SAO~デスゲーム/リスタート~   作:マグロ鉱脈

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前回のあらすじ
妖精王オベイロンこと須郷さん、踏んではならない地雷を踏む。
原作メインヒロイン、アスナさんの囚われヒロインとしてエントリー。




Episode18-11 目指すべき場所

『師よ、「天敵」なんて本当に存在するのか?』

 

 その男とどのようにして出会ったのか、『彼』は憶えていない。

 SAO事件の裏で進む計画の内容を知らされ、来たるべき計画の為の『駒』として直々にスカウトされた『彼』は他とは異なる『特殊な方法』で仮想世界に蘇生された。他の死亡したプレイヤーとは異なる比較的成功率が高い手段であったが、それでも使用する機器……ナーヴギアに施された『細工』に限界がある以上、フラクトライトの破損は免れないという説明を受けた。それが影響しているのだろう。

 自己の喪失もあり得る危険な賭け。それでも『彼』はノータイムで仕事を引き受けた。自らの死すらも勘定に入れてつかみ取った、次なる遊び場への切符。彼は自分の死をもたらすのは、彼が生涯を通して2度目の天啓に他ならないだろうと信じて疑わなかった。

 1度目の導きは生涯唯一尊敬できるといえる人物、全てを与えてくれた師との遭遇だった。名はサーダナ。それが本名かも定かではない男だ。男は『彼』を気に入り、弟子にならないかと誘った。変人・奇人・狂人……いずれの表現も相応しいだろう男だった。

 本音を言えば、『彼』は男を侮っていた。ただの老いぼれに過ぎないと見誤っていた。そして、弟子入りしたその日に彼のプライドは砂よりも小さく粉々に砕かれた。

 まさしく超人。男は両腕を使わずに、火器も含めたあらゆる手段を認可された『彼』にして、1度として決定打を……いや、掠り傷1つ負わせられないまま、まるで子犬と戯れるように制した。

 

 

 

 お前には探究が足りない。生まれながらに誰もが『答え』を探す。お前の『答え』は何処にある? お前の美学とは名ばかり。細波に消される運命にある砂上の落書きだ。お前に全てをやろう。私の技を、私の知識を、私のミームを。そうして、お前自身が見つけ出すのだ。お前が生まれた意味を。生涯を通して探し出さねばならない『答え』を。

 

 

 

 そう告げる男に従ったのは、崩れたプライドの残りカスが刺激されたからだろう。

 男の弟子たちはいずれも傑物だった。だが、同時に歪んでいた。いずれも探究の徒であり、『彼』とは馬の合わない者ばかりだった。だが、『彼』は生まれて初めて友と呼べる者たちを男の下で得た。互いに気を許し合う関係ではなく、切磋琢磨して真理を探し求める探究者としての絆とは何たるかを知った。そして、それこそが『彼』に孤独感を募らせた。

 彼らはいずれも自分よりも遥かに教養溢れた探究者だった。ある者は政治の道を志し、ある者は起業して富を得て、ある者はテロリストと呼ばれる存在となった。それらを男はいずれも背中を見送ることもなく、淡々と旅立ちの日に少しだけ語り合う以上の事はしなかった。

 そんな男が求め続ける『天敵』とは何なのか。『彼』は僅か1年足らずで男の知識の全てを吸収した。毎夜のように行われた鍛錬により、自らの矮小さを知り、世界の広さを知り、己に秘められた深奥を知った。それでもなお、男すらも見定められない『天敵』とは何なのか、『彼』の探究心が擽られた。

 

『そうか。気になるのか。お前も立派な探究者になったというわけか』

 

『茶化すな。俺は知りたい。人類を殺し尽くす「天敵」。そんな夢物語の怪物が本当に存在するのか?』

 

『それは曲解だ。「天敵」とはドミナントの突然変異のようなものだ。先天的に戦闘適性が高い人間、人類種の戦闘特化個体たるドミナント。そのドミナントでも殺戮に特化された個体。人類種を間引く調整機能。まだ仮説でしかないのは口惜しいが、実在は疑う余地もない。だが、「天敵」は人類種を滅ぼす為に生まれるのではない。種に安定をもたらす為に生まれる』

 

『生まれた時から殺して、殺して、殺しまくる為の本能を持ったドミナント。どれだけ言い繕っても生まれながらの虐殺者だ。だろう?』

 

『……探究者としてはまだまだ半人前だな。いや、お前の探究者としての到達点はそこかもしれんな。私は探究者だが、お前は思想家だ。私には無い選択が出来る。それがお前の「答え」に至る始まりか。思想家は探究者でありながらも、探す者ではない。賢くなく、愚かでもなく、真理を求めず、同時に真理に触れる。それが思想家だ』

 

 サーダナと呼ばれる男は数学者であり、宗教家であり、戦闘狂だった。だが、いずれにおいても彼は探究者であるという事実だけは揺るがなかった。だからこそ、『彼』には師の言わんとする事が分かっていた。

 

『世界は加速し続けている。いずれは今の停滞の淀みを吹き飛ばす新風が起こるだろう。新たな視点、新たな概念、新たな技術、それらが私に次なる探究の道を与えるだろう。だが、お前は探究者でありながらも思想家だ。私が与えらえるものは全て与えた。後は自由にするが良い』

 

『……我が師よ、世話になった。俺にとって、あなたは唯一尊敬できる男だった』

 

 生まれて初めて、『彼』は心からの敬意を秘めて頭を下げ、自分に導きを与えてくれた男に別れを告げた。

 

『行くが良い、古き王たちの後に続く者よ。お前もまたドミナント。腐り果てるはずだった種は今や春を迎え、大輪を開いた。どのような実りをつけるか、どのように散るかは私の関与すべきところではない。だがな、どのような道を歩んだとしても、お前もまた我が弟子に違いない。私はお前の道を見届けよう。師として、お前が思想家として出す「答え」を心待ちにしているぞ』

 

 多くの弟子を淡白に見送ったはずの男が、激励を込めて肩を叩き、『彼』を送り出した。それは愛情とは程遠いものだったはずだ。だが、『彼』はそれこそが師より贈られた最大の餞別に違いないと確信し、嗚咽を漏らした。

 今でも、どうして師が『彼』の人生を変える機会を与えてくれたのか、それは分からない。だが、『彼』の思想家としての出発の日は穏やかな月夜であり、永遠に忘れない『彼』の原風景となった。

 そして、『彼』は出会ったのだ。仮想世界で、鉄の城で、まさしく『天敵』の雛としか言いようがない、穢れすらも啜り、喰らい、糧とする、人類種に死をもたらす為だけに生まれた『獣』に出会ったのだ。

 

 ああ、師よ。あなたが到達できなかった真理にたどり着いた。これこそが俺の思想家としての『答え』だったのだ。

 

 アガペー。それこそが『天敵』の絶対なる条件。神の平等なる『殺戮』という名の愛。最上位の捕食者にのみ許された境地からの死の抱擁。

 この世の全てが『天敵』の糧であれ。未だに『天敵』は『天敵』であらず。殻を割り切れぬ雛であり、育ちきり、この世を焼き尽くす業火をもたらす凶鳥となるには膨大な糧が必要だ。多くの悲劇が、死が、命が必要なのだ。

 祈れ、『答え』の為に。思想家であるがゆえに『彼』は目指す。自分の命すらも糧として、必ずやこの世に『天敵』を羽ばたかせる為に。その爪と牙で以って、人類種を殺し尽くす為に。

 

 

「……あ、ようやく起きたわね」

 

「みたいだな」

 

 

 らしくないうたた寝をしてしまったのだろう。潮風に混ざる新たな土地のニオイに、『彼』は……PoHは瞼を開く。それを覗き込むザクロの今にも殺してやろうかと訴えるような眼差しはそれなりに気に入っている。この女もまた狂人であり、殺しに意味を見出した存在だからだ。

 だが、それ以上にPoHが魅入られたのは赤みがかかった不可思議な黒の瞳。仮想世界特有の色彩カスタマイズの域を超えた、魂の色を滲ませた血の瞳。そこには穏やかな光があり、人間らしい感情の『濁り』に隠された、殺戮者としての隠しきれない捕食の本能の純粋な混沌が潜んでいる。

 あの時から何ら変わらない、鉄の城で出会った夜から何1つとして変じていない、一切の不純物が無い殺意。どれだけ表面を取り繕っても、幾重のベールで装飾しようとも、核となる殺意は純度という概念すらも生まれない程に澄んでいる。

 あの日から魅入られているのだ。古き王たちの後を継ぐ者……多くの過去の先人たちがたどり着けなかった思想家としての『答え』。PoHは我が身を落ち着かせるように一呼吸入れて、内心を見抜かれないようにお道化てみせる。

 

「俺とした事が……眠っちまったようだな」

 

 疲れが溜まっていたわけではない。ならば、過去の瞬きを見る程に深く眠りについた理由を探し、それをもたらしたのは他でもない白の傭兵なのだとPoHは薄く笑う。席から立ち上がり、機関車から降りれば、駅のホームに新たな風が陸側より吹き込んだ。

 

(俺達以外にも7人のプレイヤーがアルヴヘイムに侵入している。内の1人は『情報通り』ならば【黒の剣士】に違いない。残りの6人は誰だ?)

 

 PoHは自分の目的を邪魔するならば、たとえ白の傭兵だろうと殺す。その方針は変わらない。そもそも自分に殺されるならば『天敵』であらず。尤も、今のクゥリはもはや人外の域に到達した戦闘能力を持っている。

 

(目的は3つ。その内の1つはクゥリも邪魔するだろうな。まだコイツとぶつかり合うべきじゃない)

 

 治癒した傷が疼く。シャルルの森で、PoHを圧倒した黒紫の少女が視界を掠め、彼は苛立ちを覚えて舌打ちを鳴らしたくなる。不愉快であるが、あの少女に敗走した経験がPoHにサーダナより鍛えられたドミナントとしての力を完全に取り戻させた。だが、その力もクゥリに通じるとは思えない。そもそも、PoHはアインクラッドでクゥリに敗れ、殺された身である。【渡り鳥】が最強……いや最狂とも言うべき状態だったSAO末期。あの頃の力を上回る成長を遂げたクゥリには届かないだろう。もちろん、『まともに戦えば』の話であるが、そもそもアウトローな戦いはクゥリの本領にして得意分野だ。ゲリラ戦など仕掛けた日には、逆に狩られるのは確定である。

 片腕のアルトリウスとの戦いをPoHも見ていた。さすがのPoHも時期尚早の相手だと踏んでいたアルトリウスを、戦いの中で急成長を遂げる事で劣勢を覆し、なおかつ倒しきったのだ。そんな相手に生半可な策など通じない。

 

(それに致命的な精神負荷の受容もある。俺が教えた戦い方だが、まさかあそこまで使いこなしていたとはな。だが、ダメージが大き過ぎる諸刃の剣のようだな)

 

 VR適性が劣等のクゥリが仮想空間で『本来の脳の能力』を発揮するには、致命的な精神負荷を受容するしかない。だが、運動アルゴリズムを通さぬ高負荷が着実にダメージを与えている。PoHが観察した限りでは、左腕の知覚不全と味覚喪失は違いない。他にも表面化していない小さなダメージはあるはずだ。それらがいつ結びつき、新たなる障害をもたらすか分からない。

 

(育ちきる前に燃え尽きちまうか? それならそこまでの存在だ。だが……)

 

 その一方でPoHが気になるのは、アルトリウス戦で明らかに致命的な精神負荷の受容をしながらも、クゥリの思考が『保たれていた』点である。

 意識が灼ける中で戦い続けるだけの目的意識。自我を見失わない為にはそれが必要だとされている。それが出来る戦闘本能があったと言えばそこまでだが、PoHにはもう1つの見解もあった。

 今は経過観察すべきだろう。PoHは駅のホームから続く階段を下りつつ、思考を纏める。

 大量の食べ物が入った紙袋を抱えながら、PoHは鼻歌を青い海に奏でて逸る心を慰める。まだ単独行動を取るには早過ぎる。他の7人の動向を把握してからだ。それ次第では方針転換も求められるのだから。

 

 

▽   ▽   ▽

 

