SAO~デスゲーム/リスタート~   作:マグロ鉱脈

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前回のあらすじ
シェムレムロスの館へようこそ。悪いが、ラトリア+公爵書庫+実験棟だ。


久々の更新となりますが、またペースを戻して投稿してきたいと思います。
どうぞよろしくお願いします。



Episode18-49 巨鉄のデーモン

 見えない。『見えている』はずなのに『見えない』。

 尾を引くのは白ばかりであり、それは残り火の如く視界で靡く。だが、それが舞えば必ず血飛沫が散り、屍が赤色と共に重なり合う。

 3連射のクロスボウが放たれる。だが、白色はまるで全てのボルトの射線を未来で見てきたかのように、体を斜めにして、ふわりふわりと木の葉のように揺れる。それだけで何十というボルトの雨を潜り抜け、あっさりと射手まで辿り着くと胴ごと両断する。その様はまるで霧に映った影に射たかのようであり、全ての攻撃が擦り抜けたと錯覚するようだった。

 いや、自分たちは幻を相手にしているのだ。白色は蛇人から奪い取った大鉈2本を構えている。振り下ろされれば結晶騎士が頭部から股まで斬られ、血染めになる。蛇人が斧槍を突き出せば、流水に漂う木の葉のようにくるりと回りながら背後をあっさりと取り、同胞より奪った大鉈で背中から腹を貫いて眉間まで斬り上げる。

 血。血ばかりだ。実験棟を血の赤が支配していく。

 同僚が3人がかかりで挑む。だが、やはり『見えている』のに『見えない』のだ。誰もが空振り、焦って頭を左右に振って探し、悲鳴を上げながら武器を振り回す。その時には白色は壁を蹴って宙を舞っていた。3人の中心に舞い降りると両手の2本の大鉈で回転斬りを放ち、その体を醜く抉ると止まることなく3人の頭蓋を大鉈の分厚い刃で潰す。

 何をしても霞を斬るばかりのようだ。数で圧殺しようとすれば翻弄され、腕に覚えがある者は瞬く間に骸を晒す。

 攻撃が当たらない。そこに『いる』はずなのに『見えない』相手をどうやって殺せば良い? そもそも『触れられない』相手にどうやって攻撃を当てれば良い? 

 決して止まることなく、毎日をここで生活している自分たち以上に『狩場』としての特性を見抜いているかの如く環境を利用し、微かでも怯えて動きを緩めた途端に喉元を食い千切るように殺意の顎を開き、たとえ全力で挑んでも圧倒的な暴力で捻じ伏せられる。その柔肌が触れる時は首を捩じられるか、傷口から内臓を抉り出されるか、そのどちらかだ。

 その動きは人外。同じ2本の足と2本の腕のはずなのに、どうしてここまで違う? 蛇人が大鉈を振り下ろしても、その刀身を撫でるほどの紙一重で躱しながら迫ったかと思えば、下顎を同じ大鉈で斬り落とす。絶叫を上げる蛇人を蹴り飛ばし、そのまま背後も見ずに後ろを取っていたはずの同僚を逆手持ちした大鉈で突き刺し、捩じって醜く傷口を広げる。

 まるで全員が蜘蛛の巣にかかった獲物であるかのようだ。何をしても読まれている。いかなる行動も自死を運ぶ愚かな選択のようだった。

 

「あは……あははは……あははは……!」

 

 自分はどうして『狩猟者』になったのだろう? 彼には何も分からない。過去は日々窮屈でつまらなかったが、それでも安心感のある退屈があった。幼いころから両親の目を盗んで炭で絵を描き、将来は都に出て画家になりたいと望んでいた夢もあったのだと思い出した。

 だが、今ここにあるのは、まるで全てを焼き尽くすような業火であり、息を呑むほどに美しく月明かりと踊る死神だった。

 最後の同僚が大鉈を投擲され、その顔面を潰されて倒れる。まだ息はあるが、それを許さないとばかりにもう1本投げられ、それは腹の真ん中に突き刺さる。絶命した同僚の出血が足下に広がり、彼は悲鳴と共に武器を捨てようとした。

 だが、余りにも目の前の死神が恐ろし過ぎて……そして、何よりも美しい微笑みを描いていて……まるで全身が蜘蛛の巣にかかったように動かなくなる。死神は全身に浴びた血すらもが華やかな化粧のようであり、返り血のニオイは甘い香水であるかのようだ。それ程までに、この死神は返り血で真っ赤に染まった姿が最も映えると、彼は生死の間際であらゆる芸術家が出会いたいと望む光景を目にしたことに『感謝』すら覚えた。その姿を是非ともキャンパスに残したいと、微かに燃え残った夢の残滓を蘇らせた。

 ふわりと死神が跳ぶ。同僚が生んだ血溜まりでステップを踏み、今にもキスが出来そうな距離まで迫る。まるで蜘蛛を思わす程に冷たくおぞましい殺意に浸された眼差しでありながら、その瞳の輪郭は夜の闇を払う篝火を思わす程に温かく優しい。穏やかで純真な微笑みはまるで穢れを知らない箱庭育ちの生娘のようであり、甘い砂糖菓子のように魅力的に歪んだ唇は悪魔すらも接吻の誘惑に抗えない程の魔性だ。

 男とも女とも分からない、ただ『美しい』という表現以外を拒絶するような顔立ちで、死神の右手が彼の喉を撫でた。まるで、そこに脈動する血を欲しているかのように。

 

「アナタで79人目。恐れないで、死ぬ時間が来ただけです」

 

 そして死神は気道を潰すように喉を締めて持ち上げる。途端に彼から山吹色のオーラが吹き出し、次々と死神に吸収されていく。

 生命が啜られている。まるで、首筋に牙を立てられて血を吸われているかのような倦怠感を催す脱力が抵抗の意思を奪う。

 ああ、ようやく眠れるのか。彼は誰にも聞こえぬ苦笑を口内で漏らす。思えば、『狩猟者』になってから寝つきが悪い。毎日毎日、『栄養剤』を打ち込まなければ、この実験棟にいると頭がおかしくなってしまいそうなのだ。

 どうして? 何故? 考えることができないのだ。だが、『ようやく死ねる』という不可思議な安堵感がある。それが嬉しくて、彼は意識の全てが死神の殺意に貪られるのを待ち、そして死を受け入れた。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 黒鉄都市に内部に通じている……だろうという推測が立てられた渓谷。そこは怪物が古のアルヴヘイムより怪物が蔓延る魔窟であり、その最奥に生きてたどり着いた者はいないとされている。

 そんな場所に、いざという時の切り札を送り込むほどに暁の翅は慢心していない。相手は黒鉄都市であり、オベイロンなのだ。妖精王を討つ貴重な戦力の損失は避けねばならない。ならば、わざわざ時間をかければ必ず陥落させられる黒鉄都市を前にして、渓谷からの侵入を認可する理由も無かった。

 

「だからって、黙って出発してきて良かったんですかね?」

 

「問題ない。手紙は置いてきた。『俺たちは内部から黒鉄都市を陥落させる。成功したら狼煙を上げるからその時はヨロシク』ってさ」

 

 グーサインをするUNKNOWNを横に悶絶するレコンは放っておくとして、シノンは今回の作戦に表面的には賛成をしていたが、その内心では不安を抱いていた。

 理由はリーファとレコンだ。ヴァンハイトは装備こそ斧槍を除いては貧弱であるが、歴戦の戦士であり、彼と戦ったシノンもその実力の高さは体感している。だが、対して2人は装備こそアルヴヘイムにも通じるが、最前線に対してやはり何処か甘さを持っているように映った。

 レコンは対ネームド・ボスでタンクをやるという意味を本当に理解しているのだろうか? シノンはこれまで幾度となく『タンクになれなかった者』の末路と『タンクをやりきった者』の最期を見ている。強大なボスを相手にして犠牲が出ない事の方が珍しく、中ボス的立ち位置であるはずのネームドでも場合によっては軽々とステージボスを凌駕する事もある。そんな怪物を相手にして、仲間を庇う盾に徹するのは強靭な精神力が必要であり、時には背後の仲間を守る為に瀕死でも盾を構え続けねばならないのだ。技術やスキル以上に精神力という難関が立ちはだかる。

 自分ではなく仲間の為の盾であり続けねばならない。たとえ、死が迫ろうとも、死の間際だろうと、死の瞬間だろうと、そうであらねばならない。そして、それを出来なかった者たちの3分の1は逃げ出して背中から攻撃を受けて死ぬ。3分の1は仲間を見殺しにして生き地獄を味わう。最後の3分の1は現場復帰できなくなって貧民落ちだ。

 リーファにしてもそうだ。相応の場慣れはしているかもしれないが、それでも最前線でネームド・ボスと戦った経験は聞いた限りでは皆無である。シノンは傭兵として経験があるが、現在は上位プレイヤーとして活躍する者たちも『最前線ルーキー』時代があったのだ。彼らの過半は繰り返される大ギルドによるレクチャーを受けていながらも醜態を晒す。それを補佐するのが最前線経験者の役目だ。逆に言えば、補助輪無しでいきなりネームド・ボスを相手にしても十全の活躍を成せる者は大成してトッププレイヤーと呼ばれる素質を秘めた最有力候補だろう。

 だが、今では【若狼】の異名を持つほどに成長し、トッププレイヤーの1人としても数えられるようになったラジードなど、当初はとても見れたものではなかったとされている。だが、彼に光るモノを見た亡きベヒモスが自分の部下として多くの経験を積ませ、最終的には1人立ち、ついには太陽の狩猟団でも人望と実力を兼ね備えたホープにまで成長した。

 シノンが感じる限りでは、リーファには図抜けた才覚があり、じっくりと成長すれば、行く行くはスカウトマンどころか大ギルドの幹部・リーダーが直々に勧誘に来るのではないかと思っている。レコンはまず生き残ることが第1であるが、それでも今日までアルヴヘイムで生き残れたという『強運』には目を見張る部分があった。運とは常にあらゆる戦いにおいて勝敗を左右しかねない要素なのである。

 

(私も他人の心配をしていられる状態じゃないけどね)

 

 弓剣はともかく、義手にはガタつきが出始めているとシノンは軋む機械の左腕を生身の右手でつかむ。連動性が落ちていることを実感する。自分が思ったように動かない時が増えている。繰り返される戦いの中で確実にダメージが蓄積しているのだ。優先的にエドの砥石などで耐久度を回復させていたが、それでも着実に消耗は表面化していた。

 義手に仕込まれた『奥の手』を使えば、確実に義手は1つの限界を超えるだろう。故に使いどころを間違えてはならない。シノンは感情任せに使用しないようにと我が身に言い聞かせる。

 

「ねぇ、私達だけの方が良かったんじゃないの?」

 

 ようやく到着した、渓谷というよりも大地の切れ目のような暗い穴を前に、シノンはこっそりとUNKNOWNに耳打ちする。

 シノン達は傭兵だ。苦境には慣れているし、ネームド相手の経験も十分に積んでいる。少人数でネームドを撃破した経験もある。この場にいる誰よりもネームド・ボスに少数で挑む恐ろしさを知っている。

 生半可な覚悟で挑めば返り討ちになるだけであり、腹を括っていても土壇場では腸に隠した感情が溢れ出す。それが結果的に得られたはずの勝利を遠ざけるかもしれないのだ。ならばこそ、シノンはUNKNOWNの本音を探る。

 

「確かに、俺たちだけの方が犠牲は出ないかもしれない」

 

「だったら――」

 

「勘違いしないでくれ。俺たちだけで勝てる保証だって同じくらいに無いんだ。彼らの助けが俺たちを救うかもしれない。彼らの力が敵を倒すのに必要かもしれない。いいや、きっと必要になる。だから、俺達も出来る限り2人をサポートしよう。ヴァンハイトさんもそのつもりだろうしさ。お互いに足りないものを補い合うのが『仲間』だろ?」

 

 これは楽観ではない。そう宣言するような力強さにシノンは黙る。UNKNOWNの雰囲気はやはり変わった。以前でも同じ言葉を告げたかもしれないが、まるで別人のように声には澄んだ感情が浸み込んでいる。

 

「それに、彼らの奇跡は貴重な回復手段だ。俺たちの回復アイテムの残数は限られているんだ。むしろ、彼らの同行を必要としているのは俺たちの方だろ?」

 

 言われてみれば確かに、黒火山を攻略するのに手持ちの回復アイテムだけで乗り越えるのは厳しく、また成したとしても次なる戦いがより厳しくなるほどの消耗は確定だろう。ならばこそ、リーファとレコンの2人の奇跡は、まさに命綱だろう。だが、そんな理屈では片づけられない程のUNKNOWNの声音の強さに、シノンは義手を鳴らして拳を握った。

 彼に魂を取り戻させたのは、自分ではなく白の傭兵だ。それがシノンの胸に小さな痛みを生む。心折れて絶望の底に沈んでいた彼を水面に引っ張り上げたのは、その手に再び剣を握らせることができたのは、リーファでもなく、シリカでもなく、ましてや自分でさえもなく、クゥリだった。

 はたして、UNKNOWNが見たのは夢か現か。シノンには判断できない。そもそも、アルヴヘイムにいるならば、どうしてUNKNOWNと合流しない? わざわざ立ち直らせに赴いたというのに、何故かつての『相棒』として隣に立たない? いや、そもそも合理的な判断として戦力の増強は不可欠。UNKNOWNに指摘こそしたが、シノンも2人で挑むよりもリーファ達がいれば勝率は上がると認めている。ならばこそ、クゥリが合流しないのは不可解だ。

 そして、夢であるならば、今もUNKNOWNの心を支え続けているのはクゥリとの思い出であり、何者も立ち入れない聖域のような関係であると明示しているようなものだ。

 面白くない。シノンは奥歯を噛み、推測に過ぎないが、黒鉄都市に繋がっているだろう渓谷に踏み入る。

 

「私だって仲間が必要だってくらい分かっているわよ。自分1人で……あなたと2人で全ての敵を倒せると思ってるほどに自惚れてないわ」

 

「だよな。それでも、シノンは俺にちゃんと『言葉』で突きつけてくれた。これは『甘さ』なんじゃないかって切り込んでくれた。シノンのそういう所、俺は好きだし、信頼しているよ」

 

 仮面越しでも分かるUNKNOWNの柔和な笑みに、シノンは跳ねあがった心臓と共に頬が熱くなるのを感じて顔を背ける。

 渓谷の入口から流れるのは泥水にも等しく、それは暗闇の奥から流れ続けている。淀んだ水はお世辞でも清浄と呼べるものではない。ヴァンハイトが松明を点らせれば、煌々とした炎が渓谷の……いや、もはや洞窟と呼ぶべき道を照らし出す。

