SAO~デスゲーム/リスタート~   作:マグロ鉱脈

172 / 356
いよいよシャルルの森もラストスパートです。
陰謀・虐殺・連戦・発狂とたっぷり詰まったジャングルも終わる時が来ました。


Episode15-29 神の降臨

 滴るのは雨ではなく水滴。

 水面を泳ぐのは結晶に蝕まれた水棲生物たちであり、結晶に汚染された水藻を食み、凶暴に他種の生物に襲い掛かって縄張り争いを延々と続けている。

 退屈だ。骨付き肉を豪快に貪りながら、レックスはランプの灯りで照らされた洞窟、5人は乗れるだろう、木製のボートが泊まった地下水脈の岸辺で『待ち人』が来るまでの時間つぶしに勤しんでいた。

 とはいえ、娯楽品も無ければ、適当に遊べるモンスターもこの周囲にはいない。せいぜい、先程から水の下で生存競争を続ける結晶に汚染された生物たちの闘劇を見つめることくらいだ。

 相方の虎丸と言えば、システムウインドウを開いてメモ機能を使って情報を纏め、今後の『対UNKNOWN』を視野に入れたレポートを纏めている。こうした報告業務は虎丸に丸投げしているレックスとしては、相棒の邪魔をするのは些か罪悪感が伴うのだが、今は虚無感にも似た退屈を凌ぐ方が優先だった。

 

「レポートなんて1000字くらいで済むのに、何をどう回りくどく書けば数万字も打てるんだよ」

 

「これでも簡潔に纏めてるさ。レポートの基本は『読みやすい』と『分かりやすい』だからね。100人が読んで90人が理解できる。それが理想的なレポートの姿さ」

 

 眼鏡のブリッチを指で押し上げながら、丁度良い休憩だ、と言わんばかりに虎丸はレポートの執筆を止める。キーボードモードでタイピングは無音であるが、まるでエンターボタンが大きな音を立てて鳴ったような幻聴が聞こえた。

 

「俺は読んでもサッパリだから、残りの1割か」

 

「……訂正が必要だね。理解できるだけの知識と知力を兼ね備えている、という前提条件が必要になる」

 

「遠回りに馬鹿って言いやがって」

 

「馬鹿じゃないと思っていたのかい? それは新発見だ」

 

「馬鹿に決まってるだろ。虎丸大先生には足を向けて眠れないさ」

 

 肩を竦めて、あっさりと自分の知力の低さをレックスは認める。普段の彼ならば激昂しかねないのだが、虎丸が相手ともなれば別だ。相棒の気を置かない発言を受け入れずして何が相棒と言えるだろうか。

 ステンレスを思わす銀色のポッドを取り出し、携帯ガスコンロを着火させて虎丸は珈琲の準備を進める。

 

「先程、最後の封じられたソウルが解放された。いよいよだね」

 

「ああ、いよいよだ」

 

 応じてはみたが、レックスには何が起ころうとしているのか見当もつかない。同じ情報を得ているはずなのに、虎丸には既に全容が把握できており、レックスはパズルのピースを手にしたまま、とりあえず四隅を埋めた状態で思考放棄した状態だ。

 

「……で、何が起こってるんだ?」

 

 だから、レックスは両手を挙げて全面降伏を示しながら、いい加減に虎丸へと説明を求める。それに対して、虎丸は出来の悪い生徒の居残り補習を担当する教師のように、重々しく溜め息を吐いた。

 

「少しは自分の頭を使ったらどうだい?」

 

「むしろ訊くが、俺が頭を使って何とかなると思うか?」

 

「無いだろうけど、努力は決して無駄にならない。丁度良い暇潰しじゃないか。クラウドアース傭兵の【馬鹿の双璧】なんて不名誉な称号を返上するチャンスだよ」

 

 ちなみに、双璧という事はレックスと同等クラスの馬鹿がいるという事なのだが、それはもちろんエイミーの事である。さすがに、アレと同格扱いなのはレックスのプライドが許さない。

 ならば、この挑戦から逃げる訳にはいかない。レックスは腕を組み、情報を整理する。

 封じられた12のソウルとシャルルの封印。

 数多の竜の骨と古竜研究、そして結晶。

 ジャングルに呑まれた都と中心部にある神殿。

 

