SAO~デスゲーム/リスタート~   作:マグロ鉱脈

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長かったエピソード15も、これにて終了になります。
数多のキャラクターが入り乱れた本エピソードですが、今回のエピソードのMVPを誰にするのかと言えば、間違いなくグローリーです。
彼が今回のエピソードを、要所要所で本当の意味で覆しまくった、喜劇を破綻させた存在でした。



Episode15-40 茶番劇の幕引き

 竜の神が撃破され、リザルト画面と賛美の言葉がシステムメッセージで流れる中で、ようやく終わったとシノンは一息を吐く。

 かつてない程の激戦の中の激戦だった、DBOで過去最強は間違いないだろうボスの撃破に対し、喜びよりも疲労感の方が強い。

 

(さてと、ここからどうしたものかしらね)

 

 だが、最後にやるべき事が残っている、とシノンはダラダラと冷や汗を流す。と言うのも、今もご丁寧にも物理エンジンによる重力加速を受けて地上に急行落下している最中だからだ。

 スカイダイビングの時と同じように体を広げて面を作ることで最大限に落下速度を落としてこそいるが、眼下の終わりつつある街は迫る一方だ。当然ながら、強化ジャンプ及び落下ダメージ軽減の恩恵は、ボス戦の終了と共に消失しているだろうし、何よりもステージが異なるので仮にボス戦と舞台となった神殿の地には残っていたとしても、ステージ同士を繋げていた上空の輪が完全に閉じているので期待はできない。

 DBOで1番注意しないといけないのは落下死、と言われる程に、デスゲーム開始初期の頃の死因ダントツ1位は落下死だったのだ。今でも、プレイヤーの死因として落下死はランクインし続けている。

 竜の神を倒す。それだけに没頭していたあまり、この状況を打破する方法をまるで考えていなかった。シノンは自分と同じく両腕と両足を広げて落下速度を緩めながらも近寄って来るUNKNOWNに視線を向ける。

 

『シノン!』

 

 名前を呼ばれ、シノンは顔を明るくする。さすがは『英雄』様だ! この落下死確定の状況を覆すスペシャルな策を思いついたに違いない!

 

『とにかく、とにかく今は落下速度を緩める事だけを考えろ! その体勢を維持するんだ!』

 

 だが、現実なんてこんな物である。英雄も1本の矢であっさり死ぬのだ。ならば、神を撃破して伝説になって落下死で締めくくるのも、英雄譚らしい終わり方なのかもしれない、とシノンは現実逃避して乾いた笑い声を漏らす。

 

「ああ、こんな事ならテツヤンのストロベリーチョコレートたっぷり春の訪れスペシャルパフェ☆コスモが見えるバージョンを食べとくんだったわ。ふふふふふふふ、10万コルもするとか、ふざけてると思ったけど、きっとお値段相応の天国にも上る味なんでしょうね~」

 

『戻って来い! 逃げちゃ駄目だ! 現実を見るんだ!』

 

「見てどうするのよ!? もう地面まで残り何メートルも無いわよ!?」

 

 そもそも、こんな会話をしている時点で時間の浪費である、と彼らの様子を観察する者がいたとするならばツッコミを入れただろう。

 黄金の光が見える。これが死なのだろうか?

 思えば踏んだり蹴ったりだったが、悪くない人生だったかもしれない。女の子だし、どうか現実に残した体は綺麗な形で死を迎えて欲しい。シノンは走馬灯のように人生を振り返るが、余りにも濃過ぎたDBOの1年のせいで残りの十数年が圧縮されていく。

 そうだ。死ぬ前に最後にしないといけない事があった。シノンは自分の真横で落下するUNKNOWNに、ほのかに熱の籠った視線を向ける。それに気づいたらしい仮面をつけた英雄は、彼女の真摯な言葉を受け入れるべく、身構える。

 

「最後だから、あなたに私の気持ちを告白するわ。実はね、前々から言いたかったことがあるの」

 

『……シノン』

 

「死ね、このチート野郎」

 

『シノォオオオオオオン!?』

 

 スッキリした。これで心安らかに天国に旅立つ事ができる。最高の笑顔で毒を吐きつけたシノンは、壊れた笑い声を漏らしながら、いよいよ眼前に迫ってきた地面を直視する。

 

 

 だが、風がシノンを包み込み、彼女が地面に叩き付けられる寸前で、死より掬い上げる。

 

 

 地面と正面衝突する前に彼女の体をつかみ取り、再び空へと舞いあげたのは、1匹の金色の竜だ。体長は1.2メートルほどであり、シノンよりやや小柄であるが、翼を伸ばした全長は倍近くにもなる。

 金色の竜は翼を広げて、金色の光の粒子を散らしながら、シノンを傷つけないように爪を立てずに前肢で彼女を抱えて飛行する。

 生きてる? 目をパチクリさせて、右手でペタペタと自分の頬を軽く叩いたシノンは、今度こそ全身を脱力させる。

 

「何とか間に合いましたね」

 

 シノンの耳が拾い上げたのは、自分の隣を飛行する銀色のドラゴンだ。体格は金色とほぼ同じであり、銀の粒子を羽ばたきの度に散らす。その前肢には、右手1本でぶら下がるUNKNOWNの姿があった。

 そして、銀色の竜に腰かけるのは、顔まで覆うフード付きのローブを纏った人物だ。だが、飛行速度のせいか、フードは捲れて、ツインテールの幼い顔立ちをした、どう見ても『体格を含めて10代前半にしか見えない少女』が冷ややかな視線をシノンに向けていたことが分かる。

 

 

 

 

 また女か。

 

 

 

 声にならずとも、口の動きだけで少女がそう呟いた事が分かり、シノンは眼前の少女が下手すれば竜の神以上に凶悪な存在なのではないだろうかと感じ取る。

 一方のUNKNOWNは呑気に竜の前肢にぶら下がり、終わりつつある街の上空をゆっくり旋回して黒鉄宮跡地に着地するように指差して少女に指示を送る。

 

『竜の神を撃破した時に、すぐに彼女にフレンドメールを送ったんだ。間に合わない確率の方が高かったけど、何とかなって良かったよ』

 

 着陸態勢に入って大きく翼を広げ、風を巻き起こしながらシノンを労わる様に金の竜は手放す。シノンは足から着地するも、すっかり気が抜けたせいか、バランスを崩して膝をついた。対してUNKNOWNは軽やかに着地する。精神的に脆かったと思えば、このタフさだ。本当に分からない男である、とシノンは差し出された手をつかむ。

 

「間に合わなかった時の策はあったの?」

 

『…………あったにはあったけど、使いたくなかったかな。正直、かなり目立つから』

 

 やっぱりチート野郎だ。だが、今は殴り倒す気力も残されていない。左腕から広がる不快感も、ボス戦の緊張感が抜けたせいで本格的に脳を蹂躙している。即座にバランドマ侯爵のトカゲ試薬を打ち込む。

 アイテムストレージはこれでほぼ空だ。弾薬も、回復アイテムも、食料も残っていない。傭兵としての仕事病とも言うべきか、経費を計算する。弾薬費は太陽の狩猟団が契約通りに担ってくれるが、回復アイテムなどの諸々は報酬から引いていかねばならない。しかも、依頼失敗なので報酬は前金のみだ。

 修理費は半額サービスだが、破損し過ぎたナイフは新品に切り替えた方が今後にも都合が良いだろう。リザルト画面のログを引っ張り出し、竜の神の撃破で流れ込んだ膨大な経験値とコル、そして幾つかのアイテムを確認していき、これならば赤字突入だけは免れることができる。

 

「助けてくれてありがとう。シノンよ」

 

 何はともあれ、命の恩人への感謝が先だ。シノンは、摺り足でUNKNOWNの隣に移動するツインテールの少女にお礼を述べる。

 

「UNKNOWNのオペレーターです。名前は……」

 

 チラリ、と少女はUNKNOWNに横目で確認を取る。彼は小さく頷くと、何故か心底嫌そうな顔をして、少女はギリギリと歯ぎしりした。

 

