見たいものがリリース&レンタルされて、財布と睡眠時間が死にます。
さて、お手並み拝見といこうか。オレはナナコとウルガンと分かれ、単身になると≪気配遮断≫がしっかりと機能しているのを確認した上で先行した2人の後を追う。
ターゲットはランク4のヘカトンケイル。一筋縄ではいかない実力者だ。太陽の狩猟団と契約する傭兵ではシノンに次ぐ上位ランカーであり、ボス戦参加数とゴーレム撃破率が高い。一方で護衛依頼やマッピング依頼を受ける事が少ない。
戦闘スタイルは上半身裸体にしてスピードを引き上げ、戦槌と戦斧の二刀流による猛攻でダメージを稼ぐというものだ。その爆発力は侮れず、ラッシュ攻撃には『アイツ』の≪二刀流≫にも迫るものを感じる。奇跡による回復やバフも得意とし、持久戦にも長けたファイターだ。グローリーと仲が悪い事で知られており、依頼で正面から戦った事も1度や2度ではないらしい。
グローリーが低ランカーを侮っているならば、コイツの場合は蔑んでいる。ランクこそが傭兵の実力と価値を示すと盲信しているタイプだ。まぁ、どうでも良い事だし、むしろ弱点になり得るのでありがたい。
さて、今回の作戦であるが、『仕込み』自体は済んでいるので、すこぶる楽だ。オレは彼らの実力を生で見たことが無いし、ヘカトンケイル相手にどう立ち回るのか興味もあったので、予定通りに水場を見下ろせる1段高い場所、その木陰で様子を窺う。
「水……水……っ!」
口を開け、フラフラ状態のヘカトンケイルは松明を掲げ、杜撰に周囲を警戒している。どうやら、喉が相当に渇いているようだな。持ち込んだ保存水など尽きて久しいだろうし、もしかしたらメシも満足に喰っていないのかもしれない。
あの川は飲料水としては些か危険なのだが、透明度を見ればそれなりに清廉な部類に見えるはずだ。それでも飲めばどんなデメリットが生じるか分からないというのに、目先の潤いを得る為ならば飲料も仕方ないだろう。ヘカトンケイルは松明をその場に落とし、両手で水を掬い取ると震える唇に押し付ける。
無我夢中に飲むヘカトンケイルに、オレは思わず呆れてしまう。いや、オレはサバイバル適性が高い方だと自負しているが、腐ってもソロで多種多様な依頼をこなす傭兵があんな無警戒とは。いや、それだけ飢えと渇きが彼から考える余裕を奪っているのか?
さて、ここからだ。オレはショーでも観賞する余裕溢れた気分で事の顛末を見守ることにする。ヤベェな、これは面白い。いつも踊らされる側だが、見物する側に立つと気分が高揚する。コロシアムで熱狂していたローマ市民の気持ちが少しだけ分かるような気がする。
「うぐっ!? こ、これは……!」
狼狽えたヘカトンケイルの声が号令となり、劇の幕が上がる。彼が驚いたのは、ジリジリとHPが減少し始めたからだ。それだけではない。今の彼の体は異常な倦怠感と熱っぽさに襲われているはずである。
それもそのはずだ。川の上流には蔦を編んで作った網に、オレが≪薬品調合≫で作った毒薬をたっぷりと染み込ませたモンスターの死体が浸されている。汚染された水が致命的なデバフの1つである【疫病】を発症させるのはリサーチ済みだ。もちろん体を張ってな! HPさえ気にしていれば死ぬ必要が無いってのは、現実では出来ない自分を使った人体実験ができて助かる。
毒薬は多量生産し易かったレベル1、疫病もレベル1だ。だが、疫病の厄介な点はアバターにもたらされる倦怠感と熱っぽさなんて生温いものではなく、スタミナ消費量の増大、有効視界距離の低下、STRとDEXの下方修正、回復効果の半減だ。ここまで厄介なデバフは無い。しかも治療方法も限られ、1度かかれば自然回復を待つ以外にない。これでレベル1なのだ。レベル2はこれが強化されるのか、それとも新効果が追加されるのか、何にしても恐ろしい限りだ。
ちなみに、レベル1の疫病を回復できる≪白魔女の秘薬≫はジャングルで丹念に採取していけば、≪薬品調合≫で作成できる。それでも難易度が高く、オレも3回目の作成でようやく1つ得られた。
傭兵連中にどれだけ≪薬品調合≫を持っている奴がいるか知らないが、レベル1の疫病を蓄積させる赤い斑模様のヒルやら群れで襲ってくる巨大蚊やらもこのジャングルには潜んでいる。さすがジャングル、未知なる病気の宝庫だ。
「疫病か。汚染されていたのか」