「……ギブアップ!」

 

「認めません。はい、珈琲」

 

 スパルタな相棒だ。薄い金属製のマグカップに注がれた珈琲を受け取ったレックスは、苦々しいその味を舌に染み込ませながら、ヒントを求めて虎丸を睨む。

 

「まず第1に、結晶は白竜に関わるもの。これは分かっている事だろう?」

 

 観念したらしい虎丸が珈琲を傾けながら、レックスへとヒントという名の講義を開始する。

 

「このシャルルの森には結晶の採掘施設まであった。各所にある古竜の研究の名残。そして、シャルルの神殺しの伝説。ここまで来れば、シャルルが殺した神とは何の神だったのか、それくらい簡単に推測できるだろう?」

 

「……ああ、なるほど」

 

「そして、ソウルと結晶は密接に結びついている。封じられたソウルの全ての解放がもたらすのは、シャルルへのソウルの回帰……つまり、膨大なソウルの集中。北の館の主は白竜の信徒であり、それに反感を抱いている南の館の主。ジャングルという形での『もう1つの封印』」

 

 足音が聞こえ、レックスはようやく『待ち人』が来たのかと目を向ける。ようやくスイッチが入ったばかりの虎丸は話し足りないという表情をするも、すぐにそれを押し込んで到着した3人を迎える。

 

「マジで疲れたわー。さっさと帰ってシャワー浴びないと、汗でべとべとで死にそう」

 

「ヒヒヒ、クラウドアースの皆さん、こんにちは。船旅にご一緒できて嬉しいぜ」

 

 白魔女風の服装をした、クラウドアースが誇る魔法特化型プレイヤーにして後方支援を中心に協働では高い実績を持つエイミー、そして聖剣騎士団の契約傭兵であるはずの【鉄仮面】のクレイトンだ。その後ろには、【仮面巨人】のガイアが佇んでいる。

 どうしてクレイトンまで、とレックスは考えを巡らせるも、どうせ『上』が何か仕込んだのだろう、と深く考える事を止める。自分があれこれ推測する以前に、隣の相棒ならばクレイトンの登場の時点で幾つかの予想を立て、真実に迫っているはずだ。

 

「やはり、聖剣騎士団は最初から踊らされていたようだね。『ユニークスキルの情報』を、クラウドアースから流出させる『パイプ』になったのは……クレイトン、キミだったのか」

 

「ヒヒヒ、人聞きに悪い事は言わないでもらいたいね。俺は聖剣騎士団に言われた通り、『クラウドアースの上層部を買収して情報を得る』なんて、傭兵に全部汚い部分を押し付ける仕事を全うにこなしただけさ。この鉄仮面の下を知られていないお陰でマックJは俺だって気付かないまま、クラウドアースに捨て駒にされているとも知らずにペラペラと小金で情報を漏らしてくれたがな」

 

 そういうお前もお喋りな事で、とレックスは鉄仮面の向こうで聖剣騎士団を嘲うクレイトンを唾棄すると同時に、これは必然の結末だと納得する。

 傭兵は使い捨ての歯車? 残念ながら、『歯車』とは反抗もしないシステムを動かす為のパーツであり、傭兵とは報酬と引き換えに依頼をこなす『NPC』ではない。

 待遇が悪ければ、たとえお抱えの契約傭兵でも平然と裏切り行為を働く。何故ならば、雇用主側が『使い捨ての消耗品』と割り切っているのに、それに対して律儀に付き合う気などないからだ。どうせならば、クラウドアースのように『待遇の良い戦力商品』として扱ってくれる側につくのは必然だ。

 これこそが独立傭兵と契約傭兵の決定的な違いである。前者はどんな依頼だろうと受ければ文句を言わない。対して後者は『ギルドに優遇される』というポジションの為に傭兵としての自由性を犠牲にしているのだ。ならば、それ相応の待遇を求めるのは当たり前だ。

 

「哀れだ。実に哀れだ」

 

