『チュートリアルにようこそ!』
電子音声バリバリの女性の声と共にオレは仮想空間の第1歩を踏みしめる。
半球状の、半径10メートル程度の広い空間。唯一の出口と思われる赤錆びた扉。天井には空間を照らす白い光。
SAOとの最大の違いを、今オレは噛み締める。そうだ。これだ。チュートリアルがないゲームの方が少数派ではないか!
「それでオレはどうすれば良い?」
この空間には等身大の鏡も設置されている。縁が金色の蛇と銀色の蛇が絡み合った、かなり悪趣味なデザインだが、たとえ仮想空間の産物でも高値を張るものだろうと自然に思ってしまうあたりがオレの限界なのだろう。
鏡に映されているのは、最初のキャラデザで選んだテンプレートのアバターだ。赤毛で目付きの悪い、いかにも育ちが悪い傭兵か盗賊といった風貌の20歳前後の男である。他のVRゲーム同様に異性選択ができなくなっていたのは、やはりSAOからの進化、あるいは蓄積された経験から導き出された対策なのだろう。詳細を知らないオレにはそれ以外の感想はない。
服装は初期装備のインナーだ。防御力は全て1という、実に初期装備らしい値である。無論、武器もない。
「で、オレはどうすれば良いんだ? あの扉から出れば良いのか?」
『まずは武器、防具、アイテム、スキルの設定を行います』
「なるほど。で?」
『武器選択を開始します』
愛想の悪いAIだ。まあ、あのダークファンタジー調のタイトルで、懇切丁寧なアナウンスがあったら雰囲気がぶち壊しなので、これはこれで悪くないが。
ん? そう考えるとチュートリアル自体が雰囲気駄目にしてないか? それは考え過ぎか。
そうこうしている内に青い光と共に数種類の武器が台座と共に現れる。
王道の片手剣、定番の両手剣、スピード重視の短剣、扱いに癖がありそうな曲剣、突きが主な攻撃となる刺剣、リーチが売りの槍、攻撃回数が限られているが距離を取って戦える弓矢、暗殺者が使いそうな鉤爪、威力の高さに定評がある戦斧、打撃武器と言えばコレと言うべき戦槌、そして1部の特殊な嗜好の持ち主にウケがありそうな鞭。
「やっぱ両手剣……でも弓矢も悪くないな」
どうせ『彼女』と会えば終わりだ。だが、やはり武器選択というのは悩まずにはいられない。
SAOでの初期装備は両手剣だった。一撃重視で、ヒット&アウェイで命からがらの戦いで経験値を稼いだ臥薪嘗胆のソロプレイヤー時代を思い出す。いや、その後もパーティ組んだり、ギルド入ったりしたけど、『面倒見きれん』って事で追い出されてソロプレイヤーを続ける羽目になったんだけどな。
話を戻すが、弓矢はやはり魅力的だ。距離を取って戦えるというのが素晴らしい。SAOはほぼ接近戦オンリーだっただけに新鮮だ。だが、最初にどれだけの矢が貰えるのかが気になる。それにゲームでは弓矢の単発の威力というのは抑えられる傾向がある。そうなると存外玄人向けかもしれない。
……よし、決まった。
「うぉおおおおお! カッケェエエエエエエエエエエエエ!」
青い光と共にオレの右手に装備されたのは、凶悪な鉤爪だ。しかもギミック付きで、手首の動きで収納される。まさに暗器だ。残念な事に爪の数は2本であり、威力は片手剣以下短剣以上と中途半端だが、背後からの攻撃に高いボーナスが付いているのは魅力だ。
悪人プレイ。ククク……そういうのも悪くないな。SAOではオレンジだのレッドだのと、デスゲーム化で悪人プレイも何もなかったが、そうでないならば思いっきりワルになるのも一興だ。
その後の防具選択も薄暗い仕事ばかりを請け負いそうな傭兵といった具合に仕上げる。ボロボロの砂色のコート、紺色のズボン、薄皮の胸当てなどだ。もちろん口元を隠す覆いも忘れない。
ヤバい。悪人プレイ楽しそうだ。コートのフードを被り、思わず鏡の前でポーズを取る。手首の動きでコートの裾から鉤爪が飛び出し、その鈍い鉄の光を見せつける。
ちなみに鉤爪には事前に様々な薬物をセットする事が可能のようだ。この鉤爪には毒、麻痺、倦怠の3つのデバフ効果の内の1つが付与できるらしい。なおデメリットとして、鉤爪は耐久度が低く、また腕防具の性能が半減する。とても防御力面では優しくない。
「毒の爪かぁ。SAOじゃ苦しめられたな」
第61層の火山エリアで出会ったトカゲのMobの爪攻撃には毒があり、10体以上のトカゲに囲まれたオレは偶然出会った風林火山の面々と協力して窮地を脱した。今になっては懐かしい思い出だ。
……ああ、思い出したらクラインの顔面パンチまで思い出した。ソロで無理無茶無謀の3拍子が揃っている奴限定の愛の鉄拳らしい。HPがレッドゲージの奴にすることかよ。オマケにクラインは鉄拳が原因でオレンジになるし。
「最後はスキル設定か」
スキルには片手剣を初めとした武器に基づいたスキルがある。やっぱりソードスキルみたいなのがあるのだろうか?