膝をつき、息荒くヘカトンケイルは這いながら野営の準備を始めようとする。まぁ、汚染されていたというか、オレが仕込んだんだけどな。見つけた飲料できる水場は全て汚染させてある。効果はそれ程長続きしないだろうから、トラップとしての有効性はあんまり高くないが、それでもこうして綺麗に引っ掛かってくれるのだから喜ばしい事だ。
だが、それを許さないとばかりに、わざと足音を立ててヘカトンケイルの背後、木々の間からナナコが登場する。レベル1の毒は毒紫の苔玉で回復させたらしいヘカトンケイルは、黒光りする戦斧と銀色の戦槌を構え、即座に反転して構える。確か戦斧は【熊狩りの黒斧】、戦槌は【封魔のメイス】だ。熊狩りの黒斧は高い物理攻撃力を持ち、封魔のメイスは相手の魔力を削り取る魔法使い殺しの武器だ。まぁ、ヘカトンケイルが振るえばVITが総じて低い魔法使いプレイヤーなど魔力が失われるより先にHPがゼロになるだろうけどな。実際にはアンバサ戦士や魔法剣士対策に有効だ。ガードの上からも魔力を削る効果は侮れない。
「こんばんわ、ヘカトンケイル。随分と顔色悪いね。もしかしてピンチ?」
「それ以上近づくな、【パペットガール】」
ウサギが跳ねるように可愛らしくスキップしながら近寄るナナコに、ヘカトンケイルは戦斧を振るって牽制する。なるほど、あの様子だと自陣営だからと言って無条件で信用していないようだな。報酬の奪い合いもそうだが、ナナコへの信用自体が薄そうだ。
「え~!? せっかくナナコが助けてあげようと思ったのに。その反応は傷つくよ? それともヘカトンケイルは、ナナコが信用できない? 同じ太陽の狩猟団と契約する傭兵同士、仲良くしようよ♪」
そう言ってナナコがヘカトンケイルに見せびらかすのは、薄く白色に濁った液体……白魔女の秘薬、に見せかけて、ただの睡眠薬だ。ヘカトンケイルが馬鹿ならば、ここで睡眠薬を上手く飲ませて始末は終わりなのだが、こんな手に引っ掛かるはずがない。ただの演出だ。
「フン、ランク31の分際に施しを受ける気が無いだけだ。さっさと去れ。今なら見逃してやる」
「本当に傲慢だね。ヘカトンケイルのそういう強がりな所、ナナコは嫌いじゃないんだけどね♪」
残念そうにナナコは溜め息を吐く。それと同時に、バシャバシャと水音を立て、川岸の反対に隠れていたウルガンが黒い昆を手に現れる。そこでようやく、ヘカトンケイルは囲まれている事に気づいたようだ。その勘定にオレは入っていないようだが、何にしても自分が不利な状況だと悟るには十分だろう。
「だって、殺し甲斐があるもん♪」
人差し指と人差し指を合わせてにっこり笑うナナコの宣戦布告に、ヘカトンケイルは鼻を鳴らす。
「低ランカーが2人がかかりでこの俺を倒す気でいるとは、おめでたいものだな。良いだろう、貴様らが邪魔なのはこちらも同じだ。まとめて始末する良い機会だ」
まず動いたのはナナコだ。彼女は何故かシステムウインドウを開くと、その指を躍らせる。すると、ナナコの頭上に1本の針が動く時計が生じる。針はゆっくりと回り、まるで何かのカウントダウンをしているようだ。
「ウルぴょん、よろしくね♪ サポートはしてあげるから」
あれがナナコの得物か。彼女が取り出したのは、闇術の媒体だろう短剣だ。だが、刃はボロボロであり、剣先も完全に欠けてしまっている。黒い髪が纏わりつき、渇いた血痕がついた、呪詛に用いる道具にしか見えない。≪短剣≫としての機能は持ち合わせていなさそうだ。
戦闘中は無言になるのか、ウルガンはナナコへと接近しようとするヘカトンケイルの背後まで1歩で間合いを詰め、その頸椎に向かって昆を振り抜く。疫病に侵されているとはいえ、そこはランク4だ。身を屈めて昆の一撃を回避し、お返しとばかりに背後を蹴り上げる。だが、ウルガンはそれを軽やかなステップで避け、昆による突きをお見舞いする。
昆の先端とメイスがぶつかり合い、拮抗し、弾ける。火花が夜の闇を彩り、視界を確保するのはヘカトンケイルの落とした松明と木の葉の隙間から僅かに差し込む月光のみだ。
この状況ならば、ナナコの闇術は更に猛威を振るうだろう。彼女は闇術を行使し、自分の周囲に白い靄が目のように模る5つの黒い塊を生み出す。オレも闇術には詳しくないが、確か、追う者たちという追尾性能がある闇術だ。1発の威力はそこまでではないが、闇術には総じてスタミナ削り効果がある。疫病を患うヘカトンケイルとしては命中を避けたい闇術だ。