「……シリカです。普段は【シーラ】って偽名を使っていますので、人前ではそちらをお願い致します」

 

 シリカというと、【竜の聖女】のシリカだろうか? これでUNKNOWNの正体は、既に彼女の中で確定されていたとはいえ、更に判子と直筆サインが加わって言い逃れできないレベルに到達した。

 逆に言えば、少女の名前を明かす程度には、UNKNOWNはシノンを信頼しているという事なのだろう。

 

「……『装甲』は薄めの普通ですか。『排除』すべきか悩ましいですね。ですが、とりあえず『保留』にしておきましょう」

 

 じろじろとシリカに観察され、何やら結論を出されたらしいシノンは、何はともあれ彼女からの敵意の眼差しから解放される。

 

「人が集まってきました。ヒーローインタビューされたいならば、ご自由にどうぞ。行きましょう、UNKNOWNさん。今、DBOは極めて危険な状態にあります。ラストサンクチュアリ内でも色々とゴタゴタが広がって、キバオウさんが右往左往してあなたの到着を待ち望んでたんですから」

 

『……と言う事らしい。ここでお別れだけど、その前にフレンド登録させてくれ。ほら、今回の依頼の報酬とか、諸々のことで話し合う事も多いだろうから』

 

 シリカの言う通り、黒鉄宮跡地にはプレイヤー達が続々と集まり始めている。彼らの目にも天上に突如として出現した巨大な輪、現れた竜の神とその咆哮が届いていたはずだ。そして、それが終わりつつある街に舞い降りる間近に撃破された事、そしてそこに登場した【聖域の英雄】ともなれば、連想ゲームのように1つの結果を多くの人々が導き出すのは当然だろう。

 早々に退散するのが吉、という事だろう。シノンはもう少し休みたい気持ちを堪え、UNKNOWNから送られてきたフレンド登録の申請を無言で受理する。

 これで終わりではない。生き続ける限り、傭兵を続ける限り、決して遠くない日に再び出会うだろう。出来れば、その時は敵として巡り合いたくない。シノンは背を向けて立ち去ろうとするも、名残惜しさを覚えて顔だけ振り返らせる。

 

「『また会いましょう』、【聖域の英雄】さん」

 

『「またな」、シノン』

 

 長い戦いだったが、これで閉幕だ。シノンは失われた腕の断面に触れながら、今日は思いっきり贅沢してやる、と心に決める。

 

「……あ、そう言えば、ドラゴン・クラウン返してもらってないわ」

 

 だが、1つの重要な事態を思い出し、シノンは足を止めた。

 数百万コル確実のユニークウェポンだ。あの土壇場だからこそ譲渡したが、竜の神を仕留めたならば返してもらうのが筋ではないだろうか、と勘定をするも、そもそも渡した以上は所有権を主張すべきではないか、とシノンは内なる欲望を摘み取る。

 

「頑張りなさい」

 

 何を覚悟したのか深くは分からないが、彼が1つの重大な選択をした事だけは理解しているつもりだ。

 ならば、その剣は険しい道を歩む彼への餞としよう。

 最後にもう1度だけ去っていく黒き二刀流の傭兵の背中を見つめたシノンは、今度こそ終わりつつある街の路地へと消えて行った。

 

 

 

 

 なお、この数時間後にUNKNOWNからフレンドメールで『タスケテ。オオイナルゼッペキ、シンリ、ウチュウノコトワリ。ワスレタクナイ!』という謎の救援要請がシノンに届くのだが、彼女は無視する事にした。

 

 

△   △   △

 

 

 竜の神戦で疲弊しきったプレイヤーの回収は滞りなく終わり、激戦が繰り広げられ、焦土と化した『元』シャルルの森は、今や崩壊しきった神殿の地を残すのみとなっていた。

 そこを優雅に歩むのは、ヴェニデを率いる王、クラウドアースの真の支配者であるセサルだ。

 

「ご苦労だったな」

 

 既に竜の神戦から10時間以上が経過した深夜、到着した各勢力の回収部隊によって傭兵・精鋭共に運び出された。

 さすがにボスが終わりつつある街を襲撃するなど、情報外の、予想の範疇から逸脱した事態だった。ブリッツは到着したセサルにアーロン騎士装備と共に敬礼して迎え入れながら、ボス戦の詳細を告げていく。

 

「私の落ち度だな。よもや、それ程のボスとは思いもよらなかった」

 

「いえ、セサル様の責任ではありません。上位ランカーと≪剛覇剣≫を持つユージーンならば確実にボスを撃破できる。そのはずでした」

 

 当初の予定では、そもそもボスの出現以前に3大ギルドの仮初めの友和に亀裂を入れ、なおかつ多数の戦闘をするだろう【渡り鳥】を餌に、そこに接触してくるだろうPoHを撃破するという狙いだった。その後、クラウドアース陣営の傭兵が持ち帰った情報からボスの情報をより精査し、戦力を整えた上で最後のソウルを解放してボスを撃破する手筈だった。

 だが、何事にも予定通りにはいかない。そこで、ユージーンには仮に全てのソウルが開放された場合、確実に有効活用できるだろう≪剛覇剣≫で以ってボスの撃破をするように命じておいた。ただし、戦闘容認条件は、最低でも現場に3人以上の高位戦力が存在する事、である。それが無い場合、ユージーンには帰還するように指示が出ていた。

 もちろん、ユージーンならば武人としてボスを見逃しなどせず、また喜劇を踊らされた彼としてもクラウドアースへの不快感の意思表明を含めて『無視』するだろう、という計算の上での命令だ。

 結果的に条件は満たされていたようだが、よもやユージーンとUNKNOWNの2人がかりでも倒しきれないボスとは、セサルの想定を遥かに上回る難敵だったと評価する他に無いだろう。

 

「やはり、生体モデル型AI……意識が備わった電脳的生命体がボス級で出現したとなれば、一筋縄でいかないという事でしょう」

 

 それを考慮すれば、死者ゼロの今回のボス戦は上々という判定が相応しい。結果的に人的被害は無かったのだから、これ以上の結果を求めるのはおこがましいだろう。

 だが、結果という意味で言えば、竜の神のラストアタックボーナスを得たのはUNKNOWNだ。よりクラウドアースの敵対するラスト・サンクチュアリを強化する事にも繋がってしまっている。加えて、既に終わりつつある街では竜の神戦が話題となり、多くに目撃された【聖域の英雄】は街の人々を守り抜いた英雄として噂が広まっている。そこにキバオウのプロパカンダ作戦が投入されるだろう事は想像に難しくない。

 

「PoHの件はどうなっている?」

 

 だが、セサルにとってそちらは興味の対象ではないようだ。彼は、ブリッツとアーロン装備以外のこの場に控える人物、マクスウェルに尋ねる。本来ならば、チェーングレイヴのボスがこの場にいるべきなのだが、彼は他のメンバーを率いて『PoHの捜索』へと赴いていた。

 今回の作戦の肝の1つだった、PoHの撃破。完全な包囲網を準備し、『数人の犠牲』を包囲メンバーの全員が覚悟した、ヴェニデの精鋭たちの目を欺いて、PoHは見事に消え失せたのだ。

 手法は意外にも簡単に分かった。次々と脱出したクラウドアースの諜報部隊、そこにPoHは『死人に成りすまして』脱出したのだ。これは、サンライスからクラウドアース陣営の死体を確認したという、彼の『善意の報告』が無ければ、即座に導きだせなかった事だ。

 後に死者の碑石で確認したところ、脱出した諜報部隊の内の『2名』が既に死亡していたことが分かった。≪変装≫の危険性から、合言葉やタトゥーを始めとした身分証明の手筈も整えていた。だが、拷問して情報を吐き出させ、なおかつ遺体からタトゥーを皮ごと剥ぎ取って自分に貼りつけることによって、まんまと欺かれたと見て間違い無いだろう。

