SAO~デスゲーム/リスタート~   作:マグロ鉱脈

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前回のあらすじ

借り物競争は地獄絵図。魔女たちの進撃に、男たちが反撃のろしを上げる。


Episode17-10 キズナの力

 唸るチェーンソーの駆動音はまるで怪物の咆哮のようであり、裂かれた風が狂う様は獰猛な獣の息吹のようだ。

 チェーンモードには多量のスタミナ消費が強いられる。その分だけ得られる火力も絶大であるが、チェーンモード中の武器コントロールは容易ではなく、要求STRを満たした程度では到底扱いきれない。満足に使いきれない者が手を出せば自傷を免れず、また暴れ回る武器は当たっても弾かれてしまう。

 故にチェーンモード搭載武器の使い手は極めて少ない。単純に火力を追求するならば特大剣や大槌の方が近接戦では安定した高火力を発揮するからだ。

 

(さすがは隊長。逃げ足も一流ですね)

 

 スタミナ残量は僅か。スタミナが危険域のアイコンが表示されている。ブリッツは冷静に、冷徹に、冷淡に全力で逃亡し続けるアーロン騎士長装備をいかにして追い詰めるか思考を巡らしていた。だが、その機械とも思える程に冷たく戦略を立てる脳髄の原動力となっているのは、心の炉を溶解しかねない程に苛烈な感情という矛盾である。

 前述しておくが、ブリッツは恋人がエロい写真集の1つや2つどころか、アブノーマルなエロ本の10冊や20冊を所持していても特に何の感情も抱かない。そもそも男として性的分野に何ら興味を示さない方が心配だ。また、個々人の嗜好の差異というのも十二分に把握している。周囲に迷惑をかけないならば、それらは密やかに、あるいは共通の同志と楽しむのもまた良しとするだろう。

 では、彼女が怒れ狂った理由は何か? それは実に単純明快である。先日のデートをすっぽかした挙句に、折角の挽回のチャンスを上げるというメイドとしてもカノジョとしても満点の対応をしたにも関わらず、自分に隠れるようにして大会に出場した上に過激写真集を狙われたら、女としてのプライドがズタズタになり、憎しみが愛を超越するというものだ。

 まだブリッツ自身が写真集に載っていたならば、100万歩譲ってでも弁解のチャンスを与えただろう。大会が終わった日に彼を自室に呼び出し、正座させてねっとりと言葉責めして最後は何だかんだで再チャンスを施しただろう。だが、ブリッツは先のクリスマスでサンタコス化していない。つまり、限りなく写真集に載っている確率は低いのだ。

 判決、有罪。死刑決定である。ブリッツは本気でアーロン騎士長装備の首を、ターゲットの兜ごと奪うべく、おそらく最後の一閃になるだろうチェーンモードの発動の為にスタミナを温存すべく速度を緩める。

 

「くっ! 落ち着け! 戦場では冷静さを失ったものから死ぬ! それが分からんお前ではないだろう!?」

 

「いえいえ、そんな。私はとても冷静です。冷静に隊長の首……失礼、首付き兜が欲しいだけです」

 

「その訂正に意味はない事が分からんのか!?」

 

「さすがは隊長。見事なツッコミありがとうございます」

 

 ハリセンでは勝ち目がないアーロン騎士長装備は、さすが近接プレイヤーというだけあってCONには多くポイントを振ってある。だが、アーロン騎士長装備は優れた物理防御力を持つ反面重量もある。それでも機動力を確保できているのは、アーロン騎士長装備のSTRの高さと防具自体に軽量化処置を施してあるからだ。重要な部位だけの防御力を維持し、削れる部分は削った、見た目の重厚さに相反する鍛冶屋の努力の結晶による機動力の確保である。

 だが、ブリッツは同僚であり、またヴェニデの内務の要だ。ましてや、戦闘員の武装チェック、アイテム補充、装備の開発プランに至るまで幅広く対応するパーフェクトメイドである。純粋な戦闘力や瞬時の状況判断ではアーロン騎士長装備に劣るが、決して後れを取っているわけではない。

 クラウドアース主軸で開発・拡張されたコロッセオ周辺街の地図も把握しているブリッツにとって、長々とした鬼ごっこは無意味な時間の浪費でもスタミナの消耗でもない。彼女は着実にアーロン騎士長装備を袋小路へと誘導していた。

 どんな猛者であろうとも、全力疾走した逃亡中に突如として行き止まりにぶつかれば行動選択に1クッション挟まざるを得ない。それこそがブリッツの狙い目だ。

 一撃で首を奪い取る。その時こそブリッツはスタミナ切れになって膝をつくだろうが、知った事ではない。借り物対象はアーロン騎士長装備の兜であるが、元より2回戦進出など念頭に入れていないブリッツはただ恋人を血祭りにあげる事だけを考える。

 NPCの生活感を出す為か、路地裏には建物の間にロープが繋がれ、シーツなどの洗濯物が干してある。これを好機と見たのか、アーロン騎士長装備は苦し紛れの目潰しとしてそれらを奪ってブリッツに投げつけた。

 回避不能。命中すれば視界不良3秒を予想。咄嗟の判断としては上々だ。3秒あれば、アーロン騎士長装備は何らかの対抗手段を取って追跡を振り切るだろう。故にアーロン騎士長装備の反撃は限りなく正答だ。

 ただし、それがブリッツというメイド・オブ・メイドでなければ、という注釈がつく。

 メイド妙技【空中洗濯物畳み】。次々と襲い掛かる洗濯物をブリッツはチェーンソーを背負い、次々と洗濯物を右手だけで折り畳んで左手に重ねていく。洗濯物地帯を突破した頃には、ブリッツの左手の上で塔のように重ねられた洗濯物は皺1つなく、まるで市販されたばかりの新品のように折り畳まれていた。

 唖然とするアーロン騎士長装備に、この程度で何を驚いているのやらとブリッツは苛立つ。

 セサルに拾われて以来、彼女は前任者よりメイドスキルを伝承されたのだ。ヴェニデの1員として戦闘技術はもちろん叩き込まれているが、それ以上に女性としての振る舞い方やメイドの心得、そして長い伝統によって培われたメイドスキルの習得に費やした時間の方が長い。あくまで戦闘に関してはメイドとしての主を守る為であり、またオーダーを遂行する為の技能の1つに過ぎないのだ。

 洗濯物をそっと近くの木箱に下ろしたブリッツは、思わず足を止めているアーロン騎士長装備に、スカートの裾をつかみながら優雅に一礼を取る。

 

「私のメイド力は53万です。あと2回変身を残しています。この意味が分かりますね?」

 

 メイドスキルの前ではあの程度の小細工は児戯ですらない侮辱である。ブリッツは思考誘導されているとも知らずに、コロッセオ周辺街の外縁ギリギリにある暗がりの袋小路へと曲がるアーロン騎士長装備を見てほくそ笑む。

 

「行き止まりだと!?」

 

 曲がった僅か数メートル先には道を塞ぐ三重鉄柵だ。コロッセオ周辺街はまだ開発途中である事から、貧民プレイヤーや下水道に潜むネズミ系モンスターの夜な夜なの侵入などを防ぐ目的に設置されたものだ。跳び越えようとすると鉄柵のトラップ機能【ジャンプ力低減】が発動する。アーロン騎士長装備のDEXはそれこそ8割クラスの高出力化がなければ突破は不可能だろう。破壊するにしても三重ともなれば拳打で一撃は不可能であり、ハリセンではどう転んでも傷つかない

 

「予想通りの反応ありがとうございます! そして、サヨウナラ……私が初めて愛した人!」

 

 チェーンモード発動! 鉄柵を前にして完全に動きを止めたアーロン騎士長装備の背中から、その首を切断すべくスタミナの全てを吐き出して駆動させたチェーンソーを振り抜く。それは盛大なスプラッターの光景を生み出すはずだった。

 だが、ここぞという場面でブリッツは冷静さを手放した。完全に戦略通りに進んでしまったが故の弊害。勝利を確信した時こそが反撃の危険を孕むというセサルの教えを忘れ、怒りのままにチェーンソーを振り抜いた。

 

「『戦略的勝利の秘訣は余剰戦力の有無だ』」

 

 セサルは戦略的勝利を達成する為には、この基礎中の基礎を守る事こそが肝要と部下に教示する。盤上の遊戯とは異なるのだ。駒が無くなれば補充すれば良い。絶え間なく続く物量攻撃に対抗できるのは同じ物量か、稀代の戦略家か、ドミナントやイレギュラーと呼ばれる個人で以って戦略を破綻させる異常戦力だけだ。

 今この時になって、ブリッツはスタミナという戦闘続行の為の必須備蓄……言うなれば戦争中に石油を枯渇させてしまったようなものだ。自分自身を燃やしてでも戦い続けるなどという思考が生まれないブリッツにとって、まさにこの一閃を外す事は戦術・戦略の双方における敗北を意味するのである。

 それをアーロン騎士長装備は見逃さなかった。自分がいかなる策に嵌められているかは分からずとも、ブリッツのスタミナ残量と目的を考慮すれば、必ず最後の一閃で以って自分の首を奪うだろう事は予想できていたのだ。

 ならば対処できる。狙う場所も分かっている。ブリッツの身長とチェーンソーのリーチは把握しているならば、背後から迫る一閃を躱すのは容易い。

 膝を落としてチェーンソーの一撃を回避するアーロン騎士長装備にブリッツが自身の失敗を、首ではなく鉄柵を破砕した時点で勝負は決していた。

 独楽のように体を回転させて、慣れない重量ある両手剣のチェーンソーを扱うために踏ん張っている足を払う。転倒したブリッツは背中から石畳に倒れた衝撃で暴れ回るチェーンソーの制御を失い、手から最凶の得物を手放す。同時にスタミナ切れで行動不能になったブリッツは喘ぎながら、それでも自分の上に覆い被さったアーロン騎士長装備の胸を力なくポカポカと叩いた。

 

「離れて……くだ、さい! 隊長、なんて、大、きら……大き……だいきぃいいいい!」

 

 大嫌いって言いたいのに喉が、舌が、心が叫ぶことを拒否する。ブリッツはパーフェクトメイドとは思えないような泣き顔になって、自分と相手の両方に負けた悔しさに呻く。

 

「だから落ち着けと言っただろう、馬鹿者が」

 

 ひっくひっく、と両腕で目を覆って子供のように泣きじゃくるブリッツに、アーロン騎士長装備は兜を外して素顔を晒す。右目の下に小さな傷痕があるスカーフェイスは、申し訳なさそうに兜をメイドに押しつける。

 スタミナ切れから回復しても立ち上がることができず、膝を折って泣き続けながら兜を抱きしめるブリッツに、アーロン騎士長装備はボリボリと頭を掻いた。

 

「この傷痕、憶えているか?」

 

「忘れる……わけ……ないじゃないですかぁ! 隊長の傷……私……ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい!」

 

 フラッシュバックしたのは遠い昔、幼き日の記憶だ。湧き出した血で濁った思い出に、ブリッツは罪悪感を溢れさせる。

 

「責めてなどいない。この傷はお前との絆の証だ。私も、その、なんだ……惚れた女などお前が初めてだし、出来る女だから甘えていた。お前は察しが良すぎるから、私の胸の内など全て分かっているものだと勘違いしていた」

 

 片膝をついてブリッツの肩に触れたアーロン騎士長装備は言いにくそうに、アイテムストレージからバトル・オブ・アリーナのチラシを取り出す。

 今更チラシに何の意味が? 泣きじゃくるままに、渡されたチラシを拝見したブリッツの目に留まるのは、もちろん優勝賞品の過激写真集だ。

 そういえば、隊長は巨乳好きだったぁああああ! 涙増量したブリッツは掃除中のアーロン騎士長装備の部屋から『巨乳パラダイス』や『ムチムチボイン桃源郷』といったエロ本を発見した昔、15歳秋のメイドデビュー初日を思い出す。戦場から帰ったばかりで性欲が溜まっているのか、ゴミ箱がティッシュだらけだった事に泣き叫んだ、メイド失格の思い出である。なお、泣きたかったのはアーロン騎士長装備である事は言うまでもない。

 

「そこではない。下を見ろ、下を」

 

 アーロン騎士長装備が指差したのは、大文字で書かれた優勝賞品の下の黒枠内に書かれた副賞の数々だ。レアリティの高い素材からテツヤンの店のケーキ引換券など、余すことなく網羅された副賞のレパートリーの中で、アーロン騎士長装備が示したのは、昼と夜が狂ったモラムの記憶にあるレストランのディナー招待券ペアだ。高難度イベントのランダム報酬であり、市場に出回る事も稀である。

 

「デートをすっぽかしたからな。正直どんなプランにすれば良いのか分からんし。だから、忘れてしまったのが食事なら、グレードアップさせれば、とも思ってな」

 

「最初から……副賞を目的で?」

 