だが、ヘカトンケイルはそれを避けることなく、むしろその場に留まって全身を力ませるようなそぶりを見せる。すると、彼の首に下がっていた銀色のペンダントが温かな輝きを放ったかと思えば、周囲を吹き飛ばす奇跡である【フォース】のように開放される。
謎のフォースは追う者たちを払い除ける。追尾効果は幾分か下がっているのか、弾かれた後もヘカトンケイルを追うが、簡単に振り切られてしまう。
「貴様の考えなどお見通しだ。この俺に闇術は利かん」
「そこまでナナコって信用無いかなぁ。少しショックかも」
さすがのナナコも闇術が無効化されるとは思っていなかったのだろう。軽く肩を竦めつつ僅かに後ずさる。どうやらあの銀のペンダント、闇術を弾く効果があるようだ。さすがに無限使用は無理だろうが、かなりのレア……下手したらユニーク級のアイテムかもしれないな。
だが、弱点も同時に知れた。ウルガンが執拗にヘカトンケイルの足を狙って昆を打つ。戦斧も戦槌もリーチが短い。それに対してウルガンの昆は2メートル近くある。頼みのラッシュ攻撃も、ナナコの闇術支援があってなかなか決まらない。
なるほど、さすがは協働専門。ナナコはサポートに撤すると発言した裏腹には、ウルガンが自分の仕事を完璧にこなすという自信もあるようだ。
ウルガンは明らかに余裕綽々といった様子で、ヘカトンケイルの攻撃を軽やかに避け、ナナコに彼が接近しないような位置取りに務めている。その気になれば1発や2発打ち込めるチャンスを強引に作れるかもしれないが、それをしない。あくまでウルガンの仕事はナナコを守る事なのだ。
さて、オレが気付けた事に闇術の使い手であるナナコが至らないはずがない。彼女は媒体の短剣を振るい、新たな闇術を使用する。今度はソウルの剣のように媒体を紫の光が纏い、それが剣となって彼女の前面を薙ぎ払う。背後から自分ごと巻き込む闇の光の剣をウルガンは開脚して身を沈めて回避し、ヘカトンケイルは跳躍して回避する。
やはりあの銀のペンダントは射撃属性の闇術しか防げないみたいだな。近接属性のソウルの剣系は弾けないわけだ。
闇術対策ということは最初からナナコと敵対する事も視野に入れていたのだろうが、そんな事に頭を使うくらいならばサバイバル対策しておけば良いものを。まぁ、あんな傲慢な奴だ。他人にあれこれアドバイスを求める真似もしなかったのだろう。する相手がいないオレとは天と地の差だぞ。
宙に浮いた瞬間にウルガンが昆を伸ばし、その鳩尾に突く。やはり疫病のせいで体が思うように動かないのか、身を捩じって回避するのが遅れたヘカトンケイルは肺から押し出すように息と赤黒い光を吐き散らす。そのままウルガンはくるりと昆を回転させてヘカトンケイルの肩を叩いて地面に落下させ、足で地面を抉って土を舞い上げさせる。
ほう、上手いな。無理な追撃を仕掛けず、あくまで目潰しか。対人向けとはあながち嘘ではない。
ヘカトンケイルも可哀想に。実力的には真っ向勝負でウルガンとナナコを同時に相手取る事も可能なはずだ。だが、疫病に蝕まれ、解毒したとはいえ受けたダメージは残されたままになってプレッシャーとなり、精神は疲弊し尽し、オマケにナナコの闇術とあの奇妙なカウントダウンが否応なく焦りを与える。口は不遜でも、動きはとてもではないが鈍っているとしか言いようがない。
だが、完璧なコンディションで戦える方がおかしいだろう? いつだって危機は最悪の状況で訪れるものだ。
無様でも回れ右してジャングルに逃げ込んだ方が生存率も上がるだろうに。もちろん、逃亡ルートにはオレがいるので最初から死ぬ以外のルートはないんだけどな。
「はぁい、時間切れ♪」
そして、ナナコの頭上の時計が1周し、彼女の前に出現したのは棺桶だ。もしかして≪背嚢≫だろうか? 武器枠を1つ消費してアイテムストレージを増やせる背嚢は、もちろん名前通りのバックパックが主だが、それ以外にも多種存在する。矢数を増やす矢筒も正確にはこの背嚢に分類される。他にも銃弾だけを増加させるマガジンパックなどもあるが、武器枠を1つ消費しないといけないのはいかにアイテムストレージを増やすと言えども手痛い。だが、パーティにアイテム保管役兼回収役として1人でも装備しているとダンジョン攻略とアイテム収集が捗る装備ではある。
