SAO~デスゲーム/リスタート~   作:マグロ鉱脈

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前回のあらすじ

VS欠月の剣盟(魔強化監視者仕様)、開戦


Episode18-34 聖剣の霊廟

「北方は『予想通り』に膠着状態、南方も町や村が続々と我が陣営に旗を掲げています。東方よりの支援によって軍事的には一進一退の攻防が続いていますが、敵陣にも既に我が方に与したいと呼応する声も多く、陥落は時間の問題かと」

 

 アルヴヘイム西方でも有数の都市の1つとして数えられる湖央都市シャンデリン。それは日中は水底まで光が届く程に、夜中は月光を満たした鏡のように澄んだ湖の中心にある島に築かれた、アルヴヘイムでも有数の古い都であり、最も美しいとさえ謳われる地だ。ウンディーネを中心とした貴族が築いた都であるが、信仰の対象は竜だ。アルヴヘイムを生み出す礎となった、今は世界樹となって妖精の国を支える古竜ユグドラシルへの信仰である。それはアルヴヘイムにおいて最古にして最も尊いとされていた信仰だ。

 湖央都市は優秀な騎士団を擁し、長年に亘って覇権を狙う砂上都市を阻んできた。だが、今回のギーリッシュが始めた領土拡大戦争……その皮を今や脱ぎ捨て、反オベイロン派最大派閥だった暁の翅の正当なる後継にして『愚王』オベイロンよりアルヴヘイムの自由を取り戻す『正義』に、何処よりも先に賛同を示した都市でもある。

 西の最大戦力にして孤高を貫く黒鉄都市を除く他の都市や軍団はいずれも今回も湖央都市が音頭を取り、性懲りもなく覇権を狙う砂上都市を『成敗』するだろうと高を括っていた。だが、まさかの湖央都市の1番抜けに調子を狂わされるのみならず、西でも大きな軍事力を持つ2つの都市に挟撃される形となり、徹底抗戦を示すことも支援要請をする暇もなく降伏を余儀なくされていったのである。

 この裏にはギーリッシュの長年の『交流』によるパイプ作りがあったのは言うまでもなく、また今回の裏の同盟に反する有力者が密やかに始末されたことでスムーズに進んだ。これらの暗殺の実行犯は赤髭率いる精鋭部隊であり、単独での暗殺では最も成功率が高いと見込まれたシノンによるものである。

 対多数戦において驚異的な制圧力を発揮する赤髭の≪無限居合≫とシノンの隠密性。2つを武器にして湖央都市の同盟派に塩を送り、西の速やかな制圧と統一に成功したギーリッシュであるが、ここに来てアルヴヘイム北西に位置する黒鉄都市がついに動き出した。

 決して突破されぬ城砦の都。黒火山を追おう巨大要塞そのものが都市と化した地の、不動の山の如き鋼の騎士団。女王騎士団と並ぶ……いや、数だけならば遥かに勝る騎士たちが北進を許さぬように目を利かせる。それだけでギーリッシュの軍の歩みは止まった。また、特にこの数十年の間、領土的問題を抱えていなかった北方はオベイロンの西方の『反乱勢力討伐』という大義にいち早く合致し、また東方の女王騎士団を有する宗教都市からの支援によってその侵略を阻んだ。

 だが、反乱軍【暁の翅】にとって、黒鉄都市という防壁と北方の団結による連合軍化は予想の範囲内だった。北方での膠着状態をいかに長く維持し、その間に多くのトラブルを抱えている南方を速やかに攻略するか、そして女王騎士団というアルヴヘイム2大戦力の内の1つをいかに篭絡するか、それこそが今回の軍略の肝にして全てであるからだ。

 南北の戦線を維持しているのは東からの支援であり、それの中心を成しているのはアルヴヘイム東方の覇者である宗教都市だ。そして、その宗教都市に東のみならずアルヴヘイム全土が大きな信頼を向けているのは、彼らが掲げる教義にして狂気であるティターニア信仰である。

 オベイロンに反してティターニアの評判が良いのは宗教都市より始まったティターニア信仰に全てがあり、それはアルヴヘイムに深く浸透している。オベイロンの悪評が口々に出ない理由の1つには『あのティターニア様の夫だから』と信仰のままに安直な意思を持っている民が多いからだ。

 即ち、宗教都市の陥落とはアルヴヘイムの陥落に等しく、この都市が『オベイロン討つべし』と錦の御旗を掲げれば、それはオベイロンの勅命以上の大きな動力となってアルヴヘイムを震撼させるのである。

 

「だが、戦況だけを見れば膠着状態だ。もう暗殺というカードは使えない。『暴力主義』はオベイロンに付け入らせる隙を生む。これ以上の暗殺の恐怖は軍事同盟において背中を刺すナイフになりかねない」

 

 テーブルに広げられたアルヴヘイムの簡略地図を見下ろし、各都市の推測戦力と戦況が掻き込まれたメモ付きピンを弄びながらギーリッシュは厳しい顔で唱える。湖央都市の中央議事堂にある【竜杯の間】にて行われる軍議には反乱軍・暁の翅の首脳メンバーが集っていた。

 1人は言わずと知れた反乱軍のトップにして新妖精王の座を狙うギーリッシュ。次に彼が最も信頼する砂上都市将軍。醜い火傷を負った古い友のケットシーの娘。ギーリッシュと深い親交があった湖央都市のトップ。実力で選抜されたインプとケットシーを含む多種族混合精鋭部隊を率いる赤髭。単独での暗殺任務を繰り返し成功して敵陣混乱と呼応勢力のアシストを行った功績が大きいシノン。暁の翅の古参メンバーにして随一のキレ者であり、ギーリッシュを暁の翅の新リーダーであると後見を担うロズウィック。そして、物資搬入・装備開発・部隊配置などの諸々の『痒い所に手が届く』雑用に従事するレコンだ。

 

「やはりと言うべきか、女王騎士団……いえ、ティターニア教団恐るべし。よもや北方のみならず、南方まで強引に膠着状態に持ち込むほどの支援まで成すとは何たる底力でしょう。それに各所ではアルフの目撃例もあります。今は小競り合いで済んでいますが、オベイロンの狙いは必然、我らが消耗した時を狙ったアルフという飛行戦力による奇襲でしょう」

 

 砂上都市将軍の進言に、ギーリッシュは重々しく頷く。オベイロンが早期にアルフを投入しない理由は大きく分けて2つ。1つは北方侵略を阻む黒鉄都市にアルフを常駐させている事。次に現状では反乱軍にアルフを全投入するほどの脅威を感じていないという慢心だ。レコンは議事録こそ残せないが、今回の軍議における情報を纏めるべくメモを取りながら、反乱軍の芳しくない現状に喉を鳴らす。

 

「その点だが、俺にはアルフの動きが妙に感じる部分が大きい」

 

 だが、砂上都市将軍を遮るように、軍議を見守っていた赤髭が口を挟む。最初こそは反目こそしていないが、古参と新参の明確な境界線があった将軍と赤髭であるが、今では酒を夜な夜なに酌み交わす程の仲である。赤髭のコミュ力はそのまま統率力に結束しているらしく、彼というリーダーを中心にした精鋭部隊は今や反乱軍でもトップクラスの戦力だ。

 

「こいつは直感だが、アルフ達は何かを『探してる』って感じだな。俺にはオメェらみたいな軍略の着眼ってのは無いが、心の動きを読むことにはそれなりに経験がある。アルフ達の目撃例を統一すると『作戦』って奴を感じない。コイツらは『包囲網』を築いてる。それも街道を見張るようにな。俺の想像だが、オベイロンはこの局面でアルフを割いても探し出したい『誰か』がいるって事だ」

 

 アルフの目撃例を示す青ピンを撫でながら、赤髭は厳しい表情をしてアルヴヘイム東方を指差す。

 

「オベイロンが『囲い込み』をかけてるのは東だ。断じて宗教都市を守るためじゃねぇぞ? 野郎は東から『誰か』を出したくないんだ」

 

「まさか『彼』が東にいるとか?」

 

 赤髭の断言に等しい予想に食いついたのは、軍略については見解を示せないシノンである。あくまで戦士であり、戦術的活躍は期待できる彼女であるが、戦略には疎い。そんな彼女がこの場の出席する価値とは、トップクラスの戦闘能力保有者としての見地から助言を求める為だ。

 シノンが言う『彼』とは【二刀流のスプリガン】であり、【聖域の英雄】たるUNKNOWNだ。レコンも信じがたいことであるが、廃坑都市にてUNKNOWNとシノンはロズウィックのサポートを受けながらランスロットと交戦して『完敗』している。だが、UNKNOWNがほぼ単独でランスロットと剣戟できた時点でアルヴヘイムの歴史上では伝説級の剣士として認められるに足る功績である。そんな『彼』を対ランスロット戦及びオベイロンとの決戦に備えて準備したいというのは反乱軍の総意だ。

 同じくギーリッシュが欲しているのは赤髭が『馬鹿正直に正面から戦えば俺以上だ』と認めるユウキ、そして≪剛覇剣≫という英雄の業……ユニークスキルを有するランク1のユージーンだ。UNKNOWN、シノン、赤髭にこの2人が加われば反乱軍の対ランスロット戦は格段に楽になるのは間違いない。いや、むしろこの5人が揃っても、なおも勝ち目がないとねれば、ランスロットを倒すにはそれこそ大ギルドの精鋭という精鋭のみならず、サインズ傭兵のランカーたち……正面切った戦闘ではぶっちぎりの最強と目されるグローリー、その実力は未だ底知れずとされるワンマンアーミーのスミスなどの協力も必要となるだろう。

 もはや次元が違う。ランスロットと実際に戦ったシノンは『単純に比較はできないけど、竜の神以上に厄介な相手ね』と太鼓判を押した。バケモノ級のタフネスと破壊力、なおかつ粘り強さを持っていた竜の神と『人型』が比肩すると言われてる時点で色々とバランス崩壊であるが、シノンが率直に感じたランスロットへの意見は何度発言を求めても変わらなかった。

 

『私見だけどハッキリ言うわ。ランスロットは「数」を揃えるよりも、抑え込める「1人」の方が必要よ。サンライスはDBOで人型ネームド最強「だった」【竜殺し】のイヴァをほぼ単独で抑え込んで、なおかつ撃破寸前まで追い込んだわ。人型ネームドの従来の攻略法は「囲んでボコる」だったけど、ステージ難度が上昇すればするほどに、対集団戦においてカウンター処置を持っている人型ネームドは増えている。ランスロットの瞬間移動はその極地よ。いかにランスロットと斬り合えるか。それができる「1人」とサポートメンバーが必要になるわ』

 

 シノンが推薦した『ランスロットと斬り合える1人』はUNKNOWNだ。これはシノンとロズウィックという生き証人がいる。最終的には押し込まれたとはいえ、それまでにランスロットと剣戟できた事実を鑑みれば、彼が休めるインターバルを差し込める交代要員と適確にサポートを入れられる面子さえ揃えば、ランスロット撃破という勝算は大きく高まるというのがシノンの見解だった。

 ランスロットと『膠着状態』を作れる『1人』を頼みの綱にして、その綱が切れないように休める『交代要員』を準備し、なおかつ戦いを楽にできるコンビネーションを組める『サポート要員』を準備する。レコンからすればナンセンスであり、なおかつ過去のボス・ネームド攻略を否定する個人頼りの戦法である。だが、2度のランスロット戦を生き延びたロズウィックはそれしかないと頷き、歴戦の剣士である赤髭は『あの頃の白黒コンビさえいれば……』と愚痴を零しながら賛同した。こうなればレコンに意見する余地はない。

 だが、同時にレコンが気になるのはロズウィックが敢えて推薦しなかった『ランスロットと戦った白い戦士』である。瓦礫に埋まったシノンから遠ざけるべく、ロズウィックの願いを聞いてランスロットを引き剥がした謎の人物だ。ロズウィックは意識が朦朧としていたが、とても美しかった『彼女』はUNKNOWNとは別の境地……剣技ではなく、戦技ですらない、理解の及ばない『殺し』の深奥で以ってランスロットの興味を奪って引き離したという。

 無論、あの状況かつ単独でのランスロットとの戦闘続行ともなれば、ほぼ死亡は間違いないだろう。安否不明のUNKNOWN以上に生存率は低い。故にレコンも『使えない戦力』として既にカウントしているのであるが、その話を聞いた時に赤髭が示した奇妙な反応……まるで『懐かしむ』ような髭を撫でる動作が気になっていた。

 

「確率は低いな。オベイロンもUNKNOWNを気にしちゃいるだろうが、ランスロットに敗れたとなれば、ここまで警戒心を強めているのも変だ。事実として、野郎はこの局面においても慢心している。自分の喉元に刃が突き刺さるなんて微塵も思っちゃいねぇ」

 

 赤髭の発言にムッとした様子のシノンであったが、筋が通っていると納得したのだろう、いや、あるいは彼女にとって先の発言とは『そうであって欲しい』という願望だったのかもしれない。UNKNOWNに固執するシノンは以前に比べれば軍議にも作戦にも積極的に参加しているが、UNKNOWNの情報をより貪欲に求めるようになっている。

 

(それで精神が安定している分には結構だけど、『いない』戦力を当てにし続けるのもなぁ)

 

 レコンは頭を掻きたくなる指を押さえながら、途端に軍議への興味を半分以上失ったシノンに目を細める。そもそも『生死不明』である以上、UNKNOWNにもユージーンにも過度な期待は持てないのだ。むしろ、廃坑都市の状況を考えれば、死亡している確率の方が格段に高い。いかに欠月の剣盟が命を張った救出を行ったとしても限度がある。もしかしたら【来訪者】の生存者はここにいる3人だけかもしれないのだ。

 ならば、今ある『駒』でオベイロン撃破もランスロット討伐も立案する方が合理的だ。レコンは自分の判断に間違いはないと思う一方で、同じくらいにDBOにおいて『戦闘』という面において自分の経験の浅さを理解している。最前線の恐ろしさはガウェインで思い知った。あんなバケモノが跋扈している戦場において正常な判断など無いだろう。

 

