SAO~デスゲーム/リスタート~   作:マグロ鉱脈

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前回のあらすじ
空気も水も食べ物もおいしい!
豊かな自然に囲まれながら、温泉にゆっくり浸かれる旅館もあるよ!
都会の人にはちょっと退屈だけど、和の街並みと独特の風習は必見!
夏にはちょっと特別なお祭りがあなたを待っている!

おいでよ、狩人の里!


DLCは遊び倒しました。あのボスはなかなかに楽しかったです。
でも、ノーダメ無成長カンスト素手縛りならやっぱりマリア様の方が難易度は上ですね。


Episode18-22 次を得た人々

 現代で最も人間を殺すに足る『優良』な武器はなんだろうか?

 刀剣やナイフ? 拳銃? ミサイル? 核爆弾? いずれも否である。

 それは金だ。人類が物々交換の時代から脱却した時より、人間を最も殺す最優の武器とは金なのである。

 仮想世界……DBOにおいてもそれは変わらない。故にディアベルは週一のペースで報告される聖剣騎士団及び下部組織の経理報告書の全てを自身の目で確認している。

 大ギルドである聖剣騎士団であるが、『商売』という分野においては太陽の狩猟団にも後れを取っている。クラウドアースの足下にも及ばない。それぞれの大ギルドの成立経緯が異なるとはいえ、デスゲームが開始されて既に1年と半年にも近しい時間が経過しているので仕方ないだろう。

 DBOの周知の事実の1つとして、モンスターから得られるコルの少なさがある。それは最前線でも変わらず、モンスター狩りだけでは武器の修理などの必要経費を差し引けば黒字は決して大きくない。ミスが重なれば容易に赤字に転落する。また、安全性を重視すればその分だけ経費は嵩む。ドロップアイテムの売却こそがDBOにおいて、一般的な収入の獲得方法である。

 だが、アイテム売却にしてもNPCとプレイヤーでは大きな差異が発生する。NPC商人は過半が買い叩き同然の価格である。結果的に資金に余裕がある大ギルド、またはそれに連なる商会が買い手となる。

 DBOにおいてコルは幾らあっても足りない強力な資源だ。たとえば、素材系アイテムは鉱山などから得られるが、NPCしか販売しないアイテムも多数多種に亘って存在する。全てを自給自足できるわけではない。特に物件などは購入後も家賃の如く維持費を支払わねばならない。鍛冶屋にとって必須の炉にしても、複数種ある内の必須燃料は販売品であり、種火に関しても『再生費』が必要になる。また、武器や防具を作るにしても同様にコルの支払いが必須の場面が多い。これは高性能を目指し、高レアリティの素材を使用している程に嵩む。故に鍛冶屋たちへの支払いが高額化する原因として、こうした削減しようがない経費の部分が大きい。

 武器の生産に関しては、大規模な工房の準備などでコストダウンも可能になるが、そうなると今度は工房の維持費が発生する。そして、無尽蔵に武器を生み出すにしても、その分で得られる対価は需要と供給のバランスによって定められる。

 

(武器商人の気持ちがわかるね。どれだけ武器を作っても売れないと意味が無い)

 

 皺が寄った眉間を指で解し、全ての報告書に判子を押し終えたディアベルは、執務椅子に深く背中を預けて嘆息する。

 戦争は嫌だ。どうしてプレイヤー同士が殺し合わねばならない? そんな非効率な真似をするくらいならば、一致団結して完全攻略を目指せば良い。

 以前のディアベルならば、心の底から主張できただろう。だが、報告書の枚数が増えれば増える程に、組織の規模が拡大すればするほどに、もはや軽んじて口にできる夢物語ではなくなった。

 ディアベルの言葉は聖剣騎士団の意思だ。故に言葉は慎重に選ばねばならない。ディアベルが一言でも『戦争だ』と言えば、本当に大ギルド間の激突が始まってしまうのだ。

 

「お疲れのようですな」

 

 執務室のドアがノックされ、一礼の後にDBOでも最高齢プレイヤーの1人と目されているアレスが入室する。彼は先日の合同演習後、いよいよ3日後に控えたアノールロンド攻略に向けた準備で大忙しのはずだ。ディアベルも今回は出陣するが、出発までの実務の過半はアレスに丸投げしてしまっている。ラムダを補佐につけているので滞りはまずあり得ないはずであるが、彼らは表面化こそしていないが、決して相性は良くない。それを重々承知してディアベルは計画の骨組みを作っていた。

 

「疲れたとは言ってられないよ。やるべき事は両手の指の数でも足りないくらいだ。今回のアノールロンド攻略作戦の推定必要日数は3日間。3日分の職務を溜めるわけにはいかない」

 

「団長はもっと他人を頼ることを覚えられた方がよろしいかと。あまり自分で抱え込んでいてはパンクしてしまいますぞ」

 

「これでも仕事は分散しているさ。ラムダさんには内政の大半を見てもらっているし、アレスさん無しでは聖剣騎士団の軍務は滞る。俺がしているのはリーダーに必要な仕事だけさ。それにレベリングも疎かにはできないし、戦闘勘を鈍らせるわけにもいかないからね」

 

 反論させないべく、ディアベルは口早に並べ立てる。決して嘘は言っていない。2人がより積極的に仕事を引き受けてくれるからこそ、ディアベルには睡眠時間も趣味と化した釣りに足を運ぶことも、ダンジョンに潜る時間を作ることも出来ている。それに比べれば、太陽の狩猟団のミュウなど1人でディアベルの数倍かそれ以上にも匹敵する激務をこなしていると聞く。彼女のレベルの低さはそのまま仕事量による時間の圧迫を示すものだ。

 だが、アレスの表情は厳しい。疲労困憊のままアノールロンドに赴けば落命しかねないからだろう。何処のギルドもそうであるが、情報が少ない、気軽に足を運べないダンジョンに向かう前は、必ずコンディションを整える。ある者は飲んで食べて騒ぎ、ある者は鍛錬で汗を流し、ある者は趣味に没頭し、ある者は恋人と愛を謳歌する。いきなり何の気構えも無しにダンジョンや死地に放り込まされる傭兵にどうして高額の支払いが常なのかも良く分かるというものである。

 某傭兵曰く『準備に1時間貰えるだけでも有情』らしい。そんな傭兵は休暇をもらって雲隠れし、アノールロンド攻略作戦への参加はお流れとなった。ディアベルは素直に惜しいと唇を噛みそうになる。彼がいれば『優秀な囮』としてボス戦でも有効活用できただろう。

 と、そこまで思考が侵蝕して、ディアベルは確かに疲れが溜まっているな、と息を吐く。以前ならばクゥリを単なる傭兵として……駒として『使い潰す』という意識は生まれていなかったはずだ。共に過ごした時間の思い出が……胸に燻ぶる善性が必ず邪魔をしていた。

 だが、シャルルの森を契機にディアベルは変わった。自分が大きく転換の時を迎えたのだと感じた。大ギルドのリーダーとしての冷徹さとマネジメント能力を発揮し、組織の発展と目的成就の為に滅私しなければならないと覚悟を決めたのだ。

 だが、滅私など仏の道を志したわけではないディアベルには無理だ。結局は『聖剣騎士団のリーダー』という役目を全うする『私事』なのだ。公私とは自己で決定するものではなく、第三者の目によって定められるものと分かってはいても、自分の未熟さばかりに目が向いてしまうのは、ディアベルもアレスなどの老人に比べれば若者という事だろう。あるいは、それこそ彼が人間から逸脱していない証明なのかもしれなかった。

 

「分かったよ。明日……いや、明後日は1日オフにして休暇を取るよ。それで文句はないだろう?」

 

「ええ。よろしければ、私も釣りに同行しても? 良い釣り堀を発見しましてな。夜は釣った魚を刺身にして晩酌などいかがですかな?」

 

「それは素晴らしいね。なかなかのレア物ワインが入手できたんだ」

 

「おお、それは実に楽しみですな! これに美人の酌などあれば完璧なのですが」

 

 アノールロンド攻略にアレスは随伴しない。さすがにディアベルが離れている間に副団長とも言うべきアレスまで抜けているのは危険だからだ。まだ戦争の機運はあっても開戦は明日明後日ではないと踏んでいるディアベルであるが、クラウドアースの真の王セサルは何をしでかすか分からない。いや、彼の場合はディアベルがいない間に聖剣騎士団に宣戦布告などという『つまらない』真似はしないだろう。だが、ミュウならばサンライスを説得し、『早期決着による人的被害の最小化』という大義を掲げるかもしれない。

 

(そうなると、やはりラストサンクチュアリを取り入れたのは大きかったね。丁度良い『デコイ』だ)

 

 ラストサンクチュアリのリーダーであるキバオウを思い出し、実に与しやすい人物だとディアベルは唇が歪まないように堪える。彼の視線・言動はまるで旧知の仲を思わすような、ある種の馴れ馴れしさがある。それはディアベルの心に、まるで猫が爪を立てているかのように、ギチギチという音を立てさせる不愉快さ……いや、恐怖が募る。

 思い出したくない。腐敗コボルド王戦に過ぎ去った感覚がより現実感を持って湧き上がる。それはどうしようもなく、ディアベルには怖い。故にキバオウには、不条理と分かっていても、笑顔の裏でストレスを感じるのだ。

 それは仮面の傭兵にも似たようなものを感じる。だが、それを追究することは出来ない。したくない。ディアベルはラストサンクチュアリの資料、そして神灰教会のエドガーより提供された興味深い情報を確認する。

 既にラストサンクチュアリは蛆が湧いた重傷兵。腐った大木であり、根まで食い荒らされている。あとは倒木して被害を生むか、奇麗さっぱり焼いてしまうか。それだけだ。ディアベルとしては、皮肉にも戦争の留め金になっているラストサンクチュアリには長く延命してもらい、最終的には『美味』な部分だけを神灰教会に提供する形を作り、お零れと教会との協力体制を敷くのが1番だ。特にラストサンクチュアリへの秘密裏の支援はそのままクラウドアースへの地道な消耗にも繋げられる。何よりもラストサンクチュアリは『お得意様』なのだ。経済という面から見ても、ギリギリまで生かしたい。

 

「……アレスさんはどう思う?」

 

 教会の刻印が描かれた、厚さ5ミリ程度のクリップされた報告書の束を執務テーブルに置き、手を組んだディアベルの問いに、老兵は豊かな顎髭を撫でた。熟練した指揮官であるだけではなく、そこら辺の若者とは人生経験が違う。そして、老いてもなお最前線に立てる実力者は、目元を鋭くさせて返答を慎重に選ぶ。

 

「にわかには信じられませんが、今回のエドガーのアノールロンド攻略の積極的協力の打診の裏には、間違いなく『これ』があるでしょうな」

 

「プレイヤー数がすでに5000人を割っている……下手すれば4000人弱しか残っていない、か。死者の碑も当てにならない。何が信用できるか分かったものじゃないね」

 

「それだけならば、極論ですが『攻略には』問題ありません。むしろ、由々しき事態は人口増加です。加速度的に終わりつつある街の人口は増加しています。プレイヤー総数……いいえ、『DBO人口数』がエドガーの報告通りならば、現状で軽く『3万人』以上。しかも、増加数は日単位ともなれば……」

 

「エドガーさんの試算によれば、10月には4万人を突破する、か。しかも過半はレベル1からレベル20までの低レベル。そして、貧民プレイヤーは増加の一途。完全攻略の恩恵……現実世界への帰還が目的の『プレイヤー』自体がマイノリティというわけか」

 

 ディアベルたち大ギルドは早期から、茅場の後継者が告げた『1万2000人』と実際のプレイヤー数の乖離を察知していた。その原因は未だに確証をつかめていなかったが、ディアベル個人には諸説存在し、独自の情報ネットワークとエドガーからのリークによって、ほぼ確実視できる『真実』もつかんでいる。そのことを明かしているのは、アレスとラムダだけであり、それでも奇異な目をせずに付き従ってくれる彼らには感謝しか存在しない。

 

「彼らのほぼ全員が『まるで最初から参加していた』ような記憶、あるいは記憶障害によって正確な過去を思い出せない状態にある事も検証済みです。クラウドアースと太陽の狩猟団も同様の情報を経路こそ異なれども獲得していると見て間違いないでしょう」

 

「数は力だ。この先も無制限に人口増加するという確証はないし、あっても困るけど、攻略するにしても組織の拡充を図るにしても、1番の問題だった人的資源が解決したのは喜ばしいことだよ。だけど、それ以上に発生した問題は見過ごせないね」

 

「……完全攻略。それが『大義』でなくなる、ですか?」

 

「まだそうと決まったわけじゃない。でも、クラウドアースにしても、太陽の狩猟団にしても、今まで通りの直球で完全攻略を大義として使えなくなる。教会はこれを狙っていたのかもね。まさに大義の定義を握るのは教会かもしれない」

 

 エドガーめ、やってくれる。かつて円卓の騎士の1人だった凄腕の神父の目的が読めず、ディアベルは内心で舌打ちも禁じない。

 そもそも茅場の後継者が人口増加に関与しているならば、その手法よりも目的が分からない。仮に無尽蔵にプレイヤーが増えるならば、いずれは有限のステージは全て攻略され、ラスボスも倒せるだろう。だが、それは茅場の後継者の望むところとはディアベルにも思えなかった。

 もう1度、心も体も預けるように執務室に座り直したディアベルは、起立を続けるアレスの目を見つめる。彼はディアベルがどんな判断をしても、どんな選択をしても、どんな『大義』を選ぶにしても、忠告と警告を欠かさずとも付き従うだろう。

 良い仲間と人生の先輩を得た。ディアベルは心の底からそう思うも、同時にそれは彼がリーダーの席に座り続けるからこそ維持されるものだとも自覚する。

 ふと思い出したのは、DBO初期……毎日を我武者羅に生きていた、レベリングに励み、確かな明日が来るとも分からずとも、火を囲んで不味い食事を食べ合っていた時間だ。

 

(もう戻れないな。クーも、シノンも、遠くに行ってしまった)

 

 どうして俺と同じ道を選んでくれなかった? そんなワガママが胸中より湧き出す。腐敗コボルド王戦が……その後のクゥリの正体のカミングアウトと殺人が、彼らの道を変えてしまったのだろう。

 いいや、それは単なる言い訳だ。あの時、クゥリは去る事を選び、シノンは離れて行った。そして、今や1人は最も危険かつ美しい独立傭兵、もう1人は目下敵対している大ギルドの専属傭兵のトップランカーだ。2人とも揃って今は休暇を取っているようだが、案外2人にも秘密の交流があるのだろうかとディアベルは穿った見方をしてしまう。

 もしも、ディアベルと同じ道を選んでくれたならば。クゥリもシノンも聖剣騎士団でも最高の戦士の1人として活躍できただろう。いや、そもそもサインズが発足される由来となったのは、クゥリやシノンといった黎明期の傭兵たちが存在したからだ。より直接的に言えば、ミュウがクゥリを傭兵として戦果を大きく挙げたことで、当時のギルドの群雄割拠の頃に、誰も彼もが傭兵の運用に手を出したからだ。

 つまり、あの時に2人がディアベルと同じ道を選んでいれば、今の大ギルドの軋轢も存在しなかったかもしれないのだ。あったとしても、それはここまで苛烈なものではなかっただろう。特にクゥリの場合、やる事成す事が戦争を誘発する火種にガソリンを注ぎ込むような真似ばかりだ。

