SAO~デスゲーム/リスタート~   作:マグロ鉱脈

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前回のあらすじ

アメンドーズ、アメンドーズ、哀れな落とし子に慈悲を





Episode18-12 霧中の願い

 夏の日差しが縁遠い、冬の香りがする冷たい大地。疎らに映えた野草には霜のような白い粉状のものがこびり付き、枯れかけた花の蜜を啜るのは蜂ではなく、百足に似た多足の虫である。

 場所は最前線ステージ<北の守護者スロウの記憶>。このステージは上位ステージ程広大化する傾向があるDBOでも、過去最大級の面積・体積を誇るステージと目されている。拠点になり得る町や村の数は20を超え、主要都市は北国の厳しさを伝えるような質素さだ。

 出現するモンスターは亜人系と獣系なのであるが、このステージ最強の雑魚と目されているのは3種。まずは【飢えたガルム族の末裔】だ。理性無き暴虐の野獣の如く襲い掛かるガルム族の生き残りであり、古ぼけたガルム族特有の雷属性を保有する武具を振り回し、高スタン耐性・高怯み耐性でバーサーカーのように襲い掛かる。夜間以外に出現することはなく、特にソロ撃破時には得られる経験値にボーナスが付く事が明らかになってからは、力試しで挑むプレイヤーもそれなりにいるが、下手なネームド以上のラッシュ力があり、既に蛮勇2名の死者が出ている。

 次に【金脈熊】は昼夜問わずに出現する淡い金毛の大熊だ。特殊な攻撃もなく、ひたすらにパワーとスピードで襲ってくるのだが、出現する場所が雪山であり、DEXに大幅に制限がつく事も多い積雪地帯である為か、普段の調子で回避しようとしたプレイヤーが続々と痛い目に遭っている。また、総HP量の高さはネームド級であり、極めてタフであり、必然として長期戦にもつれ込む為か、集中力が切れた頃に手痛い一撃を浴びる事も多い危険な相手である。

 そして、最後は【白き大猪】という、まさしく名前通りの、まるで生きた重機のような突進モンスターである。伸びた牙はまさしくランスであり、体毛は針金のようであり、肉は刃を止める程に硬質である。ひたすらに暴れ回る上に、子分の小型猪を必ず8体以上連れるという特性上、1パーティでは数の面で不利な戦いを強いられる。しかもダメージを受ければ受ける程に火力とスピードを増していく為に、倒しきれずに撤退するケースが続発している。

 未だにメインダンジョンすらも発見できていない広大なステージだが、一方で鉱山からは新たな素材アイテムが続々と産出されており、従来ならば滅多に手に入らなかったレアリティの植物系アイテムが森を歩いているだけで得られたりするなど、高難度に相応しいメリットもあるステージだ。

 故に、このステージの利権を3大ギルドは牽制し合いながら確保に乗り出しているのだが、未だに競争は半ばに過ぎず、メインダンジョンの発見は現状のペースでは早くとも9月末、あるいは10月までもつれ込むのではないかと睨まれている。その為か、ある程度の実力ある中小ギルドは『来るべき時』に備えて胡麻擦りも兼ねてステージ内を散策し、レベリングと並行しながらメインダンジョンの探索を行っている。

 そして、本来ならば雪景色など日本ではまず望めないだろう真夏の頃、普段以上にスロウの記憶はプレイヤー人口を引き上げられていた。その理由は単純明快である。スロウの記憶にある、聖剣騎士団が確保する北獅子の要塞に、聖剣騎士団の精鋭を筆頭とした、多くの実力あるプレイヤーが集結していたからである。

 

「今日は招集に応じてくれてありがとう! 堅苦しい挨拶は抜きにしよう。俺達はこれから運命共同体……一致団結して難攻不落のアノール・ロンドの攻略を目指す。今回の合同合宿はそのままアノール・ロンド……もっとハッキリ言えば、ボスと目される【竜狩り】オーンスタインと【処刑者】スモウの危険度だと思ってくれ。普段は足並みを揃えられない俺達だけど、今回の相手はダンジョンも含めてバラバラでは勝ち目がない。相手は過去最高クラスの危険なボス達だ。悲しいけど、この中から必ず死者が出るだろう。無傷の……犠牲無しの勝利は望めない。だけど、減らすことはできる! 俺達なら勝てる! この2泊3日で、たとえ付け焼刃でもチームワークを築こう! それが必ず俺達自身を救う財産になるはずだ!」

 

 要塞内にある広々とした演習場。灰色の空の下に集結したプレイヤー達は、聖剣騎士団のリーダーであるディアベルの鼓舞を耳にする。普段の鎧姿に加えて、毛皮のマントを羽織ったディアベルの姿は、まるで若き北の賢将のようだ。聖剣騎士団の面々は不動の姿勢でディアベルの一字一句を聞き逃すまいと態度で語り、それ以外の傭兵やアノール・ロンド攻略部隊参加が認められた教会剣の面々もまた沈黙を貫く。

 壇上でディアベルは自分が率いるアノール・ロンド攻略部隊を見回し、小さく無言で頷く。その中で、視線を交わしたような気がしたラジードは思わず背筋を伸ばした。

 

「団長はご多忙の身だ。残念ながら、本日は正午まで、次の参加は最終日の【マグワス廃公道】のリポップ型ネームドを相手にした最終演習となる。その間の責任は聖剣騎士団副団長である私が預かる」

 

 マントを翻したディアべルに代わり、DBO最高齢プレイヤーと目されるアレスが剣呑なまでに鋭い眼で睨みを利かせる。それに震えあがった、過去に厳しい叱咤の覚えがあるプレイヤー達を視界に映しつつ、ラジードはごくりと生唾を飲んだ。

 聖剣騎士団から通達された、アノール・ロンド攻略部隊による合同合宿には、聖剣騎士団のメンバーはもちろん全員参加であるが、傭兵や教会剣の参加率も高い。

 本来ならば、聖剣騎士団が所有権を主張するアノール・ロンドの攻略は聖剣騎士団勢力が行うべきである。だが、アノール・ロンドのあまりの難度とボスだろう【竜狩り】オーンスタインの危険性を考慮し、団長のディアベルは『教会側からの好意の申し出』を受け、教会剣の戦力を借り受けることになった。つまりは、教会を出汁にして、教会剣に属する太陽の狩猟団やクラウドアースの戦力を合流させる英断をしたのである。

 本来ならば弱腰と非難されるだろうディアベルの判断であるが、アノール・ロンドの高難度ぶりを知るプレイヤー達は誰1人として反論を口にしなかった。教会には相応の報酬とアノール・ロンドの利権を『寄贈』しなければならなくなるだろうが、それを差し引いても、攻略後に得られる利益は莫大だ。他の2大ギルド側も、本来ならば得られなかったアノール・ロンド攻略に参加する事で得られる蜜は価値がある。

 

「ふー、寒いなぁ。もうちょっと厚着してくれば良かったかな?」

 

 口から漏れる白い吐息と痺れるように震える指先に、ラジードは寒冷が蓄積しないように、演習場の各所に設置された焚火に手をかざす。積み重ねられた木材の檻の内で燃え盛る巨大な焚火から零れる火の粉と煙はまるで豪雪を呼び込んでいるようにも思えるが、ラジードはネガティブな思考を振り払って暖を取る。

 

「フッ! 始まって早々に焚火の前から離れられんとは、精神力が足らんなぁ!」

 

 震えるラジードの隣で喝を入れるのは、もはや現役ではない黒鉄シリーズへの愛着を示すように、わざわざオーダーメイドで同型の甲冑を仕上げたタルカスだ。彼は今回のアノール・ロンド攻略に部隊を率いて参戦する。なお、この部隊とはYARCA旅団ではなく、あくまで聖剣騎士団で彼が指揮する部隊の事である。

 思わずラジードは尻に意識して距離を取ってしまうのも仕方ない事だ。通称『復活のYARCA事件』と呼ばれる、再びタルカスがイイ男探しを始めたのはつい先日の事だ。件の反乱未遂でYARCA旅団は1度解散し、再結成の際には健全……かどうかは別として、少なくとも男たちが夜道で背後と尻を警戒する必要が無い組織に生まれ変わったはずだった。

 だが、バトル・オブ・アリーナを節目に、タルカスは突如としてイイ男探しを開始。以前のような強引さは無いが、代わりに情熱的な口説きが加わり、自ら男と男のユートピアを目指す男性プレイヤーが続出し、YARCA旅団内に混乱をもたらしている。

 大ギルドもタルカスの豹変に困惑し、一時はまさかの3大ギルドの合議で捕縛と隔離も検討されたが、タルカス自身は真っ当にYARCA旅団を率いて慈善活動に精力的であり、また以前のような危険な思想も無いならば、むしろ彼の排除はむしろ恋愛の自由を蔑ろにして大ギルドのイメージダウンに繋がると判断され、タルカス自身の高い実力もあり、結果的に放置されている。

 

「えと、タルカスさんもアノール・ロンド攻略に参加するんですよね?」

 

「だからここにいるのだろう? 私の直轄のタンク部隊だ。壁役としての矜持と職務、とくと見せてやろう」

 

 DBOは上位ステージ程に、従来のVRMMORPGならば有効だった、伝統あるタンクが機能不全になりつつある。というのも、ボスの火力とガード崩しによって、タンクが耐え切れずに隊列を崩す事態が続出しているからだ。

 タンクとは悪く言わずとも肉壁である。盾を構えて相手の攻撃を受け止め、背後の仲間を守る、集団戦において無くてはならない存在だ。彼らの有無によって死亡リスクは大きく変動する。だが、逆に言えば、タンクとは死線の傍で踏ん張り続けねばならない、極めて胆力がいる役目なのだ。それは相手の間合いに跳び込むアタッカーとは違い、必ず『攻撃を受け止める』という特性上、より精神力が求められる。