「同意です。アルフ達の動きは奇妙だ。その中心はオベイロンにとって最大の味方とも言うべき宗教都市近辺にあります。ギーリッシュ様、私はアルフの動向を探るべく、少数の隠密による宗教都市潜入を進言します」

 

 モノクルを手に取ってハンカチで拭きながらロズウィックが赤髭の意見を補佐し、なおかつ提案する。この2人の動き、どちらも事前に『この状況』を想定して打ち合わせしたものだろう。旧暁の翅の幹部と彼らの信頼をつかんだ赤髭のコンビ、どちらも反乱軍にとってはありがたい一方で、今はアルヴヘイムにおける統一戦力の早期樹立を目指すべき場面であり、未だに『旧暁の翅』という『しこり』を作るロズウィックは……少しだけ『邪魔』だ。

 ロズウィックは本人も優れた魔法使いであるが、一騎当千出来るクラスでもなく、ランスロット戦では最低限のサポートを成しているとも言い難かったと本人自ら証言している。また、彼は人間関係の調整、事務、軍略などに秀でこそいるが、非情になりきれず、戦力を『駒』として割り切れない。そうした人材は必要不可欠であるが、それは時間に余裕がある場合だ。一刻も早い南進と宗教都市の掌握が必要な場面において彼と彼が担う旧暁の翅という派閥は『旨み』がもう無いのだ。ギーリッシュが反乱軍を作り出し、反乱軍・暁の翅と名乗った時点で『吸い尽くされた遺物』なのである。

 ならばすべき事は『1つ』か。レコンは口元で薄笑いが描かれるのを、唇を噛んで堪える。後で『プラン』をギーリッシュに提案しておく必要があるだろう。それにこの流れは『プラン』の実行上において難題を1つ減らしてくれる。

 

「だったら私が行くわ。単独行動で隠密性も高い私が潜入にはうってつけでしょう?」

 

 そう、まずはシノンが自薦する。これは読めているとレコンは踵を音もなく踏む。

 

「いや、オメェは駄目だ。南の膠着状態を動かすのは、場合によってはオメェが頼りになる。多少強引な手も必要になるだろうからな。砂の旦那、軍で1番の馬を貸してくれ。俺が商人に化けて早馬で街道を駆ける。同伴は3人……いや、2人で良い。俺の部隊から借りるぞ」

 

「簡単に言ってくれるね。君が抜けると大きな損失だというのに」

 

「ちょいと気になる事があってな。ほら、南の難所の霜海山脈……誰も山越えできなかった永遠の冬の地に『春』が訪れたそうじゃねぇか。これはオメェにはまだ理解できない理屈……ダンジョンっていうこの世界の『ルール』の1つが関わってると俺は踏んでる。伝説の限りでは西に黒火山、北に白の森、南に霜海山脈、そして東に……誰も見たことが無い月明かりの墓所。単純に距離の問題だ。霜海山脈から黒火山より、月明かりの墓所があるって噂の伯爵領の方が『近い』。だから『会える』確率が高まる」

 

「『会える』? 誰にだい? もしかして【二刀流のスプリガン】かな?」

 

 赤髭の離脱を『よろしくない』と考えるギーリッシュの問いかけに、トレードマークのバンダナを少しだけ、再び『懐かしむ』ように引き下げて赤髭は目線を隠す。

 

「さぁな。あくまで俺の勘だし、本命はそっちじゃなくてアルフの奇怪な動きの方だ。安心しろよ。俺に裏切る余地がないくらいはオメェも分かってるだろ? オベイロンを倒す以外に俺たち【来訪者】に生存の道はない」

 

 真っ直ぐに見つめる……いや、睨む赤髭に、ギーリッシュは笑って頷く。視線を合わせた数秒の間の、互いの腹を探り合う計算の結果、ギーリッシュは赤髭の案を飲む方が事を有利に進ませると判断したのだろう。

 そこで1度軍議はお開きとなり、各々は解散して立ち去る。ロズウィックと少しだけ言葉を交わして肩を叩いてにこやかに別れを告げた赤髭は、退出に向けて資料を抱えるレコンに歩み寄った。

 既に部屋にはレコンと赤髭しかいない。最後に後片付けとしてテーブルに広げられた地図を隠すシーツを敷くレコンを手伝いながら、赤髭は小さく口を開いた。

 

「悩んでんのか?」

 

「何がですか?」

 

「たくさんの人を殺した事だ。ギーリッシュの天下を取らなきゃ始まらなかったとはいえ、オメェは不本意に手を汚した。十分に後悔したはずだ。罪悪感を覚えたはずだ」

 

 今更そんな事か。レコンは小さく拳を握りながら、あの夜……砂上都市で行われた反ギーリッシュを掲げるだろう貴族を『成敗』した夜を思い出す。

 喉まで押しあがるのは自身への嫌悪感であり、殺人を正当化する正義感だ。あの貴族たちは腐っていた。死んで当然の連中だった。自分はアルヴヘイムの為に正しい事をしたのだ。

 

「悩んでませんし、後悔もしてません。僕は『正しい』と思ったから殺しました」

 

「……本気で言ってんのか?」

 

「ええ」

 

 嘘だ。腹の底に堪った感情が囁く。だが、レコンは今更止まれるものかと、何処か悲しそうな赤髭を睨み返す。

 赤髭は腰にあるカタナを抜き、その薄く鋭利な刀身を振るう。それはテーブルを挟んでレコンに切っ先を向けて止まる。

 

「オメェに教えたはずだぜ。人殺しに後悔を持て。そうしないと何も感じなくなっちまうってな」

 

 暗殺前の夕暮れ、自分を気遣ってくれた赤髭の言葉が蘇り、レコンは喉を引き攣らせる。だが、押し込まれるものかとDBOで最大の犯罪ギルドを率いる男から視線を外さない。

 もう戻れない。戻れないのだ。レコンは『自分がした事』が次々と蘇って、呪われて、赤髭を淡々と睨み続ける。

 

「……すっかり逞しい面になっちまったな。男子三日なんたらってか? そりゃそうか。このアルヴヘイムは……オメェには重過ぎる試練だったもんな。それに童貞も捨てたしな」

 

「童貞は関係ないでしょう!?」

 

 顔を赤くして反論するするレコンに、赤髭は楽しそうにニシシと笑い、やはり寂しそうに目を細めてカタナを下ろした。

 

「それがオメェの決めた『答え』なら覚悟を抱いて歩みやがれ。俺は何も言わない。誇りを持って進め。万人が罵ろうとも俺はオメェを認めてやる。だが、心しておけ。惰弱な発想は自分だけじゃなくて周囲を壊死させる。オメェの胸に何度も問いかけろ。『本当はどうしたいのか』ってな」

 

 左拳で自分の胸を数度叩く赤髭はカタナをくるくると回した後に、レコンに『力』を見せつけるように収めた。

 

「……そういや失敗して残念だったな。オメェの発案だろ?『反オベイロン派を敵対勢力に騙らせて村々を襲撃させ、こちらの評判を貶めたところで、襲撃者を捉えて内情を大々的に吐露させて南方の民意をつかんで、なおかつ反抗勢力を生んでそれを丸ごと反乱軍に取り込む』……クラウドアースが諸手を挙げてスカウトしてくれるぜ」

 

「知ってたんですか?」

 

 赤髭は何だかんだで人情を重視するロズウィックと同じタイプの人間だ。犯罪ギルドのリーダーとして清濁併せ呑むが、その人情溢れる人格からこの作戦には反対するだろうと、レコンは直接ギーリッシュに直談判して通した作戦だった。彼が作った策謀自体はまだ杜撰と呼べるものであり、ギーリッシュと彼の側近たちが修正を加えた。だが、根本となる骨格を生み出したのは……多くの無実の人々を殺戮する計画を立てたのはレコンだ。

 

「俺を舐めるんじゃねぇよ。それくらいお見通しだ。まぁ、悪くない策だぜ。犠牲と割り切るならば俺も賛成してやってたくらいだ」

 

「……意外です」

 

「俺は犯罪ギルドのトップだぜ? 悪党が今更悪行に躊躇するかよ。俺たちのせいで人生狂った連中が山ほどいるんだ。麻薬アイテムが蔓延しない為とはいえ、管理して売り捌ける体制を作ったのも俺たち……いや、俺が指示した。俺がゴーサインを出した。だから俺の責任だ」

 

 何かを思い出すように赤髭は窓の向こう側……昼間の光を浴びて輝く湖に眼を向ける。その哀愁が漂う背中には彼が歩んだ道のりだろう。レコンは彼に合わせるように同じ風景に視線を向けるも、彼と同じモノが見えている気はしなかった。

 

「シノンは『まだ』引き返せる。オメェもだ。だから選択を誤るなよ。オメェの『答え』はきっと道半ばだ。俺とは違う。俺は最後の選択をしちまった。もう後には退けねぇ。退く気もねぇ。俺はこの『答え』を貫き通す。その為なら死んでも構わないって腹も括ってる。俺の『答え』を『大義』と胸に抱いて死んでくれる仲間もいる。これ程に嬉しい事はねぇさ」

 

 最後の選択? 赤髭が何を言いたいのか分からず、レコンは戸惑いながら、静かに去っていく赤髭を見送る。だが、彼は何かを思い立ったように出口まであと1歩の所で踏み止まった。

 

「砂の旦那は気づいてる。どうしてオメェの作戦が失敗したのか。『メッセージ』にちゃんと気づいてるからこそ、失敗を最大限に利用する方向に動いた。村々の虐殺を内部告発の方向へシフトさせ、南の連中の内輪揉めを生もうって腹だ。分かるか? オメェの作戦は『誰か』……組織じゃない『個人』の『力』で捻じ伏せられた。それも『気まぐれ』でな。策謀家にとってこれほどに恐ろしい事はねぇぞ? 何せ戦力を『駒』扱いしている奴らからすれば、そいつは盤上のルールが通用しない、本物のイレギュラーだからだ。計算が何もかも狂っちまう」

 

「……イレギュラー」

 

「まぁ、俺が言いたいのはそれだけだ。オメェも気を付けろ。人様の『命』を『駒』扱いしている『重み』が分かってない奴は、いつかテメェの頭に入って無かった理不尽な『力』で首を刈り取られるぞ。ミュウも、セサルも、ギーリッシュも『命』を『駒』にできる連中だが、その分だけ『重み』を知ってる。単純に数だけで考えるだけじゃねぇさ。そこにある『個人』って奴を勘定に入れた上で『駒』として扱える。何処までも非情にな。だからこそ連中は『恐ろしい』んだ。だが、オメェは果たしてどうかな? 俺はちっともオメェを『恐ろしい』とは思わないぜ?」

 

 レコンを試すように赤髭は笑う。その双眸は既にレコンを『認めた』眼差しだ。だが、それでも兄貴面をして心配してくれている眼差しだ。それがレコンにはどうしようもない責め苦に感じられてならない。

 

「『最後の選択』って時を感じたら、しっかり迷って、考えて、悩んで、心を決めて『答え』を出せよ。じゃねぇと後悔する事だって出来やしねぇさ。オメェが必要なら幾らでも相談には乗ってやる。少しくらいなら無茶にも付き合ってやる。だから……選択を誤るなよ?」

 

 赤髭は今度こそ退室する。孤独に残され、レコンは淡々と後片付けに終始する。

 何も間違った事はしていない。自分は正義を歩んでいる。人殺しだって肯定されて然るべきだ。アルヴヘイムをオベイロンの手から解放するという大義に犠牲は付き物だ。より効率を重視しないといけない。それが『正しい』事なのだ。

 

「そうだよ。早く、早くリーファちゃんを……リーファちゃんを助けないと」

 

 顔を右手で覆い、レコンは必死に自分に言い聞かせる。

 だが、果たして今のレコンを見て、リーファは笑ってくれるだろうか? 大好きだった笑顔を向けてくれるだろうか?

 DBOで初めての殺人をした夜、リーファは泣きながらレコンを受け入れてくれた。彼の殺人を肯定してくれた。仕方なかったのだと認めてくれた。

 

「僕は『正しい』事をしているんだ!」

 

 今は反乱軍によるアルヴヘイム統一を成し遂げ、オベイロンを倒す戦力を集める事だ。オベイロンも反乱軍に危機感を覚えれば、形振り構わない……廃坑都市の悲劇のような大戦力による攻勢を仕掛けてくるだろう。そうなっては遅いのだ。

 だから、今は1つでも不安要素を潰す。レコンはごくりと喉を鳴らし、『プラン』を練り直す。ロズウィックには消えてもらわなければならない。彼は既に『不要』な人材だ。むしろ、彼の存在こそが新旧のわだかまりを生む危険要素になりかねない。

 

「そうさ。僕は……僕は……『正しい』事を……」

 

 顔を手で覆い隠しながら、レコンは自分に言い聞かせる。彼を戦士と認めてくれたケットシーの深淵狩りのメノウが脳裏を過ぎる。

 聖剣。そんな『力』さえあれば……英雄になれる『力』さえあれば……! レコンはいつかのダークライダーの嘲りを振り払う。

 

「僕は自分に出来る事をしているんだ。それの何が悪いんだ? 何が悪いんだ!?」

 

 泣き叫ぶレコンに慰めの言葉はなく、また彼を止めるべく手を引いてくれる者もいなかった。

 

「メノウさん。聖剣さえ……聖剣さえあれば、僕は……僕はこんな風に……」

 

 分かっている。メノウはレコンの『正義』の為に聖剣の物語を聞かせたのではない。そんなモノの為に聖剣を見つけてと望んだのではない。

 彼女は託したかったのだ。深淵狩りに語り継がれる聖剣の物語を……レコンに憶えていて欲しかったのだ。彼女が認めた『戦士』として……深淵狩りの誇りと共に記憶に残してもらいたかったのだ。

 

 

▽   ▽   ▽

 

 

「ふむ、月光藻か。月明かりも届かない地下で、こんな珍しい薬草に出会えるとは。少し貰っていこう」

 

 地下道はほぼ1本道であり、暗闇を浸す水流の音ばかりが反響している。だが、完全な暗黒ではなく、所々で露出した鉱石やクリスタル、そして水辺で群生する植物の発光が薄くだが地下世界を照らし出す。

