SAO~デスゲーム/リスタート~   作:マグロ鉱脈

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前回のあらすじ

教会を経て、新たな因果が始まる。



ただいま戻しました!
SEKIRO! 隻狼! SEKIRO! 隻狼!
素晴らしかったです!
ネタバレ解禁でいきましょう! 本作も隻狼ネタを取り込んでいく予定です!




Episode20-08 新古の約束

 ボーレタリア。最初の火が起こるより前、古竜と岩の大樹ばかりがあった灰の時代よりもなお古く、多くの謎に包まれた時代にあった北国であるとされている。

 灰の時代より以前はDBOでも多くの情報を得られない。唯一分かっていることは、ボーレタリアなどの国があった時代は、色の無い濃霧とソウルを奪うデーモンによって終焉を迎えたということだけである。

 その後、いかなる経緯があって灰の時代となったのか、それは明確に提示された説は無い。所詮はフレーバー要素と割り切ることも可能であるが、そこには確かな差異が存在し、それが攻略や戦闘においてキーポイントになることも珍しくない。

 たとえば、どちらにも登場する自我と思考を失い、ソウルに飢えて襲い掛かる人間……亡者。ボーレタリア時代における亡者とは、デーモンによってソウルを奪われた人間を指し示し、彼らは見た目こそ人間と大差はない。逆に最初の火の陰りによって生じる呪いの証……ダークリングが浮かび上がった不死者の成れの果てである亡者は、まるで萎びたゾンビのような姿をしている。

 どちらも生前の経験や技術にフルに使ってソウルを奪いに来る人型モンスターという設定ではあるが、外見の差異とはプレイヤーからすれば精神面に大きな違いをもたらす。

 フルフェイスの兜を被っているならばともかく、素顔を晒しているならば、萎びたゾンビのような亡者の方が遥かに『モンスター』として相対しやすい。逆に見た目が同じ瑞々しい肌をした人間であるならば、それだけで殺人を犯しているかのような生理的嫌悪感が付きまとう事になるだろう。

 人類とは同じ人類を殺す為に研鑽を怠らない。それは生物として異端であり、だからこそ人類は技術と経験の蓄積によって進歩することが許された。だが、同時に人間が人間を殺すという行為は道徳を学ぶより以前から確かに刻み込まれた禁忌であり、故に人類は互いに殺し合いながらも殺人に法より以前に心の咎を背負うのだ。

 革製の鎧とヘルメット型の鉄兜を被り、金属板と組み合わせて強化された木製の円盾を装備した【ボーレタリア兵士】はいずれも亡者だ。NPCとして意思疎通は不可能であり、倒せばコルと経験値とアイテムをドロップするモンスターだ。

 だが、確かに人間の造形をしており、攻撃の際には気迫を込めるように咆える。生前に得た戦闘技術という名目で、組み込まれたAIがオペレーションに従い、また優れた学習機能で対戦プレイヤーの動きを解析し、並のプレイヤー以上の巧みな攻撃を繰り出し、陣形を組んで襲い掛かる。

 エイジが右手に持つ邪剣ダーインスレイヴが煌けば、ボーレタリア兵士たちに刃が潜り込み、赤黒い……まるで本物の血液のようなダメージエフェクトが零れる。だが、それはエイジを赤く染めるように噴水の如く噴き出すことはなく、剣を濡らし、ボーレタリア兵士を赤く染める程度である。

 流血システムがもたらす出血表現は、与えたダメージと損壊度に応じて変化する。普通に戦う分には、余程のことがない限りにはプレイヤーの全身が染色されるようなことはない。無論、全く返り血が付着しないということもなく、エイジの胸元や頬はボーレタリア兵士の血が少なからず赤く染めていた。

 エイジは特に感慨を抱かない。どれだけ生々しい表現になろうとも、自分が相対してるのは純然たるモンスターであり、プレイヤーの命を刈り取るデータの塊に過ぎないと割り切るからだ。

 いいや、違う。殺人への忌避はあっても、既に手を染めてしまった己への諦観があるのだ。殺人によって得られた成果によって、己の生を肯定し、現状に至ったという実績があるからこそ、エイジは人間と同じ形をしている程度で怯むことはない。

 それは覚悟と呼ぶよりも破綻と呼ぶに相応しく、エイジは己の心が歪み、感性が壊れてしまっていることを自覚した上で、ボーレタリア兵士3人の間を駆け抜ける間に目にも止まらぬ連撃を繰り出して仕留める。

 ボーレタリア兵士は円盾を標準装備とし、片手剣・戦斧・槍を装備した3タイプが存在する。例外として盾が無い代わりにクロスボウを装備したタイプがいる。いずれのボーレタリア兵士も火炎壺による投擲攻撃をしてくるが、油を投げつけることで延焼とダメージアップを図るなどのテクニカルな、もとい厭らしい戦法も駆使してくる。装備は地味ではあるが、いずれも堅実なオペレーションであり、平均的なプレイヤーでは1対1でも撃破するには苦戦を強いられるだろう。

 だが、エイジは止まらない。盾を構えられたならば守られていない足を薙ぎ、リーチが足りないならば踏み込みからの片手突きで稼ぎ、火力が必要ならば両手を添えて渾身の振り下ろしでガードごと斬り捨てる。

 邪剣ダーインスレイヴはエイジの所有スキルに合わせているかの如く、≪片手剣≫と≪両手剣≫の2種類を持つ。これは意外にも貴重なスキルの組み合わせであり、片手持ちでも両手持ちでもソードスキルを駆使できるという特性を持つ。エイジは≪剛力≫も持つので片手持ちでも≪両手剣≫のボーナスの低下を避けることも可能だ。

 ボーレタリア兵士4体に囲われる。だが、エイジは槍持ちに突進し、突きを見切って弾きながら膝蹴りで盾を揺るがし、そのまま宙を舞って背後を取り、脊椎を断つようにダーインスレイヴを突き刺す。痙攣するボーレタリア兵士をそのまま斬り払い、残る3体の動きを把握して≪両手剣≫の回転系ソードスキル【ギア・サイクロン】を繰り出す。迎撃に優れた素早い回転斬りから、相手を弾き飛ばす強力な一撃、更に3回する連撃のどちらかに繋げることが可能である。エイジが得意とするソードスキルであり、シビアな切り替えを難なくクリアして強力な回転斬りでボーレタリア兵士3体を吹き飛ばして完全に陣形を崩壊させる。

 その後は消化試合であり、1体ずつ確実に仕留めたエイジは、リザルト画面を確認し、思わず舌打ちする。このボーレタリア王城において、ボーレタリア兵士はまさしく雑魚の中の雑魚であり、得られる経験値も最小の部類だからだ。それでも最前線級ダンジョンともなれば相応の実りであるが、エイジを満たせる程の成果ではなかった。

 

「いやぁ、エイジもなかなかにやりますね! これは騎士として私も負けていられません!」

 

 苛立ちの最大の理由は、自分の2倍以上の数を請け負っていながら余裕綽々の立ち回りを披露したグローリーのせいだろう。彼はボーレタリア兵士よりも強力な【ボーレタリア騎士】も含めて相手取っていながら、圧倒的な勝利を奪い取っていた。

 ボーレタリア騎士は、全身甲冑姿をしており、フルフェイスの兜からは眼光のように青い光、あるいは赤い光を漏らしている。後者の方がより強力であり、攻撃力・防御力・総HPはもちろん高いが、それ以上にAIとしての強さはボーレタリア兵士と比べても雲泥の差である。

 これがランク5の実力か。赤褌1枚という格好でありながら、手傷も負わずに、まるで1人だけ別次元の法則が適応されているかのようなグローリーに複雑な感情を抱く。

 北国らしい冷たい灰色の空の下で、ダンジョンとして複雑に入り組んだボーレタリア王城を、エイジはグローリーと並んで進む。時折だが、奇襲してくる【ボーレタリアの隠密】はアクロバティックな動きと強力な格闘攻撃、そして特徴的な【隠密短剣】による投擲攻撃が厄介であるが、エイジは何とか先を目指す。

 名前こそボーレタリア王城であるが、エイジたちがいるのは王城を目前と控えた要塞部であり、内部と屋外を行き来し、細道や堀、木製の橋などを越えていく。灰色の石造りの世界で靡くボーレタリアの国旗はいずれも血と煤で汚れており、城内に秩序などなく、亡者となったかつての騎士と兵士が跋扈するばかりだ。

 また、ランダムで出現する【王の飛竜】によって空中から炎ブレスで爆撃される恐れもあり、常に耳を澄ませておかなければならない。

 1秒として気を抜くことは出来ない。たった2人しかいないのだ。1度のミスで死を招く。リカバリーはほぼ自分自身でこなさねばならない。だが、それでも2人であるならばマシな部類だ。たった1人でダンジョンを潜るなど狂気の沙汰である。なにせ、何処にトラップが仕込まれているか分からず、数の不利は常に存在し、なおかつ奇襲のリスクに怯え続けねばならないのだ。加えて、ボーレタリア王城は聖剣騎士団の占有状態にあるが、他の大ギルドも争っている場合、遭遇したプレイヤーすらも敵であるかもしれないのだ。

 敵対ギルドのプレイヤーの危機を見殺しにするのは珍しくなく、それどころか悪意を持って罠に嵌めることもある。街で出会えば表面的には友好を口にしても、死が常に隣にあるダンジョンという無法地帯では容赦なく牙を剥くものなのだ。

 これは何も大ギルドだけの話ではない。中小ギルド同士でも諍いや禍根はあり、またアイテムを巡ってダンジョンでぶつかり合うことも、わざとモンスターを呼び寄せてMPKを狙うこともある。

 

「ふーむ、動き自体は悪くないのですが、1テンポ遅れているのが否めませんね。観察眼はありますし、敵の動きもちゃんと見切っているのに、実に勿体ないですよ」

 

「グローリーさんに比べれば、僕はヒヨコのようなもの、と言う事でしょう」

 

 邪剣ダーインスレイヴのお陰か、エイジはボーレタリア王城でも障害に煩わされることなく戦えていた。無論、敵の数や奇襲時には心に揺らぎを覚えても踏ん張り、その分だけダーインスレイヴの扱いに集中することで乗り切っている。

 だが、グローリーの言う通り、エイジはまだ障害を克服できているとは言い難かった。それは他でもないエイジ自身が理解している問題点である。

 

(雑魚相手はともかく、強力なモンスター……それこそネームド相手では動きが鈍るロスは致命的だ)

 

 ダーインスレイヴによってエイジが戦う意思を捨てぬ限り、障害を抑える助力をしてくれる。その効果は確かに実感できる。事実として、かつてのエイジだったならば障害によって思考と理性に反してアバターが勝手に動作不能に陥る数を相手取っても、こうして十分に戦えるのだ。

 だが、DBOのバトルは他のどんなVRゲームよりもハイスピードの接近戦を要求する。ソードスキルが主体のバトルだったSAOよりもプレイヤー自身の技量、戦術、連携、判断力が高く要求される。

 1秒を争うどころかコンマ1秒、あるいはそれ以下の世界で命の削り合いを強要される場面もある。ネームド戦など1度の呼吸の間さえも近接戦では許されぬと経験した上位プレイヤーの多くは口を揃える。たとえネームド戦で生き残っても、心折れて再起できない近接ファイターやタンクは少なくない。

 足りない。ダーインスレイヴの力を借りてもなお雑魚相手でも克服しきれていない。惨酷な結果が道のりの険しさを突きつける。

 力が要る。それを手繰り寄せる為の闘志が求められる。不屈を貫く為の意思を生み出す心中の核が不可欠なのだ。

 

「いっそ小盾を持つのも1つの選択肢ですね。両手剣使いだと盾がどうしても邪魔になりますが、腕に装着できるタイプの小盾ならば解消できます。DEXの低下も最小限に抑えられますし、いざという時の緊急防御からパリィまで幅が広がりますよ」

 

 見た目は赤褌1枚の変態であるが、至極真っ当に、それも真摯になってアドバイスしてくれるグローリーには、何処となく【渡り鳥】に似た意外性を感じるものがある。エイジは困惑を呑み込みながらも、グローリーの指摘は正しく、また既に検討した上で破棄した案であると視線を逸らす。

 

「盾は駄目なんですよ。依存して動けなくなってしまいますから」

 

 全身を隠す程の大盾があれば死の恐怖は薄らぐだろう。だが、それは障害を乗り越える助けにはならないとエイジは自覚していた。盾の後ろに身を隠す安堵は余計に体を縮こまらせるのだ。

 皮肉な事に、身を守る術を身に着ける程に障害の克服は遠のいていく。そこまで振り返った時点で、エイジは気づく。やはり自分は何だかんだで諦めが悪かったのだ、と。スレイヴと巡り会う以前から、どうにかしてこの惨酷な世界で戦う術を身に着けようとしていたのだ。

 生き延びる為に戦うのではない。では、何のために勝利を求めるのか? もはや『彼女』への悔恨が憎悪に歪んでしまった己は、どうして敗者であることを受け入れずにいるのか。

 

「難儀ですね。よろしければ、騎士として、騎 士 と し て 、騎 士 と し て! 未来のグローリー☆ナイツの相談に乗りますが!?」

 

 目をキラキラと輝かせ、純然たる『騎士』としての善意を示すグローリーであるが、余りにも大声に過ぎる。仮にも何も、ここはダンジョンである。≪気配遮断≫で隠密ボーナスを得ているとはいえ、これだけ声を張り上げればモンスターを呼び寄せるのは道理だ。

 これで何度目だ!? 無駄話をしないのがグローリーと協働する上での生存戦略であると学んできたエイジであるが、無言を貫くのもランク無しとしては印象が悪い。

 ボーレタリア兵士と隠密が次々と現れて包囲される。飛来する炎のボルトを剣で弾き、まずは射手を潰すべく駆けるが、進路を塞ぐように赤目のボーレタリア騎士が立ち塞がる。

 両手剣のクレイモアを装備したタイプであり、攻撃範囲と火力の高さが厄介だ。以外にもガードも堅牢であり、並の攻撃では隙を作るのも難しいだろう。

 

「今、超必殺のぉおおおおおおおおおおお! グローリー☆トルネード!」

 

 だが、ボーレタリア騎士の動きが鈍る。それは常識外の攻撃……片手剣と大盾を振り回して周囲の敵を舞い上げるグローリーにAIが困惑したからだ。

 ソードスキルでもなく、ユニークスキルや装備の能力でもなく、どんな戦い方をすればこうなる!? 同じようにエイジも動揺する程に、ボーレタリア兵士たちは竜巻にように宙へと放られていく。そして、無駄の極まったポーズを決めながら、グローリーは落ちてきたボーレタリア兵士に次々と連撃を決めて撃破する。

 余りにもふざけている。1人だけ全く別のゲームシステムと物理エンジンが適応されているのではないかと思うほどだ。

 

「エイジ! その敵騎士はキミの獲物です! この騎士たる私に見せつけなさい! キミの実力を!」

 

 エイジたちを跳び越えてクロスボウ装備のボーレタリア兵士を片手剣と大盾の十字攻撃で撃破し、ウインクしながらエイジに美味しいところを譲るとグローリーは言わんばかりだ。だが、既にメインイベントは終わった気分のエイジは、1対1へと強引に持ち込んだボーレタリア騎士に剣を向ける。

 ダーインスレイヴは片手剣としても両手剣としても扱える。だが、それは器用貧乏でもある。片手剣にしてはやや重く、両手剣としては軽過ぎるのだ。故に扱いを1つ間違えれば、一気に劣勢へと持ち込まれる。

 ボーレタリア騎士との剣戟で火花が散る。敵の剣の扱いも見事であるが、所詮はAIだ。そこに必ずオペレーションの隙が垣間見える。だが、それすらも織り込んだトラップのように、別のオペレーションが起動してカウンターを狙ってくる。それを凌いでも反撃すら許さないように間合い外に出られると、前のめりになったエイジを狙ってクレイモアのリーチを活かす踏み込み突きが繰り出される。

 胸の中心を貫きかけた突きをギリギリで弾き、エイジは飛び散る汗を意識しながら、じわじわと恐怖心が湧き上がるのを自覚する。

 恐怖に呑まれるな。僅かでも闘志が鈍れば、この足は簡単に屈してしまうのだ。エイジは目前の……ネームドですらないボーレタリア騎士に、まるで天下無双の剣豪と相対しているかのようなプレッシャーを錯覚する。

 分かっている。スレイヴの言う通りなのだ。相対する敵に常人以上の精神力が要求されるエイジは、敵の強さが増す程に飛躍的に障害の発生するリスクが高まる。求められる精神力が桁違いに跳ね上がっていく。

 そして、精神力を保つ為に戦闘へ没頭しようと尖らせる集中力は無尽蔵ではなく、綻びが生じれば敵の攻撃は容赦なく捻じ込まれる。ボーレタリア騎士の斬撃が脇腹を裂き、ダメージフィードバックが生じ、また血が溢れ出す。

 ボーレタリア騎士が大きく踏み込む。次の攻撃は分かっている。こちらの剣を弾き上げ、命中すれば吹き飛ばされるだろう、強力なかち上げ斬りだ。ガードをしてはならない。確実に回避してカウンターを入れねばならない。

 見えている。頭では分かっている。選択肢は既に決定済みだ。だが、アバターは……仮想世界の肉体はエイジの選んだ行動を阻み、足は絡んで無様な転倒を強いる。それが逆に死を招き寄せるというのに、死への恐怖ばかりが膨張して体の制御を奪い取る。

 まともにかち上げ斬りをガードしてしまい、ダーインスレイヴが軋む。辛うじてガードブレイクしなかったが、そもそも武器は盾程に高いガード性能は持たない。大型武器……それも特大剣ならば盾替わりとしても十分に機能するが、ダーインスレイヴにそこまで期待することは出来ない。

