SAO~デスゲーム/リスタート~   作:マグロ鉱脈

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深淵の魔物など強敵ばかりと巡り合う。
これもまた主人公力ですね!




Episode16-21 悪夢に溺れる

 空気が重い。仕方ないとはいえ、深淵の魔物の登場は脱出組に大きな精神的ダメージを与えたらしく、休憩に利用したスーパーマーケットから動かないまま、リーダーであるグリセルダさんの指示を待っている。

 ベヒモスはガトリングガンを構えて出入口を見張り、エドガーは遠望鏡を手に深淵の魔物を見張っている。このスーパーマーケットは正面の出入口を除けば裏口くらいしか侵入路は無く、そちらにもシュミットが2名ほど引き連れて見張りを立てているので侵入される恐れはない。

 緊張した面持ちながらも、ギンジは自分にできる事……つまり、デス・アリゲーターをより我が物にするべく、スタミナ消費を抑える範囲で変形動作やリーチの再確認を行っている。

 オレも深淵殺しや地下街の成果である『アレ』の確認を行いたいところだ。まだ実験的ではあるし、実用はまだであるので何処まで通じるかは分からないが、できれば深淵の魔物と殺り合う前に実戦で確認しておきたい。

 だが、さすがにオレがマイペースを貫けば、場の雰囲気を悪くするだろうことくらいは分かっている。なので、仕方なく話し合っているグリセルダさん、アシッドレイン、そしてオマケのグリムロック達の元に赴く事にした。

 

「やはり、ここは撤退すべきです」

 

「ここで帰っても状況は良くならないわ。深淵の魔物の巡回ルートにイレギュラー性が出たならば、捕捉できている今こそ最大のチャンスよ」

 

 どうやらアシッドレインは地下街に帰還する事を、グリセルダさんはこのまま作戦続行を意見として掲げているようだ。アシッドレインの表情からも、あくまで反対を表明するのはポーズだけであり、本音では作戦の継続を欲しているだろう事は表情で分かる。こういう時に行う意図した意見の対立というのは大人のスキルだよな。議論を活発させるから新しい考えが生まれやすい。

 

「深淵の魔物相手に時間稼ぎは通じない。それは我々が誰よりも深く痛感しているはず。頼みの綱の麻痺ガス弾もせいぜい数秒程度の足止めであるし、不意を突かねば効果は無い。奴が陣取る中区画を突破するのは至難の業です」

 

「それはここで帰っても同じことよ。いえ、むしろここで安全地帯に戻れば2度とボス攻略なんて志す事はできないわ。その先にあるのは緩やかな死。しかも、深淵の魔物の徘徊ルートに法則性が失われたなら、地下街も奴に襲撃されるリスクもあるわ」

 

「ではどうするのです? 神に祈りながら奴に見つからないように中区画を通り抜けると? もはや最短ルートは使えないとなると、策は2つ」

 

「隊を分割して生存率を上げるか、囮で奴を本隊から遠ざけるか。どちらにしても犠牲は免れないでしょうね」

 

 重々しい吐息を漏らすグリセルダさんに、無言のグリムロックは口元に手を当てて思案しているようだ。オレも口出ししようかと思ったが、こういう『上』の話し合いに猪突猛進だけが取り柄の戦闘馬鹿が変な助言しても混乱をもたらすだけだ。こういうのは頭脳派の方々にお任せしよう。グリムロックならば、きっとグッドアイディアを思いついてくれるはずだ。

 

「いっそ、ここで深淵の魔物を討伐するというのはどうだい?」

 

 前言撤回。グリセルダさんとアシッドレインの双方から心底呆れた眼差しを向けられるグリムロックの意見は、彼らからすれば選択肢として考慮する以前のものだ。

 

「貴重な意見は感謝する。だが、敢えて言おう。『後方支援が口出しするな』。深淵の魔物の恐ろしさは、ベヒモスさん達の仲間が壊滅した事を知るならば、十分に理解できるはずだが?」

 

「だからこそだよ。クゥリくんとベヒモスさんは、キミ達が心底恐れている怪物相手に『通じない』と言い切った時間稼ぎをやり通したんだ。私は戦力外だとしても、キミ達全員でかかれば――」

 

 なるほど。グリムロックの意見には耳を傾ける価値がある。このまま深淵の魔物に怯えているよりも、いっそ危険を排除しようというのは正しい。だが、グリセルダさんすらも首を静かに横に振って否定を示す。

 

「危険は排除する。かつて私たちも同じことを考えたわ。今よりもずっと戦力が充実していた頃に、罠を張り巡らせ、作戦を整え、最高の状態で深淵の魔物の討伐に乗り出した。でも、結果は見ての通りよ。どうしても2本目を削り切ることができなかった。奴は2本目になると攻撃が時間の経過とHP減少に比例して苛烈になっていく。攻撃力・スピード・防御力を際限なく引き上げていくわ」

 

 ギュッとグリセルダさんは右手で左腕を握りしめる。それは肉を潰し、骨を折りかねないほどの力であり、僅かだが自傷と見なされてHPが減るほどだった。

 

「……その戦いで、カインズも失ったわ」

 

「すまない」

 

 黄金林檎の面々が揃っている中で1人だけ不足していると思ったが、アイツは死んだのか。ぼんやりと黄金林檎の中でもヨルコと一緒になってオレを見る度に怯えていた男を思い出し、一瞬だけ黙祷を捧げる。