 ガイアスが興味津々に採取しているのは水流から切り離された静寂の水辺に群生する、まるで翡翠を思わすような、暗くも鮮やかな碧の光を宿した藻である。

 

「欠月の剣盟……深淵狩りたちが重用する薬草の1つだ。緑花草は体力を引き上げて彼らの剛剣を支え、月光藻は魔力の回復を促す。どちらもアルヴヘイムでは滅多に見かけられない貴重な品だ」

 

「へぇ、奇麗だね。月光って名前は淡く光ってるからなの?」

 

 物珍しそうに水辺で鮮やかに、だが優しく淡い光を湛える藻を見つめながらユウキは尋ねる。嬉々として月光藻を採取していたガイアスは難しい表情をした。

 

「由来は分からん。だが、一説では彼らの伝説にある聖剣はこれに似た光を宿していたらしい。深淵狩りの伝説にも聖剣についても余り詳しくないので何とも言えんがな」

 

「……聖剣か」

 

 ガイアスを手伝って月光藻を集めていたUNKNOWNは興味が惹かれたように呟く。やはり剣士として聖剣というフレーズは無視できないのだろう。ユウキも同様だ。聖剣や魔剣といったワードはファンタジーでは欠かせない要素であり、無条件で興奮を煽るものである。

 DBOにおいて聖剣や魔剣と冠した武器は存在している。だが、その中でも最も有名な聖剣は言わずと知れたアストラの直剣だろう。序盤に入手できる準ユニークの片手剣であり、『強力な祝福が施された上質の武器』という武器説明と初期にしては厳しい装備ステータスに反して、その性能は余りにもお粗末。故にプレイヤーたちは『産廃の聖剣』と呼んでいるのだ。

 だが、最初期にディアベルの呼びかけに集ったあるプレイヤーはこのアストラの直剣を愛用し続けた。産廃と誹りを受けながらも愛情を込めて最大強化し、熟練度限界に早々に達した伸びしろもない片手剣を振るい続けた。そうして、ついに訪れた危機で、アストラの直剣は折れたのだ。

 その時になって解放されたアストラの直剣の真の姿……その名も【アストラの聖剣】。隠された複数の解放条件をクリアした時、アストラの直剣はまさしく聖剣となって蘇ったのだ。聖剣を携えていたそのプレイヤーは既に亡くなっているが、今もアストラの聖剣は聖剣騎士団に保管されているという。一説ではこのアストラの聖剣を得たプレイヤーへの哀悼を込めて、ディアベルはギルドの名前を『聖剣騎士団』にしたのではないかと噂されている。

 なお、これも噂の範疇であるが、名前が聖剣に変わって常に白光を纏っている事以外はステータス的にアストラの直剣と大して変わっていなかったらしい。故に1部のプレイヤーは『超強力な祝福が施された上質の聖剣』と亡きアストラ直剣愛好プレイヤーに敬意を込めてネタ聖剣として今も親しんでいる。

 

「……暁の翅と欠月の剣盟には浅からぬ確執があった。だが、団長のガジルとはそれなりに手合わせした事もあるし、数度だが酒を酌み交わした事もある。奴は思慮深く、聡明で、厳つい顔の割にジョークを好む男だった」

 

「ガイアスさんと同じくらいに強かったのか?」

 

「私以上だ。深淵狩りの剣技は尋常ならざるもの。私には真似などできなかったよ。彼らはまず強く、次に深淵を憎み、そして聖剣に焦がれていた。1度だけガジルは零したことがある。欠月の剣盟の初代団長より語り継がれる始祖の物語。偉大なる始祖は聖剣と邂逅を果たしたそうだ。月光の聖剣とな」

 

 月光の聖剣。ユウキは月光藻を手に取り、その深く暗い碧の光に聖剣の面影を感じ取ろうとするも、まるでイメージができなかった。むしろ、視界を過ぎったのは『やり過ぎちゃった☆』と最高に良い笑顔でウインクしてグーサインするグリムロックの顔である。

 だが、UNKNOWNはやや前のめりになってガイアスに話の続きを促す。彼も知っている情報は少ないのだろう。腕を組んで昔話を思い出そうと唸る。

 

「言っただろう? 私も詳細は知らない。だが、暁の翅は聖剣があればオベイロンを倒す大きな『力』になると目論んでいた。暁の翅は再三に亘って聖剣を探し求めたし、東の女王騎士団は今も月明かりの墓所があると伝説に残る神隠しの伯爵領に探索隊を派遣していると聞く。だが、誰も聖剣と巡り合った者はいない。長い欠月の剣盟の……深淵狩りの歴史でも、1人として聖剣を手にした者はいない」

 

 月光藻の採取も終わり、ガイアスは松明を掲げて出発する。小アメンドーズの遺体が流れてきていた以上はオベイロンの軍勢の残存がこの暗闇に潜んでいるかもしれないのだ。歩みは慎重に、だが足早に進まねばならない。

 怖い。ユウキは光こそあるが、暗闇に満ちた地下に不安を覚える。病室の暗闇が蔓延っている気がして左手首を右手でつかむ。

 

「聖剣。聖剣かぁ……」

 

「無いモノをねだっても得られないよ?」

 

 UNKNOWNの気持ちは分かる。聖剣に燃えない剣士はいないし、この苦境において聖剣の伝説を追う価値は『時間的余裕』があれば十分にあるだろう。だが、UNKNOWNにはすでにドラゴン・クラウンという聖剣級のユニークウェポンと異質の変形機構を備えたメイデンハーツという、DBOでも屈指の名剣がある。今回の廃坑都市を目指す旅の目的には、残されたままのドラゴン・クラウンの回収も含まれているのだ。聖剣に浮気しては竜神の剣が泣いてしまう。

 

「私も男だ。聖剣を1度は振るってみたいと願ったことはある」

 

「やっぱりそうだよなぁ! 聖剣ってだけでカッコイイし!」

 

「おお、分かるか!? 私も若い頃は深淵狩りに憧れて聖剣を探し求めたものだ! ははは!」

 

 UNKNOWNに同意するようにガイアスは弾んだ声と共に頷く。男2人に比べて聖剣への熱意に欠けたユウキは小さく溜め息を吐いた。

 

「聖剣も良いけど、キミにはドラゴン・クラウンがあるでしょ? それよりも、見つけたとしてどうやって修理するの? 耐久度の回復はアイテムを注ぎ込めば何とかなるかもしれないけど、破損していたら工房設備と修理素材が必要になるし……」

 

「性能は落ち込んだとしても他の剣よりも見劣りしないさ。それにドラゴン・クラウンには取って置きの能力もあるしな」

 

「へー」

 

「ほ、ホントだぞ!? その名も【竜神の拳】! 竜の神の拳を召喚して強烈な打撃属性で攻撃するんだ! 強烈無比! ネームドの竜騎兵だって一撃でHP大損とダウンを取れるくらいに――」

 

「ふーん。でも、ランスロット相手に使えなかったって事は、かなり『溜め』がいる能力なんだろうね。燃費も凄い悪そう。要するに『強力だけど実戦的じゃない』の見本だね! さすがユニークドラゴンウェポン! 頼りになるよ!」

 

 笑顔で毒を吐くユウキにUNKNOWNは『ド、ドラゴン・クラウンの売りは高い物理攻撃力と耐久度、あと火炎属性防御力の上昇だから』と震えた小声で愛剣の援護をする。ラジードが扱うことで有名なイヴァの大剣もそうであるが、ドラゴン・ウェポンは総じて強大な能力を持っているが、竜の特性を反映したように大味なのだ。

 その点を考えれば、メイデン・ハーツはオーダーメイド、変形機構の第一人者であるマユの力作にして、UNKNOWN用に調整されているだけあって、彼の戦闘スタイルを補完するべく性能は纏められている。片手剣のまま複数のモードチェンジを可能とし、なおかつ『あのHENTAI的機構』で火力増産や補助強化を行うのはグリムロックも顔面蒼白で悔しがるだろう。

 だが、それでもUNKNOWNがメイデンハーツの能力を引き出しきれていないとユウキが感じるのは、比較対象が対象だからだろう。そもそもどんな武器でも特殊な機構や能力はせいぜい1つ、多くても2つだ。それ以上は使い勝手が異常に悪くなり、また戦闘時の判断を鈍らせる。メイデンハーツは『多機能過ぎる』のだ。まだUNKNOWNは変形武器を『剣』としてしか使えていない部分が大きい。

 とはいえ、それは仕方ない事だろう。いきなり多機能が備わった剣を渡されて『剣の範疇を超えた扱いをしろ』と言われても熟練には時間がかかる。そもそも武器を新調して間合いや重量が僅かに異なるだけで、戦いのテンポが崩れるプレイヤーは多く、まずは熟練度上昇と共に武器の癖を把握するために長い時間をかけるのだ。だからこそ、武器の新陳代謝は必然として遅くなり、1つの武器を長く愛用する。それを推奨するのが武器ごとの熟練度設定だ。プレイヤー絶対殺すの意思を持っているはずなのに、プレイヤーの能力を引き出す為に余念がない後継者の細かいところに気を利かせた美学の片鱗である。

 グリムロックさんの作品はどれも『多機能』どころじゃないんだよね。ユウキは左手に握る影縫に顔を顰める。刃をワイヤーで射出して操る機構を備えた影縫も使い慣れるのに時間をかけたのだが、『色々とオミットし過ぎて面白みがない武器になってしまったよ』とグリムロックに一言で切り捨てられた時には、この人は一体全体何を追い求めているのだろうかと本気で悩んでしまった。

 

(贄姫とか使いたくない。うん、使いたくない。使えるとしても使いたくない)

 

 水銀を利用してリーチを伸ばすだけではなく、多機能満載のカタナはあろうことか、DBOでも目立ち始めた随意運動の上位機能……意識操作さえも使われていない、純粋な『手動』なのだ。僅かな指の動作、握力、構え、手首のスナップ、モーションで全て管理されている。あれ程に見事に水銀の刃を操っているが、クゥリ曰く贄姫を扱うのは『繊細過ぎて少しでも誤操作したら自分が斬られる。冗談抜きで自分がバッサリだから』と真顔でのA級危険物判定である。

 なお、グリムロックも大ギルド同様に随意運動や意識操作を盛り込んだ武器の開発には積極的であるが、『クゥリ君のVR適性が足りなさ過ぎてピクリも動いてくれない。というか、使おうとしたらクゥリ君が頭痛で悶絶して転げ回っちゃう。悔しい。でも研究進めちゃう』との事だ。

 

「あー、その、何だ。私も事情は知らなかったが、その剣はそんなに凄いものだったのか?」

 

 あ、そっか。アルヴヘイムの武器は軒並みに『鉄屑』級だった。ユウキは失念していたように、ドラゴン・クラウンの能力に若干以上に慄いているガイアスに、自分の感覚、他プレイヤーの感覚、そしてアルヴヘイムの住人の感覚、それぞれに大きな隔たりがあると気づく。

 クーとグリムロックさんを基準で考えたら駄目なんだよね。ユウキは自分の定規も随分と狂い始めている事に嘆息しそうになる。

 だが、ドラゴン・クラウンの能力がUNKNOWNの説明通りならば、確かに強力な切り札だ。人型ネームドは総じて耐久面が低い。1発の重みはその分だけ逆転のチャンスがあるという事だ。ランスロットの足を止めて打ち込めば、その真価を思う存分に発揮できるだろう。

 暗闇と同化する黒毛のアリーヤは岩から岩へと飛び移り、周囲を警戒しながらユウキを導く。冷たい地下の湿った空気を吸い、足が滑らないように注意を払う。

 

「大体にして、アルヴヘイムに聖剣があるかどうかも疑わしいよ」

 

「そうかな? 俺はアルヴヘイムにこそ聖剣があると思うんだ。ほら、アルヴヘイムって名前の通り、ALOをモデルにしてるだろ? 確かALOには目玉のレジェンドリーウェポンでエクスキャリバーがあったし、それに倣って聖剣があるかもしれないじゃないか」

 

 崖のような直角の岩場から激流の滝が音を立てている。先んじて這い上ったUNKNOWNがユウキに手を伸ばして引き上げようとする。躊躇した彼女であるが、意地を張ってもつまらないとその手を握る。

 

「だったらヨツンヘイムに行かないとね。アルヴヘイムが原形通りの地形なら、何処かに地下世界の入口があると思うよ。でも、これだけ地形変動が起きていたら、真っ先に地下世界なんて壊れてるはず。聖剣も文字通り闇に消えてるかも」

 

 ユウキとは比較にならないUNKNOWNの高STRは重量級片手剣を振るう為に必須のステータスだ。崖の上にまで引っ張り上げられたユウキは随分と地下水道も進んだはずだと額の汗を拭う。元より男2人に比べてCONも低い彼女では長時間に亘っての歩き旅もスタミナの消耗も早期に訪れる。緩やかなスタミナ回復速度の落ち込みは疲労そのものだ。

 今からでは遅いが、これからは少しでもCONにポイントを振らないといけないかもしれない。ユウキは余りにも早期決戦、『1人のプレイヤーを殺しきる』だけを重視し続けた自分の成長方針に小さな後悔を抱く。

 今ならばわかる。どうしてボスが、マクスウェルが、チェーングレイヴのみんながユウキをヴェニデに出向させたのか。

 ユウキには何も無かったのだ。【黒の剣士】を倒すという目的以外に何もなかった。だが、クゥリと出会って彼女の生に新しい色が加わった。穢れと共に生き延びた彼女が死者の為に『命』を使うという目的……その先があるのだと気づかされた。

 姉の為に、スリーピングナイツの為に死んでも構わない。そうした目的意識で穢れから目を背けた。自分だけが反則をして生き延びたという、神様に否を唱えて自分の意思で変えた世界なのに負い目を感じていた。

 

『殉じる「答え」を見つけろよ。オメェが俺たちに協力しているのは【黒の剣士】を倒したいからだ。オメェの「答え」の為じゃねぇんだ』

 