 ぼそぼそ、と消え入りそうな声でクレイトンの裏切りをそう評するのはガイアだ。【母の仮面】という悪趣味な仮面がもたらすのはHPの増加、そして高い防御力とスタン耐性を持つ巨人製鎧で纏めた姿であり、背負う両手剣であらゆる攻撃を受けながらゴリ押しをするという、レックスも渋々では『美学』として認めるスタイルを貫いている。

 今回のガイアの任務はこの脱出路の確保だ。元よりジャングルでのサバイバル戦に適応できるものではない鎧装備である。クラウドアースは、そのゴリ押しスタイルをこの閉所の防衛にこそ適していると判断し、彼にこの役割を与えたのだ。

 

「どうでも良いわ。それよりも、さっさと行きましょう。胸が蒸れてしょうがないのよ。早く着替えたいわー」

 

 汗で湿った肌にパタパタと手で扇いで風を送るエイミーの姿は扇情的であり、レックスはごくりと唾を飲む。この女の品性は下劣であるが、容貌に関しては彼の好みに近い。以前に馬鹿の代名詞のグローリーと巨乳談義で盛り上がっていた所を虎丸に助走ジャンピングキックを後頭部に喰らい、『地平線と水平線の美しさを分からん屑め』と初めてマジギレした彼に襟首をつかまれた事をレックスは思い出し、隣の相棒を見れば、心底どうでも良いという冷めた目で船出の準備をしていた。

 

「おい、ユージーンとフレンマは?」

 

「……フレンマは死んだわ。ランク1様は『やる事がある』って言ってサヨナラよ。大方、この『喜劇』に一矢報いたいんじゃないの? もしくは、ランク1様には他にも頼まれた『仕事』があるのかもしれないわね」

 

 そうなると、ジャングルの中心部……神殿に向かったという事だろう。とびっきりとの戦場が待っていると思えば、ウズウズしてくるレックスであるが、虎丸が粛々と出発準備をしているのを見て、我儘を押し通すわけにはいかないか、と断念する。

 

「クラウドアースの『諜報部隊』は撤退を開始したはず。そうなると、シャルルの森に残されたのは事情を知らない喜劇の役者だけ、か。僕らの船出を以って、彼らの生存は勝利以外に無くなるわけだね」

 

 感慨もなく虎丸は舟と岸を繋ぐロープを外し、全員が舟に乗り込んだのを見て、オールを漕いで地下水脈を……シャルルの森からの脱出路を進みだす。その後はSTRが高いガイアがその役割を引き継いだ。

 この水流はシャルルの森から遠く離れた渓谷の洞窟まで続いている。彼らがそこに到着した時は、全てに決着がついているだろう。

 どのような結末だろうとやる事は変わらない。明日から、いつものように傭兵暮らしを続けるだけだ。寝転がったレックスは、今回は何処までもクラウドアースの掌で踊り続けた依頼だった、と振り返る。

 

「なぁ、お前らはどう思う?」

 

「何を……と尋ねるのは愚行だろうね。僕に言わせれば、今回の依頼は『情報収集』。それ以上もそれ以下もないよ。勝者の条件の1つは、情報をいかに確保しているか、だからね」

 

「私に言える事は1つだけよ。【渡り鳥】キュンきゃわいい♪」

 

「傭兵は生き残って勝てば良いのさ。ヒヒヒ!」

 

「……暇だった。だが、こういう依頼も、悪くない」

 

 四者四様の返答に、レックスは瞼を閉ざして、自分の意見を探すも、退屈だったという以上の解答は出なかった。

 

 

▽   ▽   ▽

 

 

 雨音が奏でるのは、退屈凌ぎの時間だ。

 オレはベンチに腰掛けて、古ぼけた文庫本を……『変身』のページを捲っていく。

 フランツ・カフカの傑作にして、評論家気取りで手垢だらけになった古書だ。今更この物語の講釈など無用であり、オレは純粋な読み物として文字を目で追っていく。

 ハッキリ言って、オレは『変身』があまり好きな物語ではない。主人公のグレゴールが余りにも理不尽な目に遭うからだ。彼は毒虫になった挙句に死に、物語は彼の家族たちの爽やかとも思える未来への希望で締めくくられる。