 デスゲームにおいて、最も優先しなければならないのは言うまでも無く攻撃を受けない事だ。HPがゼロになれば死亡するのだ。ならば、タンクとはどれ程の恐怖と対峙せねばならないかは言うまでもない。

 強引に攻める事も許されず、ひたすらに攻撃を受け止め、仲間を守る盾となる。より苛烈さを増す上位ステージのボスを相手に、タンクの役目を全うできるプレイヤー数は着実に減り続けている。逆に言えば、今でもタンクとしての職務を遂行できるプレイヤーは鋼という表現すらも軽蔑と侮辱に値する精神力を持っている事になる。

 太陽の狩猟団もタンク部隊の育成を進めているが、現時点では攻略面ではアタッカーたちによる攪乱が主であり、タンクの数は以前に比べれば大きく減らしている。対して、聖剣騎士団にはタルカス率いる【黒鉄軍団】とも呼ばれるタンク部隊がいる。彼らこそが聖剣騎士団の安定した攻略を支えているのだ。

 なお、意外でも何でもなく、黒鉄軍団は全員が男であり、メンバーは1人の例外もなくYARCA旅団に属している。だが、正規の仕事の時は彼らもYARCAを自称することは無い。故に彼らは今この時にはYARCAではないのだ。

 

「ほほう。こうして間近で見たのは初めてだが、貴様もなかなかにイイ特大剣を持っているではないか。これがイヴァの剣か」

 

 褒められたのは背負う特大剣のはずなのに、ラジードはぞくりと背筋を凍らせて思わず股間を隠しそうになる。タルカスはアノール・ロンドに向けて新調したらしい自身の特大剣を見せつけるように抜くのだが、心なしか股間付近で構えているように思えるのはラジードの気のせいだろう。

 

「是非とも手合わせ願いたい……と言いたいところだが、私には部隊の訓練を見る重要な役目がある。心惜しいが、またの機会だな」

 

 円卓の騎士の猛者と戦えるチャンスを逃した。本来ならば、より強くなれる機会を失したと嘆くべきなのだろうが、ラジードは安堵する。今のタルカスと戦えば、今晩にはミスティアへの裏切り以上の変革を自分が迎えるような気がしてならなかったのだ。

 演習場は聖剣騎士団が最も人口も多いのは当然として、教会剣として参加した太陽の狩猟団やクラウドアース、更には中小ギルドでも優れた実力を持つプレイヤー達もいる。大ギルドの最高戦力が集結した竜の神戦程のオールスター感はないが、それでも今回のアノール・ロンド攻略の依頼を受けた傭兵たちも顔を揃えている。

 

「なっていませんね! カウンターとはこのようにするんですよ! 相手の攻撃を受け止めて、受け流して、そこからのぉおおおおおお! 今、超必殺のグローリー☆アッパー!」

 

「ぐげぼぉおおおおおおおおおおおおお!」

 

 もはや意味不明とも言うべき攻防。左手に持つ大盾で戦斧の一撃を受け流したかと思えば、右手の片手剣で斬らずにアッパーで高々とデュエル相手のプレイヤーを打ち上げたのは、言わずと知れた聖剣騎士団専属最高ランクの傭兵グローリーだ。もはやデタラメとしか言い様がない、あのユージーンすらも真正面からの戦いは避けるだろうと言われる程のずば抜けたバトルセンスの持ち主だ。

 だが、見ての通りの真性の馬鹿である。頭から積もった雪の上に落下したデュエル相手に、わざわざ盾を捨てて左手を腰に、右手の人差し指を天に突き立て、勝利のポーズを決めている。

 

「姐さん。俺達はどうします?」

 

「待機しておきな。私らが頑張ってどうするのよ。こっちは独立傭兵。専属様みたいに頑張る必要ないのさ。私らの役目はどうせ攪乱だろうしね」

 

 艶やかな黒髪をアップにした革防具でありながら、まるでボンテージのような色気あるメイキングが施された特別製の軽量鎧を見つけるのは、独立傭兵ランク20の【アラクネ】だ。彼女はサインズでも特殊な存在であり、竜虎コンビのように傭兵同士チームではなく、自身のギルド……つまりは『傭兵団』を率いているのだ。彼女の個としての実力も高いが、本来ならばワンマンプレーを得意とするサインズ傭兵では異質の存在である。

 アラクネは焚火の1つの前に敷いた丸太の椅子に腰かけて、聖剣騎士団の演習風景を観察している。独立傭兵の彼女にとって、率いる【黒蜘蛛傭兵団】以外は全てが仮想敵なのだ。こうした場所も重要な情報収集のチャンスなのである。

 

「やぁ、スミス! またまた貴方とこうして肩を並べて戦えるとは感無量ですよ! いかがです? 黄金コンビの復活祝いにデュエルでも?」

 

「私のバトルスタイルはデュエルでも大金がかかるぞ? 全額払ってもらえるならば喜んでお相手しよう。序でだ。破産もさせてあげよう。それと訂正する気力も薄れてはいるが言わせてもらいたい。私は君とコンビを組んだ覚えはないのだが?」

 

「何を言っているんですか!? 竜の神を倒したのは、私とスミスのコンビネーションアタックがあったからこそ! 肩車からの破壊天使砲無しで竜の神の撃破はあり得ませんでした! いえ、この騎士たる私とスミスが力を合わせたからこそ竜の神は倒せたと言っても過言ではないでしょう」

 

「忌々しい事に、否定できる部分が無い点が辛いところだな。確かにキミ無しでは竜の神の撃破は困難を極めただろうし、私自身も勝利に貢献する相応の働きをしたつもりだしな」

 

「でしょう? またグローリー☆ナイツが集結したいものですね」

 

「それは慎まずに遠慮させてもらおう」

 

 そして、グローリーが馴れ馴れしく肩を回して、まるで久方ぶりに帰郷した地元で再会した旧友に話しかけるように接するのは、煙草を咥えた姿が板についている、独立傭兵最高ランク……あらゆる依頼を完ぺきにこなす理想的な傭兵という不動の評価を持つ男、スミスだ。ラジードもそこまで親しくないが、彼の仕事はまさしくプロフェッショナルであり、太陽の狩猟団も多くの依頼を彼に任せた過去がある。

 グローリーを引き剥がし、だが縋り付く彼を伴ってスミスは、未だに焚火の前から離れられないラジードの元に来る。

 

「やぁ、ラジード君。愛しの恋人がいないと訓練にも張り合いが出ないかね?」

 

「ち、違います! 僕は寒いのが苦手で……」

 

「ふむ。そうだな。人には得手不得手があるように、どうしても苦手なもの……弱点が存在するものだ。だが、それを克服するとまではいかずとも、カバーする努力ができるのも人の素晴らしさだと思うがね」

 

 吸い終わった煙草を薄く積もった雪の上に落として踏み躙るスミスからの助言に、ラジードは思わず苦笑して頷く。確かに寒いからと言って震えたまま動けずにいるなど情けない限りだ。戦場でそんな言い訳など盾にも矛にもならない。

 

「寒いのは仕方ない事だ。仮想世界でも体を動かせば温まるぞ。そこでだ。ここに君に相応しいデュエル相手がいる。是非とも相手をして熱い汗を掻いてくれたまえ」

 

「おや、太陽の狩猟団の【若狼】ではありませんか! 今日はいつもと違って聖布姿ですね! いかにも教会の騎士といった感じで素晴らしいですよ! やはり騎士たる者は――」

 

 違う。助言ではなく、面倒な相手を押し付けたいだけだ。ラジードは清々しいまでに裏表がない笑顔を咲かしたグローリーに肩を叩かれながら、傭兵最強の1人と名高い彼とデュエルできるなど願ってもない事だとデュエル申請を出そうとする。

 

「ほほう。デュエルですか。見物させてもらっても?」

 

 と、そこに新たに加わってきたのは、教会の最高戦力とさえ謳われる程の猛者、かつては円卓の騎士に所属していたエドガーである。得物の両刃剣は2本の片手剣に分裂するのだが、その二刀流はラジードも参考にさせてもらっている。ショットガンで相手の動きを止め、強力な奇跡による援護まで出来るエドガーは、1人いれば戦局が大きく変わる程の戦力である。

 教会剣の筆頭とも言うべきエドガーがいるのは何ら不思議ではない。だが、ラジードはどうしても拭いきれない苦手意識をエドガーに持っていた。彼がベヒモスの死を見届けたからこそなのか、それともエドガーの『にっこり』という表現が似合う崩れない笑顔に言い知れない不安を覚えてしまうからなのか。

 

「おうおう! やってるねー! ランク5くんと狼くんのデュエルかい? おじさんも観戦しちゃうぞー!」

 

 そして、エドガーの隣を歩くのは、教会戦力とは思えないラフな格好……いっそ傭兵と名乗った方が何倍も似合うだろう、禍々しい髑髏が描かれた黒の寒冷地帯用コートを来た主任だ。背負うのは彼の得物として象徴的な回転ノコギリである。

 エドガーとは違う意味で主任の事もラジードは苦手だ。彼は常に道化であり、本気を見せず、場を茶化す。だが、彼が参加したレギオン狩りはいずれも凄惨であり、犠牲を鑑みないような過激さを伴う。だからこそ、ラジードはその実力には一目置いても好きになれない男だった。

 

「おい、馬鹿と【若狼】のデュエルだってさ」

 

「面白いカードだな」

 

「ラジードも最近はかなり強くなったからな。グローリーでも勝てるかどうか……」

 

「アホか。あの馬鹿ナイトは頭がおかしい強さだって。誰もまともに戦っても勝てねーよ」

 

 いつの間にかギャラリーに囲まれ、逃げるに逃げられない、元より逃げる気など無いデュエルが始まり、ラジードは腰の双剣を抜く。デュエルのルールはオーソドックスにハーフだ。先にHPを半分まで減らした方が勝ちであるが、同時に時間制限を設ける『タイムリミット』でデュエル時間を3分にしてある。これはデュエルが過熱し過ぎて『それ以上』に発展しないようにする安全処置だ。

