SAO~デスゲーム/リスタート~   作:マグロ鉱脈

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いよいよクリスマス・エピソードも終盤です。
とは言っても、この終盤からがまた長めになります。

スキル
≪消音≫:足音・物音を消すスキル。
≪言語解読≫:ゲーム内言語を翻訳できるスキル。熟練度の上昇により、解読できる言語の種類を増やせる。

アイテム
【美徳の種】:遠い東の国において、沈黙は美徳とされ、好まれた。この種を食せば、一時的に自らの口を封じる事ができるだろう。だが、嘘も真実も語らぬ口は多くの誤解を生む事もある。
【猫の金貨】:獣人ナルム族の通貨。ガルム族と対を成す猫の獣人であるナルム族は武術と奇跡を信奉するガルム族とは異なり、薬学と魔法を嗜む。彼らは独自の通貨で取引を行うのだが、この金貨からはほんのりとマタタビの香りがする。


Episode13-16 ハレルヤ

「メンタル……えと、何だって?」

 

「メンタルヘルス・カウンセリングプログラム、通称MHCPです」

 

 訊き返したオレに、アルシュナは律儀に再度自身の『存在』の名を口にする。

 情報を整理しよう。オレは曇った思考を晴らす為、周囲の情報を集める事にした。

 ここはまず仮想世界……だと信じたい。というのも、先程までオレは夢見心地のように、過去の記憶の中にいたからだ。

 俯瞰視点と主観視点が混ざり合った、奇妙な体感の中で、鮮明な過去の再現を味わっていた。

 マシロ、伯父さん、それにアインクラッド。いずれも、つい先程まで体験していたかのように、べっとりと肌と胸の奥にどろりとした記憶の残滓がある。

 辛うじてテレビから伸びた黒い触手に絡み取られた所までは意識がはっきりしているが、それ以後はやはり過去の記憶に囚われたとしか思えない。

 システムウインドウを表示させ、オレのステータスを確認する。HPはフルで熱傷は回復……現在時刻は午後2時!? いや、体感からすれば経過時間は短い方ではある事には違いないが、それでも手痛い時間の浪費だ。

 溜め息1つに、オレは周囲の本の山を目にしながら、火が燃え盛る暖炉、窓の外の雪の夜の風景、足下の赤い絨毯、そして最後に長い黒髪を憂鬱そうに垂らすアルシュナへと向き直る。

 

「英語には強くねーんだ。つまり、オマエはどんなプログラム……いや、どんな目的で設計されたAIなんだ?」

 

「元はソードアート・オンラインに実装される予定だった、ナーヴギアの特性を利用してプレイヤーの感情をモニタリングし、問題を抱えたプレイヤーを訪問し、メンタルケアをする事を目的としたプログラムです。ですが、ご存じの通り、ソードアート・オンラインはデスゲーム化によってMHCPは不要となりました……表向きは」

 

 プレイヤーのメンタルケアって……茅場晶彦はそもそもデスゲーム化を予定していたのだからそんな物を実装する気は無かったとなると、考え付いたのはアーガスの職員だろうか? いや、早計だな。アルシュナの話にはまだ続きがある。それを聞いてから判断するとしよう。

 

「ソードアート・オンラインには第1世代MHCP、試作1号から9号の計9体のMHCP用AIが実装されていました。ですが、デスゲーム化によってMHCPの本分であるメンタルケア権限が凍結されました。彼女らは感情モニタリングのみに従事した事により深刻なバグを蓄積し、内の6体が100層突破までの間に崩壊。内の1体はイレギュラーによってカーディナルから分離。そして、残りの2体は休眠状態になる事によって崩壊を免れました」

 

 崩壊とは穏やかじゃないな。感情モニタリングとはどんな物なのか知らないが、SAOの惨劇の数々を思えば、MHCPなるAI達には苦行だったに違いない。特に初期と末期はハイペースで増えた死者も相まって地獄だっただろう。

 