 これも言い訳だ。ディアベルは溜め息を飲み込む。傭兵を利用してきたのは大ギルドだ。それを傭兵のせいだと罵るのは、チェスにおいて駒に文句をつけるようなものだ。だが、それを抜きにしても、クゥリの場合はイレギュラーが多過ぎる気もしなくもない。

 

「ともかく中小ギルドとフリー戦力の囲い込みは最優先事項だ。増加しているプレイヤーの正体なんてこの際『どうでも良い』よ。重要なのは、彼らもいざという時は兵士になるし、生活すれば経済の1部として機能するという事だ。ラムダには聖剣騎士団の『職業斡旋所』の拡充をお願いしてある。クラウドアースには後れを取っているけど、このプランが行けば巻き返せるどころか、彼らの2歩先を進める。それにゴーレムも順調だしね」

 

「……新型ゴーレムの配備ですか? 正直に申し上げまして【財団】は信用なりませんが?」

 

「利用できるならば何でも利用しないと。ミュウは俺よりも頭がキレる。セサルも底知れない。端的能力は、俺は彼らに及ばないよ。でも、何も相手の得意分野で戦う必要はない。ましてや、これは戦争なんだからね」

 

 戦争は事前準備の段階から始まっている。情報から経済、武装開発、人材育成に至るまで、何から何まで相手を倒す為のプランの積み重ねなのだ。

 

「ところで『彼』からのリーク……セサルが重病という噂は本当なのかな?」

 

「まだ確証はないかと。ですが、セサルも敢えて隠し通そうとはしていない節があります。あるいは、もう隠せない程に衰弱しているのか……。彼の年齢は分かりませんが、この老いぼれと似た雰囲気があります。あんな見た目ですが、存外高齢かと」

 

「仮想世界で体が動けなくなる程の病気か……。【ドクター】の見解はどうなんだい?」

 

「推測は3つ。内で最も高確率なのは脳腫瘍と報告を受けています。それも末期の」

 

 末期癌か。ならば、このまま開戦までの持久戦に持ち込めば病死も? ディアベルはそんな甘い予想を立てそうになり、自身を叱咤する。敵の病に期待するなど、その時点で負けているようなものだ。重要なのは、この情報の使い道である。恐らくは同様の情報もミュウは握っているはずだ。

 

「やる事が多くて困るよ。これでは明後日の釣りはキャンセルかな?」

 

「はて? 老いぼれの耳は遠いものでして、何を仰っているのか聞こえませんでしたな」

 

「アレスさん。仮想世界で耳が遠いなんて、鈍感ハーレム主人公も使えない手だよ」

 

「これは手厳しい」

 

 2人が笑い合っていると、ノックにも気遣いが感じられる可愛らしい音色と共に、執務室にユイが入ってくる。盆には2つのコーヒーカップが並び、美味しそうな湯気を立ち上らせていた。

 

「ディアベルさん、珈琲入れてきました。アレスさんもどうぞ」

 

「おお、これはありがたい。団長、仕事しながらも良いですが、手を休まれてブレイクタイムした方が効率を上げますぞ?」

 

 そう言われたら断れないではないか。艶やかな黒髪を揺らすユイに、申し訳なさそうに覗き込まれれば、ディアベルも咳を1つ挟む。

 かつては珈琲1杯を作る為に並々ならぬ情熱を注いでいたが、今では自分自身でブレンドする時間すらも無くなってしまった。今ではユイの方がディアベルの好みのブレンドのレシピを握っているので、彼女無しでは至福の珈琲タイムも楽しめ無くなった。これが胃袋を握られるという事かとディアベルはじっくりと珈琲を味わう。

 

「えへへ、ディアベルさんって本当に幸せそうに珈琲を飲みますよね。淹れる甲斐があります」

 

「そうかい?」

 

「言われてみれば確かに、団長は珈琲を飲んでいる時が1番安らいでいるように思えますな」

 

 アレスにまで同意され、ディアベルは頬が弛んで威厳が損なわれていないか心配になる。だが、この執務室には見知った2人しかいないともなれば、それはそれで悪くないかと肩の力を抜く。

 

「どうです? 新しいブレンドなんですけど。私は前よりも後味がしつこくないから、ディアベルさんの好みだと思うんですけど」

 

「驚いたよ。俺の理想とした珈琲にまた近づいている」

 

「あははは。それでも、まだ理想には届いてないんですね」

 

「男は何でも高望みしてしまう生物なんだよ。珈琲にも女性にもね」

 

 ウインクするディアベルに、ユイは『本当にディアベルさんって天然ジゴロなところありますよね。パパもこんな感じだった気がするかも』と恥ずかしそうに目を背けた。

 未だにユイの両親に関する情報は分かっていない。そもそもユイから得られる情報が断片的過ぎることもあるが、ディアベルは彼女に『真実』に到達してほしくないと考えて、初期に比べれば調査の手を大きく緩めているからだ。

 クゥリより託されたユイは、いかなるプレイヤーとも異なる存在だ。彼女は必死に隠そうとしていたが、恐らく彼女はいかなるプレイヤーともDBOにいる経緯が異なるはずだ。それは場合によって『大義』の象徴にもなり得る。

 ……いいや、それは『リーダーとして』の言い訳だ。ディアベル個人が、今の環境を手放したくないのだ。

 ユイは邪気なく、何の裏表なく、策謀もなく、リーダーという立場すらも関係なく、変わらずディアベルに接してくれる貴重な人物だ。もちろん、人前では最低限の敬意などは示すが、出会った頃と何1つ変わっていない。

 

「そういえば、チェンジリング事件ってどうなったんですか?」

 

「調査だけは一応しているよ。でも、アノールロンドを前にしたクラウドアースからの嫌がらせだろうから、ユイちゃんが神経質になるような事じゃないよ」

 

 何気ないユイの質問に、ディアベルは苦笑して本音をそのまま告げる。アレスも首肯している通り、クラウドアースから警告が入ったチェンジリングなる、プレイヤーアバターの『中身』が入れ替えられるなどという荒唐無稽な事柄に、アノールロンド攻略を前にした聖剣騎士団が総力を挙げて調査する必要などない。クラウドアースお得意の嫌がらせだと円卓会議でも決定した。ただ1人……真改だけは解せないような表情をしていたが、彼が気難しい表情をして実は何も考えて無かったというのは今に始まったことではない。

 

「だったら、私が調査して良いでしょうか? 胸がモヤモヤして、どうしても放っておけないんです」

 

 ユイに迫られ、ディアベルはどうしたものかと一考する。確かに、クラウドアースの嫌がらせだとしても、わざわざ協議の場を設けてまで警告してきたのは、ディアベルもやり過ぎだとは思っていた。パフォーマンスではあるだろうが、だからと言ってノーリアクションではクラウドアースの思う壺……というパターンもあり得る。だが、わざわざ罠に嵌まるような真似もしたくない。

 最適の選択肢は教会とのパイプ作りも含めた、チェンジリング事件を調査しているという『アピール』だろうか。教会を絡ませれば、クラウドアースもおいそれと何かをしでかすような真似は出来ないはずである。何よりも、ユイ個人も教会の活動には積極的に参加したがっていたはずだ。

 

「分かった。ただし、俺が一筆書くから教会の方と一緒に事件の調査をして欲しい。くれぐれも危険な真似をしないでくれ」

 

「ありがとうございます!」

 

 可憐に笑うユイに、ディアベルは罪悪感を募らせる。彼女にさせるのは探偵の真似事……要はお遊びだ。ディアベルは自分の薄汚れた計算など気づく様子もないユイに、1番変わってしまったのは自分の方かと去り行く彼女の後姿に自嘲した。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 どんな会話をして関係を築いていったのか、よく思い出すことはできない。

 だが、仲間とは、友人とは、家族とは、そんな時間によって結ばれていく絆の事を言うのだろう。

 

『主様は少女趣味で、将来の夢はお嫁さんで、私がいなければダンジョンで10分以内に死にそうな程にポンコツなのに、どうして忍者なんかやっているんですか?』

 

『NINJAってカッコイイじゃない』

 

『訊いた私が馬鹿だったというわけですね。大変良い勉強になりました』

 

 そもそも私だってイリスと出会うまでは1人でダンジョンに潜ってたのよ? そう反論したいザクロは、どうせ何を言ってもグダグダと説教を聞かされるのだろうと反論を呑み込んだり、だが耐えられなくてやっぱり吐いたりして、その度にイリスにアースジェ○トの刑に処すわよと脅した。

 きっと甘えていた。

 無条件でずっとずっと……最期の最後まで一緒にいてくれると疑わなかった。

 なのに、どうして逝ってしまったのだろう? ランスロットに頭部を貫かれ、骸となったイリスに手を伸ばすも、暗闇が邪魔して届かない。

 生かされた。イリスが命を懸けて守ってくれたから、あの数秒を稼いでくれたから、ザクロは生き抜くことができた。たとえ、独力でないにしても、多くの偶然が重なったとしても、ザクロが確かに生を掴めたのは、イリスのお陰だった。

 ならば、ザクロが今ここで生きている理由とは? きっと、イリスが望んだのは、どんなに醜く汚くとも生き抜くことではない。ザクロが望むままに、人殺しの悪党は悪党らしく、ワガママに自分の思うままに生きてほしいと望んだからだ。

 暗闇に光が差し込み、開かれた瞼と共に光が乱舞する。それが差し込む陽光が涙で万華鏡となっているからだと悟ったのは数秒後であり、自分が体を預けるのはやや硬めのベッドであり分厚い毛布が体を包んでいるのだと知る。

 

「起きたか」

 

 頭を預ける枕から離れ、上半身を起こせば、見知らぬ部屋で見知った人物が隣で椅子に腰かけていた。

 木造の部屋であり、暖炉もあり、簡素ながらもテーブルや箪笥といった家具もある。奥には台所もあるようだ。四角い窓ガラスからは眩い太陽の光が差し込んでいるが、外の空気が凍てついているのは結露で分かる。この部屋も猛る火を預かる暖炉が無ければ体の震えも止まらないだろう。

 

「……【渡り鳥】」

 

「スープくらいは作ってある。オレは≪料理≫が無いから味は保証しないけど、食べられる味にはなっているはずだ」

 

 椅子から立った、腰まで伸びた白髪を1本の三つ編みにした、男性とも女性とも異なる、中性美の結晶のような容姿をした傭兵は、混乱するザクロを落ち着かせるように微笑むと台所に消える。そして、見た目だけはクリームシチューに似た、だが水っぽさが飲むまでもなく伝わってくるスープを木製の器に注いで持ってきた。

 同じく木製のスプーンで、ざく切りされたニンジンを食べるも、スープはハッキリ言えて飲めたようなものではない、肉の生臭さと野菜の土っぽさが互いに独奏して喧嘩している。ザクロも≪料理≫が無い時代に、よく自前のスープを作って飲んだが、いかに自分の舌が肥えてしまったのかを実感する。

 この絶望感漂う味こそがDBOに食の追及を加速させた。今も貧民プレイヤーはスポンジのようなジャガイモの蒸かしかプラスチックのような米の雑炊が主食だという。彼らからすれば、中位プレイヤーすらも貴族に映ることだろう。

 

「お前……自分で……味見くらいしなさいよ」

 

「食べられる分だけマシだろう?」

 

「食べられないから言ってるのよ! この肉とか半分以上生で血の味がするみたいだわ」

 

 文句を垂れ流しながらもスプーンを動かすザクロであるが、スープを1割と口にすることも出来ずにギブアップする。勿体ないという感情は湧かなかった。むしろ、こんなものを作った【渡り鳥】に、仮想世界でも食材に謝れと叫びたい。

 両目から涙が零れる。止まらない。止められない。止めたくない。ザクロは口に残り続けるスープの不味さのせいだと理由づけしようとして、だが、たとえどんなに不味くとも食事をした事が……スープの温かさが心に浸み込んで、イリスの死を実感して、涙が溢れる。

 

「……あっち行ってなさいよぉ。女の子の、涙を、鑑賞とか、趣味悪いんじゃない!?」

 

 布団を両手でつかみ、鼻を啜って、涙を拭うこともせずに顔面を汚していくザクロの隣で【渡り鳥】は無言で食器を片づけて椅子に戻る。

 

「泣きたい時に泣いた方が良い。我慢しても何処か別の場所で、もっと悪い形で溢れるだけだ」

 

「ハッ! 何それ!? お前に言われても説得力ないんですけど!?」

 

「自覚はある」

 

「余計に最悪ね」

 

 慰めの言葉などなく、哀悼の意もなく、淡々とイリスの死を寂しげな眼差しで捉えている【渡り鳥】は、ザクロが泣き止むまで待ち続けた。だからだろう。ようやく涙が枯れた時に、ザクロは冷静さと意識の切り替えに成功する。もしも自分だけだったならば、イリスの死を引き摺ったまま、もう動けなくなっていたかもしれない。

 もしかして、それが分かっていて傍にいてくれたのだろうか? 傭兵において最も残酷ともされる【渡り鳥】の気遣いを感じ取り、ザクロは深呼吸を挟む。

 

「状況を教えてもらえる?」

 

「ここは雪の高地【シャロン村】。四方八方を真っ白な山脈に囲まれた辺境のまた辺境だ」

 

 【渡り鳥】曰く、深淵狩りの剣士たちによってこのシャロン村に転移させられたとの事だった。それが意図したものかどうかは転移させた深淵狩りの剣士が死亡していたので確認はできない。

 転移は3日前の真夜中。ザクロは気を失ったまま……恐らくはイリスの死の衝撃から心を守る為に意識をシャットダウンし、精神のコンディションを整えようとした結果、3日間も眠り続けていたのだ。その間の食事は【渡り鳥】が村の人に頼んで流動食を口に流し込んでくれていたらしい。

 看病までしてくれたのかとザクロは自己嫌悪で膝を抱えたくなる。だが、感謝を言葉にするのも気恥ずかしく、ザクロは話を急かす。

 

「まずは第1に、このシャロン村はオレ達を客人として迎えている。この家も空いてるものを譲り受けたものだ」

 

「どうしてそんな好待遇に?」

 

「……この村は長い間に亘って春が訪れず、外部との交流が断たれている。ハッキリ言うが、オレ達はシャロン村に閉じ込められている。それが理由だ」

 

 シャロン村の周囲の山脈は【霜海山脈】と呼ばれ、吹雪で荒れ狂う極寒の地らしい。唯一の出入口である地下道は凍土と化して封じられ、村は何百年も外部との交流が断たれているとの事だった。

 まず山脈越えは不可能であり、そこには氷の民……アイスマンなるモンスターが跋扈する。これまで村民でも腕利きの者が山脈越えを狙ったが、1度として成功することはなく、誰も帰って来なかった。

 永遠に訪れない春は、アイスマンたちが呼んだとされる氷の魔物の影響らしく、村人たちは外との交流を得る為に、安全な山脈越えのルートか氷の魔物の討伐を求めている。

 

「だから、彼らは外部の人間であるオレ達に情報を期待していた。でも、転移してきたとは言えないしな」

 

「だったら、どう説明したの?」

 

「幸いにもオレ達は満身創痍だった。特にオマエは気絶してこの通り3日も寝込んでた。命からがら山脈越えをした『奇跡の旅人』扱いだ」

 

 皮肉にもザクロが目を覚まさなかった事こそが説得力を持ったのだろう。彼らからすれば、たとえ死にかけでも山脈越えをしてきた重要な情報源だ。歓待するのは当然なのだろう。

 しかし、こうして屋根のある寝床を確保できたのは喜ばしいが、【渡り鳥】の話の通りならば、自分たちは氷の山々に閉じ込められているという状況に陥っているのだと理解してザクロは顔を覆いたくなる。

 