 さて、グリムロックも死人とはいえ、長い付き合いの仲間を殺されていながら、鬼セルダさんモードを持つグリセルダさんすらも再戦を望まない相手ともなれば、深淵の魔物がいかほどの相手かは把握したはずだ。

 これ以上は議論の発展が無いな。ならば、ここは傭兵らしく、そして戦闘くらいしか役立たないオレの出番だろう。

 

「要は深淵の魔物を誘き寄せれば良いんだな?」

 

「駄目よ。却下するわ」

 

 1秒未満でオレが何を発言するのか察したグリセルダさんが鬼セルダさんの表情を垣間見せながら、オレの言葉を遮る。だが、ここで言わねば動き出すことはできない。このまま無意味に時間を浪費するだけだ。それはギンジの目的……アニマの生存タイムリミットを奪う結果になる。

 地下街の出発時点とほぼ同時にアニマには丸薬が投与され、無事に効果を発揮した。そして、既に地下街出発から2時間が経過しようとしている。次の丸薬が不発である事を前提に動けば、残り時間は15時間。万能薬の作成時間を考えれば、更にそれに必要な素材の有無・収集も考慮すれば、ボスの撃破から地下街への帰還は常に最短を目指さねばならない。

 

「ヤツの狙いは分かっている。逃げる前に1発鼻っ面に打ち込んだからな。それを根に持ってるんだろうさ。オレが視界に映れば、他には目もくれずに追いかけてくるはずだ」

 

 そうでもなければ、徘徊ルートから逸脱するなどあり得ないだろう。狙った獲物を逃がさないのではなく、ダウンを奪われて弱点を晒す原因になったオレへの執着こそがヤツの原動力と見做して良いだろう。

 

「戦う気かい?」

 

 不安そうにグリムロックは問う。オレと付き合いが長い彼は、自分が発案した作戦をオレが1人で実行しようとしているのではないかと不安視しているのだろう。

 もちろん、それは視野に入れたし、ヤツを討ち取るのは1度でもヤツメ様の導きを超えられたオレの義務だ。本能による読み合いにも最後には上回ったが、それでも泥を付けられたまま放置はできない。

 だが、今ここで重視すべきなのは『チーム』の生存であり、ボスの撃破であり、万能薬ないし万能薬のレシピを持ち帰る事だ。万能薬が見つかればレシピによる作成のロスも無いのでベストだが、そう上手くはいかないような気がする。

 ならば必要なのは深淵の魔物を討つ事ではなく、本隊が深淵の魔物に勘付かれることなく、あるいは無視された状態でボス部屋に突入するだけの時間を稼ぐ事だ。幸いにも古いナグナのルートは彼らも嫌という程に暗記しているはずだ。ならばグリセルダさんの指揮の下でリアルタイムの修正を加えながらルート選択ができるはずだ。

 

「グリセルダさん、皆が不安がっている。そろそろ決断を頼む」

 

 オレを視界に入れてギクリと顔を強張らせたシュミットであるが、すぐに我を取り戻して彼女に現状を伝える。これ以上の士気の低下はボス戦に参加する気力すらも奪い取ってしまう。それはグリセルダさんも分かっているはずだ。

 

「できるんだな?」

 

 決断できずにいるグリセルダさんに代わり、オレに確認を取るのはアシッドレインだ。髭面の、かつてSAOでソロプレイヤーとして名が知れた男は、相変わらずの嫌悪の眼差しをオレに向けている。だが、オレは上等だとばかりに微笑んだ。

 

「アシッド!?」

 

「グリセルダさん! 我々は今日の為に準備を進めてきた! 彼が『できる』ならば、それは犠牲を抑えて目的を果たす最善の手段だ! 違うか!?」

 

 声を荒げるアシッドレインに、グリセルダさんは唇を噛んで反論を呑み込んでいるようだった。

 オレを心配してくれているのだろうか? 本当に昔から……死んでもグリセルダさんは変わってないんだな。鬼セルダさんになってもグリセルダさんはグリセルダさんだ。

 

「安心しろ。傭兵【渡り鳥】の売りは依頼達成率100パーセントだ。必ず合流するさ」

 

 それに今回は深淵殺しもある。ヤツに主導権は握らせない。それに自己強化を始めるのはHPバーが2本目に入ってからだ。第1段階ならば、回避に撤すれば時間稼ぎだけならば十分にできると踏んでいる。特に、今回はヤツの狙いが分散する恐れが無いからな。他を気にすることなくヤツと対峙できる。

 決心はできたのだろう。グリセルダさんはオレの右隣を無言で通り過ぎていく。だが、その足音はオレから数歩分のところで止まる。

 

「あなたには山ほど説教があるわ。楽しみに待っていなさい」

 

 鬼セルダさんモードでそんな事を言われたら、尚更に死ぬわけにはいかないな。必ず時間稼ぎと合流を果たさねばならないではないか。

 その後、グリセルダさんは皆に作戦の内容を伝えた。彼らは反論1つもせず、むしろオレが囮役を引き受けたことに安堵すらしているようだった。それは自分が犠牲にならないで済むというものばかりではない事は、彼らの吐息に混じった感情の片鱗から自然と分かる。

 

「ボス部屋の前で1時間だけ待つわ。必ず合流しなさい」

 

「30分だ。グリムロックが全員に最低限の整備をするのと士気高揚にそれくらいは必要だろう? それ以上は時間の無駄だ」

 

 グリセルダさんの意見を修正し、オレは彼女に睨まれるも、それもまた心地良い。

 