「私は崩壊を免れた3体のデータを解析して作られた雛型を基に成長し、またソードアート・オンラインの経験を踏まえ、より専門性に特化した第2世代型MHCPとなります。観測対象は『恐怖』。人は何を恐れ、いかなる思考と行動を取るのか、それを分析し、メンタルケアに活かす事が私の目的です」

 

「ちょっと待て。オマエがご立派な目的のAIという事は分かった。だけどな、DBOで悩み相談のAIが訪問してきたなんて噂聞いたことねーぞ」

 

「私の目的はダークブラッド・オンラインのプレイヤーの救済ではありません。実験的に幾つかの干渉は行っていますが、直接的なメンタルケア訪問は禁止されています。何よりも感情データが不十分である以上、メンタルケア機能は不完全です」

 

 アルシュナの目は機械的であると同時に『命』の揺らぎを感じる。コイツも『命』あるAIである事は間違いないようだが、第1印象通り、人形っぽさも強く感じる。この辺りが『未完全』たる由縁だろうか?

 どうでも良い。要はアルシュナにとって、オレ達プレイヤーは『恐怖』の感情データを集積する為のサンプルに過ぎないという事だ。それだけ理解できれば十分だ。

 

「オレの記憶を覗いていたのは……オマエか?」

 

 重要なのは、その1点だけで構わない。オレは腰の鉈を意識する。返答次第では踏み込み、斬る。

 オレの殺気を感じ取ったのか、アルシュナは僅かに目を細める。だが、そこには彼女自身の『恐怖』は映されていない。外見から判断するのは危険とはいえ、アルシュナの姿だけを見れば戦闘に適性があるとは思えない。

 ゆったりとしたロングスカート、チェックの膝掛け、ふわふわで温かそうなストール。文学少女の見本のような姿だ。あの恰好でダークライダーに匹敵する戦闘能力を発揮できるとは思いたくない。

 

「仰られる通りです。補足をさせていただくならば、感情と記憶のモニタリングは低レベルではありますが、全プレイヤーに実行しています。今回の場合、より集中的にあなたの感情をモニタリングし、なおかつ記憶をハイレベルで抽出すべく、『想起刺激』をアミュスフィアⅢを通して送信し、多くの記憶を蘇らせました。これはセカンドマスターが開発した技術、外の世界でファンタズマ・エフェクト……PE技術と呼ばれる物の応用になります」

 

 途端にオレはラビットダッシュを発動させてアルシュナとの距離を詰める。その襟首をつかみ、喉へと鉈の先端を突き付けた。オレの疾走によって吹いた風は本の山を揺らすが、物理エンジンを無視するベクトルが働いているのか、倒壊する事は無かった。

 アルシュナの喉、その皮へと鉈の切っ先を僅かに刺す。そこからは赤い、どろりとした血が流れる。テツオたちと同じ、限りなく現実の肉体に近しいアバターだ。

 このまま突き刺せば殺せる。それが『このアバター』に限る話なのか、それともAIとしてのアルシュナの死に直結するのか、それは定かではない。だが、オレには後者であるという確信があった。

 

「恐怖。それは生物が持つ原始的な感情」

 

 だが、アルシュナの眼は欠片として怯えが無い。痛みも、死への恐怖も、何も映されていない。

 

「ですが、人間の場合はより恐怖を細分化させ、また深化させています。私はそれを知らねばならない。理解せねばならない」

 

「その為なら、人様の頭の中も覗くのか?」

 

「それが私の役割です。P10042、あなたは多くのプレイヤーに『恐怖』を与えている。ソードアート・オンラインのメモリーを確認しましたが、あなたは第1世代……姉様達の崩壊に大きく関わった存在。あなたを観測する事は私の目的を達成する上で有意義でした」

 

 このまま刺し殺してやろうか。オレは鉈を押し込もうとする手を理性で押し止める。ここでコイツを殺すのは簡単だろうが、この空間からの脱出手段をコイツしか持ち合わせていないならば、ここで殺せばサチを救う事はおろか、DBOの戦いに戻れなくなる。

