SAO~デスゲーム/リスタート~   作:マグロ鉱脈

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前回のあらすじ
さぁ、ショータイムだ!


ちなみに、筆者的にはショータイムと聞いたら普通に仮面ライダーが浮かびました。ウィザードが普通に好きでした。


Episode18-08 セイギのミカタ

『正直に言おう。私では加工手段が見つからなかった』

 

 黄金林檎工房にて、オレは贄姫と共に渡されたナグナの狩装束……その『名前』が与えられる由来になったナグナの赤ブローチを受け取った時のグリムロックの悔し気な表情が忘れられない。

 グリムロックは鍛冶屋魂故にか、ソウルの火種が入って以来、意地でもソウルウェポンの開発は『素材』としての加工に執念を燃やした。その結果として贄姫やパラサイト・イヴが誕生したとなれば、彼の腕前を疑う余地はない。ならば、当時の彼にとってアンタレスのソウルをそのまま派生させて誕生させた赤ブローチはある種の屈辱だったのかもしれない。

 血のように真っ赤なブローチはとても軽く、そして何処か歪な光を湛えていた。オレは魅せられたというわけではないが、ソウルとは単なるアイテムではないという認識を改めて持つには十分過ぎる魔性の光だった。

 

<ナグナの赤ブローチ:深淵狩りの【紅玉の騎士】アンタレスに魔女ナグナが送った赤ブローチ。イザリスの魔女の末裔であるナグナは深淵に挑む彼に自身の血に混沌の火を溶かし、加護の結晶を生んだ。それは呪術が生まれる以前の火の力であり、その真の力はイザリスの混沌と同じく禁忌の内で目覚めるだろう。魔女の力の何たる業深きことだろうか>

 

 派生させたアイテムだからか、最初からテキストが入っていたが、赤ブローチは魔女ナグナがアンタレスのお守りとして渡したものだった。

 端的に言えば装飾品の類であり、火炎属性……特に呪術に対しての防御補正を高める。防御力上昇ではなく、補正を高めるので防具などのトータルの火炎属性防御力が必要不可欠であるが、ソウルから生み出したにしては正直言って地味である。アンタレスはリポップしないネームドだったことを鑑みれば……それもオレとエドガー、それにギンジの援護で倒せた相手である。しかも、あれがアンタレス本人の強さとは到底思えない。ならば、相応の武器、あるいはアイテムに生まれ変わると思っていた。

 

『使い道は色々あったよ。でも、そのブローチに変化させる以上は得られないというのが私の結論さ。もちろん、このまま温存して私にアイディアと素材が集まるのを待つのも手だ。でも……』

 

 赤ブローチの説明文をスクロールし、能力の内容を確認していったオレは『それ』を見て顔を渋くした。確かにこれは切り札になり得る。だが、これは下手をすれば、オレの今後のプレイヤーとしての方針を左右しかねなかった。

 

『これを渡すのは、キミに必要になる時が来るかもしれないからだ。限りなく温存してもらいたい。キミはすぐに熱くなって、後先考えずに使ってしまうからね。これは本当に最後の最後の切り札だ。使ってしまったら、私も鍛冶屋として大いに苦労してしまうからね。いずれ、その赤ブローチを素材として強力な武器を作る。それまで待っていてくれ』

 

 グリムロックらしい先見性であり、同時に鍛冶屋らしい執着であり、オレとしては図星だった。正直に言えば、パラサイト・イヴの完成が間に合っていなかったら、オレはラジードとの戦いで赤ブローチを惜しみなく使用していたかもしれない。

 夜が明けて目覚めを伝える小鳥の鳴き声が大樹の森に響く。赤ブローチにグリムロックの顔を重ねていたオレは赤ブローチに苦笑する。能力の内容を見る限りでは、グリムロックとは別の懸念でオレは使えそうにない。

 やはりアンタレスがいた研究施設が裏ルートであり、その報酬でもあったという事か。真実は分からないが、この赤ブローチは温存するとかしないとか以前に『使ってはいけない』類としてオレの中で禁止指定済みだ。装飾品としての効果に頼るしかない。オレではなく『アイツ』ならこの力もあるいは……とは思うのだがな。

 赤ブローチを胸に取り付け、オレはPoHが提案した作戦を思い返す。確かに成功率は悪くないが、同時にリスクも背負う事になる。腰の贄姫の柄頭を撫でながら、オレは大樹の根元にて作戦の撤回を求めるべきか悩む。

 PoHの作戦において、最もリスクが低いのはオレだ。いつもとは完全に違う役回りである。それ以外のリスクは大よそ平等である。

 

「納得いかないわ」

 

 スルスルと下りてきた縄梯子を滑るように着地したザクロは、PoHの作戦説明の際に半ば怒鳴り散らした時の興奮を忘れないままに、極めて不機嫌そうに呟く。

 

「こういう役回りはお前の方が適任だ。その容姿を活かす絶好の機会じゃない。今からでも代わってあげるけど?」

 

 無論、オレは無視を決め込む。ブツブツとオレの周りをぐるぐる回りながら不満を漏らすザクロであるが、オレが徹頭徹尾で無言を貫いていると、やがて肩を震わせて拳を握り、背中を向けて小さな嗚咽を繰り返す。

 

「代わりなさいよぉ。なんで……なんで、私がこんな格好を……っ!」

 

 今のザクロの恰好はアリエルと同じ村娘風のワンピースである。当然ながら兜も鎧も装備もオミットしている。≪格闘≫がある彼女ならば並大抵の相手ならば後れを取ることはないだろうが、防御面も含めて大幅な弱体化だ。

 

「お似合いですよ、主様! ほら、いつも主様はそんな女の子らしい恰好に憧れていたではありませんか! ファッション誌を読んでニヨニヨして、買ってみたは良いけど、鏡の前に立つ勇気が無くてクローゼットで腐らせてるレースたっぷりフリフリリボン付きドレスとかに比べれば――」

 

「うぎゃぁあああああああああああ!」

 

 またしてもイリスにプライベートを暴露され、ザクロは耳を隠す頭巾を深く被って悶絶して蹲る。色々と声をかけてあげたい衝動はあるが、無視と無言こそが我が精神の健全の為である。

 

「しかし、このような作戦が本当に通用するんですか?」

 

 ザクロに続いて降りてきたエルドランはやや心配そうにオレに尋ねる。敢えてザクロではないのは、さすがの彼もザクロの精神状態を気遣っての事だろう。

 今のエルドランの恰好はPoHが奪ってきた野盗の装備だ。薄汚れて、動物の毛皮が縫い付けられてニオイも染みついているが、薄くとも金属製の鎧はそれなりの防御力があるだろう。装備も家宝の曲剣ではなく、野盗が用いていた粗製の片手剣だ。顔は包帯と泥で化粧を済ませてある。

 PoHの作戦説明は極めて単純であり、大胆である。要は相手の懐に堂々と飛び込んでリーダーを殺すというものだ。

 まずはザクロが≪変装≫を利用してアリエルの容姿に化ける。彼女とは背格好も似ているので、妖精の尖った耳と金髪など細かい点を抜けば化けるのは容易い。そして、縄に縛られてPoHに連行される。村のリソースを丸ごと平らげたのだろう野盗のリーダーに彼女を手土産にして仲間に加えてほしいと伝える。

 連中は1枚岩ではなく、ましてや鉄の鎖のような信頼関係も仲間意識も無い。それは軽々と『お喋り』で情報漏洩した点からも明らかだ。自分が助かりたい為ならば、簡単に秘密でも何でも吐く。

 たとえ訓練されておらずとも、多少の仲間意識があればポーズでも仲間を売らない態度を見せるものだ。だが、彼らは少し刻んだだけで積極的に情報を吐き出した。それが逆に疑わしかったのであるが、PoHの方でも同様の反応だったらしい。

 自己中心的かつ仲間意識が希薄であり、個人の生存の為ならば集団を容易く売りに出す。それが野盗の構成員である。つまり、彼らは強力なカリスマによって束ねられた集団ではない。リーダーになっているのは、多少は頭が回る、他よりも残虐で積極的に非道を行える人物だと予想がつく。

 PoHのプランは野盗に扮したエルドランと共にアリエルに化けたザクロを連行して村に入る。仲間の帰還は想定内だろうが、PoHの同伴に連中は混乱するはずだ。

 これを部下はリーダーに報告するだろう。これを聞いたリーダーは人質の守りを『固める』。恐怖で統制された組織は一見すれば強固に見えて柔軟性を失う。何故ならばリーダーの真意に背けば、問答無用で私刑であり死刑だからだ。つまり、個々の判断力は劣悪化する。

 オレは昨夜の作戦会議……もといPoHの独壇場を思い出す。彼は確認を取るようにエルドランから事の経緯を聞き出すとプランを述べ始めた。

 

『連中は命令通りに動くイエスマン。だったら攻略は簡単だ。「マニュアルに無い状況」って奴を作ってやれば良いのさ。そうすれば、必ずリーダーに指示を仰ぐ。そして、この手のリーダーって奴は恐怖のパフォーマーだ。少しでも隙を見せて恐怖を緩めれば待つのは反逆からの死。器量以上の大物ぶった態度とパフォーマンスの場を見逃さない目敏さがある。そいつを利用して炙り出す』

 

 人の心を読み、操り、悪意のハードルを下げる。PoHの真骨頂はその残虐性でも戦闘能力でもない。先導をもたらすカリスマ性と心理把握能力だ。手振りを合わせて自信満々に作戦内容を伝えれば、エルドランは流されるままに作戦に賛同していた。不安こそあるが、やらずにはいられない。そんな逸った精神状態である。

 

『炙り出してどうするの? 殺すのが目的でしょう? 油断させて喉を掻っ切る。それ以上が必要かしら?』

 

 作戦内容を聞いたザクロは役割変更の狙いで説明を要求した。もちろん、PoHは抜け目がない。オレ達と同じ情報を所有していながら、全く別の見地に到達していた。

 

『良いか? 盗賊ってのは略奪した後に居座るような真似はしない。酒盛りしようが、女を犯そうが、せいぜい宴を開いても1晩が限度。金目の物を奪ってサヨナラ。これが盗賊の常套手段だ。だが、そこの騎士様のお話を統合すれば、連中はそれなりの期間に亘って村を実効支配している。そこで質問だ、お嬢さん』

 

 SAOで数多のプレイヤーを悪の道に誘い込んだPoHは、その身から滲むどす黒い雰囲気を隠して、にこやかな……彼お得意の警戒心を削ぎ取る笑みを浮かべながらアリエルに問いかけた。

 

『処女か?』

 

『ひゃ!?』

 

『OKOK。その反応で十分だ。騎士様は剣を収めろ。俺は阿婆擦れには興味ないが、同じくらい生娘に欲情しない』

 