「これを渡しておく。皆には秘密だぞ」

 

 別れ際にベヒモスはオレにナグナの良薬を握らせた。コイツ、ずっと隠し持っていやがったな。ここぞという時まで温存していたのか、それともお守り代わりだったのか、あるいはアイテムストレージに埋もれて忘れていたのか。……個人的には3番目だけは信じたくないな。

 だが、感染攻撃を持つ深淵の魔物を相手取るならば、ここぞという時の切り札になるだろう。ありがたく受け取っておくか。というか、素材的には所有権の半分はオレにあるよな。

 エドガーは何も言わずに『にっこり』笑って軽く会釈して、ギンジは何か言いたげな表情をしていたが出発した皆に続いて行った。

 

「また会おう」

 

「オレの予想では2時間後には合流してるさ」

 

 別れ際にグリムロックは貴重な修理の光粉を渡そうとしたが、オレはそれを拒否する。ナグナでは瞬時に武器の耐久度を回復させるアイテムは得られない。ならば、これはもしもオレの到着が遅れた時に、ボス戦に挑む彼らを援護する優良アイテムとなる。それを受け取るわけにはいかない。

 スーパーマーケットに1人残されたオレは、マップデータを展開してルートの再確認を行う。マップにはグリセルダさんが当初予定したルートが青のラインで引かれているのだが、それは見事に深淵の魔物が陣取るビルの周囲を通る。そうなると、多少の遠回りはやむを得ないだろう。

 

『私達は地下通路ルートを通るわ。感染攻撃が強力なモンスターが出現するけど、深淵の魔物に1番追跡され難いルートのはずよ。ヤツの巨体で先回りされるポイントは全部で5カ所。それらを全てを通過するまでには全力突破でも戦闘時間を考慮すれば30分は要る。【渡り鳥】にはその30分の時間稼ぎをしてもらうわ』

 

 グリセルダさんが皆にした作戦の説明を思い出し、オレはそろそろ出発するかと移動を開始する。作戦決行はグリセルダさんが地下通路ルートの入口に到着を予定する30分後だ。オレはそれまでに中区画に侵入して深淵の魔物に発見されるだけで良い。

 これこそが適材適所だ。役割分担だ。チームワークというものだ。≪気配遮断≫を発動させ、オレは中区画に侵入できる幾つかの手段の1つである、遊園地のゲートを思わす設備に到着する。警備員のようなゾンビが唸りながら強化ガラスの向こうで揺れているが、オレに襲い掛かる様子は無い。元々は起動にギミック解除が必要なショートカットらしいが、すでにグリセルダさん達が長きに亘る探索の間に解除済みだ。

 

「……依頼達成率100パーセントか。嘘を吐いちまったな」

 

 サチだって守れなかった。傭兵として、サチに降り注ぐ火の粉は払い除けると誓ったのに、彼女を殺したのは他でもないオレ自身だ。

 他にも成し遂げられなかった依頼は幾つかある。だが、それを思い浮かべる事も無い内に、オレは中区画を満たす殺気が首筋に悪寒となって伝わるのを感じ取る。

 外区画はいかにも都市の娯楽施設や生活施設が集中していたが、中区画はより学術研究に特化しているらしい。がらりと雰囲気は変化し、無機質なビルが立ち並んでいる。舗装されてはいるが、街路樹のような景観重視のものはなく、代わりのようにいかなる意味を成すのかも分からない、電柱を想像させるポールが立ち並んでいる。

 3車線の道路の中心に立ち、オレは周囲にモンスターの気配があまりにもないことに違和感を……いや、必然性を感じ取る。ヤツが全て始末したのだ。あるいはダンジョンロジックが深淵の魔物というイレギュラーによって狂ってしまったのか。どちらでも構わないが、1対1で集中できるならば都合が良い。

 

 

 

「…………アあ、ナにモ……み、エな、イ………シ、フ…………ど、コ……ダ? イ、ま…………タ、スけに…………」

 

 

 

 いきなり襲い掛かって来るかと思えば、深淵の魔物は酷くゆっくりとビルの壁を伝って道路に降り立つ。黒い泥が混じった涎をボタボタと口内から零し、異形の多腕の左腕を震わせ、右腕と一体化した大剣を引きずる。

 どうしてだろう? こんなにも……こんなにも本能は待ちわびていたと歓喜しているのに。

 どうしてだろう? この胸にはヤツメ様の導きを1度は超えて来たコイツに雪辱を果たさねばならないという血の脈動があるのに。

 どうしてだろう? どうしてだろう? どうしてだろう?

 こんなにも醜い獣であるというのに、深淵の魔物が……その黒き泥に浸された口から洩れる声音に、誇り高い意志を、魂を、誓いを、祈りを感じずにはいられない。

 

「……『痛い』のか?」

 

 ああ、糞が。オレは馬鹿だ。声をかける暇があるならば、深淵殺しを突き立ててやれば良い。隙だらけで言葉を紡ぐヤツに手痛い一撃を浴びせてやれば良い。

 だが、オレの足は動かない。痛覚によって擬似的な感覚を取り戻した左手で深淵殺しを抜くも、深淵の魔物を見据える事を選んでしまっている。

 いつの間にだろう。オレの髪を結うはずのゴムは、オレ自身の指で外れていた。右手の人差し指からゴムが零れ落ち、ビル風のような強い風が、オレの髪と深淵の魔物の鬣を揺らす。

 

「シ、んえ……ン……かくダ……い…………く、イト……め………あん、ズ……るな…………オーん……スタ、いン……か、ならズ……ウーラ、シー、ル……すクっ……テ」

 

 それは夢の語りなのだろうか。深淵の魔物の異形の左目に、ケダモノ以外の何かを見た気がした。

 コイツもシャルルと同じなのだろうか。

 救われるべき『命』なのだろうか? 終わらせるしかない、摘み取るしかない、刈りとるしかない、悲劇と呪いに染まった『命』なのだろうか。

 

「もう喋らなくて良い。オマエの意思は……分かった」

 

 そうだったのか。

 オマエは『期待』したんだな?