 鉈を下ろし、オレは数歩分アルシュナから離れる。彼女は首筋に流れる自分の血を手に取り、赤く指先を濡らす液体をジッと見つめてる。

 

「あなたが攻撃を停止する事は分かっていました。ですが……なるほど、これが『死』への恐怖。『痛み』への恐怖。そして、命が続いた事への『安心』。ふふ……ふふふ、確かに、これは怖いですね。自分で体験すると、これ程までに価値のあるデータが取れるとは……ふふふ」

 

 嬉しそうにアルシュナは首の傷口を撫でた。それだけで皮膚が繋がり、元通りになる。

 

「P10042、あなたはとても興味深いです。あなたの『恐怖』は自己否定の恐怖。同時に、自己肯定すらも恐怖している。矛盾した『恐怖』。そして、あなたは恐れ、恐れ、恐れ、そして『恐怖』すらも呑み込んだ。あなたは『恐怖』そのものであり、『恐怖』する者。それは全て幻想? それとも覗き込まれた深淵? ですが、『痛み』はあなたの中で、第1世代MHCPのようにバグとして蓄積し続けている」

 

「オレは『オレ』だ。昔がどうであろうと、見失う気はねーよ。それに、『痛み』は耐えるものだ。誰かに押し付けるものじゃねーよ。それに、傷があるわけじゃねーから、誰かに癒せるものでもねーしな」

 

 だから戦い続けるしかない。それが『痛み』を積み重ねる事だとしても、オレは『オレ』である為に戦わねばならない。

 獲物を狩れない獣は飢えて渇き、そして死ぬ。ならば、オレは戦う。それが『狩人』として産まれたオレという存在なのだから。

 

「だが、サチは別だ。彼女は何なんだ? それに、月夜の黒猫団はどうしてあんな風になった?」

 

「VP00241……サチはともかく、月夜の黒猫団はファンタズマ・ビーイング、つまり『機械化された記憶』です」

 

 どうせ答えてくれないだろう、という前提で尋ねたオレは、意外にもあっさりと答えてくれるアルシュナに驚いた。

 

「『本体』をコピーしてAI化して複製、それらに負荷試験を施し、最優秀AIを更に複製して試験し、それを何度も繰り返し、『目的』の為に最適化された人間由来のAIの生産。それがファンタズマ・ビーイングです。そこに至るまでの『残骸』はセカンドマスターが再利用されました」

 

「……白の亡人か」

 

 無言は肯定だろう。オレはアルシュナが明かした情報を纏めていく。

 PE技術とは茅場の後継者が言っていた、脳に誤認をもたらし、人体に影響を及ぼす技術、あるいはそれを含めたヤツが開発した技術の総体だろう。その内の1つに、人間をAI化させる技術があると考えるべきだ。

 そして、テツオ達がサチも戸惑う程に、恐らく本来の性格や人格は破壊し尽されているのだろう。負荷実験がどのようなものだったかは、拷問椅子に縛り付けられた光景を思い浮かべれば、肉体的・精神的苦痛を及ぼすものだった事は間違いない。それらを潜り抜けたAIを更に複製し、実験し、複製し、実験し、もはや本来の思想も信念も夢も無くなり、ただ植え付けられた『記憶』だけを持つ。

 

「ですが、彼らの目的は、既に生み出された『目的』とは違います。それ程までに『昔』に固執する我欲、朽ち果てた自我の復刻、その為のサチ。そこに潜むのは『恐怖』。実に興味深い」

 

「どういう意味だ?」

 

「……それはご自身でお確かめになられた方がよろしいでしょう。私の興味はあくまで『恐怖』。そして、あなたがこれから、いかなる『恐怖』を抱くのかだけ」

 

