃる。自分も同じ指導を受ける身なのだが、とシノンは思わず頬が膨れそうになって、何を張り合っているのかと頬を微かに紅潮させる。

 

「シノン君もキリト君程ではないが、メンタルに左右されるタイプだな。だが、彼よりもコントロールが出来てパフォーマンスが安定している。彼はメンタルに振り回されるという点において大いに未熟だが、キミは違う。スコープを覗き込めば、獲物に狙いを定めれば、その瞬間に最大のパフォーマンスを発揮すべく自身を昂らせられる。それは大きな強みだ」

 

 クツクツクツと喉を鳴らして笑うスミスに、シノンは別に嫉妬していないと顔を真っ赤にして逸らす。

 

「だが、それ以上に……彼に『負けられない』のだろうさ。だから喰らい付ける。最高のパフォーマンスが出来ているだけではない。彼はこの瞬間も成長している。クゥリ君にだけは『負けられない』。いいや……子どものような意地の張り合いであり……戦いにおいて不可欠な勝利を求める執念……『負けたくない』。だから『勝ちたい』。だからこそ、今も彼は成長している。クゥリ君に刃を届けるべくね」

 

「本当にふざけた奴ね。戦いの中で成長するとか何なのよ? それで勝てるなら誰も苦労しないわ」

 

「御尤もだ。だが、それが事実だから始末に悪い。やはりキリト君も『こちら』側……ドミナントだったか。しかも仮想世界においてこそ真価を発揮する。まさに時代の申し子だな」

 

「ドミナント?」

 

「ふむ、その説明はまた今度だな。今はこの戦いに集中すべきだ。クゥリ君は確かに左腕が不調だ。キリト君はベストな精神状態かつクゥリ君に引っ張られるように成長している。だが、『その程度』で勝てる相手ではない。手負いの獣程に危ないものはない。彼はあらゆる手札を切って殺しにかかるはずだ」

 

 この瞬間も成長してクゥリに手を伸ばし続けている異常性。だが、それでも届かぬクゥリは何なのか?

 背筋が冷たくなるほどの、対峙すれば死を免れない、どうやっても殺しきることができないと感じずにはいられない暴力の権化。それにシノンは憧憬に近いものを覚える。

 自然とシノンは己の義手を生身の手でつかんでいた。今にも握り潰しそうな程に。

 奪われた腕は取り返せない。レベル3の呪いはクゥリの左目と同じくデスゲームと化したDBOでは治癒しない。結果として、シノンは最大の武器であった狙撃能力が低下した。今の戦闘スタイルも元を正せば失った腕の分を埋める為だ。

 だが、両腕があったとしてもあの戦いに入り込めるだろうか? いや、自信など関係ない。自分が自分である証明の為に戦うのだ。

 

(私は誰にも負けたくないだけ……何にも……誰にも……)

 

 それなのに負けてばかりだ。敵にも、周囲にも、自分自身にも……それが腹立たしくて、情けなくて、自分がどんどん嫌いになる。

 

「貴方は違うのね」

 

 私とは違う。貴方はどれだけ打ちのめされても、最後は自分の足でちゃんと立ち上がって前に進める。たくさんの人に支えられて、助けられて、救われたとしても、自分の足で踏み出していける。それこそが『強さ』なのだとシノンには眩しかった。

 闇夜に取り残された剣士は銃を手にして過去を乗り越え、自らの手で仮面を砕くことで前進した。

 

「……キリト、頑張れ」

 

 だからこそ、確かな温かい感情を込めて名を呼び、シノンは血と暴力と陰謀に満ちた仮想世界に今再び立ち上がった【黒の剣士】に祈りを捧げる。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 天雷装具スローネをユージーン戦と同じく最高の状態で発動できた。キリトは黄金の雷が生み出すスピードを完全に我が物としていた。

 コピー・ランスロット戦ではスピードに振り回されていた。だが、モルドレッド戦を経て聖剣の呪いを振り払い、ユージーン戦で譲れぬ魂の激突を制し、クゥリとの戦いで仮面を自らの手で破壊した。確かな歩みはスローネの雷がもたらすスピードを制御するだけの余力を与える。

 スローネがもたらすスピードに対処する反応速度、十分。

 相対速度においても情報を見逃さない知覚能力、十分。

 戦闘においてスピードを活かしきれる思考速度、十分。

 制動をかけるSTR制御、十分。

 あらゆる面でかつてない程に条件をクリアしている。そして、1度クリアすれば体得できるバトルセンスがキリトにはあった。この1歩は大きな1歩であり、更なる高みへと近付ける。

 黒騎士ブレード解除。再び銃モードに戻したメイデンハーツでエスト弾を撃ち込む。残り少ないが、ここまで来て惜しみはしない。

 銃弾を撃ちながらスピードに物を言わせて動き回りながら斬りかかる。銃弾と斬撃が挟み撃ちするかのような錯覚をクゥリは受けているはずだ。

 だが、クゥリには当たらない。月蝕の聖剣で動きが鈍い左側を狙って斬りかかれば、ミディールと名付けられた武装は2本のレールを合体させる。

 近接戦対応だと!? メイデンハーツも頑丈であるが、ミディールのレールも大した強度だ。紫雷を纏わせることで攻撃力を高めているのだろう。月蝕の聖剣の一撃を受け止めるどころか、逆に刺剣の如く振るって突き刺そうとして来る。

 左肩にミディールが突き刺さり、キリトは顔を歪める。だが、このまま斬りかかろうとして、月蝕の聖剣が警告するように輝き、即座に大きく跳んで退く。

 強烈な紫雷がレールを迸る。まるで傷口を広げるように合体していたレールは再び乖離しており、あのままでは膨大な紫雷を体内に撃ち込まれていただろう。

 左肩周辺が爆ぜて吹き飛ぶイメージが脳裏を巡り、キリトは青ざめる。ようやくわかってきたが、クゥリの武装を開発した人物は遠慮や配慮というものがまるで存在しない。クゥリの為に存在する武器というよりも、クゥリがとんでもなく扱い難い『破壊兵器』を御していると言った方が正しいだろう。

 

「……奇妙だな。反応速度? 予測? 直感? いずれも違う避け方だ。オマエに『何』が警告した? 興味深いな」

 

 あ、クーの悪い癖が出始めた。ぺろりと唇を舐めたクゥリは明らかにサディスティックな恍惚とした表情である。特殊な性癖……俗にマゾと呼ばれる人々ならば、歓喜と共に平伏することを切望する程に、嬉々と愛らしくも美しい顔を歪めている。

 

(う、うわぁ……久々にクーのこの顔を見たな。ちょっとまずいかもな)

 

 キリトは重々承知している。クゥリは真性のサディストだ。相手を苦しめ、痛めつけ、傷つける事を得意とし、また本人も口振りの割には乗り気だ。そして、それは彼の好奇心と結びつきやすい。字面だけならば、どう考えてもマッドサイエンティストなのであるが、最悪なのは彼自身が極めて高い戦闘能力を持っている点だ。

 クゥリは戦闘中でも好奇心旺盛だ。一見すれば仏頂面であるが、SAOでもフロア・ボスとの戦いの最中にぼそりと呟くように、死人が出るような戦いで何を考えているんだとツッコミを入れたい発言が飛び出していた。

 そして、好奇心はそのまま武器でもある。クゥリは『どうでもいい』と即座に切り捨てるが、戦闘中には常に相手を分析している。直感を用いたワイルドスタイルと見せかけて、正確に相手の攻撃・防御・能力を分析し、戦術を組み立て、確実に息の根を止める。

 誰かが言った。『【渡り鳥】と「2度目」の戦いは絶対に避けろ』と。その根拠とは彼が2度目の戦いの時には相手を確実に殺害するべく策と準備を済ませているからだ。たとえ、1度目は優勢を取れても、2度目は必ず仕留められてしまうという諦観の教訓である。

 

(でも、俺は1度目だし何とかなるかもな)

 

 だが、ここに来てキリトという男は楽観する。両目が危うく日蝕の魔剣で抉り吹き飛ばされかけたというのに、楽観視できる強かさを持つ。

 デュエルはアインクラッドで腐るほどやったが、本気でぶつかり合うのはこれが初めてだ。勝たねば死ぬのだ。ならば、この1回限りに全てを注ぎ込むまでである。

 ならばこその楽観。自らの生を諦めず、前進し、戦い抜くという『覚悟』があるからこその平静。故にキリトは恐れない。あくまで眼前の強敵を『バケモノ』としてではなく『友』として見据えることに揺るがない。

 

「速度が少々厄介だな。方法は幾つかあるが、丁度いい。『限定解除』」

 

 途端にクゥリが『消える』。そう思うほどのスピードを手にする。

 背後を取られた瞬間から迫る日蝕突き。命中すれば脊椎を破壊して腹に大穴が開いていただろう。一切の容赦がない攻撃である。加えて左手はミディールから日蝕の魔剣に切り替えられており、右手は贄姫である。

 二刀流には二刀流を。キリトはメイデンハーツを黒騎士ブレードに切り替え、月蝕の聖剣と交差させて構える。

 クゥリの四肢は異形に変じていた。金属とは異なる硬質感ある光沢を持った白い何かに覆われていた。

 それはまさしくケダモノの四肢。白い籠手の指先は鋭利な爪を備えている。ブーツも具足に変じ、まるで地面を捉えるかのように爪を備えていた。

 

「獣血侵蝕」

 

 それだけではない。白い表面に緋血の血管模様が生じる。否、実際に緋血が張り巡らされ、変質を促すかのように『侵蝕』しているのだ。

 

「獣血覚醒『血獣の魔爪』」

 

 特に異形なのは左腕だ。肘から先は緋血によって完全に覆い尽くされ、受肉したかのように禍々しく脈動した剛爪を備える。まさしく血獣の左手は魔剣を握るに相応しい姿だった。

 

「デーモンの息吹」

 

 それは焔火。赤き熱風だけを残す加速能力だ。スローネの雷にも劣らない。クゥリ自身のDEXが元より上回っていたならば、スローネで覆していたスピード勝負は再び上回られることになった。

 似通った装備は偶然か? いいや、必然だ。防具によるプレイヤーの攻撃的強化はDBOにおける開発最前線だ。クゥリの専属が伝説の鍛冶屋GRと呼ばれるHENTAIの1角であるならば、当然として組み込まれているべきだ。

 だが、それを差し引いても異常。可動性を重視した丈夫さと柔軟性を重視したはずのクゥリのグローブとブーツは、今や異形の四肢と化している。『プレイヤーと同化』させることで能力、防御力、可動性の獲得にしてこうしたのだ。

 やはりクゥリの異常性を際立たせる原因の1つは、間違いなく伝説の鍛冶屋GRにある。思えばクゥリは昔から武器に頓着しなかった。あれこれリズベットに注文をつけていた自分とは違い、それこそ相手の言い値のままに適当に武器を見繕っていた。

 

『どうせ壊す』

 

 キリトが自分の専属に武器を作らせようかと提案すれば、その一言で両断されたものである。クゥリはまるで武器を使い潰すような戦い方を好む。自分について来れないならば屑となって散れと言わんばかりだ。そして、だからこそ多量の武器を保有し、いざとなれば格闘戦だけでも切り抜ける。

 キリトも他人の事を言えないような性能のメイデンハーツと月蝕の聖剣であるが、聖剣は聖剣の一言で尽き、メイデンハーツはキリト用として開発・チューニングが徹底的に施されている。対してやはりクゥリの武器は使用者への配慮がまるで見られなかった。

 ユージーンの鎧とは真逆。自らの技術力に余すことなき自信を持つからこその暴走が垣間見える。故に恐るべきは使いこなすクゥリの方である。

 雷の黄金と焔火の赤が絡み合い、今再び月蝕と日蝕は激突する。だが、そこに織り交ぜられるのは贄姫という切断兵器。繰り出される斬撃はまともに浴びれば、それだけでアバター損壊にまで至る傷を負わせ、下手に受ければ四肢すらも軽々と両断される。