 

(アイザックは悪戯好きのガキみたいな男だけど、考え無しの馬鹿じゃない。わざわざ【来訪者】が10人も侵入する直前に、唯一の切り札であるバックドアを使って勝ち目がない襲撃を仕掛けてきた。計画された行動だったはずだ)

 

 お気に入りのクリスタル製のチェス盤を前に、黄金の椅子に腰かけるオベイロンは黒水晶のキングを右手で弄びながら、世界樹に設けられた展望テラスで思索に耽っていた。

 薄い透明なガラスで覆われたテラスには七色の歌い鳥がオベイロンの為に喉を鳴らす。テーブルにある白のティーカップに注がれた紅茶の香りを堪能しながら、オベイロンは自身の手札のいずれを切って【来訪者】を始末するか思案する。

 対策は万全であり、世界樹に……オベイロンにたどり着かないように多重の守りを固めている。だが、それでも自分を殺し得る唯一の存在である【来訪者】……正規にアルヴヘイムを訪れたプレイヤーに脅威を感じていない訳ではない。

 王は常に暗殺者の影に怯えた。オベイロンは黒のキングを睨みながら、ボスとしての性能を与えられた自分に、たかだかプレイヤー10人が束になっても敵うはずがないと思う一方で、アルヴヘイムに固執している【黒の剣士】の危険性を無視していない。

 10人の侵入者の内の1人は【黒の剣士】で間違いないだろう。だが、たとえ天地がひっくり返りでもしなければ後継者と【黒の剣士】が手を組むとは思えない。とはいえ、オベイロンの反乱自体が天地がひっくり返る事態なのかもしれないが。

 オベイロンの対【来訪者】の初動が遅れたのは、セカンドマスターの文字通りの我が身を使った時間稼ぎの戦果だ。バックドアで襲撃をかけるにしても、それが出来るのはGM権限を持つ者のみ。セラフ、エクスシア、ブラックグリントといった管理者AIの最高戦力は使えず、また管理者権限が封じられるだろう事は分かり切っていたはずだ。だが、セカンドマスターは確実にオベイロンが【来訪者】を追い詰められるアドバンテージを……初動を封じ込める為に、確実に負ける戦いを仕掛けた。そして、管理者権限無しでありながらも、オベイロンから時間を削ぎ取ったセカンドマスターの健闘は忌々しいまでに効果覿面だった。

 その後はわざわざ『アレ』を使ってセカンドマスターを幽閉し、時間速度がズレた空間でじっくりと責め苦を味合わせて口を割らせ、またGM権限を譲渡させようとしたが、そう簡単には首を縦に振らないだろう事はオベイロンにも予想がついている。懐柔する為の策は必ずあるはずであるが、オベイロンは未だにセカンドマスターを読み切れていなかった。

 

「アイザックには自己犠牲の精神なんて無縁のはず。余程に10人の【来訪者】に僕を殺させる自信があるのか? だとするならば、とんでもない見当違いだ」

 

 いや、そもそも10人全員がアイザックの手の内とは考え辛い。オベイロンの読みでは、内の5人はダミーで、内の5人がセカンドマスターの戦力……更にその5人でも本命は1人か2人で残りは囮とオベイロンは見ている。

 ならば、必然としてボスやネームドを単身で撃破できる戦力に限られるのだが、カーディナルに接続してプレイヤー情報を閲覧できないオベイロンでは戦績から侵入プレイヤーを特定できない。下手な行動を取れば、セラフに『裏切り者』を認知させるかもしれず、それはオベイロンの計画に差し障る事になる。

 アルヴヘイムには強大な戦力がある。だが、早めに潰すに越したことは無い。オベイロンはそう結論付ける。

 

「ロザリア」

 

「ここに」

 

 ならば、まずは切るべきカードを切る。オベイロンは迷わず、最初の手札を使用する事を決める。彼に呼ばれた赤毛の女は、不似合いなアルフ達が着飾る白の装束の姿でオベイロンの背後に姿を現す。

 艶やかではあるが、どちらかと言えば安っぽさが漂う美を持つロザリアに、オベイロンは笑いかける。すると、ロザリアはやや緊張した面持ちで彼の傍まで寄って跪いた。

 元々はセカンドマスターの配下であったが、彼の命令……いや、言い付けを無視してあるプレイヤーを抹殺しようとした事で不興を買い、長らく冷や飯を食わされていた彼女を、オベイロンは裏切る前に所有権を譲り受けた。生前は高いイレギュラー値を持っていた彼女はオベイロンの研究からも必要なモデルケースの1つだったが、結果から言えば、彼女に有用性は感じられず、駒として利用する事にしたのだ。

 

「『彼女たち』の調整は済んでいるだろう? アルヴヘイムに害虫が10匹も紛れ込んだ。駆除をお願いしたい」

 

「駆除……ですか?」

 

 眉を顰めるロザリアだが、反抗を示す気は無いようだ。彼女もまた本来の雇い主であるセカンドマスターに助力しなかった時点で、オベイロンの配下となった時点で、陣営を選択している。

 狂人であるが故にセカンドマスターは理解されない。だからこそ、ロザリアのようなタイプを動かすのは損得勘定だとオベイロンは心得ていた。彼女はセカンドマスターに心酔しているわけではない。死者復活の対価として、得られたメリットの大きさを鑑みて、セカンドマスターの従僕となっていただけだ。ならば、オベイロンがそれ以上のプロモーションをかければ引き抜けるのは道理である。

 

「居場所も分からない相手を狩るのは、些か無理があるかと……」

 

「意見するのかい? わざわざ僕が『お願い』しているのに?」

 

 コツコツと黒のキングでクリスタルの盤を叩くオベイロンに、ロザリアは冷や汗を垂らす。その様子をねっとりと舌で舐め取るように楽しんだオベイロンはロザリアに立ち上がるように指で命じる。

 

「1人は君も因縁がある【黒の剣士】だ。実質的な脅威はコイツだけ。残りはじっくりと狩れば良い」

 

「……【黒の剣士】。そうなると、傍にはシリカもいますね」

 

「やる気が出ただろう?」

 

 ロザリアのSAO時代のログは確認済みである。オベイロンは彼女に蓄えられた殺意が膨れ上がったのを感じ取る。部下に仕事のモチベーションを上げさせるには、適切な餌をぶら下げるのが効率的なやり方だとオベイロンは心得ていた。

 

(アイザック、君の時間稼ぎは無駄だよ。アルヴヘイムは攻略できない。僕が揃えた戦力と君が準備したネームドたち、その両方が【来訪者】を殺すだろうさ)

 

 だが、念には念を入れておかねばならないだろう。初動の遅れがもたらした【来訪者】の特定・排除の失敗はオベイロンとしても避けたかった事態だ。ならば、積極的にカードを切るべきであり、また後々まで視野に入れて行動すべきだ。

 ロザリアを見送ったオベイロンは次なる策を発動させるべく、唇を赤い舌でねっとりと舐めた。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 ウエスト・ノイアスからアルヴヘイム本土に渡る為には、海域を通すロープウェイを利用する他ない。塔が複数立ち並び、総数20にも及ぶ巨大ゴンドラが貨物の運搬を担う。当然ながら、物資搬入と搬出には入念なチェックが入り、海域にはオベイロンが禁海に放った怪物がいるので証をもつ1部の船舶以外は渡ることができず、そうでなくとも潮流の関係で難所である海域を突破できる船乗りは少ない。

 だが、荒れ狂う渦潮と黒雲が雷光と雷鳴を孕む中を突き進む1隻の船があった。それは高速船にすべく複数の帆が張られ、また気泡のようなものを船体後部から噴出して更なる加速を得ている。

 

「【メロネー】、これ以上は無理だ! 船が壊れちまう!」

 

「駄目よ、【ゲイリー】! あともう少しなの! あともう少しでお母さんの夢が叶うのよ! ここで引き返すなんて、出来るはずがないじゃない!」

 

「お前が死んだらオヤジ殿に顔向けできないんだよ! 追っ手の巡視船もクラーケンに喰われちまったんだぞ!」

 

 バンダナをつけた左肩に入れ墨を施し、右顔の半分に火傷がある男が叫ぶ。袖を切り取った革服を着て腰に曲剣を差しているが、その姿は海の男でも海賊といった風貌である。それものそのはずであり、張られた帆は赤大王イカの墨で丹念に塗られた黒であり、大きな髑髏マークが施されている。

 

「壊れるまでエンジンを吹かして! ノーム魂、ここで見せないでいつ見せるのよ!?」

 

 船を操るのは1人の少女。派手な赤色の海賊服を着た少女は獰猛な鮫を思わす八重歯を光らせ、右へ左へと舵を取り、幾度となく船体をひっくり返そうとする波を乗り越えていく。だが、それを遮るように雷光を浴びて進路にそびえるのは黒い塔だ。

 違う。それは巨大な軟体類の脚だ。鋭い鉤爪が複数ついたイカの脚だ。通常の漁船程度のサイズしかない改造船など脚の一振りで粉砕できるだろう事は間違いない。それが3本も海面から伸びているのだ。

 

「クラーケンだ! 追いついてきやがった!」

 

「へへ……『あの人』が言った通り、『作戦通り』じゃない! ここはクラーケンの喰い残し! 多くの船乗りたちの墓場! クラーケンの巨体じゃお得意の真下からの奇襲はできない!」

 

 改造船が一際大きい津波を突破した先にあったのは、岩礁に打ち上げられた破損した複数の船である。それは漁船であり、巡視船であり、海賊船であり、乗り手を死なせてしまった海の相棒たちの墓場だ。

 船体がギリギリで船の墓場の狭間に滑り込み、クラーケンの脚のハンマーから逃れる。帆は役に立たず、機動力を支えるのは船体後部から気泡を吐き出す装置なのだが、それは寿命をすり減らし、今にも死にかけているような悲鳴を上げる。

 

「禁海を抜けるまでは油断できません。この墓場から脱せられても回り込まれるだけ。ここで叩いておく必要があります」

 

 ふわりと、豪雨が全方位から突き刺さるような空の下、破れたマストのロープを駆け上がるのはアルヴヘイムでも標準的な旅人用品よりもはるかに丈夫そうな、材質も分からない茶色のマントを羽織った少女だ。被るフードから覗かせる顔立ちは可愛らしくも幼い。その右手には短剣が握られており、左肩には薄いブルーの鱗と羽毛を持つ幼竜がいる。

 モンスターと心を通わせる力を持つ者はアルヴヘイムの長い歴史にも幾人か存在したが、たとえ幼竜であるとしても竜種と繋がりを持った者はいない。

 だが、アルヴヘイムの住人は知らずとも、DBOの……いや、仮想世界に携わる者たちはSAO事件に触れれば、彼女の名を聞かないことは無い。かつて完全攻略を導いて【竜の聖女】とまで言われたシリカは≪テイマー≫を持ち、留守番させている2頭とピナの計3頭の竜を手懐けている。その中でもピナはスペシャルであり、彼女自身がDBOにログインする条件としてある男にナーヴギア、アミュスフィアと渡り歩いてきた相棒のAIを移植させたものだ。もちろん、それにはピナと同等の竜種のテイミングが不可欠だったが、彼女には可能であるという確信があった。

 テイミングしたモンスターはプレイヤーと同じ扱いでありながらモンスターであり、独自に成長し、強化を続ける。ピナは幼竜の成長途上とはいえ、レベル50相当のプレイヤーに並ぶ性能を持ち、幾多の戦いを潜り抜けて蓄積された戦闘情報は並のプレイヤーとは比べられない程に卓越した戦士とする。

 舞い上がったピナの口から漏れたのはモンスター専用スキル≪ハウリング≫の咆哮だ。ピナが保有する≪ハウリング≫は3種類であり、その内の1つは物理防御力のダウンである。脚のそれぞれが独立したHPバーを持つクラーケンを撃破するには、いくら脚を倒してもしょうがない。だが、破壊された脚の分だけクラーケンは脆弱になる。

 

「倒すのは『少々厳しい』ですが、ピナの攻撃で十分にダメージを与えられたところを見るに、防御面は脆弱ですし、頭も良くないです。脚の2本や3本斬り捨てれば何とかなりますよ」