 ガードブレイク寸前で踏みとどまったエイジは、更に追い立てるボーレタリア騎士の突きを目にする。クリティカル部位の心臓を正確に狙った突きだ。だが、動きに派生の予兆があると見抜く。突きを弾いて防いではならない。無理に弾けば体勢が崩れ、そこにボーレタリア騎士はラッシュをかけるだろう。

 受け流す! エイジはそれを可能とする技量がある。だが、体は言う事を聞かない。十分に受け流しきれず、突きは左肩を抉っていく。そのままボーレタリア騎士は距離を詰め、まだ傷口が塞がっていない横腹へと膝蹴りを浴びせる。

 本当にこれがAIか!? 吐血して転がるエイジは、ネームドやNPCで出現するという『生きているかのようなAI』なのではないだろうかとボーレタリア騎士を睨む。

 確実にプレイヤーを抹殺するオペレーションが組み込まれたAI。それは強敵として出現する『生きているかのようなAI』に比べれば、どうしても脱しきれない隙……オペレーションとしての脆弱性が存在するだろう。

 だが、自意識はないからこその強みがある。AIとして蓄積した戦闘情報は組み込まれたオペレーションの最良の形へと組み立てていく。柔軟性こそ『生きているかのようなAI』には劣るが、機械としての冷徹なまでの合理性を発揮する。

 戦闘が長引く程に、ボーレタリア騎士は対エイジに合わせたオペレーションの組み合わせになっていくのだ。それはレギオンの逸脱した学習能力とは方向性が異なる、AIとして有する普遍的な強みだ。揺れ幅無く、最高ではなくとも、最良のパフォーマンスを確実に可能とする。それがどれだけ凶悪であるかは言うまでもない。

 ネームドのみならず、こうしたモブですらも十分に強敵として立ちはだかる。それもまたDBOの突出した難度の象徴だ。

 

「エイジ! 戦いとは、敵と己! その2つの打倒です!」

 

 高みの見物を決め込むグローリーの叱咤に、エイジは死の恐怖が蝕む中で舌打ちを堪えきれなかった。

 アドバイスならば脅威が去った後にしてくれ! さっさと手助けしてくれ! それとも見殺しにするつもりなのか!? 多くの苛立ちがエイジを刺激する。

 敵と己を乗り越える。そんな事は分かり切っている。敵を倒さねば生き残れず、己を奮い立たせねば臆病な死を招く。

 

(だが、僕はお前とは違う! お前に何が分かる!? 僕も普通なら……こんな障害さえなければ――)

 

「自分の『弱さ』に言い訳する者に勝利など掴めません! 脆弱な自分自身をまずは認め、受け入れること! それが『騎士』への道のりだと心得るのです!」

 

 僕は『騎士』なんて目指していない! 歯を食いしばり、更に苛烈に攻めるボーレタリア騎士の刃と火花を散らす。

 そうだ。『彼女の騎士』にはもうなれない。その機会は永遠に失われてしまった。

 あの日、あの時、あの瞬間、僅かでも体が動いてくれていたならば、彼女が伸ばした手へと少しでも応えることが出来たならば、喪失の果てにも微かな光が差し込んだはずだ。

 だが、エイジには何も出来なかった。『彼女』がモンスターに囲われて、まるで凌辱されるように攻撃を受けてHPを減らされる様を、動かぬ体と相反した優れた目で見ていただけだ。

 ボーレタリア騎士の連続振り下ろしがダーインスレイヴの刀身を削る。片膝をつき、せめてガードブレイクだけはしまいと堪えるが、ボーレタリア騎士は渾身の力と体重をかけて押し切ろうとする。

 分かる。頭では分かっている。素早く手首を利かせて受け流せば、簡単に胴を狙える。それが出来るという鍛錬と経験の自負がある。だが、エイジの体は動いてくれないのだ。

 スレイヴは言った。エイジが『彼女』を救えなかったのは障害のせいであり、エイジ自身は確かに『彼女』を助けようとしたのだと認めてくれた。そうした運命を憎めと囁いた。

 だが、それは過去の分析であり、結果への考察に過ぎないのだ。今の自分自身の無様を……敗者に成り下がろうとする己を肯定する道具になってはならないのだ。

 忌々しい。だが、心は不思議とグローリーが言わんとすることを理解できた。

 教会で【渡り鳥】は問いかけた。何の為に戦うのかと。戦いにおいて必要なものは何なのかと。

 後者において、エイジは不屈の意思であると答えた。だが、それだけでは足りないのだ。2つが揃ってこそ、エイジはようやく皆と同じ土俵に上がれるのだ。

 

(僕はどうして戦っている? 何の為に戦っている!?)

 

 じわじわと押し込まれ、ボーレタリア騎士の剣が左肩の傷口に侵入する。このまま押し切られていけば、エイジの心臓まで刃は潜り込み、HPは大幅に削れ、最悪の場合は全損もあり得るだろう。

 勝利の先に求めるのは生存でもなく、栄光でもなく、贖罪でもなく、救済でもなく、悦楽でもない。

 空っぽなのだ。敗者でありたくないという心がDBOにログインさせ、障害に立ち向かわせ、スレイヴと出会わせ、そしてこの場に導いた。

 だが、エイジの胸の内にあるのは虚無だった。『彼女』の喪失と見殺しにした咎で穿たれた穴を満たす憎悪は、何も生まない虚無ばかりがあった。

 

(スレイヴと一緒か)

 

 スレイヴもまた同じ虚無を感じていた。レギオンの王の憎悪を持つスレイヴは、そこにあるのは虚無ばかりであると口にし、故に己の存在価値を見出せず、それでも己を生んだ憎悪には意味があるはずだと足掻いている。

 無駄で、無価値で、無意味で、まさしく虚無というべき結果しかないかもしれないのに、スレイヴは己の存在意義を自身で証明することを選んだ。己を生み出した虚無なる憎悪は、レギオンの王の悲痛なる叫びそのものであると、『憎悪』を司るとは思えない程の愛情深さを示した。

 

 

「……ふざけるな」

 

 

 何がスレイヴと同じだ? エイジは己の甘えを踏み躙る。

 

「僕は……俺は……! スレイヴの……パートナーだ! 俺が……こんな、所で……!」

 

 認めるものか。この身を満たす憎悪とスレイヴの憎悪、その両方が虚無であったなど断じて認めるものか。

 憎い。ただひたすらに憎い。エイジは眼前のボーレタリア騎士に憎悪の限りをぶつける。

 漠然と溜まっていた濁った憎悪は、まるで炉を経た砂鉄が鋼となって刃へと鍛え上げられていくかの如く、鋭利に研がれていく。

 途端に全身を縛っていた鎖が解けたかのように、エイジの体は今までにない程に軽やかに動き、ボーレタリア騎士の剣を微かに浮かせて傷口から押し出すとそのままダーインスレイヴの刀身を削るように火花を散らして滑らせる。

 半ば決まった必殺から逃れられたボーレタリア騎士は前傾姿勢となり、決定的な隙を晒す。そこにエイジは滑らかに左肘を打ち込んで体勢を崩させ、ダーインスレイヴで舞うような連撃を浴びせていく。

 体が動く。たったそれだけの自由がエイジを劇的に変化させる。先ほどは弾くしかなかったボーレタリア騎士の突きを踏み込みと同時に避けて斬り込み、跳んで宙を舞いながら脳天を裂き、背後を取る。そのアクロバティックな動きにボーレタリア騎士の対応は遅れる。

 振り返られるより先に、柄に両手を添えた渾身の突きがボーレタリア騎士の背中に潜り込み、そのまま心臓を刺し貫く。HPが全損したボーレタリア騎士は動かなくなり、同時にエンカウントしたモンスター全てを撃破した証のリザルト画面が表示される。

 ボーレタリア騎士1体分の経験値が丸ごとエイジに入っている。ドロップアイテムとして【北騎士のクレイモア】のオマケ付きである。

 

「ハァ……ハァ……は、ははは……! こんなにも、簡単……だったのか」

 

 今までとは違い、心地良い疲労感で腰を折って動けなくなったエイジに、グローリーが満面の笑みでサムズアップをした。

 

「見事でしたよ、エイジ! 敵と己、両方を乗り越えましたね!」

 

「……どうして助けてくれなかったんだ?」

 

「死にそうになったら助けるつもりでした。でも、ここで勝てないようならば、傭兵としてはやっていけませんからね。エイジの可能性を奪わない為にも、私はギリギリまで助太刀することは出来ませんでした。キミの危険を騎士でありながら放置した。その点は最大の謝罪を致します」

 

 傭兵は……ランク持ちはいずれも高難度のミッションを単独で遂行せねばならない。協働専門の傭兵もいないことはないが、それでも求められる水準は大ギルドの上位プレイヤー……クラウドアースのエリートプレイヤーなどと同列であってはならないのだ。そのような矮小な戦力に、傭兵としての価値はまるで無いのだ。

 探索専門とされるカイザーファラオは、裏を返せばいかなる危険地帯すらも単独で調査できる程の卓越した技量と生存を可能とする実力を兼ね備えているということだ。【運び屋】のRDは、プレイヤー・モンスター問わずにあらゆる猛攻を潜り抜けて確実に物資・人員を届けられるスペシャリストだ。

 強敵とはいえ、モブに過ぎないボーレタリア騎士にすら1対1で勝てないようでは、傭兵を名乗る資格などないのだ。上位プレイヤーと同列であってはならない。ギルドに属するトッププレイヤーと同じ働きをしていいわけでもない。与えられる報酬に相応しいだけのリスクを背負い、結果を残さなければならないのが傭兵なのだ。

 

「…………」

 

 本来ならば、傭兵とは何たるかを教えてくれたグローリーにむしろ感謝すべきなのだろう。だが、根本的に今回の戦いはグローリーの不注意が招いたことである。だからこそ、エイジに出来たのは沈黙だけだった。それがせめてもの心の折り合いというものである。

 HPを回復させたエイジは、冷たい灰色だった空がゆっくりと夕焼け色に変じていることに気づく。昼夜でダンジョンの様相は大きく変わるなど珍しいことではない。

 ランク無しに過ぎないエイジは聖剣騎士団から信用されておらず、提供された情報は最低限である。だが、グローリー経由で教えられたボーレタリア王城深部の特徴として、夜間は松明を有した見張りが多く配置され、またボーレタリアの隠密が活発に動き始める。特にボーレタリアの隠密は、高い隠密ボーナスを活かして背後から奇襲をかけるらしく、聖剣騎士団の探索部隊の多くが犠牲になっていた。

 

「もうすぐグローリー☆アーマーの回収ポイントです。実はこの先の門が夜間しか開かない仕様になっているんですよ」

 

 マッピングデータがあるだけで、ショートカットが開放されているだけで、ダンジョン攻略が大きく違うのは当然である。無事にたどり着けたモンスター侵入不可エリアである武器倉庫にて、先立って犠牲を出した聖剣騎士団の探索部隊、そして今は傭兵を引退した元ランク44に感謝しなければならないと思いつつ、エイジはようやく安心して休むことが出来ると壁にもたれながら腰を下ろした。

 だが、本来ならば傭兵に気を抜くなど許されない。今回は協働であるが、これが単独だった場合、そして依頼主が占有していない、多くの勢力が攻略を争っていたダンジョンである場合、気を抜いた瞬間や寝こみを襲う『プレイヤー』は決していないわけではないのだ。敵対勢力に雇われた邪魔な傭兵を排除しようと考える者は少なくないだろう。

 あくまでモンスター侵入不可エリアは、モンスターに襲われる危険を排除するだけであり、プレイヤーというモンスター以上に危険な『敵』の脅威を取り除いてくれるわけではないのだ。

 グローリーと協働せずともルーキーが病むのも理解できる。エイジは元ランク44の引退した原因の9割はグローリーにあるとしても、残りの1割は傭兵としての適性が無かったからなのだろうとも考えた。

 

「さーて、楽しい夕飯の時間にしましょう! こちらは聖剣騎士団印のレーションでも最高級!【黒毛の鎧牛の最上肉】をたっぷり使ったカレーです!」

 

「く、黒毛の鎧牛!? 最上肉!?」

 

 侘びしい弁当を食そうとしたエイジは、これがランク持ち……もとい財力の差かと打ちのめされる。

 黒毛の鎧牛は、聖剣騎士団が有する最大規模の牧場で飼育されている家畜モンスターだ。歯応えがある肉はステーキとして人気であり、聖剣騎士団の重要な資金源でもある。高熟練度の≪畜産≫スキル保有者が、家畜モンスターを配合して生み出した種である。

 家畜モンスターの品質は、モンスターそのものの配合レシピと成長段階で与える餌のレシピによって変化する。それらはいずれも極秘中の極秘である。黒毛の鎧牛は、聖剣騎士団の弛まぬ『食』への探究……その実りの1つなのだ。

 そして、黒毛の鎧牛でも特に希少なのが最上肉だ。市場に流通することは滅多になく、聖剣騎士団直轄経営レストランでも目玉が飛び出るほどの金額が付く。

 

「ふふふ! しかも、これは4つ星です!」

 

 食材は同名でも1~5段階の星が付いて更にランク分けされている。超希少部位の更に4つ星ともなれば、あのレーションは数万……いや、下手すればゼロがもう1つ付くかもしれないとエイジは唸る。

 

「……失礼ながら、お幾らですか?」

 

「聖剣騎士団からの支給品ですのでタダですね」

 

 これが専属傭兵か。バックアップの有無を食という形で露骨に見せつけられたエイジは、1桁ランカーがほぼ全員が専属傭兵である理由を実感する。単なる政治力のみならず、彼らは大ギルドの支援を受けているからこそのパフォーマンスの高さでもあるのだ。

 

「おや? エイジの夕飯は……ちょっと寂しいですね。幾ら仮想世界とはいえ、腹が減っては何とやら。いいえ! むしろ、仮想世界だからこそ、私達はお腹いっぱいに食べなければなりません! より良い食事を取って心の回復に努めねばなりません! 長期ミッションならともかく、今回のような短期ミッションでは、多少のアイテムストレージを消費してでも良質な食糧を持ち込むことをオススメしますよ! 騎士として! 騎 士 と し て ! 騎 士 と し て !」

 

 ……単純に金が無いんだよ! エイジは味気の無い薄切りハムを、これまた味気のない固焼きパンに挟んだだけのサンドイッチを齧って空腹を紛らわせる。もちろん、2つも3つも食べれる余裕などあるはずもない。明日以降に取って置かねばならない。

 だが、食に関してはグローリーの言葉通りだろう。多くの貧民プレイヤーがどん底から這い上がれない理由の1つは、決定的な食の量の少なさと質の悪さだ。

 現実世界の肉体の有無はどうであれ、いずれのプレイヤーも『現実世界で過ごした記憶と経験』を確かに持ち合わせている。即ち、肥えた舌と飢えに耐えられぬ胃袋が標準装備なのだ。

 NPC販売の食材やNPC経営の料理は、いずれも割高でありながら低品質だ。無論、高額のコルを支払えば、現実世界クラス……更にトップ水準の食を味わうことも可能であるが、それは例外中の例外である。

 食欲は満足に満たされず、空腹はやる気を削り取る。生死を天秤にかける覚悟を育てる土壌を干からびさせる。教会の炊き出し程度では、貧民プレイヤーを這い上がらせるには足らないのだ。

 そうして底辺の淀みの中で魂は腐敗し、貧民プレイヤーであることを受け入れながら、貧富の差を呪い、また妬むのだ。

 

(だが、スタートラインは皆同じだった。僕が這い上がれなかった時、今のトッププレイヤー達は、同じように味のしないパンを齧って戦っていた)

 

 今はこれでいい。エイジが思い浮かべるのは、自分が作った適当パスタを美味そうに食べたスレイヴの笑顔だ。彼女にもっと質の良い食事をさせる為にも、いち早く出世し、ランク持ち傭兵にならなければならない。

 

『エーくんは料理が上手だね』

 

 そういえば『彼女』も幸せそうに食べてくれたな。もう取り戻せない、取り戻したいとも思わない、取り戻すなど許されない過去が逡巡し、エイジは奥歯でパンを磨り潰して呑み込む。

 今は泥水を啜って渇きを癒し、野草を食んで飢えを凌いでも、戦わねばならない。エイジはグローリーとの食の格差を目と鼻と舌に焼き付けるようにサンドイッチを一気に口の中へと押し込んだ。

 

「よければ食べますか? 私はまだ持っていますし、差し上げますが?」

 

「結構です!」

 

 グローリーの善意の施しに揺らいだのは、エイジもまた人間として仕方のないことであり、また拒絶できたのは意地以外の何物でもなかった。

 日没となり、武器倉庫の外は燃え上がる松明で彩られていく。夜のボーレタリア王城は、昼間とはまるで異なるダンジョンであるかのような印象を与える。いびきを掻いて仮眠を取るグローリーの図太さに呆れながら、エイジはダーインスレイヴの状態を確認することで眠気が忍び寄る意識を保つ。

 スレイヴのレギオンとしての能力と本質の結晶である邪剣ダーインスレイヴ。エイジに最適化こそされているが、それ以外に目立った能力はない。

 否、『解放』されていない。熟練度が足りないのか、あるいは別の要因か。今もクローズ状態である。ダーインスレイヴは何の能力もない、せいぜいが耐久度ばかりは異常に高い剣に過ぎないのだ。

 

『邪剣ダーインスレイヴは、俺のレギオンとしての能力と本質を有している。俺は「最弱」のレギオンだから、どんな能力があろうと持て余すだけだ。だが、お前なら……人間であるお前だからこそ、俺の能力を俺以上に使いこなせるかもしれない。だが、ハッキリ言ってかなり扱い難い能力だから期待するな』

