SAO~デスゲーム/リスタート~   作:マグロ鉱脈

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前回のあらすじ

レコン、生き延びる。


Episode18-43 喪失

 きっと彼は決めていたのだろう。

 

 自分はいつかこの娘の為に殉じるのだと。それが務めなのだと。

 

 そうだろう? 誰よりも『人』らしくあろうとする獣の王よ。

 

 

▽   ▽   ▽

 

 

 ここまで来れば十分だろう。リーファは雨と汗でべっとり濡れた額を拭いながら、解呪石の効果でレベル1の石化の呪いが解けてゆっくりとアバターの血色を取り戻し始めているレコンを木の根元、茂る木の葉が傘替わりとなった場所に寄りかからせる。

 謎の乱入者によって間一髪の危機から救われたリーファはレコンに中回復を使用しながら、無事にDBOから帰還できたならば必ずレベル1の呪いをディスペル出来る奇跡を学ぼうと決心する。入手難度は相当高い、実力ではなく知恵が問われるランダムパズル系のイベントのクリアが必須であり、発見されてからトライ&エラーが繰り返されている部類だ。事実上の聖剣騎士団の独占状態にあり、傭兵グローリーがこれを登場の演出替わりに使用しているのは周知の事実である。

 

「次にあんな真似したらぶっ飛ばすからね」

 

 自分を文字通りの捨て身で守ろうとしたレコンを一瞥しながら、リーファはやや声を荒げながら叱るが、レコンは悪びれた様子をみせなかった。

 

「それ……リーファちゃんが言える事かな? でも、僕は……守る……よ。何度でも……守る」

 

 まだ上手く喋れない様子のレコンであるが、HPは十分であり、またアバターも欠損していない。リーファは一応の安心をしつつも、先程の自分の判断を自信を持って覆す気はないと主張する友人に飽きれた。

 確かにリーファもあの場でレコンを守る為に咄嗟に彼を庇った。あのまま矢を射られていればリーファも危うかっただろう。だからこそ、自分を逆に庇おうとしたレコンを責められる道理はない。だが、敢えて彼女はそれを棚上げしてレコンに否を突きつけねばならなかった。

 いや、目を背けるのは止めよう。リーファは深呼吸を挟み、レコンと視線を合わせるように膝を折るとその眼を真っ直ぐと見つめた。

 

「この際だからハッキリ言っておくけど、あたしはアンタの気持ちには応えられない。友人だとは思ってる。でも、それ以上の関係にはしたくないの」

 

「…………」

 

「もっと前にハッキリ言っておくべきだったんだと思う。ごめん」

 

 レコンがこんな風になってしまった、アルヴヘイムを訪れ、殺人に手を染めてしまったのは自分を助け出そうと足掻いた結果だ。それを受け止める義務がリーファにはある。だからこそ、メデューサの攻撃から命懸けで庇おうとした。

 自分を熱い視線で見つめるレコンの感情。リーファはなるべく感じないようにして、その視線を枠組みに嵌め込んで明確な名前を与えたくなかった。あくまで『友人』という距離感がリーファにとってレコンとの理想だった。

 だが、レコンは自分を友人として想う以上に、より踏み込んだ、より近しい、より親密な『男女』の間柄を欲していたのだろう。異性として意識し、そうでありたいと望んでいたのだろう。その感情は今回の彼の暴走の切っ掛けだったはずだ。

 ただの異性間の友情だけならば、彼はここまで熱くなって我が身も考えずに形振り構うことも無かったかもしれない。だからこそ、リーファはここで彼の気持ちに拒絶を突きつけねばならなかった。

 

「うん。知ってた」

 

 口も舌も柔軟に動くようになってきたのだろう。レコンは流暢に喋りながら頷く。

 

「でも、『まだ』それを言っちゃ駄目だよ。僕は告白してない。いつかちゃんと僕の口で気持ちを伝えるから、それまで回答保留で」

 

「それで良いの?」

 

「良いんだよ。今の僕にはリーファちゃんに告白できる資格なんて無いから」

 

 苦笑しながらもレコンは両目に涙を浮かべる。それは生き残ったことへの安堵か後悔か。

 リーファはまだレコンの旅路、その詳細を知らない。だが、彼の口から全てを聞かねばならない。それは彼女がこの嵐の終わりを迎えた時に最初にすべき事だ。

 だが、泣くべき時に泣かねば涙は毒になってしまう。いつかアスナが自分にそうしてくれたように、リーファはそっとレコンの頭を引き寄せて自分の胸に顔を埋めさせる。好きなだけ泣いて良いのだと無言で告げる。

 

「リーファちゃん、もしかして僕のこと好きなんじゃないの? 相思相愛ってやつ?」

 

「ばーか。泣きたい時に誰も胸も背中も貸してあげられないなんて……悲し過ぎるじゃない。ここにいるのはあたしだけなんだから。だから消去法よ、消去法」

 

 冗談の1つでも挟まねば心が耐えられないのだろう。津波のように押し寄せてきた罪の意識に溺れてしまいそうなのだろう。雷雨で掻き消される中で、レコンの嗚咽はリーファにしか聞こえない。

 苦しみが溢れて涙が零れた時、それを受け止めてあげられる『誰か』さえいれば、それは救いとなるのだろう。

 どれだけの時間を泣き続けただろうか。レコンは名残惜しそうにリーファの胸から離れると、まだぎこちない右腕で涙を拭った。

 

「行って、リーファちゃん。キミがどうしてここにいるのか、何を目的としているのかは知らない。でも、それは僕よりも優先しないといけない事だよ」

 

「馬鹿言うんじゃないわよ。今のアンタを残して行けるわけないじゃない」

 

 アスナを助け出す。その為に今も全力を尽くしているだろう兄を援護しなければならない。それは少なからずリーファに燻ぶっているものだ。だが、それはレコンと天秤にかけるべき事だろうか?

 兄とアスナは喜ぶだろうか? いいや、きっと軽蔑する。レコンを放って駆けつけても悲しませるだけだ。

 何よりも、今のリーファには人を斬ることは出来ない。モンスター相手ならばともかく、立ちはだかるのは悪党ですらない、使命を持ってティターニアを守ろうとしている人々だ。それは確かにリーファの目的を阻む存在かもしれないが、彼らを躊躇なく斬り捨てられるはずがない。

 

(それに、あの動き……)

 

 リーファ達を救った巡礼者。後ろ姿だけではあったが、何処か既視感を覚える動きだった。レコンを引っ張って退避するのに夢中だったせいで曖昧であり、気のせいかもしれないが、どうしても胸に引っ掛かってしまう。それが否定していたはずの、約束の塔に駆けたいという気持ちを再燃させる。

 迷いを見抜かれたのだろう。呆れたようにレコンは嘆息し、リーファはぎくりと体を硬直させた。

 

「わ、分かったわよ! だったら一緒に行くわよ。怪我の功名だけど、この辺りの警備はメデューサのお陰で壊滅状態だし、何とかなるかもしれないわ」

 

 これが妥協点だ。レコンを放っておけない。だからと言ってアスナをこのままオベイロンの元に帰すわけにもいかない。翅が抉り取られた今となっては陸路しかなく、また間に合わないかもしれないが、何もせずに迷い続けることは愚の骨頂だ。

 既に泥塗れの身なのだ。ならば、もはや身綺麗を保つ必要など無い。足掻いて足掻いて足掻いて、拾えるものは全て拾っていこう。1度レコンを見放してしまったが故にリーファは誓う。絶対に諦めないと再度決心する。

 

「約束の塔に行くわよ。ティターニアを……アスナさんを助ける為に!」

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

(馬鹿なのかしら?)

 

 このまま脱出してくれればミッションコンプリートだったはずなのに、戦火で燃え上がっている約束の塔を目指さんと動き出したリーファに、離れた位置で≪気配遮断≫を発動しつつ≪聞き耳≫で様子を窺っていたロザリアは唖然として頭を抱えていた。

 コントロールから外れた『レギオンもどき』のツバメを無事に始末しつつ、なおかつリーファを救出するという難題をクリアしたはずだった。後はレコンという重荷のせいで森の外に脱出するしか選択肢がないはずだったリーファの為に事前準備した逃走ルートに誘導するだけだったのだ。

 レイフォックスとツバメは、サクヤに施された新型レギオンプログラムの前段階の実験体であり、なおかつオベイロンによって大きく弄られたものだ。レギオンプログラムとしての能力も長所も活かせない。劣化品ですらない。『使い潰される』だけの消耗品だった。いずれはレギオンプログラムとの不適合によって自己崩壊していただろう。

 あの末路は救いだったのかもしれない。レイフォックスの死によって一時的でも自我を取り戻し、レギオンプログラムによって殺戮の狂気を植え付けられ、それでも恐怖一色に染められ続けていたツバメは憐憫に値するだろう。あのまま放置し続けていれば、いずれは怪物としてアルヴヘイムの誰かに倒されるか、あるいは少し先伸ばされただけの自己崩壊という決定した運命の下で破滅していただろう。ならば、せめてツバメが自己崩壊する前に死ねたのはある意味で救いだったかもしれない、とロザリアは感傷に浸ったものだ。

 だが、そもそも腐敗コボルド王戦後に彼女たちを【渡り鳥】殺害の駒に利用し、なおかつオベイロンとのファーストコンタクト時に『素材』として提供したのは他でもないロザリアである。2人には何が何でも生き残ってやるという気概が足りなかった、と悪びれもせずに主張する程度にはロザリアの面の皮は厚い。

 

(折角【渡り鳥】を利用したのに、これじゃあ台無しよ! 次の手を考えないと!)

 

 殺されるかもしれないリスクもあった。【渡り鳥】は『敵』と見なせば躊躇なく殺しにかかるだろう。後継者を裏切ってオベイロン側……厳密に言えばレギオン陣営なのだが、ともかく後継者陣営から離れたと察せられていれば終わりだった。

 だが、リーファとツバメの交戦を上空から確認した時には、ロザリアには時間が無かった。そして、何とか周囲で利用できないものはないかと飛び回っている時に偶然見つけたのが永遠の巡礼服を纏った【渡り鳥】だった。レギオンの監視網からの情報でアルヴヘイムで隠れ潜む【来訪者】の風貌を余さず把握していたからこそ、その変装から関連付けることができて正体を暴くことができたのである。

 ロザリアが取った手段は、敢えて唯一の対抗手段になり得る『レギオン・アーマー』をオミットし、なおかつ非武装状態で敵意が無いと示すインパクトだった。即ち、アルフの衣服すらも纏わず、宗教都市でリーファ達の監視に利用していたボロ布の乞食衣装で飛び出したのである。

 さすがの【渡り鳥】も困惑してその内に依頼を持ちかける狙いだったのであるが、冷たく完全無視されそうになって泣きそうになったものである。だが、何とか後継者から与えられていた連絡用の、謎のチョイスの折り畳み式携帯電話というアイテムを見せる事で交渉の土台を作る事に成功したのである。

 女のプライドも捨てた作戦を経て、ようやくミッションコンプリートが見えたはずなのに、これでは振り出しだ。焦るロザリアであるが、携帯電話が震えて反射的に背筋を伸ばす。

 

「はい、こちらロザリア」

 

『私だ。お前に頼みたいことがある』

 

 電話の相手はレヴァーティンだ。万が一に備えて約束の塔付近で控えているレヴァーティンならば、この対処しようがない事態をどうにかしてくれるかもしれないとロザリアは期待する。

 

『どうやら母上に勘付かれていたようだ。デスガンが此度の戦闘に投入されている。ここで彼を失うのは我らレギオンにとって大きな損失だ。意味は分かるな?』

 

「……退屈になったマザーレギオン様が何をしでかすか分からない、という意味ですね?」

 

『ご明察。猫殿とデスガン、どちらも母上の退屈を紛らわす玩具だ。母上が計画外の「遊び」をしない為にも、2人には長くじゃれ合ってもらわねば困る。戦闘の様子からしてデスガンの目的は猫殿と剣士殿を合流させない時間稼ぎのようだが、万が一があってからでは遅い。妹様の保護は私の方で引き継ぐ。お前はデスガンの回収に向かえ。両名を決して死亡させるな』

 

「畏まりました」

 

 天の助けとはこの事だ! 死を経験して慈悲なる神など存在しないと悟ったつもりのロザリアは祈りのポーズを取るが、切れた携帯電話の寂しい電子音と共に、またしても無茶な仕事が回り込んできたのではないだろうかと脂汗を垂らす。

 デスガンもシノンも実力はロザリアよりも圧倒的に上だ。そんな戦闘に飛び込んでデスガンだけを回収して撤退するなど難題である。

 

(でも、やるしかない。もう1度死ぬなんて御免よ。何があろうとも生き抜いてやるわ)

 

 それは美学でも矜持でもない。1度死んだからこそのロザリアの生存戦略なのだ。自己中心主義上等。人間は自分が1番可愛いのだと信じて疑わない。その為ならば誰にだって尻尾を振る。人類の敵だろうと靴を舐める。そして、欲を出して少しでも甘い汁を吸いたいのだ。

 

 

▽   ▽   ▽

 

 

 ユウキの戦闘スタイルは対人特化であり、継戦能力を疎かにし、『プレイヤー1人』を仕留められるに足るものに調整している。

 軽量型片手剣はTEC系統のステータスボーナスであり、また水属性には彼女の高いINTの補正も入る。軽量型片手剣はスタミナ消費も軽く、重量も無いので連撃系ソードスキルとも相性が良い。また闇術は特に対人戦で効果を発揮するスタミナ削り効果があり、彼女はあらゆる意味で対人戦……対【黒の剣士】を想定してステータスとスキルを構成していたのは言うまでもないことだろう。

 だが、その一方でVITの低さと軽装防具では、1度でも≪二刀流≫のラッシュに捕まれば即死の危険性がある。いや、過半のプレイヤーは耐えきれないならば、彼女のように回避に重点を置くのは正しいあり方だろう。≪二刀流≫が主役の真っ向からの斬り合いは余程の自信家か、≪二刀流≫に匹敵するユニークスキルの持ち主でもなければ無理なのだ。

 そして、2人の戦いの中心にはアスナがいる。UNKNOWNからすればユウキは殺害しても排除したい邪魔者であるが、目的はアスナの奪取だ。悠長に時間を取られるわけにもいかず、隙を見れば約束の塔へのルートを模索する。それを阻むようにユウキが回り込み、刃を交えては絡まった糸が解けるように距離を取る。それを繰り返す。

 剣に心得がある者が見れば、まるで剣舞でも踊っているように剣戟する2人の刃の軌跡に魅入られるだろう。雷鳴さえも見劣りする程に苛烈な火花を置き去りにして、互いの全速力で駆け、跳び、交わる。

 ユウキが冷気を帯びた剣を振り下ろせば、UNKNOWNは2本の剣を交差させて防ぐ。仮面の剣士がそのまま力任せに押し返したところに同時突きを繰り出せば、黒紫の少女は左手の影縫を合わせて受け流しながら間合いを離す。

 破壊されていくベルカの神殿跡から、幾重にも絡んだ大樹の枝に跳び乗ったユウキを追ったUNKNOWNは左右の剣を同時に振り下ろす。メイデンハーツは既に【黒騎士】モードだ。重量を増加させ、デーモン特効を得て、なおかつ攻撃力を増加させるストレートに強化するモードである。

 変形機構片手剣メイデンハーツ。マユが生み出したこの変形武器は、ガイアスとの3人旅の中でユウキも幾度となく能力を目撃している。

 本来、変形武器とは武器のスタイルを変化させ、様々な局面に対応できるようにする上級武器だ。たとえば、クゥリの持つ贄姫なども厳密には変形武器であり、水銀を纏わせて鋸状の刃とリーチを得られる水銀長刀モードと切り替えることができる。また、神灰教会の武器の多くは変形機構を備え、様々な武器スキルを1つの武器で活かせるのが魅力だ。

 だが、変形機構を組み込めばその分だけ脆くなる。それを補う為には鍛冶屋の腕が問われ、そもそも変形機構を活かす武器を作るのは至難であり、それを使いこなせる者は稀だ。

 対してメイデンハーツは、変形機構の第一人者であるマユがUNKNOWNの為に準備した『新基準』の変形機構であり、皮肉にも贄姫に近い。いや、間違いなくマユはGRへの対抗心から贄姫を独自に分析し、己の技術でメイデンハーツに似た試みを行ったと言っても過言ではないだろう。

 メイデンハーツの刀身の回路、それまで黒色だったそれが『黄金』に切り替わる。ユウキが悪寒を感じるより先に、メイデンハーツの先端に黄金の雷撃が集中する。

 それはまるで雷の杭、あるいは雷の槌。強烈な振り下ろしと共に雷を剣先に帯びたメイデンハーツは轟音を奏でる。木々の枝は軋み、破片が飛び散り、雷光を帯びた衝撃波がギリギリで回避したユウキの体勢を崩し、危うく大人3人は肩を並べ歩けるだろう、太い枝の端から濁流に落下しそうになる。

 メイデンハーツの回路から黄金の光が消える。それと同時に柄からカートリッジが煙を上げて弾き上がる。

 

(ヤスリを利用した特殊攻撃。やっぱりメイデンハーツは『対人戦』前提装備だよね)

 

 発火ヤスリや魔力ヤスリなど、松脂系とは違い、短時間の高火力エンチャントを可能とするヤスリ系アイテム。それは教会が販売する目玉の1つであり、多くのプレイヤーが松脂とは違ってここぞという局面での火力強化に使用する。

 松脂との最大の違いは発動速度と武器に仕込めるという手軽さだ。松脂はヤスリに比べればマイルドなエンチャントであるが、その分だけ効果時間は長い。対してヤスリは極短時間ではあるが、高い効果を得られる。その住み分けはプレイヤーにとって運用の大きな違いをもたらす。

 だが、マユは決定的に視点が異なった。このヤスリの『仕込める』という性質を利用することを選んだ。その為のカートリッジ構造である。

 両手に剣を持ちながら、UNKNOWNは手慣れた動作で、反復練習の軌跡が見える高速作業で右手で発火ヤスリを取り出すとカートリッジに組み込み、そのままメイデンハーツを振るった反動で収納する。

 先程のは雷属性……より正確に言えば黄金松脂のように雷属性と微弱な光属性の複合である黄金ヤスリだ。雷系の奇跡は純雷属性ではなく、神族の力……光属性が必ず複合されている。そして、それらは例外的に深淵系列……闇系のモンスターに雷属性の効果を高める。

 その黄金ヤスリをエネルギーとして奇跡の雷の杭を『再現』する。純粋な剣士であるUNKNOWNには魔法も奇跡も呪術も使えない。その為のステータス構成でもないだろう。だが、ヤスリによってメイデンハーツは奇跡や魔術、呪術を『剣技として再現』する。

 次に輝いたのは燃え上がるような橙色の光の回路。発火ヤスリを糧として炎を噴出し、特大剣級のリーチとなり、凝縮された炎の刃を得たメイデンハーツを豪快に振り回す。それは激しい雨を蒸発させ、熱気は肌を焦げ付かせるようにユウキを撫でる。

 

「らぁああああああああああああ!」

 

 雄叫びと共に炎の剣となったメイデンハーツの突きを繰り出す。炎であるが故に実体はない。だが、噴出された勢いは圧力を生み、まともに浴びれば吹き飛ばされる。しかし、ユウキはそもそも『当たれば死ぬ』のスタイルだ。変則的な炎の剣となったメイデンハーツの攻撃を……死を隣人として恐怖を踏破したが故の一切の迷いなき紙一重で躱し、逆に影縫の刃を射出してワイヤーを操ってUNKNOWNを強襲する。

 狙うのはドラゴンクラウン。チェーングレイヴにはあらゆる情報が裏から集まる。≪二刀流≫の弱点はその発動条件である『左右に剣を保有した状態でなければならない』だ。つまり、片方でもファンブル状態にすれば≪二刀流≫は解除される。

 ユニークスキル≪二刀流≫は片手剣に破格の攻撃力上昇効果をもたらし、両手剣にも匹敵するダメージを引き出す。その連撃はソードスキルでもないにも関わらず、ネームドやボスのHPさえも易々と奪っていく。片手剣のDPS性能のまま両手剣級の攻撃力を得られるのだから当然だ。

 かつてUNKNOWNが参戦した鏡の騎士戦では、彼の≪二刀流≫のソードスキルを直撃して鏡の騎士のHPバー1本が消し飛びかけたという噂まであった。真偽はともかく、その絶大な火力が今でも語り継がれる竜の神戦でユージーンの≪剛覇剣≫と並んでダメージソースとなったのは言うまでもない。

 故に≪二刀流≫を潰す。そのユウキの選択に間違いはない。だが、逆に言えばその露骨な弱点は『餌』にもなる。UNKNOWNはドラゴンクラウンを絡め捕ろうとする影縫の刃を難なく弾き返し、ワイヤーを操作するユウキに対して大きく踏み込んでくる。

 繰り出されたのは強烈な左足の蹴り。まさかの格闘攻撃にユウキは咄嗟に腕を掲げてガードを取るも、STR差は歴然であり、濡れた足場では踏ん張りも利かずに吹き飛ばされる。否、無理に粘って腕が折れるような真似をしないように、わざと跳んで威力を殺す。

 くるりと宙で回転して姿勢制御し、影縫を操って別の枝にアンカー代わりに刃を突き刺すと自分ごと引き寄せて着地する。だが、それを追ってきたUNKNOWNは休みなく間合いを制圧する縦横無尽の斬撃でユウキを刻まんとする。

