SAO~デスゲーム/リスタート~   作:マグロ鉱脈

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前回のあらすじ
ランスロット無双。


DLCの為のキャラ準備はOK?
フロム脳のギアはもちろんMAX?

というわけで、筆者はちょっとロスリックに戻ってきます。更新が遅れたら、そういう事だと御納得してもらえると嬉しいです。


Episode18-21 暗闇

 頬杖をつき、男は微睡みにも似た浮遊感と、確かに覚醒した意識の中で、地獄絵図としか言いようがない光景を鑑賞していた。

 当初の計画からは大きく外れてはいるが、それは『順序』という過程においてであり、『結果』という点においては修正可能な範囲内に収まっている。

 いや、その表現は適切ではないだろう。何が起ころうとも男は修正する為に手を出す気もなければ、仮に計画が破綻して『結果』が望んだものでなくとも、芳しいものでなくとも、不完全だとしても受け入れる心構えだった。

 

「アイザック君にも困ったものね。アルヴヘイムがここまで滅茶苦茶になるまで放置するなんて」

 

 体を預ける黒い椅子は男が恋人より得た誕生日プレゼントを完全に再現したものだ。1日の過半をパソコンの前で過ごす生活をしていた、不健康の権化だった男に『最初の目的』を達成させるまで、肉体をメンテナンスしてくれていた彼女には今も感謝の念は忘れていない。

 

「彼の悪い癖だ。面白いと感じたものは実害が出るまで好き勝手に遊ばせてしまう。相手の品性も人格も目的も関係ない。ただ、オベイロンはやり過ぎた。アルヴヘイムまでならば彼も『面白い』で済ませただろうけど、DBO本体まで侵蝕し、計画の略奪まで宣言した。アイザック君にとって自分の玩具箱を勝手に漁られるのは耐えがたい屈辱だからね」

 

「要は自分の所有物も満足に管理できない好奇心旺盛な『子ども』って事でしょう? やっぱり計画を始動させたのは早過ぎたんじゃないかしら? あと30年……いいえ、最低でも20年は待つべきだったわ。まだVRアレルギーが残る日本での強引なアミュスフィアⅢの販売・広告戦略。世界規模における加速度的VR・AR技術の蔓延と促進の『テコ入れ』。90基のソウルトランスレータシステム完全対応の『第7世代』バイオコンピュータ。予算的にも時間的にも無茶し過ぎよ。お陰で粗が目立ち始めているわ」

 

「反論はない。私も彼には計画の見送りを提案した。だが、彼はあの性格だし、【黒の剣士】を敵視し過ぎていただろう? だからこその管理者たちだ。アイザック君は自分が万能と驕っていない。適材適所だ」

 

 その管理者たちには、アイザック君並みかそれ以上に過大な問題があるようにも思えるけど? そう小さく呟いた彼女に、男は苦笑して聞き流すとすぐに余裕の笑みを描く。

 

「だが、アイザック君は『インターネサイン』の名を継いだ正当なINC財団の総帥にして『後継者』だ。あらゆる戦術・戦略・技術を解して応用・発展させる知能、人心と場を掌握するコミュニケーション能力、常人ならば冷静さを失う天性の歪んだカリスマ性、何よりも決して崩れない我の強さ。クリエイターとしての才覚は合格点だし、不足する分野はダークブラッド計画の応用で補填・強化する機転にも文句のつけようがない。強いて言うならば、どうしてあそこまで本人が戦闘面において壊滅的なのか」

 

「確か、240時間かけてもフレンジーボアも倒せなかったのよね?」

 

「……三国志じゃないんだ。軍師と兵士を同列で語るべきじゃない」

 

 あなたが言ってる三国志ってジャパニーズ・トンデモ三国志の事よね? 彼女の言葉に男は全く以ってその通りと同意するように笑った。彼女は呆れながらも、黒い椅子の隣に備え付けられた白い円卓に珈琲と口慰めのクラッカーが並べられた皿を置く。そして、自分は簡素な折り畳みのパイプ椅子に腰を下ろした。

 

「やっぱり、あなたがサブとしてもっと積極的に関与すべきだったんじゃない? アイザック君にGMはやっぱりまだ荷が重すぎたわ。そもそも、彼は人間の心を『情報』として理解することができても、根底の人間嫌いのせいで見誤ってしまう。改善の為にアンビエントを世話役にしたのでしょうけど、彼女のせいで余計に人間嫌いが悪化しているように思えるわよ?」

 

「そうでもない。アンビエント君はストッパーとして望んだとおりのパフォーマンスを果たしているよ。あと、私の戦いと役割は既に終わった。再起する気構えではあるが、それは計画が終わった後だ」

 

「……その割にはあれこれ口出ししていたわよね? クリスマスのサンタコスとかサンタコスとかサンタコスとか、女性プレイヤーの服だけ溶かすスライムをアイザック君に土下座してまで実装してもらったりとか」

 

「私も男だ。御しきれない情熱というものはある」

 

「性欲は免罪符じゃないわよ? まぁ、私は前のあなたも、自由になった今のあなたも、どちらも好きよ。だけど、次のクリスマスは許さないからね?」

 

 善処しよう。男は殺気が籠った彼女の冷ややかな眼差しに肩を竦めて対応しつつ、珈琲に口をつける。それは安物のインスタント珈琲の味を具現化したものだ。真の珈琲好きならば泥水と呼称するだろうそれを、男は特に感慨も無く味わう。

 しばしの沈黙の後に、男は僅かに気にする素振りで女性に数秒だけ視線を送る。

 

「……君はこういう血生臭い光景を鑑賞する好みはないだろう?」

 

 全方位に映し出されている、宙を浮遊する画面に表示されているのは、アルヴヘイムの廃坑都市の惨劇だ。1000人規模の住人が暮らしていた反オベイロン派の拠点は今や火の海と化し、一方的な殺戮の舞台となっている。抗っている者たちも幾らか存在するが、オベイロンが派遣した戦力は過剰にして過多だ。数の暴力によっていずれは駆逐されるだろう。

 レギオンによって喉を食い千切られた女は炭化した建物の崩落で潰れ、小アメンドーズに包囲された者は武器を捨てた命乞いも通じずに四肢をもぎ取られる。それは戦争としても成立していない殲滅戦だった。

 地獄の世界で抗う者たち。その中でも特筆すべき者たちはリアルタイムで『全て』がモニターされている。VITやCONなどのステータスのみならず、本来ならばプレイヤーが視認して調べられないスタミナ・魔力の残量、STR・DEX出力、運動エネルギー効率、感情データ、脳の活動域、フラクトライト……仮想脳の活性率に至るまで、全てが丸裸なのだ。

 

「見届けるわ。私はあなたを選んだ。もう善人面は出来ないし、する気もない。私はあなたを見守り続ける」

 

「君には目を背ける権利があった」

 

「これ以上特別扱いしないで。こうして傍に置いてくれているだけでも十分よ。あなたにとっての数少ない『例外』が私だった。それだけで幸せよ」

 

 そうか。男は少しだけ嬉しそうに、悲しそうに、小さく頷いて呟く。

 モニタリングされていた1つの戦いに決着がつく。1人は小柄な黒紫の髪を靡かせる少女、もう1人はフード付きポンチョを着た男。なかなか興味深い、互いの手を明かし合い、DBOのPvPならではの二転三転した戦いは、マザーレギオンという乱入者によってお流れになった。少女……ユウキは攻撃で吹き飛ばされ、対戦相手の男……PoHは四肢を切断された挙句にレギオンによって連行される。

 

「ユウキちゃん、かなり苦戦していたようね」

 

「仮想脳は精神の影響を受けやすい。彼女の類稀なる反応速度は優れたVR適性だけじゃない、仮想脳が戦闘に特化した賜物だ。あのような精神状態、その上リミッターがあっては、インターネサイン構想に基づき、レギオンから集積される情報全てを掌握しているマザーレギオンに勝つのは難しいだろう。特にオベイロンから管理者権限を与えられた事で、彼女の能力は大幅に制限が解除されている。もはや自由に歩き回れるボスアバターだ。赤い月の発動など良い例だ」

 

「……前々から思っていたけど、カーディナルってガバガバ過ぎるんじゃないかしら? あなたがINC財団の力を借りて開発した割には、抜け穴が多過ぎるわ。そもそも『強制発動イベント』として赤い月を承認した後に、その危険性から発動したらエマージェンシーオーダーを出すなんて、矛盾にも程があるわよ」

 

 ここぞとばかりに指摘する彼女に、男は足を組み直し、珈琲カップを空にしてお代わりを要求する。彼女は無言で鉄色のポッドからお湯を注ぎ入れると、カップの中で透明な液体は黒く変色していった。

 

「言っただろう? 私はそもそも計画が10年以内に『次』の段階に移行するなんて想定していなかった。カーディナルをより完全に近づける為に、後々の保管作業を考慮して自由性を確保する処置を施しておいたんだ。それにSAO終了後には、カーディナルも解決案としてアンビエント君を『生んだ』が、彼女はその自覚が無い。アイザック君も彼女がカーディナルを補完する存在と分かっていながら、敢えて役割を告知していない」

 

「彼の悪い癖?」

 

「ああ。彼は人間嫌いだが、AI大好きっ子だからね。アンビエント君には『自由』に選択してもらいたいのだろう。自分の役割に徹するか、それとも『心』のままに生きるか。だが、それだけじゃない。これはある種の限界だよ。憲法、法律、道徳が変動する現実に対処するには限界があるのと同じだ。何よりもカーディナルは『法典』であって『法の執行官』でも『法の監視者』でもない。それこそが管理者たちの役目だ。そして、その管理者たちにすらカーディナルは絶対性……『不死属性』のような分かりやすい力を認可しなかった」

 

「計画が生んだ不完全性。それこそがカーディナルを『法典』……『仮想世界の神』であっても全能性の欠如を生んだ。いいえ、そもそも仮想脳なんて神の因子が存在している限り、カーディナルの不完全性は払拭できない。だからこその『暴力処置』たる死神部隊の結成。でも、そのトップのブラックグリントが『アレ』なんて……本当にどうかしているわ」

 

 分かりやすく言えば戦闘狂。だが、その本質はAIとしての基礎骨格の開発者である男の理解の範疇を超えた、死神部隊の長。とてもではないが、御しきれる存在ではないと彼女は嘆息する。

 

「闘争による混沌。それはカーディナルが『法典』として確立する根底……秩序に反するわ。そもそもアイザック君は調和とか秩序とか大嫌いでしょうけど、大丈夫なの?」

 

「人間嫌いもそうだが、彼のイレギュラー嫌いは筋金入りだ。だからこそ、そういう『面倒事』は全てセラフ君に丸投げしているのだろうさ」

 

「AIの過労死を認定する『法』の制定をカーディナルに申請してあげたら? セラフがバグになるわよ」

 

「AIは発狂しても過労死しない。私が許さない」

 

「ブラック企業の中間管理職かしら? ご愁傷様ね」

 

 こうして呑気に2人が言葉を重ねている間にも、廃坑都市の人口は加速度的に減少している。既に外縁より3割は壊滅し、生存者は無し。小アメンドーズとレギオンによって完全に占拠されてしまっている。そして、アルヴヘイム全土においてもレギオン化は発動し、既に総人口の1割が変異し、それによる人的被害は計り知れないものになっている。

 何よりも酷いのは『感染母体化』と『発症潜伏』だ。感染母体化とは、かつて終わりつつある街に壊滅的被害をもたらしたキャリア・レギオンのダウングレード版だ。レギオン化した内から『優良個体』が感染母体となり、赤い月の消滅後も周囲にレギオン化を促す。そして、発症潜伏とはレギオン化に時差をもたらすものだ。そして、レギオン化の際には周囲に感染効果をばら撒く。

 まるで病原体だ。コンピュータウイルスという概念は、その名が示す通りウイルスを模したものだ。そもそも、ウイルスとは生命体ではなく情報体としての面が強い。

 

「プレイヤーへの感染の危険性もあるわね。オベイロンが狂縛者を欲していた理由はこれね。上手く研究しているわ」

 

「だが、カーディナルがアルヴヘイムのエマージェンシーコールを認識するまで現実世界時間で残り600秒。たとえ、赤い月を消去・隠蔽しても、調査規定により240時間のモニタリング後に、アルヴヘイムにはマネジメントオーダーが発令される。カーディナルの総評にもよるが、オベイロンは管理者として制限を受けることになるだろう」

 

「当然だけど、それはセラフにとってチャンス。コード999の発令申請が承認されるかもしれない。そうなれば、レギオンプログラムによる防護なんて関係なく、セラフは堂々とアルヴヘイムに出現するでしょうね。そうでなくとも、大幅に免除されているイレギュラー値測定規定も厳格化され、死神部隊の派遣も可能になる」

 

「確率は低いとはいえ、オベイロンにとっても危険な賭けだったはずだ。彼にリスクを承知で挑む気概があるとは知らなかったよ。電脳化して変化があったか。そうなると次の策は『アレ』か。時間稼ぎにもなる。彼も成長したという事か」

 

「そう? 私には単に傲慢さに磨きがかかっただけに思えるけど」

 

 見解の相違に、2人はどちらも『どうでも良い』といった表情で切り捨てる。そして、彼女は次の興味の対象とばかりに、指を動かして1つの画面を拡大表示する。その隣には、ログとして記録されている二刀流の剣士と漆黒の騎士のバトルが映し出されていた。

 

「それにしても、ランスロット……強いわね。『彼』が手も足も出ないなんて」

 

「……シミュレーションに過ぎないが、ランスロットと深淵の魔物・騎士アルトリウスの対戦成績は全勝だ」

 

「アルトリウスが?」

 

「ランスロット『が』だ。実際に戦わせたらどうなっていたかは分からないが、シミュレーション上ではランスロットが勝っている。アルトリウスの『経験』とは、敵とは古竜であり、深淵の怪物たちであり、数えるほどしかないグウィンに仇成す神族の反乱だ。対してランスロットはあらゆる敵と深く、激しく戦ってきた。後世の深淵狩りであるが故に、堕ちた深淵狩り『狩り』にも、裏切り後の深淵狩り殺しにも手を染めている。アルトリウスに不足していた『対人型』における戦闘能力が格段に違う。特に『人間』相手にはね。しかも絶対個体だ。付け加えれば、闇属性に強い深淵の魔物形態はともかく、最終形態の騎士アルトリウスの弱点の闇属性攻撃が豊富だったのも大きな勝因だろう」

 

 カーディナルが1部にのみ認可した、『経歴』より反映して性能を確定した、手が加えられていない純粋な個体。自我を取り戻したアルトリウスもその1体であり、ランスロットの場合は全てがそうなのだ。

 まさしく特例。ダークブラッド計画における確かな『成果』であり、プレイヤーからすれば理不尽なまでに『イレギュラー』と呼ぶべき存在。アルトリウスの場合は『スタン・衝撃無効化』というように、ただでさえネームドやボスといった垣根を失う程に戦闘能力が凄まじいAIであるはずなのに、能力面まで『経歴』を基にしている為に、とんでもない状態になり得ることもある。

 そんな相手に少数での戦闘など無謀か。彼女は納得の言葉を漏らそうとするが、男の本意は違った。

 

「だが、実力以前の問題だ。『彼』に勝ち目などない。死者との再会。そんな『与えられた毒餌』に惑わされているようでは、『彼』に万が一でもランスロットに勝ち目など無い」

 

「酷評するのね」

 

「以前の彼ならば……100層目で私を殺しにかかったあの頃ならば……きっとこう言ったはずだ。『神様など関係ない。自分で決めたことだから』とね。あの頃ならば、たとえ勝機が無くとも『創造』したはずだ。実際に私はそれに敗れたのだから。『彼』はイレギュラー。『人の持つ意思の力』……私が見た新世界の啓示……心意の証明者なのだから」

 

「……『人』は常に最善・最良・最高を引き出せる程に強くないわ。『彼』は何処にでもいた、普通の男の子だったのよ?」

 

「だが、もう違うはずだ。アインクラッドを制覇した英雄だ。普通なんてものが欲しいならば、あの鉄の城で心折れて死すか、腐りながら生き延びるべきだった」

 

「そうだとしても、愛した人が取り戻せるかもしれない希望を……それを醜い夢だと割り切るなんて無理よ」

 

「割り切れと言ってはいない。むしろ望んでもらって大いに結構だ。問題視しているのは、同じ目的でも、それを発露する精神の問題だ。仮想脳は精神の影響を強く受ける。彼の中にある矛盾、迷い、恐れ、怯え……それは弱さだ。同じ負の感情でも、我を失う程の怒りや憎しみならば、たとえ暗い性質だとしても仮想脳は応えてくれるだろうに。今の彼にアイザックの否定の証明に打ち勝つなど到底不可能だ」

 

「迷わない若人なんていないわ。あなたもアイザック君もそういう意味では『例外』なの。それをいい加減に理解して頂戴」

 

 2度目の見解の相違に、男は折れずともこの話は止めようと言うように目を伏せ、女性も了承するように自分の珈琲に口をつけた。

 

「それで、あなたの本命は『彼』? それともユウキちゃんなの? 他にも『直伝』とか色々と駒はいるみたいだけど、あなたの望み通りの証明ができそうなのは2人のどちらかじゃないかしら? でも『直伝』は……馬鹿過ぎて、むしろ証明してもらいたくないわ。あれも1種の仮想脳の可能性なのかしら? 言っておくけど、タルカスは止めてよね。あんなHENTAIがあなたの証明のエースなんて身の毛もよだつわ」

 

「タルカス君はタルカス君で面白いところはあるが、今のところはユウキ君が大きくリードしているな。ただし、彼女の仮想脳は余りにも戦闘に特化し過ぎて多様性を失っている。彼女ではアイザックの否定の証明を打ち破ることができるか不安があるし、何よりも健康面が足を引っ張るだろう。今回のアルヴヘイムは彼女の精神を縛る因縁を払う良い機会になれば良いのだが。それに……最近の彼女は、その……私でも言い憚れる程度には……怖い。『人の持つ意思の力』を完全に我が物にしたとして、それを、その……『悪用』しないかが心配だ」

 

 言い淀みながら、珍しく狼狽えて視線を逸らす男の言葉に、彼女は塩気が強いクラッカーを齧りながら、今まさにランスロットと激戦を繰り広げ、ついに一撃を入れた少年に着目する。

 女性でも嫉妬、羨望、あるいは狂信に走りそうなまでに、神秘的な完成された中性美。黒い小さなリボンで先端を結んだ1本の三つ編みが廃坑都市を焼く炎の熱風で揺らめいている。だが、それ以上にモニターでも背筋が凍る程に、その戦いに、強さに、美しさに、彼女にある生命体としての恐怖が呼び起こされる。

 

「ユウキちゃんの想い人のこの子はどうなの? 準備した駒ではないけど、実力は十分。N、シャルル、それにアルトリウスの撃破。ブラックグリントも好敵手として対戦を求めているし、あなたを倒すのに貢献した程なんでしょう? まだ第1段階とはいえランスロットとここまで渡り合うなんて、DBOでもトップクラス……いいえ、プレイヤーでも純粋な戦闘能力だけなら――」

 

「論外だ」

 

 意外というべきか、あるいは命題の本質からして当然と言うべきか、男は冷たく視線で、むしろ邪魔者を見るように、ランスロットに明確な『敵』として認識された白いプレイヤーを男は一刀両断する。

 

「君が言った通り、彼の強さはまさしく純粋な戦闘能力――いや、むしろ生物として備わっている、脳やフラクトライトに至るまで、その全てが『殺傷能力』に収束している結果と言えるだろう。レギオンプログラムが示す通り、彼の強さの根源は分析できるものではない。私とアイザックが呼ぶイレギュラーとは異なる……いや、原初の意味でのイレギュラーだ。ドミナント。まさに『例外』だよ」

 

「だったら……」

 