 太陽の狩猟団にとって聖剣騎士団は仮想敵を超えた、いつか必ず衝突するだろう組織だ。故に、聖剣騎士団の専属傭兵最強であるグローリーの対策も立てられている。

 

『この男とは正面から戦ってはいけません。それ以外の対策はありませんね。逆に言えば、搦め手を織り交ぜれば相応に戦える相手なのですが』

 

 あのミュウすらもまともに論じる事を否定するように匙を投げたのがグローリーだ。雷属性と光属性に高い防御性能を誇る【双頭の金鷲の赤大盾】を構えたグローリーは、分厚い銀の片手剣を握っている。刀身にレリーフが施された【酒濡れの銀剣】はデバフ耐性を総じて高め、またMYS補正を受けて高い光属性を持つ。纏う鎧はまさしく騎士を象徴する銀色であり、高い防御効果があるだろう。しかし、真に危険なのはその鎧には細工が施されており、いつでも全方位に拡散させるパージが可能である事だ。

 

「行きますよ、騎士の狼退治の始まりです!」

 

 足下の薄い雪を踏みしめて、グローリーが大盾で身を隠しながら突進する。馬鹿正直とも思える突進であり、回避は容易である。ラジードは本職タンク以上とされるグローリーの大盾を真っ向からは崩せないと踏んで回り込もうとする。

 

「んな?!」

 

 だが、ラジードの正面にグローリーの大盾が迫る! あろうことか、グローリーは突進を強引に鋭角に曲げて回り込もうとしたラジードに方向転換したのだ。

 強烈なシールドバッシュがソードスキルで無かったのは幸い以外の何もでもない。双剣を交差させたラジードは大盾の一撃を辛くも凌ぐも、そのままグローリーは大盾の鋭い角を突き出してラジードの胸を突こうとする。

 本来ならば受け流せるはず。だが、グローリーは受け流されたはずの大盾の突きをそのまま体ごと捻って薙ぎ払いに変じさせる。まるで1人だけ別の物理法則が働いているのではないかと思う程の、異次元の動きにラジードはこめかみを強打されて数度地面をバウンドする。

 

(な、なんだよ、コレ!? クゥリともキアヌとも違う……まるで掴みどころない強さだ!)

 

 相対して初めてわかる、まさしくデタラメとしか言いようがない強さだ。ラジードは攻めるしかないと双剣でラッシュをかけるも、グローリーは大盾で防ぎ、ガードを捲ろうとするラジードの剣捌きに対して、常に正面を維持するように常時修正をかけながら位置取りをする。

 どれほど馬鹿だと罵られていようとも、今日まで生き残った最古参の傭兵である。逆にラジードの左手の剣が弾かれ、その隙にグローリーは右手の片手剣による怒涛の連続突きを繰り出す。

 

「今、超必殺の、グローリー☆乱れ突きぃいいいいいいいいい!」

 

 ソードスキルですらない、だが、並のソードスキルにも届くではないかと思う程の連続突き。それをラジードは瞬間に高まった集中力を動員して、双剣で弾き続けてクリーンヒットを避けるも、防ぎきれなかった攻撃は着実にラジードのHPを減らす。

 と、そこで反撃に転じようとしたラジードの意図を察したように、連続突きを中断してグローリーが大盾でバッシュをかけて彼の反撃の出鼻を挫き、地面が揺れる程に踏み込む。そして、次の瞬間には右手の片手剣には奇跡特有の黄金の雷が迸っていた。

 奇跡【太陽の光の槌】だ。武器に雷属性をごく短い間だけエンチャントし、それを対象に接触させることによって強烈な雷の爆発を引き起こす。アンバサ戦士垂涎の高レアな近接奇跡である。

 まともに受ければHPが消し飛ぶ! ラジードは咄嗟に後ろに跳ぶも、逃げ切るよりも前にグローリーは剣を振り下ろす。それは地面に接触した瞬間に黄金の雷を周辺に炸裂させ、また轟音と衝撃波が揺らす。

 

「この馬鹿ナイトぉおおおおおおおおおお!」

 

「もっと考えて戦えよな!」

 

 ギャラリーまで到達する程の衝撃波である。近距離にいたラジードなどひとたまりも無い。本来ならば派手に転がって隙を晒していたはずだろう。だが、ラジードは咄嗟に双剣を鞘に戻して背中のイヴァの剣を抜き、それを盾としてガードするだけではなく、そのまま踏み込んで距離を詰める事に成功していた。雷のダメージはあったが、それをものともせず、特大剣使いとしてダメージを許容した薙ぎ払いで初めてまともにグローリーの大盾を揺さぶる。

 そのはずだった。だが、特大剣の一撃を浴びてもグローリーは怯まない。それもそのはずだ。大盾を崩すならば大槌か特大剣が最適だ。グローリーがそれらを相手にしなかった事が無いなどあり得ない。

 耐えられる。バランスを崩さず、ガードを維持したまま、ラジードの続く体の捻りを咥えた最速の突きを大盾で逆に受け流したグローリーはラジードの腹に剣を突き立てようとする。

 負けるものか! ラジードは咄嗟に膝蹴りを繰り出し、片手剣の腹を打って軌道を流す。これにはグローリーも予想外だったらしく、片手剣は狙った腹ではなく脇腹を削るだけだった。そして、その間にラジードは受け流された特大剣を掌握し、雄々しく振り上げて急行落下させるようにグローリーへと叩きつける。

 渾身の一閃だったが、これも躱される。だが、ラジードはその戦果を噛み締める。大盾で『受け止める』ではなく、『回避する』をグローリーが選択したのだ。つまり、あの一閃をグローリーは受け止め切れる自信が無かったのだ。

 

「おぉおおおおおおおおお!」

 

 力を引き出すように、ラジードは狼が獲物を前にして牙を剥くような獰猛な雄叫びを上げて、更に踏み込んで地面を抉りながらの斬り上げ、そこからの回転斬り、なおも躱すグローリーに特大剣の遠心力を利用した回転蹴りを打ち込む。それをガードしたグローリーはやや後ろに押し込まれる。

 ここだ! 特大剣を背負い、双剣に戻す……と見せかけて黒い火炎壺を投擲する。炸裂した爆発程度ではグローリーの大盾は剥げない。だが、ラジードは背負う特大剣を抜きながらの振り下ろしを今度こそグローリーに受け止めさせる。

 

「素晴らしいですね! さすがは【若狼】です! ですが……まだまだですよ☆」

 

 完全に入った一撃。だが、ガードを崩せない! あろうことか、グローリーは大盾を両手持ちしてラジードの特大剣を真っ向から止めたのだ。片手剣を腰に差したのは、おそらくは黒い火炎壺の爆風で視界が覆われた瞬間だろう。ラジードが揺さぶりにかけたつもりの黒い火炎壺をグローリーは恐れずに、逆に利用したのだ。

 馬鹿だ馬鹿だと嗤われるグローリーだが、そのバトルセンスだけは誰も馬鹿にしない。特大剣を押し返したグローリーには、まるで天使の翼のように雷球が浮かんでいる。それは彼が破壊天使砲と呼ぶ、奇跡の太陽と光の翼だ。

 

「今、超必殺のぉおおおおおおおおおおおおおお!」

 

 フルチャージではないだろうが、射線上にあるものを貫く雷のレーザーが解放されるだろう未来を予見して、ギャラリーはどよめく。だが、逆にラジードは勝機を見る。破壊天使砲を潜り抜ける事に成功すれば、絶好の攻撃チャンスが得られるのだ。

 イヴァの特大剣。それを竜剣モードに変じさせた時の竜の咆哮で破壊天使砲を受け止められるか? さすがに無理だろうとラジードは瞬時に判断し、彼は特大剣を盾にするように構えながら1歩踏み込む。肩だろうと太腿だろうと抉り飛ばしていけば良い。だが、直撃さえしなければグローリーを薙ぎ払うのはラジードの方だ。

 まさに最高潮に達しようとした戦いの熱だが、2人の間にデュエル終了を示すメッセージが表示される。

 

「僕の……負け?」

 

 敗北を示す青文字の『LOSE』の4文字に、ラジードは脱力し、グローリーは慌てて破壊天使砲を空に撃つ。さすがにデュエル終了後まで戦いを続行する2人ではない。

 

「いやー、【若狼】がここまで強いとは、正直言って騎士たる私も驚きですよ! さすがは教会の騎士! 同じ騎士道を歩む男ですね!」

 

「グローリーさんこそ、噂以上で驚きました。だって、アレでも本気出してないんでしょう?」

 

 握手を交わしたラジードは、自分の敗北ではあっても、得られたものはあったと満足する。清々しいファイターだったグローリーと健闘を讃え合ったラジードであるが、危うくグローリーの破壊天使砲に巻き込まれかねなかった周囲のギャラリーはへなへなとその場に崩れる。

 

「グローリー君。よもや、本気で撃つつもりではなかっただろうね? アレは足下に撃って煙幕にする。そのつもりだったのだろう? そうだと言ってくれたまえ」

 

「ええ、もちろん! 騎士である私が仲間を吹き飛ばすはずがありません! 狙いはあくまで『【若狼】の周囲』ですよ!」

 

 ヒクヒクと頬を引き攣らせたスミスにライフルの銃口を突きつけられながら、グローリーは白い歯を輝かせてグーサインをする。途端にラジードは冷や汗をどっと溢れさせる。

 もしも……もしも、デュエル終了があと数秒遅れていれば、ラジードは破壊天使砲を避けるべく踏み込んだはずだ。だが、ラジードの周囲に着弾する破壊天使砲は正面への踏み込みでは躱せない。直撃せずとも雷の爆風に晒されて体勢を保てないだろう。

 グローリーならば、たとえデュエルに熱中しても、ギャラリーを巻き込むような攻撃はしない。それを見抜けなかったラジードの完敗だ。だが、そうした敗北もしっかりと味わえてこそ更なる高みを目指せるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