「これは村人の話を聞いた限りだけど、元々はこの村と外部を安全に繋げるルートは複数あったらしい。でも、数百年前の天変地異でそれも断絶されてしまった」

 

「天変地異……もしかしてアルヴヘイムの無理な拡大の影響かしら?」

 

「確率は高い。これはオレの推測に過ぎないが、この村は【氷の魔物】が巣食うダンジョンに挑戦する為の拠点。その名残じゃないかと思う。その証拠じゃないけど、このシャロン村は解呪の村として名を馳せていたらしい。アルヴヘイムでは珍しい、レベル1の呪いを解除できる場所だ。そして、祭事を取り仕切る神官の老婆の話によれば、アイスマンや氷の魔物は呪いの力を持っている」

 

「なるほどね。準備が整い過ぎている。確かにダンジョン前の拠点として準備された、あるいは拠点だった場所にシャロン村が出来たと考えた方が適切よね」

 

 つまりはアルヴヘイムが拡大して変質する以前から存在したダンジョン。それが霜海山脈なのだ。そう考えるならば、氷の魔物を退治する事によって春が訪れる……つまりはある種のイベントだとも捉えられる。凍土で封じられた地下道もイベントクリア後のショートカットと考えれば自然に納得がいく。ただし、天変地異の影響によって地下道も断絶している危険性もあるので過信はできないだろう。

 そこまでザクロは情報を纏めて、事態の重さに気づく。自前の回復アイテムは残っているが、PoHのリビングデッドがいないので在庫の補充は不可能。もちろん、呪い相手ならば必需品である解呪石もない。情報も無い無い尽くしで、あのランスロット同様にアルヴヘイムに最初から配置されていたネームドだろう【氷の魔物】を倒さねばならないのだ。

 蘇るのはランスロットの桁違いの強さだった。何もできなかった。深淵狩りの剣士たちと協力して戦いの真似事はできたが、とてもではないが、人外の域でなければ相対できない。いや、どれだけステータスを高めても、スキルを揃えても、優秀な武器があろうとも、『人間の領域』から脱しない限り、ランスロットは倒せないとザクロの心に、魂に、生存本能に刻み込まれてしまった。

 

(まだHPバー1本目……1本目だったのよ!? なのにあの強さ。バケモノなんて表現すらも生ぬるい、正真正銘本物の……)

 

 ならば、そのランスロットと戦えた【渡り鳥】は……と考えて、ザクロは背筋を冷たくする。

 シャロン村の状況を述べる【渡り鳥】の目は冷え切っている。たとえ、いかなるネームドが待ち構えていようとも殺すという意思が滲んでいる。恐らく、彼が見ているのはいかにしてランスロットを倒すか、その1点なのだろう。

 あれ程の強さを前にしても、どうして心が折れない? どうして立ち上がれた? イリスの死に応えるように、ザクロを守るように、深淵狩りの剣士たちと通じ合ったように、ボロボロの状態でランスロットに刃を向けるに止まらず、あの漆黒の騎士に手傷を負わせた【渡り鳥】に恐怖を覚えずにはいられない。

 

「……ちょっと待って。ボロボロ? ねぇ、お前……まさか、ずっと私の看病してたわけじゃないわよね!?」

 

 ただでさえ低いVR適性に加えて、情報量の増加と脳の負荷を強制的に引き上げるアルヴヘイムの時間加速。そして、ランスロットと戦っている時に感じた、まるでバケモノのようなおぞましいまでの強さ。自分とは比較にならない程に満身創痍だったはずだ。

 だが、【渡り鳥】は少しだけ視線を下げると、何事も無いと言うように肩を竦める。

 

「オレの事は良いだろう? 今は自分のことを考えろ。イリスが死んだ以上、オマエは――」

 

「【渡り鳥】! 私を見ろ!」

 

 視線を逸らす【渡り鳥】の頭をつかみ、強引に目を合わせたザクロは、眼帯に覆われていない右目の、無機質とも思える冷たい殺意に浸された瞳に喉が震える。

 分かってしまう。何を言っても崩せない。壊せない。砕けない。こんなものを前にして、何を言ってやれば良い? 何を告げれば良い? ザクロは言葉に詰まる。

 お前もしっかり休め。そう言いたいのに、どうしても言葉に出来ない。

 ザクロの手を振り払い、椅子から立った【渡り鳥】は家の出口に向かっていく。

 

「……話を戻す。オマエは鎖鎌を破損し、短刀も刃毀れが激しい。村の鍛冶に頼んで修理してもらうようにお願いしたが、応急処置すらも難しい。ひとまずは準備をできるだけ整える。それからダンジョンの難易度と情報を集めて確実に【氷の魔物】を狩らないとな」

 

 振り返った【渡り鳥】は、穏やかに、優雅とおも思える程に優しい微笑と共にザクロに告げる。

 

「だから、今はゆっくり休め。心も体もな」

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 

 思っていた以上にザクロの精神コンディションは悪くない。イリスの死は相応に堪えているようだが、1番恐れていたイリスの死を否定する事だけはなかった。彼女はイリスの死を受け入れている。まだ消化しきれてはいないが、それは時間が解決するだろう。

 やはり心の特効薬は時間と睡眠だな。ザクロの更なる回復を願い、シャロン村の外れにある、旅人の歓待用の家から出たオレは、360度を白く冷たくそびえ立つ山々に囲まれたシャロン村を見回す。

 村民たちは物珍しさにオレを見ているが、彼らには彼らの仕事がある。雪山に囲まれているとはいえ、シャロン村は雪原の真ん中にあるわけではない。息は白く濁るも、草原は青々しく広がり、羊が放牧されている。決して広くはないが、村人が暮らすには十分過ぎる畑もある。自給自足が成り立っているのだろう。

 オレの予想だが、このダンジョン前の拠点に『後から』シャロン村が出来たのだろう。その証拠に、村の西の外れには遺跡のような廃墟があり、そこには白い花を咲かせる蔦に覆われた石像と聖壇がある。ここで聖水の儀を施すことにより、レベル1の呪いを解くことができる。その聖水の儀の一切を執り行うのが神官だ。

 幸いにも聖水はこの村の周辺で取れる素材から≪薬品調合≫で作れるようなのだが、そのレシピが記載されているとされる石板は≪言語解読≫が無ければ読めないというコンボだ。まぁ、オレもザクロも呪われていないので問題ないが、仮に【氷の魔物】やアイスマンに呪いを受けても、この聖壇で儀式を行えば解呪できるのは大きい。

 しかし、呪い攻撃持ちは確定か。呪いは様々なデバフとの複合だ。たとえば、バジリスクと呼ばれる石化の呪いブレスを多用してくるモンスターがいるのだが、一時期は上位プレイヤーが次々と生きたまま石化されるという事態が引き起こされた。デスゲームでなければ自害のコマンドもあるのだろうが、1度石化するとそのまま石化が続く。何が言いたいのかと言えば、ずっと石像状態だ。生き地獄である。まぁ、バジリスクたちに石化状態で殴り続けてもらえれば死ねるのだが、奴らは石化させたら満足して放置するので奇跡を期待するのは無駄である。

 聖壇のある廃墟にて瓦礫に腰かけ、オレは装備のチェックを行う。ザクロも目覚めた以上は、オレもシャロン村からの脱出の為にも行動を取らねばならない。

 贄姫、破損無し。刃毀れも特にない。さすがだ、グリムロック。耐久度の回復に惜しみなくエドの砥石を使用しておこう。

 死神の槍、同じく破損無し。そもそも打撃属性重視のブレードは刃零れの影響も少ないので問題ないが、終盤でランスロットと斬り合っても十分に耐えられた性能は、ヤツと殺り合う上でメインウェポンにもなり得るだろう。

 連装銃、残弾4発。使用回数残り2射か。もはや使い捨てだな。だが、ここぞという場面で運用すれば、十分に攻撃力を発揮できる。

 パラサイト・イヴ、特に言うことなし。そもそも体内にあるからな。

 鋸ナイフ、残数41本。この先の戦いを考えるならば、温存も考えた方が良いだろう。特にランスロット相手ならば有無は大きく戦況を左右するかもしれない。

 強化手榴弾、残り6個。ランスロットのスピードには対応しきれないが、搦め手には有効なはずだ。そうでなくとも、彼以外にも2体のネームドがいる。それも相手取るならば、強化手榴弾は十分にダメージソースだ。

 注意しておくべき装備やアイテムはこんなものだろう。特に鋸ナイフは運用に気を付けておかないとな。

 骨針の黒帯にピンを付け直して痛覚を緩めた左手の調子は問題ない。右手の指には鈍さを覚えるが、カバーできる範囲だ。右目は不定期にノイズがかかり、色彩が失われて白黒状態になったり、色が反転したり、フォーカスロックの速度に鈍さを覚えるが、まだ大丈夫だ。

 右足には膝から下に痺れ。左足は太腿と膝の可動に違和感あり。聴覚は視覚と同じく不定期で耳鳴りがあるくらいか。

 問題は頭痛と意識が爛れるような熱だ。ナグナで感染した時と同じ……いや、それ以上のように脳を溶かすような高熱を感じる。だが、右手で触れた額は冷えている。恐らくは、オレの脳がアルヴヘイムの現状……時間加速に対応しきれていないのだろう。

 これでも3日間で随分と適応できた方だが、眼帯を外して情報量を増やせば即座にダウンするだろうし、現時点で戦闘を行えば3分と意識を保てないかもしれない。ザクロには言えなかったが、時間加速に『慣らし』が必要なオレの準備時間は、アルヴヘイム時間で何日必要か分かったものではない。

 現実世界とリンクしているDBO時間の約5倍の速度でアルヴヘイムの時間は進んでいる。どんなトリックを使用したのかは知らないし、そもそもフラクトライトに接続できるアミュスフィアⅢはオーバースペックの塊だ。絶対にカタログスペックなんて目じゃない性能だろうな。ともかく、重要なのは時間加速しているトリックではなく理由だ。

 どうしてオベイロンは時間加速をしなければならなかった? それは彼にとって不都合な事態を避ける為だろう。恐らく、それの余波としてVR適性の低いオレは更に追い詰められた状態になった。つまり、時間加速以前……獣狩りの夜はオベイロンにとっても大きなリスクが伴う賭けだった。

 だから何だという話だが、オベイロンが焦っているならば隙も大きいはずだ。この時間加速中になるべく勝負をかけておきたいところである。その為にも、オレもコンディションは整えておきたいところだ。

 

 

 

 

 ふーん、だから?

 

 

 

 ……そして、このヤツメ様のボイコットぶりである!

 オレに背中を向けて糸で心臓を胸に縫い縫いしているヤツメ様は、心底どーでも良いわーって目と顔をして、横顔だけオレに振り向いて告げる。なお、その隣では狩人が犬神家状態なのだが、特筆すべき事ではないので何も言わないでおこう。

 分かっている。シャロン村についてから実感したのだが、ヤツメ様の導きが無いのだ。

 心臓を縫い終えたヤツメ様は胸をポンポンと叩いて満足すると、上半身が埋まった狩人に100回ローキックをお見舞いして良い汗を流した後に『ストライキ中』という看板を掲げる。

 ヤツメ様の導き無しでは狩人の予測は成り立たない。ランスロットの時は、一時的に狩人……オレの意思で、ヤツメ様の導き……本能を引き摺り出した。だが、シャルルとの戦いで、オレは神子としてヤツメ様と歩むことを決めた。できれば、あんな強引な真似はしたくない。

 ストライキ看板でポカポカ殴ってくるヤツメ様をどう説得したものかと考えていると、足音が聞こえて腰の贄姫を半ばまで抜く。

 立っていたのは村娘……ではなくザクロだ。クリーム色のロングスカートのワンピースに、赤地に白の花柄の三角筋を被った姿は民族衣装だろう。やや頬を朱色に染めて、羞恥で目を逸らしているが、オレは何をどうツッコミ入れるべきか悩んで沈黙していると、ザクロの方から震える唇を開いた。

 

「ふ、服を貸してもらったのよ。ほら、着たままだと、く、臭くなるし? 変装用の服は余所余所しいし、鎧を着たままとか嫌だし……」

 

「そうか」

 

「そうよ! 悪い!? 神官だか何だか知らないけど、お婆さんがお前の服も見繕ったから渡しておけって! だから、これを渡しに来ただけ!」

 

 丁寧に布地に包まれた服を投げ渡したザクロは、革製のブーツで地面を踏み鳴らしながら、背を向けて去ろうとするも、振り返ると涙目でオレを指差した。

 

「この際だから、もう1度だけハッキリ言っておくわ! 私はお前が嫌いだ! 大嫌いだ! 憎たらしい!」

 

「逆にそうじゃなかったら吃驚だ」

 

「必ず復讐してやる! イリスが死んでも変わらない! 私がお前に復讐してやる! 絶対に! 絶対にだ! だから、だから……メシ喰って風呂入って寝ろ! 以上! あと、働かざる者、食うべからず! しばらくこの村に厄介になるんだから、勤労意欲を見せなさいよね!」

 

 今度こそ、ドスドスと足音を立てて早歩きで消えたザクロを見送ったオレは、彼女は何が言いたかったのかと噛み砕く。

 要は焦るな、という事だろう。確かにザクロのコンディションの回復には時間がかかるだろうし、ダンジョンの確実な攻略と【氷の魔物】の撃破に失敗は許されない。情報収集も抜かりなく行う必要性もある。そうなると村民とのコミュニケーションを取らねばならないだろう。

 近道はなく、少し遠回りくらいが逆に最短ルートかもしれないな。それに、今のオレのレベルは79に到達している。もう間もなくレベル80だ。それも含めて戦術と戦略の組み立てを行わねばならない。何よりも、ランスロットを倒す為には試さねばならない事も多い。

 それに加速時間でも最低でも戦闘が出来るだけの『慣らし』も得なければならない。必要経費……いや、必要時間と割り切るべきか。

 

「それにしても服か。そんなに臭わないけどな」

 

 ナグナの狩装束は長期依頼も想定し、体臭対策済みだ。嗅覚で索敵するモンスターも多いので当然である。それでも発汗後の一時的なニオイは誤魔化せないのだが、オレの場合は≪薬品調合≫でその気になれば消臭アイテムも作れるしな。

 だが、この機に洗濯してしまうのも考え方の1つか。オレは布地を解き、中身の服を取り出す。白地に青糸を縫い込んだ独特の文様が映える。神官の服の類だろうか。

 

「……まさかな」

 

 嫌な予感がする。だが、ナグナの狩装束以外の服を持たないオレには選択肢が無い。そもそも、オレの為に見繕ってくれたならば、村民との今後のコミュニケーションの為にも、この贈り物を無下にすべきではない。だが、何故だろう。果てしなく嫌な予感がした。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 働く者食うべからず。ザクロはそう自分に言い聞かせて、村の女衆に混じって芋団子の作成に勤しんでいた。

 サツマイモに近しい外観を持つ【赤栗芋】がシャロン村の主食であり、これを団子状にして保存する。焼いて良し、スープの具材にして良し、保存食として持ち歩いて良しの優秀な食べ物であり、しかも味も良く、生産効率も悪くない。多量の貧民プレイヤーを食べさせるのに四苦八苦しているラストサンクチュアリからすれば、下手なレアアイテム以上に価値がある食材である。

 ただし、寒い土地以外では育たないらしく、雪山に閉ざされたシャロン村の外ではほとんど流通していないらしい。数百年前のことなので真偽は不明であるが、村人たちはそう信じるに足る過去が語り継がれている。

 

「あら、ザクロさんはお料理がお上手なのね」

 