 吐き気がする。この物語に秘められたメッセージなどには興味が無く、オレは『変身』という小説によって綴られたストーリー自体を好めなかった。

 

「グレゴールはどうして毒虫になったのでしょうね?」

 

「神様の気まぐれだろ」

 

 錆びついたベンチに腰かけていたオレの隣には、いつも間にか誰かが腰掛けていた。確か……そうだ、この本の持ち主だ。

 オレはまだ十数ページ残された『変身』を閉ざす。

 バス停を濡らす雨が止む気配はなく、またバスが舗装が悪くなった道を駆けるエンジン音も水溜まりを散らす音も聞こえない。まだまだバスは来ない。

 

「こうは考えられませんか? グレゴールは毒虫になりたかった」

 

「そいつは新しい見解だな。オレだったら蝶になりたいね」

 

「本当に?」

 

「ああ、本当さ」

 

 誰かは……憂鬱そうな黒髪を垂らす女性は、前髪のカーテンの向こうでオレの眼を不動の視線で直視する。それに耐えきれず、オレは小さく溜め息をついて、頬杖をつき、正面を通る皿を睨む。

 マグロ、イカ、鯛、それにサーモン。くるくる回る寿司たち。オレはそこから選ぶのは分厚いベーコンがのった邪道だ。

 

「オレは……グレゴールが羨ましかった」

 

「どうしてですか?」

 

「グレゴールはさ、誰かの為に、なんて言い訳に疲れてるんだ。だから……誰かを傷つける毒虫でありたいと望むんだ」

 

「つまり、あの末路はグレゴールの自業自得。そういう事ですか?」

 

 女性が選ぶのは鉄火巻だ。パサパサに渇いたそれを醤油に付けて口にした女性を横目に、オレは4皿目を平らげる。

 

「さぁな。理不尽な末路だとは思う。そこは変わらないさ。きっと、グレゴールは少しだけ望んだだけさ……家族を傷つけたい、いい加減に自分を縛る鎖から解放されたいってな。そんな誘惑を悪魔にでも利用されてしまったんだろうな。だから、そんな風に思える……望んでも、破滅に向かうようにしなかったグレゴールが羨ましかった。だって、オレは生まれた時から……きっと毒虫だから」

 

「哀れなグレゴールに乾杯」

 

「ああ、哀れなグレゴールに乾杯」

 

 そして、オレと女性は手に持つグラスを鳴らし、シャンパンを煽る。夜景が望めるレストランでは、藁人形たちの楽団が演奏を披露し、蜘蛛の給仕たちがせっせと顔が無い客たちに料理や酒を運んでいる。

 オレの空になったグラスに新しいのを注ぐ巨大タランチュラは恭しく頭を下げ、奥へと消えていく。魅力的な白のドレスに身を包んだ女性はオレの正面の席で、静かにグラスを揺らし、シャンパンの気泡越しでオレを見つめていた。

 

「あなたはグレゴールになりたかった」

 

「ああ、オレは……グレゴールになりたかった。変わりたかったんだ」

 

「グレゴールがあなたならば、『変身』は愉快なスプラッターになったでしょうね」

 

「駄作決定だな」

 

 苦笑し、オレはベンチの背もたれに体を預け、閉ざした『変身』を女性に渡す。良い暇潰しにはなったが、バスが来るまでにはまだまだ時間がかかりそうだ。

 耳を澄ませば、雨音に紛れて琴の音が聞こえる。おばあちゃんはとっても立派な古い琴を持っていた。母さんも上手だけど、おばあちゃんには負ける。ねーちゃんは……うん、悪い意味で天才だな。音が殺人兵器になるとは思いもよらなかった。逆に兄貴は多才過ぎる。何をやらせても簡単にこなしてしまう。

 

「ですが、こうも考えられませんか? グレゴールが人として産まれ、毒虫として死んだならば、毒虫として産まれた者も、人として死ぬこともできるのだと」

 

「……そうだな。そうだと、良いな」

 

「私はそろそろお暇しましょう。バスはまだ来ないようですが、退屈凌ぎと腹拵えにこちらをどうぞ」

 