 集団で動けばその分だけ隠密ボーナスは下がり、モンスターとのエンカウント率が上がる。より発見され易くなり、また奇襲をかけ辛くなる。特にレコンはフルメイルともなれば静音には遠く、必然的に行動の度に洞窟内に音が響く。

 早速のお出ましだ。現れたのは全身を黒ずんだ鉄によって覆われた、全身甲冑にも等しい痩躯の戦士だ。まるで甲冑そのものが動いているようであり、その体躯は人間ではあり得ない程に細い。だが、対照的に得物は凶悪な分厚い両刃の大斧だ。

 数は3体。シノン達の道を封じるように立ち塞がっている。装備はいずれも同じである。身震い……いや、武者震いなのだと信じたい程にレコンが全身を震わせて甲冑が音を鳴らす。ヴァンハイトは背中の斧槍を抜き、リーファは右手に片手剣を抜いた。

 最初に動いたのはUNKNOWNだ。3体の痩身の鉄兵に跳び込み、その攻撃を誘う。普通ならば自殺行為であるが、巧みに両手の剣を操り、自分を叩き割る勢いの大斧の内の2本を受け流し、左右の剣を交差させて残りの1本を受け止める。

 拮抗は刹那にも満たない。剣で受け止めた大斧を弾き返し、よろめかせたところに2本の剣が舞って斬り刻む。相手は物理防御力が高いだろう外観であるが、瞬く間に6、7、8と斬られた鉄兵は呆気なくHPが消し飛んだ。

 呆けるリーファやレコンを尻目に、2体目にターゲットを移したUNKNOWNの背後を守るべく、受け流されて地面に食い込んだ大斧を引き抜いた1体に狙いを定めたシノンは、ヘッドショットを決めて怯ませる。そうしている間にも2体目を瞬く間に始末したUNKNOWNは、最後の1体の胸をバツ印を描くように深く薙ぎ、そのまま両肩へと剣を振り下ろす。

 

「……水準はレベル80前後の数で押してくるmobってところかな」

 

 リザルト画面を確認すれば、シノンが得られた経験値とコルは僅かなものだ。大半はUNKNOWNに奪われたのだろう。DBOの経験値とコルの分配は評価制であり、パーティ内でも活躍が違えば如実に差が出る。これは高レベルプレイヤーに1人だけ低レベルプレイヤーが混じって『お零れ』を貰うことを防ぐシステムだ。無論、活躍とは攻撃ばかりではなく、回復や防御の援護も含まれ、トータル的に評価される。今回の場合、UNKNOWNは3体の鉄兵の撃破、シノンはヘッドショットに見合うだけの分配が得られたという事になる。

 それは逆に言えば、何もすることが無かったレコンとリーファ、2人が逸らないように控えていたヴァンハイトには文字通りのゼロという事になる。だが、今回の場合はUNKNOWNが戦力調査を無言で受け持ったものだ。彼なりの最初のフォローのつもりなのだろう。

 

「レコン、リーファ。あの鉄兵の動きは鈍いけど、攻撃の初動だけは速い。躱せば隙も大きいけど、無理に間合いに入らないで、攻撃が当たるかどうかのギリギリで立ち回るんだ。空振りを誘ったところに着実にダメージを重ねれば、比較的安全に倒すことができる。物理防御力は思っていた程に高くないけど、斬撃属性には強いはずだ。生半可な刺突も弾かれるかもしれないからしない方が良い。打撃属性の重い一撃を加えれば怯ませられるから、狙うべき時はガンガン攻めた方が安全だ」

 

「え、あ、はい。そうですか」

 

「さ、参考になりまーす」

 

 見守るしかできなかった2人の反応は鈍い。正確にはUNKNOWNに圧倒されたと言うべきだろう。シノンは見慣れているが、これが一般プレイヤーの標準的な初見の反応である。

 ユニークスキル≪二刀流≫によってUNKNOWNが装備した片手剣の攻撃力は大きく引き上げられ、両手剣にも準じる火力を持つ。それが片手剣のDPSで、それもUNKNOWNの神速の剣技で繰り出されるのだ。傍から見ればワンサイドゲームに映ったはずである。

 だが、そうでなくとも、シノンの目から見ても、今のUNKNOWNは過去最高に絶好調と言わざるを得ない動きだった。まるで長年に亘って四肢に嵌められていた重たい枷が取り払われたかのような、夏の青空のような開放感に満ちた剣捌きだった。

 これがUNKNOWNの『本来』の動きなの? シノンも表情にこそ出さないが、小さくない困惑を宿す。新たなスキルを得たのでもなく、ステータスを大幅に変動したわけでもないだろう。ならば、今まで彼の最大の問題だったメンタルが改善されたことにより、ここまでパフォーマンスが激変するならば、彼がどれ程までに思い悩んで苦しんでいたのかを物語る。

 いや、それ以前にここまで落差があるともなれば、どれ程までにメンタルに左右され易い性質なのだろうか。いっそ呆れてしまいそうになるとシノンは息を漏らす。

 暗い洞窟を進んでいけば、やがて松明が必要ない程に明るくなっていく。それは太陽の光が差し込んでいるからではなく、各所で黒火山の脈動のように、割れた地面からマグマの輝きが零れているからだ。奥から流れている水はもはや沸騰したお湯である。

 

「ハァ……ハァ……ハァ」

 

 熱が籠った空気にレコンの呼吸音が大きく響く。フルフェイスかつ全身甲冑の彼は言うなればサウナ状態だ。動けば動くほどに体熱も上がる。フルメイルに慣れておらず、また極端な環境下での訓練を積んでいないレコンには負担も大きい。また、リーファも頻繁に額の汗を拭う動作を繰り返している。それは暑さだけではなく、極度の緊張状態がもたらす発汗も含まれているだろう。

 シノンは先程から革製の水筒にばかり口をつけているリーファの肩を軽く叩く。

 

「落ち着きなさい。緊張するのは分かるけど、私も≪気配察知≫を使用しているわ。肩の力を抜いて、でも油断しように」

 

「は、はい」

 

「それとレコン。兜のバイザーを上げなさい。慣れない内は戦闘の時だけ下ろせば良いわ」

 

「……分かり、ました」

 

 私が無償でアドバイスすることになるなんてね。ふとシノンが思い出したのは、DBOがデスゲーム化するなど露とも知らなかった頃、ディアベルとクゥリに出会った時だった。あの頃の自分を懐かしく思い、また取り戻せないと分かり切っている日々に自然と拳を握る。

 

(仲間、か。そういえば、GGOの頃から仲間と呼べる連中が何人いたかしら?)

 

 いや、いなかった。シノンにとって初めて仲間と呼べる存在だったのは、間違いなくディアベルとクゥリだった。

 今ここにはUNKNOWNがいる。レコンがいる。リーファがいる。ヴァンハイトがいる。彼らを失いたくないと思っている自分がいる。シノンは同時に喪失の恐怖を感じる。彼らを失いたくないという強い固執を覚える。

 

(でも、戦えば……誰か死ぬ。『力』が無い者から死んでいく。それがDBOの……いいえ、世界のルール)

 

 シノンも傭兵として参加したボス・ネームド戦で幾度となく死に接してきた。犠牲が出ない戦いの方が少なかった。最初は1人死ぬ度に大騒ぎしていた攻略も、今では『1人で済んだか』という諦観どころか『犠牲が少なくて良かった』という喜びに変わっている。

 リーファとレコンも『犠牲』にするのか? 違う。そうではない。シノンは否定する。彼らを死なせたくない。だからこそ、自分は彼らを死なせないように立ち回らねばならない。

 確かにリーファもレコンも最前線に立つには圧倒的に経験が足りない。だが、レコンはUNKNOWNとヴァンハイトの補佐を受けながら、着実にタンクとしての役割を活かせる動きができ始めている。リーファも過ぎた緊張が足を引っ張っているが、それでも十分に戦えている。少なくとも2人とも足手纏いになっておらず、着実に活躍の機会を増やし、それは経験値とコルという形で目に見えて成果が表れる。

 

「リ、リーファちゃん! 見て! レベルアップしたよ!? このペース凄いよ!」

 

「な、ななな、何ビビってんのよ!? あたしだって、ほ、ほほほほ、ほら!?」

 

 まぁ、そうなるわよね。リーファはともかく、レコンはレベルも含めて分不相応だ。活躍すれば活躍する程に経験値が流れ込む仕様上、タンクとして壁になり、仲間を攻撃から守るという行為は評価は付けられやすく、経験値も流れ込みやすい。負けずとリーファも流麗な剣捌きを発揮するが、その傍らではUNKNOWNが付き、適度に割り込んでダメージを与えて、なるべく彼女にラストアタックを決めるように誘導している。必然的に彼女の経験値も増える。

 

『2人にまず必要なのは自信だ。未攻略の地で敵も未知だから危険ではあるけど、脅威が小さい内に増長しない程度には自信を付けさせないと逆に危ないしな』

 

 3体の鉄兵を圧倒した後、やり過ぎではないかと耳打ちしたシノンに、UNKNOWNはこれも意図したものだと説明した。彼は戦力調査だけではなく、敵は『必ず倒せる』という擦り込みを2人に行ったのだ。その成果もあり、鉄兵に対してはさほどに2人は慄いていない。

 気圧されたままの心では腰が引けて動きが鈍る。また恐怖に支配されて動けなくなる。恐怖に立ち向かう為には、自分に対しての自信を持たねばならない。恐怖に最低限抗えなければ、自分の身を守ることも、逃げて遠ざかることも、脅威を脅威と判断することも出来なくなるのだ。

 だからこそ、ランスロットは本当に恐ろしかった。勝てるビジョンがまるで見えない相手とは、即ち死の塊そのものであり、相対することさえも許されない恐怖だからだ。UNKNOWNを圧倒したランスロットは、シノンにとって正しく最大の恐怖として刻み込まれている。

 そして、ランスロットと近しい恐怖を覚える対象はただ1人……クゥリだ。最近は幾らかオープンになったとはいえ、クローズされた依頼ばかりをこなしていた白の傭兵は、時が経てば経つほどに『力』を増していると肌で実感する。かつて以上に倒せるビジョンが浮かばない。どうすれば『殺しきれるのか』がまるで見えない。

 理屈は単純だ。ランスロットにしてもクゥリにしてもHPをゼロにすれば倒せる。だが、どれだけ思い描いても、そのHPが尽きるイメージが形作れないのだ。

 

「シノン!」

 

 少し考え耽ってしまったのだろう。UNKNOWNの鋭い呼び声と同時に、シノンは背後から迫る岩石に擬態した6本足の巨大昆虫に気づく。≪気配察知≫は万能ではない。リーファも発動して多重で警戒していたが、上位プレイヤーの精鋭パーティでも擬態したモンスターは高い隠密ボーナスを持つが故に奇襲を受けることは珍しくない。

 舌打ちしながら義手で無理に薙ぎ払おうとしたシノンであるが、岩石昆虫とシノンの間にレコンが割り込む。彼は女神ティターニアの横顔が彫り込まれ円大盾で岩石昆虫のタックルを防ぐ。弾かれた岩石昆虫は裏返りになって地面を転がり、そこにレコンとの長い付き合いを示すようにリーファが即座に抜剣し、弱点だろう柔らかい腹部に剣を刺し入れた。

 

「油断大敵……ですよね?」

 

「そうね。ありがとう、助かったわ」

 

 バイザーを下げ忘れたレコンの、ぎこちない笑みに、シノンは素直に自分のミスを認めて微笑む。途端にレコンの顔が真っ赤に染めた。

 

「あれれ~? レコンったら顔が赤いわね。もしかして、シノンさんに惚れちゃった?」

 

「ば、馬鹿言わないでよ! 僕はリーファちゃん一筋だよ!」

 

「そうかなぁ? あたし、前々から思ってたけど、レコンって美人さんに弱いもんね~」

 

「……そうだよ! 男は奇麗で可愛い人に弱いんだよ! ですよね!? UNKNOWNさん!? ヴァンハイトさん!?」

 

 頬をぐりぐりとリーファに指で捩じられ、逃げるようにレコンは咆える。火の粉が降りかかった老若2人の卓越した戦士は、未知で怪物が蠢く場所で何を言っているんだかと嘆息する。

 

「お前さんは何も分かっておらんな。顔ばかりが全てではない。全身のバランス! 特に尻こそが女の至高を決めると何故分からん!?」

 

「フッフッフッ、レコンは『まだまだ』だなぁ。美人で可愛いはもちろん歓迎だ。だけど、同じくらいに美乳か否かも重要ポイントだろ!?」

 

 途端に、剣の学びを通して育んだだろう、老若剣士の絆に綻びが入った。ヴァンハイトは『これだから若者は。尻こそが女体の宝玉だろうに』と見下し、UNKNOWNは今にもデュエルを申し込みそうな眼光で『老害が。胸こそが女体の神秘の扉。全てはそこから始まると理解できぬとは』と語る。

 意外と余裕じゃない。シノンは火花を散らす2人の間に割って入り、その上で胸当てで隠された自分の胸部にペタペタと触れる。『形』にはそれなりに自信はある。だが、大きさに関しては……とまで思考が錯乱しかけ、いい加減にしろと自分に喝を入れる。

 

「幾ら順調だからって、ちょっと弛み過ぎじゃないの?」

 

 警戒を怠って奇襲を受けたシノンが言うべきではないかもしれないが、UNKNOWNに小言を申せば、彼は苦笑いしながら頭を掻いた。

 

「これで良いんだよ。肩肘張っているより、少しでも笑って気分を紛らわした方が良い。シノンも気づいているはずだ」

 

 リーファとレコンの見えない場所で、UNKNOWNは露になっている左目を厳しく細める。喜劇に一幕だったようなヴァンハイトとのやり取りなど無かったように、彼の声音は些か以上に焦りが滲んでいる。

 

「……そうね。さすがに気づいてるわ」

 

 鉄兵の襲撃頻度は思っていた程に多くない。だが、洞窟の奥へ進めば進むほどに、まるで迷宮のように道は分岐して惑わせる。入口こそ天然の渓谷、洞窟の様相であったが、いつしか古代の神殿のような人工的な階段やレリーフ、石像も散乱し始める。

 半ばから折れた大円柱が横たわり、そこから全身を鋼で覆われたような巨大蠍が現れる。全長5メートルにも達し、その尾の先端には蠍らしく毒で濡れた禍々しい針を備えていた。右のハサミだけ異様に大きく、だが左のハサミはより鋭い。叩き潰す為の右のハサミと動きが速く鋭利な左のハサミ。何よりも巨体に見合わぬ俊敏さと素早い尾の攻撃が予想される。

