SAO~デスゲーム/リスタート~   作:マグロ鉱脈

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新エピソード開始です。

コメディは終了。今回は思いっきり血生臭くいきます。


Episode15
Episode15-1 商談


 今日はツイてない。【マックJ】は寒々しい心を胸に抱え、帰路に着く。

 彼はクラウドアースに属するギルド【ネオンロード】のリーダーだ。理事会に出席する程の地位には無いが、採掘部門を任され、12名の部下を持ち、個人宅も持つ裕福な生活を送っている。

 DBOでも『上流階級』などと妬まれる豊かな生活を送る彼の口から溜め息が絶えないのは、今夜の賭け事で大敗してしまったからだ。しかも、相手は【ハイエナ】の蔑称を持つパッチだ。パッチ・ザ・グッドラックと自称し、カモにされたかと思えば馬鹿げた大勝を叩き出し、結果的に赤字で押し潰されるという、絵に描いたようなギャンブル狂いの男である。そんな男に巻き上げられたとなれば、マックJのプライドも傷つくというものだ。

 現実では真面目一辺倒の底辺サラリーマンが、DBOではギルドリーダーとなり、毎晩のように賭け事にのめり込む。そんな自分こそギャンブル依存症になりつつあると自覚しているのであるが、なかなか抜け出せないものだ。

 安いプライドだ。それでも捨て去る事などできるはずがない。マックJは想起の神殿から自宅があるモラムの記憶を目指す。

 最近になって気づいた事であるが、想起の神殿にいた、あの黒服の鬱々とした女の姿が無い。彼は護衛のギルドNPC2体で両脇を固め、彼女がいた半壊した女神の像に近寄る。NPCがフラグを立てると消失する事がある。恐らく、攻略が一定ラインまで到達したか、何かしらのイベントでいなくなったのだろう、とマックJは判断した。

 彼からすれば、どうでも良い事だった。攻略も、イベントも、何もかも、全てが虚ろな他人事でしかない。

 この世界には全てがある。現実世界では満たす事ができなかった安っぽい名誉も、他人を捻じ伏せられる富も、そして自分を否定する者を踏み躙れる力もだ。人間の面の皮、その下に蠢く欲望が溢れだすように設計されている。

 正直者が馬鹿を見る、とは先人も良く言ったものだ。マックJは喉を鳴らして嗤う。かつて、貧民プレイヤーとして馬鹿にされていた自分がここまで成り上がれたのは、現実世界で培ったモラルを捨て去ったからだ。

 大多数の貧民プレイヤーは、結局のところ、現実世界の認識に縋りついている敗北者だ。彼らは戦う事ができない弱者であり、来るはずも無い助けに縋って明日の糧を求めて毎日を空腹で過ごす。マックJもそうだったように。

 愚かしい。自宅があるモラムの記憶に到着したマックJは、眠気を吹き飛ばすような晴天に舌打ちする。日本時間基準のシステムウインドウが表示する現在時刻は午前2時であるが、人工太陽を塔の頂点に頂き、昼と夜を自在に操れる王が支配するモラムの記憶は、昼が3日も続いたかと思えば、7日間も夜である事も珍しくない。他のステージに比べ、時間間隔が狂い易く、娯楽を得るには良いが、住まうには不便だ。

 それでも城下町には良い物件が揃っている。マックJが暮らす家もそこにある。邸宅とは言い難いが、貴族街にある庭付きの広々とした我が家だ。できれば2階建てが好ましかったのであるが、お目当ては倍近い価格で手出しができなかった。今の家もクラウドアースの資産で購入されたものがマックJに譲渡されているものである。

 現実世界で学んだ事の1つは、自身の才覚で勝者になれないのであるならば、誰が勝者なのかを見抜く事である。ネオンロードを立ち上げたマックJは、当時の聖剣騎士団と太陽の狩猟団の熾烈な競り合いの中で、密やかに進むギルド連合……クラウドアースのお誘いを受け、即答で参加を表明した。