「きっといいお嫁さんになるわぁ」

 

「ウチの息子なんてどう? 村1番の猟師なんだから!」

 

 口々に村の女衆たちは……ザクロの過去を知らない者たちは、彼女の料理の腕前を褒め、興味津々といった様子で話しかけてくる。村といえば外来の異物に対して冷徹に接することも多々ある閉塞的なコミュニティの代表であるが、それは負の一面に過ぎず、大きな変化を望まずとも好奇心を満たす為に外来人を手厚くもてなす例も多い。

 また、村が非友好的な態度をとる理由の1つはコミュニティの秩序の崩壊をもたらす要因を外来人が持ち込むからだ。それは技術であり、病気であり、ミームである。コミュニティの崩壊に繋がる因子を『群れる』生物である人間は本能的に忌避するのだろう。

 

「お嫁さんなんて、そんな……」

 

「そんな事ないわよ。ザクロさんは可愛いし、まだまだ若いんだから、今の内に婿を捕まえておかないと苦労するわよ。ふふふ、私みたいにね……!」

 

 ふわふわの金髪の、外見年齢20代半ばだろう女性の自嘲に、十分に適齢期だろうにとは思ったザクロであるが、それは現代日本の話だ。アルヴヘイムの成人は何歳からであり、結婚適齢期も定かではない。そもそも村などの都市部から隔絶された土地ならば、より早婚のはずである。

 ならば、ザクロも少し行き遅れの部類なのかもしれない。その証拠のように、まだ10代半ば、あるいはもう少し低いだろう少女が、もう間もなく自分の結婚式が近いのだと幸せそうに告げ、この世界の行き遅れの部類だろう金髪女性は露骨に舌打ちする。

 

「でも、まだ休んでいて良いのよ? 病み上がりなんだし」

 

「仕事してないと落ち着かないんです。出来る事があったら何でも言ってください」

 

「そう? だったら、夕刻の鐘を鳴らしてきてくれるかしら」

 

 シャロン村に時計のような『精密工芸品』は無い。時間間隔も緩く、日の出の鐘、昼の鐘、夕刻の鐘の3回が彼らの時間を大きく区切る。鳴らすのも太陽が昇ったら、昼食の食べ頃になったら、夕暮れになったら、と明確な決まりはない。

 適当過ぎる。几帳面な日本社会で生まれ育ったザクロにはどうしても慣れないが、何処か懐かしさを覚える大雑把さは、イリスの死でぽっかりと開いた穴に新鮮な空気を流れ込ませ、心を腐らせることを防いでくれている。

 何か仕事をしたい。そう思うのも、ベッドで寝転がっていても、イリスの死と彼女の願いが頭の中でマーブル状態になって息苦しいからだ。

 優しくなりたい。ワガママでも良い。変わりたい。変わっていきたい。昔の頃のように、母に憧れていた頃のように、優しい人間になりたい。

 夕暮れの冷え込む風はシャロン村の冷たい檻の山々から吹き込む。時には村が白雪に閉ざされることもあるらしいが、平均してのどかな緑の風景が広がる。冷たく澄んだ空気は皮肉にも村と外界を塞ぐ氷の世界からの贈り物だ。

 村の広場に置かれた青銅色のハンドベル。ずっしりと重たいが、ザクロのSTRならば片手で振るうことも難しくない。手首のスナップを利かせて鳴らせば、錆び付いた音色が村に響き渡る。このハンドベルを鳴らして村を1周し、最後に村の外で大きく響かせれば終わりだ。

 

「……どうしてなんだろう」

 

 村の外縁に立ち、木柵の1歩外に出れば、氷の山で作られた箱庭に目が奪われる。緩急緩やかな丘と草原、薪を取る為の林と湖、そして雪に覆われた緑を知らない場所。黒角の羊たちの群れは羊飼いたちによって飼われている。羊飼いはこの村の神官たちの仕事らしいが、絶対数が少ないので、村人たちも手伝っているが、チラホラと白い装束を着た者たちがランタンを組み合わせた独特の杖で灯りを揺らしながら羊たちを小屋に誘導している。

 眠り続けていたザクロにとって、廃坑都市の死闘は、イリスの死は、まるで昨晩の出来事のように近しい。なのに、心の水面に荒波はなく、木の葉が舞い落ちて静かな波紋が生まれるのみ。

 こんな時間は今まで無かった事だ。イリスが死んだはずなのに、ザクロの心は安らいでいる。

 人殺しの悪党らしく、家族のように想っていたイリスにすらも薄情者だったのだろうか? いいや、違う。こうも落ち着ているのは、他でもないイリスの死が彼女に訴えかけているからだ。

 失ったものは取り戻せない。イリスの死の意味とは何だったのか? 彼女の決死の時間稼ぎはザクロに何を望んでの事だったのか? これから自分が戦う意義は何なのか?

 ワガママになって良いのだ。今も思い出のイリスはそう笑っている。ザクロの頭の上で、いつものようにグロテスクな外観に不似合いな、愛嬌のように縦割りの顎をカチカチと鳴らしている。

 

「ねぇ、イリス。私は……私はワガママに生きてやる。優しい人になりたい。だから……だから、私は望んだとおりに生きてやる」

 

 だからこそ、ザクロにはとても恐ろしく、また惹かれてしまうものがある。

 暗闇の中で見つけた火の揺らぎ。凍える雪夜を彷徨っていったザクロを誘う温かな焔は、手を伸ばせば焼き焦がされ、また魂の原始の海より恐怖を呼び起こす。だが、惹かれずにはいられない。焔火に魅せられるのは人の業だと言わんばかりだ。

 

「私はキャッティの仲間になりたかった。彼女に『居場所』を求めていた。だったら、私が【渡り鳥】に求めているのは……」

 

 ああ、それは……それはとても残酷な『答え』だ。

 きっとイリスは『それもまた良し』と寂しそうに笑うのだろう。だが、ザクロは否定する。この『居場所』は得るべきではない。それは優しい人から程遠いものだ。

 多くの人がこの『居場所』を無意識に、あるいは望んで求めたのかもしれない。きっと彼は優しく微笑んで受け入れるだろう。受け入れてしまうのだろう。不思議とザクロにはそう何の迷いもなく確信が持てた。それは彼女もまた求める者だからだろう。

 アルヴヘイム以来、【渡り鳥】に接すれば接する程に、彼に惹かれていた理由。その正体はとても簡単なものだ。復讐でキャッティの仲間という『居場所』を求めていた彼女らしい、当り前とも言うべき『答え』だった。

 

 

 

「私は……お前に『死に場所』を求めていたのかもしれない」

 

 

 

 最初から温かな世界に……光に満ちた場所にいる者は火に惹かれない。むしろ、業火の姿を見出して恐怖するばかりなのだろう。冷たい暗闇の中にいる者だからこそ、火に安らぎを知るのだ。たとえ、それが死だとしても、求めずにはいられないのだ。

 ならば、ザクロが目指すべきなのは火よりいつか離れて、夜明けの向こう側……かつて過去の自分がいた光の世界に戻ることなのかもしれない。それこそが、真にイリスが望んでいた、ザクロのワガママが生らす果実なのかもしれない。

 だからこそ、ザクロは決着を付けなくてはならない。既に【渡り鳥】を苦しめた復讐は始まっている。彼を追い詰めた過去がある。それを清算しようとは思わない。そんな義務感もない。彼女はワガママに生きるべく、ワガママに復讐の幕を下ろすつもりだ。【渡り鳥】に『ふざけんな』と怒鳴られながら、大笑いして勝利宣言をしてやるのだ。

 きっとこれもワガママだ。普通ならば、殺されても文句は言えないくらいに【渡り鳥】にあの手この手で攻撃したのだ。だが、【渡り鳥】はきっと『終わり』と認めるだろう。彼はそういう存在なのだ。卑怯? 人物像をよく分析できていると言ってもらいたいとザクロは胸を張る。

 

「どうせなら私の完全勝利が良いわよね。どうしてやろうかしら?」

 

 とはいえ、【渡り鳥】を一泡吹かすなど出来るイメージがわかない。どうせならば、【渡り鳥】に生涯に亘って刻み込むような復讐の完結を成したいと、悪人らしく悪巧みの笑みを描く。

 たとえば、食事に百足とミミズを仕込むのはどうだろうか? いや、【渡り鳥】ならば無言で食べて、無反応を貫くくらいの真似はしそうである。

 たとえば、ぶりっ子で新婚アピールをして羞恥させるのはどうだろうか? 駄目である。むしろザクロの自爆である。そもそも、ザクロは【渡り鳥】に対して異性の感情……恋愛感情など微塵も抱いていない。むしろ、結婚してくださいと頼まれても全力で断れる自信がある。

 

「すっかりに元気になれましたのぉ」

 

 と、そこに杖をついて現れたのは、腰が折れ曲がった老婆である。白いローブ姿にランタンが取り付けられた杖は羊飼いであり、神官の姿である。村長と同等かそれ以上の立場にある、この村唯一の解呪ができる聖壇を預かる人物だ。

 

「この度は――」

 

「そういう堅苦しい挨拶は要らんよ。こんな辺鄙な村に客人など数百年ぶり。雪山を超えてきたとなれば尚更じゃ」

 

 この村の住人が【渡り鳥】とザクロに期待しているのは情報であり、そして冬の終わりだ。【氷の魔物】を倒せるとは思ってもいないだろうが、彼らは雪山を超える術を探しているからこそ、最大の歓待をしているのだろう。

 だが、ザクロは嘘を貫くべきと分かっていても、本当は何も知らない……冗談と思われても転移してきたのだと告げたくなる。嘘は得意だったはずなのに、演技にも慣れているのに、素直に生きたいと望んでしまっている。

 喉が痙攣するザクロに、老婆は薄く笑って首を横に振る。

 

「『そういうこと』にしておきなさい。オババは無駄に年月を重ねて皺ばかりを増やしておるが、その分だけ多くの赤子を迎え、多くの老人を見送った。老いた目でも真実を少しくらいは覗き見れる」

 

「……恐れ入りました」

 

「ふぁふぁふぁ! まぁ、あの美人さんの嘘が下手だっただけじゃったがな! あんなにも嘘の才能が無い人物はオババも長い事お目にかかっておらん!」

 

 ……【渡り鳥】に演技の才能及び虚言の才能無し。本人は気づかれていないと思っているが、大根役者に毛が生えた程度である。ザクロは復讐データを思い返し、本当に戦闘関連以外の才能が無いわよね、と自分のポンコツっぷりを棚に上げて批評する。

 だからこそ、【渡り鳥】は『誤魔化す』を多用する。これも復讐者としての調査結果だ。沈黙は金……は不適切だろうが、【渡り鳥】は嘘が下手からだからこそ誤魔化そうとする。嘘で隠すのではなく、別の色を塗って分からないようにしてしまう。惑わせてしまう。そんなやり方を選ぶ。

 

「では、どうして私たちを? 村の人たちに貢献できることなんて……」

 

「オババにも分からんよ。まぁ、敢えて言うならば、神の啓示。それとも精霊の気まぐれと言った方が良いかのぉ。じゃが、ハッキリと言えば、ボロボロのお前さんを背負ってきた美人さんを追い出す程に、オババも村の者たちも『人間を辞めたい』とは思っておらんかっただけじゃ。それに……あの美人さんの目が『怖かった』からのぉ」

 

 やっぱり恐れ入る。年の功は伊達ではない。ザクロは丁寧に腰を折って一礼すると老婆は杖を突いてランタンを揺らす。

 

「ところで、何か悩んでるようじゃったが?」

 

「はい。私の大切な家族が死んじゃって、彼女の死んだ意味を考えて、自分がしたい事が決まって……でも、やっぱり、私は甘えたいんだなぁって……色々とグチャグチャな状態です。でも、いつまでも火の傍にいたら、きっと離れられなくなるから……早く暗闇の外に出ないと。お節介な家族がちゃんと目印を残してくれたから。私はそれを追って、暗闇の外にいかないといけないから」

 

「暗闇と火ですか。まるで始まりの火ですなぁ」

 

 腰に夕暮れの風が染みるのか、老婆は腰を数度叩く。そして、話が分からないザクロに意味深に笑いかけた。

 

「偉大なる太陽の光の王グウィン、呪術の祖たる魔女イザリス、最初の死者ニト。彼らは最初の火より王のソウルを見出し、古竜に戦いを挑んだ。じゃが、伝説によれば、神々すらも暗闇から生まれた者たちだったそうですじゃ。故に光を求めて、始まりの火から王のソウルを見出した」

 

 DBOの根幹となる物語。その原初に触れる老婆に、ザクロは耳を傾ける。

 太陽の光の王グウィンは神々と騎士を率いて古竜に戦いを挑み、光の世界……火の時代を築いた。アルヴヘイムはその際に、古竜ユグドラシルの力を借りてできた平行世界、あるいは切り離された世界の類だと物語的にザクロは理解している。

 彼らの認識では、今も外ではグウィンが統治する神々の時代が続いているようだが、実際には神々の時代など終わり、繰り返された火継、人の時代の到来、そして技術が進歩した末の滅びが訪れた終末の時代がやって来ている。

 今や豊かな時代とは想起の神殿から渡れる『過去』の中にしかなく、大ギルドの統治……プレイヤーによる都市カスタムによって終わりつつある街は繁栄を取り戻していても、世界観としてはあの小さな霧に覆われた世界しか人間には生きる場所など残されていないのだ。

 終末の時代において火継は必要視されていない。技術革新の末に古臭いカビの生えた火継の必要性が薄れたのか、それは分からない。だが、終わりつつある街が残る最後の世界において、人類は黄昏の中に取り残され、今や明けぬ夜を待つばかりだ。

 

「神官様」

 

「オババでよろしい」

 

「オババは……もしも、もしもよ? 始まりの火が消えかけたなら、どうする? 暗闇にいる人だからこそ火に惹かれる。だけど、その火が消えかかったなら、どうする?」

 

「おやおや、それは恐れ多いことを。じゃが、あり得ない話ではないじゃろうなぁ。火はいずれ消えるもの。何かを燃やしているからこそ火はそこにある。薪を投じぬ限り、火はいずれ消えるものじゃ。老い先短いオババと同じじゃよ」

 

 悲しそうに、夕闇の向こうに光る星を見つめる老婆は、やがてその視線をある1点に向ける。それは他の羊飼いたちを差し置いて、橙色の光を灯す杖を舞うように振るえば、羊たちは従僕するように小屋に駆ける。その挙動は日本舞踊のように動作の美しさを秘め、夕陽とランタンの2つの光で照らされた青糸で文様が描かれた白の衣と白髪を染め、聖堂にひっそりと信徒たちを集わす絵画のような風景を生み出している。

 きっと、古い時代の人々は……いや、心が擦れた現代の人々でも、そこに『神』を見るのだろう。だからこそ、人は『神』を見出したのだろう。

 

「……って、【渡り鳥】ぃ!?」

 

 思わず見惚れていたザクロは、どんな村人かと思えば、眼帯と人間離れした男性とも女性とも思えない中性美の容姿、1本に編まれた三つ編みを見て、羊飼いが他でもない【渡り鳥】だと気づく。

 纏っているのはザクロが渡したものだろう。紺の腰紐には銀の鈴が付けられ、大きなフードが付いている、白地に青糸で描かれた紋様が描かれたローブだ。ズボンにも青糸が縫い込んれており、ブーツにも腰と同じで銀の鈴が取り付けられている。捩じれた杖の先端に取り付けられたランタンでは橙色の炎が揺れており、杖を振るうたびに光の線を描いているのだが、それが彼の神秘さを一層引き出していた。