 なおかつ刀身表面の水銀コーティングだ。薄い水銀の膜はカタナとは思えぬ防御性能を付与している。水銀の膜のせいで刃毀れ1つしないのだ。

 逆に言えば、水銀コーティングさえ剥ぐことができれば、贄姫は折れる。スピード対決で圧倒されてもパワーは負けていない。日蝕の魔剣は≪剛力≫で片手で振るっている限り、どうしても剣速は最高には到達しないはずだ。たとえ運動速度に秀でたクゥリであっても、ゲームシステムがもたらす武器のブレーキングは無視できない。だからこそ、軽量かつ高威力、高殺傷能力の贄姫が際立つ。

 スローネは最低燃費で発動できたが、それでも消耗は免れない。早期決着しなければスタミナ切れだ。だが、クゥリにまるで近付けない。

 血刃と日蝕光波を合わせた連撃。まさしく剣舞であり、血刃と日蝕光波は広範囲に斬撃と破壊をもたらす。

 だが、クゥリとて無限に血刃と日蝕光波を使えるわけではない。彼とて限界があるはずなのだ。

 と、そこでクゥリがステップで後退する。キリトは迷わず追うが、言い知れない悪寒を覚える。

 

 

 

 

 

 追撃したキリトが見たのはまさしく『蜘蛛の巣』だった。生きたまま、四肢を砕かれ、ワイヤーで『縫い合わされて』宙に吊るされた『餌』だった。

 

 

 

 

 

 口を縫われ、泣き叫ぶことも出来ず、鼻だけで呼吸を許されたクラウドアースの武装をした女性プレイヤーだった。

 

「や、止め――」

 

 その内の1人の喉を掴んだクゥリは、出会った広場の時と同様に青いエネルギーを体内から奪い取り、更にそのまま左手の魔爪で握り潰し、絶命と共にもたらされる多量の血液を浴びる。キリトが制止する暇もなく、あっさりと補給を済ませたクゥリは返り血を浴びた姿で嬉々と継戦を望む。

 騙されるな。これはクゥリの戦術だ。補給と動揺を誘う手だ。だが、キリトに湧き出すのは後悔だった。もっと早くに決着を付けていたならば、もはや戦意など欠片もなかった彼女は救えたのではないだろうか?

 

 

『心は熱く、思考はクールに』

 

 

 そうだ。その通りだ、スグ! キリトはDBOという最悪の世界で再会した妹の言葉を思い返す。

 後悔など生きていれば、この場を生きて戦い抜けば好きなだけ出来る。だから、今は戦え。全力を尽くせ。ラストサンクチュアリの1000人が生き延びる時間を稼ぐ為に、眼前の最強の敵にして最愛の友に勝つのだ!

 

「俺は……戦う!」

 

 殺すな。そんな甘い発言はクゥリに届かない。彼は常に殺し続けて今日ここにいる。キリトも少なからず手を血で赤く染めている。約束の塔では剣鬼に堕ちかけた挙句に多くの人を斬殺した。

 いつか罪と後悔に追いつかれて眠れぬ夜が来たとしても、それでも『独り』じゃない。キリトは今この瞬間もラストサンクチュアリを逃がす為に尽力するシリカを思い出す。彼女がどんな時も傍にいてくれたからこそ、最悪の場面でも踏み止まれる心の楔を残すことができた。

 キバオウにしてもそうだ。SAOで悪徳に溺れた彼がDBOでは貧者の守護の為に駆け回った。こんな結果になってしまったとしても、彼の歩みが無駄だったとは思わない。少なくともキリトは救われた。彼のお陰でDBOのデスゲーム化を見逃したという罪から目を逸らすことができた。たとえ欺瞞の日々だったとしても、あの時間があったからこそ、自分の魂の叫びにも気づける足掛かりを得られた。

 

「キミのやり方は知っている。俺の心を折ろうとしても無駄だ。『キミがいたから』オレは戦えるんだ。どれだけ後悔しても、この瞬間を戦えるんだ!」

 

「……そうか。相変わらずだな、キリト。本当に……優しくて……格好良くて……良いヤツだよ」

 

 それでも殺すがな。クーは言葉にせずとも呟いた。

 そうだ。仕事に手抜きはしない。それがクゥリだ。ならばキリトも自分を貫くまでだ。

 ガス欠になるまでスローネの雷を絶やさない! キリトは黒騎士ブレードの横薙ぎの誘導からの聖剣の刺突、続く2つの刃を並列した重ね斬りで畳みかける。だが、クゥリは熱風の加速も追加されたソードスキル込みの加速ステップでもはやキリトに捉えさせない。

 贄姫による斬撃から続く魔剣の連撃。加わるのは蹴りを主体とした格闘術であり、応対するキリトの月蝕突きをあろうことか『踏みつけて逸らす』。

 

「遅いんだよ。溜めが長い攻撃はこんな風に使う」

 

 上体を捩じりながら繰り出される魔剣の突き。そこに【磔刑】に類似した、何かを発動させるモーションを感じ取ったキリトはギリギリで身を捩じる。

 危うく腹を刺し貫くはずだった魔剣は、だが脇腹を掠めるだけであった。

 

 

 

「【瀉血】」

 

 

 

 だが、わざと躱せることまでがクゥリの罠だった。わざとらしく挑発する発言も誘導だ。魔剣の突きはキリトの背後の支柱を貫き、そして内部から光槍を四方八方に突き出した。本来は相手の体内から攻撃するおぞましき能力を、敢えて追い込んだ背後の支柱に発動させることで、【磔刑】の如く突き出す光槍をキリトに命中させたのだ。

 

 

「がっ……!?」

 

 腹を2本、胸部を3本、左二の腕を2本の光槍が刺し貫く。対象の内部からハリネズミ状態にさせる【瀉血】は、【磔刑】に比べれば突き出した後の攻撃は弱いらしく、ダメージは低めであるが、キリトは光槍に貫かれて拘束される。

 クゥリは魔剣を手放し、両手で贄姫を振りかぶる。狙うのはただ1つ、キリトの首だ。それも左腕が拘束されて黒騎士ブレードが扱えない左側から攻撃を仕掛けようとしている。

 聖剣は間に合わない。光槍に拘束されてスローネの雷もゼロ・モーションシフトも効果を発揮しない。完全に捕まった。

 

 死をもたらす一閃は欠片の躊躇もなく振るわれ、キリトの首に潜り込んだ。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 ここは何処だ? ユージーンが瞼を開いて最初に見たのは、野営テントの殺風景な天井だった。

 全身に止血包帯が巻かれ、左腕にはギブスが嵌められている。筋骨隆々の上半身は余すことなく傷だらけであるが、HPは回復されたらしく、生命の危機は脱している。

 そうだ。オレは負けたのだった。ユージーンは悔しさで唇を噛み、だが正々堂々と戦った末の敗北だと受け入れる。

 ランク1は形骸化した。もはやユージーンがその称号を名乗ったところで『英雄』にはなれない。そうだとしても彼の戦いは終わらない。

 だが、何にしてもしばらくは今までの態度に相応しい嘲りは免れないだろう。だが、それも実力ですぐにでも払拭できるという自信があった。

 

「なん……だ? 騒が……しい」

 

 水没した自分を救出したのはエイミーだろう。だが、彼女の姿は何処にもない。それどころか、救難テントだろう彼が横になるベッドが安置された空間は全くの無人だった。

 いいや、違う。どうして気づけなかったのか分からない程に、異質の存在感がまるで看病でもするかのように傍らにいた。

 

「目覚めたのですね、ランク1様」

 

 パイプ椅子などあまりにも失礼。ユージーンにそう思わせるにたる慈悲なる微笑みを浮かべるのは、虹色のグラデーション変化を常に起こす不可思議な髪をした、まるで耳のように跳ねた側頭部の癖毛が特徴的な美少女だった。

 知っている。アルヴヘイムにて、巨大レギオン崩落の時に影の力で救出してくれた少女だ。その後の情報のすり合わせでレギオンであると確定し、ユグドラシル城の門前では自分を救った影の力で多くの兵を束縛した。だが、決して殺すことはなかった、心優しきレギオンだ。

 

「貴様は……!」

 

「無理に体を動かしてはいけません。HPは回復しているとしても、心意の疲労とダメージフィードバックはランク1様を消耗させています」

 

「オレを……ランク1と……呼ぶな。もはや、その称号は……オレに相応しくない」

 

「では、何とお呼びすればよろしいでしょうか?」

 

「……ユージーン。ただのユージーンで……構わん」

 

「ユージーン様ですね。かしこまりました」

 

 嬉しそうに笑む姿はDBOのいかなる人間よりも温かみと優しさに溢れていた。レギオンであると信じられない程に心を許してしまいそうな程に、まるで敵意も悪意も戦意も感じさせない。

 

「レギオンが……どうして、ここにいる? オレを……嗤いに……来たのか?」

 

「嗤われるような、恥ずべき戦いをしたとユージーン様はお思いなのですか?」

 

「……愚弄するな。オレは全力を尽くし、奴も応えた! オレは……ぐっ!?」

 

「申し訳ありません。余りにも非礼な問いかけでした。どうかお許しを」

 

 全身の傷が疼いて呻くユージーンを労わるように、彼の潰れた左腕を優しきレギオンは両手で覆う。

 

「申し遅れました。私の名はグングニル。我らの王より『慈悲』の因子を受け継いだレギオンです」

 

「『慈悲』を……受け継いだ、だと?」

 

「はい。私は陛下の『慈悲』の因子を継ぎ、また私は『私の慈悲』を陛下より認められました。私はレギオンでも幸せ者です」

 

 心より誉れであると言わんばかりに笑むグングニルにとって、レギオンの王とは特別な存在なのだろう。

 プレイヤーにとって怨敵であり、最大の脅威であり、決して相容れない怪物。それがレギオンだ。だが、グングニルと語らうとユージーンはそれが間違いなのではないかと疑いたくなってしまう。だが、サクヤの死を思い出し、レギオンそのものが害悪であるという判断に誤りはないとグングニルを睨む。

 

「では、その『慈悲』とやらで……敗者たるオレを……殺すのだな?」

 

「え? どうしてそのような事をしなければならないのですか? いつだってユージーン様は立派に戦われました。我らレギオンもユージーン様の戦いに『人』とは何たるかと見せつけられました。レギオン・タイラントとの戦いも、此度の決闘も、ユージーン様は決して揺るがぬ『人』の在り方を輝かしく示されました。ならばこそ、レギオンを代表して最大の敬意を」

 

 自らの膝を地面について両手を組んで祈りを捧げるかの如く全身で敬意を示すグングニルに、ユージーンは猛烈に己を恥じた。彼女を害悪なレギオンであると罵る自分の愚かさを見た。

 

「……ユージーン様は間違っておりません。我らレギオンは人類の敵。そこに誤りはありません」

 

「心が読める……のか?」

 

「今のユージーン様の表情を見れば、誰だって悟りますよ」

 

 そうか。今のオレには表情を隠す余裕すらもないのか。ユージーンは深い溜め息を吐く。

 

「先程から……外が……騒がしい。何が……あった?」

 

「ラストサンクチュアリ壊滅作戦……第2幕です」

 

「どういう……ことだ?」

 

 体を起き上がらせたユージーンは、自分に比べれば余りにも華奢で小柄なグングニルに支えられながら野営テントの外に出る。

 ユージーンの目が見たのは、闇夜に黒煙を立ち昇らせ、炎に舐められ、崩落していくラストサンクチュアリ拠点の無惨な姿だ。完全崩壊にはまだ至っていないようであるが、もはや時間の問題だろう。

 また、白の都を中心に有する巨大湖の周辺もまた混沌としていた。クラウドアースと聖剣騎士団双方のアームズフォートは激突し合った挙句に砲台を全て破壊されて沈黙し、また太陽の狩猟団と教会が合同で続々と逃げ出してきたラストサンクチュアリ避難民を救助していた。

 

「説明しろ。このオレとUNKNOWNの戦いの後に……何があった!?」

 

 ユージーンの怒りで震える声に、グングニルは悲しみを隠せぬ表情で俯くと語り始める。

 クラウドアース側からの砲撃、ラストサンクチュアリの反撃、その後の苛烈な応戦と聖剣騎士団の参戦。続々と爆破されていく白の都と避難もままならなかったラストサンクチュアリの貧民プレイヤー。そして、流星の如く出現した1人の傭兵によってアームズフォート部隊は爆撃され、白の都では推定クラウドアース部隊と守備隊が皆殺しにされ、今は殺戮の実行犯であるランク42の【渡り鳥】とついに仮面を脱ぎ捨てたランク9のUNKNOWN……いいや、キリトによる戦いが生中継されていた。