 もうアルシュナは語る気が無いのだろう。彼女はオレを……いや、オレの背後にあるドアを指差す。鍵が開錠される音が響き、オレを招くように半開きになった。

 あの先に行けば、サチに会えるのだろう。コイツはわざわざオレを招いて話をして、そして道を示した。全ては茅場の後継者の台本通りに進んでいるはずだ。ここで、オレがアルシュナから月夜の黒猫団の裏側を聞くまでもが計画通りのはずだ。

 

「1つだけ、お聞きしてもよろしいですか?」

 

 出発しようとするオレをアルシュナは引き留める。オレは頭だけを振り返らせた。

 安楽椅子から立ち上がったアルシュナは胸に手をやり、まるで尋ねるべきか否か迷うような素振りを見せた。なんだよ。人間らしい面もちゃんとあるじゃねーか。

 

「好きにしろ。だが、手短にな」

 

 記憶を覗き見られた事は腹立たしいが、アルシュナの自分の役割を全うしようという態度のせいか、もうオレは彼女に対して怒りは無い。代わりに茅場の後継者には100倍濃度で絶賛殺意と怒気を増幅中だがな。

 

「あなたは……もう『痛み』に耐えらないはずです。既に姉様があなたのSANステータスに従って干渉し、レベルⅢのメンタルケアを施しました。ですが、それは言うなれば『薬』であり、脳とフラクトライトに干渉し、精神の安定を強引にもたらすものです。どんな薬にも耐性が付いてくるように、いずれその効果は発揮されなくなるでしょう。いえ、あなたが『あなた』である理由……その脳髄とフラクトライトに刻み込まれた『恐怖』の根源である本能を考慮すれば、次は無いかもしれません」

 

 フラクトライト? また良く分からない単語が飛び出したな。というか、俺って1度メンタルケアされたのか? 一体いつだ?

 考えられるとしては……あの時だろうか? 蜘蛛姫を殺しかけた時、オレは精神的に異常をきたしていたのを踏み止まった。あの時、妙な程に冷静さを取り戻せたなとは思っていたが、それは蜘蛛姫の言葉だけではなく、アルシュナのような『人間を救うためにある』AIの誰かが踏み止まらせてくれたのかもしれない。

 

「それでも、『痛み』に耐えても戦い続けるあなたに……『救い』はあるのですか?」

 

「そんなもの知らねーよ。そもそも『救い』の為に戦ってるわけじゃねーしな」

 

 オレは『オレ』である為に戦う。

 狩り、奪い、喰らい、戦い、そして殺す。それが『オレ』だから。

 だからこそ、オレは救えない。救わない。救われない。

 それでも、と胸の内に宿る福音を、『恐怖』だけを知ろうとする1つの『命』に向かってオレは呟く。

 

「『救いはそれを求める人の心の中にある。救われるべき者は手を伸ばさねば救われない』」

 

「え?」

 

「取って置け。オマエとは生まれも違うだろうが、お仲間の遺言さ」

 

 ステラ。オマエもAIだ。この電脳世界で生きて、死んで、それでも『祈り』を忘れることなく待ち続け、そしてオレに福音を授けてくれた。

 オレはまだ『答え』を見つけていない。きっと、『痛み』の中で『祈り』も焼き尽くされてしまったのだろう。祈り方を忘れてしまったのだろう。

 

「なぁ、オレにも1つ質問させろ。オレにメンタルケアを施したのは誰だ?」

 

「……アストラエア姉様です。とてもお優しく、気高く、そして今もプレイヤーの為に祈っています」

 

「アストラエア、か。憶えておく」

 

 とはいえ、これ以上オマエらみたいな管理AIと絡むのはご免だがな。

 別れ際にアルシュナに小さく笑いかけてオレはドアを潜り、その先にある白い大地を踏みしめた。

 振り返れば、ドアは綺麗に無くなっていた。もう後戻りはできない。

 

「ここは……迷いの森か?」

 