 成功は必然。理事会の席に未練はあるが、マックJはそれもいずれ手に入れる。愛しい我が家の鍵を開けようとしたマックJは不相応な願望に焦がれながら、不可思議な出来事に遭遇する。

 鍵が開かないのだ。正確に言えば、鍵が認識されていないのだ。首を傾げ、マックJは試しにドアノブを回すと、最初から開錠されていたかのように、音を立てて玄関の扉が開く。

 まず彼が思いついたのは強盗だ。≪ピッキング≫ならば施錠されたドアも開錠できるだろう。だが、マックJは高熟練度の≪ピッキング≫対策を怠っていない。何よりも屋敷には2人の部下と5人のギルドNPCが常駐しているのだ。

 ならば施錠を忘れたのだろうか? いや、オートロックを採用している彼の屋敷に限って、それはあり得ない。だとするならば、これはどういう事だろうか? マックJは賭博の際に飲み過ぎたワインのせいで火照った頭を動かす。家財以外は盗む物は無いが、警戒するに越した事は無いだろう。彼は護衛のギルドNPCに戦闘警戒の指示を出すと、自身も武器の槍を手にして踏み込む。

 レベル25のマックJは並のプレイヤーが相手ならば十分に立ち回れるが、それでも実戦からは随分と離れてしまった。今や護衛のギルドNPCの方がレベルも高い始末である。何よりも屋内戦で槍のリーチは逆に不利になる事まで彼は思考が行き届いていなかった。

 だが、ギルドNPCの武器は柄が短い【バトルメイス】だ。左右に突起が付いたこのメイスを装備したSTRとVITが重視されたギルドNPCならば、屋内戦でも十分に立ち回れる勝算がある。その程度の計算はできている。

 

「【クアトロ】?」

 

 今日常駐しているのはネオンロード立ち上げ以来の仲間だ。彼の右腕的存在であり、レベルも30を超すギルドで最も腕の立つ男である。刺剣を使った連続攻撃を得意としており、DEX強化型が多い刺剣の中、彼は防御力をガチガチに固めて刺剣の連撃で敵を葬るタイプだ。

 

「【マジリ】?」

 

 もう1人はまだ日こそ浅いが、それなりに知恵が回るヒーラーだ。MYS特化型であり、回復と支援はお手の物であるが、接近戦では不利だ。だが、彼女がいればクアトロを前面に出して回復させ続ける事もできる。ダメージ覚悟のクアトロの戦法を上手くアシストできる優れたプレイヤーだ。

 名前を呼んでも反応が無い。マックJはリビングのドアが半開きになり、そこから涼しげな風が吹き込んでいる事に気づく。彼はギルドNPCで前後を固め、リビングへと突入した。

 白いレースのカーテンが揺れ、窓の外の青空から人工太陽の光が差し込むリビングは、陰陽がハッキリと分かれていた。広々としたリビングには、ステージ気候が固定のせいで使われる事が無い暖炉、アンティーク調のテーブル等々、凝られた調度品が記憶にある姿のまま、マックJを迎える。

 だが、唯一違うのは、彼の特等席の肘かけ椅子で、見知らぬ顔が足を組んでいる事だ。

 

「こんにちは、マックJ」

 

 噂以上の事は知らないが、マックJは『それ』を同じ人間だと認めたくなかった。

 涼風で揺れるのは白い髪。細く鮮やかな金色の紐で後ろ髪を後頭部で結っている。その瞳は血が混じったような赤みがかかった黒。顔立ちは男性的とも女性的とも言えない中性的である。声は高めではあるが男の物と分かり、それだけが『彼』と呼ぶべき男性であるとその人物の性別を区分する。

 

「【渡り鳥】!? 一体どうやってここに!? わ、私の部下は――」

 

「質問の数が多いし、アンタはする立場じゃない。尋ねるのはオレであり、答えるのはアンタだ。……そう言いたいところだが、依頼主からは『理由』くらい教えてやれって言われてるし、答えてやるよ」

 