 

「確かに……確かに仕事しろって言ったけど……!」

 

 樵も猟師も見惚れて帰路で立ち止まっている。呆れかえるザクロであるが、思わず笑えている自分がいて、また少しだけ心が楽になる。

 きっとイリスも自分の死を悲しんで腐っていくザクロを見たいと望んでいない。ならば、ザクロは今感じた想いのままに笑うべきなのだろう。楽しむべきなのだろう。それが弔いになると信じて、望んだままに生きるべきなのだろう。

 

「オババの目に狂いなしぃいいいいい! あの衣装はオババの若い頃のものでしたな。オババも昔は村1番の美人として、そりゃもう村の男衆を手玉にとって貢がせたものですじゃ」

 

 そして、この状況の元凶は隣の老婆らしい。年の功は時として若者を翻弄するものなのだろうとザクロは諦める。

 満足した様子の老婆は踵を返すも、何を思い止まったように足を止めた。

 

「先程の問いの答えというわけではないが、お前さんは火防女を知っておるかのぉ?」

 

「ひもりめ? 知らないですけど」

 

「……知ってどうにかなるものでもない。お前さんが暗闇から抜け出したいならば、知らぬ方が良い」

 

 老婆は悲しそうに笑うとザクロを残して村の奥に戻る。

 あの老婆は何が言いたかったのだろう。ザクロは僅かに胸に疼きを覚えるばかりだった。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 廃坑都市の陥落。その情報はアルフによって瞬く間にアルヴヘイム全土に告知され、反オベイロン派たちの士気を根こそぎ奪っていった。

 協力関係にあったハーモニー商会もトップのフェルナンデスや同調者を失い、オベイロン派へと靡き、裏切りが続出する。僅か1晩の間に処刑された反オベイロン派の協力者は100人以上も数えられ、絞首刑に処せられた彼らの遺体には石や卵が投げつけられたという。

 オベイロンは巧みだった。まずは廃坑都市を壊滅させたレギオンや深淵の怪物たるアメンドーズなどを『反オベイロン派が戦力として呼び出し、暴走させた結果』としたのだ。そして、オベイロンはあろうことか『廃坑都市を浄化し、深淵の蔓延を防いだ』として自身の功績に置き換えたのである。

 当然ながら真実を知る者は少ない。廃坑都市が壊滅した情報を得た反オベイロン派はいても、廃坑都市の生き残りは数えるほどもいないからだ。まだ生き残っていたとしても、廃坑都市の包囲網を脱せられたはずもない。

 それでも、深淵狩りの剣士たちの足掻き……転移で助かった者たちは必ずいる。真実を知る者がいる。その1人がレコンだ。

 彼が潜伏するのはアルヴヘイムでも南西に位置する一大穀倉地帯を有する交食都市ベイブルーンである。小麦粉から果物、野菜、そして肉などの鮮魚を除く多くの食材が集まり、商会の取引によって活発に交易が行われる地だ。

 だが、豊かなアルヴヘイムの台所も赤い月の影響……レギオンの発生によって被害を受け、その傷痕は生々しく残っている。だが、それでも逞しき人々は昨日の涙を拭って商売に明け暮れている。

 顔をすっぽりと覆うフード付きの旅人のマントを身に着けたレコンは、人目を気にしながら、大通りの市場から少し離れた地下酒場に潜り込む。そこは反オベイロン派……暁の翅の拠点の1つであり、廃坑都市外で活動していたメンバーが集っていった。

 

「チクショウ。全部オベイロンの筋書き通りってわけかよ!」

 

 イフリートの若者が悔しそうに酒場の椅子を蹴飛ばして怒りを発散させる光景に、思わずレコンは肩を震わせるも、それを態度に表面化させないように最大限に努める。ここは数少ない検挙されていない暁の翅のアジトだ。というのも、ここは冷や飯喰らいだった、暁の翅でも主流派から漏れた派閥のメンバーばかりが押し込められていた、要は組織内の権力闘争に敗れた負け犬ばかりが集まっているからである。

 だが、いかに派閥争いによって爪弾きにされたからと言って、彼らは反オベイロン派の志を忘れたわけではない。自分たちを追いやった暁の翅の主流には憎たらしさがあっても、仲間も最大拠点も物資も何もかも失う悲劇を生んだオベイロンへの憎しみは猛々しく燃えるばかりだ。

 

「落ち着いてくれ。もはや派閥争いをしている場合ではない。暁の翅は死んだ。だが、反オベイロン派の志は今もアルヴヘイムで燻ぶっている」

 

「だが、敵さんは1枚も2枚も上手だぜ。真偽はどうであれ、俺達は民意を得難い逆風の中で戦わないといけねぇんだ」

 

 荒れるメンバーを諫めるロズウィックに対して、気持ちは分かると言って現状の厳しさを指摘する赤髭は、普段の不敵さを潜め、状況の厄介さを噛み締めるように眉間に皺を寄せている。

 メノウの転移によって窮地を脱したレコンが目覚めて最初に見たのは太陽の光であり、既に彼女の姿は無かった。1番最初に目覚めたという赤髭は、苦しみながら闇に溶けるように去ったメノウの後ろ姿を確認している。彼女が生き残ったのは確かだろうが、既に正気を失いかけていた以上は、もはやその心は無事ではないのだろう。その現実を完全にはレコンにも受け止め切れていなかったが、今は目前の事態に対処することが優先だった。

 ロズウィックに案内され、早急に残存メンバーを招集し、何とか周辺の暁の翅の生き残りと追随する反オベイロン派や信頼できる協力者を纏めるのに5日間も費やした。だが、その甲斐もあってか、ロズウィックを中心とした新生暁の翅ともいうべき組織が出来上がっている。

 とはいえ、戦力は大幅に減少し、物資も武器もない。無い無い尽くしの状態ではオベイロン打倒など夢のまた夢だ。だが、そこは犯罪ギルドを束ねるチェーングレイヴのトップである赤髭だ。ロズウィックに纏めきれない反オベイロン派たちを次々と傘下に収めるべく尽力した。

 

「ここは大きく出るしかねぇな。組織でチマチマ戦っても擦り潰されるだけだ。最低でも都市クラスの戦力を丸ごと吸収するぞ。アルヴヘイムは都市ごとで戦力を確保し、領土紛争を多く抱えている。反オベイロン派に与していた連中もいたんだろう?」

 

「しかし、この状況ではむしろ我々を保身の為に売り飛ばすでしょう。頼れる者は少ない」

 

「逆さ。オベイロンはやり過ぎてくれたお陰で味方に引き込みやすくなった。反オベイロン派に協力したとみなされたら即処刑。保身のために仲間を売っても地位も資産も奪われる。だったら反旗を翻そうと胸の内で『誰か』が始めるのを待っているはずだ。その中でも特に旗印になりやすい奴らに立ち上がってもらう」

 

「どうやって? そもそも勝ち目がない戦に命を懸ける貴族たちではない。それはあなたも承知のはずだ」

 

 赤髭のプランに反対するロズウィックであるが、それらは全て『台本』通りだ。ここには新生暁の翅の主力メンバーと零細反オベイロン派のトップが集っている。最初から2人はレコンが書いた『台本』通りに役者に徹しているのだ。

 事前の協議により、既に反オベイロン派が再起する為には3つのものが必要不可欠であると結論付けた。

 1つ目は象徴。今までは暁の翅自体が反オベイロン派の象徴だったが、破壊され尽くされた以上は組織が再び象徴とは成り得ない。ならば、暁の翅が【二刀流のスプリガン】や【ケットシーの希望】を担ぎ上げようとしていたように、アルヴヘイムに影響力がある人物を象徴として立たせねばならない。

 2つ目は武力。反オベイロン派はどう足掻いても少数派になるだろう。ならば、必要なのは大多数を打破し、オベイロンも倒せるという説得力がある分かりやすい武力だ。これに関しては赤髭などの突出した戦力のみならず、全体を底上げする武器などが必要不可欠である。

 3つ目は大義。オベイロンは倒すべき存在だと民衆の支持を得る為の理由付けだ。この1点において、オベイロンは大きなアドバンテージを持っている上に、廃坑都市の壊滅の真実を歪め、挙句にレギオンによる被害すらも暁の翅の罪として広めた。今の反オベイロン派に味方する者は少ない。これでは決起しても仲間は増えず、擦り潰される。

 

「勝ち目はあるぜ。俺達には新兵器がある。コイツの増産とレシピを餌にして、有力人物を釣り上げる」

 

 そう言って赤髭がアイテムストレージより取り出したのは、細長い筒状の金属物……銃器である。

 メンバーたちはこぞって目を丸くして『未知』の武器を覗き込む。それは狙い通りであり、ある種の賭けだった。

 

「コイツは≪銃≫だ。弓矢ともクロスボウとも違う射撃武器。アルヴヘイムでは誰も『作れない』はずの武器だ。だが、このレコンは違う。作り方を知っている。レシピを持っている! 威力はご覧の通りだ」

 

 赤髭がトリガーを引けば、レコンが作ったマシンガンから多量の弾丸が吐き出され、テーブルの1つは粉微塵になるまで破壊される。その速度に茫然としたメンバーたちに、赤髭は硝煙を吐き出す銃口に息を吹きかけた。

 

「刻印で≪銃器≫を取らないと扱えないが、アルヴヘイムにも≪銃器≫の祭壇はある。誰も利用価値を見出せなかった、新技術が、俺達の手にはある!」

 

 力強く拳を握る赤髭に、絶望の淵に立っていたメンバーたちは生唾を飲む。

 DBOでは銃器の一強は決してあり得ない。そもそもステータスに依存せずに火力を引き出せる銃器はその分だけ制約も多く、また扱いにも熟練の技術が求められる。特にネームドクラスを相手取るとなれば、一方的にアウトレンジから攻撃するなど不可能であり、結果的に傭兵のシノンやスミスのような機動戦に持ち込まねばならない。また銃器は武器枠2つも消費するのでいざ近接戦に持ち込まれた時のリスクも計り知れない。

 だが、アルヴヘイムの住人達からすれば未知なる銃器という新分野は、現実世界でそうであったように、技術革新の夢を見せただろう。

 

「俺達には力がある! テメェの魂に燻ぶってる闘志を燃やせ! 革命の時だ! 今! この瞬間から! 俺達の反撃が始まる! オベイロンに思い知らせてやれ! 廃坑都市で受けた屈辱を! 俺達を愚弄した罪を! 10倍と言わず100倍返しだ! 奴を断頭台に連れて行くのは……俺達だ!」

 

 士気を大いに沸かせる赤髭の演説に、さすがは手慣れているとレコンは重々しく頷き、お開きになった会合の後片付けの場にて、今後のプランを赤髭とロズウィックに持ち込む。

 

「先に言っておきますけど、僕は優れた鍛冶屋じゃありません。独自開発なんてほとんど無理だし、GRとかマユユンとかみたいな革新的な新装備も作れないし、そもそも≪鍛冶≫のシステムも熟知しているとは言い難いです。だから、僕が作れるのは『レシピ通り』の武器です。それもランダム要素や素材に左右されてしまいますけど、レシピの内容通りに作るだけ根っこから新米の鍛冶屋でもできますから」

 

「オメェが一通りの≪銃器≫の基本レシピを持っていて助かったぜ。ライフル、アサルトライフル、スナイパーライフル、マシンガン、グレネード、ハンドガン、ガトリングガン。どれも押さえておいて損が無いレシピだ」

 

「既に仲間のノームたちにもレシピは共有済み。素材さえあれば、いつでも増産可能。更に改良に早速取り掛かっている。幾つかの武器は射程距離に難こそあるが、数を揃えるならば十分過ぎる。問題はあくまで『数を揃える』以上の効果を発揮し辛い点か。斉射すれば確実な着弾も見込めるが、それ以上はない。ランスロットなどを相手にした時は……」

 

 赤髭は喜びを隠さずして葡萄酒を瓶で飲み、ロズウィックは早くも理解した銃器の利点と弱点を纏める。

 現実世界ならば隙間なく面で銃弾を撃ち込めば、余程の防弾装備でない限り、回避も許さずに傷を負わせ、致死させることができる。だが、DBOはHPがある限り死亡しないのだ。距離減衰が激しく、≪銃器≫内のジャンルによって威力も衝撃も変動し、なおかつ銃弾の消費という大飯喰らいだ。かつて、ある中小ギルドが≪銃器≫を過信して銃撃部隊だけでネームドに挑戦したが……その結果は言うまでもない。

 DBOにおいて≪銃器≫は無双から程遠い。だが、弱兵のドーピングには有効だ。だからこそ、レコンは≪銃器≫の増産に目を付けた。特にロズウィックの話によれば、既に暁の翅は大砲の量産も行っていた。これを考慮すれば、ノウハウを受け継いでこそいなくとも、戦術・戦略の有用性をロズウィックならばすぐに理解できるだろうとレコンは確信した。

 

「でも、僕が持っているレシピはせいぜいがレベル10から20程度のプレイヤーが装備できる限界ですし、使用できる弾丸のクラスも低いです。そもそも、僕自身も銃弾のレシピはあまり持っていませんし。威力・射程距離・装弾数、いずれもアルヴヘイムの怪物たちと戦うには……」

 

「その点は心配ない。領土戦争は妖精同士の戦いだ。ソウルの刻印も熟練の騎士ならば20以上も珍しくないが、君達やガイアス程の規格外は稀だし、数の暴力はいつだって有効だ。それにオベイロンは大っぴらに深淵の魔物を使えない。ならば、アメンドーズも黒獣も、オベイロンが形振り構わなくなった時を除いては出張って来ないだろう」

 

「最終決戦の頃には、それこそ『熟練の騎士』って奴らが俺達と肩を並べて戦う。そんな状態に持ち込んじまえば良い」

 

 レコンの『銃器革命』作戦は、領土戦争中の都市に銃器を餌にして弱兵の強化と大幅な戦力増産を謳い、『オベイロンに勝てるプラン』をアプローチすることにある。持てる武器……情報を最大限に攻撃に転用するレコンの策謀には赤髭も驚きを隠さず、ロズウィックも文句なしで同意した。

 だが、レコンの作戦とは、つまり領土戦争を行っている都市の1つに肩入れし、多量の犠牲者を生んで勝者を作り出す……戦争を過激化させるものだ。自分で考案して何だが、悪魔の所業と罵られても仕方がない。

 リーファを助ける為ならば何でもできる。レコンは拳を握り、折れそうになる心に深呼吸を送り込む。レコンの精神的負担を理解してくれている大人の男2人のサポートにより、そして皮肉にもオベイロンの圧倒的有利という状況が免罪符となって、彼の心はバランスを保っていた。

 

「今回のデモンストレーションで新生暁の翅は文句を言わずに我々に付き従うでしょう。確保しているノーム鍛冶屋衆も銃器に惚れ込んでいるので離反の心配はありません。素材を仕入れるルートには不安要素が残りますが、各地に温存してあった物資の回収を行えば何とかなるでしょう。それと当面のリーダーはあなたにお願いします。元主流派参謀の私が新しいリーダー格の男に従う。その方が非主流派の方々も溜飲が下がります。どれだけ逼迫した状況下でも過去の因縁は簡単に消えませんからね」

 

 新調したモノクルを輝かせ、ロズウィックはあくまで自分が成すのは裏方であると意見する。頭がキレる上に事務能力も高く、魔法も実戦でならば『アルヴヘイムでは』十分に戦場では英雄的活躍が出来るだろう彼は喉から手が出る程に欲しい人材だ。レコンも反オベイロン派の立て直しに尽力する彼の意見と意思は最大限に尊重したい。