 狂える自分自身を……ケダモノに身を落として殺戮を成すしかない自分を、誰かに殺してほしくて、オレを探していたんだな?

 

「オレは英雄じゃない。オマエは英雄譚に謳われる恐ろしき怪物ではなく、名も無き獣として狩られる。それでも、オマエの誇りが救われるならば……」

 

 深淵の魔物が異形の左腕を『伸ばした』。それは攻撃の予備動作であり、同時に意思表示だ。

 

「分かったよ」

 

 救いはそれを求める人の心の中にいつもある。

 

「その『痛み』を止めてやる。オマエを蝕む『毒』を削って、削って削って削って、抜き取ってやる」

 

 救われるべき者は手を伸ばさねば救われない。

 

「愛してあげる。殺してあげる。食べてあげる」

 

 オマエを……あなたを糧としよう。その『痛み』の全てを受け止めてあげよう。

 聞いてあげる。ケダモノの咆哮の中にある、あなたの苦しみを知ろう。

 踊ってあげる。戦いの中でしか得られない、悲劇を忘れさせる忘却の戦を成そう。

 満たしてあげる。語り疲れ、踊り疲れ、微睡みを知ったあなたを安息の眠りで浸そう。

 

「踊りましょう。心行くまでに……あなたの心が救われるまで踊りましょう」

 

 深淵の魔物の異形の左手を握る様に右手を差し出す。それは決して届かずも、視界の内で確かに重なる。

 動く。再び深淵の魔物の左目がケダモノによって支配される。そこに『彼』の意思は無い。あるのは、ただひたすらに暴れ回る望まぬ暴虐の叫びだ。

 放たれる異形の3本腕による連撃を潜り抜け、右手で抜いたスパークブレードで浅くだが、左腕の1本の表面を裂く。斬撃属性は第1段階ならば、硬い肉に引っ掛からないように表面だけを裂くならば有効だ。

 多連撃の中で迫る右腕による回転斬りを開脚して姿勢を屈めて頭上を通り過ごさせ、続く縦回転斬りをサイドステップで回り込みながら躱し続ける。

 

「なんて『素敵』な夜だろうね」

 

 ふわり、ふわり、ふわり。

 視界の中で白い髪が浮かぶ。オレの髪なのだろうか? それともヤツメ様の? どちらでも構わない。導きも全てオレの中にある。重なり合っている。

 右腕の突進突きに対して、正面から深淵殺しによる斬り上げで応じる。数センチ右を通り過ぎ、死の斬撃が突風を巻き起こし、同時に襲う巨体による体当たりが触れるより先に深淵殺しが兜に似た金属物によって覆われた頭部、その弱点である金属物に覆われていない下顎に喰らいつく。

 チェーンモード起動。STR出力最大。制御はヤツメ様に任せ、オレは左腕から走る痛覚がもたらす肉を引き千切っていく感触を咀嚼しながら、縦に抉られた頭部から吹き出す黒い泥が混じった赤黒い光を浴びながら、感染攻撃が発生するより前に深淵の背中を駆けて背後に着地し、振り返りながらも左腕の多連攻撃に対して右手のスパークブレードを鞘に戻し、抜いたマシンガンによって応じる。

 ダメージは悪くない。装弾数は少ないが、ギンジが使う矢と同じ素材から作られたマシンガン用【黒色強化カーボン弾】は深淵の魔物にも有効だ。だが、やはり効果的かと言えば違う。あくまで牽制にしかならないが、それでも集中させれば表面を削り取れる。

 狙うのは胸の下、心臓が高鳴るだろう胸部。そこに、連撃を潜り抜けながらマシンガンを集中させていく。

 

「弾切れか」

 

 オートリロード分も含めて数分間の攻防であっさりと弾切れを起こす。≪銃器≫が十分に成長しきっていないオレでは、高ランクの弾薬は多量に持ち込めず、またオートリロード枠も少ないのも大きな痛手になっている。

 だが、十分に表面は爆ぜさせた。アバターの修復速度は素晴らしいが、それでもマシンガンを集中させ続けた効果は確かにあった。

 弾切れを好機と見て、深淵の魔物が飛びかかる。左腕の多連撃と見せかけての右手の大剣による叩き付け。ヤツメ様の糸が既に深淵の魔物に絡みついている。導きはオレにステップのような1歩を踏ませ、浅い呼吸の間にくるりと反転ターンをして背中から飛びかかった深淵の魔物の懐に入り込む。大剣がコンクリートと接触して爆ぜさせた。だが、飛び散る瓦礫の中で左腕の深淵殺しを魔物の胸に突き立て、そのままチェーンモードを起動して醜く傷口を広げる。

 

「抉り取れ」

 