「なーに、青春しちゃってんの。戦いに負けたら死ぬのにさ」

 

 

 

 

 

 

 だが、ラジードが静かに握った拳を汚すように、その声は熱戦に沸いたギャラリーすらも寒風で凍てつかせるように呟かれた。

 誰もがその声をこの場で聞くはずがない。あり得ない。そう思ったはずだ。ラジードが振り返れば、演習場に、今まさに到着したばかりといった様子の1人の男が立っていた。

 その髪は濁ったような黒色であり、整えられることなくボサボサであり、幾房かは目元までかかっている。肩甲骨まで伸びた髪は纏められていない。

 寒空の下でありながら、ラフな革ズボンと包帯でぐるぐる巻きになったデフォルメ化された赤兎がプリントされたシャツを着ている。その姿が示すのは、ここが最前線でありながら、日常着であるという意味だ。

 首にかけるのは金メッキが剥げたような古びた牛の首の首飾りだ。身長はやや高めの180センチ前半だろう。少し猫背気味な姿勢であり、左手をポケットに突っ込みながら安っぽい黒の革袋をかけ、右手では食べかけの分厚いスルメを持っている。

 何故この男がここにいる!? 周囲がどよめくのも仕方ない事だ。彼の登場に、2人のデュエルを見守っていたディアベルは、大ギルドのリーダーとしての威厳を損なわないように、腰に手をやりながら溜め息を吐く。

 

「【ライドウ】さん。遅刻だよ。傭兵は時間厳守が基本じゃないかな?」

 

「んー、ごめん。少し寝過ぎちゃって。遅刻した分は適当に報酬から差し引いておいて」

 

 ボリボリと頭を掻いたライドウは、DBOを3つに分割する大組織のトップを前に大欠伸をして右瞼を擦る。いかにもマイペースといった様子の男はむにゃむにゃと口を噛み、思い出したようにスルメを齧る。

 クチャクチャとわざとらしく音を立てて咀嚼する男……ライドウを前に、アレスはディアベルに小声で耳打ちする。

 

「団長、皆に説明した方がよろしいかと」

 

「そうだね。皆、聞いてくれ! 今回のアノール・ロンド攻略だが、クラウドアースの専属傭兵であるライドウさんが参加する事が決定した!」

 

 途端に大きくざわめく面々に、もちろんラジードも含まれている。当然だ。幾ら傭兵とはいえ、ライドウの参加とは、他でもないクラウドアースが今回のアノール・ロンド攻略に『表向き』に噛むとみなされる行為だ。わざわざ教会経由で戦力を集めた意味がなくなるのだ。

 もちろん、他勢力の専属傭兵を雇ってはならないというルールはない。実際にラストサンクチュアリのUNKNOWNに多数のギルドから依頼が来るように、専属傭兵と言えども傭兵である以上はいかなる依頼でも引き受けられる。だが、専属傭兵を他大ギルドが雇う場合は必ず専属先を挟まねばならず、高額な手数料が発生し、また専属先の認可が無ければ依頼は引き受けられない。

 つまり、クラウドアースの専属傭兵を雇うとは聖剣騎士団が『クラウドアースに頭を下げて戦力を請うた』という表明に他らないのだ。

 

「諸君、誤解しないでもらいたい。今回はライドウさんが『自主的に依頼を受けたい』とアプローチしてきたんだ。この旨はサインズでも確認取れるだろう」

 

「報酬は安いよー。ドロップアイテムはぜーんぶ聖剣騎士団にあげるよー。しかも勝手したから、クラウドアースにマジギレされちゃった。しばらくは干されるかもね。あはは~、欝になっちゃいそう」

 

 傭兵事情を知り尽くしていないラジードでも、今回のアノール・ロンド攻略依頼には多額の報酬が約束されている事くらいは見抜けている。専属傭兵のグローリーはもちろん、アラクネとスミスには目玉も飛び出す程の高額な前金が既に支払い済みのはずだ。

 だが、ライドウはヘラヘラ笑って、傭兵としての本分を蔑ろにする発言をしたのだ。これには、事実上1人分の報酬で傭兵団を運営するアラクネ、そしてバトルスタイル故に多額の軍資金が必要になるスミスからすれば、傭兵の域を逸脱した宣言のはずだ。

 

「ライドウか。厄介な奴が来たな」

 

 煙草を咥えずに握り潰したスミスが苛立つも仕方ない。それ程までにライドウとは、サインズでも【渡り鳥】と並ぶ危険な傭兵として認識されているからだ。

 極度のバトルジャンキー。格闘戦を主体としたバトルスタイルであり、その強さはあのグローリーとの真っ向勝負で競り合えた程だ。双方のギルドの仲裁が入らなければ、どちらが勝っていたか分からない程の激戦である。

 だが、ライドウの依頼達成率は決して高くない。それは彼が傭兵としての職務を蔑ろにするような気分屋だからだ。彼は退屈と判断した仕事は、たとえあと一手で勝てる場面でも放棄するのだ。

 だが、それでも最強の傭兵候補筆頭のユージーンに次ぐランク2である。クラウドアースの政治力が働いているわけではない。サインズですら、その傭兵失格とも思える素行を勘定に入れても、人格に難ありの人物だとしても、ランク2に相応しいと判断するしかない程にライドウが強過ぎるのだ。しかも【渡り鳥】と違ってSAO時代から続く悪名があるわけでもないのも、PK数も傭兵としては平均的な数である事も、その厄介さに拍車をかけている。

 ディアベルの説明を受け、動揺しながらもそれぞれはライドウに注目しつつ、訓練に戻っていく。今回の合同合宿はチームワークを培う目的なのだ。ライドウの登場は波乱を呼び込んだが、それに反応したまま訓練を蔑ろにすれば死に直結する。

 ラジードも聖剣騎士団のメンバーに混ざって、アノール・ロンド攻略に向けた陣形構築などの話し合いをするが、その視線は自然と篝火の前で寝そべり、腹を掻いているライドウに注いでしまう。

 革袋からライドウが取り出したのは、うねうねと動く【出目青鰻】だ。蒲焼きにすれば、それなりに食べられるのだが、噂によれば性欲増強作用があるのではないかと囁かれ、先日ミスティアにフルコースで御馳走された過去がラジードの脳裏でフラッシュバックする。

 まさかここで調理するつもりだろうか。そう思ったラジードだが、ライドウは生きたままの出目青鰻をそのまま頭から喰らい付く。

 

「う、うげぇ……」

 

 聖剣騎士団のメンバーの1人が口を押える。ゴリゴリと骨を砕くような音と体液と肉が混ざり合う咀嚼音が、焚火の弾ける音に隠されながらも確かに聞こえてくる。

 おもむろに立ち上がったライドウは、眠たげな眼を動かし、右手の指を折って何かを数えると、半ばまで食べた出目青鰻を一気に口内に押し込んで飲み込む。そして、そのままラジードの方に摺り足気味に近寄る。

 

「ねーねー、蟻をプチプチ潰した経験ってある?」

 

「は? えーと、無い……けど?」

 

 そして、この脈絡のない質問にラジードが反応できたのは、少なからずライドウを意識していた賜物である。彼はラジードの返答に対して、にへらと笑って大きく何度も頷いた。

 

「今思うとさー、凄い残酷だよね。蟻だって生きてるのに、何の意味も無く、楽しいわけでもなく、指でプチプチプチプチプチプチプチプチプチプチプチプチプチプチプチプチプチプチプチプチプチプチプチプチプチプチプチプチプチプチプチプチプチプチプチプチプチプチプチプチプチプチプチプチプチプチプチプチプチプチプチプチプチプチプチプチプチプチプチプチプチプチプチプチプチプチプチプチプチプチプチプチプチプチプチプチプチプチプチプチプチプチプチプチ……何度も何度も潰して潰して潰す。何してたんだろーって思うよねー」

 

 バレエでも踊るように爪先立ちしたライドウは体を捻ってラジードを覗き込み、まるで蛇が獲物を丸呑みする直前のように大口を開く。飛び出したのは常人よりも長く、また太い舌だ。人間の範疇ではあるが、余りにも異質な舌にラジードは鳥肌が立ちそうになる。

 

「DBOってすごいよねー。俺の舌までしっかりと反映して本物そっくりに作っちゃうんだー。キャリブってるだけじゃなくて、体内までスキャンされてアバター作成されてんのかなー。この舌ね、とってもコンプでさー、昔はよく弄られてさー…………あ、昔思い出したら欝になった。もう帰って寝よーかな」

 

 新しいスルメを革袋から取り出したライドウは、半分に千切るとラジードへと差し出す。おずおずと受け取った彼に、ライドウは焚火の元に来いと言うように手招く。

 

「でさでさ、この舌も便利な時があってさ。女の子とべろちゅーする時には、すっごいんだよね。女の子を窒息寸前までドキドキさせられるんだー。狼くんは美人カノジョさんいるじゃーん。もうべろちゅーした? 癖になるよー」

 

 丸太の椅子に腰かけたライドウは舌を出してスルメの表面を丹念に舐めて、やがてその動きをピタリと止める。

 

「あ、思い出した。最初にべろちゅーしたのはさ、中学校のクラスメイトでさ、学校で1番きゃーわイイ子だったんだよね。キレイだったよー。涎と涙でグチャグチャでさー。うん、欝になった」

 

 背中から地面に倒れたライドウは、うねうねと蛇のように体を動かして背中で地面を擦りながら這う。

 

「結論。べろちゅーで皆幸せになれる。だから狼くんも幸せになろうよ。美人で清楚なカノジョのドエロい話聞かせてよー。それよりも、紙飛行機作ってどっちが遠くまで飛ばせるか勝負しようぜ。あ、1度もまともに飛ばせたことないじゃん。欝だ。べろちゅーしよう」

 

 途端に跳ね起きたライドウは、唖然とするラジードの首根っこを掴み、今回の合同合宿のサポートに来ている聖剣騎士団の女性プレイヤーの元に駆ける。

 