 甘く見ていた。ブリッツは部下2名の死はともかく、相手が『あの』サーダナの1番弟子である事を計算に入れていたつもりが、その実は甘い見積もりだったと自身を恥じる。

 

「目下捜索中ですが、ステージ外に脱出されたとなれば、捜索は絶望的でしょう。想起の神殿を見張らせていますが、ステージ同士を繋げる方法は幾つかあります。神殿を経由しないルートをPoHが確保していない、というのは推測として3流以下でしょう」

 

「今回の件は全て私に責がある。『彼』に謝罪と、今後の手厚い支援の約束を伝えてくれたまえ」

 

「畏まりました」

 

 マクスウェルと共に、この地で唯一崩落していない神殿の扉の前に立ったセサルはその扉に触れる。

 開く為には3つのソウルが必要だ。今ここに、セサルが2つ、マクスウェルが1つの封じられたソウルを入手している。

 事前に≪剛覇剣≫を入手する為に、クラウドアースは最初から3つの封じられたソウルを確保していた。故に争奪戦開始の時点で、シャルルの森には9つしかソウルは無かった事になる。

 ボス戦後の情報開示によれば、ユージーンが2つ、グローリーが1つ、スミスが2つ、そしてサンライスが1つを所持していた。これにクラウドアースが最初から保有していた3つを合わせれば、残るは3つ。

 それを誰が有していたのか、それを知らぬ者はこの場にはいない。

 

「これで、神殿には正式に12のソウル全てが揃った」

 

 ボス戦の終了と同時にソウルは消失し、プレイヤーから失われていた。神殿も同時に解放されたようだが、誰も立ち入ろうとはしなかった。当然だろう。武器は全員が等しく破損し、アイテムも枯渇しているのだ。ここにおいて、更なる難題が待ち構えているかもしれない神殿の奥地に即座に突入するなど、現在DBOに広がる深刻な反3大ギルドの動きへの対応と戦力の再編成に追われる全ての陣営にできるはずがない。

 何よりも、この神殿の地下がかなり厄介なものであり、広大な迷路となっており、モンスターこそ出現しないが、最奥のシャルルの墓所までは道順を知らなければ、かなりの時間がかかるのだ。

 もちろん、≪剛覇剣≫を入手しているクラウドアースは迷路を網羅している。セサルは薄暗い神殿の地下を歩みながら、何気なく、だが確かな懸念を込めて、マクスウェルに問う。

 

「【渡り鳥】くんの容態は?」

 

「……芳しくありません」

 

 ボス戦後、プレイヤーが撤退した後にチェーングレイヴが到着すると同時に、神殿より飛び出した黒い狼が意識を失った状態の【渡り鳥】を咥えて飛び出した。そして、黒紫の少女が駆け寄った時には、死体が残るシャルルの森では、もはや【渡り鳥】は生きているかどうかも判別できない状態だった。

 ブリッツも確認したが、HPは1パーセント未満、体はピクリとも動かず、現実の肉体とリンクしている心音は途切れ途切れであり、心拍を続けている方が異常である状態だった。

 

「アリーヤのログを確認しましたが、やはり棺の中に納まっていたシャルルがボスとして立ちはだかったのは、ほぼ間違いないかと。そして、それが竜の神の強大な能力とリンクしていたという推測も、ブリッツ殿の報告からあり得る見解だと思われます」

 

「……そうか。既に、今回の反大ギルドの動きを抑える為に、『凶行』は誰が起こしたのか、その噂もまた流れ始めている。所詮は噂、されども噂。彼の悪名を利用しようとしているのは誰なのやら」

 

 もはや反大ギルドの動きは止まらない。だが、それを最大限に抑え込む鎮静剤は投与することができる。

 

 

『あの【渡り鳥】ならば仕方ない。あのバケモノが、いつものように殺しただけだ』

 

 

 そんな雰囲気が熟成されていけば良い。仲間を殺された怒りに燃える者達の矛先は必然的に【渡り鳥】へと向かう。傭兵として依頼をこなしただけなど、感情に支配された者に届く道理ではない。そして、後は1部の逸った復讐者を【渡り鳥】が盛大に返り討ちにすれば、この件は噂から盤石の真実となる。他の復讐者たちは、先人たちの末路を見て我に返り、復讐よりも恐怖に支配されて動けなくなる。

 

「動いているとするならば、やはりミュウでしょうか?」

 

「いや、彼女はどうやらダウンしたようだ。そうなると、噂を積極的に流している勢力は……1つしかあるまい?」

 

 ミュウならば根回し済みだろうが、彼女は皮肉にも過労で倒れて【渡り鳥】と同じようにベッドの上だ。団長自ら付きっ切りで看病し、謀略の支持を飛ばすなど現状では到底無理だろう。

 楽しげなセサルの歩み。ブリッツは不安に駆られてならない。

 今回の主にとっての最大の喜びは、ボスが強過ぎた事ではなく、【渡り鳥】が救援を要請した事だ。

 PoHを誘き寄せる為の餌であり、3大ギルドの友和に亀裂を入れる為の喜劇の役者であり、そして傭兵達を喰らった怪物。

 なのに、彼が助けを呼ばなければ、誰もが絶対にあり得ないと思う行動を起こさなければ、竜の神は倒しきれずに終わりつつある街を壊滅させていただろう。その挙句が憎しみと怒りの標的になるように利用される人柱だ。

 喜劇を通り越して悲劇となり、更に1周して喜劇に返ってきた。ブリッツにはそんな感想を抱く他に無かった。

 そして、この状況をむしろセサルは歓迎している。今の主にどのような考えがあるのか、ブリッツには想像もできなかった。

 

「しかし、彼は何故あのような状態に? それに、どうやってシャルルの霊廟まで迷わずにたどり着けたのかも分かりません」

 

 マクスウェルが悩むのも当然だ。いかにDBOでは腕を失おうと、腹を貫かれようと、それはダメージフィードバックの範疇で収まる。確かに、中には攻撃を受けて痛みを訴えるプレイヤーもいたというように、ダメージフィードバック以前に脳が攻撃を認識して錯覚を起こす報告もある。だが、それで心臓が止まりかけるなどあり得ると納得できる話ではない。

 

「前者は本人に訊かねば分かるまい? 後者は想像がつくがね。彼は殺気を辿ったのだろうな。あの炎と熱に込められていた……砂糖菓子のような脆く甘い絶望と殺意を辿れば、迷うことはあるまい」

 

 前者の方も明らかに見当がついている、という表情でセサルはマクスウェルの質問を受け流す。そして、地表に露出している地雷を踏み抜こうとする程にマクスウェルは愚かではない。彼もまた、興味が無いと言うように頷くも、その眼には懸念があるようだった。

 そうして、シャルルの霊廟にたどり着き、無言を貫いていたアーロン騎士装備が扉を開く。そこには、激戦の跡を示すような焦げ目がある以外は無傷だ。仮に、事情を知らない者が、ここで1人の傭兵と神殺しが死闘を繰り広げたと説明を受けても信じる事は出来ないだろう。

 黒い棺の中身は無い。以前にここを訪れた時には、眠りについたシャルルが収まっていた。だが、今は全くの空だ。

 代わりにあるのは、何かを差し込む為の穴である。それは細長い……とはとても言えないが、何か縦長のものを突き刺す為にあるように思えた。

 

「さて、我々は最後の仕事を成すとしよう」

 

 そう言ってセサルが出現させたのは、シャルルの『愛剣』である特大剣【竜骨砕き】だ。これこそが≪剛覇剣≫を得るキーアイテムであり、今回の争奪戦で本来奪い合うはずだった。

 セサルは竜骨砕きを棺の中にある縦長の穴に突き刺し、まるで鍵を開けるように捩じる。それと同時に霊廟に光が溢れ、全体が白く発光し始める。

 壁の1部がスライドし、出現したのは台座だった。それはSAOを生き抜いた【黒の剣士】ならば、即座に正体に気づくだろう、この仮想世界において神の力を振るうことができる存在だ。