 それに対応するようにユウキは意識を研ぎ澄まし、右手のスノウ・ステインに蝕む闇の大剣を発動する。スノウステインを包み込むように巨大な闇の刃が形成され、リーチを伸ばした迎撃の一閃を躱しきれず、闇の刃の切っ先はUNKNOWNの胸を裂く。

 痛み分けだ。右腕に嫌な痺れとフィードバックを感じながら、ユウキは思っていた程にHPは減っていない……ガードが機能して1割未満の減少で済ませられたと安堵する。対するUNKNOWNは自分に付与したオートヒーリング効果によってHPはじわじわと回復しているだろう。胸の傷はまだ塞がる様子はないが、アルヴヘイムにしては余りにも早過ぎる速度で修復が進んでいる。

 アスナへの妄執で暴走しているが、その剣技は冴え、なおかつ戦闘ロジックは冷徹。その姿は正しく剣に憑かれた鬼……剣鬼だ。いっそ力任せに暴走してくれていたならば、どれ程にやり易かったかとユウキは呆れにも近しい感情を覚える。恐ろしいことに、ガイアスと旅していた頃よりもUNKNOWNの剣技に『生気』を感じていた。

 表現は難しいが、ユウキは彼の剣技を素晴らしいと思いながらも何処か抜け殻のような虚ろを覚えていた。それでも剣技の高みにあったならば、それは正しく剣聖と呼ばれるに足る素質だろう。そして、そこまで鍛え上げた鉄の城で彼がどれだけの経験を積んだのか、それは言葉にする必要もない。

 だが、一方でUNKNOWNの剣は……彼が鉄の城で生み出した剣技が泣き叫んでいるような気がした。ようやく脈動したはずなのに、望まぬ形に無理矢理歪められ、まるで風化して朽ち果てていくような哀れみを覚えた。

 UNKNOWNが動く。距離を取ったユウキではなく約束の塔へと向かって走り出す。大樹の枝から別の足場……かつては貴族の館だったのか、豪奢な調度品の名残を残すエントランスに着地する。それを追ったユウキは咄嗟に影縫を咥える。

 スカートのスリット、太腿のナイフベルトから雷刃ナイフを抜き取り、左手の指の間に4本挟む。ユウキは初見のレギオン・シュヴァリエを相手にしてもフォーカスロックを難なく外すことなく捉え続けることができた。故にUNKNOWNから決してフォーカスロックを外すこともまた無い。

 だが、UNKNOWNが『ブレた』。一瞬だけフォーカスロックから抜け出す。それは白の傭兵が得意とする緩急と意識の死角を突いたフォーカスロックを振り切る動き。

 ユウキもある程度は可能としているが、それはかつて相棒だった……その『力』を理想とした仮面の剣士もまた体得していないはずがない。雷刃ナイフの投擲のタイミングを見切られ、追尾性能を失って4本は大きく外れてしまう。

 逆にUNKNOWNが展開したのは2体の人工炎精。その大きな白い光の塊にユウキは危機感を募らせ、廃墟となったエントランスの階段に着地と同時に離れたそれに意識を集中する。

 分裂した人工炎精は高い追尾性能でユウキに迫る。それは爆発を起こす、聖剣騎士団製の正式採用モデル【アグニ】だ。最大で8体に分裂し、≪投擲≫のロックオン機能を利用した高追尾性能は闇術の追う者たちにも匹敵する。火力も高められ、1発1発が黒い火炎壺級の威力に到達する。

 対してユウキが選択したのは闇術の闇のランス。スノウ・ステインを闇が包んで巨大なランスを形成する。本来は突貫攻撃を仕掛ける闇術であるが、小柄なユウキが最大限に身を縮こまらせて面積を狭めて使用すれば、迎撃と爆発を同時に防ぎながら、追尾されたユウキを襲撃せんとしたUNKNOWNへのカウンターに早変わりする。

 ノーダメージで分裂する人工炎精の爆発を切り抜け、逆にUNKNOWNの脇腹を抉る。だが、近接型のUNKNOWNは当然ながらVITに多くポイントを振っており、HPは相応の高さのはずだ。闇属性防御力にも余念がなく、ダメージの通りも思ったほどではない。

 回避重視のスタイルは確かに見栄えが良い。一撃も攻撃を受けないのは戦闘における理想だろう。だが、それは僅かな負傷が響き続ける『現実世界』ならば、の話だ。DBOはあくまで『ゲームシステム』が採用されており、HPがあればどれだけ負傷しても生存可能なのだ。

 たとえばユージーン。彼は敢えて攻撃を受けることを良しとする。ダメージを受けても攻撃を当てられるならば良い。最終的に引っ繰り返せるならば良い。回復すればHPは幾らでも補える。その為の高防御力であり、その為のスキル構成であり、その為に装備なのだ。

 UNKNOWNは剣術由来のガードと受け流しに重きを置きつつ回避を組み込み、ある程度の攻撃を受けて耐えられるように調整してあるのは一目瞭然だ。比較的軽装で済ませつつも各所の防御力を軽視せず、なおかつ重量型とはいえ片手剣2本という装備重量の抑え込みも機能している。

 どれかが優れているのではない。自分に適したスタイルを選ぶ。その為のステータス成長であり、スキル構成であり、装備なのだ。むしろ、回避に重点を置いて耐久面を蔑ろにするなどHPが尽きれば実際に死がもたらされるデスゲームではナンセンスだ。

 

(HPは幾らでも回復できるかもしれない。でも、スタミナはどうかな?)

 

 ユウキの狙いはスタミナ切れだ。幾ら直接的スタミナ回復手段をプレイヤーで唯一保有するUNKNOWNでも、ユウキ相手に安易にそれは実行できていない。ならば、闇術特有のスタミナ削り効果を発揮し続ければ、HP残量を問わずに戦闘不能に追い込める。

 無論、それは狙いの1つであり、相手はランク9……傭兵業界の双璧の1人だ。こちらのスタミナ切れを目的とした闇術多用の戦法は見抜かれているだろうとユウキも読んでいる。

 故にそれはブラフでもある。本当の狙いはソードスキルを足でも腕でも、それこそ胴体に風穴を開けてでもぶち込んで直接的に戦闘不能に追い込むことだ。

 腕をもぎ取れば≪二刀流≫は使用不可。足ならば機動力を失ってアスナ奪還は不可。そうでなくともアバターが動けなくなるまで痛めつければ良い。

 

(でも、この足技が本当に厄介だなぁ!)

 

 二刀流であるが故に拳打よりも足技を重視したのだろう。UNKNOWNは剣技に蹴りを巧みに組み込み、交差する左右の刃を回避したところに膝蹴りを打ち込んだかと思えばそのままつま先まで蹴り上げ、更に踵落としに派生させる。それは誰かから学び取ったような動きであり、確かな教練の名残を見せる。彼に足技を仕込んだ人物は間違いなく手練れ……自身の肉体を十全と扱える達人だろう事が窺えた。

 左右の剣の同時袈裟斬り。そこからの右の突き上げと1テンポ遅れさせた左の薙ぎ払い、それでも躱すユウキに同時突きからの斬り払い。間合いに入らせず、剣戟に持ち込めば連撃で圧殺しようとする。回り込もうとしたユウキは一気に懐に飛び込み、短剣程度のリーチしかない影縫で喉を掻き切らんとするも、UNKNOWNは常識離れした反応速度で顎を引き、影縫の切っ先は肌に赤い線を作るに止まる。

 互いに踏んだ後退は1歩分。共に間合いの範囲内。ユウキが発動させるのは十八番の突進系ソードスキルであるスターライト。対してUNKNOWNが発動させるのは≪片手剣≫の同じく突進系ソードスキル【ファスト・ビート】。モーション立ち上げからの発動速度は≪片手剣≫でも指折りであり、火力ブーストは大したものではないが、≪二刀流≫で攻撃力が上昇しているならば、上位突進系ソードスキル級の脅威となる。

 2人のソードスキルの突進突きが激突する。最初はユウキのスターライトが競り負けるも、このソードスキルの売りは追加派生による2段目の突きだ。かつてPoHから腕を奪いかけたソードスキルは威力を増してUNKNOWNのファスト・ビートと拮抗し、ついに力場が決壊したように2人は派手なサウンドエフェクトの反響に浸されながら吹き飛ばされる。

 やられた。ユウキは奥歯を噛み、今回の戦いで読み負けた……いや、誘導されたのだと悟る。

 ユウキのCONが低く、スタミナ総量と回復速度に難がある関係上、どうしても使用できるソードスキルの回数は限られる。だからこそ、近接系の魔法・闇術は彼女の少ないスタミナという弱点をカバーしつつ、ソードスキル代わりに高火力を引き出す。

 だが、今回はソードスキルのぶつけ合いに持ち込まれた。ユウキの焦りに付け込み、ソードスキルを誘発させ、なおかつ自分は出の早い同じ突進系で相殺する。しかもユウキの方は耐久面で劣る軽量型片手剣であるならば、装備への負荷を見ても重量型片手剣を持つ自分の方に分があるのは必然だ。

 その証拠のようにスノウ・ステインの切っ先には亀裂が入っていた。ユウキは雨で頬に張り付く髪を左手の甲で拭いながら、このままでは自分の方が先にスタミナが枯渇すると戦術の切り替えを視野に入れる。

 だが、同時にUNKNOWNのドラゴンクラウンの刃、その破片が零れ落ちた。確かに強力なユニークにしてドラゴンウェポンであるが、既に回収した時点で耐久面は危険域にあったのだ。先のソードスキルのぶつけ合いはドラゴンクラウンに負荷をかけ、その寿命を大きく削ってしまったのだ。

 グリムロックさんに怒られそうだ。ユウキはまだまだ戦えると刀身に稲光を映し込むスノウ・ステインを頼もしく思い、小さく笑った。

 再び両者は弾けるように動き出し、神速の刃を交わらせる。次々と火花が散り、際限なく速度を引き上げていく2人の刃は雨を斬り裂いて軌跡を描く。

 

「大切な人を取り戻したい! それの何が間違っているんだ!?」

 

「否定はしないよ! だけど、今のキミを見てもアスナは喜ばない! それが分からないの!?」

 

 メイデンハーツの3連突きからのドラゴンクラウンによる斬り上げ。それに対してユウキは悲鳴を上げるスノウステインを巧みに操り、刃を逸らしてUNKNOWNの懐に入り込むと小柄な体の全てを使って肘打を鳩尾に押し込む。だが、根本的に足りないSTRはダメージも衝撃も圧倒的に足りず、怯むこともなくUNKNOWNは膝蹴りを穿つ。それは顎を掠め、そこからの回し蹴りが鼻先を擦った。

 UNKNOWNが大きく跳び、水面から天を目指すような大樹の直角の幹に足裏を接触したかと思えば駆け上がる。それは≪歩法≫のソードスキル、ウォールラン。一時的に落下することなく壁を走れるソードスキルによって約束の塔を目指す為に伸びる枝まで辿り着く。すぐにユウキは影縫を射出し、その異様の刃をUNKNOWNが走る枝に突き刺してワイヤーを回収して我が身ごと空へと持ち上げる。

 体を回転させながら枝に着地し、UNKNOWNの道を阻むべくユウキは蝕む闇の大剣を発動させながら振り下ろす。対してUNKNOWNは躱しきれないと見て、半歩分前に……蝕む闇の大剣を発動させる触媒でもある彼女の片手剣を右手のメイデンハーツで受け止める。

 闇術である蝕む闇の大剣は実体がなく、本来はガードで止めることはできない。だが、触媒を担うスノウステインは違う。咄嗟の判断で闇の大剣の直撃を防ぎながらも、強力な闇属性攻撃を片手剣のガードで抑えきれるはずもなく、UNKNOWNのHPが僅かに目減りする。

 このままスタミナ切れまで持ち込みたいが、魔力にも限りがある。ドラゴンクラウンの黒く分厚い刀身が迫り、汗を散らしながら喉が半分まで切断される寸前で回避行動に移ったユウキは、そのまま彼女を追うように迫るメイデンハーツの突きを目撃する。真っ直ぐに自分の顔面を突き刺さんと圧迫する殺意の一撃に、ユウキは恐怖することなく一呼吸を挟みながら頭を逸らして最小限の動きで回避する。

 

「キミに何が分かる!? 自分の無力さでアスナを死なせた! あの時、俺に『力』さえあれば死ぬはずがなかった人たちがたくさんいた! だけど、俺には何もできなかったんだ!」

 

 殺意に浸された剣。それをユウキはよく知っている。誰よりも好きな男の子の刃はいつだって純粋なまでに殺意で収束している。それは優しく蕩けるように甘い。だからこそ、ユウキは今のUNKNOWNの殺意を否定する。

 

「弱い奴は踏み躙られる! 弱い奴は何も手に入れられない! 絶対に守ると誓った……大切な人さえ守れないんだ!」

 

「そうかもしれない。でも、今のキミは『力』に憑かれてるだけだ!」

 

 SAOの話をするUNKNOWNは何処か懐かしそうだった。彼にとってあの鉄の城の全ては嫌な思い出だけで構成されていたわけではなかった。だからこそ、過去として割り切ることがどうしてもできなかったのだろう。

 友人が、仲間が、愛する人がいたのだ。だからこそ、他でもない自分の手で幕引きにしたはずの鉄の城の物語に囚われているのだ。

 

「本当に欲したのは『力』なの!? ガイアスさんは……何のために死んだの!?」

 

「そのガイアスさんだって、俺たちに『力』さえあれば助けられたはずだ! 俺達に聖剣さえあれば、結末を変えられたと思わないのか!? 俺は後悔したさ! いつだって、どんな時だって、誰も救えない自分の無力さが憎たらしくて堪らない! キミもそうなんじゃないか!?」

 

「――ッ!」

 

 四肢と頭を千切られた、その武勇を示すこともなく死んだガイアスの最期がフラッシュバックし、ユウキの剣が鈍る。あの時になって浴びた彼の血の香りが蘇ったような気がして集中に靄がかかる。

 その決定的な隙をUNKNOWNは見逃さなかった。 右のメイデンハーツの振り下ろしからの瞬時の切り上げ、ディレイをかけた左のドラゴンクラウンの突き。ギリギリでユウキは躱しきるも、途端にUNKNOWNの姿があり得ない程に間近に迫ったことに虚を突かれる。

 剣すらも振るえない、蹴りすらも放てない超至近距離。それは全身を回転させた横殴りの肘撃であり、こめかみに直撃を受けたユウキは大きく吹き飛ばされ、危うく枝から落下しそうになるが、その場に剣を突き立てて何とか免れる。

 だが、その間にUNKNOWNはヤスリを装填したのか、メイデンハーツに猛々しい炎の刃を形成している。間合いを大きく伸ばした炎の刀身による連続斬撃を躱しきれずに、数撃を浴びたユウキは全身を炙られ、HPを大きく減らす。

 ここで退いたら死ぬ! HPが3割を切る中でユウキが選択したのは間合いを詰めることだった。メイデンハーツのヤスリによる特殊攻撃は強力であるが、持続時間は極小だ。発火ヤスリによる炎の大刀身の形成は6秒が限界と見切っていた。

 残り2秒。その間に繰り出される斬撃の直撃は許されない。雷鳴が届く中でユウキは最初の1歩と共に自分を撫で斬りにするはずだった炎の刀身の軌道に体を這わせる。数ミリの距離を通り過ぎた炎の刃の熱を感じながら、半歩だけ更に前に進む。それは左右に振り回される2連撃であり、体を屈めて頭上でやり過ごす。

 最後の半歩! 発火ヤスリによる炎の刃の効果時間を察知し、渾身の振り下ろしを決めんとするUNKNOWNに、ユウキは先程のお返しとばかりに影縫を掲げる。それはメイデンハーツの分厚い刀身と炎の刃を同時に受け止める。

 ユウキのほぼ初期値のSTRでは、STRに大きくポイントを振っているだろうUNKNOWNの振り下ろしを防ぎきれるはずがない。簡単に押し込まれてしまうだろう。だが、ユウキは影縫の歪んだ刃で、メイデンハーツから溢れる炎で左手が焼かれながらも強引に受け流す。

 影縫が半ばから砕け、その破片は炎と雷光を浴びて輝く。致死の連撃を潜り抜けたユウキは刃毀れが目立ち始めた右手のスノウ・ステインにソードスキルの光を纏わせる。

 それは五芒星を描くような鮮烈なる5連撃。≪片手剣≫の連撃系ソードスキル【ディープ・ペンタグラム】。その全ての刃はUNKNOWNに吸い込まれ、大量の血飛沫が吹き出される。どれだけユニークスキルによるオートヒーリングとアバターの高速修繕能力を持っていても、近しいレベル帯かつ優れた武器、なおかつソードスキルをまともに直撃を受けて平然としていられるはずもない。

 いかに高VITが前提の近接プレイヤーでも、いくら軽量型片手剣でも、5連撃ソードスキルをフルヒットすれば大ダメージは免れない。UNKNOWNは鎧装備ではないこともあり、防御力はユージーンなどには劣るのは明らかだ。その証拠のようにUNKNOWNのカーソルは黄に変色した。

 

「どうして邪魔するんだ? 一目で良い。アスナに会いたい。許してもらいたい。俺はキミを助けられるくらいに強くなったんだって証明したい。今日まで歩んだ道のりは無駄じゃなかったって、皆に応えないといけないんだ」

 

 ダメージフィードバックの影響か、体を震わせながら膝をつかずに踏ん張っているUNKNOWNは全身は震わせながら、ユウキではなく自分に言い聞かせるように言葉を並べる。だが、特に右太腿の傷が深すぎる。あれでは先程までの踏み込みも速度も引き出すのは困難だろう。これならばアスナの覚悟が貫き通せるまで妨害できるはずだとユウキはホッとする。

 勝負あり。ユウキは焼けた熱を孕んだ左手と折れた影縫を一瞥しながら、限界が見え始めた右手の冷気の剣の切っ先をゆっくりと下げる。スタミナも魔力もハイペースで消費し過ぎた。特にCONが低い彼女はこのままでは先にスタミナ切れが訪れていた。

 それは油断。UNKNOWNが瞬時に取り出したのは、女神の祝福に似た、だがより荘厳な装飾が施された小瓶。ユウキも隔週サインズに掲載された写真でしか見たことが無い、レアアイテムの中のレアアイテム。HPと魔力、デバフに至るまで全てを……治癒させられないのはレベル3の呪いくらいだとまで言われるほどの最高位の回復アイテム、女神の恩寵だ。

 ユウキが剣を振るって女神の恩寵を叩き落すより先に仮面の口元がスライドして露になった口内に飲み干し、闘気と殺意とも区別がつかぬ混沌を滾らせてユウキの刃を交差させた2本の剣で受け止めたUNKNOWNは仕切り直しだとばかりに弾き返す。

 一般的に対人戦においてHP回復アイテムを使う暇はまずない。それはデメリット以上に回復するタイミングとは相手からすれば絶好の攻撃チャンスであり、それこそソードスキルを撃ち込まれて回復以前に死亡することもあり得るからだ。それはDBOにおける対人戦において決して珍しくない例である。

 そんな中で女神の祝福はデメリットがほぼ無く、その飲料量の少なさと回復スピードから対人・対ネームドの両方において緊急回復手段として最も有効なアイテムの1つだ。だが、回復アイテムでも入手難度は最高レベルであり、ドロップするモンスターはランダム出現……それもかなりの低確率ドロップであり、実質的にイベントの数量限定報酬かボス報酬くらいでしか得られない。それはボス戦に挑む大ギルドの接近戦プレイヤー全員に分配することさえもできない程の貴重性からも、このアイテムがどれだけ強力なのかは言うまでもない。

 そして、女神の祝福の上位版である女神の恩寵はユニークアイテムなのではないかとも囁かれていた程であり、DBOでも聖剣騎士団のリーダーであるディアベル以外が保有した情報は出回ったことがない。

 アバターすらも瞬時に完全修復させて傷を塞いだ女神の恩寵によって戦闘続行を示すUNKNOWNに対して、ユウキは影縫を犠牲にして必殺のソードスキルを叩き込んだのに振り出しに戻された事に歯を食いしばる。

 

「そこまでして……キミは……キミは……っ!」

 

 まだアルヴヘイムにはネームドも残っているのだ。ボスもいるのだ。補充が実質的に不可能なアイテムを消耗し続けることがどれだけの損失となるのか、UNKNOWNが理解していないはずがない。

 本来ならば窮地を逆転するだけの効果を持つ女神の恩寵の使用。それが示すのはユウキの言葉に耳を貸す気はないという意思表示だ。

 使えるソードスキルは2回が限度、大技は1回だけだろう。それ以上はどう足掻いてもスタミナが足りない。対してUNKNOWNはまだ余裕があるだろう。だが、ユウキがここで道を開ける理由は何1つとしてない。

 

(ボクも馬鹿だなぁ)

 

 だけど、ここで使い切る。左手の影縫を捨て、虎の子の女神の祝福を取り出すとユウキは飲み干してHPを全回復させる。ボス戦でもネームド戦でもなく、【来訪者】同士の戦いで貴重な回復アイテムを消耗し合っている様を見ればオベイロンさえも呆れ、後継者ならば腹を抱えて大笑いするだろう。

 女神の祝福はあくまでHPを完全回復させるだけであり、焼けた左手の修復にはもう少し時間がかかるのだろうとユウキは計算する。デバフの熱傷を発症していないが、左手から滲むフィードバックの熱は手元を狂わせるように脈動して意識を苛める。

 

(この程度が何? クーは痛覚があるのに傷だらけでも戦い続けたんだ。ボクがこの程度で剣を振るえなくなるなんて……許されない!)