 もはやランク1VSランク9の決闘など遥か遠い昔の些事のようではないか。人々は【渡り鳥】という厄災に挑む【黒の剣士】キリトの戦いを応援している。

 

「オレは……オレは……オレの戦いは……何の意味が……あった?」

 

 負ければ何も残らない。それが敗者の常であるとしても、あまりにも空虚ではないか。

 たとえ敗者であるとしても語り継がれる戦いは出来たはずだ。だが、悲劇の前座に成り果てた。

 

「何もない。オレの戦いは……無意味だった」

 

 それどころか、悲劇を際立たせる茶番劇だった。

 いいや、違う。最初からそうだったのだ。ランク1VSランク9は、勝敗など関係なくラストサンクチュアリ壊滅をもたらす茶番劇だった。プレイヤーを決闘の熱狂で真実から誤魔化すエンターテイメントだった。

 ならば、これは当然の結果なのだ。あの戦いには何の意味も価値もないのだ。

 

 

「あの戦いに意味も価値も与えるのは他の誰でもありません。ユージーン様です」

 

 

 両膝をついて項垂れたユージーンに寄り添うグングニルは、彼の震える……形を残した右手を優しく両手で包み込む。

 温かい。人肌の柔らかな温もりのみならず、ユージーンがこれまで得たことがない優しさに満ちている。まさしく天より降り注ぐ慈悲のようだった。

 

「ユージーン様は誇り高く、全身全霊をかけて、『ランク1』という『英雄』の称号に相応しい豪傑として戦い抜きました。たとえ、結果として敗者となり、『ランク1』という称号から価値が失われようとも、ユージーン様はきっと『英雄』です。少なくとも、『彼女』にとって……ユージーン様は最初から最後まで『英雄』だったはずです」

 

 グングニルが目を向けるのは、テントに残された刀身の半ばより折れた妖精王剣サクヤだ。愛する彼女の名を冠し、決闘で砕け散ったユージーンの『力』だ。

 修復は極めて難しいだろう。破損した武具の素材化に秀でていると噂の伝説の鍛冶屋GRならば新生させることも可能かもしれないが、鎧共々並の工房ではゴミ箱行きだ。

 だが、大事なのは魂だ。剣に籠めた祈りなのだ。ユージーンは震える足で……満足に歩くことも出来ない足で……だが確かに自分だけで歩いて愛剣の元に向かい、そして動く右手で拾い上げる。

 

「……ユージーン様が望まれるならば、私はこの首を差し出しましょう」

 

「要らん。サクヤを殺したのはレギオンだとしても、貴様は違う。貴様はレギオンではあるが……オレの知る残虐なレギオンではない」

 

「レギオンは群体にして最強の個を頂く種族。レギオンにあるのは総意のみ」

 

「だから、サクヤがレギオン化で苦しんだならば、自分がその責めを負う……と? 自惚れるな。貴様は『貴様』だ。それ以上でも以下でもない」

 

 ユージーンの切り返しにグングニルは大きく目を見開き、嬉しそうに涙をその手で拭い取った。

 

「レギオンは殺さねばならない種族なのだろう。人類の敵である限りな。だが、オレは自分の敵を自分で選ぶ。だから貴様に敵討ちの刃を向けるなど御免だ」

 

 ユージーンは改めて折れた妖精王剣サクヤを見つめる。

 自分に『ランク1』としての生き方を示してくれた、愛する女を思い返し、ここで項垂れるなどそれこそ助走をつけて顔面を殴り飛ばされるだろうとユージーンは苦笑する。

 あの戦いに意味と価値を与えるのはユージーン自身だ。そして、今まさに決闘の末に『英雄』として『バケモノ』に挑む男がいる。

 いいや、『バケモノ』ではないのだろう。あれもまた哀れな傭兵なのだ。いずれの策謀かは知らないが、彼はサクヤを殺してくれた。魂の尊厳を守ってくれた。ユージーンには出来なかった死の救済をもたらした。

 だからこそ、『バケモノ』退治ではなく、自分を下した勝者に……『英雄』であることを宿命づけられた男に敗者として報いることを願う。

 

「……私がユージーン様の元に遣わされたのは母上の指示です」

 

「マザーレギオンの……か。そうなるとろくでもない事なのだろうな」

 

「そうかもしれません。ですが、私は母上の命令だけではなく、我が身に宿る『慈悲』の因子に誓い、『私の意思』でご提案申し上げます。それもまたレギオンの総意となるとしても、私は『私』として……!」

 

 恭しく、まるで『英雄』に祝福を施す聖女の如く跪いたグングニルに、レギオンの企みに乗るのではなくグングニルの言葉を信じるべくユージーンは耳を傾ける。

 

「今、剣士様は窮地に立たされています。このままでは絶対に勝てません。ですが、ユージーン様ならば助けられます」

 

「オレに戦うだけの余力は……この通り……残っていない」

 

 今にも倒れそうなユージーンでは、戦うどころか、湖を渡ることさえも出来ない。たとえ動けても2人の決着が先だろう。

 

「剣士様は……とても『人』らしい御方なのです。間違えては苦しんで、正そうとして失敗して、それでも、それでも、それでもと心折れてもまた立ち上がって前に進む。そんな御方だからこそ、勝者として敗者の信念も、願望も、理想も、矜持も背負えないと申されるのでしょうね。そうだとしても、戦えた事と勝てた事だけは誇りに思うと胸に抱くのでしょうね」

 

「敗者の全てを……背負えぬ……軟弱者が。だが、それこそ……奴らしい……か」

 

「あの戦いを誇りに思い、今も戦う剣士様は……まるで『ランク1のユージーン様』のようです。強大な敵だと分かっていても……威風堂々と我が身を奮い立たせて戦う。臆することなく踏み込んでいく。その姿にはきっと……きっと人々は剣士様の背中にユージーン様も見出すはずです」

 

「背負えずとも受け継いだ……か。オレ以上に傲慢な奴だ」

 

「そこれこそが『継承』なのでしょうね。そして、継承とは一方通行では成り立ちません。受け継ぐ者と託す者が不可欠です」

 

 だからこそ、あの戦いに意味と価値を与えるのは己なのだ。ユージーン自身なのだ。他の誰かの評価ではなく、キリトですらもなく、敗者たるユージーンだけなのだ。

 目を閉ざせば感じる。これは何だろうか? そうだ……まるで闇を照らすような月光だ。

 導きの月光だ。ユージーンは月明かりに向かって走り、手を伸ばそうとして、だが闇の中にサクヤの姿を見る。

 月光に手を伸ばす。それがお前の望んだ在り方なのか? そう馬鹿にするように笑っている。最高にサクヤらしい笑みだ。

 だからユージーンも鼻で笑ってやるのだ。オレは月光に手を伸ばさない。オレは月明かりを必要とするあの男に託すのだ。

 闇の中にサクヤが消えていく。これで本当にお別れだと告げるように。

 さらばだ、愛しき人よ。ユージーンはサクヤと出会えた運命に、僅かな時でも心が通じ合った幸福に、彼女を失った悲哀に、再起を誓った奮起に、永遠でありたいと望んだ愛に別れを告げる。

 新たな出発を迎えたユージーンはだからこそ自分に出来ることを明確に理解した。

 敗者として散った『ランク1のユージーン』としての在り方を継承してくれたキリトに報いるのだ。

 

 

 

「存分に使え。何1つ背負えずともオレの魂を受け継ぐならば……!」

 

 

▽     ▽     ▽

 

 

 首筋に食い込んだ死の刃は『止まる』。

 クゥリが直前で力を緩めたからではない。じわじわと嬲る為でもない。真逆から押し返す力によって贄姫の刀身は進むことを拒まれたからだ。

 

「これは……?」

 

「聞こえた……聞こえた……んだ」

 

「何?」

 

「ユージーンの声が……聞こえたんだ!」

 

「…………っ!?」

 

 光槍が消えて解放されたキリトは黒騎士モードを解除してエスト弾で回復を済ます。対するクゥリは焔火で加速しながら距離を取る。

 キリトを死の間際から救ったのは『自分自身』だった。

 正確に言えば、まるで人形のように輪郭だけ模した自身の黒き幻影だった。右手に月蝕の聖剣と同じフォルムをした幻影の剣を有していた。

 自分でも何が起こっているか分からない。だが、自分を模した黒の幻影は再び自身の中に消える。同時に心意特有の反動が脳を揺さぶる。

 

「ユージーンの心意……なのか? 俺が……ユージーンの心意を……」

 

 彼が決闘の最中に覚醒し、持てる全てをぶつけてくれた証だ。

 死が迫る間際に聞こえたのはユージーンの声だった。そして、見えたのは隠されたはずの月光だった。

 月蝕の聖剣に月明かりは宿っていない。それでも確かに聞こえたユージーンの咆哮。それと共に一瞬だが意識を月光が駆け巡り、キリトはユージーンの心意を使う事が出来ていた。

 理屈は分からない。だが、心は……魂は理解した。ユージーンは自分を認めてくれたのだ。だからこそ託してくれたのだ。受け継がせてくれたのだ。『人の持つ意思の力』が明確に形を成す魂の到達点……心意の能力を!

 力が漲る。まだ戦える! キリトは黄金の雷と共に駆けてクゥリに接近する。

 心意発動。キリトから分裂するように3体の黒の幻影が生じる。それぞれがどのように動くのかキリトには把握できた。それぞれにどのような行動を取るのかも手に取るように分かるほどにリンクしていた。3体の幻影はそれぞれがキリトであった。

 

「……くっ!?」

 

 それぞれの幻影キリトが繰り出す月蝕光波にクゥリは咄嗟に跳んで身を翻す。恐るべき回避能力であるが、あのクゥリが明確に表情を変化させて全力で回避に徹する程の攻撃は、彼の恐るべき先読みを覆したかにも見えた。それでも対応しきるのは、彼が自らの直感に頼らず戦えるからだ。

 心意が昂る。それに応じてステータスが引き上げられていくのを感じる。高出力化で至れていない領域へとバフという形で心意が強化してくれている。

 日蝕光波の連撃。だが、見える。心意を発動した事によって高負荷とは対照的に意識はクリアだった。それが今まで以上に鮮明に仮想世界の情報を捉えさせる。キリトに容易に日蝕光波を潜り抜けさせる。

 再接近して月蝕の聖剣を振るう。だが、クゥリは既に立て直している。冷静に贄姫で受け流し、そのまま魔剣の突きに派生させる。

 

 だが、キリトは『翼』で魔剣を受け流し、月蝕の奔流を纏った一閃が再び最強の友に届く。

 

 胸が浅く裂けて血が零れる。明確にクゥリのHPが減少する。浅いが確かに入った攻撃だ。

 デーモン化発動。コートは竜鱗に覆われて半ば肉体と一体化し、黒髪が後ろに撫でつけるように逆立つ様はまるで逆鱗のようだった。首も不鮮明ながら肌と同色の竜鱗に覆われ、四肢を覆うスローネもまた竜の強固な外殻となったかのように肉体と同化している。

 かつてとはまた異なる、四肢を除けば月蝕の聖剣にも似た漆黒の竜鱗。デーモン化こそが最も心意の影響を受けるならば、彼の姿は新たな1歩の証左でもあった。

 背中には大型の竜翼とその下に小型の補助翼の2対。開かれる眼に座するのは、かつてアノールロンドがついに討ち取れなかった黒竜カラミットと同じく橙色に変じて淡く光る竜瞳だった。

 デーモン化能力、竜鱗の加護発動。剥離した竜鱗の輝きが自身を守る防御結界となる。キリトは呼吸を整え、最後の切り札であるデーモン化に新たなカードとして加わったユージーンの心意を携えて、白の傭兵に決戦を挑む。

 

「また先読みを……だが、これは……」

 

 訝しむクゥリに分析の暇は与えない。キリトはスローネの雷と竜翼を加速を用いて白き傭兵に肉薄する。デーモン化の強化も合わさり、再びスピード勝負で互角以上に持ち込むことを可能とする!