 

「これが……コンソールルーム」

 

 思わずブリッツは、まさしく神の台座と呼ぶに相応しいとその美しさに見惚れる。

 

「しかし、理解できません」

 

 だが、そんな彼女の胸の内に水を差すのは、マクスウェルの睨みだった。

 

「何故わざわざ後継者は、プレイヤー側にコンソールを利用できるギミックを準備しているのです?」

 

「それは簡単だろう。打算と妥協だ。よりカーディナルに近しい場所ならば、それだけリソースを割く事ができるという『戦力投入』という観点から有効だ。そして妥協とは、これは我々プレイヤーと後継者の殺し合いであると同時に、後継者と茅場のどちらが正しいかを競い合うゲームでもあるのだよ」

 

「だから、わざわざコンソールルームを?」

 

「ククク。私個人としては後継者が悪意で準備したという説を最も推すがね。見たまえ。このコンソールルームには、わざわざ取扱説明書までついている始末だ。どうやら、ここのコンソールルームで制御できる事は限られているし、操作できる回数も決められているようだな。おやおや、『脱出:1名』……こんなモノがあれば、ここにいるのが我々で無ければ、盛大な殺し合いと仲間割れの始まりだろうな」

 

 全ては、ここに集約する。ブリッツはコンソールルームで操作を開始するセサルの背中を見守りながら、今回の計画……その最後の詰めが無事に終わった事に奇妙な気持ちに襲われる。

 コンソールルームの入手。それはシャルルの霊廟にたどり着いた時に分かった、この部屋の秘密だ。そして、ヴェニデとチェーングレイヴが探し続けていたものだ。解放の条件は全てのソウルの解放とボスの撃破だった。

 それ故に、ヴェニデが何としても手中に収める為に、画策されたのが今回の争奪戦、最後のシナリオだった。

 

「……ありましたか?」

 

「いや、残念ながら、チェーングレイヴの『お目当て』は無いようだ。私の『お目当て』も無い。ここは外れだな」

 

「そうですか。いえ、期待はしていませんでした。ボスもだからこそ、今回はセサル様に使用の権利を全面的にお譲りしたのでしょう。それで、セサル様はどのように利用されるのですか?」

 

 操作可能リストを横から確認しながら、マクスウェルはセサルの、愉悦と闘争に満たされた微笑を見つめている。

 今から、DBOの常識が1つ壊される。

 革命が始まる。プレイヤー自身によって、世界が覆される。

 

「『発汗機能の解放を初めとしたアバター・クオリティの上昇』・『飢餓・脱水のフィードバック制限の解除』……それから、これは面白そうではないか。『成長拡張・反映プログラムの導入』。これで利用権限の限界のようだな」

 

 あ、違う。どう考えても遊び心全開で決めている。ブリッツは主が悪意半分と面白半分で、DBOを更なる悪夢に叩き落とそうとしているだけだと知り、脱力する。

 

(可哀想な【渡り鳥】さん。あなたの戦い抜いた結果がコレとは)

 

 コンソールルームに『適応は明日AM6:00からとなります』と表示され、ゆっくりと白の光が失せていくのを見届けながら、ブリッツはどちらにしても、明日の日の出の頃からDBOは阿鼻叫喚と悪夢に包まれる事は間違いないだろうと哀れむ。

 汗臭さ、か。ブリッツは脇をくんくんと嗅ぎ、今後は身嗜みに一層の気配りをメイドとして心掛けねばならなさそうだ、と僅かにだが嘆息した。

 

「さぁ、次のコンソールルームを探すぞ。そして、必ず『あのプログラム』を見つけるとしよう。だが、その前に諸君らのお待ちかねの時だ」

 

 セサルが猛々しく、本命であるPoHの殺害も、コンソールルームも、全てはオマケに過ぎないというように、獰猛に笑う。

 それこそ我が主! ブリッツとアーロン騎士装備は恭しく跪き、主の宣誓を恍惚した表情で受け止める。

 

 

 

「闘争の幕開け……戦争の時間だ!」

 

 

△   △   △

 

 

 夜はバーに衣替えするワンモアタイムにて、スミスは息を吐ける1杯を傾ける。

 やはり仕事終わりのアルコールは格別だ。体に、心に、魂に染み込んでいく。

 

「今、超必殺の、グローリー☆ソォオオオオオオオオオオオング!」

 

 この隣で聖剣騎士団の面々に酒を振る舞っているグローリーさえいなければ、というのが大前提になるが。

 

「私の……私の、1杯……この為に、私は……っ!」

 

「どうしたんですか、スミス!? そんな暗い顔をしていたら、騎士として奢り甲斐が無いじゃないですか! これは我々が神を破った祝杯なんですよ!? いやー、さすがに騎士といえども、今回は厳しかったですからね。フフフ、ですがグローリー☆ナイツが力を合わせれば、どんな敵だってやられ役の雑魚同然です!」

 

 そもそも先客だったのはグローリーの方だ。彼は他の面々が精根尽きてダウンするか、報告書の作成に追われるかのどちらかの中、帰還と同時に険悪ムードとなっている聖剣騎士団のメンバー達を誘い、全て自分の奢りだという大判振る舞いでワンモアタイムを貸し切ったのだ。

 なので、後からそうとも知らずに来店したスミスは、即座に回れ右して別の酒場へと赴くつもりだった。

 

『やぁ、スミス! 仕事が終わったら即サヨナラなんて寂しいパートナーだと思っていましたが、そういう事だったんですね! 祝杯に参加したいならば参加したいと言ってくれれば良いものを! ですがご安心を! この騎士たる私が、あなたのシャイ☆ハートを見抜きました! さぁ、一緒に飲んで、食べて、騒いで、この激戦の労いをしましょう!』

 

 だが、鹵獲されてしまった。スミスも吃驚のフルパワーで首根っこをつかまれ、店内に引き摺り込まれてしまった。こうなってしまえば、脱出不可能で、店主のイワンナが酒を注ぎ、料理を並べ、アイラが灰皿をそっと準備してしまう。

 馬鹿騒ぎは嫌いではないが、今回はしんみりと飲みたかったのだ。スミスは煙草を咥えながら、暗い顔をして今にも糸が千切れそうな顔をしていた聖剣騎士団のメンバー達に、あっという間に笑顔を取り戻させたグローリーを馬鹿の中の馬鹿だと内心で罵りながらも、その溢れんばかりのパワーに敬服する。

 既にスミスの耳にも届いている。補給部隊壊滅に端を発した反大ギルドの動きがある。聖剣騎士団もまた気が気では無かったはずだ。特に、既に【渡り鳥】が補給部隊を壊滅させたという情報が実しやかに流れている。幾人かは復讐の準備を進めていたかもしれない。

 そんな剣呑な空気を、グローリーという太陽の暴風が吹き飛ばしてしまった。彼が笑顔で竜の神で得た報酬全てを使ってボス撃破の祝宴を開くと宣言し、ワンモアタイムを貸しきれば、いつの間にか聖剣騎士団に限らず、その下部組織のプレイヤー達まで集結してしまっている。

 

「グローリー、この酒飲んで良い?」

 

「騎士が許可します!」

 

「グローリー、この料理頼んで良い?」

 

「騎士が許可します!」

 

「グローリー、娼館行きたいんだけど?」

 

「騎士が許可します!」

 

「グローリー、男の娘を愛するって男としてOKだと思う?」

 

「騎士が許可します!」

 

 ふと、スミスが思い出したのは、死線から帰る度に、隊で行った打ち上げだ。

 こんな馬鹿騒ぎはなく、各々が持ち寄った酒を味わい合うというものだった。

 身の上話をするわけでもなく、仲間達の死を悼むわけでもなく、淡々と酒を飲む。

 もう誰も残っていない。あの隊の仲間は全員死んだ。自分1人を残して、託して、死んでいった。

 やり遂げた後には何も残らなかった。名誉も無く、ただ1人安酒を煽る以外に何も無かった。

 

