最長エピソードはボス戦も最長クラスでした。
ですが、それもようやく終わりです。
間もなく時計の針は1周する。いや、視認できる範囲であれば、ほぼ回り切ったと言っても問題ないだろう。
時間稼ぎに終始すれば、竜の神の勝利は磐石だ。だが、荒ぶる神はそれを良しとせず、時が訪れる瞬間まで逃亡せずに真正面からUNKNOWN達を迎え撃つ。
右手を奪われ、尾を失い、右目を潰され、牙を砕かれ、鱗を剥がされ、翼すらも自ら捨て去ってもなお、強大。
突撃するユージーンに対抗すべく、竜の神は炎を口内に凝縮させ、連続火球ブレスを放つ。ユージーンの機動を邪魔するように、命中させるのではなく、動きを阻害する為に放たれたブレスの爆炎であるが、ユージーンは大火球でその内の1発を誘爆させ、道を開くと竜の神の懐へと跳び込み、その腹を斬り払う。既に鱗が剥がれたそこは、あの赤紫のエンチャントが施されておらずとも、重量型両手剣の火力ならば十分に通るようだった。
シノンはユージーンが正面突破した間に背中に飛び乗り、弱点である首の後ろを狙おうとするも、それを竜の神は身をのけ反らせ、全身を回転させる事によって拒む。振り落とされたシノンは着地しようとするも、失われた左腕の断面から響く不快感が足をよろけさせ、着地に失敗する。
精神力だけで、これまで欠損のダメージフィードバックに抗ってきたが、たとえ彼女自身がそれに耐え抜こうとしても、脳が限界を訴え始めていた。
立ち上がれない。震える足を叱咤し、ふらふらと起き上がったシノンは、今の自分に何ができるかを再確認する。
この刃毀れだらけのナイフでは、もはや戦うなど土台不可能だ。次にソードスキルを命中させるにしても、モーション中に折れてしまうだろう。元より火力が乏しい彼女が完全に攻撃力を失ったとしても、陣営としては痛手にはならない。
もはや撹乱役も必要ない。ならば、シノンに出来る事は見守ることだけのはずだ。
「いいえ……まだよ、まだ『ある』わ!」
ナイフをオミットしたシノンが引っ張り出したのは、スナイパーライフルだ。残弾が1桁となった時点でダメージソースとして有効ではないと判断したが、たとえ1桁であろうとも、残弾はあるのだ。
正確な残弾数は4発。たった4発だ。竜の神を仕留めるには、絶対に届かない4発だ。
それでも、抗う手段は残されている。片腕だろうとも、勝利の一撃にならないとしても、この4発で何かが変えられるはずだ。
(考えなさい! UNKNOWNがソードスキルを弱点に叩き込む一撃! その為に必要な時間さえ作れば良い! この4発で作って見せるのよ!)
案その1、胸の傷口に撃ち込む。首程ではないとはいえ、弱点である事は変わらないだろう。そこに全弾撃ち込めば、あるいは?
(却下! それで怯むなら、こんなにも苦労してないわ!)
案その2、首の裏に至近距離から撃ち込めば怯ませられるので、それを狙っていく。
(それが出来ないから隙を作ろうとしているんじゃない!)
案その3、ばら撒け。
(無意味、無価値、無駄!)
吃驚する程に有効的な使用方法が思いつかない。そもそも、これ程に強大かつ巨大なボスを相手に、しかも射撃減衰能力を持ち、目に命中させても怯みもしない、スタン蓄積が本当にしているのかも怪しい怪物中の怪物に、豆粒以下の4発の弾丸で何が変えられるというのか?