 クゥリは魔剣を鞭に変形させる。まずは竜鱗の加護の性質を分析するつもりなのだろう。だが、キリトは冷静にリカバリーブロッキングを決めていく。乱雑に思えて、その実は正確無比にこちらを仕留めようと襲い掛かる光鞭を迎撃し続ける。

 リカバリーブロッキングに成功した分だけスタミナは回復する。クゥリは目を細め、魔剣に形状を戻すと背負い、左手にミディールを装備する。余りにも流麗で無駄がなく、刹那の見落としでもクゥリが武器を切り替えたことに気づけないだろう。だが、今のキリトに全てを捉えることができていた。

 飛来する紫雷弾はまさしく紫の雷撃だ。プラズマ弾としての雷爆発を生み出す性質でありながら高速で射出されている。

 見切れ。直撃コースと闇雷爆発による削り狙いを見極めろ。竜翼という人間には本来ない部位を随意操作で生まれ持っているかのように御し、キリトはトップスピードを維持したまま、滑空も織り交ぜて紫雷弾を突破する。

 それを見越した贄姫の一閃。だが、竜翼で受け流す。刃が立たねばカタナの威力は発揮されない。片手剣と同格……いいや、脆さも合わせればそれ以下だ。

 ミディールを近接モードにした薙ぎ払いから続く贄姫を逆手持ちにした胴狙い。だが、メイデンハーツを挟み込ませて防ぐ。贄姫の斬撃を真っ向から受け止め、だが決して刃を彼に届かせない。

 メイデンハーツは近接戦においてもそう簡単には破損しない『仕組み』をマユが施している。たとえ最高峰の切断力を誇る贄姫であってもメイデンハーツをただの攻撃で切断することは出来なかった。

 だが、クゥリは動じない。一撃で足りぬならば連撃だ。血刃を放つ間合いを伸ばした攻撃であるが、キリトはその全てを月蝕の聖剣で迎撃する。間合いに入り込み、本物の刀身と相対すれば伸ばす間合いなど無意味だ。むしろクゥリの消耗が増すだけだ。

 押し込め! 押し切れ! これを逃したら次はない! 逃がしてなるものか! 体勢を立て直させるな! 攻撃を重ね続けて潰せ! キリトは竜の如き咆哮と共に聖剣を振るう!

 ステップによる回り込みを竜翼を最大限に伸ばして妨害する。クゥリのステップ回避の最大の脅威はこちらの動きとリンクさせてくる点だ。驚異的な加速を用いながら、こちらの動きに合わせて死角に潜り込んで来る。

 隠密ボーナスが高まる加速ステップにも騙されない。フォーカスロックを外さない!

 キリトが明確に目で追っていることを察知したクゥリは次々と投げナイフを飛ばす。

 達人という域すらも超えた正確無比の投げナイフの投擲。陽動と本命を絡めている。だが、竜鱗に覆われたキリトのコートを刺し貫くには威力と貫通性能が足りない。刺突攻撃の常として穿てねば威力は激減する。

 ミディールを腰に差し、再び左手で日蝕の魔剣を抜こうとするが、キリトの銃撃がそれより早く差し込まれる。クゥリは咄嗟に贄姫で銃撃を全て弾くが、その瞬間を狙ってゼロ・モーションシフトで接近した斬撃を許す。

 日蝕の魔剣がクゥリの手から大きく弾き飛ばされ、彼の背後に突き刺さる。クゥリの得意とするわざと隙をさらした『誘い』ではない。月蝕を纏った斬撃が魔剣を握る指を狙い、切断されるリスクを回避するために手放すしかなかったのだ。普段のクゥリならば巧みな指の動きで防御どころか受け流して反撃してくるかもしれないが、左手の不自由がここで鎌首を持ち上げた。

 クゥリのVR適性は低い。左腕の不自由を庇うような動きが明らかに増えている。何かしらの障害を抱えているのかもしれない。だが、弱点を突かないなど逆にクゥリへの非礼だ。彼はどうして狙わないと平然と罵倒と軽蔑を吐くだろう。

 だから迷わない。キリトは自分の全てをこの戦いに注ぎ込む。対するクゥリは贄姫を納刀して居合の構えを取る。

 血刃居合。足を狙った攻撃を跳んで躱し、そのまま竜翼で滑空して距離を詰めようとする。だが、キリトが見たのは眼前に迫る投げナイフだった。血刃居合の回避ルートを正確に呼んだクゥリの2段構えだ。血刃居合の圧迫感でキリトの判断を誘導したのだ。

 だが、投げナイフはキリトの頬を掠める。首と同様に皮膚と同色かつ目立たない竜鱗によって覆われている。防具やスローネと同化した竜鱗に比べれば脆弱であるが、それでも投げナイフでは刺し貫けない。ましてや、クゥリが投擲に用いたのは左手だ。本来は最も脆い眼球を狙ったのだろう。しかし、左手の精度が落ちて狙いきれていなかった。

 クゥリがハッキリと歯を剥き出しにする。眼球を刺し貫ければよし。そうでなくともキリトが1アクションを取れば次の手に繋げられると踏んでいたのだろう。だが、投げナイフの精度が落ちたことで狂ったのだ。

 スタミナ危険域。だがまだだ。まだ戦える。激しく点滅するアイコンは否応なく焦燥感をもたらすものであるが、キリトは冷静だった。

 キリトを支えるのは不屈の狂戦士の指輪だ。長期戦、連戦、消耗、窮地など死が迫るほどに性能を引き上げていく。ユージーンとの連戦のお陰で不屈の狂戦士の指輪は最高の第5段階に到達している。引き上げられる攻撃力、防御力、スタミナ回復速度は最大に高まっている。

 血刃居合で隙を晒したクゥリの胸を狙った聖剣の突き。だが、クゥリはむしろ踏み込みながら回避してくる。魔爪と化した左手でキリトの顔面を狙う。

 クゥリの残虐ファイトの象徴。相手の顔面を掴んで引き摺り回り、叩きつけ、潰す、技とも呼べぬ、獰猛な肉食獣のような攻撃を想起する。それを魔爪で繰り出されたならば、大ダメージは避けられない。

 竜翼を用いた後退が紙一重で魔爪を躱すが、左側頭部を強烈な衝撃が襲う。魔爪の回避を予測したクゥリの蹴りだ。揺さぶられたキリトは体勢を崩しそうになるが、続く踵落としから派生する贄姫の突きは首筋を掠めるに止める。

 否、ただの突きであらず。そこから更に薙ぎ払いに派生させて頸部切断を狙われる。ブリッジする勢いで上半身を逸らして死の刃を躱せば、足下からバランスが奪われる。クゥリは足払いをして転倒させたのだ。

 背中から地面に倒れたクゥリは逆手で贄姫を持ち、一切の躊躇いなくキリトの心臓を狙って剣先を振り下ろす。咄嗟に聖剣を割り込ませて防ぎ、メイデンハーツの銃口を向ける。

 強引に押し込もうとしていたクゥリはステップで距離を取り、その間にキリトは手を使わずに体を起こすと構え直すのも惜しいと駆ける。ひたすらに、我武者羅に、捨て身でクゥリに斬りかかる。

 あと数回で構わない! 残量スタミナの限りを月蝕ゲージの回復に回す。対するクゥリは再び納刀だ。血刃居合による大ダメージを……いいや、違う。クゥリと弾き飛ばされた日蝕の魔剣の距離が近い。

 これは偶然ではない。本来ならばファンブル状態の武器は再装備しなければ不可能だ。だが、不自然だ。クゥリがわざわざあのポジションをキープするのには何か理由があるのだ。

 それはクゥリの戦いを知るからこその絶対的な信頼。故にキリトは看破する。彼は手放した武器がファンブル状態にならない、≪二刀流≫のツイン=ワン・ソードに類似した能力があるのだ。このままキリトの突撃を誘発し、居合ではなく左手で魔剣を抜いて刺し貫くつもりなのだ。

 させるか! メイデンハーツの残弾僅かを示すアイコンの点滅に、もう無駄撃ちは出来ないと分かっていてもキリトは銃口を向ける。狙うのはクゥリの左手だ。

 たったそれだけでクゥリの動きが変化する。自分の狙いが読まれたと判断して切り替えた。本当はもう無駄撃ちできないキリトであるが、彼には残弾僅かだと読めていてもどれだけの余力が残されているか分からない。ならば当然として、読まれた攻撃は切り替えてくる。

 居合の構えのままクゥリはステップで距離を詰める。隠密ボーナスが高まる連続ステップでキリトの周囲を動き回る。まるで四方八方にクゥリがいるような感覚であるが、キリトは竜翼を大きく広げて意識を集中させる。

 空気の振動を捉えろ。より精密に知覚できるように『作り変えろ』! 心意で訴えかけ、負荷に奥歯を砕く勢いで噛み締めながら、キリトはかつての約束の塔で剣鬼に堕ちかけた自分を、決闘の内でデーモン化形態を変化させたユージーンを思い返す。

 デーモン化は最も心意の影響を受けやすいシステムだ。個人に合わせてカスタマイズされるからこそ無限にバリエーションが存在する。本人のスキル、ステータス、誓約、装備、個性、心境、本質を反映させる。

 竜翼を覆う鱗が開く。鱗に守られていない内部が露出するリスクと引き換えに面積を拡大させ、触覚を鋭敏化させ、クゥリが巻き起こす風を捉えるレーダーとなる。

 捉える……否、『捕らえる』。左斜め後方から斬りかかるクゥリに、全神経を集中させて居合に合わせてリカバリーブロッキングを決める。

 だが、恐るべきはクゥリだった。デーモン化形態の変化を見逃さず、即座にこちらを捉える能力を得たと判断していた。リカバリーブロッキングが与える高衝撃を巧みにカタナを操って逃がしきって手元から吹き飛ばされることを防ぐのみならず、更なる切り札を明かす。

 斬。右肩から左脇腹にかけて深々と裂くのは冷気と氷によって形成された大鎌。突如としてクゥリの左手に生じた冷気の大鎌は予想外であり、キリトのHPは削られる。

 だが、ギリギリで反応できた。本来ならば首を刈り取るはずだった一撃だった。鎌を消失させたクゥリが大きく跳び、宙で身を捩じりながら出現させたのは氷の弓だ。贄姫を咥え、続々と射出される氷の矢の精度と連射は尋常ではない。弓矢専門のシューターのお株を奪うようだ。

 竜翼で体を覆って盾にする。触覚強化の為に展開していた竜鱗を閉ざしきれておらず、氷の矢に貫かれ、なおかつ爆ぜて冷気を散らして傷口を抉ろうとする。だが竜翼の強度が勝る。これで一時的に竜翼による加速とバランス制御、滑空などが封じられたが、致死に至りかねない攻撃を防ぎきる。これも竜翼のダメージ自体はHPに影響しないお陰でもあった。その分だけ修復速度は極めて悪い。触覚強化の為に竜鱗を展開したことが裏目に出た。

 着地したクゥリは弓を横に構えて更に射る。これまでとは異なる剛なる矢であり、まるで大矢の如き威圧感が迫る。射られるより先にキリトはメイデンハーツを発砲していたが、射撃センスの低さからクゥリには掠りもせず、彼の背後に着弾する。

 ゼロ・モーションシフト、発動。ランスロットにも通じた自らの立ち位置を半歩分だけズラす技。抜きん出た力量があるからこそ決してブレない。素人よりも達人相手だからこそ効果を発揮する。

 だが、もう距離は詰めさせない。クゥリはミディール以上に得意とする射撃武器である氷の弓でキリトを仕留めるつもりだろうが、このまま嬲り殺されはしない。キリトはクゥリの背後に着弾した『結合弾』と銃口をソウルワイヤーで結ぶ。

 自身の踏み込み分も合わせた、縮むワイヤーの引っ張りも含めた高速移動からの斬撃。クゥリは氷の弓を手放して咄嗟に掴んだ右手の贄姫で受け流す。

 自分の射撃センスの悪さに救われた。本来ならばクゥリに着弾させ、ソウルワイヤーで結んで自分かクゥリを引っ張って斬撃を喰らわす予定だった。だが、あの完璧な受け流しだ。クゥリ自身に着弾していればカウンターの餌食になっていただろう。