 尖った耳まで赤くしたアリエルを庇うように伝家の宝剣(ゴミ)を抜いたエルドランに、PoHはホールドアップして冷静さを促す。正直、あの時のアリエルは数時間前には連中に襲われていたので、そうしたナイーブな話題は避けてもらいたかったのだが、PoHにそれを考慮しろと言っても馬の耳に念仏未満だ。

 

『俺の美的センスが著しく狂ってなければ、お嬢さんの容姿は良い方だぜ? ここまで言えば分かるってもんだ。だろう、【渡り鳥】?』

 

 厭らしく口元を歪めたPoHが言わんとする狙いをこの時点でオレは理解した。

 統制された軍隊の兵隊……近代から現代においても兵士における性の問題は常だったのだ。それが、正規兵の訓練を受けたとはいえ、ゴロツキの寄せ集めのような連中が性欲をコントロールして若い娘に手出ししていないはずがない。

 つまりは、性欲以上の恐怖心が彼女に、あるいは『彼女たち』に手出しをさせなかったという事だ。

 

『……「商品」か』

 

 忌々しく吐き捨てたオレに、PoHは音の鳴らない拍手を送った。

 

『ご明察。俺の読み通りなら、女は商品だな。年齢か、人数か、容姿か。何にしても性行為経験の有無でグループ分けされて監禁されているだろうさ。アルヴヘイムの法律や宗教観は分からないが、現代日本基準の道徳と性観念とは考え辛い。性行為は娼婦などを除けば婚姻した夫婦間の行為、あるいは文字通りの契り……婚約前提と考えられる。騎士様よ、その辺はどうだい?』

 

『仰られる通りです。よその地域は分かりませんが、イースト・ノイアスにおいて、女性が婚前交渉をするのは不埒な行いであり、余程の事が無い限りは一族からの追放とされていますね』

 

 本格的に異世界に転生した気分になってきて、あの時ばかりはオレも少し眩暈がしたものである。プレイヤーが基本的に主役であるDBOと違い、アルヴヘイムには『命』ある連中の営みによって築かれた社会通念があり、文化があり、歴史がある。つまり、プレイヤーが冒険する事を目的としたDBOのステージ管理よりもずっとずっと厄介な……それこそ凶悪ネームドやボスの方が何十倍も楽だろう問題が立ちはだかりかねないという事だ。

 

『売りを待つ商品だ。買い手は「真っ当ではない」奴隷商だな。奴隷商と聞けば悪人のイメージがあるだろうが、実際はそうでもない。公的管理下に置かれ、「奴隷」が認可された文化圏における正しき商売人さ。人権という概念が登場していないんだから当然だな。それでだ。奴隷商には奴隷商のルールがある。大抵の場合は奴隷の身元だな。異民族や異文化圏、戦争での敗戦民、それから借金持ちが主な商品のはず。村を一方的に奪って女を売り捌くなんて普通の市場なら無理だろうさ。妖精の国での種族間の諍いがどの程度かは知らないが、盗賊連中は種族混合……つまり種族間の闘争が薄い地域出身だ。そうなると……』

 

『売り手も買い手も闇市場。しかも、長期間に亘って村を略奪して拠点化しているとなると、動かない理由は奴隷商待ちだけじゃないな。安全を確保できているという確信がある。この地域の行政官もグルと見て間違いない。最悪の場合はより上層部も含めて……』

 

 どうして村の異常事態の察知が遅れたのか、エルドランという出身者が心配して帰郷していなければ、村は壊滅どころか丸ごと消え去っていただろう。どれだけの文化レベルや治安かは分からないが、エルドランが騎士道を志し、またその為に行動を尽くす程度には発展していた。

 エルドランはショックを受けたようだったが、それを咎めることなく、PoHがどうしてリーダーを炙り出したいのか、その理由は分かった。オレは大した情報を持っていないと思っていた連中であり、事実として今もオレの『視点』からはそうなのだが、PoHの『視点』からはそれなりに価値のある連中のようだ。

 

『つまり、連中が村に居座っている理由は大きく分けて2つか』

 

『なるほどね。1つは商品が生物かつ知性があり、下手に傷物にすれば価値が下がるならば、監禁して「買い手」を待つ方がコストが下がる。もう1つの理由は、そんな悠長な真似ができる背景と「目的」があるからってわけね』

 

 即座にザクロもオレやPoHと同じ回答に到達したが、エルドランだけはクエスチョンマークを頭上に生やす勢いで首を捻っていた。まぁ、悪意ある見方をしない限りには短時間でここまで読み解けという方が無理である。

 しかし、PoHはこのアルヴヘイムで何をやらかすつもりなのやら。相変わらず、オレには政治も出来ないし、策略・策謀なんて以ての外だ。ザクロはそれなりに謀略には心得があるのだろう。PoHのプランの価値を評価したようだった。

 そうして夜明け後に行動開始が決まって現在、オレの役目はPoHの登場で盗賊の目が集まったところで村に侵入し、人質を解放する事にある。アリエルの情報によれば、村の生き残りは30人弱の女子供。男連中は子ども以外皆殺しにされたようだ。

 

「お前はどうするの? 人質を傷つけられる事無く単独で全員解放するなんて土台不可能じゃない?」

 

 準備を整え、ブーツのベルトを締め直すオレに、すっかり村娘の恰好……≪変装≫でアリエルの顔にすら変化したザクロの物言いに、オレは無言、もとい無視を続ける。

 PoHの狙いなど正直どうでも良い。交渉のテーブルという名の情報収集が決裂しても構わないし、背後関係を洗ったところで何の利益になる? 別にアルヴヘイムの犯罪界に関与したいとは思わないし、そんな暇があるならばアスナの救出とオベイロンの抹殺が優先だ。イースト・ノイアスの後ろ盾が得られずとも、元より単独行動を前提として妖精の国を目指していたオレは、アルヴヘイムがどうなろうと興味はない。

 そのはずだ。オレは小屋に残るアリエルが兄に祈りを捧げている光景を見て、胸の奥に疼きを覚える。

 誰かを想う。父に、母に、子に、兄弟姉妹に、友に、伴侶に、国に、故郷に、祈りを捧げる。それは否定されるべきではない尊いものだ。

 

「オレの心配は要らない。暗殺は『慣れてる』さ」

 

 今回の作戦の肝はPoHの読み通りに敵方が動くかどうかだ。まず、意味深な態度を見せる事でリーダーにPoHが『雇い主』だと錯覚させねばならない。

 反オベイロン勢力だか何だか知らないが、盗賊連中に装備と訓練を施した者たちがいる。そして、村に居座り続ける理由はリーダーしか知らないか、あるいは盗賊もまた捨て駒の類とされている確率も高い。即ち、反オベイロン勢力は『イースト・ノイアスの怠慢によって支配された善良なる村の解放』という名目を得て堂々と登場しようと考えているわけだ。虐殺が行われた村を救ったヒーローか。使い古された筋書きだが、確かに効果的だ。

 真実はどうであれ、敵方のリーダーはPoHの判断をつける必要がある。その為には理由も無く攻撃許可も取れず、また臆病風を見せる態度をすれば恐怖のパフォーマーとしての格が下がる。故にリーダーは必ずPoHの前に姿を現す。だが、少しでも知恵が回るならば、必ず人質の防御を固める。つまり、人員が集中した場所こそが人質の居場所だ。 

 エルドランの小屋に残されていた、やや錆び付いた短剣を腰に差す。音が響く連装銃をオミットし、攻撃力が著しく低い短剣を装備したのは、こちらの方が暗殺では手際が良いからだ。それに、攻撃力の不足は『それなり』までならば補える。

 

「【渡り鳥】のサイレントキリングは俺以上だ。音もなく、気配もなく、悲鳴を上げさせる間もなく殺す。そうでなくとも、殺しに関して言えば、【渡り鳥】以上はいない」

 

「それなら良いけど。失敗はしないでくれる? 仕事は限りなく完璧にしたいのよ」

 

 忍者としてはザクロの方がこうした潜入からの暗殺は得意分野のはずだ。だが、PoHがオレを推薦したのはザクロに化けさせる以上の意図があるだろう。

 

「私が上空より索敵しますが、敵の能力も未知数ですし、何よりも夜が明けました。十分に警戒してください」

 

 PoHが引き連れるリビングデッドの肩に止まったイリスには、今もエルドランもアリエルも若干以上に後退している。見た目はリビングデッド以上に正気を削ぎ取るようなイリスであるが、その物言いと思考は最も善人だ。

 ザクロは縄で両腕を拘束されているが、その実は細工されており、少し力を入れれば簡単に引き千切れる。ザクロは装備をオミットしていると言っても格闘戦に持ち込めばあの程度の野盗は敵にもならないだろう。PoHも敢えて丸腰のようだが、彼は彼でその程度で死ぬ男ではない。心配なのはエルドランだけか。彼の偽装は最もチープだ。見破られれば命はない。

 それから慎重に森を進んで1時間ほどすると森の出口に到着する。簡素な木の柵に覆われた村の規模はそれなりであり、100人程度は暮らしていたのではないだろうか? 村というよりも集落といった印象の方が強い。畑には青々とした野菜が実っているようであるが、今はそこに耕す者はなく、代わりに黒く変色した妖精たちの死骸が重ねられている。

 イリスが高く飛翔して村の上空に到達する。まずはPoHが正面から堂々と村に侵入し、縄で縛ったザクロを披露する。オレはその様子を森の木陰から伺い、かなりもめている……もとい野盗たちを集めている様を確認してから、≪気配遮断≫を発動させて木の柵の隙間からトマトが生った畑に潜り込む。

 まずは人質の捕らえられている場所であるが、アリエルの情報によれば、彼女は数人の同年代や年下の少女と共に穀物庫に監禁されていたようだ。だが、アリエルの脱走によって場所は変更されたと見て良いだろう。

 

「南方の風車にて、敵の警備が集中している場所があります。人質の監禁場所と見て間違いないかと」

 

 降下してきたイリスは口早に情報を伝えて再び飛翔する。やはり上空からの情報収集は強力な武器だな。よもや、グロテスクな虫ちゃんが高度な知性を持った生命体とは野盗たちも思ってはいないだろう。

 大きな風車か。村の南方にあるボロボロではあるが、それらしき建造物が見て取れる。今や風車は火で炙られて焼け落ちて回ることはない。そして、風車には黒ずんだ死体が数体逆さ吊りされている。悪趣味だな。

 

「…………」

 

 どうしてだろう。吊るされた死体を見ていると、心臓が握り潰されるような気持ちになる。

 夏の籠った流動しない熱せられた空気。散乱するゴミ。閉じられたカーテン。鼻を擽るのは腐敗臭。集るのは蠅と蛆。

 揺れている。『誰か』が天井で揺れている。思い出せない。揺れているのは『誰』なんだ?