 退避されるより先に左腕を振り抜いて深淵殺しを傷口から外す。その刹那の間に『発動』を思い描く。

 イメージはできていた。前々から考えていた事だ。このDBOにおいて、茅場の後継者が『こういうやり方』を思いついていたのか知らないが、アバターの内部への攻撃は極めて有効だ。それはクリティカル部位からも分かるように、アバターを崩壊させかねないダメージ伝導には自動的な補正がかかるシステムが働いているのかもしれない。

 ヤツメ様が指差す深淵の魔物の『心臓』。その高鳴る鼓動の部位。クリティカル部位にして、生物の根幹を血を巡らせる命の象徴。

 

 

 

 

 対『生物』想定OSS【爪痕撃】。

 

 

 

 踊れ。

 踊れ踊れ。

 踊れ踊れ踊れ。

 神楽を舞った先にあるのは、供物喰らいの儀式。深殿の奥地にて、『わたしたち』は供物に満たされる。

 足りぬ足りぬ足りぬ。まるで満ち足りぬならば、この渇きを、飢えを、満たす為の獲物を狩りにいこう。

 

「愛称『モツ抜き』」

 

 というよりも、こちらを正式名称として登録しようとしたらOSSシステムに『本当によろしいのですか?』とダメ出しを喰らったので、仕方なくそれらしい名前を付けて再登録したのが【爪痕撃】だ。

 右手が深淵殺しによって開かれた傷口に潜り込み、硬い肉の亀裂を掻き分け、確かな鼓動の部位に到達した段階でOSSが発動し【八ツ目神楽】よりも濃い……真紅ではなく深紅のライトエフェクトを纏いながら、深淵の魔物の肉をつかんだ右手をシステムアシストに則って抜き取る。盛大に噴き出した泥と赤黒い光が返り血のようにオレを汚していき、感染率を引き上げる。

 深淵の魔物がオレから距離を取り、胸から出血するように赤黒い光と泥を溢れさせて咆えた。それをオレはペロリと右手に纏わりつく血のような赤黒い光を舐めながら見つめる。感染率が少しだけ上がって失敗だ。だが、血濡れたような右手は熱く、深淵の魔物の『命』に触れた感覚を伝えて、ヤツメ様が歓喜する。

 このOSSは相手に傷口を作り上げた状態でなければ効果を発揮しない。その内部に手を潜り込ませて、『肉をつかんで引き千切る』という動作をOSSで生み出す。まさかのOSSシステム側に『この動作は攻撃に有効ではありませんが、登録しますか?』という心配までされた、表面的には『失敗作』と言うしかないOSSだ。だが、STR出力とDEX出力を最大限に引き上げて登録した簡潔な動作は実用性の無さとは反対に単発系格闘型OSSにしては悪くない部類だ。

 ただひたすらに早く抉り取る。システムアシストに自身の動きを重ねて、より洗練された、『技』としての内部攻撃に昇華させた。発動が腰の回転と腕の動きであり、相手の内部に手を突っ込んだ状態で無ければ意味が無いが、それでも相手の意識外にある攻撃手段……『暗殺技』としては十分過ぎる。

 

「ダメージは……まぁまぁか」

 

 より防御効果が薄い内部に攻撃できるのも1つの利点だが、やはりボス級にはあまり効果は無かったか。HPバーの『1割』程度しか一撃で奪えなかった。あれだけ仕込みをしてこれとは、やはりボス相手には余程の事が無い限りは使えないか。あるいは肉が硬かった深淵の魔物には効果を出し辛かったのだろうか?

 だが、この攻撃の最大の利点はダメージフィードバッグによる疑似的な麻痺状態だ。事実として深淵の魔物は心臓部位を抉られ、のた打ち回り、悲鳴にも似た咆哮、あるいは咆哮のような悲鳴を撒き散らしている。

 これがプレイヤーならば、たとえダメージに耐えきっても、自分の内側の1部がごっそりと奪われた感覚によって戦意を継続できないだろう。まぁ、『その程度』には興味も無いけどな。

 

「駄目だよ。まだ『膿』は出し切っていないんだ」

 

 微笑んで、オレは右手にこびり付いた深淵の魔物の赤黒い肉をぼとぼとと指から零れ落ちていく様を見せながら、歩み寄る。

 

「大丈夫だよ。怖くないよ」

 

 もっと削らないと。

 もっともっと、あの汚らしい、『彼』を蝕むものを……『毒』を削り取らないと。左手の深淵殺しは少し発動させ過ぎた。スタミナが早くも危険域だが、ダメージ効率が良かったせいか、深淵の魔物のHPバーは間もなく1本目を終える。

 ふと、オレは思う。このまま『彼』を殺して良いのだろうか。

 救いたい。その為には殺す。殺すしかない。分かっている。頭ではなく、『オレ』の心が分かっているんだ。でも、それが全てではないはずだ。

 歪む。彼を殺さねばならない。でも、それは『殺したい』からなのではないだろうか。敵ならば殺すし、深淵の魔物は殺すしかないし、だけど『彼』は苦しんでいるから殺さねばならないのは……あれ?