 初見の相手だ。まずはUNKNOWNが前に出る。巨大蠍は連続で尾の突き刺しを繰り出すが、素早く動き回るUNKNOWNに対応しきれていない。だからこそ、左手のハサミで地面を抉りながら薙ぎ払う。だが、これも間合いを見切っていたUNKNOWNは紙一重で躱し、続く突如として大きく伸ばされた左手のハサミを右手の深淵狩りの剣を振るって弾き防ぐ。

 以前も凄まじい反応速度だったが、磨きがかかっている。敵の初動を一瞬たりとも見逃さずに即座にアクションを起こす。まるで感度の良いセンサーでも取り付けたかのようだ。

 見惚れていないで援護をしなくてはならない。シノンは弓矢を構え、溜めの動作を行う。それは立ち上げモーションであり、EXソードスキル【レイジング・シュート】だ。立ち上げモーションから溜めが長ければ長い程に火力は高まっていく。

 これは≪弓矢≫のソードスキル全般に言えることであるが、総じて発動させれば射るタイミングの変更は不可能だ。だが、レイジング・シュートは魔力消費する代わりに、全部で10段階まで火力を引き上げるチャージステップが存在し、そのいずれの段階でも射ることができる自由性の高い稀有なソードスキルである。

 ある程度までは制御が可能。これだけで戦略性は大きく変わる。実用性を求めるならば半分を超過した6段階目までのチャージが必要であるが、魔力を持て余すシノンにとっては有意味なEXソードスキルだ。

 矢の節約の為にはソードスキルが不可欠だ。シノンはレイジング・シュートの7段階目で解放し、鮮やかな青色のライトエフェクトを帯びた矢で見事に尾の甲殻の隙間を射抜く。千切れ飛ぶことはなかったが、巨大蠍は悲鳴のように顎を鳴らし、尾を振り回して暴れて苦しむ。その隙を逃さずにヴァンハイトが跳び込み、右半身を支える足の1本を斧槍で断った。

 バランスが崩れた巨大蠍は倒れる。尾を連打して敵を近づかせまいとするが、レコンは大盾を構えながら前に出て攻撃を弾き返す壁となる。その背後よりリーファが飛び出し、右のハサミの叩きつけを潜り抜け、その口内へと深く剣を突き刺す。

 

「グッジョブ、リーファ!」

 

 だが、美味しいところは貰うとばかりにUNKNOWNは巨大蠍の背中に跳び乗り、≪二刀流≫のソードスキルの乱撃で刻む。背中の鉄のような甲殻ごと肉を断たれた巨大蠍は、大きくハサミを持ち上げて震えたかと思えば力なく倒れた。

 レコンは1歩1歩確実に進んでいるが、リーファは元のポテンシャルの高さを示すような成長性を示している。UNKNOWN達という補助輪があるとはいえ、完全の初見の相手に、レコンは探りながらも仕事を果たし、リーファは跳び込んで大ダメージを与えた。それは鉄兵等を相手にして蓄えた自信が無ければ不可能だっただろう。

 勝利を喜ぶリーファ達に対して、UNKNOWNは剣を背負いながら巨大蠍の骸から跳び下りる。その黒衣は巨大蠍の体液で少なからず汚れている。

 

「間違いないな」

 

「そうね。やっぱり間違いないわね」

 

 リーファ達には悪いが、そろそろ断言せねばならない事だろう。確信したらしいUNKNOWNに、これからの説明に2人がどんな反応を示すのか、シノンは不安でならなかった。

 

「みんな、聞いてくれ。ここはただの魔窟、アルヴヘイムで自然発生したモンスター生息域じゃない。ここは……黒火山の『正式』ダンジョンだ」

 

 知識不足のヴァンハイトには理解が及ばないようであるが、リーファ達の顔が明らかに引き攣るのが見えて、やはり説明を先延ばしにすべきだったかともシノンは後悔する。だが、これ以上隠しても危険を増やすだけならば、前々に衝撃を与えておくのが生存への近道だろうとも判断した。

 アルヴヘイムは全域においてモンスターが自然発生し、生態系を築いている。そのレベルは様々であり、レベル10程度かと思えば40、60クラスまでと様々だ。

 だが、UNKNOWNとシノンは戦いながらこの洞窟の難易度を調べ、天然ではあり得ないほどに入り組んで複雑になっていく迷宮構造に、この洞窟は明らかな『設計者』がいると感じ取っていた。

 それはDBOで繰り返しダンジョンに潜った経験があるリーファとレコンならば、漠然と感じていた事だったはずである。2人は衝撃を受けてこそいたが、否定する材料がないように押し黙った。

 

「それって、つまり……この先には……その……『いる』ってことですか?」

 

 レコンがバイザーを上げて汗だくの顔を晒しながらUNKNOWNに問いかける。何が『いる』のかと言えば、この場合はネームドに他ならないだろう。穢れの火、あるいはそれに関わる強力なネームドが控えているかもしれないのだ。

 多くのゲームにおいて、ダンジョンには最奥に潜むボスポジションと道中で立ちはだかる中ボスポジションの2種が存在する。黒火山のボス的立ち位置の三大ネームドである穢れの火にたどり着く前にも、最低でも1体のネームドが立ちはだかるだろうことは容易に想像ができた。

 

「でも、ここは黒鉄都市に繋がっているんだよね? それが黒火山のダンジョンなんて、そんな事……」

 

「あり得ないわけじゃない。アルヴヘイムは無理な拡大が繰り返している。本来は、この洞窟から黒火山に侵入する経路だったのかもしれなかったのが、途中が千切れてしまって、黒火山との間に黒鉄都市が出来てしまったとも十分に考えられるんだ」

 

 UNKNOWNがやんわりと危険から目を背けるべきじゃないと伝え、リーファは顔を俯かせる。

 ただのモンスター相手ならば十分に活躍できるようになった2人であるが、やはりネームドが待っているかもしれないともなれば、その気持ちは大きく変わるだろう。

 圧倒的に異なる性能の違い。大ギルドの上位プレイヤーがレイドを組んでも犠牲を強いられる相手。それがネームドであり、ボスなのだ。故にネームド相手に少数で挑むのは自殺行為であり、単独撃破は偉業として称賛を集める。

 そして、現在のDBOのネームドはより脅威が増している。以前レコンには説明した通り、シノンの実感として、もはやDBOのネームドは少数の突出したプレイヤー無しでは常に多大な犠牲が強いられるか、最悪の場合は撃破できないまでの危険性を秘めている。シノンがアルヴヘイムに突入する前に、スミスが参加すると告げていたアノール・ロンド攻略などはその最たるものであり、ギルドの垣根を超えて猛者を招集せねばならない程に、待ち構えているという【竜狩り】オーンスタインと【処刑者】スモウなどその代表例だろう。

 既に2人はアルヴヘイムの高難度を肌で実感したはずだ。ならばこそ、このタイミングでUNKNOWNは1つの方針を決定しなければならないと判断したのだ。

 

「前進か撤退か。多数決は取らない。1人でも撤退を希望するなら、全員でそれに従おう。1つ言っておくが、わざわざこのダンジョンの先に進まなくても、黒鉄都市は必ず陥落する。それを待つのも戦略の1つだと、俺は心の底から思っている。俺は……本音を言うなら、名前も知らない誰かがたくさん死ぬよりもこの中の1人が死ぬ方が嫌だ。だから、進みたくないなら進まなくて良い。俺はきっと情けないくらいにホッとするよ。仮に進むなら……俺は最後まで一緒に戦う。誰も死なせたくないから全力で守るし、全身全霊をかけて敵を倒す。それでも犠牲が出るかもしれないけど、仮定でも誰かの死を語りたくない。だから……!」

 

 これ以上は何も言わない。UNKNOWNは巨大蠍の右のハサミを椅子代わりにして腰を下ろす。

 各所で泡立つのは最奥から流れる熱湯であり、またマグマの輝きは光と共に高熱を放出して息苦しさを増幅させる。それは沈黙をより加圧していく。

 UNKNOWNと2人だったならば、シノンは迷わずに前進を選んだだろう。だが、今回の彼女の役目は沈黙だ。UNKNOWNが敢えて意思表明しないのは、自分が発言をすれば、リーファもレコンも靡いてしまうからだろう。同じくシノンの発言も彼らの本音の選択を妨げることになる。

 

「撤退は恥じゃないわ。私は自信過剰に突撃して死んだ馬鹿も、周りに流されて死んだ阿呆も見てきたわ。前進であれ、撤退であれ、『覚悟』を示しなさい」

 

 ヴァンハイトは腕を組んだまま無言だ。元よりこの選択はリーファとレコンの為にあると心得ているのだろう。歴戦の戦士の彼に『覚悟』の何たるかを問うのはもはや失敬に等しい。

 このまま発言せずに沈黙が続くならば、UNKNOWNは自ら撤退を宣言するだろう。選べないようでは、仮にネームドに出会った時に、実力以前に心は容易く押し潰される。最悪のケースは徘徊型ネームドだった時だ。改めて覚悟を決める間もなく、それどころか準備もできないままに戦闘に突入する場合がある。

 

 

『殺せば死ぬんだろ? だったら進むだけだ』

 

 

 ああ、きっとあなたならそう言うのでしょうね。シノンはこの場に白の傭兵がいたならば、ノータイムで前進を宣言するだろう幻影を見る。そんな彼だからこそ、UNKNOWNにとって何よりも頼もしい『相棒』だったのだろうと認めるしかなかった。

 

「僕は……僕は『盾』です。みんなの『盾』です。だから、僕は逃げちゃいけない。でも、それはこのパーティでの役割で、『僕』は……本当はとても怖くて堪らない」

 

 最初に口を開いたのはレコンだった。彼は己の弱い心と戦うように兜のバイザーを下ろした。

 

「だから……進みます。『盾』としてじゃなくて、『僕』がここで逃げたくないから。この先に行けば、あんな戦争を早く終わらせられるかもしれない。だったら、ネームドだろうと何だろうと倒して先に進んでみせます! 僕じゃなくて皆が倒してくれるはずです!」

 

 なにそれ、他力本願じゃない。最後の情けない付け加えを忘れなかったレコンに、シノンは敬意を込めて呆れる。だが、レコンは盾を除けば、奇跡の触媒である、鎧と共に譲渡された【世界樹のタリスマン】しか装備していない。アルフの奇跡の触媒らしく、性能は十分であるが、そもそも奇跡に攻撃を求めていないレコンの場合、回復と自己強化が主な運用方法となる。即ち、彼の攻撃手段はせいぜいがシールドバッシュ程度なのだ。つまり、彼は道中でそうであったように、『仲間』が敵を倒すまで攻撃を受け止める『盾』であり続けるしかない。それが彼の選んだタンクの道なのだから。

 シノンが思い返したのは、軍師と気取っていた頃のレコンだ。あの頃はむしろ戦争を嬉々と歓迎しているようだった。そうしなければ、彼は自我を保てなかったのだろう。たとえ、正気から外れていようとも、狂気に染まっていようとも、精神を保てなかったのだろう。だからこそ、今のレコンの眼差しには何にも勝る黄金の輝きがあった。

 

「あーあ、レコンに先を越されちゃったなぁ」

 

 そんなレコンを横に、リーファは悔しそうにクスクスと笑う。

 

「あたしね、レコンと同じで……ううん、きっとそれ以上に怖がってるんだ。だって、最前線のネームドだよ? 大ギルドの攻略部隊だって……トッププレイヤーって言われてる精鋭の中の精鋭の人たちだって、あっさりと死んじゃう。死ぬ時は死ぬんだって……残酷なくらいに、簡単に、死んじゃう」

 

 それは覆せない事実だ。念入りに準備し、集められるだけの情報を集め、万全を尽くして部隊を送り込もうとも、死者は出る。それどころか、全滅する場合もある。未だに真相も分からぬ、聖剣騎士団と太陽の狩猟団の精鋭部隊と2人のトッププレイヤーを呑み込んだナグナなどその典型だろう。

 

「でもね、生き残るために逃げるのと恐怖に屈して逃げるのは……違う。戦って死んだ人たちだって、絶望しながら戦ったんじゃない。いつだって、『生き残る』って気持ちを胸に戦ってたはずなんだって、ようやく少しだけ分かれた気がするんだ。だから、あたしは先に進みたい。UNKNOWNさんが頭ごなしに帰れって言わないのは、あたし達は最低限のラインはクリアしているって事だよね? だったら、あたしは自信を持って『生き残る』為に全力を尽くす。皆を『生き残らせる』為に全力で戦う」

 

 恐怖に屈せず、挑むことを誉れとしながらも蛮勇を振りかざさず、だが己を貫き通す。それはとても難しい事だろう。だからこそ、リーファの宣言は輝きに満ちている。

 

「……彼らを1番舐めていたのは、俺かな?」

 

 レコンとリーファの決意に、むしろ気圧されたようにUNKNOWNは恥ずかしそうに頭を掻いた。よもや、ここまで全力投球で前進を宣言されるとは思っていなかったのだろう。彼の中では半分以上で撤退だろうと当てを付けていたのかもしれない。だが、今まさにレコンとリーファは場に流されることなく、自らの魂で進むことを選んだ。

 

「眩しいのぉ。この老兵には……余りにも眩し過ぎる」

 

 ヴァンハイトは斧槍を握り直しながら、レコンとリーファを順に眺め、成長した孫を慈しむような眼と共に口髭を揺らす。

 

「死ぬなよ、若者。お前さんらが何処から来て、何を目指しているのかは知らん。ワシが知るべきことではないのだろう。だが、必ず生きろ。未来の為に」

 

「そういうヴァンハイトさんも死なないでよ? あたしの守りたい人の中には、死ぬ死ぬ詐欺のおじいさんも入ってるんだからね?」

 

「これは1本取られた。だが、今はワシも安易に死に場所を選ぶ気はない。二刀流との約束だからな」

 

 リーファに小突かれたヴァンハイトは己の決意を告げるようにUNKNOWNと頷き合う。

 雰囲気は熟成した。もはや彼らに迷いはない。だが、シノンはこんな時だからこそ、残酷な言葉のナイフを振り下ろすべきだと自らに言い聞かせる。それが仮面の剣士の『相棒』でありたい自分の役目なのだと信じた。

 

「2人の決意は分かったわ。でも、心得ておきなさい」

 

 それはシノンが何度も遭遇した事実であり、今も忘れられぬ、白の傭兵の蜘蛛の瞳に見た冷たい殺意。

 