 

「簡単に言ってくれるわね。でも、船上ならともかく、これだけ足場があれば、ただの鈍くて大きな的よ」

 

 曲剣を弓に変形させるのはアルヴヘイムでは珍しいタクティカルジャケットとショートパンツ姿をした、左腕が義手の少女だ。GGO時代に取った異名【魔弾の山猫】の本領たる狙撃はなくとも、DBO初期から扱い続けた弓の腕前は他プレイヤーの追随を許さない。ピナが攪乱する中で、船の墓場の折れたマストを足場に、狙いを澄ましたシノンが放つのは【竜狩り人の矢】だ。

 本来、竜狩りとは古竜との戦いを源流に持つ。即ち、神族の領域だった。だが、グウィン王の盟友たるハベルのように、人は無関係を貫いていたわけではない。むしろ、神族の裏で彼らへの信仰と忠誠の下で戦場に立ったのだ。竜狩り人の矢は、本来の神族用をダウングレードして、人間らしく一撃の火力よりも連射性を重視した矢である。現状ではドロップ限定品であり、収集には大ギルドの力が不可欠だ。

 だが、幾ら連射性能を重視しているとしても、その火力は竜に対するためのものだ。高い雷属性と貫通性能を持つ。クラーケンのブヨブヨとした皮膚など容易く貫き、その内側まで黄金の雷を浴びせる。

 本来ならばボス戦以外ではまず使用しない貴重な矢を多量にシノンは持ち込んでいる。今回の妖精の国……アルヴヘイム攻略には報酬などない、彼女自身のワガママから始めた戦いだ。ならば、使用した経費はそのまま赤字となって彼女の首を絞めることになるが、シノンは気にせずに、着実にクラーケンを矢で貫き、ダメージを蓄積させる。

 今まで海の支配者だっただろうクラーケンの戸惑い。力のままに叩き潰し、貪れば良いはずだった餌たち。それらから手痛い反撃を受けるなど予想もしていない。いや、AIのオペレーションに組み込まれていない。大振りの叩き潰しなど、竜の神戦を潜り抜けたシノンからすれば欠伸が出るほどに鈍く、また稚拙だ。

 

「まずは1本」

 

 そして、竜狩り人の矢でダメージを蓄積させれば、黒い風が雷風を裂いて躍る。2本の片手剣はクラーケンの肉を瞬く間に切り開き、内部まで刃を通し、傷口を押し広げ、切断まで追い込む。船を圧殺する程の質量が伴った脚が1本切り離されて落ちれば、船の墓場は大振動を受け、荒波で狂っていた海にも轟音が響く。

 仮面の傭兵、UNKNOWN。数えきれない死闘を生き抜いた彼からすれば、クラーケンなど海に隠れた木偶の坊にも等しい。脚を半ばから失い、青黒い光を撒き散らしながらクラーケンはのたうち回る。その間にシリカの指示を受けたピナが魔法属性のブレスで脚の1本へとダメージを蓄積し、シノンは鉤爪の根元を狙い、1番軟らかい部分を精密に貫く。

 近接攻撃が最もダメージを与えられるが、義手はなるべく温存したいシノンは、竜狩り人の矢でレベル1の感電状態になった脚に接近し、弓を曲剣に戻して連続斬りを浴びせる。そのまま暴れ回る脚に貼りつくように回転斬りを繰り出してスタンさせると、即座にUNKNOWNが足下の船の残骸が飛び散る程の重々しい踏み込みからの二刀流の斬り上げから振り下ろし、そして同時突きから更に斬り払いに続けてトドメを刺す。

 これで2本の脚を破壊した。シリカはピナへの指示を攻撃重視から回避重視及び改造船の離脱援護に変更する。そして、毒々しい黄色の液体で湿ったような【MY式麻痺ナイフ】を投擲する。MYはもちろん『MaYu』の略称である。レベル2の麻痺を蓄積させる投げナイフは次々とクラーケンの脚に命中する。

 

「さすがに麻痺耐性は高そうですね」

 

「この大きさだからな。デバフ耐性は高めだろうけど、感電は溜まり易かったみたいだし、やっぱり雷属性が弱点で決まりかな?」

 

 余裕を崩さないSAOを生き抜いたリターナーの2人。シノンも外観のスケールに圧倒されこそしたが、パワーばかりの鈍い相手など、海からの襲撃を除けばそこまで危険性を感じる相手ではない。

 

「……スゲーな」

 

「デカいだけが取り柄の相手に我々は負けませんよ。それよりもクラーケンが撤退していきます。回り込んでくるつもりでしょうね。早く船の墓場を脱出する準備を。幾ら私達でも海面下から攻撃されれば回避も攻撃もできません。この隙に禁海を抜けなければ死にます」

 

 海賊船乗りのゲイリーが呆けている姿に、シリカは何を驚いているのだかと目元を厳しくし、UNKNOWNとシノンが雷雨の中を突っ切って改造船に戻る。

 

「俺が薙ぎ払う。そのまま突っ走れ!」

 

 船頭に立ったUNKNOWNはソードスキルの光を漏らしながら、≪二刀流≫で改造船の進路を塞ぐ船の残骸を斬り払い、また砕き散らす。そうして黒雲の嵐の海を抜けるべく、張り直した帆から風を、船体後部から気泡を、それぞれ加速するも、青い海の下で復讐に燃えるクラーケンの脚の影が迫る。

 だが、シノンは冷静である。クラーケンはDBOに多くいる『生きているような』AIとは違う、ごく平凡的なAIだ。しかも、DBOの一般的なモンスターAIよりも質が悪く、多彩に見えるオペレーションも大半が『死んでいる』のだ。即ち、他のオペレーションが邪魔をして十二分に発揮されず、結局は特定のオペレーションから解を出して対応しているに過ぎない。

 これならば、DBOを生き抜いたプレイヤーならば、上位プレイヤー級ならば欠伸をしながらでも処理できる。シノンは知っている。DBOにおいて、水中から襲撃をかけるモンスターの悪辣さを。『生きているような』AIでなくとも、彼らは常時学習し続け、こちらを殺すべくAIを改良し続ける。ならば、もはやパターンが見切れる相手など脅威にもならない。

 シノンは武器枠の関係上≪矢筒≫を装備できないので1種しか矢を装備できない。弓に備え付けの腰の矢筒にあるのは竜狩り人の矢のみ。まずは一呼吸入れる間に矢を変更する。使用するのは貫通力特化の【巨人殺しの矢】だ。かつて栄華を誇った王国ドラングレイグに侵攻した巨人を倒す為の矢であり、巨人の硬質の皮膚を貫く為には通常の矢は無力だった。強力なバリスタか大砲、あるいは大弓が必要とされた。そして、戦争末期に導入され、巨人たちを一時とはいえ押し返すに足る力を発揮したのが巨人殺しの矢である。もちろん、非買のドロップアイテムであり、太陽の狩猟団から纏め買いしたものである。

 たとえ海面下にあろうとも、巨人殺しの矢からは逃げられない。シノンは嵐の暴風の中で弦を引き絞る。心臓の鼓動と連動するサークルの縮小。それが限りなく点に等しくなるような感覚が走った瞬間に矢を解き放つ。

 まさかの海中にいた状態での攻撃。漁業道具の銛とは比較にならない攻撃力を伴った巨人殺しの矢のダメージがクラーケンのAIを乱したのを感じ取る。生物でいう脊髄反射にも等しい反撃が海面から……改造船とは見当違いな場所で発生する。

 

「他愛ないわね」

 

「シノンさんじゃないと出来ない芸当ですよ。リターナーは総じて射撃系に手を出していませんからどうしても技術不足が目立ちますからね」

 

「SAOには射撃攻撃が無かったから?」

 

「ご名答です。私も≪銃器≫を取ろうかとも思いましたが、余計なスキルを取るよりも≪短剣≫だけの方が性に合っていましたから」

 

 1度デスゲームを生き抜いた経験故に、SAOから脱却しきれない。それはUNKNOWNもまた抱えていた問題であり、スミスによる『矯正』によってSAOからDBOに合わせたスタイルにようやく完全にシフト出来た部分も大きい。なまじSAOの血を引いている分だけ、DBOに半端に適応してしまった結果だろう。

 

「SAOにもユニークスキル持ちのプレイヤーだけど、射撃攻撃が出来る奴はいたよ」

 

「え? それ初耳ですね」

 

 ようやく嵐の暗雲から青空の下に……禁海を脱して息を吐いたシノン達を尻目に、クラーケンを斬り裂いた2本の片手剣を背負うUNKNOWNは濡れた髪を掻き上げながら、まるで世間話でもするように爆弾発言をする。

 

「……レッドプレイヤーだった。正気を失っていたよ」

 

「殺したの?」

 

「俺『は』殺せなかった。『帰りたい』と繰り返す彼女を……殺せなかったよ」

 

 ウエスト・ノイアスに到着して5日が経った。ALOをモデルとしているという2人は付け耳を準備して潜入準備も整えていたが、同伴していたシノンは当然ながら付け耳など無かった。仕方なくデーモン化でケットシーだと偽ろうとすれば、街中で追い回され、ようやくインプとケットシーが差別対象だと知ったのが初日である。まさか自分が戦力とは違う意味で足枷になるとは思ってもいなかったが、今度は2人してシノンを出汁にして反オベイロン派に接触を図ろうと企み始めたのが今回の航海の始まりである。

 

『反オベイロン派に接触しよう。オベイロンはアルヴヘイムのボス……妖精王に間違いない。アルヴヘイムは俺が予想していたのとは地理も環境もシステムも違う。反オベイロン派なら情報を得られるかもしれない』

 

『というわけで、シノンさん! ちょっとデーモン化して暴れてきてください♪「ケットシーの希望」みたいな感じで大々的に宣伝すれば、反オベイロン派から接触してくるはずですからね!』

 

『だったら、俺は流浪の仮面スプリガンみたいな感じで援護しようかな! まずは奴隷市場を襲撃して皆を解放しようぜ!』

 

 あの時ばかりはこの2人を殴り殺してやろうかとシノンは拳を握ったものである。だが、奴隷どころか家畜のような扱いを受けていたインプとケットシーを放っておくのも気持ち悪いものがあり、仕方なくシノンは口元を布で覆い隠し、デーモン化して奴隷市場を襲撃した。

 そうして夜にわざとらしく人気のない路地裏を歩いていたら、接触してきたのはノームの2人組……自称・反オベイロン派の『シュガーミント海賊団』である。

 

『先程の大立ち回り見事ね! でも、ウエスト・ノイアスなんて西の果てで燻ぶっていてもオベイロン打倒は夢のまた夢! このシュガーミント海賊団のリーダーにして、反オベイロン派の期待の超新星のメロネー様がスカウトしてあげるから、おとなしく部下になりなさい!』

 

『あー、簡単に言えば、腕っぷしがあるアンタらに護衛をお願いしたいわけだ。ちょいと領主に押収されちまったものがあってな。取り返す手伝いをして欲しい』

 

 確かに反オベイロン派の接触は得られたが、色物には珍獣しか寄り付かないと言うべきか、シノン達に接触してきたノーム2人組は変わり者だった。

 

『私はノームだけど、父はケットシーだったの。母は漁を効率化する発明をしたら、オベイロンの法に違反したとか何とかで処刑されたわ。私が工房で母の研究を引き継いでいて、先日完成したんだけど、技術革新の偉大さを知らないアホな騎士共に居場所がバレたわけ。私は両親の無念を晴らす為に研究の成果を示して、本土にいる反オベイロン派に接触するつもりよ!』

 

『俺はコイツの親父の仲間でな。反オベイロンなど興味はないが、友達の忘れ形見を死なすわけにはいかない。報酬は応分に払う。力を貸してくれ』

 

 そうしてウエスト・ノイアスの領主が保管する港の倉庫街に潜入したのであるが、メロネーが母の友人という研究者に裏切られて密告されたり、捕らえられて処刑間近になったメロネーを救うべくUNKNOWNは処刑広間に躍り出て、ウエスト・ノイアスの騎士団を蹴散らした挙句に領主の鼻を顔面パンチで潰したり、いよいよ人相書きが出回ったりと、大波乱があったなぁ、とシノンはようやく到着したアルヴヘイム本土の砂浜に立ちながら一息吐いた。