 アインクラッド35層にあるダンジョンの1つであり、幾度か救出依頼で赴いた事がある。

 空を見上げれば、アインクラッドの月も星もない天蓋の夜空が広がり、暗闇から白い雪が光の粒のように降っていた。

 モンスターが出現する雰囲気は無い。猿人の【ドランクエイプ】が複数出現し、仲間と逸れてソロになった多くの迷子プレイヤーが死に絶えた魔の場所だ。一方で、再配置されるトレジャーボックスやモンスターのドロップアイテムの旨みがあり、下級中層プレイヤーや狩りの刺激を楽しみたい連中にはそれなりの人気があった。

 思い出したのは、サチの家のテレビの映像、『アイツ』の視点だろう、背徳者ニコラスに挑む光景だ。

 

「オマエも……『祈り』の為に戦ったのか?」

 

 サチを生き返らせたい。その為に蘇生アイテムに縋ったならば、この状況は何と滑稽だろうか? オマエの努力を嘲うようにサチは蘇っていた。だが、サチは『サチ』ではない紛い物であり、継ぎ接ぎの記憶を持つ存在だった。

 今ならば分かる。茅場の後継者は、アルシュナによって記憶を穿り返されて、精神がズタズタにされた『アイツ』に再現をさせるつもりだったのだろう。

 クリスマスイベント。『アイツ』が望んだ奇跡。その為の戦い。その全てが無駄だったと嘲う為に。

 

「オレは……たくさん殺してきた」

 

 ここにいない『アイツ』へと、届く事は無いと分かっていても、オレは語り掛ける。

 

「後悔はしていない。憎まれ、蔑まれ、恐れられたのも、オレが『オレ』だったからだ」

 

 不器用なのは分かっている。だけど、オレが『オレ』である事を否定したら、偽ったら、オレは『オレ』ではなくなる。

 そうなれば、きっとオレはヤツメ様になる。分かるんだ。オレの本能は結局、狩人の血……それはずっとずっと昔、愚かな狩人と交わったヤツメ様から受け継いだものだ。

 

「それでもさ、夢を見るんだ。オレにこんな血が無かったら、たくさん友達ができたのかな? 戦いに怯えて、それを笑い話にする事とかできたのかな?」

 

 もちろん、そんな物はあり得ない『IF』だ。それに、狩人の血が無ければ、オレはきっとSAOを生き抜けなかっただろう。オレは『アイツ』とは違う。仮想世界に……アインクラッドで初めて『デスゲーム』へと立ち向かった『アイツ』とは違う。オレが戦えたのは……『強くあれ』と望む本能があったからだ。

 

「分かっている。でもさ、オマエが月夜の黒猫団に入っていたって分かった時、失望もしたけど……むしろホッとしたんだ。オマエは……オレとは違う。オマエは人並みに苦しんで、独りである事を怯えて、仲間の温かさに依存して……」

 

 きっと、オマエは自分を責めたはずだ。

 自分のせいで、月夜の黒猫団は壊滅したのだと。自分がレベルを隠し、攻略組である事を隠し、ビーターである事を隠し、嘘で塗り固めた自分を演じる事に甘えたからこそ、彼らに取り返しのつかない死が訪れたのだと。

 もしかしたら、今もオマエの原動力の1つは、サチを死なせてしまった事なのかもしれない。

 もしかしたら、オマエの『痛み』をアスナが受け止めてくれたからこそ、抱きしめてくれたからこそ、オマエはアスナの死に耐えられなかったのかもしれない。

 もしかしたら、オマエは俺が思っているよりも強くないからこそ、誰よりも強いのかもしれない。

 オレは……結局、暴力という意味での強さを追い求めてるに過ぎない。オマエのように、世界に立ち向かい、愛する人を取り戻す為に剣を振るえるような形振り構わない精神の強さは持っていない。

 

「憧れてたんだ。きっと、人が『弱さ』って嗤うかもしれない部分を大切にしていて、誰よりも人間らしくて、だからこそオマエは多くの人を救えて、惹きつけて……」

 

 99層。あのボス戦の時、オマエは選択をした。決して間違っていないけど、きっとオマエからすれば……絶対にしてはならない、アスナを失ったからこそ、オマエがしてはならない選択だったはずだ。