左腕を振り回す薙ぎ払いを強化ジャンプで避け、そのまま腕に飛び乗ったUNKNOWNが竜の神の首の裏を目指すも、自身の腕を焦がす火炎ブレスを放ち、彼を無理矢理退避させる。自傷を伴っても、何が何でも弱点に到達させまいとする竜の神がこのままでは最後の数分を制してしまう。
「直線ブレスの直前を狙いたまえ」
と、そこで歯を食いしばり、ユージーンとUNKNOWNが繰り広げる熾烈な戦いの中で、シノンと同じように撹乱に撤するしかなかったスミスが、彼女の傍に駆け寄ると額の汗を散らしながら助言を施す。
「観察していたが、奴が直線ブレスを放つ直前に、口内の炎が瞬間的に凝縮される。それを撃ち抜けば、あるいは誘爆させ、ダメージを与えられるかもしれん」
「……2階から目薬ってレベルじゃない程にシビアね。しかも確証が無い1発勝負なんて、クレイジーだわ」
だが、面白い! シノンはこの最高最悪のギャンブルに自分の命をのせる事を選ぶ。
「貸すから、スミスさんが狙っても良いわよ?」
「残念だが、狙撃に関して言えば、私はキミには及ばないよ。何よりも命を使った博打はしない主義だ」
逆転の目を言うだけ言って、スミスは去っていく。彼もまたこの状況を覆す為に諦めているわけではないのだ。
策はもらった。だが、問題はどうやって実行するかだ。まず、遠距離からの狙撃は論外だ。たとえ命中コースを取れたとしても、口内ともなれば熱風が渦巻くはずだ。とてもではないが、到達するよりも先に銃弾は失速し、凝縮した『点』を貫くだけの攻撃力を残せないだろう。
あるとするならば、至近距離。竜の神が直線ブレスを放つ直前に、まさに砕けた牙の眼前に立ち、刹那を切り取ってトリガーを引く。それ以外に方法は無い。だが、その為には竜の神の直線ブレスを誘発させ、なおかつそのタイミングにシノンが陣取りをし、加えて片腕で狙撃できるだけのコンディションを準備せねばならない。
「ならば囮役、俺が引き受けよう!」
話を聞き、何が必要なのか察知したらしいサンライスが威勢よく、シノンの耳が潰れる勢いがある大声で宣言する。
「団長!? 駄目です! 囮ならば僕が――!」
「愚か!」
組織のトップが死の博打に挑む。それを良しとする団員ではない。ラジードが即座にサンライスへとストップをかけようとするが、容赦ない彼の拳がラジードの腹を打って数メートル吹き飛ばされる。当然ながらダメージ付きである。
「『仲間』を信じぬはリーダーにあらず! 我らが太陽の狩猟団が誇るスナイパーに我が命を授ける事を恐れる必要など無用! それが分からぬかぁああああ!」
「だ、団長……っ!」
腹を殴られたのに、まるで愛の鉄拳を頬に受けたかのようにラジードは感涙している。このタイミングでこの熱血のノリを披露とは、実はこの場でタイムリミットが迫って焦っているのはUNKNOWNと自分だけなのではないだろうかとシノンは疑いたくなる。
「安心してください。団長は死なせません。アタシがサポートしますから、あなたは狙いを定める。それだけに集中してください」
槍を振るい、ミスティアが顎を伝う汗を拭いながら竜の神に突撃する……フリをしながら、竜の神の視界で動き回る事によってシノンが跳び込める余裕を作り出す。対してサンライスが陣取るのは、竜の神から20メートルほど離れた場所だ。腕を組んで仁王立ちしている。
だが、竜の神がサンライス目がけてはなったのは直線ブレスではなく、連続火球ブレスだった。
「今、超必殺の、グローリー☆シールドぉおおおおおおおおおお!」
だが、そこに飛び出したのは、スタミナ切れを起こして離脱したタルカスの所有物である黒鉄の大盾を装備したグローリーだった。彼はサンライスの前で陣取り、連続火球ブレスを盾で受け止めてサンライスを守る。
苛立つ竜の神がブレスではなく拳でサンライスを潰そうと駆けようとするが、アーロン騎士装備が尻尾の断面に深々とカタナを突き刺して気を逸らし、ガトリングガンを振り回すメイドが竜の神の鼻先を強打して文字通り出鼻を挫く。
あとはシノンが決めるだけだが、最後の問題である狙撃体勢の維持が難点だ。竜の神が4足歩行化したことによって、より口内は狙いやすくこそなっているが、それでも高度がなければ、口内の奥深くで凝縮するブレスの一瞬を貫くことができない。
必要となるのは、高STRの補佐だ。ユージーンかUNKNOWNが望ましいが、彼らが竜の神に張り付いていなければ、島中を暴れ回って狙い辛さが増してしまう。
「フフフ、お困りのようだな」
だから、これは最悪中の最悪だ。シノンは恐る恐る振り返れば、そこにはスタミナ切れから復帰したらしいタルカスが、兜以外をオミットしたブーメランパンツ姿で腰に腕を回して隆々とした筋肉を披露していた。
感情を優先している場合ではない。嫌悪感を呑み込み、ついに直線ブレスの体勢を取った竜の神へと、シノンはタルカスに抱き上げられて突進する。
「行け、【魔弾の山猫】! 全ては我らが【渡り鳥】ちゃんの為に!」
タルカスの肩に腰かけたシノンが、彼が炎溢れる口内の前面という絶妙な高度に達する跳躍で以って最高の狙撃ポジションに到達すると同時にスコープを覗き込む。