 アルフによる【来訪者】の密告と討伐の恩賞。シノンもメロネーの伝手で付け耳を準備してもらって難を逃れ、なおかつ身分証が無ければ検査が厳しいゴンドラに客として乗り込むのも不可能であり、仕方なくメロネーと母親の作品であるエンジン付きの高速船での航海に乗り出したのである。

 幸いにも問題視されていたクラーケンはUNKNOWNの策で無事に追い払う事も出来た。ようやくアルヴヘイム攻略に本腰を入れられる……蘇った死者のアスナを探す旅に1歩踏み出すことになったのだが、その件の黒ずくめと言えば、海岸で頬を赤らめているメロネーから別れの挨拶を受けている。

 

「ねぇ、アイツっていつもあんな感じなの?」

 

「ええ、いつもあんな感じです」

 

 別れの挨拶が済んだらしいUNKNOWNは、餞別に貰ったらしい、アルヴヘイムの通貨であるユルドがたっぷりと詰まった財布を手に、海岸に打ち上げられていた丸太に腰かけていたシノン達に歩み寄る。

 

「メロネー達はしばらく身を隠すらしい。今度は空を飛ぶ船を作るんだってさ」

 

 仮面で隠されても、ほくほく顔だと分かる声音でUNKNOWNは彼らとの別れを端的に告げる。父親の敵を討つ……オベイロン派への復讐心に燃える少女だったのだが、UNKNOWNに助けられて以来は母親の夢を継ぐ方に心もシフトしているような気がする。だが、シノンは彼らの行く末など一々考えてもしょうがないと割り切る事にした。出会った人々の問題全てに首を突っ込んで最後まで面倒を見ていては本末転倒である。

 

「さて、ここがアルヴヘイム本土の【白真珠の砂浜】ですか。地図によれば漁村が近くにあるようですが、情報収集に立ち寄りますか?」

 

 ウエスト・ノイアスで獲得したアルヴヘイム本土の地図……より正確に言えば、西海岸の地理だけを記載したものであるが、それを広げたシリカはフードを外して潮風をたっぷりと深呼吸で吸い込んで今後の方針についての簡潔な決議の場を設ける。

 とはいえ、シノンはUNKNOWNに基本的には従うつもりだ。彼女の目的はUNKNOWNのサポートであり、彼の方針決定がそのままシノンの方針にもなる。もちろん、意見は述べるつもりであるが、UNKNOWNが強弁すれば彼女には否定する権利など無い。

 

「老婆の話通りなら、アルヴヘイムには3体のネームドがいるはずだ。それらを倒す事で妖精王オベイロンへの謁見が叶う」

 

 シリカが広げた地図を覗き込んだUNKNOWNは顎に手をやり、悩むように唸る。ウエスト・ノイアスで集めた情報だけではネームドの居場所は分からない。時刻も間もなく夕暮れを迎えるとなれば、先に寝床の確保の為にも漁村に向かうのはシノンも賛成だ。

 だが、その一方でアルフと呼ばれるアルヴヘイムで唯一飛行能力を持つ者たち……オベイロンの配下がプレイヤーである【来訪者】、つまりはシノン達を狙っている。付け耳をした今ならば3人とも怪しまれないだろうが、禁海突破は大きく目立つ行為だった。漁村にも部外者への警告通達はされているかもしれない。ならば、漁村へと向かうのは自殺行為だろう。

 

(でも、アルヴヘイムの住人は私達よりも大きくレベル差があるし、いざという時は逃げきれない事も無いのよね)

 

 厄介なのはアルフがどれだけの実力を持っているのか分からない点だ。飛行能力自体はそこまで厄介ではない。これまでシノンは多くの飛行能力を持つモンスターを撃ち落としてきた実績があり、UNKNOWNも傭兵として経験は十分のはずだ。

 そもそも世界樹までの道のりが分からない。それが最大の厄介な点だ。確実にオベイロンがいるだろうアルヴヘイムの中心部へと通じる道が全くの未知なのである。辺境たるウエスト・ノイアスに限ったことならば一安心であるが、そう素直な展開は訪れないだろう。

 

「まずは限られた情報を追ってみよう。メロネーから貰った反オベイロン派の情報を活かそう」

 

「……最近になって反オベイロン派の動きが活発化しているという情報ですか?」

 

「ああ。スプリガンの傭兵団が各地で雇われているって話だし、俺達も美味い話に誘われたように装って接触すれば……」

 

「自ずと反オベイロン派と接触できるという事ね。確かにオベイロンが組織的にこちらを狩ろうとしている以上は、それに対する組織とコンタクトを取るのは間違いないでしょうけど」

 

 そうなると、目指すべきなのは反オベイロン派が拠点としている『廃坑都市メリクリウス』に行く必要があるだろう。メロネーの話によれば、父親は廃坑都市出身らしく、多くの反オベイロン派が密やかに情報と武力を蓄積しているらしい。とはいえ、メロネーが生まれる前……16年以上昔の話である。

 

「ゲイリーさんから合言葉は聞いたけど、20年近く前の合言葉が通じるとは思えないし、情報収集も抜かりなく進めて行こう。というわけで、まずは漁村で情報収集かな? そもそも廃坑都市が何処にあるかも分からないし、近場でも人口密集地を目指さないと。漁村なら商売の関係で交易ルートにも詳しい人がいるだろうしな」

 

 整然と話をまとめたUNKNOWNの落ち着いた態度にシノンは安心感を募らせるも、その一方でアルヴヘイムの異常性に背筋が冷たくなる。

 DBOとは比べ物にならない程に、妖精たちは生々しくアルヴヘイムで生きている。歴史を、文化を、日々の営みを……何よりも善と悪、秩序と混沌が、まるで現実世界のように交差している。

 

『この世界はゲームとしての体裁を大きく失っている。DBOも大概だったけど、ここは本当の異世界を旅する気持ちでいないと、俺達はきっと取り返しのつかない事になる』

 

 アルヴヘイムについて見聞したUNKNOWNは厳かにそうシノンに忠告した。さすがのシノンも、アルヴヘイムの住人は『生きている』事くらいは嫌でも肌身で分かる。彼らはNPCのようなオペレーションに縛られた行動を繰り返す存在ではない。独自に思考し、判断し、行動できる生命体だ。故に彼らは善意と悪意の狭間にあり、どちらにでも天秤が傾く危険性も秘めている。

 ウエスト・ノイアスに到着した時点で、2人が想定していた妖精の国……ALOを模した世界観と地理という前提は破綻した。プレイヤー同士のHPは確認できず、カーソルでしかHP量は判別できない。しかも、アルヴヘイム特有のシステムもあるらしく、その全容は把握しきれていない。

 だが、それ以上にシノンの胸を締め付けるのは、自分たち以外に7人も他のプレイヤーがアルヴヘイムに到着しているという点だ。

 UNKNOWNは全ての船守の居場所を把握していた。他にもアルヴヘイムにたどり着く方法が無いとは言い切れないが、古戦場にしても廃聖堂にしても短期間でのクリアは考え辛いとの事だ。少なくとも、UNKNOWNが出発準備を整える寸前までは双方共に攻略される兆しも無かったのである。

 考え得るのは1つ、高難度を誇る廃聖堂が何かの間違いでスピード攻略されてしまい、クラウドアースの戦力がアルヴヘイムに到達したというケースだ。古戦場の方は大規模な攻略部隊が必須らしく、スローネ平原の突破も含めれば、必ず事前行動を探知できたはずなのであり得ないというのはシリカの補足だ。

 そして、最大のポイントはオベイロンは単純にアルヴヘイムのボスとして君臨しているのではなく、プレイヤーを排除しようと画策している点である。それがアルヴヘイムのコンセプトなのか否かは判断しきれない。

 

「嫌な予感がするわね」

 

 オベイロンにしても、他プレイヤーにしても、旅の障害になるような気がしてならない。シノンは潮風で靡いた髪を押さえながら、UNKNOWNを先頭にして砂浜を進み、漁村を目指す。

 

 

 なお、その漁村は半魚人に占拠された冒涜的な村と化しており、クラーケンを神として崇めるセルフダンジョンと化しているのだが、それはまた別の話である。

 

 

 

▽    ▽     ▽

 

 

 

 ノース・ノイアスは島のほぼ全てが切り立った山岳地帯であり、山々にかけられた吊り橋だけが唯一の交通路であり、本土には【白鬣の赤鷲】による空便以外では到達できない辺境の中の辺境だった。しかも本土との交易も無いに等しく、1年に1度か2度しか空便も使用されていない。

 老婆の小舟に乗ったところまでは憶えていたレコンであったが、その後は闇に呑まれ、意識を取り戻せばサルが入浴する温泉に頭からダイビングしていた。グツグツに泡立つ温泉の最高温度の部分で煮込まれたレコンはレベル1の熱傷を負い、しかも無駄に強いサル型モンスターに追い回され、ロープが千切れた吊り橋から谷間の毒沼地帯へと落下して、瀕死ダメージを受けたことで、彼のアルヴヘイムの1日目は幕を閉ざした。

 2日目、毒沼地帯を狩場としていたインプの一家に助けられたレコンは、何故か『外から来た救世主』として祭り上げられ、毒沼の主だという巨大キノコ人との戦いに挑む事になった。だが、この巨大キノコ人はせいぜいレベル30程度であり、いくらレコンでも倒せる部類だった。

 そう、HPに限るならば。巨大キノコ人のパワーは廃聖堂に出現したミノタウロスが可愛い部類の破壊力を誇った。拳を振るえば木々が薙ぎ払われ、蹴りが唸れば地形が変わる。しかもダメージを与える度に毒胞子をばら撒いてレベル2の毒を蓄積してくる凶悪さである。

 彼を救ったのはユージーンの一撃だった。ソードスキルの輝きを纏ったユージーンの連撃が瞬く間に巨大キノコ人を撃破した。死体が残り続けたのは違和感があるも、ドロップ品は死体から得られるらしく、また経験値も得られた。

 かつて反オベイロン派を掲げて種族として追われる立場になったインプ達は2人にアルヴヘイムの情報を渡せるだけ渡してくれた。特に耳が丸い者たちは【来訪者】と呼ばれ、最悪の場合は見世物小屋の檻で一生暮らすことになるかもしれないので、早く付け耳を探した方が良いと教えてもらえたのはレコンとしても僥倖だった。

 そして、パーフェクトメイドは格が違った。『こんな事もあろうかと』というクラスで付け耳がしっかり4人分リュックサックに入っていたのである。

 

『アルヴヘイムはALOを模したステージと想定されます。外観による敵味方識別も視野に入れ、エルフ耳を4人分準備致しました』

 

 添えられたメッセージに、静かにレコンとユージーンはインプ達の宴から離れ、夜空を眺めながら酒を交わした。メイドの偉大さを知った夜だった。

 ノース・ノイアス唯一の集落である山間の町へのルートを教えられ、インプの一家と別れたレコンたちは3日目に、町に潜伏していた赤髭とユウキとの合流に成功した。そもそも、外部との交流がほとんどないノース・ノイアスでは、耳が丸かろうと尖っていようと余所者は目立つ。早めの出立が求められた。

 

『マクスウェルさんがくれた【飛竜谷の砂金】だけど、これを換金すればしばらくの旅費は稼げるかもしれない』

 

 合流後に最初に難題として立ちはだかったのは、コルが一切使えず、アルヴヘイム専用通貨であるユルドをいかにして稼ぐかという点だったが、ユウキが知人より貰ったという砂金を売却する事で解決の道は得られたのだが、今度は閉鎖的なノース・ノイアスでは砂金分の支払いが出来る商人がいなかった。そこで、行商人の【モッツアリ】が本土の組合で買い取らせてもらいたいと願い出た事により、彼に同伴する形で空便の利用が決定した。

 レコンたちにとって救いだったのは、モッツアリが極めてモラルに欠ける拝金主義者だった点だろう。そういう輩との交渉に慣れている赤髭とユウキ、そして威圧する事に長けたユージーンという3人のコンビネーションでモッツアリから多くの妥協を引き出せた。逆に言えば、モッツアリが譲歩する程に砂金は高値が張るものだったとも言える。