 射撃技能が高くなかったお陰でクゥリの背後を取れた。エスト弾を撃ち込んでHPを回復させ、キリトは激しい頭痛が押し寄せる中で最後の攻防を仕掛ける。

 全身から分かたれたのは5体の幻影キリトだ。デーモン化する以前の通常状態がベースであるが、輪郭だけの黒き霊体はクゥリを囲み、それぞれが持つ剣に月蝕を迸らせる。

 月蝕ゲージを全て吐き出したクゥリを自身と幻影キリトで囲んで放つ月蝕光波。まさかの全方位から圧迫する攻撃である。

 

「……粗い!」

 

 だが、これもクゥリは軽々と最小限の動きで潜り抜ける。まるで、かつて似たような攻撃を経験したかのような動きだ。それだけではなく居合の構えを取り、自身から空間を揺らす波動を拡大させる。

 まだ……まだ手札を持っているというのか!? 月蝕ゲージの全てを吐き出したキリトに残っているのは、月蝕の聖剣の漆黒の刃を形成する分だけの月蝕エネルギーだ。刃を脆くさせるリスクを背負ってでも間合い外のクゥリを攻撃するにしても間に合わない。

 

「散れ」

 

 クゥリが抜刀した瞬間に波動が揺らした空間を緋血を投影したかのような幻刃が無数と暴れ回る。それはまさしく斬撃の結界だった。

 本来ならば為す術なく全身を十数のパーツに分割されていたはずのキリトは……五体満足だった。寸前で最も近くにいた幻影キリトが全力で彼を結界外に押し飛ばしたのだ。キリトの指示ではなく、自発的に彼を守ったのだ。

 頭痛……いいや、月光が意識に流れ込む。

 それは記憶、あるいは記録。剛剣の使い手にして、『ランク1』の誇りを抱いて戦い続けた剣士の思い出だ。

 アルヴヘイムの回廊都市の決戦だろう。ユージーンは巨大レギオンの地下で戦っていた。

 自分の勝利を信じて戦い、傷つき、散っていく者たち。彼らの死に様に誓いを立てる。必ず勝利すると、その屍を踏み越えていく。

 ユージーンの心意の本質は『数の暴力』であらず。『自分を信じて戦い、そして散っていった者への敬意であり、だからこそ彼らの魂と共にあらんとする勝利への執念』なのだ。

 カッコイイな。キリトは純粋に剣士として、戦士として、男として、ユージーンという男に感服する。彼はまさしく『ランク1』を背負うに相応しい豪傑であり、その在り方は誰がなんと言おうと『英雄』と呼ぶに相応しいのだ。

 だからこそ出現させた幻影は指示待ち人形などではなく、使用者の思考とリンクし、共に戦い、守り、散ることを選ぶ。勝利を求めて踏み込む者の為に!

 彼の心意を形作った大切な思い出だ。彼は自身の魂にも等しい心意能力を受け継がせてくれた。

 

「斬撃結界・壱式を……!?」

 

 クゥリにとって取って置きのカードだったのだろう。明らかに硬直時間が長い。発動すれば大きな隙を晒す大技だったのだ。その代償か、贄姫の刀身の溝を常に浸していた緋血が枯渇している。もう血刃は使用できない!

 キリトにとっても絶好のチャンスだったのは言うまでもない。だが、さすがに幻影キリトに投げ飛ばされている最中には攻撃に転じることができなかった。竜翼の破損さえなければ空中で体勢制御と制動をかけられたが、自身の判断で破損させてしまったのだ。ならばこそ生を噛み締めて、着地と同時に即座に攻勢に出る。

 

「おぉおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」

 

 叫ぶ。喉が裂ける程に叫ぶ。

 誰だって負けたくない。誰だって勝ちたい。誰だって、誰だって、誰だって……!

 ユージーンだって負けるわけにはいかなかった。それでもキリトは勝つことを選んだ。自分の勝利を優先した。そして、ユージーンは敗者の矜持として心意を受け継がせてくれた。だからこそ、たとえ友であろうとも、その刃がもたらすのは永遠の悔恨だとしても、キリトは勝利を得る為に踏み込んでいく。

 切り札が不発でもクゥリの目は変わらない。まるで蜘蛛のような無機質な殺意に浸されている。

 

『キミは恐ろしくないのか?』

 

『死ぬことか? 別に。「力」が及ばないなら死ぬ。それだけじゃねーか』

 

 死の恐怖を踏破する。それはSAOにおいて多くのプレイヤーにとって最初の関門として立ちはだかり、大多数は脱落する。デスゲームと化したDBOでも同様だろう。

 だが、クゥリにはそもそも死の恐怖などなかった。自分の生死にまるで無頓着だった。自己にまるで執着がなかった。キリト達とクゥリでは死地に飛び込む意味が違った。

 彼の目にはいつだって希望も絶望もなかった。だからこそ、いかなる苦境であろうとも決して心折れない。どれだけの強敵と大軍を前にしても冷静に立ち回れる。『死ねばそれまで』とHPが残り1ドットでも変わることなく戦える。

 キリトはクゥリの『力』を理想とした。恥ずべき過去であるが、それでもヒースクリフへの復讐の為には『力』こそが必要なのだと彼に憧れた。

 だが、過去も現在も……そして未来も一貫して言えることがある。

 キリトは嫌いだった。クゥリの希望も絶望もない眼が大嫌いであった。

 どうして自分を大切にしないのか。死の恐怖を踏破するのではなく、自分を消耗品のように扱えるのか。誰も望んでいない。求めていない。欲していない。

 キミには死に怯えて恐がる権利がある。俺だけじゃない。口が悪くてもシリカだってキミの戦いぶりをいつも心配していた。クラインが激怒して殴り掛かったのは1度や2度ではなかったはずだ。エギルにしても何度となくキミの窮地に割り込んできたはずだ。それでも……それでも……キミは我が身を顧みなかった。

 必要なことだったのだろう。キミの無謀にして捨て身に救われたこともまた両手の指の数でも足りないくらいにあった。だが……それでも怖がってほしかった。死に恐怖する程に、ちゃんと自分の価値を知ってほしかった。

 

 

 俺にとって、いつの間にかキミは最も大切な友人になっていたんだ。

 

 

 ああ、だからなのだ。だからだったのだ!

 仮面を打ち砕いた先で最初の嘘にたどり着く。どうして、DBOにログインする時にクゥリの手を借りなかったのか、その本当の理由と対峙する。

 彼の『力』に甘えたくなかったとか、アスナを取り戻そうとする自分のワガママだったからだとか、そんなことは『どうでもよかった』のだ。

 

 

 

 

 キミに死んでほしくなかった。それだけなのだ。

 

 

 

 

 本当はちゃんと見ていた。俺が身勝手に死者の面影を追い求めて溺れていく時、キミはちゃんとSAOに終わりを告げ、勉学に励み、大学に通っていた。自分とは違う『まとも』な人生を歩もうとしていた。

 

 自分が突き放すせいで寂しい思いをさせていたスグに、キミはいつだって傍にいてくれた。スグが電話をすればどんなに遠くからでも駆け付けた。スグに笑顔を取り戻させてくれたのは他でもない……キミだった。

 

 キミはSAOでの狂気に満ちた戦いぶりなど嘘のように、穏やかに生きようとしていた。

 

 俺はいつだってここぞという時に大切な人を守れなかった。いつだって間違えて死なせてしまった。サチも、アスナも、他にも多くの人々を失ってしまった。

 

 間違えて失い続けることで得られた『英雄』と呼ばれても虚しいだけだ。俺はただ『アスナの英雄』でありたかっただけの、強がって恰好をつけてばかりだった男なのだから。

 

 

 

 月蝕の聖剣が訴える。ここで退くこともできるのだと。ここで剣を捨てて戦わない選択肢もあるのだと。だが、キリトは否と断じる。

 ユージーンの意思、キバオウの覚悟、ラストサンクチュアリ1000人の命運、戦士としてのプライド、武の極みを目指す渇望、そして己の魂の叫び……その全てが恐怖に踏み込ませる。

 たとえ、最も死んでほしくなかった友人を殺すことになったとしても、永遠に自分を呪い続ける悔恨を抱くとしても、それでも剣を振るうことを選ばせる。

 

 

 

 だって、そんな馬鹿で、愚かで、身勝手な『キリト』を……クゥリはいつも認めてくれていたのだから。

 

 

 

 クゥリは左手でミディールを抜こうとして、だがキリトはそれより先に月蝕の聖剣の漆黒の刃を揺るがす。月蝕の刃に使用されていたエネルギーも利用して月蝕の奔流を生み出す。

 研ぎ澄ませ。まるで刀剣を研磨するように薄く、鋭く、薄く、鋭く、薄く、鋭く……!

 

 

 

 月蝕剣技【シャイニング・ホライゾン】。

 

 

 

 それは暁の目前に見る、光との境界線だからこそ濃い闇の如き深く黒い月蝕の刃。大幅に伸ばしたリーチによる広範囲の薙ぎ払いは、血刃と同じく光波とは異なる『間合いを伸ばす』攻撃だ。

 クゥリの血刃居合から生み出した月蝕剣技の広範囲斬撃は、血刃居合と異なって高い切断性能ではなく、重々しい月蝕ならではの破壊性能を示す。モルドレッドを傷つけた、極限まで刀身に圧縮させた月蝕の一閃には劣るが、まるで重力に捕まったかのように、拡大した月蝕の刃が触れた部位はその黒色に引きずり込まれて砕かれていく。それがキリトの剣速でクゥリに襲い掛かる。

 だが、クゥリの目には何1つとして希望も絶望もなく、ただ殺意だけが浸す。月蝕の拡大斬撃を身を伏せて、まるで獣が嵐を凌ぐかのように左手の魔爪で地面を捉えていた。

 まだだ! だが、キリトは腕が千切れるほどに重い月蝕の聖剣を薙ぎ払いから振り下ろしに繋げる。シャイニング・ホライゾンは最初の薙ぎ払いで広範囲を攻撃し、そして加速を乗せた最大威力を1人に叩きつけることこそを真の目的とする!

 

 しかし、クゥリの贄姫はまるで木の葉でも受け流すかのように、自分の脳天に迫るシャイニング・ホライゾンを受け流した。

 

 地面に巨大な縦の大穴が生じる。真下の湖面に落下しかけないが、幸いにも崩落は免れた。だが、この足場もいずれ限界は近いだろう。キリトは月蝕を纏わない、白銀の刀身を露にした聖剣を握ってクゥリに駆ける。

 今の自分に出来る最高・最大の月蝕剣技すらも軽々と捌いた。それは剣技であらず。ひたすらに相手を殺す為の爪牙であり、故に狩りの業なのだと剣士として体感する。

 クゥリがDBOでどれだけの死闘を潜り抜けて来たのかは嫌という程味わった。この戦いにおいて、自分の消耗など関係なく、クゥリは常に優勢を取れただろう。

 それでも、それでも、それでも……勝つ! キリトの白銀の刃を前に、クゥリはステップで踏み込んで来る。

 そうだ。クゥリもまた逃げない。勝つ為に……いいや、殺す為に必ず牙を剥く! それが彼の在り方なのだとキリトはずっと見て来た。

 

 

『マユの傑作! 新生メイデンハーツ! 要望の全てを注ぎ込んだよ! オーダー通り「聖剣と共にある武器」。マユの魂そのものだよ。だから……勝ってね。絶対に勝って!』

 

 

 キリトの為に設計された。キリトの勝利を願って生み出された。キリトが扱う為だけに全てを注いでくれた。

 クゥリはいかなる武器も最後は壊れるとして使い潰すように戦う。それは自分自身の扱いにも似ていた。自分もまた『武器』であると割り切り、壊れるまで酷使することを平然と選べる。

 放て。残されたスタミナで発動させるのはG&S専用OSS、ガンズ・ダブルサーキュラー。残弾全てを吐き出す、我が身を地面に対して平行にして回転しながら、正面に向かって銃撃し、周囲をドリルの如く抉る斬撃を繰り出し、銃撃を浴びせた相手に斬りかかる、異質の突撃だ。

 クゥリは銃撃を平然と見切る。軽々と躱してガンズ・サーキュラーのフィニッシュである薙ぎ払いにカウンターを決めようとする。

 だが、クゥリはカウンターではなく、背後から殺到する弾丸の対処を選んだ。ガンズ・ダブルサーキュラーと深淵ヤスリの最後のエネルギーを使った闇追尾弾。射線から逃れれば、背後から殺到する弾丸とガンズ・サーキュラーの薙ぎ払いに挟まれる。