 

 思い出したのはシャルルの森。クゥリは動かぬ足を自らの手で抉り、短剣の柄を埋め込んで補強することで戦闘続行した。そのまま、彼は決して誰にも讃えられない戦いに身を投じた。ユウキを選ばずに、UNKNOWNを……かつての相棒を……見捨てたくない友人を援護することを選んだ。

 その末路がこれなのか? 認めない。ユウキはアスナの覚悟を守る為だけではなく、確かな怒りを込めてUNKNOWNに剣を向ける。

 

「『力』を欲するのは間違いじゃない。『力』がないと踏み躙られるのも真実だと思う。だけど、何度でも言うよ。今のキミは『力』に憑かれているだけだ。そんな剣に……ボクは負けない!」

 

 激突する刃と刃。だが、今度は拮抗することなく、UNKNOWNの剣がユウキを押し切る。

 ガイアスの旅の中で互いの剣技は観察し合っている。だが、対UNKNOWN戦を睨んでいたユウキの方が彼の剣技の研究は1枚も2枚も上だった。そのアドバンテージを仮面の剣士は『剣士』としてついに突き崩した。 

 今まで以上に素早い……余りにも高速である迎撃。ユウキが速度を頼りに斬りかかっても、UNKNOWNはユウキの攻撃テンポを崩すように左右の剣を振るい、回避しようとも思えば緻密なディレイをかけて正確に追撃を仕掛けてくる。

 

(もう『剣技』だけじゃボクに勝ち目はない!)

 

 それは屈辱にも等しい剣士としての敗北だった。剣士としての格の違いの見せつけだった。

 だが、ユウキもまたUNKNOWNへの殺意を徐々に剥き出しにしていく。更に速度を引き上げ、DEXの出力をじわじわと上げていく。彼女もまた高出力化の訓練は積んでいる。最大で5割、瞬間的ならば6割までいけると確信しているが、それは人間の脳の枷を外す行為だ。鈍い頭痛が蓄積し、それは集中力の欠如を生む。また高出力化されたステータスは仮想世界の肉体であるアバターの操作をより高難度にさせる。

 僅かでも制御を誤れば、この濡れた足場ならば尚更のことスリップして水面の濁流まで身投げである。それでもユウキは我が身に加速を訴える。

 ユウキの連続突きから逃れるように距離を取ったUNKNOWNの左手のドラゴンクラウンが赤いオーラを纏う。何事かと思ったユウキであるが、以前に彼が話していたドラゴンクラウンの能力、竜神の拳だと察知する。

 発動には時間がかかるはずだが、どうしてこのタイミングで? 踏み込むべきかどうか悩んだユウキであるが、それこそがUNKNOWNの狙いであると勘付いた時には遅かった。彼はユウキにかつてドラゴンクラウンの能力を明かしたことを逆手に取り、発動に時間を要するはずの能力を敢えて見せることによって『裏で何か狙っているのではないか?』とユウキに疑いを持たせ、能力発動の時間を稼いだのだ。

 形成されたのは半透明の竜の神の右拳。ドラゴンクラウンを振り下ろせば、破壊の鉄拳も追随する。大振りの一撃は本来ならば回避も容易い、対人戦では効果的ではない能力だろう。だが、場所は縦長の大樹の枝であり、前に出ても後ろに退いても追尾性の高い竜神の拳から逃れることはできない。

 そう、本来ならば。ユウキは竜神の拳が振り下ろされるより前にデーモン化を発動させる。それは彼女に闇色の翅を与えるフェアリー型だ。付け耳ではなく、本当の尖った耳を生やし、ユウキは跳躍する。

 フェアリー型の翅はプレイヤーが生み出した運動量を一時的な飛行に変換する。更なる加速は空中では不可能であり、初速から落ちる一方であるが、高DEXかつ高出力化状態のユウキならば十分過ぎるエネルギーを確保できる。

 竜神の拳が橋代わりになっていた大樹の枝を豪快に破砕する。叩き潰せれば良し。そうでなくとも足場を破壊すれば濁流に落ちるだろうと目論んでいたUNKNOWNは、自分だけは崩落から免れようと大きく跳躍したところを、舞う瓦礫の中を舞うように飛行してきたユウキに強襲される。

 深々と入った袈裟斬りの一閃。それはUNKNOWNを叩き落とし、辛うじて陸地となっていた、元はいかなる施設だったのかも分からぬ遺跡の瓦礫の山に背中から衝突する。HP残量を示すカーソルは依然として緑だ。いかに対策が難しい水属性を含有したスノウステインのクリーンヒットでも軽量片手剣では火力に限界がある。落下ダメージを合わせてもダメージが足りない。

 だが、ユウキの即座にスカートのスリット、妖艶にも映える太腿に巻かれたナイフベルトから雷刃ナイフを引き抜き、左手の指の間に4本挟む。落下したUNKNOWNを確実にロックオンし、≪投擲≫のソードスキル【ハンティング・コール】を放つ。スタミナの消耗は≪投擲≫では高めであるが、火力ブーストと投げナイフの貫通性能を引き上げが目玉のソードスキルだ。

 左肩と右腕に1本ずつ、腹に2本突き刺さり、雷刃ナイフは誘爆して雷爆発を引き起こす。肉片と共に血が霧状に散り、UNKNOWNの仮面の隙間から血反吐が零れた。翅を使ってふわりと着地しながら息荒くユウキは着地し、だがバランスを崩し、危うく膝を折りそうになるのを精神力で拒む。

 

「絶対に……通さない!」

 

 翅の使用はスタミナの消費を増やす。元よりCONが低く、スタミナ総量も回復速度も決して高くないユウキでは多用出来るものではない。何よりも高出力化の影響で頭痛が酷くなり、まるで酔ったような眩暈もする。修復が進む左手で額を押さえながらよろめいたユウキに対し、まだまだ勝負は終わってないとばかりに体を起こすUNKNOWNもまた決して傷は浅くなく、流血のスリップダメージはオートヒーリングの回復を阻害している。

 いくら燃費は軽い部類の≪投擲≫のソードスキルとはいえ、ソードスキルには違いない。スタミナ危険域のアイコンがHPバーの下で煌々と点滅している。魔力も危険域ではないが、消費の激しい蝕む闇の大剣も闇のランスも何度も使えるものではない。

 火力を底上げする。ユウキはエンチャント、霜付く氷の武器を発動させる。水属性のエンチャントによって火力を更に引き上げる行為は、そのままUNKNOWNを致命させる危険性の上昇だ。

 だが、もはやユウキはスタミナ切れや手足の1本や2本ですらもなく、殺しても止める覚悟でなければ太刀打ちできないと感じていた。

 

「足りない」

 

 そして、UNKNOWNも止まらない。否、もはや止まれない。

 

「もっと力が欲しい」

 

 終わらぬ力への渇望。それは己の無力さを憎悪する呪い。故にそれは悲しく、寂しく、虚しく、爛れている。

 

「何にも負けない『力』を!」

 

 黒いオーラがUNKNOWNを包み込む。デーモン化の類だと察知したユウキは跳び込むも、それよりも先にUNKNOWNが大きく口を開いた。

 

「オァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」

 

 やや鋭くなった犬歯が震えようにUNKNOWNが咆えれば、まるでモンスター専用スキル≪ハウリング≫のように周囲が吹き飛んだ。それはSTRが低いユウキが踏ん張れるものではなく、濁流に押し飛ばされないように姿勢制御をして耐えるのが限界だった。

 デーモン化の発動には多くの制約がある。ユウキの場合は低燃費であり、素早い発動が可能であり、ほぼ任意で望んだタイミングで発動できる。だが、中にはデーモン化にチャージが必要な物、特定の条件を満たしていなければ発動できない場合もある。UNKNOWNの場合はユウキほどに自由に発動が利くタイプではなく、また相応の隙が伴うのだろう。

 熱を帯びているように蒸気を立ち上げ、赤い雷が散る砂塵の中から現れたのは、その容貌を変質させていくUNKNOWNの姿だった。

 髪は逆鱗に触れた龍の鬣のように逆立って靡き、ユウキと同じように耳は尖っている。だが、翅と呼べるものはないのはフェアリー型ではない証だろう。だが、その双眸には見覚えがあった。他でもないガイアスを殺したシェムレムロスの妹と同じ瞳……まるで爬虫類のような竜瞳である。籠手や具足はデーモン化の影響を受けたように取り込まれ、金光を僅かに帯びた黒色の硬質な金属とも石とも思えぬ不気味なものになっている。指先は爪のごとく鋭く、まるで竜の四肢がそのまま防具と化したかのようだった。コートさえも黒い竜鱗に蝕まれ、インナー防具は肉体と同化し、変異し、まるで柔軟性を獲得した鎧のように硬質の輝きを得る。

 余りにも途方もない威圧感。チェーングレイヴとして多くの情報を集積していたユウキも掴めていなかったUNKNOWNのデーモン化がついに露になる。

 

「キミが初めてだ。この姿はシリカにも見せたことが無い。制御が難しくて、俺『だけ』にはちょっとした条件がかかっているんだよ」

 

「へぇ、まだ気を遣ってくれてたんだ」

 

 デーモン化すると多くのプレイヤーが高揚状態になり、戦闘に没頭してしまう傾向がある。時として冷静さが欠落し、パワーアップと引き換えに攻防が雑になって死亡するケースも多発した。切り札どころか自滅を誘発させかねない危険性を持つが故に、大ギルドでもデーモン化を使いこなせている面子は少ない。

 

「すまない。誤解させたみたいだな」

 

 UNKNOWNが踏み込み、その足元が砕けて爆ぜる。それは強化されたSTRの証拠だった。

 だが、次の瞬間にはユウキの反応速度が思わず『遅れる』ほどにUNKNOWNが間近に迫り、その左手のドラゴンクラウンの切っ先が喉元を貫きかけていた。

 剛槍の如く突かれた竜神の剣の風圧だけで分かる必殺の威力。ギリギリで躱すも、UNKNOWNは先程を更に上回る初速で蹴りを穿つ。それは咄嗟にガードに回した左腕が軋み、嫌な亀裂音が聞こえたかのような幻聴をユウキに届けるには十分過ぎるものだった。

 

「この状態だと『足りない』んだよ。どうしても靄がかかってしまう。俺の脳に、フラクトライトに、仮想脳に、情報通信を担うハードウェアの方が『追いつかない』んだ。そのストレスのせいで、逆に『弱くなる』んだ。だから、『これ』を使わざるを得なくなる」

 

 気怠そうに首を左右に曲げて体の不自由さを示すようなUNKNOWNは仮面の向こうで、もはや自制の枷を外すことを厭わないと証明するように狂笑しているようだった。

 

 

 

「マスターコール『ヒースクリフ』。プレイヤーコードの認証を開始。アドヴァンスド・ナーヴギア、アンリミテッド」

 

 

 

 それはユウキと同じ茅場の駒としてこの地獄に送り込まれた証明。UNKNOWNの周囲で無数のシステムウインドウが回転し、その全てが青色で『UNLOCK』という文字を光らせると粒子となって舞い散る。

 他のプレイヤーが市販されているアミュスフィアⅢのスペックでも十分どころか余りあるというのに、ユウキとUNKNOWNの場合は高過ぎるVR適性と発達した仮想脳のせいで、茅場の後継者が事実上DBOの為だけに作り上げた、現行のあらゆる機種を凌駕するオーバーテクノロジーが組み込まれた量産モデルでも不足が生じる。

 故に茅場昌彦が駒に準備したのは、ナーヴギアの開発者である茅場昌彦の手による軍用モデル、アドヴァンスド・ナーヴギア。それはVR技術の軍用化の開花であり、そして『短時間』の使用を想定とした、市販とは比較にならない高性能ハード。本来ならば年単位で長時間フルダイブしなければならないデスゲームと化したDBOには適さない。常人が使えれば、アミュスフィアⅢを軽々と凌駕する情報通信量によって脳は圧迫され、1日と保てずに廃人となるだろう。

 だが、限りなく低ストレスでフルダイブできる高VR適性の持ち主であるユウキと『彼』だけは、たとえ軍用モデルでも……いや、茅場の手が加えられたハイエンドでも長時間の使用自体は問題ない希少な人間だ。ユウキの場合は生命維持の為にリミッターをかけているが、UNKNOWNにはそのような理由など無い。ならば、本来ならば最初からフルスペックで使えるはずだ。

 

「茅場に頼んでアドヴァンスド・ナーヴギアの性能をアミュスフィアⅢと同程度に『抑制』してもらっていたのさ。『少しでも他のプレイヤーとフェアにしたい』ってね。ククク、何を恰好つけてたんだか。俺は今も変わらず薄汚い……いや、汚泥に塗れたビーターなんだ。この剣に矜持なんて要らない。ただ『力』さえあれば……!」

 

「そっか。やっぱり、キミは『強い』ね」

 

 自嘲するUNKNOWNに、ユウキは素直に微笑んで頷いた。

 彼は何処までも『ゲーマー』だったのだ。少しでも『ズル』を拒んだのだ。このどうしようもない殺し合いの世界で、あらゆる手段が容認される戦場で、少しでも他のプレイヤーと同じ立場であろうとした。たとえ、ランスロットに負ける間際でも『誇り』を失いたくなかったのだ。

 それは自責の念だったのかもしれない。デスゲーム開始を見送った我が身への戒めにして罰のつもりだったのかもしれない。だが、彼はこの瞬間までそれを守り続けていたのだ。それは誇り以外の何物でもないだろう。

 そして、今まさにそれを捨てた。ただ『力』への渇望が捨てさせた。

 

「だからこそ、『強さ』を捨てようとしている今のキミだけには……負けないよ」

 

 リミッター解除をしたこと自体には何ら感情を抱かない。ユウキも回数限定とはいえ、同じような特権が与えられている身なので責める資格など無い。だが、今のUNKNOWNは仲間の為でもなく、アスナの為でもなく、『力』を欲するあまりに己を律する、たとえ戦場では不要と嘲われるとしても彼が『プレイヤー』として守っていた境界線を超越した。

 だからこそ負けたくない。ユウキは刀身に修復が完了しつつある左手を這わせる。それは奇しくも、いつかのランスロットの構えに似ていることに彼女は気づける道理は無かった。

 

「もういい。言葉は意味を成さない」

 

 剣鬼は刃に憎悪で濁った殺意を湛える。ユウキは刃毀れが目立つスノウ・ステインに、あともう少しだけ頑張ってと願う。

 同時に動き出せば、雨粒すらも凍らせる冷気の刀身を持つユウキとUNKNOWNの機械仕掛けの剣が激突する。剥げる霜と火花が絡み合い、ユウキは巧みな剣捌きでUNKNOWNの連撃を受け流し続けるが、デーモン化の影響で更に重みが増した斬撃は彼女の技量の限界点に達しつつあった。

 UNKNOWNのデーモン化はユージーンほどにSTRに特化したものではないが、代わりに高バランスでSTRとDEXを引き上げるストレートな強化型なのだろう。STRでは元より完全に負けているユウキが勝つには、限りがある魔法を組み込み、勝っているDEXを最大限に利用した高速攻撃で翻弄し、残り1発が限度だろうソードスキルを利用する以外にない。

 間合いを圧殺する≪二刀流≫相手にご丁寧に剣戟に興じるのは愚の骨頂。ユウキは刃の間合い外から回り込んで背後を取ろうとするも、UNKNOWNはその動きは既に見切っていると示すように体を反転させ、ユウキの一閃を防ぐ。そのまま同時突きが穿たれれば、躱してもその突風だけでダメージを負ってしまうのではないかと錯覚する。

 死が首筋を舐める。だが、ユウキは死の恐怖に屈しない。死は隣人であり、永遠に歩み続けなければならない半身なのだ。ならば、それは恐れるべきではなく受け入れるべきものだ。少なくとも我が身に訪れる死の恐怖だけは無為に恐れる気はない。

 だが、UNKNOWNに届かない。ユウキの攻撃は全て迎撃されてしまう。もはや彼女の剣は余程の虚を突かない限りはUNKNOWNの剣を潜り抜けて斬りつけることはできない。

 ならばとユウキは右手の大振りの振り下ろしを見せつけながら、左手で雷刃ナイフを抜き、UNKNOWNと自分の間の地面に投擲する。何処を狙っているのかと常人ならば嘲うだろうが、UNKNOWNも卓越した戦士であり、また多くの修羅場を潜っている。それが足下を爆破しての土煙……視覚潰しだと見抜く。

 この状態での反応は大きく2つ。煙幕を抜けての追撃か奇襲への迎撃。だが、UNKNOWNが選ぶのはヤスリの再セット。ユウキの怒涛の連撃によってヤスリをカートリッジに差し込む暇がなかったのだ。彼はコストに見合わない追撃・迎撃よりも、確実に仕留める一撃を得るために距離を取る後退を選ぶ。そうするだろうとユウキは読み勝つ。

 瞬時にシステムウインドウを開き、破損した影縫をオミットし、新たに装備したのは対UNKNOWN戦を目論んだ装備にして暗器、暗月の銀糸。世にも珍しい鋼糸の如く魔力で生み出された銀糸を五指より伸ばして操る様は、あのPoHでも正面からでは完全に勝機を失う。

 

『暗器の本質は敵の意識の死角を突くことにある。要は「バレてない」時が1番暗器は強いんだ』

 

 それは共にした夕食の席で話題を求めて、長年に亘って暗器を使っていながら≪暗器≫スキルを獲得していないという前代未聞の暗器使いであるクゥリの一言だった。

 あの時には既に味覚を失っていたのだろう。ユウキが自分の料理を褒めてと嬉々として待ちわびている姿に、クゥリはどんな気持ちだったのだろうか? 味もしない料理を淡々と口に運ぶのはどれだけの苦痛だったのだろうか。

 何も見えていなかった。ユウキは自分の首に這う、孤独な病室の闇を……穢れを堪え、土煙が晴れた向こう側にいた暗月の銀糸で作った斬撃をUNKNOWNに浴びせる。

 まさかの魔法でも投げナイフでもないアウトレンジからの攻撃。なによりも剣では防ぐのも困難な糸による斬撃だ。UNKNOWNは咄嗟に対応しきった方だろう。銀糸の網に対して斬撃の網で対抗し、その全てを切断する。

 やはり一筋縄ではいかない。だが、『予想通り』の反応だ。ユウキは左手を包む黒い手袋、指先の銀色の装飾から生み出され続ける魔法属性の銀糸を再度振るう。細いそれは雨すらも細切れにして、1本1本が生きているかのようにUNKNOWNに波状攻撃を仕掛ける。

 だが、UNKNOWNもまた手練れ。これもまた刃で必要最低限に防ぎ、避けきれないと見た攻撃は最低限の回避に止めて敢えてダメージを受け、今は見切りに徹する構えを取る。

 暗月の銀糸は単発当たりのダメージは決して大きくない。連続ヒットで稼ぐタイプであり、また斬撃属性によって相手を刻み込んでいく、その華麗さとは裏腹に残虐な暗器だ。また、かつてナナコを追い詰めた様に、相手を縛り付けて動きを封じることもできるが、STR差があり、それを補佐する捕縛の仕込みをするには場所が悪い。UNKNOWNの捕縛は絶望的だろう。そして、暗月の銀糸はその性質上急所へのクリティカルボーナスも低い。 

 だが、それで構わない。今は着実に削り続ける。暗月の銀糸は蓄積性能こそ低いが、取って置きのレベル3の麻痺薬も仕込まれていた。対人戦での麻痺状態はスタミナ切れ以上の死の宣告である。

 ユウキは繊細な指の動きで銀糸を操り続ける。だが、UNKNOWNも悠長に見切っている暇は無いと判断したのだろう。この戦いはアスナを巡るものであり、時間制限という枷がある。彼としては1分1秒でも短くユウキを排除したいはずだ。何よりも細かい傷でも蓄積する麻痺は焦りを生む。

 

「見えた」

 

 そして、UNKNOWNはユウキの攻撃の中に癖を見出し、銀糸の連撃が最も『薄い』タイミングを狙ってダメージ覚悟で跳び込んでくる。黒い竜鱗が輝きながら剥げて散る姿は幻想的であり、それは微かな金色を帯びているならば尚更だ。

 懐に入り込まれ、振り上げられた2本の剣をユウキは真正面から受ける……のではなく、会心の笑みを浮かべる。

 

「暗器の本質は意識の死角を突くことにあり」

 

 暗月の銀糸を警戒するあまりに、UNKNOWNはユウキの右手……スノウステインで闇術を発動するモーションを起こしているのを見逃していた。ユウキは自分でも見抜けない隙を必ず仮面の剣士ならば突いてくるだろうと信じていた。

 それは剣士として及ばないと感じたが故の苦肉の策にして必殺。闇術の闇のランスを発動させたユウキは、やや大振りになり過ぎたせいで、踏み込んだ攻撃のせいで、回避もガードも間に合わないUNKNOWNの心臓を貫かんとする。

 ドリルのように回転する闇のランスはUNKNOWNの黒い竜殻と一体化した胸部に吸い込まれる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 だが、途端にUNKNOWNの姿が半歩分だけ『ズレ』た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それは余りにも不自然過ぎる動き。まるでソードスキルのアシストを受けたかのような超速の立ち位置のズレ。それが闇のランスを不発させ、UNKNOWNは刃を当てられない密着状態であるが故に強引に、デーモン化の影響を受けて強化された蹴りで襲う。

 超人的な反応で左腕をガードに回したユウキであるが、今度こそ不快な嫌な音が聞こえた。

 

「うがぁあ……ああああああああ!」

 