だが、当然ながら背嚢をアイテムストレージに入れておけば、その内容物分だけアイテムストレージが圧迫される。あくまで装備状態だからこそ効果を発揮する外付けアイテムストレージなのだ。
ならば、ナナコが出現させた棺桶は、あえて彼女がアイテムストレージに仕舞っていたものなのか。それとも、元から『それ以外』に持ち運べる手段が無いのか。どちらにしてもSTRが低そうな彼女では背負えそうにない、巨大な棺桶だ。全高が2メートルを超えている。
「ナナコの新しい【お人形】を見せて、あ・げ・る♪」
棺の蓋が開き、その奥の闇から伸びたのは折れ曲がった多関節の右腕だ。それは黒い糸で強引に繋ぎ合わせたものであり、2つの関節を持ち、爪は異様に黒くて長い。続いて現れた胴体は2メートル近い巨体であるが痩身。頭部には男と思われる顔があるが、その毛髪は全て剃られ、右側頭部にはコブのように別の男の顔が貼りついている。舌は異様に長くて緑、目玉があるべき右目にあるのは大きく咲く赤い花、左目には青く光るクリスタルが埋め込まれている。左腕は何故か肘から先が巨大な狼の頭部であり、まるで今も生きているかのように涎を垂らしている。背中からは黒光りする金属のような触手が伸び、それがバランスを保つようにうねっていた。
およそ異形以外に呼べない姿。幾多の肌を繋ぎ合わせたかのような縫合糸だらけの外観は怪物そのもの。だが、その纏う雰囲気はあくまで人間。
「やはり、貴様とは相容れんな。死者を人形にして戦わせる外道が」
「殺して終わりじゃなくて、その死体と力もきっちりと再利用するだけナナコは環境に優しい女の子のつもりだよ♪」
『オォオオオォオオオオォオオオォォオオオ!』
雄叫びを上げた『人形』が突進し、ヘカトンケイルへと多関節の右腕を振るい、その爪で裂こうとする。だが、ヘカトンケイルはこれをバックステップで回避し、即座に踏み込んで頭部へと戦槌を振り下ろす。クリーンヒットして『人形』のHPが減るも、それは1割にも届かない。防御力が高いのか、それともHPが膨大なのか、どちらにしてもネームド級の戦闘能力が備わっていそうだ。
死体を人形のように操るが故に【パペットガール】と恐れられるナナコであるが、どうやら死体はある程度ストックが可能のようだな。あの棺桶1つに付き1人か。恐らく、『呼び出す』という行為がなければ出現させられないタイプの背嚢なのだろう。
だが、相応のリスクも伴うはず。闇術で操っているならば、使用には莫大な魔力を消費していると見て間違いないだろう。
恐らく、ナナコの使う闇術とは、撃破されたモンスターやプレイヤーのアバターを獲得し、コントロールできるものだ。その中でも、あれはジョーカー、彼女にとっての切り札だろう。ヘカトンケイルは、ダメージを気にしない『人形』の猛攻に押されつつある。しかも、『人形』は闇術まで使えるのか、狼の口を突き出すと広範囲に小型の闇の球弾を放つ【闇の飛沫】を口内から吐き出す。まさかの至近距離からの闇術に銀のペンダントを使用する暇も無く、全弾フルヒットしたヘカトンケイルのHPが半分消し飛ぶ。上半身裸体で防御力が低かったのが仇になったか。
闇の飛沫の瞬間、ヘカトンケイルはソードスキルによるカウンターを狙い、それで防ごうとしたようだが、疫病によって体が鈍り、発動モーションを立ち上げられなかったのが決定的になった。
闇の飛沫のダメージで吹き飛ばされたヘカトンケイルは、足を震えさせながら立ち上がろうとするも、すぐに膝をつく。その呼吸は荒く、顔も青い。スタミナ切れだな。疫病とスタミナ切れを同時に味わう彼は、もはや立ち上がることなどできないだろう。だが、追い打ちとばかりにウルガンはヘカトンケイルの顎に容赦ない蹴りを打ち込んだ。仰向けになって倒れたヘカトンケイルはピクリとも動けない。
「ナナコ、シュミ、ワルーイ」
戦斧と戦槌を蹴飛ばして完全に無力化させたヘカトンケイルの胸を踏みつけ、ウルガンは嘆息する。
「貴様、ら……みた、いな、低ランカーに、この俺が……っ! 正々堂々と戦えば……!」
スタミナ切れで喘ぎながら、ヘカトンケイルは恨み言を呟く。まぁ、確かにグッドコンディションで正面から2人と戦えば、ヘカトンケイルの善戦は間違いなかっただろうな。だが、それを傭兵が言ったら駄目だろう。