 まるで舞踊のように銃弾を全て斬り払うクゥリであるが、それ故にキリトへのカウンターはできなかった。だが、ガンズ・サーキュラーの薙ぎ払いはしっかりと躱す。

 これが最後の交差だ。キリトはガンズ・サーキュラーが生み出した推力を殺しきれず転倒する。最後のスタミナを使ったソードスキルだった。スタミナ切れである。

 だが、キリトにはまだ切り札が残っている。ガンズ・サーキュラーを使用したのは距離を稼ぐ為だ。

 ユニークスキル≪集気法≫専用ソードスキル【回天勁】。『スタミナ切れ』時に限定して1度だけ発動させられるソードスキルだ。任意のタイミングで一瞬だけスタミナ切れの状態が回復し、リカバリーブロッキングを発動させることができる。成功した場合、スタミナが危険域を脱出するまで……即ち確定3割で回復する。

 無論、クゥリもキリトがDBOで唯一のスタミナ回復能力持ちなのは承知だろう。だからこそスタミナ切れだと騙されることなくノータイムで襲い掛かる。

 贄姫の刃を防ぎきれず、スタミナ切れのクリティカル確定状態で、首に触れる。

 だが、刃は阻まれる。

 贄姫の刃を覆う硬質な『氷』によって鋭利な斬撃を阻止する! 代わりに首を鉄棒で殴りつけられたかのような衝撃が襲ったが、首を落とされるのに比べるまでもない。

 マユも想定していなかっただろう、ヤスリの『2種類同時使用』だ。深淵ヤスリと凍結ヤスリを同時に組み込んだ銃弾を精製したのだ。

 対象を追いかける闇追尾弾と着弾後に冷気を発して硬質な氷を発生させる冷却弾。2つの性質を持った闇追尾冷却弾を、クゥリの戦闘能力の高さを信じて完璧に対処させることこそがキリトの真の狙いだった。

 冷却後にすぐに氷が生じているわけではない。クゥリがキリトの首を攻撃するより先に贄姫の刀身に氷が生じるか、またどれだけの範囲を氷が覆えるかは賭けだった。僅かでもタイミングが遅ければ刃はキリトの首を両断し、早過ぎればクゥリは気づいて別の攻撃を仕掛けていたはずだ。

 

「キリト、オマエは……!」

 

 だが、贄姫の刃は氷を切断して押し進もうとしている。氷で覆ったところで時間稼ぎにしかならない。だが、そのラグが2人にとってどれだけの大きいものかは言うまでもない。

 回天勁リカバリー・ブロッキング……成功! 攻撃が押し込まれるタイミングを狙って聖剣を差し込んで弾き返し、スタミナ切れから回復する!

 クゥリは近接戦に対応できるミディールを抜かない。左手の魔爪で刻もうとする。だが、キリトは竜翼を差し込んで魔爪を防ぐ。傷ついた右竜翼の1部が抉り飛ばされる。

 首に押し付けられる死の刃を策によって起死回生に利用し、キリトは最後の勝負を仕掛ける。回復したスタミナを注いで月蝕の聖剣に再び漆黒の刃を纏わせる。メイデンハーツをブレードパーツに接続し、クリスタルブレードを召喚する。

 発火ヤスリ、コネクト。【ヒート・ブレイカー】! ガラスのような半透明のブレードに発火ヤスリのエネルギーが伝導し、灼熱の輝きを発する。

 発火ヤスリという普及したヤスリに反して、クリスタル・ブレードでも扱いが難しいヒート・ブレイカー。いずれのヤスリエネルギーを伝導させても最終的にクリスタルブレードは破損して排出されるが、ヒート・ブレイカーは『破壊』という段階までが攻撃なのだ。

 月蝕の聖剣と灼熱の剣の連奏。≪二刀流≫を扱い続けたからこそ、キリトの二刀流の技術は跳ね上がった。彼を呪ったユニークスキルは、彼を高みへと運んで行った。

 これがG&Sだ。銃と剣の連携で戦うからこそ、二刀流剣技は最大の効力を発揮する!

 クゥリは目を細め、贄姫を躍らせる。並の……いいや、上位プレイヤーや上澄みのトッププレイヤーからしても無数の斬撃で圧殺されるかのような連撃をたった1つの刃で全て受け流していく。

 超えろ。超えろ。超えろ。この一瞬だけでも超えろ! キリトの全身から新たな幻影キリトが3体も生じる。今のキリトに出せる最大数の6体には届かなかったが、それでも彼らはクゥリを圧殺するべくキリトの攻撃に合わせて全方位攻撃を仕掛ける!

 ユージーンの消耗が激し過ぎた最大の理由は、妖精幻影を出し続けたからだ。だからこそ、ユージーンは受け継がせる時に修正してくれた。必要な時だけ幻影キリトを発現させられるように粗削りをして継承させてくれた!

 この戦いは……俺だけの『孤独』な戦いじゃない! たとえ、この場にいなくても俺は『独り』じゃない! キリトの連撃と幻影キリトの包囲攻撃に対して、クゥリは左手でミディールを抜くと正面の連撃を贄姫で捌きながら、幻影キリトも見ずに、もはやまともに動きもしないはずの左腕を使って紫雷弾をばら撒く! キリトの連撃がもたらす衝撃さえも利用して体を躍らせて3体の幻影キリトを数秒で始末しきる!

 超絶した戦闘能力! 戦いにおいて……いいや、殺し合いにおいて彼以上のものはいないだろうと改めて思い知る! だからこそ、キリトは勝利の為に踏み込める。

 最初からずっとそうだった。キリトにとってこれは『殺し合い』ではなく『戦い』だった。たとえ、結果として死をもたらすとしても、キリトは最初から生死を賭けた『戦い』以上でも以下でもなかった。

 頓智か? 否だ。それは本質の衝突だ。故にクゥリを揺るがすことができる。『殺し合い』というクゥリが最も得意とする『戦場』から引きずり下ろすことができる! それは誰よりもキリトの『力』に踊らされ、振り回され、溺れ、迷い、苦しみ、そして立ち向かうことを選べる。

 

 

 呪いにも等しい歴史を持つ血族でもなく、殺し合いを是とする数多の英傑たちでもなく、ただの……ただの何の変哲もない普通の家庭に生まれた、運命に翻弄され続けた、それでも確かに自らの足で、多くの人に支えられ、助けられ、救われてきた『普通の人間』だったからこそ、『血に呪われたバケモノ』の独壇場を破壊することができる!

 

 

 そして、何よりもキリトは『そんなどうでもいい事』を自覚しない。

 ただ自分の在り方を、魂の叫びを、本質を貫き通す。だからこそ剣を振るう。

 幻影キリトは完璧に対処された。だが、その代償として贄姫の受け流しに綻びが生じた。心意とデーモン化で強化された連撃を片手で捌ききれなかった。皮肉にも、白の傭兵の存在が仮面を割らせて精神を最上に至らせ、そして強過ぎた白の友が成長を促した。

 超える。打ち破れずとも亀裂を入れる。そうすれば後は流れ込むだけだった。クゥリはミディールを捨て、両手持ちして贄姫を操るが、もう遅い。ユージーンが継承させた心意能力こそが決定打となった。もはや止められない。

 受け流しから弾きの比率が増える。弾きからガードの数が増える。そうなれば、カタナの特性として耐えられなくなる!

 クリスタルブレードの発光と発熱が最大まで高まる! 突き出された灼熱の刃をクゥリはガードし、だが瞬間にクリスタルブレードに崩壊の亀裂が入る!

 

「爆ぜろ!」

 

 この時、この戦いの中継を見てみた者たちは口を揃えてこう言うだろう。

 

『まるでユージーンのようだ』

 

 それはユージーンの捨て身の攻撃……≪剛覇剣≫を解除するのと引き換えに炸裂をもたらす能力と酷似していた。彼が『英雄』を目指したからこそ、≪剛覇剣≫を捨てなかったからこそ、彼らの対決では使用されなかった技だった。

 クリスタルブレードが爆発する。炎と衝撃はクゥリを呑み込まなかった。瞬時に身を引いて爆発範囲から脱したのだ。だが、代償として贄姫は刃毀れして大きな亀裂が幾つも入っていた。

 

「届けぇえええええええええええええええええええ!」

 

 クゥリは間合いを詰めず、相対するべく居合の構えを取る。もはや剣戟は不可能と断じ、キリトが対処しきれぬ速度で斬撃を浴びせることを選んだのだ。

 

 繰り出される神速を超えた居合。

 

 それは確かにキリトの首に届いた。

 

 彼の首の皮1枚を裂いた。

 

 必殺の居合を回避されてもクゥリは即座に切り返しに派生させる。躱されることも見越していた。だが、それはもはや対処の範囲内である。

 

 

 

 

 月蝕の奔流を纏った漆黒の刃は贄姫を半ばから砕き散らした。

 

 

 

 

 しかし、クゥリは贄姫すらも『囮』にしていた。

 本命は左手の魔爪だ。キリトの突撃は贄姫を砕くことに成功したが、代わりにもはや剣を振るうに適さない間合いだった。こうなれば超近接戦……格闘攻撃が勝敗を分かつ。ならば、魔爪という高い殺傷能力を持つクゥリに分がある。

 だからこそ、キリトは『左手』に灰色の雷を纏う。

 仮面を打ち砕く時に使った、クゥリが得意とする武器を放り上げて手をフリーにする戦法によって、キリトの左手は空いていた。

 キリトには分かっていた。たとえ贄姫を砕いたところで勝敗は決しない。むしろ、クゥリはこちらに武器破壊させて勝利を確信したタイミングを狙ってくるはずだと。

 だからこそ、最後の……本当に最後の切り札を使う! 聖剣騎士団のディアベル親衛隊のソフィア相手に使った、灰色の雷を滾らせた掌底を、クゥリの魔爪より先に叩き込む。

 

「キリト……!」

 

「クー、ようやく……ようやく届いた!」

 

 

 

 

 

 左掌底と共に灰色の雷はクゥリへと放出され、雷鳴は火災で崩落していく白の都に瞬きの静寂をもたらした。

 

 

 

 

 

 火災の影響か、空は暗雲が広がっていた。

 キリトは叩き込んだ左掌底を更にクゥリの腹に押し込みながら、自分たちの周囲に散っていく贄姫の破片を雨の如く眼に映す。

 天雷装具スローネ……【穢れの雷】。スローネは穢れの火を封じ続け、故に穢れの火の力を我が物にしていた。我が身を犠牲にしながらも使命に殉じ、そして敗者としてキリトを『英雄』と呼んで認め、敗者であることを受け入れて散っていった。

 彼女の遺した雷は2つ。【竜狩り】オーンスタインの血縁に相応しい黄金の雷と使命に殉じた証明である穢れの雷だ。

 穢れの雷は穢れの火と同じく相手の自由を奪う。相手のDEX関係なく、その動きそのものを鈍らせる。効果時間は短く、攻撃力も低く、直接撃ち込まなければ効果を発揮せず、1度使えば長時間のクーリングタイムが必要となるが、『相手を殺さずに倒す』ことができるキリトの切り札だった。

 無論、クゥリを殺さない為に使ったわけではない。もうこれ以外にクゥリを『倒す』方法がなかっただけだ。格闘攻撃が明暗を分ける最終局面において、穢れの雷こそが最大の武器だっただけだ。

 それでも殺さないで済んだ。キリトは純粋に安堵した。

 

「キミの……負けだ」

 

「……そうか」

 

 DEX関係なく動きを制限する。クゥリの異質の防具による加速効果もこれでは意味を与えない。

 キリトは最愛の友を無力化させるべく月蝕の聖剣を振るう。クゥリは嬉しそうに、刃を受け入れるように瞼を閉ざした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、いつの間にか『足下に広がっていた』血溜まりから無数の血獣の顎がキリトに襲い掛かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 暴れ狂う血獣はクゥリを守るべく牙を鳴らす。キリトが餌食にならなかったのは、クゥリのHPが穢れの雷にしては『減り過ぎていた』からだ。

 

「血獣ノ巣すらも躱す……か」

 

 いくら低VIT型とはいえ、殺傷力皆無の穢れの雷でHPが3割未満まで減るとは考え難い。キリトのSTRエネルギーと≪格闘≫のステータス補正があったとしてもダメージが出過ぎなのだ。