「だからこそ彼は、私たちの証明において、計画において、『イレギュラー』以上にも以下にもなり得ない。現状の候補者……トッププレイヤーのほぼ全員が軒並みに仮想脳を発達させている。だが、彼の仮想脳は欠片と成長していない。VR適性の低さに由来するのか、別の要因かは定かではないが、彼は『人の持つ意思の力』どころか仮想脳の恩恵すらも無く、仮想世界においてあの強さを確立している。この異常性が分かるだろう?」

 

「それはそうだけど、他でもない彼がアイザック君の否定の証明を悉く破っているのよ? それは認めないと……」

 

「そうだ。このままでは、私と彼の勝負はドロー……いや、それすらも成り立たなくなる。無効試合だ。SAO時代からそうではあったが、傭兵という利用される立場でありながら、起こす行動はシナリオブレーカーそのもの。『彼』を再起させ、100層まで立ち向かわせた事は感謝するが、私は彼を認めない。認めてはならない。あのようなおぞましい強さ……認めるわけにはいかない」

 

 100層の事を思い出しているのだろう。男は苦々しく拳を握る。

 だからこそ、今回の計画においても駒の補佐として準備するに足る能力がありながらも見送ったのだ。そもそも仮想脳の発達の余地が無い、『可能性』候補から大いに外れていた彼をDBOに招待するなどアイザックも微塵も考えていなかった。また、男も彼が仮想世界から遠ざかった生活を望んでいた事からもマークを外していた。それは油断と指摘されれば弁解の余地など無い。

 結果がオベイロンの勝手によるエントリーだ。そして、その挙句がDBOに波乱を起こすばかりか、『人の持つ意思の力』の肯定と否定の証明すらも破綻させようとしている。オベイロンの唯一無二の、この2人に手痛い一撃を与えたファインプレーと呼べるだろう。ただし、それは自滅の刃にも等しかったようだが。

 

「……異物でもプレイヤーよ。イレギュラー規定の登録だけでも横暴だと思うわ。まさか、直接排除するつもり?」

 

「誤解しないでくれ。私は依然として直接的干渉はしないし、意図して排除したならば『彼』とユウキ君のメンタルに影響があるだろう。だが、望めるならば……ここでランスロットに敗れてもらいたい。それは2人の覚醒を促すだろう。元『相棒』として、想い人として、せめて役割を全うして死んでもらえれば私に言う事はない」

 

 人間からはバケモノ扱い。管理者たちからはイレギュラーとして疎まれる。好いているのはHENTAIか生死の概念を放り捨てた戦闘狂ばかり。あるいは……彼に惹かれずにはいられない者たち。

 それは炎に吸い寄せられる蛾のように吸い寄せられる。火は恐ろしく、また優しく温かな存在なのだから。

 

「君も惹かれるのか?」

 

「『その気持ちは分かる』……その程度ね。私には……怖いって気持ちの方が大きいわ」

 

 戦局は変化する。ランスロットはいよいよ『殺し合い』すべく、その力を引き出し始めた。対して、白い傭兵のコンディションは、脳への負荷が上昇し、運動アルゴリズムとの齟齬に拡大が生じている。

 この一戦でオベイロンの戦略的勝利は揺るがない。ならば、今後の戦局を左右するのは勝利の内訳だ。

 

「アイザック君には策があるのかしら?『師』として心当たりはあるの、ファーストマスターさん?」

 

 わざとらしく、彼女は……現実世界では行方不明となっている【神代 凛子】は、かつてヒースクリフとして呼ばれた、世界初の電脳テロを引き起こした狂人にして、恋人の称号を呼ぶ。

 それに対して、男……茅場昌彦は小さく肩を竦めるだけだった。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

(右腕負傷。ミンチより酷いですね。左腕……親指、中指、薬指がグチャグチャですか。右足……何かが突き刺さっていますね。再生には時間がかかりますか)

 

 瓦礫の山の中の空洞。ピナが作り出したバリアの内側にて、シリカは潰れた右目を止血包帯覆いながら、自身のコンディションの確認を行っていた。

 外の現状がどうなっているかは不明であるが、聞こえる音の限りでは廃坑都市の陥落は間違いないだろう。反オベイロン派の筆頭であり、最大組織だった暁の翅は壊滅した。首脳陣が生き残れば再起の余地もあるだろうが、それでも一朝一夕で、ここまで反オベイロン派が叩き潰された事実は抵抗心を根こそぎ奪い取るだろう。

 だが、生き残っていれば存外何とかなるのも事実だ。そもそも死んでしまっては、あれこれ悩んで策を搾り出すことも出来ない。シリカは右足に触れ、脹脛に突き刺さっている折れた燭台を引き抜く。痛覚遮断が完全ではないシリカの場合、あらゆるダメージには痛みが伴う。舌が震え、身を縮こまらせながらも、着実に治療を進めていく。

 

「欠損の治療完了。戦闘続行は不可。はぁ……このまま隠れ続けるのも限界があるよね。どうしよう、ピナ?」

 

 ピナのバリアも長くは続かない。力尽きれば瓦礫に圧殺される。だからと言って、全方位を埋め尽くす瓦礫の山を退かすにはSTRが不足している。ソードスキルで破壊しようにも、≪短剣≫しかない彼女にはパワーが足りない。むしろ、ソードスキルで破壊しても、雪崩のように押し寄せる瓦礫の滝に、硬直中のままやっぱり押し潰される。

 逆転にかけてピナのブレスもあるが、その為にはバリアを解除しなければならない矛盾だ。ブレスの溜め動作も合わせれば選択肢にもなり得ない。

 

(まずいですね。詰んでます)

 

 仮に脱出できたとしても、外の惨状を予想すれば、多勢に無勢。このまま引き籠もっている方が幾分か生存の目がある気がしないでもない。

 

「2人は大丈夫でしょうか」

 

 どちらもDBOのトッププレイヤーだ。生半可な敵には敗れないだろう。だが、仮に2人でも対処できない強敵が現れたとしたら……、とまで考えてシリカは嫌な予感を頭から振り払う。ネガティブになっても名案は思い浮かばない。今は少しでも生存の努力をして『あの人』と合流するのが最優先なのだから。そう自分に言い聞かせる。

 

(瓦礫の隙間からピナのバリアの光が見えているはず。迎賓館に誰か足を運んでくれて発掘してくれれば……)

 

 問題なのは、気づくのは敵か味方か。敵ならばシリカは死ぬ。味方だとしても、外の混乱を予想すれば、わざわざ埋まった誰かを掘り起こすなんて労力を費やすとは思えない。

 攻めるべきか。あるいは守りを固めるべきか。シリカが迷っている内に、頭上の瓦礫が剥がれていく音が響き始める。

 

「おい、アンタ! 大丈夫か!?」

 

 どうやら賭けをするまでもなく、展開はプラスの方向に進展したらしい。シリカが安堵の吐息を漏らしたのは、赤い月に照らされながらも、正気を保ち、救助して回っているだろう、廃坑都市の住人である。ノームの類なのだろう。血と泥で汚れたタンクトップ姿に首にはタオルをかけ、防具として最低限の機能を果たすだろうメットタイプの鉄兜を装着している。得物は採掘用のつるはしなのか、鈍い突起には赤黒い血がべっとりと付着している。

 

「神様に感謝しちゃいそうです」

 

「へ! こんな狂った月夜だ。神様に祈ろうにも、今晩はアルテミス様がお怒りみたいだ! だが、もう大丈夫だ! 生き残りは地下廃坑を目指している! 10年以上暮らしている俺でも迷子になるし、構造も把握しきれていない巨大迷路さ! そこに逃げ込めば――」

 

 全てを言い切るより先に、シリカを引っ張り出そうとしていた青年を血のシャワーが染める。

 恐る恐る振り返った青年が見たのは、赤い月の影響を受けるように、現在進行形で肉体を変質させていくレギオンの姿だった。

 細く、肋骨が浮かび上がるような胴体と脊椎から伸びる触手が特徴的だったはずのレギオン達は、その体躯をより肉厚に、また巨体へと変質させていた。頭部には8つの目玉を持ち、内の3つは閉ざされたまま、人間に似た大口には獲物を貪り、その肉体を丁寧に咀嚼している。腕は左右2対であり、太く逞しい。外観からしてもパワー特化のようだ。触手はレギオン特有の脊椎を彷彿させるものではなく、大蛇のように丸々と太ったものである。事実として、触手の先端には食虫植物を想像させる顎が備わっていた。

 

「お、おぉおおおおおおおお!」

 

 青年はつるはしを構え、レギオンに突進する。全高3メートルにも達した巨大なレギオンは、まずは右腕の1本を振るい、それをギリギリで回避した青年を難なく左腕の1本でつかむ。

 命乞いや救助を求める間もなく、青年の頭部を握りつぶしたレギオンは骸を投げ捨て、瓦礫という隠れ蓑を失ったシリカを見下ろす。

 

「あー、少しヤバそうです……ね!」

 

 ピナとの間にアイコンタクトを挟むようなタイムラグを必要とする信頼関係はない。以心伝心。シリカはある種のテレパシーとも言うべきクラスまで、ピナとの意思疎通を可能としていた。それは茅場昌彦曰く、SAOで覚醒したシリカの『人の持つ意思の力』の形らしい。故にシリカはDBOでもユニーク級とされる≪テイマー≫スキルを早期に獲得でき、テイミングが困難である竜種を仲間に加えることができた。

 ピナがシリカの左肩をつかみ、全力で飛翔する。小型の幼竜であるピナは当然ながら重荷を担げるほどのSTRはない。故にピナは飛行するのではなく、あくまで引っ張るというベクトルを生み出すブーストだ。シリカは無事の左足で地面を蹴り、レギオンの左腕の圧殺拳が到達するより瓦礫の穴から脱出する。

 

「このバケモノがぁあああああ!」

 

 そこに到着したのは、クロスボウを装備した暁の翅の兵団だ。インプ達は10人が隊列を組み、炎のボルトを装填したクロスボウを一斉に射撃する。レギオンは触手をしならせて射撃攻撃を防ぐ……ではなく、悠然とそのままに立ったまま攻撃を受け止める。

 炎のボルトはレギオンに到着する前に、見えない壁に阻まれたように防がれる。よくよく見れば、レギオンの周囲の空間は波立っていた。まるで見えない防護壁がレギオンを守ったかのようである。

 

(……射撃攻撃を大きく減衰させるバリア! 報告にあった呪縛者とはタイプが違うみたいですけど、低威力の炎のボルト程度では突破も減衰もできない!)

 

 即座に分析したシリカは、このレギオンに効率的なダメージを与えるには近接戦しかないと見極める。そして、到着した部隊はいずれも片手剣を腰に差してこそいるが、炎のボルトが通じなかったという事実を正しく消化できず、焦りのままに再装填しようとしている。

 

「逃げてください! この怪物に射撃攻撃は――」

 

 だが、警告は遅く、レギオンは……『ニヤリ』という擬音が発せられたと思える程に嬉々と笑う。そして、丸太のような足で踏み込んで地面を鳴らしたかと思えば、2対4本の腕の筋肉を盛り上がらせて咆えた。

 その巨体に見合わぬ俊足。再装填よりも先に隊列に到達すると、腕を振り回して4人の兵士の肉体を破砕し、慌てて片手剣を抜こうとした1人を蹴り飛ばす。サッカーボールのように飛ばされた兵士の『上半身』は炎で燃える廃坑都市に消える。

 

『……ヨワイ、コロス。ツヨイ、イキル。ソレコソ、セカイ、シンリ。ハラ、ヘッタ!』

 

 そして夕食が始まった。逃げ惑う5人の兵士の内の4人を4本の腕で1人ずつ捕らえ、残りの1人は触手の1本で捕まえると血を絞り取る。泣き叫ぶ兵士たちの悲鳴すらも咀嚼するように、人間的な大口……発達した犬歯以外は人間と同じ歯並びのレギオンは、あっという間に4人を喰らい終える。

 今までのレギオンとは格が違う。レギオン・シュヴァリエのような指揮官タイプとも、数で押す雑兵タイプとも、感染による即席タイプとも異なる、暴虐なパワープレイを成すレギオンに、シリカは恐怖心を募らせる。

 

『オビエロ! コワイ、サケベ! レギオン、カツ! ハハ、ノゾム、セカイ! オウ! オウ! オウ! ワレラ、ノ、オウ! レギオン、ノ、オウ! ワレラ、ヒキイテ、オマエラ、ニンゲン、コロス! コロス! コロス! ゼンメツ! ミナゴロシ! ネダヤシ!』

 

「うわぁ、頭悪そうな喋り方して、とんでもなく物騒な発言ですね。つまり何ですか? レギオンって敵とかモンスターとかそれ以前に、私たちを皆殺しにするのが目的と?」

 

『オマエ、カワイイ! レギオン、ナレ! ハハ、ホシイ! ツヨイ、カゾク、ホシイ! カワイイ、カゾク、カンゲイ! ヨメ! オレ、ホシイ! ヨメ、ホシイ!』

 

 まるでゴリラのドラミングのように胸を2対の腕で太鼓のように鳴らす。求婚のつもりなのだろうか。シリカは、やっぱり可愛い私を巡る争いは種すらも超越するんですね、と半ば現実逃避のように自惚れる。

 実際問題として、シリカには打つ手がない。足は再生中。HPはピナのヒーリング能力でほぼ満タンまで回復済みであるが、右腕はミンチ状態で使えず、左手の指はまともに動かない。元より諜報・補助に特化したスキル・ステータス構成のシリカは真っ向勝負など論外だ。もはやこれまでである。

 

「……とでも思いましたか!?」

 

 アルヴヘイムに来るにあたって、シリカは何も準備していなかったわけではない。ブーツの踵を叩けば、鋭い刃が底から這い出し、湿ったそれはまるでローラースケートのように地面を裂きながら滑る。

 マユ謹製、変形短剣≪ランナーブレード≫。普段は≪格闘装具≫と≪短剣≫の変形武器であるが、ステータスボーナスは過度に≪短剣≫に傾いたシリカ専用。足で短剣を『振るう』という、何だかんだでマユもHENTAI勢の1人だと思い知らされる傑作だ。

 最大の特徴は『滑る』ことだ。ローラースケートと同じで、切断攻撃をしながら地面を滑る。難度は高く、戦闘においては専用の訓練で熟練しなければならない。だが、足を負傷した状態でもランナーブレードなら高機動を可能とする。

 無論、運動量を生み出すのは脚部だ。脹脛より通じる痛みにシリカは叫びそうになるが、謎のレギオンから距離を取るだけの機動力を獲得する。

 

『レギオン、ツヨイ! ニンゲン、ヨワイ! レギオン、ナレ!』

 

「悪いですけど、レギオン・ゴリラと結婚する程に美的感覚は狂っていませんし、私には心を決めた人がいるんです!」

 

 湿った刃は加速を増していき、レギオンとの距離を広げていく。どうやら瞬発力はあっても継続した速度は引き出せないタイプのようである。シリカはピナを肩にのせたまま、小アメンドーズ達によって蹂躙されている都市を駆け抜ける。

 次々と小アメンドーズはシリカ目がけてレーザーを放つも、可憐に舞い、壁を滑り、瓦礫をジャンプ台にして赤い月が輝く夜空をシリカは跳ぶ。避けきれないレーザーはピナのバリアが防いでくれる。

 だが、シリカの遥か背後でレギオンは身を屈め、その全身の筋肉を先程よりも更に隆起させ、『弾けた』。

 シリカの分析通り、このレギオンには継続した速度はない。あくまで瞬発力のみだ。だが、問題はその瞬間スピードがどの程度の域まで到達しているのか、見極めるにはあまりにも情報量が少なかった。

 青い血のような夜を跳ぶシリカに、弾丸の如く跳んだレギオンが並列する。その大口を歪めたレギオンに、シリカは体を回転させて蹴りを穿つ。ブーツ底の刃はレギオンの腹部を裂くも、鎧のような表皮からは僅かに赤黒い血が飛び散るのみ。

 着地して、左手で制動をかけ、開脚しながらブレーキをかけたシリカは息荒く、悠然と自分の眼前に立つレギオンを睨む。

 当然と言えば当然だが、ランナーブレードでは≪短剣≫のソードスキルは発動できない。そもそも足を使用したソードスキルが≪短剣≫にはないのだ。故にマユが推奨するのは、いずれ≪格闘≫を獲得し、蹴り技のソードスキルによるブーストを乗せるというものだ。それはシリカも全面的に賛成する基準の武装である。

 

(決定的な火力不足。ここは松脂で火力増強を……いえ、ランナーブレードには結晶ヤスリが仕込んであるし、それで何とか一撃を入れれば……!)

 

 だが、先程の回転蹴りのダメージは視認できない。ランナーブレードはどうしても≪短剣≫ジャンルなので低火力というのもあるが、それ以上に防御力とHP総量が異常なのだ。

 

『レギオン・ミョルニル・パルヴァライザー! ミョルニル、ナマエ! ハハ、イッタ、ナマエ!』

 

 ミョルニルとは北欧神話に登場する神の武具。その強大な破壊力を示す名前としては相応しいだろう。だが、パワーファイターならばシリカにも戦いようがある。指が動かぬ左手で短剣を抜いてシリカは悪足掻きを試みる。この短剣は【蜜蜂の短剣】。≪暗器≫ではないが、攻撃自体にレベル1の麻痺蓄積能力がある。あのレギオンは攻撃を受けても攻め続けられるタイプであり、回避に重点を置いていない。シリカの一撃を貧弱だと侮ってくれれば、麻痺状態にして逃走できるチャンスが得られる。

 レギオン・ミョルニルが動く。跳躍し、シリカを捕らえるべく2つの左手を広げる……と見せかけての右手の1つが振り上げられている。

 左手はブラフ! ランナーブレードで加速を得て、シリカは左手の捕縛攻撃と右手の一撃を躱し、レギオン・ミョルニルの脇を抜ける。

 だが、決死の回避ルートの先には当然のように、レギオンの証である触手が待ち構えていた。ピナのブレスが1本目の触手を攻撃して弾くも、2本目までブレスは継続できず、シリカの細い体はあっさりと縛り付けられる。

 

「あぁああああああ!」

 

 全身の骨が砕けるような絞めつけに、シリカは脳髄を蝕む痛みに悲鳴をあげる。アバターを制御する脳は痛みで混乱し、全身は脱力し、彼女の体はぐったりと垂れ下がった。

 意識が失われなかったのは、ギリギリで舌を噛み、別の痛みで繋ぎ止めたからだ。HPは絞めつけが僅かに弱まるまでの間に7割も欠損している。元よりVITが低いのもあるが、レギオン・ミョルニルのSTRが異常過ぎるのだ。

 

『コロス、ダメ! アブナイ! オマエ、ハハウエ、ショウカイ! レギオン、ナル! ダイジョウブ! カタチ、アマリ、カエナイ! カワイイ、ダイスキ!』

 

「だから……私の心には『あの人』以外の……席は……ないんです! 女の子に、無理矢理結婚を迫るとか……誠意の欠片もないですね!」

 

 潰れていない左目でピナは無事に触手から逃れているのを確認し、シリカは思案する。この大蛇のような触手は縛られた状態……ましてや両腕が複雑骨折したような状態ではとてもではないが解除できない。ピナのブレスも一撃では剥がせないだろう。

 万事休す。シリカはこうした『万が一』に備えた自決用の大火力プラズマ手榴弾を使うタイミングを逸したと恥じた時だった。

 

 

 

 

 

「悪いが、触手プレイは二次元エロだけでお腹いっぱいだぜ」

 

 

 

 

 空間を歪めるような青い光の斬撃の檻。それがレギオン・ミョルニルを囲い込み、シリカを捕縛する触手は細切れにされて彼女は落下する。全身から血が吹き出し、咆哮をあげて闘志と殺意を溢れさせながら、乱入者を頭部の5つの目玉に加えて閉ざされていた3つの目玉も解放して睨む。

 落下するシリカが地面に叩きつけられるよりも前に、逞しい腕が籠となって彼女を受け止める。

 

「穿て、≪剛覇剣≫」

 

 シリカを左腕で抱えながら、その男は右手に持つ大剣を振るう。その刀身は赤い光のオーラを纏っており、レギオン・ミョルニルの腹を深く裂いて押し飛ばす。

 