「言い訳にしか聞こえんだろうが、それが真実だ」

 

 わざわざ中小ギルドの助っ人で出場したのは、クラウドアースやヴェニデの力を頼ることなく優勝して、自分自身の実力でデートプランを彼女に提案する為だった? 泣くだけ泣いて冷静さと分析能力を取り戻したブリッツは、アーロン騎士長装備の不器用さに呆れ果てる。そして、自分の空回りに羞恥して顔を真っ赤にした。

 

「私は! 私はその辺りの安い酒場でも、何処でも、構いませんから! 隊長が私の為に考えてくれたなら……それだけで満足ですから!」

 

 まるで喜劇の道化師じゃないですか! ブリッツは俯いて前髪で少しでも顔を隠す。それに苦笑したアーロン騎士長装備は小さく頷いた。

 

「そのようだな。何にしても、私も今からでは優勝も無理だろう。すでにターゲットは失格になってしまった。時間も残されていない」

 

「ならば、私が優勝します! 隊長の意思を継ぎ、私こそが優勝を――」

 

 そう宣言しようとしたまさにその時だった。突如として彼女たちの傍のマンホールが弾け飛び、高々と宙を舞う。そして、次に飛び出したのは白い麻袋だった。それは破裂し、中身の白い粉が周囲に吐き出される。

 咳き込んだブリッツを守るようにアーロン騎士長装備が抱きしめる。どうやら白い粉は小麦粉の類のようであり、無害ではあるが、煙幕となって彼女たちの視界を潰す。そして、その中で何かが蠢き、ブリッツのメイド服のポケットから借り物用紙を、そして腕から兜を奪い取る。

 

「兜が奪われました! 取り返さないとぉ!?」

 

 勢いよく立ち上がろうとしたブリッツであるが、いつの間にかブリッツとアーロン騎士長装備はワイヤーによって縛られていた。それも、よりにもよってクラウドアース販売の高密度ワイヤー(1メートル2000コル)である。

 白い霧の中で借り物用紙と兜を奪った者は、ブリッツが落としたチェーンソーを拾い上げる。

 

「ふむ、両手剣の類か。チェーンブレードは余り好みではないのだがね」

 

 もそもそ、という表現が似合うのは、略奪者の恰好が格好であるが故に、だろう。

 その全身にはゴミや木の葉がべっとりと付いている。それはお手製だろう、下水道で紛れ込むためのカモフラージュ品に違いない。わざわざワイヤーに1つ1つ取り付けた都市戦用の即席迷彩である。隠密ボーナスは得られないが、迷彩本来……人間の意識からの除外という意味では正しく機能するだろう。

 チェーンソーをマンホールの下に蹴り入れた略奪者は、懐から取り出した煙草を咥えて一服……とまではいかず、惜しそうに煙草をケースに戻す。

 

「私のターゲットも既に失格になっていたものでね。代用品が必要なんだ。悪く思わないでくれ。しかし、キミ達は実に分かりやすい猫と鼠だった。追跡ルートから袋小路に追い詰めることは分かっていたからな。真下で待機させてもらっていたよ」

 

 やられた。ブリッツはアーロン騎士長装備に抱きしめられたまま縛られている事もあって頬を赤くしながら、自分の行動自体が他の選手に借り物用紙とターゲットの関連性を伝えてしまっていたという失態に気づく。

 それをまんまと狙われてしまった。獲物を狩った瞬間こそ奪い取る絶好のチャンスなのだ。

 全身にゴミを巻き付けたゲリラ兵……聖剣騎士団に雇われた独立傭兵のスミスは余裕を持ちながらマンホールの中に消えた。追える者ならば追うが良いと挑発するかのように。

 

「知らなかったのかい? 国家公務員からは逃げられない」

 

 その一言はまさしくブリッツとアーロン騎士長装備の敗北通知だった。

 

 

▽   ▽   ▽

 

(現代戦は情報戦だ。これだけ撮影用の人工妖精が多いんだ。何処に『個人所有の人工妖精』が紛れ込んでいても簡単には気づかれない。攻撃用アイテムの使用は禁止されているが、それ以外は禁止されていないし、『購入』も同様だ。花火が鳴っていたから爆竹などの入手は容易だし、得た武器が小麦粉だったお陰で煙幕の作成にも時間はかからなかった)

 

 暗闇の下水道を歩きながら、スミスは煙草を吸いたい衝動を抑えるように、今回の作戦の全貌を振り返る。

 スミスのターゲットはギルド【ロス・ミナス】の【ウラド】だった。槍使いであり、今回の武器は鉄パイプという事もあってか、小麦粉という貧弱武器で挑むスミスに正面から挑むのはリスクが大きいと判断した。格闘戦に持ち込めば勝てる自信はあるが、下手に交戦すればそれだけ人目を集める事になる。それは地上で明らかに選手狩りをしているだろう者たちの脅威を呼び込むことになるだろうと判断した。

 だが、ウラドもまた選手狩りによって失格となり、スミスはプランBに移した。

 スミスは終わりつつある街の各所に武器やアイテムの保管庫を作成している。獣狩りの夜以来終わりつつある街はいつ戦場になってもおかしくない。万が一の事態に備えるのは当然の義務である。当然ながら出来立てほやほやのコロッセオ周辺街にも仕込みは万端だ。弾薬、爆薬、回復アイテム、ワイヤーなどなど、もちろん索敵に使える人工妖精も完備である。

 まずは遠視の人工妖精を放つ。普段ならば目立つが、撮影用の人工妖精が多量にばら撒かれている現状ならばカモフラージュ……木を隠すならば森の中になるだろうと判断した。

 お目当てはすぐに見つかった。遠視の人工妖精を大通りに配置していたら、メイドがアーロン騎士長装備を追い回していた。地上に1度出たスミスは木箱の中に潜み、各所を移動し、メイドの追跡方法から袋小路にアーロン騎士長装備を誘導している事に気づく。

 ならば、あとは先回りしてトラップを仕込むだけだ。まさか頭上で痴話が始まるとは予定外だったが、彼らの話が一通り纏まるまで待っていたのはスミスなりの細やかな気遣いのようなものである。

 仮にワイヤーを千切って追跡してきても、下水道の地図作りなんてゲリラ兵の日常をこなしているのはスミスくらいなものだ。迷子になるのは必然であり、仮に追跡できたとしても迷彩を装備したスミスは容易に発見など出来ない。ましてや、主催者側も下水道まで隠密ボーナスを引き下げる処置などしているはずもなく、≪気配遮断≫を併用すれば時間内の発見は絶望的だ。

 

「こんな仕事に本気を出すのは柄ではないのだがね」

 

 スミスも過激写真集には興味もあるが、今回の仕事の最大の魅力は報酬の高さだ。

 依頼人はイニシャルDである。報酬は後払いで30万コルだ。経費は全額依頼主持ちである。失敗すればタダ働きとなるが、経費を持ってもらえるならば懐は痛まない。

 オーダーは1つ、聖剣騎士団の代表として出場し、優勝して過激写真集を依頼主に譲渡する事である。もはや依頼主の正体は誰なのか分かり切っているが、傭兵として追及するなんて野暮な真似はしない。スミスは淡々と仕事をこなすだけだ。それに仕事ならば写真集の中身をじっくり検分する義務もある。依頼主の意向に真に沿うものかチェックが必要だ

 

「残り15分か。ギリギリではあるが、こんなものだろう」

 

 暗闇の下水道を進むのも一苦労である。明かりをつければ発見される恐れもあるので、スミスは光源としての効果が弱い【盗人の携帯ランプ】を使用している。周囲数十センチしか照らせず、せいぜい足下しか確認できないが、頭の中の地図と歩数さえ把握していれば問題はない。

 ようやくお目当てのマンホールの頭上に到着したスミスは、張り巡らしたワイヤートラップが起動していない事に安堵する。ここは最初に下水道に侵入したマンホールの真下だ。ここからならばコロッセオまで一直線である。

 

「これは……何だ?」

 

 だが、スミスは頭上を見上げて頬を引き攣らせる。そこにあったのは、カタリナ装備と思われる、首から下の人間の体である。ぶらんぶらんと揺れているのだが、どう見てもマンホールの大きさよりもカタリナシリーズの丸みを帯びた鎧の方が半径は大きい。

 誰かが落とし穴の如く嵌まった? 確かカタリナキャラバンからも選手が出場していたはずだ。スミスは珍しく動揺しながら、だが、すぐに傭兵としての冷静さを取り戻す。ここは対下水道侵入者を想定して開けたままにしておいた、最短のマンホールだ。だが、何も他に出入りできるマンホールがないわけではない。タイムロスにはなるが、遠回りすれば良いだけの話だ。

 

「こりゃ無理だな。爆破するしかないだろ」

 

「だな」

 

 だから、スミスが最初の1歩を踏み出すより先に聞こえた、頭上でスタッフたちの諦めの声は正しく彼にとって災厄となる。

 

「やれやれ。上手くいかな――」

 

 せめて一服。スミスは煙草を咥えるよりも先に爆音が鳴り響く。

 爆砕された頭上の石畳はスミスへと落下し、その身はカタリナシリーズによって押し潰される。

 カタリナと瓦礫の両方で生き埋めとなったスミスが発掘されるのは、タイムアップの鐘が鳴った1分後だった。

 

 

▽   ▽   ▽

 

 

「あなたにはここで果ててもらいます。理由はお分かりですね?」

 

 タイムアップまで残り30分を切った頃、選手登録名リリウムことアンビエントは、ボクサーを思わす短パンと太陽が描かれた赤の覆面という、まるで覆面レスラーのような恰好をした太陽マスクを噴水広場で追い詰めていた。

 4つの小さな噴水が東西南北に位置し、中心には一際大きな噴水が配置されたコロッセオ周辺街でも特に念入りならデザインがされた広場にて、アンビエントは長柄のスコップを武器として構える。対する太陽マスクの武器はデッキブラシだ。緑のプラスチックの質感を持つそれは打撃武器として機能するだろう。

 軽量性では太陽マスクが、一撃の重さではアンビエントが上である。

 

(見ていてください、セカンドマスター! アンビエントが優勝して、必ずや有用性を証明してみせます!)

 

 健全な闘志を燃やすアンビエントにとって、優勝賞品がいかなる『重み』を持つかなど分からない。あくまで彼女が欲するのは、先の獣狩りの夜で演技とはいえ、マザーレギオン相手に劣勢を演じた事によるマイナス評価を少しでも払拭したいという願望である。

 もちろん、そもそもアンビエントに命令して劣勢になるように演技させたのはセカンドマスターその人であり、アンビエントの評価など元より不変なのであるが、彼女を突き動かすある種の強迫観念……自身に有用性が無くなった時にセカンドマスターが見向きもしてくれないのではないだろうかという恐怖心がこの魔人跋扈する奇天烈な大会への出場を決意させたのだ。

 ターゲットは太陽マスクのまさしく象徴とも言うべき赤マスクだ。その為には組み伏せるなり何なりして動きを封じる必要がある。敢えて実力行使で奪い取るのは、戦闘能力に一切の問題なしとセカンドマスターにアピールする為に他ならない。

 

「愚か! この俺を窮鼠と思っている時点でお嬢さんの負けだ!」

 

 その構えは彼が熟練した槍使いである事の証明だ。デッキブラシを両手で構えて腰を僅かに下げた太陽マスクは、噴水の水を切りながら突進する。それはSUNSUNと輝く太陽を思わす剛毅の一撃であり、踏み込みの速度も含めてアンビエントの予想を上回るものだった。

 だが、アンビエントは慌てずにスコップの鋭い先端でデッキブラシを叩き落とそうとする。スコップの先端は金属製で重量もある。いかに豪傑の槍と言えども、その得物が陳腐では技のキレは半減する。

 切り返しの一閃! 顎をスコップで打ち抜いて怯ませようとしたアンビエントであるが、咄嗟にブレーキをかけた太陽マスクは攻撃を回避し、逆に自ら噴水の中に突っ込んでその逞しい両腕で盛大な水飛沫をアンビエントに浴びせようとする。

 目潰し? この程度で怯むはずもないのに。念には念を入れて、回避行動を取ったアンビエントであるが、どういうわけか、太陽マスクは高々とジャンプすると他の噴水に着地し、またも水を飛び散らせる。そうして広場は着実に水浸しになっていく。

 なるほど。足下を水で滑らせて、こちらの動きを阻害する事が目的ですか。アンビエントは太陽マスクがデッキブラシでは勝ち目がないと判断し、少しでも勝率を上げる下準備をしているのだと分析する。

 そうはさせない! 次の噴水に飛び移る軌道を狙ってアンビエントはスコップを振るう。遠心力を乗せた一閃はもはや剣の如き鋭さを生み、それは惜しくも太陽マスクの胴体を掠めるだけだった。