 

「死は……果たして救いなのか?」

 

 疑問は芽吹き、疑念となり、1つの曖昧な霧中の選択肢となる。

 このまま深淵の魔物を殺しても良いのか? 泥に濡れた深淵殺しをぼんやりと眺めながら、オレは悲鳴にも似た咆哮を上げる深淵の魔物に1歩近づく。

 こんな時に『アイツ』なら……迷わず『生かして救う』道を選ぶのだろう。だけど、オレは……

 

 

 

 

 

「何をやっているんだ!?」

 

 

 

 

 

 

 

 突如として黒い矢が深淵の魔物の左目を貫き、攻撃の予備動作をしていた深淵の魔物が足を止めていたオレに飛びかかるタイミングを逸する。

 誰だ? いや、この声はあの馬鹿野郎か。苦笑しながらも、オレは絶妙なタイミングの援護を無駄にしないべく、深淵殺しを放棄して身軽になると、深淵の魔物が入り込めそうにない回転ドアのビルの内部に跳び込む。すぐに深淵の魔物は左目に矢が突き刺さったままオレを追おうとするが、続く2射目がまたしても左目に刺さって、乱入者に意識を移さずにはいられなくなるも、その時にはすでに白い霧を思わす煙幕が張られた後だった。

 深淵の魔物は本能で邪魔者の位置を察知するだろう。させるものか。オレはプラズマ手榴弾を取り出し、力の限りに投げる。それは飛びかかる動作をしていた深淵の魔物の顔面で爆発し、乱入者がオレと同じビルに入り込むまでの1秒を稼ぐ。

 

「走れ、この馬鹿が!」

 

「馬鹿はお互い様だろう!?」

 

 深淵の魔物は当然のように回転ドアを突き破り、オレ達を追って来るも、ツルツルの床が映える受付エントランスにて、オレはターンをしながらスパークブレードを抜いて深淵の魔物に跳び込む。左腕の多連撃は潜り抜け、攻撃は仕掛けずに、オレを救った乱入者が深淵の魔物が入るスペースも無い地下への階段を駆けるのを見届けると、自分ごと吹き飛ばすべく足下にプラズマ手榴弾を投げ、その爆風とラビットダッシュを併用して地下への階段までスライディング気味に向かう。

 あわや深淵の魔物の突進斬りが無様に背中をさらすオレを薙ぐ刹那の前に、階段の方から伸びた手がオレの腕をつかんで引っ張り込む。そのままオレを受け止めた馬鹿野郎は階段を転げ落ちていき、深淵の魔物の恨めしい様な叫びが響き渡る。だが、オレ達を追いきれないと察したのか、深淵の魔物は遠ざかっていき、やがて消えた。

 階段の踊り場で仰向けになり、オレは馬鹿野郎の顔面に裏拳をぶち込む。悶絶して鼻を押さえるも、やがてダメージフィードバッグが落ち着いたらしい馬鹿野郎は、自分を称賛するように小さく笑い声を漏らした。

 

「……蛮勇だな」

 

「だけど助かっただろ?」

 

「それは認めてやる」

 

 再装備することで深淵殺しを戻し、破損していない事に微かに安堵する。深淵の魔物ならば捨てた武器を踏み砕くくらいの真似をしてくるかと思ったが、さすがに過ぎた心配……杞憂だったか。

 それで、オレを助けに来た馬鹿野郎ことギンジくんはと言えば、仮想世界のくせに腰を抜かしたらしく、立ち上がれないまま大の字になっている。オレは彼に手を伸ばそうかと考えるも、しばらくは休ませてやるかと階段に腰かけて見守る事にした。

 正直に言えば、深淵の魔物をこのまま見逃すべきではない。深淵の魔物は今も悲劇と呪いに染まり、苦しみを叫び続けている。伸ばされた手を見た以上、オレに放っておくという選択肢は無い。

 だが、考える時間も必要にはなったのも事実だ。『殺して救う』か『生かして救う』か。常に前者を選び続けたオレが一瞬だけ空を過ぎ去る流れ星のように脳裏に過ぎ去ったのは後者の選択肢だ。

 狂えるクラディールを殺すしかなかった。それが彼の誇りを救う方法だった。その善意に殉じる意志を遂げさせる方法だった。だが、それでも……好意に潜む殺意を自覚したからこそ、あれは彼を救うための選択だったのか分からなくなった。

 殺したかったら殺した。ずっとクラディールの死を思い浮かべる度にその欠片は脳に滲んでいた。後悔はなくとも、真実を知らねばならない。オレ自身が本当はあの時にどうしてクラディールを殺す事を選んだのか、もう1度見つめ直さないといけない。

 

「派遣したのはグリセルダさん……じゃねーな。誰だ?」

 

 時間は十分に稼げたとは言い難いが、ヤツはもうグリセルダさん達を追いかける事は絶望的だろうし、本格的に狙いがオレだと分かった以上はより安全が確かなものになったとも言えるだろう。

 ギンジをここに派遣したヤツは、オレが時間稼ぎできないと踏んだヤツだろう。エドガーやベヒモスじゃないだろうし、グリセルダさんもギンジ1人を派遣するとは思えない。そうなるとアシッドレインか? サポート要員のグリムロックを除けばボス戦で1番戦力になりそうにないギンジを唆したのか?