 

 スレイヴは解放されるまでの秘密としたが、エイジはさっさと能力を明かしてくれた方が今後の方針も立てやすいのに、と嘆息を重ねるばかりだった。

 だが、同時に下手に強力な能力が備わっていたならば、エイジは何も成長できなかっただろう。グローリーの狙い通りだったのは腹立たしいが、ボーレタリア騎士との一騎打ちがなければ、エイジは障害克服の糸口を掴めないままだったのだから。

 

「ふぁああああ! グッドモーニング、エイジ! よく眠れましたか!?」

 

「……十分に休ませてもらいましたよ」

 

 もう時間帯で言えば深夜だぞ!? 夕飯後にたっぷり6時間も寝たグローリーの頬はツヤツヤであり、対してエイジの目は疲労の色が濃くなっていた。

 精神的な図太さは傭兵に必須かもしれないが、この男と同じ真似をしたら睡眠PKで死ぬことになる。むしろ、この男はよくぞ今日まで生き残れたものだな、とエイジは感服する。

 

「さっさと防具を回収しましょう」

 

「おっと、急がないでください。まずは目覚めの珈琲でも嗜もうではありませんか。ああ、でも実は私って珈琲より紅茶の方が好みなのですが、DBOではまだ良質な紅茶の生産が進んでいないのは残念ですね! クラウドアースが市場への安定供給を近々開始するらしいですが、期待に胸筋が震えちゃいますよ!」

 

 逞しい胸筋とシックスパックの腹筋を見せつけながら、グローリーは無駄にポーズを決めながら湯を沸かし始める。

 フリーダム過ぎる。エイジは自分用の安物のブレンド珈琲をマグカップに注ぎ、今にも穴が開きそうな胃を慰めた。

 

「ところで、エイジの武器はその剣だけですか? ああ、失礼! エイジの情報を抜こうなどとは思っていませんよ。ただ、折角武器枠が2つもあるのですから――」

 

「……だけですよ」

 

「え?」

 

「金が無いから揃えられなかっただけですよ!」

 

 これ以上は言わせないでくれ! エイジは今にも情けなさで泣き出しそうな気持ちを堪える。

 防具とアイテム、そしてスレイヴと2人分の食費と生活費。それだけでエイジの財布はもう空っぽなのだ。とてもではないが、武器をもう1つ準備する余裕など無かったのだ。

 警備時代はクラウドアースの貸し出しがあったのだが、当然ながら離籍時に返却している。最前線級ダンジョンに持ち込める武器は中古や盗品が揃う裏市場でも安値であるはずもなく、また多少劣っても使える程度さえも購入する資金もなく、エイジの得物は邪剣ダーインスレイヴだけである。

 これにはさすがのグローリーも気まずくなったのか、誤魔化すように笑って珈琲を飲む。だが、エイジの惨めさが消えることはない。

 だが、この依頼を達成すれば、少なくとも食の危機を脱することができる。家賃を支払うことができる! エイジは汗が滲む拳を握り、何としても問題なく依頼達成をしなければならないと決意を改めた。

 

「い、いやぁ、申し訳ありません。まさかエイジがそこまで金欠だったとは」

 

「グローリーさんには無縁でしょうが、僕のような底辺はいつだって残額を気にしなければ、戦うことはおろか、生きることだってできませんよ」

 

 また悪癖が飛び出した。エイジは謝罪を述べようとするも、珈琲で満たされたマグカップを傾けるグローリーの何処か懐かしむような、それでいて寂しさを滲ませた眼に唇を噛む。

 

「……ああ、申し訳ありません。少し昔を懐かしんでいたんですよ。私はサインズ設立以前の黎明期から傭兵ですが、元は聖剣騎士団の出身でした。ですが、スカウトされる以前は、こう見えてソロだったんですね」

 

 こう見えても何も、このウザ過ぎるキャラとフリーダムっぷりでは、傭兵間では相対的人格者でも、普通のギルドやパーティからはご遠慮願うというものだろう。そう思ったエイジであるが、そもそも自分はグローリー以下の人間関係の希薄さである事に気づいて指摘を口にすることは無かった。

 

「その頃の私はDBOのバトルシステムもろくに把握できておらず、毎日を我武者羅に戦っていました。効率的な経験値やコル稼ぎも満足に出来ず、スタミナについても理解不十分。騎士として振る舞おうにも格好も付かず、情けないものでしたよ」

 

「グローリーさんにそんな時期が……」

 

「ですが、そんな私にもお節介を焼いてくれた方々がいましてね。何でも別タイトルでもギルドを結成していた方々で、仲良くDBOにログインしてデスゲームに囚われた。別に珍しくもないパターンでしたが、当時は……今とは違う意味で先行きも見えず、大ギルドのように強権を振るって秩序を敷いてくれる組織もなく、教会のような拠り所もない。そんな中で、ひたすらにDBOに抗おうとする彼らを……とても羨ましく思いました」

 

「羨ましい?」

 

「ええ。私にはDBOに囚われた絶望感なんてありませんでした。むしろ、己の騎士としての本懐を果たせる絶好の機会に巡り合えたという喜びすらもありました。私は……現実世界に飽き飽きしていたんですよ。個人が武勇で栄光を掴む事など許されない、戦いそのものが拒絶と否定を受ける時代。私は皆を守る騎士として生きたいのに、私の騎士道を貫かせてくれる居場所は何処にもなかった。私が欲しいのは立場でも、金銭でも、形ばかりの勲章でもなく、栄光に満ちた名誉なのに」

 

 余りにも時代遅れ過ぎる願望と思想だ。だが、グローリーの憧れを真っ向から否定するなどエイジには出来なかった。

 

「だからこそ、私は彼らを羨んだ。彼らの在り方を尊く思えた。結果として、私は大きな間違いを犯し、恩人たちを死なせてしまいました。助けることが出来ませんでした。あの頃の私には迷いがあったんですよ。鬱屈した現実世界からの開放感と同時にあった、守るべき多くの人々が悲劇に見舞われたからこその自分の騎士道を貫けることへの喜びという矛盾。私は……『騎士』であることに迷い、故に彼らを死なせてしましった。『騎士』としてではなく『ただの人間』として甘えてしまったからこそ、彼らを救う事が出来なかった」

 

 もう乗り越えたのか、あるいは今も苦しんでいるのか。どちらであるとしても、グローリーは『馬鹿』という代名詞から程遠い悲しそうな苦笑を漏らす。

 

「私はもう『騎士』であることに迷いません。彼らの死と後悔が私を本当の意味で『騎士』にしてくれた」

 

「…………」

 

「故にエイジに問いましょう。キミはおっぱい星人ですか?」

 

「……は?」

 

「おっぱい星人なのか。騎士としてそう問いかけているのですよ」

 

「……は? は? は?」

 

 え? 話の流れが行方不明なのだが、僕は寝惚けて何か聞き漏らしただろうか? エイジは眉間を揉み、珈琲を口にし、少なくとも記憶に欠落は無いと確認し、その上で物悲しい語りをしていたはずのグローリーを正面から見据える。

 グローリーの双眸は今までになく真面目だ。真剣そのものだ。故にエイジは戸惑う。これも自分を試しているのだろうか、と。

 

「僕は……ふ、普通? 大きくも小さくもない……普通?」

 

「つまり、溢れんばかりのメロンが好きなおっぱい星人である、と?」

 

「いや、だから……普通」

 

「つまり、天下無双のたゆんたゆんを求める巨乳大好きマンである、と?」

 

「いや、その、えーと……普通」

 

「エイジ! これは大事な質問です! はぐらかさずに答えてください!」

 

「だから普通だ! それの何が悪い!? 大きいとか小さいとかじゃなくて、こう揉んだら手にジャストな……ハッ!?」

 

 僕は何を答えているのだ!? 困惑するエイジに、してやったりとグローリーはウインクする。

 

「ようやく表情に血が通いましたね! エイジはもっとリラックスして人生を楽しむべきですよ! この仕事が終わったら、パーっと派手に打ち上げといきましょう! もちろん、この騎士の中の騎士たる私の奢りですよ!」

 

「…………」

 

「さて、グローリー☆アーマーの回収に向かうとしましょうか」

 

 鼻歌を奏でながら出発の準備を始めるグローリーの背中を目にして、エイジは己の頬をゆっくりと撫でる。

 

『笑っていいんだ、エイジ』

 

 スレイヴの言葉が蘇り、エイジは戸惑いを強めていく。

 人生を楽しむ。それは生者の特権なのだろう。

 グローリーは良くも悪くも苦楽を『騎士』として受け入れている。だからこそ、あれ程までに笑顔を絶やす事がなく、また周囲を振り回す『馬鹿』なのだろう。

 

(僕には無理だ。スレイヴやグローリーみたいに笑って生きるなんて……出来ない)

 

 元よりエイジは快活に笑えるタイプではない。故に感情豊かだった『彼女』にはある種の羨望もあったが、なりたいとは思わなかった。

 むしろ『彼女』の笑顔を見るのが好きだった。幸せそうに歌っている姿が何よりも好きだった。『彼女』の夢を叶える為ならば、何だってやろうと願った。

 だが、今は『彼女』への想いも、願いも、思い出さえも純粋なものは1つとして残っておらず、黒く粘ついた憎悪によって汚れてしまっている。そして、皮肉にもそれがエイジに戦う力を与えている。障害へと立ち向かう唯一無二の支えとなっている。

 人間として負の性質に寄っているのは自覚がある。だが、今はそれでいいとエイジは割り切る。

 堅牢なガードを誇る盾と槍を装備したボーレタリア騎士を、今度は難なく葬ったエイジは血で濡れたダーインスレイヴを振るい、闇夜から強襲するボーレタリアの隠密を逆に刺し貫いて仕留める。

 夜間は有効視界距離に制限がかかり、視界の悪さはフォーカスロックも外れやすくなる。≪暗視≫があれば軽減ないし無効化できるが、エイジは所有していない。だが、エイジの目は闇に潜むボーレタリアの隠密の動きを捉えている。

 障害を除けば高いVR適性を有するだろうエイジは知覚に関しても鋭敏だ。低VR適性者ならば目を凝らさねば認識できない細やかな色彩の違いも、集中力を研ぎ澄まさねば意識できない小さな動きも捉えることが出来る。そこにエイジ自身の高い観察眼も加われば、闇に紛れる迷彩さえも見破れる。

 だが、ボーレタリアの隠密は迷彩のみならず、名前の通りにシステム的にも高い隠密ボーナスを得ている。こうなれば、幾ら目が優れていてもフォーカスロックは外れやすくなり、視覚では捉え難くなる。

 ならばこそ、エイジは地面の僅かな砂の舞い上がり、焚かれた松明の火の揺らぎを見抜き、一息でグローリーの背後から迫っていたボーレタリアの隠密を胴から両断する。

 夜のせいか、敵のメインが強力なボーレタリアの隠密にシフトしており、真っ向勝負に持ち込めないグローリーは何処か戦い難いようだった。ボーレタリアの隠密は独特の形状をした投擲短剣を投げ、また毒霧などのデバフ攻撃も絡める。また、攻撃を受けても怯まない、いわゆるスーパーアーマー状態の回し蹴りが何よりも厄介だ。

 昼間は無双の活躍をしていたグローリーであるが、どうやら搦め手を駆使するボーレタリアの隠密は苦手のようだった。逆にエイジはグローリーを狙うボーレタリアの隠密を上手く倒すことによって着実に経験値を稼いでいった。

 そうしてグローリーが鎧を失った、もといパージしたという内部が暗くて何も見えない建物に到着する。今は開門されているが、夜間しか開かないらしく、故に日が落ちるのを待たねばならなかったのである。

 

「ここです。この先に、まぁ……ブヨ虫といいますか、あまり好ましくない人型モンスターがいましてね。内部に入るとクロスボウ兵に一斉掃射されます。左右に柱がありますので、そこで凌いでください。その後は接近して敵の集団を倒せば終わりですが、ブヨ虫を確実に仕留めないとトラップが起動して鈍足状態になって天井から油が降り注ぎます。前回はそれを知らずに仕留め損なってしまって、アーマー☆テイクオフをして切り抜けるしかなかったのですよ」

 

 ブヨ虫とは、ボーレタリア関係のステージで登場する【太った公使】の『公式』蔑称である。多くのNPCが確かな嫌悪感を滲ませるこの人型モンスターは、まるでゾンビのような黒い肌をしており、脂肪の塊のように全身は太ってブヨブヨである。だが、意外にもSTRは高く、クレセントアクスの一撃は重く、また火線などの呪術に似た、だが根底が異なる『炎の魔術』を駆使してくる。

 トラップが起動して鈍足状態で油まみれになった所に強力な炎属性攻撃を受ければ大ダメージは免れず、また鎮火し難いので炎上状態でじわじわとHPは削られ、熱傷のデバフも負いかねないだろう。攻略に必須であるにしても、レアアイテムを得られる脇道だとしても、殺意の高い難所であることには違いなく、エイジは自然と緊張する。

 呼吸を整え、グローリーと共に踏み込めば、建物内部の松明が一斉に灯る。奥にはクレセントアクスを装備した太った公使が厭らしい笑みと共に待ち構えており、数十のクロスボウ装備のボーレタリア兵士が射撃体勢で待っていた。

 普通ならば初見殺しにも程がある。大盾装備でもない限りはノーダメージで切り抜けることは難しいだろう。一斉射撃をグローリーの情報通り、入ってすぐに両脇にある柱へと身を隠して切り抜ける。

 エイジは右の柱、グローリーは左の柱に身を潜めて次々に放たれるボルトの雨が散らす火花で視界を彩る。だが、連射性に難のあるクロスボウだ。それは敵も変わらず、ついにインターバルが訪れる。飛び出したグローリーとエイジは、一気に敵陣へと踏み込み、クロスボウ兵を薙ぎ払っていく。

 だが、雑魚の処理は後回しである。多少のダメージは承知で太った公使を最優先に排除しなければならない。だが、ニタニタと嗤った太った公使は悠然と距離を取り、ボーレタリア兵士たちを盾とする。

 逃がさない。エイジは大きく跳び、ボーレタリア兵士の頭を踏み台にして宙を舞い、太った公使の頭上を取る。だが、容易に攻撃を当てさせてくれるはずもなく、大型戦斧であるクレセントアクスのガードによって阻まれる。

 エイジはDEXがやや高めであることを除けば、STRとTECはほぼ同水準で成長ポイントを割り振った、いわゆる『上質』と呼ばれる部類のステータス構成だ。斬り合っても押し負けこそしないが、STR特化のように押し切れるほどではない。

 エリートプレイヤー時代にステータスの高出力化についても訓練を受けているが、これはVR適性ではなく戦闘適性……脳のリミッターを何処まで解除できるかに依存するらしく、エイジはまだまだ道半ばであり、4割以上を引き出せる気配は無かった。

 エイジの苛烈な攻めを、意外にも巧みに防ぐ太った公使は、逆にエイジの脳天を割ろうとする。だが、これをダーインスレイヴで軽やかに弾き、逆に太った公使の体勢を崩して前のめりにさせたところへ喉へと必殺の突きを抉り込む。

 

「うごぉ!?」

 

 血の泡を吹く太った公使へと更に刃を潜り込ませ、蹴りで吹き飛ばす。その間にグローリーは邪魔なボーレタリア兵士を瞬く間に撃破しており、待っていたといわんばかりに片手剣に白光を収束させていた。

 

「ナイスです、エイジ! 今、超必殺のぉおおおおおお! グローリー☆ライトブレード!」

 

 グローリーが片手剣の突きを放てば、もはやゼロタイムにも等しく光が迸り、槍の如く突きの延長線上にいた太った公使を貫く。光属性の攻撃なのだろうが、驚くべきはその攻撃スピードである。

 見てから回避はほぼ不可能であり、射撃ではなく刺突属性扱いならばカウンター補正も高いだろう。だが、攻撃力自体はさほどでもないのか、太った公使は仕留め切れていない。だが、グローリーは余裕を持って接近すると大盾で殴りつけて黙らせ、光り輝く片手剣の連撃で今度こそ仕留める。

 

「フッ! これがグローリー☆ソードの力……我が騎士道に相応しき聖なる光の刃です」

 

「ユニークウェポンだとは聞いてましたが、凄い能力ですね」

 

 対モンスターよりも対人戦で恐ろしい性能を発揮しそうではあるがな、とはエイジも言えなかった。あれ程の射程を持った突きを弾かれるリスクもなく、それも対策が難しい光属性で放てるのは脅威以外の何物でもない。

 そして、あれだけが能力であるはずもなく、何か隠し玉があるはずである。エイジは質問を喉元で堪える。下手に探りを入れても面白くはない疑惑を呼ぶかもしれない。幾ら『馬鹿』が代名詞のグローリーでも、ペラペラと得物の能力を語らないだろう……と、精神衛生上強く信じたかった。

 

「いやー、最近は便利になりましたね! 以前はアーマー☆テイクオフをすると工房で修理が必須だったのですが、今は技術革新のお陰で……ここを……こうして……あれ? あれぇ? ここを……えーと……ああ、なるほど!」

 

 鎧の留め金に仕込まれた火薬を炸裂させて肉体から防具を解き放つ。その際に吹き飛んだ鎧で周囲にダメージを与えるのは結構であるが、そもそもそんな出鱈目な機能を搭載する必要性を全く感じられず、エイジはグローリーが単に露出狂なだけにしか思えなかった。

 防具の重量を下げて機動力を上げる。それ自体はポピュラーな発想であるが、何事にも限度があるのだろうに。エイジは腕を組んでグローリーの作業を見守りながら周囲を警戒する。