「正々堂々なんてナナコの辞書には無いよ。だって、あなたみたいな強い人と正面から戦えば死ぬのは当然だもん。ナナコは自分が勝つ為に創意工夫と策謀を怠らないだけ。あなたは絶対に勝てない状況だっただけ。そうだよね、クゥクゥ?」
そして、このタイミングでオレを呼ぶとか、ヘカトンケイルの心を折る気満々だな。名前を呼ばれて、オレは自分が出る幕も無かった事に若干の退屈を覚えながら、地べたに背中をつけて死を待つランク4様を見下ろす。
その顔にあるのは、逆転の隙間も無く、自分が最初から罠に引っ掛かり、哀れにも蜘蛛の巣で足掻く蝶だったと気付いた絶望だ。ああ、これは確かに癖になる。これを見せる為に、ナナコはわざわざオレを呼んだのか。エグイことしやがるな。
「あー、どうも、ヘカトンケイル。気分はどうだ? あの川に疫病をばら撒いたのはオレなんだが、殺意をそんなに濃くぶつけて嬉しがってくれているなんて、オレも感激だ」
頭を掻きながらしゃがみ込み、オレはヘカトンケイルに笑いかける。
「【渡り鳥】……この殺人狂がっ! 貴様も、貴様らも、頭がイカれた屑共だ! 動け……動け、俺の体……! ここで、こんなところで俺は……っ!」
それが遺言で良いなら別に構わない。『我が生涯に一片の悔いなし』とか言われても困るしな。オレはライアーナイフを取り出し、欠伸を噛み殺しながらヘカトンケイルの左目に突き立てた。
「ぎぃあぁあああああああああああ!?」
「うるせーな。さっさと死んでおけ」
ぐりぐりとライアーナイフを左目に押し込み、傷口を押し広げ、アバターの頭の中身をかき混ぜる。その様子をナナコがうっとりとした表情で見つめ、ウルガンは暴れるヘカトンケイルの胸を一層強く踏む。それは絶妙な力加減で、彼が胸を押し潰してダメージを与えないように気配りしているのは見え見えだ。
「クゥクゥ、あまり体に傷つけないでね。『素材』にするから。『お人形』は強い『素材』でパワーアップさせないとね♪」
鼻歌を歌いながら、アイテムストレージからナナコが取り出したのは工具だ。それは金槌であり、糸鋸であり、黒い縫合糸だ。それが何に使われるのか気づいたヘカトンケイルの絶叫が更に大きくなり、体はより跳ね回る。
面倒だな。オレはカタナを抜き、ヘカトンケイルの首に合わせる。このままライアーナイフで殺し切っても良いのだが、その前に1つ試しておきたい事がある。
「首から上はいるか?」
「いらないよ。趣味じゃないもん」
そうか。オレはライナーナイフを抜き、そのままヘカトンケイルの首を薙ぐ。それでHPがゼロになり、彼の首がごとりと転がった。
死体が残るジャングルならばともかく、普段はどうやって死体を回収しているのだろうか? オレは少し興味がありながら、新鮮なヘカトンケイルの死体を引っ張り、解体し易いところまでウルガンに運ばせたナナコの『作業』を見守る。彼女が召喚した『お人形』は動きを止め、まるで糸が切れたマリオネットのように脱力していた。
「さっさと済ませろよ。明日に備えないといけないからな」
先に死体を漁り、オレは彼が装備していた銀のペンダントを頂く。アイテム名もずばり【銀のペンダント】であり、ユニークアイテムのようだ。闇術を払い除ける力があるらしいが、使用する度に耐久度が減少する。他にも深淵の闇を遠ざける力があると書かれており、どうやら騎士アルトリウスという人物の所有物のようだ。
「オマエらが仕留めたんだ。報酬は2人で山分けしろ」
「あ、そのペンダント要らないからクゥクゥが使っていいよ。ウルぴょんは?」
「コイツ、メシ、モッテネーナ! ツカエネーヨ!」
「……だって。だから、それはクゥクゥの分け前ね♪ ナナコは死体が貰えれば大満足だし。なんたってランク4が『素材』になるんだよ?」
嬉々と鋸で切断した左腕を掲げるナナコに、それならばありがたく貰っておこう、と銀のペンダントをアイテムストレージに入れる。とはいえ、なかなかに容量を喰うせいで、幾つかの保存食をウルガンに押し付けねばスペースを確保できなかった。彼は不味い不味い言いながら、保存食に齧りつき、ナナコが披露する解体ショーを見守っている。
オレはヘカトンケイルの首をつかみ、彼の恐怖の表情が貼りついた頭部を見つめる。
正面から戦えば、オレでも苦戦を強いられたかもしれないプレイヤーだったかもな。だが、このバトルロワイヤルで、騎士みたいな決闘ができるはずがないだろう?