 そして、空便の出立間近にアルフと呼ばれる……レコンも知るALOの上位妖精にして、多くのALOプレイヤーが目指している存在が【来訪者】……つまりはレコンたちを捕縛・殺害すべくオベイロンの命で動いている事を知る。

 だが、モッツアリは明らかに余所者である4人の事を隠匿した。砂金で得られるよりもはるかに高額だろう恩賞を蹴ったのだ。

 

『へへ、死んだ親父が良く言ってたんですよ。小切手と娼婦の甘言とアルフだけは信用するなってね。口約束よりも現物の砂金の方が利益も確実ですしね』

 

 それが商売人魂というものか、とレコンは大鷲2頭にくくり付けられた籠に乗り、いつ転落するかも分からない空の旅をたっぷりと楽しんだ。

 その後はノース・ノイアスの対岸にあった海辺の町でモッツアリに『わざと』過分な利益が出るような取引を終え、なおかつモッツアリの紹介で行商人としての地位を瞬く間に赤髭は手に入れた。

 

「……なんか手慣れてますね」

 

「狸や狐との化かし合いも出来ないで、犯罪ギルドのトップは務まらねぇさ」

 

 そして、この爆弾発言をどうしたものだろうか。ようやく、アルヴヘイムに到達以来の回想を終えたレコンは、アルヴヘイムでの今後とリーファの救出、それらを通り越して、DBOに戻った時の身の振り方について大いに頭を抱えていた。

 場所は北海の町にある酒場だ。海の荒くれ者が集まると言えば猛々しい印象があるも、この町の漁師はいずれも精悍な顔つきをした町の防御を担う騎士との兼任である為か、非常に自律意識が高く、また民衆の尊敬を集める立場だ。

 それものそのはずであり、海からは絶え間なくモンスターが襲撃を仕掛け、唯一の交易路は深い森に覆われ、反オベイロン派とは名ばかりの盗賊の巣窟になっているからである。モッツアリとの交渉が上手くいったのも、ユージーン達が自身の技量を見せ、今後の旅の『同行』を願ったからである。

 行商人からすれば、唯一の交通路を規格外の3人に守ってもらえるなど鬼に金棒以上の安心感だ。この北海の町はウンディーネの海女たちが良質な海底のクリスタルを売買することで生活している。砂金とクリスタルを確実に次の街まで運べるのだ。しかも高値がつく町の騎士の護衛ではなく、『タダ』で担ってくれるユージーンたちならば、利益は更に増加する。

 だが、そんな金でドロドロに汚れた赤髭とモッツアリの交渉劇などレコンにとって大事ではない。問題なのは、ナイス兄貴だった赤髭は大ギルドすらも軽々しく手出しできない犯罪ギルドの頂点に立つ武闘派集団チェーングレイヴのリーダーであり、ユウキはクラウドアースに派遣されてはいるが同じくチェーングレイヴの構成員かつ幹部であり、それらの裏事情を聞いても平然としているユージーンは当然ながら認知していたという壮大なる大ギルドの裏事情を知ってしまった点である。

 

「あははは。そっかぁ! 知らなかったんだねぇ! 本当にごめんね、レコン。ボクも『ついつい口が滑っちゃって』さ」

 

「……オメェ、いや、もう何も言わない。俺は言わないぜ」

 

 懇切丁寧に、赤髭が誤魔化しのフォローを入れるより前に、レコンにクラウドアースとチェーングレイヴが実は裏でがっしり握手している事を、赤髭と自分の身分を、小学1年生でも理解できるように分かりやすく説明してくれたユウキの『善意』には唸り声も出ない。

 

「僕は……ううん、フェアリーダンスは……もう中立ギルドは無理ですよ……ねぇ?」

 

「さすがに諦めるしかないだろうな。それこそ貴様が口封じされるか、秘密を抱えたまま自決するか、どちらかしかないだろう」

 

 ユージーンすらもお手上げの状況にさせたユウキの『善意』が身に染みる。レコンは海鮮料理が並ぶテーブルに頬を突っ伏したまま、しくしくと嗚咽を漏らす。これでは、チェンジリングの被害に遭ったサクヤがたとえ万全の状態で戻ってきても、これまでの過酷な中立努力を海辺の泡よりも無残な状態にした現実がお迎えして、心労で倒れてしまうだろう。

 豪快に、伊勢海老に似た巨大ザリガニの殻を剥いで食い千切るユージーンは、大ジョッキの林檎酒をぐびぐびと喉を鳴らして飲み、ややアルコールで紅潮した頬のまま薄く笑う。

 

「安心しろ。この俺がフェアリーダンスのクラウドアースの下部組織入りの手続きを抜かりなく済ませる。ランク1に不可能はない。貴様らはクラウドアースの重要保護ギルドとして丁重に――」

 

「それって完全にサクヤさん目当てですよね!? 僕らの未来よりも、サクヤさんだけが狙いですよね!?」

 

「フン、当然だ。このアルヴヘイムでサクヤを俺が救い出せば、彼女は憂う事無く俺の傍にいられるだろうからな」

 

 駄目だ! このランク1、完全に酔っぱらっていやがる! 気づけば、剛剣の使い手の背後では小樽2つ分の林檎酒が空になっている。レコンはフェアリーダンスの未来を守るべく、必死になった頭を回転させるも、そもそも自分が呼び込んだ詰んだ状況である。打破する妙案などあるはずもない。

 いや、そもそも赤髭にしてもユウキにしても正体を考察するチャンスと情報は溢れていた。そこから目を背けていたレコンの失策である。

 

「別に慌てる必要ないじゃねぇか。俺達は犯罪ギルドといっても秩序を重んじる部類だぜ? クラウドアースはともかく、俺達は正体を知られたくらいで口封じしねぇさ。大体よ、オメェがどれだけ騒いだところで、言っちゃ悪いが、地位も権力も知名度も無いプレイヤーの戯言だと聞き流されるだけだ。どうせ、聖剣騎士団にも太陽の狩猟団にもチェーングレイヴとクラウドアースの協力関係はバレてることだしな。俺が口添えすればオメェらにクラウドアースは手出ししねぇよ」

 

「い、言われてみれば確かに。大ギルドが知らないはずありませんよね」

 

 レコンからすれば驚愕の事実も、大ギルドからすれば既知の情報だろう。公開していないのは、今は秘しておいた方が都合も良く、またカードとしても有用とは言いきれないからだ。ならば、レコン1人が知ったところで、情勢が大きく転換することは無い。

 だが、両手で抱えた林檎酒大ジョッキをぐびぐび飲んでいたユウキは、やや剣呑とも言える眼差しと共にレコンへと妖しく笑いかける。

 

「そうそう。ボク達は何もしないよ。あ、でも大ギルドはどうかなぁ? 他のメンバーはともかく、レコンから情報を引き出そうと聖剣騎士団も太陽の狩猟団も動くかもしれないね。クラウドアースだって、変な噂が立つ前にキミを暗さ――ぐぎゃ!?」

 

「いい加減にしろ。大体、オメェは未成年だろうが! 酒没収!」

 

 木槌で盛大に釘を打ったような轟音。それは赤髭がユウキの頭部に木製大ジョッキを振り下ろした音である。HPが僅かに減る程の強打に、ユウキは悶絶する。彼女の足元で忙しく生魚を貪っていた黒狼のアリーヤは慰めるように彼女の掌を舐めた。

 

「軍資金も旅する為の地位も手に入れた。俺は行商人、レコンは≪騎乗≫を活かして契約している荷物運び、ユージーンは流れの傭兵。ユウキは……記憶喪失の少女って事で」

 

「なんかボクだけ適当じゃない!? ボクも傭兵が良い!」

 

 テーブルを叩いて立ち上がったユウキの主張に、赤髭はご自慢の顎髭を数度撫でて嘆息する。

 

「黙れ! そもそも、俺が集めた限りじゃな、アルヴヘイム本土の治安はカオス&ヘル! よっぽどのことが無い限りは若い娘さんは旅なんてしてねぇんだ! 旅なんてしていたら、即エロい展開がお待ちになっていらっしゃるんだ! それに女傭兵なんて目立つだけだろ! 俺の苦し紛れの策に文句があるなら、もっと良案出せ、この跳ね返り娘が!」

 

 その後の10分以上の意見交換という名の叫び合いの末に、ユウキの設定は『不治の病にかかり、あらゆる病を治癒する霊薬の噂を聞いた行商人の兄(既婚者、妻とは死別)が連れる義理妹。元気かつワガママに振る舞っているが、本当は義理兄の事が大好き。剣術は護身として義理兄に習った』という事で決定した。ちなみにユージーンは『サラマンダーの騎士だったが、主を戦で失って仇討ちを志す傭兵。各地を放浪する中で行商人兄貴と意気投合して旅に同行する』であり、レコンは『土地ももらえぬ農家の三男坊であり、食い扶持を稼ごうと港で力仕事をしていたが、賭け事に手を出して借金を抱えて海に沈められる寸前のところをナイス髭のスーパー頼りになるイケメン行商人に助けられてもらい、今は日々恩と借金を返すべく荷物運びとして行商人兄貴に尽くしている』という設定である。

 

「そして、俺は『豪商の令嬢と駆け落ちするも、不治の病で最愛の人を亡くす。失意の中で自殺を考えるも、妻の妹も同じ病に侵されていると聞き、行商人として人生の再出発を志し、寺院に預けられて余生を過ごすしかない義理妹を連れて世界を旅する男』だ」

 

 設定は大事だとは思うけど、とレコンは妙に目をキラキラさせて顎に手をやってポーズをとる赤髭兄貴にうーんと唸る。自分の設定も何となくしっくりくるのであるが、もう少しカッコイイ出自……たとえば、実は貴族の隠し子だった的な裏設定が欲しいのは男の子ハートである。

 と、そこで何故かユウキは顎をテーブルにのせて、気怠そうに、何かを思い出すように暗い眼差しをしている事にレコンは気づく。そして、彼に察知できたことを見逃さない赤髭ではない。

 

「どうした? なんか不満か?」

 

「……その設定じゃないと駄目なの?」

 

「嫌か? オメェが気乗りしないなら別の設定するけどよ。たとえば、記憶喪失少女とか記憶喪失少女とか記憶喪失少女とか」

 

「記憶喪失少女は面倒だからパス。別に良いよ。うん、ボクは不治の病でボスの義理妹ね。任せて。その方がボクらしいよ」

 

 無理して笑うようなユウキに、赤髭は呆れたように息を吐く。そこには、この2人の間にある関係性、そして時間を重ねた分だけ培われた絆があるように思えて、レコンはくすぐったい気持ちになる。

 レコンは彼らの事を何も知らない。ユージーンも見た限りでは、赤髭やユウキとは親しくないだろう。同じく、この2人もそこまでユージーンとは親密な関係を築いていない。レコンなど言うまでもない。

 バラバラにも近い4人が、未知に溢れたアルヴヘイムを旅する。既にこれまでにアルヴヘイムの異常性については4人とも理解している。オベイロンを倒す為には、何にも増してチームワークを培わねばならないだろう。

 

「さて、オレ達の目的地だが、モッツアリに同行して森を抜け、隣町に着いて情報収集を終え次第、廃坑都市を目指す。それで異論はないな?」

 

 ジョッキを空にしたユージーンは袖で口元を濡らす酒を拭いながら、次なる目的地を告げる。

 レコンの目的はチェンジリングの解決であり、そこにはオベイロンが深く関与している。そして、アルヴヘイムのボスであるオベイロンの撃破こそがチェンジリング解決の唯一の手段だ。

 そして、ハスラー・ワン達からの情報通りならば、オベイロンはこちらの動きを把握できていない。だからこそ、アルフ達を使役して【来訪者】の捜索に力を注いでいるのだ。

 ここまで徹底してアルヴヘイムの支配を実行するオベイロンであるが、だからこそ、反オベイロン派が拠点を持つほどに膨れ上がっている実態に疑念を抱く。つまり、反オベイロン派の主力組織への接触は、そのまま打倒オベイロンに通じるかもしれないのだ。