 ヴェニデ出向の日に、ボスは膨れたユウキの頭を撫でながら、そう彼女を送り出した。

 ボスは無事だろうか? 彼女とは比べ物にならないほどに修羅場を潜ってきた男だ。並大抵の事では死なないだろう。きっと今も何処かで生き延びているに違いない。

 ボスとUNKNOWNには溝があると聞いている。SAOについて詳しくないユウキであるが、その原因は99層ボスにあると、少しだけ事情に明るいマクスウェルに『地雷を踏むな』と念を押されたことを思い出す。

 UNKNOWNにわざわざユウキを伝言役にしてメッセージを送ったのは、ボスの『答え』がUNKNOWNとは相容れないからだ。

 99層を忘れていない。それは短くも、リターナー達で……いや、アインクラッド末期を戦い抜いた攻略組の僅かな生き残りにおいてのみ通じる決別の言葉だったのかもしれない。

 

「『力』があれば何もかも解決するわけじゃないよ?」

 

 だからだろうか。聖剣を欲するUNKNOWNが単純に剣士としての憧れだけではなく、歪んだ『力』への渇望に呑まれかけているような気がして、ユウキは残酷と分かっていながらも胸の内を突きつける。

 

「どれだけ『力』があっても過去は変えられない。人の意思で世界は変えることは出来ても、刻まれた過去は取り消せない。やり直せないよ」

 

 スリーピングナイツの皆を、姉を、たとえ一瞬でも呪って憎んだ自分がいた。その事実が変えられないのと一緒だ。ユウキは水流に足を取られないようにアリーヤの毛を掴みながら水場を渡りつつ、UNKNOWNの背中に語り掛ける。

 立ち止まったUNKNOWNは俯いた後に、まるで神を仰ぎ見るように頭上を見上げた。それは暗闇に差し込む光。地下水道が横切る形で崩れた廃坑より差し込む灯の光だとユウキは数秒遅れで気づく。

 

「……ただ1度で良いんだ。アスナの声が聞きたい。俺を……『あの時』無力だった俺を許してほしい。彼女にもう1度笑ってほしい。彼女に全て悪い夢だったんだって言いたい。ただ……ただ、その一瞬を得るための『力』で構わないんだ。間違いだとしても、俺は……俺は……欲しいんだ。俺の願いを阻む『敵』を……オベイロンを、後継者を、ランスロットを倒す『力』を」

 

 ほとんど休み無しで歩き続けた成果だろう。ようやく廃坑都市にたどり着いたのだとユウキは悟る。先に岩場をよじ登って廃坑に身を躍らせたUNKNOWNは仮面に隠された、どす黒く濁った自己嫌悪の憎悪で焼き尽くされた眼をユウキに向けるように振り返った。

 

「神様は正しいのかもしれない。それでも抗いたいんだ。その為には『力』が要る。もっと『力』を。もっと『力』を。もっと『力』を! 真っ当に『力』を得れば進めると思ってた。その為にスミスにだって頭を下げて弟子入りした。ようやく先に進めたと思った。強くなれたって自信を持てた。でも、ランスロットに思い知らされたよ。俺には足りなかった。『力』への執着と渇望が足りなかった。認めるよ。聖剣が欲しいのは『力』を手に入れる為だ」

 

 アリーヤがUNKNOWNから発せられる惨たらしいまでの『力』への渇望と自己憎悪に恐れをなしたように、ユウキの背後に隠れながら毛を逆立たせる。

 

「…………ッ!」

 

 間違ってるよ。そう口が裂けてもいないのは、他でもないユウキが愛するクゥリが常に見せつけてきた事だから。

 

 

 

 どれだけの強い想いがあろうとも、揺るがない信念があろうとも、気高い誇りがあろうとも、尊い願いがあろうとも、戦いにおいて……殺し合いにおいて『力』こそが全てだ。

 

 

 

 余りにも強過ぎた裏切りの騎士がUNKNOWNの『正気』を支えていた『剣士の誇り』さえも打ち砕いてしまった。

 いや、あるいはずっと彼の内側では燻ぶっていたのかもしれない。理想とはすなわち羨望であり、自分に欠けた存在だ。ならば、アインクラッド末期……その『英雄』に至る伝説の傍にあった『相棒』こそが彼に否応なく『力』の必要性を見せつけ続けたのかもしれない。

 

(クーは……クーはそんなキミが好きなんじゃないよ。クーが大好きな『親友』は……!)

 

 だが、言葉には出来ない。ユウキも心の奥底では同意してしまっているからだ。UNKNOWNの『力』を渇望する思想に共感してしまっているからだ。

 クゥリがボロボロになっていく時、彼女はただ無力に眺める事しか出来なかった。何も成せなかった。彼の味覚が失われていた事にも気づけなかった間抜けだ。あまつさえ、それをPoHに指摘されてしまった。

 シーラは愛しているならば追いかけろと言ってくれた。だが、クゥリは強過ぎる。走っても走っても追いつけない。彼女の声は届かない。彼の歩みは止められない。

 ようやく歩みが鈍った時に抱きしめてあげても、その身は傷だらけで腐って膿んでしまっている。いつか手遅れになってしまう。いや、きっとユウキが聖夜で祈りを授けてもらった時には既に……

 

「誤解しないでくれ。ランスロットをみんなで協力して倒すのは賛成だ。俺だけで倒せるとまで驕ってない。より確実性を増す為に『力』がいる。それだけだよ」

 

 ユウキの沈黙を是と取ったのか、UNKNOWNは先程までの空気を隠すように笑った。だが、それは今までとは異なる『これ以上踏み込むな』という叫びのようだった。

 

「『聖剣への渇望は道を誤らせる』」

 

 だが、黙り込むユウキの代わりのように、廃坑を照らす吊るされたランプの光を手で遮って目をゆっくりと慣らしながらガイアスは呟いた。

 

「私も剣士だし、若い頃は武者修行に明け暮れた。ただひたすらに『力』を追い求めた。何の目的も願いもなく、ひたすらに『力』を欲した。キミの事情は分からないが、『力』を追い求めるに足る願望があるならば、若い頃の私よりも健全と言えるだろう」

 

 廃坑には数多の炭のように黒色に変色した、地下に逃げ込んだ暁の翅の生き残り『だった』者たちが横たわっている。他にもレギオンや小アメンドーズの遺体も重なり合っているが、生存している者はいなかった。

 

「だが、私が今日までに得た『力』は、修行という『時間』と実戦という『危険』を代償にして得たものだ。それを掛け算してくれたのは才能だと思っている。君はその若さで私を遥かに凌駕する剣士だ。あのランスロットと切り結べる。その時点で十分に誉れ高く、その剣技は神剣と呼ぶに相応しい域だろう。ランスロットと交戦経験がある私の目から見ても、キミの剣技は裏切りの騎士と同格、あるいはそれを超える資質があるように見える。あくまで『剣』のみに限ればな」

 

 ランスロットの桁違いの強さは、単純な剣技の強さではないと暗にガイアスは指摘する。それはクゥリにも言えることだとユウキは思う。戦士……いや、剣士として比較すれば、UNKNOWNの方が圧倒的にクゥリよりも強いだろう。だが、クゥリの強さは『殺し』に特化されている部分にある。剣技でも戦技でもない、殺しの業……狩りの業なのだ。

 剣士と狩人。交差こそしても決して相容れない道。『勝利』を追い求める剣士と『殺し』を極めんとする狩人は、似て非なる、絶対的な違いが存在するのだ。

 シャルルの森で、狂いながらも剣を向けたクゥリの不屈の闘志……いや、殺意。ユウキとスミスは何とか止められたが、今のクゥリは更に桁違いに強くなっている。もはやスミスも『殺さずに止める』などは今度こそ不可能だと断じるだろう。ユウキの『殺意無き剣』でもう1度クゥリを鎮められるとは思えない。あれは視覚がほとんど失われ、なおかつ豪雨で聴覚がイカれていたからこそ通じた絶技だ。

 

「私も剣士の端くれだ。聖剣を得られるチャンスがあれば火に群がる蛾のように手を伸ばすだろう。たとえ、この身が滅ぼされるとしても聖剣を振るってみたいという願望もある。だが、他でもない聖剣の導きを受けた者たち……深淵狩り達を率いたガジルが言っていた。『我々が聖剣を欲するのは「力」の為ではない。古き時代、確かに存在した始祖の遺志を継ぐ為。深淵狩りであらん事を貫き通す為に聖剣を欲するのだ』とな。彼は知っていたよ。聖剣に魅入られて求めすぎるあまり……聖剣に『力』を欲して身を滅ぼした多くの深淵狩りをな」

 

 何百年、あるいは1000年単位で深淵を討ち続ける使命をアルヴヘイムで果たしていた深淵狩りの剣士、欠月の剣盟。誰よりも深淵の怪物たちと相対した彼らは、アルヴヘイムのいかなる兵士よりも、騎士よりも、将軍よりも『力』の重要性を知っていたはずだ。だが、それでも彼らは聖剣に『力』を欲する事を良しとしなかった。

 ならば、彼らが聖剣を求めたのは深淵狩りの誇りを守る為。彼らが深淵狩りであらんとする証明の為。始祖より遺志を継承したのだのだと示す為なのだ。ユウキはほとんど触れあわなかった深淵狩りの剣士たちを想う。もっと話を交わしていれば良かった。命懸けで自分を救ってくれた……深淵狩りとしての使命を全うした者たちは今どうなっているのだろうかと悔やむ。

 

「もっと自分の剣に誇りを持ってくれ。私はキミに負けたんだぞ? やれやれ、私の数十年に亘る修行と戦いの日々は何だったのだとキミの剣才を見ていると虚しくなるよ」

 

「……ガイアスさん。俺は――」

 

 少しだけ雰囲気の鋭さこそ落ち着いたが、拳を握ったまま言葉を呑み込んで背中を向けて地上を目指すUNKNOWNに、ガイアスはユウキの隣で頭を掻きながら口元まで隠すコートの大きな襟を正した。

 

「ロズウィックならもっと気の利いた事が言えるのだろうがな。私は駄目だ。剣だけに生きてきた戦馬鹿では学が足りん」

 

「十分だよ、ガイアス『お父さん』。彼も『まだ』迷ってるから、きっとガイアスさんの言葉もちゃんと届いてると思う」

 

「……『お父さん』か。まったく、家庭はさっさと持っておくものだな」

 

 茶化すユウキに、ガイアスは小さな後悔を滲ませながら苦笑した。

 ユウキでは貫けなかったUNKNOWNの心の壁を、ガイアスは真摯に、剣士としての言葉で穴を開けた。『力』を渇望してどす黒く濡れた道を進もうとする彼に、『まだ道を選ぶべき時じゃない』と『迷い』を与えた。

 ボスはきっとボクに『迷い』を持ってほしかったんだ。ユウキはよく頭を撫でてくれた、赤髭赤バンダナで兄貴面をした……犯罪ギルドのトップが不釣り合いなほどに人情派の男を思い浮かべる。ボスはもう『選んでしまった』のだろう。他のチェーングレイヴのメンバーも同じだ。もう『答え』を『選んでしまった』者たちなのだ。

 故に彼らは『答え』に殉じる。たとえ、それが万人の正義から程遠くとも、悪とも呼べぬ愚劣だとしても、彼らは『答え』を揺るがせない。

 だが、ユウキの『答え』はまだ見つかっていない。ボスの『答え』とも違う。ボスの『答え』を大義とする『答え』を選んだチェーングレイヴのメンバーとも違う。そして、姉やスリーピングナイツの墓標に神様の間違いの証明をするという目的すらも……彼女の『答え』ではなかった。

 だが、ユウキも『答え』を選ばないといけない時が迫っている。彼女の鍵は揃っている。託された祈りと暗闇で食む穢れと共に。 

 

(だからクー……自分を追い詰めないで。『答え』を誰よりも大切に、尊く、強く求めているキミだからこそ……)

 

 入り組んで迷路のようになっている廃坑都市の地下であるが、幹部であったガイアスはある程度の地理を把握しているのだろう。最初こそ『ところで、この辺りは何処だろうな?』とユウキ達を大いに焦らせ、なおかつ同じ道を10回も巡って冷や汗と脂汗を滲ませたが、無事に地上へと続く昇降機を発見する。

 軋んだ音を立てながらも昇降機は動き出し、ようやく地上の……すっかり暮れた光がユウキ達の目に飛び込んだ。地下にいたのはせいぜい1日か2日だろう。暗闇の地下は時間感覚を狂わせるには十二分だった。

 ユウキはスノウ・ステインを抜き、その軽量級片手剣に纏う冷気を散らしながら周囲を警戒する。UNKNOWNも二刀流の構えを取り、ガイアスは特大剣を抜いて奇襲にも対応できるように神経を尖らせる。最悪のパターン……ランスロットが待ち構えている事に備えてそれぞれが背中を預け合うフォーメーションは地下水道での話し合いで決定したものだ。これならばランスロットの深淵渡り……バランス崩壊級の瞬間移動にも即時に対応できる。

 夕暮れの廃坑都市には怪物の姿は無かった。焼き払われた地上は炭化し、崩壊し、更地となり、ただただ焼死体の残骸が無造作に広がっていた。

 

「……すまん、皆」

 

 寝食を共にした仲間たちの骸に、ガイアスは片膝をつく。だが、既に覚悟を決めていた事だったのだろう。ユウキが肩に触れるより先にガイアスは立ち上がった。

 

「まずはシェムレムロスの兄妹に通じている鍵を見つけるんだよね。何処にあるか知ってるの?」

 

「ああ。本部の地下室に一直線に通じる昇降機がある。だが、こうなってしまっては何処が『元』本部なのか分からんな」

 

 目印となる建物も何も残っていないのだ。都市クラスの広々とした大地に残骸の山となれば、UNKNOWNのお目当てであるドラゴン・クラウンの発見も手間取ることだろう。

 だが、それ以上にユウキの心配を募らせるのは廃坑都市の静寂だ。幾らオベイロンが慢心したとはいえ、戦力を廃坑都市に駐在させないはずがない。そうでなくとも、最低でもレギオンは跋扈しているだろうとユウキは『レギオン絶対殺す』の意思を燃やして地上に出た。