ヘカトンケイルの首を手から零し、オレはサッカーボールのようにジャングルの闇を狙って蹴飛ばす。それはあっさりとオレの視界外に消え、解体作業の音だけが耳を擽り、それ以外は何も拾わない。
「どうしたの、クゥクゥ?」
赤黒い光を血飛沫のようにべっとりと浴び、皮の剥ぎ取りにかかったナナコが首を傾げる。
「いや、何でも無い。『お楽しみ』はまた今度にしようってだけさ。無理な博打に興味はねーからな」
さて、オレの本能の囁きは当たりか、それとも外れか。どちらにしても、今日のところは沈黙を答えとして受け入れよう。
清々しい表情で額の汗を拭うナナコが残したのは、肉塊となったヘカトンケイルの残骸だけだった。そして、『人形』は新たに腕を1本増やし、更に右足が別のものに、肌の部分部分が新調されている。後でどんなシステムで改造したのか、ナナコから寝つけ話に聞くのも面白いだろう。
「次はクゥクゥのお手並みを見せてもらうからね♪」
「ソウダソウダ! ワタシ、ツカーレータ! オマエ、ラークラーク!」
「はいはい。じゃあ、次の獲物はオレが1人で狩ってやるさ。それよりも明日に備えていい加減に休むぞ」
▽ ▽ ▽
転がるヘカトンケイルの首が、その絶望と恐怖を物語る様に、空虚に彼女を見つめる。
跳ね上がった心拍数と抑えきれなかった悲鳴。それが漏れなかったのは、彼女の口を彼が咄嗟に手で封じてくれたからだ。
シノンは染み込んでいく、まるでジャングルを闊歩する怪物の吐息が染み込んでいくかのように体を震えさせるも、それを強引に彼女を後ろから抱きしめるUNKNOWNが押さえつける。足掻き、引っ掻き、彼の腕を振り払おうとするも、HPの減少も厭わずにUNKNOWNはシノンをその全身で拘束し続ける。
視線を感じる。シノンのアバターの脊椎に流れ込み、脳に至るまで侵蝕するのは、まるで精神を貪るような狂気だ。
シノンとUNKNOWNは喉の渇きを覚え、新しい水源を求めて森を彷徨っていた。ヘカトンケイルが先んじていたのは全くの偶然だ。ほんの数分だけ、彼の方が先に水音を聞きつけて『狩り場』へと踏み入れてしまった。だからこそ、シノンは一命を取り留めた。
解体されていくヘカトンケイルの姿が脳裏でチラつく。彼の左目にナイフを突き立て、『楽しげに笑う』クゥリの眼が自分を捉えたような気がして、次は自分の番だと、抵抗しなければ死ぬと生存の為に武器を抜くように脳髄が叫ぶ。だが、それをUNKNOWNが強引に封じ込める。
『落ち着くんだ。ゆっくり、ゆっくり呼吸するんだ』
シノンの口を右手で覆ったUNKNOWNの囁きがイヤリングを通して聞こえる。だが、シノンは彼の言葉に耳を貸さず、暴れるのを止めない。少しでも物音を立てれば、あの白髪のバケモノは勘付く。いや、もしかしたら、知った上で首を投げたのかもしれない。こちらの反応を窺うという、たったその為だけに。
『シノン!』
強く名前を呼ばれ、ビクリと彼女は体を停止させる。しゃがみ込んでいる彼女の足は地面を抉り、その足先はあと数ミリで茂みを蹴ろうとしていた。ここで草木が鳴れば、あの3人は新たな獲物を求めて牙を剥くだろう。
それから数十秒、あるいは数分、シノンは石のように固まってUNKNOWNの懐の中で黙り続ける。やがて、彼が安全と判断して口から手が外れ、シノンは貪るように植物のニオイで充満した大気を取り込む。窒息状態にこそなっていなかったが、精神の圧迫感が彼女に首を絞められ続けたかのような窒息感を与えていた。
『行ったみたいだ。……見逃されたかな』
「どうでも、良いわ。早く、早くここから離れないと……」
『でも、食料と水を確保しないといけない。もう半日も何も飲んでないんだ』
UNKNOWNに手を引かれ、先程まで戦いと解体が繰り広げられていた川辺の岸についたシノンは、かつてヘカトンケイル『だった』肉塊を見て、胃が痙攣を引き起こしたかのように体をくの字に曲げる。アバターは嘔吐などせず、胃液すらも零れないが、それでもシノンは引き攣る喉から何かを吐き出そうとする。