「どれだけ強い想いがあろうとも、どれだけ大層な信念があろうとも、戦場では『力』が何よりも雄弁よ。それだけは忘れないで頂戴」

 

 UNKNOWNは反論しなかった。リーファもレコンも口応えしなかった。ヴァンハイトは沈黙で同意した。

 気持ちだけで勝てるはずがない。正義も悪も関係なく破壊して焼き尽くす、理不尽なまでに圧倒的な暴力は存在する。

 言い過ぎたとは思わない。シノンは踵を鳴らし、そろそろ出発すべきだと申告する。この決意表明は休憩も兼ねていた。敵が集まる前に先に進まねばならないのだから。

 

「シノン」

 

 だが、そんなシノンを呼び止めたのは、彼女が期待していた、仮面の剣士の声だった。

 

「認めるよ。『力』が無いと踏み躙られるだけだ。でも、たとえそうだとしても、『力』で何もかも決まると『驕った』瞬間に、俺たちはきっと『弱くなる』んだ。情けなく、惨めに、堕ちていくんだ。少なくとも、俺はそうだった。そのせいで、取り返しのつかない事をしてしまった」

 

「…………」

 

「だからさ、そんな悲しい事を言うのは止めよう。確かに『力』が全てになる瞬間はある。でも、だからこそ、俺たちは……『驕る』わけにはいかないんだ。それだけは忘れないでくれ。俺みたいにならないでくれ」

 

「……分かってるわよ」

 

 ありがとう。シノンはUNKNOWNならばそう言ってくれるはずだと信じていた。

 戦い続ける歓びを。それをシノンは既に知ってしまったのだ。自分の本心を。その胸に秘めていた戦いを求める意思を。だからこそ、UNKNOWNの言葉が必要だったのだ。

 彼は知っているのだろう。シノンよりも幾度となく絶望と共に味わったのだろう。『力』の差がもたらす生死の境界線を。それはプレイヤーの実力のみらず、レベルであり、スキルであり、装備であり、情報でもあるのだから。ならばこそ、SAOで地獄を味わった彼だからこそ、『力』が全てだと『驕る』果てを真の意味で知った。それこそが約束の塔を経て壊れた『彼』だったのだろう。

 

「真理を直視するのと甘んじて従うのは違う、か。この老いぼれもまだまだのようじゃな」

 

「俺は別にそんな大層な事は言ってないさ。単純に心意気の話だよ」

 

「えー。かなり難しいこと言ってたよ。ねぇ、レコン?」

 

「フッ、僕は理解できたよ。頭ではなく、魂で理解した!」

 

 神妙に頷くヴァンハイト、照れくさそうなUNKNOWN、まだ『兄』の言わんとすることを噛み砕けていないリーファ、そして妙なまでに凝ったポーズで宣言するレコン。彼らを見て、自分の一言はもしかしたら余計だったのかもしれないと、シノンは小さく嘆息した。

 

 

▽   ▽   ▽

 

 

 ぴちゃり。

 

 ぴちゃり、ぴちゃり。

 

 ぴちゃり、ぴちゃり、ぴちゃり。

 

 それは滴りの音。

 何処から聞こえてくる? 頭の中だ。思考が辿る奥底の、どろりと生温い泥の、ずっとずっと先にある、浸された海から聞こえてくるのだ。

 頭の中に海がある。それは闇の泡立ち。

 海にして膿であり、爛れて、腫れて、潰れて、垂れて、滴り落ちる。

 耳を澄まさずとも聞こえてくる。終わりなく陸を削る波のように、正気を奪うようにねっとりとして、闇が雫となって滴って思考を濡らしていく。

 

「アルテミス様……アルテミス様……」

 

 何故? 何故その名前を呼ぶ? もはや口すらも失せ、闇で湿って膨れ上がった頭部となりながら、それでも言葉を発することが許されるならば、どうして女神の名前を呼ぶ?

 それは目玉を腐らせて萎ませてもなお、湿った生温い闇が世界を知覚させるように、脳髄に届けるのは空に輝く『永遠』を示す銀色の月だからだろうか。

 

「アルテミス様……手を……手を握ってください。じゃないと、溺れちまうよ」

 

 痩せ細った手で胸を掻き、自分の1つ1つが闇の海……その最底の泥に沈んでいくことに恐怖する。

 

「ここは暗くて……独りで……怖いんだよぉ」

 

 懺悔すれば良いというのか。

 全ての咎を吐き出せば、この手を握ってくれるというのか。

 空を掻くばかりの手は銀色の月光に触れることさえもできず、闇の海から聞こえる細波と滴りは大きくなるばかりだった。

 

 だが、まるで親鳥が雛を羽毛で包み込むように、冷たさの中に仄かに温もりが確かにある柔らかな手が触れた。

 

 大きな銀色の月。それを背負うようにして、ベッドに横たわる自分の隣に立つのは、血塗れの白い天使だった。

 

「アルテミス様……ああ、アルテミス様ぁ! 私の祈りを……聞いてくださったのですね?」

 

 銀月の君? それとも遣わした使徒? だが、それは銀月と呼ぶよりも猛毒を秘めた水銀と呼ぶべきかと思う程に死臭で満ち、故にその微笑みはいかなる宝玉とも比べられぬ程に艶やかであり、また慈愛に満ちている。

 

「闇が……私の中で闇が膨れ上がっては弾けて、湿って滴り広がって溢れているのです。ぴちゃり、ぴちゃり、ぴちゃりと……終わりなく」

 

 どうか、この音を終わらせてください。このまま闇に溶けてしまうのは恐ろしいのです。

 その全てを言葉にのせる必要もなく、銀月の君はちゃんと分かっているように、少しだけ寂しそうに目を伏せた。

 

「祈りもなく、呪いもなく、安らかに眠れ」

 

 もはや耳も無いはずの頭の内側にまで染み込んだのは、澄んだ鈴の音色のような弔いの声。

 そして、闇が滴る音は消え、穏やかな静寂が訪れ、安息の死がもたらされた。

 

 

▽   ▽   ▽

 

 

 デバフの高熱は寒冷と対極にある、最低保証耐性値を上回る高温環境下にいた時に発生するデバフである。

 極度の睡魔と睡眠状態でのHP減少が発生する寒冷とは違い、高温状態ではスリップダメージとスタミナ消費量増加という大きな枷が付けられる。

 対策としては装備で高熱耐性を上げる、または耐性値を上昇させる薬の使用が推奨されている。また、最低保証耐性値が上回っていれば、そもそも発生しないのが、環境系デバフとされる寒冷・高熱の特徴である。

 とにかく水を飲んで体を冷やす。それだけでも蓄積量を減らし、また蓄積速度を鈍らせることができる。

 だが、高温環境がもたらす息苦しさ、汗、肌をじりじりと焼くような熱は、否応なく精神力を奪い取り、集中力の欠如をもたらす。

 

(熱い。呼吸……整えないと……)

 

 革製の水筒に口を付け、唇から伝って喉まで垂れることを厭わずにがぶ飲みし、リーファは袖で口元を拭う。備えて水筒は満タンにしてあるが、その消費速度は並ではない。既に半分以上が失われてしまっている。

 真夏の道場で防具一式で剣道に打ち込んでいたリーファであるが、高温のマグマと際限なく沸騰して満たされた蒸気、そして溢れ出る敵の数々に対して疲弊は免れない。

 また、ここに至るまでに全員が無傷でいられるわけでもない。回復手段が限定されるアルヴヘイムにおいて、貪欲者の金箱によって雀の涙ほどの効果とはいえ回復アイテムが補充できるようになったとしても、手傷を負う度に消耗が強いられる。リーファとレコンの奇跡の回復は文字通り、このパーティにおける生命線の役割も果たしていた。

 高熱耐性が高いだろう、見た目は暑苦しい黒コートでもUNKNOWNの方がリーファやシノンよりも余裕がある。彼が指示した通り、リーファがアイテムストレージから取り出したのは、高熱耐性を一時的に引き上げる【冷髄の丸薬】だ。見た目は雪を小さく固めたような白い丸薬であるが、その材料は【霜喰い虫】であり、要は虫を磨り潰した団子である。他にもいくつかの薬草を素材として使っているが、メインの素材は虫だ。シリカが黒火山に挑むUNKNOWNの為に、アルヴヘイムで得られた素材で作成したものだ。

 虫ではなく薬。虫ではなく薬。虫ではなく薬! そう自分に言い聞かせてリーファは茶色の紙に包まれた10粒ほどの丸薬を口に入れて奥歯でしっかりと潰す。ぶちゅりと固い表面とは違って柔らかな内部が飛び出し、ゼリーに似たどろりとした液体が溢れ出る。体が冷えると同時に別の意味で背筋が凍り、リーファは身震いを止められなかった。

 

「ふー、楽になったぁ!」

 

 対してレコンはフルメイルというサウナ状態もあり、食感や素材など気にしていられないとばかりに飲み下す。蓄積値を急速に減らす程に即効性が高いわけではないのだが、体が冷えた実感が廻ったのだろう。力強くガッツポーズする。

 冷髄の丸薬は効果時間も長いが、効果も決して高いものではない。それでも汗が引き、また少なくとも呼吸が苦しくなくなったとリーファは胸を撫で下ろす。

 この地下迷宮に入って随分と時間が経過した。出現する鉄兵は相変わらずの高火力の大振りばかりであるが、新たに出現した大型モンスターの巨大蠍、物理属性に高い防御力を持つマグマスライム、岩石に擬態する6本足昆虫、そして最も厄介なのは鉄の獅子だ。

 全身に甲冑の如く鉄を纏った獅子であり、体格は4メートル近くと巨大。俊敏であり、高い攻撃力を誇る引っ掻きや噛みつき、モンスター専用スキル≪ハウリング≫による吹き飛ばしと攻撃力強化など、ストレートに強いモンスターである。

 その速度に翻弄された初見のリーファであるが、シノンは冷静に鉄の獅子の右目を射抜き、動きが止まった瞬間にUNKNOWNが詰めて連撃を繰り出して仕留めきった。その後はスピードにも慣れ、今では攻撃に合わせてカウンター斬りを入れられる程度は可能にもなったが、このダンジョンで最も戦い辛い相手には違いなかった。

 

「目が泳ぎすぎ。無理にフォーカスロックを維持しようとするんじゃなくて、多少外れてもすぐに挽回できるように全体視を心がけなさい。そうすれば敵の動きを追いやすくなるし、リカバリーし易いわよ。あと、レコンはフォーカスロックに依存し過ぎよ。兜で視界を制限されているんだから気持ちは分からないでもないけど、タンクは敵だけじゃなくて周囲にも気を配らないといけない。仲間の攻撃チャンスを潰したら邪魔な置物と同じよ。敵だけに集中しないこと」

 

 シノンのアドバイスに頷き、リーファは深呼吸して現れた鉄の獅子を睨む。フォーカスロックはDBOのバトルシステムの基礎だ。これが無ければ、高速で動き回る相手に対してプレイヤーの過半は意識が追い付かずに後れを取ることになるだろう。TECによってある程度の補正がかかるとはいえ、それは微々たるものであり、そのロック性能は基本的にプレイヤー頼りの部分が大きい。

 鉄の獅子の前肢の連撃を躱し、逆に胴を薙ぎ払う。反転した鉄の獅子に、『置く』ように発動させていた雷の杭を直撃させて額を砕く。甲冑を纏ったように鉄の外殻を持つ鉄の獅子の肉が割れた額より露になり、そこにシノンはすかさず矢を射てヘッドショットで更なるダメージを稼ぐ。

 チャンスだと踏み込んだリーファに対し、鉄の獅子はよろめいた体勢から想像できない程の俊敏さを見せる。それは瞬時にリーファの後ろに回り込む動きだった。

 だが、リーファには見えている。一瞬だけだが振り払われそうになったフォーカスロックだが、今度は滑らかに追いかけた。それはリーファの意識が鉄の獅子に十分に追いついたことを意味し、背後の一撃に対して渾身の突きで応じる。

 鉄の獅子の爪が頬を浅く裂き、血が舞い散る。だが、リーファが突き出した右手、握られた片手剣は鉄の獅子の割れた額に吸い込まれ、そのHPを完全に奪い取った。

 シノンの援護があったとはいえ、鉄の獅子に対してプライオリティを確保したまま終始戦闘を終えられた。ヴァンハイトと共に鉄兵を相手取っていたレコンは思わず唖然とした様子が伝わる。シノンはこれくらい出来てもらわねば困るといった顔をしながらも、称賛するように数度だけ拍手した。

 基礎は出来上がっていた。足りないのは経験であり、それも2人のトッププレイヤーという見本と補助を受けて増幅されながら蓄積されて血肉となっている。リーファは、1人で鉄の獅子3体を相手取っているUNKNOWNへの援護に向かおうとするが、そこにはリーファよりも素早く仕留め終えて剣を染めた血を払っている仮面の剣士の姿があった。

 3体の鉄の獅子の動きを見切り、ダメージを最小に抑えて撃破。リーファが1体相手にようやく善戦できるようになった頃には、更なる上に到達している。

 負けてはいられない。リーファは意気込んでレコンの援護に向かう。レコンもヴァンハイトとのマンツーマンで盾の扱いが着実に様になっており、鉄兵の強烈な一撃を盾受けしても揺らぐことなく、どっしりと腰を入れて堪えている。

 周囲の敵も撃破し、レコンが集めた皆の中心で中回復を発動させる。戦闘では攻撃用の奇跡を使用するリーファとは違い、現在はガードに専念しているレコンには戦闘中に奇跡を発動させる場面はなかなか巡って来ない。よって、こうして戦闘後の回復要員となっていた。

 

「フォーカスロックに依存し過ぎないって言われても、コツが分からないんですよね。だって、フォーカスロックはDBOの基礎でしょう? それを頼りにするなって言われても……」

 

「うーん、説明するのは難しいな。要はフォーカスロックっていうのは、対象を捕捉状態にして動きを見切りやすくするシステム補助だ。逆に言えば、フォーカスロックに依存し過ぎる……つまり自分の目で追う努力を怠っていると、少しロックが外れただけで混乱して隙が出来てしまう。それを少しでも小さくするために、まずは自分の目でちゃんと追うことから始めよう。要はフォーカスロックに胡坐を掻かないで、常に気を張って相手の動きに反応する訓練を積むんだ。そうすれば、自然とフォーカスロックの性能も良くなるから一石二鳥だぞ」

 

 懇切丁寧にフォーカスロックの利便性と同時に依存する危険性を説くUNKNOWNに、レコンはまだ自分の中で理解が追い付いていない様子ながらも小さく頷き、何かを思い出したように指を立てた。

 