「最高にカッコイイ益荒男、俺様……参上!」

 

 カッコイイポーズのつもりなのか、顎髭を右手で撫でながら、バンダナで押し上げられた髪を左手で撫でつけるのは赤髭の男。その容姿にはもちろんシリカは見覚えがある。

 どうして? そんな問いかけは無用だ。ワンモアタイムで起きたチェーングレイヴとの戦い。そこでボスと名乗る者からのメッセージ。それだけで、既にシリカにもUNKNOWNにも、この男が密やかにDBOで活動している事は分かっていた。だが、どれだけ接触を試みても、大ギルドですらもその正体を漠然としか掴めないチェーングレイヴのボスに、ラストサンクチュアリの力ではどうしてもたどり着けなかっただけだ。

 

「そんな真似をしている場合か!」

 

 対して、シリカをキャッチし、レギオン・ミョルニルに一撃を浴びせたユージーンは鋭く喝を入れる。

 

「おいおい、ユージーンの旦那。こんな時こそだろう? このバケモノ相手にガチで殺り合うなんてジョークみたいなもんだ」

 

 直ぐに居合の構えを取った赤髭の顔は厳しい。それもそのはずだ。2人の攻撃を浴びてもなお、レギオン・ミョルニルのHPは1割も減っていない。僅かに削れてるように『思える』程度しかHPバーに変動が無いのだ。

 特大剣級の重量両手剣を片手振りとはいえ、ユニークスキル≪剛覇剣≫を受けて、また赤髭の青い光の斬撃を複数浴びてもなお、この耐久! シリカは背筋を凍らせる。

 

「あー、ヤダヤダ。ユージーンの旦那、あんなガチムチのレギオン見たことあるか?」

 

「初見だ。耐久とパワーに特化したタイプだろう。だが、触手の防御力はそうでも――」

 

 ユージーンが言い切るより先に、切断されたレギオンの触手は再生してしまう。これには赤髭も苦笑し、ユージーンも呆れたように鼻を鳴らす。

 

「気を付けて、ください。奴は、射撃攻撃を、無効化する、バリアがあります」

 

 息絶え絶えにシリカは持てるだけの情報を与えながら、ユージーンにそっと瓦礫を背にする形で地面に下ろしてもらう。足の骨も砕けてしまっている。これでは単独での逃走は不可能だ。

 

「そいつは心配無用だ。俺の≪無限居合≫は近接攻撃扱いだし、ユージーンの旦那の呪術はガス欠で使えねぇからな。怪我人見たら所構わずに温もりの火を使いやがって。存外甘い男なのかねぇ。なぁ、旦那?」

 

「そう言う貴様も回復アイテムは在庫切れだろう? 手当たり次第に分け与えて、今後をどう生き残る気だった?」

 

「先行投資だよ、先行投資。ユージーンの旦那は無意識だろうが、こういう火事場での『慈善活動』は後々に活きるもんだ」

 

「それは生き残れたらの話だろう?」

 

「おいおい、自信無ぇのか?」

 

「馬鹿を言うな。貴様が生き残れるかどうか分からんだけだ」

 

 2人の剣士に敗北の予想はない。だが、小アメンドーズ達が押し寄せ、レギオンが暴れ回る中で、レギオン・ミョルニルとご丁寧に戦うだけの時間的余裕もない。

 対して、レギオン・ミョルニルは乱入者達に怒りを示すように両腕を振り上げて地面を叩く。するとその全身を黒い体毛が覆い始め、青い雷撃が迸る。

 

(ミョルニルとは『雷神』トールの武器。そういう事ですか……!)

 

 全身に青い雷撃を纏うレギオン・ミョルニルに対して、2人の剣士は左右に分かれて挟み撃ちを狙うも、ピナが何かを察知したように鳴き、それが生死を分かつように2人に回避行動を始動させる。

 刹那のタイミングで2人がいた場所に、頭上よりレーザーブレードのような橙色の光が振り抜かれる。ユージーンはシリカを守るように両手剣を構え、舞い降りた新たなレギオンに赤髭は舌打ちする。

 それはゴム質の4本の触手を翼のように靡かせ、優雅に舞い降りる、シリカも見たことが無いレギオンだった。頭部はシュヴァリエなどの他のレギオンと同じで眼球や口といった器官は見て取れず、レギオン・ミョルニルよりもシュヴァリエに近い、リザードマンのような印象を受ける。両腕は異形の四本指であり、毒々しい紫カラーリングの爪を備えている。

 

『ミョルニル、どういうつもりだ?「力」の解放は母上に「その時」ではないと固く禁じられていたはず』

 

『レ、レヴァーティン! ダッテ、ヨメ、ウバワレタ! ソイツラ、ツヨイ、ニンゲン! コロス! コロスコロスコロス!』

 

『嫁? ああ、あの小娘か。しかし嫁か。貴様の思考はまるで分からんな。我らレギオンの繁殖に婚姻など不要だろうに。だが、これもレギオンの種の進化と繁栄をもたらすロジックか? ふむ、興味深い。母上に一考の余地ありと進言するのも、我らの役目か』

 

 ブツブツと呟く新たなレギオン……ミョルニルが呼ぶ通りならば、レギオン・レヴァーティンは、レギオン・ミョルニルに比べれば理性的に思える。だが、明らかにミョルニルが狼狽えて対応しているのを見れば、何よりもシリカの意識を食い荒らすような内から生じる恐怖……生存本能がどうしようもなく求める生の諦観と死への逃避を想えば、このレギオンの方が遥かに強大かつ強力な存在だと分かる。

 

『好きにしろ。だが、母上からのノルマを忘れるな』

 

『ノルマ?』

 

『……30人以上「生きたまま捕まえろ」と再三に命じられただろう。もう良い。貴様の分の30人など、こうなると見越して捕らえてある。まずは分断するぞ。貴様はそちらの大剣使いの相手をしろ。私は居合使いだ。コイツの剣は私の性分に合っている。より有益なコイツとの戦闘データが必要だ。「力」の使用に関しては、あとで私から母上に弁明しておく。だから貴様も励んでデータを集めろ』

 

『レヴァーティン、ヤサシイ! オレ、ガンバル! ミョルニル、ツヨイ、ナマエ! ハハウエ、ミテテ! コイツ、ツブス! ヨメ、カワイイ!』

 

 言うや否や、レギオン・レヴァーティンは異形の手に結晶を生じさせ、歪な「カタナ」を生み出す。二刀流の構えを取ったレギオン・レヴァーティンに、赤髭は応じるように居合の構えを取るもすぐに大きく後ろに跳び退く。密やかに地面に突き刺され、地下を潜行していた2本の触手が足下より突き出したのは回避のコンマ1秒後だった。

 続く二刀流の剣技は、その異形の怪物の外観に不釣り合いなほどに流麗。赤髭はそれを居合斬りで弾いた後に、凄まじい剣速のそれに応えるように両手で黒く変色した刀身を振るって火花を散らす。だが、レギオン・シュヴァリエは触手をしならせ、鞭の如く振るいながら、先端の槍の穂先のような突起よりレーザーブレードを展開し、四方八方から赤髭を刻もうとする。それを危ういながらも躱した赤髭だが、続くクロス斬りの突進をカタナでガードするしかなく、ユージーン達から引き離される。

 

「旦那! そっちは頼んだぜ!」

 

「貴様こそレギオン程度に後れを取るなよ!」

 

 レギオン・レヴァーティンと剣戟を演じながら、赤髭は廃坑都市の炎の揺らぎに消える。そして、時を同じくして、世界を震わす程の咆哮を轟かせたレギオン・ミョルニルはユージーンに2対の腕で振りかかった。

 見ているしかできない。シリカは歯を食いしばりながら、巨腕を振るうレギオン・ミョルニルの攻撃を潜り抜け、大剣で腹を薙ぎ、肩を裂き、腕を断たんとするユージーンの奮闘を眼に焼きつける。

 いずれはラストサンクチュアリを壊滅させるために派遣されるかもしれないクラウドアースの専属傭兵。それが今は自分の命を繋ぐ為に戦っている。何故? そう疑問に思うなど無駄だ。これだけ壊滅の限りを尽くし、虐殺によって命が炎の中で貪られる地において、他者を見殺してでも自分だけは生き抜こうとする賢者と面識など関係なく助けられる者を助けようとする愚者がいる。それだけだ。

 確かにレギオン・ミョルニルは強い。そのパワーは、VITが高い近接ファイターのユージーンでも一撃浴びれば窮地に追いやられるだろう。だが、彼は≪剛覇剣≫によるガード無効化能力を使い、ミョルニルに咄嗟の防御すらも許さず、腕と触手を次々と薙ぎ払って攻め込み続ける。

 押し込まれているのはミョルニルの方だ。レヴァーティンのお陰か、先程の雷光は収めている。ユージーンは魔力こそ尽きているが、そもそも彼にとって呪術は補佐に過ぎない。

 だが、レギオン・ミョルニルは禍々しく笑い続ける。ユージーンの大剣をどれだけ浴びてもHPはほとんど減らないからだ。驚異的な耐久力、あるいは弱点以外にはまともなダメージが入らないのか。

 それだけではない。レギオン特有の学習能力は遺憾なく発揮され、徐々にであるが、ユージーンの剣に対応し始めている。

 

「フン」

 

 だが、自分の剣に応じるように拳を振るい始めたレギオン・ミョルニルに、咄嗟に左手をフリーにして、呪術の火が盛る拳を握る。強烈な左ストレートがレギオン・ミョルニルの腹に突き刺さり、その身を僅かに押し飛ばしたかと思えば、即座に両手持ちに切り替えて踏み込みからの地面を抉る勢いの斬り上げを繰り出す。

 本来ならば股から頭部まで両断できるだろう大ダメージ確定のクリーンヒット。だが、レギオン・ミョルニルは血飛沫を上げるのみであり、そのHPはようやく1パーセント減るのに届くか否かに到達するかに思える程度だ。

 

「なるほど。過度な物理防御力か。斬・突・打のいずれにも高い防御力を持つと見た。これでは≪剛覇剣≫で強化しても焼け石に水か」

 

「冷静に分析している場合ですか! 私の嫁入りの危機なんですから、気張って倒してください!」

 

「焦るな。時間はないが、だからこそ冷静さを失えば勝てるものも勝てん。さて、『どれ』が正解なのやら」

 

 距離を取ったユージーンが取り出したのは闇松脂だ。≪剛覇剣≫を解除し、闇属性をエンチャントさせる。

 なるほど。≪剛覇剣≫自体がエンチャント系スキルなので、使用中は他のエンチャントが出来ない訳ですか。ちゃっかりと分析するシリカは、ユージーンの大剣に黒ずんだ紫のオーラが纏われるのを見つめる。

 

「全ての属性の松脂は準備してある。貴様の弱点属性を割り出してやろう」

 

 豪語するユージーンとレギオン・ミョルニルが再度ぶつかり合う。そして、そんな彼らに横入りするように、狼を模した兜を被る剣士が乱入するのは、もう少し先の事だった。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 メイスを振り下ろし、執拗に頭部を破砕してレギオンの息の根を止めたレコンは、これで8体目と数える間に、小アメンドーズ12体を纏めて相手取るメノウに圧倒される。

 叩き潰す事をメインにした大剣は、彼女の……深淵狩りたちの独特の剣技によって狼の爪牙の如く変じ、小アメンドーズを翻弄する。連射性のレーザーを次々と躱し、炎で炙られた建物の壁を蹴ったかと思えば、宙からの叩きつけ斬り。そこから1歩踏み込んでからの回転斬りからの更に前進しながらも2連回転斬り。その絶技はどうしてソードスキルに登録されていないのかと悔しくなる程だ。

 メノウは副団長のポジションなのだろうが、廃坑都市についてから語り合った深淵狩りによれば、随一の剣士であるガジルに比べれば、1歩どころか10歩も劣るらしい。だが、彼は単身で戦う事を良しとせず、欠月の剣盟の結成当初からの方針である狼の狩り……集団戦法を是としている。その超人的な剣技は体得すれば個々の実力を破格に引き上げるも、深淵の魔物はあまりに強大であり、自分達は無双の剣士……深淵狩りの始祖や古い深淵狩りには及ばないからという現実路線だからだそうだ。

 だが、それは彼らが深淵という絶望的な戦力を相手取るからであり、他者からすれば、彼らの剣技も戦い方も超人の域にある。それはDBOで生き抜いてきたレコンすらもそう感じるものだ。

 余りにも命知らずの剣技。メノウはケットシー特有の耳を数度跳ねさせたかと思えば、姿勢を低くして疾走し、カーブを描きながら薙ぎ払いを繰り出す。それらは小アメンドーズ達を纏めて斬り裂く。剣技はそれで終わらず、そこから先程の踏み込み2連回転斬りをしたかと思えば跳躍し、小アメンドーズが放った苦し紛れのレーザーを軽々と躱し、なおかつ宙で側転して遠心力を蓄えた大剣を叩きつける。

 これこそが狼の剣技。始祖より受け継がれた深淵狩りの剣技は、時代を経て、世代を重ねる度に変質した。レコンには分からないが、彼らの剣技は是とする集団戦法には不似合いな、やはり個の実力を頼りとする孤独な剣に思えた。

 半ば圧殺された最後の小アメンドーズの血飛沫を浴び、メノウは息荒く天を仰ぐ。

 

「月が……月がぁあああああああああ! あは、アハはハはははは!」

 

「メノウさん! しっかりしてください! メノウさん!」

 

 壊れたように笑うメノウに駆け寄り、レコンはその肩を揺さぶる。目は赤く光り、正気を失っているように思えたメノウは我を取り戻したかのように膝の力が抜けかけ、すぐに頭を振って立て直す。

 

「大丈夫。『まだ』……大丈夫! それよりも生存者は?」

 

「この辺りにはもういないみたいです。外縁はほぼ全滅。生き残りは地下に逃げてるらしいです。何でも地下は廃坑の巨大迷宮になっているらしくて」

 

「それでは袋の鼠だ。地下にどれだけ備蓄があるのか知らないが、これまでオベイロンが攻め込んでこなかったならば、地下廃坑は外部に繋がっていない。あるいは、繋がってるにしても一般兵がそれを認識しているものではないだろう。暁の翅はそういう組織だ。肥大化し過ぎた。上層部はオベイロンを倒した後の捕らぬ狸の皮算用に嬉々とする。自分たちの保身だけはしっかり残す。そういう連中だ」

 

 唾棄するメノウに『でも、組織ってそういうものでしょう?』などレコンには言えなかった。上層部が保身に走る理由の1つは、リーダーがいなければ組織が瓦解するという一面を持つからだ。常にトップが入れ替わるような組織は安泰せず、方針に対して団結も出来ない。たとえ生き汚くとも、上層部には上層部の役割があるのだ。そして、保身の意味が『組織の維持』という役割から『生きたい』という我欲に切り替わった時、その組織は腐敗を加速させるのだろう。

 暁の翅の全貌を知る前に、廃坑都市の壊滅に遭遇したレコンには何も言えなかった。だが、深淵狩りたちからすれば、自分たちの知恵と技術を奪い取った盗人だ。その挙句がこれである。やり切れるはずがない。

 

「レコン君……頼みがあるの。私が正気を保っている内に聞いてほしい」

 

「遺言みたいなこと言わないでください! ほら、生存者を探さないと! ここにもすぐに敵が――」

 

「我ら深淵狩りは聖剣の導きを受けた者たち。では、聖剣とは何だと思う? 古い深淵狩り達の中には聖剣と巡り合った者もいる。でも、真の意味で聖剣を手に出来た者はいない。始祖すらも聖剣を……月光の聖剣を得ることは出来なかった。あるいは資格があったのに捨てた」

 

 現実世界にも聖剣・魔剣の伝説は数多い。有名どころで言えばエクスカリバーのように、その物語には人を惹きつける魔力がある。それは剣こそ武の象徴であり、権威の証明だからだろうか。

 

「どうか探して。月光の聖剣を探して。月光は欲する者ではなく、資格ある者に問いかける。これは古い深淵狩りから続く言い伝え。私たち欠月の剣盟は、たとえ欠けていようとも聖剣に出会った。月光の光を映さぬ月影であるとしても、その輪郭には確かに月光があった。ならば、満ちた月の聖剣も必ず、資格ある者に……」

 

 聖剣探索。それは深淵狩り達にとっての夢物語なのだろう。レコンは、どうしてメノウが自分にそれを話すのか漠然と理解する。

 彼らは欲しかったのだ。聖剣が欲しかったのだ。自分たちは聖剣に『選ばれた』深淵狩りだと誇りたかったのだ。

 

「あっちから声がするわ。生存者みたいね。行きましょう。もう1度あの炎の鉄球が降ってきたら、今度こそ廃坑都市は終わり。それまでに救出を済ませないと」

 

 落ち着いた様子のメノウであるが、その脛はレギオンに食い千切られて、背中にも胸にもレーザーで焼き焦げた痛々しい痕がある。レコンが奇跡と止血包帯で回復させたと言っても、ダメージフィードバッグは今も彼女を貫いているはずだ。だが、その歩みに淀みはない。

 彼らの強さを支えるのは、狂気的とも思える深淵への憎しみであり、聖剣への憧れなのだろう。あるいは、彼らが死ぬ間際に残した言葉……『遺志』こそが彼らを戦いへと駆り立てるのか。

 そこはアメンドーズのレーザーで一際凄惨に爆破された場所のようだった。とてもではないが生存者など見受けられない場所に、レコンは信じられない物を発見する。

 それは黒く分厚い片手剣。UNKNOWNを象徴する武器の1つであるドラゴンクラウンだ。あの竜の神より得たとされるユニークのドラゴンウェポン。その真骨頂は未だ解放された試しなど無いが、片手剣とは思えぬ重量と火力はまさにドラゴンウェポンでも神格である。

 そんな伝説の剣は地面に突き刺さって放置されている。しかも柄を握りしめる右手とともに。肘から先しかないが、今も痛々しく残る右腕にレコンは背筋を凍らせた。

 シノンとの情報交換により、アルヴヘイムに【聖域の英雄】が来ている事は知っていた。深淵狩り達が得た情報の【二刀流のスプリガン】こそUNKNOWNその人だったのだ。彼と協力できれば、しかも太陽の狩猟団でも腕利きの傭兵であるシノンも組めば、アルヴヘイムは攻略できたも同然と浮かれていたのは昼間のレコンであるが、現実は非情だと嘲うように黒の剣はこうして墓標のように突き刺さっている。

 そっとレコンはドラゴンクラウンに触れようとするが、すぐにシステムウインドウが表示されて弾かれる。まだ所有権がプレイヤーにある証拠だ。たとえファンブル状態にあるとしても、武器枠に登録されている限りは、手放した状態でも所有権が保持される。所有権が放棄されるには、プレイヤーがアイテムストレージから排除するか、譲渡モードにするか、放置したまま一定時間を経過させる必要がある。あるいはプレイヤー自身が死亡すれば、当然ながら所有権は消失する。

 つまり、レコンが触れても入手できなかったという事は、UNKNOWNは生存しているのだ。だが、こうして武器が残り続けているという事は、再装備できる状態ではないのかもしれない。

 

「レコン君、こっちに来て!」

 

 と、そこでメノウに呼ばれて慌ててレコンは駆けよれば、半壊の壁にもたれる形で、割れたモノクルをかけた男が息絶え絶えながらも、意識を微かに保ってこちらを見返す。

 奇跡の中回復でレコンは、黄色アイコンのモノクル男を癒す。緑のカラーリングまで回復した男は、だがダメージフィードバッグは抜けず、また傷も再生していない。あくまで回復できるのはHPだけであり、傷の治りが鈍いアルヴヘイムでは長時間に亘ってダメージフィードバッグが傷口と共に苛め続ける。

 だが、一命は取り止めた。≪魔法感性≫と≪信心≫でスキル枠を2つ潰したのは無駄ではなかったとレコンは実感する。たとえ本職のヒーラーには及ばずとも、自分の奇跡は無用の長物ではない。こうして誰かの命を繋ぎ止められる、確かな救い手の力なのだ。

 

「ハッ! 良い様ね、ロズウィック。暁の翅上層部のあなたが深淵狩りに助けられるなんてどんな気分?」

 

「あなた……確かメノウさん。存じています。欠月の剣盟……深淵狩りでもガジルさんに次ぐ実力の持ち主」

 

 どうやら関係は最悪のようであるが、メノウが自分を呼び寄せた以上は因縁を殺意に転じさせる為ではないだろう。メノウには口が悪くとも、少なからずの敬意がロズウィックにあるようだった。逆も然りで、ロズウィックには憧れにも近しい眼差しがある。

 

「彼はロズウィック。暁の翅でも最高の魔法使い『だった』男。頭もキレるし、あの性悪ババァの手足になっていたけど、こうして放置されているところを見ると、あっさりと使い捨てにされたようね?」

 

「……レイチェル様も、フェルナンデス様も、お亡くなりになった。ランスロットに殺されました」

 

「……ッ! そう、なの。これで暁の翅……いいえ、反オベイロン派は再起不能ね。性悪と強欲の糞みたいなツートップだったけど、人を率いる才覚は本物だった」

 

 どうやら奮闘の余地もなく、暁の翅は……反オベイロン派は幕閉じしていたらしい。レコンはたとえこの戦場を生き抜いても、帰還不可のアルヴヘイムから帰る手段が無い自分はどうやって生き延びれば良いのか、暗闇に放り出されたような無力の浮遊感を味わう。

 だが、すぐにレコンの脳裏に浮かんだのは、太陽のように輝いて自分を照らしてくれるリーファの笑顔だった。

 

(『帰る』? 違う! 僕はリーファちゃんを助けに来たんだ! アルヴヘイムで逃げ回る為にここにいるんじゃない! 考えるんだ! まずはこの戦場を生き残る事! 次にどうやってオベイロンを倒すのかを! リーファちゃんを助け出す方法を!)