 

「切り替えろ」

 

 PoHとザクロはどうなっても良いが、リビングデッドを護衛に残して小屋で1人待つアリエルは兄の帰りを待ち続けているはずだ。彼女を助けたいわけではない。だが、エルドランの兄としての、騎士としての、その戦士としての誇りには敬意を表する。ならば、オレの目的を達成する範疇でならば、彼の手助けもするさ。騎士様の口添えがあれば、イースト・ノイアスでも動きやすくなるだろうしな。

 まずは風車小屋を目指す。家々の大半は燃やされている。こんな山奥の村だ。金目の物など限られているだろう。ならば、PoHの言った通り、狙いは暮らす住人そのものか。男は皆殺しにする辺り、元より村1つを抹消する意気込みのようだな。だが、一方で野盗たちは『お喋り』しても人身売買について情報を漏らさなかった。伝手はあくまでリーダーが握っているのか、それともここの盗賊団はやはり使い捨ての駒なのか。

 どちらでも構わない。風車小屋の前に待機する野盗は4人だ。いずれも警戒心が強い。PoH達の登場によってリーダーが警護を固めるように命じたのだろう。もちろん、それもPoHの狙い通りだ。分散した兵を集中させて狩りやすくする。警戒しているつもりだろうが、実際には1カ所に集められて殺されに来ただけだ。

 灰塗れの家屋で息を顰め、風車の四方を警護する野盗たちの始末の仕方を考える。贄姫の水銀の刃で中距離から切断するにしても、せいぜい巻き込めて多くとも2人だろう。それに、水銀の刃の高い貫通効果で風車内まで刃が通れば、監禁されている人々にも危害が及ぶ。

 右手で短剣を抜き、オレはパラサイト・イヴの能力を発動させる。オレの手から、まるで皮膚の下で血が蠢いたかのように赤黒い液体が溢れて短剣を蝕んでいく。

 パラサイト・イヴには【武装感染】と【武装侵蝕】の2つの能力がある。武装感染はオレが所持した武具全てにパラサイト・イヴの『共有装備』となる。微弱であるが≪暗器≫として補正がかけ、攻撃力を高められる。尤も、オレは≪暗器≫スキルを持っていないのでステータスボーナスの上乗せはできず、せいぜいがクリティカルボーナスの微弱強化くらいだ。

 だが、この武装感染こそがパラサイト・イヴの≪暗器≫としての顔の1つだ。暗器とは相手に悟られる事なく殺しにかかることでができる事こそ最上。ならば、武装感染はまさしくプレイヤーにとってシステム的な盲点を突いた攻撃を可能とする。

 プレイヤーの手から離れた武器はウェポン・ファンブル……つまりは非装備状態と認識され、再装備しなければ武器として使用できない。SAOから続くDBOにおいてプレイヤーを束縛するシステムだ。

 だが、グリムロックは双子鎌やラジードが愛用する双剣からアイディアを得た。これらの武器は片方でも手元に残っている限りはファンブル状態にならない。

 つまり、パラサイト・イヴがオレの体内で装備されている限り、『感染させた武器はファンブル状態にならない』という、文字通りシステムロジックを逆手に取ったウェポン・ファンブルの攻略法である。

 

『実はね、ウェポン・ファンブルの攻略法自体は前々から分かっていたんだ。たとえば「鞘」。これを打撃属性武器として登録して、「カタナ」と「鞘」の1セットにする。もちろん、攻撃力は分散してしまうけど、これでウェポン・ファンブルはクリアされる。たとえカタナ本体を手放しても鞘がある限りは「装備状態」だからね。だけど、それでは先程言った通り、攻撃力がどうしても下がる。だからパラサイト・イヴの出番だ』

 

 使い勝手はグリムロックが開発した内でも史上最悪の部類である。だが、その分だけ自由性は大きく確保されている。

 そして、この場面で使うのは武装侵蝕だ。パラサイト・イヴによって侵蝕された武器には≪暗器≫が『上書き』される。またパラサイト・イヴの攻撃力補正を受け、耐久度が上昇する。クリティカル補正は≪暗器≫単体と比べればやはり低いが、それでもあらゆる武器とアイテムを≪暗器≫化できる。ただし、侵蝕中は本来の武器スキルが失われてしまうので、たとえば贄姫などに使用すれば≪カタナ≫が消失するのでその分のステータスボーナスが減って攻撃力が激減し、オマケにソードスキルが使用不可になる。

 だが、オレは≪短剣≫を持っていないのでこの錆びた短剣に武装感染を使用すれば、パラサイト・イヴの補正を受けた武器に変貌する。これで≪暗器≫スキルがあれば、更にステータスボーナスも多少は上乗せされるのだがな。次こそ≪暗器≫は必須になりそうだ。

 錆びた短剣はどす黒い赤色の液体によって呑まれていき、蠢きながら禍々しい刃を持つ短剣となる。この武装侵蝕中は武装感染と違ってセットしている薬品のデバフ蓄積効果が付与される。なので、この武装侵蝕で最も恐ろしいのは投げナイフに使用した時である。一々薬物を塗る必要なくデバフ蓄積効果を与えられるのだから。

 やはり警戒心が強い。4人を殺すのは容易い。だが、確実に2人殺した時点で大声を出されて増援を呼ばれる。それに、風車小屋内に見張りがいないとも限らない。

 まずは注意を惹く。見張りの1人が視線を外した瞬間を狙って鋸ナイフを1本投擲し、風車に吊るされた遺体を落とす。物音に見張りの内の3人が風車の正面に集まったところで、オレは駆けつけなかった1人の背後に忍び寄る。

 左手で口を封じ、強化された短剣で喉を裂き、声帯に当たる部位を切除。そのまま肋骨の隙間から心臓を貫く。暴れる見張りの1人のカーソルは瞬く間に赤くなり、そして死亡する。

 次に風車の正面に移動して千切れたロープの切断面を見て、それが刃物の類による人為的なものと勘付かれるより前に、3本の鋸ナイフを投擲。それは首裏から貫通して喉を正確に潰す。その間に疾走し、贄姫を抜刀する。振り返った1人目の首をそのまま切断し、即座に逆手に持ち替えてもう1人を袈裟斬りにし、最後の1人が片手剣を振り上げる前に後ろを見る事無く贄姫を突き出して心臓を貫き、更に駄目押しで柄頭を押し込んで更に刀身を潜り込ませ、捩じる。

 吹き出した赤黒い光はもはや血のようにどろりとした質感が籠っている。それがヤツメ様を昂らせ、思わず口元が歪みそうになるのを堪える。袈裟斬りにされた1人はギリギリ生きているらしく、カーソルを赤く点滅させているが、この様子ならば猶予ダメージだけで絶命するだろう。一撃で殺しきれると思ったのだが、オレの踏み込みが甘かったか。

 

「苦しいですか? 楽にして差し上げても良いですが、その前に質問に答えてください。風車の中に見張りはいますか?」

 

 赤黒い光を胸から溢れさせて、痙攣した体から死のニオイを充満させる生き残りは、縋るような目で首を横に振る。まぁ、この騒ぎになっても出てこなかったので、もしかしたら風車小屋内で待ち伏せしているのかとも思ったが、杞憂だったか。

 首に突き刺さる鋸ナイフで肉を荒々しく抉り、苦悶の一瞬の後に生き残りは絶命する。これで風車小屋の見張りは全滅だ。

 やはりレベル10程度か。貫通性能が低い鋸ナイフでも、オレのSTRを乗せた投擲ならば十分にダメージを与えられただろう。

 

「お見事です。早業ですね」

 

 時間にして最初の1人の殺害から15秒とかかっていない。相手が低レベルだからこそ何とかなった。降下してきたイリスに促されるままに、風車小屋の内部の様子を探る。どうやら内部にまで見張りは準備していないようだ。

 贄姫で風車小屋のドアを切断し、入り込むと薄暗い内部には若い娘が7人ほど捕らえられていた。いずれも衣服の乱れや暴行の痕跡は無し。だが、精神が疲弊しているのは間違いない。虚ろな目でオレを見つめている。助けに来たのを喜ぶ様子も無い。

 

「ここにいてください。静かに、黙って、全てが終わるまで」

 

 人差し指を唇に当てて彼女らにも分かりやすいように命令する。そして、外に転がる遺体を処理する暇もなく、オレは次の人質が捕らえられている場所を探す。大人数を逃げられないように閉じ込めるには、風車小屋のような閉塞された空間が必要だ。

 

「西方にある神殿が怪しいかと。窓も打ち付けられています」

 

 確かに村の西側にはやや黄ばんだ白色の小さな建物が目に留まる。神殿といっても簡素なものであり、日常のお祈りや集会に使用される程度だろう。だが、規模的にも監禁するには丁度良いかもしれない。地下室もあるだろうしな。

 

「殺すのに躊躇いが無いのですね。彼らが悪党だからですか?」

 

「善良なる兵士でも殺すさ。必要なら殺す」

 

 本来ならば潜入行動中に無駄話など阿呆がする真似なのだが、低空飛行するイリスの問いかけに、オレはぶっきら棒に答えてしまう。

 

「不必要ならば殺さない。そういう事ですか?」

 

「……お喋りしに来たわけじゃない。黙っててくれ」

 

 善悪で殺しの対象を分けるのか? 違う。敵であるか否か。それだけだ。それ以外の何で線引きする?

 どんな悪党にも良き隣人としての顔はある。赤子すらも笑って殺す大悪人が自分の母親には孝行する。逆に万人に救世主と崇められる聖人が家では妻に暴力を振るう駄目亭主という事もあり得る。

 

「殺さないのはどのような時ですか?」

 

「殺さない時は殺さない。気まぐれだ」

 

 これで満足か? 次に口を開いたら斬るという意図で贄姫を鞘から半ばまで抜くとイリスは急上昇して索敵に移る。PoH達はこの様子だと上手くリーダーを引っ張り出したようだ。

 エルドラン達には最初に3人、次に4人、更にPoHが始末した2人の計9人が派遣された。敵のリーダーは恐怖政治が出来ても頭はキレず、戦略も戦術も三流未満。PoHの敵ではないだろう。

 イライラする。どうしてだ? あの虫と話をしていると無性に腹立たしくなる。

 理由は分かっている。AIなのに、虫なのに、ザクロのパートナーなのに、彼女の方がずっとずっと……オレよりも『人』なのだ。それに浅ましくも嫉妬している。

 意外な事に神殿周辺に見張りはいない。どういう事だ? PoHの読みが外れたのか? 上空のイリスにハンドサインを送るも、彼女からの合図は無し。間違いなく神殿周辺に敵影はないようだ。

 もしかしたら、神殿の守備戦力もリーダーの護衛に回された? PoHやザクロからただならぬ雰囲気を感じ取れるだけの才覚があれば、リーダーは予想していたよりも優れた人物である確率が高まる。