 元より近・中射撃戦を得意とするアンビエントであるが、近接武器の扱いに心得が無いわけではない。スコップは塹壕戦で多くの兵を殺戮してきた立派な武器だ。アンビエントは次こそスコップで太陽マスクの喉を突き、ダウンさせた所でマスクを奪い取ると段取りを決める。

 

「ふぅ! 今日は暑いな! フハハハハ! 6月といえばもはや夏! 当然と言えば当然か!」

 

「リリウムに話術は通じません。時間稼ぎは無駄かと」

 

「時間稼ぎ!? 馬鹿を言うな! 俺は元より勝利する為に! この意志を貫く為に馳せ参じた! 俺が求めるのは可愛い女の子のエロい姿! それを望む全男子の夢を叶える事!」

 

 くるくるとデッキブラシを回した太陽マスクは、ブラシ本来の使い方をするように穂先を石畳に擦りつける。

 

「秘儀【ウォーターワールド】!」

 

 デッキブラシが擦れる。それは水飛沫を上げ、アンビエントに襲い掛かる。もちろん、これを回避するアンビエントであるが、太陽マスクは超スピードでアンビエントの周囲を回る。その様はまるで竜巻! 彼女へと絶え間なく水飛沫が襲い掛かり、その身は徐々にではあるが、湿り、濡れていく。

 無論であるが、デッキブラシで弾かれた水程度でダメージは負わず、またアンビエントの精神も揺るがない。苛立ちよりも不可思議さばかりが大きくなる一方だった。

 

「ぬぉおおおおおおおおおおおおおお!」

 

 雄叫びと共に、もはや分身しているのではないかと思う程に加速した太陽マスクはもはやラグ無しで全方位よりアンビエントへと水飛沫……いや、水の壁を叩きつけていく。これが痛覚遮断が機能していないならば肌を打たれる僅かな痛みもあるかもしれないが、プレイヤーアバターとして標準の設定をしているアンビエントには僅かな衝撃とやや熱が籠り始めた夏の始まりの空気を冷やす心地良さ以外にない。

 やがて減速した太陽マスクはデッキブラシを肩にのせてポーズを取る。一体何がしたかったのだろうかとアンビエントは首を傾げた。

 

「これで終わりですか? リリウムにはあなたが何をしたかったのか分かりかねます」

 

「何がしたかっただと!? フハハハハ! 今の自分の姿をよーく見てみるが良い!」

 

 今の姿? アンビエントは太陽マスクの意図が増々理解できなかった。せいぜい全身がびっしょり濡れた程度である。だが、アンビエントは自分自身を見下ろして、その惨状に言葉を失う。

 今は夏の始まりだ。終わりつつある街は現実の季節と連動している。気温もじわじわと上がり、梅雨を思わす湿気の体感も増えてきた。プレイヤーアバターを使用しているアンビエントも自分だけ快適な体感を得られるはずもなく、彼女の服装は自然と季節に合わせたものに変化されている。

 すなわち、彼女のゴスロリ衣装の密度! 布の厚さ! 白を基調とした白ゴスロリ姿のアンビエントがその全身に大雨が降ったかのように、たっぷりと水を啜ってしまえばどうなるかなど考えるまでも無い。

 至極当然、透ける。そして、張り付く。戦闘用ではない、薄い白の衣装は薄くだが透けて本来ならば視認を許さないインナーまで晒す! これぞ茅場の後継者が仮想世界でリアリティを追求した成果の1つである!

 

「ふむ、黒か! 意外と大体なカラーリング! 良きかな!」

 

 満足そうに鼻息荒くグーサインをする太陽マスクを前に、ブラのカラーリングを大声で叫ばれたアンビエントは、顔を真っ赤にしてスコップを落とし、両腕をクロスして胸元を隠そうとする。

 

「な、なななななな、なななな、何故このような真似を!? リリウムには理解できません!」」

 

「何故だと!? 決まっているだろう!」

 

 太陽マスクは青空で輝く太陽を背負うように、その光の中にDBOの男子の渇望と興奮を『漢』として受け取ったように、デッキブラシを聖剣の如く掲げる。

 

「俺はエロい女の子が見たい! この煩悩に迷い無し!」

 

 元より太陽マスクは自分自身で2回戦の突破を狙ってなどいなかった。その意志は既に別の者に託している。ならば、彼がアンビエントに追い回され、また多くの撮影用人工妖精の存在を把握した時点で方針は決まった。

 

「キミのような可愛い女の子のエロい姿を見たいのは、男として……いや、漢として当たり前の欲求だ! 俺は自分を偽る気など毛頭ない! そして、この意志こそが全ての男の密やかなる望みに通じ、興奮と幸福をもたらすと信じている!」

 

「まるで理解不能です!」

 

「女子に理解者を求める気など無い! 男は元より我が道を行く1本槍! 行くぞ、マイロード! 太陽よ、唸れ! 咆えろ、我が108の煩悩が内の100万を支配するエロ魂!」

 

 空中で回転させたデッキブラシによる、遠心力という大パワーを上乗せしたウォータービックウェーブ! それはカーディナルより生まれてから初めて、人間の男の卑猥なる感情と視線を一身に集めて致命的なフリーズを引き起こさせたアンビエントに襲い掛かる!

 

「た、たたた、たたた――」

 

 助けて、セカンドマスタァアアアアアアアアアアア! 涙目になったアンビエントは胸を必死に隠しながらへたり込み、唇を震わせ、そして胸の内で叫ぶ。

 

 

▽   ▽   ▽

 

 

「むごー! むごー!」

 

「こんなしょうもない事で管理者権限使おうとしないでください! 腕を噛んでも放しません! あ、駄目! コード999は本当に駄目です! それだけは駄目です!」

 

 

▽   ▽   ▽

 

 

 かくしてアンビエントの救いを求める声は阻まれた。1人の忠実なる執事によって狂人の正しき凶行は食い止められ、DBOの全プレイヤー虐殺の危機は免れたが、代償として彼女の腕はビックウェーブによって押しのけられ、その濡れ透け姿がこれでもかと集中した人工妖精たちによって待望する皆様に送り届けられる事になる。

 いつの世も犠牲になるのはうら若き乙女であり、無垢なる心の持ち主である。それこそが人柱に相応しいと世界は嘲う。

 

 

 

 

 

 

「救出」

 

 

 

 

 

 故にそれは真理への反逆者。世界に仇成す逆賊。絶望すらも踏破する愚者。

 ビックウェーブを斬り裂いたのは神すら斬り伏せる極みの一閃。古来より水は霊魂を宿すとされているならば、太陽マスクの煩悩を断つは剣の摂理に至るからこそか。

 腰の長刀の代わりに蠅叩きを振るった真改はアンビエントを飲み込もうとしていたビックウェーブを両断して霧散させた。これに目を見張った太陽マスクの致命的な隙。それを逃さぬDBO最強のカタナ使いではない。

 居合とは間合いの極意なり。仮想世界で高められた身体能力、度重なる激戦の中で覚醒した戦闘本能、そして真改という人間が狂気と言えるまでに鍛えた礎とも言うべき剣への憧憬。それはただ1つの風景を目指す為に。

 1人の乙女を救えずして何が剣の極みか。騎士と呼ばれずとも、影が薄くとも、彼はサムライだった。それは世間ずれした彼が追い続けた理想。もしかしたら、彼もまた何処かにいる狩人の一族と同じように、何かに囚われた哀れな時代錯誤者だったのかもしれない。

 だが、嘲笑の果てに彼は確かに見つけたのだ。神も、鬼も、人に巣食う魔すらも斬り伏せる剣の極意を。その入り口を。

 斬られる! 太陽マスクは蠅叩きに神代の世に鍛えられた神殺しの刃を重ねた。それは1人の男が妄執の果てにたどり着いた意志の刃。太陽マスクは瞬く間に飲まれ、屈し、膝を折りそうになる。

 

「漢ぉおおおおお!」

 

 だが、太陽マスクも負けてはいなかった。彼は自らの煩悩の為に戦う。だが、それは利己的なものであると同時に、多くの男子の夢を叶えるという尊い利他的な願いでもあった。

 誰もがエロ本コーナーの前で躊躇する。店員が可愛い女の子ならば尚更だ。だが、この1冊を逃せば2度と巡り合えないかもしれない。

 何度袋綴じに騙されれば気が済む? 表紙の煽りに何度踊らされれば良いのだ? インターネットが発達してから多くの情報を事前に取り入れられるようになったかと思えば、逆に迷いが増すばかりではないか。

 ならば夢は自分でつかみ取れ。お前の右手は願いを叶える為にある。お前の左手は願いをつかみ取る為にある。ならば、両手が揃えば成せない事などない! 立ち続ける足を支えるのはただ1つの願い……エロくて可愛い女の子のパラダイスを垣間見たいという、人類史において男が『雄』であり続けた信念そのもの!

 デッキブラシは今まさに黄金の槍となり、万物の障害を貫く神槍となる。敵対する者を平らげる覇者の力を宿す! それは魔であり、神であり、人である力! 三界を制する王の力!

 禍々しくも神々しい黄金の槍が旋風となって穿たれる。対する剣の極みを無骨に目指し続けた男の構えは……『静』。

 繰り返す。居合とは間合いの極意なり。

 リーチは圧倒的に黄金の槍が上である。故に剣の極意は届かず、先に貫かれるは名も残せぬサムライである。ならば斬る為に不可欠なのは『動』となって自らの間合いを押し込む事のはずである。

 だが、男は瞼を閉ざし、『静』の中で夢を見る。幼き頃に、たった1本の木刀と出会った黄昏の空を思い出す。

 

 

 

 

 

『さぁ、斬りなさい。それが望みなのでしょう?』

 

 それは斬魔に対する『渇望』の誘い。

 

『斬れ! 我らの怒りと共に!』

 

 それは乙女の純情を砕こうとする強欲への『憤怒』の咆哮。

 

『斬って。あなたはもう孤独じゃない』

 

 それは剣と共にあった『孤独』の日々への別れ。

 

『斬るのです。慈悲を忘れぬあなただからこそ、斬る資格があります』

 

 それは胸の内で求めていた『慈悲』なる許し。

 

『斬りなさい。恐怖に竦むのではなく、自らの糧する力です』

 

 それは斬ることへの心の何処かにあった後ろめたい『恐怖』の踏破。

 

 

 

 

 夢の中で聞こえた自分の背中を押してくれる5人の乙女たち。男は『静』の中で……過去の幻の中で極みの1歩にたどり着く。

 居合の為の1歩。それは力まぬ柔らかな1歩。だが、それは限りなく自らを大地へと帰す、倒れるような1歩。それが黄金の槍を躱し、自ら間合いに跳びこんできた太陽マスクを迎え入れる。

 

(何故だ!? 何故分からん!? 俺は男たちの夢の全てを背負ってここにいる! お前も望んでいるはずだ! エロくて可愛い女の子を存分に眼に焼きつけたいと!)

 

 それは互いに極みに至ったからこその精神の対話。名すらも忘れられるサムライは、太陽マスクの崇高なる意志と意思を解し、その上で仇を成す。たとえ、それが『雄』なる男の悲願を断つ所業だとしても、彼は神殺しの刃を振るい抜く。

 

 

 

 

「笑止」

 

 

 

 

 恥じらう乙女も美しい。だが、乙女の純情は男の欲望に勝る尊い星の光だ。それは黄金の太陽の前では消え去る運命であるとしても、カタナに月夜に映し込まれたならば、サムライは御霊をかけて守り抜こう。それが時代遅れのサムライの役目であると信じて疑わずに神殺しの刃を振るおう。

 神殺しの刃は太陽マスクの邪念のみを斬り裂き、その身を払う。天高く舞い上がった太陽マスクは、その名が示すように煩悩に焼かれ、地へと落ちた。

 邪念のみを断つ神殺しの刃。それを以ってしても太陽マスクの黄金の光を……太陽の輝きの如き煩悩を滅することはできなかった。だが、大出血のように破裂した欲望によって太陽マスクは倒れたまま動けなくなる。もはや時間切れまで立ち上がる事は不可能だろう。

 名も忘れられる定めにあるサムライは、自らの不甲斐なさの為に折れた蠅叩きに合掌する。たとえ僅かな時でも自らの刃であった友への敬意を忘れぬ為に。

 

「……行け、名も無きサムライよ! だが、忘れるな! お前の前に、必ず、我らの……悲願を成す者が……ぐげぼぉ!?」

 

 痙攣しながら、太陽マスクは自らを倒したサムライへ祝いと呪いを授ける。自らの意思を継ぐ者が必ず立ちはだかり、漢が目指した煩悩の輝きを手にするはずだと予言して、ついに動かなくなる。

 

「見事」

 

 出会う場所が違ったならば友になれたかもしれない。サムライは太陽マスクの執念を受け取り、腰を抜かしている白ゴスロリ乙女に歩み寄る。ビクリと震えた彼女に、陣羽織を思わす和風のコートをそっと肩にかけさせる。サムライは心遣いを忘れないのだ。