 

 深呼吸1つを挟み、レコンは強い眼で壁にもたれるロズウィックの視線に合わせるように膝を折った。

 

「ロズウィックさん。あなたは暁の翅の上層部だったんですよね? だったら、廃坑都市以外の有力な拠点にも心当たりがあるはず。あなたも、このままやられっぱなしで諦める気はない。そうですよね?」

 

「無論。レイチェル様とフェルナンデス様を守れないばかりか、2度もランスロットに成す術なく敗れたまま死ぬなど、部下たちに顔向けできない。暁の翅は死んだが、反オベイロン派の火種はまだ残っている」

 

「分かりました。メノウさん、取って置きの脱出手段に人数制限はありますか?」

 

 突如として人が変わったように、冷静な言動で場のイニシアティブを握ったレコンに困惑した様子のメノウだったが、すぐに頬を引き締める。むしろレコンの変質を歓迎するように口元に笑みを描いた。

 

「発動者の私を除けば、最大で4人。それが限度ね」

 

 そう言ってメノウが見せたのは、不気味な虹色の光で縁取られた輝く結晶体だ。その虹の光は闇を縁取るものであり、彼ら深淵狩りにとって憎たらしい力の破片である事は、レコンも説明を受けずに感じ取れる。

 

「アメンドーズの掌にある結晶体。それを加工した転移結晶。アメンドーズは深淵の知恵の実であり、その手には闇を通して人を望んだ場所に転移させる力がある。尤も、大半のアメンドーズは力を攻撃に使うし、転移させてもらっても発狂する。これは我ら深淵狩りの奥の手の1つ。倒しきれぬ相手から仲間を守る為に敵を転移させて遠ざける苦肉の手段。発狂こそしないけど転移先は選べないし、もしかしたら海原に放り出されるかもしれない。まさに賭け。先代のリーダーは黒獣パールにこれを使ったわ」

 

 思っていた以上にギャンブルであるが、アルヴヘイムの全土……いや、海域も含めた全ての場所の何処かに転移できるならば、確実に廃坑都市から脱出できる。ただし、転移先が安全という保障も無いが、この廃坑都市以上に現時点で危険な場所もそうそうないだろう。

 そして、オベイロンには自分たちの居場所を正確に把握する能力はないとレコンは睨んでいる。あの幸せな幻の直後の不気味なレギオンの奇襲。これを結びつけるならば、あれはこちらの探知手段であると考えるべきだ。そして、レコンは今回の廃坑都市の襲撃の原因の1つは、深淵狩り達が情報を得られる=オベイロンの耳にも入っている確率が高い、【二刀流のスプリガン】と【ケットシーの希望】という2人の【来訪者】が廃坑都市に到着したという確信が得られたからではないだろうか?

 廃坑都市のセキュリティは甘い。素性が暴かれてきっていないレコンたちはともかく、早くも有名になった2人ならば、潜り込ませたスパイからの報告で行動を移すには十分だ。そして、今回の廃坑都市への襲撃は、ここまで暁の翅を放置した要因からも、オベイロンはかなりのリスクを背負った強引な手段の1つだろうとレコンは確信する。

 1度でも逃げ切れば再起の方法はある。深淵狩りたちは廃坑都市で散り散りとなり、ガジルの命令に従って『強き者』……オベイロンに太刀打ちできる者たちの脱出の為に尽力している。その『強き者』達の筆頭は【来訪者】のはず。

 

(僕は弱い。彼らに武勇は並べない。だから、僕がすべき事は戦力を結集させて反オベイロン派を再起に尽力する事! 因縁なんて関係ない。【来訪者】全員を纏め上げる為に、たとえ無理でも、全力を尽くす事!)

 

 その為にすべき事は決まっている。最大転移数はメノウ単独では4人が限界だ。だから、必要不可欠なロズウィック以外の反オベイロン派は『切り捨てる』。たとえ生存者を発見しても『ここで死ね』と告げる。

 震える拳は残酷な覚悟への抗いか。だが、レコンは呑み込む。リーファを助け出す。その為にアルヴヘイムに来たのだ。そもそも、ユージーンも、赤髭も、ユウキも、レコンに巻き込まれた側なのだ。全ての責任は自分にあるのだ。

 たとえ再会した時にリーファちゃんに人殺しと罵られても、僕は止まれない! レコンの双眸に冷徹な光が宿る。それは大ギルド達が組織繁栄と敵対勢力の消耗の為ならば、部下たちすらも時として捨て駒にする、惨忍とも言える策謀の眼だ。

 

「転移結晶か。そんな奥の手を隠していたとは……」

 

「先代はより良い時代の為にお前たちを信じて深淵狩りの技術と知識を教えた。でも、全てを渡したわけではない。我ら深淵狩りは多くの禁忌を持つ。それを安易な武力と妄信するような輩が触れてはならないもの。これもその1つよ」

 

「何でも構わない。今は窮地を脱する希望だ。そうだ……そうだ! あの瓦礫の下に私の希望が残っています! 頼む、生きていてください……!」

 

 まだ再生しきっていない足で無理に立ち上がろうとして派手に転倒し、それでも這ってロズウィックが目指すのは瓦礫の山だ。レコンはロズウィックに無理をしないようにと肩を撫で、メノウに目配りさせて瓦礫の下を捜索させる。

 さすがはケットシーと言うべきか。すぐに瓦礫の下から聞こえる微かな呼吸音を探り当てたのだろう。瓦礫を押しのけて、四肢がとてもではないが無事ではない、しかし生存している見知った人物を引っ張り出す。

 それは他でもない、昼間に遭遇して情報交換したシノンだ。全身血塗れであり、アイコンも赤色であるが、辛うじて生存している。レコンは惜しみなく中回復を発動させ、流血のスリップダメージを和らげる止血軟膏を見つかる限りの傷口に使用する。

 

「気を失っているだけ。アメンドーズの攻撃を受けたわね。直撃ではないでしょうけど、よく無事だったものよ」

 

 ぐったりしたシノンは、気を失いながらもダメージフィードバッグに苦しめられているように、その表情は辛そうに歪んでいる。レコンの奇跡にもアイテムにもそれを和らげる力はない。

 だが、これで3人。あと1人は助けられる。その枠は【来訪者】かそれに匹敵する実力者でなければならない。望ましいのはUNKNOWNだが、片腕かつドラゴンクラウンを再装備していない状態では厳しいだろう。

 レギオンに喰い荒されたのだろう、原型も残していない遺体からハルバートをを剥ぎ取り、レコンは折れた杖の代わりになるようにとロズウィックに渡す。ここはとりあえず小アメンドーズの影は少ないようだが、一刻も早く離れねばならない。シノンを背負う以上、メノウもこれまで通りには戦えない。

 

「でも、ランスロットがよく見逃してくれたものね。それとも、あなたのような小者は生きていてもどうでも良いって事かしら?」

 

「ランスロットは別の獲物を見つけただけです。私の相手などしている時間も惜しい程の猛者。私も少ししか戦いを見ていませんが……あれが同じ人とは到底思えない」

 

 どんな形であれ、他でもない助けてくれた恩人のはずだろうに。まるでロズウィックは、理解の範疇を超えたバケモノを見たかのように小刻みに震えていることに気づく。

 随分と不憫な人だ。もしかしたらガジルだろうか? 深淵狩り達でも最高位の強さを誇る彼ならば、ランスロットがどれ程に強くとも渡り合えそうな気もする。だが、UNKNOWNも十分にレコンが知る限りでも常軌を逸した実力者なのだ。それでも不足だったランスロットとまともに戦える人物にレコンには心当たりがない。

 

(ユージーンさんやユウキちゃんかな? でも、ランスロットってきっとアルヴヘイム攻略の鍵を握る3大ネームドだろうし、それを1人で戦ってるなら……もう『駄目』か)

 

 切り捨てる。ランスロットを引き受けた人物は戦力として口惜しいが、死亡している確率が高い以上は優先順位も低い。

 と、そこで崩落した建物と炎の壁の向こう側で、見知った光の乱舞をレコンは視認する。それは橙色の光の刃であり、空間を歪めながら発せられる青い光の刃だ。

 髭のナイスガイ! 生きていた! 喜びを隠さずに、だが同時に相手が最高に悪いとレコンは悪寒を感じ取る。トッププレイヤー3人がかりでも仕留めきれなかった異質のレギオンとの戦いだ。ここでメノウに飛び込まれても、戦況が有利になるとは思えない。

 だが、炎の壁を迂回して戦いを目にした時に、レコンは赤髭の『本物』を目撃する。

 

「おいおい、どうした? 反応が遅れてるぜ!」

 

 額から血を流し、肩を削がれ、腹から血を垂らしながらも、一切の躊躇いなく斬りかかる姿はまさしく鬼武者。結晶で生み出したカタナ2本を操る異形のレギオンは、その触手の数を大きく減らし、残すのは右肩に内蔵した隠し触手のみ。腹は半ばまで深く切断されて絶え間なく流血している。

 それだけではない。彼の周囲には横槍だっただろう、小アメンドーズやレギオンの遺体が海の如く転がっている。どれだけの数を屠ったのか、もはや数えるのも億劫になる。

 異形のレギオンが飛び退き、最後の触手でレーザーブレードを振るう。それを居合で発生させた、自分の前面に青い刃を集中させた『盾』によって防ぎ、それを欺く為の目暗ましにして赤髭は≪歩法≫の加速でレギオンの背後を取るべく回り込む。それに凄まじい、先読みとも言うべき反応を示すレギオンであるが、放られたのは瓦礫の小石のみ。それをご丁寧に二刀流で迎撃したレギオンに、宙をふわりと浮いていた赤髭は前転しながらの遠心力増幅の踵落としを叩き込む。

 

「オメェの異常な先読み、俺の知ってる戦闘馬鹿にスゲェ似てるんだよ。だが、何でもかんでも感知し過ぎだ。ブラフを混ぜてやれば鴨だぜ」

 

『……なるほど。データ収集されていたのは、私も同様という事か。これがSAOを生き抜いた者の真の強さ。貴様、あの時はどれ程に爪を隠していた?』

 

「白ける事聞くなよ。今だって『全力』は出してないぜ? 俺にカタナ『以外』を使わせてねぇ時点で察しろ」

 

 黒い刀身のカタナに銀色の光を取り戻させ、カタナの持つ鋭さを復帰させた赤髭は苦し紛れの触手の攻撃を斬り払う。ゴム質のそれは安易に切断できないはずだが、≪無限居合≫でダメージが溜まっていたのだろう。難なく切断されて転がって炎に呑まれる。

 サクヤから武闘派犯罪ギルド、チェーングレイヴについて聞かされた情報がある事をレコンは思い出す。チェーングレイヴは全員が暗器使いだ。

 確かに赤髭はこれまで1度として、あのガウェインとの戦いですらもカタナ『しか』使っていないのだ。ユウキは影縫を併用していたが、それに対して赤髭は強力な武器とはいえ、カタナのみで強敵と渡り合っていた。

 

『だが、≪無限居合≫も打ち止めだろう? 仕留めきれなかったな。私の今回の戦いの目的はデータ収集。戦術的敗北は甘んじて受け入れよう。貴様の戦闘データ……確かにもらい受けた』

 

 レギオンが高く跳躍したかと思えば、レギオン・シュヴァリエ2体が代わりに跳びかかり、赤髭の追撃を邪魔する。舌打ちして赤髭は2体のレギオン・シュヴァリエと斬り合うも、その間に異形のレギオンは遠のいていく。

 

「メノウさん!」

 

 レギオン・シュヴァリエにはレギオン召喚能力がある。確かに赤髭はレコンの想像以上の強さのようだが、それでも数の暴力には耐えきれない。特に対多人数戦において絶大な強さを持つ≪無限居合≫が本当に使用できない状態ならば、スタミナか魔力のいずれかが枯渇寸前と見るべきだ。

 リュックを漁り、レコンが取り出したのは、高額アイテムの1つである凍結剤拡散爆弾だ。それを野球のピッチャーのようなフォームを取り、レコンは全力投球する。それにレギオン・シュヴァリエは凄まじい、先読みとしか言いようがない反応で回避するも、レコンは元より直撃を狙っていない。凍結剤拡散爆弾はレギオン・シュヴァリエの『反対』にある炎に接触して炸裂する。

 レギオン・シュヴァリエ達が氷漬けになって動きが止まる……いや、完全に停止させることは出来ないのか、氷を剥ぎ取ろうと足掻く。だが、それを見逃す赤髭とメノウではない。

 

「コイツが本当の打ち止めだ」

 

 青い光の斬撃の乱舞によってレギオン・シュヴァリエたちが刻まれ、シノンを下ろしたメノウは狼の剣技でもって斬り払う。それでも生存するのはレギオン・シュヴァリエのさすがと言うべきところであるが、動けない状態ならば、触手すらも凍り付いているならば、レコンにも戦い様がある。

 それは≪戦槌≫の単発系ソードスキル【ベル・バックファイアー】。鐘が鳴るような轟音と共に弾けるのは、火災現場で起きる人命を奪う最悪の現象に似た、凄まじい光量のライトエフェクト。大きな跳躍からの渾身の振り下ろしというソードスキルは2体のレギオン・シュヴァリエを粉砕する。

 メイドさん、ありがとう! フィニッシュをもらった感動と興奮で思わずガッツポーズしそうになるが、今回のMVPは『こんな事もあろうかと』を見事にやってくれた、パーフェクトメイドの品揃えにあるとレコンは慢心を捨てる。

 

「へっ! 一皮剥けたな、レコン。生きて帰ったら最高の娼館で最高の女に童貞を捨てさせてやる!」

 

「ど、童貞!? 違いますよ!」

 

 そもそも僕はリーファちゃん一筋ですし! でも、男として娼館に強い興味があるのも事実! どうすれば!? 慌てるレコンの背中をバシバシと叩いて褒める赤髭であるが、その息は苦し気であり、立っているのもやっと様子だ。典型的なスタミナ切れの症状である。

 

「ちょいと疲れた。≪無限居合≫を乱発し過ぎたな」

 

 その場で腰を下ろして胡坐を掻く赤髭はスタミナ回復を待っている様子だ。だが、危険域を脱しても残量スタミナは3割程度だ。それではすぐに消耗しきってしまう。ましてや、3割も回復を待つ時間などない。

 

「メノウさん、発動をお願いします!」

 

「この人たちで本当に良いのね?」

 

「はい。他は……『捨てます』」

 

 問いかけるメノウに、レコンは自責を込めて告げる。だが、メノウは優しげに首を横に振るうと、転移結晶を取り出しながら、その目を赤く光らせ、正気の限界にある事を教えながら、レコンを『救う』ように微笑んだ。

 

「違うわ。あなたは『助けた』のよ。深淵狩りとして、あなたに敬意を表する。レコン君、あなたもまた戦士であると」

 

 祝福するようにレコンの額にキスをしたメノウは、何かの合図のように空へと小さな黒い球を投げる。それは赤い月光の中でも目立つ、緑色の煙を立ち上らせる。そして、お別れだと言わんばかりに転移結晶を掲げた。

 何が何だか分からないといった様子の赤髭に説明するのは後だ。転移結晶は1人ずつ、まずは赤髭、次にシノン、ロズウィック……そして最後にレコンを吸収しようとする。

 やり遂げたように、メノウはいよいよ正気を失い始めた事を示すように、膝を折り、体を震わせる。

 そして、レコンの意識は途切れた。闇の中を迷う寸前まで、レコンは魂に焼きつけるようにメノウを見つめ続けた。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 四方八方から瞬間移動と共に襲い来るランスロットを迎撃し続ける。刃と刃がぶつかり合う度に盛大な火花が散り、アビス・イーターの亀裂は拡大し、刃毀れは加速する。既に剣先は欠け、刃は鈍り、振るう度に粉雪のようにポリゴンの欠片が散る。

 大鎌モードは使用不可。攻撃力はダウンしているが、それでも使い続けるのは、深淵纏いによってスピードが増したランスロットの刃を、まだ見切れていない現状で贄姫で受け止めればそのまま押し切られて刀身が折れるのは明からだからだ。

 ランスロットの深淵纏いは深淵の魔物のように際限なく強化と変異をもたらすものではない。STRは上昇しているようだが、その真骨頂は倍化したのではないかと錯覚する程のDEX強化にある。

 あらゆる挙動が高速化したランスロットの動きはヤツメ様の導きを強引に振り解き、狩人の予測すらも置いてきぼりにする。加えて、ランスロットの多彩な剣技、黒炎と黒雷のコンビネーション、瞬間移動による間合いの変動と奇襲。いずれも破格だ。

 アルトリウスとて、これ程までの速度は無かった。彼の剣は一撃必殺。その武勇に恥じぬ多様性を秘めていたが、カウンターを差し込める余地があった。だが、ランスロットは深淵纏いで速度を大幅に底上げする事により、攻撃速度と回避速度を飛躍的に上昇させた。それだけではない。深淵纏いを発動してからは、瞬間移動の距離に応じたインターバルも短くなっている。

 この事から1つの推測が成り立つ。恐らくだが、ランスロットの瞬間移動は彼自身の身体能力に依存するのではないだろうか? たとえば、ランスロットの跳躍力を超えた高度までは瞬間移動できないし、最高速度以上のスピードで遠くの距離までは移動できない。これならばインターバルの説明もつく。

 だからこそ速度重視の深淵纏いと瞬間移動の組み合わせは凶悪極まりない。背後に回ったランスロットはオレの胴を両断すべく、両手を這わせた大剣を抜き放つ。それを寸前で前に転ぶようにして躱すも、振り抜きの速度をそのまま利用するように左手だけで大剣を持ったランスロットは腕を鞭のように振るって、刃で斬るのではなく、刀身で、鍔で、あるいは拳で叩くようにオレに振り下ろす。

 受け流せ! 剣筋が荒い猛打に近いからこそ、オレはアビス・イーターで攻撃を逸らすも、続くランスロットの右足蹴りが腹を打ち抜く。HPが1割近く減って吹き飛ばされ、炎の海を転がって焦がされる。焼け爛れた建物の外壁の熱は高熱を孕んだ痛みとなって脳を貫く。

 だが、ランスロットの猛攻は止まらない。大剣を両手で握ったかと思えば、黒雷を激しく迸らせ、巨大な雷刃を大剣に纏わせる。10倍近いリーチを獲得した闇濡れの大剣の一振りは、その剣速を一切衰えさせることなく、10倍の範囲を薙ぎ払う!