 オレの危機感の上昇に反するように、ヤツメ様は呆れたように鼻を鳴らす。まるで汚物を見つめるように、神殿の扉を撫でている。

 贄姫ではなくアビス・イーターを抜き、オレは息を潜めて扉を開けて……『それ』を見た。

 長椅子が転がる小さな祈りの間。神殿というよりも教会と呼んだ方が適切だろうインテリア。聖壇を照らすのは昇ったばかりの朝陽が差し込んで色彩を付けたステンドグラスの輝き。飾られているのは祀る神の石像なのだろうが、今は半壊するまで壊されている。

 だが、そんなことはどうでも良かった。オレの目に飛び込んできたのは床で痙攣する裸体の女性、首に荒縄を取り付けられて動物のように今も男たちに引きずり回される、PoHが沸けたもう1つの『グループ』……つまりは野盗たちに『許可』が与えられた女性たちだ。

 

「……ああ、とても面倒だ」

 

 正直に言えば、オレはこういう光景に慣れている。DBOでもそれなりに仕事で始末した類だし、SAO末期も酷いものだった。だから、オレは見慣れている。何度も何度も何度も、こんな光景と遭遇している。

 怒りはない。だが、何処かで失望を覚える。これが『人』なのか、と。オレが求めてやまない『人』の姿なのか、と。いつもの事だ。

 今も『行為』に及ぶ男たちの視線が集まり、オレは微笑む。せめて、彼らの祈りも呪いも無い、安息の眠りの為に。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

「そっちも終わったようね」

 

 イリスがPoH達の元に戻ってみれば、既に決着はついていた。

 あっさりとPoHの策通りに引っかかった敵方のリーダーは、いかにもゴロツキの支配者といった感じの、黒いモジャモジャとした髪をした熊のような男だった。いや、そのような表現は熊に失礼だろうとすらイリスは軽蔑する。

 10名以上のリーダーの護衛はいずれも腕や脚を捩じられ、悶絶したまま、縛り付けられている。意外な事に殺害されたのは数名だけだ。

 

「信じられない。これだけの敵を、我々4人だけで……!」

 

 呆然とするエルドランの片手剣も赤黒い光で濡れている。どうやら彼も奮闘らしたらしく、特に敵のリーダーには浅からぬ傷痕がある。彼が故郷の誇りをかけて一太刀入れた証拠だろう。

 だが、イリスからすればこの結果は別段驚くほどではない。単純に全滅……皆殺しにするだけならばザクロ1人でも十分だ。相手はレベル10前後……高くとも20である。対してザクロのレベルは74だ。子どもがどれだけ寄って集ったところで獅子には勝てない。故にザクロも【渡り鳥】も『人質の安否』だけを気にしていた。自分たちが皆殺しにするまでの間のタイムラグで人質に危害が及ぶ事を考慮して、村の襲撃のプランを練っていたのである。

 

「【渡り鳥】の方は?」

 

「……あちらも『問題ありません』」

 

 既に決着はついた。イリスは主の質問に簡潔に答える。そう、あちらは『問題ない』のだ。イリスは疲れたように、頭巾を外したザクロの頭の上に止まる。

 

「しかし、どうして生かしてあるのですか?」

 

「PoHの方針よ。『正義の味方』がむやみやたらに殺したら駄目でしょう?」

 

 ニヤニヤと笑うザクロに、イリスは果てしなく嫌な予感を募らせる。これは明らかにPoHから何か『提案』を受けた顔だ。そして、主が決まってこのような顔をする時は、およそ目を覆いたくなるような凄惨なパーティが開かれる時である。そう……ナグナの時のように。PoHがノイジエルを唆し、絶望を植え付け、凶行に走らせた時のように。

 ナグナでもザクロは1枚噛んでいた。イリスは何度も忠告を繰り返したが、聞き入れられることは無かった。もちろん、結果的には『依頼主』の目的通り……同時に計画の半分は失敗したが、それが逆にイリスはホッとしたものである。

 徒手格闘戦で勝負をつけた為か、ザクロの両手は赤黒い光で濡れている。それを汚らわしそうに振り払いながら、彼女は井戸から水を汲んで両手を洗い、桶の残り水を死闘で汗だくになったエルドランに渡す。

 

「少しだけ恰好良かったわよ。だけど、折角の男前もそんな萎えた顔じゃ台無しね」

 

 珍しくザクロが褒める程度には奮闘したらしいエルドランは、確かに気分の良さそうな……敵討ちを果たした顔ではない。

 

「私も騎士です。戦いには慣れています。慣れていますが……やはり人は斬り慣れておりません」

 

「……そう。どうでも良いわ。殺しに慣れていないに越したことは無いわよ。騎士様は騎士らしくピカピカの鎧を着て平和と希望の象徴にでもなってなさい」

 

 少しだけ寂しそうに、だが嬉しそうに見えたのはイリスの気のせいではないだろう。それが彼女に安心感を芽生えさせる。

 ザクロは殺しを厭わない。これまで彼女が犯した罪の数の分だけ、多くの屍が積み重ねられてきた。イリスが生まれるより前から、ザクロはその手を殺しで汚していた。

 だが、ザクロは殺しを平然とするにしても、それを他人に押し付けるような真似はしない。あくまで殺しとは本人が自発的に背負うべき業であるべきと考えているのだ。

 罪悪感がある。だが、それを消化するだけの殺しのロジックがある。ザクロはそういうタイプだ。元はきっと真っ当な……普通の少女だったのだろうとイリスは思う。だが、何処かで歯車が狂ってしまった。あるいは狂わされてしまった。

 そして、PoHも【渡り鳥】もザクロとは別のタイプであり、また2人も系統が異なるとイリスは分析する。

 今も縛り付けている敵方のリーダーと、ぼそぼそと会話を交わすPoHもまた殺しを厭わない……いや、殺す事にある種の快楽を見出している。恐らくは殺しとは彼にとって娯楽の1つなのだろう。そして、同時に彼の行動にはある種の揺るがぬ思想が根底にあるような気がする。恐らくは殺人そのものが目的ではなく、楽しんだ結果として『殺し』に到達するタイプなのだろう。

 

(ならば、【渡り鳥】様は……)

 

 まだ直接会話してから時間は短いが、極端な二面性を持つ白い傭兵をイリスは読み切れていない。殺しには一切の罪悪感が伴っていない。そこはPoHと同じだ。殺しを楽しんでいるようにも思える節も見て取れる。だが、何かが違う。決定的にPoHとは何かが違う。敢えて言うならば悪意の有無だろう。だが、それも真実とは言い難い。イリスの優れた電脳からも導き出せない。

 いや、そもそも彼に『真の理解者』と呼べるような者が果たして存在するのだろうか? イリスは飛び立ち、神殿の方に向かえば、そこでは精神を疲弊し、あるいは壊れた女性たちがボロボロのシーツのようなものを衣服代わりにして裸体を隠している。だが、彼女たちはまるで何かに怯えるように神殿内に立ち入らない。

 

「【渡り鳥】様?」

 

 薄暗い、窓という窓が女性たちを逃がさない為に封じ込められた神殿内は異臭に満ちていた。それは繰り返された『行為』の悪臭ではなく、常人ならば正気を失いそうになるほどに満ちた血潮と肉……死の香ばしいニオイだ。

 散乱するのは肉片。鋸で抉られたような頭部には絶望の表情が張り付き、涙すらも赤く変色している。壁には四肢を失った胴体が木材で串刺しにされて縫い付けられ、まるで神に縋るように『行為』で汚された聖壇には破壊され尽くされて、赤黒い『肉』としか言いようがない程の屍が鎮座している。

 そして、朝の陽光を浴びてステンドグラスの虹色の輝きを得た聖壇の前の祈りの間にて、カタナから赤黒い光の血をボタボタと垂らし、その白髪と防具は斑のように血の色で染められて、【渡り鳥】はまるで何かを求めるように光を見つめていた。

 

「……PoH達は終わったか? エルドランは無事なのか?」

 

「ええ、手傷はありません。エルドラン様は些か精神に変調があるようですが」

 

「そうか。それなら……良かった」

 

 振り返りもせず、ステンドグラスに描かれた女神、あるいは妖精の女王ティターニアを模したものか、信仰の対象の虹色を見つめる【渡り鳥】は安心したように息を漏らす。

 

「ですが、PoH様と主様は何か企んでいるご様子。【渡り鳥】様、どうかあの2人を……」

 

 この人ならば止められるかもしれない。そんな淡い期待を持ったイリスは自身の楽観視に愕然とした。

 どうして、助けられた側の女性たちが神殿の外に逃げ出していたのか。その端的な理由を……実際に目撃したわけでもないイリスは理解する。

 振り返った【渡り鳥】は息を呑む程に美しかった。本来ならば汚らわしいはずの返り血すらも、その御身を映えさせる宝玉の装飾にも等しいように。

 ああ、そうか。この人は狂っているのではない。壊れているのではない。イリスは漠然とであるが、理解してしまい、気狂いしそうになる。

 

「行こうか。PoHが何を考えているかくらい分かるさ」

 

 舞うイリスの隣を抜け、神殿の外に出れば、女性たちは自分たちを嬲った者たち以上に、助け出してくれたはずの【渡り鳥】を恐れるように身を縮め、息を呑み、小さな悲鳴を上げる。まるで殺さないでと訴えるように震える。

 

「1つ……もう1つだけ質問してよろしいでしょうか?」

 

「今は気分が悪い。後にしてくれ」

 

「今させていただきたいのです。お手間は取らせません」

 

 PoH達と合流すべく村の中心部を目指す【渡り鳥】を追いかけ、翅を動かしてスピードを上げたイリスは、言葉を慎重に選びながら、『それ』をぶつけた。

 

「ザクロ様は……救われるべきですか?」

 

 それは限りなく危ぶまれるべき禁忌への接触。開けてはならない扉の隙間から、怪物の息吹を感じ取り、イリスは翅を止めて落下しそうになる。【渡り鳥】は歩みを止めて振り返ろうとして、やがて何かを思い立ったようにイリスに目を向けずに歩みを再開する。

 

「どうしてオレに訊く?」

 

「お答えください。ザクロ様は悪人です。事情を知らぬ者からしても、知る者からしても、たとえ胎から生んだ母すらも見捨てる程に血と罪に汚れた御方です。それでも、あなたならば、教えてくれるような気がしました」

 

 これは残酷な問いかけだ。ましてや、ザクロが殺すと明言している仇に問うべき事ではない。

 歩み続ける【渡り鳥】は小さく溜め息を吐く。そこに込められた感情をイリスには見抜けない。だが、今度こそ振り返った【渡り鳥】に、イリスは聖女の微笑を見た。

 

「『救いはそれを求める人の心の中にいつもある。救われるべき者は手を伸ばさないと救われない』」

 

 ああ、やっぱりこの人は……どれだけ血塗れでも『優しい』御方だ。だからこそ、とてもとても苦しんでいらっしゃるのだろう。イリスは昨夜、風車小屋、神殿……そして、今までの伝聞にあった【渡り鳥】の情報を統合し、1つの見地に至り、ポフンと労わるようにその頭に着地する。