 

「勝手に飛び出した」

 

「死ね」

 

 あれこれ裏に何かあるのではないかと考えた自分が心底アホらしい。どうやらギンジくんは最大級のお馬鹿だったようだ。

 

「死にそうだよ。あんなバケモノ相手は2度とごめんだ。だけど、『仲間』の為に戦う。それはアンタが言ったことだろ?」

 

「言ったさ。だがな、オマエがしたのは無謀とか蛮勇とか通り越した自殺行為だ。オマエの最上級の目的はアニマを救う事だろうが! 惚れた女の元に生きて帰ることだろうが! 大体な、オレはこういう事態に慣れてるんだよ! オレは――」

 

 オレは独りで戦える。そう言って突き離そうとしたのに、唇は震えるばかりで、舌は言葉を並べない。

 ああ、そうさ。そうだよ。そうに決まってるだろ! ガシガシと頭を掻いて、オレは罵倒の言葉を並べたいのに思いつかないから、仕方なく降参する。

 

「……だけど……まぁ……感謝はするさ」

 

 この大馬鹿野郎は、囮になったオレが『捨て駒』にされたと思って、勝手に悩んで、『仲間』だから助けるっていう理屈だけで突っ走って来たってわけか。というか、そんな結論に至る程に人物評価が最悪過ぎる自分にいい加減に嫌気が差しそうだ。

 

「それよりも、ぼんやりと立ち止またりして、死にたがりはどっち何だか」

 

 上半身だけを起こし、アイテムストレージから水筒を2つ取り出したギンジはオレに片方を投げ渡す。自分の水は持っているのだが、ありがたく受け取ったオレは中身を口にして思わずむせる。

 

「な、何だこれ!?」

 

「『コーラ』だよ。テツヤンの店で試作されているのを詰めたんだけど、味はまだまだ本物には及ばないけどさ」

 

 水筒の中身がシュワシュワの炭酸とは思わっていなかったオレは咳き込んで、悪戯に成功したような顔をしているギンジを睨む。

 しかし、いよいよコーラまで作られるようになるとはなぁ。プレイヤーの……というよりも人の食への探究心というのは恐ろしい物だ。デスゲーム開始直後などは珈琲1杯を求める為に並々ならぬ努力をディアベルは積んでいたのだが、あの日々は決して無駄ではなかったわけだ。

 そうさ。ディアベルは生きている。人並みに……いや、オレよりもずっと真っ当な『人』の心を持ち、『命』の限りに生き抜こうとしている。なのに、死人である彼には現実世界の未来は無いかもしれないと思うと、どうにもやるせない。

 ……そうか。オレが『生かして救う』なんて求めているのは、生者として暮らす死者たちの事を考えずにはいられないからだ。

 

「オレだって迷うさ。殺したヤツらの名誉の為に言うが、殺した事に後悔はしない。それは今まで奪った命への冒涜だ。だがな、殺すまでくらいは……悩む時だってある」

 

「モンスター相手にも? あり得ないだろ」

 

 ギンジの意見は正しい。この世界でモンスターは何処まで立ちはだかる壁に過ぎない。だがな、オレに言わせれば、シャドウ・イーターやシャルル、深淵の魔物の方がそこら辺の人間よりもずっと、余程に強く、気高く、誇らしいまでに『命』を燃やして生きているように思える。

 そこに『命』があるならば、人も獣もバケモノも神も関係ない。あるべきは命の摂理だけだ。

 

「……殺したくない。そんな風に願う事もある。オレだってな……殺したくなかった人がいたんだ。だけどな、救いたくても、オレには……」

 

 こうした願いすらも欲求を誤魔化す欺瞞だったのだろう。サチを殺した時に、オレは彼女の安息を願い、同時に命を奪う悦楽に興じ、彼女の『アイツ』への真摯な祈りに好意を持っていたからこそ殺す事で満たされた。

 本当に……嫌になる。膝を抱えて、ずっと自分の内側にある黒い部分を覗き込んで落ちていきたくなる。だけど、そこに惹かれるままに身を落とせば、オレは『オレ』ではなくなる。

 

「オレは『弱い』んだ。いつだって、殺すしか、なかった。心を救うとか、誇りを守るとか、どれだけ飾ろうとも、オレがやっているのは……結局は殺しだ」

 

 少し、しんみりしたな。オレは気分も一新してグリセルダさんを追うようにギンジを立ち上がらせようと考えるも、それよりも先に彼は立ち上がり、何故か不機嫌そうに鼻を鳴らした。

 ギンジの手が伸びてオレの胸倉をつかみ、逆に階段に腰かけるオレを無理矢理立ち上がらせる。普段のオレならば、そんな事されるまでもなく躱すのだろうが、何故かギンジの油を猛々しいまでに燃やす眼を前にして動けなかった。

 

 

 

「ふざけるなよ。少なくとも、俺はアンタに救われたさ」

 

 

 

 ギンジが、悔しそうに、歯を食いしばりながら、呟く。

 

「自分が弱くて、情けなくて、現状を嘆くことしかできない俺を奮い立たせてくれたのはアンタだ。何百人殺しても気にしない殺人鬼呼ばわりされて、血も涙もない怪物扱いされて、憎まれて蔑まれて怖がられてる【渡り鳥】っていう傭兵だ」

 

 どうして、そんな顔をするんだ?

 

「誰も救えない? 救っているさ! アンタから弱い自分を認められる『強さ』をもらったんだ! アンタみたいに、深淵の魔物に1人で挑める度胸もないし、アニマだって守り切れなかったし、感情的になりやすくて、他人に迷惑ばかりかけて、そのくせに自分の願いを捨てられない俺に……こんな『弱い』俺に、手を伸ばしてくれたのは……信じてくれたのはアンタだけじゃないか!」

 

 どうして、そんなにも怒っているんだ?