 

「お待たせました! ご覧ください! これがパーフェクト騎士☆アーマーですよ! この輝き! この艶! この意匠! まさしく騎士たる私に相応しい!」

 

 ようやくまともな格好になってくれた。褌1枚から銀色の甲冑姿となったグローリーを見て、エイジは心の中で大きなため息を吐く。

 本人の発言通り、希少な素材がふんだんに使われているだろうことが窺える防具である。磨き抜かれた銀色の表面を彩るのは黄金の輝きであり、彫り込まれた意匠もまた細やかで匠の業を感じる。

 

「さて、今日は少し本気といきましょうか」

 

 そう言ってグローリーは顔面が露出するヘルメット型の兜を被る。金糸の飾り緒が付いており、額の部分には琥珀にも似た色合いの結晶が埋め込まれていた。

 

「フッ、気になりますか?」

 

「いえ、別に――」

 

「気になりますよね! それもそのはず! 騎士たる騎士である私はこれまで視界制限と装備重量節約の観点から兜を被っていませんでしたからね! ですが、この兜はGA開発過程で生まれた新技術を搭載したものなのですよ!」

 

 機密漏洩なのではないだろうか? エイジは思わずグローリーが規約違反を犯していないかと心配になる。とんでもない秘密を聞いて、後々になって聖剣騎士団から情報料として莫大な額を請求されるなどご免である。

 グローリーが兜を弄れば、一瞬であるが露出した顔面部を覆うように青い光の膜が生じる。それに連動し、グローリーの甲冑の各所に仕込まれた兜に仕込まれた琥珀結晶と同じものが輝き始める。

 

「スクリーンフェイスカバー! 攻撃を感知して自動的に顔面を保護する『バリア』ですよ! 従来のフルフェイス型では、飲用アイテムが使用し難いという問題点がありましたが、これならば解決します! まぁ、フルフェイス型に比べれば防御力は負けますがね」

 

 ああ、やっぱり聞くんじゃなかった。エイジは顔面を覆って泣きたい衝動に駆られる。

 現在、防具は単に防御力を獲得するものではなく、機動力の補強や攻撃面の補助に重点を置いている。これは聖剣騎士団に留まらない、DBOの最前線におけるトレンドのようなものである。

 このブームの火付け役となったのは、アノールロンドのボス攻略戦で暫定・人型最強ネームド【竜狩り】オーンスタインを単独撃破した独立傭兵スミスの防具ラスト・レイヴンだ。

 フルアーマーでありながら、ブースト機能によって3次元高機動を可能とし、なおかつ様々なオプションで攻撃手段を増加させている、HENTAIとは何たるかを示した防具だ。

 ラスト・レイヴンの再現を目指したのがGAであり、本家とは違って高重量かつ機動力補助もお粗末であるが、一応の成功例としてヘビィメタル・シリーズが配備され、性能を下げたモンキーモデルは市場に出回っている。

 だが、ラスト・レイヴンとヘビィメタルで決定的に違うのは、装甲の薄さを補う全方位バリアの有無だ。いずれの大ギルドもラスト・レイヴンの製作者であるヘンリクセンから技術供与を求めて破格の条件で交渉していると噂されているが、鍛冶屋らしい頑固者は首を縦に振らない。

 そうなれば他のHENTAIに頼るか独自開発しかないのであるが、いずれの大ギルドもさすがに取っ掛かりの1つも得られていない……というのは『表向き』に流布されている噂である。

 だが、グローリーが披露した兜は、聖剣騎士団がバリア搭載に向けて確かな1歩を踏んでいる証拠であり、まだまだクローズされていなければならない情報であるはずだ。同じ専属同士ならばともかく、独立傭兵ですらないランク無しのエイジに明かしていい情報ではない。

 バレたら多額の情報料請求&監視は間違いない。聖剣騎士団からの圧力で傭兵業界から追放された上で、情報開示される時まで軟禁もあり得る。最悪の場合は暗殺の危機である。

 

「おや? もしかして、羨ましくなりましたか? フッ、焦ってはいけませんよ。キミの騎士道はまだまだ始まったばかりです! 地道にランクアップしていけば、いずれはお財布も膨れて、武器も防具も最新技術やレア素材を使ったオーダーメイドも夢ではありません!」

 

 その夢がお前のせいで潰えそうなんだけどな! エイジは何があってもこの情報を漏洩してはならないと誓うと同時に、グローリーが兜の秘密を教えたと聖剣騎士団に報告する未来が予見され、絶望以外のルートが残されていない事実に苦悩する。

 

「グローリーさん、その兜について、僕は見聞きしなかった。そういう事にしてくれませんか?」

 

「ふーむ、別に構いませんが、出来ればエイジにも性能テストの報告に付き合ってもらいたいのですが――」

 

「結構です。僕のような素人の報告よりも、エリートの中のエリート……いいえ、騎士の中の騎士であるグローリーさんの報告だけで十分なはずです。僕が関わっても余計に混乱させるだけかと」

 

「……ああ、なるほど。そういうことですか」

 

 察してくれたか。エイジは何とか首の皮1枚繋がったかと安堵するも、グローリーの笑顔のサムズアップに地獄の門は開いたと先んじて察知する。

 

「大ギルドが相手の報告だからといって緊張しなくてもいいんですよ! この騎士たる私がついています!」

 

 そういう意味じゃない! 奥歯を噛んで叫ぶのを堪えたエイジは、何としてでも地獄の門を閉じねばならないと思案するが、『馬鹿』であるグローリーを上手く誘導する術が思いつかなかった。

 ストレートに伝えるべきか? いや、それはそれでリスクを招くかもしれない。悶々と悩みながらエイジはグローリーと共に建物内部の探索を進める。

 

「ふーむ、ここはブヨ虫の宝物庫だったようですね。トレジャーボックスがたくさんありますが、≪ピッキング≫が必須みたいですね。エイジは持っていますか?」

 

「お生憎ですが」

 

「そうですか。まぁ、これは回収班に任せましょう」

 

 最奥にはトレジャーボックスが敷き詰められた小部屋があり、エイジは失敗すると分かっていても開錠にチャレンジしたい欲望に駆られる。

 固定型トレジャーボックスは1度開けば中身が補充されることはないが、代わりに高レアリティのアイテム……時にはユニーク級も入手可能である。

 大ギルドのみならず、中小ギルドやパーティ単位でも、トレジャーボックスで得たレアアイテムを横領するのは日常茶飯事であり、時として殺し合いにも発展する悩みの種である。無事に太った公使の宝物庫から脱出したエイジは、入り組んだ路地を進み続ける。

 やはりグローリーは搦め手に弱いらしく、ボーレタリアの隠密に幾度か毒状態にされるも、スリップダメージなど知ったことかといった具合の怒涛の攻めで突破していく。ボーレタリアの隠密が使うのはレベル2の毒であり、レベル100を突破した近接ファイターの高VITには既にパンチ力が足りない。

 エイジも近接ファイターであるが故にVITにはポイントを多く割り振っている。だが、毒状態になってもグローリーのように攻め続ける事が出来るかと問われれば自信が無かった。それは経験の差と精神性の違いである。

 

「ようやくたどり着きましたね」

 

 回復アイテムの在庫も底が見え始めた頃合いになって夜明けを迎える。グローリーのせいで必要以上の戦闘も強いられ、何度か十分にスタミナ回復を済ませられないままに強敵と戦闘する羽目にもなり、エイジの精神的疲労はピークに達していた。

 そうして、ボーレタリア王城の最深部へと続く最後の砦……巨大な色の無い霧で入口が覆われたボス部屋が目に入る。だが、そこにたどり着くまでには大階段を攻略しなければならず、多数のボーレタリア兵とボーレタリア騎士……特にボス部屋正面を守護する槍と盾装備のボーレタリア騎士3人組を突破しなければならないだろう。

 大階段の反対側は、ボーレタリア王城深部の入口から一直線でここまで来れるショートカットがある。エイジは先んじてレバーを上げて開門してショートカットを解放し、ひとまずの仕事は成したかと達成感に浸った。

 

「グローリーさん、あの大階段を僕たちで突破するのは無理があります。回復アイテムの残数も心許ないですし、退却を――」

 

「今! 超必殺のグローリー☆ボルケーノ!」

 

 無駄にポーズを決めた大ジャンプからの大盾を使ったプレス攻撃。それは敵を潰し、またそのまま衝撃波で周囲の敵を火山の噴火の如く吹き飛ばす。

 あれも≪神聖剣≫の専用ソードスキルか何かだろうか。胃が壊れそうな勢いで締め付けられるのを感じながら、敵に包囲されながらも圧倒的な戦闘能力を見せつけるグローリーの援護にエイジは駆ける。

 考え無しに突撃しただけとは信じたくない。だが、見殺しにするという選択肢は依頼の性質上あってはならない。木製の置き盾の影から飛来するボルトを剣で弾いて防ぎながら、エイジはまず邪魔な射手を排除していく。そうしている間にも、圧倒的数の不利を桁違いな個の戦闘能力で覆すグローリーのあり得なさを見せつけられていく。

 ユニークスキル≪神聖剣≫はSAOにも実装されていたが、DBOではやや性能が異なる。大盾を装備すればDEXの大幅な下方修正は免れず、グローリーのようにフルアーマーではどれだけDEXにポイントを割り振ってもスピードは発揮できない。だが、≪神聖剣≫があれば大きく緩和され、グローリーのように素早く動き回れる。

 だが、それだけがグローリーの強さを象徴しているのではない。一見すれば、無駄ばかりあるふざけた動きであるが、逆に言えば『無駄を挟んでも包囲された無数のモンスターを十分に倒せる』程にグローリーの強さが異次元レベルで隔絶する程なのだ。

 あるいは、あのように無駄にポーズを決めること自体がある種のモチベーションの上昇や精神安定にもなっているのかもしれない、と好意的にエイジは捉えることにした。それが彼の限界だった。

 

(だが、コイツらを回すとさすがに不味そうだな)

 

 ボーレタリア兵士やボーレタリア騎士を纏めて引き受けてくれたグローリーであるが、最後の守り手である槍騎士3人がいよいよ動き始める。

 エイジの見立てでは、道中で登場した同じタイプの槍と盾持ちのボーレタリア騎士とは違い、3体同時で戦う独自の連携オペレーションがAIに組み込まれているのは間違いない。そうでもなければ、ボス戦前の最後の防衛線に相応しくない。

 別タイプとはいえ、クレイモア装備の同じボーレタリア騎士1体を相手にして醜態を晒した。

 たった1晩しか経過していない。レベルも確かに上がったが、実力が大幅に備わったと自惚れてもいない。

 それでも試したい。障害を乗り越え、『力』を手にしたい。エイジはダーインスレイヴに両手を這わせて霞の構えを取る。

 来る。最初の1体の突進突き、回避ルートを潰すように数歩後ろで残り2体が左右で待機。下手に跳べば空中迎撃、回り込もうとしても槍のリーチに捕まり、後ろに退けば突進攻撃の餌食となる。

 複数の敵と対峙した時の対処法は幾つかあるが、各個撃破が基本だ。仲間がいて数で勝るならば無理矢理でも分断は出来る。数で負けても、あるいは単独であっても、アイテムやスキル、地形を駆使して1体ずつ孤立させて倒す手段もある。弓矢や銃、魔法などで距離のある内に数を減らすのも常套手段だ。 

 だが、エイジが求めるのは純然たる3対1の不利を覆すことだ。現にグローリーは3倍どころではない人数差を、個々の戦闘力では劣るボーレタリア兵士込みとはいえ、軽々と跳ね除けている。

 退くな。怯えるな。折れるな。エイジはダーインスレイヴを起点として憎悪を滾らせ、敵の殲滅にして死滅に意識を研ぎ澄ます。

 余計な感情など要らない。理不尽とも思える程の八つ当たりの如く憎しみをぶつけて殺す。それがエイジの唯一無二の戦う手段なのだから。

 回避不能。ならば捌くのみ。エイジは正面から迫る突きを弾き、火花の中を進んでボーレタリア騎士の喉元へと剣を突き入れる。カウンターで入ったダーインスレイヴの一撃はHPを大幅に削り、またよろめかせる。

 最初のフォーメーションが崩されても、残りの2体は慌てる様子もない。いや、そもそも亡者であるならば、感情的動揺は無いようにプログラミングされているはずだ。ならばこそ、エイジの動きに淀みはない。右の1体へと迫り、ガードを崩すべく蹴りを入れる。≪格闘≫を獲得しているエイジの蹴りは強烈であるが、一撃ではさすがにボーレタリア騎士のガードを崩すことは出来ない。

 だが、ガードを固めた。ならばとエイジは足首を利かせて素早く背後に回り込み、左右の膝裏を一閃する。対処が遅れたボーレタリア騎士は跪く。

 残る2体が迫り、左右からの挟撃を狙う。だが、それより先にエイジは≪両手剣≫の回転系ソードスキル【リフレイン・スパーク】を繰り出す。5連撃にも及ぶ連続回転斬りであるが、その特徴はライトエフェクトが異常に拡散することである。

 3体が斬撃の渦に巻き込まれる絶妙なタイミングでのソードスキルの発動を可能とするのは、弛まぬ鍛錬と見切りを成す眼だ。どちらが欠けても刃は届かない。

 まだだ。まだ戦えるはずだ。エイジは戦いに憎しみをぶつけられる高揚感のままに、剣速を上昇させていく。

 鈍い。ボーレタリア騎士の動きはいずれもスローモーションに感じるほどだ。エイジの剣は面白いようにボーレタリア騎士の攻撃とガードを潜り抜けていく。

 1体目を撃破。胴を薙いで飛び散る血の赤色を視界の端に、右手だけでダーインスレイヴを回すように薙いで槍を弾き、2体目の盾を踏み台にして滞空し、≪両手剣≫の単発系ソードスキルであるヘルムブレイカーを発動させ、その名の通りに兜を割るようにして斬撃を浴びせて撃破する。

 最後の3体目がソードスキルの硬直時間を脱するより先に突きを繰り出して横腹を刺し貫くも、それを待っていたとエイジは逆に槍を掴む。

 武器は簡単に捨てられない。それはプレイヤーもモンスターも変わらない。AIの判断が武器の放棄を選択するより先に、エイジは槍を力任せに引き抜き、そのままボーレタリア騎士に接近して盾で防がれる前に胸の中心へと剣を吸い込ませる。

 刺し貫かれたボーレタリア騎士をそのまま押し倒し、踏みつけ、改めて顔面を刺し貫く。痙攣したボーレタリア騎士はそのままHPを全損させて息絶えた。

 無傷とはいかなかったが及第点だろう。ダーインスレイヴの効果か、それとも戦闘への隠しきれない暗い高揚感のお陰か、あれ程に苦手だったDBO特有のダメージフィードバックにもまるで怯まなかったのは大きな進歩だった。

 グローリーの方の戦いも済んだのだろう。リザルト画面が表示され、エイジは獲得した多数のアイテムに口元が歪む。これらを総売りすれば、依頼報酬以上の金額になる。だが、入手アイテムは聖剣騎士団に全て提出しなければならない。それが勿体なくてしょうがなかった。

 だが、依頼違反した傭兵には多額の賠償、そして取り返せない信用低下が待っている。最悪の場合は同じ傭兵からターゲットとして狙われる粛清だ。

 悪質な依頼違反を犯した傭兵の粛清をサインズが依頼するのは主に独立傭兵である。その中でも【渡り鳥】が粛清依頼を引き受けた場合、ターゲットを待っているのは最も恐ろしい死であるとされていた。

 

「エイジ、キミは……いいえ、今は止めておきましょう。キミの成長は喜ぶべきでしょうからね」

 

 何か言いたげだったグローリーは、エイジと並んでボス部屋の正面……霧の前に立つ太った公使を睨みつける。太った公使は相変わらずのニヤニヤした顔のまま、色の無い濃霧の奥……ボス部屋へと消えていった。

 

「ご存知ですか? ブヨ虫が炎の魔法を使えるのは、捕らえた魔女ユーリアを辱めて魔法の知恵を奪っているからなんですよ」

 

「……初耳です」

 

「騎士として、ブヨ虫は野放し出来ません。たとえ、それがボス戦へと誘う演出だとしてもね。『騎士』として恥じぬ生き方をする。それが私ですから」

 

 単なる設定だろうに。『騎士』の義憤を滾らせるグローリーに飽きれながらも、エイジは大階段に腰を下ろして深緑霊水を飲んでHPを回復させる。

 

「僕は行きませんよ。自分の実力を過剰評価していません。これだけの戦力でボス戦なんて無理だ」

 

 ネームドの単独撃破の経験もあるグローリーとは違い、エイジはリポップ型ネームドを相手にしても障害で腰を抜かしたまま動けなくなるという醜態を晒している。

 だが、『死』ではなく『醜態』で済んだのは、同時に戦った同僚の存在があったからこそだ。ソロで挑んだか、あるいはもっと少数だったならば、エイジは間違いなく死んでいた。

 たとえグローリーは可能でも、エイジには不可能だ。これは冷静な分析の結果であり、正しき臆病だ。今の自分にボス戦に……ネームドに挑めるだけの準備は無い。

 

「グローリーさんも回復アイテムがピンチでしょう? ここはやはり撤退すべきですよ」

 

「んー、ボス戦はあまり回復する暇がないので気にしませんね。今の数があれば十分ですよ。回復アイテムの使用を連発するようでは押し潰されてしまいますからね」

 

 大人数で挑むのとも、少数で戦うのとも違う。ソロでネームドと殺し合うのは、もはや既存の戦法からかけ離れているのだ。

 頭がイカれている。睨むエイジに、グローリーは笑顔で記憶媒体クリスタルを渡す。

 