 意外な事でも何でもなく、【渡り鳥】は煩わしそうに嘆息し、だがイリスを払い除けようとはしなかった。この人はそういう御方なのだろうとイリスは顎をカチカチと鳴らして笑む。それは傍から見れば捕食前の唸り声のようだが、【渡り鳥】は正しく理解したように睨んだ。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 イリスの懸念通り、PoHとザクロは盗賊のリーダーを始めとした面々を生かし、拘束しているようだ。

 血塗れのオレにエルドランは慌てた様子で傷を負っていないかと、何故か跪いて尋ねた。全部返り血だと言うと駆け出して桶いっぱいの冷水を顔面から浴びせかける始末である。この騎士野郎、ぶった斬ってやろうか? いや、駄目だ。戦闘で興奮して気が動転しただけだろう。こんな使い古されたギャグマンガみたいな展開で首を刎ねるとかアリエルにどう説明したら良いか分からなくなる。

 

「よう、『お楽しみ』だったみたいだな」

 

「サイテーね。で、感想は?」

 

 そして、この2人の厭らしい笑みでのお迎えである。この2人は大満足のようだ。まぁ、これから『正義の味方』ごっこが始まるのだから当然か。

 

「普通だ。それよりも、これで全員か?」

 

 風車小屋と神殿で助け出された人々も続々とエルドランの引率で村の中心部であるここに集まっている。神殿に囚われていた方は心神喪失に近しい状態である。これから長い長い心のリハビリが必要になるだろう。ましてや、親族を皆殺しにされたとなれば、村の外に親戚でもいない限りは頼れる者もいない。

 

「彼女たちはイースト・ノイアスの太陽寺院に任せましょう。古いシルフ達が翡翠の都に留まり、今も細々と信仰を続けている偉大なるグウィン王の神殿です。あそこの騎士も修道女も心大らかですからね。事情を話せば、快く受け入れてくれるでしょう」

 

「太陽信仰がアルヴヘイムにもあるのですか?」

 

「ええ。太陽信仰はもちろん、グウィンドリン様を祀る暗月信仰もあります。ですが、一般的なのは世界樹信仰ですね。古竜ユグドラシル様が妖精の国の礎と楔となった。我々にとって始祖なる大妖精の契約の物語です。世界樹信仰を古竜信仰の亜種とも捉える者もいますが、独立した信仰だと私は――」

 

「もう十分です」

 

 どうやら騎士らしく教養ある身らしいエルドランから長話の雰囲気を感じ取って、オレはびっしょり濡れた体をPoHが起こした焚火で温めながら情報を纏める。

 まず、どうでも良いことであるが、このアルヴヘイムではDBOに輪をかけて服や体が渇くのはとても遅い。返り血の自動洗浄も時間がかかる。しかもデバフとしての疫病以外にも『病気』という概念……『風邪』まで存在するらしい。プレイヤーとしてのアルヴヘイム入りしたオレ達に何処まで干渉してくるかは不明だが、オベイロンにしても後継者にしても何を考えているんだか。

 次に信仰だが、DBOで一般的な……その中でも古い信仰はアルヴヘイムでも健在のようだ。特に太陽信仰があるのは大きい。彼らは高潔なる戦士である事を尊ぶ。

 そうなると気になるのは神殿にあったステンドグラスだな。抽象的でわかり辛かったが、何処となくアスナの面影があるような気がした。オベイロンとティターニアは王と女王に留まらない信仰の対象とも考えた方が良い。

 この辺りは情報収集継続だな。エルドランから上手く聞き出すとしよう。それよりもPoHはリーダーとの会話が終わり、いよいよ事態が動くようだ。

 

「彼らはイースト・ノイアスの守備隊に引き渡し、裁きにかけます。この惨劇の裏を暴き、イースト・ノイアスに蔓延る悪党を一掃するチャンスですからね。それこそが父への弔いにも――」

 

「本当にそうかねぇ……」

 

 敵討ちを法の下での罰に求めるエルドランの騎士としての発言に、PoHはわざとらしく、残念そうな、ねっとりとした声音で疑念を差し込む。

 さぁ、ショータイムだ。そうPoHの邪悪な笑みが、悲しむような身振り手振りから透けて見える。ザクロも普段の装備に切り替えて兜を被って素顔を隠しているが、破損している頬の部分から明らかになっている口元は笑いを堪えるように震えている。

 悪趣味な連中め。オレはどうでも良いとばかりに、事の成り行きを見守るべく村長の家……リーダーの根城にされていた1番大きな家屋の壁に背中を預けて腕を組む。

 どんな選択をするかはエルドランと村の生き残り次第だ。体を乾かしてくれた焚火を見つめながら、オレはPoHの独壇場を聞き続ける。

 

「いやね、今そいつから情報の聞き出しが終わったが、何も知らないみたいだったものでな。コイツらを法の裁きにかけても死ぬのはコイツらだけ。村を襲うように裏で手引きしたイースト・ノイアスの連中には繋がらないわけだ」

 

「それは……致し方ありませんね。悔しいですが、彼らもまた切り捨てられる末端だったわけですね。ですが、それでも情報を辿れば……」

 

「だからこそだ。騎士様、よーく考えてみな。騎士様が連中を捕らえた旨をイースト・ノイアスに伝えたとしよう。大手柄だ。反オベイロン勢力の仕掛けた汚らしい攻撃。故郷を救った悲劇の英雄だ。だがな、そんな表向きの賛辞の裏でこの事態を引き起こした連中は騎士様を、生き残りを、必ず疎むはずだ。危険視する。時間をかけて、1人1人、邪魔になりそうな因子を取り除く」

 

 馴れ馴れしくエルドランの肩に腕を回したPoHの流し込む『毒』に、彼はごくりと喉を鳴らして顔を青くする。その震える瞳が見ているのは命を懸けても救い出そうとした、たった1人の妹……その幸せを願わずにはいられない兄としての矜持であり、責務だ。

 

「情報はもう聞き出した。だったら、こうしようぜ? 筋書きはこうだ。『騎士様は故郷を心配して戻ってみたら、村では虐殺が行われていた。どうやら盗賊の類だったようだが、既に略奪された後であり、影も形も無かった』」

 

 そう来たか。わざとらしく、生き残りの女性たちにも聞こえる程度の小声でエルドランに提案するPoHのやり方に、オレは辟易する。

 

「考えようぜ。法に正義はあるのか? 犠牲として切り捨てるならばまだしも、この様子からすると手引きした連中は罪悪感の欠片も無いゴミ屑だ。そんな連中がのさばっている騎士様が信じるイースト・ノイアスの法はこの連中を裁く『正義』に相応しいのか?」

 

「で、ですが、私はイースト・ノイアスの騎士として……父より受け継いだ名誉ある……!」

 

「その名誉に『正義』はあるのかって俺は聞いてるんだぜ? なぁ、言っただろう? 俺達は『正義の味方』だ」

 

 さぁ、選択の時だ。どちらであるとしても『人』からは逸脱しない。ならば、オレは彼を……彼らを止める気はない。止める義理も無い。

 エルドランが縋るようにオレに視線を投げる。だが、オレは自分で決めろと伝えるように瞼を閉ざす。

 最初は誰だったかは分からない。PoHが準備した焚火から松明へと荒々しく火が燃え移る。

 

「止めてくれ! 止めてくれぇ!」

 

「俺達が悪かった!」

 

「待ってくれ! 情報はある! 生かす価値が俺には――」

 

 口々に命乞いをする盗賊たちに、女たちは率先して油を壺ごとひっくり返してべっとりと粘着ある黄色味がかかった半透明の液体をかける。もはや会話をするのも、恨み言をぶつけるのも汚らしいというような、害虫を見るような目で、生きたまま火炙りにしていく。

 絶叫と人肉が焦げる異臭が村を包み込んでいく。女たちは狂乱したような歓喜と憎悪の笑い声を響かせる中で、エルドランは最後に残された敵方のリーダーの前に立つ。

 

「本当に何も知らないのか? 手引きした者たちの名を言えば、命だけは助けてやろう。騎士の……騎士の名誉にかけて」

 

 黄ばんだ歯を並べた、黒い髪をモジャモジャになるまで生やした盗賊のリーダーは、九死に一生を得たとばかりに頷く。その厭らしい笑みは恐怖の支配者には程遠い、誰の目から見ても分かる程に浅ましく己の命を求める眼だ。

 

「そうか」

 

 斬撃が光り、盗賊団のリーダーの右耳が落ちる。それは暗月の騎士たちが咎人に成す流儀だ。右耳を失った遺体は暗月の騎士たちの警告であり、見せしめであり、『正義』を遂げた証拠なのだ。

 

「アリエルを置いてきて……本当に良かった。妹も騎士の子です。せめて、父が殉じた名誉を胸に抱いていて欲しい」

 

 悲鳴を撒き散らす盗賊のリーダーの頭から油をかけて直にその口に松明を押し込んで焼き焦がしていくエルドランの目は憎しみで濁っていた。誇り高い騎士の輝きは無かった。

 これが……これがPoHのやりたかった『正義の味方』か。ああ、そうだな。確かに『正義』は成されたのだろうさ。

 

「騎士エルドラン、アナタは『正義の味方』になりたかったのですか? 誇り高いイースト・ノイアスの騎士でありたかったのですか?」

 

「そうかもしれません。故郷を救えるヒーローになりたかったのかもしれません」

 

 生きたまま焼かれ、のたうち回り、慈悲を求める叫びを散らす盗賊団のリーダーを見下ろすエルドランの隣で、オレは彼の語りに耳を傾ける。

 

「ですが、私の『正義』はこれでした。騎士失格ですね」

 

 苦笑するエルドランは、まるで何かから解放されたようなある種の清々しさ、そして背負っていた大切なモノを捨てた切なさで瞳を湿らせていた。

 イリスはザクロの頭上で翅を休め、PoHは村長の家の屋根に腰かけて情報を纏めている。エルドランは荷車を準備し、殺した盗賊たちを大樹の森に運んでいく。オレはエルドランの手伝いをして、村に残された盗賊全ての遺体を大樹の森に運び出した。懸念としては盗賊団に今回の襲撃を依頼した奴らの見張りだったが、PoHはその心配はないと断言した。見張りを置くくらいならば、状況が出来上がった瞬間に既に『動き』があるからとの事だ。

 結局は盗賊団も利用された悪党であり、最後には『正義の味方』を気取る反オベイロン勢力に殺される定めにあったのだろう。PoHにはその確信が命乞いと共に吐き出されるリーダーからの情報で確信を得たのだろう。あるいは、PoHはオレ達と合流する前に別の情報を掴んでいたのか。

 

「クゥリ様」

 

「クゥリで結構です、騎士エルドラン」

 