 吹き飛ばされたユウキは数度転び、ギリギリで水面に落ちる寸前で止まり、あらぬ方向に曲がった左腕に唸り、ダメージフィードバックが誘う涙を堪える。

 対するUNKNOWNは自分が何をしたのか理解できなかったように茫然としていたが、やがて歓喜するように全身を震わせる。

 

「はは……アハハハ……アハハハハ! これが『力』か!? もっとだ! もっと寄越せ! この『力』があればアスナを救える! みんなを助けられるんだぁああああ! アハハハハハ! アハハハハハハハハハハ!」

 

 プレイヤーの枠を超えた『力』に歓喜するUNKNOWNの全身が……その仮面を、頭部を竜殻が包む。それは異形……竜頭の如き兜を成す。

 先程までが竜人であるならば、その姿はもはや竜体に等しい。その頭部は竜と人の中間となり、嵐で翻っていたはずのコートはより竜鱗として同化・硬質化する。更に背中から生えたのは大小の2対の竜翼。

 何よりも恐ろしいのは竜頭の兜の額、単眼の如く輝くのは橙色の結晶体。それはDBOのバックストーリー……歴史を知っている者ならば1つの見解に至るだろう。

 

 

 あのアノールロンドさえも見逃した古竜……黒竜カラミットの単眼を思い浮かべることだろう。

 

 

▽   ▽   ▽

 

 

 約束の塔の頂上から望める風景は異様なものだった。

 12体の天使……いや、アルフ像が外縁を囲むように荘厳に並び、床には金文字で讃美歌が刻み込まれている。青空の下にある約束の塔の頂上はその高度に似合わぬほどに風が穏やかであり、アスナの栗色の髪を優しく靡かせる。

 だが、一方で約束の塔の周辺どころか森全体、その先の大地に至るまで暗雲に支配された嵐の下だ。今も雷鳴が轟き続け、雨は矢の如く降り注いでいる。だが、既に風は弱まっているのか、木々のざわめきは小さくなっているような気がした。

 この嵐もいつかは終わる。そして、温かな太陽と冷たい月が空で輝く。故にアスナは軽蔑を抱いて頭上の青空と虹を睨む。環境ステータスすらも弄り、神の如き演出かもしれないが、アスナはオベイロンの浅い本音を見抜いていたからだ。

 本当に神の力を示そうとしたならば、この嵐そのものを吹き飛ばすはずだ。だが、オベイロンは自分を賛美する者たちを嵐の下に置き、『愛妻』さえも雨で濡らした。それは彼の自己顕示欲を満たす格好の場面だからである。

 だからこそ、アスナは自分の計画の半分は既に成功していると確信した。後ろで控えるマルチネスを一瞥する。

 

「マルチネスさん、あなたは塔の警護に。誰もこの塔にたどり着かせてはいけません」

 

「女王陛下の仰せのままに! 吾輩、身命を賭してこの塔を守護いたしましょうぞ!」

 

 全身を重量甲冑で覆ったマルチネスは体を揺さぶりながら階段を引き返す。彼は塔の中腹の広間、必ず通らねばならない場所で万が一でも突破してきた侵入者を阻むつもりなのだろう。大盾装備の重装歩兵……典型的なタンクであえる彼ならば、いかなる相手でも粘り強く守り通せる。そして、それはアスナの計画を邪魔させないための厄介払いでもあり、また彼の命を守る為の遠ざけでもあった。

 塔の外縁から眼下を見下ろせば、蛇が絡み合うような泥水の濁流、まるで島のように水面に点在する遺跡の陸地、そしてそれらを繋げ合う大樹と橋の迷路があった。その何処かでユウキが今も戦っていると思うと彼女の胸は締め付けられた。

 騎士を演じて自分の覚悟を支えることを選んだユウキには感謝しかない。そして、同じくらいに無理をしないでほしいとも願っていた。

 

(準備も検証も不十分。計画の成否は半々。それでもやりきるしかないわ)

 

 虹色が輝きを増し、まるて光柱のように約束の塔の屋上に降り注ぐ。同時にファンファーレのようにラッパの音色が響き、自己主張の激しい巨大な虹色の翅を広げたオベイロンが満面の笑みで舞い降りる。

 

「やぁ、ティターニア。寂しかったよ」

 

「私……も同じ気持ちでした、オベイロン様」

 

 着地したオベイロンに歩み寄り、アスナは敬いを示すように頭を垂れる。見えぬオベイロンが歓喜で舌なめずりする様が目に浮かび、思わず唇を噛みそうになる。

 オベイロンの影が自分と重なったかと思えば、顎に触れて面を無理矢理上げさせる。アスナは表情を取り繕い、浅はかな慈悲深さを示すような表情を作るオベイロンに唾を吐きかけるのを堪える。

 

「酷い顔だ。さぞかし地上では大変だったようだね」

 

「……正直言って幻滅したわ。私が求めていた自由のはずだったのに、こんなにも耐え難い不自由だったなんて。私も馬鹿よね。あなたの真意を理解してなかったわ。あなたの束縛こそが私を守ってくれていたのに気づけないなんて、恥ずかしい」

 

「アルヴヘイムと現実世界を同一視してはいけない。彼らは未開人で蛮族だ。僕ら文明人とは相容れない動物なんだよ。いや、現実世界もまた無知で蒙昧な愚物ばかりだ。世界は支配者を求めているんだよ」

 

 へりくだった物言いをするアスナに満足したように頷き、仰々しくオベイロンは両腕を広げる。

 

「僕はいずれ仮想世界と現実世界、両方を支配する。神の玉座はボクのモノとなる。その時、傍らで女王として絶頂を得るのはキミだよ、ティターニア。妖精の女王なんて取るに足らない。僕の妻としてキミは最高の幸福を獲得できるんだ。心躍るだろう?」

 

 肩を引き寄せて野心を語り、当然のようにアスナが女王の座を望んでいるとばかりに同意を求めるオベイロンは笑う。

 世界を支配する。そんなくだらない野心のために、アルヴヘイムの人々は……自分の仲間たちは苦しまされているというのか? アスナは耐えがたい屈辱に震えて、前倒しで計画を実行に移しそうになるが、何とか踏み止まる。

 

「高尚な話は私みたいな小娘には分からないわよ」

 

「おやおや、どうしたんだい? いつものキミらしくないな」

 

 演技が過ぎただろうか? 卑下し過ぎたアスナの物言いに、オベイロンは顔を顰める。彼が知っているアスナは反抗的で凛とした態度を崩さず、従順とは程遠いのだ。それは違和感となり、猜疑心を生む。

 調合のバランスが需要だ。アスナは自分の肩を抱くオベイロンの手をやんわりと放す。

 

「疲れたのよ。私は死人で、帰る場所も無くて、あなたへの反抗心だけで外を目指したけど、こんなにも非文明的で野蛮な世界だったなんて知らなかった。勝ち目はないし、そもそも勝ったとしても私に何が残るの?」

 

 必要なのは自虐の尤もらしい理由づけだ。オベイロンを納得させるストーリーだ。アスナは複数の台本からオベイロンの機敏を表情から判断して選択していく。

 

「帰りたいのよ! 私がいた世界に帰りたいの! それが出来るのは須郷……いいえ、オベイロン、あなただけじゃない!」

 

 オベイロンから見れば『少しばかり頭が回る世間知らずの小娘』以上の評価は無いはずだ。オベイロンが自分に固執しているのは現実世界の名残、須郷という男が得られなかった『結城明日奈』という女性の屈服だ。だからこそ、アスナはじわりと涙を浮かべてオベイロンに寄りかかる。

 

「僕がカーディナルを掌握した暁には、キミも現実世界に帰れるさ。このオベイロンの妻として凱旋を果たす。ご両親はさぞや泣いて喜ぶだろうね」

 

「本当に帰れるの? だって、私には肉体が……」

 

「僕が約束しよう。既にアテはある」

 

 そんな空手形は元より信用にも値しないが、オベイロンがここまで言い切るならば相応の裏付けがあるのかもしれない。アスナは貴重な情報ありがとうと別の意味で笑顔を作る。それを誤解したらしいオベイロンはねっとりとした手付きでアスナの腰に腕を回す。

 

「さて、そろそろ始めようか。僕は紳士だ。キミのお願い通り、ケットシーとインプを解放しようじゃないか」

 

「ワガママに付き合わなくても良いのに。私のしょうもないプライドを守る為の方便なんだから。早く私をユグドラシル城に帰して」

 

 甘えるようにオベイロンの胸に両手を添えるアスナは吐き気を堪える。だが、いま必要なのはオベイロンの目を曇らせる事であり、それは何にも増して最優先である。

 

「駄目さ。キミはティターニア。僕の妻だ。相応の気品が求められるからね。たとえ見捨てられたアルヴヘイムでも、それを示すのが夫の役目だよ」

 

 予想通りの反応だ。アスナは内心でほくそ笑む。オベイロンはこれでアスナの計画には絶対に勘付かないどころか、自らの足で処刑台に上る。

 システムウインドウを開き、オベイロンが作業に入る。そして、アスナたちの正面に表示されたのは、まるで見えないカメラに撮影されたかのように、今まさに寄り添う2人の姿だ。

 

「10秒後にアルヴヘイムの主要都市に向けて僕らの姿を発信する。生中継だ。オベイロンの至高の宝玉として粗相しないでくれよ。キミは僕に相槌を打っていれば良い」

 

 偉大なる妖精王の風格を出さんと顔を引き締めるオベイロンに、アスナはここからが計画の本番だと汗ばんだ拳を握る。

 チャンスはたった1度だけであり、ミスは許されない。これから始まる数分にアルヴヘイムの未来が……助けたい人々の未来がかかっているのだから。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

『我が親愛なる臣民よ』

 

 いよいよ始まったか。嵐が収まらぬ宗教都市の館、その窓からシリカが見上げたのは、暗雲に上書きされたように上空に表示された巨大なシステムウインドウだ。それは生中継なのか、鮮明なオベイロンとアスナの並び立つ姿を放送している。

 場所は恐らく約束の塔の頂上だろう。あちらも嵐の真っ最中のはずであるが、不自然な程に晴天である。オベイロンが何らかのトリックを使ったのかもしれないが、それを考察する事にシリカは思考を割かない。

 肩に止まるピナの息吹を感じながら、思考にこれから何があろうとも冷徹に状況を分析し、今後に備える為に全ての情報を抜き取れと命じる。

 

(この放送は宗教都市だけ? それともアルヴヘイム全土に? それとも都市限定の? 何にしても、オベイロンはアルヴヘイムにケットシーとインプの解放を公式宣言するつもりなのは確実。アスナさんを攫って何もしないという最悪の展開は避けられた……はず)

 

 オベイロンが浅はかだったのか、それともアスナが罠に嵌めたのか。どちらにしても、現場に居合わせていないシリカには想像しかできず、また動かなかった彼女がすべきなのはその動向を見守ることだけだ。

 

『此度は我が妻、ティターニアが大きな混乱をもたらしたことを詫びよう。だが、この通り僕らは良き夫婦であり、それは未来永劫変わらない』

 

 アスナの細い腰を引き寄せて密着するオベイロンの王としての振る舞い、その皮を剥げば下卑た欲望が蠢いているのは明白だ。

 彼女に触れて良いのは『彼』だけだ。シリカは複雑な自分の感情を奥歯で磨り潰し、オベイロンに殺意を燃やす。だが、これもまたアスナの計画の内なのだろう。彼女は和やかに手を振って親密さをアピールしている。

 

『我が妻はアルヴヘイムの平穏を切に願っている。その慈悲深さは私以上だろう。故に此度の混乱の発端、ティターニアが切望した反逆の2種族、ケットシーとインプの罪を赦す。これより2種族はこの妖精王に歯向かった汚名が清められ、他種族と同等の立場となったことをここに宣言する!』

 

 アルヴヘイム中のケットシーとインプが泣いて喜んで拍手喝采の万歳をしている様でも想像しているのだろうか。オベイロンは満面の笑みで高々に1000年単位で地獄を味わった2種族の解放を告げる。

 シリカの背後で給仕をしていたインプの奴隷メイドは盆を落として震えている。噂では聞いていたが、まさか本当に解放されるとは思っていなかったのだろう。だが、長年に染み付いた差別は簡単には終わらない。オベイロンの宣言に拘束力はない以上、彼らの真なる復権には世代交代が必要なほどの時間がかかるだろう。

 

『愛するアルヴヘイムの皆様、私はティターニア。オベイロン陛下の寵愛を受ける者。陛下は常に平和を願われ、此度の反乱にも心を痛めていらっしゃいました』

 

 ここまではオベイロンを利する展開だ。シリカはごくりと生唾を飲む。このまま中継が終わってしまえれば、今まさに西で起きた反乱軍は大義を失い、オベイロン打倒という名目の求心力は衰えてしまう。それは回り回って【来訪者】がようやく獲得できるはずだった大戦力の損失に他ならない。

 

 

 

 

 

 

 

『ですが、此度の反乱の真の元凶……深淵は未だ取り除かれていません』

 

 

 

 

 

 

 本来ならばこのまま奇麗に放送は終了するはずだったのだろう。だが、オベイロンよりも1歩前に出たティターニアは、それこそ妖精王よりも威風堂々と胸を張って声高に告げる。

 

『反乱軍の暁の翅は、元をたどれば廃坑都市で息を潜めていた陛下に謀反を企てていた者たち。ですが、彼らは深淵に呑まれ、陛下は王の責務で彼らごと葬り去りました』

 

 なるほど、そう来たか。シリカは思わず口元を歪めてしまう。オベイロンはまだ表情こそ見せていないが、自分を賛美する流れでありながらも良からぬ雰囲気を感じ取った様子を見せるが、既に遅い。

 

『陛下、私は妻として、あなたに申し上げねばなりません。陛下の平和を愛する気持ちは分かります。ですが、反乱軍を処断する為に深淵に与するなど言語道断! いいえ、元より裏切っていたのですね。翅を独占する為に! 私があなたの元を離れたのは噂の真意を探る為でした。陛下が深淵の力を借りているなど信じたくありませんでした』

 

 あくまで『夫を愛するが故に』という表情でアルヴヘイム前代未聞の暴露を生中継するアスナは千両役者だろう。それは即座にオベイロンに詰め寄るところまで計算されていたのだろう。困惑し、嵌められた事に激昂し、醜悪な憤怒の顔でアスナの頬を平手打ちで吹き飛ばす光景まで余すことなく放送される。儚くか弱い女を演じるようにアスナが床に倒れる挙動まで全て計算されたものだろう事に、シリカは同性目線で脅威を覚える。

 格が違う。アスナはここまで計算してオベイロンを誘き寄せ、アルヴヘイムの人々を一致団結する大義の旗を作ることを選んだのだ。オベイロンの傲慢さを利用し、放送を利用してわざと感情的に自分を傷つけさせた。それはティターニアの狂った虚言とも取られるかもしれなかった行動に、深淵を利用しているという真実に『真実味』を加える。

 

『どういうつもりだい? そんな世迷言、いくら僕の妻でも――』

 

『妻だからこそです。深淵は妖精より翅を奪った怨敵。そのはずなのに、陛下は最初から王位を得んが為に深淵に与していた。愛すべきはずの臣民から妖精の誇りである翅を奪い、独占し、権威に利用するなどあってはなりません! 陛下、どうかお考え直しを! 今こそ告白の時! 陛下が真に平和を愛するならば、全ての妖精たちに翅をお返しください!』

 

 そして、ここぞとばかりに攻めるのはアルフ『だけ』が翅を持つという事実だ。それはアルヴヘイムの住人の長年の不思議であり、またオベイロンへの密やかな憎悪を駆り立てていたはずだ。自分たちは翅を失い、先祖が空を舞ったという伝説を聞き知ることしか叶わないというのに、オベイロンは自由に翅を与えることができるという差別意識だ。

 

(出来るはずがない! だって妖精たちが翅を失ったのは『設定』に過ぎないんですから! 恐らくは元々設計されていたアルヴヘイムのストーリー。だからオベイロンもアルフに『改造』する際に翅を与えるしかなかったんですから!)

 

 元よりアルヴヘイムの住人には飛行能力は備わっていない。アルフ達はオベイロンの手で『付与』されたものに過ぎないのだ。アスナの要求に応えることも、論破することもできず、オベイロンにはティターニアを狂人として扱う以外の選択肢はなくなる。

 だが、オベイロンがどれだけ言葉を並べても泥沼に嵌まるだけだ。だからこそ、彼が選択するのは放送の中止だ。システムウインドウにノイズが走り、アスナの顛末を知る術が無くなったシリカは胸の前で両手を組んだ。

 

(これで反乱軍はアルヴヘイムの戦いにかまけている必要は無くなりました。今の放送を聞いてオベイロンの御旗を掲げるのは、それこそ妖精たちの敵。憎むべき深淵に頭を垂らした逆徒。これからは反乱軍こそが……暁の翅こそが『絶対なる正義』になります)

 

 今まで敵と味方に分かれていた戦争は終わりだ。暁の翅はこれまでとは違い、『深淵に与したオベイロンを倒し、翅を奪還する』という最大級の大義を堂々と掲げられる。

 昨日の敵は味方と肩を並べるのは難しいだろう。殺し合っていた者たちが手を結んで仲良く背中を預け合うことは出来ないだろう。不和はあるだろう。だが、結束とは程遠くとも集結することは難しくない。

 ここぞとばかりに群雄割拠が始まるだろう。それぞれが打倒オベイロンを掲げ、新妖精王の座を狙う。暁の翅は最大勢力となって牽引するだろう。

 東の雄である女王騎士団は此度のティターニアの決死の告白を受け、彼女に捧げた剣をオベイロンに向ける。ティターニアの慈悲を踏み躙り、贖罪を拒絶したオベイロンを倒す為に。

 アスナの計画はシリカ達の勝機を育てるものだったのだ。消耗し続けるオベイロン派と反オベイロン派の矛先を纏めてショートカットしてオベイロンに向けさせる策だったのだ。

 ティターニアという立場であるアスナ以外には出来ない作戦だ。シリカは素直に彼女の命懸けの覚悟を認める。それだけの価値がある賭けだったと肯定する。

 

「お願いです、神様。どうかアスナさんを守ってください」

 

 だからこそ、シリカは誰とも知れぬ神に祈った。

 神などこの世にいない。それはSAOで嫌という程に思い知った。このDBOで虫唾が走るくらいに味わった。だが、シリカは祈らずにはいられなかった。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 それは無数のシステムウインドウ……データと映像が表示され続ける空間。

 DBO、その内にあるアルヴヘイムの『全て』を観察できる場所にて、デスクチェアに腰かけて戦況を見守る茅場昌彦の隣に立つ神代凛子は辛そうに目を細めた。

 

「『彼』のイレギュラー値が900の大台に乗ったわ。アルヴヘイムじゃなかったら死神部隊どころかセラフが派遣されているわね」

 

「今の彼では『まだ』セラフにもブラックグリントにも勝てないだろう。皮肉だな。計画外のアルヴヘイムの変質が彼の成長の手助けになるとは」

 

 落ち着いた声音ながらも、やや安堵が含まれている茅場に、神代は口元に珈琲カップを運ぶも、その黒い液体を飲むことは出来なかった。

 

「この状況はあなたにとって喜ばしいことなの?」

 

 それは1つの質問の為に。生前と変わらずに茅場の本心を読めない神代は、あの時にはしなかった彼の本音を引き出す踏み込みを躊躇わない。そして、この場に同伴することを許している茅場もまた、それを拒む気は元より無いのだろう。

 足を組み直した茅場は指を躍らせる。それはユウキと『彼』の戦いを全方位から撮影したような映像を彼らの前に並べ、また付随するあらゆるデータ……残量のHP・魔力・スタミナに至るところから、コンマで割り出されるステータス出力の微細な変動、そして仮想脳の活性化による仮想世界への干渉値……イレギュラー値の計測データまで揃っている。

 

「証明をする為の駒として送り込んだ2人。他のプレイヤーにも候補者はいるけど、あの2人が最有力だったはず。このままでは潰し合いよ」

 

「私もこの状況を歓迎しているわけじゃない。だが、彼らの選択だ。止める権利はない。それに『彼』もようやく『人の持つ意思の力』を使い始めた」

 

 これまで『彼』は『人の持つ意思の力』について半ば自覚がありながらも、それを禁忌として領域に踏み入ることはなかった。それは『人の持つ意思の力』とは仮想世界の法則を支配すること……すなわち、DBOを成すゲームシステムを制御下に置いて恩恵を引き出す行為だ。それは剣士であると同時にゲーマーでもある『彼』には……いや、他のプレイヤーと同じようにたった1つの命を懸けて戦わねばならないという意識が『チート』として忌むべきものとして封じ込めていた。

 今までも意図せずに発動することはあったが、それは『彼』が危機的な状況下に置かれたことによって無意識に仮想脳が応えたからだろう。だが、今回は違う。自己憎悪を根源とする『力』への渇望を燃料にして仮想脳がついに仮想世界の神の領域に触れた。

 あれこそがアイザックが忌み嫌い、怒りと憎しみを持って否定せんと挑むものだ。DBOの1つの側面とは、こうした『人の持つ意思の力』を得たプレイヤーを……いや、人間を絶望させ、屈服させ、破滅させることによって、そのような神の因子は存在しないとするアイザックの目論見である。

 人間はどうしよもなく弱く、醜く、浅ましい。故に仮想世界においても支配者となることを神に許されたような因子を人間が持つことを許さないのだ。

 逆に言えば、DBOの完全攻略には『人の持つ意思の力』を必須とした次元の戦闘が求められる。だからこそ、その全てを『システム内で認められた能力』の範囲内……自らの戦闘能力だけで、なおかつ単独でアイザックの否定の証明を担ったネームド・ボスを次々と撃破している【渡り鳥】は、証明の肯定・否定の双方からすれば計画の破壊者以外にならない。