「そこにはエイジの依頼達成認可書が入っています。私のプレイヤーサイン済みなので偽造が疑われることはないでしょう。たとえ、私がボスに負けても、キミには一切の責任がないことも明記しています」

 

「こんなもの、いつの間に……」

 

「ふふふ! ダンジョンに入る前、最初からですよ!」

 

 最初……から? エイジは困惑してクリスタルを見つめる。

 つまりはボーレタリア騎士相手に手こずるどころか殺されそうになる前から、グローリーはボス部屋の正面までエイジは共にたどり着けるはずだと信じてくれていたのだ。

 

「ぼ、僕は……僕は貴方とは違う! 他の傭兵と比べても弱い! ランク無しの僕に……どうして!?」

 

「んー、そうですね。エイジは『弱くない』と思ったからでしょうか? キミは確かに私とも、ライドウとも、ランク9とも、ランク1とも、スミスとも違います。でも、それは当たり前ではありませんか? 武器も防具もスキルも違う。戦い方も考え方も違う。過去だってもちろん違う。私達は全員とも違う。だから『他人』なんですよ。そうでないと退屈じゃないですか」

 

「…………っ」

 

「ちなみにそのクリスタルには、サインズにキミのランク持ち昇格推薦も入っています。私の推薦書では大したお役に立てないかもしれませんが、キミは一刻も早くランク持ちになるべきですからね。それだけの実力がありながらランク無しで腐っているなど、騎士として見逃せませんから☆」

 

「こんなもの……ただの……屈辱だ」

 

 言葉にするべきではない。そう分かっていても、エイジには施しを受けたようにしか思えなかった。

 正面切った戦いならば、傭兵でもぶっちぎりで最強と謳われるグローリー。彼の推薦書はランク持ちを狙うランク無しからすれば、垂涎の宝物だ。1桁ランカーの推薦書とは、それ程までに影響力を持つ。無論、それだけでランク持ちに即昇格などあり得ないが、サインズは大きな判断材料として扱うだろう。

 だからこそ、エイジにはこの推薦状は途方もなく重たく感じられて仕方なかった。

 

「エイジの誇りを傷つけたならば謝罪しますが、推薦を書いたことに私は一切の後悔も反省もありません。私の騎士の目は、スミス曰く『コンタクトでも入れた方がいい』とのことですが、1つだけ確かに言えることがあります」

 

「……何ですか?」

 

「エイジ、キミはやはり……おっぱい星人であるということですよ」

 

「だから違う!」

 

「ハハハハハ! エイジは物事を堅苦しく考え過ぎなんですよ。そもそもどうして屈辱に思う必要があるんですか? それって『自分はランク持ちになるべきじゃない』って卑屈そのものではありませんか! 傭兵はエゴイストでなければ食べていけませんし、生き抜けませんよ?」

 

 グローリーの快活な笑いと指摘に、エイジは反論の余地を見出せなかった。

 自分の実力が足りないと公言するような傭兵に、誰が依頼を持ち込むだろうか? エイジは奥歯を噛み、グローリーを睨む。

 

「……安心してください。騎士たる私は必ず生きて戻りますよ。そして、祝杯をあげましょう。キミの愚痴はそこで騎士たる私がたっぷり聞いてあげますから」

 

「待て……待ってくれ!」

 

 エイジの制止を聞かず、グローリーは軽く散歩でもしてくるかのように色の無い濃霧の向こう側へと消えた。

 残されたエイジは、モンスターがいずれリポップするだろう大階段から離れようとするが、途端に聞こえ始めた爆音にも似た激しい戦闘音に足を止める。

 あの濃霧の向こう側では、グローリーがボスと戦っている。無謀にして偉業であるネームドの単独討伐を、何の躊躇いもなく、平然と成し遂げるように挑んでいる。

 グローリーは単独撃破の実績がある。だが、彼でも楽な戦いではないはずだ。たった1人でも援軍がいれば、劇的に戦況は変わるはずだ。

 

「僕は……お前のように『馬鹿』にはなれない」

 

 蛮勇は愚劣だ。エイジはネームドと対峙する様を想像しただけで震える足を見て、今の自分に何が出来ると嗤う。

 だから、これでいい。

 だから、これでいいのだ。

 だから、これで……これで……これで……!

 

 

 

 

「たとえ、憎しみに塗れていようとも、歪んでいようとも、狂っていようとも、貴方は『貴方』であることに変わりません。だからこそ、去れずに迷い、立ち止まるのです」

 

 

 

 

 

 俯いていたエイジに優しい声音が降り注ぐ。

 顔を上げたエイジの目に映ったのは、朝焼けの太陽の光で透けた虹色のグラデーションがかかった髪だった。

 まるで耳を思わす癖毛が左右で揺れ、戦場に似つかわしくない白のワンピース姿の美少女がそこにいた。

 

「こんにちは、アンダードッグ様」

 

 笑顔で毒を吐かれた。文字通り負け犬呼ばわりされ、見た目と違って性格が自分並みに捻じ曲がっているのだろうかとエイジが顔を顰めれば、美少女は慌てた素振りで両手を振る。

 

「も、申し訳ありません! 今のは母上が付けた愛称でして、その……私は、スレイヴほど……人間との距離感が分かりません。だから、気分を害したならば謝罪します。貴方のことは何とお呼びしたらよろしいでしょうか?」

 

「……エイジで結構ですよ」

 

 まるで悪意も害意も感じられない。故に困惑するエイジに、美少女は嬉しそうに微笑む。それは誰かに似ているような気がしたが、頭に靄がかかって点と点は繋がりそうになかった。

 

「では、エイジ様。よろしければ、少しお話しませんか?」

 

 ふわりとスカートの裾を可憐に舞わせ、エイジにも腰を下ろすように願うように美少女は先に大階段へと座る。数多の人型モンスターの亡骸が放置された場に相応しくない可憐な美少女への動揺を隠せないエイジは、願われるままに同じく隣に腰かけた。

 

「私はグングニル。スレイヴの姉であり、レギオンです」

 

 またしても僕のレギオン像が根底から崩れた。スレイヴ、ギャラルホルンことナギに続き、今度は正統派美少女といった容貌のグングニルである。エイジの混乱は既に宇宙へと突き抜ける勢いだった。

 

「妹がいつもお世話になっています。エイジ様には何かと迷惑をかけることも多いと思いますが、どうか見捨てないであげてください。スレイヴは生まれた時から腐って朽ちる運命を持ってしまった。『憎悪』という不確定の因子を持つが故に。母上もそれも気にかけていて、多くの自由を与えています。貴方と組ませているのもその1つ」

 

「僕はレギオンのお情けで生かされているということですか」

 

「……否定はしません。レヴァーティン姉様はエイジ様に否定的な見解をお持ちのようですから。母上は……その、プロフィールをご覧になった時点で先の愛称を……わ、悪気があるわけではないんです! 母上は少し天然なところがありまして! 色々と気難しくもあるので、その気はなくとも喧嘩を売っているような態度を取ってしまったりして……ですから! 怒りをぶつけるならば、この私にどうぞ! 私もまたレギオン! 母上への怒りと憎しみは、私にもぶつけられるべきなのです!」

 

「怒りませんよ。『負け犬』なのは事実ですから」

 

 こうしてグローリーの手助けにもいけない臆病者だ。それが合理的に正しいとしても、蛮勇でも加勢しなければスレイヴの願う憎悪が『何か』を成し遂げる未来など得られるはずもないのに、我が身大事さを優先してしまったのだから。

 

「……母上が愛称を付けるのは、少なからずの好悪を持つからです。母上は路傍の石や雑草に名を付けません」

 

 スレイヴの母親というだけあって、かなりエキセントリックな性格のレギオンのようだ。エイジはスレイヴやナギ、グングニルを掛け合わせて想像するも、まるでイメージが浮かばなかった。個々のレギオンで余りにも性質がかけ離れているのだ。

 

「スレイヴが何を企んでいるのか、私にはわかりません。ですが、レヴァーティン姉様は、レギオンを害する計画なのではないかと危険視しています。そして、私がこうしてエイジ様と会ったことも、話した内容も、見た光景も、全てレギオンで共有されます。そのことを留意してください」

 

 スレイヴが切り離されているというレギオンネットワークに注意しろ、と堂々と警告するグングニルは一呼吸を置く。

 

「今回の私の仕事は、エイジ様の戦力評価にありました。正直に申し上げまして、レヴァーティン姉様は今すぐ出向いて『処分』する意向です。ですが、母上は……良くも悪くも気に入られたみたいですね。私もエイジ様には興味を持たせていただきました」

 

 全く存知ない場所で自分の生殺与奪の権利を握られていたことにエイジは悪寒を覚える。レギオンと組むというリスクは、単にプレイヤーを裏切るだけではなく、レギオンから粛清されるかもしれない危険もあるのだ。

 

「私がこうして姿を現したのは、エイジ様を『追い詰める』為です。ここで去るようならば、レヴァーティン姉様はエイジ様を狩ります。母上も認可するでしょう。ですから、私は賭けを申し出ました。エイジ様がボス戦で相応の戦果を挙げられたならば、以後の能動的監視は控え、また意図しない戦闘状態にならない限り、全上位レギオンの同意がなければエイジ様を『狩らない』と」

 

「そんな勝手に……!」

 

「はい、その通りです。ですが、私にはこれ以外にエイジ様をお守りする手段がありませんでした」

 

 悲しそうにグングニルは目を伏せ、エイジはぶつけようのない怒りを呑み込む。

 理不尽だ。だが、レギオンと組むならば自覚すべきリスクだった。ならば、この危機は思慮不足が招いたものだ。

 頭を掻き、エイジは背後の戦闘音が途切れないボス部屋を直視する。あの中に入るだけではなく、レギオンが納得するだけでの戦果を挙げなければ、どちらにしてもエイジの命は尽きるのだ。

 

「エイジ様が恐れているのは死ではありません。『敗北』です」

 

 グングニルがそっとエイジの胸に右手を這わせる。そこには艶やかさはなく、純然たる慈悲の意思だけがある。故にエイジの高鳴っていた心臓は落ち着きを取り戻す。

 

「だからこそ『迷う』。エイジ様はすぐにでもここから去れたはずです。でも、立ち止まることを選ばれました。戦う意思を示されました。我らはレギオン。故に『人』であらんとする者たちにどうしようもなく惹かれてしまう。『敬愛』を受け継いだナギは少々行き過ぎていますが、私も同様です。レヴァーティン姉様もです」

 

 先に立ち上がったグングニルは、慈悲深き微笑みと共に手を差し出す。

 

「エイジ様を待っている方がいます。だから、どうか生き抜いてください。今日という死闘の末に……生を掴み取ってください。貴方が『敗者』にならない為にも」

 

「それは……スレイヴのことか?」

 

 エイジの問いかけに、グングニルは優しく首を横に振る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今も『歌姫』様はエイジ様を待っています。『騎士』でも『狩人』でも『英雄』でもなく、『エイジ』様を……きっと」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 聞こえる。

 記憶の底から……憎しみで汚れて歪んだ過去の深奥から……『彼女』の歌声が聞こえる。

 

「僕を……待ってる?」

 

「ええ、そうです。ですが、この世界はいつだって悲劇をもたらします。それが狂人様の書いたシナリオであるならば尚更です。ならばこそ、覆す方法と勝者に与えられる報酬は準備されています。それが狂人様の……どうしようもなく捨てられない意地であり、誇りなのでしょう」

 

 喉が痙攣し、『彼女』の名前を求める。

 だが、他でもないエイジ自身が理解している。

 そこに『彼女』を想う純粋な救済の意思はなく、ただひたすらに憎悪に塗れた願望しかないのだ。

 

(それでも、僕は……俺は……キミを……!)

 

 もう聞こえない。

 あんなにも優しく澄んでいたはずの『彼女』の歌声は聞こえない。

 それでも、この心も、身も、魂も憎悪で汚れて歪んでしまっているとしても、キミの願いを叶えよう。

 

 

 

『私ね、大きな舞台で、たーくさんのお客さんの前で歌いたいの!』

 

 

 

 無邪気に望んだキミの願いを叶えよう。もうあの頃には戻れない、どす黒く濁って腐って壊れていようとも、それだけは……絶対に!

 

『その時は、エーくんに特等席を準備してあげる。約束だよ』

 

 そうだな。でも、僕の席は要らない。キミの歌を聞いても、きっともう何も響かない。

 キミの歌ならば、きっと多くの人を救うことが出来るだろう。いや、SAOで実際にキミは成し遂げた。最後まで見ず知らずの『誰か』の為に優しい歌声を届けることを選んだ。

 かつては違ったのだろう。キミの無邪気で純粋な願いを叶えたいと、僕もまた同じく無邪気で純粋に願ったのだろう。

 そう、それはまさに魂の叫びだったのだと自信を持って言える。

 だが、今は違う。キミの願いを叶えたいなんて建前に過ぎず、魂の叫びは獰猛にして醜悪になっている。そこに純粋にキミを想う意思など残っていない。

 それでも……それでも……それでも、と繰り返すのだ。スレイヴが言った通り、愛が憎しみに変わるならばその名残が微かでもあるかのように、あるいは残っているはずだと信じるように、エイジもまた己の憎悪の内で彼女の願いを握りしめる。

 

 

 

 

「約束は守れ。レギオンなんだろう?」

 

「ええ、レギオンですから。必ず約束は守ります」

 

 

 

 

 グングニルの手を取り、エイジは立ち上がる。

 不思議だ。いつだってこの足を進めてくれるのはレギオンだ。人間ではない。だが、それはエイジ自身が既に人間としての……『人』としての正道から外れているからなのかもしれない。

 あるいは、レギオンとは、人間に牙を剥く一方で、どうしようもなく人間に手を差し伸べようとする存在なのかもしれない。奇妙な縁だと思いながらも、エイジはダーインスレイヴを抜く。

 

「スレイヴがどうして貴方を選んだのか、少しだけ分かった気がします」

 

「『憎悪』のレギオンだからだろう?」

 

「そうですね。今は……その認識でよろしいかと」

 

 悲しそうに微笑むグングニルは両手を組んで祈りを捧げ、エイジを見送る。

 

 

 

 

「エイジ様の戦いに『エイジ』様自身の救いはなく、故にそれを人は修羅の道と呼ぶのでしょう。ならばせめて、どうか御武運を」

 

 

 

 

 色の無い濃霧を潜る。言葉で表すことが出来ない圧迫感は、途端に空気が鉛に変わったかのような重圧へと変じ、エイジは正面から倒れそうになる。

 天井は無く、王城へと続く正門を彩る縦長の道。数十人のプレイヤーが暴れ回っても十分過ぎる空間には、ボス部屋へと誘っていた太った公使の遺体が転がっている。

 散らばるのは騎士の石像であり、そこには肉片は無い。だが、苛烈に散る火花がまだ終わらない戦いを示す。

 随分と立ち止まってしまっていた。どれだけの時間が経ったのか正確には分からない。だが、普通のプレイヤーならば、既にスタミナ切れを起こしてもおかしくない。

 だが、グローリーは戦っている。『笑っている』のだ。強大なネームドを相手にしても尚、『騎士』としての誇りを捨てぬとばかりに笑っている。

 相対するのもまた風貌は騎士。身長は3メートル以上にも達し、スマートなデザインをしたフルメイル姿であり、兜には頂点から尖った特徴的な金属製の飾りがついている。覗き穴は横一直線のタイプであり、多くの騎士型モンスターがそうであるように容貌を確認できない闇に包まれているが、このネームドに限れば『中身など無い』ように思えた。

 

 

 

 その名は<つらぬきの騎士>。ボーレタリアの英雄メタスを模した通り、身の丈を超える長剣を有したボスである。

 

 

 

 姿と装備からして正統派の近接戦闘型のボス・ネームドである。人型であるならば耐久面は低めの部類であるが、それはネームド基準であり、通常モンスターを遥かに超える程にタフである。

 人型ネームドと単独、あるいは少数での戦闘は絶対に避けねばならない。それがDBOプレイヤーが生き抜く上で忘れてはならない掟だ。

 名前は既に分かっていた。無謀であることも重々承知していた。だが、戦わねば生き残れない。そして、単に生き抜くだけではなく、レギオンが納得するだけの戦果を挙げねばならない。

 震えるな。倒れるな。戦え……戦え……戦え!

 レギオンがもたらした理不尽な死刑宣告も、それを拒否する為に最も死に近しい戦いに挑まねばならない運命も、『彼女』を見殺しにした己の脆弱さも、全てを憎め!