 

「任せとけ。だがよぉ、次は難題だぜ。誰をトップに据える? 人選を間違えれば、もう再起なんて不可能だぜ」

 

 周囲一帯の地図をテーブルに広げた赤髭の言う通り、方針を決定した以上立ち塞がるのは、新しい象徴……組織のトップだ。

 必要な象徴は2つ。戦場で圧倒的な武力で仲間を牽引する英雄的象徴と組織を1つの目的に従わせる有無を言わさぬカリスマ性を持ったリーダーだ。

 ユニークスキル持ちであり、チェーングレイヴのリーダーである赤髭ならば両方の資格もあるとレコンは考えているが、彼にはアルヴヘイムにおける知名度が無い。それを稼ぐ時間も惜しいのだ。ならば、最初から知名度と人気がある者をリーダーに据えることが望ましい。

 

「この穀倉地帯は何処の勢力からも喉から手が出る程に惜しい土地だ。何せ、ここを抑え込めば、豊富な水と食料が同時に手に入る。狙っている勢力は多いが……私が推薦するのは、【ギーリッシュ】だ。妾の子でありながら、謀略渦巻く宮廷で生き抜くだけではなく、有無を言わさぬ功績で実力を証明し、独自の勢力を築いている。まだ若く、野心家であり、凡庸な父にも無能な嫡子にも辟易していると聞く」

 

 海沿いの砂漠……巨大な砂浜という表現が適切だろう、この大穀倉地帯と隣接する砂上都市バムート。屈強なイフリートの騎士団が有名らしかったが、当代になってから没落し、後継ぎもボンクラ以下ともなれば、群雄割拠のこの地は長くないという評判らしい。

 だが、このギーリッシュは父親譲りの女遊びの派手さこそあっても、戦場に立てば兵を奮い立たせ、指揮官としての手腕は高い。特にスプリガンの傭兵団を積極的に雇用して戦力補強を行い、連戦連勝。市民からの人気も高く、容姿も良いとなれば、かなりの知名度を誇る。将軍たちには密やかに彼を次なる当主として推したいと考えている者も多い。

 野心家で人気も高く、なおかつ有能。理想的な人物であるが、だからこそ癖の強さは容易に想像できる。そんな人物を上手く祭り上げることができるのか、レコンには不安を隠すことができない。

 こんな時にユージーンがいてくれれば、彼を矢面に立たせてギーリッシュの説得ができただろう。赤髭には足りないパンチの利いた強面と体格、そしてあの傲慢不遜とも思える態度ならば、ギーリッシュのような人物とは必然と相性が良いだろう。

 

(深淵狩りたちは他にも転移させているはずだから、ユージーンさんが生き残ってる確率は高い。【聖域の英雄】は片腕だから確率は半々かな? でも合流には誰にしても時間がかかるだろうけど、組織として本格的に活動できれば、必ず僕らを目印にして集まってくるはず)

 

 ユウキちゃんも無事だと良いけど。レコンは可憐な黒紫の少女を思い出す。あの地獄の戦場で命を落としていると考えたくはないが、無事だと無条件に信じられない。仮に生きているならば、早急に合流したいところである。

 

「それで、ギーリッシュとはどうやって接触する? 相手はお偉いさんだ。俺達みたいな無法者が乗り込んでも応じてくれるわけないぜ」

 

「私にお任せを。彼の悪い癖……もとい、情報収集に使っている店の幾つかは存じています。3日……いえ、2日いただければ、会談できる場を整えます。レコンくんはその間に鍛冶屋衆の総指揮をお願いします。最低限の銃の数は揃えておかなければ交渉にもならないでしょうし、『お土産』は必須でしょうから」

 

「分かりました。生産優先度は汎用性が高いライフルに絞っていますので、数を揃えるのは大丈夫ですよ。それに、もう僕の師事なんて要らないですよ。あの人たちは既にレシピから新しいアイディアを次々と出し合って、今では大砲を改良した固定砲台ガトリングガンなんて作り出しちゃってますから」

 

「……嫌だねぇ、何処の世界にもHENTAIはいるってか? 違うな。鍛冶屋ってのは潜在的にHENTAIしかいないのか?」

 

 呆れた様子の赤髭に反論できないレコンは、そのままそれぞれの仕事に戻ろうというロズウィックの解散の号令と共に彼を見送る。

 

「でも、どうしてオベイロンは≪銃器≫の祭壇なんかわざわざ準備したんでしょうね? 最初から銃器を作れない世界観を守る為なら祭壇自体必要ないでしょう?」

 

「さぁな。だが、奴は世界観なんざ微塵も考慮していねぇだろう事は間違いない。そもそもアルヴヘイムの住人は中途半端過ぎる。プレイヤーと同じでありながら、どうしてスキルだけが制限されている? 謎は多いぜ。案外そういう『当前』の部分に奴の弱点があるかもしれねぇな」

 

 赤髭の指摘通り、オベイロンが全てを支配していないならば、アルヴヘイムを大きく逆転させる手立ても残されているだろう。ロズウィックの後を追うように酒場を去った赤髭に続いて、レコンもまた自分の成すべき事に戻る。

 ロズウィックは寝る間も惜しんで各方面より情報を仕入れ、組織運営の為に全力を尽くし、なおかつギーリッシュとの面談の為に奔走しなくてはならない。特に≪銃器≫が得られる祭壇の確保は急務だ。暁の翅の内政に深く関わっていた彼だからこそ保有していた情報は、まさに宝の山である。

 赤髭は腕利きのメンバーたちのレベリングと戦闘指南をして精鋭部隊の育成を始めている。時間は足らず、付け焼刃に過ぎないが、対アルフやアメンドーズ……そしてレギオンを相手取る訓練は必須だ。後々は彼らを教官とした迅速な兵の練度上昇を目論んでいる。その為のカリキュラムも作成済みだ。

 彼らと肩を並べるレコンは、密やかに【新生暁の翅の裏番】などと呼ばれているのだが、彼からすれば恐れ多い事だ。有能な2人に対してレコンに出来ることは少ない。肝心な部分は全部2人任せである。

 このままプラン通りにギーリッシュを新たなトップに据えた新生暁の翅がアルヴヘイムに名乗り出るとして、問題は山積みだ。

 レコンたちの目的はオベイロンを倒すことにある。どれだけ戦力を整えても、オベイロンの首に剣が届かねば意味がない。そして、その為に必要なのは3体のネームドから『証』を得る事だ。

 安心すべき点か否か、どうやら3体のネームド撃破はオベイロンがいる央都アルンに入る為の必須条件ではない。いや、証を得る為に結局はネームドの撃破が必要な場面も来るかもしれないが、少なくとも元々暁の翅に協力していたシェムレムロスの兄妹は、ロズウィック曰く、オベイロンを倒すのに協力しており、幾らかの便宜も図ってくれていたようだ。ならば『証』が譲渡できるものならば、暁の翅の協力関係を引き継いだ新生暁の翅ならば、敵対せずに条件の1つをクリアできる。

 問題なのは他の2体のネームドだ。まず【穢れの火】であるが、どうやら絶対に倒さなければ『証』は得られない類らしい。暁の翅が【二刀流のスプリガン】と【ケットシーの希望】に期待していたのも、まずは【穢れの火】の撃破だったようだ。

 そして、明確に倒さねばならないと分かっている【穢れの火】と違い、ランスロットは全くの未知だ。そもそも神出鬼没の裏切りの騎士である。情報自体が少ない。『証』とはランスロットを倒さねば手に入らないのか、それとも何処かに隠されているのか、まるで不明なのだ。

 もしかしたら、ランスロットをずっと追っていた深淵狩りの剣士たち……欠月の剣盟ならば手掛かりとなる情報を持っていたからもしれないが、彼らはレコンたちを逃がす為に、廃坑都市で死力を尽くし、壊滅しているだろう。生き残りのメノウも行方不明だ。

 

「月光の聖剣かぁ。英雄の武器。それさえあれば……」

 

 名前からして強そうだ。レコンはきっとDBOでも破格級のユニークウェポンだろうと妄想を膨らませる。きっと神々しい聖剣に違いない。

 ロズウィックの知る限りでは、アルヴヘイムに月光の聖剣に関する伝説は存在しない。というのも、月光の聖剣自体がどちらかといえば深淵狩りの領分だからだ。

 赤髭からも情報を融通してもらったが、深淵狩りの始祖はグウィン王の四騎士にして狼を象徴とした、大剣を振るえば無双だったとされる【深淵歩き】アルトリウスだ。グウィン王統治の絶頂時代しか伝説でも知らないアルヴヘイムの住人からすれば、アルトリウスが深淵狩りとなった事はあまり知られていない。むしろ、どうしてアルヴヘイムで深淵狩りたちが活動していたのか謎も残るところだ。

 だが、メノウは聖剣の秘密をレコンに託したのだ。ならば、レコンには月光の聖剣を追う義務がある。望むことならば、それを英雄に相応しい誰かに届けて、オベイロンに一矢報いたいところだ。

 

『月光の聖剣を手に入れる!? 違うだろう! 聖剣が無いなら、匹敵する武器を作っちゃえば良いのさ!』

 

 何故か顔も知らない伝説にしてHENTAI鍛冶屋筆頭のGRの声が聞こえてきたような気がして、思わずレコンは人通りの多い大通りで挙動不審に周囲を見回してしまう。

 落ち着け。レコンは高鳴る心臓を押さえ、今日もここにいるのだろうか、という声を飲み込みながら、交食都市の中心街にある古い見張り塔を上る。とはいえ、積もった埃の通り、もう長い間まともに使用されていない、鍵すらも劣化して消滅しても誰にも気づかれていない、街の景観以上の意味を成さない塔だ。

 オレンジ色の屋根で統一された交食都市は、レギオンの発生で各所に被害の痕跡があっても、その美しさを変わることなく持ち続け、市場の賑わいは心を晴れやかにする。青空と太陽が重なれば、赤い月と青い血のような夜空で支配されていた炎に呑まれた廃坑都市の一夜が過ぎ去った悪夢のように思える。そう思い込みたくなる。

 だが、彼女は違うのだろう。あの赤い月に囚われているのだろう。見張り塔で心地良い風を嗜みながら、階段を上ってきたレコンに弓矢を向ける【魔弾の山猫】ことシノンは、荒んだ眼差しで彼を注視し、敵でないという事を数秒遅れで認識したように矢を下げた。

 

「シノンさん、今後の方針が決まったよ。僕らは銃を量産を続行。ギーリッシュって人に接触して――」

 

「それよりもUNKNOWNの情報は?」

 

「……ごめん。まだ何も」

 

「そう。だったら、私に何の用なの? あなた達の計画には全面的に協力する。敵を殺せと命令されれば殺す。私の≪狙撃≫に耐えられるアルヴヘイムの住人はそういないわ。暗殺でも何でも早く命じなさいよ。腕が鈍るわ」

 

 今にも食い殺さんばかりの目で睨まれれば、以前のレコンならばパニック状態になって回れ右して逃走しただろう。だが、既に覚悟を決めたレコンは動揺こそしても逃亡を良しとはしない。

 転移以降、廃坑都市の顛末を聞いたシノンはずっとこの調子だ。1人でUNKNOWNを探しに行くと言い出さない分には冷静さを保っているようだが、計画立案にも参加せず、こうして距離を置いている。彼女には行き場所が無い以上はレコンたちに協力する他なく、またそれが情報収集の最良の手段と分かってはいても、彼からすれば落ち着けない。

 

「昼ご飯を食べてないと思って。サンドイッチ持ってきました」

 

 アイテムストレージから紙袋に詰まったサンドイッチを見せれば、僅かにだがシノンは目元を和らげる。その反応にレコンは安心する。

 シノンが腰かける見張り塔の縁にレコンも並び、日光浴をしながら2人で昼食を頬張る。レコンの作ではなく市場で売っていたものだが、シャキシャキのレタスと分厚いハムは、DBOでも十分に豪華な類の料理だ。DBOでは常に食事とは高値を張るものなのである。過半がレベル20かそれ以下のプレイヤーばかりである以上は、どうしても財布事情が厳しいのだ。有力プレイヤーをそれなりに揃えて、なおかつ大ギルド相手に中立を宣言出来ていたフェアリーダンスは、それこそ中小ギルドでもトップクラスの食生活が安定して約束されていたのである。

 早くリーファちゃんを、そしてサクヤさんも助けて、あの頃に戻りたい。レコンはそう願いながらサンドイッチを齧る。シノンもそれに倣うように、少しだけ頬を緩めながら食を楽しむ。その様子にレコンは小さなガッツポーズを隠す。

 

『オメェに重要な任務を任す。シノンを何とかしろ。あのままじゃ壊れちまうぜ。女のハートってのはな、俺達野郎よりもずっと頑丈で、そりゃもう恐ろしいもんだがな、男よりもずっと繊細なんだよ。些細な事で壊れて崩れちまうもんさ』

 

『その通りです。そして、食は万病を癒す薬。美味しい物を食べれば、人の心は安らぐ。どんなに悲しくても、辛くても、苦しくても、美味しい食べ物や美酒が人の心を救ってくれる』

 

 色々と実感が籠った様子の赤髭とロズウィックのアドバイスに従っただけだが、当初のシノンに比べれば、最低限の会話が出来る程度には状態も良化している。

 シノンにショックを与えたのは、UNKNOWNは片腕を失ったまま生死不明という情報だ。それを聞いた時の彼女は歯を食いしばり、顔を俯かせ、まるで自分を呪っているようだった。自分の弱さを憎んでいたのだ。

 だが、UNKNOWNとシノンが相対したのは、アルヴヘイムで誰もが認める最強の存在であるランスロットだ。シノンとロズウィックからの情報提供の限りでは、レコンには到底プレイヤーに……いや、人間に勝ち目がある存在とは思えなかった。バランスブレーカー甚だしいDBOでも、特段に異常な……まさにイレギュラーとしか言いようがない、枠外にいる強さだ。

 一方で多くのゲームでもそうであるように、DBOにおいても相手の情報の有無は戦況を大きく左右する。事前準備の有無は大きい。分かっているランスロットの情報を元に作戦を立てれば、決して相対できないはずはないと、ランスロットを実際に見ていないレコンはそう思わずにはいられない。

 だが、シノンは違うのだろう。『勝てない』と心に刻み付けられてしまった。それはきっと実際に戦ったからではなく、UNKNOWNが片腕を残して行方不明になったという結果が彼女にダメージを与えているからだ。それ程までに彼女にとってUNKNOWNは大切な存在であり、憧れだったのかもしれない。

 万全を期する為にも、生存しているならば、UNKNOWN、ユージーン、赤髭のユニーク持ち3人を集結させたいのがレコンの理想像だ。その為にもアルヴヘイム全土に存在を知らしめる大組織を作らねばならない。

 

「ごめんなさい。あなたに八つ当たりしても何の解決にもならないのに。最低よね」

 

 食事を終えたシノンは風で靡く空色の髪を右手で押さえながら謝罪する。黄昏を帯びた眼が求めるのは、何処かに生きていると望む【聖域の英雄】の後ろ姿なのだろうか。

 

「私には何もできなかった。誰も守れなかった。ようやく力を手に入れたと思ったのに、無力な自分を思い知らされただけ」

 

「あまり卑下しないでください。あなたが弱かったら僕はミジンコなんですから」

 

 レコンなどメイドチョイスのアイテムと強運でここまで生き延びたようなものだ。今もアルヴヘイムに1人で放り出されれば、それこそ貧民プレイヤーのように物乞いに扮して生き抜く以外の選択はない。誇りを捨てて、情けなく生に縋るしかない。