 肘掛け椅子で退屈そうに、【渡り鳥】は目を細め、そして立ち上がる。その足音はまるで死神が鎌を鳴らしたかのように、マックJの背筋を冷たくさせる。

 案ずるな! マックJは我が身の怯えを振り払う。いかに【渡り鳥】だろうとシステムの城壁……安全圏に守られたマックJに危害は及ぼせない。ここは彼の住居だ。住人登録もゲスト登録もしていない【渡り鳥】は逆に攻撃を加えられればダメージを受けるが、彼の攻撃は一切通らないのだ。

 

「玄関から入ったさ。少しばかり数が多かったが、屋内戦のやり方が分かってない馬鹿ばかりで助かったよ。ギルドNPCも装備ばかりじゃなくてオペレーションをしっかり組まねーと宝の持ち腐れだな。ああ、でも刺剣野郎はそこそこできる奴だったな。歯応えがあった」

 

 その発言がいかなる意味を持つのか、マックJは10秒近く理解できず、唇が震えだす頃にようやく自分の部下が目の前のバケモノに『喰われた』のだと悟る。

 おかしい。安全圏に守られたプレイヤーをどうやって殺害したというのか。もしや、安全圏を無効化するスキルを保有しているのだろうか? そんな無駄な憶測ばかりが脳裏を過ぎるも、解答は【渡り鳥】本人が教えてくれる。

 

「この家はクラウドアースが買い与えたものだ。アンタは住まわせてもらっているだけ。賃貸住宅と同じさ。大家はクラウドアースで、アンタは借りてるだけだ。この家は少し前に売却されたのさ」

 

 そこで、ようやくマックJは鍵がかかっていなかった理由に思い至る。鍵が機能しなくなったのではない。屋敷が売却された事によってマックJの住人登録が抹消され、鍵が無効化されていたのだ。

 そんな回りくどい真似をする理由はただ1つ、目前の凶鳥を招き入れる為であり、それを仕組んだのは他でもない彼が属するクラウドアースだ。そこまで把握し、ようやくマックJは床で光るドロップアイテム……死亡したプレイヤーが残す遺品が散らばっている事に気づいて声にならない悲鳴を上げる。

 同時に【渡り鳥】が踏み込む。数メートルあった間合いは瞬時に詰められ、抜刀しながらの斬り上げがマックJの前方を守っていたギルドNPCの股から脳天まで裂き、そのまま切り返してカタナが追撃の振り下ろしを決める。スタン蓄積能力が低いカタナの高速2連撃を受けながらギルドNPCが反撃に転じようとするも、それを許さずに【渡り鳥】はギルドNPCの顔面をつかんで壁に叩き付けた。

 ここまでの一連の攻撃をマックJの脳が認識できたのは、壁に叩き付けられた衝撃で体勢が崩れたギルドNPCの腹にソードスキルの光を纏った拳が叩き込まれ、赤黒い光になって飛び散る頃だった。

 後方のギルドNPCがマックJを守るべく彼の前に出る。だが、それを見越した【渡り鳥】はギルドNPCが装備するバトルメイスを潜り抜けて足払いをし、その首にカタナを振るい、形振り構わずに背中を向けて逃げ出そうとするマックJへと鋭い光を投擲する。

 それはマックJの膝や肘といった関節に突き刺さる。久々に味わうダメージフィードバックの不快感にマックJはアバターの可動が阻害され、顔面から転倒する。

 背後であっさりとギルドNPCがトドメを刺され、赤黒い光になって飛び散る音が聞こえる。彼を守るべき盾はいなくなり、ガタガタとマックJは歯を鳴らす。

 

「さてと、ここからがオレの仕事の本番だ。手間をかけさせやがって」

 

 足を捕まえ、マックJはリビングに引きずられていく。爪を立てて床を引っ掻いて抵抗するも、彼に助ける救いの手は無い。

 

「誰か! 誰か助けてくれ! 殺される……殺されるぅうううううう!」

 

「うるせーよ。こっちは今からアンタと『お話』しないといけない事がたくさんあるんだ。素直に喋ってくれたら助かるんだがな」

 