真の狙撃主に2発目は要らない。溢れた炎が集まる一瞬、スミスが示した通り、炎が凝縮していく。それをスローモーションに感じる程の集中力で、シノンは半ば無意識にトリガーを引いていた。
タルカスが狙撃の衝撃を殺す固定台の役割を果たし、シノンの放った弾丸が竜の神の口内に、炎の凝縮点に到達し、貫通する。それと同時に爆炎が溢れ、竜の神の頭部が火達磨になった。
竜の神の絶叫を押し潰したのは、このタイミングを待っていたユージーンが放った≪両手剣≫屈指の空中発動のソードスキルであるヘルムブレイカーだ。急行落下するソードスキルの斬撃は竜の神の額に吸い込まれ、顎から地面に叩き付ける。そして、完全に無防備になった首の裏へとUNKNOWNが到達するのは、もはや必然。
ソードスキルの光が両手の剣に溢れる。それは、シノンが知るスターバーストストリームを超える、まるで太陽のコロナの噴出を思わす、凄まじい連撃のソードスキルを生み出し、首の裏へと押し込まれていく。
『これで……終わりだぁああああああああああ!』
その全ての斬撃が竜の神のHPを削り取る。オートヒーリングすらも超えて、ゼロに至る。
そのはずだった。
竜の神という怪物。それが成す最後の足掻き。それは咆哮。ソードスキル最後の一閃が届くより先に、竜の神は≪ハウリング≫を発動させたのだ。それは近距離にいたシノン、タルカス、ユージーン……そして、無論UNKNOWNもまた吹き飛ばす!
シノンが島の外まで飛ばされなかったのは、タルカスの踏ん張りと咄嗟に全身をクッションにして彼女を受け止めたラジードのお陰だ。UNKNOWNは地面に剣を突き刺して衝撃を殺そうとするが、それに使用した重量型に亀裂が押し広がる。
「1歩足りなかったか」
島の外縁部に先回りしていたスミスがUNKNOWNを押し留め、何とか彼の離脱を喰い止める。だが、それはもはや意味があるものではない。
<強大なソウルの持ち主は時を超え、あるべき歴史の流れと巡り合う>
タイムリミットの鐘の音はせず、代わりに冷たいシステムメッセージが彼女達の敗北を知らせた。
△ △ △
シャルルを真紅の光の嵐で呑み込み、その最後のHPバーを削り取る。
ひたすらに選択する。シャルルに斬られぬように、加速を続ける神楽の中で、オレは舞い続ける。ヤツメ様と一緒に舞い、刻み、シャルルの血肉を削ぐ。
やはり3本目は、シャルル自身が炎の鎧を纏った事によって高防御力化した事もあり、たとえ八ツ目神楽でも簡単に減らせるものではない。
そして、何よりも状況を『オレ達』に傾けさせないのはシャルルの剣技だった。急所に迫るものだけを≪剛覇剣≫を纏わせた剣で弾き、なおかつオレに反撃を試みるべく剣を振るい続けている。それは未だにオレを捉えられずにいるが、徐々に精度は増し、加速しているはずのオレに追いつき始めている。
理由は分かっている。見切られ始めているのだ。八ツ目神楽は足の動きを起点とするOSSだ。だが、今のオレの左足首は動かない。だから、結果的に使用できる型の数が減少している。
総数で18。それが今使用できる型の数だ。足りない。シャルルを惑わし、より完全に八ツ目神楽に捕らえるには……型の数が足りない。
スタミナ切れには到達してしまったが、温存分が働いて想定よりも遅くスタミナ切れの状態になった。この貯金をあとは切り崩すだけだが、何処まで保てるか。
『おぉおおおおおおおおおおおおおお! まるで剣舞のようではないか! これ程までに狂おしく美しい剣技があろうとは! だが、我を討つには足りぬ! 足りぬぞ!』
いい加減に死ねとヤツメ様が叫ぶ。だが、シャルルの獰猛な笑みを見て、オレは微笑ましかった。
最期の果てに、自らを分割する程に絶望で染め上がれていたはずの彼にあるのは、歓喜だ。この死闘に没頭できる武人としての悦楽だ。
足りない。だから、補え。
左足首が動かないのは、脳がダメージを受け、運動アルゴリズムとの齟齬が深刻化しているからだ。ならば、全てを掌握すれば良い。
最後の切り札を使うのに躊躇など無かった。
脳の黒点のような空洞へと、ヤツメ様を抱きしめながら落ちていく。彼女と絡まる指が、吐息が、魂が1つになっていく感覚が広がる。
オレを導いてくれ。『アイツ』を助けたいという、シャルルを眠らせたいという、この『理由』で、数十秒で構わない。
灼ける。それでも、オレは『オレ』として、ヤツメ様の導きを受けていく。
左足首が動いた。その度に、オレが『オレ』で無くなるように、何かが崩れていく。炭化していく。
シャルルの剣を超える。更なる加速と分岐を得た八ツ目神楽に、シャルルは追いつけなくなる。そのHPを奪われていき、ついに心臓を狙った一閃を迎撃できずに、深々と胸を裂かれる。
灼ける。灼ける。灼ける。
とても痛い。呼吸ができない。心臓が焼き潰されていく。脳髄が痛みと痛みと痛みと痛みと痛みと痛み痛み痛み痛み痛み痛み痛み痛み痛み痛み痛み痛み痛み痛み痛み痛み痛み痛み痛み痛み痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛。
「あぁアアアああぁあああアアぁあァああアああァああアアアアああァああ!」
これは誰の声なのだろうか?