 だが、ようやく茅場側の駒も準備が整い始めた。最有力候補だった『彼』がついに我が身に秘められた仮想脳の可能性を引き出し始めたのだ。神代としては、あの黒鉄の変態が証明の担い手とならなかったことだけは素直に喜ばしい。

 

「物理エンジンと運動エネルギーを無視したゼロモーションシフト。システムアシストであるが故にDEXを無視した超速の獲得。ランスロットの【深淵渡り】とヒースクリフのオーバーアシストの影響が濃いわね」

 

 それは彼から大切なもの、アスナと剣士の誇りを奪った『敵』の『力』だ。仮想脳が精神の影響を強く受けるならば、まさに今の彼を駆り立てる自己憎悪の根源……敗北に起因する喪失の元凶に結びつくのは不思議な話ではない。既にランスロット戦でその片鱗は既にあった。

 だが、自らの意思で抑制の象徴だったアドヴァンスド・ナーヴギアの性能を解放した事がトリガーになったのだろう。ついに仮想脳はイレギュラーとしての能力を本格的に発揮し始めた。こうなれば止まらない。今までは彼が『プレイヤー』として戦おうと固執していた余りに、またその精神状態も合わさって、イレギュラー値は想定以上に引き上げられることはなく、死神部隊の派遣を免れていた。

 しかし、イレギュラー値は決壊したダムのように上昇を止めない。こんな状態でアルヴヘイムから1歩でも出れば、セラフとブラックグリントによる挟撃という最悪の展開になる、まさに茅場の後継者ことアイザックにとって絶好の展開だった。しかもセーフティ解除の意味合いを持つユウキのアンロックと違い、『彼』の場合は1度アンロックすれば再度の封印は不可能だ。この先はアドヴァンスド・ナーヴギアの性能も助けとなり、イレギュラー値はだだ漏れ状態だろう。

 だが、それは肯定の証明の担い手として避けられない戦いだ。死神部隊を……管理者で否定の証明を最も担うブラックグリントとの決戦は避けられないのだから。

 

「これくらいは出来てもらわねば困る。ランスロットはそもそもプレイヤーの限界を超越したネームド、アルトリウスと同じアイザックの否定の証明の担い手だ。アイザックも『人の持つ意思の力』で挑む『彼』を捻じ伏せることを前提でランスロットを準備している。ようやく今の『彼』はランスロットと戦える土台ができたとも捉えられる。それは結果的にアルヴヘイムのクリアの必須条件を満たした1歩だ」

 

 逆に言えば、『人の持つ意思の力』……心意無しでは倒せない程にランスロットは強過ぎるのだ。それはネームドとしての性能以上に、ランスロットという自意識を獲得したAIの戦闘能力が余りにも強大なのだ。同じく否定の証明を担っていたアルトリウスさえも倒した、計画の破綻をもたらし続けた【渡り鳥】でさえも、その人外の戦闘適性でも及ばなかった。

 あるいは、かつてのアインクラッドのように、黒と白が並び立てば、ランスロットに勝機が見えるかもしれない。だが、ユウキと『彼』の殺し合いが始まってしまった以上、もはやそれはあり得ないことだろう。この戦いは『死』以外で幕閉じしないことくらいは、戦闘に慣れ親しんでいない神代でも見抜けることだ。

  

「『人の持つ意思の力』は……心意は、その名の通りに心に応える。仮想脳は精神と強く結びついている。以前にも言った通り、『彼』の精神は中途半端だった。アスナ君を取り戻さんとしながらも、心の迷いを持っていた。どれだけ隠しても揺らぐ想いに仮想脳は応えない。だから、たとえ憎悪であるとしても、今の『彼』は『力』を渇望した。仮想脳が応え、DBOのシステムに干渉するほどにね」

 

 茅場の言う通り、アルヴヘイムを……いや、DBOをクリアする為には必要不可欠な成長だったのかもしれない。ここで獲得した『力』が回り回って結果的に多くのプレイヤーを救うかもしれない。だが、神代にはどうしてもこれが『成長』だとは呼びたくなかった。憎悪で焼かれながら得た『力』で、旅を共にした少女に斬りかからんとする様は悲劇にしか見えなかった。

 気持ちが表情に浮き出ていたのだろう。茅場は一理あるというように小さく息を漏らす。 

 

「悲劇が『英雄』を生むと言う気はない。ユージーン君もまた心意の扉を開いたが、結果的に彼女を救えなかった無念が巣食った」

 

 レギオンプログラムに蝕まれたサクヤの死はユージーンを歪めてしまった。そして、サクヤに直接的な死をもたらしたのは、証明の破壊者である【渡り鳥】というのも皮肉な結末だった。

 その【渡り鳥】は今も一直線に約束の塔を目指している。神代は恐怖と共に哀れみを覚える。彼は止まらない。決して心折れずに戦い続ける。殺し続ける。それもまた悲劇にしか見えなかった。

 ユウキと『彼』の戦いも結末が近づいている。戦況は圧倒的に『彼』が優勢だ。同じデーモン化でも、ユウキはDEXの中強化と飛行能力の獲得が主である低燃費型だ。対してUNKNOWNはプレイヤーでも数名しかいない竜人型である。中燃費であるが、STR・DEX・防御力・スタン耐性・各種デバフ耐性をハイレベルでバランスよく高める。まさにユウキの天敵のようなデーモン化だ。

 そして、デーモン化は多くのスキルや属性の影響を強く受ける場合がある。たとえば、呪術……特に混沌の火はデーモン化状態では大きく攻撃力が引き上げられる。このように、スキルや性質はデーモン化にダイレクトに影響を与える。そして、『彼』の誓約は特異であり、その誓約スキルはデーモン化に影響を及ぼす類のものだ。

 DBOプレイヤーでも稀有で獲得条件が困難な誓約はある。たとえば、『深淵系ネームド・ボスの単独撃破』と『聖剣との接触』が必要不可欠な誓約『深淵狩り』は最難関の1つであり、実質的に【渡り鳥】以外にいない。そして、UNKNOWNが持つのは、DBOでも少数が獲得している古竜誓約である『古竜への道』の亜種にして異端『黒竜の秘奥』だ。これは『1人』しか獲得できない、言うなればユニーク誓約である。

 それは黒竜カラミット……さらに言えば光の黒竜ギーラに通じる誓約であり、『彼』が持つ誓約スキル≪光黒の竜鱗≫はデーモン化時に、全ての攻撃に竜の力を付与する。ユウキがギリギリで回避しても体勢が崩れそうになっているのは、単に剣速の影響ではない。全ての攻撃に追加範囲が付与され、衝撃を与えることが可能なのだ。無論、実際に叩き込まれれば衝撃は凄まじい。それはまともに剣戟すらできなくなっている時点でユウキも薄々感じているだろう。他にも多くの能力が与えられており、その恩恵は他のデーモン化とは一線画す。

 そして、ユージーンの時は『人の持つ意思の力』の干渉によって変異をもたらしたが、『彼』の場合は『第二段階』という形で現れた。古竜の証明たる不死の鱗の如く、プレイヤーにオートヒーリングとスタミナ回復上昇、アバター再生能力、そして更なるSTR強化をもたらしている。アバターはより竜に近しいものになり、まるで人型の黒竜のようだ。

 ドラゴンというDBOでも規格外。それをプレイヤーにもたらすような強化作用。それが寄りにもよって『彼』にもたらされたとなれば、アイザックの癇癪はコード999を発令しかねないものなのではないだろうかと神代は心配した。何せ、デーモン化というアイザック肝入りの自己進化システム程に『人の持つ意思の力』は相性が良いものはないのだ。その自己強化システムに干渉し続ける。

 故に神代はまたしても白い傭兵を思い浮かべる。彼のデーモン化はある意味で全プレイヤーにおいて最も使い辛く、まともな恩恵すら得られず、だがデーモンシステムの深奥に最も届いている。『人の持つ意思の力』ではなく、自らの本質のみでその領域にあるとは、正しくバケモノと呼ぶしかない。だが、彼はそのVR適性の低さが枷となり、使いこなすことは出来ないのは確定であり、故に神代は研究者の目線で残念にも思えた。

 

(でも皮肉ね。かつて聖剣に見えた光の黒竜ギーラを知る、唯一無二の黒竜誓約の保有者なのに、聖剣の資格がないなんて)

 

 鱗の無い白竜シースに簒奪された黒竜ギーラの聖剣。そして、聖剣という『力』を渇望する黒竜誓約者に、コード:MOONLIGHT=HOLY BLADEは見向きもしない。それは逆に言えば、彼がVRに本来の肉体以上に馴染み、また適合している証明でもあるのだが、無情にも欲する者に聖剣は『導き』をもたらさない。

 このままならば、ユウキは犠牲になるが、UNKNOWNが『人の持つ意思の力』の証明者として勝利するだろう。だが、茅場の顔色は曇るばかりであることに神代は致命的な盲点に気づく。

 それはデーモン化制御時間。ユウキのそれの消費は元々低燃費という事もあって緩やかであり、まだまだ余裕もある。だが、『彼』は燃費が相応にかかる上にデーモンシステムによって引き出された凶暴性に囚われ、加速度的にデーモン化制御時間は減っている。

 このままでは強制的に獣魔化し、プレイヤーからモンスターに成り果てるだろう。そうなれば、茅場は肯定の証明の担い手の最有力候補を同時に2人も失うことになる。

 

(まさか、アイザック君はここまで計算してデーモンシステムの導入を?)

 

 デーモンシステムは仮想脳と相性が良すぎる。だが、仮想脳が精神状態に左右されるならば、プレイヤーの凶暴性を高めて戦闘能力を強引に引き出すデーモンシステムは、まさにイレギュラーを狙い撃ちにできるトラップでもある。

 まさかそこまで考えて? 茅場が焦りを少しずつ滲ませるのも仕方ないだろう。なにせデーモン化した状態のまま引き上げられた凶暴性に振り回されて解除せず、そのまま獣魔化してしまったプレイヤーは実例として存在するのだ。ユウキを撃破しても戦いを止めず、アスナを目指し続けるならば、彼がデーモン化を意図して解除するかは微妙なところなのだ。

 そう神代の意識が逸れた数秒の内に、戦場は変化が訪れ、茅場は悟ったように瞼を閉ざす。

 

「そうか。ユウキ君、キミもまた……『人の持つ意思の力』をこじ開けるか」

 

 

 

▽   ▽   ▽

 

 

 それはゼロモーションシフト。UNKNOWNの姿がブレたかと思えば、フォーカスロックで追うのも限界なほどのシステムアシストを受け、驚異的な機動で回避、接近、退避を行う。

 その姿がブレたかと思えば右に左に前に後ろに、時には頭上に移動する。それは分かっていても、余りにもモーションが無さ過ぎて不意を突く。

 それはユウキの類稀なる反応速度とフォーカスロック能力が無ければ、ランスロットに相対したように、魔王ヒースクリフに挑んだように、成す術なく刻まれるだろう。

 だが、ユウキの頭は冴えたまま、冷静だった。それは我が身の死を恐れぬが故に。

 

(確かに躱すにしても防ぐにしてもギリギリだけど、逆に言えば出来ているってこと。逆転の目は残ってる)

 

 もはや折れた左腕では暗月の銀糸は使えない。残された右手のスノウステインもいつ折れてもおかしくない状態だ。だが、ユウキは勝機を見落とさない。

 新たに得たゼロモーションシフト。それはスキルがもたらすものでもなければ、システム外スキルでもなく、プレイヤースキルでもない、茅場がユウキをDBOに誘った理由を成すものなのだろう。UNKNOWNはそれを見せつけるように使っている。その様は他でもない自分自身に『力』を得たのだと叫び散らしているようだった。だが、それ故に疲労の蓄積も目立っている。

 ゼロモーションシフトは大きな負担をUNKNOWNにもたらすのだろう。紙一重の回避を続けるユウキ以上にUNKNOWNは消耗している。システムのスタミナではなく、脳に大きな負荷をかけてしまうのだろう。それは徐々にUNKNOWNの攻撃に雑さを滲ませていた。

 次にゼロモーションシフトの限界点をユウキは見切る。まず1つ目に、その動きは直線しか不可能であること。曲線を描くことも無ければ瞬間移動でもない。あくまで座標と座標を繋いで高速移動しているだけだ。融通の利かない超加速の≪歩法≫ソードスキルだと捉えれるだけで精神に余裕が生まれる。未知のまま対峙するのではなく、持てる知識の枠組みに押し込むのだ。

 そして、次にゼロモーションシフトは移動距離が伸びれば伸びるほどに速度が目に見えて落ちる。これはUNKNOWNが無意識で発動しているのではなく、自分で移動点の座標を検索して発動しているからだろう。また、ゼロモーションシフト中も実体があるので攻撃も当てられるし、UNKNOWNも迎撃行動が取れない。

 ユウキは翅を利用して低距離低空ならばある程度自由を持って飛べる。対してUNKNOWNは大小2対の竜翼を得ているが、それは飛行能力よりも跳躍の強化と僅かな滑空と空中での姿勢制御という面が大きい。無論、ここまで動けるのは2人がまるで自身の指を動かすように、呼吸するように負荷も気にせずに随意運動できるからこそである。

 UNKNOWNが跳び込む。ユウキの前面に迫ったと思えば、全身を使ったショルダータックル……いや、投身による剛打を穿つ。同時に発生したのは、竜の咆哮であり、半透明の咆える竜の頭部にエフェクトが生じる。それにも攻撃範囲が含まれているのだろう。エフェクトに当たった地面が爆ぜ飛ぶ。

 直撃していたら不味かった。ダメージは無くとも衝撃で吹き飛ばされる範囲までしか『逃げきれなかった』ユウキは地面で頬を擦り、口内に広がる血と混じった唾液を吐いた。

 あの竜体に変化してからよりSTRが強化されている。もはやデーモン化の領域を超えかねないブーストだ。それはステータスの高出力化ではなく、バフなどによる直接的強化に近しいからこそ、脳に負荷をかけることはない。今の高出力化で何とか食らいつけているかどうかのユウキとは正反対だ。

 

「足りない! もっとだ! もっと『力』を!」

 

 距離を取ったかと思えば、右手のメイデンハーツを握ったままUNKNOWNは右手と中指を合わせてユウキを指す。するとその先端に白い光が凝縮していく。それはドラゴンのブレスに似て、だが火炎ではなく、その黒い竜殻と鱗に反するような光属性を示す白の輝きだ。

 レーザーの如き白光が放たれる。ユウキがギリギリで躱せたのは、その凝縮に時間がかかり、また射線を見切ること自体は難しくなかったからだ。だが、それでも回避は困難を極め、紙一重と呼べるものだった。

 光属性特有の浄化されるような白い光の粒子が攻撃跡から立ち上り、まるでドラゴンのブレスが突き抜けた様に地面は抉れ、背後の水面で爆発が起こる。雨ではなく泥水の飛沫が降り注ぎ、ユウキは『力』への快感に酔いしれるように煙を上げる指先を突きつけたままのUNKNOWNを悲しみを持って見つめた。

 

「そんな『力』を得られて……嬉しい?」

 

 怒りでも憎しみでもなく、穏やかにユウキは告げる。圧倒的優勢にあるUNKNOWNには負け惜しみに聞こえるはずだ。だが、そんな些細な一言に彼は狼狽して頭を振る。

 

「……俺を見るな。そんな目で俺を見るな! 俺は強くなったんだ! ようやく『力』を手に入れたんだ! もう誰も失わない! 死なせるものか! 助けるんだ! 全員守るんだ! 今度こそ、俺がクーの前を走るんだ!」

 

 まるで自分を守るように2対の翼が振り回される。それは硬質さを武器としたように周囲を抉り、また破砕していく。

 

「ごめんなさい。許して許して赦して赦して赦して赦して赦して赦して赦して赦して赦して赦して赦して赦して赦して赦して赦して赦して赦して赦して赦して赦して赦して赦して赦して赦して赦して赦して赦して赦して赦して赦して赦して赦して赦して赦して赦して赦して赦して赦して赦して赦して赦して赦して赦して赦して赦して赦して赦して赦して赦して赦して赦して赦して赦して、みんな赦してくれ! 俺が弱かったせいで、死んだ。たくさん死んだ。死なせた。アスナ、キミだけは絶対に死なせないと誓ったのに!」

 

 自責と贖罪。罪と向き合い過ぎたが故に壊れてしまった心の叫び。それこそが『力』の渇望をもたらす憎悪の根源なのだろう。故に願望に囚われ、剣に……矜持ではなく『力』に憑かれた鬼となったのだろう。

 

(ボクたちは……似ていたんだね)

 

 ならば、ユウキが蛇蝎の如く彼を嫌ってしまっていたのは、ある種の同族嫌悪だったのかもしれない。ユウキは今にも折れそうなスノウステインを振り、意識を研ぎ澄ます。

 既に満身創痍。スタミナ切れは間近。魔力残量無し。左腕は折れている。だが、大好きな人はいつだってこんな状況から『力』で苦難を捻じ伏せたはずだ。それは『彼』と相対するユウキにとっては何処までも皮肉で、冷たい真実で、そして優しい焔だった。 

 

(突き崩すには最大のソードスキル……マザーズロザリオしかない。だけど、今のボクに見切れる?)

 

 ゼロモーションシフトの最大距離は5メートル。連続発動は3回が限度。移動距離に応じて速度は落ちる。移動中は無防備。ユウキに集められた情報は以上であり、ここからもカウンターさえ当てれば勝機はあった。

 欲しいのは火力と見切り。ユウキは右腕を伸ばし、スノウステインを水平に構える。

 

「マスターコード『ヒースクリフ』。プレイヤーコードの認証を開始。生命維持装置1番から3番……ううん、4番まで停止。VR接続リミッターを解除」

 

 元より対【黒の剣士】を予定していたのだ。使うことに何の躊躇があるだろうか?

 ここからは死の領域だ。限りなく自らの死に触れ、一体化し、剣と1つになる。この剣が折れた時とは、スリーピングナイツの誇り、【絶剣】としての『力』の敗北、そして穢れに呑まれることを意味する。

 全力全開。今まで濁っていたと感じるほどに、より密接に、ユウキ本来の領域でアバターと繋がる。

 

 

 そして、世界が止まった。

 

 

 極限のスローペースになった世界。

 アルヴヘイムの時間加速。それは通常以上に情報密度と交換速度を増やして強引に脳の体感時間を加速させるものだ。故に高VR適性者ほどに感じるストレスは少なく済む。

 仮想脳は思考加速をもたらす。そして、彼女の仮想脳……『人の持つ意思の力』は時間加速を掌握する。

 ユウキだけが他の全てを置き去りにして時間加速をする事は難しい。だが、主観として膨大な最大量まで時間加速による情報量を高め、それを意識下に置くことによって、全てを最遅にして認識することを可能とする。そして、更にそれはシステムの裏側……あらゆるモーション情報を彼女に流し込み、世界を観測させる。

 UNKNOWNがゼロモーションシフトならば、ユウキが得たのはゼロタイム。直接的な攻防ではなく観測する為の『力』。

 

(……奇麗)

 

 それはまるで『糸』のようだった。世界に張り巡らされた蜘蛛の糸のように、ユウキが感じ取ったのは、仮想世界を形成するあらゆる情報の繋がり。雨粒の1つに至るまでを感じ取って理解する。

 仮想脳が精神に影響されて心意を発露するならば、観測した情報に『糸』を感じたのは何故なのか。

 

(そっか。クーがいつも本能の一言で済ませているのは……こんな世界なのかもしれないんだね)

 

 きっとユウキのようにゼロタイムで見ている風景ではないのだろう。彼の未来予知とさえ思える本能の業は、こんな裏技ではないのだろう。だが、大好きな人に少しだけ近づけたような気がして、ユウキは嬉しくて笑ってしまう。

 ゼロタイムが終わる。頭痛の波が押し寄せて意識が奪われそうになる。それだけの高負荷だったのだ。たった1度でこれなのだ。ならば、自分よりも負荷が小さいとしても連発しているUNKNOWNは壊れる寸前なのかもしれない。

 だとしても、もう決着をつける方法は剣以外にない。ユウキはゼロタイムで観測した情報のままに剣を振るう。それはクゥリがよく見せる、人外染みた相手の動きを読み切った攻撃のように、UNKNOWNの胴を両断する勢いで薙いだ。

 

「うがっ!?」

 

「負けない。負けられないんだ」

 

 ユウキに許されたリミッター解除の時間は最大で60秒。それ以上は生命維持に支障をきたす。故に茅場が設けた制限だ。だが、残り60秒を2連続で使用すれば、最大で120秒ある。それだけの時間でUNKNOWNを仕留めねばならない。

 神速を超えろ。ユウキの剣と初速は常軌を超える。ゼロタイムはあと1度使えるかどうかだろう。UNKNOWNのように連発すれば自滅をもたらす。

 本来ならば間合いを圧殺するはずの≪二刀流≫にして『英雄』だったはずの男の二刀流。それが一刀流の、忌むべき犯罪ギルドに属するはずの『悪党』であるユウキに遅れる。対応しきれなくなる。

 

(もっと速く。もっと速く! 彼の『力』を破壊する為に!)