 そもそも傭兵として売れっ子の上に太陽の狩猟団の専属であるシノンが弱いとは思えない。前提が悪過ぎるのだ。レコンはそれを指摘する為に呼吸を挟む。

 

「シノンさんは傭兵だから忘れがちかもしれないですけど、僕らプレイヤーにとってネームドって少数で挑むような存在じゃないんです。『数で囲んでボコれ』が昔からの最適解。相手は複数人を相手取るように調整されているんですから、それが普通なんです。ボスとかネームドとかを少数精鋭で倒すとか馬鹿のやる事だっていい加減に認めましょうよ」

 

 卑屈ではない。レコンが言っているのは至極当然の正論だ。

 リポップ型の比較的弱いネームドでも、最低でもパーティ単位が必要不可欠なのだ。ボスならばレイドを組んでも足りないくらいである。だからこそ、大ギルドが常にボス戦の主導権を握っているのだ。少数や単身でホイホイ勝てるならば、大ギルドの存在意義など無くなってしまう。

 豊富な後方支援と集中力とスタミナを持続させるためのスイッチ。戦況を把握して適切な指示を飛ばす指揮官。そして、肩を並べて戦える戦友の頼もしさ。それらが備わってこそ、凶悪極まりないボスに勝てるのだ。

 特にランスロットは人型ネームドだ。ディアベルが隔週サインズで述べた人型ネームドの恐ろしさ……決して少数で戦うなの鉄則は全プレイヤーの共通認識だ。外観が人間に近しいからこそ、HP総量が低いので相対的に攻撃が通るように見えるからこそ、ついつい倒せると勘違いしてしまいがちになるが、DBOで人型ネームドやボスは、竜種にも匹敵する、時として凌駕する危険な存在だと認識せねばならない。

 

「でも、UNKNOWNもユージーンもボスを単独で撃破しているわ。それにユージーンが倒したのは『あの』ヴェルスタッドよ?」

 

「……先遣隊を全滅に追い込んだ、【王盾】の異名を持つボス。パワータイプかと思ったら、闇の奇跡で自己強化して来たり、攻撃に全部波動が付随して全部範囲攻撃化したり、最後はオートヒーリング状態で少しでも張り付いたら闇の神の怒りを連発したらしいですね。しかも後半からは攻撃全てが即死級だったとか」

 

 ユージーンすらも倒した時にはHPがレッドゾーンであり、アイテムは枯渇し、鎧は砕け、剣は折れかけ、スタミナ切れの満身創痍だったらしい。彼自身もデーモン化という切り札が無ければ倒しきれなかっただろうと隔週サインズのインタビューで述懐している。

 

「でも、2人はユニークスキル持ちですし、そもそも戦闘スタイルが違いますって。シノンさんとはDPSも単発火力も違う」

 

「違わないわ。強いか弱いか。結果が全てよ。私もUNKNOWNもランスロットに『負けた』。それが唯一無二の真実よ」

 

「どうして、そんなに自分を弱いって決めつけるんですか! 1人で勝てなくて良い! 2人で勝てる方がおかしい! 3人でも全く足りない! 10人、20人、30人と集まって、ようやく倒せるのがボスでしょう!?」

 

「……何も知らないのね。もうDBOのネームドにしてもボスにしても、集団戦が通じる場面は確実に減っているわ。むしろ、必要とされるのは個々の実力。陣形なんて容易く崩される。相手はこちらの作戦を確実に崩しに来る。DBOは普通のゲームじゃない。AIがオペレーション通りに戦うわけじゃない。パターン化しきれない。ううん、できたと思ったら、それを罠にしてこちらを嵌めてくることなんて日常的よ」

 

 それは認識の差だ。レコンはアルヴヘイムにいる事自体がおかしい、最前線の攻略にも、ボス戦や凶悪なネームド戦にも参加したことが無い『ぬるま湯』に浸った中小ギルドのメンバーだ。対してシノンはサインズ設立以前から傭兵の黎明時代より最前線にい続けた、DBOでも屈指の死線の経験者だ。

 睨み合う2人だが、先に視線を外したのはシノンの方だった。自分がいかに理不尽な物言いをしているか、たとえ自分にとっての真実でも経験者以外には分からない絶望を押し付けるべきではないと弁えているか、はたまた廃坑都市という地獄を生き抜いたレコンの発言には正当性があると認識したのか、彼女が何を思ったかは分からない。

 

「私は負けたくない。誰にも何も……私自身にも。あなただってそうでしょう? 弱い自分より強い自分が欲しいはず」

 

 見張り塔の縁にもたれかかり、空を見上げるシノンが見ているのはどんな光景なのだろうか。ランスロットと戦った廃坑都市の死闘か、それとも彼女の胸に今も残り続ける過去の幻影なのか。レコンは立ち入れない一線を感じ取り、きっと彼女の心に触れられるのは、この線を跨げられる者だけなのだろうと距離感を覚える。

 顔を下ろしたシノンは少しだけ瞼を閉ざすと、薄っすらとだが笑みを作った。レコンとの語らいによって気分が楽になったと告げるように、確かに笑ったのだ。

 思わずレコンが見惚れる微笑はすぐに消える。シノンはサンドイッチが入っていた紙袋を丸めるとレコンに投げ渡す。そして、また何処かで生きているUNKNOWNを求めるように都市へと視線を戻した。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 それは鬱蒼と茂る、腐った苔が大樹を湿らせる森。地面は沼のような汚泥であり、そこを泳ぐのは巨大ナメクジや大百足だ。紫色の汚泥は泡立ち、常に毒の霧を充満させ、地表から数メートルは毒霧の海と化している。

 大樹と大樹を繋ぐのは吊り橋であり、毒霧が届かない大樹の枝の上に居住空間をつくるのは、全身を青黒い体毛に覆った獣人たちである。その頭部には石の仮面を被り、捩じれた角を2本持つ。扱う槍はいずれも鈍く、だが重い。

 彼らはアルヴヘイムの住人たる妖精たちとは異なるモンスターであり、独自に発展し、文化を築いている種族【ラ・ゾヌ】だ。分類はモンスターであり、その証拠にカーソルではなくHPバーが見えている。

 だが、彼らは会話もできるモンスター種族であり、自分たちの生活圏が脅かされない限りは妖精たちとも敵対しない。それどころか、行商人とは交易すらも行う知性を持っている。こうして危険な土地で暮らしているのも種族を滅ぼされない為である。

 

「もう傷の具合は良いのか?」

 

「うん、この通り大丈夫だよ」

 

 通常のラ・ゾヌは2メートルほどの体格であるが、【ラ・ゾヌ・ゲル】という上位個体となると体格は4メートルにもなる。それがラ・ゾヌ族のリーダーたちだ。仮面もより仰々しく、角もねじれながら枝分かれしている。

 ユウキは折れていた腕を回して見せて回復をアピールすると、族長は満足したように頷く。そして、彼らを歓待するラ・ゾヌたちに音楽を絶やさぬようにと命じる。

 太鼓の音色が響き、巨大な葉にのせられた食事が運ばれてくる。それは串焼きにされた大百足の生肉であり、ナメクジを擦り潰した団子であり、樹液で作った酒である。いずれも人間が口にできる限界のような料理だが、これもラ・ゾヌの歓迎の印なのだとユウキは事前にガイアスから教えられていた。

 ここはアルヴヘイムの南方にあるラ・ゾヌの森。妖精たちも開墾できない未開の地だ。ユウキ達は目覚めた時には毒の汚泥に浸っており、ラ・ゾヌたちが引っ張り上げてくれていなければ、気絶したまま毒のスリップダメージで死んでいたかもしれない。ユウキの場合は傍らに今も控えているアリーヤが岸まで咥えて引っ張ってくれていたらしいが、どちらにしても毒霧でいずれは死んでいただろう。

 

「族長、我らの滞在の許可をいただき、感謝以外の何物もない。この礼はいずれ」

 

「良い良い。畏まった礼をする間柄ではないだろう。ガイアス、古き友よ」

 

 藁……いや、木の皮を編んだ座布団で胡坐を掻き、頭を垂らすガイアスに、族長は愉快そうに笑う。どうやら2人は旧知の間柄らしく、ガイアスは嫌な顔1つせずにラ・ゾヌの酒を煽り、百足肉を喰らう。

 ゲテモノはあまり得意じゃないけど。ユウキは嫌悪が顔に出ないように注意しながら百足の生肉を口にする。じゅわりと血の味が広がるも、最低限の味付けはしてあるのか、やや細やかな柑橘……レモンに近しい香りが口内に広がる。食べられない事はないが、好んで食べたくない味だった。

 

「しかし、難儀な事だな。まさか廃坑都市が壊滅とは。オベイロンめ、深淵の魔物と手を組むとは恥知らずな」

 

「我々の窮地を救ったのは深淵狩りの剣士だ。ここに転移してくれた彼はいずこに?」

 

「……お前達を発見した頃には、深淵狩りはナメクジと百足の夕飯だった。骨が残っていれば後で探そう。だが、差し当たっての遺品はコレだけだな」

 

 そう言って族長が床に置いたのは、深淵狩りの剣士たちが使う長大重厚な片手剣だ。

 今にも吐きそうな顔を何とか表面化せずにいたユウキは、深淵狩りの剣士たちは1人として退くことなく廃坑都市で戦ったのだろうと察する。

 

「貴公は二刀流の剣士だそうだな。今は1本失ったと聞く。失ったのがその業物と同等かそれ以上の剣かは知らんが、この剣は深淵狩りの武器。この世に数少ない、アルヴヘイムの怪物たちを傷つけ得る力だ。死した深淵狩りへの感謝は剣で示すが良い」

 

 そう言って族長が深淵狩りの剣を得るように促したのは、ガイアスを挟んだ右側に座するUNKNOWNである。族長の指摘通り、二刀流を代名詞とする彼には機械仕掛けの剣1本しかない。UNKNOWNの武器として知られる竜の神の尾から生まれたドラゴンウェポンであるドラゴン・クラウンは、彼が片腕のまま転移され、なおかつ気絶したまま未回収だった為に、回収猶予時間を過ぎ、アイテムストレージからリリースされてしまった。

 武器は長時間放置していれば耐久度が自然減少する。ドラゴン・クラウンが誰の手に渡らず、廃坑都市に残されたままであるならば、いずれは自然消滅するだろう。だが、規格外の耐久度を持つドラゴン・クラウンならば猶予も相応に長い。また、ガイアスの話によれば、アルヴヘイムでの時間経過による耐久度の自然減衰はDBOよりも緩いらしく、十分に回収の余地があるだろう。

 もちろん、誰にも回収されていないならば廃坑都市に行けば得られる。だが、アメンドーズや黒獣が跋扈しているかもしれない廃坑都市に剣1本の為に戻るのは無謀だ。だが、今のユウキ、ガイアス、UNKNOWNの3人の当面の目的は廃坑都市に戻る事にある。

 理由はドラゴン・クラウン……であるわけがなく、廃坑都市の現状の把握、そしてシェムレムロスの兄妹に謁見する為のアイテムの回収だ。暁の翅に助力を約束していたシェムレムロスの兄妹の確実な協力を取り付ける為に必要不可欠らしく、あの混乱で持ち出せなかったガイアスは是非もなく取り戻すことを主張した。

 当面の目的はそれで構わない。ユウキもUNKNOWNもガイアスに同意した。いや、UNKNOWNの場合は渡りに船だろう。≪二刀流≫は2本の片手剣が無ければ発揮できない。またその強力さから武器にも負荷をかける以上は相応の剣は必須なのだ。深淵狩りの剣も優れてこそいるが、ドラゴンウェポンには及ばない。彼が万全を取り戻す為には、ドラゴン・クラウンか、それに匹敵する剣が必要不可欠なのである。

 

(それに……クーの手がかりもあるかもしれないし)

 

 表情に濃い影を落とし、ユウキは転移の間際に見た、銀月と共に踊るように戦う2人の戦士を思い出す。1人は見た事も無い漆黒の騎士。もう1人は胸を締め付けられる、白髪の傭兵だ。

 やっぱりクゥリは廃坑都市にいたのだ。あともう少しで手の届く場所にいたのだ。そして、危惧していた通りに、彼はまたボロボロになるまで……いや、そんな表現すらも生易しい程に自分を壊しながら戦っている。

 止めないといけない。たとえ、それが叶わないとしても、ユウキだけは彼に叫ばねばならない。戦わないでと言わないといけない。

 だが、胸で黒い花が咲く。毒の蜜をたっぷり含んだ花弁に、心を齧る虫が羽音を立て群がる。

 

 

 何も気づけなかったくせに。

 

 クーが失っていたものに気づけなかったくせに。

 

 弱くて、醜くて、汚れて、穢れた、お前に出来ることなんてない。

 

 

 暗闇から這い出す虫たちの囁きに、ユウキは食事の手が止まる。ポーズでも友好を示さないといけないのに、喉が痙攣し、全てを吐き出しそうになる。幾ら嘔吐機能が無いDBOでも、食事をしたばかりならば『中身』は零れる。事実としてユウキの喉まで吐瀉物の熱が這い上がっていた。

 

 嫌だ。

 嫌だ嫌だ。

 嫌だ嫌だ嫌だ!