オレの? それともヤツメ様の?
『来い、傭兵よ! 聖女よ! 神子よ! 我を貫いてみせよ!』
シャルルの声が呼んでいる。
そうだ。彼を眠らせないと。『アイツ』の為にも、彼を眠らせないと。
もうすぐだ。もうすぐだから。
だから、だからだからだからだから!
完全にシャルルの剣が届かなくなった刹那に、刃がシャルルの胴を薙ぎ、そこから回って背中から斬撃が抉り込む。更に神楽を繋げ、反転するシャルルの左肩へとカタナが侵入していく。
シャルルのHPは赤く点滅していた。この刃が彼の心臓を引き裂けば、彼の命は終わる。
だが、シャルルは魅せる。武人としての魂を……最後の力の全てを見せつける。
心臓を斬らせる。その一瞬の間に、彼は剣を押し上げ、カタナの刃を止める。神楽の加速の全てが乗った最後の一閃を真っ向から受け止める! これがシャルルが選んだ最後の攻防! その生涯の全てをかけた見切りの絶技!
真紅ソードスキルの光と≪剛覇剣≫の赤紫が接触し、火花と火の粉を散らす。
加速の限りを尽くした八ツ目神楽と決死の≪剛覇剣≫。
「おぉおおおおおおおおおおおおお!」
『ぬぉおおおおおおおおおおおおお!』
互いの雄叫びの果てに決着が訪れた。
砕け散ったのは……オレのカタナの方だった。
スタミナの回復が間に合わず、振り抜いたシャルルの剣によってオレは吹き飛ばされて宙を舞う。
ここまでの激戦、八ツ目神楽の負荷、そして序盤に迎撃された事による耐久度の減少。
最後の最後で決め手になったのは……武器の性能……いや、宿った魂か。
これはザクロのカタナだ。オレを殺す為に鍛えられたカタナだ。ならば、オレを裏切るのは必定。彼女の怨念が詰まった刃なのだから。
『見事なり。されども、我は成り損ないの薪。我は王冠を戴かぬ闇の王。神を殺し、神に至り、神にならなかった者。神に仕える聖女に、我を討てる道理は無し』
△ △ △
間に合わなかった。愕然としたシノンを嘲うように、竜の神がその全身を震わせ、かつてそうだったように2本足で立ち上がって跳びあがる。追撃を仕掛けたミスティアの槍は掠めるに留まり、竜の神は遥か頭上の巨大な島に爪を立て、這い上がり、天空の輪……終わりつつある街に繋がっているだろう穴を目指していく。
勝てなかった。守り切れなかった。あと数分……いや、数十秒後には、竜の神は終わりつつある街に到達し、破壊の限りを尽くすだろう。あの街にいる全ての人間を、NPCもプレイヤーも関係なく抹殺するだろう。
『まだだ! まだ間に合う! 終わりつつある街に行かれるより先に、奴のHPをゼロにするんだ!』
絶望するシノンが膝をつくより先に、UNKNOWNが彼女にしか聞こえない叫びを散らす。敗北を認めぬ、抗いの意思で以って彼女に闘志を取り戻させる。
だが、どうやってHPをゼロにする? 確かに、竜の神のHPは残り1パーセント程度、多く見積もっても2パーセントあるか無いかだろう。だが、その僅かな差もプレイヤー達の手が届かぬ距離に至った現在もオートヒーリングでジリジリと回復されてしまっている。
そもそも、竜の神に追いつこうにも、強化ジャンプでも距離が足りない。
抗う術がない!