 ダーインスレイヴが応えるように鼓動した気がした。エイジの闘争心と憎悪が1つとなった時、ダーインスレイヴに搭載されたレギオン・プログラムは障害を打ち消す手助けをする。そして、必要となる精神力は相手が強大であればある程に多く求められる。

 

 

 

 

「エイジ!? 加勢に来たのですか!? 頼もしいですが、この騎士もどき……なかなかに強いですよ! キミはサポートに――」

 

「僕も前に出る。一気に倒すぞ!」

 

 

 

 

 彼女の願いを叶える。それだけがエイジの憎悪を滾らせて、グローリーに『強い』と言わしめたつらぬきの騎士への恐怖を踏破する。

 既につらぬきの騎士のHPバーは2本目である。ここまでのグローリーの奮戦が窺える。だが、HPバーが削られる程にネームドはより強大になっていく。そして、エイジ自身もどれだけ現在の精神コンディションを維持できるか不鮮明だ。

 ならばこその短期決戦である。だが、エイジの持つダーインスレイヴは器用貧乏であるが故に大火力は発揮し難く、グローリーも高位の奇跡を除けば片手剣がダメージソースだ。≪神聖剣≫で強化されているとはいえ、大盾による殴りつけを含めても、特大剣などの高火力武器に匹敵することはないだろう。

 ならば攻撃回数でカバーするまでだ。エイジはつらぬきの騎士の攻撃のリズムも能力も不明のままに、その間合いへと踏み込む。

 常人ならば自殺そのものであるが、エイジの目はつらぬきの騎士の動きを捉え、高い反応速度を最大限に活かすべくフル稼働させることで、初撃の横薙ぎを躱し、逆に胴を斬り払い、背中へと×印を描く2連撃を叩き込む。

 ギアを上げていけ。脳は壊れても構わない。エイジはエリートプレイヤー時代に学んだステータスの高出力化を実現すべく、脳へと命令を下し続ける。肉体が壊れても構わないから全力を出せと怒鳴りつける。

 だが、ステータス出力は上がらない。微々たる上昇はあったように多少の速度の変化はあっても、それは誤差の範疇だ。

 覚悟を決めた程度で『扉』は開かない。それが歯がゆく、だがエイジは引き出せる全力でつらぬきの騎士を殺しにかかる。

 エイジを強敵と認めたのか、つらぬきの騎士の動きが変わる。グローリーとのタイマンではなく、エイジも敵として認識した戦法へと切り替える。そのスムーズさと匙加減は、AIでは実現不可能な域であり、これが噂に聞く『生きているかのようなAI』なのだろうとエイジは理解する。

 

(だから何だ? 生きていようといまいと関係ない。『壊す』だけだ)

 

 もう認めている。

 自分はとっくに壊れているのだ。

 だから立ち塞がる『敵』は全て『壊す』。そこに何の躊躇いもない。

 つらぬきの騎士はグローリーも巻き込む形で、踊るような連撃を繰り出す。それは立ち並ぶ石像を次々と両断し、破片は地面に散らばって足下を不安定にさせ、また飛んでくる瓦礫は攻撃としても機能する。だが、本命はあくまで長剣であり、それはソウルの輝きに満ちており、純粋な物理属性ではないことが明らかだった。

 死の一閃。先ほどの小手調べとは違う、本気の横薙ぎが踏み込みと共に放たれる。回避しきれなかったエイジはダーインスレイヴでガードするも、尋常ではない衝撃がガードブレイクさせようとする。

 エイジには決定的に対ネームド戦の経験が不足していた。どれだけ実力が備わっていようとも、彼は過去にリポップ型ネームドにすらまともに相対することが出来なかった。それは致命をもたらす程の経験不足である。

 SAO時代もネームドとの戦闘経験は皆無だ。だが、『彼女』を喪って腑抜けになってSAOが開放されるまでも剣は捨てていない。何の目的も残っていないのに、ただ剣を振るうことで『何か』を繋ぎ止めようとした。

 同じくDBOでも這い上がって来た。何度でも、何度でも、何度でも打ちのめされながらも、己を卑下し、呪い、憎みながらも、『何か』を求めて剣を握った。

 心は『敗者』であることだけは認めようとせず、故に刃は今にも砕け散りそうな程に薄く鋭利に研がれ続けた。

 実戦経験が足りない? ならば、目の前の強敵で培えばいいだけだ。ダーインスレイヴから感じる鼓動が更に強くなり、エイジは『笑う』。グローリーを真似るように、だが決定的に歪んだ笑みを浮かべる。

 つらぬきの騎士がグローリーへと連撃を浴びせる。常人ならば見切れぬ剣速であるが、グローリーは楽々と大盾でガードし、最後の一撃を≪盾≫のソードスキルであるシールド・パリィを決める。大盾は本来ならばソードスキルのパリィは使えないが、≪神聖剣≫の特権なのだろう。グローリーは大盾でつらぬきの騎士の最後の斬り上げをパリィし、大きな攻撃チャンスを作る。

 だが、つらぬきの騎士は体勢を崩されるのを良しとしない。堪えるように身を回転させ、逆にグローリーを迎撃する袈裟斬りに繋げる。これをグローリーは片手剣と大盾をクロスさせた独特の防ぎ方をしたかと思えば、重心をずらして剣先をあらぬ方向に埋め込ませ、つらぬきの騎士の懐に入る。

 大盾の鋭い先端による突きと片手剣によるラッシュが決まり、つらぬきの騎士のHPは減少する。だが、この程度で怯みもスタンもしない。当然のように最短で反撃を狙う。これこそがネームドであると見せつける。

 今度はエイジの番だった。グローリーを追う斬撃を両手で持ったダーインスレイヴで弾く。大きな火花が散り、一瞬として息も出来ない連撃を弾き、あるいは防ぐ。

 つらぬきの騎士は半歩下がり、長剣に膨大なソウルの光を溜める。ダーインスレイヴの警告がエイジを駆け巡り、それは半ば反射的にスライディングしてつらぬきの騎士の股下を潜り抜けるという、1歩間違えれば踏みつけられて拘束されかねない無謀な行動を生む。

 だが、それは限りなく正解に近しい回避方法だった。つらぬきの騎士……その名の由来とも言うべき刺突攻撃は、周囲の空間を歪ませるほどであり、命中していない剣先の向こう側まで破壊の旋風が吹き荒れる。

 

「よくぞ、あれを初見で回避出来ましたね。私なんて、危うく頭を串刺しにされそうだったいうのに。あれはつらぬきの騎士の持つガード不可攻撃です。受けたわけではありませんが、恐らくは即死級の大ダメージのはず。しかも追尾性も高い上に、直撃せずとも正面はほぼ攻撃範囲内です。あれを最適解で避けるなんてやるではありませんか!」

 

「い、いや、今のは……」

 

 ダーインスレイヴが教えてくれた? 不可思議な感覚であるが、エイジには何故かそう確信することが出来た。つらぬきの騎士の必殺が穿たれる前に、エイジを死地から逃がすべく警告を発してくれたのだ。

 これがダーインスレイヴの能力なのか? エイジは再びつらぬきの騎士と対面しようとするが、足がもつれて危うく倒れそうになる。

 どれだけ覚悟を決めたつもりでも心は正直だ。先の死の一撃に生存本能の警告が勝り、障害はエイジを戦闘不能へと追い込むべく蝕み始める。

 だが、エイジは捨て身に近しく踏み込む。障害が足を止めるならば、自らを更なる死地へと追い込むまでだ。そうして高まる恐怖への憎悪が体を動かしてくれるのだ。

 何度だって死の境界線に触れてやる。

 何度だって喉元に刃を突き立てられても怯えずに前へと進んでやる。

 何度だって、何度だって、何度だって……この心を『壊す』ことを厭わない!

 

「今、超必殺のぉおおおおおおお! グローリー☆ハリケーン!」

 

 エイジがつらぬきの騎士の正面で粘れば、背後からグローリーが連撃をお見舞いする。

 

「もらった」

 

 必殺の突きであろうとも範囲外の攻撃ならばガードで防ぎきれるグローリーが盾となり、攻撃後の隙を着実にエイジが斬り込む。

 即席とは思えないコンビネーションは、意外にも主にグローリーによって成り立っていた。好き勝手に戦っているように見えて、エイジのピンチにはすかさず盾となっているのだ。

 

「騎士の盾は砕けない。そして、騎士の剣は……最強☆無敵!」

 

 グローリーの剣が輝き、超速の光の突きが穿たれる。回避不能と思えた一撃であるが、つらぬきの騎士は巨体に見合わぬ軽やかな動きで躱し、逆に地面を切り払って瓦礫の散弾のカウンターを繰り出す。

 これがネームド……人型ネームドの力か! エイジが回避不能と断じた攻撃をあっさりと躱す。そうでもなければ、プレイヤーにとって絶望ではないと言わんばかりに、つらぬきの騎士への攻撃チャンスは確実に減らされていく。

 エイジが加わったことで生まれたコンビネーションへの対処を確立させ、またエイジとグローリーの両方へと最適でダメージを与える方法を編み出しているのだ。

 それはAIの冷たき計算ではなく、恐ろしく血の通った思考の産物だと分かる。その生々しいまでの殺意がエイジの体を束縛しようとする。その度にエイジは憎悪の矛先を尖らせていく。

 

「今、超必殺の! グローリー☆ライトニング・パァアアアアアアアアアアアアアンチ!」

 

 それは奇跡の【雷の拳】だ。文字通り、雷属性を帯びさせた拳でなぐりかかるだけの【フォースの拳】の雷版である。だが、全身甲冑のつらぬきの騎士は雷属性に弱いのか、ダメージの通りは悪くない。

 だが、生憎であるが、エイジに雷属性の攻撃手段はない。物理属性は万能属性と言われる程に、ほぼあらゆる敵にダメージを与えられるが、故に斬撃・打撃・刺突のいずれが有効かを見極めるのも重要だ。

 つらぬきの騎士は斬撃も刺突属性も決して高い防御力を発揮しているわけではない。だが、まるで砕けず、割れない甲冑のせいか、ダメージの伸びが良いわけでもない。

 

「なるほど。やはり中身はファランクスと同じでスライム状というわけですか! エイジ! つらぬきの騎士の甲冑は破壊不能です! そういうモンスターなんです! ならば、打撃こそが正義!」

 

 片手剣を鞘に収め、大盾を両手持ちしたグローリーは苛烈にシールドバッシュで攻め立てる。まさしく攻防一体であり、≪神聖剣≫の補正も加われば、ダメージは戦槌級にまで伸びる。これにはつらぬきの騎士も予想外らしく、だが人間のような動揺も見せず、大きく跳ぶ。

 宙で回転斬りの構えを取った貫きの騎士は斬撃の嵐を纏いながら急降下する。それは範囲外にいたエイジたちを強襲するべく着地と同時に解き放たれ、空間が歪んで攻撃判定が見える斬撃衝撃波が荒れ狂う。

 着地狩りを狙っていたならば、まず餌食になるだろう攻撃密度である。だが、グローリーは冷静にガードし、エイジは潜り抜けていく。

 無謀である。1発でも当たれば衝撃で揺らぎ、続く連撃が喰らい付いて大ダメージとスタンが待っている。だが、恐れない。死などもう恐れていない。故にエイジが踏破すべき恐怖とは、敵のもたらす殺意よりも己を敗者に至らしめる重圧だ。

 いいや、違う。本当は死を恐れているのかもしれない。死そのものが敗北と結びつけているならば、何よりも死を恐れ、死に怯え、死から逃げたがっているのかもしれない。

 そんな心を憎しみの炎で焼き尽くす。着地から復帰していないつらぬきの騎士にソードスキルを浴びせようとしたエイジであるが、待っていたと言わんばかりにつらぬきの騎士の斬撃が炸裂する。

 ソードスキルの起動モーションを取っていたエイジは、ガードする間もなく横薙ぎの直撃を胴に受ける。ダメージフィードバックが炸裂し、胴体に深い傷口が刻まれ、口内も血の味が溢れる。

 HPが減少し、フルに近しかったそれは一気にレッドゾーン……1割未満まで到達する。

 ソードスキル発動前のカウンター判定。やられた。エイジはつらぬきの騎士の……『生きているAI』の真骨頂に恐怖する。エイジが潜り抜けると確信してカウンターに備えていたのだ。

 グローリーのカバーは間に合わない。地に転がったエイジは、つらぬきの騎士の必殺の突きを目撃する。

 麻痺状態になったかのように体が動かない。障害が全身を支配し、ダーインスレイヴの補助が切り離されたように体が震える。

 どれだけ覚悟を決めても、憎悪を滾らせても、鍛錬を積んでも、強敵の前では容易く打ち砕かれる。

 

(やっぱり、届かない……のか?)

 

 スレイヴ、僕はキミの期待に応えることが出来ないのか?

 邪剣ダーインスレイヴ。鈍い銀色の輝きに浸された刀身は、『英雄』の手にあったならば、本来の強さを発揮することが出来るのだろうか。

 否である。エイジはダーインスレイヴの鼓動を再認識する。この剣はスレイヴの託した魂なのだ。ならばこそ、エイジの意思に呼応する。

 心折れようとも立ち上がる。エイジは両膝で地面を打って体を浮かび上がらせ、つらぬきの騎士の必殺の突きに備える。

 背後に回避は不能。左右に避けても超追尾。股下を潜り抜けるなど2度目は通じない。

 ならば弾く。受け流す! エイジは渾身の力を込めてつらぬきの騎士の刺突に備える。

 ソウルの輝きを纏った最強の突き。それがエイジに穿たれるより前に、彼はダーインスレイヴで受け流す。掠っただけでHPごと肉を削ぎ落しそうな突きではあったが、ダーインスレイヴがもたらす超直感とも呼ぶべき補佐、優れた観察眼、そして高VR適性故の高知覚を活かす高反応速度が合わさって対処を可能とする。

 それだけではない。エイジが元来持つ肉体操作の精密性は非凡なものがある。それはVR環境で与えられる超人的な身体能力に難なく適合できていることからも明らかだった。

 戦う為の武器は揃っていた。だが、全てを台無しにする欠陥のように歯車が1つ抜け落ちていた。故に彼は……その鋭敏な視覚は、愛する者の死に様をこれ以上なく鮮明に彼へと映し込んだ。

 それは正しく地獄である。何も出来ないまま、殺戮ショーを見せつけられる観客のように、恋心を抱いた女性の悲惨な死を見せつけられる。その伸ばされた手は、自分に救いを求めたはずなのに、卑劣で臆病な裏切りであると己に刻み込んだ。

 絶望の中で死んだのは『彼女』の方だ。自分はそれさえも生温い。ならばこそ、エイジは地獄を求める。絶望の死を渇望するように、前へと進む。

 消えない悪夢が脳裏を過ぎる。救えなかった『彼女』へと、憎悪の炎を纏った分だけまた1歩近づいていく。

 それなのに、どうしてだろうか。

 どうして、『彼女』はこんなにも悲しそうな顔をしているのだろうか。

 

「らぁああああああああああああああああああああああああ!」

 

 無様な雄叫びの分だけ生の実感が過ぎる。必殺の突きを捌ききられたつらぬきの騎士の衝撃が肌で分かる。

 ここだ。このチャンスを活かせ! 完全にがら空きの懐へとエイジはダーインスレイヴの突きを繰り出す。それはつらぬきの騎士の胸部に吸い込まれる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、同時に膨大なソウルの輝きを纏った破壊の刺突は放たれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 前方への長大な攻撃こそないが、完全貫通効果を持った光り輝く刺突がつらぬきの騎士の胸を追撃し、破壊不能と思われていた甲冑に大穴を開ける。そこからドロドロの黒いスライム上の液体が漏れ、これこそがつらぬきの騎士の正体……英雄を模したデーモンであると語る。

 グローリーの見立ては正しかった。だが、エイジを驚かせたのは、つらぬきの騎士の攻撃をそのまま返すことが出来たという己の所業だった。

 

 

 

 

 

 

<邪剣ダーインスレイヴの能力【バトル・ラーニング】が解放されました。汝に『憎悪』の加護があらんことを>

 

 

 

 

 

 バトル・ラーニング? エイジの疑問に答えるように、邪剣ダーインスレイヴが語り聞かせるようにシステムメッセージが流れる。

 これこそがダーインスレイヴの真の能力だ。相手がユニーク能力を持っていた場合、その攻撃・能力を1つだけラーニングして習得する事が出来る。キャパシティには限界があり、ダーインスレイヴのキャパシティを超えるだけの能力は装着できないが、1度ラーニングすることができる。

 今回の場合、つらぬきの騎士の必殺突きをラーニングしたのだ。ラーニング対象はモンスター限定であり、プレイヤーには判定が無い。ラーニングする為には対象の攻撃・効果を体験し、なおかつ対象のクリティカル部位にダーインスレイヴの刺突を命中させねばならない。それが必須条件である。また、対象からは1回しかラーニングできず、以後は獲得した能力を破棄しても再ラーニングは行えない。

 ラーニング条件は厳しいが、死闘へと身を投じ続ければ、確実に『力』を与えてくれる。

 

「まだ戦える。戦える!」

 

「馬鹿言ってないで回復を!」

 

 グローリーの言う通り、エイジのHPは1割未満であり、腹部をばっさりと斬られたせいで流血のスリップダメージも生じていた。

 回復量が乏しい深緑霊水で補い、流血効果を緩和する教会製の【教会軟膏】を使い、更に止血包帯を巻く。これだけの回復作業する隙だらけの時間であるが、グローリーがつらぬきの騎士を相手取ってくれるお陰でスムーズだった。

 エイジの一撃で防御力がダウンしたつらぬきの騎士はHPバーの2本目を奪い尽くされ、いよいよ最終段階に突入する。胸の傷口は塞がり、つらぬきの騎士が正眼の構えを取ったかと思えば、その全身に眩い青いオーラを纏う。

 純粋な攻撃力・防御力アップだろう。だが、最大の問題点はつらぬきの騎士の長剣は常に必殺突き状態である点だ。あれでは通常攻撃の破壊力も高く、また突きの全てがガード不可、受け流しも困難となる。

 こうなってはグローリーと言えども迂闊には攻められない……はずもなく、むしろ超接近状態で大盾で殴り続けている。

 回復作業を済ませたエイジは、ここからは止まらないという覚悟と共に【渡り鳥】から貰ったお菓子のように甘い薬を食む。

 つらぬきの騎士の剣技には無駄がない。遊びが無い。ひたすらに敵を葬るべく合理化されている。確かに『生きているようなAI』であるが、同時に何処か機械的な作業にも思えた。

 英雄を模したデーモン。本人ではなく偽者。故に本人の技量を再現しようとしても、本人の思考と戦闘センスまでは発揮できない。その限界が露になったようであり、それでも模されたからこその意地があるように、騎士の剣技を振るい続けている。