「悪いものではないな」

 

 だから、スミスは少しだけ口元を綻ばせる。

 生き残ったのだ。それで良しとしよう。スミスは煙草を灰皿にのせ、琥珀色の液体を口にしながら、ふと1つ気になる事を思い出す。

 竜の神が最終形態に入った時、グローリーは勝利を確信したようだった。それは彼の天性の馬鹿、その絶望知らずの馬鹿による言動だと思っていたが、どうにも今までの彼とは違う、何か別の理由があるように思えてならなかった。

 

「グローリーくん、どうしてキミは竜の神に勝てると、そう分かったんだ?」

 

 だから、スミスは素直に尋ねる事にした。

 皆に煽られ、衣服を脱ぎ捨てて褌1枚となってコサックダンスを披露していたグローリーは、グーサインをして白い歯を輝かせる。

 

「フフフ、騎士はお見通しなんですよ! 竜の神に吹き飛ばされた時に見たんです! 黒き風が白き希望を連れて、愛を貫きに行く姿を! きっと『彼女』は成し遂げたのでしょうね! これこそ愛ですよ、愛! 騎士として、愛を信じずに何を信じるのですか!?」

 

 まるで要領を得ない。聞いたのが間違いだったか、とスミスは即座にこの話題を切り捨てる。

 これから傭兵として、新たな局面がやって来る。

 相手は反大ギルドを掲げる者たちだ。スミスが良く知る反体制主義者、テロリスト、狂信者といった『社会の敵』だ。

 新たな敵との戦いは、新たな地獄を生み出すだろう。そして、それはスミスの想定が正しければ、3大ギルドによる戦争の序曲だ。

 それでも生き抜いてみせる。この1杯の為に。何よりも、自分の帰りを待ってくれている人々の為に。

 

△   △   △

 

 

「そうですか。コンソールルームとは、想定外でしたね」

 

 ベッドに横になり、普段からかけている薄型フレームの眼鏡を外して横になるミュウは、自分に報告する1人の男に感謝の念を述べる。

 その男はテンガロンハットを被り、ジャケットを羽織った、まるでインディー○ョーンズを思わす格好をした男だ。

 

「ご報告ありがとうございます、カイザー・ファラオさん」

 

「俺は仕事をしただけさ。アンタの『争奪戦には手出しをせず、情報収集に撤しろ』っていう指示通りにね」

 

 傭兵とは、単に強さだけが売りではない。

 もちろん、単独行動を求められる事が多い以上は、実力もまた相応に求められる。だが、傭兵とは需要があるからこそ成り立つ存在であり、需要側が求めるオーダーは多岐・多種に亘る。

 そんな中で、カイザー・ファラオは戦力としての優秀さはそこそこの評価であるが、情報収集・マッピング・アイテム回収といった必要不可欠なサポート要素においてずば抜けた評価を得ている傭兵である。

 今回もカイザー・ファラオはユニークスキル争奪戦に最初から参加していたが、あくまでミュウに与えられた依頼は『各陣営の情報収集に撤しろ』というシンプルな物だった。

 その理由は単純明快だ。他者の目が届きにくいジャングルの中だからこそ、これまで隠していた手札を傭兵達は切っていくはずである。その情報を回収し、次なる戦いに備える事を念頭に、ミュウはカイザー・ファラオに依頼を下していたのだ。

 争奪戦という舞台で太陽の狩猟団は大敗北を喫した。だが、既に反大ギルド組織の過激派はミスティアとラジードによって抑え込ませて被害を最小限に抑え、なおかつ貧民プレイヤーの心もつかませた。そして、結果的に竜の神戦で太陽の狩猟団の団長自らが多大な貢献をした事もあり、太陽の狩猟団は『トップ自らが責任を取った』という大アピールに成功した。

 

(戦術的敗北は戦略的勝利で取り戻す。基本中の基本ですね)

 

 更にカイザー・ファラオが持ち帰った、とびっきりの情報。さすがのクラウドアースも、よもや『ボス戦中も含めてずっと神殿の地にカイザー・ファラオが潜んでいた』とは想像もしていなかったはずである。

 ミュウも感嘆する大した胆力だ。竜の神の情報を聞く限りでも、その圧力を前にしていながら、ボス戦にも参加せず、じっと地面に伏せて隠れ続けたカイザー・ファラオこそ、プロフェッショナルと呼ぶに相応しい。何よりも、彼は自分の判断で情報の優先度を切り替え、セサルの真の狙いも見事に暴いて持ち帰った。

 

「しかし、まさかナナコとウルガンはともかく、ヘカトンケイルまで敗れるとはな。やっぱり、強いだけの連中は駄目だな。頭を使わないと、頭を」

 

 トントン、とカイザー・ファラオはこめかみを指で叩きながらも、傭兵仲間達の死を悼むようにテンガロンハットを深く被りなおす。

 

「……まぁ、正直なところ、俺もかなりヤバかったがな。まさか、あのタイミングで霊廟にセサル共が来るとは思いもよらなかったぜ。もしかしてもしなくとも、天井に張り付いていた俺に気づかれてたかもな」

 

「構いません。セサルはそういう人物です。危険をあえて放置する。自分が楽しめるイレギュラーを望む。そういう類の人物なのは、会談の時点で分かっています」

 

 より重要なのは、マクスウェルとセサルが組んでいた事だ。つまり、チェーングレイヴとクラウドアースは繋がりがあると見て良いだろう。あるいは、あくまでパイプがあるのはヴェニデなのか。どちらにしても、犯罪ギルドもまたクラウドアースに掌握されていると見て間違いないだろう。

 駒がいる。犯罪ギルドに組み込む為の駒が。さて、誰を使ったものか、とミュウは思案する。このスキャンダルを明かしても意味が無い。握り潰される以前に、だからどうした、とセサルは鼻で笑って太陽の狩猟団を潰しにかかるだろう事は分かり切っているからだ。

 だから、ミュウは利用する事を選ぶ。

 

「【渡り鳥】さんはチェーングレイヴに回収された。それも間違いないのですね?」

 

「ああ、間違いない。この目でバッチリと見た。あのバケモノ野郎、かなり弱ってたみたいだったがな。心臓がどうのこうのって≪聞き耳≫で拾えたぜ」

 

「心臓ですか。何かの病気……いえ、早合点は止めましょう」

 

 だが、どうやったら『処分』できるのか困りものだった【渡り鳥】に致命的な弱点があるのは間違いないようだ。そして、チェーングレイヴとの繋がりがあるならば、このパイプを利用しない手は無い。彼にそれとなく犯罪ギルド関連の依頼を飛ばせば、必然的にチェーングレイヴとの接触は深くなるはずだ。そうなれば、チェーングレイヴという、犯罪ギルドでありながら、あり得ない程に戦力が集まっている組織の真相も暴ける一手にも成り得る。

 加えて、こちらには彼とも親しいラジード、彼に奇怪な想いを寄せるユイというカードもあり、またサンライス団長も【渡り鳥】を大いに気に入っている。

 

(確か、≪聖壁の都サルヴァの記録≫に団長はご執心でしたね。それに確保しているサブダンジョンの【黒霧の塔】も未攻略。この辺りで、しばらくは【渡り鳥】さんの点数稼ぎといきましょうか)

 

 その為にも、諜報部の再編成をしなければならない。これから大仕事が待っているというのに、言う事を聞かない我が身が憎い。

 と、そこでミュウの寝室のドアが勢いよく開かれる。

 

「フハハハハ! 待たせたな!」

 

 他でもないサンライスの登場だ。咄嗟に目配りし、この話は終わりだとカイザー・ファラオに伝える。彼は即座に状況を把握したらしく、サンライスに被雇用者らしく愛想笑いを浮かべる。

 

「ぬん!? これはカイザー・ファラオではないか! 生きていて何よりだ!」

 

「サンライス様もご無事で何よりです。それじゃあ、ミュウ副団長、今回の俺の依頼の報酬は『そういう事』で頼みますよ」

 