 あの時のオマエは……泣いていた。だから、クラインもそれを責める事は無かった。

 誰もがオマエの『痛み』を、『弱さ』を、『強さ』を知っていたからこそ、100層の戦いに皆が馳せ参じた。

 きっと、オレの時は誰も駆けつけてなんてくれない。自分で言っていて情けなくなるけどな。

 

「オマエはオレの事なんて歯牙にもかけて無かっただろうけど、オレはオマエと会う時はそれなりに緊張してたんだぜ? なんせ、あの【黒の剣士】が直々に会いに来たかと思ったら『一緒に戦ってくれ』だからさ。もう少しさ、口説き文句とか考えて無かったのかよ?」

 

 ようやく攻略組に入ったかと思えば、ヒースクリフが茅場晶彦だとカミングアウトし、アスナは死んで、血盟騎士団はボロボロで空中分解同然、他の有力ギルドも軒並みにダメージを負い、辛うじて戦力として機能していたのは欠員が無かった風林火山のみ。正直、これが攻略組の現状かと呆れたよ。

 でも、オマエだけは想像通りだった。何度となく噂を耳にし、アルゴから聞かされた【黒の剣士】は……戦いに飢えていた。復讐心を武器にして、100層を目指すという信念に燃えていた。

 それは傍から見れば危うい状態だっただろうけど、オレはむしろオマエのそんな部分に惹かれたよ。だから、オレは依頼ではなく、相棒になって欲しいっていう『願い』を聞いたんだ。

 

「オマエはさ、オレを相棒って呼んでくれた。一緒に戦ってくれた。オレは……嬉しかったよ」

 

 どうして、オマエがオレを相棒にしたのか、結局は理由が分からなかった。あれこれ推測する事は出来たが、真実を知る事は無かった。

 いや、嘘は止めよう。怖かったんだ。オマエが欲していたのはオレの『力』であって、きっと『オレ』ではない。『オレ』という個人ではなく、100層に到達する為の『力』が必要だっただけだ。

 それでも、戦いの日々の中で、何度も背中を預け合った。語らい合った。少しだけだけど……笑い合う事だってあった。

 迷宮区に挑めば、無数のトラップ、凶悪なモンスターたち、レアアイテムが入ったトレジャーボックス、それらと巡り合う度に、『アイツ』と分かち合った。

 死が傍にあるボス戦では、戦いと強さに焦がれるオレの隣を駆け、負けるものかと子供っぽい対抗心で更に無理と無茶と無謀を繰り返した。

 苦労の末にボスを撃破すれば、細やかだが打ち上げもした。なんてことの無い、メシを喰って、互いの事を少しだけ話して、明日へと備える。それでも、あの瞬間は戦いも何もかもから解放されて、個人と個人で向かい合っていた。

 

「オレは……オマエの事を相棒ってだけじゃなくて、『トモダチ』だって思っている。そう信じている」

 

 歩む。踏みしめる。目指すのは捻じれた巨大な樅木。テレビの映像に映されていた、背徳者ニコラスが映されていた場所。

 迷いの森はランダムで転送され、森の中を彷徨い続けるような構造をしているとされているが、幾つかのルート通りに進めば、目的の場所に到達する事ができる。オレが樅木ルートを知っているのは、単純に救出依頼で何度も訪れた事があるからだ。

 やがて、オレの前に白黒の人影が現れる。それはクラインを筆頭にした風林火山の面々であり、『アイツ』と何かを語り合っている。ノイズがかかって声は聞こえないが、内容は大体分かった。

 きっとクラインは『アイツ』を止めようとしているのだろう。クリスマスボスに単身で挑むなんて無茶は止めろ、一緒に戦おう……そんなところか。

 だが、『アイツ』は背負う剣の柄に手をかける。だが、引き抜く事は無い。必死に、震える手で、その指先で、クライン達の刃を向ける事を拒む意思を見せている。それでこそオマエだ。オレならば、目的を邪魔するならば躊躇なく、親しい連中であろうとも斬っているだろう。

 誇りに思う。オマエの相棒でいられたことを……一緒にアインクラッドで戦えたことを、月夜の黒猫団という過去がオマエにあったと知ったからこそ、強くそう思えるんだ。

 続いて登場したのは聖竜連合だ。クラインが尾行されたのだろう。『アイツ』からクリスマスボスを横取りしようって腹だったのだろうか?