 必殺突きの連撃。間合い内どころか間合い外にも破壊を撒き散らす乱舞であるが、エイジはこの攻撃の弱点を把握している。グローリーの大盾を踏み台にして宙を舞い、つらぬきの騎士の頭上を取る。

 逆にエイジの必殺突きがつらぬきの騎士の頭部に放たれる。さすがに陥没も穴が穿たれることもなかったが、大ダメージと共にスタンし、そこに足下で張り付いていたグローリーの大盾ラッシュが決まる。

 

「今、超必殺のぉおおおおおおおおおおおお! グローリー☆ライトニング・シールドぉおおおおおおおおおおおおおおおお!」

 

 奇跡で雷属性をエンチャントさせた大盾によるシールドバッシュが何度も叩き付けられ、貫きの騎士が壁に叩き付けられる。それでも起き上がり、HPがあらん限りに戦おうとする姿はまさしく騎士であるが、それは模倣でしかないと感じさせるように、構えは何処までも機械的だ。

 いける。勝てる。そう思えた瞬間にエイジを大きな虚脱感が襲う。

 魔力切れだ。POWをそこまで高めていないエイジでは、必殺突きに伴う魔力消費でガス欠になってしまったのだ。あれだけの破壊力である。膨大な魔力を用いるのは必然だ。

 もう必殺突きには頼れない。己の剣技をスタミナが続く限りに放ち続けるだけだ。

 つらぬきの騎士の刃がエイジに傷を負わせる。突きの破壊がグローリーを揺るがす。もはや回復を置き去りにした猛攻の果てに、エイジは最も得意とする≪両手剣≫の回転系ソードスキルであるギア・サイクロンを繰り出す。

 回転斬りの後に続くのは連続斬りか、強力な一撃か。ソードスキルに何処まで対応できるかも知らぬつらぬきの騎士であるが、その動きに迷いはない。

 エイジが選んだのは『何もしない』だった。ギア・サイクロンは最初の回転斬りで止まって硬直時間をもたらす。カウンターに備えていたつらぬきの騎士は、エイジを跳び越えたグローリーの輝く剣への対応が決定的に遅れる。

 

「今、超必殺のグローリー☆ペンタグラム」

 

 それはグローリーの有するOSSなのか、五芒星が青いライトエフェクトと共につらぬきの騎士の胸に刻まれる。

 

「さぁ、輝け。聖なる騎士の星よ!」

 

 だが、それだけではない。斬撃を受けた場所は白光しており、グローリーのウインクと重なるように光属性の爆発を引き起こす。それはあの片手剣の持つ能力の1つなのだろう。正しく不可避の追撃であり、故につらぬきの騎士はダメージを免れない。

 もはや瀕死でありながらも、つらぬきの騎士は立ち上がる。エイジは情けをかけることもなく、大した感情も無く、ただ『壊す』為に憎悪を研ぎ澄ます。

 

「エイジ、キミに譲りましょう。騎士として! 騎 士 と し て ! 騎 士 と し て !」

 

 花道を譲ってくれたグローリーに、感謝すべきか悩みながらも、やはり今回のダンジョンでかけられた数多の迷惑を思えばまだまだマイナスだと愕然とし、故にエイジは憮然とした表情のまま貫きの騎士へと一直線で駆ける。

 相対するつらぬきの騎士が最後に選ぶのは最強の突きだ。もはや弾く事も、受け流す事も、決してさせないという意思を感じるも、エイジはそれを打ち砕くべく呼吸を整える。

 スタミナ残量はもはや無い。エイジが使えるソードスキルもあと1回が限度である。

 最高速度に達したエイジに、真っ向勝負を求めるべくつらぬきの騎士の騎士の必殺突きが放たれる。

 

 だが、その剣先の向こう側にエイジはいない。

 

 ダーインスレイヴの鈍い銀色の輝きは宙へと駆けている。

 

 

 

 

「対空迎撃性能皆無か。よく勉強になったよ」

 

 

 

 

 繰り出すのは≪格闘≫の連撃系ソードスキル【雷鳴脚】。滞空発動型ソードスキルであり、加速して落下するまでに、まるで雷の如く連続蹴りを浴びせて、フィニッシュで最高火力の一撃を放つものだ。その重なり合うライトエフェクトはまさしく雷鳴である。

 弱点の打撃属性の連撃を浴び、ついにつらぬきの騎士のHPは奪い尽くされる。膝をつき、だが模した英雄の誇りを示すように剣を掲げ、つらぬきの騎士はソウルとなって拡散した。遺体が残るようになったDBOとはいえ、これがつらぬきの騎士……ソウルを奪う為のデーモンの正しい末路だった。

 スタミナ切れで倒れたエイジは、呼吸荒く体を小さく丸める。スタミナ切れの経験は1度や2度ではないが、慣れるものではなく、体は全く動く気配が無かった。そんなエイジに、グローリーはまだまだ余裕だったと言わんばかりに笑顔を咲かせる。

 

「ユニークウェポンだと思ってはいましたが、まさかこんな隠し玉だったとは! エイジも人が悪いですね!」

 

「……切り札は、最後まで……ぐっ……」

 

「無理してはいけませんよ。スタミナ切れで動こうとすれば、最悪の場合は後遺症もあり得ますからね」

 

 本当はどんな能力なのか知りませんでした、とはさすがに言えず、格好つけようにもスタミナ切れのせいでまともに喋れず、エイジは大人しく仰向けになる。

 これがネームド戦か。2度と御免だ。そう思う一方でダーインスレイヴの真価を発揮するには否応なくネームド戦を挑まねばならないというジレンマに挟まれる。

 今回はネームド単独討伐経験もあるグローリーとの協働であり、なおかつHPバーも2本目からというオマケだったが、これが1本目から手探りで戦っていたとなれば、先にスタミナが尽きていたのは確定である。

 ようやく積めたネームド戦の経験であるが、問題もまた山積みだ。だが、自分ならば乗り越えられる……否、乗り越えねばならないとエイジは荒い呼吸と共に己に刻む。

 

「うむむむ! この先には行けそうにありませんね。ロックされているというより、ここがこのダンジョンの終点なのでしょう。やれやれ。ディアベル団長の目論見は大外れだったというわけですか」

 

「…………」

 

「フッ、やはり知りたいようですね! いいでしょう! 私達は騎士☆フレンズ! 特に口止めもされていませんし、教えてあげましょう!」

 

「…………」

 

 だから、この沈黙は知りたくないというアピールだと察してくれ! いい加減に泣きたいエイジを尻目に、グローリーは分厚い霧の壁で阻まれた、ボーレタリア王城最深部を剣で指し示す。

 

「偉大なるソウルの1つ。ボーレタリアの王オーラント! そのソウルこそが完全攻略必須の鍵なんですよ! この先があればゲットなのですが、どうやら別の手段を探さないといけないみたいですね」

 

 だから、そんな情報は要らない。そもそも口止めしないのは、常識の範囲内で情報漏洩するなんてありえないからだと理解してくれ。エイジは今度こそ涙で頬を濡らした。

 スタミナ切れから復帰したエイジは、つらぬきの騎士のボス部屋の転移ポイントからダンジョン外へと脱出する。その後は特に問題なく想起の神殿に、そして終わりつつある街に帰還を果たす。

 レギオンからの接触はなく、自分が合格したか否かが定かではないエイジは、常に暗殺者に狙われている気分で落ち着かなかった。

 

「おめでとうございます、エイジさん。こちらが依頼達成報酬の10万コルとなります」

 

「本当にもらえるのか?」

 

「え? もちろんですが、不服ですか? もしも別途でボーナスを希望されるならば、聖剣騎士団との交渉の場を設けますけど、エイジさんのような、失礼ながらランク無しの方がされるのは印象が悪いのでちょっと……。ですが、ユニーク級のアイテムをゲットしたならば、別途ボーナスも期待できるので、こちらの要望書に記載することをお勧めしますよ」

 

 そうではなくて10万コルなんて大金にビビってるだけなんだがな。エイジは自分の金銭感覚が狂いそうな小切手に眩暈がしながら、3代受付嬢の1人であるヘカテからボーナス申請書を受け取る。

 

(相変わらずフリーダムでうるさい場所だ)

 

 今日は、あるいは今日も仕事が無い傭兵やランク無しで溢れたサインズは、静寂とは無縁である。特にランク持ちの傭兵たちは相変わらずの自由人である。レックスと虎丸は殴り合い、シノンはDBO中に放送されているアイドル衣装ライブステージ(録画)で絶望フェイスを晒し、肉食系ガールのジュピターは槍に突き立てた豚の丸焼きを崇めるように踊っていた。

 

「鑑定結果……来た。来た! 来たぞ! メインが物理攻撃力上昇! サブ1がスタミナ回復速度上昇、サブ2が魔法属性防御力上昇! バッドサブは……ゼンマイ? ゼンマイ? ゼンマイ!? う、うわぁああああああああああああああ!?」

 

 しかも仮面の二刀流剣士が何やら鑑定士から貰った書類を見て発狂している。うるさいこと、この上なかった。

 

(さっさと帰りたい)

 

 だが、ランク無しでも仕事後の事務処理はしっかりこなさねばならない。グローリーは祝杯を約束してくれたが、そんな気分にはなれず、一刻も早くスレイヴと『彼女』が生存しているか否かの再議論をしたかった。また、質の良い食材を買い込んで、彼女に贅沢カレーを食べさせてあげたかった。

 その為にも問題なのは、獲得した【つらぬきの騎士のソウル】の処遇である。エイジはその場のノリでラストアタックを決めてしまった結果、見事にソウルを獲得してしまったのだ。

 本来ならば大部分のダメージソースを担ったグローリーが所有すべきかもしれないが、グローリーには既に断られていた。

 ならば聖剣騎士団に提出しても構わないが、そうなるとエイジにも欲が湧く。渡すにしても最低でも買い取りをお願いして引っ越し費用に充てたいのだ。

 聖剣騎士団は基本的にドロップしたアイテムは全て提出しなければならないが、今回はボス戦の参加までエイジの依頼内容には入っていない。あくまでグローリーの防具回収補佐とダンジョン内探索である。つらぬきの騎士との戦闘は自己責任として処理もできるが、協働相手であるグローリーがボス戦に参加したのでやむを得ず……という言い訳も立つ。これならば予期せぬ遭遇戦として、穏便に売却で話を進めてくれるだろうとエイジは睨む。

 だが、そう上手くはいかないだろう。つらぬきのソウルを持ち逃げしたと思われない為にもサインズに保管申請すれば、ヘカテは一瞬だけ目を見開きながらも動揺を表面化させることなく淡々と処理する。『この程度』は日常茶飯事とまでは言わずとも大慌てするほどでもないということなのだろう。

 グローリーの祝杯パーティは後日と願い出て早々にサインズ本部を後にし、帰路でカレーの食材を買い込んだエイジは、ようやく戻って来れた我が家の戸を開ける。

 

「ただい――」

 

「エ、エイジ……えいじぇぇええええええええええええええ! 俺は! 俺はお前なら出来ると信じていたぞぉおおおおおおおおおお! ネームド単独討伐おめぇえええええええええええええええええええええ!」

 

 ダッシュから最高加速、そのままスレイヴに抱き着かれてエイジは玄関で派手に転倒する。

 

「単独討伐してないからな! 僕はグローリーさんの手伝いをしただけだ! というか、どうして知ってるんだ!?」

 

「そっかぁ! 単独討伐してにゃいかぁあああ! 別にいいや! ヒック……えぐっ……! じ、実は『彼女』の情報を探ろうとネットワークに繋いだら、なんかお前を殺す投票開始されていて、あ、無事に否決されたぞ! お前の生存確定! 良かった! 本当に良かっだぁあああああああああ!」

 

 グングニルの口添えもあったのか、あるいはレギオン自体がひとまずエイジの実力を認めてくれたのか。どちらにしても約束は守られたのだ。もうレギオンがエイジを能動的に監視することも、暗殺を仕掛けることもないだろう。

 

「ごめんな! ごめんなぁ! 俺が短慮だった! もう少し姉様たちを警戒しておくべきだった!」

 

「……別にいい。スレイヴと出会わなかったら、僕は腐っていくだけだった」

 

 理不尽ではあったが、成長することも出来た。ネームドに手も足も出ないわけではないと自信も持てた。単独討伐はまだまだ先であるとしても、グローリーとの協働を生き抜いた経験は確かな1歩となった。

 まだまだ足りない。もっとだ。もっと『力』が要る。エイジは自分の中にある迷いを意識しながらも、強く『力』を欲する。

 ぐるるるるる、とスレイヴのお腹が鳴り、彼女にも恥じらいがあったのかと思える程に赤面する。ここ最近の食生活の改善のお陰か、痩せた頬にも幾らか膨らみが戻っていたスレイヴは、濁った金色の髪を引き寄せて顔を隠す。

 

「夕飯にしよう。今日はカレーだ」

 

 前途多難であるが、とりあえず金欠の危機は去った。今はそれで良しとしようとエイジもまた今更になって襲ってきた空腹感に苦笑した。

 

 

▽    ▽     ▽

 

 サインズ傭兵寮にて、オレは桶に入った水にタオルを浸し、ゆっくりと絞る。

 現在、この部屋のベッドを占領しているのは主であるオレではなく、ぐったりとして顔を赤くしたユウキさんである。

 

「気分はどうだ?」

 

「うぁあ……あ?」

 

 うーん、駄目っぽいな。頬をペチペチと軽く触れるが、ユウキの反応は薄い。まだ感覚が辛うじて残っている右手で撫でれば、彼女を高熱が蝕んでいるのが分かる。

 DBOに病はない。少なくともオレが目覚めて以降にそのようなアップデートは無い。眠っていた2ヶ月の間に、食料関係の有効期間の厳格化とかいう地味に飲食業の方々にストレートパンチなアップデートがあったみたいであるが、ゲロも病気も実装されていない。

 

「熱いな。39度くらいあるんじゃないか?」

 

「てきとう……言ってない?」

 

「言った」

 

「もう……やめて、よ」

 

 本当に弱ってるみたいだな。体は熱いが、咳や鼻水は出ていないし、もちろん痰も無し。純粋に高熱と倦怠感でダウンしているようだ。

 もしかして食中毒だろうか。ユウキには教会の孤児たち用で作った菓子風味薬の実験台になってもらったからなぁ。オレは味覚が死んでるので、味の調整の為には味見……もとい毒見役が必要だった。

 ヨルコに影響を受けて、オレももう少し≪薬品調合≫の可能性を探って行き着いたのがこれだったのであるが、とりあえず好評で良かった。まぁ、数多の毒見をしたユウキは、最後は笑顔を取り繕えなくなっていたがな。

 だから、仕事から戻って来て玄関を開けたらユウキが倒れていて、さすがに思考停止状態になったよ。こんな事ならさっさと殺しておけば……じゃなくて、まぁ……なんだ。とりあえず無事でよかった。

 

「うぅ……あたま……がんがん」

 

「頭痛もありか。何か心当たりは?」

 

「うぅ……うぅあ……あー」

 

 やっぱり駄目だ。ゾンビみたいな返答しか出来ていない。

 高熱、発汗、頭痛、倦怠感か。まぁ、発汗は高熱が原因として、ユウキに何が起こっているのかは分からないが、ともかく療養が必要な状態だ。

 

「……へいき、だよ。おおげさ……なんだよぉ。これくらい……クーに比べたら――」

 

「オレは関係ない。痛いも苦しいも他人と比べるものじゃない」

 

 それにオレは自分で背負うと決めたものだ。後遺症も深淵の病も何もかも、誰かに責任を押し付けられるものではなく、ただ己で耐えるべきものだ。それ以上でも以下でもない。だからといって、そうした在り方を他人に押し付けるべきじゃない。

 

「オマエが教えてくれたんだ。痛いときは『痛い』って言うんだってな。だから、今のオマエは苦しいなら、『苦しい』って言っていいんだ」

 

「……酷いよ。クーの……そういうところ、きらい」

 

「そうか」

 

「ち、違う。ごめん。うそ。うそだよ!? だから……」

 

「分かってる」

 

 慌てて体を起こそうとするユウキをやんわりとベッドに戻す。

 見た目の通りに華奢で力もなく、弱っているともなれば反抗できない。ユウキはぼふりと枕に後頭部を埋めて唸り始める。

 

「確か、オマエの現実の体は……」

 

「うん、もう……死体……みたいな、ものだよ。ほんとうに……なおる……か、しょうじき……びみょーだよね」

 

「治るさ。オマエには未来がある。黄金の稲穂が実る未来がある」

 

「てきとう……また言った」

 

「いいや、オマエなら治せるさ。きっとな」

 

 いつも明るく元気に振る舞っているユウキであるが、アルヴヘイムで聞いた通りならば、現実世界の肉体が最もボロボロなのは彼女だ。延命と治療処置を受けているとのことであるが、彼女自身は現実の肉体に何処まで執着があるのか判断し難い。

 

「かえる……よ。かならず……かえって……クーに……会いに……いくんだ」

 

「良いのか? こっちの世界の方が居心地良いし、好き放題に体を動かせるぞ?」

 

「そう……だ、ね。VRは……ボクにとって……楽園……だったんだ。だけど……だからこそ……今は……こうおもう。現実で……お日様……いっぱい……浴びて……クーに……会いに行きたいって。ここは楽園であって……『ボクの現実』じゃ……無いんだって……クーのお陰で……やっと、わかったから」

 

「貧相ボディで会いに来るのか?」

 

「そう……だよ! いまよりも……ずっと痩せて、骨ばった……からだ……で、チューブだらけの……でも、それも……ボクだから」

 

 現実の体か。オレの体はどうなっていることやら。SAO事件の後を考えれば、かなり衰弱しているだろうな。加えてファンタズマエフェクトの影響もあるだろうし、悲観すべきはオレの体の方なのかもしれない。