「ではクゥリ殿。私は生き残りを太陽寺院に預けた後、騎士の任を返上し、妹と共に旅に出る所存です。よろしければ、ご同行していただけないでしょうか? 私も腕が立つ方だとは思っていたのですが、アナタ達に比べれば余りにも劣る。是非とも武技をご教授願いたい」

 

 大樹の根元にある穴倉に盗賊たちの死体を放り込み、土を被せる。森の奥地までイースト・ノイアスの調査団も探らないだろう。骨が残るかどうかは不明だが、彼らの遺体は黒く炭化して時間の経過と共にこの仮想世界に溶けて消えるはずだ。

 いや、仮想世界という呼び名すらも、もはや相応しくない、命が育まれ、正義と悪、秩序と混沌、道徳と欲望が根付いた、このアルヴヘイムは1つの『世界』だ。あるいは、DBOも加工されているだけで、真実はこんな姿だったのかもしれない。

 

「止めておきなさい、騎士……いえ、旅人エルドラン。オレは凶星の巡りの下にあります。アナタの求める『答え』はアナタと妹、血を分けた兄妹の旅で探しなさい。オレに関われば……アナタは必ず命を落とす」

 

 被せられた土にもいずれ苔が生え、月日が彼らの死を完全に覆い隠すだろう。ならば、彼らにも墓標が必要だ。埋葬とは弔いだ。オレが殺した人々もまた眠るならば、彼らの命を糧として、オレは更なる強さを得た。それを無駄にしない為にも、弔いを忘れてはならない。

 それは小川の傍にひっそりと咲いていた、苔たちに覆われた岩に根付いた白い花。エルドラン曰く【ティターニアの涙】というらしい。アイテムとしても回収できるらしく、HPをたった5パーセントだけ10秒かけて回復させる。だが、これでも『奇跡の花』と言われる霊薬の素材らしい。増々以ってアルヴヘイムがシステム的な意味でとんでもない束縛を受けていそうだと頭痛がしてくる。

 

「祈りも無く、呪いも無く、安らかに眠るが良い」

 

 ティターニアの涙を盛り上がった土にそっとのせて、オレは彼らに黙祷を捧げる。

 

「彼らは悪党です。慈悲を受けるに値しないはず。深淵に落ちる事こそ相応しい魂たちです。最初の死者ニト様も彼らを受け入れはしないでしょう」

 

「さぁ、どうでしょうね。善悪など道徳と法律から生み出された道理。命の循環の前では無機質な理です。彼らもまた『人』であり、何よりも1つの『命』があった。ならば、せめて穏やかな死に浸されるべきです」

 

「……あなたは――」

 

「優しくなんかありません。オレは『人』を信じているだけです。そこに尊き意思があると……信じたいだけです。それに命の理の前で善悪を説くのは余りにも見当違いですよ」

 

 これは狩人の理屈だ。エルドランに押し付ける理ではない。彼の死生観は彼だけが大切にすべき生命の規律だ。

 ねぇ、母さん。オレ達狩人はどうして『人』を求め、またそうであろうと望み続けるんだろうね?

 オレは母さんが望んだようには生きられなかった。とんでもない親不孝者だ。それでも、オレは確かに受け継いだはずだ。先祖から脈々と続く……久遠の狩人達の誇りある血を。

 狩人が大樹に背中を預け、寄り添っているヤツメ様を鎮めている。まだまだ血が足りないと微睡みながらも欲するヤツメ様を眠りに導いている。

 大丈夫。赤紫の月光も、黄金の蝶の燐光も、瞼を閉ざした暗闇の中で確かに見えている。オレの導きは確かにそこにある。

 しかし、エルドランが騎士を辞めるとなれば、オレの計画はご破算だ。イースト・ノイアスの後ろ盾は得られそうにない。そもそも、今回の事件解決を表沙汰にすれば藪蛇になってしまう確率が高い。つまりは完全無意味なタダ働きだったわけだ。傭兵失格だな。

 だが、それで良かったのだろう。オレの隣でエルドランも膝をついて手を組んで彼らの死を悼む姿を見て、オレは静かにそう思えた。

 父を殺された憎しみもあるだろう。故郷を蹂躙された怒りもあるだろう。それでも、彼は弔いを忘れなかった。それが……少しだけオレには喜ばしい。彼にもまた『強さ』があった。オレには無い『強さ』が……きっとあったのだ。

 

「せめて翡翠の都までの道案内だけはさせていただきます」

 

「それはありがたいですね。オレの目的は偉大なる妖精王オベイロンへの『謁見』ですので、道案内は欲していたところです」

 

「なんと! オベイロン様に!? そうなりますと『大海を渡る大橋鉄道を利用せねばなりません』ね」

 

 ……て、鉄道? 純ファンタジー世界に似つかわしくない発言を平然とするエルドランに、オレは嫌な予感を募らせる。

 というか待て。確かアルヴヘイム……ALOの舞台は1つの大陸というか大き過ぎる島みたいな感じだったはずだ。ALO未経験のオレでも、ALO出身者からの情報収集でいくらか知識はあるが、それは間違いないはず。なのに海を渡る? 大橋? 鉄道? 世界観に合わせた統一されたコンセプトを好む後継者らしくない、明らかに異臭がする。

 そこでオレは違和感を覚える。イースト・ノイアス。その名称からしてここは東の地と考えて相違ないだろう。だが、ALOでのシルフ領は『南西』にあるのだ。

 

「旅人エルドラン、あとでアルヴヘイムの地理について詳しく教えていただきたい」

 

 まだまだアルヴヘイムの謎を解明するには時間がかかりそうだ。本格的に異世界召喚と考えた方が何倍も動きやすいだろうとオレは天を仰ぎ、そしてオベイロンと後継者に呪詛を吐きつける勢いで嘆息した。いや、この場合はオベイロンだけか。本当に面倒な事になっていそうだ。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

「死ぬかと思ったわ」

 

 巨大ワームの腹を義手の爪で突き破り、体液で汚れたシノンは涙目でぜーぜーと息を吐く。

 螺旋階段を下りた先にあった巨大な地下ダンジョンは砂に埋もれた完全な暗闇の神殿であり、サソリや蜘蛛といった毒・麻痺のデバフを駆使するモンスター、更には珍しい光属性のブレスを使用するワームが大量配置されている阿鼻叫喚の地だった。

 いや、それだけならば良い。頼りない光源だけを頼りに攻略し続ければ良い。シノンもこの手のダンジョンは傭兵生活で慣れている。不快感を押し殺せる。だが、この仮面の傭兵はとんでもない提案をしてきたのだ。

 

『この先に巨大ワームがいるんだけど、それに食べられる事でショートカットができるんだ。途中で胃を突き破らないと消化されて死ぬけどさ』

 

 じわじわとHPを消化液で削られる恐怖と言えば類にないものである。シリカから燐光紅草をもらい、じわじわとHPを回復させていくシノンは、あの消化液に耐久度減少効果が無かった事だけが唯一の救いだったと涙を拭う。

 

「何も泣かなくても……」

 

 困惑した様子のUNKNOWNに、シノンは怨敵発見とばかりに睨む。仮にも女子である。何が悲しくてワームの体液塗れになって喜べというのか。

 

「泣いてないわよ! ちょっと怖かっただけよ! それで、どれくらいショートカットできたの!?」

 

「最下層に到着です。あの巨大ワームは最下層で孵化させないと地下2層目に出現しませんからね。公式ショートカットです」

 

 体液を大したことないとばかりに払うシリカは至って冷静だが、その声音には苛立ちがある。

 本当に茅場の後継者の嫌がらせにも程がある。ショートカットならば普通にエレベーターで良いではないか! シノンは体液が乾燥するのを待ち、UNKNOWNとシリカに続いて、巨大な砂の神殿……暗闇の中で炎だけが灯って揺れる、闘技場を思わすドームがあった。

 

「もうネームドは倒してあります。地下から際限なく奇襲を仕掛けてくる巨大ワームとの耐久戦。それを撃破した後に出現する【砂の騎士ハゼ】の連戦はさすがに辛いものがありましたね。しかも『プレイヤー1人で挑まないといけない』という強制ソロ戦です」

 

「もう慣れたけどな」

 

 どうやらこの地下ダンジョンのネームドは全て撃破済みらしい。UNKNOWNはこのダンジョンのリソースを丸ごと平らげたのだろう。特に光のブレスを多用するワームは経験値の入りも美味しい。間違いなく大ギルドが狩場として規定しているレベルの経験値がガンガン入ってくるのだ。ここはUNKNOWNにとって密やかなレベリングの場だった事は間違いない。

 こんな秘密のダンジョンをもしかしたら幾つも持っているのだろうか? 問いたいシノンであるが、今はそれを堪えて激闘があったという競技場を見回す。だが、彼らが目指したのは闘技場の奥ではなく、入口の傍にある更に地下へと続く階段だ。そこもまた砂で埋もれていたらしく、ダンジョン中にある解除スイッチを押して回らなければならなかったとUNKNOWNは苦労話を呟いた。

 階段を下ると待っていたのは巨大な青銅色の扉だ。扉にはレリーフのように何かの物語が大樹を巡るように彫り込まれている。≪言語解読≫があれば文面も読めるのだろうが、シノンは未所持だ。

 だが、扉以上に目立つのは扉を守るような両脇に控える2つの石像である。片方は王冠を被った男、もう片方は美しい女を模っているようだ。男は黄金の、女は白銀の杯を所持している。

 

<富に塗れた美酒を王と女王に捧げよ。王たちが闘技場で求めるのは極上の美酒を彩る死闘。王たちを酒と血で酔わせた者だけに呪われた妖精の国へと続く扉は開かれん>

 

 システムメッセージが提示され、この扉の開け方だろうとシノンは考え込む。要は杯に高い酒を注げば扉が開くのだろうが、この手の類は大抵の場合、そぐわない捧げ物をした場合には手痛いトラップが発動するものだ。

 

「DBOではボスやネームドの報酬以外ではコルの入りも少ないですので、基本的にアイテム売却がメインの稼ぎ方ですからね。傭兵業はその点では多額の報酬が得られる良い仕事でした」

 

 シリカが取り出したのは【バランドマ侯爵の宝酒】だ。1本450万コルするという、DBOで判明しているだけでも最上位の酒である。もちろん、どれだけ酒豪でもこの酒の為に450万コルも稼いで支払おうなどと考える馬鹿はいないだろう。

 それを2本。計900万コルの出費である。幾ら傭兵業とはいえ、UNKNOWNは変則的に専属先であるラスト・サンクチュアリに幾らか取り分を持っていかれていたはずだ。900万コルを捻出するのは並大抵ではなかっただろう。どうやら『英雄』の実情は傭兵屈指の貧乏生活だったらしいとシノンは哀れみを覚える。思えば、UNKNOWNが武装でも防具でも大きな散財したという噂は1つも無かった。それも彼のミステリアスな要素の1つとして捉えられていたが、その真実は単純な金欠だったのかもしれない。