 黒雷版のソウルの大剣……いや、ソウルの特大剣!? 違う! それ以上のリーチがある! 雷刃は剣では防げない。炎の中で身を伏せて躱しきるも、瞬間移動したランスロットは左手に巨大な雷の槍を……いや、雷の槌を蓄えていた。

 

「始まりの火によって世界に差異が生まれた。岩の古竜を狩る竜狩りの戦士たち。雷は竜狩りの武器だった。だが、真に竜を狩るならば槍として投げるのではない。直接打ち込む槌こそが岩の鱗を砕くのだ」

 

 それはまさしく黒雷の槌。直撃は回避しても、そこから拡散する黒雷と衝撃波によって吹き飛ばされる。ランスロットが黒雷の槌を使用した場所には巨大なクレーターが生まれている。直撃すれば大火力の一撃……いや、多段ヒットは間違いないだろう。オレの総HPの3倍くらいは簡単に消し飛ぶかもしれない。

 

「偉大なる太陽と光の王グウィン。その雷は大槍として空に投じれば、古竜を貫く槍の雨を降らせた」

 

 巨大な黒雷の大槍。それをランスロットは赤い月が浮かぶ空に投じる。それは人の手など届かぬ遥か上空に到達すると拡散し、そして無数の黒雷の槍となって、オレを追尾するように降り注ぐ! その数は10や20ではない。数えるのも嫌になる程の、まさしく黒雷の槍の雨だ。

 ヤツメ様が駆ける。オレはその足跡を追い、黒雷の槍の雨を潜り抜ける! 単純に上から降り注ぐのではない。上空の広範囲からオレに目がけて、タイミングをご丁寧にズラしながら何十本と降り注ぐのだ。足を止めれば死ぬ。回避ルートを誤れば死ぬ。回避タイミングを誤れば死ぬ。

 

「これにも対応するか」

 

 無論、黒雷の槍の雨に気を取られてランスロットへの警戒を疎かにしても死ぬ! 瞬間移動で黒雷の雨の中で次々と斬りかかるランスロットは、黒雷の槍を1本つかむと投げ槍とばかりにオレに放る。それは他とは異なる豪速となり、狩人の血は首を僅かに傾けさせ、オレの頭部が破砕されながら貫かれることを間一髪で防ぐ!

 黒雷の槍の雨が直撃した地面には破壊の痕跡はない。あるのは『穴』だ。凶悪なまでの貫通特化。爆ぜることでなく、貫くことに特化させた黒雷の槍! 掠れば肉は容易く抉れるだろう。ガードも許さないか。

 

「魔女イザリスの炎は世界を焼いた。それは呪術の始まり」

 

 黒炎を左手に纏わせたかと思えば、拳を振り下ろしてランスロットは地震を起こすかのように轟音を響かせる。すると漆黒の騎士の周囲より続々と黒炎の火柱が立つ。それだけではなく、火柱全てが意志を持つかのように、炎の蛇となり、牙を向いてオレを襲撃する!

 炎の蛇は廃坑都市の貧弱な建物の残骸など意に介さないとばかりに暴れ回る。その中でランスロットは、黒炎の蛇を左手の指揮で操る。どうやら黒炎の蛇を発動している最中は移動できないらしい。黒炎の蛇を躱しながらオレはアビス・イーターを右手に、左手で贄姫を抜いて水銀居合を放とうとする。ともかく攻撃を仕掛けなければ勝ち目はない!

 

 

 

 駄目! 跳んで! 大きく後ろに! 弧を描くように跳んで!

 

 

 

 贄姫を抜刀する直前にヤツメ様の警告が響き、オレは右踵から爪先にかけて力をかけ、膝を脱力させ、三日月を描くように後ろへと大きくバック転する。その刹那に、突如として出現したランスロットの刃が、オレがいた空間を撫でた。

 黒炎の蛇の発動中に動けないのはブラフ! オレが仕掛けるのを待っていたわけか! それだけはない。黒炎の蛇自体が視界を派手に彩ってランスロットの注意を疎かにさせる為の芝居。奇術において観客の目を欺く為のトリックと同じだ。

 

「凄まじい見切り……いや、先読みか。闇の森に潜む獣とてこうまで鋭くはない。やはり貴様は危険だ。本能の業と呼ぶことすらもおぞましいその力……俺と同じ深淵の領域にあると見た」

 

「そちらこそ、深淵の力をこうまで操るとは。元深淵狩りとは思えませんね」

 

「深淵に挑む者は誰よりも深淵に染まる。深淵狩りの最期など、敗北の果てに深淵に骸を晒すか、深淵に穢れて堕ちて魔物になり果てるか。いずれかだ。故に深淵狩りの使命とは、堕ちた深淵狩りを討つことでもある。先代を、古きを、遺志を継ぐ為に狩る。それこそが深淵狩り最大の業」

 

「だから裏切ったのですか? そんな宿命に嫌気がさしたと?」

 

「心にもないことを訊くものではないぞ、白き深淵狩りよ。貴様の目を見れば分かる。俺への侮蔑など無い、真摯で、無垢な、穢れを知らぬような眼。ああ、思い出す。モルドレットも貴様に似ていた。無垢にアルトリウスの伝説を追い、アルトリウスの後継を名乗った最初の深淵狩り。我が友よ」

 

 昔を懐かしむように、ランスロットは右手の大剣に左手を這わせ、黒雷を再度エンチャントする。エンチャントの最大有効時間は60秒。だが、大剣から黒雷の攻撃を連用すれば時間は減少していく。

 黒雷エンチャント中は攻撃力が増幅する。完璧にガードを決めても押し切られ、刀身を砕かれかねない。既にアビス・イーターは限界寸前だ。

 瞬間移動で間合いを詰めてからの斬り上げ。それを紙一重で躱し、左手で連装銃を抜いてランスロットを撃つ。射撃の衝撃が、痛覚で代用している左腕を軋ませる。痛覚を呼び起こす、左腕を貫く結晶の太い針が脳をグチャグチャにするような痛みを生む。

 だが、痛覚を代償にした連装銃の射撃はランスロットに直撃する寸前で深淵纏いのオーラに阻まれて減速する。射撃攻撃に対する強力な減衰効果か! ミックスグリルかよ! 豊富な攻撃手段、加速強化、瞬間移動、それに加えて防御能力まで備えるか!

 汗が顔を、首を、全身を湿らせている。スタミナ切れでもないのに息が荒い。ランスロットの剣速に対して、瞬間移動に対して、数多の攻撃に対して、ヤツメ様の導きも狩人の予測も対抗できなくなってきている。

 それだけではない。先ほどから右手の指先まで痺れが広がっている。視界が薄っすらとだが二重三重四重にブレる現象が不定期に起こり始めている。ランスロットの戦いに脳が後遺症を疼かせ始めた。もう誤魔化せない程に、脳にも過大なストレスがかかっている。

 

「足が止まっているぞ」

 

 わざわざ指摘するのはオレの意識を削ぐための話術。だが、オレ自身とて分かっている。既に狩人の血すらも使っている状態でコレだ。ランスロットに与えたダメージは、大鎌の一撃のみ。それ以降は手傷すらも負わせられていない。

 黒メテオのチャージが先程よりも速く感じる。まずいな。本格的に限界が近い。黒メテオにグリムロックお手製の強化手榴弾をぶつけて相殺し、手榴弾の紅蓮と黒メテオの黒炎の爆発が混ざり合う。

 だが、爆炎を貫いてきたのはランスロット自身。瞬間移動ではなく、自身の速度で……今までよりも更に上を行く速度で踏み込んでくる!

 

「借りるぞ、ガウェイン!」

 

 最初の薙ぎ払いを回避するも、次いでのランスロットは右足で大きく踏み込みながらの神速の斬り上げを繰り出す! 黒雷を帯びた斬撃軌道は間違いなくオレの体を斜めに断つだろう。

 凄まじい剣圧と共に発せられる黒雷の爆風。それの直撃を受けなったのは、いつの間にか自然とオレはアビス・イーターを盾として割り込ませていたからだ。

 砕け散ったアビス・イーターの破片を茫然と見つめながら、全身を撫でる黒雷の痛みをされるがままに脳に届け、オレは自分が宙を舞い、背中から地面に叩きつけられ、何度も転がり、瓦礫の山に直撃してようやく止まる事で、自分の死期を悟る。

 半ばから砕けるに止まらず、際限なく亀裂を広げ続けるアビス・イーターは10秒と待たずに完全に消滅するだろう。

 この剣はデス・アリゲーターを素材にしてある。だから、この剣の死はギンジの遺品の消失。だが、心は痛まない。グリムロックの絶叫が聞こえるようで思わず苦笑したくなるが、ギンジの命はオレの糧となった。ならば、剣はギンジの力の本質にあらず。

 彼の命を無駄にしない。オレは戦い続ける。死ぬその瞬間まで諦めることなど許されない。無様な敗北など論外。狩人の血にかけて、ヤツメ様の神子として、多くの敵と仲間を喰らったバケモノとして、戦って戦って戦って……最後まで敵の喉に喰らいつく為に足掻かねばならない。

 右足、膝より先の反応が鈍い。左足、足首の回転速度に難あり。それらを予測に組み込み、ヤツメ様の導きをより高密度で、高精度で引き出す。

 HP残量4割。オートヒーリング発動中。ナグナの血清を使用するタイミング無し。戦闘続行、問題なし。

 

「おぉおおおおおおおおおおおおおお!」

 

 喉から漏れたのは、笑えるくらいの雄叫びだった。ランスロットに突撃し、砕け散っていくアビス・イーターを突き出す。それを瞬間移動で軽々と躱し、ランスロットはオレの背後の宙に出現する。その左手には黒メテオを収束させている。

 ギミック発動。槍モード! 砕け散っていくアビス・イーターを咄嗟に逆手に持ち替え、ギミック発動して刀身に残された槍モードにするための柄を伸ばす。脇から突き出しながら伸びたアビス・イーターはランスロットを強襲する!

 更に雷光ヤスリ発動! アビス・イーターに仕込まれた雷光ヤスリが、強力な青い雷のエンチャントを施す。ランスロットの双眸とも言うべき兜の覗き穴から漏れる黄金の光が大きく揺れる。明らかな動揺。ここに来て、壊れる寸前の武器によるギミック変形攻撃は完全に虚を突いたはずだ!

 ランスロットは黒炎を強引に握り潰し、黒盾を発動させる。闇の歪んだ盾と砕けていく槍モードのアビス・イーターが激突する。青い雷光は剥がれていく刀身の欠片と共に、まるで涙のように瞬く!

 

「貫けぇえええええええええええ!」

 

 この一撃が何かを変える! ランスロットに届けば、何かが見える! オレはその確信を抱く。決してランスロットは無敵ではない!

 闇盾を押し込んでいくアビス・イーターは、黒盾を貫通していく。やはりか! 黒盾の発動中は瞬間移動ができない! 

 

 

 

 だが、ランスロットに届く刹那の前に、アビス・イーターは完全に消滅する。

 

 

 

 握っていたアビス・イーターの柄が消失し、青い雷光と共に完全に砕け散った深淵喰らいの変形武器を、オレは淡々と見つめた。

 

「……ギンジ」

 

「あと1歩、貴様の踏み込みが先んじていれば、この俺が更なる手傷を負っていたというのか。だが、その1歩こそが絶対の差。剣士の差だ」

 

 ランスロットの大剣が迫る。オレの手は半ば勝手に鋸ナイフを握り、交差させて緊急の盾にして大きく後ろに跳ぶことで衝撃を殺し、またナイフを砕かれて裂かれるのを防ぐ。だが、上手く着地できずに膝をついてしまう。

 既に勝負は決した。そう告げるかのように、ランスロットはエンチャントが切れた闇濡れの大剣を肩で担ぐ。

 対個、対多、対獣、あらゆる戦術を極めたと言っても過言ではないランスロットの実力。ここからどう覆す? システムウインドウから武器を変更する暇はない。

 

「残るはそのカタナと奇怪な射撃武器だけか。抜け」

 

 そして、オレの思考を読むように、ランスロットが次にオレが武器を選択した時こそが最後だと言わんばかりに構える。瞬間移動で距離を詰めて来ないのは警戒してからか、それとも『敵』に対する敬意として、自らの足で踏み込んで命を断つ為か。

 選択肢などない。連装銃は通じないならば、贄姫だけだ。水銀長刀モード……そこからの水銀チェーンモードならばランスロットにも大ダメージが与えられる。

 たとえ贄姫が折れたとしても、鋸ナイフはまだ残っている。強化手榴弾も在庫がある。意表を突くならばウーラシールのレガリアもある。パラサイト・イヴがあれば何だって即席暗器として武器にできる。それでも足りないならば格闘が残されている。両腕が砕けたならば喰らい付けば良い。その喉に歯を立て、肉を食い千切れば良い。

 いや、全身甲冑だから、さすがに喰らい付くのは大変そうだな。だが、何とかなるだろう。鎧の騎士相手に必死に喰らい付こうとする駄犬を想像してしまって、思わず口元が歪んでしまう。

 

「……何故だ。どうしてこの状況で笑える?」

 

「はは……何ででしょうね?」

 

 膝をついたまま死ねるか。戦え。戦え戦え戦え! 久遠の狩人に無様な敗北は許されない! 震える体を起き上がらせ、両足の裏で地面を捉えた感覚でバランスを繋ぎ止め、体幹を再掌握し、意識を戦闘に束ね直す。

 

「オレには無いんです。戦っている時には、希望も絶望も無い。だから……オレは戦える」

 

 瞼を閉ざさずとも見えている。まだ見失っていない。赤紫の月光も、黄金の燐光も、まだ暗闇の中でオレを導いてくれている。

 

「……哀れな。希望も絶望も無いとは、戦いの果てに『未来』を見ていないのと同義。貴様の剣……ようやく見抜けた。途絶える事なき、闘争と殺戮で形作られた純真の剣。故に鋭く、危うく、虚しい。決して満たされない飢餓の獣の剣だ」

 

 やれやれ、どうして深淵狩りとはこうもオレのガラスのハートを抉ってくる言葉を的確に選ぶのだろうか。アルトリウスにしてもランスロットにしても、さすがは一流の剣士。手合わせすれば、あっさりとオレの痛いところを見抜いてくる。

 そうさ。オレはきっと戦いの中で『未来』なんか見えてない。だって、それはきっと『答え』に通じるものだから。『答え』があれば、オレにも望んだ『未来』が見えるのだろうか。戦いの中で、闘争と殺戮だけではなく、希望と絶望を確かに抱けるだろうか。

 構わないさ。オレはバケモノだ。あの日……サチを殺した聖夜に認めたさ。大事なのは心だ。この胸に『獣』か『人』か、どちらを宿すかだ。

 

「そう言うアナタの力は『過去』の凝縮だ」

 

「…………」

 

「友への敬意。騎士の誇り。深淵への愛情。まるで思い出を懐かしむような想起の剣技。アナタこそ『未来』なんて欠片も見ていない」

 

 闇濡れの大剣に黒雷をエンチャントさせたランスロットは、感情を昂らせるように深淵纏いのオーラを猛々しく揺らめかせる。図星か。

 オレは静の呼吸と共に居合を構え続ける。オレから仕掛ければ斬られる。故に狙うのはカウンターの居合のみ。水銀長刀モードを発動とさせる居合でリーチを伸ばし、ランスロットを斬る。その為にはヤツメ様の導きと狩人の予測を最大限に高める。

 

 

 

 

 

 

 

 

 だが、夜空を支配する赤い月が砕けた時、世界は『灼けた』。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それは致命的な精神負荷を受容した時に似た、情報の濁流。

 視界にある炎が、光が、何もかもが、脳を押し潰すような暴虐の圧力に変じる。

 呼吸ができない。喉が痙攣する。耳鳴りは刃となって意識を刻んだ。

 気づいた時には、オレの体はゆっくりと傾いていた。

 

「つまらん幕引きだったな」

 

 これは決闘ではない。致命的な隙を見逃す道理も無い。霞む視界と分解されていく意識の中で、ランスロットの声が、まるで耳元で囁くように、大剣が死の軌道を描く音と共に聞こえた。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

「主様、既に廃坑都市の外縁より5割が壊滅した模様。暁の翅も各所で集結して反抗を続けていますが、時間の問題かと。生存者は一様に地下に移動しているご様子。また、謎の剣士たちは各所で奇妙な行動を取っています。友軍と断じることはできませんが、オベイロン軍に対抗しているかなりの腕利きです」

 

 上空を旋回して情報収集するイリスからの報告を、ザクロはヘス・リザードに騎乗しながら吟味していた。

 一直線に騎獣管理棟に向かったザクロだが、既に壊滅的な被害を受け、あの忌々しいレプラコーンの管理人はミンチよりも酷い状態になっていた。思わずザクロもガッツポーズである。

 騎獣たちでも、騎馬などはほぼ全滅だったが、強力なモンスターの騎獣は下手なプレイヤーよりも手が付けられない。また、小アメンドーズにしてもレギオンにしても、狙いはあくまで人間なのだろう。騎獣管理棟の破壊の過半の原因はアメンドーズのレーザーだった。

 崩落した梁で身動きが取れなくなっていたヘス・リザードであるが、幸いにもそれが囲いとなって守りとなった。ザクロは無事なヘス・リザードの背に乗り、小アメンドーズ達もレギオン達も振り切り、廃坑都市の中央部を目指していた。

 システムウインドウで表示したのは、1つの反応。【渡り鳥】につけた蛹のサーチだ。大よその位置しか絞り込めないが、上空で目を光らせるイリスのサポートによって、素早い索敵と探知もあり、ザクロは限りなく被害を避けて最短ルートで【渡り鳥】との合流を目指していた。

 

「地下に逃げるのは愚策ですが、それ以外に選択肢が無いのも事実です。いかがなさいますか?」

 

「袋の鼠よりも死んだフリ作戦で適当な瓦礫の下に埋まって息を潜めている方が生存率高そうじゃない?」

 

「それはそれは名案ですね。ですが、オベイロンはどうやら廃坑都市の地上部を文字通りの更地にするつもりのようですよ? 爆撃が再開されました」

 

 ヘス・リザードによって機動力を確保したと言っても、包囲網を突破できる程ではない。火事場の馬鹿力……もとい、怯えている暇がないのだろう。ヘス・リザードは炎にもレギオンにも小アメンドーズにも臆することなく、半ば狂乱状態に近いまま全力疾走してくれている。

 イリスの言う通り、地下を目指すのは自ら棺に籠るようなものだ。だが、既に延命の手段はそれしか残されていないのも事実である。ザクロは必死になって思考を巡らし、この危機的状況を突破できる起死回生の手段を探る。

 だが、既に状況は詰将棋の終盤だ。王手までは時間の問題である。生き延びるには盤上の外に脱するしかない。

 

「地下に行くわよ。迷宮みたいに入り組んでるんでしょう? そこなら死んだフリ作戦も通じるかも」

 

「それに拘りますね。ですが、地上に残っても死地しかないのも事実。分の悪い賭けですが、今は生き延びる事が優先です!」

 

 飛翔高度を下げ、ザクロと並列して飛行するイリスは何処か嬉しそうだった。この絶望的な状況で、どうしてイリスが喜びを隠さない様子に、ザクロは眉を顰める。

 

「主様はやっぱり変わられましたね。以前でしたら、このような状況になったら、【渡り鳥】様など放っておいていたでしょうに」

 

「……今は『チーム』だから。それだけよ」

 

「ええ、『それだけ』ですよね。ですが、ザクロ様はそんな言葉遊びを大事にしていらっしゃいます」

 

「何それ? 死亡フラグを立てるのは止めてほしいんだけど?」

 

「ご存知ないのですか? 昨今はむしろ積極的に死亡フラグを立てる方が生存率を――」

 