 狩りの全うを忘れたわけではない。成し遂げねばならないと誓いを立てた。だが、同時にザクロの呪いが思考を巡らせる。

 オレは一貫して現実世界への帰還しか考えていない。永住など以ての外だ。オレが受け継いだ血は現実の肉体にこそ流れているのだから。

 だが、仮想世界に何の愛着もないわけではない。この世界にも数多の命が溢れていると分かったのだから。

 

「オレも――」

 

 オマエと会いたい。現実で会いたい。会って殺したい。言葉を呑み込み、汗で額に張り付いたユウキの髪を手で梳き、新しく冷やしたタオルを被せる。

 

「こういう時に≪料理≫が無いと困るな。何か滋養の付くものが食べさせられるんだがな」

 

「仮想世界で……意味……ある?」

 

「あるだろ。心持ち1つで何でも変わるさ。特にオマエみたいなのはな」

 

「うーん……我ながら……おもいあたる……ふしが……」

 

 肉体が精神に影響を与える。逆もまた然りだ。今のユウキの状態の原因が分からない以上は、少なくとも精神を健全に保つべきだ。その為にも良質な食事は欠かせない。

 

「何か買って来る」

 

「だめ! どこにも……いかないで!」

 

 ユウキに手を掴まれ、振りほどくこともできず、オレは再びベッドの傍らに腰かける。

 

「何処にもいかないで」

 

 甘える声音でユウキはねだり、オレは溜め息1つを吐く。ユウキのお陰で幾らか食材はあるが≪料理≫が無いと何も出来ない。スキルとは厄介なものだ。

 さすがに今のユウキに保存食は……な。粥くらいならばアレンジで何とか出来るか? いや、出来なさそうだな。味覚が死んでいる今のオレでは、トライ&エラーすらも不可能だ。まともな食事を作れる気がしない。

 

「クーは……料理……じょうず?」

 

「現実の方か? そうだな……和洋中は一通りできるぞ。1人暮らしだからな」

 

 まだ灼けていない記憶の通りならば、食費ギリギリで節制を心得ながら台所で奮闘していた。

 

「もやし料理とか得意だな。あと、スーパーの消費期限ギリギリの投げ売りの肉をうまーく調理するのもな」

 

「……クーって、貧乏だった、んだ」

 

「アルバイト生活の苦学生なんてそんなものです」

 

 この記憶もいつまで残っているやら。正直、もうぼんやりとしてほとんど思い出せないんだがな。

 

「クーが学生って……想像、できないや」

 

「……そうだな」

 

「ねぇ、クーは……もしも普通の学生だったら……中学とか、高校とか……普通の子どもとして……生きられたなら……何がしたい?」

 

「さぁな。特に思い浮かばないな」

 

 本当だ。イメージすらも湧かない。ユウキの熱い頬を撫でて汗を指で掬い取り、その弱々しい眼に微笑みかける。

 

「でも、そんな風に生きられたなら……って思っていた時もあったかもしれない。ユウキはどうだ?」

 

「ボク? ボクは……部活……したいなぁ」

 

「剣道部か?」

 

「ううん、剣は……いいよ。体をうごかす……だけじゃなくて……絵を描いたり……音楽……歌……たくさん……たくさん、やりたいこと……やってみたい」

 

「文化部か? オマエには不向きだと思うぞ」

 

「不向きとかじゃなくて……自分がやりたい……こと……するの! クーは……分かって、ないなぁ……」

 

「はいはい」

 

 でも、正直に申し上げまして、茶道部とかお上品な部活動をしているユウキは全く想像できません。やっぱり剣道部とか、バスケットボール部とか、健康的に汗を掻いている姿が似合う。

 そして、それは現実のユウキから最も程遠いものであり、仮想世界でしかもはや叶わなかったものだ。それに気づいて、オレはユウキの頬をもう1度だけ撫でた。

 

「お喋りはこれくらいだ。少し寝ろ」

 

「……やだ」

 

「ワガママ言うな、病人が。オレの部屋だったから良かったが、自分の家で倒れたら――」

 

 そこまで考えて、灼ける以前にオレはユウキの家が何処にあるのかも知らなかったのではないだろうかと考える。

 ここまでオレに接してくれる彼女の基本的な情報に無知だった。それは……恥ずべきことなのだろう。

 

「……オレの家でメシ作るのは勝手だけど、たまには逆もいいだろ。そうじゃないとフェアじゃない」

 

「それって……クーがボクの家に……?」

 

「そうだ。まぁ、オレは≪料理≫が無いから出前でも取って――」

 

「ぜったいダメ」

 

「は?」

 

「ダメったら……だめ」

 

「趣味丸出しの部屋でも気にしないぞ? メルヘンか? 悪魔崇拝か? それとも汚部屋か?」

 

「最後だけは……ぜったいにちがうからね。そうじゃ……なくて……」

 

 ただでさえ赤い顔を更に赤くして、ユウキは布団を引き寄せて口元まで隠す。

 

「ボクだって……おんなのこ……だよ? 男の人を……いえにいれるなんて……そ、その……わかる、でしょ?」

 

 ……コイツ、オレの家にズカズカと入り込んでいるのはどう思っているんだ? 男の家にアポなしで何度来たのか数えていないのか? 今日も男の家でお泊りコースだぞ? それなのに、男を家に入れるのはちょっと……とか言われてもさぁ。

 まったく、女心は分からん。まぁ、惚れた男以外を自分1人の時に家に招くのに抵抗があるものなんだろう。

 それを考えたら『アイツ』は本当に凄いよ。アスナと同棲したとかどんだけの猛者だよ。大人の階段とか普通に上っちゃってさ。さすが半端ないわー。

 

「…………」

 

「なに?」

 

「いや、別に」

 

 思わずユウキを見つめてしまったのは、彼女の乙女心を傷つける真似を多々したような気がしないでもないことだ。今回も倒れた時に寝間着に着替えさせようとして、危うく脱がしかけてたし、アルヴヘイムではずぶ濡れの彼女の防具を剥ぎ取って干していた。

 オレが思っている以上に乙女心とは複雑怪奇でガラス細工であるならば、彼女の女性としてのプライドを何度もハンマーでこれでもかと粉々に破砕したのではないだろうか?

 

「ユウキ、安心しろ。『アイツ』はオレと違って少し位は乙女心が分かるヤツだから」

 

「うー……あー……うー?」

 

「うん、駄目だな。全く聞いてないな。やっぱり寝ろ」

 

「うぁ……やだぁ」

 

 どうしてこんなにも頑ななんだ? オレと違って、寝ても何ともないだろうに。

 ユウキの震える右手がオレへと伸びる。その手をつかみ、両手で包み込めば、彼女は嬉しそうに笑って、涙を湛えた。

 

「眠り……たく、ない。だって……だって……寝たら……また……クー……いなくなってる、かもしれない」

 

「…………」

 

「待ってる、よ。いつだって……待ってる。でも……こわい……よ。クーが……帰ってこないって……思ったら……独りで……戦って……傷ついて……苦しんで……死んじゃったら……そんなの……だめ、だよ」

 

「…………」

 

「クーは……たくさん、がんばったんだもん。だから……もっと……もっと……報われて……いいのに。どう、して? どうして!?」

 

「落ち着け。今日くらいはずっと一緒にいてやる」

 

「きょう……だけ?」

 

「ああ、今日だけな」

 

「もう……独りで……何処にも……いかないで。独りは……怖いって……さびしいって……ボク、知ってるよ? だから……」

 

「…………」

 

「クーは……そうだよね。できない約束は……しない。絶対に……」

 

「ああ、そうだな」

 

「惨酷だね」

 

「今更だ」

 

 ユウキの頬を伝う涙を左手の親指で拭う。まるで沸騰したお湯のように熱い気がした。もう痛覚代用するしかない左手なのに、どうしてだろうか。

 オレは狩りを全うする。そこにユウキを巻き込めない。それだけは絶対に出来ない。オマエを殺したくて堪らなくて、もう獣性も歯止めが利かくなっていて、だからこそ戦場で傍に置くわけにはいかない。

 きっと殺してしまうだろう。『獣』として喰らい尽くしてしまうだろう。血の悦びに浸って狂い笑って飢餓を癒すだろう。

 だけど……いいや、だからこそ、オレには彼女と結べる約束がある。

 

 

 

 

「さっきの約束は出来ない。でも、別の約束なら出来る」

 

 

「……え?」

 

 

「オレはいつだってユウキの味方だ。オレが『オレ』である限り、ずっとな」

 

 

「ほん、とうに?」

 

 

「狩人は約束を守る。先祖より受け継いだ血にかけて……久遠の狩人として誓おう」

 

 

「そっか……うん、約束……だよ。ボクもずっとクーの――」

 

 

 

 

 ようやくユウキは落ち着いた寝息を刻む。これで少しは調子が戻ってくれるといいだがな。

 さて、ヤツメ様。何か言いたいことがあるようなら聞きますが?

 窓辺に腰かけたヤツメ様は、ゆっくりと沈む夕陽を眺めたまま、オレを見ることなく口を開く。

 

(どういうつもり? 久遠の狩人として誓いを立てる。その意味を分かっていないはずないでしょう?)

 

 もちろんだ。久遠の狩人として立てた誓いは、神子として結んだ契約にも等しい。

 オレは生涯かけてユウキの味方でいよう。たとえ、世界が彼女を疎んで排除を望んだならば、世界を殺し尽くそう。

 

(まるで婚姻ね)

 

 そこまで自惚れていないさ。残り短い命の使い道を考えただけだ。それにユウキの想い人は別にいる。

 たとえ、『アイツ』がユウキを受け入れなくても、彼女ならきっと幸せになれる。幸福な未来を得られる。

 ザクロの夢を継いでくれた『優しい人』であるユウキは、きっと相応しい『誰か』と結ばれるはずだ。

 

(……そうね。アナタが『アナタ』でいられる時間はもうそんなに残っていない。それくらいのワガママはワタシだって受け入れるわ)

 

 ありがとう、ヤツメ様。

 太陽は地平線に沈み、夜の闇が訪れる。星々の輝きは増し、月は大きく欠けている。

 終わりつつある街は人々の営みの灯を宿し、温かな活気と薄暗い脈動を孕みながらも夜明けを待つ。

 熱は……少し下がったみたいだな。安定した寝息と拍動を刻むユウキに自然と笑みが零れる。彼女の首を撫で、少しずつ指に力を入れる。

 

「う……うぁ……」

 

 微かに漏れた苦しみの声に血の悦びを求める『獣』の顎が疼く。

 

「うぁ……あ……あ」

 

 ユウキをオレの影で包むように覆い被さり、右手で何度も首を撫でる。少しずつ、少しずつ、少しずつ撫でる指を強く押し込んでいく。

 

「ユウキ……オレは……オマエを……」

 

 これ以上は駄目だ。奥歯を噛み、右手首を左手でつかんで引き離す。

 音を立てないようにゆっくり離れ、ユウキの呼吸が再び正しいリズムを刻むのを確認して安堵の吐息を漏らす。

 誓ったんだ。約束したんだ。オマエの味方であろうと。

 いつだって守れなくて、救えなくて、傷つけるばかりで、間に合わなくて……殺してばかりだ。

 そうだとしても、せめてオマエが知っている『オレ』でありたいんだ。

 呼び鈴が鳴り、ユウキが目覚めないか心配しつつ、足音を立てないように玄関に移動する。この時間に呼び出しとは、サインズだろうか?

 訪問者は……グリセルダさんか。≪変装≫でもない限り、見間違うことはないと思うが、ヤツメ様は……特に警戒無しか。大丈夫そうだな。

 

「どうかしましたか?」

 

「それはこっちの台詞よ。私からのメールを見てないの?」

 

 メール? そういえば、受信アイコンが光っていたような気がするな。システムウインドウを開いてメールボックスをチェックすれば、グリセルダさんからのメールが十数件も溜まっている。

 DBOはプレイヤー間の連絡手段を意図的に制限しているので、フレンドメールがメインとなるのであるが、最近はクラウドアースが新たな通信インフラの確立を目指しているとかなんとか。まぁ、その辺はオレの専門では無いし、グリムロックもさほどの興味はないみたいなので、あまり関係ないな。

 

「クラウドアースから依頼が入ったのよ。人手がいるみたいね」

 

「そうですか」

 

「そうですかって……あのね、例の依頼を蹴ったせいで、クラウドアースからの評価は下がっているの。バランスを取らないと今後の仕事に支障が無いとは言い切れないわ」

 

 例の依頼とは、ラストサンクチュアリ壊滅の協働依頼だ。クラウドアースは正式にユージーンの協働相手としてオレに依頼したが、既に別の依頼を引き受けているので断りを入れている。

 

「……もしかして、怒ってますか?」

 

「まさか。クゥリ君が好き勝手にするのは今に始まったことじゃないわ。私は貴方に選択を委ねた。尻拭いと裏工作は任せなさい。それがマネージャーの仕事よ」

 

 クラウドアースとしては、まさかオレが依頼を断るとは思ってもいなかったのだろう。まぁ、次点候補に依頼するだけかもしれないがな。

 既にクラウドアースは作戦に向けて、ラストサンクチュアリが戦力を準備できないように工作を進めている。当日は独立傭兵の全員がクラウドアースによる依頼で待機状態になる予定だ。太陽の狩猟団も専属傭兵に依頼をかけて待機を命令するだろう。聖剣騎士団も似たり寄ったりといったところか。

 

「左腕はどうなの?」

 

「大よそ8割回復でしょうか。戦闘に支障はありません」

 

「そう、だったら準備して。そんなにハードな依頼じゃないから、フロンティア・フィールド探索に影響は与えないはずよ」

 

「申し訳ありませんが、それは出来ません。ユウキが熱を出していて、今日は傍にいないといけませんから」

 

 グリセルダさんは眉間に皺を寄せる。まぁ、DBOに病気はないからな。だが、現実の肉体の健康状態次第でプレイヤーにも幾らかの影響は出る。

 ユウキの状態を説明すると、グリセルダさんは玄関ドアにもたれ掛かりながら腕を組む。

 

「私が看病してもいいわ。仕事に行きなさい」

 

「お断りします。約束しましたから」

 

「マネージャーとして傭兵に依頼の受理を要求するわ」

 

「約束は破りません」

 

「…………」

 

「…………」

 

 グリセルダさんは睨み、オレもまた睨み返す。互いの眼光が空気に重さを与えているように錯覚するほどに、オレたちの間に淀んだ圧迫感が蓄積されていく。

 先に折れたのはグリセルダさんの方だった。疲労を吐き出すように溜め息を吐き、前髪を左手で掻き上げる。

 

「ユウキちゃんは特別なのね」

 

「特別? まさか、違いますよ」

 

「あら、そうなの?」

 

「『例外』ですよ」

 

 オレにとって『特別』よりも大切な『例外』だ。

 もう赤紫の月光は見えない。それでも、分厚い暗闇の雲の向こう側に確かにあるのだと感じられるのだから。

 

「……へぇ、そういう顔もできるのね。あらヤダ。人妻なのに、ドキッとしちゃったわ」

 

 途端にグリセルダさんは意外そうな目をして、やや驚いた様子を見せる。

 

「分かったわ。こっちで上手く調整しておくから、今日はユウキちゃんの傍にいてあげなさい」

 

「ご迷惑をかけます」

 

「気にしないで。これもマネージャーの仕事よ。それに、グリムロックのせいで色々迷惑もかけているしね。白夜の狩装束の件は、こっちできっちり締めておいたから安心して」

 

 グリムロックはどうやらケツパイルの刑に処せられたようだな。まぁ、オレは別にグリムロックが何を作ろうと構わないんだがな。

 

「それとグリムロックからの預かりものよ」

 

 グリセルダさんがオレに渡したのは新調された贄姫だ。特に破損したわけではないが、アーロンのソウルで施すことになったのであるが、さすがはグリムロックだ。仕事が早い。

 

「アーロンのソウルを組み込んであるそうよ。名は改める?」

 

「いいえ、必要ありません」

 

 贄姫は元より妖刀だ。ならば、アーロンのソウルを組み込まれた贄姫は、妖刀として更なる昇華を遂げた。それ以上でも以下でもない。

 アイテムストレージに収納し、フロンティア・フィールド探索に向けてのプランを組もうと思考が働きそうになるが、グリセルダさんの軽いチョップが停止させる。

 

「次の仕事のことは忘れて、ユウキちゃんの看病をしなさい。私からの依頼よ」

 

「……傭兵として引き受けました」

 

「よろしい。貴方には色々と確認したいことがあったけど、今は不問しておくわ。ユウキちゃんには『隠したい』んでしょ? 手伝ってあげるわ」

 

「……へ?」

 

「気にしないで。私のつまらない独り言。でも、いつまでも『隠せる』とは思わない事ね」

 

 ひらひらと手を振ってグリセルダさんは去っていく。背中に一礼して見送ったオレは、汗が滲んだユウキの額をタオルで拭くと、ゆっくりと傍らに腰かける。

 夜通し看病になりそうだな。だが、眠らないのは慣れている。

 グリセルダさん……まさか……いや、だが……駄目だ。今は考えるのを止めよう。

 ユウキの安らかな寝顔に、オレは殺意を堪える。彼女の眠りが少しでも穏やかであるように、まるで人肌の温もりを求めるような彼女の左手を握る。

 

「今日だけは……ずっと傍にいるよ」

 

 いつも傍にはいられなくても、今日だけは……今夜だけは……ずっと傍にいる。




憎悪に塗れていようとも古き約束を胸に剣を握り、血に狂えながらも新たな約束を結ぶ。



それでは、322話でまた会いましょう!

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