 レギオン1匹いない破滅した都市の風景は、物悲しく、また死した者たちの怨嗟ばかりが海のように満ちているかのようだ。

 

「俺がランスロットと戦ったのはこの辺だと思うんだけど……」

 

「瓦礫の山だね」

 

 幾ら目立つ外見とは言え、剣1本を探し出すには骨が折れる。ユウキは今にも落とし穴のように足下が抜けそうな瓦礫の上を歩きながら、UNKNOWNの竜の神討伐の功績として語り継がれているドラゴン・クラウンを探す。とはいえ、時間経過も長すぎた上にオベイロンの爆撃を浴びて耐久度も大幅に減ったはずである。無傷ならば奇跡、破損だけで済んでいるならば幸運、折れているならば順当、完全消滅も十分にあり得る。

 

「話を聞いた限りでは違うだろうな。もう少し西の方かもしれない」

 

 遺体を見つける度に顔を曇らせるガイアスに先導される中で、ユウキはふと足を止める。それは黒焦げになったヘス・リザードの遺体だ。縦に真っ二つにされた遺体はいかなる剣豪の業か。いや、あの戦場でわざわざ騎獣を『剣』で一撃の名の下に斬り伏せる者は1人しかいない。ランスロットだ。

 かつては大通りだっただろう場所。そこには深淵狩りの剣士たちだろう遺体が幾つも焼き焦げて転がっている。ある者は胴から両断され、ある者は首を失い、ある者は胸に大穴を開け、ある者は両腕を失っても戦ったように剣を咥えたまま地に伏せている。

 壮絶。その一言で済むランスロットに挑んだ深淵狩りの剣士たちの亡骸に、ユウキは自然と両膝をついて手を組む。

 彼らの死を悼みたい。同情でもなく、哀れみでもなく、力尽きる最期の時まで……自分たちの『命』を繋げる為に死力を振り絞った彼らに礼を尽くす為に。

 

「オベイロンを倒そう。彼らの為に」

 

「うん、そうだね」

 

 アルヴヘイムから深淵を遠ざける為に戦い続けたのに、曲がりにも何もアルヴヘイムの王を名乗るオベイロンは深淵の軍勢で彼らを滅ぼした。それは翅を失った妖精たちへの愚弄だ。UNKNOWNに同意したユウキは埋葬できない彼らの為に……始祖アルトリウスの象徴たる『狼』の務めを果たすように遠吠えで弔うアリーヤを撫でる。

 噂に聞く竜の神はプレイヤーも真っ青な格闘攻撃を繰り出したという。一撃で当時のトップランカーを続々と死の淵に追いやったその鉄拳を呼び寄せる。ユウキはランスロット撃破の僅かな期待も込めて黒い剣を探す。

 と、そこでユウキは人影を発見して身構えるが、同タイミングでUNKNOWNも刃を光らせる。『剣士』同士、互いに波長は合うのだろう。二刀流のラッシュ力で押し込む物理戦士とスピードを駆使した魔法剣士。それぞれの持ち味を活かすような立ち位置を取って弱所をカバーし合うフォーメーションを取ってしまい、思わず視線を合わせる。

 

「何でボクに合わせたの?」

 

「キミが合わせたんだろう?」

 

 火花を静かに散らすも、ガイアスが特大剣で地面を叩いて2人は集中を人影に移す。だが、人影は敵意を示す素振りもなく、まるで待ち人を迎えるように、穏やかで、静謐で、そしてユウキの心を掻き乱す優しい微笑みと共に近寄ってきた。

 それは凛とした立ち姿が印象的な、お嬢様といった清楚なワンピース姿の美少女だ。まるで耳のように癖で跳ねた虹の色彩の髪を腰まで伸ばし、肌寒い風の中で揺らしている。

 

「お待ちしておりました、剣士様。お探しの竜神の剣はこちらですね?」

 

 少女は愛おしそうに、重厚な黒の刀身を持つ剣を抱きしめている。間違いなくドラゴン・クラウンだ。敵意を示さない、まるで聖女のような笑みにユウキの警戒心はどうしようもなく緩んでしまいそうになる。

 廃坑都市に、汚れ1つない姿で、平然と女の子がいるはずがない。ならば、目の前は人外の『何か』のはずだ。だが、深く探れないのは彼女が描く聖女の笑みに愛おしき人を重ねずにはいられないからか。

 

「申し遅れました。私は【グングニル】。皆様をシェムレムロスの兄妹の元へご案内する役目を『お母様』より承っています。以後お見知りおきを」

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 出口は既に封じられ、逃げ場なくモンスターと化した深淵狩りの剣士たちが武器を手に蘇る。

 連射式クロスボウはモンスター化に伴って攻撃力が強化され、片手持ちの大剣は一閃の度に剛なる刃となって荒れ狂う。

 オレの死神の剣槍ほどではないが、打撃属性を重視した刃は深淵の怪物たちを叩き潰し、あるいは硬い外皮を砕く為のものだろう。

 モンスター化した深淵狩りの剣士たちに『命』はない。彼らは記憶のままに……その戦いの生涯を遺憾なくオペレーション化して蘇った存在。だが、その一撃の度に『命』を生む脈動が強まるように、彼らの剣技に血が通い始める。

 そして、深淵狩りの剣士たちの中心となるのは『プレイヤー』としてカーソルを頭上に頂く欠月の剣盟の長ガジル。ランスロットと戦えた実力は本物だ。モンスターとなって身体能力が底上げされた他の深淵狩りの剣士たちとは違い、彼だけはレベルも装備もオレには届かない。だが、歩んだ来た死闘、戦いの日々の積み重ねに裏打ちされ、深淵に立ち向かい、聖剣を追い求めた人生の極地。たとえ正気を失おうとも、彼の実力は他の深淵狩りの剣士たちの追随を許さない。それはまさしく深淵狩りの剣士たちのリーダーに相応しき絶技だ。

 最初からギアを入れていく。眼帯を外し、骨針の黒帯を起動させる。悪化した左腕の痛みがその分だけより繊細に感覚を取り戻させる。

 

「深淵討つべし」

 

 彼らの大剣はアルトリウスの聖剣の意匠を微かに残す。それは深淵狩りの始祖より脈々と受け継がれた深淵と戦い続ける使命の証だ。最初の1人がオレに向かって無造作に斬りかかり、贄姫で腹を裂いて脇を駆け抜けたところで2人の深淵狩りの剣士が挟撃。それを身を屈めながら躱しつつ一閃を振るって2人の太腿を切断し、血飛沫を浴びながら飛来する連射式クロスボウのボルトを躱す。

 ヤツメ様の導きの糸は隈なく聖剣の霊廟に張り巡らされている。倒しても倒しても蘇る深淵狩りの剣士たちを捉え続ける。

 狩人の予測に狂いはない。仲間ごと撃ち抜くべく、オレを包囲して全方位からクロスボウで狙われる。咄嗟に左手をコートのポケットに突っ込み、折り畳まれた正方形の布を手に取って広げる。

 武装侵蝕。パラサイト・イヴのどす黒い血が布を染め上げて≪暗器≫化する。オレはヤツメ様の動きをなぞるように布で以って舞踊を踏み、武装侵蝕した布でボルトの全てを叩き落とし、また盾として食い止める。

 オブジェクトさえも暗器として武器に変えられるパラサイト・イヴの使い道。それは単純に武器を作るだけではない。武装侵蝕によって攻撃力と耐久強化が施されるのであるならば、『防御手段』を無尽蔵に生み出せるということだ。

 左手で布を舞わせ、ボルトを弾き、受け流し、突き刺させ止めながら、オレが目指すのはモンスター化した深淵狩りの剣士ではなく、『プレイヤー』であるはずのガジルのみ。彼こそがこの深淵狩りの剣士たちの核だ。

 あり得ないと嗤うか? いいや、そんなことは無い。ヤツメ様は牙を剥くのはガジル1人のみ。他の深淵狩りの剣士たちを……その闘争の記憶を支えるのは、ただ1人の生き残り……欠月の剣盟の長の生存だ。

 1人はみんなの為に。みんなは1人の為に。ならば、全員で以って支える欠月の剣盟最後の1人を討ち取り、彼らの終わりなき闘争……その悪夢を終わらせる!

 そして、深淵狩りの剣士たちも無制限に蘇るわけではない。斬り伏せる度に、1人、また1人と、その双眸を赤く光らせて狂い果てる。統率を失い、闇雲に周囲を襲う狂戦士と化す。その度に他の深淵狩りの剣士たちは『敵』を鎮めるべくオレに集中できなくなる。

 プレイヤーであるガジルの連射式クロスボウの残数は有限だ。他のモンスター化した深淵狩りの剣士たちは撃破される度にボルトが回復し、無尽蔵に撃ち続けられる。その大剣が砕けようとも再生し、鎧は死した直前まで修復され、傷口は塞がっていく。だが、ガジルはプレイヤーである以上はモンスターとしてのシステムの恩恵は得られない。

 それでも彼は誰よりも果敢にオレに挑む。ついに尽きた連射式クロスボウを捨て、大剣1本でオレに剣技で戦いを挑む。それを補佐すべく、他の深淵狩りの剣士たちは長を守るべく盾となる。

 

「深淵討つべし」

 

 贄姫で袈裟斬りにした深淵狩りの剣士が牙を剥いて笑う。モンスターとなって……不死となって無限に復活できるようになったからではない。たとえ生前でも同じ判断をしたと言わんばかりに、その身に取り付けられた連鎖式火炎壺を炸裂させる。

 ステップで大爆発から逃れれば、肉片と血飛沫が爆風に乗って聖剣の霊廟を赤く染める。そして、爆発の中で全身を燃やしながら、ケットシーの深淵狩りの剣士を先頭に3人の深淵狩りの剣士が襲い掛かる。

 1人目はジャンプからの斬りかかり。2人目は回避を想定しての薙ぎ払い。最後尾のケットシーの深淵狩りは他とは違って大剣と短剣の二刀流だ。前の2人が『死ぬ』と想定して、オレの首を狙う為にギリギリまで見極めるつもりだろう。猫のような双眸にはすでに『命』の灯が猛々しく燃えている。

 

「深淵討つべし」

 

 1人目を贄姫で迎撃して腹から両断。2人目には布を放って視界を潰したところで鳩尾に両手持ちに切り替えて刺突。狙い澄ましたケットシーの深淵狩りの突進突きを引き抜いたばかりで血が滴る贄姫で受け流す。

 その首をもらう! 更なる踏み込みをしようとするも、オレの足は動かない。

 

「深淵……討つ、べし!」

 

 腹から両断したはずの深淵狩りの剣士が這ってオレの左足を掴んでいた。割れて右半分が落ちた兜からは老齢で皺だらけの顔を戦いへの執念で歪めた男が笑っている。右目の瞳は赤く光って蕩けて崩れてもなお『命』の大火を燃やしている!

 ガジルとケットシーの深淵狩りによるコンビネーションの連撃。オレは贄姫で老齢の深淵狩りの剣士の腕を肘から断ち、1テンポ回避が遅れて頬をガジルの大剣が裂く中で、本命のケットシーの深淵狩りのナイフを左手の掌を盾として突き出し、心臓を狙った突きを止める。

 そのままケットシーの深淵狩りを引き寄せて膝蹴りで顎を粉砕し、ノックバックしたところで空中前転で遠心力を乗せた縦回転蹴りで兜に守られていない額を踵で打ち抜き、倒れた所で牙を剥かれるより先に鼻っ面から整った顔をSTR全開で踏み潰す。割れた頭蓋と中身が飛び散って赤い花が咲く。

 

「深淵討つべし!」

 

 彼らの戦いは剣技だけであらず。そう証明するように、1人の深淵狩りがクロスボウを捨てて小さな杖を取り出し、連射して飛来するソウルの矢を放つ。本来ならば単発火力など恐れるに足らない低級魔法だが、モンスター化した彼らはプレイヤーと同じ魔法を使っても火力が増幅されている!

 ソウルの雨を潜り抜けて斬りかかろうとするも、2人の復活したばかりの深淵狩りの剣士が大剣を交差させて贄姫を止める! 火花を散らす中で背後からボルトが迫ることをヤツメ様が叫んで警告する。

 振り向いてボルトの射線を見切る暇はない。導きの糸のままに体を揺らし、急所を狙っただろうボルトを通り抜かせる。そうしている間にも2人の深淵狩りの剣士が斬りかかるが、2人の間に向かって突きを繰り出し、水銀を面状に飛ばす。ダメージは低いが目潰しと衝撃による体勢崩しにはなり、その間に1人の喉を掴んで床に叩きつけ、もう1人の鎧の隙間を縫うように脇へと贄姫を深々と突き刺して心臓を貫き、そのまま振るい抜く。

 ザリアの残弾は心許ないが、温存できる相手ではない! ただの1度でも直撃を受ければ、衝撃で態勢を崩している間に押し込まれてオレの低VITのHPは瞬く間に削り殺される! 一閃として浴びることは許されない対多の戦い! 彼らの深淵狩りの業を存分に味わえる、最初にして最後の戦場!

 ザリアの雷弾が戦場で弾ける。銃器……それも光銃という不知の武装は深淵狩りの剣士たちに戸惑いを生む! 放たれる雷弾は続々と着弾し、雷爆風が彼らのHPを削る。ガジルは自分の役割を全うするように仲間たちの壁の間を駆け抜ける。仲間を肉壁にしているのだ。モンスターと化した深淵狩りの剣士たちはそれを望んでいるのだ!

 飛来するボルトと火炎壺の爆風を避けながらザリアでガジルを狙う。回避ルートは導きの糸で暴き出され、狩人の予測があらゆる回避ルートの中から1つに導きの糸を収束させる。

 収束雷弾。チャージされ、プラズマキャノンとなった雷弾の太い輝きがガジルを狙い撃つ。完全な直撃コースだったが、剣を盾にしながら復活したばかりのケットシーの深淵狩りの剣士が文字通りの肉壁となる! 巨大なプラズマ爆風で焦がされながら、彼女は咆える。それに鼓舞されるように、片目が赤く光って蕩けたガジルが弱まった雷爆風を大きく跳び越えながら斬りかかる!