 異論は誰も無い。明日への活力は今日の食事だ。レコンは小エビが入ったピラフを掻き込みながら、まだ見ぬアルヴヘイムに不安を、そして不謹慎でも未知に挑む冒険者としての好奇心を膨らませた。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 大橋鉄道、本土側の駅にある港町ヒューガーデン。円筒状の建物が並ぶ独創的な外観をした町には、各所に地下から伸びる煙突がある。これは地下にノームとレプラコーンの巨大工房があるからだ。

 イースト・ノイアスの特産品である【風霊結晶】を加工する工房らしく、ここで作成されたインゴットはそのまま要塞都市ゲリュオンに運ばれる。ゲリュオンは長年に亘って戦い続けている。というのも、ゲリュオンと長年に亘って軋轢を深めていた湖畔都市ロセアとの武力衝突が始まったからだ。

 オベイロンを頂点にした支配体制であるが、それは絶対なる幸福と平和の約束ではない。アルフを仲介として開戦の合議を整え、認証されれば、都市間・領主間の戦争……いや、紛争は許可されているのだ。

 増々以って奇々怪々なアルヴヘイム事情であるが、PoHは『法王の統治下で同じ宗派の連中が勢力争いしているようなもんだろうさ』と適切かつ簡潔に告げた。

 お陰様というべきか、ヒューガーデンは戦奴で溢れている。どうやら優勢なのは要塞都市側らしく、湖畔都市側の降伏は時間の問題のようだ。だが、噂では湖畔都市には反オベイロン派の勢力も潜り込んでおり、『大号令』による殲滅戦もあり得るのではないかと町の人々は怯えている。

 

「アルヴヘイム本土の完全な地図はないようね。特に世界樹への行き方は完全に謎」

 

 お決まりの如く路地裏に入り込み、ザクロという『女』を餌にして釣ったチンピラ達を踏み躙りながら、オレは【快く提供】してもらったユルドを数え、情報を吟味する。ちなみにPoHは特に反抗を示したチンピラのリーダーを廃屋に連れ込んで『お喋り』の最中だ。昼間から大声を出されては、いくら治安放棄された町の暗部とはいえ、衛兵が駆けつけかねないので喉は先に潰してある。

 

「ああ。伝説レベルだが、世界樹の周辺は【不可侵の霊霧】があるらしい。恐らく3体のネームド撃破が霧の解除条件と見て間違いないだろうな」

 

 命乞いするチンピラ達にトドメを刺そうとするザクロの短刀を贄姫で止め、数秒の間殺意の視線を交差させる。ここは街中であり、今は昼間なのだ。DBOのように殺害後に遺体が残らないならばまだしも、アルヴヘイムでは遺体の処理も念頭に入れて殺害せねばならない。ならば、なるべく殺人は控えるべきだ。

 四つん這いになって逃げていくチンピラ達を見送り、オレは贄姫を切り返してザクロの短刀を跳ね退ける。彼女はくるくると手元で躍らせた短刀をコートで隠れた腰の鞘に戻した。

 

「お優しいのね。吐き気がするわ。その善人プレイはいつまで続けるつもり?」

 

「人を殺戮マシーンみたいに呼ぶな。遺体処理の手間とリスクを秤にかけてくれ。情報は暴力だけでは得られない場合もあるんだ。時にはわざと生かす事で拡散させたり、収集したりできる。あんなチンピラでも使い道はある」

 

 そう、たとえば、あの手のタイプは後で落ち着いた頃合いに復讐心を滾らせて、仲間を募って数の暴力で圧殺しようとするタイプだ。狙い時はこちらが人目のつかない町の外に出た時だろう。ご丁寧に数を揃えてくれた彼らを改めて、今度は野外なので何ら気にすることなく狩れば良い。数が増えれば、それだけ良質な情報を得られる確率も上がるし、奪い取れるアイテムやユルドも増す。

 しかし、今のところは搾り取ったアイテムに目ぼしいものは無し。だが、換金できそうな貴金属を幾つか持っていた。ユルドが不足しているオレ達からすれば、彼らはまさに自分から蜘蛛の巣にかかってくれる資金である。リリースした分だけ数も増える上に、町からも治安を害するチンピラが消える。皆がハッピーになれるな。

 

「廃坑都市。そこが本土でも最大の反オベイロン派の拠点らしいぜ。他の連中がどう動くかは定かじゃないが、オベイロン殺しを考えるなら廃坑都市を目指すはずだ」

 

 チンピラのリーダーの『尋問』を終えたらしいPoHから新たな情報がもたらされる。反オベイロン派はエルドランの村の件があるので良い印象を持っていないのだが、オベイロンに歯向かう勢力を無視できない。何よりも、オベイロンがわざわざ彼らを放置しているのは、アルヴヘイムでの全能性の否定だ。あるいは、反乱すらも楽しむ……それこそセサルのような王の器を持っているとも考えられるのだが、わざわざアルフを放って【来訪者】の抹殺をしようとするオベイロンにそこまでの気概があるとは思えない。

 

「殺したのか?」

 

「まさか。ちょいと耳と目と手足の指と男性器を失っただけだ。ここが仮想世界で良かったな。全て再生するだろうさ」

 

「心は再起不能でしょうけどね。いっそ殺してやるのが慈悲じゃない?」

 

「俺は慈善家じゃないんでね。殺したければご勝手に。俺は後始末しないぜ」

 

 掃除は面倒ね、とザクロは渋々といった様子で諦める。その姿を見て鞄から顔を出す、アザラシの着ぐるみを装着したままのイリスが嘆息していた。

 単純な買い物を言い付けたフルアーマー姿のリビングデッドが戻り、オレ達は次なる目的地として選んだ廃坑都市について、人気が無い廃屋……かつてはレストランだっただろう、鼠とゴキブリばかりが家主となった暗がりで意見を交わす。

 

「アルヴヘイムはオベイロンの支配下ではあるけど、基本的に領主制よね。都市国家の概念に近いかしら?」

 

「そうですね。オベイロンはどちらかと言えば絶対的な力を持った妖精たちの神といった扱いに近しいですね。アルフは天使といったところでしょうか?」

 

 ザクロの意見に同意しながらイリスが補足する。彼女たちの言う通り、オベイロンやティターニアは神々としての崇拝対象に近い。だが、現実世界と異なるのは、アルフという戦力と使者によって干渉し、なおかつ力を振るって大橋鉄道のような創造物……要はオブジェクト作成を行う。しかも、妖精たちを縛る法によって彼らが過ぎた戦力を持たないように、また危険なスキルを保有しないように制限をかけている。

 次に地図。妖精たちの文化レベルならば、そして教育レベルと知性ならば、長い歴史の中で最低限の地理学に基づいた地図の作製くらいできそうなものである。だが、アルヴヘイム全土の地図は存在しない。せいぜいが大雑把な交易路や主要路を結んだ都市や町の地図程度である。

 

「アルヴヘイムではマッピングが機能しない。世界樹の場所が分からないのも含めて、これもオベイロンの防御策と見て間違いないだろう。オレ達プレイヤーだけじゃなくて、オベイロンは妖精たちにも制限をかけて、『万が一』に備えている。かなり警戒心が強い相手だな。だけど、そこには確かな慢心もある気がする」

 

 オレの意見に、PoHも頷き、港町で購入した付近の地図を、今は料理も並ばない、割れたワイングラスばかりが散らばるテーブルへと広げる。

 

「世界樹がALO基準、あるいはそれ以上の巨大さだと仮定した場合、必ず遠目でも発見できるはずだ。だが、アルヴヘイムの長い歴史で世界樹の目撃例は僅か。それも伝説クラスだ。それに交易路をはじめとした都市を繋ぐ主要道路は全てオベイロンによって生み出されたものだ。これらに従っても、100年かけても世界樹にはたどり着けない。そして、誰も知らない廃坑都市の居場所は大よそ見当がつく」

 

「主要道路から外れた地域にあるという事か。そうなると、オレ達の旅を徒歩で進めるのも限度があるな」

 

 そうなると機動力を確保する『足』が欲しいな。灰色の狼を召喚するか? いや、アレは2人になるべく秘密にしておきたい。そうなると、≪騎乗≫無しでも操れる騎獣が必要になるのだが、DBOと同じ血がアルヴヘイムにも流れているだろうし、馬に乗るにしてもオレの場合はマイナス補正が大きくかかるだろう。

 

「話によれば、ここから西方にある天雷山脈の傍には、反オベイロン派を掲げたインプ達の拠点があったって話だ。廃坑都市の場所は反オベイロン派を捕まえてからで良いだろう」

 

 天雷山脈か。途中で砂漠のような乾燥地帯を通り抜けねばならない。そうなると、増々以って『足』が欲しくなるが、この2人が≪騎乗≫持ちとも思えないし、持っていてもわざわざ『皆の為』と言って提供しないだろう。

 廃屋を離れ、チンピラから奪った金品を適当な露天商に買い取ってもらって換金し、まずは町外れにある騎獣飼育小屋に向かう。大半はレンタルであり、死亡保険も含めれば高額な商品になる。だが、何事にも『外れ』とも言うべき余り物があるものだ。

 

「うーん、お客さんの要望通りとはいかねぇが、暴れん坊の売れ残りはいるぜ」

 

 やや意地汚さそうなノームの商人が案内した先にいたのは、青い肌をした爬虫類である。2足歩行であり、長い首を持ち、後頭部から首の付け根にかけて白い体毛が鬣、あるいは鶏冠のように生えている。目玉は頭部に対してやや大きめであり、口には鋭い牙が並んでいる。体格に対して腕は短めであるが、3本の指には鋭い爪が生えている。バランスを取るように太い尾を持ち、地面を捉える脚部は逞しく、鉤爪も鋭い。

 

「【ヘス・リザード】の雄だ。騎士が乗り回す騎獣にしては臆病だし、日常使いにしては獰猛過ぎる。餌は小動物か魚だが、コイツはカエルが好みだな。毒爪も厄介で、とにかく扱い辛い奴だよ」

 

「ちなみに幾ら?」

 

「引き取ってもらえるならタダでも良い……とは言えねぇな。5万ユルド……いや、2万と5000ユルドで良い。コイツをさっさと売り払って、小屋を空かせたいんだ」

 

 半額とは驚きだ。殺処分できない理由があるのか、やや老いた様子のヘス・リザードは説明通り、オレとザクロが近寄ると半歩後退する。人間相手にこのビビり様では、とてもではないが戦場では役に立たないだろう。

 ザクロが顎を撫でるとヘス・リザードは気持ち良さそうに瞼を閉ざす。どうやら雄らしく女性の手が好きらしい。ザクロも気に入ったらしく、餌のカエルを投げて餌付けする。

 

「買うわ。ちなみに荷物もそれなりに持てるわよね?」

 

「ああ。専用の荷袋がある。そいつは別料金だがな」

 

 支払いの用紙を手に取ったザクロは眉を顰める。覗き込めば、荷袋込みの場合は5万ユルドにもなるようだ。鞍も含めた価格ならば、これでも値引きしてもらえている部類だろう。だが、ザクロだけでは先程のチンピラからの臨時収入を入れても足りないな。

 

「……欲しい」

 

 と、そこでザクロは物欲しそうにヘス・リザードの頬を数度撫でた後に、オレへと視線を向けて、やがて心底から邪悪と思えるように口元を歪めた。

 嫌な予感をするまでもなく、ヤツメ様が警告する必要もなく、オレはザクロが考え得る中でも身の毛もよだつ方法……もとい嫌がらせを思いついたのだと直感する。

 

 

 

 

 

「ねーねー、ダーリン♪ 買って買って買ってぇええええ。ザクロ、ヘス・リザードちゃん欲しいのぉおおおお」

 

 

 

 

 

 ぴとりとオレの胸に飛び込んできたかと思えば、ザクロは指でオレの胸に『殺』と書きながら、砂糖と蜂蜜をブレンドしたような甘ったるい声で、わざとらしい演技をする。

 こ、この女……プライドを捨てて、いや、オレへのヘイトをそのまま最悪の手法を成すパワーに変換して、女の涙以上に厄介な武器を使ってきやがった!