 クーに選ばれないのは別に良い。愛してもらえるとも思っていない。ユウキは愛したいだけだ。彼に寄り添いたいだけだ。

 だが、こんなにも穢れ切った自分では、彼の大切なものが……預けてくれた祈りが汚れてしまう。腐ってしまう。それだけは絶対に嫌だ。

 これではクーを愛せない。愛せるはずがない。そんな資格などない。

 

「無理をせんで良い。若いお嬢さんに、我らの食事は辛いだろう」

 

 知らず知らずの内に口を押えていたユウキに、族長は勘違いしたのだろう。ユウキは首を小さく横に振って、食事を下げようとするラ・ゾヌを拒む。

 1日以上も眠り続けていたユウキが目覚めたのは3人では最後だ。最初はガイアス、ユウキが目覚める数時間前にUNKNOWNも覚醒した。そして、互いに意見交換……もとい、ガイアスの強引な宣言でユウキに非交戦契約を結ばせ、3人で協力して窮地を脱する事になった。

 契約は廃坑都市でシェムレムロスの兄妹に謁見するのに必要不可欠なアイテム【月光蝶のペンダント】を回収するまでだ。ペンダントがあるのは廃坑都市の暁の翅の司令部地下の最下層の金庫である。

 だが、そもそも廃坑都市に行くには転移だったのだ。正確な場所はガイアスすらも知らない。辛うじて分かっているのは、古い砂漠の1つ……赤錆の砂漠の何処かにあるという事だけだ。だが、その赤錆の砂漠自体が魔境のまた魔境である為に相応の旅路になる。

 UNKNOWNを殺すのはそれまでお預けだ。ガイアスの言う通り、万全の彼を倒さねば意味が無いのだ。願わくば、ドラゴン・クラウンを回収した上で、彼に決闘を挑む。そして、ユウキは禊ぎを終えるのだ。

 

「族長、失礼を承知で訊きたいことがある」

 

 取り乱したユウキと違い、転移寸前はあれ程までに自暴自棄だったUNKNOWNは、落ち着いた声音でしっかりと正座をしながら族長と向き合う。

 

「ラ・ゾヌ族はオベイロンに対抗する気はないのか?」

 

「ほうほう。我らに肩を並べて戦えと? そんな道化の発言を聞いたのは生まれて2度目だ。だろう、ガイアス?」

 

 大きな襟のコートを引き寄せながら、ガイアスは昔のことだと言うように目を背ける。どうやら2人には苦い過去があるらしく、UNKNOWNの申し出もかつて通り過ぎた道なのだろう。

 

「見ての通り、我らラ・ゾヌの外見は魔物同然。人間は我らを恐れるばかりで協力などできん。仮にオベイロンを倒したとしても、次に倒されるのは我らだ。ならば、オベイロンの支配も、新たな王の時代も、我らには積極的に関与しても利益はない。むしろ、前に出た分だけ種族の滅びを呼ぶだけだ」

 

「…………」

 

「仮面の剣士よ、それが現実というものだ。敵の敵は味方ではない。敵の敵は……やはり敵なのだ。我らはひっそりと生きていく」

 

「だが、過去に1度だけ妖精とラ・ゾヌは共に戦った事もあったはずだ。名も伝わらぬ赤雷の黒獣。アルヴヘイムで多くの都市が壊滅していく中で、ラ・ゾヌは勇敢に立ち上がり、妖精と共に戦って赤雷の黒獣を倒したではないか」

 

 何も言い返せないUNKNOWNの援護射撃にガイアスは過去の事例を挙げるも、それを族長は失笑で返す。

 

「古き友よ、敢えて言おう。『驕るなよ』。我らは妖精と共に戦ったのではない。深淵狩りと共に戦ったのだ。貴様ら妖精たちがオベイロンの支配の下で飼い慣らされた家畜ばかりで、黒獣に対抗できるのは深淵狩りだけだった。忌み嫌われた彼らの戦士の誇り。それに共感したからこそ、我らは恐ろしき赤雷の黒獣を倒す為に、一族の半分の命を差し出したのだ」

 

 これにはガイアスも押し黙る。妖精たちと交流していても、その外見から常に脅かされ、友好とはかけ離れたものだったのだろう。

 どうでも良い。ユウキはそう切り捨てる。ここでラ・ゾヌの協力を得られるのは反オベイロン派、そしてオベイロンを倒したがっているUNKNOWNには重要かもしれないが、今のユウキからすれば、どうでも良いのだ。

 もちろん、オベイロンは殺す。レギオンに与している以上は殺す。だが、今はレギオン以上にユウキは自分自身が許せない。

 

「黒獣パールは赤雷の黒獣にも匹敵すると聞く。並の兵では勝てない。だが、勇敢なるラ・ゾヌの戦士達ならば……」

 

「くどい。古き友よ、話は以上だ。貴公らを客人としてはもてなそう。だが、戦友とは見れぬ。我らを立ち上がらせるのは、ただ1つの約束……深淵狩りの鐘のみ。もしも我らを立ち上がらせたいなら鐘を鳴らしてみせよ。鳴らせるものならばな」

 

 それは挑戦状か、あるいは絶対に無理だと分かっての条件か。その後の歓待の料理はいずれもゲテモノが続き、互いに口を開かずに、淡々と食事と酒を味わうばかりだった。

 明日には廃坑都市に向けた旅に出向する。ラ・ゾヌたちは情報収集を行い、外の事情を既に仕入れているそうだが、各地で触手を持った謎の怪物が出現し、アルヴヘイム全土で被害が出ていると見て間違いないらしい。また、各地では反オベイロン派狩りが活発化し、廃坑都市の壊滅は暁の翅が深淵の力に手を出したからと嘘八百が広報されているようだ。

 オベイロンのやり方は汚くも理に適っている。ユウキは綱を編んだ柵から身を乗り出し、紫の毒霧の海が広がる汚泥の森を見下ろす。

 PoHの方がクゥリを理解していた。彼が失ったものに勘付いていた。悔しさよりも自分の間抜けさと浅はかさが憎たらしい。ユウキが自己嫌悪の泥に沈む中で、木板を踏み鳴らす仮面の剣士が後ろを通る。

 

「……クーは強いんじゃない。『強くなる』しかなかったんだ」

 

 そのまま素通りさせてしまえば良い。ユウキは唇を噛んで黙ろうとしたが、どうしても言葉を吐かねば気が済まず、UNKNOWNの足を止めてしまう。

 

「クーは無敵の超人じゃない。『殺す』為に、いつだって無理して、限界以上に戦って、ボロボロになって、皆に怖がられて、憎まれて、蔑まれて、それでも……それでも、きっと『独り』で戦えちゃうから『強くなる』しかなかったんだ」

 

 錯乱していた。だからこその本音だったのかもしれない。UNKNOWNが自身の弱さを呪う中で、強さを渇望した中で、求めていた『彼』とは誰だったのか、ユウキにも察することができる。

 

「知っているさ。彼に理想を押し付けていた事くらい、分かっているさ」

 

「…………」

 

「でも、俺には理想が必要だったんだ。彼の強さが必要なんだ」

 

「そう。失望したよ。仮想世界最強なんて嘘っぱちだね。キミを倒しても、称号以外は何も得られないなんて」

 

「最強なんて最初から名乗ってない。俺は弱いくせに、粋がったことしか言えない負け犬だ」

 

「卑屈。だったらその剣は使わないでよ。深淵狩り達に失礼だしね」

 

 ああ、本当に吐き気がする。

 こんな風に仮面の剣士を責めることしかできない自分が気持ち悪い。

 本当に憎たらしいのは、マザーレギオンに打ちのめされ、よりもよってPoHに無理解を見抜かれ、何もできなかった自分自身だ。

 ユウキは腰のスノウ・ステインを抜き、仮面の剣士に突きつける。喉元に触れる冷気を帯びた刃に、UNKNOWNはピクリとも反応しない。

 

「ボクはキミが嫌いだ」

 

「奇遇だよ。俺もキミのことが嫌いになったところだ」

 

 ああ、少しだけ心地良い。きっとUNKNOWNも感情的にならないように努めているだけで、本当は今でも殺し合いを始めても良いくらいには、ユウキに憤っているのだろう。

 もっと怒らせたい。激情に駆られて殺し合いに発展させたい。ユウキは感情のままに口を開く。

 

「そんな仮面をつけているのも、本当は怖いからなんでしょ? 周りに英雄視される目が怖くて仕方ないからなんでしょ? だから仮面をつけたんだ。演じているんだよ。『英雄の自分』をね。そして、本当の自分を隠しているんだ」

 

「そう言うキミが俺を殺したがってるのは、本当の自分から逃げる為なんじゃないか? 誰かに責任を求めて、自分から目を背けて、挙句にそれが救いだと信じてる」

 

 ユウキは仮面の向こうで冷笑しているUNKNOWNに歯ぎしりする。

 だが、それも数秒のことだ。互いに深呼吸を入れるように顔を背け合い、ユウキは剣を収める。

 

「……もう止めよう」

 

「うん。ボクも少し言い過ぎた」

 

 クールダウンが必要だ。ユウキは今度こそ去ったUNKNOWNの後ろ姿を横目に見ながら、毒霧の海に呟く。

 

「最低だよ」

 

 本当にボクはどうしようもない。嗚咽は漏れることなく、ユウキの吐息は腐った森に浸み込んでいった。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 

「で、どうします?」

 

「どうするも何もないだろう?」

 

 シリカは互いの自己紹介を改めて済ませ、ユージーンと向かい合いながら、現状の再確認を行っていた。

 レギオン・ミョルニルとの戦いに乱入した深淵狩りの剣士の力によって転移した2人がいるのは、荘厳な大神殿を構えるアルヴヘイムでも有数の宗教都市コスコンだ。ティターニアを女神として据え、特に反オベイロン派狩りが厳しい都市である。それは廃坑都市壊滅がオベイロンによって宣言されて以降はより過激化し、ティターニアを敬愛する【女王騎士団】はアルヴヘイムでも屈指の戦力だ。

 慈悲深く、愛の女神フィナと同列に並べられる、知性と寵愛の象徴である女王ティターニア。女王騎士団でも精鋭の第六騎士団は特に粒揃いであり、また狂信者の髄である。

 何処からどう見ても町娘にしか思えない扮装をしたシリカとトレードマークの赤い甲冑をオミットして革装備で整えた流浪の傭兵といった風貌をしたユージーンは、肩を並べて銀製の掲示板に貼りつけられた、賞金首となった反オベイロン派の面々を眺める。

 

「彼らに接触するのは無謀そうだな」

 

「むしろ生餌になってもらいましょう。幸いにも私たちの情報は無いようですし、アルフにだけ注意しておけば良いかと」

 

 ティターニア教団が大々的に反オベイロン派狩りを推進している為だろう。貴族街の外にある、それでも宗教色が強く各所に石像が立ち並ぶ大通りの、流れ者ばかりが集まる仕事斡旋所を担う酒場に入る。

 腕を組んだユージーンは分厚いベーコンを食い千切り、固焼きパンを貪る。シリカも煮え滾った豚肉のスープを啜り、ピナは彼女がスープから抜いた緑色の豆を齧っていた。

 

「我々を転移した深淵狩りの剣士のお陰で路銀は潤沢だが、失ったものは大きい」

 

「なんか狂った感じでしたもんね。まぁ、気を失っていた私たちに色々と残していく気遣いくらいは出来たようでしたけど。特にデカいのは、深淵狩り達の協力者との連絡方法を残してくれたことです。このアルヴヘイムで援助は多いに越したことはないですけど、やっぱり反オベイロン派なんて落ち目を当てにすべきではないですから」

 

 だが、その転移を発動した深淵狩りの剣士は行方不明だ。シリカたちを安全なところに運んだ後に姿を暗ませたのは間違いないが、行き先は定かではない。それが5日前の話である。

 

「オレの予想が正しければ、深淵狩り達に転移された者たちには反オベイロン派の再起を狙う者もいるはず。だが、パイプが無い我々が動くのは不利を招くだけだ。だが、このまま手を拱いて行動しないわけにもいかない。オレが提案するのは、独自の戦力を作り出すというものだ。貴様とオレならば、そう難しいことではないだろう」

 

「なるほど。それで荒くれ者が集まる酒場というわけですか。悪くないですね」

 

 ユージーンの意図を見抜き、シリカは薄く笑う。要はここにいる、力を持て余した連中を束ねて傭兵団を作り出そうというのがユージーンの考えである。ネームドを探索するにしても、いずれ再起した反オベイロン派に接触するにしても、戦力はあるに越したことはない。

 

「それだけではない。既に無人だったが、深淵狩りのアジトの1つには興味深い資料も残っていた。妖精のみならず、モンスターたちにも知性があり、コミュニケーションが取れる『魔族』なる者たちがいる。深淵狩りは時として暗闇に潜む彼らとも協力していた。そして、力を借り受ける際の契約を多く残している」

 

「……毒霧の森のラ・ゾヌ族との約束の鐘、死んだ火山の岩の巨人たちとの炎の盟約、古竜信仰の【鱗がある者】たちとの鉄の誓い、そして【キノコ王】の軍勢を借りる黄金の継承。他にもetc」

 

 小アメンドーズのような数に対応する為には、やはりこちらも相応の数を揃えるのが最も手っ取り早い。シリカもユージーンの提案には賛成だ。

 だが、彼女にとって不安なのはUNKNOWNの安否である。ユージーンなど放っておいてUNKNOWN捜索に移りたいのが本音であるが、そもそも目星が無い以上はネットワークを広げるのが1番だ。広いアルヴヘイムでたった1人の男を探し出すのは時間も手間もかかる。

 シリカは微塵としてUNKNOWNの生存を疑っていない。だが、メンタルにしても決して良好ではない彼を放っておくことは1秒として許されないと危惧している。

 

「焦るなよ。貴様がUNKNOWNを想っている事は承知しているが、今回ばかりは互いに協力し合わねば状況を打破できん。各個撃破こそ最も避けねばならない」

 

 そう言ってユージーンがアイテムストレージから取り出したのは、鈍く燻ぶったような金色の装飾が施された大剣である。銀の刀身を加護するような鈍い金の装飾は、オーリブを模した豪奢さを持ち、また刀身の中央には3本の細い空洞が通っている。

 それは正しく聖剣、あるいは魔剣と呼ぶに相応しい業物。騎士でも持ち合わせていないだろう、貴族の蔵にも眠っていないだろう、本物の力だ。当然ながら、力を持て余した荒くれ者たちの視線を集める。

 

「それが噂に聞く、ヴェルスタッドのソウルを素材にしてクラウドアースの工房の総力を結集して作ったという……」

 

「ああ。【不死廟の魔剣ヴェルスタッド】だ。丁度良い撒き餌になるだろう」

 

 狙い通りに、ユージーンの周囲には興味惹かれた、あわよくば彼から剣を奪い取ろうと目論む者が集まり始める。それをどっしりと腕を組んで待ち構えるランク1は不敵だ。

 これで最初の目標……傭兵団の設立は難しくないだろう。要は彼らに『強いボス』をアピールすれば良いのだ。シリカの仕事はその後の運営だろう。ラストサンクチュアリ内で、UNKNOWNの秘書としての腕前を期待されての事だ。

 いずれはラストサンクチュアリを滅ぼしに来るだろうクラウドアースの傭兵と手を組む。シリカは特に何とも思わないが、キバオウがこの場にいたら卒倒するだろう。

 スープのお代わりで立ち上がったフードを深く被り直すとシリカは、早速出来上がった人垣を避けてカウンターに向かう。だが、ユージーンを囲い始めた人々によって押し飛ばされたのだろう、シリカと同じ旅人のマントを身に着けた人物と派手に正面から衝突した。

 尻餅をつく寸前にシリカの顔面に接触したのは、豊満なる2つの丘である。瞬間的に憎悪ゲージを上昇させたシリカは、すぐに立ち上がって、あえて笑顔で同じく転倒していた人物に手を差し出した。

 

「お怪我はありませんか?」

 

 転倒の拍子でフードが外れたのだろう。旅人のマントを着ていたのは、金髪のポニーテールが特徴的な少女だった。やや強気な顔立ちをしており、その容姿が露になると酒場の男たちは口笛を吹く。

 

「大丈夫です。それよりも凄い人だかりですね」

 

「……目立ちたがりがいるんでしょう。ここも少しばかり派手に喧嘩が起きそうですから、巻き込まれるのが嫌なら退避された方が良いですよ」

 

「御忠告どうも。じゃあ、これで」

 

 笑顔で握手を求められ、シリカも営業スマイルで交わす。旅人のマントのフードを被り直した少女は、同じくマント姿の……体格からして同じ女性だろう人物が腰かけるテーブルに向かって小声で話すと席を立った。

 どうにも気になる。だが、ユージーンに喧嘩を吹っ掛けた者がカウンターに投げ飛ばされて酒瓶を大量破壊する音が響き、それどころではないかとシリカは酒場の2階に避難した。




<システムメッセージ>
アルヴヘイム編序終了によるリザルト

・主人公(黒)
メンタルダメージ大、早急なメンタルケアが必要
ドラゴンクラウン喪失による戦闘能力低下あり

・シノン
メンタルダメージ大、レコンの努力により回復中
矢の不足が深刻化。継戦能力に難あり。

・ユウキ
メンタルダメージ大、ヤンデレ特有の精神悪化中。
主人公(黒)とは関係「険悪」に変化。

・レコン
メンタルダメージ中。自傷ダメージによる精神変調の危険性あり。
スキル≪策謀≫を獲得。知略キャラに転職可。

・ザクロ
メンタルダメージ大、発狂の危険性あり。
≪イリスの加護≫及び主人公(白)のスキル≪聖女≫によりメンタル回復ボーナスを獲得

・主人公(白)
チタン合金メンタル


それでは、258話でまた会いましょう!

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