「ええ」

 

 副音声で『仕事分以上働いたんだからボーナスよろしく』と言われ、ミュウは笑顔で受託する。彼のような『コントロールが利くプロ』は貴重だ。依頼を確実に達成するという意味では、【渡り鳥】とスミスは極めて優秀な傭兵だが、2人とも個として強過ぎる。対してカイザー・ファラオは何処までも実力はそれなりでありながら、要求するパフォーマンスを成し遂げる、まさに理想的な傭兵だ。

 さて、後はシノンからUNKNOWNとどの程度『親密』になれたのかを、報告の時にそれとなく聞き出さねばならない。彼女次第でラスト・サンクチュアリへのカードが増える事になるのだ。やるべき事は山積みである。

 

「何だ!? もう帰るのか!?」

 

「俺は傭兵ですからね。1つ仕事が終わったら次の仕事を探さないといけませんから。しばらく太陽の狩猟団からは美味いお仕事が回ってきそうにありませんし、適当な中小ギルドの依頼でも受けて気長にお待ちしておきますよ。今後ともカイザー・ファラオをどうぞよろしくお願いします。ではでは」

 

 芝居がかった所作でカイザー・ファラオは『逃亡』し、ミュウはやっぱりボーナスは無しにしようかと腹積もりの変更を検討する。

 いや、それよりも目下の問題は、眼前にある、ぐつぐつに煮えた雑炊だ。

 肉。

 ひたすらに、肉。

 肉肉肉肉……とにかく肉と肉汁と脂でギトギトの、雑炊というジャンルにあるべきではない肉の塊である。

 

「さぁ、特製の雑炊だ! たっぷり喰うが良い!」

 

 笑顔でエプロン姿のサンライスに勧められ、ベッドから上半身だけ起こしたミュウは、震えて涙目になりながらレンゲを受け取る。

 

「だ、団長……私、その……脂っぽい料理が苦手でして……」

 

「好き嫌いはいかんぞ! ミュウよ、前々から思っていたが、お前は痩せ過ぎだ! 病に打ち勝つにはパワーとスタミナだ! さぁ、たっぷり肉を喰え! 喰うのだ!」

 

「か、仮想世界において、食事は栄養素として――」

 

「おお、そうだそうだ! 生卵を忘れていた! 特別大サービスで3つ入れてやろう!」

 

 ミュウの細々した声の反論など、サンライスの大声の前では嵐を前にした藁小屋以下の掘っ立て小屋である。生卵が3つどころか4つも投入され、肉とお世辞ばかりの米と絡み合い、胃を握り潰すようなコラボレーションの香りをミュウに届ける。

 

「さぁ、喰うのだ!」

 

「………は、ははは……と、とととととと、とって、とっても、美味しそうですね。さ、さささささ、さす、さすさすが、は団長です」

 

「按ずるな! お替わりはたっぷりと大鍋で準備してある! お前が復帰するまで『三食毎日』振る舞ってやろう!」

 

 はふはふ、と脂と卵でギラギラとした肉(+米)を頬張り、ミュウは青い顔をしながらも笑顔を崩さない。

 

 彼女の復帰が遅れた最大の理由は、他でもない団長の手料理だという事を、この時は団員の誰も気付いていないのであった。

 

 

△   △   △

 

 

 発売された隔週サインズの特集記事を飾るのは、【激闘! 竜の神VS最強プレイヤー&傭兵達!】という題名だ。

 内容は、竜の神戦の全貌である。強大なボスにして、時間制限で終わりつつある街を襲撃するというギミックが仕掛けられていた竜の神を倒す。『その目的の為に、争奪戦という隠れ蓑の中で、傭兵達と3大ギルドは協力し合い、竜の神の撃破を成し遂げた』というものだ。

 そもそも、今回の争奪戦自体が『間もなく発動する竜の神による襲撃イベントを何としても防ぐべく、また混乱が拡散する事を恐れた3大ギルドの上層部が秘密裏に実行した作戦』だった。しかし、『犯人は特定されていないが、極めて凶悪な傭兵』が『予想外にもギルドが派遣した補給部隊を壊滅させる』という凶行に走り、状況は混乱する結果となった。

 これにより、『3大ギルドの合議によって急遽編成された竜の神討伐部隊』が傭兵達の援護で派遣される事となり、事無きを得た。その中でも特に活躍したのが、『シャルルの森で≪剛覇剣≫を偶然にも入手した』クラウドアースの誇るランク1のユージーン、竜の神のブレスの囮となって勝利に貢献したサンライスと見事にブレスの誘爆と尾の切断という荒業を成し遂げたシノン、『聖剣騎士団から貸し与えられた』削り取る槍と高威力の奇跡で大戦果を挙げたグローリー、そして他でもない竜の神が終わりつつある街襲撃直前にその首を斬り落として数多の貧民プレイヤー達を死の牙から救ったラスト・サンクチュアリの英雄にして最強の傭兵と名高いUNKNOWNだ。

 3大ギルドは今後も変わらぬ協力と友和を宣言し、反大ギルドを掲げる『テロリスト』の殲滅に全力を注ぎ、治安維持と完全攻略の2本柱を改めて表明した。

 

「全ては茶番劇か」

 

 裏事情を全て知るグリムロックは隔週サインズを閉ざし、これ以上は見るに堪えないとテーブルに置く。

 何事にもストーリーは必要だ。だから、隔週サインズに載せられた荒唐無稽と断じても問題ない『物語』をグリムロックは否定する気など無い。だが、それでも胸に黒い感情を抱かない程に彼は達観できる人物ではない。

 場所は<賢者ローガンの記憶>にある中級ホテルだ。ローガンの記憶は『若き賢者』であるローガンが暮らすヴィンハイムという学園都市である。ボスはヴィンハイムの暗部が地下施設で作り上げた【融合竜ガルジャハ】であるのだが、関連イベントを全てクリアした事で登場した助っ人のローガンがバランスブレイカー級に強過ぎて、プレイヤーが空気だったという逸話が残るステージだ。

 高火力を目指す魔法使い型プレイヤーにとって必須であるソウルの槍が入手できるというステージだけあって、街の美しい景観も合わさってかなりの人気がある。

 そして、そんなプレイヤーが往来するステージに、現在DBOでヘイトを集める白き傭兵であるクゥリは眠りについていた。

 竜の神との激闘から10日、未だにクゥリは目覚めず、その瞼を深く閉ざしたままだ。

 このままでは飢餓と脱水状態になる事から、流動食を無理矢理でも口に押し込むか、レアアイテムである【バランドマ侯爵の栄養剤】を打ち込んでシステム的に訪れる死を何とか凌いでいる。

 まるで眠り姫だ。美しいとしか形容しようがない寝顔で、クゥリは髪紐を外した事で広がる白い髪を揺らす事無く、ベッドの上で眠り続けている。

 邪な感情が芽生えそうな寝顔に、グリムロックは頭を激しく振る。何を考えているのだ!? 相手はクゥリ君だ! 男だ! 男なのだぞ!? なのに、この胸を高鳴らせるものは何だ!? 