 それも読めていた! 水銀居合の構えで間合いに入り込まれるより先にガジルに放つ! だが、その首を狙ったはずの水銀居合は外れる。HP僅かのケットシーの深淵狩りの剣士が爛れた肌のまま、覚束ない足取りで倒れるようにタックルを決めてきたからだ。逆に転倒したオレに深淵狩りの剣士が群がる。咄嗟に魔力壺を取り出して床に叩きつけ、自爆で周囲を青い魔法属性の爆風の壁で囲まれて大剣で刺し貫かれることを防ぎながら立ち上がる。

 元より魔力壺は既に前線落ちして久しい投擲アイテムだ。幾ら低VIT型とはいえ、レベルアップの恩恵でHPと防御力が上昇しているオレならば直撃でも大ダメージを受けることはない。HPもせいぜい1割減った程度だ。だが、魔力壺は貴重な牽制武器だ。ここまで使い過ぎた。在庫は既に1桁まで切っている。

 ガジルは水銀の刃を……特に水銀居合を警戒している。水銀居合の高い貫通力ならばどれだけ深淵狩りの剣士が壁になろうとも彼を斬れる。だが、その斬撃軌道を見切られれば当てられない。

 

「深淵……討つ、べ……し」

 

「遺志を……我らの遺志を……ガジル、団長……どうか……」

 

「聖剣の導きよ……月光よ……我らの……戦いの意味は?」

 

「憎まれ」

 

「蔑まれ」

 

「それでも闇に挑み」

 

「称賛もなく」

 

「名誉もなく」

 

「侮蔑だけが我らを満たす」

 

「それでも、それでも……受け継いだ誇りが」

 

「始祖が残した使命が」

 

「いつか聖剣に見えるという願いが」

 

「深淵を討つという闘争が」

 

「我らを――!」

 

 不死の深淵狩りの剣たちが焦がす『命』の熱が呼吸を止める程に世界を焦がす。その中心で熱風の嵐の如くガジルが剣を振るい、負った傷より流れる血で赤く染まった刃を吹き抜けの天井より降り注ぐ黄昏の光と共に躍らせる。

 もはや『命』があろうとも正気は無く、ただ過去の残滓のままに呟き続ける深淵狩りの剣士たち。

 言葉を交わす余地は既に無い。この闘争の終わりは深淵狩りの遺志を継承したガジルの死か、それともオレの死か、どちらかだ。

 必要なのは一撃。ガジルを一撃で倒せる攻撃だ。ガジルはランスロットと斬り合えた程の猛者であり、彼を守るべく、そしてオレの隙を作るべく不死の深淵狩りの剣士たちは恐れず戦い、盾となる。確実に狂戦士していく数は増え、対処に割かれる為に、実質的にオレが相手取る人数は減っているが、復活のペースが速まっているせいで、常時10人以上と戦い続けねばならない。

 惜しまず切り札を使う。オレは一瞬だけザリアを見つめ、転がったままの死神の剣槍に視線を送り、最後に右手の贄姫に笑いかける。

 胸が苦しい。呼吸の仕方が分からない。意識が朦朧とする。両腕の痛みはまるで神経を鋸で削っているようだ。視界が霞む。音が濁っている。血の香りが濃い。骨の髄が灼熱の鉄のように内側から燃えそうだ。肌の下に霜が蝕んでいるようにとても寒い。

 それがどうした!? 脈が狂える心臓を正すように、オレは歯を食いしばり、息を忘れた喉に力を籠めてガジルに……深淵狩り達に敬意を示すべく贄姫を突きつけながら構える。

 嬉しそうにガジルが笑った気がした。砕けて露出した兜に隠されていた厳つい顔を……微かに歪めた。

 鞘に収め、オレは水銀居合の構えを取る。ボルトが放たれるより先に抜刀し、幾人かを刻むも、ガジルを含む半数以上が斬撃軌道を見切って回避する。最初に突貫するのは老齢の深淵狩りの剣士。彼は大振りの振り下ろしで床を破砕し、土煙を舞い上げる。その中から4人の深淵狩りの剣士が大きく身を捻りながら、地を這うように薙ぎ払いを繰り出す。跳んで避けては駄目だ。ステップで斬撃の嵐を抜け、ボルトの1本が脇腹に突き刺さってHPを削ることも厭わずにガジルに直進する。

 

「聖剣……応えて……我らに……光を……」

 

 両目が蕩けて崩れ、狂戦士に堕ちる寸前のケットシーの深淵狩りがガジルの盾となる。贄姫の刃を我が身で受け止め、右肩から左脇腹にかけて両断される寸前に震える左手で握った短剣で刃を止める!

 贄姫を我が身で奪ったケットシーの深淵狩りの剣士が仕事を成し遂げたとばかりに笑いながら膝を折って崩れる。そして、彼女の遺体を斬りながら、ガジルは大剣を振り上げた。わざと鈍らされた大剣の刃は贄姫を大きく打ち上げてオレの手から奪い取る。水銀を散らしながら宙を舞って遥か後方に贄姫は落ちた。

 仲間の骸を使っても戦い、その背中を踏み躙っても進むのは、誰よりも愛し、敬意を持ち、そして遺志を継承したからこそ! ガジルの大剣を紙一重で躱しながら剣の間合いにならぬ懐に跳び込む。だが、ガジルの無手の左拳が脇腹を撃ち抜き、オレは派手に吹き飛ばされて転がる。そして、最後の一撃のように隊列を組み、ガジルを先頭にした6人の深淵狩りの剣士が突進する!

 贄姫を手放し、残るは左手のザリアのみ。

 そうだ。これで良い。これで『予定通り』だ。オレは笑いながら、自分が飛ばされた場所に転がっていた死神の剣槍の柄に右手を伸ばす。

 全てはこの為の仕掛け。ケットシーの深淵狩りの剣士が我が身を使っても贄姫を止める事は予定外だったが、ガジルには元々贄姫を弾き飛ばさせて、なおかつ懐に入って大剣ではなく拳打で対応させるべく誘導した。『プレイヤー』の打撃ならばダメージは≪格闘≫が乗っても一撃でHPが全損することはない。想定外の威力で2割も吹っ飛んだが、わざと『隙』を作った脇腹を奇麗に打ち抜いてくれた。お陰で飛ばされたいルートが逸れることなく、死神の剣槍が落ちていた場所まで『無様に倒れ伏す』形でたどり着けた。

 暗器。その真骨頂は相手の意識の死角を突く事にあり。駆けるガジルが、深淵狩りの剣士たちが大きく目を見張る。オレが死神の剣槍を『拾い上げて構えた』事に混乱する。

 当然だ。ガジルはもちろん、他の深淵狩りの剣士たちは今でこそモンスターでも、彼らの闘争は『プレイヤー』としてのアバターで培われた。

 故に意識の空白は生まれる。武器を手放したファンブル状態では……プレイヤーには……1度手放した武器はシステムウインドウで『再装備』しなければ使えないという絶対の武の理が刷り込まれているからこそ!

 パラサイト・イヴ、武装感染。感染した武器は全てパラサイト・イヴと同化する。たとえ手放そうとも『体内』にあるパラサイト・イヴがある限り、ファンブル状態にはならない! その効果はダメージを生まずとも、暗器としての役割を……そして、オレの戦いの幅を大きく広げる為に……たとえレギオンのソウルを素材にしているとしても『力』として糧となっている!

 

「おぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」

 

「はぁあああああああああああああああああああああ!」

 

 ガジルの闘争の意思を乗せた……オレの殺戮の意思で染まった……ひたすらに互いの得物を振るい抜く為の叫びが重なり合う。

 あくまで『プレイヤー』であるガジルの大剣は既に限界に達していたのだろう。死神の剣槍の……アルフェリアの叫びを纏った最大級の一撃には耐え切れずに砕け散る。だが、ガジルは寸前で体を捻り、黒い打撃ブレードがその身を砕き斬ることを防ぐ。続く5人の深淵狩りの剣士たちは対応が明らかに遅れ、彼らの刃の渦を躱しきってその背後まで抜けるのは今まで最も楽だった。

 オレはザリアを、折れた大剣を見つめながらゆっくりと振り返るガジルの心臓に向ける。だが、彼を守るべく深淵狩りの剣士たちは重なり合う。

 ああ、そうするだろう。アナタたちなら迷わず、たとえ不死でなくとも、きっとガジルを守る為にそうするだろう。

 1人はみんなの為に。

 みんなは1人の為に。

 深淵狩りの誓い。その血より濃く、鉄よりも固い絆こそが……ヤツメ様の導きの、狩人の予測の、オレの殺意の収束点となる!

 ガジルの盾なった深淵狩りの剣士たち。それは攻撃を『防ぐ』という意味では最大級の役割を果たすが、同時に守られたガジルは『視界』を失う。オレを確かに見失う!

 ザリアは強力だ。高速で放たれる青い雷状のプラズマ弾、チャージされた収束雷弾、銃剣モードによる内部攻撃。いずれもグリムロックらしい素晴らしい攻撃過多だ。

 だが、ザリアはポールドウィンが生み出した『レールガン』だ。あくまで雷弾は『補助』であり、ザリアの真価ではない。

 たった3発。大幅な魔力の消費が伴い、チャージされ、青い雷光を漏らしながら、アルトリウスすら完全な回避を許さなかった神速の弾丸が解放される。もしもガジルに『視界』があったならば、彼は類稀なる才覚で危機を感じ取り、射線から逃れようとしたかもしれない。だが、仲間の『絆』が回避を不可とする!

 それでもレールガンを止めるべく、もはや無意識にも等しく、剣を盾にしようとする深淵狩りの剣士たちだが、その動作すらも許されず、貫かれていく。鎧と血肉はレールガンの速度と威力を落としてくも、ガジルの心臓を……いや左胸を中心にして大穴を開けるには十分過ぎた。

 深淵狩りの剣士たちが続々と倒れていく。カーソルを赤く点滅させ、折れた剣を振るい上げながら前進するガジルだったが、その膝はカーソルの消滅と共に崩れ、前のめりに倒れた。

 ザリアが冷却モードに入る。雷弾はほぼ無いに等しい。数発分しか残っていない。エネルギー弾倉の換装が必要になるだろう。残り4個だ。ランスロットに万全でぶつかるならば、残り使用できるエネルギー弾倉は2個である。

 煙を上げるザリアを振るってホルスターに戻し、贄姫を回収して鞘に収め、死神の剣槍を背負う。数多と倒れた欠月の剣盟たちの遺体。彼らの遺志を一身に背負って戦ったガジルの亡骸を一瞥し、オレは聖剣の霊廟の最奥にある、天井から降り注ぐ黄昏の光の柱に隠れるような、淡い紫の輝きを目指す。

 

「……くっ……がぁ……あがぁ……っ!」

 

 だが、紫の光にたどり着くより先に片膝をつき、収縮したまま動こうとしない心臓に意識が闇に呑まれそうになる。

 歯を食いしばり、右拳で何度も何度も左胸を叩き、緩やかに動き出す心臓に舌打ちしそうになる。まだだ。まだ倒れるわけにはいかない。死ぬわけにはいかない。

 黒猫が視界を横切る。サチが涙を湛えてオレを見下ろしている。

 分かっている。目を背けたりしない。オマエを殺したのはオレだ。オマエの『命』を喰らったのはオレだ! その祈りも、願いも、優しさも……何もかも踏み躙って喰らい殺したのはオレだ!

 

「傭兵は……狩人は……必ず、依頼を……約束を……守る! だから……だから……心配するな、サチ! オレが……オレが止める、から。『アイツ』の悲劇を……止める……から! だから!」

 

 震える足で1歩ずつ霊廟の最奥に近づく。多重にブレた視界が定まり、最奥に安置された物体が目に入る。

 それは剣だ。分厚さと長さ、柄の拵えからして両手剣の類だろう。淡い金薔薇が封じ込めるように……いや、まるで眠らせるように刀身に絡んでいる。意匠はアルトリウスの聖剣に近しい。だが、アルトリウスの聖剣よりも無骨さを感じさせる。

 もっと近くで。オレはそう望んで紫の淡い光に迫るも、突如として警告音が赤い輝きがオレを……いや、聖剣の霊廟を埋め尽くす。

 それは赤いメッセージウインドウ。この世界の裏側にあるシステム管理とコードの嵐。

 

 

 

<ERROR>

 

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<ファイナルフェイズ・ネームドバトルイベント……始動しません>

 

<原因を検索>

 

<検索中>

 

<検索中>

 

<検索中>

 

<検索終了。ネームド【裏切りの騎士ランスロット】が不在です>

 

<【裏切りの騎士ランスロット】を検索……検索終了。【裏切りの騎士ランスロット】のカテゴライズが変更されています。リカバリーコードA02を推奨>

 

<カーディナルの認証を確認。リカバリーコードA02を起動します>

 

<情報集積開始>

 

<情報集積中>

 

<情報集積終了>

 

<リカバリーパターンの構築を開始します>

 

<カーディナルの認証を確認。リカバリーパターンR032を採用>

 

<アーカイヴにオンライン。パーソナルデータ及びメモリーにアクセス……個体名【ガジル】の認証を確認。終了したリカバリーネームド【欠月の剣盟】に深刻なエラーを確認。ネームド名表示にエラーを確認。【ガジル】とのオペレーションに反するリンクを確認。原因検索……不明。不明不明不明。最有力候補:Legion Programの相互干渉。再調査申請……承認待機。リカバリーを優先せよ。【ガジル】とマザーコアとの連動……問題なし。【ガジル】を【欠月の剣盟】のファイナルフェイズとして正式登録完了>

 

<追加認証。コード:MOONLIGHT=HOLY BLADE……承認されました>

 

<再構成開始>

 

<バトルバランスの再測定……調整終了>

 

<ファイナルフェイズ・ネームドバトルイベント……正常に発動を確認しました>

 

 

 

 

 

 

 

 

 赤いメッセージウインドウが霧散して、静寂だった聖剣の霊廟が……まるで再び心臓が波打ったかのように脈動する。

 倒れ伏していた欠月の剣盟……深淵狩りの剣士たち。その遺体から続々と血が……レギオンプログラムの狂気を秘めた血が溢れ出す。それは宙を舞い、ただ1人に……左胸に大穴を開けたまま倒れ伏していたガジルに集中する。

 血は肉となって補い、彼の傷口を塞ぐ。

 折れた大剣は銀の刀身を再構成する。それは淡い黄金の光を帯び、絶えず粒子を散らす。

 ゆらりと幽鬼の如く立ち上がったガジルはフラフラと歩き、もはや動かないケットシーの深淵狩りの頬を優しく撫でて、その瞼を閉ざす。形見のように……遺志を受け継ぐように、彼女の短剣を左手で握り取る。

 一閃。大剣を振るうと同時に彼の右腕から突き出したのは血の触手。それはレギオンの象徴のように蠢くも、彼が一息入れると鎮まり、蠢きながら籠手のように絡まる。そして血は赤く、赤く赤く、真紅に大剣を……黄金の聖剣を染めていく。

 割れた兜から覗かせる目……その瞳は蕩けて赤く光っているが……決してレギオンに屈していない。むしろ『命』より溢れる闘志で捻じ伏せたような獰猛な静寂さを湛えている。

 先と同じで言葉は不要。そう言うようにガジルは……1本のHPバーと<欠月の剣盟>とネームドとしての冠を得た深淵狩りは再戦とばかりにこちらへと歩んでくる。

 床を抉りながらの振るい上げ。間合いの遥か向こう側にいるガジルのその動作に、ヤツメ様が叫びながらオレの手を引く。右にステップした刹那、床を抉りながら真紅の光が……破壊の光波が一直線に駆け抜ける!