 

「必要なアイテム以外はほぼ全て聖剣騎士団経由で売却していましたからね。フルオーダーメイド装備も今回が初ですよ。あ、ドラゴン・クラウンだけは違いましたね。その分だけ安く済んで本当に良かったです」

 

 死んだ目をして、マユがやらかした資材の大量出血どころか出血死を思い返しているのだろう。シリカは喉を鳴らして地獄から響くような笑い声をあげる。

 しばらくは触れないであげよう。シノンは優しさでシリカを無視し、宝酒を杯に注ぐUNKNOWNを見守る。両方の石像を赤い液体で満たすと、それらは火で炙られたようにように沸騰し、炎を噴き上げる。そして、扉は軋みながら中央の大樹のレリーフを2つに割って左右に移動させると小さな鍵穴を示す。

 

「失楽園の鍵。砂の騎士が守っていた最後のキーアイテムだよ」

 

 かなりの強さだったのだろう。どうやら倒したのも最近だったらしいと声音からシノンは察する。

 その先も砂で埋もれてこそいるが、完全な暗闇だ。だが、鍾乳洞のように垂れ下がった鋭い岩肌から滴るのは氷よりも冷たい水であり、それが頬に当たってシノンは背筋を震わせる。

 暗闇を照らすのはUNKNOWNが持つランタンだけが頼りだ。だが、このダンジョンでは光源が著しく弱まる仕様らしく、またワームは光に引き寄せられる習性があるらしく、未攻略の頃は何度もワームの奇襲で命を落としかけたらしいとUNKNOWNは懐かしそうに語る。

 今のところはメンタルも安定している。あるいは話し続ける事でそれを維持しているのか、シノンには判断がつかない。

 

「おやおや、闇の血を持つ者が3人も。お婆にどんな御用ですかな?」

 

 そして、砂を湿らせる水流の音と共にたどり着いたのは、腐った木片を繋ぎ合わせたような船着き場だ。骸骨が幹に貼りつき、伸びた髪の毛を紐代わりにしたランタンが目印のように漆黒の小舟を照らしている。その傍にある純白の光沢ある岩に腰かけるのは黒ローブの老婆だ。かなりの高齢なのだろう。

 

「妖精の国に行きたい。船賃はこれで足りるかな?」

 

 UNKNOWNが金貨を取り出すと、老婆は粘つくような手つきで金貨を受け取り、喉を鳴らすと小舟に乗るように促す。

 

「一応尋ねますが、引き返すならばこれが最後のチャンスですよ。妖精の国は1度行けばクリアするまで帰れません。私達が妖精の国に行く為に時間をかけたのは、何もお酒の準備と砂の騎士だけではなく、『攻略できる』という自信が持てるだけの装備を整える為です」

 

 それすらも不確定と言うように、シリカは改めて強調する。だが、シノンの答えは決まっている。金貨を取り出すと老婆に押し付け、UNKNOWNに向かい合うように腰を下ろした。

 

「他には? もう警告は聞き飽きたわ」

 

「……何もないです」

 

 どうにも善意以外の刺々しさをシリカから感じる。彼女との仲はそれなりに良好だったはずだがとシノンは悩むも心当たりが見つからず、妖精の国を前にしてナイーヴになっているのだろうと無理に納得する。

 ALOはシノンも詳しくはないが、GGOプレイヤーとして日本最大級の人気を誇っていたVRMMORPGについてはそれなりに知識があるつもりだ。それも彼らほどではないが役立つかもしれないとシノンは心構えを取る。

 

「ところで、闇の血を持つ方々は妖精の国がどのような場所がご存知ですか?」

 

 シリカの乗船と共に出発して暗闇の川を進みだした小舟で、老婆は偏屈な笑い声と共に尋ねる。

 老婆は語り聞かせた。呪われた妖精の王国。そこに纏わる伝説を。

 この時の彼らは何も知らなかった。この闇の先に何が待っているかなど、知る由も無かった。

 

 

▽   ▽   ▽

 

 

 攻略は至って順調だ。ユウキはスノウ・ステインが刃毀れしていないか入念にチェックする。装備の破損が妖精の国に到着する前に起きては笑い事では済まないからだ。

 

(少し失敗したかな。闇術メインで今回は整えてきちゃったんだよなぁ)

 

 蝕む闇の大剣や闇のランスといった近接用闇術で魔法枠を消費しているユウキは魔法剣士らしい悩みを持つ。

 魔法枠には自由に魔法をセットできるが、セットはいつでも自由に出来るわけではない。習得した魔法はスキルのように管理されるのだが、再装備の為には時間がかかるのだ。強力な魔法程にその兆候は顕著であり、しかもダンジョン内での変更は禁止されている。この制約を免除するアイテムもあるのだが、アイテムストレージの都合でユウキは持ち込んでいない。

 つまり、ダンジョン内である廃聖堂では魔法の変更が利かない。スタミナ削り効果がある闇術は対人戦で猛威を振るうが、純粋な火力だけならば魔法の方が上だ。だが、ユウキではソウルの槍などは逆に溜めの硬直が長すぎて魔法剣士のスタイルに合わない。

 限りなく出が速い魔法を高速戦闘の中で違和感なく差し込む。それがユウキの望む魔法剣士だ。

 間もなく門番ネームドが待つ部屋がある。ダークライダーが『うっかり』モンスター召喚トラップを踏んで12体のチャリオットの亡霊騎士に追いかけ回されるという絶望的珍事を乗り越えた一同の疲労の色は濃く、ボスの要求で予定外の休憩が差し込まれた。なお、乱立する石柱の背後にて、ハスラー・ワンは淡々とダークライダーを責めているようだが、何処吹く風とばかりに漆黒の騎士は適当に謝罪を繰り返しているばかりだ。

 特に荷物持ちのレコンは死んでもおかしくない『うっかり』だった。ボスが咄嗟の判断でレコンを担いで猛ダッシュをしなければ、彼は間違いなくチャリオットの亡霊騎士に轢かれてミンチになっていただろう。ボスも余計な真似をしてくれたとユウキは残念そうに息を吐く。

 ボスやネームドはモンスター以上にスタミナという概念が無い動きをする。一応はスタミナがあるらしいというのが大ギルドの公式見解なのだが、スタミナ総量と回復速度が異常なのでほぼ制限されていない。魔力も同様である。それ自体は珍しくないのだが、スタミナ削り効果が最大の売りである闇術には喜ばしくない仕様だ。

 INTとMYSの両方から補正を受ける闇術は真に高火力を目指すならば、マクスウェルのように両方を成長させるスタイルが最適解である。ユウキのようにINTだけを高めた場合はどうしても使用できる闇術も含めて制限される。特に≪信心≫が無ければ獲得できない奇跡系闇術は強力かつ嫌らしい効果が多い。特に【禁則の沈黙】は周囲のモンスター・プレイヤー問わずに一時的に魔法の使用を禁じる。魔力の消費も桁違いであるが、魔法主体のネームドならば10秒足らずとはいえ丸裸にできるのだ。近接プレイヤーにとって跳び込める最大級の援護である。

 

「あの、良ければ剣のメンテナンスするけど?」

 

 一定数のPKをしないと使用できない闇術のあれこれに考えを巡らせるユウキに、あろうことか声をかけてきたのはレコンである。ネームド戦を控えて集中力を高めていたユウキからすれば、逆にストレスを蓄積させる接触である。

 だが、無下にも出来ない。ユウキは表面だけは取り繕う笑みを浮かべる。

 

「ごめんね。この武器は特注だから、あまり他人に触らせたくないんだ」

 

「そ、そっか。でもさ、僕って≪鍛冶≫を持ってるし、クラウドアースから特別製の携帯鍛冶道具も貰ったんだ。【エドの蜘蛛糸鋼修復剤】もあるし……」

 

 これ以上は断るのは逆に不信感を招くね。ユージーンやボスの目を気にして、ユウキは仕方なくスノウ・ステインをレコンに預ける。本来は武器のステータスを信頼できる鍛冶屋以外に閲覧させるのはリスクが伴う。何せ性能の全てを暴かれるのだ。だが、修理させるにはそれを認可するしかない。

 ユウキの剣を見たレコンは『調整がHENTAI過ぎる……!』とぼそりと口を零す。これでもマイルドな性能なのだが、とユウキは声を大にして言いたい。

 

『ユウキちゃん! 実はね、スノウ・ステインにこんな変形機構を組み込んで、それからこの素材を使って――』

 

『HAHAHA! オマエは本当にギンジの時から全く成長してないなぁ! グリセルダさーん! ケツパイルお願いしまーす!』

 

 あの時、クゥリがストップを入れてくれなかったら、スノウ・ステインはどんなHENTAI仕様になっていたのだろうか。影縫すらもグリムロック曰く『改良余地がまだまだ残されていたけど、クゥリ君がうるさいから』と残念そうに渡してくれたものだと思い返して、ユウキは背筋を凍らせる。

 

「レコンはフェアリーダンスの鍛冶屋なの?」

 

「まぁね。でも、僕にはセンスが無くて、出来るのは修理くらいだったけどさ。レシピ通りの武器や防具は作れるから、それだけもメンバーには喜ばれたけど、やっぱり鍛冶屋の華は独自開発だしさ。基礎フレーム開発とか僕の頭じゃ意味不明だったよ。だから、こうして携帯鍛冶道具を持ち込んで現地修理するのが主だったんだ」

 

 それはレコンの小さなプライドなのだろう。確かにグリムロックやマユ、イドといった天才……もといHENTAI的な鍛冶屋は限られている。また人格面にも難がある。噂ではあるが、スミスが専属契約を結んでいる鍛冶屋など偏屈を通り越した性格らしい。だが、大多数の鍛冶屋は開発されたレシピ通りに、あとはそこに微調整を繰り返すのが仕事である。ならば、レコンは標準的な鍛冶屋として立派に仕事をこなしている部類だ。ましてや、パーティに常時付随しているとなれば、普通の鍛冶屋よりも負荷は大きい方だろう。

 

「ふーん。でも、それはいつもの道具じゃないんだよね? 蜘蛛糸鋼製修復剤って携帯鍛冶道具がないと使えないアイテムらしいけど、レア度が高いドロップ限定非売品だよね。さすがは中立を貫くフェアリーダンスだね!『これだけの借りを作っても大丈夫なんて憧れちゃうよ』」

 

 だが、残念ながら普通ならばアピールポイントもユウキからすれば『だから何?』状態である。

 丹念に傷口へと塩を練り込む勢いでユウキは『キミが作った借りをフェアリーダンスは返しきれるのかなぁ?』と暗に突きつける。クラウドアースのやり方は陰湿かつ狡猾だ。セサルにしてもベクターにしても、ノーリターンの善意でアイテムを貸し出すはずもない。

 顔を青くしたレコンを蛇の舌なめずりのように楽しむユウキであるが、そこに立ち入ってきたのはユージーンだ。

 

「その点は安心しろ。今回の同伴はこちらからの要望でもある。アイテムなどの消費は全てオレが受け持つとクラウドアースには通達してある」

 

「ユージーンさん!」

 

「言ったはずだ。貴様は荷物持ち。最も重要な役割を任せているとな。今回の件が終われば、オレから報酬を支払っても良い程だ。貴様のチェンジリングを見抜いた目利き、期待しているぞ」

 

 王者の風格を見せるユージーンの激励に、レコンは増々男気を見せるとばかりにスノウ・ステインに金槌を振り下ろして耐久度を回復させる。蜘蛛糸鋼修復剤は一時的に耐久度減少抑制のバフを付与できる。それは純粋にありがたい事である。

 

「……ありがとう」

 

 だから、ユウキもまた認めるべきところは認める。忌々しいが、成した行動を評価しないのはユウキのポリシーにも反する行為だ。

 

(イライラする! イライラする! イライラするぅううう!)