「鉤爪は≪暗器≫か。だけど……」
馬鹿正直に≪暗器≫を選ぶ必要もあるまい。スキル枠は3つだけだ。初期に選べるスキルは100種類にも及ぶ以上慎重にしなければならない。
とはいえ、すぐにスキルは決まった。≪戦槌≫と≪薬品調合≫と≪気配遮断≫だ。
棍棒などは安く仕入れられるだろうからメインウェポンとして使える。そうすればPKの際に相手はオレの攻撃手段が戦槌だと断定する。そして、隙を見てデバフ付きの鉤爪をお見舞いするわけだ。
この考えに至ったのはオレのステータス画面だ。どうやら複数の武器を同時に装備できるらしい。その数は現状では2だ。恐らくレベルアップやスキルの獲得で増やせるのだろう。
とはいえ、盾も枠の1つになるのだから、普通の騎士プレイすれば武器は1つだけだ。
何が言いたいのかと言うと、つまりオレは盾を持つ気はない。そもそもスピード重視が盾を持つなど邪道だ!
「とか言って、オレって初志貫徹した事ないんだよな」
SAOでもそうだった。最初はスピード、次にパワー、その次が防御力、落ち着いたのがバランスだった。オレ程に方針がふらふらしてスキル枠を潰しまくったプレイヤーもあのデスゲームでは珍しいを通り越して自殺志願者にしか映らなかったのではないだろうか。
こうしてオレのアバター……『クゥリ』が完成する。SAOで使っていたネームだ。新しく考えるのも面倒なので同じで良いだろう。
最後にステ振りだ。主なステータスの種類はVIT(生命力)、CON(体力)、STR(筋力)、TEC(技巧)、DEX(敏捷)、INT(知力)、POW(精神力)、MYS(神秘)……そしてSAN(正気)。
「ん?」
見間違いに決まっている。
「んん?」
こんなステータスが存在して良い訳がない。
「んんん!?」
なんで『正気』なんて項目があるんだよ!? おかしいだろ!? 絶対におかしいだろ!?
このゲームには何か!? SAN値直葬要素でもあるのかよ!?
「しょ、初期値は全部3か。これを10P振り分けとなると……」
冷静さを取り戻し、オレは改めて9つのステータスを見る。
もちろん気になるのはSANだ。だが、あえてそれは脇に置く。あえてだ。
惹かれるのはMYSだ。神秘とはどんなステータスだ? 説明書を斜め読みしたから憶えていない。
「MYSはどんなステータスだ?」
『魔法や呪いに関するステータスです』
簡素な説明で本当にやる気がないAIだな。だが、どうすれば良いだろうか。SAOじゃ魔法も呪いも使えなかったからな。正直、どんなものなのか興味はある。
結局のところ、オレのステータスは……つまりは全部に1ポイント振って、余った1ポイントをSANに振る形になった。
……別にニャル様遭遇時の対策じゃない。断じて違う。そもそもニャル様の前じゃSANとか紙切れだから。……でも保険くらいにはなるかも。
まあ、多分オレの想像とは違うSANなのだろう。そもそも数値が初期で1桁とか低過ぎるし。
「それで次は?」
『最後に戦闘チュートリアルを開始します』
今までの青い光とは異なる赤い光。それが溢れ、現れたのは泥が人の形を成したようなモンスターだ。空洞の目と口が不気味で、醜悪な生命を与えられた、出来損ないの人間のようだった。
こりゃ女性プレイヤーは期待できないな。オレは苦笑しながら鉤爪を起動させる。
「おいAI! ソードスキルに相当するものは……って、≪暗器≫を取ってないからどっちにしろ使えないか」
仕方ない。チクチク細かく刻んでいこう。幸いにも泥人形の動きは鈍い。攻撃手段も腕を振るか叩き付けるだけで、SAO生還者には……というか、普通にVRゲームをしている奴なら避けられるものだ。
時間をかけるまでもなく、攻撃ボーナスがある背後に回って鉤爪を振るい続ける。
順調に泥人形のHPは減り続け、1ドットも残さず削られると、何処か血飛沫を想像させる赤黒い光となって消えた。