 そう言って女性がベンチに残すのは、笹の包みと1冊の本。オレはそれらを手に取り、小さく笑みを零す。確かに、今度の本は退屈凌ぎには持って来いだ。

 

「良い趣味しやがって」

 

 ジェール・ヴェルヌの『神秘の島』とは、なかなか分かっているチョイスだ。やはり、こうした古典は裏も表も考えずに没頭できるものに限る。

 最初の1ページを捲りながら、オレは笹の包みを開き、草色をした団子を手に取って口に放る。

 

「……草の味がする」

 

 何故だろう。この味は……この味は……とても懐かしい気がする。

 視界の端で黄金の蝶が踊る。

 金色の燐光を散らし、ひらひらと闇の中で踊っている。それらは夜を切り裂くバスのヘッドライトとなり、錆びついた青の塗装の車体がオレの前に止まった。

 骸骨姿の運転手がオレの方を向き、乗る様に促す。だが、オレは静かに首を横に振る。

 

「まだ乗れない。しないといけない事が……あるんだ」

 

 すると骸骨運転手は一礼し、アクセルを踏んで去っていく。排気ガスが撒き散らされ、闇の中に赤のランプだけが尾を引いて消えていく。

 あのバスに乗れば、きっと楽になるのだろう。オレの心臓が溜め息を吐くように1回跳ねた。

 

「ごめんな。もう少しだけ糞みたいなご主人様の為に働いてくれ」

 

 慰めるように右手で左胸を……心臓を労わる。すると、心臓は落ち着きを取り戻すように、いつもと変わらぬように鼓動する。

 

「夢は虚ろな幻か。そうだな。それで良いさ」

 

 オレは席を立ち、何十年も放置されたような廃れた回転寿司屋を見回す。誰1人として腰かける者はおらず、ガラス片が散らばり、かつての賑わいの名残を思い出させるように埃が僅かに舞い上がる。

 黄金の蝶が店の外へと誘う。オレは蝶を追って外に出れば、そこには満天の空が広がり、銀色の月光が水面に映る大海が広がる浜辺が待っていた。

 

「グレゴールになりたかったんだ。変わりたかったんだ」

 

 浜辺の白い砂を踏み、細波が奏でる耳を擽るリズムに心地良く酔いながら、海を目指す。

 

「変われるかな?」

 

 素足を刺激するサラサラとした砂が、踏み入れた海の冷たさが、火照った肌を撫でる潮風が、全てが気持ち良かった。

 

「変われると……良いなぁ」

 

 銀色の三日月へと右手を伸ばす。包帯に覆われた、血だらけで、傷だらけで、怨嗟が染み込んだ指で触れるように。でも、きっと、この手は届かない。過去の夢想家たちがそうだったように、人の手は月に届かない。それ故に、人は月を……神を殺した。無粋な文明の先に、月の神秘を暴いた。

 だったら、オレの望みも叶わない方が良いのだろうか? オレは自嘲を込めて、手を下ろす。

 

 

 

 

「変われるよ、きっと」

 

 

 

 

 だが、下ろそうとした右手は、まるで垂らされた蜘蛛の糸が絡まったかのように、熱に包まれる。

 銀色の月が赤紫の瞳になり、海の細波は心音になっていた。

 

「……ユウ、キ?」

 

 どうして、ここにいるんだ? オレは夢でも見ているのか? 視界にはノイズが走っているが、色を失っていない。あるいは、オレの脳が既に幾つかの色を判別できない状態になったのか。後者は出来ればご免だな。

 伸ばされたオレの右手は、ユウキの頬に触れていた。彼女はオレの手の甲に自分の手を重ねて、小さく微笑む。それはあの三日月のように穏やかな曲線を描いている。

 抱擁されている。オレはそれに気づいて、暴れて抜け出そうとするも、体に力が入らない。薄っすらと、雨の中で『敵』と戦っていた記憶が蘇り、そして黄金の蝶に誘われて眠りに落ちる直前に、ユウキの声が聞こえた事を思い出す。

 最低の気分だ。何を喋っていたのか正確には憶えていないが、およそ人間失格の烙印を押されてもしょうがない発言を繰り返したはずだ。

 なのに、ユウキの目にあるのは、蔑みではなく、オレという個人に向けられた慈愛のような気がした。そんな事……決してあり得ないのに。

 

「クーは本当に強い『人』だね。こんな状態になっても、たった1粒の涙だって流さない。ううん……『流せない』なんて」

 

「…………」

 

「いつだって独りで立ち上がれて、前に進めて、戦える」

 

「…………」

 

「だから、クーは望むままに選んで。誰もキミの邪魔はしない。ボクにだって出来ない。だけど、1つだけ約束する。ボクは絶対に忘れないから。たとえ……クーが『クー』でなくなっても、必ず思い出させてあげるから」

 

 どうしてだ?