 

「標的」

 

 サムライのターゲットは彼女のチョーカーだ。首につけられた小さな黒のベルトと銀細工が組み合わさった品である。申し訳なさそうに借り物用紙を見せたサムライに、白ゴスロリ乙女はコクコクと頷いてチョーカーを渡す。

 乙女の純情を守り抜き、1人の強敵より闘志を授けられたサムライは、新たな敵……そして自らの存在を忘れられるという出生より続く呪いに立ち向かうためにコロッセオを目指す。

 

「お待ちください、お侍様!」

 

 乙女に声をかけられれば、去り行くサムライは立ち止まるが務め。だが、振り返らぬも定め。

 

「ありがとうございました! この御恩、リリウムは決して忘れません!」

 

 その気持ち、確かに受け取った。サムライは微かに笑んだ横顔を僅かに覗かせて、乙女の前から今度こそ立ち去る。

 

 

 

 

 

『ザ・サムライ』……真改、1回戦突破。

 

 

 

 

 

 なお、アンビエントは太陽マスクマンに触りたくもなかったので借り物を回収できずにタイムアウトで失格となった。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 臆病者。ランク最下位。運び屋傭兵。戦力価値はほぼ無し。それがサインズによるRDの烙印だ。

 ランク41の【渡り鳥】が実質最下位と呼ばわりされている。だが、それは今や畏怖への裏返しである。ならば、真なる最下位のRDの何たる惨めな事か。ランク41が実質最下位であるならば、もはやランク42は番外にも等しいではないか。

 今まではRDもそれを受け入れていた。虫扱いされても生き残れるならば、怖い側に立ち続ければゲームに勝てるならば、それで良かった。

 だが、彼にも願いが出来たのだ。立ち向かいたい恐怖があったのだ。

 ミニスカサンタの過激写真集。何と甘美な響きだろうか。あの日、RDは逃げたのだ。野郎同士が集まった騎獣愛好会のクリスマスパーティとか言って、ミニスカサンタ達から目を逸らしたのだ! これを悔やまない日は無かった!

 ならば、その挽回のチャンスが巡ってきたならば、立ち向かうのが男というものだ。だが、出場するのは猛者ばかり。特に出場確定だろうランク1のユージーンにはどう転んでも勝ち目が見えてこない。

 絶望した彼を奮い立たせたのは、1人の神父だった。教会ならば何か天啓が得られるかもしれないと縋ったRDを天は見放さなかったのだ。

 

『真なる絶望は己の内に潜みます。RD殿が絶望に立ち向かうのであるならば、教会はその一助となりましょう』

 

 これは単なる欲望の物語ではない。絶望に挑む勇者の物語だ。

 RDは単身で選手狩りを続ける3人の魔女の前に立つ。震える拳を隠し、強気の態度を取る。

 

「へいへいへい! 俺はここにいるっッスよぉ! 俺のターゲットは『DRGの髪留めゴム』! 奪い取らせてもらうッス!」

 

 震えた声での宣言に、3人の魔女は顔を見合わせ、嗤うことなく、瞬時にフォーメーションを取る。機械のように冷徹な判断に基づいた、挑発行為も通じない完璧な集団による狩りの構えだ。

 初撃はシノンによる高DEXを活かした釘バッドによる奇襲だ。だが、RDとて伊達に傭兵として死線を潜り抜けたわけではない。ましてや、今や彼女たちはコロッセオ周辺街を汚染する恐怖そのもの! ならば、RDの生存本能より生まれた恐怖の異常探知は彼女の動きを正確に追跡する!

 

「へぇ、やるじゃない」

 

 背後に回ってからのフルスイングを紙一重で躱し、そこに続くドラゴンライダーガールによる鎖付き鉄球の一撃。それをあえてRDは腹で受け止める。踏ん張りと腹筋への意識の集中が鉄球の衝撃が突き抜ける中で、次なる動きを生む原動力となる!

 

「耐えましたか! シノンさん、危険度CからAに引き上げます!」

 

「了解! ミスティア、フォーメーションβ3で行くわ!」

 

「位置取りまで8秒ください!」

 

 RDの覚悟に脅威を感じ取ったドラゴンライダーガールの嗅覚は見事の一言に尽きる。だからこそ、RDはシノンが釘バッドを背負い、棘付きアイアンナックルによる右フックの連打に切り替えた段階でひたすらに逃げに徹する。

 これを訝しむのはドラゴンライダーガール。彼女こそがこの3人のチームワークの要だ。RDは短期決戦に持ち込むべく作戦進行のペースを引き上げる。

 ひたすらに回避。回避回避回避! 運び屋傭兵に最も必要とされるのは索敵と回避能力! 戦闘能力は最低基準を満たしていれば良い。依頼で問われるのは、いかに積み荷を目的地まで無傷で届けるかの1点だ!

 傭兵やギルドNPC、騎獣部隊に追い回されるのは日常茶飯事。危険なモンスターが蠢く森や山を単身で強行突破。高火力のゴーレムの戦列の向こう側にあるミッション目的地まで傭兵を運送する事などもはや依頼料の引き上げにもならない依頼受諾時点での前提条件だ。あの有名なスピリット・オブ・マザーウィルへの奇襲攻撃が近づく中で、クラウドアースは他でもないRDを傭兵運搬の要として採用した。

 恐怖を補足して回避する。この1点に限れば、狩人の一族も目を見張る程にRDは優れているだろう。RDは鉄球の連撃を器用にひらりひらりと避け続ける。彼が目指すのはただ1点、自らを追い詰めるコロッセオ周辺街の外縁である。

 作戦の髄はいかにしてラジードとミスティアを1対1の状況に持ち込むかにかかっている。RDはUNKNOWNとラジードの2人の力を借りて、3人の魔女の攻略法を……ゲームの勝ち方を編み出した。

 

『3人のハンティングは多彩に見えて、実は1つの手順の繰り返しッス。ランク3が追い詰めて、DRGが攻撃を浴びせて怯ませたところに、ミスティアさんが口内に謎の液体を流し込む。つまり、必ずトドメはミスティアさんッス。でも、これって何かおかしくないッスか?』

 

 RDの疑問の提示に、真っ先に回答へと至ったのはUNKNOWNだった。加工された声で、唸るように、どうして気づかなかったかのように、UNKNOWNは叫ぶ。

 

『そうか! 射撃は本来シノンの領分だ! ミスティアの方が照準を合わせるまでラグがあるし、時間もかかる! どうして気づかなかったんだ!?』

 

 適材適所。ならば陣形はミスティアとシノンを入れ替えるべきだ。その方が効率的に狩ることができるだろう。だが、これを敢えてしない理由は何処にあるのか?

 それはルールに隠されていた。トドメ役を除けば、常に攻撃に立ち回らねばならない危険な立ち位置! いつペナルティがかかるかも分からない自爆の危険性を孕む! 彼女たちは1回戦で全員を狩るつもりではあるが、達成できなかった場合のリスクマネジメントを忘れていない。即ち、必ず自分たちから1人は2回戦進出者を選出しなくてはならない。

 その役目を担っている者こそミスティア! 彼女は恐らく3人揃った時点で2回戦進出の条件を満たしたのだ! そこで急遽フォーメーションの変更が行われたのである! では、どうしてシノンとミスティアは借り物用紙の入れ替えを行わなかったのか。この回答もフォーメーションによって炙り出された。

 借り物は必ず返却せねばならない。自分自身には返却できないので、自分がターゲットの借り物用紙に価値はない。つまり、ミスティアのターゲットはシノンなのだ!

 

(観察するッス! 選手入場の時点でランク3が持っていて、今は持っていない物! 彼女たちは盤石の構え! いつでも2回戦進出できるように既に借り物は渡し終わっているはずッス!)

 

 超集中力がもたらしたRDは恐怖の分析にたどり着き、シノンの釘バッドと棘付きナックルのコンビネーションの中で、彼女がいつも空色の髪に取り付けているはずの黒のヘアピンが無い事に気づく。

 これだ! RDは棘付きナックルが腹に突き刺さり、くの字になる中で、喉が破裂する限りに咆えた。

 

 

 

「ミスティアさんからランク3の髪留めピンを奪い取るッス!」

 

 

 

 同時に物陰で音が響き、また自分たちの要を暴かれた微かな衝動が3人のフォーメーションを崩す! ミスティアは物音から遠ざかるように離れ、ドラゴンライダーガールは物音の方向に迎撃の構え、シノンは一瞬だが視線がRDより外してしまう。

 だが、それはフェイク。RDが震える拳の中に隠し持っていた、たった1個のビー玉。それを指で弾き飛ばして起こした小さな小さなトリックだ。

 

『俺が囮になるッス。3人を「作戦予定位置」まで必ず誘導するッス。だから……だから、頼みます。俺の犠牲を無駄にしないでくださいッス』

 

 誰かが犠牲にならねばならない。たとえ、ミスティアを引き離しても、RDとUNKNOWNの2人でシノンとドラゴンライダーガールという強敵を貧弱装備の2人で挑まねばならない。ならば、元より自らの敗北を受け入れて立ち向かう。たとえ、優勝という目的は得られずとも、エドガー神父の言う通り、絶望に挑んだ勇者となり、2人の仲間の未来の礎になれるならば本望!

 

『巨乳寄りの美乳こそ至高』

 

『おっぱい万歳』

 

 不信の中で出会い、絶望に遭遇し、同じ脅威に挑む友となった仮面の英雄と若き狼の魂の宣言を思い返し、RDは覚悟を決める。

 作戦名【魔女狩り】……始動! RDが鳴らしたビー玉1つの音が……絶望的な戦略差を覆す一矢となる!

 3人の魔女が意識を傾けた方向とは真逆。そこから高加速したUNKNOWNが飛び出す! その足下にあるのはRDのビー玉だ。彼の武器はビー玉『1袋』! たった1玉だけをわが手に残し、友に数少ない武器を託したRDの狙いは、ビー玉を地面に並べる事によって滑り、スピードを得る事! 滑ったUNKNOWNがSTR任せで掴んでいるのはラジードだ。その頭には気合を入れる赤鉢巻が巻いてある。

 

「「うおぉおおおおおおおおおおおおおおお!」」

 

 狼と仮面の傭兵の雄叫びが重なり合い、投擲されたラジードがミスティアを捕まえる。そのまま勢い任せにラジードはミスティアを押さえつけたまま、シノンとドラゴンライダーガールから遠ざかっていく! それを阻もうとドラゴンライダーガールは鉄球を投擲するが、それをUNKNOWNは投擲したブーメラーンで鎖を弾いて軌道変更させて窮地を救う!

 本来ならば作戦成功だ。だが、ここでRDは終わらない。どうして彼は作戦決行の場所をコロッセオ周辺街の外縁ギリギリに選んだのか。

 

『作戦が成功しても、戦力差は依然として絶望的ッス。俺達2人を1人で食い止めれば、ランク3かDRGのどちらかはミスティアさんの援護に向かえるッス。だったら……確実に1人潰すしかないッス』

 

 無念に散った男たちの魂が聞こえる。外縁から放り出されて失格になった選手たちの悲しみ涙がRDを濡らす。

 RDは敢えて! 敢えてシノンの拳を命中させた! その上でくの字になったのは、体を利用してシノンの接触を断ち切らない為! まさに外縁ギリギリから『自分ごとシノンを放り出す』為の自爆攻撃の布石! RDは全身をバネのように跳ねさせて、シノンの体を掴んで自分ごと外縁から押し出そうとする。

 

「その執念は素晴らしいと思うけど、実力不足だったわね」

 

 だが、魔女には届かない。RDの掴みかかりをひらりと避けた山猫は酷薄な笑みを浮かべて、彼の決死を踏み躙る蹴りを背中に喰らわせる。

 押し出されたのはRDのみ。彼は無情にも、男たちの無念の海へと自分もまた散っていった。

 

 

 しかし、RDの顔に絶望は無かった。心には輝くばかりの『栄光』が見えていたのだ。

 

 

▽   ▽   ▽

 

 

 一瞬ではあるが、肝を冷やしたシノンは、決して相容れぬ相手だったRDが失格になる瞬間を見て、クールを装う表情の裏で焦っていた。最下位かつ脅威にもならないと判断していたRDによって、彼の捨て身の作戦によってフォーメーションはズタズタにされてしまった。正しく彼女たちの判断ミスだった。

 だが、この刹那の見切りはシノンに軍配が上がった。シノンは安心と共に外縁から少しでも離れようとする。それは危険から遠ざかろうとする本能の成す自然な行動だった。

 

「RDィイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイ!」

 

 だから理解できなかった。察知できなかった。自ら死地たる外縁に向かって突撃するUNKNOWNの狂気とも思える行動を予見できなかった。

 振りかぶるのは拳。UNKNOWNは高STRと加速の全てを用いてシノンを外縁まで吹き飛ばす渾身の右ストレートを放つつもりだ。それは回避容易なテレフォンパンチ。この場にスミスがいれば嘆くだろう技術も何もない無駄で凝り固まった拳。シノンならば回避など目をつぶってもできる。

 

(こ、これは……『何』!?)