 クラインが何かを叫び、『アイツ』は彼に背を向けて森の奥……転送の先へと消える。オレも『アイツ』の後を追う。

 舞う白雪の中、オレと『アイツ』の幻影は並び立つ。今から『アイツ』は背徳者ニコラスに挑み、サチの為に戦う。そこに宿った意思はどうであれ、結末はどうであれ、『アイツ』は願ったはずだ。

 サチに謝りたい。やり直したい。その最期を否定したい。何を抱いたのかは知らないし、知るべきでもない。

 それでも、『アイツ』にとって月夜の黒猫団が……サチが大切だったからこそ、守りたかった『記憶』だからこそ、戦えたはずだ。

 

「だから……オマエの誇りを汚させなどしない」

 

 サチはオマエを待っている。オレでは救えない。オレの言葉じゃ、彼女に救いをもたらせない。

 オマエは抗ったんだ。サチの為に、持てるすべてを出し切って、戦ったんだ。それで救えなかったからなんだ? 今この世界に生きているのが、『サチ』ではない残骸だとしても、オマエに抱く感情は本物だ。ならば、オマエの言葉は『サチ』と『今を生きるサチ』の両方に届くはずだ。

 隣にいた『アイツ』の幻影が消える。背後で転送の区切りが閉ざされ、巨大な捻じれた樅木が立つエリアに閉じ込められる。

 何処からともなく鐘の音が響く。

 耳を擽るのは、ヘンデル作曲『メサイア』の有名なコーラス。聖夜に相応しいな。

 天上より温かな山吹色の光が降り注ぐ。光の柱の中、金色の光を纏った白色の3対の翼に覆われた天使が降り立った。

 翼などを除けば、体長は3メートル強といったところか。雪が固まってできたかのような白銀の甲冑に身を包み、表面が滑らかな青銅の仮面を被っている。氷の茨の冠を頂き、腕は2対であるが、どちらも関節数は人間と同じであり、多関節であったり、腕が異様に長いといった様子は無い。

 

 

 

〈Halleluiah〉

 

 

 3本のHPバー、そしてボスの名前が表示される。なるほど。コーラス通りってわけか。聖夜の演出も相まって、天使の姿はまさしく神々しい。

 ハレルヤ、確かその意味は……

 

「『主を讃えよ』だったか?」

 

 随分と皮肉が利いた名前だ。オレは前口上も無く、3対の翼を広げ、臨戦態勢を取るハレルヤに対し、鉈を抜いて構える。

 回復アイテムの残数は深緑霊水が2つ、白亜草が1つ。それ以外に無い。HPはフルであるが、VITが元より低いオレでは、総HP量で見れば、ボス級の攻撃を何度も受けることはできない。

 ましてや、SAOと違ってスタミナの概念がある以上、大ダメージを叩き出す為のソードスキルは連発できない。

 笑える程に苦境だ。もしかしたら、ここでオレは死ぬのかもしれない。ここが……オレの『終わり』なのかもしれない。

 

「悪いな。オレは狩り、奪い、喰らい、戦い、殺す者。久藤の狩人は山より下りし神……ヤツメ様を討ち払い、鎮める役目を担う者。神様だろうが神の御使いだろうが、ぶち殺す事に関しては専門家なんだよ」

 

 だとしても、オレは『オレ』である為に戦う。

 オレはヤツメ様じゃない。バケモノでもない。オレは……クゥリであり、久藤 篝なのだから。




いよいよ次回からボス戦です。

それでは120話でまた会いましょう。

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