 

 それはまさしく絶剣。アバターを置き去りにするような加速を成すのは仮想脳の蠢き。反応速度という初速のみならず、DEXが根本的に引き上げられていく感覚があった。

 妖精たちが翅を失った世界で、ユウキは闇色の翅を羽ばたかせる。

 舞うような終わらぬ全方位からの斬撃。それはいつかの誰かの神楽に似て、UNKNOWNの竜体を……ドラゴンの鱗を持つとも見紛う体を裂いていく。

 だが、UNKNOWNの肉体は際限なく再生する。片手剣の破損と威力不足。≪集気法≫による回復強化とこの竜体では更に同様の効果もあるのだろう。二重による回復と再生によってユウキの剣がまるで届かない。

 そのはずだった。だが、ユウキの剣速が極限に達した時……彼女の刃は淡く光を帯びる。それが何かのシステムウインドウを表示させる。

 

 

<習得条件をクリアしました。ユニークスキル≪絶影剣≫を解放します>

 

 

 届いた。ユウキは彼女のイメージに適した黒紫の光を帯びたスノウステインを構える。

 ユウキは知らない。それはDBOに追加された≪二刀流≫に対を成す、習得条件の1つに同じくVR適性の高さに由来する反応速度が設定されたものだ。

 お返しとばかりにユウキの姿が『ブレ』る。だが、それは幻惑するようなエフェクトのもたらすものであり、まるで影を置き去りにしているかのようだった。

 それはまさに『影を絶つ剣』。黒紫の光を帯びたスノウステインを振るえば、僅かに遅れて幻影の刃が追随する。それもまた半実体を持つ。

 ダブルアタック。まるで1人で2人分の火力を得たように、ユウキの攻撃の全てを幻影の刃が這う。それをUNKNOWNは左手のドラゴンクラウンで受け止めるも、遅れた幻影の刃がスノウステインに重なれば、衝撃も単純計算で2倍。ユウキのSTRの無さを侮っていたUNKNOWNはまさかの重さに揺らぐ。引き上げられたDEXのみならず、瞬時に翅で加速することによって威力のブーストも行っている。

 

「来い!」

 

 情報が流れ込む。まだ未知のはずの≪絶影剣≫の使い方が分かる。ユウキの掛け声と共にスノウステインを写し取ったように、無数の黒紫の結晶体の片手剣が彼女の周囲に8本出現し、それは浮遊するソウルの塊のように飛来する。そのいずれもが『闇術と同じスタミナ削り効果』を持つ。それは『物理特化』の≪二刀流≫に対して『魔法剣』の≪絶影剣≫であるが故にか。

 飛来した闇の結晶剣を迎撃するUNKNOWNだが、砕けた途端に爆発が起き、闇に蝕まれる。元より高い衝撃とスタン蓄積効果を持つ闇術の特性を持つならば、いかにデーモン化状態……その中でもトップに君臨するドラゴン系列でも膝をついて動けなくなるのは必定。

 

(魔力が足りない! これ以上の上乗せは出来ない! だけど!)

 

 スタミナの消耗を増やすのが≪二刀流≫ならば、全ての攻撃に魔力消費を伴うのが≪絶影剣≫だ。元より魔力が枯渇していたユウキではようやく得られたユニークスキルを駆使できる時間は限られていた。

 だが、元より時間は無い。リミッター解除の制限時間が近づいている。その前にUNKNOWNを止める。殺してでも止めるとユウキは殺意を尖らせる。

 

「アスナ……今……行く、ぞ」

 

 奥の手なのか、≪集気法≫の輝きと共に赤く点滅していたはずのカーソルは元のグリーンに戻る。だが、全身を深く斬りつけられたUNKNOWNの再生はさすがに脆い。それはユウキがドラゴン……古竜を倒した神族の伝承に倣い、鱗を『剥ぐ』ように斬りつけ続けた成果だろう。

 このまま倒しきる。そうユウキがタイムリミットの魔力危険域のアイコンが激しく点滅する中でラッシュをかけようとした時、UNKNOWNの視線が不意に別のところに向かう。

 それはUNKNOWNを約束の塔に近づかせない為に解除されたはずの跳ね橋。今はそれが接合し合って1本の直線を成している。

 一体誰が!? ユウキが困惑するより先に、ついに最短ルートで約束の塔に向かえる道が得られたとばかりにUNKNOWNはユウキを無視してゼロモーションシフトと竜翼を利用して跳ね橋に向かう。ユウキも翅を使って最速で追いかける。

 

「行かせない!」

 

 出会い頭の再現のように、ユウキは追いついたUNKNOWNに刃を振り下ろす。それをドラゴンクラウンを掲げて防いだUNKNOWNだが、あの時と同じように足止めされ、怒り狂ったように唸る。

 着地と同時に姿勢を崩し、意識を手放しそうになりながら、ユウキは折れた左腕をだらりと垂れ下げる。

『人の持つ意思の力』を駆使したDEX強化、デーモン化の負荷、折れた左腕のフィードバック、同等の反応速度を持つ者同士による熾烈な削り合い、そしてリミッター解除の影響によって、既にユウキは立つのもやっとの状態だった。それでも、彼女の持つOSS……マザーズロザリオの構えを取ったのは、この戦いに全てを捧げるが故に。

 外れればユウキの負けだ。死は免れない。逆にさすがのUNKNOWNも11連撃……いや、≪絶影剣≫がソードスキルにも影響を及ぼすならば、2倍の22連撃にも及ぶソードスキルを被弾すれば命は無いだろう。

 

「……どうして、こうなったんだろうね?」

 

 UNKNOWNは何も答えない。だが、これが最後の攻撃になると感じ取ったのだろう。先ほどまでの暴れ回るようなゼロモーションシフトではなく、剣士としての構えを取るように2本の剣を交差させる。

 雷鳴が轟き、豪雨が濡らし、双方の刃は唸る時を待つ。反応速度という条件を持つ同じユニークであり、性質も似ているのも必然。そして、お互いに最後にかけるのは連撃系ソードスキルだった。

 

 

 狂える黒竜を模した剣士が繰り出すと決めたのは、数多の文献で『英雄』と共にその名を示す≪二刀流≫の代名詞である連撃系のスターバーストストリーム。

 

 眠れる騎士たちの誇りを背負う少女が放つと誓ったのは、過去へ郷愁と愛しき人への想いを乗せた、剣1本ならば最多となるOSSの極致マザーズロザリオ。

 

 

 

 互いに剣速は剣聖と謳われる域。ならば勝負を分かつのは何か?

 それは『人の持つ意思の力』を振り回し続けた戦いの全てを否定するようなシンプルな戦術的回答。

 ユウキの放つソードスキルが何なのかは見抜けずとも正面から突進する類のものだろうと『剣士』の読みで見抜いたUNKNOWNが、攻撃を食らいながら≪二刀流≫という連撃で押し返すスターバーストストリームの選択は、高VITかつデーモン化によって攻撃力と防御力の両方が引き上げられているからこその最適解だ。

 対してユウキは【黒の剣士】研究を怠らず、その発動モーションの構えから彼がいかなるソードスキルを使用し、またこちらの攻撃を受けながら反撃して耐久力が少ないユウキを斬り伏せるつもりだと見抜いた。

 瞬間、UNKNOWNにはユウキの姿が消えたように映っただろう。そして、それは限りなく正しい。

 

(クーの十八番……≪歩法≫のスプリットターン!)

 

 半月を描いて相手の背後に回り込む独特の移動系ソードスキル。そして、翅によって橋の外側すらも飛び駆けることが許されたユウキだからこその、UNKNOWNの読みを完全に欺いた裏取り。

 ソードスキルを発動すればスタミナが消耗する。だが、一方でスタミナ消耗量に対して残量が不足していても発動できる。『1』でもあれば、どんなソードスキルでも発動できる。それはスタミナ切れの状態でも戦い続ける事を可能としたクゥリだからこそ熟知したシステム仕様であり、ユウキも教わっていた。

 おそらくはUNKNOWNもシステムの仕様は認知していただろう。だが、彼の場合は『いかにスタミナ切れにならないか』という当然の思考であり、『スタミナ切れの状態でも戦闘を続行する』という視野を得ていたのは、DBOでもただ1人……白の傭兵だけである。そして、彼を愛し続けたユウキだからこそ、同じ極地を踏むことを躊躇わなかった。

 スタミナ切れの状態となり、呼吸の仕方が分からなくなる。体のバランスが崩れる。運動アルゴリズムとの接続が乱れ、立っていることさえも困難になる。

 

(こんな状態で、クーは、何度も、戦って……苦しい……苦しいよ!)

 

 だが、ユウキは崩れなかった。背後を取り、正確にOSSの軌道モーションを引き起こす。

 それでも超人的な反応速度も合わさり、ユウキの狙いに勘付いて反転したUNKNOWNは、何処までも『剣士』として優秀だっただろう。だが、そこまでだった。

 ソードスキルの光を帯びた11連撃に≪絶影剣≫の幻影の刃が付随して攻撃が倍化する。振り向いたUNKNOWNの余すことなく吸い込まれる。そのカーソルは一気に赤く染まる。だが、20を超える≪二刀流≫に匹敵する連撃をクリーンヒットしたにも関わらず、UNKNOWNは倒れない。

 1つ目の原因は火力不足。マザーズロザリオは突きメインである。だが、UNKNOWNとの戦闘によってスノウステインは破損を繰り返し、その切っ先を大きく欠けていた。加えてスタミナ切れの影響を引き摺り、十分にモーションをなぞって火力を上乗せできなかった事も要因となった。

 2つ目は≪絶影剣≫の熟練度不足。確かに攻撃数を単純に倍化できるが、それは本体となる剣の火力をそのまま写し取るものではない。まだ成長していない≪絶影剣≫では5割程度のものだった。

 3つ目はUNKNOWNの超人的な判断力。攻撃を回避できないと悟ったUNKNOWNは瞬時に≪集気法≫でも瞬間的に大防御力アップをもたらすものを発動させた。自らも動けなくなり、効果時間も短いが、相手の大攻撃に耐えれる『ガードスキル』は、コンマの差でマザーズロザリオが直撃する前に発動していた。

 倒れない。UNKNOWNのHPは健在である。だが、マザーズロザリアを受けたUNKNOWNはスタン状態となり、完全に動きが停止する。対するユウキもまたソードスキルの硬直によって追撃が仕掛けられなかった。

 どちらが先に復帰するか。それは超絶を尽くし、ゲームシステムさえも凌駕した殺し合いにまで発展した2人を嘲う天運とシステムの兼ね合い。

 

(……殺った!)

 

 先に動いたのはユウキの方だった。UNKNOWNの全身から溢れていた覇気が死への恐怖で染まる。ゼロモーションシフトを絞り出せないほどに疲弊してしまったのだろう。あるいはユウキの剣に死の恐怖を見たが故に、精神に左右される仮想脳が応えなくなったのか。

 

(姉ちゃん! スリーピングナイツのみんな! クー! ボクはやっと……!)

 

 アスナの覚悟を守り切ったのだ。【黒の剣士】を倒すのだ。これで穢れは清められる。

 姉も皆も笑ってくれる。許してくれる。あの日、孤独に怯えるままに呪った自分を受け入れてくれる。

 病室の暗闇を蝕む穢れは失せ、クゥリに会いに行ける。

 

(ずっとずっと伝えたかった! 愛してるって! 好きだって! ボクはクーが大好き!)

 

 幻視したのはいつも寂しそうに微笑んでいるクゥリだった。

 

 不思議なくらいにクゥリは『笑顔』を見せない。取り繕っているか、何か歪んでいるか、そのどちらかの笑顔しか見せない。本当に幸せそうな笑顔は涙と同じくらいに見たことが無かった。

 

 いつか満面の……本当に幸せそうな……何1つとして苦しみも無い『笑顔』を見たい。それはユウキの細やかな望みだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 だが、もしも『親友』をユウキが奪ったならば、彼は『笑顔』を咲かすことはできなくなるかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それは微かな迷い。故に剣速は鈍り、復帰したUNKNOWNはメイデンハーツを振り上げる。ユウキは回避しようとするが、リミッター解除の60秒が経過し、反動の訪れとスタミナ切れが重なって足が動かなくなる。

 

「マ――」

 

 再度のリミッター解除の申請。だが、その文句が述べられるより前にUNKNOWNの剣は迫る。

 彼女に出来たのは細い腕で、刃毀れし、亀裂だらけのスノウステインを掲げることだけ。その分厚い刃に対して、余りにも細い剣で我が身を守ることだけだった。

 機械仕掛けの剣の刃は、冷気を帯びた刀身に触れ、亀裂を拡大させ、砕く。

 

 

 

 

 そして、ガードを突破した刃はあっさりとユウキの肩に侵入し、肉を深々と抉った。

 

 

 

 

 ああ、こんな終わりか。

 袈裟斬りにされ、自分の内側から噴き出た血飛沫の熱とダメージフィードバックに溺れながら、ユウキは剣鬼の『力』による勝利の歓喜を聞く。

 痛みは無い。それは救いか、あるいは罰なのか。ユウキは減少を止めないHPバーを見つめる。残された時間の僅かで何かを思い出そうとする。

 姉。スリーピングナイツ。病室。チェーングレイヴ。アスナ。そして……クゥリ。

 

 助けないと。

 

 せめて『彼』に太陽の光を。

 

 ボクと同じように暗闇の穢れに囚われる前に……クーの『親友』に示さないと。

 

 そうしないと、クーはきっと殺してしまう。『親友』さえも殺してしまう。いつもの寂しそうな微笑みと共に彼を狩ってしまう。

 

 そんな真似だけはさせたくない。

 

「ねぇ、その剣……泣いてるよ? とっても苦しそうに……泣いてる」

 

 だから、ユウキに出来たのはたった1つの『剣士』としての呼びかけだった。

 絶剣の血を啜った機械仕掛けの剣、メイデンハーツ。それはマユが『英雄』の為に仕立てた剣だ。その願いと道のりを加護する為に鍛え上げたはずだ。

 だが、ユウキには雨と血を混ぜ合わせ、刀身の回路の溝に染め上げるメイデンハーツが苦しそうに涙を流しているように見えた。

 

「大丈夫……『まだ』……大丈夫、だよ。キミは……『答え』を出していない、はず……だから」

 

「黙れ。黙れぇええええええええええええええええええええええ!」

 

 ああ、やっぱりボクもクーと一緒だ。言葉で伝えるのが苦手だから。だから、剣でしか語れなかったのだろう。行動で伝えることしかできなかったのだろう。いつだって『人』はその口で言葉を紡ぐことができるはずなのに、『彼』と語らえなかった。

 選択を間違えたのは……ボクもだったのかな? ユウキは優しく微笑みながら、きっとUNKNOWNならば……かつて鉄の城を駆け抜けた『英雄』ならば……クゥリの『親友』ならば、本当は気づいているはずだと信じて、迫る怒り狂った竜神を宿す剣を見つめる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、ユウキの想いは意味をなさず、竜神の剣は肉を貫き、骨を砕き、鮮血を散らした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 温かな血が頬を濡らす。

 ユウキは震えながら、突き出された黒い刀身のドラゴンクラウンに触れた。

 

 自分ではなく、庇うように間に入ったアリーヤを貫いた刃を撫でた。

 

 黒狼は自分を刺し貫いた竜神の剣に苦しむように唸り、だが、臆病なはずの彼はその大顎を震わせて咆える。それは圧を伴い、UNKNOWNを僅かに押し飛ばす。

 糸が切れた様に膝をついたユウキを傷つけないように咥え、アリーヤは駆け出した。それを即座に追ったUNKNOWNの剣は、本来の黒狼ならばギリギリで躱せただろう。だが、ユウキを引き摺り、また守る為に、その身に更なる深手を負う。

 そして、アリーヤは跳ぶ。橋から大きく跳躍し、メイデンハーツの一撃を背中に大きく刻まれながら、濁流の中に跳び込んだ。

 明暗する意識と視界の中でユウキが見たのは、アリーヤの雄々しくも優しい眼だった。

 

 

▽   ▽   ▽

 

 

「アスナァアアアア! この! 僕を! 何処まで! 愚弄すれば気が済むんだい!?」

 

 オベイロンは何もしていない。だが、アスナは見えない何かによって全身を強打され、床を転がりながら血反吐を垂らす。

 何かがオベイロンを守っている。それはアスナも『経験』から分かる。だが、音もなく、ニオイもせず、気配すらなく、ただ攻撃がもたらすダメージフィードバックだけがアスナにオベイロンを守護する『何か』の存在を教える。

 

「私が……あなた程度の男に……尻尾を振る女に見えた? 心外ね」

 

 皮肉にもティターニアのドレスの防御効果は絶大であり、アスナのHPの減りは鈍い。だが、アスナの挑発に、もはや妖精王の威厳もなく頬を引き攣らせたオベイロンは右腕を振り上げて下ろす。すると転がるアスナの腹に衝撃が走り、約束の塔の縁に叩きつけられる。

 

「この妖精王に! 新たな世界の支配者に! そんな口の利き方は許されないぞ! こんなものでは済まさない。じわじわと嬲り尽くしてやる!」

 

「やれるものなら……やってみなさい。自分の……手を……汚すこともできない……臆病者!」

 

 もっと近づけ。もっと怒りに駆られろ。アスナは懐に忍ばせた暗器……【影人の短剣】を意識する。宗教都市で仕入れた骨董の暗器であり、見た目はただの直方体であるが、カラクリによって刃が飛び出して短剣になる。

 仕込んであるのはシリカが作ってくれた麻痺薬だ。オベイロン相手では気休めであるが、心臓を刺し貫き、そのまま約束の塔から落下させるのがアスナの狙いである。

 だが、普通に攻撃してもオベイロンを仕留められない。攻撃を当てられたとしても、そのまま翅の加速で約束の塔から突き落とすには、完全に胸を不意打ちで刺すしかない。不可視の護衛がいるならば、尚更粘り強くチャンスを待つしかない。

 だが、頭に血が上っているオベイロンは自分を殺す勢いで不可視の護衛に攻撃させているのは予定外だった。アスナは色々な人に迷惑をかけたツケで最後に読み間違えたかと苦笑する。

 あと3歩分。アスナは半分まで減ったHPを睨みながら、オベイロンに更に近づかせるべく、挑戦的に嘲笑する。

 

「この……糞アマがぁああああ!」

 

 あと2歩分。オベイロンは拳を握り、眉間に皺を寄せている。

 

「私は屈しないわ。あなたには……絶対に!」

 

 あと1歩分。血塗れの姿で震えながら立ち上がったアスナに、オベイロンは護衛に更なる攻撃を与えるべく右腕を振り上げて命令の下そうとする。この場面に来ても己の拳を使わないオベイロンの油断にアスナは感謝する。

 右手に隠し持っていた影人の短剣を握り、飛び出した刃を輝かせる。傷だらけで動けないと見せかけ、かつて【閃光】として名を馳せた少女は、その2つ名に恥じない加速でオベイロンの懐に入り込んだ。

 

 

 だが、短剣の切っ先は『不死属性』の紫色のエフェクトに阻まれ、オベイロンに突き刺さることはなかった。

 

 

「なっ!?」

 

 少なくともアスナの記憶では、オベイロンは不死属性を獲得していなかったはずだ。自分がユグドラシル城を去った間に起きた変化に戸惑い、アスナは自分の体を締め上げる不可視の『何か』とオベイロンの余裕たっぷりの『作戦通り』といった表情に自分の計画の失敗を悟る。

 

「フフフ、僕の演技もなかなかだっただろう?」

 

 悠然と後ろで手を組み、宙に吊り上げられるアスナにオベイロンは笑いかける。

 

「おっと、このオベイロンに一矢報いたキミの栄誉を讃えるならば、先の中継は1本取られたね。完全に油断したよ。マザーレギオンの言う通りだ。慢心のケアレスミスが最も危ない。今回の敗北は授業料として受け取っておくよ」

 

 じわじわと締め付けが強くなる中で、アスナの顎をねっとりと舐めるように右手の人差し指で撫でたオベイロンは、我が身の不死属性を誇示するように両腕を広げた。

 

「だが、キミの諦めの悪さは重々に承知しているさ。そういう所も気にいっているし、だからこそ僕の妻として屈服させて侍らせたい気持ちは大きい。未来の美しく従順な妻となったキミを愛でる楽しみは、今のキミがあってこそだ」

 

「私があなたの妻? 死んでも首を縦に振らないわ」

 

「そうだろうね。僕としても、キミの体を早く味わいたいところだけど、我慢も美食の嗜みだ。心折れそうになりながらも気丈に振る舞う壊れかけのキミを、最高のシチュエーションで凌辱して屈服させないとこれまでの忍耐の意味が無いだろう? 代わりとは言っては何だけど、キミの計画は全くの無意味だったというエンターテイメントを準備してある」

 

「エンターテイメント? 何を考えて――」

 

「【来訪者】が軍団を作り上げようと必死に頑張ってくれたお陰で、僕はようやく不死属性を得られた。感謝しているよ、アスナ。そして、キミが自由を捧げて一致団結させたアルヴヘイムの軍団は、このオベイロンの手によって壊滅する。その様をキミには特等席で鑑賞してもらうとしよう」

 

 不可視の攻撃で束縛されて宙に吊り上げられていたアスナは床に落下する。そして、その背中に何かが深々と侵入すると内臓を掻き回す。

 

「あぁああああああああああああああああああ!?」

 

「その様子だとDBO特有のダメージフィードバックには慣れていないようだね? アイザックのこういう発想には素直に感心するよ。彼の人を痛めつける才覚は本物だ。だけど、僕個人としては、こんな紛いものではなく、本物の痛みで泣き叫ぶキミの方が美しいと思うんだがね」

 

 こんな男に悲鳴を聞かせたくない。だが、アスナは意識を切り刻む、SAOでは決して体感しなかった、脳髄をミキサーでかき回すような不快感に声帯が震え続ける。アルヴヘイムで自由になって以来、このダメージフィードバックはある程度経験していたが、これほどの深手を負うのは初めてであり、多くのプレイヤーがそうであるように、アスナもまた絶叫を堪えきれず、体のコントロールを失ってしまう。

 

「思っていたよりダメージが小さいね。僕の防具……いや、バフがついてるな。そのお陰かい? まったく、本当に君の反抗心には頭が下がるよ。そのせいで余計に苦しめる羽目になったじゃないか」

 

 痙攣するアスナの手足を不可視の『何か』は丹念に潰す。完全に抵抗できなくなり、ぐったりと動かくなったアスナの頭をオベイロンは踏み躙った。 

 

「さて、帰ろうか、ティターニア。僕らの城に」

 

 虹色の光がオベイロンとアスナを包む。それはユグドラシル城へと彼女を連れ戻す牢獄の光。

 

 

 

 だが、突如として背後より強襲した刃が虹の外へとオベイロンを突き飛ばす。

 

 

 

「な、何だ!?」

 

 困惑しながらも、不死属性の紫色のエフェクトを纏ったオベイロンは、自分の背中を取った相手を睨む。

 血溜まりで倒れるアスナが見たのは、アルヴヘイムでも珍しい、永遠の巡礼服を身に纏う者。その両手に握るのは2本のクレイモアであり、外れたフードから靡くのは1本の三つ編みが結われた白の長髪。

 左目を覆いつくすのは眼帯であり、右目には不可思議な……まるで血が滲んだような黒色の瞳。それは何処となく蜘蛛を思わす無機質で冷たい殺意に浸されているような気がした。

 男性とも女性とも思えない中性美の結晶のような容姿に、アスナも……オベイロンさえも恐怖を持って見惚れる。心奪われてしまう。

 

「妖精王オベイロン、その首……もらい受けます」

 

 傭兵最狂の【渡り鳥】は端的に、だが可憐と想える程に礼節を尽くして2本のクレイモアを向ける。

 

「け、警備はどうした!? 役立たず共がぁ!」

 

 不死属性ではあっても急に背後を取られた動揺が勝ったのだろう。オベイロンは醜悪に狼狽える。だが、アスナにも理解できなかった。

 この約束の塔の屋上に至る道は1つ。塔内部の階段と昇降機を使う事だ。だが、オベイロンもアスナも階段から上って来る人影を見なかった。仮に≪気配遮断≫を使用していたとしても、遮蔽物も無いのに2人に気づかれずに背後を取るのは不可能だ。仮に可能だとしても、途中にはマルチネスで陣取っている。防御特化の彼を突破するのには時間がかかるはずだ。

 と、そこでアスナは約束の塔の屋上の外縁……そこに微かに見える突き刺さったままポリゴンとなって散っていく粗鉄ナイフに気づき、1つの『あり得ない』としか言いようがない方法を思いつく。

 

(まさか塔の『外壁』を登ってきたの!?)