「あ、そういえば、『見えているのに見えない』って噂の【渡り鳥】って、このフォーカスロックを欺くのが上手いってわけなんですか?」

 

「彼の動きを説明するのは難しいよ。フォーカスロックが無いSAOに限れば、緩急をつけるだけじゃなくて、相手の意識の死角に潜り込んでくる感じかな。一応DBOでは意図的なフォーカスロック外しを『インビジブル』っていうシステム外スキルとして呼称されているし、使い手を自称する上位プレイヤーは結構いるけど、俺に言わせればどれも紛い物だよ。俺もクーの真似事くらいはできるけど、アレには理屈を抜きにした勘の良さが必要だと思う。俺も直感は鋭い方って自負しているけど、それでも足りなかった」

 

「野生動物よりも勘が鋭くないと無理そうですね」

 

 単純なスピードなら対処は幾らでもあるけどクーを相手にするなら戦うコツがいる、と実感がこもった様子でUNKNOWNは苦笑した。SAO時代に繰り返し行われた2人のデュエルでは、クゥリ曰く【黒の剣士】の勝ち越しだったらしいが、戦っていた本人からすれば念入りに対処法を考案してつかみ取った栄誉だったのだろう。リーファは、デュエルを控えて必死に分析を積んで対処法を練っている兄の姿を思い浮かべて、零れる笑みを禁じられなかった。

 奥へ。ひたすら奥へ。繰り返される戦闘の度に、リーファは自分が強くなっていると自覚する。だが、黒衣の背中が驕って油断するなと常に手を引いてくれているようで、リーファは自分の剣の高みを磨き続ける。

 

「なんか、肌寒くなってきてませんか?」

 

 マグマは黒火山に近づけば近づく程に活性化し、熱気は充満しているはずだ。だが、先程までの肺を圧迫されていたような息苦しさはなく、リーファは自分の額から汗が垂れていないことに気づく。高熱のデバフ蓄積も緩やかに減少しており、システム的にも気温が下がっているのは明確のようだった。

 だが、風景は変わらず熱地獄である。まさに火山といった地形だ。だが、あれ程までに煮え滾っていたはずの地下水はいつの間にか静寂となり、軽く触れれば氷水のように冷たい。

 明らかな異常。自然とリーファの中で緊張が膨れる。シノンも修理の光紛を義手に使用し、UNKNOWNも普段は背負ったままの剣を手に握ったまま行動する。

 

「今更ですけど、穢れの火にはどんな伝承があるんですか?」

 

 先程までよりも明らかに強さが増した鉄兵に危うく胸部を深々と大斧で断たれそうになり、冷や汗を流したリーファはリザルト画面をチェックしながら、眉間に皺を寄せて周囲を警戒するヴァンハイトに問う。

 

「ほとんど分かっておらん。なにせ、穢れの火があるという伝説の地である黒火山自体が外部に閉鎖的な黒鉄都市に囲われて守られておったからな。この地下とて、長いアルヴヘイムの歴史でもこれ程までの奥地に入り込んだ者はおらんさ」

 

 感慨深くヴァンハイトが倒れた鉄兵の眺める姿に、リーファは自分たちがアルヴヘイムの住人からすれば、まさに天地無双とも言うべき実力者に映ることだろう事を思い出す。ヴァンハイトは例外的な……それこそ『伝説的英雄』である老兵だ。そんな彼でも単独ではこの地下を通ることは不可能である。

 

「だが、黒火山はアルヴヘイム最大の火山でありながら、1度として噴火した事は無いとされておる。それが穢れの火と関係し、この異常と繋がっておるならば……」

 

 穢れの火。UNKNOWNが教えてくれた限りでは、アルヴヘイム侵入の際の『ガイダンス』で教えられたアルヴヘイム攻略の鍵であり、オベイロンの居城を守る結界を剥ぎ取る『証』の1つを保有している。それはイザリスの罪の1つだ。

 デーモンを生んだ混沌の火。リーファも詳しくはしらないが、それはDBOのストーリーにおける原初、最初の火より王のソウルを見出した魔女イザリスが起こした歪んだ火だ。どうして魔女イザリスが混沌の火を起こしたのかは定かではない。だが、それは彼女と娘たちの都を滅ぼし、世界中にデーモンを解き放った。DBOの各所で見られるグウィン王の配下、黒騎士はこのデーモンと対峙する為に大型武器を装備しており、彼らの得物はデーモンに特効がつく。

 呪術で見れば、混沌系呪術とは溶岩を含んだ炎であり、通常の呪術よりも高い攻撃力を誇るだけではなく、溶岩溜まりを一時的に作るなどの効果がある。だが、そもそも混沌系呪術自体がレアである為に実態は分かっていない。

 穢れの火とは何なのか。名称からして決して良いものではないことだけは予想がつく。そして、それが根本的に関わる事態に直面するとは、即ち『証』を守るネームドとの対決に他ならないのだ。

 やがて、リーファが到着したのは、マグマが壁面を埋め尽くして流れる巨大な空間だった。まるで滝のようにマグマが壁面を伝う一方で、踏みしめるべき地面では冷たく冷えた鉄鉱石である。それはしっとりと濡れ、また今にも凍てつきそうな水溜まりも散見していた。空気はマグマの熱を全て奪ってもなお足りない貪欲さを示すように凍えている。だが、寒冷状態にはならない。

 これ程までに寒いのにどうして? リーファが思わず肩を抱いてしまいそうになった時、先頭に立っていたUNKNOWNが右腕を横に伸ばす。

 

「来るぞ。絶対に死ぬな」

 

 UNKNOWNが端的に脅威の訪れを警告する。ヴァンハイトとシノンが同時に反応する。遅れてリーファは剣を構え、レコンが兜のバイザーを下ろして大盾を構えた。

 それは大質量が落下した轟音。マグマの壁面に囲われた巨大な空間は、思えばご丁寧に準備されたコロシアムのようだった。リーファがそれを察した時には、既に『それ』は3本のHPバーを爛々と輝かせていた。

 

 

 

<巨鉄のデーモン>

 

 

 

 全高は軽く20メートルにも達する鉄の巨人。腕は3対、左右合わせて6本。頭部は異形で悪魔のようであり、5本の捩じれた角を頂く。頭部には鋭い牙が並ぶ口と黒い舌、そして特徴的な大きく丸い目玉がある。その目玉は全部で6つであり、上下に3つずつ奇麗に並んでおり、今は下真ん中の1つしか開眼していなかった。その全身は道中で登場したモンスターがそうであったように、甲冑のような外殻で覆われている。

 これがネームド。最前線に登場する、非リポップ型の、プレイヤーを抹殺する為に存在するDBOの脅威の具現。

 こんな怪物に勝てるのか? 余りにも圧倒的過ぎる存在感が絶望となり、リーファの血の気を奪う。構えていた剣がカタカタと揺れ、緊張が喉にせり上がって悲鳴をもたらそうとする。それはレコンも同じらしく、盾を構えたまま石のように動けていなかった。

 

 

「勝つぞ! 俺たちが勝って生き残るんだ!」

 

 

 そんな2人に我を取り戻させたのは、空気が破裂させるような大声を張り上げたUNKNOWNだった。

 そうだ。何のために覚悟を決めたのか。リーファは巨鉄のデーモンへの恐怖心に抗う。怖いのは当然だ。だからこそ、恐怖を踏破する精神が必要なのだ。

 巨鉄のデーモンが気怠そうに開眼している目玉を動かし、5人の侵入者を睨む。牙を鳴らし、顎を震わせ、威嚇するように咆えた。たったそれだけで巨鉄のデーモンの周囲の空間が弾ける。それがモンスター専用スキル≪ハウリング≫であり、初手にしていきなり自身にバフをかけたのだとリーファが理解した時には、その巨体に見合わぬ軽やかさな動作で宙を舞い、3本の右腕を振り上げる巨鉄のデーモンの姿があった。

 剛腕が地面を打つ。それは腕の数だけ襲い掛かり、3連打となって地面を爆ぜさせる。リーファがギリギリで躱せたのは、巨鉄のデーモンの動きに十分に対応できたUNKNOWNとシノンの回避行動を見たからであり、それが無ければこの連撃で呆気なく血の染みとなっていただろう。

 攻撃範囲外にいたレコンは大盾を構えて衝撃波に踏ん張っていた。敢えて回避ではなくガードを選んだのは、果たして巨鉄のデーモンの拳を防ぎきれると確信してか、それとも反射的に守りに入ってしまったからか、どちらにしても無傷である。

 土煙の中で巨鉄のデーモンを薙ぐのは複数の輝き。それはヴァンハイトが頭上で回転させて遠心力を蓄えた斧槍の一閃であり、反撃に出たUNKNOWNの二刀流による連撃だ。それらは巨鉄のデーモンの胴に吸い込まれるも、ヴァンハイトの渾身の一撃は軽々と弾かれ、UNKNOWNの連撃は火花を散らすばかりで奥まで届いていない。

 巨大なネームド程に『耐える』ことに長けているのは常だ。巨鉄のデーモンはHP総量と防御力のどちらを見ても秀でているタイプと見て間違いないだろう。だが、ヴァンハイトとUNKNOWNの攻撃を浴びても巨鉄のデーモンのHPは僅かしか減っていない。明らかに攻撃が通っていない証拠だ。

 

「クソ! 防御力上昇か!」

 

 地面を擦らしながら巨鉄のデーモンが左腕で薙ぎ払い、UNKNOWNを遠ざけ、ヴァンハイトにつかみかかる。悪態をつくUNKNOWNの言葉通り、彼らの攻撃がほとんど通らなかったのは、巨鉄のデーモンが≪ハウリング≫で防御力を引き上げたからだろう。結果、ヴァンハイトの斧槍でも、UNKNOWNの≪二刀流≫の恩恵を受けた片手剣でも、その攻撃が表面で弾かれる程に堅牢になってしまったのだ。

 段階的に性能を引き上げていくのがネームド戦のはずだ。最初から飛ばしてくるなどセオリー通りではないのではないか。リーファはそう思い、そもそも自分がDBOでまともなネームド戦などしたことがない『素人』なのだと悟る。その証拠のように、UNKNOWNもシノンも巨鉄のデーモンに対して冷静さを失っていない。『この程度は慣れている』といった様子だ。

 

「この手は時間経過か――」

 

 男2人に近接戦を任せたシノンが弓モードに変形させた弓剣を構え、じっくりと狙いを定める。そして、放たれた矢は寸分狂わずにUNKNOWNを叩き潰さんと暴れ回っていた巨鉄のデーモンの目玉を射抜いた。

 絶叫が響き、巨鉄のデーモンが狼狽える。即座にUNKNOWNが懐に入り込み、その足首を薙げば、今度は刃が通ってHPが削れる。

 

「怯ませれば解除がお約束よね」

 

 臆するな。過ぎた臆病は死の呼び水となる。UNKNOWNが機械仕掛けの剣を振るう。その刀身に走る回路が黒色に輝いた。

 ダメージ量が加速する。黒色の輝きを宿したメイデンハーツは、明らかに先程よりも攻撃力が上昇していた。拳の連撃と付随する衝撃波を潜り抜け、あるいは緑のエフェクトが爆ぜる特異な斬撃で弾き、UNKNOWNは巨鉄のデーモンを肉薄する。

 

「デーモン特効の黒騎士モードよ。名前通り、デーモン属性のようね」

 

 場所取りをしながら矢を射るシノンがぼそりとUNKNOWNの剣の秘密を教える。名前の通り、黒騎士系列の武器のように対デーモン戦において威力を発揮するモードなのだろう。そもそも、変形やモードチェンジする武器自体が物珍しいリーファは、あんな武器を使う方も作る方もネジが何本か抜けているのではないかと疑う。

 順調にHPバーの1本目は削れていくが、その過半はUNKNOWNが稼いだものだ。だが、要所要所ではヴァンハイトが適確にダメージを与えてUNKNOWNだけに敵意が向かないように注意を逸らし、シノンは探り探りで弱点を探すように各所に矢を射る。

 

「やっぱり頭部が1番ダメージは通るわね。でも、あの高さは……」

 

 6本の腕を振り回し、剛打で地面を揺らす巨鉄のデーモンの頭部をどうやって垂れ下げさせるか。シノンは次々と矢を頭部に集中させるが、元より射撃属性に高い防御力を持つネームドである以上、そのダメージは微々たるものだ。だが、着実なダメージ蓄積はチャンスを作り出す下拵えである。

 と、1本目のHPバーが3割を切ったところで、巨鉄のデーモンに変化が起きた。今まで閉ざされていた5つの目、その内の1つがゆっくりと開眼する。

 響いたのは火山が噴火したのではないかと思わすほどの怒号。同時に巨鉄のデーモンは格闘攻撃一辺倒だった先程までとは違い、大きく跳んで距離を取ると、その6つの手に萎びた灰色の炎を灯す。

 それは呪術の火の玉に似た、だがそれは巨鉄のデーモンという20メートル級のサイズから見ればの話であり、プレイヤーからすれば人間1人を丸ごと呑み込んでもなお大きく余るほどの巨大な炎の塊だ。

 それが同時に6つ投擲される。それは飛竜の火球ブレスに似た高速であり、着弾すればどれだけの広範囲を爆発が呑み込むかなど考えるまでもなかった。

 この時になって迅速に動けた影は3つ。UNKNOWNとシノンとヴァンハイトだ。彼らは即座に巨鉄のデーモンとの間合いを詰めて、灰色の火球から逃れる。だが、1テンポ遅れたリーファは回避が間に合わない。

 

「リーファ、前に出ろ!」

 

 UNKNOWNが声を発した時には何もかもが遅かった。

 だが、リーファの前にレコンが大盾を構えて壁となり、直撃した灰色の火球の轟音と衝撃だけが彼女を揺らす。ダメージはなく、だが熱気を帯びない冷気が空気中に散った名残が、直撃すれば命も危うかったかもしれないという恐怖心を芽生えさせる。

 

「僕が……守る!」

 

 フェイスカバーを下ろし、全身甲冑姿となったレコンは両手で構えた大盾をどっしりと揺るがすことなく掲げる。

 

「僕がリーファちゃんを守るから。だから、怯えずに攻めて! 避けられないと思った攻撃は僕が全部防ぐから!」

 

「……カッコイイじゃない。ありがとう」

 

 そうだ。ビビるな。リーファはネームド相手だと気圧されたまま足手纏いになりかけていた自分に喝を入れる。自分よりもレコンの方がこの戦いにおける仕事を見出した。対抗心を燃え上がらせたリーファは、間合いを詰めた3人に遅れながらも巨鉄のデーモンに迫り、その足首を薙ぐ。