 鼻歌交じりにリビングにマックJを連れ込んだ【渡り鳥】は彼を椅子に放り投げると、そのまま投げナイフを投擲し、手の甲に突き刺す。それは肘掛椅子に彼を拘束し、呻いている間にロープを取り出すと手早く縛り上げた。

 

「さて、マックJ。アンタには反逆容疑がかかっている。クラウドアースの肥料レシピを横流ししたな? ああ、これは答える必要はねーぞ。下調べは終わっているからな。問題は、アンタがどうやってレシピを手に入れて、どんなルートで売却して、具体的に誰に売り渡したのか、だ」

 

 首を左右に振り、両手を開いては閉じを繰り返し、【渡り鳥】はテーブルにアイテムストレージから取り出したアタッシュケースを置く。

 

「なるべく早く喋った方が楽になるからな。それじゃ、始めるか」

 

 ケースを開いた中に入っていたのは、鋏、剃刀、釘、金槌、ペンチ、瓶詰の小虫などだ。それが『何』に使われるものなのか、マックJは悲劇にも気づいてしまう。

 

「助けてくれ! 理事会に……理事会に弁解の機会をくれ! 頼む!」

 

「はいはい。どうせギャンブルで金が困ったとか、そんな理由だろ? くだらねーな」

 

 まずは軽く耳を落とすか、と【渡り鳥】は呟きながら鋏を手に取る。その鈍い刃は、まるで使い込まれたかのように人間の脂でべたついているようにも見えたのは、恐らく錯覚であり、そして想像通りの用途で使用されたのは真実だろう。

 マックJは助けを求めて叫ぶも、口に粘土のようなものを押し込まれて塞がれた。

 

「それじゃあ、楽しく『お喋り』するか」

 

 にっこりと【渡り鳥】は笑む。その蕩けるような美しさの中に、涎を垂らすバケモノの大顎と舌なめずりをマックJは幻視した。

 そして、彼の右耳に鋏の刃が触れた。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 場所は終わりつつある街の北西部、上流階級の朽ちた邸宅が並び、今は大ギルドによるリフォームが進むこの区画にある、クラウドアースが所有する邸宅の1つ。通称【獅子の館】と呼ばれ、合計40体もの獅子の石像が配置されている。

 この石像はいずれも侵入者を感知したら動き出すトラップであり、この邸宅に最初から備わっている機能だ。故に販売価格は極めて高額であり、また安全性で言えば終わりつつある街でもトップクラスである。この石像の獅子はレベル35相当のプレイヤーが侵入を試み、3体相手に嬲り殺しにされたという噂もある程に強力なモンスターだ。しかも撃破してもコルも経験値も入らず、修復も可能である為、侵入者側からすれば厄介極まりないトラップだ。

 先日はこの邸宅でテツヤンが講師を務めたバレンタインデー企画の料理教室が開かれたのであるが、今はそんな雰囲気など無い。ここはクラウドアースの詰所であり、終わりつつある街を担当している戦力の過半が常駐している基地でもあるのだ。そうであるが故に、先日の料理教室という題目の一般開放は、他ギルドに対して『この基地は鉄壁の守りがある』という宣伝と脅しを兼ねていたのである。

 春の温かさが滲み出し、すっかり雪解けした3月半ばの終わりつつある街。オレは窓の外の風景に、もうすぐDBOに囚われてから1年か、と思いながら白い皿の上にのせられたケーキをフォークで切り分ける。

 赤紫色のソースがたっぷりとかかった、チーズの風味が舌で踊る12層にも及ぶケーキは、まさしく至高の絶品だ。さすがはテツヤンの新商品である。ビールゼリーも悪くなかったが、やっぱり甘い物にアルコールは不要だな。まぁ、好き嫌いがあるだろうから文句は言わねーけど、オレは甘い物は甘い物として消化したい。

 

「そうか。やはりマックJが横流ししていたのは、聖剣騎士団か」

 