「今、超必殺の、グローリー☆フュージョォオオオオオオオオオオオオオン!」
「真・新生YARCA旅団奥義【漢の三連結合】!」
「見よ、太陽の暁を! まだ黄昏は遠く、我らを熱く滾らせる地平線の光を!」
絶句とはこういう事を言うのだろう。
馬鹿は絶望を知らず、そして希望へと突き進み続けるからこそ馬鹿なのだ。
シノン達が見たのは、タルカスがサンライスを、サンライスがグローリーを肩車して出来た、彼らが作り上げた即席ロケットだ。
以前にALOの世界樹の頂点を目指す為にプレイヤー達が肩車し合って連続ロケット飛行をしたという馬鹿話をネットで拾い上げたことをシノンは思い出す。
やはり馬鹿は強い。シノンはスナイパーライフルを背負い、UNKNOWNの手を引き、サンライスの膝を足場にして彼と共にグローリーの肩に乗る。
「感じるぞ! 感じるぞぉおおおおおおお! 愛! LOVE! LOVELOVELOVELOVE! 燃え上がれ、【渡り鳥】ちゃんの愛! 今こそ私に力を!」
いかにSTR特化型とはいえ、グローリーとサンライスが武器を捨てた上に全員が軽装とはいえ、4人分の重量だ。強化ジャンプは大幅に制限されるだろう。
だが、タルカスは跳ぶ……否、『飛ぶ』! まるでロケットに点火されたかのように、タルカスは足場の島が震えるほどの脚力で跳びあがる。
「ここに来て、リミッターを完全に外したか」
呆れたようにスミスが呟きながら、馬鹿達へと苦笑と共に敬礼する。終わりつつある街の運命を託しながら、煙草の煙を捧げる。
「行け、我らが希望よ! 終わりつつある町を守り抜け!」
タルカスが失速し、最高高度に到達して停止するタイミングでサンライスが強化ジャンプを発動させて彼の肩を蹴り、舞い上がる。こうしている間にも竜の神は天空の輪へと迫っている。
間に合うか否か。そもそも飛距離が足りるのか。諦めを強要する悪魔の囁きがシノンの耳を擽るも、UNKNOWNが彼女の右手を握りしめる。
大丈夫。必ず間に合う。シノンは頷く。そうしている間にサンライスも最高高度に達し、グローリーが2人を肩にのせてサンライスを足場にして強化ジャンプを繋げる。
「ランク3、それにランク9、勝利の凱旋の『栄光』はあなたたちに譲りましょう! 騎士として。騎士として! 騎 士 と し て!」
ニッと、微塵もUNKNOWNたちが勝利をつかみとる事を疑わない笑顔で、シノン達をグローリーは送り出す。
最高の馬鹿だ。シノンは彼の胸を使って強化ジャンプを発動させ、高いDEXに由来した跳躍でUNKNOWNを引っ張りながら空を舞う。
あと1回! 次にUNKNOWNが自分を足場にして強化ジャンプすれば、竜の神に追いつく! シノンは絶対に離すものかとUNKNOWNの手を握りしめる。
だが、竜の神は追跡者の存在に気づいたのか、足場として利用していた島を破砕し、瓦礫の礫を雨のようにシノン達へと殺到させる。
ダメージが与えられ、シノンとUNKNOWNのHPが減るも、瓦礫は小さいので大したダメージではない。問題なのは、瓦礫の雨によって強化ジャンプが失速してしまった点だ。
足りない。たとえ、ここでUNKNOWNが強化ジャンプを使ったとしても、距離が足りない!
だが、そこに真横から突き出されたのは……竿状武器。先端が潰され、打撃武器としてしか機能しないだろうハルバート!
「やれる……やれるんだ、俺は!」
それは上空の島に待機していたからこそ、間に合う事ができただろう、RDが突き出したハルバートという名の足場だ。
「行くッス! 必ず……必ず、あのトカゲ野郎を倒してください!」
「感謝するわ!」
『ああ、必ずだ! 約束する!』
ハルバートに着地し、シノンは再度強化ジャンプを発動させる。同時にRDがハルバートを振り抜いて推力を強化させる!