「きみ、きゃわいーね。この狼くーんがさ、君とべろちゅーしたいってさ。だから、俺とべろちゅーしよう?」

 

「はい? 急に何を――!?」

 

 剃刀を思わすクールな顔立ちをした少女に、ライドウは咳き込むラジードをその場に放り捨てると、少女が抵抗する暇も与えずに、まるで噛り付くように唇を押し付け、その長い舌でこじ開け、口内に押し込む。

 この男、何なんだよぉおおおおおお!? 今まで奇天烈な人間にDBOでは嫌と言う程に、それこそグローリーやサンライスのような人物に出会ってきたラジードであるが、ライドウはまるで理解の域を超えている。脈絡というものがない。

 その場の全プレイヤーの視線を一身に集め、ライドウはその高身長を活かして、右手で少女の後頭部をつかみ、左手で倒れる少女の腰を支える。顔を真っ赤にした少女はそれこそライドウのHPが減る程に彼の胸を叩く。だが、その抵抗も、やがて涙と真っ赤になる顔によって静かになっていく。

 

「林檎味。アップルジュース飲んだでしょ? 俺もすーき♪ あとでちょーだい」

 

 長いキスを終えたライドウはぺろりと少女の唇を舐めて、口直しとばかりに新しいスルメを噛む。

 

「ひゃ……ひゃい」

 

 腰砕けになった少女に先程までのクールさは残されていない。初めてグラビア雑誌を開いた初心な少年のように、ラジードは顔を赤くして慌てふためく中で、今まさに繰り広げた痴態など忘れたように、ライドウは大欠伸して、どしどしとこちらに無表情で向かってくるグローリーに、右手で作った拳銃を向ける。

 

「レディの扱いが、相変わらずなっていないようですね、ランク2」

 

「俺は騎士じゃないもーん。それにべろちゅーは幸せの魔法だよ? この子もしあわせー。俺もしあわせー。ハッピー&ハッピー。生まれたからには幸せになろうよ。じゃないと欝で欝で欝で欝で欝になり過ぎて、死にたくなっちゃうじゃーん」

 

 ふざけた態度のまま、挑発するように咥えたスルメをはむはむと食べ進めるライドウに、グローリーは普段の笑顔を崩さぬ騎士気取りの傭兵には不似合いな程に目元を鋭くしていく。

 2人の傭兵はどちらかが死ぬ手前まで殺し合ったのだ。ラジードは慌てて仲裁に入るべく間に立とうとするが、それよりも先にグローリーが拳を握ってライドウの顔面を狙って振るい抜く。それに対するようにライドウは左拳を突き出す。

 互いの拳が衝突し、そのまま第2撃の両者の蹴りが交差する。スミスがライフルを構えて2人の諍いを止めるべく照準を合わせる光景がラジードの目に映る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 だが、次の瞬間に冬の冷風が突き抜ける演習場で交わされたのはライドウとグローリーのがっしりとした握手だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「グロやーん、おひさー! 相変わらずの馬鹿面だねー!」

 

「そう言うランク2も相変わらずのやる気ない顔ですね!」

 

 和気藹々といった調子の笑顔で肩を組んだライドウとグローリーは互いに大笑いする。その光景に、今から凄惨なる殺し合いが始まるのではないかと肝を冷やしていた面々は壮大にずっこける。

 

「さっきのバトル見てたよ。グロやんの破壊天使砲マジイケメン」

 

「フフフ、当然です! 騎士が使えば全てがキシメンになるんですよ!」

 

「それもう食べ物じゃね? ちなみに俺はおそば食べたいです」

 

「私はラーメンですね! トンコツもやし増量でチャーシュー少な目でGOですよ!」

 

 蕎麦とかラーメンとかどうでも良いから! ラジードは叫びたい衝動を何とか堪えながら、いよいよ我慢の限界が近くなったらしいスミスの後ろ姿を見送る。

 本来ならば無視すべき場面なのだろう。それこそが精神衛生上、最も適切な処置なのだろう。だが、ランク2とランク5の心底どうでも良い世間話を耳にさせられる人々から、ツッコミを入れろという強烈な思念が乗った視線が痛い程に突き刺さったラジードは、仕方なく恐る恐る手を上げる。

 

「あの、2人はどういうご関係で?」

 

「俺達のかんけーい? どうなんだろうね、グロやん? メシ喰い仲間?」

 

「そうですね。1度殺し合ったくらいの関係ですね! 仕事が終わって互いに生きているならば、一々諍いを抱えてもつまらないでしょう? 騎士たる私は大海の如き懐の広さがありますからね! ランク2とは良きライバル関係を築かせてもらっていますよ!」

 

 2人してグーサインをする傭兵たちに、ラジードは膝が脱力してその場に崩れそうになる。

 あれ? 僕に苦労人の星が見えるぞ? 寒空に、今何処にいるかも知らない白髪傭兵の笑顔を見たような気がして、ラジードはエドガーに肩を叩かれながら両手で顔を覆ってすすり泣いた。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 レベル1の毒が蓄積する湯気が各所から噴き出す、草すらも生えない、動物の骨ばかりが転がる渓谷。天雷山脈へと通じる、地元では『死者の谷』と呼ばれる場所。オレは毒を含んだ湯気に隠れて強襲をかける、まるで死神のような黒いローブと鎌を備えた霊体を贄姫で斬り払う。

 だが、手応えは鈍い。干からびた肌と眼球が無い窪みに青い炎を宿した死神ゴーストは浮遊しながら、闇属性を孕んだ鎌の連撃を繰り出す。左手のアビス・イーターで受け流しから刺突を繰り出すも、やはりダメージは小さい。

 ゴースト系には物理の通りが悪く、弱点の光属性……そうでなくとも属性攻撃が有効である。だが、贄姫もアビス・イーターも物理属性であり、装備している連装銃に装填しているのもゴースト系に効きが悪い闇属性弾である。

 倒せないことは無いが、どうしても時間がかかる。舌打ちを堪えていると、死神ゴーストの背後に回っていたザクロが呪術の大発火を発動する。回避しきれずに直撃を受けた死神ゴーストは火達磨になり、もがき苦しむ間に雷属性が付与される大曲剣でPoHが首を薙ぎ払ってトドメを刺す。

 

「面倒な場所ね。やっぱり引き返して迂回した方が良いんじゃない?」

 

 短刀を腰に差したザクロは毒に怯えるヘス・リザードの顎を撫でる。騎乗せずに綱を持って牽引するのは死神ゴーストを初めとした強力なモンスターが際限なくリポップして襲撃をしかけてくるからだ。PoHも騎獣をリビングデッドに任せて徒歩である。

 

「迂回しても面倒さは変わらない。だったら最短距離を突っ切った方が効率的だ」

 

 贄姫を鞘に戻すオレの発言に、ザクロは無言ながらも了承するように頷く。オベイロンに追われているとはいえ、スピード勝負というわけではないのだ。チェンジリングの被害を受けたリーファちゃんは気になるが、焦ってミスを増やす方が逆に危険だ。

 乳白色の温泉に黄色い泡が沸き立ち、頭蓋骨を含んだ黄ばんだスライムがこちらに敵意を示さずに渓谷にへばりついている。打撃属性がほとんど通らず、しかも捕食攻撃をしてくる危険なモンスターだ。だが、動きは鈍く、敵対も余程に接近しない限りにしてこないので無視していれば脅威ではない。

 この渓谷で危険なのは音もなく迫ってくる死神ゴーストだけだ。この渓谷も夕暮れ前には抜けられるだろうし、ザクロとPoHはどちらも安定して属性攻撃を発揮できるので、オレはそこまで前に出る必要はない。

 問題なのは渓谷の各所は脆くなっており、下手に足を踏み外せば猛毒の温泉にダイビングする羽目になる点だ。実を言えば、ザクロが湯気で視界が覆われた細道を突破する最中に足を踏み外し、スライム軍団が待ち構えた巨大温泉に頭から飛び込んだばかりである。イリスが彼女を引っ張り上げていなければ、今頃はスライムの捕食攻撃で彼女は生きたまま溶かされていたかもしれない。まぁ、その前に脱出も出来るだろうが、大きな損害を被っていただろう。

 

「天雷山脈の麓にある古代遺跡。古いインプが築いた都の1つらしいが、どう動くかな」

 

 確かに反オベイロン派ならば情報も多く揃えているかもしれないが、こちらは余所者であり、また得られる情報の有用性も未知数だ。広いアルヴヘイムにおいて、3体のネームドの居場所を探るのは並大抵の苦労ではないだろう。場所の目星だけでも得られれば大収穫だが、そう上手く物事が運ぶとも思えない。

 特に他の7名の【来訪者】の動きが気になる。いかなる意図でアルヴヘイムを訪れたのかは定かではないが、オベイロン打倒を目的とするならば反オベイロン派に接触するだろう事は間違いない。そうなると廃坑都市の知名度にもよるが、多くの【来訪者】がそこを目指すだろう。

 それにPoHとザクロの真の目的も気になるところだ。今のところは問題なくチームとして行動できているが、それぞれが独立した動きを取り始めた時こそが最も危険である。

 

「アルヴヘイムの大勢はオベイロン派だ。反オベイロン派の勢力にもよるな。だが、連中がどれだけの戦力を持っていようとも俺達に関係ある事か?」

 

 PoHの言う通り、反オベイロン派と協力してオベイロンを殺すわけでもないのだ。重要なのは如何にして反オベイロン派から情報を引き抜くかである。

 湯気に紛れて2体の死神ゴーストが出現し、オレはまず水銀の刃で牽制をかける。ザクロの呪術も魔力の消費量を考えれば恒常的に使用できるものではない。そうなるとPoHがメインアタッカーとして機能すべきなのだろうが、彼にだけ負担をかけるわけにもいかず、オレも効きが悪い物理攻撃で多少の削りを加えていく。