 

 確かに約束の塔の外壁には石像や窓の縁があり、ロッククライミングで登れないこともないだろう。だが、それは慎重さを要し、また屋上まで辿り着けるものではない。

 だが、【渡り鳥】は最速最短の為に『投げナイフを足場』にしてここまで駆け上がってきたのだ。

 耐久度は極小。1度体重をかければ軽々と砕けてしまうだろう。刹那の迷いも、1度の投擲やルートの選択のミスも許されない。何よりも人外染みたボディバランスと恐怖心に打ち勝つ精神力が要求される。

 

「……久しぶりだな、アスナ」

 

 本来ならば『助け』として来てくれたとしか思えない【渡り鳥】の微笑みに、アスナはびくりと震える。

 幻視したのは、まるで涎で湿ったような飢えた『獣』の顎だった。

 

 

▽   ▽   ▽

 

 

 アスナは負傷しているが、カーソルは黄色だ。生命には問題ない傷か? いやいや、背中から腹にかけて大穴が空いてる。あの防具と何らかのバフがついているお陰が大きいだろう。

 どうする? アスナの回収を優先するか? オベイロンはどうやら不死属性を有しているようだ。理由は不明だし、後継者が屈したとも思えない。そもそも完璧な不死属性と管理者権限を得たならば、オベイロンはもっと余裕があるはずだ。

 ならば、あの不死属性には何かカラクリがあるな。だが、こちらの策には不死属性も想定してある。問題ない。背負う棺を下ろし、クレイモアをもう1本引き抜く。現在、装備はクレイモア2本、バトルアックス、そして贄姫とパラサイト・イヴだ。最大限にオベイロンに情報を与えない為の処置である。

 ここまで来るのは骨が折れたぞ。約束の塔の周辺は死屍累々だし、そもそも向かう為のギミックだろう跳ね橋は降りるのが遅いしな。壊滅同然とはいえ、警備隊の皆様と鬼ごっこは大変だった。何よりも時間が無かっただろうから外壁を登る羽目になるとはな。お陰で粗鉄ナイフの在庫が切れてしまったではないか。

 ……まぁ、粗鉄ナイフならいくらでも仕入れられるだろう。だが、あれはシャロン村の名残でもあったので、少し物寂しいな。

 

「この妖精王に刃を向けるとは、不敬者が。王命である! ここで死ね!」

 

「僭越ながら陛下、お断り申し上げます」

 

 オベイロンが手を突き出す。どんな魔法攻撃が飛び出すかと思えば、不可視の攻撃か。ヤツメ様の導きの糸は既にこの場にいるもう1体も捕えている。

 体を右に逸らし、不可視の攻撃を躱す。嗅覚、聴覚、視覚の全てにヒットなし。まぁ、元よりオレの場合は後遺症のせいで若干以上にアテにならない部分も多いが、少なくとも完全なステルス性を持つ相手か。

 

「ハ、ハハハハ! 勘の良い奴だ! だが、コイツは僕の肝入りの護衛でね。その名もレギオン・ステルス! どうだい? 不可視の攻撃で嬲られる気分は!」

 

 だろうな。レギオン臭いんだよ。最初からバレバレだ。見えない触手をクレイモアで弾き、何もない空間を弾けば黒い血が飛び散る。一瞬の出血から分かったのは体格が大型犬程度の四足歩行ということだ。触手は1本だろう。屋上全体をカバーできる長さであるが、パワーも威力も大したことはない。だが、アスナの怪我の様子を見るに、先端は爪のように抉る形状をしているとみるべきか。

 武装侵蝕開始。クレイモアにパラサイト・イヴの赤黒い血が纏わりついて強化される。相手はステルス能力に全振りして耐久面はかなり脆いと見た。

 トリスタン以下の、まるで品も芸もないステルス能力など脅威になり得ない。何よりも相手がレギオンならば、ヤツメ様の導きを……『獣』の鼻を誤魔化すことなどできない。だが、このまま不可視の相手をするのは少々時間がかかり過ぎるか。

 迅速に済ます。オレは右腕の袖を捲り、感覚代用の痛覚を生んでいるワイヤーによる醜い刺繍に指をかける。そして、そのまま強引に傷口を広げて出血を強いる。

 アスナの短い悲鳴が聞こえた。大丈夫大丈夫。大したダメージにならないから。

 右腕を振るい、溢れた血を周囲に飛び散らせる。その1部がオレから見て右側の何もない空間で『消える』。やはりな。アスナは大量出血していた。そして、先程もクレイモアで斬りつけた。だが、血のニオイはもちろん、血の付着も見られない。つまり、このレギオン・ステルスは『自分の体表に付着しているものも含めて迷彩能力の対象とする』のだろう。逆に言えば、煙幕や雨の中ではその部分だけが奇麗に浮かび上がる。

 完全なステルスなど存在しない。そこに『いる』ならば、暴く方法は必ずある。そうだろう、トリスタン?

 

「レギオン・ステルス、恐れるに足らず」

 

 踏み込みから同時に2本のクレイモアを突き刺す。それはレギオンの喉で交差し、大量出血を強いる。その黒い血がレギオン・ステルスの全貌を明らかにするが、詳細を確認するより先に首をそのまま切断し、遺体を蹴り飛ばす。

 黒い血が床に広がり、アスナの赤い血と混じり合う。それを踏み越え、オベイロンに対してクレイモアを乱雑に振るう。だが、その体に接触するより先に不死属性特有の紫のエフェクトで弾かれる!

 

「ハハハハハ! む、無駄なんだよ! 僕は不死属性を手に入れた! どんな攻撃も――」

 

 なるほど。確かに本物の不死属性だ。激しいサウンドエフェクトと衝撃が伴い、オベイロンの体は揺れている。あれだな。安全圏での攻撃行為に対しての反応と同じだな。懐かしいな。SAOではこれを利用した模擬戦が各所で繰り広げられ、訓練に用いられていた。まだ灼けていない記憶でも風景として残っている。

 

「話を聞け、クソガキがぁああああああ!」

 

 それにしてもオベイロンは想像と違ったな。『王』を名乗る以上はシャルルに匹敵する風格とカリスマ性を期待していたのだが、まるで覇気を感じない。だが、どんな奥の手を隠しているか分からない以上は油断不要。

 情報収集完了。オベイロンは間違いなく不死属性だ。だが、それはオレが良く知るタイプの不死属性であり、完全なる干渉の遮断ではない。ならば、『あの方法』は実行できる。

 2本のクレイモアを同時にその両肩に叩きつけ、不死属性のエフェクトと共に怯んだオベイロンが僅かにたじろぐ。だが、いよいよ我慢ならなかったのだろう。オベイロンは翅を震わせて舞い上がる。

 その瞬間を待っていた。素早く棺の元に駆け、足で蹴って金具を外して蓋を開けると、右手のクレイモアを背負って中に入っていた鎖を引き出す。

 武装侵蝕。強化した鎖を鞭の如く振るい、飛行を開始した直後のオベイロンを絡め捕る。それはオベイロン自体……その身に触れずして紫色のライトエフェクトに阻まれるが、それでも肌から数センチ先で不死属性の防御は発動している。

 即ち、攻撃不可のエフェクトに阻まれながらも『捕縛』すること自体はできる。SAO時代に『隠れレッド』を始末するのに取った手段だ。SAOでは殺人に手を染めたプレイヤーはレッドカーソルになるが、実際に手を下さない限りはグリーンのままだ。故に頭脳を担って手下に犯罪行為をさせる奴は安全圏に守れた街の中に潜める。

 そんな連中を始末する仕事を受け持っても、元より殺人に手を染めた連中だ。睡眠を狙うことも難しい。故にオレがPoHより伝授されたのは『エフェクトに阻まれながらも、ぐるぐる巻きにして捕縛し、無理矢理外に連れ出して殺す』という実に力技かつ即効性の強いものだ。1歩間違えればハラスメントコード並みに黒鉄宮へ投獄だったのだが、こんな原始的かつ野蛮極まりない方法は文明人たる茅場も想定していなかったという事だろう。

 ……まぁ、やり方がやり方だっただけに、傍目から見れば『グリーンを殺そうと無理矢理街の外に引きずり出している』としか映らないだろうがな。あの頃のオレは他人にどう映るのか、その点について配慮が色々と欠けていた気がしないでもない。

 

「こ、これは!?」

 

 気づいた時には遅い。翅を使えば逃げ切れただろうが、不死属性で慢心していたな。捕縛し、そのまま振るって地面に叩き落とす。宗教都市で最も硬質で耐久度がある鎖を武装侵蝕で強化しているが、問題はオベイロンのSTRだ。

 やはり打ち砕かれるか。亀裂が入っていく鎖を見て、左手のクレイモアも背負い、棺から更に鎖を引き摺り出すと武装侵蝕して投げる。そうして多重にオベイロンに鎖で巻き付けていく。

 激しい紫色のエフェクトが破裂し続ける。鎖の破片が飛び散り、その上を新たな鎖が覆う。あの中でオベイロンは全身を無制限に殴打されているような衝撃を浴び続けているだろう。

 鎖で繭のように包まれたオベイロンを引っ張り、棺の中に押し込める。そのまま余った鎖で棺を撒くと、手放したことで武装侵蝕の効果が切れて逃げ出されるより先に、棺自体に武装侵蝕をかけて耐久度を疑似的に強化させる。

 

「オベイロン、捕獲完了」

 

 第1段階成功。さて、ここからがオベイロン殺害の肝なのであるが、かなり時間がかかるからな。棺が壊される前に新しい拘束道具を調達しなければならない。

 

「……す、凄い」

 

 口を開けたまま驚くアスナに、オレは嘆息しながら何やら怒鳴り散らしているオベイロンを封じ込めた棺に腰かけた。

 

「この程度なら『アイツ』でも出来る。実際に組んでた頃は、グリーン犯罪プレイヤーを逮捕する時には『アイツ』の方が丁寧だった」

 

 まぁ、正確に言えば『殺す必要はない。黒鉄宮に投獄する。それで十分だろう?』と仕事に口出しされたから、渋々教えたんだけどな。PoHからネタ元とか知られたら絶対に『アイツ』はキレるか不機嫌になるかキレるかのどれかだっただろうし、あまり乗り気じゃなかった記憶がある。

 

「『アイツ』って……もしかして、【黒の剣士】さん?」

 

「その口ぶりだと忘れてるみたいだな」

 

 想定していたパターンの1つだ。復活した死者は記憶の欠損があり得る。

 時間は無い。クラディールのケースを考えれば、何らかのショックを与えて精神が崩壊する危険性がある。状態を調べねばならないだろう。

 

「アスナ、自分がどんなふうに死んだか憶えているか?」

 

「……いいえ」

 

「オレも伝聞でしか知らない。オマエは75層のボス戦後、正体を明かしたヒースクリフと戦って、負けかけた『アイツ』を庇って――」

 

 そこまで言って、オレはアスナの瞳に揺らぎを見つける。彼女は血塗れの姿で額を押さえて喘ぎ始める。

 

「私が……【黒の剣士】さんを……庇って……それで、死んだ、の?」

 

「……らしいな」

 

「私が庇った。死んだ。あの人を……庇って……誰……誰なの……キミは……思い出せない……キ……キリ……駄目……思い出せない。思い出せない!」

 

 頭を両手で抱えて、今にも破裂しそうな脳を封じ込めるようにアスナは痙攣する。

 ……やはりクラディールと似た症状だな。善と悪が対峙した彼と違い、彼女の場合はどんな症状が起こるのか分からない。

 だが、見えた。茅場の後継者め! よりにもよって崩壊のトリガーは『アイツ』か!

 仮にアスナと『アイツ』が対面すれば、その名を思い出せば、死の記憶は逆流し、彼女を精神を破壊するかもしれない。かつて死の記憶によってサチは穴だらけとなり、偽りの記憶を持った『サチ』がいたが、サチとアスナの状態が似たものであるならば、『アイツ』の記憶を蘇らせたことによって彼女は崩壊するかもしれない。

 いや、するのだろう。あの後継者がそれを予見していないはずがない。

 必死になって戦ってきた『アイツ』がアスナと再会した時、自分の旅路こそが愛する彼女を破壊したと理解した時、それは癒えぬ傷となり、その心を殺すだろう。

 死者との再会という夢物語に踊らされ、それでも歩んできた己の願いがアスナをもう1度殺したと知った時、絶望は『アイツ』を食らい尽くすだろう。

 

「教え……て、【渡り鳥】くん。あの人の……名前、だけ……でも、良いの。お願い……だから!」

 

 震えて懇願するアスナは、自らを壊す毒を求めている。それは本当に愛している気持ちが、たとえ死んでも残っているからなのだろう。

『サチ』がサチじゃなかったとしても、2人の気持ちは同じものだった。誰かを愛する気持ちは簡単には消えないのだろう。

 分かっているさ、サチ。これは『アイツ』の悲劇だ。

 アスナを殺す。悲劇は起こさせない。

 

「贄姫」

 

 愛刀を呼んで右手で抜き、左手で棺に括りつけた鎖を握って武装侵蝕を絶たず、意識も明滅するように苦しむアスナの前に立つ。

 

「【渡り鳥】……く、ん?」

 

「アスナ、オマエを『アイツ』に会わせるわけにはいかない。ここで死んでもらう」

 

「……嫌。嫌よ! 私は……約束、したの!」

 

「抗いたければ抗え。呪いたければ呪え。憎みたければ憎め」

 

「絶対に……『生きる』って約束したの!」

 

 生に縋りつき、レギオンに潰された四肢を動かして逃げようとするアスナの背中を踏みつける。彼女の背中に空いた穴からは血が溢れ続けている。早急な治療が必要だろう。だが、この流血ダメージのお陰でHPはかなり減っているはずだ。

 一撃で首を落とす。苦しませなどしない。贄姫の刃には未だに鈍りはない。何にも守られていないアスナの首を斬るのは難しくないだろう。

 

「祈りも無く」

 

 サチ、約束の時だ。

 

「呪いも無く」

 

 オマエとの依頼を果たす。

 ここで『アイツ』の悲劇を止める。

 躊躇なく贄姫を振るい抜く。それはアスナの首を寸分狂わず落とす。

 

 そのはずだった。

 

 だが、オレの右手は止まる。何かに阻まれたわけではない。誰かに止められたわけではない。

 

 贄姫からアスナを守るように、血だまりの中に黒猫がいたから。

 

 祈りも呪いも無い眠りについたはずのサチが……泣いていたから。

 

 どうしてだ?

 

 キミは望んだはずだ。『アイツ』の悲劇を止めて欲しいと願ったはずだ。だから、オレはその約束を果たす為にここに来た。

 

 振り抜け。

 

 早くアスナの首を落とせ! 彼女は苦しんでいる! 思い出させてはならない! クラディールの悲劇を繰り返させてはいけない!

 

 落とせ。

 

 落とせ。

 

 首を落とせ! 首を落とすんだ! それが必要なんだ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そうよ。早く殺しなさい。血の悦びを啜り、あなたの飢えと渇きを満たし、新たな獲物を見出しなさい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 贄姫に指を這わせ、オレに抱き着いて甘い蜜のように誘うヤツメ様に、オレは贄姫から滴る『獣』の涎を知る。

 オレは……いつから『アイツ』の悲劇を止めることを『理由』にして、アスナを『殺す』ことに執着していた?

 確かにサチの依頼は悲劇を止めることだ。『アイツ』を愛していたサチと果たすべき約束だ。

 

 

 

 殺しなさい。殺せと言ってるでしょ。

 

 

 黙れ。黙ってくれ、ヤツメ様。

 そういえば、いつからだ?

 いつから狩人はいない?

 いつもならば、狩人がヤツメ様を引き摺り戻すはずだ。だが、彼は何処にもいない。

 

 

 殺せ。殺しさないよ! 早く飢えと渇きを満たして! 今しかないの! 早く! 早く早く早く! 

 

 

 

 黄金の稲穂が揺れた。

 懐かしい故郷の香りがしたような気がした。

 

 

 

 

 

 気づいては駄目! お願いだから喰らって! このままでは、あなたが――

 

 

 

 

 焦るヤツメ様の手を払い除ける。

 振り返れば、そこには八つ裂きにされて血の海に浮かぶ狩人の姿があった。 

 彼はしてやられたとばかりに腰を折り、蜘蛛の糸に捕らわれていた。

 

 ああ、そうか。

 

 そうだよな。

 

 まったく、オレは大馬鹿者だ。

 

 

 

 

 

『アイツ』の悲劇を止める為にアスナを殺す。それこそが『アイツ』にとって本当の悲劇ではないか。

 

 

 

 

 

 オレはただ殺したかっただけか。アスナを殺したくて、『アイツ』に憎まれて復讐されたくて、飢えと渇きを満たす血の悦びを求めていただけか。

 ここは判断を保留だ。アスナにも悪いが、同行してもらう。とりあえず『アイツ』の悲劇を止めるのは別の手段を考案せねばならない。同じ死者であるグリセルダさんやヨルコならば知恵を貸してくれるかもしれないし、最悪の場合はエドガーと取引する。ヤツはオレ以上の復活した死者に関する知識を持つはずだ。

 何はともあれ、ここは撤退だな。このままでは棺を壊されかねない。オベイロンの始末が最優先だ。

 

「……あ、れ?」

 

 贄姫をアスナの首元から離そうといているのに、手が動かない。

 刃が彼女の柔らかい皮膚にめり込もうとしている。必死に堪えようとするが、駄目だ。

 

 抑えられない。

 

 殺したい。

 

 殺したくて堪らない。

 

 殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい!

 

「クヒ……クヒャ……クヒャヒャ……」

 

 まずい。

 血の香りを……嗅ぎ……過ぎた。

 サクヤ、ツバメちゃん、約束の塔周辺の警備隊……そして、アスナの豊潤な血の香り。我慢の限界だ。

 耐えろ。オレは狩人だ。たとえ『獣』が本質であるとしても、狩人たる者は……狩りに溺れず、血に酔わず、全ての命に敬意を持って狩るべし!

 そうだろう!?

 

 ここでアスナを殺してはいけない! それは『面白くない』だろ? だって、『アイツ』の目の前で殺した方が、殺し合いがよりそそる味わいに……!

 

 違う!  違うんだ! そうじゃない! ここで殺さないのは『アイツ』の悲劇を止める為で……!?

 

 だけど、あの真っ直ぐな目が絶望に染まって、怒りと憎しみのままに牙を剥く姿は最高の血の悦びを濃厚にするだろう。SAO時代からのビンテージものだ。そろそろ堪能しても良い頃合いだろう。

 

 そうじゃない。そうじゃないんだ。オレは『アイツ』の親友でありたいんだ。だから、無為に殺すような真似はしない!