届く! UNKNOWNが強化ジャンプを使わずとも、竜の神の背中に届く! こうしている間にもHPが回復し続け、竜の神のHPは3パーセント以上まで回復してしまっている。4パーセント、5パーセントと回復されていけば、たとえUNKNOWNが届いても間に合わなくなる!
追い続ける邪魔者に、竜の神が上空の輪まで最後となる島を粉砕する……のではなく、その大口を禍々しく歪め、大岩を爪で抉り取ると、シノン達に向けて投擲する。
避けられない。だが、それはシノンだけだ。UNKNOWNならば、彼女を足場にして強化ジャンプで軌道を変えれば、ギリギリ躱せるかもしれない。それは大幅なタイムロスになるが、それ以外に方法は無い。
「私を足場にして避け――」
「終止」
溢れたのは、白のソードスキルの光。
「開拓」
いつからそこにいたのか、シノン達の眼前に飛び出したサムライは、長刀で見たことも無い自作の連撃系だろうOSSで岩を分割し、道を切り開く。
『まさか……1人でここまで上って来てたのか!?』
さすがのUNKNOWNもシノンも驚愕する以外にない。ソードスキルの硬直と共にカタナを鞘に収めて落下する真改の伏せられた眼と涼しげな顔に、彼らは顎が外れそうになる。
恐らく、真改は竜の神が破砕した瓦礫、足場とも言えない飛来してきたそれらを、まるでピンポンが跳ね続けるかのように高速かつ最短かつ最適ルートを選び抜き、シノン達が連結ロケットジャンプでようやく到達した高度まで単身で至っていたのだ。
彼ならば、UNKNOWNとシノンを助けなければ、竜の神まで単独でたどり着けただろう。それでも、その役を譲るのは、自分よりも有力なアタッカーであるUNKNOWNを送り届けた方が天秤は勝利に傾くと判断したからだろう。
竜の神の切断された尾に手が届く。UNKNOWNが残されたヒビだらけの重量型片手剣を突き刺し、シノンを放り投げて着地させると、もう片方の片手剣を突き刺して張り付く。
ついに竜の神は上空の輪に上半身を突っ込み、炎が混じった唾液を終わりつつある街の天上から降り注がせていた。
貧民プレイヤー達の絶叫と悲鳴が聞こえるようだ。シノンは暴風で揺れながらも、片手で剥げた鱗に張り付く。あとは竜の神の背中を駆け上がるだけだ。
だが、そこで、ついにUNKNOWNが突き刺しながら背中を上り、体勢を整えようと重心をかけたことに耐えきれず、破損寸前まで至っていた彼の中量寄りの片手剣が無残にも砕け、光のポリゴンとなって散る。
仮面の向こうでUNKNOWNが凍り付くのが分かった。同時にシノンは察する。≪二刀流≫最大の弱点……それは文字通り『剣が2本』ある状態で無ければ機能しないのだ。
これは、全てが終わったら売りさばいて、思いっきり贅沢する為の資金にするつもりだったのに。シノンは歯を食いしばりながらも、『これ』は彼にこそ相応しいのだろうと諦めながら、竜の神をつかむ手を離す。既に輪を通り抜け、ここからは終わりつつある街の地上へのダイブへと切り替わっている。そうなると、弱点を目指して駆け上がるというよりも駆け下りると表現した方が正しいのかもしれない。
「使いなさい。そして……そして、必ず倒して! あなたなら……あなたにしか出来ないから……お願い! 皆を救いなさい!」
実体化し、所有権を解除し、シノンは全力で『それ』をUNKNOWNに投げ渡す。鱗を手放した彼女は、後は自由落下の世界で見届けるしかない。
シノンが投げた『それ』を手にしたUNKNOWNは、手早くシステムウインドウを開いて装備する。
出現したのは、右手の分厚い片手剣……それと同じ黒色の重量型片手剣【竜神剣ドラゴン・クラウン】。
あえて訳するならば『竜の王冠』といったところだろか。漆黒の刀身、その鍔の数センチ上に埋められたのは、竜の神の眼のような赤の小さな宝石。
シノンがこれを得たのは、他でもない竜の神の尻尾を切断した時だ。まさかのドロップ品に唖然したものである。売れば数百万コルはするだろう、間違いなくユニークウェポンの類だ。
『今度こそ……今度こそ、倒す! 倒してみせる!』
UNKNOWNが駆ける。ほとんど落下するように、竜の神の背中を疾走する。
『ずっと目を背けてた!「彼」が戦う為に何を捧げていたのかも、自分が選んだ「英雄」の道からも……ずっと目を背けていた! だけど、今日で終わりだ!』
輪を完全に通り抜け、一気に竜の神の落下が……終わりつつある街への投下が加速する!