 

 だが、魂の叫びがシノンにUNKNOWNが背負う『仲間』たちを見せる。

 それは魔女たちに狩られていった男たち。過激写真集という『栄光』を夢見て、散っていた夢追い人たちの哀れな残滓。彼女たちが刈り取った夢の名残。

 その気迫がシノンの動きを束縛する! ぞわりとシノンは業火の如く自らを焼く……先程見せたRDの執念と同じ炎によって呼吸を奪われる!

 ガードするしかない! シノンは咄嗟に左腕の義手でガードの構えを取る。全力で踏ん張れば、いかにUNKNOWNの右ストレートと言えども、外縁に吹き飛ばされず、ギリギリで耐えられるかもしれない!

 その時、シノンはUNKNOWNを1人の男と重ねた。

 この試合が始まり、最大の脅威の1人と認定して真っ先に排除した騎士気取りの傭兵。決して笑顔を崩さない男の影を見る。奇しくも、その右ストレートの構えは、シノンがガードするしかなかった『栄光』の名を持つ男と同じ構え!

 

(しまった! 義手はグローリーのパンチでダメージを……っ!?)

 

 今回のシノンが装着しているのは日常生活用の戦闘面が貧弱である代わりに、運動性能が高いタイプだ。故に脆弱であり、グローリーのパンチを受けただけでダメージを負ってしまった。そこにUNKNOWNの全力が……『仲間』たちの魂が乗った拳が命中すればどうなるだろうか?

 いつだって『栄光』をつかみ取るのは、執念とも言うべき真っ直ぐな意思を持つ若人である。UNKNOWNの右ストレートは義手の表面を潰し、内部まで食い込み、そのダメージと衝撃が突き抜けてシノンを吹き飛ばす。

 

(私の……私の、何が、いけなかった……の?)

 

 自分の恥ずかしい写真を葬り去りたい。それが悪だったと言うのか? 吹き飛ばされる中でシノンは意識の海を巡る。

 正義は死んだのか? いいや、違う。シノンは心の何処かで認めたくなかった真実へとたどり着く。

 ミスティアは自分の恥ずかしい写真を『ラジード以外に』見られたくないだけだ。

 ドラゴンライダーガールは『自分以外を』見ようとするUNKNOWNの前に立ちはだかる為だ。

 シノンだけが……孤独に自分自身の恥ずかしい過去を抹消しようとしていたのだ。

 どれだけ優れた狩りをしていても、心は通じていない偽りの仲間だったのだ。それが、魂の通じ合った、たとえ敵同士であるとしても、たった1つの『栄光』を目指した者たちに勝てるはずがない。

 背中からシノンは倒れ込み、外縁の向こう側で失格者として青空を見上げる。

 

(空ってこんなに高かったのね)

 

 仮想世界の空は現実世界の空よりもずっと澄んでいた。何処までも突き抜けるような青色がそこにはあった。

 

「私は……私はぁああ……見られたく、なかった、のよぉ」

 

 だから、ここからは本音の吐露だ。

 

(『あなた』に……あんな恥ずかしい姿を見られたら、もうどんな顔をしたら良いのか、分からなかったのよぉ!)

 

 つまり、そういう事である。

 いつだって青春は青空の向こう側にあるのだ。

 

 

▽   ▽   ▽

 

 

 ドラゴンライダーガール……シリカは舌打ちする。今まさに、まだ微弱であるが、桃色の波長をキャッチしたからだ。何処の誰かは知らないが、また1人潜在的危険人物が誕生してしまったようである。

 やはり危うい状況だ。早急に打破する必要がある。シリカは脱落したシノンの置き土産とも言うべき釘バッドがUNKNOWNに拾われるよりも先に鎖付き鉄球で絡め捕り、我が手に収める。オブジェクト品であるが、殺傷能力はなかなかであり、あのグローリーを頭部への一撃で以って沈めた騎士殺しの武器だ。

 

「『はじめまして』、UNKNOWNさん」

 

「『はじめまして』、ドラゴンライダーガール」

 

 お互いの正体は知っていても、互いに顔と名を隠すならば、初対面を装うのは最低限の礼儀だ。

 今や1対1となり、シリカはミスティアの援護に向かえなくなった。UNKNOWNは簡単には倒れないだろう事は予想できている。

 接近戦は不利だ。鎖付き鉄球を躱し、瞬く間にUNKNOWNはシリカに接近する。このまま組み伏せられればシリカは容易く敗れるだろう。

 

「『聖なる絶壁』」

 

 だが、UNKNOWNはシリカに触れる直前で、その今にも消え入りそうな呟きによって押し潰される。

 

「『水平線の彼方』」

 

「ぐあぁあああああああああ!」

 

 油断はしない。シリカの追撃によって、UNKNOWNは頭を両手で押さえて悶絶する。

 

「『山無き地平線』」

 

 トドメには程遠いが、これで戦闘不能にはなっただろう。シリカは余裕綽々でUNKNOWNから距離を取る。このまま力技で外縁から押し出そうとする程にシリカは蛮勇ではない。ここぞという時に驚異的な爆発力を発揮するのがUNKNOWNだ。

 UNKNOWNが震える足で立ち上がるのは『仲間』たちの魂の力か。シリカは冷たい眼で一瞥しながら右手に、数多の怨念を……平たき者たちの叫びを集めていく。

 

「『ああ、素晴らしき線の世界』」

 

 言霊の衝撃によってUNKNOWNは押し飛ばされる! それでも立ち続けられるのは少なからずの耐性がUNKNOWNにあるからかだろう。そして、それを後押しする『仲間』の力をシリカは侮らない。

 ここで押し潰す。擦り潰す。シリカは深呼吸と共に世界を満たす平たい者たちの怨念をキャッチする。

 

「『極点の氷壁』」

 

「『豊穣なる大地の実り』!」

 

 言霊に言霊で返すUNKNOWNであるが、シリカの言霊の方が地力は上だ。数多の巨乳派に支えられたぬるま湯の言霊でシリカが操る平たい者たちの怨念の言霊を覆せるはずがない。

 

「『実らぬ渇いた大地』」

 

 先程の言霊を無効化する! シノンのゴーグルに隠された双眸より眼力を上乗せした言霊は見えぬ暴風となり、UNKNOWNをよろめかせる。外縁まであと数歩分だ。

 

「『聖玉なる太陽の温もり』!」

 

「『反らぬ俎板』」

 

「『芽吹いた大輪の果実』!」

 

「『深海より溢れる歪まぬ一線』」

 

「『魂が帰る安息の抱擁』!」

 

「『万象の帰結を成す無の世界』」

 

「『山岳に挟まれた永遠の谷』!」

 

「『虚無世界の永劫のライン』」

 

 多少はできる。だが、所詮は脆弱なる巨乳派の戯言だ。常に悲劇と共にあった平たい者たちの言霊とは密度が違うのだ。シリカは片膝をついて、まるで真冬の夜に取り残されたように震えるUNKNOWNへと微笑みかける。

 

「もう楽になりましょう? あなたも本当は分かっているはず。真の安らぎは地平線と水平線の狭間にある虚無世界にあります」

 

「い……や、だ! 俺は……俺は、もう、忘れない。忘れないって……誓ったんだ!」

 

 まだ立ち上がるか。何度も何度も膝をつき、それでも凍える体に『仲間』の叫びと自らの信念を燃やして熱を取り戻すUNKNOWNに、今までにないプレッシャーをシリカは感じ取る。

 

「もう奪われてたまるか。取り戻していくんだ。大切なものをつかみ取っていくんだ! 俺は巨乳寄りの美乳派だ! この魂を偽るなんて真似はできない!」

 

「……やはり取り戻していましたか」

 

 ならば、その信念と誇りを刈り取る! 魔女の御業は死神の業。シリカは言霊の槍を練り上げていく。

 

「いい加減に諦めなさい! どれだけ望んでも、あなたの理想には届きません!」

 

「1万回を手伸ばしても届かないからって、1万と1回目を諦めるか? 俺は嫌だよ」

 

 1歩、1歩、また1歩、シリカが放つ言霊の吹雪の中でUNKNOWNは距離を詰めていく。かつてない程に……いや、抑圧されていたからこそ爆発した自らの理想と願望と矜持が平たい者たちの怨嗟を弾き返していく!

 

「キミだって、無とか、壁とか、俎板とか嘆いているだけだ。そこに誇りはない。悲劇しか見つめていない! そんな後ろ暗い意思に……『俺達』の炎が吹き消されるものか!」

 

 どうして人は山に恋い焦がれる? 簡単だ。そこに山があるからだ。いつだって冒険に溢れた山並に男は浪漫を感じずにはいられないのだ。

 シリカは幻視する。それはこの大会で敗れ去った者たちだけではない。多くの豊穣なる実りを求め、時として挫折し、それでも理想を捨てられなかった熱き漢たちの思念が熱となり、凍えるUNKNOWNを内から焦がす程の大火となって力を与えているのだ。

 

「よくぞ言った! UNKNOWN!」

 

 気迫に完全に呑まれていたシリカが我に返れば、いつの間にか背後にはこの大会で優先順位2位の撃破対象だったユージーンが立っている。

 挟み撃ちにされる!? 戦慄したシリカであるが、ユージーンは不動。腕を組んで仁王立ちしたままシリカを攻撃する気配はない。

 シリカに理解できない事も無理はない。彼女に『漢』を感じ取ることはできない。だが、最強の傭兵たち……ランク1とランク9という頂点にある者たちには、1つの絆があった。

 雌雄を決するはこのような路傍ではなく会場にて。どちらが過激写真集を得るに相応しいか。

 

 ただ1人で頂に至らんとするユージーンか、それとも仲間の意思と共に玉座に到達せんとするUNKNOWNか。

 

 もはやこれは前座。

 吹雪は漢2人の意志の炎によって溶かされていく。

 

「私は……私だって……本当は……夢見ていたんです」

 

 いつかナイスバディのセクシーレディになれるはずだって……夢見ていた頃があったんです。

 一筋の涙と共に、シリカはUNKNOWNが拳の中に灯した熱き言霊に、無垢なる時間を垣間見た。

 

「『巨は無より生まれた有なる可能性』!」

 

 それは残酷な……だけど、確かな真実。

 だったら、持たざる者は何を選べば良かったというのですか? シリカは言霊の炎によって焼き尽くされ、膝を折る。

 どうやらここまでのようだ。シリカは自分に一瞥もくれず、だが脇を通り抜ける最中にツインテールのゴムを奪っていくUNKNOWNの背中をぼんやりと見つめる。

 

(そっか。RDさんは最初から最後まで自分を犠牲にするつもりだったんですね。自分の借り物用紙も……仲間に託して……)

 

 背負っている魂の重みが……温もりが、あまりにも違い過ぎる。

 ユウキさん、ごめんなさい。私も本当はナイスバディのおねーさんになりたかったんです。自分の偽りの瘡蓋が剥げていき、感情の血が溢れだしていくシリカはぐらりと体を傾けていく。

 

「1つ言っておく事がある。俺は巨乳寄りの美乳派だ」

 

 だが、シリカは確かに聞いたのだ。意識を失う間際に、ついに多くのライバルが待つ『漢』の称号を得るに至った仮面の傭兵の……彼女に向けた想いを聞いたのだ。

 

「だけど、かつて俺は出会ったんだ。神とも言うべき男が教えてくれたんだ。『胸に富めるも貧しくもない。等しく愛せ』。ようやく……俺は届いた」

 

 それはシリカが知る由もない、この大会の元凶にして、神に挑み続ける1人の写真家が与えた福音だった。

 

「『豊穣の実りこそ至福であるならば、大海の果てなき一線こそが至高である』」

 

「……救世主を気取るつもりですか」

 

 仮面の向こうでニッと笑っている英雄の姿が見えたような気がして、まだ稚拙ではあるが、平たき者たちの怨念すらも慰めて受け入れる言霊にシリカは身を委ねる事にした。

 もう、それだけで十分だ。嘘でも真でも構わない。彼が宣言したならば、それはシリカにとって全てに勝る真理の証明だ。

 いつの間にか憎しみで目が淀んでしまっていた。真実を掬い上げようとしても、水面が濁って何も見つけられなくなっていた。

 ようやく晴れやかな気持ちとなったシリカは、まるで赤子のように、無垢なる夢を見るように地へと伏した。

 

 コロシアムに向かうは2人の漢。彼らは互いをライバルと認め、どちらも頂点を譲らぬ決意と共にコロシアムに歩む。

 

 

『最強無比の剛剣』……ユージーン、1回戦突破。

 

『無双の聖剣士』……UNKNOWN、1回戦突破。

 

 

▽   ▽   ▽

 