 

(グリセルダユウコグリセルダユウコグリセルダユウコグリセルダユウコグリセルダユウコグリセルダユウコグリセルダユウコグリセルダユウコグリセルダユウコグリセルダユウコグリセルダユウコグリセルダユウコグリセルダユウコグリセルダユウコグリセルダユウコグリセルダユウコグリセルダユウコグリセルダユウコグリセルダユウコグリセルダユウコグリセルダユウコグリセルダユウコ……良し、落ち着いた)

 

 愛する妻はやはり偉大だ。早く彼女に断罪されねばならない、とグリムロックは自分を正気に戻してくれた妻に感謝を捧げる。

 

「……ユウキ君、そろそろキミも寝た方が良い」

 

 グリムロックは、この10日間付きっ切りでクゥリの看病を続ける黒紫の少女の名を呼ぶ。

 チェーングレイヴ、犯罪ギルドの1員であると言われても信じられない気持ちがある。だが、自分に協力を申し出た『SAOでも名を轟かせていたプレイヤー』だったチェーングレイヴのボスは、今回の茶番劇の全てを明かした。

 協力した事が正しかったのかどうかは定かではない。だが、自分の判断が結果的にクゥリに何かをもたらす事は間違いない。だからこそ、グリムロックは見届ける義務があった。

 クゥリがクラウドアースの依頼を受けたのは……傭兵を争奪戦の中で1人でも多く殺すという危険な依頼を受けたのは、他でもないグリセルダをグリムロックに巡り合わせる為だと彼は知らされている。

 ならば、グリムロックもまた覚悟を決めねばならない。彼が自分の為に戦ってくれたならば、最高の武器と防具を仕上げる事こそがグリムロックの誇りだ。その為にも、目覚めて1番に、彼に『次はどんな武器が良い?』と笑顔で尋ねるのだ。

 

「大丈夫だよ。それよりも新しいタオルを。汗を拭かないと」

 

 クゥリの額から薄っすらと流れる汗を白いタオルで拭い、ユウキは隈が濃い眼を向ける。

 最近になってクゥリに新たな知人ができたとは知っていたが、まさか女の子とは思わなかった。しかも犯罪ギルドでも武闘派と知られるチェーングレイヴのメンバーであり、自分がチェーングレイヴの依頼で鍛えた剣の所有者である。

 現在、DBOには幾つかの異変が生じている。その1つが発汗だ。これまでプレイヤー達はどれ程の高熱に晒されようとも汗を流す事は無かったが、今は違う。汗は垂れ、ニオイが立ち込める。風呂に入らぬ貧民プレイヤーからは悪臭が漂い、女性プレイヤー達はこれまで以上に身嗜みに気を遣うようになった。その異変からクゥリだけが逃げられるはずもない。

 グリムロックに出来る事といえば、流動食を作り、また部屋の中で細々と武器を最低限の道具で鍛える事、そしてクゥリの体をお湯に浸したタオルで拭いてあげる事くらいだ。ユウキもまた、彼の心音が弱まる度に手を握りしめ、『キミは死なない。絶対に死なない』と囁く事しか出来ない。彼女の手首にはクゥリが付けていた不死鳥の紐が結ばれており、それは彼女がここにいる理由そのものでもあるのだろう。

 ふらり、とユウキは立ち上がって膝から崩れそうになる。彼女はこの10日間、ずっとクゥリの隣に居続けた。食事も睡眠も疎かにして、その目覚めを待ち続けている。

 

「月並みだが、キミが倒れたら意味が無いだろう? クゥリ君は必ず目覚める。その時の為にも、まずはユウキ君がしっかり休むんだ」

 

「……そんなことできないよ。ボクが……ボクが行かせたんだ。クーは必ず無茶をする。どれだけの犠牲を払っても、必ず勝つ。それが分かってたのに……行かせたんだ。ボクには責任がある。『クーがやりたい事をやる』のを止めずに見送った義務があるんだ」

 

「それは私も同じだ。だからこそ、しっかり休んでくれ。幸いにも、彼を探している連中もここを嗅ぎ付ける様子は無い」

 

 人気スポットの中級ホテルというだけあって、利用しているプレイヤーの数は多い。だからこそ、隠れ家になる。クゥリを、今まさに緩やかに始まった3大ギルド同士の軋轢を超えた衝突、ギリギリで保たれていた平和の破壊者として追う者、補給部隊壊滅を成した彼を恨む者、そしてこれまでもそうだったように依頼の度に増やし続けた復讐者たちが、クゥリの首を狙っている。

 ユウキが控える最大の理由は、クゥリを襲撃者から守るためだ。その為に、あらゆる情報を断つ為に、わざわざ彼女は仲間にも連絡を取らず、グリムロックだけを『クーが1番信用している人だと思うから』という理由で付き添わせた。

 

「良いから少し休んでくれ。キミがそんな状態では、追い返せるはずの敵にやられてしまう」

 

「……分かった。3時間だけ……3時間だけ休むね。ついでに買い出しにも行ってくる。絶対にボク以外でドアを開けちゃ駄目だからね」

 

 渋々といった様子でユウキは部屋から退出する。あの様子だと3時間と言わずに30分で戻ってきそうだ、とグリムロックは嘆息した。

 あんな可愛い子に思われていたなんて、キミも立派な男の子だったんだね、とグリムロックはそれまでユウキが腰掛けていた椅子に落ち着く。

 

「クゥリ君は、林檎の兎は好きかい? ユウコは……グリセルダは……風邪を引くたびに私にねだったんだ」

 

 愛する妻との思い出を口にしながら、グリムロックは林檎を調理する。兎の形に切り分けるだけでも≪料理≫が必要なのだ。

 今回の一連の異変。それはDBOをより現実世界に……プレイヤーのアバターを現実の肉体へと近しい物へと変えてしまった。なのに、あくまで全ての行動にはゲームとしてのシステムが纏わりつく。今のグリムロックには、むしろそちらの方に違和感を募らせている。

 この世界の住人になっていく。この殺し合いの世界の1部になっていく。グリムロックは林檎の兎を皿に並べ、ナイフを置く。この林檎の兎もこのまま放置すれば耐久度の減少と共にポリゴンの欠片となって消えるだろう。

 と、部屋にノックが鳴り響く。ギクリと背筋を伸ばしたグリムロックは、唯一の武器である金槌を手に、出入口のドアを睨む。ここは6階の1番奥の部屋だ。窓ガラスからは大通りが覗けるが、今はカーテンに閉ざされている。いざとなればクゥリを抱え、窓から脱出する事も可能だ。

 

「ユウキくん?」

 

 まさか鍵を無くした……なんてオチがDBOでは通じない。宿の鍵は廃棄不可であり、譲渡しない限りアイテムストレージに残り続けるのだから。

 だとするならば、このノックが示すものは1つだ。グリムロックがクゥリを抱えて逃げ出そうとするよりも先に、ドアが破砕され、3人のプレイヤーが流れ込む。

 いずれも身バレを隠す為か、目深くフード付きのマントを被っている。装備は1人がアサルトライフル、1人が両手剣、1人が杖……という事は魔法使い型だろう。

 

「そこを退いてもらおうか」

 

 リーダー格らしい両手剣使いがクゥリを庇うように金槌を構えるグリムロックに剣を向ける。

 

「アンタに恨みは無い。そこのバケモノの首が欲しいだけだ」

 

「その口振り……復讐に来たってわけじゃないみたいだね。誰かに雇われたのかい?」

 

「答える義務はないな」

 

「だったら、私も退く気はない」

 

 反抗の意思を示すグリムロックに、両手剣使いは嘆息する。傭兵ではないだろう。恐らく、単純にコルやアイテムで雇われたアウトローと言ったところか。レベルはせいぜい20前後か30手前、難易度が高過ぎるDBOに心が折れてしまい、攻略も強さを得る事も諦めてしまった類の連中だろう。

 勝てるか? グリムロックのレベルは意外にも34と高めだ。クゥリに護衛をしてもらいながらダンジョンに潜って素材集めをする機会が多いだけではなく、彼自身も単身で活動する事が多いからである。

 だが、スキル構成は絶望的なまでに戦闘向きではない。≪戦槌≫の熟練度はそれなりであるが、5や10のレベル差などあっさり覆せるDBOでは、彼のアドバンテージは数の差の時点で無い。

 そもそも、どうやってこの場所がバレた? あり得るとするならば、買い出しに何回か外出したグリムロックのミスだろう。恐らく、こちらがユウキとグリムロックの2人が常に張り付いている事から、リスクを減らす為にどちらかがいなくなるのを待っていたのだ。

 どうする? どうすれば良い? 汗を垂らすグリムロックが腕1本を犠牲にして攻撃を耐え、クゥリを抱えて決死の窓からジャンプを選択しようとした時だ。

 

 視界を『白』が舞った。

 