 残念だ。そんな無念そうな演技を大袈裟にするのは、クラウドアース理事会の理事長を務めるベクターだ。灰色混ざりの黒髪をした40前後のおっさんであり、表向きはクラウドアースの頂点に立つ男だ。だが、聖剣騎士団のディアベルや太陽の狩猟団のサンライスに比べて影が薄く、カリスマ性も乏しい。

 しかし、その厄介さはあのミュウにも匹敵する男だ。知略・謀略・政略にかけては、ミュウとは違った意味でエグい。あのセサルが神輿としてリーダーに選んでいるのではない事が分かる、政治家タイプの策略家だ。

 

「ああ。どうやら賭け事で負けが嵩んでた時に話を持ち掛けられたらしい。レシピは一般公開されて秘匿は難しいから、狙いはラスト・サンクチュアリの農業支援だろうな。最近は攻め過ぎたんじゃねーの? 余剰食糧も底が見え始めてたしな」

 

 クラウドアースから流出した肥料レシピは、今や3大ギルドどころか、DBOで何処でも入手できるレベルまで広まっている。挽回は不可能だろう。

 

「最新レシピは無事だ。アドバンテージは失ってこそいないが、大きな損失だな。聖剣騎士団め、やってくれるよ」

 

 報告書をテーブルに放り投げ、ベクターは口振りとは裏腹に全ては計算通りといった表情を浮かべている。大よそ、ラスト・サンクチュアリと聖剣騎士団の関係を崩す為に、マックJの反逆をあえて見逃したのだろう。今回の件でクラウドアースは聖剣騎士団に何らかの制裁処置を、じっくりねっとりと開始するはずだ。それはボディブローのように聖剣騎士団をじわじわと削り取るだろう。そうして、聖剣騎士団にラスト・サンクチュアリの為にダメージを負うリスクを計算させる事が狙いだ。

 考えさせる。それだけで十分だ。その僅かな亀裂こそが、迅速な対応を取らせない足枷になる。こうしてカードを作り、本命の勝負に向けて温存するのがクラウドアースのやり方だ。

 今回のオレの依頼は、クラウドアースから肥料レシピを横流ししたマックJと彼の属するネオンロードの粛清だ。直轄の部下4名と彼を含めた合計5人を殺害した。1人1人拷問して情報を掘り出すのは大変だったが、それに見合うだけの高額報酬だった。相変わらず裏は陰謀で真っ黒である。辟易するというものだ。

 

「こういう内部粛清は諜報部の仕事じゃねーのか?」

 

 だから、こうして愚痴を零すのも仕方ないだろう。何の為の諜報部なのかと言いたくなる。

 

「1人や2人ならばまだしも、構成ギルドの1つを潰すのは大変なのだよ。後腐れも多い。こうした汚れ仕事は、やはり信用できる外部の者……傭兵に泥を被ってもらうのが1番だ」

 

 言葉を飾らず、ハッキリとオレを『道具』として認識していると述べるベクターには、逆に好感が持てる。こうしたビジネスライクな付き合い程に、裏切りのリスクとは存外減るものだ。損得の勘定ができる堅実派であるならば、裏切りがどれ程のリスクの塊なのかは重々把握しているはずだからだ。

 本来ならば報告書をサインズに提出して依頼終了なのであるが、こうしてクラウドアースの邸宅に招かれて、月夜を眺めながら野郎と茶会をするのは理由がある。ようやく、と言うべきか、ベクターがオレと直接対話したいと招待状を送って来たからだ。

 

「なるほど、セサル様が期待するだけの事はある。腕は申し分ないな。信頼とは無縁だが、信用はできる。キミの評価を改めたよ、【渡り鳥】」

 

 紅茶を口元に運ぶベクターは鈴を鳴らす。すると2人っきりだった室内に、給仕のギルドNPCが一礼と共に入室し、テーブルの上を片付けていく。オレもケーキを食べ終わったところであり、食後の珈琲だけが熱気を帯びて残された。

 