 どうして、そんなにも優しくしてくれるんだ? 

 尋ねたいのに、舌が動かない。何を喋れば良いのか分からず、口が動かない。

 

「オレは……戦い続けたい。殺し続けたい。そんな糞みたいな野郎だぞ?」

 

「うん、そうだね」

 

「見捨てろよ。蔑めよ。そうされて当然だ。PoHに言われた通り、オレは……オレは我慢しているだけだ。サディスティックな衝動に溢れたバケモノだ」

 

 ユウキの手を振り払おうとするも、オレの右手は彼女から離れない。それをオレの本心が望んでいないかのように。あるいは、彼女が決して手放そうとしていないかのように、温もりを送り続ける。

 

「だから……だから、止めてくれ。オレに優しくするな。怖いんだ。怖いんだよ、ユウキ。だって、オレは殺したいんだ。オマエを殺したいんだ。初めて会った時から、オマエを壊したくて堪らないんだ。だから、そんな糞みたいな約束、律儀に守る必要なんて無いじゃねーか。アレはクリスマスの幻だったんだ。それで良いんだ」

 

 縋りたくなる。甘えたくなる。溺れたくなる。望めば望む程に、オマエを壊したくなる。その顔を絶望と苦しみで歪めさせて、丁寧に皮を剥ぐように傷だらけにして、綺麗な瞳を飾る目玉を抉り出して、心臓を引き摺り出して貪りたくなる。

 

「それも悪くないかなぁ」

 

 なのに、ユウキは笑ってオレの言葉を受け止める。

 冗談なんかじゃない。オレの本心の吐露を、まるで夏の通り雨に降られたかのような、ちょっとだけ困ったような顔で、受け入れてくれる。

 

「まだまだ死ぬ気はないけど、クーに殺されるなら……うん、悪くない」

 

「オマエ……馬鹿だろ?」

 

「クーだけには言われたくないよ」

 

 ああ、そうだな。その通りだ。

 オレは目だけを動かし、周囲を確認する。傭兵達やNと戦った遺跡は赤熱した空気に包まれ、ジャングルの木々は失われたかのように炎が踊っている。何が起きたのかは分からないが、辛うじてオレは封じられたソウルが全て解放されたというシステムメッセージを思い出し、その影響だろうと判断する。

 ユウキの抱擁をゆっくりと手で掻き分けて、オレは自分の足で立ち上がる。

 

「何が起きたのか、教えてくれ」

 

「教えたくないって言ったら?」

 

「少し『お喋り』が必要だな」

 

「良かった。いつも通りのクーだね。ボクの知ってる『クー』だよ」

 

 満面の笑みを浮かべるユウキに、オレは瞼を閉ざして『壊したい』という衝動を、『殺したい』という願望を、首輪がはめられた本能がある奥底まで沈める。

 大丈夫。オレはまだ戦える。オレという『バケモノ』とも戦える。オレの『人の心』は……まだこの胸にしっかりと灯っている。たとえ風前の灯火だとしても、オレの心が折れない限り、蝋燭が燃え尽きる時まで、消させるものか。

 

「ところで、オレって変な寝言とか……言ってないよな?」

 

「……イッテナイヨー」

 

「ユウキ?」

 

「ボク、ナニモシラナイヨー」

 

「おい、こっち見ろ」

 

 ダラダラと汗を流し、ユウキは決してオレと目を合わそうとしない。どうやら、オレの口は完全に油断して情報漏洩に勤しんでしまったようだ。思えば、夢から戻って来た時も、何故かユウキがしっかりと応えてくれたからな。