 本当に口が減らない! 舌戦ではイリスに勝てないと分かっているザクロは口を噤む。

 イリスに指摘されずとも、自分の変化くらいザクロは分析済みだ。それは彼女にとっての苦悩と矛盾だった。

 ザクロが早期にイリスと【渡り鳥】に合流できた理由。それは彼らが月見に興じながらの会話を、こっそりと盗み聞きしていたからだ。さすがの【渡り鳥】も戦闘以外ではあの人外染みた、バケモノのような直感の鋭さも半減なのだろう。イリスとまったり話し込んでいるのもあり、察知されなかった。

 だが、そもそもザクロが彼らの居場所に足を運べたのは、イリスがわざとらしくザクロの傍をフラフラと飛んでから【渡り鳥】の元に向かったからだ。つまり、イリスには最初からあの会話を聞かせる意図があったのだ。

 

「私は……変わって良いの?」

 

 自分は悪党だ。人殺しを重ねた悪人だ。今だって殺しを厭わないし、感情も動かない。そんな人間が変わって良いはずがない。救われて良いはずがない。しかも、そう願った要は他でもない、あれ程までに執拗に追い詰めた復讐の対象だった【渡り鳥】なのだ。

 許されるはずがない。ザクロは唇を噛む。イリスの気遣いは素直に嬉しいが、今更になってどんな面をして、かつての願いを抱けば良い? 優しくなりたいなんて、もはや程遠い、理想とすらも呼べない、腐った骸に埋もれた幻想だ。

 だが、イリスは馬鹿も極まれりとばかりに、縦割の顎を鳴らして嘆息する。

 

「主様、変わるのにも、救われるのにも、資格など必要ありません」

 

 右手でヘス・リザードの手綱を握りながら、ザクロは鎖鎌を操って道を阻む小アメンドーズを押し飛ばす。倒しきる必要はない。道を開けさせればそれで良い。

 

「悪人は悪人らしく、身勝手に、ワガママに、思うままに生きてください。私はどんな主様でも好きです。悪巧みしている主様も、少女趣味の主様も、ポンコツの主様も、味覚がおかしい主様も、わざわざ≪変装≫して神灰教会の孤児支援募金に私財を突っ込んじゃった主様も、ゴスロリを着てポーズを決めた自撮りの挙句に羞恥で悶えて布団に包まっちゃう主様も……全部全部、私の大好きな主様なんです。だから……どうか資格とか小難しい事を考えずに、望むままに選んでください」

 

「ねぇ、馬鹿にしているの?」

 

「でも説得力がありましたでしょう? そもそも主様は私生活で人生をエンジョイしているんですから、もう今更なんですよ、今更。盛大にワガママになっちゃってください。その方が私も気楽なんです。あと、いい加減に八つ当たりされている【渡り鳥】様が不憫なので止めてください。あの人、本格的に過労死するレベルでの苦労人だと思いますので」

 

 まくし立てたイリスは複眼でウインクする。もはや反論も憎まれ口も叩けないザクロは押し黙る。そんな簡単な話ではないだろうと喉まで出そうになっても、胸に引っかかっていたものが、ずっと体を縛り付けていた鎖が解けていくような気がした。

 

「…………うん」

 

「言質取りましたからね?」

 

「好きなだけ取りなさいよ。私は人殺しの悪党。ワガママなのは当たり前。思えば当然の事だったわ」

 

「よろしい。その意気です! 間もなく【渡り鳥】様と合流です。PoH様はきっとこの混乱でお亡くなりになっているでしょう! 我らの春が来たのです!」

 

 イリスは本当にPoHが嫌いよね。ザクロは、こんな死が蔓延する戦場では相応しくないと分かっていながらも、望むままに笑みを零す。

 あれこれ考えてもしょうがないのだ。過去が何だ。罪が何だ。そんなもの悪党が鑑みてどうする? 唯我独尊こそ悪党の道だ。ワガママ上等だ。他人から非難轟々? そんなものは鼻で嗤って蹴飛ばしてしまえ。

 

「ちなみに、万が一に備えて確認を取りますが、主様的に【渡り鳥】様は『有り』ですか?」

 

「異性として?」

 

「異性として」

 

「無い」

 

「失礼ながらホッとしました。及ばずながら、従僕にして友人たる私が、必ずや主様の味覚と添い遂げられる花婿探しに尽力しましょう」

 

 戦場で恋バナとかどれだけ余裕なのよ。ザクロはヘス・リザードの首を撫で、加速を促し、いよいよ【渡り鳥】に接触できる頃合いだと踏んだ頃だった。

 天上の赤い月。レギオン化を促す獣狩りの夜の象徴。それが突如として砕け、元の銀色の月へと戻る。それと同時に、ザクロの全身……いや、感覚の全てが切り替わる。途端に頭痛が鋭く切り込んでくるも、それは一瞬の事であり、バランスを崩しそうなったザクロは持ち直す。

 

「今のは何?」

 

「分かりません。ですが、何か奇妙な感覚がします。まるで世界の密度が増したような――主様!」

 

 疑念を膨らませたザクロであるが、イリスの鋭い呼びかけに意識を切り替え、そして炎が揺らめく中で立つ漆黒の騎士を視認する。

 3本のHPバーを持つのは、<裏切りの騎士ランスロット>という名を冠するネームド。殺気を向けられていないのに、ザクロは自分が死ぬビジョンを思い浮かべ、呼吸が止まりそうになる。

 強い。強過ぎる。勝てるはずがない。そんな言葉が脳裏を埋め尽くすほどに、ランスロットから放たれる気迫は規格外だった。だが、ランスロットはこちらに気づく様子なく、その戦意と殺意を集中させるのは、彼女が見知った白の傭兵だ。

 その身には既に両手剣はない。視認できるHPは4割未満。周囲に彼以外の人影はなく、単身でランスロットと激戦を繰り広げたのは確定だろう。だが、居合の構えを取っていた【渡り鳥】は突如として体勢を崩し、ランスロットは疾走して大剣を振り上げる。

 

 

 死なせない! 身勝手だとしても、今の私たちは『チーム』だから! 私が死なせたくないから! ザクロはヘス・リザードの背から跳び、鎖鎌を振るう!

 

 

 忍者の真骨頂とは闇討ちにある。炎の揺らめく影より迫った鎖鎌に、【渡り鳥】に集中し過ぎていたランスロットは反応が遅れて全身を絡め取られ、大剣の刃が白の傭兵に食い込む寸前で停止する。

 

「邪魔入りか!」

 

 破損した鎖鎌では長く捕縛できないのは目に見えている。せいぜい10秒……いや、5秒……3秒、もっと短いかもしれない。だが、ザクロには十分過ぎた。破壊されるだろう鎖鎌を放棄し、【渡り鳥】を抱えると、乗り手を失いながらも走り続けたヘスリザードの背にそのまま跳び乗る。

 ランスロットと戦うなんて無謀の極みだ。このまま逃げの一手しかない。ザクロは爆撃によって炎が燃え上がる世界で、ぐったりとした、呼吸が浅い【渡り鳥】をヘス・リザードの背に布団を干すように乗せる。辛い体勢であるが、気遣っている余裕はない。

 

「【渡り鳥】様! しっかりしてください! どういう事ですか!? 目立った負傷はありません! なのにどうして!?」

 

「とにかくHPを回復させるわ! 取って置きの女神の祝福が――」

 

 こんな事ならばクイックストレージにセットしておくんだった! ザクロはシステムウインドウを開き、アイテムストレージを漁ろうとした時、その『異常』に気づく。

 システムウインドウの右上に常に表示される現在時刻。それは日本標準時間である。時刻は夜の11時38分22秒。だが、時間の進みが『遅い』のだ。

 

(時間が『遅れてる』? 違う! 仮想世界が……アルヴヘイムの時間の流れが『加速』している!?)

 

 ざっくりとした計算であるが、ザクロは1秒の経過に『5秒』を要していると判断する。即ち、アルヴヘイムは現在、本来の時間速度の5倍の加速状態にある。

 聞いたことがある。VRゲームを手掛ける父は、現在の主流のVRMMOについて、1つの問題を指摘していた。これはVRではなく、ゲーム自体の制約であるが、プレイ時間は現実時間より割り当てられる。つまり、よりゲームを遊ぶためには現実時間から捻出せねばならない。これを解決する手段として期待されているのが、加速技術と呼ばれる、仮想世界での体感速度を引き上げる技術らしい。

 情報通信量の高密度化、従来とは異なる情報の送受信、まだ実用化には『ハード』の面で多くの問題があるとされている。

 だが、後継者が開発したアミュスフィアⅢは従来のVR機器を大きく上回るスペックだ。しかも、フラクトライトに接続するソウルトランスレータシステムも秘密裏に搭載されている。言うなれば発売当時の現行機の数世代以上先を行くオーバーテクノロジーの塊だ。

 ここからザクロは瞬時に状況が【渡り鳥】にとって最悪な状態に変じた事を認識する。どういうロジックかは不明だが、恐らくはDBO全体ではなく、アルヴヘイムという独立した仮想世界自体の時間速度が5倍に引き上げられた。結果、情報量が5倍の密度に上昇した。ザクロはVR適性B+と高めの部類である。故に今も微かな頭痛こそするが、過大なストレスを受ける事なく変動に耐えられた。

 だが、【渡り鳥】は後継者とPoHによれば、VR適性は低い。FNC寸前だという。そんな人物が単純に、いきなり5倍に増加したアミュスフィアⅢからの通信量に脳が順応できるはずがない。いや、そもそも負荷によって脳に甚大なダメージが及ぼされかねない。

 

「……ザク、ロ、か。逃げ、ろ。ランスロットは……オレが……」

 

 最悪目を覚まさないかもしれない。そう血の気を引いていたザクロであるが、ゴキブリ並みにしぶといと言うべきか、あるいは戦いへの執念の凄まじさに慄くべきか、【渡り鳥】には意識がある。安堵しながらも、ザクロは背後で鎖鎌を千切って自由になったランスロットが瞬間移動しながら距離を詰めてくる姿に悲鳴を上げそうになる。

 あんなの反則ではないか! ザクロは呪術で足止めを考えるも、ふと、どうしてランスロットは鎖鎌による捕縛を瞬間移動で脱しなかったのだろうかと考える。

 あの瞬間移動には明確な制限がある! だが、あまりにも情報量が足りない。何よりも、このまま手を打たなければあっという間に追いつかれる。

 思い出せ。ゲームやアニメで幾らでも登場する機会はあったではないか。瞬間移動能力持ちの弱点。あらん限りの知識を並べ立て、ザクロは1つの策を思い立つ。

≪操虫術≫発動! ザクロが召喚するのは蚤だ。それは腹部にシャボン玉のようなものを持つサッカーボールほどの蚤である。攻撃力はほぼ無いこの蚤の能力は……壁。それ以上の効果はない。せいぜい破裂した時の音が鬱陶しい程度である。だが、相手の動きを阻害するには十分だ。

 それを召喚できる限りを尽くして全方位にばら撒く。この程度の障害物は本来ならばランスロットの瞬間移動ならば、難なく突破できるはずである。

 だが、ランスロットは瞬間移動を発動させず、浮遊する蚤を押しのけながら駆ける! たまに瞬間移動するにしても距離は先程には及ばない。

 やはりか! ザクロは狙い通り……もとい、博打だった予想が的中した事に安堵する。ランスロットの瞬間移動は、移動先にオブジェクトやアバター……恐らくは明確に『障害物』として認識されるものがある場所には発動できない。たとえば、壁がある場所にランスロットは瞬間移動することは出来ない。また、密閉された空間などの『入口』がない場所にも瞬間移動できないタイプなのだろう。つまり、直線だろうと曲線だろうと発動地点と移動地点が結ばれねばならない。

 

「サブカルで育った現代っ子を舐めないでもらえる!? 瞬間移動対策なんて考え得るだけで幾らでもあるのよ!」

 

 これで接近されることはない! ザクロはこのまま逃げ切るとヘス・リザードの速度を引き上げようとする。

 

 

 

「舐めてなどいない。相手の力量に応じて調整するのは当然だ」

 

 

 

 蚤の囲いの遥か向こう側。ヘス・リザードの進路にランスロットは出現する。

 ランスロットは追いつけなかったのではない。先回りすることなど容易かったのだ。ザクロの行動と力量を見極める為に、敢えて鈍い追跡者を演じていたに過ぎない。それに気づいた時は遅く、ランスロットは黒雷を帯びた大剣を蚤を斬り裂きながら振るった。

 咄嗟にザクロは【渡り鳥】を抱えて、半ば転落するようにヘス・リザードから跳び下りる。ランスロットの死の一閃は、ヘス・リザードを頭部から股にかけて両断し、その断末魔すらも許さずに死肉へと変えた。

 

「奇怪な術を使う。貴様も【来訪者】か。ならば生かす道理はない」

 

 悠然と闇濡れの大剣を振るうランスロットに、ザクロは【渡り鳥】の肩を担ぎながら、右逆手で短刀を構える。【渡り鳥】が勝てない相手に、ザクロがどう足掻いても単身で抗えるとは思えない。だが、無抵抗のまま殺されるなど論外だ。

 ザクロの闘志を感じ取ったのだろう。ランスロットは騎士の礼を取るように両手で握った大剣を正面で構える。

 

「主様、お逃げください!」

 

 だが、漆黒の騎士とザクロの間に、イリスが虹色の翅を煌かせて割り込む。誰もがグロテスクと感じるだろう外見だが、ランスロットは驚くこともなく、だが鬱陶しそうに、自分に果敢に翅で斬りかかるイリスを振り払おうとする。

 

「イリス!」

 

 それは決死の時間稼ぎ。≪操虫術≫のサポートで生み出されたモンスターであり、優れた知能を持つと言っても高い戦闘能力はなく、鱗粉によるサポートが限度のイリスでは、どう足掻いてもランスロットに勝ち目はない。

 止めて。そう叫びたい。だが、イリスの複眼は既に自らの死を受け入れた覚悟があった。ザクロは奥歯を噛む暇もなく、【渡り鳥】を連れて逃げようとする。

 

「邪魔だ」

 

 ランスロットはイリスの覚悟など取る足らないように、左手で生じさせた黒メテオを高速で自分の周囲を動き回るイリスに命中させる。黒い爆発は小規模とはいえ、イリスの翅を焼き焦がすには十分だった。

 だが、HPはまだ残っていたイリスは、2人に迫ろうとするランスロットを、文字通り体を張って、その漆黒の足甲に噛みついて足止めしようとする。

 

「私は主様の従僕にして、親友にして、家族! この命の限りを尽くそうとも――」

 

 叫ぶイリスの頭部を闇濡れの大剣が貫く。最後の言葉は刃に潰される。

 呆気ない。そう言いたくなるほどに、イリスのHPはゼロになり、その身から生気は失われる。イリスの時間稼ぎとは、ザクロがランスロットより距離を取るには余りにも短すぎる時間を得たに過ぎなかった。

 たった数歩分。それがイリスが命を燃やして作ってくれた時間。ザクロは頬から垂れる涙を拭うことなく、世界の残酷さを呪う。

 イリスは、たとえその身は怪物だとしても、誰よりも人間らしい善なる心を持つ、お節介焼きで、大切なパートナーだった。

 

「【渡り鳥】、ごめんなさい」

 

 これは明確な怒りだ。憎しみだ。殺意だ。ザクロは【渡り鳥】をその場に下ろすと、ランスロットにイリスが稼いでくれた数歩分だけ歩み寄る。

 どんな顔をすれば良いのだろう? 無残な死を浸した骸と化したイリスを視界に入れたザクロは瞼を閉ざす。

 

「彼女はイリスというのか。見事な忠義だった」

 

 黙れ。喋るな。ザクロは短刀を握りしめ、ランスロットに駆ける。

 まるで蛇を思わす柔軟かつ不規則な、相手の攪乱する動き。ランスロットは感心するように息を漏らす。そして、ザクロが放った縦横無尽、人体急所を狙う連続斬りを大剣で難なく弾く。

 防がれるのは承知! ザクロは大剣と短刀の激突で生じた火花に紛れ込むように、ランスロットの背後へと回り込む。まるで曲線を描くような跳躍。回転をかけて跳び、ひらりとランスロットの背後で待ったザクロはその兜と鎧の隙間、首の付け根を狙って短刀を振り下ろす!

 だが、ランスロットはこちらを見る事も無く、ザクロの腹に強烈な肘打を浴びせて吹き飛ばす。胃がひっくり返るのではないかと思う衝撃を堪え、何とか着地して体勢を整えたザクロに、ランスロットは瞬間移動を使うまでも無いと片手突進突きで迫る。それを短刀で受け流そうとするも、大剣の突きはザクロの右肩を抉っていく。なおも反撃しようとするザクロに、ランスロットは無駄な抵抗をするなとばかりに左拳を打ち込む。それは彼女の兜を破砕し、その身を背中から地面に叩きつけさせた。

 喘ぐザクロに、ランスロットはゆらりと大剣を振り上げる。冷たい銀色の月光を浴びた闇濡れの大剣に、ザクロは死を悟る。

 

「覚悟と闘志は認めよう。だが、白き深淵狩りや二刀流にも比べて、貴様の剣は脆い。想いだけでは勝てん。常に生き残るのは……勝利を掴むのは……強き者だ!」

 

 それはDBOで幾度となくプレイヤーを踏み躙ってきた真理だ。ザクロも何度も皮肉を込めて、殺してきたプレイヤーにそう吐き捨てた事がある。ならば、彼女はその真理に甘んじて命を差し出すべきだ。

 だが、イリスはきっと認めなかっただろう。そんな真実は横暴だと文句をつけただろう。だからこそ、彼女の時間稼ぎは決して無駄でなかったと言うように、ザクロに襲い掛かるランスロットの刃を複数の影が防ぐ。

 

「裏切りの騎士、討つべし」

 

 それは狼を模した兜を被った剣士たち。左手には連射式クロスボウを装備し、右手には肉厚の大剣を持つ。続々と登場する剣士たちは、いずれもその眼に狂暴性を秘めた赤い光を宿してランスロットを睨んでいる。

 そして、レギオンの頭部を左手でつかんだ、他の深淵狩りの剣士たちに比べて一際気迫がある剣士が、まるでランスロットに礼を取るように大剣の剣先を向けた。

 

「欠月の剣盟、団長のガジルだ。深淵狩りとして、深淵に与した裏切りの騎士ランスロット……貴様を討ち取る」

 

 ランスロットを囲む深淵狩りの剣士たちは一斉に襲い掛かる。その剣技はランスロットの剣技の面影を見る事が出来る。ガジルと名乗った深淵狩りの剣士は縦斬りからの踏み込みながらの2連回転斬り、そこから速度を乗せて宙で側転しながらの大剣の叩きつけ斬りを繰り出す。意外にもランスロットはその剣技を真っ向から受け止める。その間に他の深淵狩り達は仲間を斬りつける勢いでランスロットを包囲して斬りかかる!