「キミのラブコール……我々クラウドアースへのシグナルは受け取った。一見すれば、バランス良く全ギルドの依頼を引き受けているように見えるが、その実はクラウドアースの重要度の高い依頼を率先して受託している。だから、こうして会談の時間を設けたのだが、いかに?」

 

 試すようなベクターの視線を、オレは鼻を鳴らして受け止める。セサルならば2月に入る頃には勘付いている事だろう。それを今更になって気づいた愚か者だと演出しているだろう彼の腹黒さに嫌気が差す。本当は既に気づいていながら、オレのサインを無視して依頼を飛ばし、限界ギリギリまで引っ張っていたのだろう。事実、今回の依頼で何らアクションが無ければ、オレも方針を切り替える予定だった。

 

「取引がしたい」

 

「パートナー契約ならお断りしよう。爆弾を腹に収める主義は無い物でね」

 

「こっちから願い下げだ」

 

「ははは。冗談だよ。しかし、取引か。良い商談になれば良いのだがね」

 

 手を組んだベクターは、自分の手持ちのカードと知識で、オレが持ちかけるだろう取引を予想しているだろう。そして、この事態が予想済みであるならば、どんなカードを切って来るのか、オレには予見できない。アドリブ上等であるが、少々綱渡りをする必要があるな。

 赤い絨毯が敷かれた応接室で時計の針が静寂を鳴らす。オレの手札は少ない。ある程度の利益を見込む為には身売りも致し方ないが、クラウドアースに深入りは禁物だ。最初の1枚を間違えるわけにはいかない。

 

「妖精王って単語に心当たりは?」

 

 まずは無難に。オレはベクターの反応を窺いながら、そっと舌に言葉をのせる。

 

「妖精王、か。オベイロンの事かな? ALOは未経験だが、確かALOの中心にある世界樹に住まうのが妖精王だったはずだ。VRMMO抜きで言えば、シェイクスピアの夏の夜の夢が有名だね。そちらではティターニアの夫として登場したはずだ」

 

「どちらでも構わない。オレが欲しているのは、妖精王が関わっているステージやイベントだ」

 

 ここまでは情報収集通りの知識だ。欲しいのは、3大ギルドで最も幅広く、そして情報戦でミュウすらも梃子摺らせるクラウドアースの情報力だ。

 アルシュナがくれたヒント、妖精王の居城を目指す事こそが『アイツ』の悲劇を止める方法だ。そして、彼女が示した囚われの姫という単語が示すのは、『アイツ』が関わっているならば十中八九でアスナだろう。茅場の後継者の糞ったれがどんな仕掛けを準備しているのか知らないが、アスナは『アイツ』を釣るならば最高の餌だ。醜悪なトラップが待ち構えている事は間違いない。

 そして、それを回避する手段はあるとアルシュナは示した。それこそが、オレが先に囚われのお姫様を見つけ出す事。『アイツ』には悪いが、奥様はオレが先に掻っ攫わせてもらう。

 

「妖精はモンスターとして多数出現するが、妖精王となると、私の耳には入っていないな。尤も、私とて全ての情報を記憶している訳ではないから、探せばそれらしいヒントくらいならば見つかるだろう。もちろん、キミが何を支払うかによるがね。こうして、大ギルドのトップと密談する。それだけで、キミが妖精王に並々ならぬ執着がある事くらいは分かる」

 

「口止め料込みってわけか。だったら、コイツでどうだ?」

 

 オレがアイテムストレージから取り出したのは、ガルム族の英雄ラーガイのソウルだ。オブジェクト化されたそれは、紫色が滲んだ黒色に侵蝕された金の光の塊である。

 

「デモンズソウルか。しかもユニークともなれば、市場価格は120……いや、150万コルはするだろう。もちろん、これを売るような馬鹿は、余程貧困に喘ぐ阿呆くらいだろうがね」

 

 算盤を弾く音が聞こえる。ベクターは悩ましいという眼差しの向こうで、見透かせないオレの要求の真意と利益を秤にかけ、この商談をどのような形で着地させるべきか、冷徹に計算している。