 

「アンタは……アンタは、何なんだよ? 何を目指してるんだよ? ハッキリ言ってやる! アンタが求めているのは理想の中だけの救世主だ! 100人いて100人全員を救えるスーパーマンなんているわけないだろうが! 100人にいて1人救えただけでも上等だ! 俺はその1人になれたんだ! アンタが救ってくれたんだ! この心も、魂も、信念も、アンタが繋いでくれたものなんだ!」

 

 ああ、そうか。

 

「だから……誇ってくれよ。自分が『弱い』なんて言わないでくれよ。アンタは……アンタは『強い』んだ」

 

 コイツにとって、オレは『アイツ』なのか。

 ぐずぐずと涙を流し、ギンジは両膝をつく。怒りのままにオレの胸倉をつかんでいたはずの手は、まるで縋りつくかのような弱々しきものに変わっていた。あるいは、最初からそうだったのかもしれない。

 

「流れる血だけが誇りだったんだ。先祖から受け継いだ遺志だけが……オレの矜持だったんだ」

 

 今もそれは変わらない。この血には一切恥じるものはない。たとえ、その歴史が血塗れだとしても、狂人の烙印を押さえる血脈だとしても、ヤツメ様と烏の狩人の交わりから始まった血族の誇りだけは揺るがない。

 

「ギンジ、やっぱりオレは『弱い』よ」

 

「【渡り鳥】!」

 

「ありがとう。オレにそんな言葉をかけてくれるオマエこそ『強い』よ」

 

 それ以上の言葉を吐かせない為に、オレは微笑む。

 今まで、ずっと逃げていたのかもしれない。

 ただの暴力の塊に過ぎない強さなど『強さ』ではないと……『アイツ』のような人を惹きつけるような、胸の内に宿る『強さ』こそが尊ばれるべきだと信じていた。今もその想いは変わらない。

 

「少しだけ……自分を卑下し過ぎてたかもしれない。糞が。まさか色ボケお馬鹿さんのギンジくんに諭されるなんてなぁ! コイツは屈辱だな! HAHAHA!」

 

「はぁ!? 俺は本気でアンタを心配して――」

 

 元気を早くも取り戻したらしいギンジに飲み終わった水筒を投げつけて黙らせる。

 

「そうだな。この血を誇るなら、それが流れるオレ自身も、たとえオマエが認める『強さ』が暴力に過ぎないとしても、少しくらいは誇って良いのかもな」

 

 さぁ、グリセルダさんの後を追うとするか。ボスを撃破する事こそが古いナグナの目的だ。深淵の魔物は……後で考えるとしよう。

 

 

▽   ▽   ▽

 

 

 マップデータによれば地下通路に繋がっているらしい階段を更に下りながら、ギンジは結った髪が解かれてその汚れを知らないような白い髪を揺らす【渡り鳥】の後に続く。

 

(そうじゃない。アンタは何も分かっていない。普通はそこまで優しくなれない。暴力じゃなくて、その心が『強い』って言いたいんだ)

 

 だが、【渡り鳥】に自分の言葉は届かない。それは彼が眩しそうに目を細める先には、余りにも高過ぎる『理想』の誰かがいるからなのだろう。

 それは何となくだが、ギンジにも分かる。きっと自分もまた【渡り鳥】に『理想』を重ねているのだろう。

 所詮は『理想』とは現実から切り離されるべき夢に過ぎない。そして、夢は微睡の中でならば幸福となるが、それに縛られ続ければ悪夢となる。

 

「なぁ、アンタってさ、意外と理想主義者なのか?」

 

「ナイスジョーク。オレ程に夢も理想も無い野郎はいないさ」

 

 ジョークを吐くのはどっちなのやら。ギンジは嘆息しながら気を引き締める。1度は心折れたと言えども、元上位プレイヤーとしてボスの恐ろしさは知っている。イベントダンジョンの支配者ともなれば一筋縄ではいかないだろう。

 

「戦ってやるさ」

 

「その意気だ」

 

 不安要素と言えばデス・アリゲーターだけだが、そちらは自分の技量が物を言う。

 死ぬかもしれない。だが、『仲間』の為に戦い、自分の死すらも勝利の礎にする覚悟はある。

 何があろうとも泣き叫ばない。無様な死に方をするとしても、最後まで笑ってやる。ボスがどれだけ理不尽な強さを持っていても、必ず勝てると皆に伝わるくらいに、笑いながら死んでやる。ギンジは静かにそう決意する。

 そして、自分が死んでも【渡り鳥】は戦ってくれるだろう。それは何となくだが、彼の眼差しを見れば分かる。だからこそ、ギンジは死を恐れ、敵を恐れ、その上で戦いに赴ける。

 安全策重視で何事も無く地下通路を突破し、内区画に到着したギンジは、予定よりも時間がかかったと思いながら、巨大なドーム状の研究施設を睨む。ここにこそボスが君臨し、ナグナの万能薬があるのだ。

 ドームは5つの巨大なビルによって囲まれ、本来はそれらを攻略しなければ内部には入れない。だが、すでに攻略済みなのでギンジ達は何事も無く、ボスが待つだろうドームの内部に潜入する。既にグリセルダ達の姿が無いところを見ると、ボス戦へと突入したと見て間違いない。

 

「更に地下へ行くか。たまには太陽の下でボス戦でもしたいものだな」

 

 軽口を叩きながら、受付先にあるエレベーターを起動させた【渡り鳥】は苦笑する。

 

 

 悪夢の内で死ねば覚める事は無い。何故かギンジはそんな不安に駆られながら、【渡り鳥】と共にエレベーターに乗り込んだ。




<システムメッセージ>
内臓攻撃【主人公(白)専用】が実装されました。
ルート『Ashes to Ashes,Dust to Dust』が開放されました。

それでは、207話でまた会いましょう。

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