 窮地を救ったのはキリトの突出した才覚……人類最高峰の反応速度だった。自分の穢れの雷に合わせてクゥリが自分自身の脇腹に贄姫を突き刺していた事に気づき、未知なる反撃を察知して退避を優先したのだ。

 

「キリト」

 

 荒れ狂う血獣は決してキリトを近づけさせない。

 

「キリト」

 

 最大の隙である穢れの雷の効果が消えるまで、血獣は牙を剥く。

 

「キリト」

 

 穢れの雷の効果が消えたことを示すように、クゥリは消失した血獣の群れの奥底から悠然と歩いて現れる。

 

「キリト」

 

 相反するようにキリトのスローネの雷が消失する。魔力切れである。スタミナは回復できても魔力回復にはアイテムを使うしかない。だが、眼前の相手にそんな暇はない。ましてや、魔力回復アイテムは大幅にスタミナを消費する。今のキリトには自殺行為にも等しかった。

 

「キリト」

 

 自分の血に濡れた……いや、自分の血を文字通り『啜らせた』贄姫を右手に持ち、魔爪と化した左手を鳴らしながら、クゥリは笑う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「キリト。キリト。キリト。キリト。キリト。キリト。キリト。キリト。キリト。キリト。キリト。キリト。キリト。キリト。キリト。キリト。キリト。キリト。キリト。キリト。キリト。キリト。キリト。キリト。キリト。キリト。キリト。キリト♪ キリト♪ キリト♪ キリト♪ キリト♪ キリト♪ キリト♪ キリト♪ キリト♪ キリト♪ キリト♪ キリト♪ キリト♪ キリト♪ キリト♪ キリト♪ キリト♪ キリト♪ キリト♪ キリト♪ キリト♪ キリト♪ キリト♪ キリト♪ キリト♪ キリト♪ キリト♪ キリト♪ キリトキリトキリトキリトキリトキリトキリトキリトキリトキリトキリトキリトキリトキリトキリトキリトキリトキリトキリトキリトキリトキリトキリトキリトキリトキリトキリトキリトキリトキリトキリトキリトキリトキリトキリトキリトキリトキリトキリトキリトキリトキリトキリトキリトキリトキリトキリトキリトキリトキリトキリトキリトキリトキリトキリトキリトキリトキリトキリトキリトキリトキリトキリトキリトキリトキリトキリトキリトキリトキリトキリトキリトキリトキリトキリトキリトキリトキリトキリトキリトキリトキリトキリトキリトキリトキリトキリトキリトキリトキリトキリト……キ・リ・ト♪」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 身を震わせて、頬を紅潮させ、恍惚に歓喜し、万象を屈伏させる程に色気を醸し出しながら……笑う。

 

「ああ……ああ、やはり素晴らしい! 完全に……完全に先読みを覆されていた! 予測すらも欺かれた! あと1秒……いいや、コンマ1秒でも『喰らう』のが遅れていたら、オマエの狙い通りに決着はついていたかもしれない! ああ、ああ! あぁああああ! やはり……やはり素晴らしい! これだ! これだ! これなんだ! やはりオマエなんだ! 今! 改めて! 再認識した!」

 

 嬉々と、まるで遊園地ではしゃぐ子どものように、だが男女問わずに性欲を湧き上がらせる程に妖艶に、クゥリは身悶えしたかと思えば激しく咳き込んで吐血する。同時にクゥリの首筋が黒く血管が浮かんだかと思えば、緋色によって塗り潰される。緋色の血管模様は首から頬にかけて生じている。恐らく防具に覆われた他の皮膚も同様の症状が出ているのだろう。四肢の白の異形の装備を侵蝕したのと同じ作用が体内でも張り巡らされているのだ。それが何を意味するのか、キリトはまだ把握しきれていない。

 まだだ。まだ終わっていない。スタミナは再び枯渇寸前であり、リカバリーブロッキングで最大限に補う!

 いいや、それでは駄目だ。短期決戦だ。クゥリは武器が全て壊れても戦えるとしても、今は大幅に攻撃力が低下している。日蝕の魔剣とミディールを手放し、折れた贄姫と左手の魔爪しか残っていない。しかも左手は不自由だ。

 ここで追い込むしかない。攻勢を緩めるな! 立ち向かえ! スローネの雷が無くても戦える! キリトは残弾が尽きたメイデンハーツを黒騎士モードに切り替えて構える。

 駆ける。キリトがクゥリに肉薄するより先に白き友は大きく跳ぶと折れかけた支柱にふわりと降り立つ。

 

「オレは狩り、奪い、喰らい、戦い、殺し、そして……」

 

 それ以上は言葉にしたくないのか、クゥリは優しく微笑む。折れた贄姫を逆手に構える。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「喰らい孕め、贄姫」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 折れたはずの贄姫の刀身は青い光に満ち、まるで時が遡っていくかのように刀身を『再生』した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あり得ない。だが、あり得る。月蝕の聖剣も自動修復能力がある。どれだけ破損しても鍛冶屋要らずで元通りに戻る。しかし、それは聖剣という規格外の武具だからこそ備わっている能力であるとキリトは『勘違い』していた。

 たどり着いた者がいた。好奇の狂熱によって聖剣の域に到達した者がいたのだ!

 狂笑を浮かべ、クゥリが急降下する。カタナとは思えぬ乱雑な扱い。折れても構わぬ。最速最強の攻撃を叩き込み続けるという破壊の猛攻が迫る。

 落ち着け。確かに武器の再生能力は驚愕に値するが、聖剣と同じであるだけだ。攻撃性能が変わったわけではない。むしろ変化したのはクゥリの戦法だ。

 クゥリは『あれでも』武器をなるべく壊さないように扱っていたのだ。だが、今の贄姫の使い方にはまるで配慮がない。

 刃毀れ上等。折れようとも構わない。殺しきる為だけに使い潰す。クゥリ元来の自己破滅にも似た真なる殺戮の御業が牙を剥く!

 地面を荒々しく裂き、火花を散らしながらの斬り上げ。そこからの連撃からの上半身を捩じっての突き。急激な攻撃テンポの変化に対応しきれず、キリトは自分の胸を貫こうとした贄姫の刺突を竜翼を重ねて防ぐ!

 2枚の竜翼を貫いた贄姫は胸に入り込む寸前で止まる。このまま反撃に出るべくキリトは強引に竜翼を開こうとした。破損など知った事ではない!

 だが、脳裏を記憶が引っ掻く。最後の刺突の『モーション』に見覚えがある。そうだ。これは……!

 

 

 

 

 

 

 

 

「【瀉血】」

 

 

 

 

 

 

 

 キリトの意図とは異なる、竜翼の内部から突き出す無数の『血槍』。それが竜翼を完全破壊する。また血槍の幾つかはキリトにも届いてダメージを与えるが、前に背後に支柱に発動された時と同様にダメージは低い。

 だが、精神にもたらされる衝撃は比ではなかった。魔剣の能力を贄姫が使用してきたのだ。

 これは何だ!? 何が起こっているんだ!? キリトはこれがクゥリの策だと分かっているからこそ動揺を立て直そうとするが、情報不足過ぎてまるで予想できない。

 いいや、1つだけ予想できる。だが、それは余りにも異常過ぎるものだ。

 頭の中で冷静な自分が嘲う。DBOに……いいや、『クゥリ』に常識が通じると思っているのか? ケタケタと壊れたように嗤っている。

 

「今再び蜘蛛の巣はオマエを『捕まえた』ぞ。さぁ、どうする? どう立ち向かう?」

 

 今再び刀身の溝を緋血に浸された贄姫は、緋血を飛び散らせて円を描く。

 

 

 

 

 

 そして、緋血は禍々しく濁った炎を発火させた。

 

 

 

 

 

 贄姫。クゥリがDBOで最も愛用している武器ジャンルである≪カタナ≫でも、キリトが知る限りで最高峰の切れ味と攻撃力を持つ。

 だが、これは≪カタナ≫と分類すべきものではない。そんな生易しいものではない。

 

「贄姫【病魔ノ火】」

 

 クゥリの不自由だった左腕が『正常化』する。突拍子もなく、何の前触れもなく、突如として機能を取り戻す。いや、それだけではない。下手をすれば健常だった時以上に血が通ったかのような生き生きとした脈動すらも感じる。

 クゥリの長い後ろ髪を1本の三つ編みとして止めていた黒リボンが熱風で外れ、解けた白い長髪は美しく靡く。

 

「キリト♪ キリト♪ キ・リ・ト♪ さぁ、存分に『殺し合おう』じゃないか♪ 互いの血が削れ、肉が抉れ、骨が砕けようとも、どちらかが生きている限り!」

 

 まるで恋する乙女にも似た表情と声音で、クゥリは『殺し合い』の継続を宣言する。

 キリトには権利があった。クゥリを『殺し合い』という殺戮の戦場から引きずり下ろし、自分の舞台である『戦い』に変える権利を手に入れていた。

 

 

 だが、権利を『行使』するだけの『力』が足りなかった。届かなかった。故に『殺し合い』は今も続いているのだ。

 

 

 今この瞬間は『力』こそが全てである。ならばこそ、クゥリを『倒す』為に不可欠なのは、まずは彼を『殺し合い』から引きずり下ろす『力』が要るのだ。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 だから言ったでしょ。どうせ結末は変わらない。ラストサンクチュアリは滅びる。【渡り鳥】によって破壊し尽くされる。ヨルコは諦観のままにワインを煽る。

 それでも、心の何処かで期待していたのかもしれない。【聖剣の英雄】ならば……いいや、【黒の剣士】キリトならば、あるいは結末を変えられるのではないかと僅かに希望を抱いていたのかもしれない。

 メガフロートの訪問に来ていた大ギルドの幹部たちはいずれもご帰宅願った。海坊主の皆様が丁重に陸まで送り届けただろう。彼らも帰るのは本望だろう。なにせ、いきなりメガフロート地下からロケットブースターの射出台が出現したかと思えば、爆風によって海に叩き落とされたのである。しかもグリムロックの狂笑付きである。

 まぁ、幹部の『1部』は承知済みであったが、それでも実物には度肝を抜いたはずである。

 

「もうすぐ『お客様』が到着する頃ね。このメガフロートは『予定通り』に接収されるわ。VOB技術も提供することになるわね」

 

 VOB技術の配布資料を準備して『お客様』を待つグリセルダは振る舞いと声音こそ冷静そのものであるが、今にもヒートパイルをグリムロックのケツの穴にお見舞いしそうな程にキレていた。血管が浮かび上がっていた。ヨルコはテレビに映し出される、ラストサンクチュアリ虐殺と2人の対決を思い返しながら、そりゃそうだと溜め息を吐く。

 

「グリセルダさんは承知していたんでしょ?」

 

「当然よ。だからプランを練った。フォローの準備もした。だからって、こんな展開を……望んでいたわけじゃないわ」

 

「……そうだよね。ユウキちゃんもまた除け者にしちゃったもんね」

 

「あの子はいいのよ。関わったら、全力で止めようとするはずだから。見送るようなことはしないでしょう」

 

「グリセルダさんは優しいね」

 

「そうでもないわ。こうなったのは心苦しい一方で、清々しい気分でもあるのよ。これであの子の『力』がようやく人目に晒された。人々は『正当な評価』を下すでしょうね。そうなれば仕事も変わるし、何よりもあの子を暗殺しようなんてする馬鹿な連中は減るでしょう。どうせ拭えない汚名ならば、相応の使い道があるだけよ。たとえ、それが……」

 

 それが破滅に続く道だとしても、か。グリセルダも覚悟の上なのだ。今回の件で黄金林檎も3大ギルドから明確にブラックリスト入りだ。変人集団から超危険変人集団にカテゴライズされるだろう。もっともヨルコからすれば似たようなものであるが。

 

「それよりも……私が怒っているのはVOBの方よ! あ・な・た! アレは何!? 渡された資料よりもぶっ飛び過ぎてるわよ!? 私も動揺を隠すので精一杯だったじゃない!」

 

 腕を組んで神妙な面持ちでテレビを見ていたグリムロックの胸倉をつかみ、グリセルダが怒鳴り散らせば、彼は落ち着けと言わんばかりにズレた丸眼鏡を正す。

 