 

「師匠もシノンさんも敗れたようですね。不甲斐ない。やはりアタシが優勝するしかないようですね」

 

 アナウンスでシノンのフィールドアウト、ドラゴンライダーガールのスタッフによる搬送によって失格が伝えられ、ミスティアは溜め息を吐く。だが、彼女とて決して一筋縄で勝者となったわけではなかった。壁にもたれかかったまま、ピクリとも動かないラジードの様子からも分かるように、激闘の末に彼女は勝利を勝ち取ったのだ。

 

「……ぐ、ぐふぅ」

 

 口から虹色の液体を零しながら、ラジードは痙攣し、されども意識を手放さずにミスティアを睨む。その闘志に溢れた恋人の姿に、ミスティアはうっとりと両手を頬にやって見惚れてしまう。

 ありとあらゆるゲテモノかつゲロマズ食材を組み合わせたスペシャルブレンド。それを2桁も口内に押し込まれていながらも、不屈の精神で立ち向かう姿はまさしく勇者だ。

 

(ラジード君が……あの優しいラジード君がアタシを睨んでる! 凄いカッコイイよぉおおお)

 

 冷徹な仮面の向こう側でミスティアは悶絶する。こんな凛々しいラジードは彼女の思い出アルバムでも1桁ランク入りする貴重な瞬間だ。もちろん、ミスティアはそれを写真に残したいとは思わない。あくまで思い出の中にあるからこそ宝石は価値があるのだ。

 だからこそ心配になる。ラジードは出会った頃よりもずっとずっと魅力的な男に成長してしまった。ミスティアとしては、少し目を離した瞬間に蛆やら小蠅が集っている惨状が我慢ならないのだ。コツコツと溜めた資金でマイホームの購入も進めている。

 今回の過激写真集にしても、『ラジード以外に自分のあんな姿を見られたくない』という感情が根底にあった。だが、ラジードの裏切りの参戦によって、彼女の目的の最上位に別の目的がランクインしたのだ。

 

 

 

 ラジード君が過激写真集を欲している

     ↓

 ラジード君が興味のある女の子が載っている

     ↓

 つまり過激写真集に載っているのは潜在的蛆候補である。

     ↓

 写真集をゲットすれば蛆をMI☆NA☆GO☆RO☆SHIできる大チャンス到来!?

     ↓

 待っててね、ラジードくん! アタシが蛆は全部駆逐してあげるから♪

 

 

 

 つまりこういう事である。ラジードへの制裁などミスティアは実のところ、これっぽっちも思っていないのだ。嫉妬心はあった。ラジードに自分という恋人がいるにも関わらず、他の女の子に鼻の下を伸ばすなんて許せないという乙女らしい独占欲もあった。だが、ラジードは最終的には必ず自分の元に……この胸に戻ってきてくれると無邪気に信じているのがミスティアなのだ。

 もしも帰ってこなかったら? 決まっている。優しくて、お人好しで、お馬鹿なラジードを誘惑した蛆がいたからに決まっている。ならば、ラジードを監禁する? 首輪をつける? 愚かしい。狼が飼い犬になったら魅力半減ではないか。狼は自由奔放で構わない。その毛皮に寄生する蚤こそが害悪なのだ。

 いつだって師を超えるのは弟子の役目だ。ここにシーラがいれば『ミスティアさんも立派になりましたね』と泣いて喜ぶことだろう。

 

「ラジード君はそこで寝ていてください。アタシは写真集を葬り去らねばなりません」(本当にごめんね、ラジード君。でも、やっぱりラジード君にもプライドとかあると思うし。アタシに負けたら『やっぱ愛する恋人には勝てないか。ラジードも甘い男だな』っていう評価になると思うんだ。だから、アタシが絶対に倒さないといけなかったの! 師匠とシノンさんを欺くのは本当に大変だったんだよ!? RDさんの作戦に気づかなかったら、上手くラジード君と2人っきりになれなかったと思うし、綱渡りの連続だったよ! ああ、もうラジード君可愛いよぉ! 口からちょっと変な液体が出てる姿もキュートだよぉ! 監禁したい! アタシだけのラジード君にしたい! 駄目! ダメダメダメ! そんな束縛するような重い女になったらラジード君に嫌われちゃう! ちょっと嫉妬深いくらいならラジード君も許してくれるだろうけど、ガチガチに束縛してラジード君のハートに隙を作ったら蛆や蠅や蚤がががががががが! この前のキャバクラも、ちゃんとアタシに断ってくれていれば許可したんだよ? だけど、あの『1時間』は本当に素敵だったよね! まさかラジード君のコスプレ趣味がメイドさんだったなんて……ハッ! そういえばこの大会って本物のメイドさんも参加してる! 潰さないと! クラウドアースを滅ぼさないと! で、ででででも、見習いメイドはユウキちゃんだよね? 友達を傷つけたくないし……うーん、どうしよう。あ、そういえば師匠がコスプレと本職は違うって言ってたっけ。もう、早とちりで友達を始末しちゃうところだったよ。アタシもまだまだだなぁ)

 

 そもそも、ユウキは何故にメイド姿でバトル・オブ・アリーナに参加を? それ以前に彼女はクラウドアースではなく犯罪ギルドの出身では? それってつまり、クラウドアースとチェーングレイヴは……と、大ギルドの裏事情に迫る推理を中断させて纏めてゴミ箱に放り捨てさせたのは、口元を拭い、脂汗を滴らせながら立ち上がるラジードに、ミスティアの心拍数が爆上げされたからである。

 ズタボロなラジード君も素敵! キュン、と胸を締め付けられたミスティアは今すぐ駆け寄って抱きしめたい衝動に駆られる。だが、我慢だ。ラジードには苦渋を啜ってもらってでも蛆候補満載の写真集は何としても回収せねばならないのだ。

 

「僕はまだ負けていない。仲間が……RDが託してくれた、この意志を無駄にはしない! 僕は負けられないんだ! たとえ……たとえ、愛する人が敵だとしても!」

 

 愛!? やっぱりアタシが1番なんだね、ラジード君!? 絶叫して小躍りしたいミスティアは、必死になって取り繕い、ふわりと左手で自分の灰銀の髪を払う。陽光を浴びれば金にも映る彼女の髪が風に舞えば、その美貌も合わさって天の御使いのようである。DBOの女性美人プレイヤーと言えばミスティアの名が真っ先に上がるのも納得である。大ギルドの幹部という知名度も合わさり、容姿・実力・人気の三拍子を持つプレイヤーなのだ。

 

「仲間? ラジード君は写真集を楽しみたいだけでしょう? どれだけ言い繕ってもラジード君はサイテーです」(ううん、そんな事ないよ! ラジード君はサイコーだよ!? 誤解しないでね!? ラジード君も男の子なんだから、ああいう写真集に興味を持っちゃうのは当然というか、自然というか、怒る理由にはならないよ。それに、きっと団長に唆されたんでしょう? そうじゃないとラジード君がアタシを裏切るはずないもん。裏切るはずが……ううううう、うら、うらうらららら、裏切る? ヤダ! 嫌だ! ラジード君にもしかして、もう嫌われてる!? 見限られてる!? あり得る! 十分にあり得る! そういえば、ユウキさんが羨ましくてラジード君にこの前のデートの時にゆ、ゆゆゆゆ、指輪をおねだりしちゃったし、それがウザかったとか!? そうなんだよね? そうなんだよね!? だから、その当てつけがキャバクラだったんだね!? アタシの馬鹿ぁ! ラジード君のメッセージを見逃すなんてカノジョ失格だよ! 指輪とか欲しがるとか100万光年……あ、光年は距離じゃない! それってつまり、アタシとラジード君の心の距離は100万光年!? もう赤の他人どころか忘却の彼方にある過去の女!? アタシこそが蛆!? 蠅!? 蚤!?)

 

 プルプルと震えるミスティアの自傷ダメージなど知らず、その様に彼女が怒り心頭であると勘違いしたようなラジードは、少しだけ罪悪感を滲ませるように顔を背ける。

 

「ミスティアには悪いとは思っているよ。カノジョに黙って、過激写真集を欲しがるなんてカレシとして最低だって分かってる。でも……だんちょ――太陽マスクさんに言われたんだ!」

 

 

 

 

『ラジード! お前の太陽はどうしたいと叫んでいる!?』

 

 

 

 

 それは太陽が自らの運命を予見してか、男たちの願いを託す後継への問答。

 真っ直ぐにミスティアを見つめたラジードは、ごふり、とスペシャルドリンクを吐きながら、彼のターゲットであるミスティアの耳に取り付けられた銀のカフスを手にすべく近寄っていく。

 

「もう僕は諦めたくない。昔の自分に戻りたくない。自分で決めた道は……自分で切り開いて、仲間と共に歩む!」

 

 狼は孤独の象徴とされているが、その生物は本来集団で狩りをする、極めて仲間意識の強い存在だ。故に『1匹狼』とは異端であり、そして孤独を示す記号となったのだ。

 

「そんなに……そんなに、他の女のミニスカサンタのパンチラが見たいの!? 答えてよ!」

 

 故にミスティアは問いかける。ラジードが選んだ道は、他の女に目移りする道なのかと尋ねる。だが、ラジードは何ら後ろめたさも感じさせない双眸でミスティアを射抜いた。

 

「妥協と納得は違う。妥協したら男は終わりだ」

 

 途端にミスティアの中で何かが決壊した。

 その真っ直ぐな瞳……ミスティア恋して愛した眼光。曇らぬ眼が映したのは、自分の信じる道を歩み続ける狼の誇り。

 

 

 

 

「僕は写真集が見たい! それは隠さない本心だ! でも! 1番見たいのは! 僕が1番好きな女の子の……ミスティアのエロ可愛い姿だ! それを見る為なら妥協などしない!」 

 

 

 

 何たる誤解か。ミスティアは【雷光】の2つ名が霞むほどの落雷に撃たれてよろめいた。

 ラジードにとって、他の女の子など二等星どころか三等星。星の光すらも霞ませる太陽こそが狼の求めていた『栄光』だったのだ。

 

「ラジード君の……勝ちだよ」

 

 これで立ちはだかるなどカノジョ失格だ。ミスティアは左耳のカフスを外し、ラジードに託す。それを受け取った若き狼は愛する者の頬に口づけすると、威風堂々とコロッセオを目指す。

 アタシは愛されていた。ならば、今はこの愛を信じて待とう。それにラジードが写真集を入手すれば、自動的にミスティアも拝見するチャンスが回ってくる。そうなれば、どちらにしても蛆のリストアップは可能ではないか。こんな簡単な方程式に気づかないなど、やはりカノジョとして不足していたとミスティアは我が身を恥じる。

 

「えへへ……ラジード君にキスされちゃった」(敢えて口ではなく頬にしたところが素敵。きっと『夜はもっと凄いキスを口だけじゃなくて体中にしてやるぜ』的な事を考えてるんだよね? だよね!? ラジード君ったら2つ名通りの肉食獣なんだから! で、でも、ラジード君の要望に応えるのはカノジョとしての務め! ああ、もう! ラジード君ったら男前過ぎるよぉ! だけど、ラジード君はきっと明日の決勝を見越してるから、今夜はコンディションを整える為にも早寝するに決まってるよね? あ、そっか! 優勝したら、アタシと一緒に写真集を見ながら『やっぱりミスティアが1番だよ』って言ってくれるんだね!? で、ででででも、この大会のせいでラジード君のファンは急増するはず! だったら、やっぱり優勝しないでもらいたいよ。だけど、だけど、だけどぉおおおおおお!)

 

 1人で悶々と唸っている間に、ミスティアはタイムアップを迎えて失格となる。だが、彼女は満足だった。これで満面の笑顔でラジードの応援ができるのだから。彼の勝利を願い、そして優勝台で今度は自分からキスをするのだと妄想してはしゃぐ姿の何たる幸せな事か。

 

 

『俺は女の子もハンティングしちゃう狼だぜ☆』……ラジード、1回戦突破。

 

 

▽   ▽   ▽

 

 

(ふむ、状況はユウキさんが不利ですか)

 

 身の丈ほどもあるゴボウを得意とする両刃剣のように振り回し、YARCA流で襲い掛かるタルカスを迎撃しながら、エドガーは冷静に戦況を分析していた。

 どうしてユウキが自分にも敵意を向けていたのか、皆目見当もつかないエドガーであったが、別段として問題はない。元よりたった1つの優勝という玉座を争っているのだ。一時的協力関係こそあれ、潜在的には敵同士なのである。

 

「こんなポーズ取れるぅ? 取れるかしらねーん?」

 

「ぐぎゃぁあああああす!」

 

 ほぼ一方的だ。速度はユウキの方が圧倒的であるが、近寄ろうとする度に巨乳を最大限に活かした、自分の魅力の引き出し方を熟知したセクシポーズを取り、巨乳圧力波よってユウキを押し飛ばすエイミーは、距離がある内はメジャーを振り回してユウキにダメージを与えていく。だが、それは単なる打撃攻撃であらず! ユウキがバーサーカーとなりながらも最大限に警戒してメジャーを回避するのは、あの攻撃の真意を本能で察知しているからだ。

 すなわちバストサイズの測定! エイミーはメジャーで彼女を捕らえた瞬間に、数多のプレイヤーが見守る中で見習いメイドのバストサイズを声高に明かす算段なのだ! たとえ、衣服の上からだとしても迅速な計算で暴き出せるというエイミーの眼力の成せる業である!