 これはアルトリウスの聖剣と同じ力。いや、彼とは似て非なる聖剣の力。直感で分かる。分かってしまう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それは、まるで獣狩りの夜を象徴するような……青ざめた血の夜に空で輝く、狂気をもたらす真紅の月で穢れた聖剣だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ガジルが駆ける。その速度は先程の比ではない! 彼はネームドとしての性能を得た! たとえ、ネームドとしてのAIとして……記憶の再現だとしても、仲間の絆で狂気の血潮を集めて立ち上がり、『命』をつかみ取って立ち上がった!

 それは単なる演出か? ああ、そうだろう。システムという冷徹な額縁から見ればそうだろう! だが、この場において聖剣をつかみ取ったのは彼ら深淵狩りの剣士たちの……欠月の剣盟の誇りだ!

 聖剣相手では贄姫では切り結べない。最低でも水銀長刀モードでなければ一撃でも受け止めれば折れてしまう! 全てを受け流せ! 聖剣の剣圧を逃がして水流の如くカタナを振るえ!

 水銀居合は床を粉砕する振り下ろしに伴った光波の爆発で霧散され、その残留する輝きと土煙から飛び出し、ガジルは×印を描くような連撃の後に大きく振り下ろす! それが床に触れれば正面で光波が炸裂する!

 アルトリウスは光波を斬撃として飛ばした。だが、ガジルは純粋な破壊力として放出している。それは聖剣を手にして間もなく、操る余地が無いことの証左か。あるいはあの暴虐とも思える破壊こそがあの赤い月の魔剣の持つ特性なのか。

 だが、ガジルが獰猛に笑う! 右腕の覆う触手が蠢けば、血の赤色は失せ、元来の黄金の……清き聖剣の輝きを取り戻す! 穿たれたのは大きく扇状に拡散していく斬撃としての光波!

 暴れ狂う破壊の赤い光波と拡散して広範囲を薙ぐ黄金の光波。2つの力を駆使するガジルはオレを近寄らせない。ステップを踏み、間合いに入り込もうとすれば光波に阻まれ、不意を突こうとミラージュ・ランでフォーカスロックを外せば周囲に破壊の赤い光波で壁を作る!

 ガジルが駆ける! 真紅の月光を帯びた大剣で、まるで狼が駆けたように身を屈めながら突進しながら薙ぎ払う! その速度をコントロールするのはアンカーとして突き刺した短剣であり、それを軸にして即座に反転して回避したばかりのオレに斬りかかる!

 贄姫でギリギリで受け流すも刀身から嫌な悲鳴が聞こえた。だが、ガジルの攻撃は終わらない! そのまま宙を舞って側転し、遠心力と光波を溜めた大剣をオレに向かって振り下ろす! 間一髪で股下を潜り抜けてがら空きの背後を取って刺し貫こうとするが、ガジルは強引に回転斬りをしてオレを振り払う!

 アルトリウスの剣技の面影を残しながら、アルヴヘイムで継承される中で独自の発展を成し、ついにガジルの代で……数多の同胞たちの血を礎にして、ネームドに成り果てでも到達した、ランスロットに比肩する剣技! 新たな深淵狩りの剣技!

 ランスロットに……匹敵する。ネームドとしての性能を得た身体能力と火力。そして、歴戦の『記憶』と仲間との『絆』……それがガジルを支えている! 他でもない<深淵狩りガジル>ではなく、ただ1人になろうとも<欠月の剣盟>という名を掲げ続けることこそが彼の正体!

 1人はみんなの為に。

 みんなは1人の為に。

 彼らは成し遂げて到達したのだ。個では古い深淵狩りに到達できないならば、数多の先人と倒れた仲間の血で鍛え上げる。そして、届いたのだ。古い深淵狩りと同じ境地に!

 

 

「深淵討つべし」

 

 

 剣を正面で掲げるように構えたガジルの呟きに応じるように、黄金の月光は……聖剣は紡ぎ出す。月光の粒子は彼の周囲で渦巻いたかと思えば、まるで召喚された霊体のように深淵狩りの剣士たちを構築する。その中の1人、ケットシーの深淵狩りの剣士が優しく微笑んだ。

 そして、月光の風となって金霊の深淵狩りの剣士たちは一斉にオレに斬りかかる! 集団戦の心得を持つ彼らの連撃は1つ1つが必殺であり、針の穴を通すような回避を誤れば深く斬り裂かれる! そして、彼らはその大剣に一際強い輝きを宿し、それぞれが1発だけ光波を撃つと霧散する。あるいは時間経過だろう。召喚された深淵狩りの剣士たちの刃の檻を抜けたオレをガジルがあの連撃の構えで迎える!

 借りるぞ、トリスタン! 贄姫を投げつけ、ガジルの喉元を狙う! それを悠然と回避した彼はオレに突進し、低姿勢からの大きな薙ぎ払い、即座に反転しての追撃の薙ぎ、そして宙を舞う側転からの――

 

 

 

 

 違う! 後ろに逃げて!

 

 

 

 

 

 股下を潜り抜けようとしたオレはヤツメ様の導きのままに背後へと大きくステップする。ガジルの大剣は強大な赤い輝きを湛え、床に触れた瞬間に全方位を広範囲で吹き飛ばす! もしも股下を抜けようとしていたならば、あの大爆発に巻き込まれてHPが消し飛ぶどころかこの身は粉々になっていだろう。

 称賛するようにガジルが残心の如く黄金に戻った聖剣を振るう。分かった事が1つある。あの破壊の真紅の聖剣は短時間しか維持できない。右腕に絡む血のレギオンの触手を御する必要があるのだ。

 どうして? オレは再び収縮したまま動かなくなった心臓に意識が黒く塗り潰されそうになる。だが、狩人が膝を折ろうとするオレの前髪を掴んで立ち上がらせる。

 

 

 

 

 

 戦え! 戦え戦え戦え! 貴様は狩り、奪い、喰らい、戦い、そして殺す者! 最後の瞬間まで敵の喉元に喰らい付け! 狩りを全うする為に!

 

 

 

 

 

 

 心臓が動く……いや、それはもはや『蠢く』といった表現が相応しいだろう。

 脈は荒れ狂い、正しい調律を失い、意識は殺戮と闘争……そして、狩りの全うを求める意思だけで塗り潰される。

 もっと血の悦びを。もっと血の悦びを。もっと血の悦びを! 飢えと渇きが大波のように押し寄せる。意識を掻き乱す。それを振り払うように死神の剣槍を抜いて両手で構える。

 ガジルが突進する。赤く輝いた大剣で床を抉りながらの奇妙な斬りかかり。だが、裂けた床よりマグマの如く赤い光波が吹き出す! そのまま大振りの横薙ぎからのディレイをかけて2連回転斬り。ステップで躱したオレを『目』で追い、ガジルの聖剣は更に赤く獰猛に輝く。

 それは強烈な突き。死神の剣槍でのガードを咄嗟に受け流しに切り替える。それは≪槍≫のソードスキルで放たれたランスの突きすらも生易しい破壊の突き。敢えて言うならば月光突きだろう。逸らすのが精一杯であり、その衝撃に踏ん張れるはずもなく、オレは態勢を崩しながら後ろに吹き飛ばされる。そこに大きく拡散する光波が飛来する!

 回避不能。ガード不能。ならば相殺あるのみ。半ば宙でモーションを起こし、着地と同時に【陽炎】で迎撃する。光波と激突するのは赤黒い光のランス。放出と同時に光波と衝突し、赤と金の爆発を起こす。それに呑まれたオレのHPは3割近く消し飛ぶ。

 ナグナの血清を取り出して首に撃ち込む。右肩の抉れた肉から血が零れ、流血ダメージが発生しているが知ったことか。まだ義眼のオートヒーリングでギリギリ補える!

 再び召喚された深淵狩りの剣士たち。彼らは黄金となって駆け、オレを包囲し、光波を放ち、あるいはその刃を直接この身に押し込もうとする。今度はガジルも参戦し、黄金の聖剣を振るい続ける。

 アルトリウスの聖剣ほどの多様性は無い。恐らく黄金の聖剣が持つのは大きく拡大する光波と深淵狩りの召喚のみ! だが、後者の能力が凶悪過ぎる! そして、赤い月の光波は破壊力特化だ。制御は利かないが、とにかく攻撃力と衝撃が異常だ。

 ガジルの短剣の素早い連撃が喉を掠める。聖剣だけではない。大剣の持ち味を活かせない懐に入り込めば、容赦なく体術と短剣に切り替える! ステップで背後を取ろうにも、残留していた金霊の深淵狩りの剣士が盾となり、死神の剣槍の突きを防ぐ!

 だが、それも見切っている! 狩人の予測の内だ! 左手で鋸ナイフを抜き、振り返ったガジルに投擲する。4本の鋸ナイフは両肩と喉、そして腰という鎧と兜の狭間を刺し貫く。怯んだところで死神の剣槍で袈裟斬りを決め、そのまま膝蹴りで横腹の鋸ナイフを押し込む。

 振り払うように真紅の月光を……いや、右腕の血の触手を振り回すガジルの動きが変異する。

 それはレギオン特有の先読み。ヤツメ様の導きを真似た残骸の力。

 蛇槍モードで伸ばして鞭の如く振るってガジルを遠ざけるも、彼は最初から軌道の全てが分かっているように躱して潜り込む。そのまま逆手で構えた短剣で連撃を繰り出し、内の一閃がオレの脇腹を抉る! 痛みが意識が焦げる中で視界がぼやけて油絵のように精細さを失う。

 ヤツメ様の導きのままに、黄金を纏った聖剣の突きを回避するも、そこにはガジルの……先程のお返しとばかりの膝蹴りが『置かれて』いた。今度は作戦ではなく、完全に不意で腹を打ち抜かれ、オレは聖剣の霊廟の壁まで吹き飛ばされて叩きつけられる。

 

「……がっ……あがぁ……!」

 

 血反吐が垂れる。まずい。アバター内部……内臓とも呼ぶべき部位が『潰れた』。激しい痛みが点滅し、両腕が惜しみなく流れ込む痛みと数多の傷、時間加速と後遺症がもたらす熱と冷たさが意識を奪おうとしている!

 

「あぁ……うぁ……がぁ……」

 

 悠然と歩み寄るガジルに慢心は無い。オレを警戒しているのか。いや、恐らくは再発動するまで時間がかかる金霊の深淵狩り召喚で、今度こそ必殺を決めるつもりだ。

 ガジル……いや、欠月の剣盟……凄まじい。ヤツメ様の導きに強引に『追いつき』やがった。アルトリウスとの戦いを経て、彼の剣技すらも絡め捕る程に成長した導きの糸を振りほどいてオレを潰しにかかった。

 ナグナの血清の2本目を使用する。短時間での連続使用は3回が限度だったか? どうでも良い。どうせ3本目を使うチャンスは巡ってこない。

 視界が再び揺らぐ。駄目だ。この状態ではガジルを相手取れない。次の深淵狩りの召喚を耐え切れない。

 もうこの選択しかない。オレは自らの内で燻ぶる残り火を手に取る。

 ヤツメ様は止めない。涙を湛えてオレを見つめている。この戦いを切り抜けるのは……これしかないのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『篝……私の子……私の篝』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 灼けた意識の向こう側で見えたのは黄金の稲穂。そして母さんの声だった。

 それは残滓のように形を失って霧散する。ヤツメ様が握り潰す。

 世界はクリアになり、痛みはより鋭さを増し、体の隅々まで脳髄が掌握し直していく感覚が駆け巡る。呼吸が意味を失い、全身の血は泡立つほどに煮え滾る。

 ああ、灼けていく。オレは『オレ』が灼け落ちていく……少しずつ灰になっていくことに……瞼を閉ざす。

 今は考えるな。ガジルを……欠月の剣盟を全身全霊を以って、殺意の限りに、狩人の礼儀を尽くして殺しきる。それだけを考えろ!

 発動した深淵狩りの剣士たちの召喚。今までよりも高濃度に張り巡らされたヤツメ様の導きの糸は僅かな指の動きすらも残さず捉える。導きは狩人の予測と絡み合い、オレは回避の中でガジルに迫り、こちらに駆けていた彼と交差するように死神の剣槍を振るい抜く!