 だから、ここでオレは更に畳みかける。指でテーブルを叩いてリズムを取り、ベクターの思案を阻害しながら、新しいカードを場に出す。

 

「誤解するな。こいつは『手付け』だ。妖精王の情報が正しければ、もっとデカいものを支払う用意がある」

 

 DBOで最も入手が困難なソウル系アイテムのユニーク品。それ以上の価値がある物を差し出す。これでオレが切ったカードは、妖精王、ラーガイのソウルに続いて3枚目だ。そろそろ手札が乏しくなってきたので、勝負を決めたいところだ。

 

「……良いだろう。だが、デモンズソウルを前払いしてもらって、手ぶらで返すのも非礼というものだ。私から細やかながらお土産を渡させてほしい。実はね、妖精関連で情報を集めている連中が何人かいる。たとえば、ラスト・サンクチュアリは妖精が関わるイベントを積極的に調査している。そして、もう1つは全員がALO出身のギルドだ。名前は確か【フェアリーダンス】だったかな? 確かリーダーは【サクヤ】という女だったはずだ。ALOではシルフ領のトップをしていたらしい。ALOに関して言えば、情報量も悔しいが私よりも上だろう」

 

 ギルドもリーダーも聞いた事が無い名前だ。そうなると3大ギルドに属していない有象無象の中小ギルドの1つか。サインズに問い合わせれば、依頼さえ出した経歴があれば探ることもできるかもしれないし、そうでなくとも情報屋を使えば十分に調査できるだろう。

 妖精王がALOに少なからず関与しているならば、実際にログインしていた連中から情報を引き出すのも悪くない手だな。出来れば、サラマンダーで将軍をしていたユージーンからも聞き出したいが、ヤツを交渉のテーブルに載せるには並の材料では無理だろうし、情報量自体はクラウドアースの方が上だ。契約者としてクラウドアースから聞き出してもらえれば得もあるが、あまり期待しない方が良いな。

 それにしても、ラスト・サンクチュアリも妖精関連で探っているとなると、『アイツ』も妖精王を探しているかもしれないな。ベクターは暗に、妖精王がDBO内で実在する確率が高いと示してきた。つまり、デモンズソウルだけ受け取って情報を隠蔽する気はないという訳だ。

 取引で裏切りはご法度だ。このまま知らぬ存じぬでデモンズソウル分の働きを見せねば、ベクター……いや、クラウドアースは取引相手としての価値を失う。オレは今日までの依頼の数々でクラウドアースに自分の有用性を売り込んだ。それも勘定に入れれば、ベクターは最高のパフォーマンスで応えてくれるはずだ。

 

「感謝する。今後もご贔屓に」

 

「おっと、そう言えば、もう1つキミに渡せる情報があるんだが、買っていく気はあるかな?」

 

 席を立ったオレをベクターは呼び止める。ヤバいな。こちらの手札はほぼ出し尽くした。このタイミングを狙ってきたという事は、オレから搾り取れるという算段が立っているという事だ。

 さて、どうしたものか。肉を削いで釣れるのは鯛か、それとも……いや、考えるのは止そう。オレは瑠璃のコートを翻し、もう1度席に着く。

 

「糞みたいな情報じゃねーだろうな?」

 

「もちろんだ。随分と前から、キミは人探しをしているそうじゃないか。それに関する情報だよ」

 

 途端にオレは自分の全資産を書いた脳内リストを引っ張り出し、この商談を何としても成功させるべく、何をテーブルにのせられるかを吟味する。

 ベクターが取り出したのは、グリムロック謹製の、見ている方が恥ずかしくなるグリセルダさんの胸像だ。何処で入手したのかと思ったが、これは情報収集を任せたパッチくらいにしか渡した覚えが無い。あの野郎、大方借金返済の為にクラウドアースに売り払いやがったな。あとでぶち殺す。

 

「……何が欲しい?」

 

 ようやく掴んだグリセルダさんの情報をここで逃すわけにはいかない。ベクターがわざわざ取引を持ち掛けるという事は、情報操作は万全。ここで蹴れば、入手は絶望的になるかもしれない。