 リーファならば飛行能力を発揮すれば頭部にダメージを与えられる。だが、それは『まだ』駄目だ。最初の一撃ならば奇襲として有効だろう。だが、巨鉄のデーモンのHPはまだまだ余裕があるのだ。ここぞという場面まで温存しなければならない。

 ならばこそ、リーファが狙うのはセオリーの1つ、脚部へのダメージを積み重ねたダウンだ。そうすれば弱点だろう頭部が垂れ下がり、UNKNOWNは大ダメージを狙ってソードスキルを叩き込める。

 だが、先程までは冷静に攻めていたUNKNOWNとシノンであるが、明らかに攻撃のテンポが上がっている。それは多少のリスクを冒してでも巨鉄のデーモンにダメージを与えねばならないという焦りにも映った。

 

「時間経過と共に能力を解放していく厄介なタイプよ。目玉の数通りなら、あと4回HPバーに関わらず、能力が増えていくことになるわ」

 

 シノンの指摘通り、先程までは格闘戦ばかりだった巨鉄のデーモンであるが、今は火球や発火といった灰色の炎の呪術を操っている。それは冷気を帯びた凍える炎だ。煌く度に広大なボス部屋の温度は下がっていると感じる。

 ようやくHPバーの1本目を削り切れるか否かの時、巨鉄のデーモンの目玉が更に1つ開く。途端にその6つの拳が灰色の炎で燃え上がった。そのまま拳を地面に叩きつければ、ボス部屋全体の地面、そこに灰色の煌く地帯が生まれる。

 炎の嵐! それもプレイヤーが使用できる呪術とは比較にならない程の巨大な火柱とボス部屋全体を効果範囲とする強化版だ。仮に陣形を整えた後方部隊があった場合、まさしく一掃されるだろう反則技である。

 

「ぐぉおおおおおおおおおお!?」

 

 あまりの範囲攻撃にヴァンハイトが逃げきれず、直撃こそしなかったが掠める形で吹き飛ばされる。リーファとレコンは運良く火柱が立ち上がらない地帯にいたらしく無傷だ。シノンは持ち前のDEXで範囲から脱し、UNKNOWNは立ち上がる火柱の間を駆け、6つの拳を同時に振り下ろす為に頭を垂らした巨鉄のデーモンに迫る。

 

「ぜぁああああああああああああああ!」

 

 鬼気迫る咆哮と共に繰り出された2本の剣による斬撃。それは深々と巨鉄のデーモンの頭部を裂き、HPバーの1本目を消し去る。よろめいた巨鉄のデーモンは全身を昂らせて衝撃波を生んでUNKNOWNを吹き飛ばすも、彼は地面を擦りながらメイデンハーツを地面に突き刺してアンカーとし、即座に体勢を立て直す。

 レコンが鎧を鳴らしてヴァンハイトに駆け寄り、奇跡の中回復を発動させる。掠めただけでHPの半分以上を持っていかれたのは、ヴァンハイトの弱点……防具の貧弱さが際立ったせいだろう。だが、回復を施したにも関わらず、ヴァンハイトの顔色は渋い。また、レコンの緊張も高まった事が雰囲気から察せられる。

 

「ぬぅうう……体が重い。これが穢れの火か。厄介じゃな!」

 

 明らかにヴァンハイトの動きは鈍っている。先程までの機敏な動きがまるで見えない。それは全身が凍えてしまったかのように白い息を漏らしていることから、凍結や寒冷のデバフかとも思ったが、レコンの様子からすると全く別の下方修正効果がヴァンハイトを蝕んでいるのだろう。

 

「みんな、気を付けて! 炎を浴びたら体が重くなる! それにHPの上限が削れてるんだ!」

 

 それはリーファを灰色の炎の直撃から守ったレコンにも微かながらに効果を及ぼしているらしく、幾らフルメイルとはいえ、灰色の炎をガードする度にレコンの動きは鈍っている。また、その頭上のHPバーには灰色に塗り潰された部分が表示されていた。レコンはまだ目立つほどではないが、ヴァンハイトの場合は1割近くが灰色の状態だ。

 最大HP減少。それは呪いで登場することがあるデバフであるが、穢れの火は攻撃の直撃の有無によって効果は上下するが、浴びれば最大HPが削られてしまうのだろう。

 HP制において回復し続ければ、幾らでも体制を立て直すことができる。だが、穢れの火は最大HPを削る以上、無暗に攻撃を受ければ受ける程に回復が意味を成さなくなる。

 

「少しずつ回復するみたいだけど、とにかく受けちゃ駄目だ!」

 

 レコンの報告に緊張感が次なるステージに突入する。最大HP減少と動きの鈍化。その両方をもたらす穢れの火を相手にするならば、最も理想的なのは徹底した回避……攻撃に当たらないという戦法しかないのだ。

 2本目のHPバーに突入した巨鉄のデーモンが地団駄を踏めば、その背中から蝙蝠を思わす翼が生える。それは鋼のような硬質の光沢を帯び、羽ばたく度に暴風が吹き荒れる。それは飛行する為のものではなく、ホバリングや滑空、ジャンプ力を上昇させる為の翼だ。

 機動力が更に増加した巨鉄のデーモンは軽やかに宙を跳び、上空から灰色の火球を流星の如く連続で降らす。次々と地面に着弾して炎が撒き散らされ、今まで炙れることを免れていたUNKNOWNやシノンも巻き込まれる。

 着地の瞬間を狙ってUNKNOWNは駆けるも、先程よりも速度が落ちている。シノンも全身に重荷を付けられたかのように動きが鈍い。

 5人は儀式でパーティ登録を行っている。故に互いのHPバーを確認できるが、だからこそ仲間の危機が視覚で伝わる。明らかに攻撃ペースが落ちたUNKNOWNとシノンに、リーファは穢れの火の影響を受けていない自分が前に出ようとする。

 だが、それを見逃さないとばかりに、地面を削りながらの巨鉄のデーモンの腕の薙ぎ払いが直撃し、リーファは派手に吹き飛ばされて右肩から地面に強く打つ。

 巨鉄のデーモンが4つ目を開眼する。大きく胸を膨らませるほどに深呼吸したかと思えば、その大口を開けて轟音を響かせた。

 爆音という表現こそ相応しい暴力的な音圧。それは衝撃波を伴い、巨鉄のデーモンの前方全てを吹き飛ばす。射線にいたレコンがガードするも、見えぬ鉄砲水が小石を押し流したかのようにレコンは軽々と浮かんで数十メートルと飛んで背中から地面に落ちた。

 これがネームド。これが最前線。これが未知という名の恐怖。

 相手の能力が分かっていれば、それだけで対処法は編み出せる。事前に対策は取れる。準備を整えられる。だが、情報が無い相手には常に最速最善の対応を瞬時に選択する以外に方法はない。そして、それは経験である程度までは補えるかもしれないが、そこには限度が存在する。

 

(これでもボスじゃない。きっと、もっと強い奴が黒火山には潜んでいる。そんなの……そんなのって……!)

 

 逃げずに戦う。そう宣言したはずなのに、絶望がリーファを呑み込もうとする。

 だが、踏ん張る。膝を折らず、敵を見据え、呼吸を整える。

 冷静さを失えば、目前の暴力は容易くこの弱々しい命を圧殺する。ならばこそ、必要なのは思考を乱さない事だ。どれだけ恐ろしくても敵を直視することだ。

 最初こそ圧倒されたが、巨鉄のデーモンの攻撃モーションはいずれも大振りであり、初動さえ見逃さなければ対応可能だ。無論、それはリーファ自身はあまり意識していない彼女の反応速度の高さがあるからこそできる対処可能範囲と言えるだろう。

 避けられる。あたしなら躱せる。翼で滑空したかと思えば、自分を狙って大きく振りかぶられた6つの拳を見つめる。

 隙間はある。拳の軌道は直線的。リーファは一呼吸と挟まずに足を動かし、6連撃の拳、その隙間の安全地帯に潜り込む。そして、そのまま巨鉄のデーモンの股下を駆け抜け、置き土産だとばかりに足首を薙ぐ。

 反転した巨鉄のデーモンがリーファに追撃を浴びせようとするが、そこには既にUNKNOWNとシノンが控えていた。シノンのソードスキルのライトエフェクトを帯びた1射が巨鉄のデーモンの喉に突き刺さり、怯んだ隙にUNKNOWNが更に足首にダメージを重ねる。そして、ようやく動きが戻り始めたヴァンハイトが更に加勢してダメージを重ねる。

 ついに巨鉄のデーモンが体勢を崩し、大きく頭を垂らす。レコンはチャンスだとばかりに駆けるが、間に合わないだろう。だが、十分に攻撃範囲に入っていた4人は同時にソードスキルを発動させる。

 リーファが発動させたのは≪片手剣≫の連撃系ソードスキル【ホリゾンタル・スクエア】。4連撃後に残る正方形のライトエフェクトが散る様はいっそ幻想的であり、片手剣使いでも愛用者が多いのは、その見栄えと実用性からだ。

 シノンも曲剣モードに変形させ、回転系のソードスキルを巨鉄のデーモンの顔面に浴びせる。ヴァンハイトも斧槍を宙で高速回転させた後に振り下ろされる威力が高い単発系を繰り出す。そして、最後にUNKNOWNがその2本の剣を瞬かせたかと思えば、刃の軌跡を追うことも困難な程の連撃ソードスキルが放たれた。

 

「らぁあああああああああああああああ!」

 

 チャンスタイムの終わり間際、UNKNOWNが更に咆える。≪二刀流≫だろう軽く20連撃はあっただろうソードスキルから、そのまま≪片手剣≫の傑作と謳われるソードスキル、突進系のスターライトに繋げる。メイデンハーツが巨鉄のデーモンの顔の中心に突き刺さり、更にそのまま更にブーストがかかった突きが放たれる。

 スキルコネクト! リーファも生で見たのは初めての上級システム外スキルだ。幾ら弱点とはいえ、高HP・高防御力を誇っていたはずの巨鉄のデーモンの2本目のHPバーが消し飛んだのは、その大部分はUNKNOWNのラッシュのお陰だ。

 これで3本目だ。ネームド・ボス戦において『本番』とされる、最も苛烈で、最も死亡率が高い最後の段階が解放される。自然と間合いを広めにとったリーファ達に対し、巨鉄のデーモンは雄叫びを響かせた。

 カラリ、とリーファの肩に落ちてきたのは破片。それは天井の崩落の序曲。

 気が付いた時には、遥か頭上より光が降り注ぐ。それが太陽の輝きだと知り、続いて大量の地下水がボス部屋に流れ込む。巨鉄のデーモンは翼を羽ばたかせて大きく跳び、地底から太陽の光に満ちた地上を目指す。

 

「レコン!」

 

 軽装のリーファ達はまだ泳ぐことができる。だが、重装のレコンでは溺れてしまうはずだ。だが、激流とも言うべき水は泳ぐ以前にリーファの体を押し流す。口内に水が入ったリーファはパニック状態になるも、太陽の光と地下の闇、そしてマグマの輝きが混在する水中で伸びた手に腕をつかませ、呼吸ができる水面へと引っ張られる。

 

「落ち着け。俺を見て。呼吸を整えるんだ」

 

 暴れるリーファの両手首をつかんでいるのはUNKNOWNだ。リーファは両目を潤ませながら小さく頷く。

 1秒単位で増していく水嵩は大きく開かれた天井まで届き、彼らを地上まで運ぼうとしている。だが、水面に顔を出しているのはリーファとUNKNOWNの2人だけであり、他の3人の姿はない。

 やがて増水は止まる。それは崩れた天井の上、そこに溜まっていた巨大な地底湖の名残だろう。この膨大な水が真下のボス部屋に流れ込んだのだとリーファは察した。

 

「ラストバトルのギミックじゃないな。きっとアルヴヘイム拡張の影響で、元々あったボス部屋が下降して、その頭上に巨大な地底湖が出来たんだ」

 

 かつては地底湖の底だったのだろう、水藻が生えた地面に手をかけたUNKNOWNが先に岸に上がり、続いてリーファを引っ張り上げる。

 全身をびっしょりと濡らしたUNKNOWNは、水流の中で手放してしまったのだろう剣を再装備で回収する。リーファも同様にシステムウインドウでファンブル状態にある剣を回収し、その手に戻らせた。

 水没したボス部屋から浮上してくる新しい影はない。太陽の光が相変わらず差し込んでくるが、先に地上に出ただろう巨鉄のデーモンが襲い掛かってくる様子もない。

 

「シノン達なら大丈夫さ。こういう修羅場は慣れてるはずだ」

 

 UNKNOWNの言う通り、数々の危機を潜り抜けたシノンや冒険慣れしたヴァンハイトならば、あの事態にも対応できるだろう。特に現実と違ってDBOでは簡単には溺れない。たとえ、口内に水が入り込もうとも、呼吸が出来なかろうとも、死に直結するのはHPの有無だ。意識を失うこともなく、窒息状態でも冷静さを保っていれば、十分に対応できる。

 だが、シャルルの森以降のアップデートによって、窒息状態の息苦しさはリアリティを増した。呼吸ができない苦しみが伴う。そもそも人間は水中で活動できる生物でない以上いきなり水中に放り出されれば先程のリーファのようにパニックに陥るのが普通であり、そこに苦しみが伴うならば、余計に意識は混乱を誘うだろう。

 

「でも、レコンは違う」

 

 そして、何よりもレコンは水没した経験もなければ、今は不慣れなフルメイルの重装だ。今も水底で動けなくなっているかもしれないのだ。ならば、助けにいく以外の選択肢はない。

 

「だな。俺が潜って、もう1度――」

 

 剣を背負ったUNKNOWNが水面に近づいた時、泡がボコボコと鳴り、ヴァンハイトが浮上する。彼が抱えているのは、兜を剝がされたレコンだ。そしてシノンもそれに続く。

 陸に放り投げられたレコンはクジラの潮吹きのように口から水を吐く。共同作業でレコンをここまで持ち上げて泳いできたのだろうヴァンハイトとシノンは岸にへばりつき、ぜーぜーと息を切らした。

 

「オベイロン100回殺す」

 

 シノンもこれはさすがにボス部屋ギミックではないと勘付いたのだろう。オベイロンに殺意を昂らせる。ヴァンハイトは腰を数度叩き、リーファ達と同様に落としてしまったらしい斧槍を再装備した。

 

「それで、デーモンは何処に?」

 

「地上だよ。ここから『足』で出るには時間がかかる。だけど、そんな暇は無さそうだ」

 

 声を渋らせたUNKNOWNが何を言わんとしたのか、それは頭上から聞こえてきた悲鳴の濁流ですぐに理解は追いついた。

 リーファ達は元々ネームド討伐に来たのではない。黒鉄都市の侵入を目的としていたのだ。そして、今まさに天井が崩落し、巨鉄のデーモンは解き放たれた。

 何処に? 地上の『何処』に? その答えは光に満ちた地上から落下してきた黒鉄都市の騎士の遺骸が答えを教える。

 今まさにリーファ達の頭上には黒鉄都市が存在するのだ。地底の奥底にあった巨鉄のデーモンのボス部屋、その上部にあった巨大地底湖、そして更に上には黒鉄都市が存在していたのだろう。

 今まさに黒鉄都市では巨鉄のデーモンが解放され、暴れ回っていることだろう。それはUNKNOWNが望んでいた、犠牲を最大限に減らすという方針から程遠い展開だ。

 

「リーファ、俺たちを地上に運んでくれ。出口を探している暇はない」

 

 リーファならばすぐにでも地上に彼らを運ぶことができる。往復にも大した時間はかからないだろう。だが、ヴァンハイトは眉間に皺を寄せる。

 

「良いのか? このまま放置しておけば、黒鉄都市に大きな被害が及ぶじゃろう。あの怪物も強敵とはいえ、黒鉄都市の総力ならば討伐も可能じゃろう。都市に大被害と戦力の消耗。ワシらの勝利は盤石になるぞ?」

 

「俺はそんな勝ち方を望んじゃいない。憎くて戦っているんじゃない。滅ぼす為に戦っているわけでもない! 犠牲が出るしかないというなら……最小限に止めたい」

 

 巨鉄のデーモンを地上に解き放ったのはリーファ達だ。それは意図しない事とはいえ、黒鉄都市の戦えぬ市民にも危害が及ぶかもしれない……いや、もう及んでいるかもしれないのだ。

 

(あたし達のせいで……戦えない人たちが、死ぬ?)