 

「な、なんと、その見目で旦那様でしたか!? いやはや、奥様は羨ましい! このような美麗な旦那様……しかも見たところ、高貴なご様子! もしや、このご時世に新婚旅行という奴ですかな? さすがは貴族様! 羨ましい!」

 

 あからさまに驚きながらも商売チャンスを逃さない輝きを目に浸したノームの商人が、スススとさり気なくオレの退路を閉ざすように小屋の出入口に移動する。この商人……で、出来る!?

 

「そうなのよ。ダーリンったら急に諸国漫遊の旅に出ようなんて。ザクロ困っちゃうぅうう。で・も、ダーリンとの一緒だったら、ザクロはね、何処でも幸せだよ?」

 

 これだから女は恐ろしい。ノームの商人を完璧に騙すザクロの演技に寒気を覚えつつ、彼女がオレの胸に書く『殺』の数が30を突破し、財布の中身を計算し、ザクロの残金を合わせれば、ギリギリ足りるだろうと脳内勘定を済ます。

 だが、この女の吐き気を催す演技に付き合わされて『ダーリン』を演じるなど死んでも嫌だ。

 

「あ、あははは。ですが、お恥ずかしい事に、オレは≪騎乗≫を持っていないものでして……」

 

「ああ、その点でしたらご安心を! コイツの良いところは、≪騎乗≫をお持ちではない方でも十分に乗れる点にあります。本来の速度は出せませんでしょうが、旅の足手纏いになるようなことは決してありません!」

 

「……そうですか」

 

 詰んだか? いや、逃げ道はまだあるだろう。こういう時に『アイツ』なら……あ、駄目だ。甲斐性見せて、逆にいつもみたいにヤンヤンをホイホイしちゃうパターンだな。むしろ、自分から積極的にヘス・リザードを購入するパワフルさを見せつけるだろう。

 後は流されるままに、腕を組むザクロの脅しのSTR圧力を受けながら、取引のサインを終え、2人で『ラブラブ』といった感じで一緒に支払いを行い、ヘス・リザードの購入を終える。

 

「新婚さん1組、ごしゅっぱーつ!」

 

「行きましょう、ダーリン! これからラブラブ☆ハネムーンが始まるんだね!」

 

「HAHAHA! そうだよ、ハニー! オレもキミとのスイート☆トラベルに、今から胸が張り裂けそうだ!」

 

 主に吐き気でな! ザクロを前に乗せ、荷袋を積んだヘス・リザードに跨ったオレは手綱を手に騎獣小屋を発つ。そして、そのまま主要道路ではなく町から外れる草原へ……とはいかずに、Uターンして町に戻る。

 そして、そのままオレ、ザクロ、そして着ぐるみ姿のイリスが這って、下水が流れる側溝に向かう。

 

「「「うげぇえええええええええ!」」」

 

 いやね、ここまで吐けないのが辛いのも本当に久しぶりですよ、はい。体をくの字にして、心を汚染する忌まわしい時間を浄化しようとするも、こびり付いた油汚れがなかなか取れないように、忌まわしい過去としてオレの脳に刻まれてしまったようだ。

 

「おい、どういうつもりかな? 簡潔に頼む」

 

 ザクロの襟首をつかみ、オレは限りなく殺意を抑えた声音と微笑みで彼女に問う。前後に揺さぶりながら、このふざけた喜劇の真意を尋ねる。

 

「フフフ、お前からすれば屈辱でしょうね。この私のダーリン役なんて――オロロロロロロッ!」

 

「アナタも……オマエも十分にダメージ受けてるようだな? HAHAHA! 自傷とはお笑いだな――オロロロロロロッ!」

 

「主様、さすがの、私も……その、アレは無いと思いま――オロロロロロロッ!」

 

 2人と1匹で再び側溝で胃液も垂れない嘔吐ポーズをして、3分ほど息荒く、通行人から奇異の目を集め、波乱の原因になったヘス・リザードに首を傾げられながら、オレは口元を拭って復活する。

 まだ嘔吐ポーズから脱せられないザクロの後頭部を踏み躙りたい衝動に駆られるも、イリスの手前、それを我慢して深呼吸を挟む。

 

「うげぇええええ。気持ち悪いよぉおおおお! イリス、背中擦って」

 

 ひっくひっくとマジ泣きかつ嗚咽をするザクロの背中を、アザラシの着ぐるみのまま、なでなでするイリスの姿はシュールであり、何か全てがどうでも良くなってしまう。

 コイツ……本当にどうやって傭兵業をこなしてきたのだろうか? もうポンコツ過ぎて1周回って愛嬌を覚えてきたぞ。これが正体不明のNINJA傭兵ザクロの正体だったとは、あのミュウでも見抜けなかったのではないだろうか?

 

「何であんな真似をした? オレ達は腐っても……腐り切った繋がりでもチームだ。必要経費として騎獣を買うのに共同出資くらいはするさ」

 

 顔を右手で押さえながら、いつ再発するかも分からない吐き気を堪えつつ、オレはようやく立ち上がれるだけの気力を取り戻したザクロに改めて問う。すると、彼女はやや頬を赤らめ、両手の指を気持ち悪く絡ませてもじもじしながら視線を逸らす。

 

「だって……欲しかったんだもん。お前の事だから、私が欲しいって言ったら邪魔するでしょう? だから先手を打ったまでよ」

 

「するはずないだろう。必要経費を嫌がらせで削るのは傭兵失格だ。オレは後継者の依頼を『傭兵として』引き受けた。手抜きするつもりはない。もちろん、必要ならザクロ、因縁があるオマエとも手を組む。その証拠にオレ達は今まさにチームで動いてるはずだ」

 

 もう溜め息しか出ない。そういえば、ザクロは協働しない傭兵の1人だったな。≪変装≫を用いた潜入任務を得意としたザクロは、陽動からトラップまで自分で仕込みを済ます事で有名だった。他の傭兵との交流を持たない孤高の忍者傭兵……それがザクロだった。

 だが、それは彼女から協働意識を剥奪し、また周囲に敵意ばかりを抱かせてしまったのかもしれない。

 そして、きっとザクロがそんな風に歪んだ原因は……たとえ遠因でもオレにある。キャッティの死に関わったオレへの復讐心にある。

 キャッティ、オレは……彼女を殺すかもしれない。彼女の復讐の刃がオレに向くならば、きっと躊躇なくその首を刎ねられるだろう。

 だから……だから……だから、オレは今この胸にある殺意と一緒にある想いもまた言葉にしよう。傭兵の流儀を彼女に告げよう。

 

「……オレ達はいつ互いの背中を刺し合うかも分からない関係だ。だけど、オマエはオレをこの旅の間は殺さないと誓っただろう? たとえ、裏切りを隠す口約束でも、オレは『信じた事にする』さ。それが傭兵だ。だから、オレも『建前』としてここで誓う。オレはオマエの力を利用してオベイロンを殺す。オマエが殺意を行動に移さない限り、オレもオマエを殺さない。だから……遠慮はしないでくれ。利用し合うのはお互い様だ。それが傭兵の協働だ。だから、あんな吐き気がする演技は金輪際無しだ」

 

 なるべく警戒させないように微笑みながら、オレはヘス・リザードに跨ると、ようやく復帰したザクロに右手を差し出す。PoHも騎獣の調達がそろそろ終わっている頃合いだ。町外れで合流しなければならないだろう。その前に、なけなしの残金でヘス・リザードに積めるだけの物資を積まなければならないだろう。

 呆ける彼女に何を驚いているんだと少しだけ笑みを深める。『騙して悪いが』を両手の指で足りないくらいに経験したオレからすれば、ザクロが口約束を破って寝首を掻きにこようとも裏切りの内にも入らない。

 

「……お前って本当に変な奴ね。私がお前に何をやらかしてきたのか、忘れたわけではないでしょう?」

 

「そうだな。でも、それを仕事に持ち込む気はない。オレは傭兵だ。昨日は殺し合っても、今日は協働して、明日はまた殺し合う。それが傭兵だろう?」

 

「そう……だったわね」

 

 数秒だけ俯いて、ぶっきら棒にオレの右手を握ったザクロの手はほんのりと冷たく、多くの血を啜った……だが、確かに女の子の手だった。

 

「というか、お前の後ろも嫌だけど、この体勢もすこぶる屈辱的なんだけど?」

 

 ザクロはオレの前に腰かけているのだが、手綱を握る関係上、オレの腕に囲われる形になっている。体格的にはほぼ同じなのだが、ザクロの方がやや身長が低い。それにSTRもオレの方が上だろうし、たとえ≪騎乗≫無しでも手綱を握るのはオレの方が良い。

 食料や水、それに中古の薬品調合セットを購入して無一文になったオレ達は、町外れで待っていたPoHと合流する。彼が購入したのは、フルプレートのリビングデッドが操るに足る全身が厚く大きな鱗に覆われた獣だ。獰猛さを示すように2本の角を持ち、太い四脚には鋭い爪こそないが、突進力に優れることは見ただけで分かる。ヘス・リザードが怯えて、数歩遠ざかるだけの威圧を込めた眼光はあるものの、よく調教されているらしく、それ以上の反応は示さない。

 

「目指すは廃坑都市。まずは天雷山脈にあるインプの旧要塞で反オベイロン派の手がかりを探る。行くぜ、新婚さんよ」

 

 ククク、と小馬鹿にした笑い声を漏らすPoHに、オレとザクロは顔を見合わせ、予定調和にこの殺人鬼に観察されていたのかと項垂れる。思えば、同じ店にいたのだから、ちょっとした騒ぎになれば、PoHが駆けつけるのも当たり前だろう。そもそも、あんな派手に出発演出までしたのだから尚更だ。

 背後から密やかに、だが明らかにバレバレの、チンピラ達の気配を感じ取り、ザクロが短刀に手をかけながら問う。オレは無言で贄姫の柄に手を掛けた。なるべくペースを抑えて、徒歩で追いかけられる範疇のスピードで、上手く夜襲させねばならないだろう。なにせ、こちらは資金が不足しているのだ。

 

「それよりも、私達が2人でやっと支払えたのに、どうしてお前はもっと上等そうな奴を買えたのよ?」

 

「何事にも裏技があるのさ」

 

 はぐらかすPoHであるが、確かにオレ達よりも上等な騎獣を入手した方法は気になるところである。だが、それを探ったところで意味はない。

 きっと、PoHにしてもザクロにしても、本当のところは胸の内にある。2人とも単純に後継者から依頼を受けてアルヴヘイムに命懸けの戦いを挑むはずがない。ならば、あるいは彼らの目的がオレの邪魔となる事もあるだろう。

 だけど、今は建前であろうとも、互いが互いの力を利用して目的の為に戦えるならば、それで良いのだろう。

 

「追ってこないわね」

 

「ペースが速過ぎたか?」

 

 夕暮れの頃合いに、オレ達は草原から少しずつ乾いた大地に変わり始めた風景の中で、そろそろ野営の準備をすべく手頃な寝床を探す。予定では、この辺りでチンピラ達に取り囲まれてピンチ……からの逆略奪の予定だったのであるが、根性が無いと言うべきか、彼らは途中で引き返したようだ。

 モンスターらしいモンスターも出現しないが、所詮は同じ人間……いや、妖精を相手に力を振るっているだけ。町の外で活動する盗賊とは分野違いと言えばそこまでなのであるが、どうにも気になるところだ。

 やがて、野草も疎らな赤錆色の渇いた土となり、太陽は落ちて星に満ちた夜が訪れる。オレ達は大津波のように反った岩場の根元に野営を築く。さすがにテントを張ることはないが、焚火で暖を取らねば十分な休息は期待できない程度には肌寒い。

 オレはいつものように携帯食料を取り出そうとするが、意外にもザクロは焚火の前に調理器具……鍋や調理用ナイフセットを並べる。

 

「余った金で食材を買ってきてあるわ。お前の≪薬品調合≫があるなら、調味料の配合くらいできるでしょう? ほら、そこに香草複数あるから作ってよ」

 

「え?≪薬品調合≫で調味料作れるのか? 初耳だな」

 