 今のオレのレベルは79だ。騎士ホルスで得られた経験値のお陰で、いよいよレベル80まであと1歩の所まで迫っている。そうすれば大きな転換期を迎えられるのだが、レベル80に到達するには大物を喰らわねば、とてもではないがアルヴヘイムにいる間に到達は出来ないだろう。

 

「渓谷の出口ね。やっとジメジメした湯気地獄ともお別れかしら」

 

 2体の死神ゴーストを倒した先に、渓谷の出口を示すような、不気味な石像が立っている。長い年月を経たせいか、過半は崩れているのだが、多腕の生物を模っただろう茶色の石像には宗教的なものを感じる。

 渓谷の先にあったのは巨大な湿地帯である。ザクロが跨るヘス・リザードを牽引し、PoHが最後尾となってオレ達は湿地に足を踏み入れる。渓谷の湯気の代わりのように視界を遮るのは靄であり、不安を煽るようなカエルの鳴き声が聞こえる。

 

「結構深いな。どうやら、先に進むにはあの橋を使うしかなさそうだな」

 

 まるで蜘蛛の巣ように複雑に分岐して張り巡らされた、湿地帯を渡る為の木製の橋は所々が腐食しており、ヘス・リザードはともかく、PoHの騎獣では踏み抜いてしまいそうだったが、見た目よりも頑丈なのか、壊れる様子も無い。

 濁ったような薄緑の水には、腕が異様に長い複数の死体が沈んでいる。それらは下半身を失っており、爪は白濁色である。上半身だけの死体はオレの視線に気づいたように、小さく蠢くも、水面まで浮上して襲ってくる様子はない。

 

「足を踏み外したら終わりだな。水底まで引っ張り込まれる」

 

 さすがに水中ではオレ達3人でも十二分に戦う事は不可能だ。≪潜水≫から派生する≪水中適性≫スキルがあれば、水中でも不足なく行動も可能になるのだが、そんな状況が限られたスキルを保有している者は少数だ。

 迷子になりそうな湿地の橋の迷路であるが、目的地の天雷山脈は視界に捉えている。ならば、ひたすらに天雷山脈に近しい橋を選択し続ければ目的地にたどり着ける……なんて甘い迷路であるはずがない。

 霧の内で踊るヤツメ様はオレを導くように、敢えて遠回りになるようなルートを先んじる。

 誰も話をすることなく、黙々と歩き続ける。橋を踏む度に今にも底抜けしそうな軋んだ足音が響く。いつもならば場を和まそうとお喋りを始めるイリスも沈黙を守ったままだ。

 

「もうすぐ夕暮れだ。急ぐぞ」

 

 だからだろう。オレは自然と歩みを加速させ、この湿地帯を抜けようとする。踊るヤツメ様を追って、橋の迷路から正解ルートを引き出していく。だが、靄は霧となり、やがて足下も定かではない程に視界は虚ろになっていく。

 途端にオレは左手で握っていたはずのヘス・リザードの手綱が消失している事に気づく。左手の感覚は取り戻せない。故に手放した事に気づけなかったと言えば納得できるが、オレは確かに力強く握りしめていたはずだ。

 

「ザクロ?」

 

 振り返り、オレは彼女の名前を呼ぶ。だが、霧中の湿地において返答はない。

 

「イリス? PoH?」

 

 同じく彼らの名前も呼ぶが、反応はない。オレは右手を伸ばして霧の中を探るも、そこには何の感触もなく、代わりに危うく足を踏み外して橋から落下しそうになる。

 いつの間にか、オレは1人になっていた。だが、それにしてもおかしい。隊列はオレ、ヘスリザードに跨ったザクロ、リビングデッドが載るPoHの騎獣、PoHの順番だったはずだ。仮にザクロがオレを見失ったならば何かしらのアクションを起こすだろうし、彼女が何も察知できなくとも異変にPoHが気づかないとは思えない。

 オレは腰の贄姫に右手をかけ、周囲の気配を探る。少なくとも傍に彼らはいない。ならば、この広い湿地の迷路でオレだけが逸れた、あるいは全員がバラバラになってしまったと考えるべきだろう。

 たとえば、音もなく忍び寄り、プレイヤーを瞬間移動させる能力を持ったモンスターに襲われた、あるいはトラップが発動したとは考えられないだろうか? 確率は高いだろう。この気分が滅入る霧中の湿地帯では注意力も散漫になっていたはずだ。オレでもザクロでも、考え辛いがPoHもミスを犯したとしても不思議ではない。

 

「……気にする必要も無いか」

 

 仮にここでチームが分散しても、廃坑都市を目指すという目的は共有してある。それに湿地帯の迷路の出口で待っていれば、誰かしらと合流できるだろう。仮にここで彼らが脱落したならば、それはそれで不都合なことは無い。

 まるで獣の歯ぎしりのような音を立てる腐った橋を歩き続ける。カエルの合唱はいつしか失せ、代わりに聞こえるのは人間の嘲笑のような水草が擦れ合う音だ。

 水面に波紋が出来る静寂の音楽が首筋を撫でる。振り返って贄姫を抜刀するも、そこには何もいない。鋭敏になった感覚が、極度の緊張が、まるで背後から何者かに奇襲されるのではないかという強迫観念を作り出す。

 落ち着け。深呼吸をして、オレの左手を握って心配そうに覗き込んでくれているヤツメ様に微笑む。大丈夫だ。この程度には慣れている。SAOでもDBOでも経験した事がある、ありふれた独りの時間だ。

 

 

 

 

 

 

 

『篝。こっちよ……篝』

 

 

 

 

 

 

 

 だから、これも幻聴のはずだ。ヤツメ様が導くのとは真逆の方向。天雷山脈に真っ直ぐ通じているかのような左側に分岐した橋の向こう側から、絶対に聞こえるはずがない声がオレの耳を擽る。

 そっちに行っては駄目だとヤツメ様がオレの左手を引く。ああ、その通りだ。この声が聞こえるはずがない。これは何かの罠だ。あるいはストレスが生み出した幻だ。分かり切っていることではないか。

 なのに、オレの足は自然とヤツメ様が禁じる方向へと進む。濃い霧の向こう側に声の主を求めてしまう。

 1分、あるいは10分、もしかしたらそれ以上の時間を歩き続けたかもしれない。腐って半壊した橋の向こう側に、湿地に浮かぶ小島が見えた。そこだけは青々とした草が生え、白い木の葉を揺らす古木が中心に立っている。そして、そこで白いスカートを揺らす、声の主が待っていた。

 いつだって絶える事が無い微笑み。オレと同じ赤みがかかった黒の瞳。腰まで伸ばした黒髪。整った顔立ちと年齢不相応にまで若々しい外見をしている、やや病的に青白い肌をした女性。

 

「……母さん?」

 

『ようやく会えたわね。篝。私の篝。こっちに来なさい。さぁ、一緒にご飯を食べましょう』

 

 母さんが腰かけた場所にはいつの間にか白と黒のチェックのシートが敷かれていた。母さんが膝にのせたバスケットを開けば、香ばしいハムとレタスの、食欲をそそるニオイがオレの鼻孔まで届く。

 幻に決まっている。こんな事あるはずないではないか。ここは仮想世界だ。DBOだ。天地逆転しても、月が成層圏を突破して落下してきても、機械音痴の母さんにはアミュスフィアⅢをまともに起動させられるはずがない。この21世紀でありながら、未だテレビの録画をまともにできない人なんだぞ?

 

『幻だとして、何を躊躇う必要があるの? 私はあなたを裏切らない。いつだってあなたの味方だったでしょう?』

 

 ヤツメ様が袖を引いてオレを止めようとする。だが、母さんの穏やかな声が……幼き頃の記憶に刻み込まれた母を求めた心が……オレに小島へと踏み入らせた。途端に、先程まで湿地を支配していた不快感ばかりで染まっていた空気に、秋の冷たくも穏やかな……故郷の風がオレの頬を撫でた。

 振り返れば、湿地など何処にもない。あるのは黄金の実りの穂。広がるのはヤツメ様の森だ。狩人のみに許された、古い森だ。ここはヤツメ様の社に続く石階段の途中にある、故郷を一望できる展望の丘だ。白木の柵から身を乗り出せば、懐かしき故郷の風景がある。空には憂鬱な霧の空ではなく、澄んだ秋の青空と薄っすらとかかる白い雲。

 

「母さん。どうしてオレはここにいるの? どうして、ヤツメ様の森にいるの?」

 

『フフフ、どうしちゃったの? 今日はずっと楽しみにしてたピクニックの日じゃない。今日はお母さんを独り占めして良いわよ?』

 

 ピクニック? そういえば、小学校に上がる前に行ったような気がする。灼けてしまった記憶の欠片を引っ張り出して、ならばオレは夢を見ているのだろうかと我が手を見れば、そこには見知った手よりも更に小さくなった……子供の指があった。

 そういえば、いつの間にか身長も小さくなっている。ようやく栄光の160センチを突破したはずなのに。

 

「ねぇ、母さん。オレはDBOにいたはずなんだ。だから、これは夢なんだろう? 幻なんだろう?」

 

 頬をつねれば痛みが走る。夢ではないのか? いやいや、最近のオレの夢は妙なまでに生々しい質感を持っている。ならば、ここも夢の世界の可能性は捨てきれない。思わず、いつも夢にいるはずの黒髪の彼女を探すも、いるのは同じ黒髪でも母さんだけだ。

 シートの上に腰を下ろしている母さんは優しく微笑んで手招きする。これは母さんじゃない。母さんだとしても、オレが都合よく作り出した夢の産物だ。そのはずなのに、オレは幼い日にそうであったように、走って母さんの胸に飛び込んでしまう。

 

「母さん!」

 

『あらあら。篝だったら、珍しく甘えん坊なんだから。最近は寂しい思いをさせてごめんね。お母さんね、最近あまり体調が良くなくて……』

 

 このほんのりと冷たい温もり。間違いなく母さんだ。だったら、オレは……『僕』は長い夢を見ていたのだろうか?