 

「それは商談成立と捉えて良いかな?」

 

「好きにしろ」

 

「そうだな。では、1つ依頼をしたい。確実に遂行してもらいたい依頼だ」

 

「UNKNOWNを殺せって依頼か?」

 

「まさか。それは理事会で十分に議論した上で結論を出すべき依頼だ。キミに頼みたいのは、ユニークスキルの争奪戦だよ」

 

 どういう意味だろうか? 眉を顰めるオレに対し、ベクターは自分のペースに持ち込めたとばかりに笑む。

 

「あと数日もすれば、一斉に大ギルドが依頼を出すだろう。サインズを通してキミにも複数から依頼が舞い込むはずだ。キミには『あるギルド』の依頼を受託してもらいたい。もちろん、今回の情報とは別に正規の報酬も支払おう」

 

「それよりも、ユニークスキルの争奪戦ってのはどういう意味だ? それに、クラウドアースから受託するんじゃねーのか?」

 

「言葉通りさ。先日、あるダンジョンが発見されてね、巨大なジャングルなのだが、その中心部にある迷宮の最奥、そこに最初に到達した者はユニークスキルを入手できる。だが、極めて強力なモンスター、悪質なトラップ、そして大中小様々なギルドがユニークスキルを狙って派遣した戦力。かなりの激戦は間違いない。大部隊で押し切りたいが、ジャングルという関係上人数で押せばモンスターの索敵に引っ掛かる上に機動力も損なわれる。そこで、各ギルドは……それこそ中小ギルドに至るまで、ユニークスキルの為に正規・非正規問わずに、傭兵を雇用するはずだ」

 

「だったら、ユージーンがいるだろう? アイツに頼めば良いじゃねーか」

 

「もちろん、彼も派遣する。だが、君に頼みたいのはユニークスキルの入手を目指しつつ、こちらで準備したリストのプレイヤーを始末してもらいたい。特に、聖剣騎士団と太陽の狩猟団と契約を結んでいる傭兵をね」

 

 なるほど、そういう事か。オレは、ついに傭兵同士の殺し合いが始まる、と胸に疼きを覚える。

 ベクターの本命はユージーンだが、彼はクラウドアースと契約しているランク1だ。当然ながら、誰もが彼の参戦を警戒する。そこで、オレが独立傭兵の利点を活かし、クラウドアースが裏から手を回したギルドからの依頼を受注し、表面的には偽る。そして、それこそクラウドアースと契約を結んでいる傭兵達とも全面的に敵対しながら、ベクターがリストアップした傭兵を始末しつつ、ユニークスキルの入手を目指すというものだ。

 傭兵というソロで活躍する戦力を削り取る。今回のユニークスキル争奪戦とは、簡単に言えば傭兵バトルロワイヤルだ。どれだけの戦力が参戦するかは分からないが、オレはろくな支援も受けられないまま、最高最悪の殺し合いに挑まねばならない。

 かなりの長期戦が予想される、とベクターは付け加えてオレの返答を待つ。恐らく、リストアップされる中には、傭兵ばかりではなく、他のギルドの有力人物も混ざり合っているだろう。それこそ、ユニークスキル争奪戦となれば、血の気が多い円卓の騎士、太陽の狩猟団からもリーダーのサンライスが出張るかもしれない。

 ユニークスキル。それは頂点に立つ為に必要不可欠な力であり、ユニークウェポン以上の価値がある。それを得る為ならば、どれだけの血が流されても厭わない、という3大ギルドの欲望の牙が剥かれる。

 

「依頼の詳細は追って伝える。孤軍奮闘はキミの十八番だろう? 期待しているよ」

 

「そっちこそ、グリセルダさんの情報を準備しておけ」

 

 グリムロック、長く待たせたな。ようやく……ようやく、オマエとの約束を守れる時が来た。

 この殺し合いの先で、必ずオマエに断罪の日を見せてあげられる。




傭兵バトルロワイヤル編、開幕。

それでは、145話でまた会いましょう。

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