「……お前って≪薬品調合≫を何だと思ってるのよ。極めるのは大変だし、センスもいるけど、応用性が高い、日常にもサバイバルにも使える有用スキルよ? もう良いわ。私が作るから、男2人は見張りでもしてなさい」

 

 焚火を利用してスープの作成を進めるザクロに追い出され、オレとPoHは肩を竦めながら、周囲のほのかな殺気が籠る荒野を見回す。大きな月が注がれる月光は妖しく渇いた大地を濡らし、夜風には微かな血の香りを宿している。

 なるほど。これがチンピラ達が追いかけてこなかった理由か。視界を遮る岩陰から飛び出したのは、捩じれた木の枝に鋭く尖らせた骨を巻き付けた原始的な槍を持った人影だ。だが、それは人間とは程遠い。

 頭部は人間の倍以上あり、髪の毛の代わりのように触覚が無数と生え、目は昆虫のような複眼。口があるべき場所には蚊のように体液を吸う為の針。両腕は人間的であるが、肘は2つあり、長さは1メートル半はあるだろう。脚部には脚甲らしき棘がついた鱗を張り合わせた防具を取り付けている。

 

「ようやく歯応えがありそうな連中だな」

 

 嬉しそうにPoHは曲剣を抜き、まるでバッタような跳躍から宙を舞い、急行落下して槍を突き刺してくる昆虫人間の攻撃に合わせる。槍を弾いて胸を斬り裂き、転倒した昆虫人間の頭部を踏み躙りながら、それでもなお死なない……HPバーが見えているモンスターを蹴飛ばす。

 

「喜ぶところか? 消耗が増えるだけだ。さっさと狩るぞ」

 

 ダメージは軽いとはいえ、PoHの変形曲剣の一撃で死なないとなると、相応の耐久力はあるようだ。青黒い光を散らしながら、初手奇襲をかけた昆虫人間は6体の仲間たちの元に戻る。すると、人間の頭蓋骨を取り付けたスタッフ持ちが杖を振るうと、昆虫人間の半分ほど減ったHPが完全回復する。

 スタッフ持ちは回復能力があるようだ。まずはアレを潰す。贄姫で居合の構えを取り、水銀の刃を放つ。刀身以上の間合いを実現する水銀居合に反応しきれず、昆虫人間の内の4体は胴体を両断され、残りの2体は背中の翅を広げて飛翔する。

 だが、飛翔時間は長くないらしく、難を逃れたスタッフ持ちの着地場所へと駆けたPoHは変形させた紫雷を迸らせる大曲剣を振り下ろす。だが、護衛のような歪んだ分厚いナイフの二刀流の昆虫人間が強烈な蹴りで迎撃する。

 まさかのパワー負けしたPoHは押し返されながらも、システムウインドウを開いて重ショットガンを取り出して装備し、土煙を上げる。途端に、地面が次々と爆ぜ、更に12体の昆虫人間が出現する。

 

「どうやら連中の巣のようだな。皆殺しにするのは骨が折れそうだ」

 

 焦らず、だが端的に逼迫しつつある状況に、PoHは大曲剣から曲剣に変形させながら告げる。胴から真っ二つにされていた昆虫人間たちは体を自力で繋ぎ合わせ、更に新たに出現した2体のスタッフ持ちが瞬く間にHPを回復させる。

 だが、PoHの危機を察知したリビングデッドが使用した生命湧きによって彼に一時的に大きなオートヒーリングが付与される。山吹色のオーラを纏った彼は槍持ち3体の昆虫人間の突撃に対し、まずは重ショットガンで牽制をかけ、まともに浴びて怯んだところに間を駆け抜けながら一閃し、背後を取ると即座に至近距離で重ショットガンを浴びせる。

 

「防具切替するなら時間を稼ぐが?」

 

 オレと違ってPoHは調達した変装用の衣服のままだ。さすがに防御力は低いだろう。だが、PoHは要らないとばかりに次々と襲い掛かる昆虫人間を迎撃している。

 素直じゃないな。贄姫でガードする槍ごと縦に切断し、左手で抜いた連装銃で背後から迫るナイフ二刀流の胸に大穴を開ける。この昆虫人間たちは銃器に対して反応が鈍い。やはりというべきか、アルヴヘイムでは銃器の流通はないようだ。彼らにとって未知の武器なのだろう。

 

「単純なAIじゃないな」

 

 コイツらからも『命』を感じる。今までに経験したことがない『獲物』の装備……それに対しての躊躇と好奇心。高音を発して会話をするような昆虫人間たちは退却せずに、むしろ積極的にこちらへと攻撃を仕掛けてくる。

 1体1体の強さは大したものではない。攻撃に耐えると言っても、連装銃で胸に大穴を開けられた昆虫人間がHPがゼロのまま倒れている。恐らくは斬撃属性には高い耐性を持っているのだろう。

 ならば贄姫よりもアビス・イーターか。贄姫を鞘に戻し、アビス・イーターを抜いて巧みにこちらの間合いから外れようとするナイフ二刀流にステップで距離を詰めて薙ぎ払う。そのまま槍に変形させ、連装銃をホルスターに戻し、両手持ちにして足首を軸にして回転薙ぎ払いで襲い来る昆虫人間5体をまとめて薙ぎ払い、両手剣モードに戻し、踏み込みからの跳躍、そして宙からの縦回転斬りで叩き斬る。

 体液のような青黒い光が、熟れたトマトが地面に落ちたように広がる。仲間が剣で叩き潰されながら両断された姿に、明らかな怯えが生じる。

 アルトリウスの剣技はその破壊力と奇抜さのみではなく、凄惨な死に様をもたらす事によって敵に恐怖を植え付ける戦場の剣技。そして、深淵より這い出る怪物たちを討ち取る為に鍛えられた武技だ。青黒い光を滴らせる両手剣を肩で担ぎながら、オレは微笑む。

 1体として残すつもりはない。針から黄色い液体を撒き散らす昆虫人間の眉間に両手剣を突き刺し、そのまま腹に膝蹴りを喰らわせて転倒させると、刀身を捩じりながら振り抜いて醜く破壊する。仲間を助けようと破壊を伴う強力な跳躍で空を舞った3体の昆虫人間だが、それらをPoHは曲剣1本で2体を相手にしながら重ショットガンで撃ち落とす。

 

「夕飯出来たわよ。遊びはいい加減に終わらせてもらえる?」

 

 そして、後退気味で回復に専念していたスタッフ持ちの胸から刃が生える。音も気配もなく忍び寄っていたザクロの奇襲によって、1体のスタッフ持ちは文字通りのバラバラになるまで瞬く間に解体される。

 鎖鎌が縦横無尽に踊り、戦場を脅かす。

 重ショットガンが響き、紫雷の大剣戟が屍を増やす。

 逃げ惑う彼らを狩るのはオレの役目だ。ショットガンの弾丸が掠めそうになる中で、アビス・イーターで肘を断ち、針を砕き、脚部を薙ぎ払う。

 

「アメンドーズ……アメンドーズ……呪われた妖精たちに……裁きを」

 

「人の言葉、話せたのね。もしもーし、命乞いって知ってますか? まぁ、殺すけど。メシを邪魔した罪は極刑に値するわ」

 

 最後の1体の喉を短刀で抉り、絶命させたザクロは不機嫌に鼻を鳴らす。PoHも曲剣を鞘に戻し、今更になって防具を変え普段のポンチョ姿になる。

 分かっていたことであるが、倒してもコルしか得られず、ユルドは入手できない。オレは野営に戻り、枯れた倒木を椅子にして、連装銃に銃弾を装填しながら、ザクロが注いだスープを見つめる。安っぽい木製の容器に入ったスープには、ニンジンのような野菜とキノコ、それにサイコロカットされた肉が浮いている。

 

「毒は入ってないわよ。『約束』したでしょう?」

 

「……そうだな」

 

 顔を背けながらスプーンをオレへと突き出したザクロに、思わず笑ってしまいながら、着ぐるみを脱ぎ捨てて、器用にスープを啜るイリスを横目にしつつ、オレは温かな液体を口にする。

 もちろん、味はしない。ザクロがどんな味付けをしたのか分からない。だが、このスープに麻痺薬も睡眠薬も入っていないだろう。ヤツメ様は何も言わずに、昆虫人間たちの躯の中心で踊っている。不満げな狩人の手を握って踊っている。

 たとえ味はせずとも、この確かな温もりは味わえる。今はそれで良い。失ったものを取り戻すのは簡単ではないし、相応の代償が求められる筈だから。

 

「しかし、アルヴヘイムの難度調整が分からないな。オレ達でも時間がかかった相手だ。レベル10にも届かない妖精たちは攻めて来られたら被害どころか全滅もあり得る思うんだが」

 

「オベイロンが手を加えているんだろうさ。昆虫人間共はテリトリーから出ないなら、上手く共存しているだろうしな」

 

 わざわざオレがスープを飲むのを待ってから手を付けたPoHの考察を耳にしつつ、昆虫人間が吐き捨てた言葉を思い出す。

 アメンドーズ。それは主、あるいは神へと求める呪いのようだった。彼らは信奉する神を持つ、たとえモンスターであるとしても、信仰文化を持つ生きた存在だった。

 

「神を知った時、人は何を得たんだろうな?」

 

「哲学的ね。神様がいる。自分達よりも高次元の存在がいる。人間は自分たちが矮小な存在だから罪を犯すんだって免罪符が欲しかったんじゃない?」

 

 唾棄するように言い放つザクロはどうやら神様が嫌いのようだ。オレは苦笑しつつ、こういう時にこそ気の利いた事を言いそうなグロテスクな虫ちゃんに期待する。オレの視線を感じ取ったらしいイリスは食事の手を止める。

 

「神様ですか。私はそんなものを感じ取れたことは無いですね。まだまだ私の知性も発達途上ですので。PoH様はどのように考えられますか?」

 

 まさかのイリスからのキラーパスに、PoHは早々に食べ終わったスープの容器を置きながら手頃な岩に背中を預けて星を見上げる。

 

「神とは力だ。俺はそう思うぜ? 理解できない、したくない、そんな力が神と呼ばれた」

 

 理解されず、理解を拒まれた力……それこそが神か。PoHらしいな。

 だが、PoHの意見にオレは小さな頭痛を覚える。そうだ。昔……ずっと昔……『誰か』が欲していた。理解できないから恐怖する。だから、理解しようとして……オレに……オレに……『何か』をさせた?

 ヤツメ様が血塗れの手でビデオカメラを持っている。鼻を擽るのは腐敗臭だ。『誰か』が天井に吊るされている。腐って、蛆が沸き、蠅が集り、膨れた眼球の濁った瞳でオレを見つめている。

 

「顔色が悪いようですが、ご気分が優れませんか?」

 

 手で顔を覆っていたオレに、イリスが声をかける。まったく、このグロ虫ちゃんは本当に気配りができる御方だ。これで美女だったら申し分ないんだがな。

 無言でオレは感謝の表明でイリスの頭を撫で、残りのスープを口にする。その様子をジッと見つめるPoHの視線が気になるのだが、コイツはもしかして視線だけで有毒状態にするユニークスキルとか持っているのだろうか? 実際に≪邪眼≫とかでありそうだから怖い。

 餌のカエルをたっぷりと食べて眠りこけたヘス・リザードを枕にしてザクロは眠りにつき、PoHは片膝を抱えたまま焚火の前で瞼を閉ざしている。リビングデッドは眠ることを知らずにPoHの騎獣の前で仁王立ちを続けている。

 ゆっくりと風化していく昆虫人間たちは、妖精たちと違って死体を残さず、塵となって消えていく。それがアルヴヘイムでのモンスターの末路なのだろう。オレは彼らの最期を見届けた。

 

「神を知る……か」

 

 仮想世界の住人が知った神とは何だったのだろうか? オレは夜空に君臨する大きな満月に手を伸ばす。月光に触れる。

 瞼を閉ざせば、いつだって赤紫の月光と黄金の燐光がある。オレの導きがそこにある。




<システムメッセージ>
・主人公(白)にザクロのコミュが解放されました。



反オベイロン派とかいう、味方になりそうでありながら、明らかにトラブルホイホイの存在。


それでは、246話でまた会いましょう!

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