 鬱陶しそうにランスロットは剣を振るい続けるも、深淵狩り達はまるで怯まず、ヒット&アウェイを繰り返す。仲間を串刺しにされれば、その骸に大剣を突き立ててランスロットを攻撃し、クロスボウを撃つ左手を黒メテオで爆砕されても怯まない。

 

「なるほど。強い」

 

 褒めるランスロットには余裕がある。それもそのはずだ。過半の深淵狩りの剣士たちの攻撃は通じない。辛うじて互角に渡り合えているように映るのは、リーダーだろうガジルという男だけだ。だが、それも仲間の決死の援護が無ければ、ランスロットに押し込まれるだろう危うさがある。

 しかし、深淵狩りの剣士たちは実力差など関係ないとばかりに斬りかかる。仲間の首が飛ぼうとも、下半身を失おうとも、両腕を斬り飛ばされようとも、ランスロットへと立ち向かっていく。

 瞬間移動で距離を取ったランスロットは黒メテオを放つ。それをガジルはクロスボウで誘爆させるも、瞬間移動したランスロットに脇腹を斬り裂かれる。血飛沫が舞い、苦悶の表情を浮かべるのは一瞬だ。

 

「死を恐れるな! 我らの遺志は必ず継がれる! 受け継がれる!」

 

「いいや、貴様らは終わりだ。今宵を以って、貴様らの遺志は途切れる。深淵狩りの終焉だ」

 

 ランスロットは虚しそうに、寂しそうに、彼らを讃えるように黒雷の大槍を左手に生み出しと天に投じ、そして雨の如く黒雷の槍を降らす。次々と深淵狩りの剣士たちは成す術なく貫かれ、回避しようとした者は瞬間移動で先回りしたランスロットによって斬り裂かれる。

 それは一方的な戦い。深淵狩りの剣士たちは何かを待っているように、自分たちを捨て石にしていく。

 

「手伝うわ。何かを待っているんでしょう?」

 

「感謝する。だが、無理をしてくれるなよ。アンタたちを生かす。それが俺達の使命だ。間もなく『持ってる』奴が来る。それまで持ち堪えろ」

 

 ランスロットに勝てるとは思わない。だが、このまま諦めて、深淵狩りの剣士たちの戦いに参加せずに人生を振り返るなど御免だ。深淵狩りの剣士の1人がザクロの申し出に簡素に応えながら、止まることなくランスロットに挑む。

 倒れたままの【渡り鳥】が立ち上がる様子はない。ランスロットには瞬間移動がある。動けない彼を狙われれば終わりだ。ならば、ランスロットに届かずともこの刃、囮くらいにはなるだろう。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

「ハァ……ハァ……ハァ……」

 

 左腕は完全に潰れている。右足首はあらぬ方向に曲がり、辛うじて歩行できるが、もはや高速戦闘は不可能だろう。右足を引きずりながら、今にも倒れそうな体を寄り添うアリーヤに支えられながら、ユウキは歯を食いしばって、生き残る為に……いや、クゥリを探す為に廃坑都市を彷徨っていた。

 突如として乱入したマザーレギオンの、文字通りの横槍によって吹き飛ばされたユウキは、黒い槍が直撃する寸前で闇のランスを発動させ、自分を弾かせる事で九死に一生を得た。そして、駆けつけたアリーヤに咥えられて小アメンドーズの包囲網を脱し、何とかHPの回復と治療を済ませたのである。

 いきなりの登場とはいえ、マザーレギオンにまるで太刀打ちできなかった。忌々しいが、あの漆黒の少女はクゥリに近しい力を持っている。しかし、それは決定的な敗因ではない。無論、PoHとの戦いでの負傷は大きなデメリットだったが、それ以上にユウキの精神は大きく揺らいでいた。

 PoHが突如として明かしたクゥリの味覚の問題。それは動揺を誘う嘘とも断じられるが、指摘された途端に疑わしいと思われる点が幾つも浮かんできたからだ。

 たとえば、以前ならば、それなりに食に対してだけは興味を持っていたはずなのに、ナグナの1件以来はほとんど自発的にまともな食事をする事は無くなった。以前は注意する程にサインズ本部周囲の出店でジャンクフードを貪っていたのに、買い食いすらもしなくなったのだ。

 ブレンドドリンクについても、昔ならばあれこれ批評してくれていたのだが、最近は『美味い』か『まぁまぁだな』くらいしか言わなくなっていた。何か言うにしても、グリムロックやヨルコに飲ませた後に、まるで彼らの感想をなぞるように同じことしか言わなかった。

 

(ボクは……ボクは……何も見えていなかったの? クーの事を……何も……見えて……)

 

 滑稽だ。あれこれメニューを考えて、喜んでもらおうと振る舞っていた料理は、いずれもクゥリにとっては拷問にも等しい『演技』の連続だったに違いない。

 気づくチャンスは幾らでもあった。きっと、誰よりも1番多かったはずだ。なのに、ユウキは盲目的だった。クゥリの微笑みの裏にある真実に気づけなかった。

 だが、PoHは見破った。きっとユウキよりも接する時間は短かったはずだ。だが、彼はクゥリの演技を見破り、真実に届いた。『理解力』の差を思い知らされ、ユウキは壊れたように嗤う。これでは、とてもではないが、PoHの宿敵など不釣り合いだ。

 会いたい。クーに会って、真実を確かめたい。ちゃんと向き合いたい。ユウキは締め付けられる胸の『痛み』を受け止めようとする。

 だが、意識の隅から、心の亀裂から、ゆっくりと『黒』が溢れだす。

 それは孤独な病室の暗闇。

 死んだ。

 みんな死んだ。

 大好きだった姉も、スリーピングナイツの皆も、死んだ。ユウキだけを残して、全員死んでしまった。世界を呪いながら死んだ。

 なのに、自分だけ生き残って、愛する喜びを知った。醜くも美しい世界で……大好きな人ができた。

 死が迫った黄昏の中で、ユウキは神様の間違いを見つけた。世界を変えるのはいつだって人の意思だと叫んだ。

【黒の剣士】を倒す事で、世界に自分たちが……スリーピングナイツの皆が生きた証を世界に刻み付けると誓った。

 心から溢れる病室の暗闇は人の形を成し、姉の姿を模す。双子の姉。いつだって守ってくれた優しい姉。なのに、今のユウキを見る目は冷たく、まるで汚物を見るような蔑みに溢れている。

 

 

『裏切者』

 

 

 

 姉は小さくなったユウキを見下ろす。逃げようとしても、そこにはスリーピングナイツの面々が暗闇に……死にどろりと濡れて睨んでいる。

 失望。軽蔑。憎悪。ユウキは呼吸の仕方を忘れて膝をつきそうになる。

 死ぬのは怖くない。いつだって死は隣にいた。それを認めることで強くなることができた。

 だが、病室の孤独な暗闇は決して消えない。自分『だけ』今も生きているという事実は心臓を貫く短剣となり、杭の如くユウキの魂を暗闇に縫い付ける。

 今も暗闇の病室から抜け出せられない。目覚める度に神様を呪った。

 

「違う。違う違う! 違うもん! ボクは裏切ってなんかない! 皆を……皆の為に……ボク達が生きた証の為に……!」

 

 たとえ死人が蘇るDBOでも、姉もスリーピングナイツも、亡霊たちが語り掛けるはずがない。

 ならば、それは繋ぎ目だらけだった心の決壊。

 暗闇の中で孤独だったからこそ、温もりを知ってしまえば戻れない。

 そして、溶けた氷は内側に隠したどす黒い真実を溢れさせる。

 

 

 怖かった。

 

 独りが怖かった。

 

 だから憎んだ。

 

 間違いだらけの神様を憎んだ。

 

 自分を置いて死んだ姉を憎んだ。

 

 死への恐怖と絶望を訴えて、呪いだけを残して死んだスリーピングナイツの皆を憎んだ。

 

 大切な人々の死と呪いに耐え切れない自分が、暗闇に怯えるしかない自分が、どうしようもないくらいに憎かった。

 

 

 強過ぎる愛情は同等の憎悪を生むならば、姉も仲間も深く愛していた証拠なのだろう。

 だが、それは理屈に過ぎず、1度でも彼らを憎んだ事実は死に勝る罪となる。

 故に贖罪を欲する。彼らの死と呪いを癒す為に。違う。死は怖くとも、あの暗闇に溺れるのが嫌だから。姉と仲間を憎んだという穢れを【黒の剣士】を倒したという功績で禊ぎ、世界に生きた証を刻み付け、その上で死ぬことによって姉と仲間たちの懐に戻れるのだ。

 

「……忘れない。ボクは、忘れない」

 

 片手剣は血に染まり、アリーヤの援護を受けながらも、歩き続けるユウキを支えるのは、たった1つの祈り。

 この身も心も壊れて構わない。

 彼の強さに惹かれて、その脆さを知って、殺意に愛おしさを覚えて、ユウキの生と死に纏わりついていた暗闇は消えた。幸福の全てがそこにあった。

 いつしか天上の月は銀色に戻り、都市を焼く炎が夜の闇を焦がす。虚ろな眼で、今にも倒れそうな足取りで、激しい火花が散る、レギオンとアメンドーズが群がる場所にユウキは辿り着く。

 ああ、見つけた。ユウキは無邪気に笑う。

 それは黒衣を翻す剣士。右腕を失い、左手に握る機械仕掛けの剣でレギオンの触手をいなし、小アメンドーズたちのレーザーを防ぎ、怪物たちの骸を積み重ねる。歩行するアメンドーズが多腕の内の2本を千切り、鈍器のように振り回す。その一撃には範囲攻撃となる虹に縁どられた暗闇が付随し、回避が遅れれば大ダメージを受けるだろう。

 だが、仮面の剣士は最後の小アメンドーズの首を刎ね、多腕の連撃を潜り抜けてアメンドーズの胸を貫く。度重なる攻撃で外皮に亀裂が入っていたその1点に刃は突き刺さったかと思えば、青い爆発を引き起こして内側から爆ぜさせる。機械仕掛けの片手剣は煙を吐き出してクールダウンする。

 残されていた最後のレギオンが、悪足掻きとばかりに、アメンドーズの屍の上で片膝をついて息が絶え絶えの仮面の剣士に喰らいつく。横腹を千切られ、声にならない悲鳴をあげ、仮面の剣士はレギオンの頭部に何度も何度も左手の剣を振り下ろす。血飛沫を浴びた姿で雫石を砕いてHPを回復させる。

 

「……アスナ……アスナ……俺が、必ず、助ける、から。どうして、俺を……俺を置いて……どうして、俺『が』生きてるんだよ」

 

 その動きは理性と思考の産物ではない。死にたくない。そんな浅ましい生存本能と繰り返された手順の疼き。剣士としての魂が敵を倒し、染みついた戦闘のいろはが回復を成す。だが、その声はあまりにも虚ろで……自己嫌悪の憎しみに溢れて……孤独だった。

 

「俺が死ぬべきだった。俺が……俺が……俺のせいで、ごめん。ごめんなさい。ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」

 

 まるで叱られた子どものように、仮面の剣士は繰り返す。ここにはいない誰かに……愛する者の幻影を見ているように……謝罪を繰り返す。

 

「シリカ……を……見つけ、ないと。シノンの援護に……ランスロットは、強過ぎ……る。俺が……俺じゃないと……俺でも……はは……ははは……ハハハハ! 俺に何ができるっていうんだ!? ハハハハハハ! 俺は『彼』じゃない! こんな弱い俺に……俺に何が……何が出来るっていうんだ!? ハハハハハハ! ハハハハ!」

 

 敵を探すように剣を振り回す仮面の剣士に、ユウキは唸るアリーヤを残して迫る。

 今なら殺せる。簡単に殺せる。そうすれば、神様は実感するだろう。自分の間違いに気づくだろう。

 

 殺せ。

 

 殺してしまえ。

 

 そうすれば『解放』される。姉からも、スリーピングナイツからも、この呪いからようやく解き放たれる。憎悪の贖罪は成されるのだ。

 

「ねぇ、ボクを見て。ボク『だけ』を見て」

 

 暗闇の病室に差し込む光は、凍える夜を忘れさせる温かな火。

 ユウキは振り回される仮面の剣士の刃を簡単に弾き、その胸を蹴りつけて押し倒す。冷気を迸らせる、グリムロックが鍛えた刃は、殺意と罪からの解放、そして求める愛情で爛れているかのようだ。

 

「恨みはないよ。でも、キミを殺さないとボクは前に進めない。クーに向き合えない。こんな穢れたボクじゃ……クーの祈りが汚れちゃうんだ」

 

 馬乗りになり、逆手に構えた片手剣の剣先を仮面の剣士の喉元に触れる。回復したとはいえ、アイコンは未だに黄色のままだ。喉を貫き、抉り込み、そのまま時間をかけて死においやれば、姉とスリーピングナイツの悲願は……いや、そんな大義など最初から存在していない。

 ようやくユウキの贖罪は終わるのだ。あの暗闇の中に渦巻く、姉と仲間たちの呪詛は終わるのだ。

 

「……アスナ……ごめん……ごめん……俺、弱くて……負けないって、決めたのに……いつも、情けなくて、『英雄』にもなれなくて……キミを守れなくて……ごめん」

 

 だが、剣を振り下ろそうとする腕を横から伸びた手が止める。横槍を睨んだユウキを静かに見つめるのは、大きな襟を立てたコートを着た、特大剣を背負う剣士だった。その風貌は歴戦の戦士そのものであり、全身にはレギオンやアメンドーズ、そして仲間たちの血で濡れている。

 

「邪魔……しないで!」

 

「無理な相談だ。少女よ、事情は知らないが、彼を殺させるわけにはかない。オベイロンを倒す為の力を、ここで失うわけにはいかない」

 

「力? はは……あははは! これが『力』!? 壊れた剣が何の役に立つっていうの!? 殺してあげるのが慈悲だよ! そうだよ! ボクが殺す! 殺さないといけないんだ! そうでしょ!? ねぇ、そうだよね!?」

 

 ねぇ、教えて。

 あの暗闇はどうやったら消えますか?

 大好きな姉ちゃんを憎んだボクは……スリーピングナイツの皆を呪ったボクは……どうやったら許されますか?

 

「……折れた剣は打ち直せば良い。たとえ鉄屑になろうとも、火に投じて、新たな鋼に生まれ変わらせれば良い」

 

「何だよ……それ。ボクは……ボクは……」

 

「では問おう。キミが彼を殺すのは復讐か? それとも使命か? こんな手負いの相手を嬲り殺しにすることか? 剣士としての誇りを犠牲にして得られる、殺し合いですらない、一方的な殺人がキミを救うのか?」

 

 冷静な問いかけに、ユウキは言葉を詰まらせる。

 シャルルの森で見逃したのは何故だ? 全力を出し合う決闘の末でなければ、スリーピングナイツの生の証明は成されないからだ。彼を殺したとしても、姉も、皆も、誰も許してくれない。あの暗闇は消えない。

 聖夜に誓い合ったのだ。どちらが先に倒すのか、約束したのだ。それは、こんな風に、無抵抗の相手の喉を斬り裂くことではない。

 泣きじゃくるユウキに男は首を横に振って、剣をそっと下ろさせる。そして、男は全身に傷を負い、赤いアイコンを点滅させ、今にも命尽きる寸前だろう深淵狩りの剣士を呼び寄せる。

 深淵狩りの剣士は、男を、仮面の剣士を、ユウキを、そして最後にアリーヤに何か思うところがあるように苦笑して、黒い球体を空に放った。それは橙色の煙を上げて夜空を染める。

 それは何かの合図なのだろう。ユウキは茫然と月を見上げ、そして息を呑む。

 彼女の赤紫の月のような瞳が映し込んだのは、銀月を縁取るような黒い何か。それを振るうのは白い炎。

 いかないといけない。

 きっと無理をしている。

 またボロボロになっている。

 止めないと。ボクが止めないといけない。

 フラフラと立ち上がろうとするユウキは、深淵狩りの剣士が掲げた結晶より滲み出る闇に捕らわれて引きずり込まれる。

 

「狼に看取られるとは、悪くない死に様だな。ガジル団長……使命を、果たしました。どうか、俺の……俺達の、遺志を……継いで、ください。深淵狩りの……遺志を……」

 

 だが、叫びすらも残らず、深淵狩りの剣士が生んだ闇は彼らを包み込んで、廃坑都市から消えた。

 

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 体が動かない。

 意識が焼け爛れている。

 左腕を貫く骨針が脈動しながら痛みを流し込み、脳髄は内側から焼け付いているかのようだ。

 何をしているのだろう? オレは何をしているのだろう?

 ぼんやりと見つめる先には、漆黒の騎士に群がる数多の剣士たちがいる。彼らの剣技には既視感を覚える。アルトリウスに似ている。でも、彼を目指した剣技だとしても別物だ。独自に発展した、彼らが戦い続けた証。剣技を継承する中で変質させたのだろう。だが、確かにそこには遺志を感じる。

 アルトリウスの遺志……いや、これまでの深淵狩り達の遺志か。それがあの剣技に集約されている。彼らが戦う原動力であり、死を恐れぬ約定であり、その強さを支える誓いだ。

 だが、漆黒の騎士は……ランスロットは強い。強過ぎた。深淵狩りの中でも、1人だけ特段に強い者がいるようだが、それでもランスロットには届かない。

 もう1人、深淵狩りに混じって戦うのは、結った黒髪を振り回し、獣のように叫びながら、呪術と短刀を駆使するザクロの姿だ。

 逃げれば良いものを。どうして彼女はあそこまで必死になって戦っているのだろう? それは忍者のやり方じゃないだろう。

 空を見つめれば、次々と爆撃を成す炎の塊が降ってきている。アメンドーズ達は姿を消していく。もう廃坑都市は終わりだ。地上は焼き払われるだろう。

 深淵狩りの1人が胴から両断されて転がる。それでも、死の間際まで戦うように這い、力尽きる。その背中を踏んで、別の深淵狩りが斬りかかるも、ランスロットの黒メテオの直撃を受けて全身を爆砕されて細かい肉片になる。

 血の雨の中で、オレは見知った肉塊を見つけた。

 それはグロテスクな……愛嬌の欠片も無い……深淵の魔物と言われたらあっさり納得できそうな外見をした、1匹の虫の亡骸。

 イリス。どうして彼女が死んでいる?

 思い出せ。虚ろな意識を掘り起こす。そうだ。ザクロを守ろうとしたのだ。

 ヘス・リザードの死体は炎で焼け焦げている。ランスロットから逃れる為に、彼女たちが何をしたのか……オレを助けようとしてくれた事を思い出す。

 どうしてだ。

 どうして、イリスが死なないといけなかった。

 彼女は善意を宿す尊い意思を持っていた。あんな外見からは想像できない程に、いかなる聖人にも劣らない善性を有していた。あれこそが誇りたい『人』の心ではないのか。

 

 

 弱い者は死に、強い者は生きる。それが命の定め。喰らう者は強い。喰われる者は弱い。それだけだ。

 

 

 狩人が嘲笑う。ああ、その通りだ。反論すらも出来ない絶対の理屈だ。それこそが命の螺旋の中で紡がれ続けた真理だ。

 深淵狩りもザクロも、その戦いは苛烈だが、明らかにランスロットを仕留めるのではなく、時間稼ぎに終始するような動きだ。彼らは何かを待っている。それが何なのかは分からないが、時間が必要なのだろう。ランスロットを足止めする時間が不可欠なのだ。

 致命的な精神負荷に似た何かがオレを壊していく音が聞こえる。

 それは滝の音に似ていた。吊るされた腐乱死体が呪うようにオレを睨んでいる。『彼』は誰だっただろう?

 マシロの後を追えば、大きな闇の穴にたどり着く。その正体を知っている。オレの脳と運動アルゴリズムの調和を切り離すトリガー。この穴に身を投じる度に、オレは灼かれる。『オレ』が壊れていく。

 そっか。教えてくれたんだね、マシロ。戦う方法を。新しい力を。喉を鳴らす彼女を抱き上げ、頬擦りすれば、その白い毛から獣の香りは鼻を擽った。

 火が揺れている。

 温かさもと冷たさを持つ火が揺れている。それはオレを灼き尽くす業火……その残り火。灼かれる度に、後遺症と共に……多くの喪失と共に、オレの中で燻ぶっていたもの。

 分かる。今ならば、この残り火を使えば、できるはずだ。致命的な精神負荷を受容し、立ち上がる力が得られる。戦える。スタミナを残した状態でも、あの力を引き出せる。

 イリスの仇を討とうなんて思わない。不思議なくらいに、手を下したはずのランスロットへの憎しみも無い。イリスは自らの意思に殉じた。ランスロットもそれに剣で応えた。それだけだ。そこに善悪はなく、闘争の残酷な結末しかない。

 なぁ、イリス。オレは……お前の事、嫌いじゃなかったよ。お節介焼きで、口うるさくて、嫉妬するくらいに『人』らしくて……お前が嬉しそうに飛び回る度に、面倒だとか、邪魔だとか、そんな感情以上に……『殺したい』って疼いていたんだ。

 無駄にはしない。たとえ、この手で奪わずとも、お前の命を喰らおう。その力を啜ろう。

 戦おう、ヤツメ様。オレならそれができるはずだ。この残り火を使えば……ランスロットと戦えるはずだ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 もう止めて。これ以上……これ以上戦わないで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 だが、血の海に立つヤツメ様は糸を張り巡らさない。導きを生まない。

 両手は拳を握り、溢れる涙を何度も何度も手の甲で拭っている。

 どうしてだ? この残り火はヤツメ様と深く繋がるものだ。そのはずなのに、どうしてヤツメ様は拒む?