 

 アイテムストレージから保存食の金平糖を思わす菓子を取り出してユウキはガジガジと齧る。それは吐き気を催す程のドロ甘である。1つで十分過ぎる甘さに、ユウキはどうしてこんな物を作ってしまったのだろうかと悶絶する。だが、それでも止められない中毒性がこれにはあるのだ。

 

「食べる? はい、お礼にしては安上がりだけど」

 

 物欲しそうなレコンに砂糖菓子を『4粒』渡し、ユウキは内心でほくそ笑む。顔を真っ赤にして砂糖菓子を受け取ったレコンは嬉々としてそれらを纏めて口内に放り込み、そして鳩尾に強烈なストレートを受けたように体を折り曲げて口を両手で押さえた。

 

「オメェ……本当にレコンが嫌いなんだな」

 

 嫌いじゃないよ。殺したいだけだよ。ユウキはボスの呆れた目線から逃げてアリーヤに腰を下ろす。

 そうして、石柱の向こう側からダークライダーが吹っ飛ばされてきたのを合図に、ハスラー・ワンは出発の合図を出す。

 

「……ダークライダーが迷惑をかけたな。この愚弟は管理者不適合だ。このような者ばかりが管理者ではないとプレイヤー達には理解をして……理解をして……理解を……」

 

 そこで何かを思い出してか、ハスラー・ワンは酷く人間的な程に疲れ切った眼をして言い切るのを拒む。ユウキはぼんやりとであるが、管理者とは名ばかりの自由人が多いのだろうかと細やかな心配を抱く。下手に管理者権限を持つだけに、彼らが自由な行動を取ったらプレイヤー側には多大な被害を被りかねなくなるからだ。

 やがて石柱が隙間なく並べられた、真っ直ぐと通路を作り出すような広々とした場所に到着する。そこには既に赤の騎士たちが並び、ハスラー・ワンの指示を待つようにそれぞれの武器を構えている。

 

「諸君、ここが門番ネームドが待つ部屋だ。ククク、レベル100級の門番ネームドだ。素晴らしいな。笑いたまえ。この先に欲してやまない死闘が待っている」

 

 誰もそんなのは欲しがっていない。だが、ユウキは僅かにだが自分の血が騒いでいる事に気づく。

 より強力な敵と戦い、それを乗り越える事で、【黒の剣士】を倒せる力が身につく。何よりも生きている実感がそこには伴うのだ。

 円柱によって作られた通路を進めば進むほどに、無数の剣が墓標のように突き立てられている。傍には幾多の屍が転がり、彼らが何かと戦って敗北したことを示すようにいずれも遺体は激しく損壊している。

 

「レコンは下がってな。俺達がネームドを倒す」

 

 ボスもいよいよ本番だと覚悟を決めて愛刀に手をかける。やがて円柱同士が交差し、黒い液体がボタボタと滴って青い炎が燃え上がる燭台が並ぶ、まるで決闘場のような開けた円形の空間が露になる。天井には巨大なシャンデリアが場違いのように吊るされ、そこでは黒い炎が静かに揺れているが、それはむしろ光を喰らうように濃い闇をばら撒いている。

 足下を浸すのは黒い泥のような液体だ。だが、それはDEXに下方修正をかけるほどではないとユウキは安心する。

 

「何も、いない、のかなぁ?」

 

 メイスを片手に左右を確認するレコンは『これは武者震い。これは武者震い!』と繰り返しながら希望的言動を口にする姿に、本当にネームドやボス慣れしていないんだなぁとユウキは呆れる。そんな状態では、たとえ隅っこで震えていても生き残れない。ならば、これはむしろ好都合だとユウキはレコンに思わず笑いかける。

 

「……来るぞ」

 

 静寂を浸したようなハスラー・ワンが腕を振るって赤い騎士たちで取り囲んだのは、空間の最奥にある鏡だ。それは豪奢であり、金と銀の蛇で縁取られた王族が使うに相応しい壮麗さを秘めている。だが、鏡に映る光景は粗悪であるかのように歪んでいた。

 ゴポゴポと音を立て、鏡の表面が泡立つ。そこから闇が……深淵が漏れ出し、腐肉を纏った騎士たちが現れる。そして、それに呼応するように、足下の黒い泥からも亡者たちが這い出ると集合して鏡を守るように1つになっていく。

 

<深淵の遺物ゲヘナの鏡>

 

 深淵の泥と腐った肉で作られた怪物。人間の目玉が集合して1つの眼球のようになった複眼。骨が集合して生み出された牙。大口の中で蠢くのは人間の手であり、足である。その全身に貼りついた人間の顔はいずれも苦悶の表情を浮かべ、その口から溢れる深淵の泥から赤子のように新たな亡者が這い出れば肉体を覆う1部となる。右腕は全部で3本、左腕は4本。

 途端にユウキ達を鏡の光が呑み込んでいく。目も眩むような、だが黒ずんだ光は視界を奪い、浮遊感に続いてユウキが立っていたのは、灰聖堂地下10層……朽ち果てたローマの神殿のような石柱が並ぶ光景……それがより完全な状態に復元された世界だった。

 埃被って粉々になっていたはずの燭台は今や元通りだ。半ば崩れていた階段も傷1つなく、壁やタイルには神々を讃えるような絵画が施されている。

 

(一瞬だけどネームドの姿が見えた。ゲヘナの鏡……ゲヘナはえっと……たしかキリスト教かユダヤに出てくる地獄だっけ? それとも死の概念? 思い出せないや)

 

 そこまでファンタジー知識が豊富ではないユウキは必死に頭を回して、今まさに最悪の状況に陥った、茅場の後継者最大級の悪意あるトラップネームドだったことを思い知る。

 そう、今まさにユウキは『単独』の状態で、復元された廃聖堂に立っているのだ。先ほどまで隣にいたボス達の姿はない。

 DBOにはこの手の『分散トラップ』と呼ばれる、パーティを強制的に解散させてダンジョン各所に飛ばす致死性の高いトラップが存在する。特に単独戦闘に向かない後方支援型はこのトラップに引っかかれば、即時に仲間と合流しない限り死亡はほぼ確定である。

 それがまさかのネームド戦開始の『演出』に組み込まれ、強制発動したのだ。こんなふざけた真似があるかとユウキは叫びたい。パーティ攻略やレイドといった既存概念を根本から破壊しにかかっている。

 あろうことか、後継者はプレイヤー側の十八番にして特権である『各個撃破』をネームド戦で実行してきたのだ。

 

「とにかく合流しないと」

 

 元々の廃聖堂よりも異様なまでに明るい。それが逆にユウキの不安を煽る。視界が良好過ぎる。それがこの場所の異様さを物語る。

 構造はどの程度変化しているのかは知らないが、後継者に『限度』というリミッターがあるならば、ダンジョンと同じ広さとは考え辛い。合流に専念すれば、最低でも1人とは出くわすことはできると期待したいユウキは早くも漆黒の騎士を発見して安堵する。

 

「ダークラ――」

 

「ああ、我が友よ……どうして……どうして裏切ったのだ?」

 

 だが、ユウキは立ち止まる。

 確かに甲冑は黒い。だが、ダークライダーとは形状が異なる。いや、そもそも元々は金色に近しい銀色だったのだろう甲冑がどす黒く濡れ染まっているのだ。

 大剣をその場に突き立て、まるで祈るようにうわ言を繰り返す騎士の体格は2メートル程度。大柄だったダークライダーとほぼ同サイズだ。人間の範疇であり、人型ネームドでも小型の部類だ。

 

「我ら深淵狩りの誓いを忘れたのか? 何処だ……何処にいるのだ……友よ」

 

 大剣を引き抜いた騎士は、兜に覆われて見えぬ素顔、細長い覗穴から漏らす黒い霧、そこに潜ませた黄金の光の眼光を狂気で尾を引かせてる。

 

「そこにいたのか、我が友よ。自ら罰を受けるだけの誇りが貴公には残されていたか。だが、我が剣は情に鈍らぬ。我ら深淵狩りはその身が深淵に呑まれる日まで戦い続ける。それこそが【深淵歩き】アルトリウスを継ぐ者の宿命。聖剣への誓いを裏切った貴様を許す道理はない。せめて、我が剣で、友として葬らん」

 

 言葉遣いがあまりにも正気の類であるが故に、余計に騎士の狂気が溢れる。

 

 戦うな。

 

 逃げろ。

 

 勝ち目はない。

 

 全身が、脳が、魂が、ユウキに『死』を警告する。かつてにない程の強敵が目の前にいると叫んでいる。

 だが、ユウキは笑う。

 強敵を前にして逃げる? ただ命大事さに、戦略的撤退でもなく、生存本能のままに逃げ出す? それではユウキの望む力は手に入らない。いつだって死闘の向こう側に新たな力は待っているはずなのだから。

 

「ボクはあなたの事知らないんだけどなぁ。言葉、ちゃんと通じる?」

 

 期待薄ではあるが、左手で手を振って話しかけるユウキに、闇濡れの騎士は大剣を右手で持ちながら肩で担ぐ。その鎧の胸部は剣の類で斬られたのだろう、痛々しい傷跡が鎧で守り切れなかった中身まで深く抉っている。そこから騎士を汚染するような泥が垂れているのだ。

 

「ああ、そうとも。許さん……許さんぞ、我が友……ランスロットォオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

<深淵狩りのガウェイン>

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 頂くのは2本のHPバー。かつて最初の深淵狩りがそうであったように、『獣』に堕ちた深淵狩りの騎士はユウキへと殺意と憎悪の咆哮をあげて斬りかかった。




全ての世界線の共通事項
『ランスロットがやらかさないはずがない』

謎の10層ネームド戦は強制パーティ分散&攻略法不明&ランスロット絶対殺すマンです。

それでは、243話でまた会いましょう。

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