消え方までグロいとか、このゲームの制作者は絶対に頭のネジが飛んでるな。しかも切ってる感触が妙に生々しいし、攻撃の度に泥が飛び散るし。
『お疲れ様でした。最後にプレゼントがありますので、お好きな物を1つお選びください』
赤錆びた扉が開き、その先の階段が露わになる。同時に道を塞ぐように、5つのシャボン玉が現れた。
シャボン玉の中にはそれぞれアイテムが浮かんでいる。どうやらAIの言う『プレゼント』らしい。
「地図、鍵、金貨、蝋燭、指輪。この5つか。どれにしたもんかな」
地図は恐らく最初のエリアの情報とかだろう。いわゆる初心者救済アイテムだろうな。
鍵は……なんか地雷臭いな。いわゆるアレだ。開けちゃいけない場所を開けられるタイプの鍵だ。恐らくマゾプレイヤーの皆様が選んでいるだろうからパス。
金貨。これは分かりやすい。きっと所持金の増加だ。まあ、あまり期待できない額だろうけど。
蝋燭はどうだろうか? なんか黒ずんでるし、嫌な感じがする。明らかに呪われたアイテムだ。だけど、こういうアイテムほど有用だったりする。
そして指輪。銀色の簡素な指輪だ。魔法強化アイテムだな。だったらオレには不要か。
「金貨! これしかないだろうが!」
少しでも金の足しになれば、≪戦槌≫カテゴリーの武器で強いものが購入できる! オレの読みに間違いはない!
<【失われた王国の金貨】を入手しました>
「………………」
オ、オレ……ほら、ブランク長いから。SAOからゲームなんてやってないから。そもそも『アイツ』程にコアじゃないし。
金貨を収納し、オレは扉に向かう。心なしか目が熱い。ああ、そうか。オレって何だかんだで仮想空間を愛してたんだなぁ。別に読みが外れて、誰も見てないのに勝手に恥をかいて、それが滅茶苦茶恥ずかしいからじゃないから、こうやって涙が出るんだろうなぁ。
扉を潜り、階段を上る。先が見えない暗闇の階段の果てに白い光が急に溢れ、オレを包んだ。
転送された。オレに刻み込まれたSAOの感覚が教えてくれる。この独特の浮遊感は間違いない。
睨んだ通り、立っている場所は光に溢れた場所だった。
だが、オレにはあまりにも衝撃的で……思わず悲鳴を上げそうになり、喉が震えた。
滅びる直前の町。そんな印象を受ける光景が映る。半壊した建物が目立ち、NPCだろう人々の顔も薄暗い活気に彩られたものばかりだ。石畳も破損し、噴水は砕けて広場はただの水溜まりになっている。だが、そんなのはどうでも良い。
「ここは……始まりの街、なのか?」
アインクラッドの記念すべき第1層にして、全てが始まった場所。茅場晶彦が高々とデスゲームを宣言したスタート地点。
はじまりの街だ。正確に言えば、長い年月と度重なる戦いを経て朽ちたかのように手が加えられた、始まりの街。
「落ち着け。落ち着くんだ。こんな悪趣味な野郎は見つけ出してぶん殴れば良い。それだけだ。それだけ……なん、だ」
これが現実なら過呼吸に陥っていただろう。白い光と共に現れるプレイヤーたちはオレを訝しんでいたが、それぞれが冒険の地へと駆け出す。
廃退したはじまりの街をオレも散策し始める。アインクラッドと異なり、こちらの世界では空がちゃんと存在している。つまり、このゲームはSAOのように上へと攻略していくゲームじゃないという事だ。
徐々に冷静さを取り戻し、オレは『彼女』との待ち合わせの場所を探す。
酒場『首なしの牛』。本当にこのゲームは何処までも悪趣味だ。牛の首が切り落とされた看板を目にし、オレは苦笑いする。
木製の扉を開けると嗅覚をアルコール特有の刺激臭が襲う。ここまでユーザーもリアリティは求めてねーだろ。
「本当にいい加減にしろよ。本当にさ」
このゲームに長居は無用だ。チュートリアルでの熱は冷めた。さっさと本題を終わらせてログアウトするとしよう。
スロースタートです。
まだまだデスゲームは始まりません。
次か、次の次あたり……からかもしれません。
では第3話でお会いしましょう