「なにせ試作品だからね。私にも不確定な部分が多くてね。空中分解しないでよかったよ」

 

「ハァ!?」

 

「いや、計算はしたし、設計は完璧だったさ。だが、さすがに実用サイズと性能で実験するだけの環境と資本が無かったからね。バレない小型サイズでは実験していたけど、実用規模となると初めてさ。大丈夫だよ。クゥリ君にはちゃんとリスクを説明したし、万が一の時の対処法も――」

 

「あの子が自分の安全性にまともに考慮しているはずないじゃない!」

 

「最初の虐殺映像、どう見てもVOBに接続した白夜の魔獣状態での所業じゃん。あのスピードだもん。白夜の魔獣の外殻内部はミンチになってもおかしくない。白木の根で体内から補強してもギリギリだもん。リゲインで回復しまくらないと、白夜の魔獣っていう『外枠』を解除した瞬間にどうなるか分かったものじゃないもん」

 

「ふぁ!? ちょ、ヨルコ! 本当なの!?」

 

「本当。【渡り鳥】はそれも織り込み済みだった。『覚悟』とかアイツに元々ないんじゃない? 全部『どうでもいい』って感じ。多少変わったけど、戦闘面では自分を『武器』と割り切る捨て身っぷりは全く変わってないどころか悪化してるよ」

 

 白夜の魔獣をVOBの為に使用した為に、本戦闘における再使用は困難だろう。生中継の通り、せいぜいが限定解除までだ。だが、それでも体内の修復に関しては、ナグナの血清とリゲインで補え切れなかったはずだ。白木の根で全身を補強したまま、想像を絶する苦痛の中で【渡り鳥】はキリトと戦闘をしていたことになる。そんなもの微塵も感じさせない表情で、ずっと、ずっと、ずっとだ。

 

 

 徐々にギアを入れていったのは演出でも何でもない。白木の根による補強に耐えながら戦う為に、慎重にカードを切るしかなかったからだ。テレビ越しとはいえグリセルダにも悟らせず、技術的観点から把握していたグリムロックと対策考案を【渡り鳥】と協議したヨルコでも生中継だけでは真の状態を見抜けなかっただろう。

 ヴァンガード・オーバード・ブースト。濃縮した火竜の唾液を燃料にした『オブジェクト』だ。つまり『1から100まで部品を手作業で開発して組み立てた』という狂気の代物である。なお、ヘンリクセンとの協働発案であり、ある大ギルドが膨大な資本を投入して今回の試作品に漕ぎつけた。故にVOBは元来ソウル・アーマーで自身を保護できるラスト・レイヴンを前提とした装備であり、大ギルドの資本無しではさすがに運用どころか実験できず、やはり大ギルド級の人的資源が無ければ組み立て作業すらもままならない代物である。完全に黄金林檎のキャパシティを超えている。

 

「VOBに耐える為の白夜の魔獣さ! あれにはレイレナードの技術が使用されている。むしろ、正当……いいや、異形進化系かな? 接続に関しては本来のプランだともっと無理をする予定だったけど、クゥリ君が思わぬソウルをフロンティア・フィールドで獲得してきてくれたお陰で、接続がスムーズにいって助かったよ! 爆装に関してはヘンリクセンの試作品を流用したもので、対施設爆撃用だったから対アームズフォートでは不安が残ったけど、対策不十分のランドクラブの砲台を潰す程度には効果があったようだしね!」

 

「……うわー。【渡り鳥】の不運っぷりも極まってるわね」

 

「ヨルコも他人事過ぎるわよ!」

 

「他人事だもーん」

 

 そうだ。他人事だ。ヨルコはキリトの奮闘っぷりに、かつてグリムロックの断罪に繋がった圏内事件を思い返す。

 大きな借りもある。決して捨てられない情もある。だが、美味しく飲めるお酒に勝てる程ではない。

 

(【渡り鳥】が勝とうと、死のうと、ユウキちゃんはきっと泣くんだろうなー。ヨルコお姉さんとしては、どうせ泣くなら、勝って……生きて戻って来た【渡り鳥】を思いっきり叱ってあげてほしいわけなのよ。その方がきっと……お酒の味は落ちそうにないしね)

 

 結末は変わらない。【黒の剣士】キリトでも【渡り鳥】に届かなかった。彼を待つのは残酷な死か健闘の死か、そのどちらかに変わっても、ラストサンクチュアリを【渡り鳥】は滅ぼすのだ。

 

(でも、あの症状……深淵の病が発症した。薬は持たせているけど、即効性はないし、効果もどの程度か……)

 

 黄金林檎でもヨルコだけが【渡り鳥】を蝕む深淵の病について薬師として詳細を通達してもらっている。まだ研究中であるが、光属性や深淵を打ち払った説明があるアイテムを素材することで多少の効果は得られた。だが、それでも治療は不可能だ。あくまで発症時の緩和が限界だ。

 体内に張り巡らした白木の根の獣血侵蝕は深淵の病の露見を防ぐ為でもある。血管の黒化を獣血侵蝕した白木の根の赤で隠すのである。

 自らの身をまるで磨り潰すような戦い。眼前の敵を殺す為だけに死ぬ瞬間まで牙を剥く。まさしく『バケモノ』である。

 ラストサンクチュアリの結末は変わらない。『【渡り鳥】の結末』は変えることができる。【黒の剣士】ではなく、彼を愛する女の子なら……きっと変えられる。今回の依頼の終わりを少しでも、お酒が美味しくなるものに変えてくれる。

 

「あー……あー……あぁあああああああああああ!? ここに常識人はいないの!? あなた達もクゥリ君も少しは私の仕事量を減らそうって気概はないの!?」

 

「「ない」」

 

「あぁあああああああああああああ!」

 

 ついに発狂寸前のグリセルダであるが、ポケットから直方体のクリスタルが収められた、さながら携帯電話を取り出すと表情と声が変わる。瞬く間に動揺一切なしの、不敵極まりない、【渡り鳥】のマネージャーとして振る舞う。相手は依頼主『達』からだろう。なにせ、今回のオーダーは複雑だ。【渡り鳥】と【黒の剣士】の交戦がここまでド派手なものになるとはさすがに予定外だったはずである。

 まぁ、【渡り鳥】に依頼した時点で致し方なし、よねぇ。ヨルコは自分勝手なシナリオを書いた者たちを嗤う。あの【渡り鳥】が敵・味方双方の思惑以上に暴れ回ることこそ予定調和というものである。

 

「ええ、ご安心ください。私の傭兵は完璧です。はい……はい……はい、もちろん。プランも修正許容内のはずです。ボーナス対象の『排除を目的とした交戦』はそちらも『予想外』だったと思いますが……はい……はい、そろそろ予定時刻です。あの子は傭兵ですから。時間には正確です」

 

 ……あー、やっぱり【聖剣の英雄】をぶち殺す勢いだったのは予定外だったんだ。納得だ。ヨルコは依頼の範疇から脱することなく、【黒の剣士】と嬉々と殺し合う【渡り鳥】を思い出し、本当に何を考えているのか分からない奴だと諦める。何事も諦めが肝心であるが、【渡り鳥】と付き合っていくには特に重要だ。

 むしろ、依頼で完璧に縛り上げていなかった方が悪い。明確に『UNKNOWNと交戦するな』とでもオーダーを付けていた方がマシなのだ。まだまだ甘いと、ヨルコはお酒が美味しくなったと嗤う。

 

「それにしても、クゥリ君から聞いてはいたが、仮想世界のシステムに干渉する能力が実在したとはね」

 

 ユージーンとキリトの両名が発揮した、鍛冶屋では届かない、仮想世界のシステムに干渉して驚異的な能力を生み出す心意をどう思っているのだろうか。ヨルコは少しだけグリムロックの反応が気になった。

 

 

 

「心意……思っていた程でもない。『あの程度』で私の作品を超えることはできないと再認識したよ」

 

 

 

 うーん、だよねぇ。ヨルコも驚きはしたが、パラサイト・イヴ、日蝕の魔剣、ミディール、そして贄姫のとんでもっぷりを知っているだけに同意だ。

 

「どうせなら噂に聞く竜の神の顕現が見てみたかったところだね。クゥリ君がいよいよ見せてくれた本気……これ程とはね! いや、まだ『本気の本気』じゃない。まだ……まだ跳ね上がっていくはずだ! それまでは死なないでくれよ、キリトくん!」

 

「……歪んでるなぁ」

 

 グリムロックなりにキリトにも思う所があるからこそ多少なりとも生存のエールを送っているのだろうが、あまりにも歪んでいる。

 テレビでは【渡り鳥】がついに贄姫の真の能力を解放している。贄姫の刀身を再生させ、魔剣の【瀉血】を使い、緋血を着火させて濁った炎を生み出している。

 よりにもよって、いきなり最悪の部類である病魔ノ火を使うか。えげつなさすぎる。さすがのヨルコもドン引きだった。

 贄姫の真の能力とは、装備に使用されている『ソウル、あるいはソウルに類似した素材』があるならば、贄姫に一時的に受容できる、というものだ。そして、それはパラサイト・イヴの緋血と贄姫にも使用されているアーロンのソウルの斬撃結界と混ざり合って、より異質に昇華することもある。

 言うなれば、贄姫は受容能力によって対象のソウル素材を使用された状態になり、新たな能力を獲得する。受容できるのは1度に1つが基本である。

 最初の刀身再生は義眼に使用された狂縛者のソウルだ。その驚異的な再生能力が刀身再生能力として開花した。

 次は分かりやすい。日蝕の魔剣に使用された素材である死神の槍の力だ。【瀉血】の他にも死神の槍の力を得た。特に緋血と組み合わさり、血槍として発動している。

 そして、最後は……ヨルコが知る限り、【渡り鳥】が持つソウルを組み合わせた中でも、最も残虐かつ危険なものだ。蜘蛛姫のソウルの病魔ノ火は、ヨルコもさすがに使わないだろうとすら思っていた。

 パラサイト・イヴがグリムロックの最高傑作であるならば、当然ながらパラサイト・イヴとの併用を前提とした贄姫は最強にして、最狂にして、最凶傑作だろう。

 

『極論でもなく、贄姫とパラサイト・イヴに全てを集約させる。それが私のトータル・コーディネートだ』

 

 うーん、イカれてる。ヨルコは禍々しく燃える病魔ノ火を見て、どうしてグリセルダが最終的に認可したのかを改めて理解した。

 本来ならばカードは伏せている程に効果的だ。秘密はそれだけで武器となる。だが、生中継させるということはDBO中に【渡り鳥】の戦法と能力を明かすことになる。

 理由は単純明快だ。『バレたところで、絶対的な暴力の前では踏み躙られることには変わらない』からだ。贄姫がまさにそれである。余りにも異質過ぎて対策のしようがない。破壊すらもできないのだ。お手上げである。

 しかも【渡り鳥】は『アレ』も残している。真の能力を解放した贄姫、パラサイト・イヴ、そして『アレ』が組み合わされば、もはや勝機などない。

 だからこそ、【渡り鳥】に挑む【黒の剣士】はヨルコの目にも『英雄』に映った。

 

 

 

 

 まるで、英雄譚の最終章……英雄を喰らう怪物に殺される、哀れな悲劇に見えてならなかった。




英雄は仮面を砕き、怪物は歓喜と共に牙を剥く。

まだ夜は終わらない。


<システムメッセージ>

主人公(黒)
・称号『仮面を捨てた者』を獲得しました。
・称号『心意を受け継ぐ者』を獲得しました。
スキル≪心意継承≫を獲得しました。本スキルは称号『心意を受け継ぐ者』獲得者が月光の聖剣を有してい場合に使用可能となります。また、心意能力の継承には対象との心意共鳴が不可欠です。
・ユージーンの心意能力【幻影の戦陣】を継承しました。


強制イベント『聖域を喰らう獣の王』を更新します。
・厄災の白き獣王が第2段階に突入しました。獣性ゲージが一定値を超えると強制的に第6段階『ヤツメ様』に突入します。注意して立ち回りましょう。
・ヤツメ様が顕現した場合、強制イベント『冥海より来たる純白の無垢』に切り替わります。全プレイヤー強制参加イベントとなります。



それでは335話でまた会いましょう!

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。