地面に染み込む赤黒い光。それが生々しい血臭を漂わせ、シノンは激しくむせる。それを見たUNKNOWNはアイテムストレージから油を取り出し、肉塊にかけて夜盗の火打石で着火させる。
『彼は風上に行った。ニオイで勘付かれないはずだ』
人肉が焼ける悪臭も十分に胸の内を腐らせるが、それでも生々しい肉の香りよりはマシな気がした。UNKNOWNは川に入って上流を目指し、毒で変色したモンスターや動物の死体が詰められた蔦網を手に取ると、それを遠くに投げ捨てる。そうして、何度か金属製のコップで水を掬い取り、汚染が十分に解除されたかどうかを調べた上で、シノンへと新鮮な水を持ってくる。
『デメリットはあると思うけど、飲めない程じゃない』
「…………ありがとう」
素直にお礼を言い、シノンは冷えた水を口にする。ジャングルの水とは思えないそれは、きっと地下水として湧き出たものだろう。もしかしたら、近くに源泉があるのかもしれない、と彼女は考える。それだけの余裕が少しだけ戻っているのに、シノンは怖くなる。
「あんなの……あんなの、戦いじゃない」
ぼそりと、シノンは呟く。あれは断じて戦いでも、殺し合いでもなく、一方的な狩りだ。張り巡らされた罠の中で獲物を甚振る捕食者の宴だ。
『……DBOはプレイヤーのモラルの低下を招く要素が多過ぎる。だから、こうした精神的に閉鎖された空間では、抑制された願望や欲望が開放され易い。それだけだよ』
理性的にUNKNOWNは告げるが、そんなものは役にも立たない詭弁だとシノンは嘲う。
違う。彼らはこの特殊な環境だから変貌したのではない、元から人間としてのネジが外れている類だ。
「クーは、笑ってたわ。殺しを……ううん、人が苦しみ抜いて死んでいく姿を見て、悦んでいるみたいだった。あれが、私が知っているつもりだったクーなの? どうなのよ、『キリマンジャロ』さん?」
『……俺も、彼の全てを知っている訳じゃない。でも、シノンが知っているクーも、俺が知っているクーも、きっと彼の持つ本当の表情だ。だから、あの残酷に見える顔も、きっとクーの本当の表情なんだ』
拳を握るUNKNOWNが思いを馳せるのは、救えなかったヘカトンケイルか、それとも闇に消えた白髪の傭兵か。
あの時、シノンが取り乱したのを止める為にUNKNOWNはヘカトンケイルを救出することができなかった。彼1人だったならば、きっと撹乱に撤すれば、ヘカトンケイルの撤退の時間くらいは稼げたかもしれない。
ならば、結果的にヘカトンケイルを殺したのはシノンの心の弱さだ。あの場に満たされていた狂気に耐えられなかった脆弱な精神だ。
やはり必要だ。シノンは改めて、自分に足りない『命を奪う強さ』に焦がれる。あの狂気に立ち向かう為には、シノンはこの手を血で染めねばならない。そうしなければ、このジャングルで狩りに勤しむバケモノに食い殺される。
『次は必ず止める。もう、彼に誰も殺させない。殺させちゃいけない。このままじゃ、彼は俺が知っているクーじゃなくなる気がする』
「あなたが言うには、あれもクーの本当の姿なんでしょう?」
『そうだよ。でも、俺が知っているクーは、寂しがりやで、面倒臭がりなくせに面倒見が良くて、ここぞという時に優しさを捨てられない、そういう奴なんだ。俺は、オレの思い出に残っている彼を失いたくない。今の彼を放っておいたら、別の誰かになっていまう。そんな気がするんだ』
「……だったら、さっさとこの最悪な戦いを終わらせましょう。ソウルを3つ入手してユニークスキルを得れば、もう誰も殺し合う必要はないんだから」
それで、本当にクーが止まるならば。シノンは焼けていくヘカトンケイルの死骸に明確な不安を覚えながら、瞼を閉ざした。
▽ ▽ ▽
「ミッションを確認するぞ、馬鹿娘。今回のボスからのオーダーは『Aターゲットの確保』と『Bターゲットの撃破』だ」