 あはは、そうに決まってるじゃないか! なんだよ、デスゲームってさ! しかも2回も巻き込まれるとか、どんな悪運なんだよ!? 死闘に次ぐ死闘で、頑張って頑張って頑張って頑張って……ずっと頑張って……自分をバケモノと認めて、大事なものがたくさん灼けても戦い続けて、その果てに『答え』があると信じて……でも、本当は気づいていたのに。

 死ぬのは怖くない。死は命の循環なのだから。『僕』たち狩人は命に敬意を払い、命を喰らう意味を知るのだから。

 

「母さん……母さん、僕は『僕』だよね? 篝のままだよね!? 母さんの子だよね!? 人だよね!? 誇り高い久藤の……久遠の狩人だよね!?」

 

『急にどうしちゃったのよ? もちろん、あなたは我ら久藤の狩人の血を継ぐ者。私の子。私の篝よ』

 

 嗚咽も涙も出ない。だけど、母さんの胸に縋りつく『僕』の頭を撫でてくれる手付きは確かに灼けていった記憶にある通りだ。いや、そもそも灼けた記憶など無い。全ては夢だったのだから。

 秋の風が母さんの抱擁と同じくらいに『僕』を眠りに誘う。母さんの膝枕で、太陽の陰となった母さんの顔を見上げて、ヤツメ様の瞳に確かな血の繋がりを感じて、嬉しくて堪らなくなる。

 なのに不思議だ。とても息苦しい。ここにいてはいけないって心が訴えている。ヤツメ様が手を引っ張って母さんから引き剥がそうとしている。

 

「母さん……『僕』ね、行かないと。ここにいたら駄目なんだって、ヤツメ様が言ってるんだ」

 

『そうなの。でも、篝は怖い夢を見ていたのよね? とても辛い悪夢を見ていたのよ? だったら、そこに帰る必要があるの?』

 

 それは……無い、のかな? 何か大切な『理由』があったような気がする。

 泣いている。誰かが泣いている。黒猫が誘う先で……彼女が……サチが泣いている。

 

「止めないといけないんだ。大切な友達がね、苦しんでるんだ。これ以上辛い想いをさせたくないんだ。だから『僕』が悲劇を止めないといけないんだ」

 

『それは篝がしないといけない事なの? 篝じゃないと出来ないことなの?』

 

「そうだよ! だって、このままじゃね、友達が辛い目に遭っちゃうんだ! そうなる事を知っているのは『僕』だけなんだもん!」

 

『そう……篝は優しい子ね。さすがは私の篝だわ』

 

『僕』を抱きしめる母さんの腕の力が籠る。少しだけ憂いを帯びた母さんの目に罪悪感が募る。折角一緒にいられるのに、『僕』はきっと遠くに行かないといけない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『でも、篝が頑張って、傷ついて、苦しんで、大切なものをたくさん失って、そうして友達を救って……あなたは幸せになれるの?』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 途端に『僕』は言葉に詰まる。反論できなくて、でも否定したくて、口を開いては閉ざすを繰り返す。

 ゆっくりと抱擁を解いた母さんが『僕』の両肩をつかみ、いつもそうだったように、微笑んでくれた。

 

『ほら、やっぱり嘘が下手な子』

 

 トンと母さんは『僕』の額を人差し指で小突いた。少しよろめいた『僕』の頭を母さんは撫でて、辛そうに目を伏せた。

 

『良いのよ。もうあなたは悪夢に帰る必要はないんだから。あなたの幸せは悪夢には無いんだから』

 

 息苦しさに眠気が滲む。それを見抜いたように母さんは横になるように誘う。『僕』はヤツメ様の手を振り払って母さんに向かって倒れた。

 

『大丈夫、母さんがいるわ。あなたを守るわ。だって私の子だもの。私の篝だもの。ここにはあなたを傷つけるものは何もないわ。だって、どんな願いだって叶う魔法があるんだもの』

 

「……魔法?」

 

『そうよ。怖い夢だって忘れさせてくる魔法。どんな願いだって、お母さんが叶えてあげる。さぁ、篝。何でも言って頂戴。今日だけはお母さんが魔法使いになってあげるわ』

 

 願い。『僕』の……願い。それは何だろう?

 

『さぁ、思い浮かべて。あなたの願いを」

 

「『僕』は……『僕』は……」

 

 どんな願いも叶うなら、悪夢に帰る必要なんて何処にもない。この故郷で、母さんとずっと一緒にいられるなら、何も怖がる必要はない。

 

 流れ星の音が聞こえた。

 

 ぴちゃり、ぴちゃり、ぴちゃり、と雨が滴って微睡みを引っ掻く。

 

 鼻を突くのは嗅ぎ覚えのある香り。

 

 血と肉と臓物が混ざり合った狩りの香り。

 

 瞼を開けば血の海が広がっていた。右手がつかむのは腸であり、血の海に浮かぶのは眼球であり、腐った肉から突き出すのは骨の腕たち。まるでそれらは『僕』を呪うように、水流に揺れる水草のように蠢いている。

 

「な、なに……これ?」

 

『僕』は探す。膝まで浸す血の海を掻き分けて、死肉の中に願いを探す。

 

『篝、あなたが望んだのでしょう?』

 

 夜空から鎖で吊るされた、解体されたグリムロックの屍が燃えていた。

 

『あなたの願いだったのでしょう?』

 

 グリセルダさんが、ヨルコが、イワンナさんが、アイラさんが、ラジードが、スミスが、たくさんの大切な人たちが、枯れ木の古木で杭で縫い付けられ、その頭部を腹に収めて磔にされていた。溢れる血の涙は止まることなく、血の海を広げ続ける。まるで『僕』を呪うように、眼球の無い目から血を流し続ける。

 

『あなたが求めていたものなのでしょう?』

 

 溺れる程に深い血の海の底から浮かび上がったのは『アイツ』だった。死闘の末に死んだように、その身は獣に醜く爪で刻まれ、牙で食い千切られたように痛々しい。その絶望に染まった眼は空虚な色を宿している。

 

『もう悪夢に帰らないで良いわね。あなたの1番の願いは叶ったのだから』

 

 空には大きな赤紫の月があった。まるで撃ち落とされたように、『僕』の……オレの前に落下して、ぐちゃりと潰れたのはその心臓を抉り出されたユウキだった。まだ息があるような彼女は空気を求めて喉を痙攣させ、涙を流しながらオレに手を伸ばす。

 助けないと。彼女を助けないと! オレが震える手で血を止めようと伸ばせば、指が触れたのは彼女の細い首だった。

 まるで蔦が寄生する樹木を長い時間をかけて絞め殺すように、オレは泡立つ血の海を焼き払う炎を吸い込みながら、彼女の首を絞め続ける。そして、確かな呼吸の途切れがユウキの涙に月光を浸して零した。

 

「ユウキ」

 

 頬に触れても、心臓を失った彼女は動かない。確かに生きていた彼女に死をもたらしたのは、まさに彼女に触れているオレの手だ。

 ああ、分かっているさ。オレは悪夢に帰らないといけない。ここにも悪夢しかないならば、同じ悪夢でも、たとえ建前でも、『アイツ』の悲劇を止められる方が……オレが殺す事で救われる人がいる世界の方が価値はある! そうだろう、ノイジエル!?

 

「ごめん、母さん。オレは……やっぱり帰るよ。オレの願いは叶えられて良いものじゃない」

 

 気づけば血の海は消え去り、芝生が茂るヤツメ様の森の展望の丘に戻っていた。立ち尽くすオレの体は元に戻っている。シートに腰かける母さんは悲し気に微笑んでいる。その肌は崩れ落ち、鏡のような光沢のある表面が露出している。

 それが母さんの『正体』なのだろう。だとしても、鏡が示すのは願望の投影。オレが求めていた母さんの影だ。ならば、たとえ醜悪な罠が作り出した幻だとしても、その存在を否定することは許されない。

 

「ありがとう。少しだけ、また自分と向き合えた」

 

『行かないで、私の篝。ここには全てがあるわ。あなたの望んだ全てが』

 

「行くよ。オレは『アイツ』の悲劇を止める。サチと約束したから。傭兵は……必ず約束を守る。それに……ヤツメ様を裏切るのは久遠の狩人として失格だろう?」

 

 ずっとオレを守ろうとしてくれた、何度も『あちら側』に帰そうとしてくれた、泣きじゃくるヤツメ様の手を握りしめる。もう大丈夫。ごめんね、迷惑をかけたけど、もう意識はハッキリしている。何処の誰のトラップかは大体予想がついているが、残念だったな。こっちは毎回のように見るあの歪んで捩じれた夢のお陰で、この手の搦め手には慣れているんだ。

 

『あなたの「願い」は何処にありましたか? ここにはありませんでしたか?』

 

 母さんの声で、母さんの姿を模った『正体』が語りかける。恐らくは願望を反映していたAI……MHCPと同じ系統の存在だろう。だが、機械的な抑揚の無い声に、そこに『命』は無いのだろうとオレは感じ取る。

 

「さようなら、母さん」

 

 別れの言葉がトリガーだったように、皮膚が全て剥がれ落ちた鏡の母さんが砕け散る。その破片が光の吹雪となってオレを包み込む。

 そして、息苦しさの真実を示すように、オレは冷たい水中で意識を覚醒する。オレの体を拘束するように、絡みつく水藻のように押さえつけているのは上半身しかなかった死体たちだ。濁った水中で確認できる範疇では、途中で途切れた橋が目に映る。恐らく、母さんの幻覚に縛られた瞬間に水中へと落ちてしまったのだろう。

 HPは残り3割……いや2割くらいか。黄色で点滅するHPバーを見守り、さてどうしたものかと冷静に考え、オレは拘束が緩い左腕で死体たちの手を振り払い、逆手で贄姫を抜いて水銀の刃を放つ。水中で減速しているが、その貫通効果の高さを示すように死体たちを薙ぎ払って遠ざけ、その間に水面を目指して浮上する。

 まるで獲物を求めるピラニアのように死体たちはオレを追いかけるも、それより先に水上に出たオレは間一髪で橋の縁を掴んで転がり上がる。右足を未練がましく掴む死体は蹴り上げて橋の上に飛ばすと、そのまま背中を踏みつけて後頭部に贄姫を突き立てて始末する。

 へなへなと腰を砕けたヤツメ様は安堵する息を漏らしている。狩人は呆れたように胡坐を掻いて頬杖をついていた。まぁ、幻に誘われて入水自殺寸前だったのだから、その冷たい対応も納得かな?