 くるくると、グリムロックを跳び越え、その過程でテーブルの林檎を剥いたナイフをつかみ、『白』はグリムロックが、3人の襲撃者が反応するよりも先に天井に到達すると蹴って急行落下し、魔法使いプレイヤーの背後を取ると、その喉を切り裂く。

 だが、武器ではないナイフでは大したダメージは与えられない。それでも喉をいきなり深く斬られた衝撃が魔法使いプレイヤーに狂乱をもたらす。そこで、ようやく『白』に反応を示すことができた他の2名だが、その時には既に『白』が装備した禍々しい黒の槍の光があった。

 

 

 

 

「【磔刑】」

 

 

 

 それはまさに死の宣告。床に突き刺された黒の槍は、まるで根を広げるように一瞬だけ床に赤黒い光を走らせたかと思うと、3人の襲撃者の足下から……いや、『白』を囲うように突き出された赤黒い光の槍が飛び出し、3人を貫く。

 3つの絶叫が重なり合う中で、『白』は欠伸をしながら、串刺しにされる中で生存していた両手剣持ちの首を180度捩じって楽にさせ、赤黒い光の爆散に変える。

 

「オレは林檎のウサギさん大好きだけどな」

 

 槍を振るって肩にのせ、クゥリは凛とした……中性ではある美しさの中にある『男性的』な眼差しで、地面に落ちた林檎の兎を齧る。

 

「は、はは……お、おはよう、クゥリ君」

 

 目覚めを果たしたクゥリは、ジロリとグリムロックを見て、続いて周囲を見回して見知らぬ場所である事に疑問を抱くような顔をし、最後に戦闘の余波で床に落ちた隔週サインズを手に取って広げて読むと鼻を鳴らして投げ捨てて槍で貫く。

 システムウインドウを開き、彼はグリムロックが脱がした防具とコートを再装備し、更にいつの間に入手したのか灰被りの大剣を背負う。そして膨大に溜まっているらしい、恐らく依頼関連だろうフレンドメールを確認していき、やがて小さく微笑んだ。

 

「依頼完了か。報酬もある。場所は最前線【戦場記者ガーグイの記憶】だな。終末の時代か。厄介だが、新スキルを試すには丁度良いさ」

 

 そう言って、3人から殺害して奪ったらしいアサルトライフルをクゥリは『装備』する。

 

「灰被りの大剣は破損が酷いな。グリムロック、後で即席で良いから修理を頼む。アサルトライフルは……うわぁ、コレ弱過ぎだな。コルは腐るほどあるし、終末の時代なら現地調達できるだろうから、そこで整えるとするか。ほら、行くぞ」

 

「行くって……何処にだい?」

 

 眼帯をした白き傭兵は、何を馬鹿な事を言ってるんだと呆れたように、グリムロックに笑いかける。

 美しかった。

 凛とした、男性的な眼差し。

 温かな、女性的な微笑み。

 それらが完全に同居した中性の美。

 多くの画家が、彫刻家が目指した、美という概念の具現。その理想形の1つ。

 男性も女性も虜にするような、完成された中性美がそこにあった。

 

「決まってるだろう? グリセルダさんを助けに行くんだ」

 

 当然のように告げるクゥリに見惚れていたグリムロックは、衝撃発言に我に返る。

 いやいや、それは出来ない! 目覚めて即座に行動とかバイタリティが溢れ過ぎていている! いや、それ以前になんかクゥリ君のキャラが激変している気がする!? 彼はこんな自然に、誰かを助けると口にできる人物では絶対に無かったはずだ!

 

「く、クゥリ君、まずは……まずは、ほら! 色々と準備を整えないと!」

 

「それもそうか。回復アイテムとか色々と買わないといけないものがあるな。まぁ、どっちにしても想起の神殿に行かないといけないし、商人から買い漁るぞ。安心しろ。今のオレの財産はヤバいから。400万コル余裕で突破してるから、多少の無理は金の力で解決だ。というわけで、さっさと行くぞ」

 

 手を差し出されたグリムロックは、ごくりと喉を鳴らす。

 怖い。

 クゥリではなく、こんなにもいきなり、グリセルダと出会う為に、断罪されるための最後の旅が始まる事が……怖い。

 

「安心しろ、グリムロック」

 

 だが、そんな彼の恐怖心を見抜いているからこその微笑。クゥリはグリムロックを導くように、聖女のように笑む。

 

「オレがいる。オレが助ける。必ずグリセルダさんに会わせる。何も恐れるな。怖いヤツは全部オレが食べてやる」

 

 不思議だった。

 以前と同じように、クゥリは恐怖の塊としてそこにいる。

 なのに……魅入られるような、孤独な夜に震える旅人を温める篝火のような、優しく包み込んでくれるような不可思議な恐怖だった。

 

「ああ、行こう!」

 

 待っていろ、グリセルダ! グリムロックはクゥリの手を握りしめ、導かれていく。

 そして、断罪の旅が始まる。

 

「ところで、何時から起きてたんだい?」

 

「5分くらい前。それよりも、なんか髪紐になるものがいるな。それも買っておかないと」

 

「5分……丁度『彼女』がいなくなった頃、か。なるほど、キミが眠り続けていたのは、もしかしたら『彼女』がいて安心していたからなのかな?」

 

「は?」

 

「いや、こっちの話だよ」

 

 この時、グリムロックは致命的なミスを犯した。

 彼は、せめて一筆でも残しておくべきだったのだ。

 自分と彼が何処に旅立つのか、何を成すのか、書き記しておくべきだったのだ。

 そうでなくとも、ユウキの事をこの時点で即座に伝えるべきだったのだ。

 

 

△   △   △

 

 

「ふーん。へー。ほー」

 

 だから、それは1つの運命をもたらした。

 グリムロックの読み通り、30分で帰還を果たしたユウキは、部屋の惨状を見て襲撃者が現れたのだろうと戦慄し、同時にベッドに一切の傷が無い事、天井を蹴った痕跡、そしてそこからの落下地点に落ちているナイフを見て、大体何が起きたのかを推測する。

 

「……10日間も眠り続けて」

 

 ベッドの、まだ温かな熱が残るシーツをユウキは撫でる。

 

「……ボクがいなくなった途端に目覚めて」

 

 片手剣を抜いて薙ぐ。それはソウルの大剣を帯び、窓ガラスを粉砕し、外気の風を部屋に流し込む。

 

「……そして、サヨナラ? 図ったね。図ったね……グリムロックさん…………っ! あなたの、クーを見るHENTAI的な眼差しにボクが気づいてなかったとでも? それでも、きっとまともだろうって信じてたのに。それにクーもクーだよ。どうして、起きたらすぐにいなくなっちゃうの? どう見ても、これって避難したって感じじゃないよね? 明らかに自分の意思で出て行ったよね?」

 

 見当違いの怒りの矛先をDBO屈指のHENTAI鍛冶屋に向けながら、ユウキは手首に巻かれた不死鳥の紐を撫で、やがて口元を歪める。

 

「あはは……あはははは……あははははははは!」

 

 狂ったように笑い出す。

 

「あはははははは……はは……ひっく……えぐ……」

 

 笑うだけ笑って、ユウキは目に涙を溜める。

 

「クーの……クーの馬鹿ぁあああああああ! だけど愛してるよぉおおおおお!」

 

 この時、誰も知らなかったのだ。

 

 彼女を置いてきぼりにした事が、いかなる運命をもたらすのか、何も分かっていなかったのだ。

 

 それは、神も、茅場晶彦も、後継者も予想していなかった、1つの巡り合わせを生むなど、誰にも想像できなかったのだ。




次回は現実世界編となります。
そして、いよいよ次のエピソードはグリセルダ編です。
舞台は、本エピソード初の本格的な終末の時代。
魔法? 奇跡?
いえいえ、銃弾と爆炎とレーザーが飛び交う戦場がお待ちです。
そして、主人公(白)がついに射撃攻撃を得ました。お察しください。

それでは、184話でまた会いましょう。

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