 打撃ブレードが捉えた確かな手応え。金霊の深淵狩りの剣士たちが繰り出す光波をステップで躱し、あるいは跳躍で網のような光波を潜り抜ける。

 8割の世界。STRとDEXはオレの限界値まで出力は引き上げられる。

 発生したエネルギーを逃がすな。効率的な運用とはエネルギーロスの最小化。体の完全なコントロールは元よりできている。あとは生み出されたエネルギーを自在に操るように……仮想世界での真に身体能力を駆使するという、先祖の狩人たちも知らぬ領域を開拓するだけだ。

 

「オレは狩り、奪い、喰らい、戦い、そして殺す者」

 

 ガジルの光波が遅れる! オレの動きを捉えきれなくなっている! たとえ、レギオンの力をコントロールできたとしても付け焼刃だ。むしろ、下手に頼れば振り回される! それを察知したようにガジルから『先読み』が失せる!

 月光突きからの連携に繋がる振り下ろし。それは正面で真紅の光波を炸裂させるが、その時にはステップで曲線を描きながらオレはガジルの背後であり、背中から腹を死神の剣槍で突き刺す。そのまま捻り、一気に左肩まで心臓を潰しながら振り上げる。

 鋸ナイフを投擲し、ガジルの回避ルートを絞った上で蛇槍モードで打つ。分裂した刀身はアルフェリアの泥を滴らせたワイヤーで繋がれ、ガジルは深淵の気配に敏感に察知したように回避よりも迎撃を選ぶ!

 聖剣と死神の剣槍が激突し、泡立った泥からアルフェリアの叫びが漏れる。

 ギミック解除。死神の剣槍に戻し、ガジルは床を抉りながらの斬り上げを放つ。その刀身の輝きは真紅。床の傷痕から赤い光が吹き出し、破壊の衝撃波がオレを揺さぶるも高出力化したSTRで耐え抜き、怯むことなくガジルと剣を交える。

 短剣でオレの左目を潰そうとするガジルの動きに、首を最小限に動かし、目の下を切っ先で抉らせるのに止める。密着状態ではオレも死神の剣槍を抜けない。ならばと鋸ナイフを左手で抜き、武装侵蝕させて強化すると、まだ醜く抉れたままのガジルの横腹を刺し貫く。

 呻くガジルの頭突きを先にバックステップで躱す。そして、そのまま床に『突き刺さったまま』の贄姫を左逆手で抜きながら1歩目を踏み込んだばかりのガジルを水銀の刃で斬り払う。この位置まで『誘導』は骨が折れたぞ。全く、トリスタンの剣の投擲からの再攻撃はパラサイト・イヴ無しでは再現不可だな。だが、やはりガジルの意表を突くには十分だったようだ。

 距離を取ったガジルは赤い破壊の光波を乱舞してオレを遠ざけ、再び金霊の深淵狩りの剣士を召喚する。だが、今度は囲まずに、彼らは隊列を組んで網を作るように光波を穿つ。回避不能。先ほどと同じで【陽炎】での相殺が望ましいが、ガジルがそれを誘発する意図は分かっている。【陽炎】による相殺の爆風で身動きが取れないところに、あの必殺の連撃を放つつもりだろう。もはや弓の弦が引かれ、後は矢が放たれるのを待つばかりのようにガジルは構えを取っている。

 一見すれば逃げ場がないような網目状の光波。だが、その両端は拡大するなかでまだ隙間が残っている。

 左腕を水平に構えて順手で握った贄姫に意識を集中させる。ミラージュ・ランを発動し、最高出力のDEXにソードスキルの加速を乗せ、そのエネルギーを余すことなくコトンロールし、1歩のステップで大きな曲線を描いて網目状の光波を躱しながら、霧散していく金霊の深淵狩りに紛れたガジルの胸を斬り払う!

 もはやガジルのHPは僅か。赤く点滅するHPバーは減ることを止めない。このまま放っておいても彼は死ぬだろう。だが、最後の一瞬まで戦うのを止めないとばかりに、ガジルはHPが尽きる最期の時間をかけて、月光突きを繰り出す!

 だが、ガジルの右手首に突き刺さって月光突きを強引に止めたのは……死神の剣槍を捨てて引き抜いた、銃剣モードのザリアだった。

 雷弾伝導。内部から爆破され、右手首が半ばほど吹き飛ぶ。彼の手から黄金の聖剣は零れ落ちる。それでもなお歩みを止めない彼に、オレは左手の贄姫で、敬意を込めてその腹の中心を刺し貫いた。

 吐息がガジルから漏れ、右腕を覆っていた血の触手が剥がれ落ちていく。割れた兜が覗かせる彼の双眸は……その瞳こそ蕩けて崩れているが、赤い光はゆっくりと失われていた。

 半ばを失った右手首から溢れる血はその手を染める。

 HPが完全に失せたガジルは……アルヴヘイムの長い歴史の中で、蔑まれ、憎まれ、罵倒に包まれながらも妖精たちを深淵から守り続けた欠月の剣盟の最後の深淵狩りは……オレに倒れ込みながら肩をつかんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「頼む。遺志を……継いでくれ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そのまま崩れて倒れたガジルは……もう立ち上がる事は無かった。

 残り火が失せ、致命的な精神負荷の受容が終わり、オレは冷たいリザルト画面を眺めながら両膝をつく。そして、倒れ伏したガジルから滲み出た、真紅の血のような光の塊を掬い上げた。

 

 

 

 

 

<獣血のソウル:欠月の剣盟が得た黄金の月光を穢した獣血のソウル。彼らの聖剣の資格はその身に宿る獣血にこそあった。獣血は墓所の薔薇より写し取られた黄金の月光を穢し、聖剣を魔剣に変えた。だが、資格はなくとも彼らは聖剣を得たのである。それを傲慢なる盗人と嘲るか、それとも深淵狩りの誉れと讃えるか。それは獣血が決めるべきことである>

 

 

 

 

 

 

 ……決まっているだろう。オレはもはや黄金の月光の残滓も無い、飢えと渇きの殺意に満ちた獣血のソウルを抱きしめる。

 オレはアルトリウスの聖剣を手放した時、きっと聖剣の縁を捨てたのだ。その縁を……たとえ、レギオンに燻ぶっていた残滓であろうとも……彼らはオレが捨てた縁を束ねて、聖剣を得たのだ。オレにも……聖剣を得る資格はあったのだと教えてくれたのだ。

 ありがとう。それで十分だ。やっぱり、オレに聖剣は相応しくない。月光を穢し……聖剣を魔剣に貶めた、この獣血こそがオレの正体なのだから。

 

「おやすみ、ガジル……ううん、アルヴヘイムで生きて、戦い抜いた、欠月の剣盟のみんな。祈りも無く、呪いも無く、安らかに眠れ」

 

 オレにはただひたすらに深淵を憎悪し、殲滅するなど、どうしてもできない。深淵は何なのか、その闇に隠れた真実をちゃんとこの目で見て、その上で深淵狩りとして、狩人として……戦おう。殺し尽そう。

 微笑みながら、オレは彼らから継承した遺志を糧とする。遺志とは『力』だ。彼らの誇りも、願いも、信念も踏み躙って……オレはその『命』を喰らった。ならば、せめて彼らが継承を望んだ遺志を……彼らが戦い抜いた証の『力』をこの血肉に……

 

「……もう、さすがに、終わり、か?」

 

 いつもの後継者のノリならば、ここでランスロットが吃驚仰天の怒涛のエントリーもあり得るが、欠月の剣盟は彼が意図しないネームドだったはずだ。ならば、さすがにこれで月明かりの墓所は幕閉じだろう。

 武器をその場に置いたまま、真っ直ぐに歩けない足に喝を入れ、心臓が何度も収縮して止まりかける度に倒れ、芋虫のように這って、また立ち上がって……それを繰り返している間に義眼のオートヒーリングでHPが完全回復してしまう程の時間が経過する。

 ようやくたどり着いたのは、聖剣の霊廟の最奥……即ち月明かりの墓所の最深部とも言うべき場所。金の薔薇に包まれて大剣の前だ。よくよく見れば、何処となくアルトリウスの聖剣を思わす意匠だ。深淵狩りがそうであるように、これもまた……それも古い深淵狩りが使っていた剣だろう。

 突き刺さった大剣はまるで墓標のようだ。いや、実際に剣が突き刺さっているのは、よくよくみれば石棺である。

 オレは大剣が突き刺さる石棺の蓋の上で淡く紫色の光を帯びた、小さな色褪せた金の薔薇の髪飾りを見つけて手に取った。

 

 

 

<ゲヘナの髪飾り:アルヴヘイムの中心、世界樹ユグドラシルを封じるランスロットの証。これは彼がゲヘナに送ったものである。グヴィネヴィアの騎士ランスロットが己に封じ込めた深淵、それは生まれながらの深淵の主にして太陽の温もりの女神の落胤ゲヘナの闇である。グヴィネヴィアの名誉と秘密とゲヘナを守るため、彼は深淵の騎士となった。そして、優しき娘として生涯を全うしたゲヘナが2度と闇に目覚めぬように、せめて彼女が故郷の光の中で眠れるように全てを捧げた>

 

 

 

 彼は深淵狩りの証である剣さえも捧げた。グヴィネヴィアの落胤が……ゲヘナが死の眠りについたまま、もう2度と深淵の闇で目覚めないように。自身に彼女の闇を封じ込め続ける道を選んだ。

 ランスロットの忠義。ようやくその輪郭が見えた。彼は深淵に唆されたのでもなく、深淵狩りの使命を投げ捨てたのでもなく、むしろ我が身を犠牲にして深淵を封じ込め、なおかつ忠義を貫き通していたのだ。

 だが、深淵を討ち滅ぼさねばならない深淵狩りにとって、自らに深淵を封じるなど言語道断。むしろ、ゲヘナを早々に斬り捨てるのが最も確実だ。しかし、ランスロットには出来なかったのだろう。

 グヴィネヴィアへの忠義。それは彼女の落胤……その名声を穢す生まれながらの深淵の主ゲヘナの秘密を隠し、その生涯を見守り、決して闇に目覚めぬように永遠に彼があらゆる敵に……たとえ同胞だろう深淵狩りでも『戦い抜く』という覚悟を貫き通す事だったのだろう。

 自分が死ねばゲヘナは目覚めて新たな深淵の主が現れる。自死は以ての外。秘密を口外するのは忠義に反する。そして、いかなる理由であれ、深淵の主を守らんとしたランスロットは間違いなく深淵狩りにとって裏切り者だ。

 忠義の報いに愛する深淵狩りたちより憎悪を得た。ゲヘナの正体を明かせぬが故に、彼女を狙う戦友たちとも深淵の騎士として剣を交えた。そして、彼女の死後も深淵の主として蘇らないように永遠に自らを深淵の騎士と闇に縛り付け、敬愛する深淵狩りと戦い続けた。

 想像を絶する苦難と苦行、そして生き地獄だろう。これがランスロットの忠義の正体だというのか。

 

「……ランスロットを殺せば、深淵の主が蘇る、か」

 

 オレは殺せる。ゲヘナが暴れ狂う深淵の主であるならば、一切の躊躇なく殺せる。

 だからランスロット、アナタも殺す。トリスタンに依頼を受けのだ。アナタの忠義を終わらせてほしいと。

 オレは迷わない。オレは殺すことに迷わない。だからランスロット、全力で相手になってやる。深淵狩りとして……狩人として……アナタを狩る。

 

 

 

 

<央都アルンを守る結界の1つが失せた>

 

 

 

 

 遅れて表示されたシステムメッセージは、ゲヘナの髪飾りを手に入れた事によってオベイロンを守る防壁が1つ崩れた事を意味するのだろう。

 残り2つ。シェムレムロスの兄妹と穢れの火。他の【来訪者】も戦っているはずだ。ここから近いのは……北のシェムレムロスの兄妹がいる白い森の方だろう。そちらを狙うとしよう。穢れの火は後回しだ。

 聖剣の霊廟の扉は開き、オレを外へと解放する。どうやらワープで伯爵領の外へ一直線……は無いようだ。元々はあったのかもしれないは、大破損した月明かりの墓所では期待も出来ないだろう。

 そう、つまり! オレは! 再び伯爵城と! 城下町と! ウルの森を突破しなければならないという事だ! 特にウルの森がムリゲーなんだが。いや、順路はヤツメ様が憶えてるっぽいのだが、残り火を砕いたせいか、またボイコット1歩手前のジト目で睨んでいらっしゃる。これ、絶対にまともに教えてくれないコースだ。

 まぁ、月明かりの墓所から城下町の地下道を繋ぐ『亀裂』は分かっている。伯爵城はショートカットできるだろうが、先に抜け殻のゲヘナに色々と話を聞いておきたい。

 

「……少し、疲れた……かな?」

 

 眠い。すごく眠いんだ。痛みと『痛み』が消えないんだ。

 でも、止まる訳にはいかない。たとえ、ヤツメ様が……本能が望まぬとしても、オレを『人』に繋ぎ止める為にくれた『理由』だから。サチとの……『サチ』との約束だから。

 

「……ユウキ」

 

 オレは月光の聖剣を望まない。

 瞼を閉ざせた赤紫の月光も、黄金の燐光も、確かに見えている。

 なのに、オレは自分の手が血塗れで……赤紫の月光に手を伸ばせなかった。

 キミに眠って良いと言ってもらえれば、オレはきっと……きっと……それだけで……

 

「甘える……な!」

 

 まだ狩りは終わっていない! サチの約束をやり遂げるまで……『アイツ』の悲劇を止めるまで……リーファちゃんを助けるまで……オレに歩みを止めるなど許されない!

 血が足りない。もっとだ。もっと血の悦びを! オレが眠らず歩み続ける為に!

 

「そうさ。オレは……オレはまだ『1人』で戦える」

 

 オレに聖剣は要らない。この血は聖剣を穢すだけだ。この誇り高いヤツメ様と狩人の血は……聖剣と相容れないのだ。そして、それで良いのだろう。

 最後に聖剣の霊廟へと振り返り、ゆっくりと閉ざされていく扉を見守りながら、オレは空を見上げる。

 

 

 永遠の黄昏に満ちた空は……どれだけ見つめ続けても夕闇は訪れず、月明かりが優しく降り注ぐことはなかった。




月光の聖剣は未だ主を得られず。ただ資格者を待つ。

アルヴヘイム編で大きな助力を成した欠月の剣盟、お疲れさまでした。



それでは、270話でまた会いましょう!

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