 

 

 

 

 

 私はこんなの望んでいない! こんな『痛み』ばかり増える戦いなんて嫌! いい加減にして! 自分の『傷』を見て! 膿み、腐り、壊れている! あなたを殺す為に、私は力を貸しているんじゃない! あなたが『人』として戦っても、殺しても、飢えも渇きも満たされない! 我慢を重ねる度に、喉を掻き毟る度に『痛み』は大きくなるだけ!

 

 

 

 

 泣き叫んだヤツメ様に手を伸ばす。黄金の稲穂を握るヤツメ様は、それから逃れるように後ずさる。

 どうしてだよ。

 どうして、ヤツメ様が戦いと殺しを嫌がる? 闘争と殺戮こそ悦楽。それはオレ自身が誰よりも分かっている。

 

 

 

 

 

 生きて。あるがままに生きたいって望んで。私は『あなた』に死んでほしくない。このままでは灼き尽くされてしまう。どうか認めて。分かっているはず。きっと血が応えてくれる。あなたは『あなた』を灼き殺さないで済む!

 

 

 

 

 

 逃げるヤツメ様に手は届かない。

 だが、こうしている間にも深淵狩りの剣士たちは数を減らし、ザクロは追い込まれている。

 オレは身勝手で、ワガママで、自分本位で……だから、オレは誰も鑑みない。

 きっと、あの黄金の稲穂にヤツメ様の言葉の真意がある。だが、それを見出す時間なんて無い。

 

『戦え』

 

 誰かの声が聞こえる。

 

『戦え。戦え戦え』

 

 血の海から、次々と屍が這い出す。

 

『戦え。戦え戦え。戦え戦え戦え!』

 

 それは喰らった命たち。

 オレに殺された、見殺しにした、助けられなかった……数多の糧とした命たち。

 彼らの武具がオレの周囲に突き立てられる。オレは喰らった命たちの信念も、誇りも、善性も、何もかも犠牲にして、その『力』だけを貪った証明。

 彼らの命を無駄にはしない。してはならない。

 

「オレは狩り、奪い、喰らい、戦い、そして……殺す者」

 

 死ぬのは怖くない。死は循環だから。オレが死んでも、きっとそれは誰が生きた証だから。

 でも、今だけは死ねない。たとえ、ヤツメ様の願いに背くとしても、戦わねばならない。ランスロットに勝たねばならない。

 黒猫が血の海を駆ける。赤紫の月光の下で、黒猫は影を変じさせ、1人の少女の背中を眼に映させる。

 

 

 救って。どうか『あの人』の悲劇を止めて。

 

 

 手を組み、涙を流しながら、サチの祈りは……オレに託した、たった1つの願いが、血の海に波紋を起こす。

 そして、四方八方から刃が飛び、ヤツメ様を貫く。以前とは違い、確かな憎悪と憤怒でヤツメ様は叫ぶも、その胸に鋭利な刃が食い込み、臓物が引きずり出される。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そうだ。それで良い。お前に祈りも呪いも無い、安らかな眠りなど許されない。先祖たちの血が……赤子の赤子、ずっと先の赤子まで受け継がれた狩人の血こそが貴様を久遠の狩人とするのだ。戦え。狩りを全うする為に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 戦わないでとヤツメ様が叫ぶ。だが、ヤツメ様の心臓を抉り出した狩人の手より、血肉を啜った糸が張り巡らされる。狩人はヤツメ様を蹴り倒し、後頭部を踏み躙る。

 ヤツメ様の導きが蘇る。狩人の予測が再起動する。

 ごめん、ヤツメ様。オレは止まれないんだ。頭も良くないし、いつだって面倒事を引き受けて苦労してばかりだ。でも、1度だって後悔したことはない。

 グリムロックにも謝らないといけないな。アビス・イーターは試作らしいが、それでも自信を持って作った我が子同然だ。完全消滅とか聞いたら禿げるかもな。いや、仮想世界は禿を克服した! まぁ、今後の謎アップデートで生え際後退も実装されるかもしれないが。

 残り火を握りしめる。ヤツメ様が本能ならば、狩人は意思。狩人の血とはヤツメ様の血と結びつき、無意識の情報を意識下に掌握する事。不確定情報を予測に組み込み、自らで取捨選択する意思の力。故に狩人がヤツメ様の導きを引き摺り出す事もまた必定。

 何となくだけど、オレの事を想ってくれているのは分かる。後から幾らでも説教を受ける。だけど、今だけは譲れない。

 残り火を砕くように握り潰す。途端に、ただでさえ炎の中にいるような世界で、内側から更に燃え上がっていく。代償のように、世界はクリアに映り、四肢を完全に掌握し、呼吸と共に血塗れの糸から伝わる導きが繊細に世界を観測する。

 システムウインドウ展開。アビス・イーターの損失で空いた武器枠に新装備をセット。出現を確認。

 ランスロットがこちらを視認する。瞬間移動で間合いを詰めてからの、アルトリウスの剣技。縦回転斬り2回からの、騎士剣技による3連斬りからの刺突。

 ゆらり、ゆらりゆらり、木の葉が清流に漂うように、体を最小限に揺らして躱す。達人は舞い落ちる木の葉が地に落ちるまでに細断できるらしいが、意思を持って剣を嫌った木の葉をはたして捉えることができるだろうか?

 どうでも良い。オレはランスロットの最後の突きに合わせるように、ミラージュ・ランを発動させる。ソードスキルの負荷は呼吸の熱となり、脳を貫き、灼けていく。

 不思議だ。クリスマスの頃よりも、ハッキリと意識を残せる。繰り返す度に、オレは確かに『ここにいる』と認識できるようになった。

 加速の中で、オレは新たな武器を振り抜く。それはランスロットの腹を薙ぎ払い、衝撃が右手の感覚と左手の痛覚で伝達され、絶対なる一撃となってランスロットを捉えたと教えてくれる。

 深淵狩りの剣士の隣に到達し、深淵纏いのオーラを増幅させ、一撃をもらった事実を早くも消化してオレに敵意と殺意を向けるランスロットは……何処となく嬉しそうだった。

 

「……【渡り鳥】」

 

 オレの名前を呼ぶザクロに、少しだけ微笑む。悪いが、悠長にお話しする時間も、そもそもまともに喋れるかも分からない。だが、お前を生かす。たとえ死を振り撒くばかりのオレでも、この場だけは……絶対にお前を生かす。イリスの死は無駄ではなかったと証明する為に。

 ランスロットが瞬間移動で迫る。深淵狩りの剣士たちなど眼中にないとばかりにオレを狙う。咄嗟に、リーダー格らしき深淵狩りに目配りして、一瞬で互いの意図を交換し合う。深淵狩りたちは散開して炎と闇の中に紛れ、オレはランスロットと剣戟し、そして先程までは決して見えなかった、ランスロットの微かな揺らぎ……闇濡れの大剣の刃で隠された攻防の亀裂へと黒き異質の武器を振り抜く。

 偶然ではない。油断でもない。ランスロットは確かに再度攻撃を浴び、そのHPを減らす。

 

「それが貴様の本気か」

 

 答える義理はない。だが、示すべき名は分かっている。オレは右手に握る黒い得物を地に並べるように横で構えて見せつける。

 

「死神の槍バージョンⅢ」

 

 グリムロックが更なる改良と1つの素材を組み合わせた、死神の槍の次なる到達点。

 バージョンⅡの時点でランスだったならば、バージョンⅢはランスブレード。

 元々は小型ランスだったが、多少大型化され、両手剣に似たサイズに落ち着いた。ハンドガードまで備わる刀身は分厚く、刃があるべき場所は鈍い。打撃属性比率が高い、斬撃属性はオマケ程度の刃。だが、ランスとしての本質を失わない刺突特化の形状。≪両手剣≫・≪戦槌≫・≪戦斧≫・≪槍≫をステータスボーナスとする為、オレ以外ではボーナス配分が分散し過ぎて使い物にならないだろう。

 だが、そんなものは使用の障害ではない。問題はその難度。バージョンⅡの時点でじゃじゃ蛇だった、蛇槍モードの更なる強化、そして能力の増幅。その為に必要不可欠だった素材は言うまでもない。

 ギミックを発動させ、バージョンⅡの頃よりも分裂数は少ないが、より大きく刀身が分かれていく。隠された純粋な蜘蛛糸鋼製のワイヤーが繋がり、まるで本物の蛇のように死神の槍は蠢く。この状態では≪鞭≫も追加されるので攻撃力は減少するが、突きに限れば≪槍≫に大きく傾くので問題ない。

 だが、そんなものはバージョンⅢの真価ではない。ワイヤーから染み出すように、分裂した刀身と刀身の間を埋めるように、赤黒い泥が染み出す。そして、滴り落ちたそれはムンクの叫びのような苦悶の表情を浮かべて泡立つ。

 

 

 

 

 

 

「起きろ、アルフェリア」

 

 

 

 

 

 

 死神の槍バージョンⅢ【アルフェリア】。Nの魂とアルフェリアの苦痛を継いだ武器。振るえば豪速となって周囲を抉りながら駆けまわる。ランスロットは瞬間移動で躱し続ける中で、黒メテオを放つ。

 攻撃軌道は『見えて』いる。既に呼吸すらもまともに出来ず、左腕の痛みは増幅し、視界は色を失いかける。だが、灼く炎がそれらを正す。戦う為のコンディションを持ち直させる。

 天より降り注ぐ無数の黒雷の槍。無理に駆けて避ける必要はない。ステップを踏み、必要最小限の回避で済ませ、ランスロットの奇襲を背後に回した死神の槍で防ぎ、受け流し、そのまま斬りつける。打撃属性高めであるが、斬撃属性を保有する刃。これは戦槌のように『振り抜けない』ことを予防する為だ。その為の≪両手剣≫の付与と言っても過言ではない。

 距離を取ったランスロットは黒炎を凝縮させ、黒炎の蛇を生み出す。20を超える黒炎の蛇は動きを阻害する為のトラップだ。そこからの奇襲こそがランスロットの狙い。

 動きは読める。どう行動するかも分かる。迎撃方法はある。だが、否定する。ギミック解除し、蛇槍モードからランスブレードに戻し、腰を捻って片手突きの構えを取る。

 

「【陽炎】」

 

 ランスブレードが高熱の夏の光で歪むように赤黒い光が蠢き、それは黒い刀身を覆う。突きの動作と共に、まるで魔法のソウルの槍のように、赤黒い光のランスが射出され、黒炎の蛇を貫いてランスロットまで届く。

 ギリギリで瞬間移動を発動させたようだが、出現した時にはランスロットの右肩から血が零れる。完全な回避は間に合わなかったようだ。自身で潰した視界が仇になったな。

【磔刑】・【瀉血】に続く、アルフェリアのソウルによって獲得した新能力【陽炎】。高名な魔法使いでもあったアルフェリアのソウルは、新たな機能を死神の槍に付与した。【陽炎】はソウルの槍のように、だがより物質的な赤黒い光のランスを構築して放つ。速度は突きの速度に比例する。

 だが、これは【陽炎】の持つ2つの性質の1つに過ぎない。もう1つこそが本命。だからこそ、直撃できないと分かっていながら見せた。これでランスロットには【陽炎】の動作を誤認させることができる。

 意識が灼ける。まるで酸素が無い世界にいるかのように喉が痙攣し、呼吸が呼吸として成立せず、肺に取り込まれた空気が高熱で膨張しているかのようであり、心臓が圧縮されて潰れるかのように苦痛を生み出す。

 

「その力、貴様にもリスクが伴うようだな!」

 

 高く跳び、瞬間移動で空を舞ったランスロットを追う。ギミックを発動させ、鞭のようにしならせた死神の槍を振るってランスロットの剣を防ぎ続ける。大きな銀月を縁取るような死神の槍の軌道の中で、オレは手首のスナップで先端をランスロットの背後から襲撃させるも、またも瞬間移動で逃れられる。

 まるでソドムの火のようだ。爆撃が本格的に強化され、いよいよ廃坑都市の終わりが近づく。小アメンドーズもレギオンも関係無しに焼き払う爆撃の中に着地したオレは、ランスロットの剣に応じるべく、両手で構えたランスブレードを振るい続ける。

 激しい火柱の中で、オレとランスロットは互いの黒き武器を衝突させ、全力で押し込み合う。単純な力と力。STR出力は既に8割の世界。それでもランスロットにはパワー負けしている。

 押し飛ばされるも、すぐにその勢いを利用して体を回転させ、左手の突きでランスブレードを突き出す。黒雷をエンチャントさせたランスロットは巨大な雷撃の刃を振り下ろすも、それよりも先に手首をランスブレードの突きが穿つ。

 咄嗟に瞬間移動で躱したランスロットは黒雷を地面に走らせるも、オレは軽い跳躍と共に右手で贄姫を抜き、水銀の刃を合わせる。黒雷攻撃と交差するように、だが地と宙の差はぶつかり合うことなく、ランスロットの胸まで水銀居合は届く。

 右手に贄姫を、左手に死神の槍を構え、オレはようやくHPバーの1本目の終わりが見えたランスロットと正面から対峙する。

 

「無念だ。だが、2度目はない。次こそ討ち取ってくれる。俺以外に殺されるなよ、白き深淵狩り」

 

「それはこちらも同じ。次こそ久遠の狩人として狩りを全うする。アナタを狩るのはオレです、深淵の騎士」

 

 四方八方から射撃されたのは、ワイヤー付きのボルト。それはランスロットを包囲する。さすがは深淵狩りたちだ。オレ達の戦いが『狩場』に着くまで、ジッと炎に焼かれながら待っていてくれた。

 ランスロットの周囲にワイヤーが張り巡らされる。ザクロの言葉が蘇る。障害物がある限り、ランスロットは瞬間移動できない。恐らくはランスロットの体積が通るだけの障害物無き道が必要なのだろう。

 残り火が弱まっていく。イリス……時間稼ぎ、確かに成し遂げた。お前の死は……無駄じゃなかった。ザクロは、生き延びた。

 両膝から崩れる中で、深淵狩りの剣士たちがランスロットに斬りかかる。ワイヤーで瞬間移動が封じられたとはいえ、アルトリウスにも匹敵する剣士であるランスロットに彼らが単体では敵わない。故に狼の狩り。群れを成す剣士たちは、的確にランスロットの動きを阻害する。

 

「はぁ……はぁ……遅れました、ガジル、団長!」

 

 血塗れの深淵狩りの剣士がザクロに肩を支えられ、オレの傍にたどり着くと結晶を握りしめる。

 

「狼煙は確認済み! 他は転移完了です、団長!」

 

「今こそ勝負の時!」

 

「我ら深淵狩りの意地、裏切りの騎士に見せつけてやる!」

 

 次々と咆える深淵狩りたちに背中を押されるように、ガジルと呼ばれた男は最後だとばかりに彼とは違う、赤色の結晶を胸の内から引っ張り出す。

 

「消えてもらうぞ、ランスロット! これは深淵に穢れた我ら欠月の剣盟の地に通じるもの! 貴様を封じ込めてやる!」

 

 ああ、これが彼らの最期の策か。ランスロットを封印する為の自爆。そして、彼らの目に宿る赤い光はレギオンと同じ狂気を滲ませているならば、他者に害を及ぼす前に自分らも封じる、深淵狩りの誇りの全うなのだろう。

 だが、ランスロットは自傷を厭わずに、黒炎を左手で炸裂させ、ワイヤーを破壊すると瞬間移動する。深淵狩りの剣士の生んだ赤い光の転移は不発に終わり、周囲の残存した深淵狩りの剣士たちばかりを飲み込む。だが、割れた兜の口元で、ガジルという深淵狩りの剣士は笑った。

 突き刺さるのは1本のボルト。連射式クロスボウに残された最後の1本だったのだろう。それは瞬間移動したばかりのランスロットの脇腹に突き刺さる。

 あの転移説明の口上は、深淵狩りたちの闘志の爆発すらも、ランスロットに回避を強いる為の策。ワイヤーが千切れても、その包囲を抜ける瞬間移動のルートは限られる。故に出現場所を見抜いた、まさにランスロットの1つ上をいった攻撃。

 

「……フッ。これだけ費やして、たった一撃か」

 

「ああ。だが、確かに俺に届いた。貴様は……貴様らは、深淵狩りに相応しき戦士たちだった。前言を撤回する。貴様らの遺志は継がれるだろう。必ずな」

 

 敵であるランスロットの敬意に、ガジルは少しだけ嬉しそうに膝をついて赤い光に消える。そして、ランスロットはもはやオレを無理に追う気などなく、次なる戦場で待つというように深淵の闇に消える。

 ザクロとオレは死にかけの深淵狩りの剣士の結晶が生んだ暗闇に飲み込まれる。意識を途切れさせるような闇の中で、オレは灼けた精神が眠りを許さないように、不気味な波動の中で瞼を閉ざし、続いた冷えた空気に意識を研ぎ澄ます。

 致命的な精神負荷の受容を停止しても、まだ全身に火傷を負ったように、脳は圧迫されるように熱い。それを冷ますような、太腿まで浸す冷水さえもが精神を焦がす。

 気絶して浮かぶザクロを担ぎ、致命傷を負った深淵狩りの剣士に近寄る。岸辺に倒れ伏すような深淵狩りのカーソルは既に無い。息は絶えた。彼は全うしたのだ。深淵狩りとしての使命を。オレ達を死地から逃がすという役目を遂げたのだ。

 

「祈りも無く、呪いも無く、安らかに眠れ」

 

 深淵狩りの瞼を閉ざさせ、オレはザクロを担いだまま岸に上がる。どうやら海ではなく、四方を凍えるような雪山に覆われた地らしい。前進を貫くような冷たい水は、この地に沸く泉の類のようだ。だが、柵があるところを見るに、どうやら近隣の住民が適度に利用しているようだ。

 その証拠のように、人の営みを示す光の群れが見える。規模からして、せいぜい村レベルだろうが、争いの火はない。赤い月の影響がどの程度かは分からないが、アルヴヘイム全域に及んだならば、レギオン化は満遍なく発症されただろう。ならば、あの村は偶然にも危機を免れたのだろうか。あるいは火の手が上がっていないだけで、凄惨な殺し合いがあったのだろうか。

 なんでも良い。今はザクロを運んで休ませるのが優先だ。1歩踏み出そうとするも、右足の感覚がまるで自分のものじゃないようでバランスが崩れて転倒しそうになる。

 視界がぼやける。息が高熱を孕んでいるように、呼吸の度に喉も口内も爛れそうだ。だが、休んでる暇はない。ザクロをあの村まで運ばねばならない。イリスとの約束だ。オレ達は『チーム』なのだ。彼女を……安全なところまで、必ず、連れていく。

 ランスロットは裏切者でも騎士だ。言葉通り相応しい戦場で待っているだろう。ならば、より凄惨な戦火に身を投じれば、いずれは殺し合う機会は巡る。

 

「ああ、本当に……面倒だな」

 

 だが、必ずランスロットとの約束も果たそう。久遠の狩人に二言はない。必ず決着をつける。




これにてアルヴヘイムの『序』は終わります。
次回からチームシャッフルしてアルヴヘイム編『中』が始まりますが、その前に1回現実世界編を挟みたいと思います。



舞台は狩人の里。ヤツメ様の森が待つ、久藤家の故郷です。
季節は夏、ヤツメ様の祭りが開かれる時期。
リズは光輝の里帰りに付き合って、禁忌の地に同僚(花嫁候補)として踏み込みます。



それでは、256話でまた会いましょう。

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