 オレの視線から逃げ続けるユウキを見て、口元が残虐に歪む前に、手で覆い隠す。

 また1つ新しいタイムリミットが出来てしまったが、知った事か。必ずオレが『オレ』である証明を……『答え』を見つけてやる。

 だから、もしも蝋燭が無くなってしまって、灯が消えそうになった時は……キミを殺そう。壊そう。せめて、オレが『オレ』である最後の時に……必ず。

 

「一緒に帰ろう。もう『仕事』は終わったんだから」

 

 ユウキは後ろ手を組み、2匹の狼……アリーヤとアリシアだったか、彼らを従えてオレを誘う。

 ああ、そうだ。もう『仕事』は終わった。だから、この森で何が起きていようとも、オレの関与すべき事ではないのだろう。

 疲れた。本当に疲れた。というか、まさかの武器の全損とか笑えねーよ。グリムロックの叫び声が今からでも聞こえるようだ。だが、鬼鉄も灰払いの剣も十分に強力な武器だし、777から得た『お土産』とNの形見もある。だから機嫌は……駄目だ、どう足掻いても涙目のグリムロック以外思い浮かばない。

 上手く歩けず、オレは躓きそうになり、ユウキが慌てて支えてくれる。

 視界はまだ不調。聴覚は……まだ上手く方向がつかめないな。痛覚は……『ある』。左足は少し回復したが、代わりに右足が痛みで油断すれば表情に出てしまいそうだ。右手も同様であり、掌に開いた風穴が痛覚で以ってその形を脳に伝えている。

 

「痛みは生きている証。だから、付き合っていくさ」

 

 オレはまだ独りでやれる。でも、誰かに甘える時間があっても良いのかもしれない。それを認めよう。これこそが……変わる為の1歩だと信じて。

 

 

▽   ▽   ▽

 

 

 神殿のある中心部から放出される熱のせいか、ジャングルは燃焼し、炎に呑まれている。泥は干乾び、水は蒸発し、モンスターたちは火だるまになっていく。

 地獄絵図としか言いようのない光景の中で、むしろジャングルが炭化していくことによって機動力が増し、よりスムーズに中心部を目指すことができるようになっていた。

 熱と炎の影響を受けないのは、スミスが所持しているシノン達から得た封じられたソウルのお陰だ。並走するUNKNOWNがスミスと離れた途端に、彼には炎属性のスリップダメージが発生した。つまり、封じられたソウルは神殿から放出される熱から身を守るバリアのような役割を果たしているのだろう。

 距離にして約5メートル。恐らく、封じられたソウルを所持したパーティがこの状況に陥っても活動できるように、という配慮なのかもしれないが、そもそも森を焼き尽くしながら拡大する熱と炎の時点で、こんな温情処置を出されたところで嬉しくとも何ともない。

 本来ならば逃走すべきなのだが、スミスはグローリーとの協働依頼を成さねばならず、単独で帰還するのは論外だ。せめて彼の死亡を確認した上で脱出する必要があるのだが、現在はそうした打算も抜きにして、神殿を目指している。

 

「話した通り、今回の依頼は全て仕組まれていた、という推測が成り立つ。仕組んだのは誰だか知らないが、太陽の狩猟団と聖剣騎士団双方の最高ランクであるシノンくんとグローリーくんの状況を考えれば、必然的にクラウドアースが首謀と見るべきだろう」

 

 もちろん、今回の1件はそれだけで片づけられるとも思えないが。ユウキを送り込んだ部外者勢力の存在。そして、先のクゥリと傭兵達の激戦。

 死亡していたのは、ほとんどが聖剣騎士団の傭兵だ。違うとすれば、せいぜいがヘビーライト程度である。そして、争奪戦に参加していなかったはずの独立傭兵であるフィッシャー父子も遺体の残骸からいたと思われるが、デイヴが所持していた削り取る槍は聖剣騎士団が確保するユニークウェポンだ。この時点で彼が聖剣騎士団から大きな援助を受けて投入された事は疑いようがない。