 

 考えたくない。リーファは頭を振って最悪の光景を振り払う。人間に未来は見えない。こんな事態になるなど誰にも予想できなかったはずだ。誰かを責めるのはお門違いだ。

 

「私たちは『誰』の味方なのかしらね?」

 

「そう言うなよ。シノンだって、地上に出たら女子供も含めて死屍累々なんて嫌だろ?」

 

 気軽な調子で言うが、UNKNOWNの声は焦りが表立っている。シノンもそれを分かっているからこそ、色々と言いたそうな顔ではあったが、肩を竦めるに止めた。

 

「はいはい。そういう事にしておくわ。じゃあ、方針が決まったなら、さっさと地上に行くわよ」

 

 シノンはまだ大の字で倒れたままのレコンの腹に蹴りを入れる。跳び起きたレコンはあの世かこの世か調べるように周囲を確認し、頬を数度叩く。

 黒火山に向かう。その為に黒鉄都市を攻略する必要がある。だからこそ、絶え間なく戦力が送り込まれ、またリーファ達は破壊工作で侵入を試みた。だが、その挙句は黒鉄都市に過ぎた被害を及ぼさない為に地上を目指し、ネームドを討伐せねばならない。

 何がどう転がってこんな事態になったのか? だが、リーファは野戦病院の風景を思い出す。

 誰かが死ぬのは嫌だ。敵でも味方でも、誰にも死んで欲しくない。それでも、敵だから殺すしかないというならば、犠牲は最小限に抑えたい。

 間違いは多くの点にあるのだろう。だが、少なくとも嘘を吐いて自分を誤魔化しながら戦うよりもよっぽどマシだとリーファは薄く笑った。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 UNKNOWN、シノン、ヴァンハイトの順で地上に運ばれ、最後となったレコンが運搬された時には、既に黒鉄都市は阿鼻叫喚で溢れかえっていた。

 本来ならば、どのような流れで地底から地上戦の流れになっていたのかは分からない。だが、広大なフィールド同然の黒鉄都市に解き放たれた巨鉄のデーモンは、『プレイヤーを迎え撃つ』という役目が暴走したかのように、目につく全てに攻撃を繰り出している。

 ヴァンハイトの読み通り、黒鉄都市の鍛冶には多量の地下水が使われていたのだろう。それは地底湖から汲み上げられたものであり、その1部が渓谷に流れ出ていたのかもしれない。だが、巨鉄のデーモンによって地底湖は崩壊に追いやられ、黒鉄都市はかつてのように豊富な水で武器を鍛え上げることは不可能になった。

 この時点で黒鉄都市の士気は大きく下がり、また降伏への1歩が進む。そして、巨鉄のデーモンは更に黒鉄都市に甚大な被害をもたらし、戦力を大きく削るだろう。そうなれば、暁の翅側の犠牲は大きく目減りする。いや、巨鉄のデーモンが地上に出た時点で勝利は秒読みになったとも言い換えられるだろう。

 ならばこそ、冷徹に計算するならば、黒鉄都市に巨鉄のデーモンをなるべく削ってもらい、トドメだけを掠め取る。それがベストな戦い方だ。だが、UNKNOWNはそれを拒絶し、他の面々は腹の内こそ知れずとも同意した。

 ならばレコンは? 血の通わぬ計算式の内で考えるならば、ヴァンハイトの指摘通り、巨鉄のデーモンを放置することを選択するだろう。

 だが、それはレコンの目指す道から程遠いものだ。成さんとする贖罪から遠ざかる行いだ。故にレコンは大盾を構える我が身に問う。守るべき者たちとは『誰』なのか?

 

(決まってる! 僕が『守りたい』と思った人たち全員だ!)

 

 巨鉄のデーモンが飛び出したのは、まさに黒鉄都市の心臓部だろう、巨大工房だ。それはまるで巨大な谷のようであり、際限なく炉で火が揺らめいている。だが、今は悲鳴ばかりが金槌代わりに大気を震えさせていた。

 鍛冶屋は果たして非戦闘員と呼べるのか否か。戦争において、軍の生産拠点は攻撃目標となり、無力な市民から除外された事実を考慮するならば、彼らの死は『然るべき犠牲』として割り切るべきなのだろうか。地上に出たレコンは兜を被り直し、フェイスカバーを下ろす。巨大工房から這い出した巨鉄のデーモンは、黒火山を囲う要塞そのものである黒鉄都市の肝、軍の貯蔵庫付近で暴れているらしく、爆発が相次ぐ中で6本の腕を振るっている。

 3本目のHPバーに突入したせいか、巨鉄のデーモンの全身は鋼のような光沢を帯び、更に防御力が増していることは言うまでもないだろう。更に5番目の目玉も開眼している。

 味方陣地から突如として登場した巨鉄のデーモンに対し、戦場を翻弄した鉄の飛竜たちが防衛に当たる。さすがの素早く飛行する飛竜相手には巨鉄のデーモンの大雑把な攻撃はなかなか命中しないように思えたが、新たな能力なのか、その6つの掌に灰色の炎を凝縮させてレーザーの如く放出する。

 必死に回避しようとするも、腕を振るえばレーザーも暴れ回り、飛竜たちは撃墜されていく。大きくHPを削られ、なおかつ落下ダメージを加われば、騎手も含めて即死だろう。

 レコンは戦慄と共に安堵した。あんな強力な攻撃が仮に地上に向けて放たれたならば、どれだけの死者が出たかは分からない。意図せずとも鉄の飛竜たちは黒鉄都市を守り、またレコンたちに脅威の攻撃があることを教えてくれたのだ。

 黒鉄都市の内部は絢爛豪華の対極にある質実剛健を具現化したような、飾り気のない外観だ。金属板を組み合わせ、堅牢な石造りで舗装されている。人々の恰好も質素なものであり、服飾にも色彩というものは感じられなかった。

 黒火山の守護を担う。それはオベイロン支配下において名誉なのかもしれないが、富とは無縁のものなのだろう。レコンは甲冑を鳴らして走り、スタミナ残量に気を配る。巨鉄のデーモンとの戦いで繰り返しガードを多用したせいか、スタミナは決して潤沢ではないのだ。

 黒鉄都市の被害は拡大する。巨鉄のデーモンに有効だろうバリスタや投石器などは、外敵に対する為の設置兵器であり、都市内部に向けられる構造ではない。故に使用することができず、応戦するのは騎士や兵士たちであるが、さすがの彼らも突如として内部から出現した巨鉄のデーモンには浮足立ち、また恐怖を隠しきれない。何よりも暁の翅との防衛線による疲弊、そして鉄の飛竜を瞬く間に損失したという心理的ダメージが大き過ぎるようだった。

 それでも果敢に挑む者はいる。だが、巨鉄のデーモンが腕を薙ぎ払えば吹き飛ばされ、また足下にたどり着いてもその巨足で踏み潰される。最終段階になって更に強化されたのだろう。特に踏みつけにはダメージ付きの範囲攻撃も付与されたようだった。

 巨鉄のデーモンが6つの手に灰色の炎を焦がす。広範囲の炎の嵐が解放され、黒鉄都市中で灰色の炎の火柱が立ち上がる。その巨大な炎は一撃で要塞そのものである都市を破壊していき、その度に砂のように騎士たちが舞い上がった。

 もはや陣形も何もない。その中でバリスタ用の塔の外壁を駆け上がり、巨鉄のデーモンの胸に一閃したのはヴァンハイトだ。雷属性を帯びた斧槍はダメージを与えたようであるが、防御力を増した巨鉄のデーモンに対しては微々たるものだ。弱点だった頭部も今では鋼のような外殻で覆われ、爛々と輝く開眼された5つの目玉だけが暴力的に威圧している。

 工房周辺を破壊し尽くした巨鉄のデーモンはその図体を揺らし、市民の居住区だろう方向へと転進する。市街と呼ぶには質素過ぎる造りであるが、住人の逃げ惑う悲鳴が今にも聞こえてきそうであり、レコンは急行すべく足を速める。

 

「は……ははは……僕って馬鹿だなぁ」

 

 汗だくになり、巨鉄のデーモンの進路を塞ぐようにレコンは市街へと続く道路に陣取る。1歩ずつ前進する巨鉄のデーモンは、まるで怨敵でも発見したように灰色の火の粉が散る口内に隠した牙を剥いた。

 ここは通さない。レコンは次々と自分に向けて飛来する灰色の火球に盾を掲げる。地面が吹き飛び、爆風が撫で、冷たい炎が鎧越しで体を舐める。

 ガードのお陰か、灰色の炎がもたらす最大HP減少は最低限で済ませられているが、これまでにジリジリと削られた結果、レコンの最大HPは既に3割が消失している。奪われた最大HPが回復するよりも先に灰色の炎に撫でられ、一方的に削られるばかりだ。

 リーファの為でもなく、仲間の為でもなく、敵の市民の為に盾を構える。何と愚かなのだろうか? だが、レコンは自分の判断に間違いがあるとは思えなかった。

 巨鉄のデーモンの拳が迫る。下から掬い上げるような一撃はガードブレイクを誘発する。大きく盾を弾かれたレコンの命を救ったのは、巨鉄のデーモンの一撃そのものであり、追撃が命中するよりも先に飛ばされ過ぎて攻撃範囲から脱する。

 甲冑から火花を散らし、市街まで滑ったレコンは息を切らす。灰色の炎の影響で全身が重く、また水中のように動きが鈍い。レコンは減ったHPを回復させるべく中回復を発動させ、市街へと入り込んだ巨鉄のデーモンを睨む。

 レコンは体を震えさせ、それでも手放さなかった大盾を両手で握る。巨鉄のデーモンは手を組むと灰色の炎を纏ったハンドハンマーを振り下ろす。拮抗することもなく、レコンは盾を挟んで一方的に押し潰される。

 

「うわぁあああああああああああああああ!」

 

 雄々しいとは言えない咆哮が漏れ、レコンは全身全霊をかけて盾に力を注ぎ込む。人間に踏み潰される蟻もこんな風に抗うのだろうか。死にたくないと願うのだろうか。レコンは軋む盾、ガード越しで炙られて減っていくHPを見つめながら、それでも時間稼ぎにはなるはずだと信じる。

 元より自分で倒すことは期待していない。他力本願にも等しく、レコンにできるのは強敵の撃破ではない。その身を盾にすることだ。肉壁となって誰かにチャンスを掴ませることだ。そして、今この場にはそれが出来る仲間がいる。

 黄金の雷光が爆ぜ、巨鉄のデーモンが後退する。死の圧迫から解放されたレコンが見たのは、虹色の翅を輝かせて空を舞うリーファの勇姿だ。

 もはや出し惜しみは不要。たとえ衆目に晒されようとも、今ここで畳みかけねば勝機を逸する。巧みに宙を駆け、剣を振るい、頭部に接近したリーファは雷の杭を巨鉄のデーモンの脳天に打ち込む。

 竜の鱗を砕いたとされる神々の奇跡。だが、か細い雷ではデーモンの鎧は剥げぬとばかりにダメージは通っていない。

 

(全身の鋼がダメージを減衰させているんだ。あれを何とか剥がせれば……!)