雲1つない夜空に浮かぶ大きな満月、それをアメジストのような瞳が写し取る。
その右手が握るのは青い光を帯びた黒の剣。完全新調されたオーダーメイドである。調整に調整を重ね、指先まで馴染むそれを振るえば、その太刀筋は月光を映す刀身が幻想的な旋風を巻き起こす。
最後の調整に難があったが、『協力者』によって完全に自分の物になったと少女は会心の笑みを浮かべる。
場所はシャルルの森が視界に入る小高い丘。近隣の村では大ギルドのキャンプがあり、右往左往する大ギルドの人間たちの姿が見受けられるが、それを彼女は無視し、ただジャングルだけを見据える。
「既にボスは交渉に入っている。今回のユニークスキル争奪戦の背後に『奴』が動いているのは確かだ。3大ギルドに限らず、複数の戦力が交差する乱戦が想定される。生存を第一に動け。消耗の先にあるのは死だ」
夜風が靡かせるのは、黒紫の髪。それは闇の中にあるからこそ濃く黒を象徴し、そこに潜む高貴な紫を主張する。
「ユニークスキルは入手しなくて良いの?」
「美味しい果実は3大ギルドにくれてやれ。我々の目的を忘れるな」
「……UNKNOWNは?」
「ボスからの命令を忘れるな。『まだその時ではない』以上、奴との交戦だけは最大限に避けろ」
「つまり、止む無しだったら良いんだね?」
ニッと笑う少女は剣を腰の鞘に収め、腕を広げて体いっぱいに月光を浴びる。そして、風に紛れる悲壮な叫び……聞こえるはずの無い悲鳴を聞き入れる。
彼女の背後に立つスキンヘッドの男……マクスウェルは頭を掻き、連れる2匹の狼に何やら命じさせると、少女の傍らへと馳せさせる。
「バックアップはこれくらいしか出来ん。アリーヤとアリシアはお前の命令を等しく私の命令として受け入れるはずだ。ジャングルでのサバイバル戦など初めてだろう? 普段と同じようにいかんぞ。最大限に準備は進めたが、どの程度通じるか」
「関係ないよ。敵を見たら殺す。罠は潜り抜ける。そして目標を達成する。あ、これって傭兵みたいだね! ボク、少しだけワクワクしてきちゃった!」
「……さっさと行け。あと殺しは最大限に自粛しろ。敵を必要以上に増やすな」
「うん。何だかね、とっても嫌な予感がするんだ。ボクじゃないと止められない。そんな気がするんだ。だから、ボスに伝えておいて。この作戦に無理言って起用してもらって感謝してる、って」
ここまで届く、風に運ばれてくる殺気。それは心地良い反面、彼女にとって歓迎できない狂気を孕んでいる。
「自分で伝えろ、馬鹿娘」
「嫌だよ。ボスの事だから、全部終わったら絶対にお説教だろうし」
それでも、彼女の意思を汲み取ってくれたボスに最大限の感謝を捧げ、少女は陰謀と暴力が渦巻くシャルルの森を睨む。
ボスが集めた情報通りならば、この森では3大ギルドの謀略の陰で、『あの男』が動いている。狙いは何なのかハッキリとしないが、ボスは『ヤツの狙いならば分かる』と説明した。
狙いは2つ。そのどちらも少女として捨て置けないものだ。だからこそ、少女は他に適性者がいたにも関わらず、無理を言って立候補した。
「忘れないよ。ボクは絶対に忘れない。だから、思い出させてあげるよ。たとえ、バケモノになっていたとしても、『人』であるクーをボクが憶えているんだから」
まだまだクーには飲んでもらわないといけないブレンドが山ほど残っているのだ。
そして、ユウキは黒紫の風となり、シャルルの森へと飛び込んだ。
絶望「今回の絶望要素? 主人公に決まってるだろ。このまま放置したら、主人公によって皆殺しENDだから。これは小手調べだ。クリスマスに私を破ったキミ達ならば楽勝でしょう?」
暴力「そういうわけで、今回は絶望くんの味方だ。キミ達を叩き潰す」
希望「……いい加減にしてくれ」
喜劇「俺は前のエピソードで頑張ったから、有給もらうから」
救済「まだクリスマス戦の傷が癒えてなくて」
奇跡(それよりも人生ゲームしたい)
それでは、151話でまた会いましょう。