 エドガーとしては少しでもエイミーを消耗させてもらいたいのだが、あの様子だとユウキには万が一にも勝ち目はないだろう。ならば、早急にタルカスを撃破してユウキの援護に回るのが得策だと判断する。

 

「よそ見とは余裕だな!」

 

 だが、エドガーとて楽な戦いをしているわけではない。タルカスのYARCA流は脅威だ。白く逞しい大根を下腹部に構える基本姿勢から、変幻自在の突きを主体にした連撃。そして、常に背後を取ろうとする淀みのない動きはエドガーにケツパイルの悲劇を思い出させる。

 一瞬でも油断すれば負ける! エドガーはゴボウの連続薙ぎ払いでタルカスのモリモリ筋肉を打つも、それを逆に快感とばかりにタルカスは胸筋と上腕筋を震わせ、丸太のような筋肉いっぱいの太腿を脈動させる。その度に白きブーメランパンツは輝きを増しているようだった。

 

「私を悪と呼びたければ呼ぶが良い! いつだって悪魔認定して正義を歪めるのは教会だからな! だが、我らがYARCA旅団は真実を知る者たち! その始まりの1人である私に、貴様の傲慢なる正義は通じん! 正義とは、貫き通した意志である! 故に、【渡り鳥】ちゃんは大天使なのである!」

 

「善悪を決めるは神の役目。あなたは異端を超えて悪となりました。ならば、このエドガーに迷いはありません! あなたこそが悪なのです!」

 

 ゴボウと大根がぶつかり合い、せめぎ合い、そして弾ける。亀裂が入ったのは強度と密度で劣るゴボウの方だ。半ばに切れ込みが入ってしまったゴボウでは長期戦は難しいだろう。

 だが、エドガーは慌てない。タルカスの攻撃の神髄はパワーだ。すなわち、1発の重み……致命を狙う背後からの一撃こそがタルカスの狙いだ。ならば、エドガーは背後に回られることだけを警戒しておけば良い。

 

「では聞こう! どうして貴様は大会に出場した!? どうして優勝を目指す!? 本当は貴様も噂を聞いたのだろう? 写真集と引き換えに得られる【渡り鳥】ちゃんの『あの写真』を得たいのだろう!?」

 

 噂はエドガーも教会の情報網を通して認知している。だが、行動の原初は異なる。

 エドガーの目的は優勝して『あの写真』の所有者と接触し、神の代行として裁きを与える事である。無論、『あの写真』も写真集も処分する。

 善に殉じる事こそがエドガーの唯一無二の行動原理だ。故に彼は自らの信じる正義の遂行を躊躇わない。

 

(聖女も乙女達も守る。それこそが我が正義なり!)

 

 いよいよゴボウが限界に達し、折れる直前となる。それを見越して、タルカスが強気に……否! 慢心して大根突きをあまりにも伸ばし過ぎる! ピンと張り過ぎた腕は柔軟性を失い、もはや軌道修正は不可能である。

 折れるならば折ってしまえば良い。エドガーは躊躇うことなくゴボウを半ばで折る。エドガーの得物は両刃剣であるが、教会の工房によって作られた彼の武器は瞬時に分離して双剣に変貌する! それを失念していたタルカスに、エドガーは大根突きを軽やかに躱しながら、十字にゴボウ双剣を振るい抜く。

 

「ぬぅ!?」

 

「アンバサ」

 

 筋肉を張って耐え抜こうとするタルカスであるが、エドガーの神への祈りを付与した十字斬りより解放された衝撃はタルカスの胸筋を突破し、その滾るハートまで刻み付ける!

 右膝を、続いて左膝を、前傾になる上半身を支えるように両手で地面を捉えるも、力尽きてタルカスは地に伏す。

 

「我が天啓、ここに証明されたり」

 

 

▽   ▽   ▽

 

 

(私は……倒れているのか?)

 

 ぼんやりとタルカスはバケツヘルムの覗き穴から見える世界が真横になっている事を悟り、自分がエドガーに敗れた事実を受け入れる。

 負けるはずがない。YARCA旅団の誇りを背負う旅団長として、たかだか神父1人に敗れるはずがない。そんな慢心が無かったと言えば嘘だ。

 新生YARCA旅団の至上目的は【渡り鳥】ちゃんを愛でる事。お触りは禁止だ。あくまで遠くから見守り続けるのである。唯一の例外が写真などの【渡り鳥】ちゃんの生活を垣間見える切り取られた時間なのだ。

 

(すまない、皆。旅団長失格だな)

 

 皆で『あの写真』を共有する。そして、【渡り鳥】ちゃんへの愛を爆発させ、更なる躍進へと繋げる。そう誓い合った大会前夜を思い出すも、意識が暗闇に飲まれていくタルカスは仲間たちの……誇り高きYARCAの戦士たちの笑顔が今や霞がかかって見えない。

 もはやこれまで。タルカスがそう諦めた時だった。

 

 

 

 

(旅団長、負けないでください! つかみ取ってください!)

 

 聞こえる。

 

 

 

 

(俺達の夢を!)

 

 仲間たちの声が聞こえる。

 

 

 

 

 

(僕らの希望を!)

 

 同じ目的の為に、たとえ異端であるとしても、【渡り鳥】ちゃんに大天使を見出した者たちの魂の慟哭が聞こえる。

 

 

 

 

 

 

(私たちの未来を!)

 

 YARCA旅団を率いる旅団として、YARCAの体現者として、このまま無様に終わるなという叫びが聞こえる。

 

 

 

 

 

 

 その時、何が起こったのかは誰にも分からない。

 茅場の後継者は唖然として目を擦るだろうし、茅場昌彦は『やはり人間の意思は素晴らしい』と笑うかもしれない。

 それはDBOにいる全てのYARCA旅団のメンバーたちより溢れたYARCAの片鱗。それはまるでYARCAの体現者に集結するかのように、虹色の輝きとなって倒れ伏したタルカスへと集中していく。

 それは脳が作り出した幻なのだろうか。だが、仮想世界そのものが脳が体感する現実以上の質感を持つ夢のようなものならば、これもまたYARCA旅団が作り出した奇跡。

 

(感じる。YARCAの……YARCAの魂が私に集まっている!)

 

 拳を握り、タルカスは顔を上げる。その全身に溢れるYARCAの精神は彼に再起の力を与える。だが、エドガーより受けた神罰にも匹敵するダメージは大き過ぎた。

 膨大なエネルギーを感じる。だが、それを動かすだけのタルカスの馬力が無いのだ。

 やはり私は旅団長の器ではなかったというのか。諦と絶望の狭間でタルカスは、虹色の光の向こう側で舞い散る白き羽を見つける。

 それはカラスの羽。穢れを知らぬ白きカラスの翼を纏った、1度YARCA旅団を壊滅させ、そして新生させた、黒いワンピースを風で揺らした【渡り鳥】ちゃんだった。

 これは幻だ。これは夢だ。だが、確かに白きカラスはタルカスへとその右手を差し出したのだ。

 

 

『お兄ちゃんは、こんな所で諦めちゃうHENTAIさんですか?』

 

 

「むほぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」

 

 

 

 古来より虹は神の奇跡の産物とされ、その橋の根元には宝物が埋まっていると子供に語り聞かされてきた。

 ならば、虹が集結したタルカスが得たのはかけがえのない記憶の再現。2度と得られるはずが無かった、新生の福音。

 虹色の爆発は天を轟かせ、凝縮されたYARCAの魂はタルカスの肌に艶やかさを取り戻させる! 1度は倒した相手の復活にエドガーは戸惑いを見せる事無く、信じる正義の為にゴボウを振るう!

 

(かつての友よ、貴様は正しかった。私は……YARCA旅団は悪だ。だがな、悪とは善と対立するものではない。共存して補完し合う存在なのだ)

 

 悪が無ければ善は成り立たず、善が無ければ悪は生まれない。ならば善は悪を討って悪となり、悪は善を喰らい善となる。

 

「私は悪だ。全ての者の夢を摘み取り、YARCA旅団の正義を成す悪だ。全ての正義を駆逐し、我らこそが正義となる!」

 

 YARCA旅団は不滅なり。エドガーがゴボウを振るえども、タルカスはまるで蜃気楼であるかのように当たらない。

 両腕を翼のように広げ、羽ばたくように跳び上がったタルカスは白いブーメランパンツを携えた腰を反らしながら宙で両手の掌を打ち付ける。それは神へと祈るような合掌だ。

 

「さらばだ、古き友よ」

 

 イメージせよ。常に【渡り鳥】ちゃんは我らの胸の内で祝福を与えてくれているのだ! タルカスは着地と同時に迫るゴボウ二刀流を両手の掌で受け止める。凄まじい圧力が伴ったゴボウであるが、タルカスより溢れるYARCAの圧力には及ばず、屈し、砕け散る。

 まだ勝負は終わっていない。そう言うかのように離れたエドガーであるが、既に勝敗は決したのだとタルカスは首を横に振る。

 

「この、エドガー、は……」

 

「かつての友よ、貴様は強かった。私1人では及ばなかっただろう。だが、私にはYARCA旅団100人の魂とこれから続くだろう同じ道を歩む未来のYARCAたちという仲間がいたのだ。我らの天秤を傾けたのは、その有無なのだよ」

 

 いつの間にか自分の尻に突き刺さる大根を信じられないような目で見つめたエドガーは、今この瞬間は勝負を預けるという不屈の信仰心を示すように膝をつき、顔面から倒れ伏した。

 素晴らしきマッスルマンだ。【渡り鳥】ちゃんと出会う前ならば、きっと同じ理想を語り合えただろう。タルカスは名残惜しそうに大根を聖剣の如くエドガーから引き抜き、唖然とする女子2人へと、その逞しき大根を下腹部に構えて向ける。

 女子と言えども容赦はしない。YARCA旅団の勝利の為に。何よりも【渡り鳥】ちゃんの眼帯を得てプルプルする為に。

 

 

▽   ▽   ▽

 

 

(何これ何これ何これ何これ何これ何これ何これ何これ何これ何これ何これ何これ何これ何これ何これ何これ何これ何これ何これ何これ何これ何これ何これ何これ何これ何これ何これ何これ何これ何これ何これ何これ何これ何これ何これ何これ何これ何これ何これ何これ何これ何これ何これ何これ何これ何これ何これ何これ何これ何これ何これ何これ何これ何これ何これ何これ何これ何これ何これ何これ何これ何これ何これ何これ何これ、何これぇ!?)

 

 バーサーカーモードから一瞬にして正常稼働に戻ったユウキは、全身から虹色の奔流を解き放つHENTAIを前に膝を笑わせる。

 動けない。まるで血がドロドロの鉛に入れ替えられたかのように体が重い。それはYARCA旅団の旅団長として覚醒を果たしたタルカスより垂れ流されるプレッシャーがユウキの精神を汚染しているからだ。

 

「あー、面倒くさいわー。このあたしが肉壁なんて本当にらしくないわー」

 

 ブーメランパンツ1枚のHENTAIが1歩近づくたびに魂が押しつぶされそうだったユウキの前に立ちはだかったのは、もはや彼女を倒すのは時間の問題と思われた絶対的勝者であるエイミーだった。白魔女もまたYARCAの波動によって精神を摩耗していたが、ユウキとは違って少なからずの同系統への心得があるからだろう。幾分かの抗体はあるようだった。

 

「逃げなさい。これを持って遠くに逃げて。あたしが時間を稼ぐ」

 

 メジャーを女王様の鞭のように構えたエイミーは、もはや捨て石になる事も厭わない決死の覚悟を見せながら、ユウキに借り物用紙を押し付ける。

 

「でも、ボク――」

 

「ぐだぐだ言ってるんじゃないわよ! アンタみたいな俎板に託すのは癪だけど、あのHENTAIにだけには【渡り鳥】ちゃんの眼帯を渡さないわ!」

 

 たとえ富める者と貧しき者でも同じ女子である事に変わらず、タルカスは共通の異質のHENTAIである。ましてや、今のタルカスを前にしてはランク1とランク9のツートップを以ってしても時間稼ぎが関の山だろう。ならば、エイミーが我が身を犠牲にしても得られるのはせいぜいが数秒。

 こんな無様に逃げるしかないなんて! ユウキは涙を拭い、エイミーに背中を任せて借り物用紙を握りしめて駆け出す。

 

「フッ。世話を焼かせるんじゃないわよ。まったく……あたしにも、あんな俎板の時期があったっけ?」

 

 懐かしむようにエイミーは拳を握り、両腕を広げて合掌の乾いた音を響かせるタルカスとの対峙する。

 

「イメージせよ!『巫女服姿の【渡り鳥】ちゃん』!」

 

 それは奇しくもドラゴンライダーガールが用いた言霊と同系統であり、更なる発展形。

 

 

 

『おねーさんは大凶が出るまでおみくじ引いちゃうHENTAIさんですか?』

 

 

 おみくじ箱を持って小首を傾げる【渡り鳥】の姿が精巧なイメージとなって脳へとダイレクトアタックされる!