 

 オレの獲物だ。オレだけの獲物だ。誰にも邪魔せない。オレだけで味わい尽くして殺す。1匹くらい良いじゃないか。もう1人いる。ユウキだってきっと美味なる『殺し』になるはずだ。

 

 耐えろ。耐えろ耐えろ耐えろ! 誓ったはずだ! この心から『人』を捨てないと!

 

「ユウキ……ユウキ……教えてくれ。オレ、まだ……まだ『オレ』……か? 分からな、い。分からない……んだ」

 

 だが、ここにユウキはいない。オレの祈りは彼女と共にある。それだけがオレを『人』に繋ぎ止めてくれる。

 ここまでだ。撤退だ。アスナを踏みつける足を外し、ゆっくりと後退る。死に直面していたアスナはオレを『バケモノ』でも見るような目をしている。ああ、そうだろうな。オレの顔は今まさに『獣』そのものだろう。醜悪に血の悦びを求める飢餓の顔をしているだろう。レギオン顔負けだろうな!

 アスナから離れなければならない。彼女はこのまま放置する。ここで『殺すのは勿体ない』という意識を利用しろ! それで今は構わない!

 そうだ。オベイロンだ。コイツを始末する。そして、しばらくは身を潜める。飢えと渇きが少しでも抑え込まねばならない。

 

 

 

 何も我慢はいらない。あなたは頑張ったわ。きっと先祖たちも褒めてくれる。さぁ、殺しましょう?

 

 

 

 優しくヤツメ様がオレを後ろから抱き着く。

 駄目だ。止めてくれ。オレを『獣』にならない。たとえ、あなたを受け入れたとしても、オレは狩人として狩り、奪い、喰らい、戦い、そして殺す! 

 

「ここから出せ! 僕を殺すのは不可能だ! それが分かっているのか!?」

 

 うるさい。オマエも黙れ。オレは暴れる棺を踏みつけながら、彼に優しく、その心を鋸で削るように、囁いた。

 

「殺せますよ。今からアナタを月明かりの墓所……ウルの森に連れて行きます。破壊された仮想空間の穴。データの無い底なしの闇。そこに放り込めば、あなたはどうなるでしょうね? 少なくともカーディナルはこう判断するはずだ。『オベイロン消滅の為にリカバリーボスを準備する必要がある』とね」

 

 後は知らん。後継者側……管理者が煮るなり焼くなりするだろう。少なくともアルヴヘイムの『外』にいるのだから、幾らでも料理のやり方はあるはずだ。

 オベイロンが恐怖で息を呑むのが分かった。殺せるかどうかも分からんのでブラフだったが、それなりに効果はありそうだな。少なくともオベイロンじゃない、まともなボスがリカバリーで登場すれば、後は流れで後継者側がアルヴヘイムを『元の姿』に戻すかもしれない。その時にこれだけ改変されたアルヴヘイムがどうなるかは分からないがな。

 

「レギオンと組んだアナタを殺す。狩人の誇りにかけて……必ず」

 

 そろそろ出発だ。これ以上はアスナを殺しかねない。棺を背負い、最悪の手段で約束の塔から脱出すべく歩み出す。

 

 

 

 

 だが、頭上より舞い降りた巨影が分厚い刃を振り下ろす。

 

 

 

 

 それは荘厳なる大斧。回避自体は難しくなかったが、僅かに刃が棺に触れるほうが速かった。破砕された棺よりオベイロンが這い出す。

 涙と鼻水と涎でグチャグチャになった顔はなかなかの見物であるが、オレは襲撃者に『獣』の顎を疼かせる。

 それは新調した……全身を金光を帯びた岩のような甲冑を纏った狂縛者、エギルだ。身の丈ほどの巨大な戦斧を持ち、以前出会った時と同じように彼がSAO時代には使っていなかった巨大な円盾を左手に装備している。

 

「はは……ハハハハハ! このオベイロンをここまで追い詰めたのは褒めてやるが、貴様の負けだ! ここで――」

 

 撤退は決定事項だ。今は狩人としてエギルを殺すのは困難を極める。『獣』として彼を狩るわけにはかない。

 躊躇なくオベイロンを助け出したエギルに背を向ける。彼の意思はそこに存在するのか? 既にレギオンに食い尽くされて、オベイロンの完全なる操り人形になっているのか?

 

「……そうか。『まだ』大丈夫だな?」

 

 だが、まるで抗うように、エギルは纏う甲冑を軋ませている。まだ屈していない。そうだ。それでこそ『人』だ。今は耐えていくれ。必ず殺すから。

 屋上の外縁から跳び下り、そのままクレイモアの1本目を外壁に突き刺す。

 かつて、ツバメちゃんに射られて早期の神殿の外縁の崖から落とされた時もこうして落下減速をかけることで生き延びた。

 今回の低級装備の調達は武器の情報を渡さないようにしてオベイロンの状態を探ること。そして、最短脱出の為の道具だ。

 耐え切れずにクレイモアの1本目が折れるより先に2本目を突き刺す。落下速度は予定よりも少し速いくらいか。本来ならば即死級の落下ダメージだろうが、これならば半分程度で抑えられるだろう。

 2本目破砕。バトルアックスを突き立てる。クレイモアよりも減速が大きい。予測変更。4割程度のダメージで済むかもしれない。

 地面に接触と同時にHPが大きく減り、想定外の7割の損耗になる。研究無しでするものではないな。下手をせずとも即死の危険があったかもしれない。だが、ヤツメ様は余裕そうだし、何よりも復活した狩人にアイアンクローを食らっているので、問題なかったのだろう。

 包囲網を敷かれるより前に強行突破して脱出せねばならないな。今回の襲撃で成果は得られた。アスナの状態とオベイロンの不死属性。これだけあれば十分だろう。元よりオベイロンもここで殺しきれるかどうかは怪しかったのだ。

 そう、じっくりやっていくさ。今は飢えと渇きを抑え込まねばならない。視界に入る警備の騎士たちを殺したくてたまらない。少しでも血の悦びを求めようと贄姫を抜きそうになる。だが、ここで血の悦びを啜れば、もう『獣』に成り果てる。

 やるしかないか。強行突破しようものならば誰かを殺してしまう。ならばと濁流に身を投げる。ポケットから取り出したのは、以前にパラサイト・イヴのケダモノの顎用で調達した布であり、それに包まって武装侵蝕を発動させる。欠月の剣盟戦でも利用した防御法だ。これならば、濁流に身を任せて体を岩に打ち付けられてもダメージは最小で抑えられるはずだ。

 流れに身を任せろ。無駄に抗うな。下手に水流に抗えば抗うほどに溺れるだけだ。何度も岩に体をぶつけられ、擦られながら、オレは口内に泥水が入りながら水面に顔を出して呼吸する。こういう時は仮想世界の方が対処は楽だな。現実世界ではこうもいかない。

 

「この辺で……良い……かな?」

 

 手頃な岸辺で手を伸ばして泥土をつかみ、ボロボロになった布を捨てながら陸地に這い上がる。口から血と泥水が吐き出されながら、HPが1割を切っていることに嘆息した。嵐で増水中の川で水泳なんて自殺行為だ。やるべきではない。

 

「とにかく……脱出だ」

 

 灰色の狼を召喚すべく、牙の首飾りを外そうとした時だった。

 何処からともなく聞こえてきたのは、狼の遠吠え。それは聞き覚えのある黒狼のものだった。

 

 

▽   ▽   ▽

 

 

 自分は死ぬだろう。意識を失ったユウキを引き摺りながら、何とか岸辺に這い上がったアリーヤは息絶え絶えになりながら、彼女をせめて濡らさないようにと大樹の懐まで運ぶ。

 アリーヤにはこの世界の理屈は分からない。主人のマクスウェルは丁寧に説明してくれたが、知性が不足する自分には理解できなかった。同胞のアリシアは全容を把握していたようだが、アリーヤには半分も知識として糧にならなかった。

 彼に言わせれば、人間は誰も彼もが複雑過ぎるのだ。もっとシンプルに生きれば良いのだ。特に『オス』などそれで十分ではないか。

 可愛い女の子には尻尾を振れ。美人の背中は追いかけろ。それがアリーヤの生き方だ。故に野郎などどうでも良い。

 足に力が入らない。首と背中の傷が特に致命傷として命を削っている。

 ユウキの命の残量を示す色は赤。だが、その点滅の速度は変わらない。胸の深手と流血があるのに、彼女の命の残量の減りは穏やかなのだ。それが何故なのかはアリーヤにも分からない。だが、せめて少しでも止血をしなければと我が身を傷口に押し付ける。

 ここまでか。最後に可愛い女の子を……オスとして素直過ぎる自分を余さず可愛がってくれたユウキを守れたならば、『オス』として十分だろう。

 だが、このままでは駄目だ。ユウキの心が壊れてしまう。忌々しいが、彼女を繋ぎ止められるのは、あの男とも女とも区別できない……とても恐ろしい者しかいない。

 

 最後に野郎のことを思い浮かべながら死なねばならないとはな。絶対に呪ってやる。

 

 この身をお前に差し出す。お前は傭兵なのだろう? ならば、この依頼を成してみせろ。

 

 報酬は俺自身だ。この『命』を好きなだけ糧にしろ。俺よりも遥かにケダモノで……だが、最も『人』であらんとする獣の王よ。

 

 

 アリーヤは遠吠えを上げた。白の傭兵ならば必ず聞き取れるはずだと……傭兵である限り、いかなる依頼だろうと成し遂げるはずだと信じて。

 

 

▽   ▽   ▽

 

 

 メイデンハーツが……泣いてる? 黒紫の少女と黒狼の血を浴びた機械仕掛けの剣を見下ろしながら、『彼』は歯を食いしばる。

 邪魔する方が悪いのだ。俺はちゃんと頼んだ。どいてくれと願った。だが、キミは拒んだ。だから斬った。それの何が悪い?

 考えたくない。振り返りたくない。『彼』は重く感じる機械仕掛けの剣を引き摺りながら、ようやく約束の塔への道が開けた跳ね橋を歩む。白亜草を口内に押し込み、HPを回復させながら、すっかり重くなった体を動かす。

 

「やっとだ。やっと着いた。アスナ……アスナ……俺は強くなった。『力』を得たよ。今度こそ、キミを――」

 

 守る。助ける。救い出す。『彼』は自分の手を取ってくれる愛しい人を求めて走り出そうとする。

 だが、そんな『彼』の肩を誰かが掴んだ。気配もなく背後を取られた事に驚きながら振り返った瞬間、その竜頭の如き兜に強烈な拳が叩き込まれる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よう、黒馬鹿。コイツはウチの可愛い馬鹿娘の分だ。しっかり食えよ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 吹き飛ばされ、数度転がり、ドラゴンクラウンを突き立てて制動をかけた『彼』は新たな邪魔者に歯を食いしばる。

 どうしてだ?

 どうして誰も彼もが邪魔をするのだ?

 俺はただ1つの……この願いを叶えたいだけなのに、どうして!?

 

 新たに立ちはだかるのは1人の男。彼は溜め息を吐きながら、緩慢な動作で顔を隠す鉄兜を外し、腰に差すカタナの柄に手をかける。

 

「俺はよぉ、オメェのやった事にとやかく責める気はねぇし、ユウキを斬ったことに文句もねぇさ。アイツがオメェと殺し合うことを期待してチェーングレイヴに入れたのは、他でもない俺だからな。だからよぉ、俺は最低の屑なんだろうな」

 

 ボリボリと情けなさそうに頭を掻きながら、彼はその軽い口調とは裏腹に怒りで滲んだ眼を向ける。

 

「だけど、駄目だわ。馬鹿ほど可愛いってのは真理だ。助けようとして、間に合わなかった。アリーヤがここまで道案内してくれたってのに、最後まで意図に気づけなかったとはな。狼語学びてぇと思ったのは初めてだ」

 

 放たれたのは居合。だが、それは圧倒的な間合いの外。だが、同時にUNKNOWNの周囲の空間が歪み、無数の青い光の斬撃が強襲する。

 

「がぁあああああああああああ!?」

 

「助けたいのに助けられない。この苦しみは味わったヤツにしかわからない。だから、オメェがそんな風になっちまったのも、ある意味で仕方ねぇのかもしれねぇな。俺にもわかるさ。メッセージは届けたろ?『99層は忘れていない』ってな」

 

 深く全身を斬りつけられ、血飛沫を上げるUNKNOWNの口から悲鳴が漏れる。それに対して何ら感情を持たないとばかりに、男は嵐の雷光を浸したカタナを構えた。

 

「何だかんだでオメェとは付き合いが長いし、1番のダチだから殺す前に教えてやるよ、黒馬鹿改めて黒雑魚。オメェは少しも強くなってねぇって事をな。むしろ、自分がどれだけ『弱くなった』のか、その身にたっぷり味わってから死ね」

 

 余裕たっぷりに顎髭を撫でながら、男は茶目っ気を示すようにウインクしながら、殺しを宣言する。

 どうしてだ?

 どうして誰もが邪魔するんだ?

 俺が『弱くなった』? 違う! 俺は『力』を手に入れたんだ! ユウキさえも殺せるほどの『力』を手にしたんだ!『彼』は機械仕掛けの剣を肩で担ぐように構え、左手のドラゴンクラウンをぶらりと下げる。

 

 

 

「冗談が上手くなったな、クライン。良いさ。俺もハッキリさせておきたかったんだよ。いつも兄貴分みたいな面をしてウザかったお前に、俺たちの『力』の差をな!」

 

「おうおう。やってみろよ、黒雑魚。教えてやるよ。俺とオメェの格の違いって奴をな!」

 

 

 

 かつて鉄の城の始まりで出会い、道は違えども生き抜いた2人は激突する。互いの歩みの重みを刃に宿し、互いを否定する為に殺し合う。

 

 

▽   ▽   ▽

 

 

「どうして、ボク……生きて」

 

 ここは何処? 意識を取り戻したユウキは、まだ自分のHPバーの赤色のまま……1割未満のまま減少と回復で拮抗している状態であるのをぼんやりと見つめて疑問を抱く。

 ああ、そうか。≪占術≫のバフの効果だ。だが、それでも……スノウステインを犠牲にしたガードで威力は衰えたとしても、低VITのユウキが、それもスタミナ切れで全ての攻撃がクリティカル扱いの状態で肩から脇腹にかけてまで、STRが大きく強化されたUNKNOWNの袈裟斬りをまともに浴びたのだ。致命のダメージを受けたはずである。

 

(ああ、そっか。鉄血の指輪が……守って、くれたんだね)

 

 グリムロックがくれた鉄血の指輪は一撃のダメージが大きければ大きい程に防御効果を発揮する、言うなればHPフルの状態で一撃死を限りなく防ぐ指輪だ。皮肉にもUNKNOWNの攻撃力が高過ぎて、鉄血の指輪は存分に効果を発揮したのだろう。

 鉄血の指輪はグリムロックにクゥリが渡した指輪だ。回り回ってクゥリに守ってもらえたような気がして、ユウキは指輪に温もりを覚える。

 生き延びたことに少しだけ安心したユウキが嗅いだのは、いつも傍にいて、甘えるように顔を舐めてくれた黒狼のニオイ。

 血の混じった黒毛の肌触り。それが指先に触れ、茫然としたユウキが見たのは、寄り添うようにして息絶えたアリーヤの骸だった。

 胸、首、背中にそれぞれ致命の深手を負っている。せめてユウキに意識さえ残っていれば、回復アイテムを使って延命させることができたかもしれない。だが、それは過去の仮定であり、残酷にユウキは黒狼の死に触れる。

 

「アリーヤ、起きて」

 

 マクスウェルがテイミングして、本来ならば彼の配下として動くべきアリーヤであるが、その性格が災いして彼には素っ気なく、ユウキやジュリアスにばかり懐いていた。

 特にユウキのことは気に入っていたのか、マクスウェルの命令に反して傍にいることも多く、彼女にとってはDBOでの孤独を紛らわす大切な友人だった。

 その臆病な性格は問題視していたが、だからこそ脅威を前にすれば逃げ出すので、決して死ぬことは無いだろうとも楽観視していた。

 

「アリーヤ」

 

 だから、逸れた後もきっと必ず会えると思っていた。いつも通り、ひょっこりと現れてはお腹を広げてナデナデしろと要求してくるのだろうと、そんな甘い展開を勝手に想像していた。

 

「アリーヤ!」

 

 だが、彼は自分が思っているよりもずっと勇敢だった。ずっとずっと、自分のことを大切に想ってくれていた。

 もっと優しくすればよかった。もっと気にしてあげれば良かった。もっと、もっともっともっと……! そんな後悔が胸の中で渦巻く。

 

「ごめんね、アリーヤ。ボク……ボクが『弱い』から……キミを死なせた」

 

 アリーヤの遺体を抱きしめ、ユウキは嗚咽する。どれだけ謝ってもアリーヤは蘇らない。彼は死んだのだ。ユウキを庇って死んだのだ。彼女が負けたからこそ、本来払うはずだった命という代償を引き受けた。

 止められなかった。UNKNOWNを倒せなかった。アスナとの約束さえも守れなかった。

 

「生きない……と……アリーヤ……が……ボク……守って?」

 

 ふらふらと立ち上がったユウキは、響いた雷鳴にびくりと震える。

 生きる?

 どうして?

 何で?

 もう何も残っていない。

 全部を注いでUNKNOWNと戦ったのに、届かなかった。

 剣士として、スリーピングナイツの生き残りとして、クーを愛する者として戦ったはずなのに、何も成せなかった。

 

「ヤダ……怖い…だれか……助けて」

 

 だが、ここには誰もいない。

 誰もいない。

 ここには誰もいない。

 この胸には何も残っていない。

 

 孤独だった病室の暗闇が食む。潜む穢れが彼女を蝕む。

 

 怖かった。

 

 独りぼっちが怖かった。

 

 だから大切な人たちを呪ってしまった。

 

 その罰がこれなのだろう。全てを失い、空っぽのまま闇に残されるのだろう。

 

 

 

 

 

 

「……ユウキ?」

 

 

 

 

 

 

 だから、その声は闇を照らす『火』だった。

 顔を上げたユウキが見たのは、白い巡礼服を纏った愛する人。

 

「オマエ、どうして、ここに……」

 

 驚いた様子で歩み寄るクゥリに、ユウキは胸が締め付けられる。

 怖かった。孤独が怖かった。だからクゥリはいつだって温かく感じる。

 全てを受け入れてくれるから。それは闇の中にいる者こそ惹かれる優しい篝火だから。

 だが、ユウキは気づく。その歩き方がぎこちない。巡礼服も傷だらけであり、右手から血が滴っている。その双眸は疲れ切っていた。もう何日もまともに眠っていないのだろう。不休で動き、戦い続けてきたのだろう。

 何があろうとも戦い続ける人。

 いかなる敵が立ちはだかろうとも殺し続ける人。

 心折れぬが故に、決して立ち止まらない人。

 

 甘えてはいけない。ユウキはその胸に跳び込みたいのをグッと堪える。笑顔を取り繕う。

 

「……それは、こっちの台詞だよ」

 

 ユウキはジッとクゥリの瞳を見つめて、ああ……そういう事かと息を吐きながら、折れていない右手で自分の胸を触れた。そこに大事に抱えている祈りを感じ取る。

 言ってあげないといけない。

 たとえ、どれだけ穢れていようとも、この言葉を紡がないといけない。眠らせてあげないといけない。

 

 

 

 

「大丈夫だよ。キミはまだ『キミ』のままだよ。ボクが憶えてる……クーのままだよ」

 

 

 

▽   ▽   ▽

 

 

 

 きっと一目惚れだった。

 その『強さ』に惹き付けられた。

 純粋な闘志に、何処か狂っていても真っ直ぐな殺意に、その天真爛漫な笑顔に……心が奪われた。

 だから、あの聖夜にオレの叫びを受け止めてくれたキミの温もりに甘えてしまったのだろう。

 こんなオレを……『オレ』を忘れて欲しくなかった。キミが祈りを持っている限り、オレは何処にいようとも、どれだけ殺し続けようとも、『オレ』を繋ぎ止められる気がした。

 そんな浅ましさが……この甘えが……オマエを壊してしまった。

 

「ボク、忘れないよ。絶対に忘れない」

 

 豪雨に濡れ、その胸に痛々しい傷を負い、ユウキは笑んでいる。

 ただ……オレを眠らせる為に。

 歩み寄る。オレを抱擁しようとする彼女に近寄る。

 

 この胸に飛び込めば……『オレ』を忘れぬ赤紫の月光に包まれれば、きっと眠れるのだろう。悪夢の無い眠りに落ちるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「もう忘れて良いんだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 だから、オレはユウキを抱きしめた。

 

「もう良いんだ。もう十分だ。もう、これ以上……オマエを壊さないでくれ」

 

 オレの祈りがオマエを壊した。

 あんなにも誇り高く、『人』の輝きに満ちていたのに。

 

「これからは、自分の為に祈ってくれ。オレの為じゃなくて、ユウキが『ユウキ』である為に」

 

 そのはずだったのに、オレの祈りが……オマエを呪って穢した。

 

 

 オレの抱擁にユウキは体を震わせて、やがて甘えるように倒れ込んだ。まるで悪夢から逃れて安息に微睡むように。

 

 

 誰かが言った。祈りはいつか呪いになる、と。だからオレの祈りは既に呪いに成り果てユウキを蝕んだ。

 

 ならば、彼女の呪いはオレが奪おう。

 

 もはや悪夢無き眠りなど要らない。

 

 元よりオレには祈りも呪いもない安らかな眠りなど無いのだから。

 

 

 たとえ、一夜の微睡みさえも許されないのだから。




いつしか祈りは呪いになった。

そして、祈りは失われた。


それでは、279話でまた会いましょう。

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