 

 頭部も含めて全身を外殻のように覆う鋼。雷は多少ダメージも通り易いようであるが、物理属性など過半は減衰させられるだろう。

 ひたすらに攻撃を重ねて破壊するしかない。レコンは最後の魔力で中回復を施し、最大HPが半分を切っているにも関わらず、巨鉄のデーモンの注意を引くように盾で地面を叩く。健在の敵に巨鉄のデーモンの意識が向いた瞬間に、塔の屋根から跳んだUNKNOWNが背中を取って連撃を浴びせる。

 最大の強敵と目したのだろう。巨鉄のデーモンがUNKNOWNに向き直り、拳に灰色の炎を纏わせる。翼で舞い上がり、その鉄拳で圧殺しようとする。

 連撃の余波の灰色の炎。それによってUNKNOWNは直撃を避けながらもジリジリとHPを削られていく。だが、それを上回るオートヒーリングで逆に巨鉄のデーモンの腕を切り刻む。事前にエリザベスの秘薬を使用したのだろう。一時的に驚異的なオートヒーリングを与える回復アイテムにより、巨鉄のデーモンとの真っ向からの斬り合いを可能としていた。

 焦り。それを示すように、巨鉄のデーモンが上半身を捻らせ、3本の右腕を束ねるように拳を振り下ろす。それを待っていたとばかりに、UNKNOWNが2本の剣で強引に受け流し、逆にその腕を駆け上がりながら滅多切りにする。

 叫ぶ巨鉄のデーモンはUNKNOWNを振り落とそうとするが、目玉の1つを潰すように雷を帯びた斧槍が投擲される。ヴァンハイトの一撃で怯んだ隙に、UNKNOWNは腕から肩へ、そして巨鉄のデーモンの顔面へと到達する。

 空中で放たれた≪二刀流≫のソードスキルは、頭部を守る鋼の外殻を軽々と切断し、その内部の肉を露出させる。大ダメージを与えるも、巨鉄のデーモンは暴れ回ってその太い腕でUNKNOWNを打った。崩落寸前の塔に激突したUNKNOWNの安否は不明であるが、あともうひと押しなのは間違いないと、レコンはせめてもの助力で火炎壺を投げつける。

 UNKNOWNが外殻を剥ぎ取った頭部にリーファが深く斬り込む。×印を描く華麗な斬撃の後に至近距離から奇跡のフォースの拳を打ち抜き、巨鉄のデーモンの姿勢が僅かに揺らぎ、目に突き刺さっていた斧槍が抜け落ちる。リーファは追い打ちをかけようとするが、巨鉄のデーモンは口内から衝撃波を伴う咆哮を放って彼女を吹き飛ばした。

 

「リーファちゃん!」

 

 盾を捨て、兜を脱ぎ、レコンは灰色の炎の影響が残る体に鞭を打って走る。ダメージが伴う咆哮によってリーファのHPは大きく削られている。幾ら翅によって落下ダメージが減衰されるとはいえ、あの高度から叩きつけられば死ぬ危険があった。

 とてもではないが、レコンの足では間に合わない。それでも駆けたレコンの目が映したのは、UNKNOWNが瓦礫を階段にして高速で跳び、空中でリーファをキャッチする姿だった。左腕でリーファを引き寄せ、そのままコートの裾を翻して着地したUNKNOWNに、レコンはガッツポーズする。

 だが、戦いはまだ終わっていない。巨鉄のデーモンの最後の目が開眼する。まるで神でも讃えるように巨鉄のデーモンがその6本の腕を掲げれば、その頭上に太陽のように巨大な灰色の炎の塊が誕生した。それは脈動し、秒単位で強大化していく。

 あんなものを投げつけられたら最後、余波だけでも大ダメージ……いや、即死は免れないだろう。どれだけの広範囲に及ぶとも知れない攻撃に対して、巨鉄のデーモンの最後のHPバーは残り4割と健在だ。

 炎の塊を成長させながらも巨鉄のデーモンは自由に動くことができる。その6つの手に炎を凝縮させ、灰色のレーザーを解放する。狙いは最も脅威に映っただろうUNKNOWNであり、6本のレーザーは真っ直ぐに彼を狙う。

 灰色の爆炎が爆ぜる。崩壊した建物の瓦礫が豪雨のように降り注ぐ。血の気が引いたレコンが見たのは、土煙と灰色の火の粉を斬り払って現れたUNKNOWNだ。

 直撃は免れたのだろうが、右の二の腕の肉がごっそりと奪われている。痛々しく血が流れ、またHPバーも短くなっていた。だが、6本の同時レーザーをギリギリで潜り抜け、逆に反撃に転じる。

 レーザーの反動で僅かに動きが止まっていた巨鉄のデーモンの右足が刃の竜巻に薪まれたように刻まれる。鋼の外殻が散り、内部に到達した斬撃が大量出血させ、巨鉄のデーモンの巨体がよろめく。

 だが、倒れない。あの炎の塊を止めるには、巨鉄のデーモンにシステム的な決定的隙……スタン状態にさせる以外に方法はないだろう。レコンは全身の骨が折れかけているのではないかと思う体を動かし、せめてもの援護で巨鉄のデーモンに火炎壺を投げ続ける。

 

「ぬぅ!」

 

「たぁ!」

 

 UNKNOWNが作り出した隙に、ヴァンハイトが空中回転蹴りを、リーファが翅の加速で最大限に威力を高めた片手剣の突きを、巨鉄のデーモンの右膝に穿つ。だが、それでも巨体は倒れない。

 ついに上空の炎の塊がチャージを完了したように、灰色の大光を放つ。それが地上に落ちることだけは阻止しなければならない。誰が止めねばならないとレコンは焦るも、逆転の策は思い浮かばない。

 唯一の可能性を秘めているのはUNKNOWNだ。だが、彼は諦めきったように剣先を地面に下ろす。

 

 

 

 

「『時間稼ぎ』ご苦労様」

 

 

 

 

 いいや、違う。勝敗は決したと示したのだ。

 巨鉄のデーモンの正面に立つのは、地上に出てからの戦いに姿を現していなかったシノンだ。矢が尽きたかともレコンは思っていたのだが、彼女の姿を見てその予想は誤りだったと理解する。

 シノンの左腕の義手の関節部などの隙間から煌々とした、まるで溶岩を秘めたような輝きが漏れていた。爪を展開した指は大きく開かれ、その掌には灼熱が凝縮されている。デーモン化し、耳と尻尾を生やしたケットシーを思わす獣人の姿をしたシノンは、巨鉄のデーモンが放る灰色の火球を速度任せに避け、その顔面に向かって大きく跳ぶ。

 カウンターを狙う巨鉄のデーモンであるが、シノンは巧みな姿勢制御で宙で回転し、その鉄拳を全身で受け流して逆に足場にする。そして、そのまま鋼の外殻がない顔面を義手でつかんだ。

 

 解放されたのは暴力的なまでの熱と爆炎。それはドラゴンの火炎ブレスを思わす程であり、巨鉄のデーモンの頭部を溶かし、焦がし、貫き、そして爆砕する。

 

 頭部を失った巨鉄のデーモンは背中から倒れて動かなくなる。無論、そのHPは完全にゼロであり、レコンの正面に賛美の言葉とリザルト画面が表示された。

 巨鉄のデーモンの死体が巻き起こした土煙の中で着地したシノンは、強敵に背中を向けたまま煙を上げる左腕を振るう。同時に暴れ足りないと唸るように火の粉が舞い、シノンの左腕は今もなお放熱され続けるせいで周囲は歪んで見えた。

 レコンは確信する。今この瞬間、自分たちは同じ想いを抱いたはずだと。

 

 

(シ、シノンさん……カッコイイ!)

 

 

 最後の攻撃は何だろうか? 義手の中にあんな秘密兵器を仕込んでいるなど、製作者の頭の中身はイカれてクレイジーで狂った浪漫が詰まっているに違いない。レコンは、今まさにHENTAIと呼ばれる鍛冶屋たちの真髄を見たような気がして、男子としてシノンの義手に興奮を覚えるのを止められなかった。

 

「これがシノンの『切り札』か。いやさ、絶対にまともじゃないだろうなって思ってたけど、ここまでとはなぁ……」

 

 右腕に止血包帯を巻いたUNKNOWNは、シノンと打ち合わせしていたのだろう。1発逆転の秘策こそ知っていたが、どのようなものかは初見だったらしく、呆れと興奮を秘めて声を震わせる。

 

「チャージ時間は長いし、損耗は激しいし、専用の弾薬は使う。使い辛いったらこの上ないわ。ちなみに分類上は『火炎放射器』らしいわよ。直撃したら重グレネード至近距離直撃3発分相当かつ追撃の放熱による多段ヒットダメージでご覧のあり様ってところかしら? スタミナも規格外に消費するし、チャージ後は30秒以内に使用しないと暴発するし、戦闘中に使えて1回が限度。やっぱり使い辛いわね」

 

 言っておくけど、弾薬もあと1回分しかないから。そう付け加えたシノンは義手の付け根の左肩に触れる。気遣うようにUNKNOWNが寄り添えば、シノンは表情こそ動かずとも耳と尻尾がピクピクと動いた。

 レコンは多大な犠牲こそ出たが、黒鉄都市の市街にまで被害が及ばぬ周囲に、そして巨鉄のデーモンの『活躍』によって崩落した城砦外壁より流れ込む暁の翅の軍団を見て、戦いは自分たちが描いたのとは異なる形で幕閉じしたことに、生き残った事への安堵を味わう。

 大被害を受けた黒鉄都市の軍団はもはや抵抗することもなかった。続々と武器を捨てて降伏している。巨鉄のデーモンがもたらした損害と恐怖は、彼らを即座に暁の羽根への徹底抗戦に心を傾かせる事を拒んだのだ。

 DBOでは活躍に応じて経験値やコルが分配される。レコンは改めてリザルト画面を確認すれば、そこには見たことも無い数値の経験値が記されていた。それは彼が……たとえ、巨鉄のデーモンにはほとんどダメージを与えておらずとも、『盾』として活躍したと評価された結果に他ならない。

 これがネームド戦。これが本当の死闘。レコンは大きな達成感を握りしめた。今ようやく、自分は大切な1歩を踏みしめることができたのだと涙した。

 

「すっかり疲れ切ったって顔しているわね」

 

 暁の翅によって占領されていく黒鉄都市を見守りながら、リーファと一緒に階段に座って冷たい水で休憩していれば、UNKNOWNとシノンが歩み寄る。ヴァンハイトは黒鉄都市の占領方針について指揮官と黒鉄都市上層部を交えたテーブルについている。1週間はバカンスが欲しいと思う程に心身ともに疲弊したレコンは、あの老人は絶対に長生きすると確信していた。

 そんなレコンに対して、デーモン化を解除したシノンは傷に塩を塗り込むような、隠しきれない嗜虐心が顔を覗かせた微笑みを描いている。

 

「しばらくは戦いたくないって気持ちになるでしょ? ネームドやボス戦はいつだってそういうものよ。全身全霊をかけて、死のギリギリの縁に立って、ようやく勝利をつかみ取れる」

 

 大ギルドの上位プレイヤーでも、ネームドやボス戦をこなした後は長期休暇を申請するとされているが、精神の疲弊こそが最大の理由なのだろうとレコンは実感を込めて納得する。

 あんな戦いを続けていれば、いずれ心が壊れてしまう。狂ってしまう。大事な歯車が抜け落ちてしまう。レコンは巨鉄のデーモンとの死闘を思い出しただけで、冷めぬ興奮とそれを塗り潰す死に迫る恐怖に舐められ、体を小刻みに震えさせる。

 

「安心しなさい。あんなの、DBOでも普通ならボス扱いよ。ネームドの域を超えていたわ。あなた達はよくやったわ」

 

「……というわけだ。言いたかった事は全部シノンが言ったから……俺からは特に何もないかな? 敢えて言うなら……うん、そうだな。生き残ってくれて、ありがとう」

 

 小さくない賛美を与えたシノンは背中を向ける。UNKNOWNは2人の肩を叩いて彼女を追う。

 

「あれが傭兵。やっぱりトッププレイヤーって……凄いんだね」

 

「でも、追いつけないわけじゃない、でしょ?」

 

 それはリーファちゃん視点の話だよ、とレコンは自信満々の彼女に苦笑する。少なくとも、シノンやUNKNOWNの動きには絶対に届かないし、リーファを追い越すことはできないだろう。

 だが『盾』としてならば。レコンは壁に立てかけられた、表面に細かい傷が増え、所々が凹んだ円大盾に触れる。誰かの『盾』となる。それも戦いと贖罪になるはずだと、レコンは祈りを込めて、自らの罪に黙祷を捧げた。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 レコンもリーファも思わぬ活躍をしてくれたお陰で巨鉄のデーモンを倒すことができた。シノンは真っ当に彼らを評価する。そして、その一方でランスロットに次いで2回目となったアルヴヘイムのネームド戦に、決して小さくない危機感を抱いていた。

 レコンたちには軽く突きつけた程度であるが、実際には『ボス級だった』というのは大誤算だった。ランスロットは確かに桁違いに強かったが、それ以外のネームドもまた普通ならばステージボス級である危険性が生まれたからだ。

 そして、ボス級と感じた巨鉄のデーモンでさえも黒火山で言えば中ボスの扱いだ。即ち、『証』を守るネームドは下手すればランスロット級であってもおかしくないのである。

 

「……私達、勝てるのかしら?」

 

 黒鉄都市の見張り塔の屋上で、噴煙を立ち上げる黒火山を望むUNKNOWNの隣に立ち、乾いた風で靡く髪を押さえながらシノンは問う。

 穢れの火の特性は最大HP減少とデバフ鈍足に似た特殊な運動鈍化。想像以上に厄介であり、1手間違えれば挽回不能の痛手を負うことになる。小人数でローテーションが利かない戦いともなれば尚更だ。

 

「シノンらしくないな。決まってるさ。俺達は必ず勝つ。負けるわけにはいかない理由がある」

 

 負けるつもりで挑めば、その時点で犠牲は免れず、また敗北は濃厚になる。気構えでも揺るがぬ勝利を胸に秘めなければならない。シノンは確かに自分らしくなかったと恥じると同時に、強敵が待つ黒火山に少なからずの高揚をしている自分に歓喜する。首級のように得たソウルを思い出す。

 

<巨鉄のソウル:アルヴヘイムに流れ着いた鉄の古王の傀儡兵は、黒火山の鉄を食み、やがてデーモンとなった。温もりを奪い、生命を侵す冷たき穢れの火の奴隷となったのである>

 

 巨鉄のデーモンの遺骸から得たソウルは、ラストアタックを決めたシノンの所有物となった。シノンは巨鉄のデーモンのHPの過半を削ったUNKNOWNを最大の貢献者としてソウルを得るべきだと述べたが、彼は頑なに『マナーだから』と断った。

 

「ねぇ、1つ訊いて良い? あなたなら、巨鉄のデーモンも単独討伐できたんじゃない? 私たちは……必要だった?」

 

「……できたかもしれない。だけど『かもしれない』に過ぎないんだ。死にたくない。いつだって、死にたくないって怯えてる臆病な自分がいる。だから仲間が欲しい。互いに支え合って戦う仲間が欲しい。自分が『自分』でいられる居場所が欲しい。もうソロは嫌なんだ。あの頃には……戻りたくないんだ」

 

 最強のソロプレイヤー。SAOではそう名を馳せた剣士は、決して望んで孤独の道を歩み続けたのではないのだろう。

 

「キミがいるから……仲間がいるから……俺の心はどれだけ絶望しても立ち上がれる気がするんだ」

 

 戦いの中では常に絶望が立ちふさがる。それは心の膝をつかせ、抗う気力を奪い、死を招く。命を賭してでも戦おうとするにしても、絶望を振り払わねば、勝負に出ることさえも許されないのが現実だ。

 UNKNOWNが戦い続ける背中にシノンを含めた多くの人々が鼓舞されたように、彼もまた仲間の存在があるからこそ、絶望に立ち向かうことができるのだろう。




巨鉄のデーモン撃破。黒火山攻略続行。
そして、次回は気の衣との戦いです。


それでは、286話でまた会いましょう。





……一体いつから、2話同時投稿などない錯覚していた?

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