 

「……後継者め。とんでもない置き土産を残してくれたな!?」

 

 このやり口はどう考えてもあの狂人野郎だ! おそらくは元からアルヴヘイムに設置されていたご自慢の心理攻撃トラップだろう。サチの記憶と同じだ。恐らくはオレ達の願望を反映させ、それを叶えさせる幻覚を見せて、破れなければめでたく入水からの窒息死コースだろう。

 残り8つの貴重なナグナの血清で回復するより、今は義眼のオートヒーリングに頼った方が建設的だろう。だが、このままHPが十二分に回復するまで休憩するわけにもいかない。このトラップが発動したのはオレだけではないだろう。

 左目を覆う眼帯を外し、義眼の能力の1つであるソウルの眼を発動させる。魔力の消費量は大きいが、これで周囲の生命体を視認できる。霧があろうと何だろうと関係ない。

 右目の視界が失せ、代わりに義眼が映すのは暗闇であり、青い炎にも似た光だ。視認できる範囲ではあるが、1つはここから遠くない場所の水中で、もう1つはその頭上で旋回しており、もう1つは止まったまま動いていない。

 飛行しているのは恐らくイリスだろう。ならば水中にピクリとも動かないのは誰なのか言うまでもない。オレは場所を憶えてソウルの眼を解除し、復帰した視界を覆う霧の中を走り抜ける。

 

「イリス!」

 

「【渡り鳥】様! 何処に行かれていたのですか!? いいえ、今は主様をお助けください! 私では水中に入れません!」

 

 この霧には聴覚有効範囲を大幅に制限する効果でもあるのだろうか。主を失ったヘス・リザードが途切れた橋の前でガチガチに硬直している脇を駆け抜け、オレは水面へと飛び込む。途端に、水底で虚ろな目をしたままピクリと動かないザクロを拘束していた死体たちの何体かが新たな犠牲者を捕まえるべく動き始める。

 だが、コイツらは水中型でも決して速い部類ではない。鞘に戻した贄姫から水銀の刃を放ち、迫る3体を斬り払い、連装銃で掴みかかろうとする1体の頭を吹き飛ばす。

 ザクロを拘束するのは全部で7体。水銀の刃で纏めて薙ぎ払えないこともないが、ザクロも巻き込んでしまう。残りHPが1割を切っている彼女では耐え切れないだろう。オレ自身もHPは3割未満だ。

 オレを追い払おうとする死体たちの内の2体の首を纏めて贄姫で斬り飛ばす。幸いにもコイツら自体は雑魚だ。倒すことは難しくない。だが、水中ではどうしても動きが鈍る。STR出力を高めて強引に振るい抜くしかないだろう。

 残り5体。1度はザクロの体から離れ、軽やかに泳いでオレの周囲を旋回して攻撃をかけようとするが、それは明らかに悪手だ。むしろ、ザクロから離れてくれたのは喜ばしい。連装銃の弾速は大きく落ちているが、それでも死体を狙い撃てない程ではない。オレの右腕を噛もうとした1体を至近距離で撃ち抜き、そのまま贄姫で背後からの1体の喉を貫いてそのまま斬り上げて脳天まで裂く。すると残り3体は勝ち目がないと見たのか、ゆっくりと後退していく。

 拘束が解けて緩やかに浮上するザクロの腕をつかみ、オレは足をばたつかせて水面を目指す。呼吸できない圧迫感がオレの喉を掻き毟る。

 冷えて湿った空気が入り込む水面に到着し、ザクロを力任せに橋まで放り投げる。幸いにも死体たちが仲間を呼び寄せるよりも先にオレもまた橋の上に退避する事に成功した。

 

「主様! 主様! しっかりしてください!」

 

「わめくな。HPはまだ残っている。死にはしない」

 

 ぼふんぼふんとザクロの腹の上で跳ね、その口から水を吐き出させるイリスに、オレは腰を下ろして疲労感で湿らせた吐息を零す。びっしょりと濡れた体は今更なので気になりもしないが、アルヴヘイムで最初に死にかけたのが、ボスでもネームドでもなく、精神攻撃トラップとは実に後継者らしい手法だ。

 イリスがオレとザクロに鱗粉を使用してHPを回復させる。緩やかにだが回復するHPを見つめながら、オレは意識を失ったままのザクロに視線を移す。

 水中から脱したならば、ザクロもまた幻から解放されているはずだ、とは言い切れない。あくまで水中にいたのは幻の効果であり、彼女の意識は今もオレと同じように願望の世界に囚われているのかもしれない。

 どうする? このまま放っておくか? それが1番の適切な対処のはずだ。だが、イリスの潤んだ目に……いや、オレ自身の記憶の中で嫌という程にそのポンコツっぷりを披露してくれたザクロが駆け巡る。

 

「起きろ、ザクロ」

 

 ザクロの頬を叩き、オレは彼女に覚醒を促す。だが、彼女は唇を小さく動かすばかりだ。

 

「……おばあ……ちゃん……ずっと……一緒……に……」

 

 それは彼女の願いなのだろう。彼女は今も愛しい誰かと一緒にいる願いに囚われているのかもしれない。ならば、この残酷な死と戦いの世界に引き戻すべきではないのかもしれない。

 オレとは違って人並みの、普通の、とても幸せな願いのはずだ。たとえ幻だとしても、安易に否定して良いものではないはずだ。

 血と肉と臓物に溢れた……愛しい人々の無残な死に溢れた世界。それがオレの願いだった。だからこそ、ザクロの呟きに、オレは唇を噛み締める。

 オレの言葉に誰かを救う力はない。それはこれまでの戦いで証明され続けた。だから、オレにできる事は力を行使することだけだ。ナグナの血清をザクロに打ってHPを回復させる。そして、彼女を跨ぐ形で立つと右拳を握る。

 

「戻ってこい……ザクロ!」

 

 そして、振り下ろす! いっそソードスキルを発動しても良かったのだが、万が一もあるので殺害しないように、だが加減せずにザクロの腹に右拳を打ち込む! その衝撃とダメージフィードバックが駆け抜けただろうザクロは目玉が飛び出す程に顔を硬直させ、舌を突き出し、激しく咳き込む。

 

「うげほ……ゲホ……ガホ……! おばあちゃん……おばあちゃ……ん」

 

 虚ろな声で祖母を呼ぶザクロは、やがて目に精気を取り戻し、状況を悟ったようにオレを睨む。だが、どうやら幻に囚われて精神力を擦り減らしたのだろう。憎まれ口を叩けるだけの元気までは残っていないようだ。

 

「主様! 良かったです! 本当に良かったです!」

 

「……ごめんね、イリス。心配かけて。それに、お前も……感謝は――」

 

「する必要はない。オレは好きなように生き、好きなように死ぬ。自分勝手にオマエを引っ張り上げただけだ」

 

 肩を竦めたオレは自力で立ち上がったザクロと彼女に抱擁されるイリスを横目に、怯えて足踏みするだけだったヘス・リザードの手綱をつかむ。まだ足がフラつくザクロは自分の足で歩こうとするが、そんな状態でまた橋から落ちても困るので、オレはイリスと目を合わせ、彼女に無言でヘス・リザードに乗るように促す。

 さすがに自分の状態くらいは分析できているのだろう。ザクロは疲れ切った顔でヘス・リザードの背に乗り、そのまま眠るように瞼を閉ざす。さすがに睡眠をとるなどは無いだろうが、精神力を回復させるのに瞼を閉ざすというのは有効的だ。

 先程よりも頻繁に振り返るヤツメ様の後を追って、オレ達はようやく湿地帯の終わり……反オベイロン派が拠点にしているだろう、古いインプ達の築いた都市遺跡にたどり着く。人影は無いが、そもそも今も拠点として機能しているかどうかも不明だったのだ。じっくりと探索すれば良いだろう。

 ザクロはヘス・リザードから下りてその足に寄りかかって休み、イリスはザクロの頭の上で翅を動かし、回復鱗粉が復活次第すぐに治癒させる。オレはのんびりとオートヒーリングでHPの回復を待っていると、オレ達と同じようにずぶ濡れ姿のPoHが騎獣に乗った姿で現れる。

 どうやらPoHも幻に囚われて水中に落下していたようだ。彼ならば幻を鼻で笑って追い払うくらいの真似をするだろうと思っていたオレは少しだけ驚く。

 既に時刻は夕暮れだ。霧の湿地帯を黄昏の光が照らし、幻想的な濃霧を作り出しているのだが、オレには美しいとはとてもではないが思えない。連装銃に消費した弾丸を装填して準備を終えたオレは湿地帯で見た幻を思い返す。

 

「……オレは『人』だ。オレが『オレ』である限り」

 

 それでも、オレの奥底にある1番の『願い』は殺戮の夢だった。愛しい人々を殺して貪る狂宴だった。

 だからこそ、オレは『祈り』を忘れないんだ。彼女に託した『祈り』がオレを繋ぎ止めてくれるはずなのだから。




おや、アルヴヘイムの様子が……? 
至って真面目に生々しいファンタジー世界だったはずのアルヴヘイムがそろそろ本気を出していくそうです。主に宇宙的悪夢の啓蒙と四凶的な意味で。


それでは247話でまた会いましょう!

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