 つまり、ここから成り立つ推論とは、『聖剣騎士団はクゥリの殺害を計画した』という点だ。恐らくトリガーの1つは補給部隊の壊滅だろう。その責任論が今頃ジャングルの外で展開されている事は想像するのも難しくないが、その主犯と思われるクゥリを殺害し、『敵討ちを果たした』という御旗を得るつもりだったのだろうか。

 もっとも、その計画も誰かに利用された確率は高い。ジャングル内にいる777やガロ&タイフーンたちをどうやって引き合わせ、1箇所に集め、なおかつその舞台にクゥリを誘導したのか。

 

(謎は尽きないが、輪郭は見えた。今はそれで良しとしよう)

 

 さすがにこの状況で逐一インスタントメッセージを送る暇はないらしく、UNKNOWNは仮面で無言を貫くままだ。スミスとしても余計な質問を受け付けたくない為に、特に不満を抱く事は無い。

 スタミナ切れに注意すべく、途中途中で休憩を挟むも、ジャングルが焼け野原となったお陰か、あれ程に広大に思えたシャルルの森、その中心部までに到達する時間は思っていた程では無かった。あるいは、南の洋館の主が施した封印であるジャングル自体が消滅していったことにより、『距離』自体が縮小されているのかもしれない。

 周囲を堀に囲まれた神殿への侵入路は4つ。東西南北にある吊り橋と石橋だ。だが、吊り橋は炎によって焼け落ち、石橋は堀から吹き出す溶岩のようなドロドロとした、具現化した熱のような物によって呑み込まれている。

 神殿の現状を確認しようにも、巨大な赤熱の渦が繭のように囲って視認できない。

 

「これではどうしようもないな。他の侵入路を――」

 

 

<封じられたソウルが道を切り開く>

 

 システムメッセージが流れ、まさかと思いながら、スミスは右足を溶岩にそっと触れさせる。すると、赤い風が足下で吹き荒れ、熱と炎を吹き飛ばしてスミスを加護する。どうやら封じられたソウルさえあれば通ることができるらしい。効果は所持していないUNKNOWNにも適応され、彼もまた溶岩を突き進んでいく。

 

「さて、蛇が出るか鬼が出るか」

 

 炎の繭を越えてスミスが見たものは……『神』だった。

 中心部にある神殿からは炎が溢れて、結晶の骨格を持つ『神』の肉を作り出す。

 宙に浮かぶのは神殿の周囲の大地だろう。含まれていた巨大な結晶の輝きが炎に呼応しているのか、まるで島のように浮かんでいる。

 その島を飛び回り、『神』に挑むのは矮小なる人。その影は2つ。内の1つが『神』の拳によって破砕された島から落下し……いや、自ら飛び降りたのか、スミス達の眼前へと降り立つ。

 

「やぁ、スミス! 遅かったじゃありませんか!」

 

 相変わらずの能天気な笑顔であるが、普段の彼にある絶対的な余裕はない。それ即ち、彼もまた全力全開で『神』と戦っていると言う事なのだろう。

 それが最高に歓喜をもたらすスミスであるが、同時に彼の生存を苦々しく思う。

 

「グローリーくんこそ苦戦しているようだね」

 

「ええ。さすがに『神様』を相手にするのは、騎士と言えども大変ですよ。だから、助力してもらえるとありがたいですね」

 

 そう言って、本来ではあり得ないほどの跳躍をして浮遊する島へと向かうグローリーの……その先にいる『神』を、スミスは睨む。

 残弾はあるが、足りるとは思えない。

 立ちはだかる『神』が頂くのは7本の巨大なHPバー。

 体躯はやや人間に近しいが、『彼ら』の特徴である翼は大きく広げられ、その赤の複眼と並ぶ牙は正しく『彼ら』の王にして、『神』そのもの。

 

 

 

 その名は【竜の神】。シャルルの森のボスの姿が、そこにあった。




全デモンズプレイヤー「どうして看板の竜の神があんな雑魚いギミックボスなんだよ!? こんなの間違っている!」

???「よくぞ言った!」

全デモプレ「な、なに奴!?」

禿げ竜「我が名はスケイルレスドラゴン! お前たちの願望を叶えてやろう!」


というわけで、鱗無しさんがやらかしました。

それでは、174話でまた会いましょう。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。