殺しきれ! シノンは残された右手で、ただ黒き衣を纏う二刀流の剣士の勝利を祈るしかなかった。
△ △ △
勝てなかった。
負けてしまった。
折れたカタナが、ポリゴンの欠片となって散っていく。折れたとしても、せめて刃があれば戦えたはずなのに、最後の武器が失われる。
背中から床に叩き付けられたオレは、自分のHPがスリップダメージによって残り数パーセントしかないのをぼんやりと見つめていた。
死力を尽くした。それでもなお、シャルルを眠らせられなかった。『アイツ』の手助けができなかった。
『見事だった、不死よ。貴様の剣は確かに届いた。だが、我を殺すには至らなかった。この首、温情で与える訳にはいかぬ。それこそ武人の誇りなり』
その通りだ。彼を眠らせるのは、オレがこの手ですべき事だ。
シャルルを殺す。
必ず殺す。
殺して見せる。
殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ!
その為ならばオレは変われなくても――
何も見えないはずの左目に映り込んだのは、赤紫の月と黄金の蝶だった。
違う。
オレは……変わる。変わるんだ。
その為に、戦っているんだ。
錯誤するな。
前を見ろ。
戦う為の『理由』を、もう1度握りしめろ!
マシロが導く。だけど、おかしいな。マシロの目が失われている。そういえば、マシロの瞳の色が思い出せない。
失われていく。オレから……大切な物が失われていく。灼け落ちていく。
だけど、マシロは嬉しそうに啼いた。オレは彼女を追い、ヤツメ様の深殿の更なる奥の闇へと進む。
揺れる。揺れる。揺れる。
揺れるのは……誰?
『死ね』
うん、分かっている。
『お前はヤツメ様だ』
伯父さんがドロドロに腐った体液を撒き散らし、オレの足下を浸していく。
『お前が殺した。殺した殺した殺した殺した、殺したんだ。ヤツメ様として喰い殺した』
揺れる伯父さんの口から漏れるのは怨嗟と呪い。
オレが殺した。
大好きだった伯父さんの『心』を殺した。
『死んでしまえ。それがお前がすべき「救い」だ!』
揺れる。
揺れる。
揺れる。
揺れるのは……伯父さんじゃない、『オレ』だ。
吊るされているのは、『オレ』自身だ。
伯父さんの、真夏の濁った空気の中で腐敗していった眼に映っていた『オレ』だ。
深殿の奥地で、ヤツメ様は舞う。愛おしそうに『彼』を抱きしめる。
神を殺し、神に至り、神になれなかった。それがシャルルだ。
ヤツメ様は嗤う。嘲う。だからどうした? 相手が『神』であるならば、あなたは『神』を殺す専門家ではないか、と。
思い出せ、とヤツメ様が『オレ』を覗き込む。オレの姿をしたヤツメ様がその口元を大きく裂いて、くるりと回る。
ああ、そうか。
いつだって、オレにはもう1つの血が流れていたではないか。
まったく、オレは本当に先祖に対して顔向けが出来ない大馬鹿者だ。
屍の席に鎮座していた、長きに亘って沈黙を続けていた、『彼』を呼び覚ます。手を差し伸ばす。
来い。オレの本質が『ヤツメ様』で、オレが産まれた時から『神子』であったならば、オマエは我ら久藤の血が研ぎ澄ました『神殺し』だ。
来たれ。
来たれ来たれ。
来たれ来たれ来たれ。
狩人の血よ、来たれ。
オレは狩り、奪い、喰らい、戦い、そして殺す者。
されども、我が血は1000年の年月を経ても曇らぬ、神殺しより受け継ぎし、ヤツメ様を討った狩人なり。
△ △ △
終わりではない。
文字通りの最後の一閃を打ち破ったはずのシャルルは、倒れた神子が再び拳を握り、立ち上がる様を見て、確信する。
駆ける。その身は限界を超えているだろうに、神子は、聖女は、傭兵は……まるで蛾が火に吸い寄せられるかのように、駆ける!