 ショックイメージが流れ込んだエイミーは赤い袴でくるりと回って振り返る【渡り鳥】を妄想してしまい、ブハッっと鼻と耳と口から赤黒い光……昂るエナジーブラッドを散らせる。だが、エイミーとて伊達にユウキと渡り合った猛者ではない。口元を拭ってユウキを庇うようにファイティングポーズを取り続ける。

 

「なるほど。女子の割にはなかなかに出来るようだな。貴様ならばYARCAの頂……YARCA旅団4傑衆の5人目に迎えられただろう。惜しいものだ」

 

「このぉおおおおお!」

 

「無駄だ」

 

 メジャーを振るうエイミーであるが、タルカスは自ら背中を向けてブルルンと震えた尻で打撃を受け止める。弾き返されたメジャーがエイミーの額に命中する。完全なるリバースカウンターだ。もはやエイミーの攻撃は通じるどころか自傷にしかなり得ない。

 

「YARCA流は攻守一体。貴様の攻撃は通じん。あらゆる攻撃を【渡り鳥】ちゃんからのご褒美と変換できる我らには、いかなる攻撃もダメージどころか回復にしかなり得んのだ!」

 

 ここまでか。距離を詰められる度にYARCAの圧力によって体を押し潰され、膝をついたエイミーは自分のようなゴミ女が10秒以上も稼げたならば上出来だと自嘲する。

 だが、背後から土煙を上げて踏み止まるような気配に、どうして、と恐る恐る振り返る。

 そこにいたのは、逃げたはずの見習いメイド。右手に叩き棒を、左手に借り物用紙を握り、震える肩にタルカスへの怯えを滲ませながら、それでも逃亡を良しとしない気高き眼を据えていた。

 

「馬鹿! どうして逃げなかったのよ!?」

 

「ボクが逃げても解決しない。ううん、逃げてる限り、勝つなんて絶対に無理なんだ。言ったでしょう? ボクが……『守る』」

 

 ああ、そういう事か。エイミーは見習いメイドを甘く見ていたと苦笑する。自分の時間稼ぎは無駄ではなかったのだと……彼女の決意を固める大事な時間を得る犠牲になれたのだと安心する。

 

「イメージせよ。『お風呂上がりのホカホカ浴衣姿の【渡り鳥】ちゃん』!」

 

 濁流となったイメージがエイミーに至福と絶望を同時に味合わせ、その意識を穴という穴から噴き出した赤き血潮によって刈り取られる。

 もはやエイミーはタイムアップまで目覚めることは無いだろう。地面に倒れたエイミーの亡骸を跳び越えて、ユウキはタルカスへと叩き棒を振るう!

 

「フハハハハ! 無駄! 無意味! 無価値! いかなる攻撃もYARCA旅団には『ご褒美』と変換される! 貴様の攻撃など通じん! イメージせよ!『エプロン姿で自宅でお迎えしてくれる【渡り鳥】ちゃん』!」

 

 右手を突き出してショックイメージを流し込むタルカスの攻撃! 汚染するYARCAの波動を通したイメージ攻撃はユウキに幻とも言えない程に精密な1つのイメージを……自宅に帰ったらエプロン姿になったクゥリがお迎えする姿が網膜に上映される!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「効かないよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 だが、通じず!

 普通ならば、たとえKENZENなる精神の持ち主だとしても、YARCAの汚染によってイメージが蹂躙し、精神は昂るエナジーによって自壊していただろう。だが、ユウキには通じない。

 何故ならば、彼女はオープンストーカー。この世で唯一と言っても良い程の、クゥリを『男』として愛している女の子だからだ。

 

(分かってるよ! 絶対にボクに振り向いてくれない! たゆんたゆんの女の子がクーの好みなんだもん! それでも……ボクはクーが好き! 大好き! その心は変わらない!)

 

 疾走する叩き棒の連打にタルカスは動じないが、ショックイメージの効果が無い事に僅かにたじろいだ。その精神の亀裂をユウキは見逃さない。

 イメージにはイメージを。ユウキは叩き棒に、自分が知っているクゥリの姿を……あんな妄想の産物ではない、本当のクゥリを重ねる。

 

 

『むにゃ……おひゃよう、ユウキ』

 

 

 寝ぼけ眼で、ボーっとしている寝起きの、ちょっと噛んじゃったクー! ユウキしか知らないベストチョイス!

 ユウキの渾身の一閃は、これまでと違い、不動のYARCAだったタルカスのYARCA防御膜を突破し、ブレイクチャンスを作り出す!

 

「ぐほぉ!?」

 

「まだまだぁ!」

 

 徐々にであるが、ユウキがイメージで強化した叩き棒によるダメージがタルカスに蓄積していく。いかなる攻撃も『ご褒美』にしてしまうYARCA流であるが、それ故にユウキのクーを想う気持ちは決して『ご褒美』にはならない! 変換できず、また回避しないが故にタルカスは追い詰められていく!

 

「貴様ぁああああああ!」

 

 それはタルカスの油断。YARCAの意思の集合体となったが故に、多くのYARCA旅団の妄想によってタルカス自身も汚染されてしまっていたのだ。それを純水のように異物無きユウキの研ぎ澄まされた愛が腐肉を切断していく!

 イメージ攻撃が通じないと分かったタルカスは大根によるYARCA流の攻撃に移るが、ここでも弱点が露となる! YARCA流とは男と男が尻を貸し合うユートピアを目指していた旧YARCA旅団に源流を持つ。故に対女子を想定していないのだ!

 エドガーとエイミーの犠牲は無駄ではなかった! ユウキは彼らとの戦いからYARCA流の弱点を見抜いていたのだ!

 

「貴様は……貴様は何者なんだぁあああああああ!?」

 

 もはや満身創痍。YARCAの魂が亀裂が入った器より溢れだし、強力過ぎるYARCAパワーを制御できなくなったタルカスの叫びに、ユウキは叩き棒を一文字に振るい抜く。

 交差の果ての残心。叩き棒の一閃がタルカスをYARCA防御膜を完全に打ち破り、その身から収束されていたYARCAパワーが暴発する。

 

「あくまでメイドです。見習いだけどね」

 

 ボク『達』の勝ちだよ、エイミー。ユウキは散った敵であり、同時に背中を押してくれた友でもあったエイミーに感謝の念を捧げる。

 

 

 

 だが、YARCAは不滅なり。撃破されたかのように思われたタルカスであるが、背後からユウキへとその両手を伸ばす!

 

 

 

 撃破したのはYARCA旅団長であり、タルカス個人であらず! ユウキが気づいた頃には、もはや無意識で勝利を求めるタルカスの手が迫っていた。

 ユウキは反応が遅れ、タルカスも半ば倒れるような前進だった。故に、その『接触』は事故であり、悲劇だった。

 ぽゆん。タルカスの右手は振り返ったユウキの胸部を……その微かな膨らみを掴んだのだ。だが、それは『ある』と言えば『ある』だろう。だが、『ない』と思う者からすれば『無い』だろう。

 そして、タルカスは真性のHENTAIであり、また巨体のムキムキマッチョマンだった。女性でも小柄な部類のユウキの胸は相対的に更に小さくなり、もはやそのゴツゴツとした手では感じることも難しかっただろう。何よりも彼は何処まで行ってもYARCAだった。

 対するユウキは恋する乙女を歩むオープンストーカー。当然ながら、男に胸を触られるなど初めての経験である。

 2人の沈黙。それを囲むように、この世紀の対決を見守っていたバトル・オブ・アリーナのスタッフたちは何かを察したように準備を始める。瞬く間に楽団が準備され、指揮者と思われる男が2人に向かって頭を下げて礼を取ると指揮棒を構える。同じく現れたのは黒いドレスを着た女であり、彼女は歌手であるのか、胸を張った息を吸った。

 そして、1人の無名の歌手の讃美歌が響く。

 

 

 

 

 Look to the sky, way up on high♪

 

 There in the night stars are now right♪

 

 Eons have passed now then at last♪

 

 Prison walls break, Old Ones awake♪

 

 They will return mankind will learn♪

 

 New kinds of fear when they are here♪

 

 They will reclaim all in their name♪

 

 Hopes turn to black when they come back♪

 

 Ignorant fools, mankind now rules♪

 

 

 

 

 それは恐怖。

 

 

 

 Where they ruled then it's theirs again♪

 

 Stars brightly burning, boiling and churning♪

 

 Bode a returning season of doom♪

 

 Scary scary scary scary solstice♪

 

 Very very very scary solstice♪

 

 Up from the sea, from underground♪

 

 Down from the sky, they're all around♪

 

 They will return mankind will learn♪

 

 New kinds of fear when they are here♪

 

 Look to the sky, way up on high♪

 

 There in the night stars are now right♪

 

 Eons have passed now then at last♪

 

 Prison walls break, Old Ones awake♪

 

 

 

 

 

 それは絶望。

 

 

 

 

 Madness will reign, terror and pain♪

 

 Woes without end where they extend♪

 

 Ignorant fools, mankind now rules♪

 

 Where they ruled then: it's theirs again♪

 

 Stars brightly burning, boiling and churning♪

 

 Bode a returning season of doom♪

 

 Scary scary scary scary solstice♪

 

 Very very very scary solstice♪

 

 Up from the sea, from underground♪

 

 Down from the sky, they're all around♪

 

 Look to the sky, way up on high♪

 

 There in the night stars now are right♪

 

 They will return♪

 

 

 

 

 

 それは悪夢。

 

 

 

 

 

 カラスは不吉の象徴であり、その異端なる白きカラスは類無き災厄の前触れである。

 通りの向こう側から、まるで散歩でもするかのように、顔を俯けて、その白き髪で表情を隠したクゥリは、パイタッチをしたまま硬直したタルカスと放心したユウキへと歩み寄る。

 歌唱を終えたスタッフたちも緊急退避する程に、YARCAの残滓すらも尽く焼き尽くされるような、同時に氷と氷を擦り合わせて研ぎ澄まされた刃のような、形容しがたい恐怖だけが世界を貪っていく。

 白きカラスは……クゥリは微笑む。そして、2メートルにも届くだろうタルカスの頬を、その冷たいバケツヘルムを優しく右手で撫でて、その口を小さく開いた。

 

「――――」

 

 何と言ったのか、ユウキの耳では……否、頭では理解できなかった。それは人知の及ばぬ殺意の歌声。タルカスはぐらりと倒れ、大の字となって痙攣する。クゥリはタルカスの右足首をつかむと引き摺り、サランラップで街灯に縛り付けた。

 その後は何が起きたのか、ユウキは憶えていない。へたり込んでいた彼女に分かる事があるとするならば、ユウキの頭からカチューシャが消え、タルカスが表現も憚れるような『アレ』な状態になっていた事である。

 

「へへへ、さすがは旦那だぁ。こっそりつけ回して正解だったぜ」

 

 タルカスの頭から兜を剥ぎ取るパッチはタイムアウトの鐘が鳴る前にコロッセオへと駆け込むべく走りだす。それをぼんやりと見送っていたユウキは、タルカス、エイミー、エドガーといった死屍累々を見回す。

 もしかして、クー……怒ってたのかな? ぽふぽふと自分の胸を数度撫でたユウキは、やっぱり『無い』よなぁ、と溜め息を吐いてタイムアップを迎えた。

 

 

 

 

『こんな奇麗で可愛い子が男とか女とかそんな次元で語ってんじゃねーよ!』……大天使クゥリエル、1回戦突破。

 

『ノーカウントだ、ノーカウント!』……パッチ、1回戦突破。

 

 

 

●   ●   ●

 

 

 2回戦進出者は以下の6名である。

・1位突破:真改

・2位突破:ラジード

・3位突破:ユージーン

・3位突破:UNKNOWN

・5位突破:大天使クゥリエル

・6位突破:パッチ

 

 2日目の準決勝に進めるのは僅か4名。当初の予定よりクリア者が少ない事を考慮した運営委員会はサバイバルバトルによる2回戦を決定する。

 2人1組によるチームバトルによる三つ巴が……始まる!




仲間たちのキズナが勝利を繋ぐ!

それと旧支配者のキャロルと検索すると幸せになれます。


それでは、231話でまた会いましょう!

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