迎え撃つシャルルが見たのは……凛とした眼差し。
それまでが中性的でありながらも、女性的な聖女の微笑みだったならば、今あるのは『男性的』な刃のように鋭く澄んだ顔だった。
穿て! 全身全霊を以って、シャルルは剛覇剣の全てを乗せた刺突を繰り出す。それに対し、彼はあり得ない程に前傾する踏み込みでそれを躱す。
千切れる音がした。それはシャルルも気づいていた、彼の右足を補強していたワイヤーが、余りにも強過ぎる踏み込みで、ついに自壊した音。
自ら命を捨てた? これでは戦えぬではないか。拳だけになろうとも挑むが武人であろうに! シャルルが驚愕するも、すぐにそれは過ちだったと、致命的な隙だったと悟る。
突き入れる。右手を、ワイヤーが千切れて開いた、包帯に覆われた傷口に差し込み、その内部から取り出したのは、鈍く尖った何かの、恐らく短剣だろう柄だった。
たった1歩分。右足が壊れ、もう前に進めぬならば、残されたのは左足の1歩分だけだ。
その1歩がシャルルとの間合いを詰め、鈍く尖った柄が、武人としての心に動揺が生まれた刹那の間に、喉へと潜り込み、貫き、彼の脳にまで到達する!
ゆらり、ゆらり、ゆらりと、後退しながら、剣先で床を焦がしながら、全身から溢れさせていた熱を霧散させていくシャルルが見たのは、『狩人』の冷たくも美しい真一文字の唇。
そこには勝利の感慨もなく、シャルルという『獲物』を仕留めた事への歓喜も無く、あるのは淡々とした1つの『命』の終わりを見届けようとする矜持のみ。
本質は『獣』。
素質は『聖女』。
ならば、素養は『狩人』。
「オレは……この血は、神殺しの狩人のものだ。故に、神を前にして敗北は無い。神が死するは道理だったな、シャルル」
聖女で討てぬならば、狩人で以って神を殺す。それが彼の出したこの戦いの終わらせ方だったのだろう。
「眠れ、シャルル。祈りも呪いも忘れて、安らかに眠れ」
火の血が纏わりつく柄を振るい、狩人はシャルルへと、本当に小さく、その口元を優しく歪めた。
シャルルは、まるで孫の成長を見届けられた好々爺のように、嬉しそうに笑む。
『……………狩人よ、見事なり!』
それを最期に、シャルルは炎となってその身を散らした。
△ △ △
残りHPは1パーセントあるか無いか、か。
結構ギリギリだったな。
致命的な精神負荷の受容を停止し、オレは前のめりに倒れていく。
オレに出来るサポートはここまでだ。
だから、後はしっかり決めろ。それが『いつも通り』だろう?
共に鉄の城を駆けた相棒の背中。なのに、今はその横顔が見える。
オレは……ようやく、オマエの隣に並べたのだろうか?
そうだと……良いなぁ。
さすがに、少し疲れた。
後は頑張れ。勝手にしろ。オレはもう……眠いんだよ、糞が。
「任せ、たぞ……キ……リ――」
△ △ △
竜の神の背中を駆けるのは黒の疾風。
それは2本の黒の剣を煌めかせ、その落ち行く背を走り、結晶の血肉を持つ、誇り高き竜の神の首筋へと剣を振り上げる。
『俺は……もう逃げない! この道から、絶対に、逃げたりしない! この「英雄」という称号から逃げない!』
輝くのはソードスキルの光。
それが竜の神の首の裏に吸い込まれ、連撃を成すも、竜の神が最後の力を振り絞るような熱風の放出で全てが深く入りきらなかった。
だが、熱風が突如として止まる。
UNKNOWNが首の裏へと剣を振るい続ける中で、竜の神のオートヒーリングが完全に停止したのと同時に熱風の放出が止まるのを、シノンは見逃さなかった。それが竜の神を一瞬硬直させ、UNKNOWNを振るい落とそうとするのが僅かに遅れる。
『俺は【聖域の英雄】! 守り続ける! 守りきって見せる! 絶対に……今度こそ、見捨てたりしない!』
それは≪二刀流≫の連撃ソードスキルから≪二刀流≫へのスキルコネクト。
絶技の中の絶技。
光を纏った英雄の剣は竜の神の肉を刻み、抉り、結晶の血を撒き散らさせていく。
そして、神と名乗るに相応しき巨竜は、その首を斬り飛ばされ、赤黒い結晶の光となって爆散した。
大暴れした竜の神、そして正統派ボスとして戦い抜いたシャルル、お疲れさまでした。
次回は本エピソードの締めとなります。
それでは、183話でまた会いましょう。